2009-03-24

アニメ映画『動物農場』他 このエントリーを含むはてなブックマーク 

 相変わらずいろんな意味で低空飛行の日々が続く…。

 最近読んでいなかった榛野なな恵や柊あおいの漫画を引っぱり出してきて読んだり、木曜日に生協から引き取ってきた『美味しんぼ』の文庫を読んだり…。

 榛野さんの八十年頃の『ハイジの来た日』を読み、少し初心を、柊さんの『雪の桜の木の下で』で、(小っ恥ずかしいが)繊細さを、各々少しだけ取り戻す。

 『美味しんぼ』…読んでいると、肉類が食べたくなって困った(苦笑)。ただ、栄養学的にも、日本人が欧米人並みに動物性食品を摂るのは、好ましくないという話も聞くけれど…。これは一九四一年生まれの原作者・雁谷哲の年齢も関係しているのかな…。個人的には、穀物、野菜、海藻主体で、動物性食品は魚介類と卵という、伝統的な和食の発展形がベターだと今は思っています。

 漫画としては本当によく出来ていて、一時代を画したことこともよく分かる。しかし、文化部の女性陣の山岡に対する暴力は見るに耐えない…(苦笑)。

 研究の方は、何とか、米国のエコ・フェミニスト達による共著(『世界を織りなおす』、一九九四年。原著“Reweaving the World, 1990.”)の邦訳をノートを取りながら読んでいます。この本を読みながら、考えていることの一つは、生物学的な男女とは厳密には別物の、支配や競争といった「男性的な」性質と、共存や思い遣りといった「女性的な」性質を、 どう考え(直し)たらいいのかということ。勿論、生物学上の女性の従属性の正当化や強化に陥ることなく…。

 今日(二三日)夜は、笹塚で食料品の買い出しをしてから、いつもの下高井戸シネマへウォーキングで。途中明大前で雰囲気のよさそうなブック・カフェ(ブック・カフェ 槐多)を発見。今度入ってみよっかな。

 同じく明大前で、初めて杉並の自警団(和泉ピースプラスワン)の実物を見る。派手な黄緑のウインドブレーカーを来た高齢の男性の二人組。イヤダイヤダ。
 http://www.izumi-peace.com/

 

 下高井戸シネマで観たのは、アニメ映画『動物農場』(監督・脚本:ジョン・ハラス&ジョイ・バチュラー、一九五四年、イギリス)。勿論原作はジョージ・オーウェル『動物農場』(角川文庫、現在でも新品で入手可能)。

 http://www.ghibli-museum.jp/animal/

 昨年ジプリのホームページを観て知り、宮崎駿が高い評価をしていることから、ずっと観たいと思っていた作品。

 宮崎駿インタヴュー「半世紀前につくられた『動物農場』を、今の日本で公開する意味」
 http://www.ghibli-museum.jp/animal/neppu/miyazaki/

 川端康雄「冷戦下の『動物農場』」(この人は、みすずから近年『動物農場』の現代性をテーマにした本を出しているみたい。残念ながら未読)
 http://www.ghibli-museum.jp/animal/neppu/kawabata/
 

 基調となっている着想は以下の通り。すなわち、どのような高潔な理念の下で打ち立てられた体制であっても、人間の権力欲や貪欲によって、当の理念は次第に歪められ、終には無化され、腐敗してしまうことには変わりない。結局は指導者層は、高潔な理念の名の下に彼女等/彼等が倒した、革命前の為政者達と見分けがつかない程に腐蝕してしまい、一般市民の貧困生活は以前と変わらず、形は変われども格差や差別も横行する…。

 ただし、このアニメの結末はオーウェルの原作とは違う。と言うのも原作は、革命の主導権を途中から奪取し、子飼の秘密警察(犬)による恐怖政治を強いて、支配階級として君臨する豚達が、周囲の人間の農園主と同化してしまうことで結ばれている。それに対して、映画では最後に、ウイスキーと引き換えに親友の雄馬を屠殺業兼膠製造業者に売り渡されたロバに率いられて立ち上がった動物達によって、豚達は打倒されるからだ(豚達の独裁体制を暴力で支えていた犬達は、泥酔していてロバ達による反乱(革命)に気づかず…)。

 これは元来、ソ連を打倒を暗示させるために、CIAサイドによって依頼された改変らしいのだが、今観ると、堕落した不正な体制を倒す権利と義務が、人々には有るのだとも読める。

 それ以外は上掲のジプリのホームページや、Wikipedia等を参照。

 スターリン指導下のソ連批判の原作を、当時の米国の巻き返し政策の一環として、間接的ではあれCIAの援助と監督の下で制作されたとは言え、宮崎達が言うように、単に冷戦期のソ連批判に留まらない魅力を持った佳作だと思った。

 アニメ版『動物農場』との直接の関連性は薄いけれど、上記インタヴューで宮崎は、日本の現状と関連させて、以下のように言っている。バブル前の日本の状況をやや肯定的に捉え過ぎているような気もするけれど、直観的な説得力はある。

 「搾取とか収奪というのは、なにも共産主義だけにあるんじゃなくて、資本主義はまさにそういう〝しくみ〟です。ぼくは会社というのは、誰よりもそこで生活しながら仕事している人間たちの共有の財産だと思っています。でも、それは社会主義的な考え方なんですね。いま、主流になっている考え方というのは、私有財産として株をもっている人間のほうに発言権があって、株主たちが〝この経営者はダメだ。もっと儲ける経営者を選べ〟といったら、経営者はどんどん変わらなきゃいけないとか、そういうアメリカ型の資本主義です。それを進めていくと、リストラをして正社員を減らして、派遣社員やアルバイトだらけにして、労働基準法のギリギリまでこき使ってポイッと捨てる。正社員は正社員でくたくたになって働いてる。いくらでも替わりはいるんだという、いまのしくみこそ、『動物農場』と同じです。
 これがこの世のなかのしくみだというのは、ある時代までは常識だったんです。だけど、いつのまにか、みんなそれを忘れてしまってたんです。みんなが中産階級だと思いこむことによって、搾取の構造というのは見えなくなっていた。と同時に、戦後の日本の経済成長のなかでは、経営者も必死に働かないといけなかったし、日本は累進課税で、トップと末端の所得格差が少ない国だったんですよ。バブルの前までは、そういう社会が一時あったんです。だから支配や搾取の構造には、リアリティが薄くなっていたんですよ。少しは平等感のある社会になってきたと思ったら、バブルで足をすくわれて全部崩れた。終身雇用制もあっというまに捨てたし、年功序列も捨てた。そして能率給だとか、目標設定するとかってやりはじめた。能率給なんかにしたら、神経症になるだけだと思いますけどね。ふつう才能があるのなら、損得はあとまわしで力をつくして仕事をするのは当然で、金のために仕事するなって。いや、金のために働かなきゃいけないんだけど、そういう考え方は自分を貶めることになりますから。まあ、いろんな考えがありますが、ぼくたちは〝仕事は人生の伴侶だ〟ということでやるものと思い、そうしてきました」。

 今度の日曜日の午後、吉祥寺の武蔵野公会堂でも上映されるよう。多分事前に列ばないといけないだろうけれど、無料のようなので、関心のある方はどうぞ。

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知世(Chise)

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