チベット層パルデン・ギャツォの語りが暴く、中国のチベット支配のむごさ―。この映画は、チベット問題について、一人ひとりがどこまで自分に引き寄せて共感できるかがポイントになってくる。
2006年のトリノ・オリンピックで、パルデンらは、次の開催地が中国に決まったことに抗議しハンガー・ストライキを行う。IOC側は「チベット問題は重要だが、多くの問題がある中、これだけをどうにかするわけにはいかない」と言うが、その反応は私たちと同じだ。世の中には酷いことがたくさんあり、身近な人や自分と関係のある地域の問題が先決なのだから。
私は、このドキュメンタリーがNYで暮らす1973年生まれの日本人女性によって撮られたことに興味を持ったので、ぜひ監督自身がナレーションをつとめ、撮影対象と監督との関係を出発点に構成してほしかったなと思う(「かつて、ノルマンディーで」や「スティーヴィー」のように)。
61歳までの33年間を刑務所と収容所で過ごしたパルデンの壮絶な体験は、イメージ映像を入れずに撮ってほしかった。彼の語りのみを凝視したかったからだ。「傷は癒えてゆく」とパルデンは言い、自分に拷問を加えた相手の事情すら斟酌しつつ、事実を静かに語り続ける。だが、亡くなった人を思うとき、彼は涙を流す。生き残った自分の傷は癒えても「自分の中で生きている亡くなった同胞の傷」は癒えないのだ。生きるとは、他人のために祈ることだと思う。