2009-03-09

不幸の共同体ーー映画『母べえ』ーー このエントリーを含むはてなブックマーク 

 土曜は結局一度も外出せず。家事、校正、研究報告のための準備をして過ごす。

 今日は午後三時前に起床。掃除をして食事を済ませてから、調布映画祭で『母べえ(かあべえ)』(監督:山田洋次、出演:吉永小百合、浅野忠信、坂東三津五郎他、松竹、2008年)を観に、調布へ。幸いにも日曜の夕方の京王線下りは比較的空いていて、助かった。

 ホームページが既に削除されてしまったようなので、ちょっとだけ粗筋を。

 時代背景は一九三〇年代末から終戦にかけての、日本の最も「暗い時代」。互いに「〜べえ」づけで呼び合う、貧しいながらも幸福な、元大学教授の一家。しかし、父親(「父べえ(とおべえ)」)が思想犯として逮捕・収監されることで、状況は一変する。後に残された母(「母べえ」)は、小学校の代用教員として働いて何とか生計を立て、娘二人と一緒に夫の帰りを待っている。彼女は、周囲の無理解に或るときは耐え、或るときは凛として抗いながらも、夫の元教え子の若者(山ちゃん)、夫(子ども達にとっては父)の妹、そして「隣組」の班長の炭屋のおじさん等に支えられながら、懸命に生き抜いていく。

 感想は…あまりにも絶望的で救いがないということ。

 集団的狂気の時代の最中にあって、不正だが合法な天皇制軍国主義体制の枠組みの中でしかモノを考えることが出来ない、「善良な」人々は、その枠組みから外れたという烙印を押された人間とその家族を、容赦なく責め立て苦しめる。

 互いに少しでも過ごし易くなるよう努力するのではなく、只管に互いに首を絞め合うだけの「不幸の共同体」の姿が、繰り返し繰り返し、最後まで描かれ続ける。

 結局、父は厳しい刑務所生活で体調を崩して亡くなり、母べえを陰日向に支えてくれた山ちゃんも徴兵されて戦死、夫(父)の妹までもヒロシマで原爆症で苦しみ抜いて死んでしまう。結局母べえは戦中戦後、彼女と娘達を支えてくれていた、少数の理解者さえも奪われ、一人で娘二人を育て上げていくしかなかったと言う…。

 観終わった後、正直ガックリと疲れた。

 印象的だったのは、「贅沢は敵だ」として、街頭で着飾った若い娘を注意する「愛国」婦人の集団に食って掛かって、「贅沢は素敵だ」と公言する、母べえの叔父(笑福亭鶴瓶)のアッケラカンとしたエゴイズム。個人としては善良でも、それが正しかろうが間違っていようが、権力の意向や時代の流れに容易に流されてしまう、マジョリティ日本人の「利他主義」の危うさと、彼の「金しか信じん!」というエゴイズムの健全さが、鋭く対比されていた。

 あとは余談ですが…六十三歳の吉永小百合に三十五歳の浅野忠信が恋心を抱くという設定は、幾ら吉永さんが内的にも外的にも魅力的な女優さんだとは言っても、ちょっと厳しいのではと感じた。吉永さん、横顔はそうでもないんだけど、正面を向いた顔を上下から撮ると、さすがに年齢を感じさせる。

 役作りもあったんだろうけど、最後に登場した戸田恵子さんが、ずっしりと老けて観えたのもショックだった。僕の子どもの頃、落ち着いたセクシーな声で有名な声優さんだったのに…。まあ、御本人のブログなんか観ると、未だ未だ素敵で、ホッとするけど。

 今晩は深夜オーガニックワインを呑んで寝ます。

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知世(Chise)

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知世(Chise)

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