映画バカのバカ映画
予習情報として、監督が「レポマン」のアレックス・コックスであること、エグゼクティブ・プロデューサーがロジャー・コーマンであること、プロデューサーがジョン・ディビソンであること、タイトルの「サーチャーズ」は、どうやら、ジョン・フォードの「追跡者」であること、したがってその「2.0」だから、たぶん現代の西部劇なんだろうな、等と言うことをアタマに入れて、さて「サーチャーズ2.0」を観てきたのだが、いや正直言って、これは色々正しい映画なのだと感心した次第。
●正しいその1
ロードムービーとしてとても正しい。
きっかけはどうあれ「復讐」のため、L.Aからモニュメント・バレーまで、現代の馬車とも言うべきSUVに乗って旅をする。その道中で「復讐」の正当性を問い、仲間同士のいさかいを描くなど、ロードムービーとしてきわめて正しい作り方をしている。
●正しいその2
西部劇としてとても正しい
道中の殺風景ともいえる荒野の風景、共通の敵を倒すための「復讐」という目的。そしてお決まりの酒場での会話、最後の決闘など、西部劇の要素をほぼ満たしている。まあ、音楽がエンニオ・モリコーネじゃないのが残念なところだ。
さて、そんな正しい映画なのに「サーチャーズ2.0」は何か変。何が変なのかって、そりゃ「復讐」のきっかけが、子役の頃にいじめられた(と思っている)プロデューサーに一発かます、と言うだけの、まるでガキの報復のような理由もそうだが、道中主役の二人、トーレス(デル・ザモラ)と、フレッチャー(エド・バンシューロ)の会話がなんて言うのか、もう完璧にオッサンの映画オタク談義。古今東西あらゆる映画の内容や役者の事など、尽きぬ映画の話題ばかり。また出てくる映画のタイトルもマニアックなものが多く、途中でついてゆけなくなりそうだ。何しろ現実の映画だけでなく、架空の映画(CSI:コロラドとか、ペルセウス対宇宙怪獣とか)も出てくるもんだから、油断も隙もありゃしない。
映画のスタイルは正しいロードムービーであり、西部劇なのに、中身は殆ど、しょぼくれたオッサンのオタク談義で占められているからだ。
だからといって「サーチャーズ2.0」が、安っぽい作品かというと、ちょっと違う。確かに金はかかってないけど貧乏臭くない。それは、彼らが語る映画の数々、そして彼らが働いている映画産業に対する「愛」を感じられるからだと思う。
「愛」と言うのは何か照れ臭いし、かえって安っぽい感じを受けるかもしれないが、まあ、言い換えれば「リスペクト」かな。登場する人間はすべて、映画を愛し、映画が好きで、映画のために生きている。
映画に対する愛を感じる、と言う点では、今年公開された、ミシェル・ゴンドリーの「僕らのミライへ逆回転(BE KIND REWIND)」と共通するモノがある。アプローチの仕方は全く異なるが、映画が好きで、その映画のために、本人たちは一生懸命真面目にやってるんだけど、傍から見たら何かオカシイ、少々常軌を逸脱している、という感じ。観客が映画について知っていれば知っているほどおかしさを増してくる、と言う面でも、ゴンドリーとコックスの仕事には共通するものを感ざるを得ない。
(内緒だがもうひとり、「シベ超」シリーズでのマイク水野こと、故・水野晴郎を思い浮かべたが、まあ内緒のままでいいや)
さて、そんなロードムービーであり、西部劇である「サーチャーズ2.0」のクライマックスは、西部劇のお約束「決闘」である。しかも場所は「捜索者」のクライマックスシーンを撮影したモニュメント・バレー。いやしかし、この決闘シーンのあまりにも●●な方法、●●な結末には恐れ入るしかない。しかも、最後の最後でどんでん返しが。(あ、ヤバイ、なんか「シベ超」っぽく無いか?)
そのどんでん返しも含め、この作品には、恥ずかしげもなく言うけれど、やはり映画に対する「愛」が詰まっている。作っている人たちすべてから感じる映画愛。言い方を変えれば「映画バカのつくるバカ映画」ってところだろうか。そう言う点で、見終った後、ちょっとだけ幸せな気分になれるのだ。いや〜、映画って本当にイイですねえ。
*注:おおむね「バカ」という言葉が前に来るか後ろに来るかで、その単語のニュアンスが大きく異なることが一般的だ。例えば「親バカ」といえば、ほほ笑ましい、ある意味肯定的なニュアンスがあるのだが、「バカ親」と、前後を換えると、全く違った、どうしようもないバカな親という、否定的な意味になる。
ところが、こと「映画」に関して言えば、「バカ」が前についても後ろについても、おおむね肯定的な意味合いになるのが面白い。
「映画バカ」は、映画が好きでたまらない人間を指し、「バカ映画」は、馬鹿馬鹿しいけど面白く楽しい映画、というニュアンスを持つ。どちらも基本は肯定的な意味を持っている。
まつばらあつし