2008-12-13

2008年12月12日 このエントリーを含むはてなブックマーク 

12月12日(金)
 朝、通勤途中の電車内で石堂淑朗『偏屈老人の銀幕茫々』読了。石堂節健在。「そして誰もいなくなった」老年期を生きる筆者が往時への回想を書き連ねる行為が安易な郷愁になっていないのが良い。石堂淑朗は精神的にはまだまだ旺盛だ。今村昌平と最後まで書いていた『新宿桜幻想』の脚本を読んでみたい。
 専門学校講義。上映使用作品は『犬神家の一族』76年版&06年版。『恋の門』『風の谷のナウシカ』。
 シネマライズ渋谷で、本日最終日の河瀬直美『七夜待』(☆☆★★★)を観る。
 疑似家族、孤立、そしてラストは皆で踊る。と並べば『沙羅双樹』が特に思い出されるが、タイに行ってもやってることは変わらない。確かにまぎれもない河瀬直美の作品になっていた。しかし、『殯の森』でこれまでの集大成から次の展開を予感させる秀作に仕上げた河瀬直美の新作としては、お仕着せ企画用にこれまでの手法を使いまわしただけのものに思えてしまう。
 当初は奈良を舞台にした周囲とコミュニケーションの取れない女の子の話の予定が、これまでと切り口を変えるべくタイを舞台にしたらしい。そして何より「長谷川京子」の主演映画という枠を持った商業作品であることが、これまでの河瀬作品とは大きく趣を異にしているが、結果は長谷川京子を自身の側に引きずり込むことに成功したのが良かったと言えるのかどうか。確かにここでの長谷川京子は凄い。これまでに見せたことのない表情を見せ、エロティズムを発散する。あのタンクトップの胸のポッチリが脳裏から離れず、ひたすら長谷川京子の肌ばかり食い入るように見ていた。しかし、長谷川京子が予想以上に河瀬の演出手法に馴染んでしまった為、結局いつもの河瀬作品側に引き寄せてしまったことで、『殯の森』の次にはなっていない。凡作の『萌の朱雀』や『沙羅双樹』よりも落ちる出来だったのが残念だった。
 脚本に狗飼恭子を迎えたことで何か変化が訪れるかもしれないと思ったが、やはり河瀬作品の殻は固かった。これならもっとガチガチのアイドル映画の枠組みを作ってしまって、そこに河瀬直美を放り込んでしまった方が、遥かに異物感あふれる作品が生まれるのではないか。
 古式マッサージが云々というのは、予告を観ている段階でも果たして映画で活かせるのかと思ったが、完成した作品でが逆にマッサージを抑え気味で、ここまで抑えるならもっと古式マッサージを活かした設定にすべきだったと思う。
 パンフレット購入。700円。

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モルモット吉田

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モルモット吉田

“映画日記のようなもの。”