まるで「ロック」という名のコンサートを観ているようでした。これほどおもしろいドキュメンタリ映画に出会ったのは、初めてです。
どこから観てもドキュメンタリなのに、スクリーンに没頭し、作品にのめりこんでゆきます。最後には心地のいい余韻と、大切なメッセージを受け取った気分でした。
当時活躍した数名のインタビューには、その一言ごとに聞き逃せないものがあり、インタビューが終わると貴重なライブ映像が始まります。無法を許した“イマドキ”の音楽とはまるで違う、音楽を純粋に追求しているロックがそこにありました。
巧いと評したいのは、この単純な構成を「コンサート」に変えてしまう技法です。インタビューがMC・前説となり、吸い寄せられるようにライブ映像へ移っていく。どのような技法を使って「コンサート」に表現できたのか不思議でなりません。
ライブ映像に出てくるアーティストの姿ははまさに「カッコいい」の一言です。興味ある人たちには“生唾もの”の作品で、鑑賞中は抑えられないほどに興奮が湧き上がります。
それは“ロック好き”だからといわれたら仕方がないことです。この作品は、人を選びます。それでもミュージシャンを目指す人たちや、音楽を深く知って広く感じられるようになりたい人たちにとって、ロックの本質をこれほど露骨に見せてくれる作品はありません。
若輩者でロックの何たるかを知らなかった私にとっては、目からうろこが落ちる衝撃の連続でした。だからこそ、今まで安易に「ロック」という言葉を使っていたことを後悔してしまいます。その誕生に携わった人たちが、絶望と隣り合わせの挑戦と苦労をしていたことを知らなかったからです。
ドキュメンタリであるため、当然メッセージ性の強い作品です。それらはインタビューに集約され、ライブ映像がそれを実証します。
なぜ、メッセージの部分で退屈を覚えなかったのか。ひとつは前説の役割を持っていること、もうひとつはメッセージの一つひとつに、当時の切実なドラマが凝縮されていて、それらが私たちにとって無視のできないものだからです。
たとえば負のメッセージ、それは若者へ向けた課題と希望です。当時の体験談、それは当時の世代にあたる人たちに向けた告白です。ロックのありかたや主義を唱えたメッセージ、それは音楽界の歴史にロックという存在があったことを主張し受け継ぎたいと願って、すべての世代の人に叫ぶ声です。
日本でロックが産声を上げてから、日本のロックは音楽界のなかでさまざまに混迷を極めます。ロックが日本人にいまだ浸透しなかったころは、外国のロックで勝負しても通用しない。かといえ日本のリスナーに合わせた曲は本来のロックと相容れぬものでした。
そうした時代で、本来のロックを貫き通し、歌い続けた者たちの苦難と、日本の音楽界にあるロックの立ち位置が不安定に移ろいゆく軌跡を題材にしたドキュメンタリです。
当時叫び続けたロックは、こんにちの歌謡曲を生む礎として、受け継がれています。そして、そうした本来のロックは、今でも生きています。
お金ではなく、先の見えない音楽の美術性に情熱を費やし、真っ直ぐに歌っていた人たち――彼らの生き様は、世代を超えても、誰もが「カッコいい」と思えます。この作品は、ロックが時代を超えられるものだと信じている全ての年代の人々に向け、ロックの誕生を歴史に刻む歌です。
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