2008-09-07

わたしがまもってあげる このエントリーを含むはてなブックマーク 

ラストの思いがけない結末には、
「どこにこんなに涙があったんだろう」
と驚くほどの涙が頬をつたって膝を濡らしました。

10歳のベティはちょっとこわがりの繊細な女の子。
大きなお屋敷に住んで、パパは精神病院の院長。
一見幸せそうにみえるけれど、小さな胸には悩みもあります。
いつもけんかばかりの両親に、寄宿舎に入ってしまった姉のアニエス。
ついにママは恋人のもとに行ってしまいました。
家事をしてくれる家政婦のローズも精神を病んでいて
なかなか飼ってもらえない、犬のナッツも哀れ安楽死寸前。

ある日、パパの病院を抜け出した青年イヴォンを
思わず納屋にかくまってしまいます。

「誰にもいわないわ。わたしがまもってあげる」

ベティがいなかったら、イヴォンは空腹で寒さに震えるばかり。
家族の目を盗んで納屋に食事や必要なものを運び
機転をきかせてあらゆる手段でイヴォンを守ります。
もう嵐も暗闇もこわがってはいられません。

精神病院を逃げ出した患者をかくまったら
パパが困るのはわかっています。
家のものをこっそり持ち出すのもいけないことです。
でも、ベティは「イヴォンをまもる」と決めてしまったんです。
あの時、納屋の陰にひそむ見慣れぬ青年。
パパの呼ぶ声。その瞬間、
おびえて助けをもとめているイヴォンのほうを選んでしまったのは
まっすぐで純粋な少女の使命感かもしれませんね。
パパのことは信頼しているけど、パパに渡したら彼は不幸になる、
とあの瞬間に直感したんでしょう。

子どもが主人公の映画をみると、
どうしても母親目線になってしまうことが多いのですが
この作品では、最後までずっとぶれずに
ベティに共感しながら、彼女の目の高さで見続けることができました。
精神病院を逃げ出した「危ない」青年と、
予防接種も受けていないような「危ない」野良犬と、
10歳の女の子が暗い森で一夜を明かします。
このシーンでさえ、幸福感でいっぱいになりながら観ることができました。
(母親目線だったら、心配でたまりませんよね)
そして・・・感動の結末は、劇場でぜひ観て下さい。

10歳の女の子は、親が考えるよりずっと大人です。
昔は自分もそうだったのに、自分が親になるとついつい忘れてしまうのです。
子どもは神様に近いくらい何でもお見通しなんです。

原作の作者はアンヌ・ヴィアゼムスキー。
元女優、あのゴダール監督のミューズといわれた元妻、
そしてノーベル賞作家フランソワ・モーリヤックの孫娘でもあります。
フランスではベストセラーになった小説、ということですが、
残念ながら日本語訳はまだでていなかったので、
アンヌが自分の両親や祖父母との関係を描いた
自伝ともいえる「愛の讃歌」の訳本を読んでから映画を観たのですが・・

「ベティは作者のアンヌその人」だと思いました。
アンヌは(本によれば)4歳とか7歳とかのときでも、両親の言動・・・
表向きは円満でも実は不仲、母には恋人がいて、父もそれを知っている・・・
なんてことまで、子どもなりに理解していました。
両親が不在がちで、ちょっと風変わりな家政婦に育てられる
ところとかもベティに似ています。

原作本読みた~いです。
お洋服やスイーツのコラボも可愛くて楽しみだけれど、
ぜひぜひ「ベティの小さな秘密」の日本語版を出版して下さるよう
心から願っています。

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kerakuten

ゲストブロガー

kerakuten

“最近になって、月に15本くらい映画をみるようになりました。原作本の感想とあわせて、ブログに書き込んでいます。 ”