今回のカンボジアツアーの参加に約30万円(燃油サーチャージ含)の費用がかかります。
もちろん自費です。
(会社という社会的な形態を取っているけれど、)基本“自営業”で安定しているとはいえない生活を送っている自分にとって、この30万というのは物凄く大金です。
そして、ワザワザこんなにお金を払わなくても、今、自由旅行を自分で組めば、特に東南アジア方面なんていったら、せいぜい半分くらいの費用で済むでしょう。
さらに、ワザワザこんなにお金を払わなくても安いパックツアーなんていっくらでもあります。
費用の中には、もちろん政情不安な場所に対する安全面の確保や、現地のコーディネーターの費用だとか、目に見えないところでいろいろかかっておりそれも含まれているのでしょう。
それでも、この安くないボランティア体験ツアーっていうのには、なんか理由があるんじゃないでしょうか・・・。
ちょっと気になって調べてみると、「ボランティア体験ツアー」っていうのっていっぱいあって、これが結構人気のある企画なんですね。
発展途上国を訪問して、農作業体験や井戸を掘ったり、ゴミ拾いしたりとかする・・・・。
テレビの人気番組「ウルルン滞在記」を直に経験できるって感じで人気あるのでしょうか?
でも、ちょっと待って?
「ボランティア」って、「奉仕」っていう意味であって、そこに見返りを求めたり、自己の欲求をはさんだりする・・・・いや、ちょっとぐらいあってもいいかもしれないけど、決してそれが最優先されるものではなく、純粋に善意による「奉仕」だったはずなのではないのでしょうか?
少なくともボクはそう思ってた・・・。
「ボランティア」という言葉をWikiで調べると・・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A2
“ボランティア活動がそれに参加する個人の自己実現の場の役割を果たす性質・・・・”
って、いうのがあります。
ということは、少なからず近年の「ボランティア」の活動は、自己欲求の充足のために存在しているとうことです。
つまり、誤解を恐れずに言えば、数あるボランティア体験ツアーというのは、「自分探し」のお手伝いをする企画パックツアーってことなんですね。
その分費用も高い。
「自分探し」でさえ、誰かに管理されてゴールを保障されないとできないなんて情けない!
それでも、若い時分に何か行動をおこして経験値を積むというのは大切なのかもしれませんが・・・・。
今回のこのカンボジアツアーは、純粋にNGOの現地視察のツアーですので、数あるボランティア体験ツアーとは意味合いが違いますが、これを機に、安くない費用に自分が納得したいのと、「ボランティア体験ツアー」とは、どうなっているのか考えてみました。
「カワイイは世界を救う」
このタイトルをつけてしまってから、突き動かされてしまった自分。
カワイイの先には何が待っているのだろう。
明日、カンボジアに出発します!