2008-08-20

★FRUiTS青木氏との対談 このエントリーを含むはてなブックマーク 

昨日は、ブログサービス・JUGEMのインタビューでFRUiTS青木氏と対談しました。

青木氏は、90年後期のあの特異稀なる原宿のストリート・ファッションを、「FRUiTS」という雑誌で日本、そして世界に発信した人です。
当時原宿に行けば、必ずカメラを持ってたたずんでいたこの人に遭遇したはずです。

90年代、ボクはキャピキャピの(笑)20代でして、勢いでこの原宿にショップを出してしまったのでした・・・・。
その後、「FRUiTS」の誌面を賑わしたあのファッション・ピープルの子達のまさにまっただ中に、自分と6%DOKIDOKIは存在したのだけれど、昨日の対談であの時代を振り返ると、その当時は気がつかなかった新しい発見がいっぱいあった・・・。

ショップを出す前、自分たちのやっていたクラブイベントやパフォーマンスなどの活動は「バカ系」とか、「稚拙」だとか、外見やファッションなどの表面だけをとらえて批判する人も多かった。
もちろん若さゆえ、表現にいたるプロセスや理論の構築も浅く甘かったのだと思うけれど、少なくとも自分の求めているものは、その当時すでに存在していて、ある程度評価の定まったモノではなかった。

そんな中、原色でカラフルなものやカワイイもの、“モンド”とよばれていたヘンテコなものが大好きで、普通の人より奇抜なファッションをしていたボクたちを受け入れてくれる場所は「原宿」しかない!って思って原宿にショップを開いた。
当時、原宿に集まってきていた子たちも、きっと「原宿」なら自分を受け入れてくれるに違いないと思って集まっていたハズだ。

その行く当てもなく「原宿」に集まっていた子達を見て、「これは面白い!」って思ってくれて、ちゃんとした「社会」に通用するカタチで世間に知らしめてくれた大人が、当時のFRUiTSの青木さんだ。

彼によって、原宿ファッションが世界に認知され、地方や学校で浮いた存在であった(ヤンキー系とは別の)子達も、「原宿」という街に来れば、自分は浮いた存在ではないと思うことができたのだと思う。

まっただ中にいたボクとしては、当時のムーブメントに対してそんなに仏のような心をキープできるような心境ではなかったように記憶しているが、今、この年になって思うと、自分も「原宿」によって居場所を獲得できた一人であったように思う。
そして、いまだに原宿にショップを維持していて、原宿に住み続けているということは、かっての「原宿」に漂っていた「なんでも自由に表現していいんだ!」という空気が大好きだったし、そんな時代のスピリッツを、今でもちょっとでも「原宿」という街に落としていきたいと考えて、H.U.G.とかショーとかいろんな取り組みをしている・・・・。
・・・・っていうか、改めて、自分はそういうことで「原宿」にこだわってるんだと気づかされた対談でした。

この対談は、10月にJUGEMのTOPのインタビューページに掲載される予定です。

FRUiTS
http://www.fruits-mg.com/index.html

(アップリンクから出すDVDのこととか、舞台・映画批評も書きたいのですが、多忙のためしばらくJUGEMさんとちょっとだけ変えたほぼ同じ文章です。スイマセン!)

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増田セバスチャン

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