2008-06-16

ラチュウミア聴こっ! 05 ソウルの夜は更けて bien avant dans la nuit à Séoul このエントリーを含むはてなブックマーク 

2夜目の今夜(15日)は、同じArs Novaのシリーズの、「アメリカ」と題されたコンサート at セジョン・チェンバー・ホール。

J.ケージの"Credo in US for piano, 2 percussions,radio and phonograph” ではじまりました。ベートーヴェンの第五の録音が鳴り響き、プリペアド・ピアノと2人のパーカッション(空き缶などをたたく)、リアルタイムのラジオ放送(のはず)などが入り乱れる、これもまたケージの偶然性の世界なのでしょうが、乱痴気騒ぎ的作品。生音以外の音源は、Macbookを「演奏」していて、ケージの意図もまたテクノロジーによって変貌するのかしないのか、なんてことを思いつつ聴きました。

座席が上手よりだったので、残念ながら、演奏するウィレムの様子は見えない。ピアノの下から見える無造作にリズムを取る足と、ピアノの蓋に時折映る、ウィレムの表情。あ、意外と真剣じゃーん!

続く前半は、ウィレムくんはしばしお休みで、2曲目はC.アイヴズの小さい編成のオケの作品と、韓国の作曲家イル・リュン・チュンの世界初演 "Glut" (室内楽作品、編成はよく覚えてない、スミマセン)。

後半はウィレムのソロが続きます。
前回あんなこと書いたからなー。やっぱりお約束ってことで書いちゃおかなー。

「トイピアノをグランドピアノのように弾く男」

J.ケージの”「トイピアノのための組曲」を、長い足を折りたたんで、風呂椅子みたいな椅子に座って、演奏する。今夜はやけに若い人がたくさん来ていて、もう口笛ヒューヒュー、やんやの喝采で、大受けに受けてました。際物ってわけじゃなく、トイピアノであれだけ豊かな表現ができることに、ワカモノたちも感銘をうけた、のであろう(たぶん)。

実は、日本公演のプログラムを相談しているときに、ウィレムは「トイピアノの曲やろっか?」って言ってきていたのですが、結局やらないことになったのです。聴きたかった方、ゴメンナサイ。

最後の曲は、George Antheil(ジョージ・アンセイル?アンタイル?アンセイユ?)の"Jazz Symphony" for solo piano and small orchestra。これがなかなか出色でした(Antheilといえば「未来派野郎」ですねー、そういえば)。弦と、トランペット、パーカッション、ピアノの14-5人のアンサンブル。タイトルにもある通り、ジャズなのですが、1925年の作品で、ああ、あの時代のアメリカだよねーとうなづいてしまう(知らないけどさ)、脳天気・なんでもあり・こわいものなし・あぶく銭使い放題感がそのまま音になったような、ぴゃーっ!と前へ前へと開ける音だけでできている作品で、ちょっと一瞬、バーンスタインのウェストサイド物語のAmericaの、チャララチャララメーリーカッ!を彷彿とさせる感じがあって、アメリカのイケイケ精神はこういう音に収斂、というより拡散していくんだなーと納得させられた(ひとり合点ともいう)。

納得させられたのは当然、演奏によって、です。ソウル・フィルの若いプレイヤーたちは、今日もずっと、かっとばしていて、ほかにもジョン・ゾーンのカルテットなども小気味よくがんばっていたし、この最後の曲ではウィレムと一緒にはじけきっていました。

このコンサートシリーズはソウル・フィルの企画です。オーケストラが若手のために、アンサンブルや小規模のオケで前衛的な作品を演奏するこんな機会をつくっているのは、すごいことですよ。内情はわかりませんが、実に生き生きと質の高い演奏を聴かせてくれました。

で、この最後の曲が終わって、指揮者が袖に引っ込むのを、ウィレムは拍手で送って、自分は舞台に残ってピアノの前に座るのを見て、こいついいヤツだなーと思いましたね。ソリストぶらず、ぼくはオケの一員よって顔して。ソロとアンサンブルの両立って、大事なことです(たぶん音楽だけの話でなく)。

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