minoruさんの日記
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2013
5月
21
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GPSを爆音で追い越せ!『タリウム少女の毒殺日記』クロスレビュー
少女は「物語なんかないよ」とカメラに向かって宣言する(寺山修司やアンディー・ウォーホルのように) 「物語」の反語は「観察」だということでとりあえず少女は観察者になろうとした。 観察は近代科学の基本で、それは再現性を実験により確かめる方法だから必然的に少女は「実験」する。 そこに「物語」「観察」「科学」の関係に微妙なズレが少しづつあらわれてくる。 …といったところまでが少女がアタマで...
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2013
4月
04
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女と木が存在する:『パパの木』クロスレビュー
【少女の想像力】 突然父を失くした少女は大きな木に父のささやき声を聞く。 木になった父は、宿題の答えも教えてくれる。 でもこれはファンタジーではない。 豊かで切実な想像力=イマジネーションは現実を超えて真実に触れる。 その想像力は空想=ファンタジーでも妄想=デリュージョンでもない。 木の上で暮らしていた遥かな祖先はやがてその木から降りたという。 それはアナロジカルな寓話だけど人間...
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2013
2月
20
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恋とは分裂症と偏執症と不安神経症などを発症する美しい病/『世界にひとつのプレイブック』クロスレビュー
恋は分裂症と偏執症と不安神経症などを発症する病気だ。 この際、病理学の定義などは無視する。 医者がどう判断しようが、草津の湯だろうが、恋が不治の病いだということは昔から知られている。 平常ではいられなくなるが故に「恋」なので、健康的な恋など存在しない。 ベティーブルーやポンヌフの恋人たちを思い返すまでもない。 そしてときに恋は誰かを傷つけたり自分を傷つけたりすることもある。 誰かを...
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2012
5月
29
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『ギリギリの女たち』クロスレビュー:おにぎりとアヴァンギャルド
映画を見終わってまず「あのおにぎりは絶対うまい!」と思った。 そんな確かなことから少しづつ思い出してみる。 被災地が舞台で、ラストクレジット以外音楽は無く、カットも長いのでドキュメンタリータッチか?と思われるかも知れないけど、画面の隅々までこの映画はドキュメンタリーではないことを過剰なほど宣言してる。 映画が始まってすぐ、三姉妹が画面のそれぞれの立ち位置に揃うまでの35分ノーカットは見て...
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