あたかも話はデオキシリボ核酸の如く、あらかじめ運命づけられていたのかもしれない。
そこに集うキャストもスタッフも、二重螺旋に刻まれた運命の如く、映画という記憶に配列されていたのかもしれない。
ほぼ夕張映画祭の常連となりつつある映画監督 増田俊樹は、昨今の映画界において異端児とされる風潮があるが、実のところ彼は異端児でも何でもなく、極めて自然に今のポジションに位置付けられたというのが私の率直な感想である。
これは、私と彼とが同じ芸能事務所に所属しているからそう感じるというわけではない。
時に私達は客観的にお互いを見合わす素養も持ち合わせている。そうでなければ、所属事務所の製作する映画に私も増田も俳優としてまで参加する事は不可能であろう。
増田は映像畑出身であり、私は演劇畑出身という土壌の違いも、お互いを客観視出来る要素になっているのかもしれない。
増田俊樹は、小学校の頃から既に映画監督になるだけの創造性を持ち合わせていた。
彼に以前聞いた事がある。
映画監督になるに至ったきっかけは何かと。
彼から予期せぬ面白い回答が返ってきた。
幼少期よりフィギュアの好きな少年だったのだという。
我々の育った時代は、誰もがタイガーマスク、ウルトラマン世代である。増田も例外ではなかった。ただ、彼が人と違った点は、例えばタイガーマスクであれば、テレビの世界から逸脱してフィギュアを駆使し、独自のタッグマッチを組ませたりするその豊かな創造力にあった。
机上のタッグマッチからは様々な勝者が生まれ、様々な人生が展開されていった。
次に増田はそのフィギュアの世界を漫画に求めるようになった。ひたすらノートに作画した漫画を書き散らし続けた。そして、そこに求められる絵の美学の追求を目指し、絵を描くようになった。幼少期からその才能は開花し、数多のコンクールにて賞を受賞した。
しかしながら、突如増田は野球少年へと転進した。
これも、当時流行した野球漫画「野球狂の詩」、「あぶさん」等の世界観に心酔しての行動だった。
彼に後に聞く事になるのだが、野球という縦社会の縮図においては、人間関係が全てであり、映画の現場を仕切る映画監督という職業は、この縦社会の人間関係がなければ時に成立しない局面もあると。
チームワークで創造する仕事に魅力を感じたという。その中で創造的な活動のできる場は、動く絵という表現芸術を追求する場は、彼にとっては映画という
現場しかなかったと、そう感じるのはごく自然である。
かくして彼は、地方局のテレビで、報道番組のアシスタントディレクターとして映像の現場に関わるようになっていった。
映像という大海原を航海する彼の先に、いつしかロフト(注:という島があったのだという。そして、そこにしばらく滞在するうち、そこには様々な人間がたどり着いた。人間の織り成す模様、その様子をつぶさに観察し、ドキュメンタリー的な映像を見つめる矢先に、ドラマ映画という現場が彼方に浮かぶ蜃気楼のように、増田の眼前に漂い始めた。
(注:30年以上に渡り、日本のロックシーンをリードする新宿の老舗ライヴハウス。2001~2005年まで、その系列店・ロフトプラスワンと、映像制作部門であるロフトシネマで、増田はプロデューサーとして働いた。
ドラマ映画などというのは、そのどれもが、蜃気楼の如く人間の視覚と記憶の狭間を行き交い、刺激を与え、求め、フワフワと実態の無い物として人間の感動という満足感を満たす為に存在しているものなのかもしれない。
増田の映画の手法はドキュメンタリー的である。
現実と虚構の狭間を行き交うでもなく、共存して行く。
本編、『おやすみアンモナイト』も増田独自の斬新な手法を取り入れた。
二本の作品が同時進行するでもなく、二本立てとなるでもなく、共存して物語は成立して行く。
物語というドラマツルギーは、もはや既存の手法では、見る者は感動も刺激も得られないのかもしれない。
増田はいち早くそこに気づいていた希有な監督である。
それは、極めて偶然の連続の中に人間の連鎖が出来上がって行った、ロフトという大海原の中の漂流者の出会いだったのかもしれない。
ルポライター 昼間たかし 貧乏人大反乱集団主宰松本哉 映画監督 増田俊樹…
ロフトには様々な漂流者達が流れ着いた。
ROCK、映画、サブカルを支える様々な活動。
至極の出会いは、偶然の中に生まれる。
法政大学からその狼煙を上げ、2000年から現代に至るまで貧乏からの革命を謳い、イ•イ戦争などその時代背景とパラレルし、時代論理的ロジックと共に西へ進軍して行く松本の存在は、パンキッシュなロフト的コペルニクス的展開の流れにマッチングした。
昼間たかしの思想倫理観は、松本の大陸論理をシナリオという世界で具現化して行った。
彼のシナリオで具現化された大陸論理は、登場人物の名前一つ一つにも散りばめられている。
この名前を連ねて見るのも、ある意味謎解きのようで面白い。
偶然の出会いは、実は計算された天文学的運命の中に介在していたのかもしれない。
映画という現場には出会いと別れもつきまとう。
増田は言う。
率直、今まで作ってきた作品において、もう一緒に現場を共にしたくないスタッフやキャストというのも、中にはいるものだと。しかし、過去の作品、そして、これから製作する映画において出会うであろう人間の中に、「こいつとやりたいという人間」が必ずいるのだと。そういう人間たちとの関係性を、映画というメディアを駆使し、活写して行きたいと増田は熱く語る。
その為には作り続けなければならない。作り続ける為には多くの人に見てもらわなければならない。その為には手段を選ばないという。
増田の宣伝活動には、そんな思いが感じられた。
この映画は、名車ランボルギーニカウンタックのようにendに向かい疾走し、カウントダウンを刻む。
カウンターカルチャーとは、経済の流れ、文化の本流が景気後退と共に、失速したとしても、それに同調し失速してはいけないものなのである。
カウンターカルチャーは疾走し続けなければならない。
そういう宿命のもとに存在するものなのである。
増田俊樹の映画は疾走し続けるであろう。
作家 近藤 善樹
2010年1月30日(土)~2月19日(金)
渋谷ユーロスペースにてレイトショー公開!
「おやすみアンモナイト 貧乏人抹殺篇/貧乏人逆襲
篇」
公式サイト http://www.oyasumiammonite.net/
公式ブログ http://blog.livedoor.jp/oyasumiammonite/