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投稿者:mutekisha


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終了土方 巽 著「病める舞姫」読書会

菊井 崇史<詩人>と中嶋 夏<産婆>による土方 巽 著「病める舞姫」の読書会

  • 日程
    2015年02月11日 ~ 2015年03月10日

  • 時間
    19:00

  • 会場
    会場:「ギャラリー・ランプ」 四谷ひろば(旧四谷第四小学校)A館地下2F 地下鉄丸の内線、四ツ谷3丁目駅下車、徒歩10分

日時:毎月 第2、第4 水曜日 <第1回目 2月11日 >
   PM 7:00~9時30分
講師:菊井 崇史<詩人>, 中嶋 夏<産婆>
会費:1,000円
主催:霧笛舎
   ℡:042-391-4087<霧笛舎 中嶋>
     080-1387-1410<大津>
   E-mail: mutekisha@yahoo.co.jp
HP: www.geocities.jp/mutekisha
会場:「ギャラリー・ランプ」 四谷ひろば(旧四谷第四小学校)A館地下2F
地下鉄丸の内線、四ツ谷3丁目駅下車、消防博物館側、2番出口を出る。新宿通りを新宿方面に少し歩くと右側にホテルウィングがあります。そのまま真っ直ぐ進み中華レストランがある角を右に曲がります。100m程歩くと右側に「四ツ谷ひろば」旧四ツ谷第四小学校が見えてきます。その建物地下2Fに会場があります。

 書物『病める舞姫』を読むことは、そこに書かれ息衝く言葉を理解することではなく、その実景に各々の身体、言葉をひらき、邂逅すること、体験することだ。あらゆる邂逅がそうであるように、はたされた以後、われわれはそのままでいることはできない。それが身体を賭した経験だ。そして、身体とは絶えず、言葉の様相と無縁でも乖離するものでもない。われわれの身体とは言葉であり、われわれの言葉とは身体である、土方巽の言葉は、強烈にその事実を告げている。それは、「命は形においすがらねばならない」と土方巽自身が告げた必需に顕現する言葉のすがたであり、身体のすがただ。
 『病める舞姫』はどこまでも異端の書だ。異郷と言ってもいい。その一文一文には、幾多の光景が宿されている。その光景は、一定の時空に留まることで見覚えられるものではない。絶えず自らを異化においこみ、境を渡りつづけ、その異者が生きる実景としての時空を出現させている。ひとつの身体に刻まれ潜む光景と、その身体が此処にあるために生じる光景が、文というあからさまな身体に収斂してゆく書記は、人間に留まることを唾棄してさえある。それは、詩にも散文にも帰属しないことを意志された書物の、動的であり、漂う位置だ。「病める」も「舞」も「姫」も、異者が存続することに託された徴だ。だから、『病める舞姫』の文に棲むまう人々も「赤トンボ」も「畑」も「黒砂糖」も、「馬」や「牛」、「花」、「鯰」、「煤」もみな、彼我の境を破り、渡り、在ることの聲を響かせ、それら仕草、息遣いは、共に生きること、共に存在することを許し、要請するが、理解されることを拒絶しているのだ。土方巽がおいすがった「形」は、「命」そのものに似て、帰属や把握の強制におさまるものではないからだ。『病める舞姫』を成すひとつの文には、文と文の繋がりには、切断があり、飛躍がある。時に天を飛翔し、地の底を這う。空を這い、地を飛駆する。流動する一連は、舞踏そのものなのであり、「本当に無救済的な、刹那に於いて即救済的なものが舞踏家をみまう」と土方自身が述べた「刹那」の連綿が具体されている。「断絶によって生命が持続していることは立証されている」という彼の言葉を追認してもいい。
 『病める舞姫』に書かれ在る言葉の出自を闇雲に、土方巽固有の舞踏、身体とする視座に立つべきではない。そうではなく、むしろ、彼の舞踏、身体と共時に彼の言葉は発現し、共に息衝くディメンションを見極めなければならないはずだ。この位相において、詩や散文といった言葉の綴られも、音楽も、絵画も、呼吸や歩行といった身体の所作さへも、命の動作という行為として共存することができるからだ。『病める舞姫』同様、言葉を書く行為に土方巽は、舞踏譜を記したが、彼の身体は、言葉を置き去りにはしなかったし、その逆でもなく、共謀として法外の領野を蠢いている。現在、所与とされる人間であるための規制を破る域が、法外なのだ。危機を要請する、そう土方は言った。危機に、定位は、ありえない。法外の位置に、定住はありえない。そのような身体が、今、此処に在ることの晒されに惹き起こされる変革の可能性を信じなければならない。暗黒舞踏の創設に参加し、土方巽の身体、呼吸、聲に直にふれつづけ、自らがその邂逅に命懸けの応答を舞踏においてはたしつづける中嶋夏氏と共にひらかれる本読書会は、『病める舞姫』という経験をそれぞれに深めるための試行となるだろう。その邂逅に、身体で応えることができる。言葉で、音楽で、絵画で、生き方で応えることができるのだ。<菊井 記 >

キーワード:

読書 / 舞踏 / ダンス / 土方巽 / 秋田 / 芸術 / 文学


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