webDICE 連載『特集:アレハンドロ・ホドロフスキー監督』 webDICE さんの新着日記 http://www.webdice.jp/dice/series/49 Mon, 16 Dec 2024 20:37:04 +0100 FeedCreator 1.7.2-ppt (info@mypapit.net) 寺山修司はホドロフスキーに嫉妬していた──元天井桟敷劇団員が語るふたりの共通点 http://www.webdice.jp/dice/detail/4310/ Tue, 22 Jul 2014 17:18:32 +0100
渋谷アップリンク・ファクトリーにて、左より安藤紘平、浅井隆、森崎偏陸


アレハンドロ・ホドロフスキー監督作品『リアリティのダンス』の公開を記念し、寺山修司主宰の演劇グループ・天井桟敷の元劇団員、安藤紘平、森崎偏陸、浅井隆をゲストとして迎え、渋谷アップリンクでトークショーが開催された。かねてから寺山修司の映像作品との共通性を指摘されるホドロフスキーの作品。天井桟敷の団員として寺山作品に携わった3人だけが知る、寺山修司の世界とホドロフスキーの世界のシンクロニシティが語られた。



『エル・トポ』を観ないと「前衛」なんて言えなかった




浅井隆(以下、浅井):ホドロフスキーは今年85歳。寺山さんが生きていたら今年79歳なので、ホドロフスキーより若い。映画を観た人の中にはツイッターなどで「ホドロフスキーの『リアリティのダンス』は寺山的だ」という人もいますが、年齢でいえば実は寺山さんがホドロフスキー的だったということができるのではないかなと思うんです。僕が天井桟敷に入団したのが74年。『エル・トポ』が日本で公開されたのは70年。僕は当時大阪の高校生だったので『エル・トポ』の日本公開は何の意識も自分の中に刷り込まれていないのですが、ふたりは東京で『エル・トポ』の公開時にどこでご覧になりましたか。



安藤紘平(以下、安藤):普通の映画館で観ましたよ。あれを観ないと「前衛」なんて言えなかった。街を歩けなかったですよね。



森崎偏陸(以下、森崎):アングラを自称する人は『エル・トポ』を観なければだめだった。



浅井:では当然寺山さんも日本公開時に『エル・トポ』を観たわけですね。



森崎:ホドロフスキーと戯曲家のフェルナンド・アラバールは友人ですが、アラバールの脚本・監督作『死よ、万歳』のスチールと『エル・トポ』のスチールの構図が全く一緒なんです。馬に乗っている主人公がいて、『死よ、万歳』は男が下にいるんだけれど、『エル・トポ』はお母さんの写真がある。アラバールは『死よ、万歳』で初めて映画を撮りました。『エル・トポ』とどっちが先に撮られているか分かりませんが、とにかく寺山さんは両方好きでしたね。




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映画『エル・トポ』より



浅井:では当然、天井桟敷の劇団員も観ていたわけですよね。



森崎:観ていましたね。当時印象に残っていたのが、手のある人が上半身、手のない足のある人が下半身を演っているのがすごいショックだった。



安藤:寺山さんの演劇で身体性は必ずテーマとしてありました。だけどなかなかそういうところまで……。



森崎:役者としてとしてなかなかそういう人を使えないじゃないですか。だからショッキングでしたし、ホドロフスキーに対してすごく嫉妬していましたね。



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安藤紘平



現実と非現実が混在する語り口




安藤:ホドロフスキーのマジック・リアリズムについて話しましょうか。ラテンアメリカ以外にも、ロシアや日本、インドネシア、マレーシアといったアジアでもみられる表現ですが、もともとマジック・リアリズムの発祥はドイツなんですね。ドイツの写真家フランツ・ローが名づけたのです。現実にあるものと現実にないものを融合させて表現する芸術形式で、フリーダ・カーロのような絵画や、文学でいうとガルシア・マルケスの作品が代表的です。彼の『百年の孤独』から、ホドロフスキーや寺山さんにつながると思うのです。



『リアリティのダンス』や寺山さんの作品にも共通するのは、歳をとった自分が少年時代の自分と出会うということが物語のなかで自然にできています。幽霊やファンタジーではないのです。そういう形態ではやはり青森という土地の持つ神話や伝説とも繋がってくる。シュルレアリスムになると、フロイトの精神分析といったものが由来になりますが、そうではなく、神話や伝説や土着的なもののなかで現実と非現実が混合しても何の不思議もないという語り口が日本にもあって、そしてラテンアメリカにもあった。だから、そこで寺山さんとホドロフスキーの間に共通点があるのではないでしょうか。




森崎:『田園に死す』(1974年)と『リアリティのダンス』は自分に出会うというところで似ていますね。『田園に死す』では昔の自分に「お前の過去は変えられない」と語りかけます。寺山さんは冷たいけれども、ホドロフスキーは「お前の過去はそのままずっと受け取っていいんだよ」という言い方をしているから、また違うのだけれども。




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森崎偏陸



安藤:『リアリティのダンス』では「飛んじゃダメだよ」と少年時代の自分を後ろから抱きしめます。あのシーンは『タイタニック』を超えるよね(笑)それから、『田園に死す』の最後のシーンは『ホーリー・マウンテン』の最後のシーンと似ていますよね



浅井:寺山さんは『ホーリー・マウンテン』を観た後に『田園に死す』のエンディングを考えたと思いますか?



森崎:『ホーリー・マウンテン』は「これは映画なんだ」とズームバックして終わるんですが、『田園に死す』は、これが映画なのか、それとも現実なのかというところを曖昧にしている。寺山さんはもう少し嘘のまま引きずっている、とは思います。



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映画『ホーリー・マウンテン』より


浅井:寺山さんの『書を捨てよ、町へ出よう』では最後のクレジットでスタッフ、キャストの顔をずっと映していく。あれは映画の中の顔なのかそれともオフの顔なのか分からない。映画の途中で「客電をつけてください!」というセリフに合わせて本当に劇場の客電をつけたり、というようなこともやっているから、虚実入り乱れさせるという表現の方法論は寺山さんにあるものでしたね。



安藤:先ほどもあった青森的なものとの繋がりがあると思う。そういう意味でいうと、マザー・コンプレックスなんて真似もへったくれもないわけです。たとえば「母殺し」というテーマ。『サンタ・サングレ』では母親殺しをするんですよね。母親に束縛されて自分の手が母親の手になっている形になっているのに自分を解放するために自分自身というか母親を殺すわけです。それって寺山さんですよね。



浅井:なぜ寺山さんは実の母親をずっと近くに置いていたのでしょうか。



森崎:底知れずマザコンだったのでしょうね。青森県三沢市の小学校時代、いつも怒られているのに、お母さんが帰ってくるのを柱時計の下でずっと待ち続けていた。「お母さん、僕をもう一度妊娠してください」と『草迷宮』のセリフにあるように、自分を守ってくれる人はこの人しかいないと思い込んでいたのだと思います。



安藤:母親も「自分しか修ちゃんを守れる人はいない」と言っていましたからね。



森崎:お互いの絆は憎み合いながらも途切れることはなく、がっしりとあった。でも、『書を捨てよ、町へ出よう』で家出しなさいと薦められて、実際に家出して天井桟敷に入団したのに、しばらくして寺山さんに「おふくろに会いにいこうか」と言われたときは、え、何!?寺山さんは母親と仲良くしてるわけ?と、凄い騙された感じがして(笑)。晩年、寺山さんがお母さんが別の部屋に住んでいた渋谷の松風荘に帰らず、三田の人力飛行機舎で仕事してる時、お母さんが作ってくれた、しじみ汁を、毎日僕が、寺山さんに届けてました。それから、谷川俊太郎さんから聞いたのですが、寺山さんが亡くなったあと、アメリカの人が寺山さんの詩や短歌、戯曲を翻訳して出したいという依頼を、お母さんは「修ちゃんの言葉は日本語だから活きるんです。翻訳されては困ります」と断ったそうです。






浅井:寺山さんとしては、『田園に死す』を作らないと次に行けなかったわけですね。



安藤:せめて映画の中では殺してしまえ、と。



浅井:そこがホドロフスキーと違う。ホドロフスキーは父親を憎んでいたけれども、映画の中で良き父親、あるいは理解できる父親として再生させています。



安藤:ホドロフスキーはファーザー・コンプレックスではないんです。つまり、父親の弱さも指摘しています。ところが母親に対してはもう神でしょう。劇中で父性、父権の崩壊はありましたが、母は神でした。



森崎:寺山さんと同じように、母親は絶対的な強さを持っているんだと思います。




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映画『リアリティのダンス』より



『リアリティのダンス』は自分の過去に対して優しい



浅井:では、寺山修司とホドロフスキーの決定的に違うところはなんだと思いますか。



安藤:違うところはたくさんあると思います。寺山さんはあんなに優しくない。『リアリティのダンス』は自分の過去に対して本当に優しいと思って。寺山さんも自分が好きなんですが、ホドロフスキーは自分に対して熱愛ですよね。



記憶の中にずっと探すけれども自分が見つからない、というようなセリフがありますが、寺山さんも「死の日より逆さに時を刻みつつついに今には至らぬ時計」と詠っているんです。結局、死んだところからずっと時を戻していって自分の記憶の中をたどっていくのに、自分に出会えないという意味です。そういうことでは寺山さんとホドロフスキーは「真似している」「真似していない」ではないと思います。やはり二人は違うんです。違う中で同じ言葉や感覚が出てきているのは、やはり何かある種のラテンアメリカにあるものと恐山にあるものが近いのでは。むしろ神の仕業ではないでしょうか。




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映画『リアリティのダンス』より


森崎:彼らの記憶の中にある遺伝子にどこか同じものがあるのかも知れません。アラバールについてなど、いろいろなところで一緒になっていると思います。



浅井:二人は寺山さんのフィルターを通さず『リアリティのダンス』を観て、どこが一番印象深いですか。



安藤:僕はこの数年で最高の映画です。近来これだけの力があり、自分の過去を含めて思い出させてくれる映画で、しかも驚かせてくれる映画はなかった。海に石を投げると魚が大量に打ち上げられる、あのシーンだけでこの映画をみて良かったと思いました。



森崎:『エル・トポ』と『ホーリー・マウンテン』の時代は若さゆえの憎しみがあって、まだ冷たいんです。その時点では寺山さんに似ていると思います。まだ怒りの方が先にあった。ところが84歳になると、怒りを他のメタファーに変えてしまう。それがすごい。しかも他のメタファーに変えながら力が全く衰えない。これはすごいと思った。



浅井:この作品の前にホドロフスキーは、三男のテオを亡くしましたが、原因はオーヴァードーズだったとホドロフスキー本人は言っていました。次の作品『ホアン・ソロ』はテオを主役にしようとしたけど亡くなってしまったのです。その辺りからタロットを研究して、今回の来日の際の取材でも『リアリティのダンス』は「自分を癒すために撮ったと」言っています。サイコマジックを発明し、ヒーリングする術を自分にかけたというのが本作であると。ですから『リアリティのダンス』はホドロフスキー自身の為の映画だと思いますが、その作品が多くの人を感動させる。メキシコでも満席で客席は涙を流す人が大勢いたと聞いています。ホドロフスキー作品で泣くなんて、今まで考えられませんでしたよね。



安藤:僕らも癒されるよね。



(2014年7月20日、渋谷アップリンク・ファクトリーにて 構成:駒井憲嗣)












安藤紘平(あんどうこうへい) プロフィール



1944年東京都出身。早稲田大学理工学部卒業。〈天井桟敷〉に在籍後、寺山修司の勧めで映画を撮り始め、1970年オーバーハウゼン国際短編映画祭入選、トノンレバン国際映画祭短編部門グランプリなど数多く受賞。パリ、ニューヨーク、ロンドン、東京などの美術館に作品が収蔵される。他にCM作品など多数。ハイビジョンを使っての作品制作では世界的な先駆者で、ハイビジョン撮影を35mmフィルムに変換、『アインシュタインは黄昏の向こうからやってくる』(1994)、『フェルメールの囁き』(1998)など、多数の作品で、ハワイ国際映画祭銀賞、スイス・モントルー国際映像祭アストロラビウム賞、ハイヴィジョンアウォード・グランプリ、マルチメディア・グランプリなどを受賞。2001年、2005年パリにて安藤紘平回顧展が開催されている。



森崎偏陸(もりさきへんりっく) プロフィール



1949年兵庫県淡路島生まれ。17才で高校中退、家出。以来、寺山修司に師事。演劇では音響を主に担当。映画では助監督と記録、写真では紙焼き、新聞・雑誌ではデザインを担当。現在は主に「演劇実験室・万有引力」、「第三エロチカ」、「演劇集団・池の下」、「唐組」などのポスター、チラシ、デザイン、荒木経惟写真集の編集・デザインを手がけている。パルコ映画「ウンタマギルー」「プ」の助監督、高橋伴明監督「愛の新世界」のタイトルデザインなども担当。ほかに白石加代子「百物語」の音響、日本舞踊の水木佑歌、花柳ゆかしなどの演出、SONYブラックトリニトロン、青山こどもの城、寺山修司記念館のためのビデオ監督作品もある。寺山修司監督作品「ローラ」「審判」「青少年のための映画入門」などでは俳優としても出演し、「ローラ」上映のためにベルリン映画祭、エジンバラ映画祭、台湾映画祭などに参加出演している。寺山修司の母、はつの意向により、寺山修司没後、1991年に、元夫人、九篠今日子とともに寺山籍に入る。









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映画『リアリティのダンス』より


『リアリティのダンス』

新宿シネマカリテ、渋谷アップリンクにて上映中、全国順次公開



監督・脚本:アレハンドロ・ホドロフスキー

出演:ブロンティス・ホドロフスキー(『エル・トポ』)、パメラ・フローレス、クリストバル・ホドロフスキー、アダン・ホドロフスキー

音楽:アダン・ホドロフスキー

原作:アレハンドロ・ホドロフスキー『リアリティのダンス』(文遊社)

原題:La Danza de la Realidad(The Dance Of Reality)

(2013年/チリ・フランス/130分/スペイン語/カラー/1:1.85/DCP)

配給:アップリンク/パルコ

公式サイト:http://www.uplink.co.jp/dance/





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『ホドロフスキーのDUNE』メイン

『ホドロフスキーのDUNE』より



『ホドロフスキーのDUNE』

渋谷アップリンクにて上映中、全国順次公開



監督:フランク・パヴィッチ

出演:アレハンドロ・ホドロフスキー、ミシェル・セドゥー、H.R.ギーガー、クリス・フォス、ニコラス・ウィンディング・レフン

(2013年/アメリカ/90分/英語・フランス語・ドイツ語・スペイン語/カラー/16:9/DCP)

配給:アップリンク/パルコ

公式サイト:http://www.uplink.co.jp/dune/




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ホドロフスキー監督が恋愛伝授「好きな男性には結婚指輪を口移ししてください」 http://www.webdice.jp/dice/detail/4291/ Fri, 11 Jul 2014 12:42:01 +0100
2014年4月22日、ヤクルトホールのプレミア上映会より、アレハンドロ・ホドロフスキー監督と22人の「人間タロットカード」 写真:西岡浩記


23年ぶりの新作『リアリティのダンス』公開を控えたアレハンドロ・ホドロフスキー監督が、東京・新橋のヤクルトホールで行われたプレミア上映会で「人間タロットカード」を使い、観客からの悩み相談に答えた。

この日は『リアリティのダンス』本編上映の後、仮面をかぶった22名が、ホドロフスキー自身が古いマルセイユ・タロットを復刻してデザインした特大タロットを抱え「人間タロットカード」として登場。タロット研究家としても知られるホドロフスキー監督が会場からの質問に対しカードを読んでいった。



この日のホドロフスキー監督の『リアリティのダンス』についてのトークレポートはこちらをご覧ください。





自分で決心しなければいけません(ホドロフスキー)




ホドロフスキー:私はたいへん長い時間を費やしタロットを習得しました。タロットは将来のことまではわかりませんが、現在のことはわかります。なにか聞きたいことがありましたら、「明日、散髪屋へ行くべきかどうか」とか、とてもシンプルな質問でけっこうです。それに対して、わたしがタロットでお答えします。そのために人間大のタロットを作ってもらいました。ここに22枚のカードが出てきます。




【質問① 日常に現実感がない】



青年:普段生活しているときに、現実感がないんです。僕はこれからどうしたらいいでしょうか。



ホドロフスキー:タロットでは将来のことは占えません。ですから、あなたの質問をいま現在に変えて、「私はいまなにをしているのだろう」という質問に対してお答えします。



3枚選んでください。もし、死のカードが出ても驚かないでください。死のカードがやっぱり出ました。なにも印はつけていません。凄く力があったんですね。これは「変化」すべてを変えるものという意味です。それでは、ほかの1枚を選んでください。これがポジティブなカードだったらいいですね。次は「星」「皇帝」です。



このカードは向こうを見ています。あのカードは上手を見ています。女性がいます、男性がいて、彼は女性に対して力を発揮できない。それで落ち込む。ですからここで変化を起こして、性的に楽しい関係を作らなければなりません。ここで繋がっています。いまあなたは何をしているのか。どこにいると思いますか?なぜなら、あなたは「どうしたらいいでしょう」と聞いたからです。創造的に、性的にいい関係が生まれます。



青年:ありがとうございます、とても参考になりました。





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写真:西岡浩記




【質問② レポートをやっていないが幼稚園の先生になりたい】


女性:私はある職業のためにいま資格の勉強をしているのですが、そのレポートの締め切りが4日後なのにまだぜんぜん書けていません。私はその職業に就けるでしょうか?



ホドロフスキー:なぜその職業を選んだのですか?誰かに言われてやっているのですか?なぜそれを勉強するのですか?


女性:わたしがやりたいからです。


ホドロフスキー:その職業は何ですか?


女性:幼稚園の先生です。幼稚園の先生になるための勉強をしています。こんな性格で大丈夫でしょうか。


ホドロフスキー:なぜ、そんなになりたいと思っているのに、勉強していないんですか?子どもが好きなのですか、それとも幼稚園の先生になりたいのかどちらですか?


女性:幼稚園の先生です。


ホドロフスキー:また聞きますが、ではなぜ勉強しないのですか?他にやりたいことがあるのに、家族に反対されているのではないですか?


女性:それはないと思いたいです。


ホドロフスキー:今の質問の意味が分からないのは、あと4日後に提出なのに何もやっていないということです。私は魔術師ではありません。それでもなれるかどうかは私には分かりません。




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「人間タロット」とホドロフスキー監督 写真:西岡浩記





【質問③ 好きな人に告白したい】



女性:好きな人と遊びにいくのですが、そのときにどう告白したらいいでしょうか。




ホドロフスキー:それは告白したらいいんじゃないですか、その人と結婚したいのですか?


女性:はい。


ホドロフスキー:では結婚指輪を買って自分の口に入れてください。そして彼にキスをして、結婚指輪を彼の口に移してください。この悩みはタロットじゃなくても分かります。



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「人間タロット」とホドロフスキー監督 写真:西岡浩記





【質問④ 髪を伸ばすべきか切るべきか】



女性:髪をのばすべきか、切ったらいいか悩んでいます。




ホドロフスキー:いい質問ですね。カードを3枚選んでください。いま選んだのは2人の女性で髪の毛の長い人を選びました。1人は短い女性です。ということは、伸ばしたいということですね。そしてこれは「教皇」のカードです。そして「運命の輪」ですが、「教皇」に歯向かうことを意味しています。そして、修道女になる。ですから「教皇」が好きなようになるということです。



ですから、あなたは伸ばすべきか、切るべきか自分で決心しなければいけません。なぜかというと、「教皇」は父親のシンボルだからです。その妻がこの「女教皇」です。あなたがお父さんの趣味に従おうとすると、お父さんの妻に反抗することになります。髪の毛を短くしたままでいるということは、小さいときの自分のままのイメージでいるということ、お父さんの小さい娘でいるということ。ですから、それはどちらが正しいか、というのはわたしには分かりませんが、大人になると、いろんなところの毛が伸びます。それはひとつのセクシュアルな表れです。短いままでいるということは子供のままでいるということですね。



もう1枚、引いてください。今度は男性のカードが来ました。それではこのカードをひっくり返してください。この人は髪の毛が長いですね。彼女は修道院に閉じこもっている人です。ただ「教皇」がいるだけで、男性は自分にはいません。ですから、髪の毛が伸びると、自分のセクシャルなパワーが増し、権力を掴む。ですから、髪の毛は伸ばしてください。




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「人間タロット」とホドロフスキー監督 写真:西岡浩記





【質問⑤ 首の痛みを治したい】



ペルーから来た青年:首に痛みがあり、どんなセラピーも効きません。



ホドロフスキー:誰かに心を傷つけられたことはありますか?


青年:あります。男性です。


ホドロフスキー:お母さんとの関係はどうですか?


青年:良い関係です。母親はペルーにいます。


ホドロフスキー:どれくらい会ってないですか?


青年:去年会いました。


ホドロフスキー:痛みはいつからですか?


青年:8年前からです。


ホドロフスキー:お母さんがペルーに行こうと決めたのは?


青年:10年前です。


ホドロフスキー:分かりますか、皆さん。この痛みはお母さんの不在による痛みです。では1枚選んでください。「月」のカードが出ました。これは母の象徴です。一方、「太陽」は父の象徴です。お母さんはスペイン語を話せますか?


青年:はい。


ホドロフスキー:会場にスペイン語が話せて歌える女性はいませんか?それでは、ステージに上がって、彼の首のところまできてください。首に向かってスペイン語で子守唄を歌ってください。



客席から登場した女性がスペイン語で青年の首元へ子守唄を歌う。




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ホドロフスキー監督のアドバイスで客席の女性に首元に子守唄を歌ってもらう青年 写真:西岡浩記



ホドロフスキー:お母さんに話してください。


青年:会いたいです。


ホドロフスキー:なぜ、ペルーにいってしまったのですか。誰があなたを連れて行ったのですか。


青年:私の姉がわたしの母を連れて行きました。


ホドロフスキー:では姉に向かって怒ってください。もっと!


青年:なんで連れて行ったんだ!お母さんは僕のものだったのに!


ホドロフスキー:これがすべてです。


青年:みんなのまえで緊張しました。


ホドロフスキー:あと2枚選んでください。ここにあなたがいます。これは「戦車」のカードです。そしてペルーの方角、お母さんの方を見ています。ここにお姉さんがいます。審判です。あなたが「行かないで」と言っているのにお姉さんが審判を下しているのです。このカードは妹です。妹さんはとても強いです。もう1枚引いてください。あなたは賢くならなくてはなりません。そしてあなたは、いつでもお母さんに会いにいける。会いにいってください。そうすれば、首の痛みはなくなります。そのためには、友達の助けが必要です。


(2014年4月22日、ヤクルトホールにて)










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映画『リアリティのダンス』より



『リアリティのダンス』

2014年7月12日(土)新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町、渋谷アップリンク、キネカ大森ほか、全国順次公開



監督・脚本:アレハンドロ・ホドロフスキー

出演:ブロンティス・ホドロフスキー(『エル・トポ』)、パメラ・フローレス、クリストバル・ホドロフスキー、アダン・ホドロフスキー

音楽:アダン・ホドロフスキー

原作:アレハンドロ・ホドロフスキー『リアリティのダンス』(文遊社)

原題:La Danza de la Realidad(The Dance Of Reality)

(2013年/チリ・フランス/130分/スペイン語/カラー/1:1.85/DCP)

配給:アップリンク/パルコ

公式サイト:http://www.uplink.co.jp/dance/





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『ホドロフスキーのDUNE』

新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町、渋谷アップリンク、キネカ大森ほかにて上映中、他全国順次公開



監督:フランク・パヴィッチ

出演:アレハンドロ・ホドロフスキー、ミシェル・セドゥー、H.R.ギーガー、クリス・フォス、ニコラス・ウィンディング・レフン

(2013年/アメリカ/90分/英語・フランス語・ドイツ語・スペイン語/カラー/16:9/DCP)

配給:アップリンク/パルコ

公式サイト:http://www.uplink.co.jp/dune/




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ホドロフスキー監督人生を説く「意識を広げることで人生そのものが目的になる」 http://www.webdice.jp/dice/detail/4271/ Wed, 02 Jul 2014 11:42:47 +0100
2014年4月22日、ヤクルトホールのプレミア上映会より、アレハンドロ・ホドロフスキー監督 写真:西岡浩記


2014年7月12日(土)より、新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町、渋谷アップリンクほか、全国順次公開されるアレハンドロ・ホドロフスキー監督の新作『リアリティのダンス』のプレミア上映イベントが4月22日、東京・新橋のヤクルトホールにて行われ、来日中だったホドロフスキー監督が登壇した。500席がソールドアウトとなった会場には、熱狂的なファンが訪れた。当日は『リアリティのダンス』製作についてのエピソードを語り、タロットカードの研究者としても知られるホドロフスキー監督が、巨大なタロットを抱えた22名の参加者による「人間タロットカード」を用い会場の観客からの悩み相談に答えた。




この日の「人間タロットカード」のレポートはこちらをご覧ください。




家族とどう家族と向きあえばいいかを

芸術として昇華した



──『リアリティのダンス』をはじめて日本の観客に観ていただいて、どのようなお気持ちですか。



さきほどステージ奥で皆さんの拍手を聞いてうれしくなりました。いつも私は映画をひとつの冒険として作っています。それは観客の感動を呼ぶためではなく、一人ひとりがそれぞれの方法で反応してもらえればいいと思って作ってきました。ですが、今日『リアリティのダンス』をとてもよろこんでくれたことは、まるで奇跡のようなことです。




──本作では家族の再生が描かれていました。そして演じられているのもご家族ですね。



私の息子たちが俳優として出ています。妻のパスカルも衣装を担当しました。そして私の父の役は、息子のブロンティスが演じました。私の息子が、私の父を演じるなんて不思議なことですね。そして行者の役を演じたのも、私の息子です。私の師として息子が出てきたわけです。髪の毛の長いアナキストを演じた末っ子のアダンは、この映画の音楽を担当しました。そして父親役の息子によって、アナキストの彼は死に追いやられます。つまり兄が弟を殺すということが行われているのです。



普通現実では、長女が次女を殺すとか、長男が次男を殺すということはほとんどありません。でも、心の中ではどうでしょう。心の中でそれが行われているのは、自分が兄弟に侵略されていると思っているからです。そして子供は皆、父親の師になりたいと思っています。父親の父親になってみたいと思わない息子もいないと思います。私はそれを、この映画の中で実現しました。ときどき私は、愛する息子に演出するときに、自分の父親を見ていたたまれなくなります。まるで父親を憎むように、息子を憎む気持ちになります。息子の中に父親を見たからです。




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映画『リアリティのダンス』より



──映画をご覧になった皆さんの中にも、家族の関係で葛藤を抱えている方もいらっしゃると思います。私たちは、そんな家族とどう向き合えばいいのでしょう?



それに答えるには、分厚い本が必要です。わたしはサイコマジックという心理セラピーで家族を分析する『Metagenealogia』という本を書きました。それぞれの人は一人ひとり、少なくとも14人の家族と一緒です。まず私と父と母で3人、4人の祖父と祖母、そして8人の曾祖父と曾祖母。ですから、私はそこから数えて15番目ということになります。私の上には14人の家族がいるのです。その上、叔父や叔母がいます。私の兄弟姉妹、親戚、そして国の人間も、歴史上の人物もいます。ですからひとつの大きな軍隊の一員みたいなものです。



いま何が必要かというと、少なくとも自分の祖父母の代まで研究すること。でもそのためには系図の授業をしなくてはいけません。そして近親相姦やサディズム・マゾヒズム、ナルシストや、反社会的な生き方といった問題は、とても複雑ですぐに解決することはできません。ですから、どう家族と向きあえばいいか、その問題について私はこの『リアリティのダンス』で芸術として昇華させました。




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映画『リアリティのダンス』より



私のすべてを愛に打ち込むこと。

それには限界がありません





──監督は「4つの質問に答えられれば、その答えはあなたの存在の師となるでしょう」と言われました。その4つの質問とは、「あなたの人生のゴールはなにか?」「一般的な人生のゴールはなにか?」「あなたの人生のゴールと一般的な人生のゴールに違いはあるか?」「もし違いがあるなら、ゴールそのものを変えなさい」。監督にとっては、この質問の答えはなんでしょうか?



それもとても深い質問ですね。それに答えるには、哲学の授業をしなくてはなりません。『ホーリー・マウンテン』を撮った後、私はメキシコで数々の問題に直面しました。「殺す」と脅されたこともあります。私は映画の素材と共にアメリカに逃げました。人々は、そんなことが起こったのか、と驚き、当局も驚きました。



1973年に『ホーリー・マウンテン』をニューヨークで上映するとき、私はずっと苦悩の只中にいました。夜に汗をかいて一晩で7回も着替えをしたこともあります。ニューヨークで中国人の賢者といわれる方に会いに行きました。彼は美しい老人で、武術や詩や占いといった様々なことを知っていました。彼からタロットをタダで学ぶことができました。私は精神分析医ではないので、タロットではお金はとりません。



列に並んで、彼はまず私の脈を取りました。なにがあるか、なにが問題なのか調べ、そして私の目を見ました。そのときに、こう聞かれたのです。「あなたの人生の目的はなんですか?」「いや、別に哲学を学びたいのではなくて、この恐怖を直してほしい」と私は答えました。そのときに「もし、あなたに人生の目的がないのであれば、私はあなたを癒すことはできない」と言われました。そのとき私は初めて「私の人生の目的はなんなのか」と考えたのです。この映画が成功することか、金持ちになることか、理想の愛を見つけることか。なにが一番基本なのかが、そのときの私には分かりませんでした。「すべて自分の思考の産物である」、という答えが見つかったときに、私の人生が変わったのです。「あなたの人生の目的はなんですか」と聞かれたとき、私は個人です。人生は私のものです。それが「私の人生」です。



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写真:西岡浩記




そうすると、人生とはなんなのか?「人生そのものの目的」と「私の人生の目的」は違います。「私の人生の目的」というとき、良くても悪くても人はエゴイストになります。例えば「私たちの人生の目的はなにか?」と問いかけるほうがいいのではないでしょうか。なぜなら私は、個人ではなく、集団なのですから。文化であり、歴史であり、家族であるからです。人類の目的とはなんだろう?それは、私の人生の目標と同じなのか?



ですから、「私自身の人生の目的」から「人類の人生の目的」を考えるときに、人は本当の幸福とは何かを考えるのです。なにを変えたいのか?自分の人生そのものを基本にしたいのか?それとも人類の人生の目的を大事にしたいのか?集団が人生なのか?ですから、私とあなた、そして集団的ということを考えている間は、まだ幸福との間に差があるのです。



私は死にます。ですが、それは別に残念なことではありません。私も皆さんと同じように死にたいとは思いません。でも、集団ということを考えたとき、人類は不死です。私には、大きな好奇心があります。でも、すべてを知ることはできません。すべてを認知することもできません。でも人類がいつか、私が知りたかったことを知るし、それをみんな知るようになるでしょう。これから先、何百万年も人類が続いていけば、いつかは解明さます。



ですから、私の目的はなんなのか? 楽しむことか?美味しいものを食べることか?性的に満足することか?それもそうですが、それだけでは十分ではありません。私のすべてを愛に打ち込むこと。それには限界がありません。私が生きている限りできます。それは、私と私の愛する人が次の世代に渡していけば不死になります。



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映画『リアリティのダンス』より



私の考えは正しいのか?いますべてが変化を遂げているときに、私の思考が正しいとどうして言えるのか?では、「私の目的とはなんなのか?」それは、私の意識を広げることです。「なぜ宇宙が膨張しているのか?」それは一つの意識を形成しているからです。「誰が宇宙の意識となるのか?」それは人類です。そこに向かって私たちは進んでいます。その精神に向かって行くことで物質まで精神にしてしまうのです。



そうなったとき、人生に目的はありますか?ありません。なぜかというと、人生そのものが目的だからです。不死になる必要はないのです。すべてを知る必要もないのです。なぜかというと、人類の意識の中にはそれらがすべてあるからです。ですから私たちはそれを伝える媒体として、その大きな意識へと向かっていくべきなのです。



それは一人ひとりのことを話しているわけではありません。私が話しているのは宇宙の話です。神経のニューロンの10とか20といったレベルの話ではありません。皆さんの中には、何千万、何億というニューロンがあります。そのニューロンを合わせたら無限大になります。星の数ほどある私たちの頭の中のニューロンがどんどん繋がって成長しているのです。



しかし、いまその成長を拒んでいるのが家族であり、文化であり、社会なのです。世界のシステムは、私たちが思い通りになることを望み、私たちが私たち自身になることを拒んでいます。しかし私は私自身、私は人類、私は惑星なのです。



私は愚かなせいでこの惑星を汚しているかもしれない。愚かなせいで戦争を起こしているかもしれない。そしてその惑星で自分自身を閉じこめているかもしれない。でも本当は、私には国籍はありません。年齢もありません。名前もありません。なにもありません。なにも私のものではありません。なにも私のものではない限り、それはすべて私のものなのです。なぜかというと、私はすべての人だからです。あなたはすべての人だからです。あなたはすべてで、全体なのです。そしてここに、皆さんが一緒に集まっているわけです。ここにすべてがあるのです。ここにないものは、どこにもありません。




後半に行われた「人間タロット」のレポートはこちらをご覧ください



(2014年4月22日、ヤクルトホールにて)










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映画『リアリティのダンス』より



『リアリティのダンス』

2014年7月12日(土)新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町、渋谷アップリンク、キネカ大森ほか、全国順次公開



監督・脚本:アレハンドロ・ホドロフスキー

出演:ブロンティス・ホドロフスキー(『エル・トポ』)、パメラ・フローレス、クリストバル・ホドロフスキー、アダン・ホドロフスキー

音楽:アダン・ホドロフスキー

原作:アレハンドロ・ホドロフスキー『リアリティのダンス』(文遊社)

原題:La Danza de la Realidad(The Dance Of Reality)

(2013年/チリ・フランス/130分/スペイン語/カラー/1:1.85/DCP)

配給:アップリンク/パルコ

公式サイト:http://www.uplink.co.jp/dance/





[youtube:N4A73GpgPRs]










『ホドロフスキーのDUNE』

新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町、渋谷アップリンク、キネカ大森ほかにて上映中、他全国順次公開



監督:フランク・パヴィッチ

出演:アレハンドロ・ホドロフスキー、ミシェル・セドゥー、H.R.ギーガー、クリス・フォス、ニコラス・ウィンディング・レフン

(2013年/アメリカ/90分/英語・フランス語・ドイツ語・スペイン語/カラー/16:9/DCP)

配給:アップリンク/パルコ

公式サイト:http://www.uplink.co.jp/dune/




[youtube:r-cnFoqfJfI]



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太陽系をつらぬく光芒、伝統を乗り越える反逆性─小野耕世氏、野谷文昭氏が読み解くホドロフスキー http://www.webdice.jp/dice/detail/4289/ Wed, 09 Jul 2014 14:51:28 +0100
『リアリティのダンス』より


チリの映画作家アレハンドロ・ホドロフスキー監督(85歳)の23年ぶりとなる新作『リアリティのダンス』が7月12日(土)より、新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町、渋谷アップリンクほか、全国順次公開される。映画のみならず、絵画、漫画原作、そしてタロットなど幅広いジャンルで活躍するホドロフスキー監督だが、今回は評論家の小野耕世氏、そして名古屋外国語大学教授・ラテンアメリカ文学翻訳家の野谷文昭氏に、コミックそして文学の角度から、ホドロフスキー監督の魅力について綴ってもらった。



また、渋谷松濤のアートスペース、アツコバルー arts drinks talkでは7月17日(木)より、妻であり『リアリティのダンス』の衣装も担当したパスカル・モンタンドン=ホドロフスキーとの共作ドローイング展も開催される。











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『リアリティのダンス』より




ホドロフスキーとコミック


無敵なBD作家の想像力

文:小野耕世(評論家)



 

ホドロフスキーは少年時代、ジュール・ヴェルヌの全作品を読み、奇想に根ざしたアメリカ映画に熱中し、生活の細部に目にするあらゆるものから想像をどこまでもひろげていくトレーニングに没頭することで、過酷な日常を生きのびた。そして成長してからは、自分の見る夢の内容と方向性をコントロールする意識を鍛えていった。彼は、夢を見るちからを、広範囲にわたる自分の創作活動に活かしていったのだった。ホドロフスキーとは、想像力の拡張により、絶えず自己改革を進めてきたアーティストなのである。



彼のコミックスの分野へのかかわりは、1966年にさかのぼるから、最初に映画を監督するより一年早い。そのイマジネーションのひろがりは、優れた画家と組むことで、どんな幻想世界の視覚化も可能になった。例えばメビウスとの共作の長編『アンカル』の場合、その製作過程で、ホドロフスキーが開発した精神療法で苦境のメビウスを助け、この画家の潜在能力をいっきに爆発させたと言えよう。



『メタ・バロンの一族』など、他のアーティストと組んだ場合も同様で、60冊ものBDアルバムを通じて、ホドロフスキーは、どんなファンタジーをも自在に構想することが出来ることを証明してきた。彼の空想は、太陽系をつらぬく光芒となって全宇宙にのびていく。それほど自由な意識と感覚の持ち主である彼は、おそらくいま最も無敵なBD作家と言ってもいいのではないか。










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『リアリティのダンス』より




ホドロフスキーと文学


チリ文学との繋がりに見るホドロフスキーの反逆性

文:野谷文昭

(名古屋外国語大学教授・ラテンアメリカ文学翻訳家)




映画と詩は同じであるというホドロフスキーの多面性を統合しているのは、詩人という側面だろう。生国チリとフランスの国籍を持ちながらも精神的ディアスポラの彼は、ネルーダに次ぐメジャー詩人ニカノル・パーラを「師と仰ぎ」、自伝で語っているように、短くも濃密なボヘミアン的青春時代を共有した友人のエンリケ・リーンとともに16歳のころに詩人として出発している。このこと自体が〈詩人の国〉チリの人間らしいが、彼は典型に収まらない。



彼は〈1950年の世代〉の一人と見なされることがある。チリの文学を支配してきた土着主義に反旗を翻した一群の作家・詩人である。文学、宗教、政治についての考え方は異なるが、外国文学を受け入れ、前世代に懐疑的で、伝統を乗り越えようとする反逆性を共有し、名前は1950年に刊行された短篇集に由来する。このグループに、リーンや後に『夜のみだらな鳥』を書くドノソ、ノンフィクション『ペルソナ・ノングラタ』で知られるエドワーズらがいる。



ホドロフスキーは1953年に国を出るが、この世代と交流があった。興味深いのは、前世代に対する懐疑や反逆性、パーラやリーンへの親近感を、後にロベルト・ボラーニョが示していることだ。ホドロフスキーはスペインでボラーニョに会っている。印象を訊くと、「作品の中で作家や作品の良し悪しを批評するのが彼の特徴だね」と答えた。『リアリティのダンス』同様、小説『アメリカ大陸のナチ文学』で、ナチ崇拝という現象を扱ったボラーニョには、どこかホドロフスキーに通じるところがある。



(『ホドロフスキー新聞 VOL.3より)










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『愛は死より強し』 ©Alejandro Jodorwsky, Pascale Montandon Jodorwsky



二人のホドロフスキー 愛の結晶

アレハンドロ・ホドロフスキー/パスカル・モンタンドン=ホドロフスキー

共作ドローイング展



2014年7月17日(木)~ 9月21日(日)

会場:アツコバルー arts drinks talk

〒150-0046 渋谷区松濤1-29-1 クロスロードビル5F

tel:03-6427-8048

http://l-amusee.com/atsukobarouh/














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映画『リアリティのダンス』より


『リアリティのダンス』

2014年7月12日(土)新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町、渋谷アップリンク、キネカ大森ほか、全国順次公開



監督・脚本:アレハンドロ・ホドロフスキー

出演:ブロンティス・ホドロフスキー(『エル・トポ』)、パメラ・フローレス、クリストバル・ホドロフスキー、アダン・ホドロフスキー

音楽:アダン・ホドロフスキー

原作:アレハンドロ・ホドロフスキー『リアリティのダンス』(文遊社)

原題:La Danza de la Realidad(The Dance Of Reality)

(2013年/チリ・フランス/130分/スペイン語/カラー/1:1.85/DCP)

配給:アップリンク/パルコ

公式サイト:http://www.uplink.co.jp/dance/





[youtube:N4A73GpgPRs]









『ホドロフスキーのDUNE』メイン

『ホドロフスキーのDUNE』より



『ホドロフスキーのDUNE』

新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町、渋谷アップリンク、キネカ大森ほかにて上映中、全国順次公開



監督:フランク・パヴィッチ

出演:アレハンドロ・ホドロフスキー、ミシェル・セドゥー、H.R.ギーガー、クリス・フォス、ニコラス・ウィンディング・レフン

(2013年/アメリカ/90分/英語・フランス語・ドイツ語・スペイン語/カラー/16:9/DCP)

配給:アップリンク/パルコ

公式サイト:http://www.uplink.co.jp/dune/




[youtube:r-cnFoqfJfI]

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ホドロフスキー23年ぶりの新作は社会や歴史に囚われた人を開放する「心の治療」の映画 http://www.webdice.jp/dice/detail/4262/ Mon, 23 Jun 2014 10:48:04 +0100
アレハンドロ・ホドロフスキー監督 写真:西岡浩記


チリの映画作家アレハンドロ・ホドロフスキー監督(85歳)の新作『リアリティのダンス』が2014年7月12日(土)より、新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町、渋谷アップリンクほか、全国順次公開される。現在公開中のフランク・パヴィッチ監督の『ホドロフスキーのDUNE』では、未完に終わったSF大作『DUNE』の顛末を語った監督が、その『ホドロフスキーのDUEN』で再会したプロデューサー、ミシェル・セドゥーを迎え、故郷であるチリの町トコピージャで撮影を敢行。1920年代軍事政権下のチリで権威的な父と元オペラ歌手の母と暮らすアレハンドロ少年が世界と対峙する姿を、現実と空想を交錯させ描いている。公開にあたり、ホドロフスキー監督が完成までの経緯や、家族をキャストやスタッフに迎えた理由について明かした。




私はこの映画の中で自分が誰だったのかを探し出した




■23年ぶりの新作



私は映画以外の、詩やコミック、サイコマジック(監督が提唱する独自の心理セラピー)の発明などで、23年間創造することを止めませんでした。23年間映画を作らなかった理由は、映画的に言うべきことがなかったからです。私は商業映画監督ではなく、映画で生活しようと思ってはいません。もしそれなら毎年一本映画を撮らないといけなくなってしまいます。誰もが毎年新しく言うべき事を持っているとは思えません。『ホーリー・マウンテン』から『サンタ・サングレ/聖なる血』まで6年掛かりました。『ホーリー・マウンテン』が終わった後、自分の中に何も残りませんでした。『DUNE』の時もそうです。企画だけでしたが全て吐き出しました。




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映画『リアリティのダンス』より


■何故今自伝を作ったのか



この作品は自分の人生をベースにした物語です。もし、私の人生が本物だと証明されれば、全ての人たちの人生も本物なはずです。子供の頃の傷は誰にでもあるものです。この物語は多くの人に共感してもらえると思います。これは、心の治療のようなものなのです。

私は過去は変えられると思っています。過去というのは主観的な見方だからです。この映画では主観的過去がどういうものか掘り出して、それを変えようと思ったのです。

例えば、撮影をした故郷のトコピージャの家の前の通りは、子供の頃、私にとって巨大な道でした。しかし、実際はせまく小さかったのです。

少年時代、私はとても苦しみました。でもそれは主観であって事実ではなかったのです。本当に起こったことではなく、子供から見た主観の解釈なのです。

この映画で重要だったのは、両親を再構築した事です。母は胸が大きかったので、胸の大きな女優を、子供の頃の主観で選びました。母はオペラ歌手になりたかったのですが、両親に反対され、店の売り子になってしまいました。抑圧されたアーティストです。ですから私は映画の中で彼女をオペラ歌手にしたのです。このように映画の中で自分の思い出を変える事で、打ち拉がれた母ではなくオペラ歌手の母を再構築する事ができたのです。それは、自分の魂にとっても良い事でした。父親もそうでした。抑圧的だった父を、映画の中で人間的な父親にしたのです。そして、バラバラだった家族を団結させ、子供の頃に欲しかったものを実現させました。

人はみな、自分の思った通りに行動しているわけではなく、「他人にこう思われたい」と思って行動しているところがあると思います。社会や歴史、家族などに囚われ、思うように生きられないことがあります。ですから私は映画の中で自分が誰だったのかを探し出したのです。



『リアリティのダンス』ブロンティス・ホドロフスキー

『リアリティのダンス』より


私映画は単なるエンターテインメントではなく、一つの経験だ



■故郷、トコピージャ



当時、両親が店を構えていた通りで撮影を行ったのですが、通りも街も当時と同じ、80年前と何も変わっていませんでした。父の店は火事で消失していましたので映画のために再建しましたが、それ以外は全て一緒でした。映画の中で少年が髪を切るシーンの、日本人の散髪屋さんも昔から変わらずあったものでした。

トコピージャは鉱山の街で、公害による空気汚染がひどく、しかも当時はアメリカの経済不況の影響を受けていました。鉱山の採掘でダイナマイトを使うので手足を無くす人がいる。そこで使えなくなった人がトコピージャに来るわけです。ランプに入れるアルコールを飲んで中毒になっている人も多くいました。

非常に貧しい場所で、電力会社が海を汚染しているので死んだ魚が上がってきます。鳥と貧しい人が魚を取り合っている。そういった、当時目にした風景を美的感覚で作り上げました。売春婦がいるパーティーのシーンもそうです。トコピージャは娼婦でもっていた町とも言えます。鉱物を運ぶ水夫さんがそこに来るわけです。



■家族の癒し



私は95年に事故で三男のテオを亡くしました。その時私のエゴは崩壊し、恐ろしい現実に直面したんです。テオを慕っていた末っ子のアダンがテオが亡くなったのと同じ歳になって、この映画を作ろうとしました。テオが亡くなっていなかったらこの映画は出来ていなかったと思います。

この映画では、長男ブロンティスが、私の父親を演じています。そして次男クリストバルが行者の役で出演し、私の“師”となっています。アダンは、アナキストの役で出演しています。しかもこの物語を私が実際生まれた街で撮影するのですから、演じる息子たちにとっても深い心理的な経験にもなると思ったのです。私にとって、ただストーリーを語るものではなく、心理的な精神分析や心理的な経験が伴うのが映画です。今回の作品では息子を中心におく事で、重要な要素をそこに封じ込めました。







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映画『リアリティのダンス』より


■過去作品と今



『エル・トポ』や『ホーリー・マウンテン』を作った頃、私の人生は私だけのものだと思っていました。まだ私の中に寛容さが無かったと思いますし、選ばれた観客にたいして芸術を作っていたと思います。人生でいろんなことが起こると、この世には自分以外に他の人達も存在するのだという事に気付きます。人間というのは一人であると同時に色んな人間が集まって出来ている。日本人の方にはよく分かるかもしれませんが、古くから日本で言う「我」は集団の我です。西洋の世界では人間一人対世界という風に見ます。それが本当の事ではないことが段々と分かってきました。ほとんどの芸術家は自分自身のことを語ります。私はある瞬間から自分のことではなく、他の人全員の事を語ろうと思いました。年齢を重ねていくにつれ、芸術に対するビジョンが変わりました。これまではたくさんのメタファーを用い、直接的には物語を語りませんでしたが、本作は直接的に描きました。映画は単なるエンターテインメントではなく、一つの経験だと思います。まるでおじいさんが孫に話をするように、私は円熟の人生をみなさんに語りかけるように映画を作ったのです。

芸術というものは寛容、誠実、正直であるという事を今感じています。若かった頃は成功を求め、良いものを食べたり良い物を持つ為に映画を作りたいと思いましたが、今は全くそう思う事は無くなりました。もう何も必要ないのです。私の為だけでなく、みんなの為の寛容な芸術を作ろうとしています。





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映画『リアリティのダンス』より


■『リアリティのダンス』というタイトル



人生で起こること、この世に存在するものは全ていろんな形で繋がっています。ただ、その中で何が原因で何が結果だということは分からない。もしあなたが意識的になれば、常に瞬間、瞬間で、世界は、人生は変化している事、ダンスをしている事が分かります。あなたも、周りも、全てダンスしているのです。花が開く瞬間も、死ぬ瞬間も、退化していくことも、昼が来て夜が来ることも、ダンスだと思うのです。ですから『リアリティのダンス』というタイトルをつけました。

私は毎朝起きると、生きていることに幸せを感じます。そしてもう一本映画を撮ろうと思うと、より大きな喜びを感じます。私の中の“リアリティのダンス”は何かを作り上げることです。芸術だけでなく何か他のものでもそうです。あなたがリアリティのダンスを理解できれば、何も怖いものはありません。



(『ホドロフスキー新聞 VOL.3』より)










アレハンドロ・ホドロフスキー プロフィール



1929年2月17日、チリのボリビア国境近くの町トコピージャで、ロシア系ユダヤ人の子として生まれる。サンティアゴ大学で心理学・哲学を学んでいたがマルセル・カルネの『天井桟敷の人々』に感動し、パントマイムにのめり込んだ後大学を中退。1953年にフランスでマルセル・マルソーと出会い戯曲を共著、パリでの学生時代にはトーマス・マン原作で実験映画を撮り、ジャン・コクトーに絶賛を受ける。1967年、メキシコに移り、フェルナンド・アラバールの原作で処女作『ファンド・アンド・リス』を完成。続く1970年に代表作『エル・トポ』を発表する。「エル・ジン」というスペイン語圏の映画を扱うミニシアター系映画館での深夜上映で、噂が噂を呼び大ヒット、映画を観たジョン・レノンが虜になり、『エル・トポ』と次作の『ホーリー・マウンテン』の配給権を45万ドルで買い取ったという逸話もある。1973年に『ホーリー・マウンテン』を発表。1975年4月まで続くロングランを達成する。1975年、ミシェル・セドゥーのプロデュースによりフランク・ハーバートのSF小説『DUNE』の企画をスタート。イギリスの画家クリス・フォスやフランスのコミック作家メビウス、画家でデザイナーのH.R.ギーガー、後に『エイリアン』の企画、脚本を手がけたダン・オバノンを特殊効果のスーパーバイザーに配し、ミック・ジャガー、サルバドール・ダリの特別出演もかなったところで、金銭面の問題からプロジェクトが頓挫してしまう。1980年、インドを舞台にした『TUSK』(日本未公開)を製作。1989年、『サンタ・サングレ/聖なる血』を発表。1990年、ピーター・オトゥールとオマー・シャリフ出演のスター大作『The Rainbow Thief』(日本未公開)を発表。1980年以降、バンド・デシネ(フランスのコミック)の原作者としてメビウスと『アンカル』を、フアン・ヒメネスと『メタ・バロンの一族』などを共作。現在も複数のタイトルを並行して書き続けている。また、サイコマジックやタロット・リーディングの活動もしている。2013年、本作『リアリティのダンス』を発表。2014年現在、次回作『フアン・ソロ』の製作準備中。











ホドロフスキー新聞

THIS IS ALEXANDRO JODOROWSKY



多くのクリエイターに衝撃と影響を与えた映画監督、アレハンドロ・ホドロフスキーの魅力に迫るフリーペーパー、通称"ホドロフスキー新聞"は、全国にて配布中。PDFでもダウンロードすることができます。

http://www.uplink.co.jp/jodorowsky/




ホドロフスキー新聞vol.3











『ホドロフスキーのDUNE』

新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町、渋谷アップリンクほかにて上映中、全国順次公開



監督:フランク・パヴィッチ

出演:アレハンドロ・ホドロフスキー、ミシェル・セドゥー、H.R.ギーガー、クリス・フォス、ニコラス・ウィンディング・レフン

(2013年/アメリカ/90分/英語・フランス語・ドイツ語・スペイン語/カラー/16:9/DCP)

配給:アップリンク/パルコ

公式サイト:http://www.uplink.co.jp/dune/



公開記念イベント連続開催決定、詳細は下記より

http://www.uplink.co.jp/jodorowsky/news/




[youtube:r-cnFoqfJfI]










『リアリティのダンス』メイン写真

『リアリティのダンス』より



『リアリティのダンス』

2014年7月12日(土)新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町、渋谷アップリンク、キネカ大森ほか、全国順次公開



監督・脚本:アレハンドロ・ホドロフスキー

出演:ブロンティス・ホドロフスキー(『エル・トポ』)、パメラ・フローレス、クリストバル・ホドロフスキー、アダン・ホドロフスキー

音楽:アダン・ホドロフスキー

原作:アレハンドロ・ホドロフスキー『リアリティのダンス』(文遊社)

原題:La Danza de la Realidad(The Dance Of Reality)

(2013年/チリ・フランス/130分/スペイン語/カラー/1:1.85/DCP)

配給:アップリンク/パルコ

公式サイト:http://www.uplink.co.jp/dance/





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「ホドロフスキーは『DUNE』でSF映画のOSを発明した」西島大介さんと原正人さん語る http://www.webdice.jp/dice/detail/4252/ Thu, 12 Jun 2014 11:29:13 +0100
下北沢B&Bで行われたイベント「漫画原作者としてのホドロフスキー メビウスの描いた『DUNE』をめぐって~ 勝たずんば死あるのみ、我らメタ・バロンの一族」にて、西島大介さん(左)と原正人さん(右)


6月14日(土)公開の映画『ホドロフスキーのDUNE』そして、7月12日(土)からロードショーとなる映画『リアリティのダンス』公開記念として、下北沢のB&Bにて漫画家・西島大介さんと翻訳家の原正人さんの対談が行われた。現在広島在住の西島さんはこのイベントのためだけに東京へ駆けつけてくれた。ほのぼのとした空間の中でアレハンドロ・ホドロフスキーへの熱い情熱が血潮のように飛び散る様は、西島さんの作風そのもの。改めてホドロフスキーの影響の大きさと西島さんと原さんのホドロフスキーへの『激烈な愛情』を感じる夜となった。





『メタ・バロンの一族』はホドロフスキーの思想が

100%ぶれることなく出ている



原正人(以下、原):僕はホドロフスキーの作品を翻訳しているのですが、これは学生時代には考えられなかったすごく光栄な事です。ホドロフスキー作品に初めて触れたのは20年前ぐらい前ですね。『エル・トポ』や『ホーリー・マウンテン』といった映画を観ました。これは凄まじいと思ったんです。僕はフランス文学を勉強していて、シュールレアリスムなどが好きだったこともあり、自然とホドロフスキーの作品も観るようになりました。当時はもちろん将来ホドロフスキーの作品を訳す事になるとは思ってもみませんでした。こうして翻訳できるのは幸運以外の何ものでもありません。今日は『ホドロフスキーのDUNE』と関係の深いバンド・デシネ(以下BD)『アンカル』や『メタ・バロンの一族』を訳していることもあり、呼んで頂きました。



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原正人さん




西島大介(以下、西島):僕は早川書房から描き下ろしの作品『凹村戦争』でデビューしました。絵柄的にはホドロフスキー原作BDとは異なるタッチなので、「なんでお前が」という方もいるかも知れませんが、マインド的には影響を強く受けているんです。原さんがシュールレアリスムからホドロフスキーにたどり着いたと仰っていましたが、僕はSFのほうからたどり着いたほうが大きいですね。小説の『デューン/砂の惑星』も好きで読んでましたから、僕の画のタッチではほとんど関係性は見えないかもしれません。例えば2作目の作品で『世界の終わりの魔法使い』というファンタジー漫画があるんですね。それの第2話の途中で、これはファンタジーの姿を借りたSF漫画ですけど、魔法使いとエアボードで走っている男の子が競争してるんです。競争して魔物の森に入って行く。そのとき何が起こるかというと、地面を引き裂いて何かが出てくる。どこからどう見たって『砂の惑星』のサンドワームです。絵柄自体は極めてシンプルですが、SF的な想像力をすごくもらって作品を描いています。そして、最近一番衝撃を受けたのが『メタ・バロンの一族』。原さんが翻訳を手がけられた作品ですね。この『ホドロフスキーのDUNE』の話がくる前に、僕はこの作品を読んでかなり狂喜していました。




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西島大介さん




原:西島さんはどうやって『メタ・バロンの一族』に出会われたのですか?



西島:ホドロフスキーは以前から好きだったんですね。高校生の時に『サンタ・サングレ』を初めて観ました。そこから『エル・トポ』へ辿って『ホーリー・マウンテン』を観ることになりました。「これは何か違う。この人は何か違うものをもっているな」とか、『新世紀エヴァンゲリオン』の庵野秀明と同じ、血がグアーっとすごく多い表現者と感じています。順番逆ですが。『ホーリー・マウンテン』は特にそうですが、あの作品なんて最終的には映画なんかないと自爆して終わる。そういう作品が僕はすごく好きなんです。思想が一本貫かれているというか。ホドロフスキーの映画って、大体腕なんかが飛びますよね。僕の『ディエンビエンフー』はサンリオのキティちゃんみたいなかわいい絵柄なんですけど、それを使ってホドロフスキーをやっているという自覚があります。『ディエンビエンフー』はベトナム戦争をテーマにした作品で、いまソンミ村の凄惨な血みどろの戦いが終わったところなんですね。ティムというグリーンベレー所属の主役級の美少年キャラがいるんですが、そのような状況下で、彼は片目つぶされ、左手失ってカンボジア近くの農村で少女にレイプされながら生きている。彼をどうにかして物語の中で復活させたいと思っていた時に『メタ・バロンの一族』を読んだんですよ。これを読んで「あぁ、これだ」と(笑)。これで彼をメタ・バロンのように復活させてしまおうと。『メタ・バロンの一族』というのは…… 原さん、説明してもらっていいですか。



原:まず、メタ・バロンというのは、『アンカル』の中に登場する宇宙最強の殺し屋です。その宇宙最強の殺し屋が実は代々殺し屋の一族であるという設定になっていて、それを歴史的に辿って行くのが『メタ・バロンの一族』ですね。



西島:メタ・バロンの一族を継承するには、体のどっか、手なり足なり耳なりを失って、そこを機械化し、さらに自分の親を殺さなくてはならない。腕をなくした人は機械の腕をつけられちゃう。「それだ!」と。ベトナム戦争で負傷したティムもメタ・バロンにすれば復活できる。そうすれば、『ディエンビエンフー』の続き(第3部)で大暴れさせることができるということに気づいたんです。「これ、やばい。メタ・バロンしかない」と編集者にも言いまくって。僕の作品の中でホドロフスキーの意志を継ごうと、たまにTwitterでファンに向けてつぶやくんですけど、みんなだいたいぽかーんとしてるんです(笑)。世の中的にはメビウスが描いた『アンカル』の方が名作とされていますよね。僕は『メタ・バロンの一族』のほうが面白いと思うんです。この作品にはホドロフスキーの思想みたいなものが100%ぶれることなく出ている。それで翻訳してくれた原さんと意気投合しました。






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西島大介さん描き下ろしによる『DUNE』イラストレーション





原:その『メタ・バロンの一族』とも関わりの深い映画『ホドロフスキーのDUNE』が今週末から公開されます。この作品はもうご覧になっているかと思いますが、いかがでしたか。



西島:一つはホドロフスキーという作家がどうしてホドロフスキーたりうるのかというか、思想哲学の部分ですね、それが非常にわかりやすくむき出しになっている、こういう人だからこういう風になるんだなということが非常にわかるのと、僕の中ではデヴィッド・リンチ版の記憶が強い『DUNE』のそうじゃなかった可能性が描かれている。とにかくよかったのがね、終盤で「わたしは原作をレイプしたんだ」、と語っているんですね。レイプという言葉はちょっとぞっとする言葉ですよ。でも、そのあとにっこり笑って「愛を持ってね」と続ける。そのことについてじっと考えさせられる映画でしたね。愛をもってレイプするというのがどういうことか。この場合はフランク・ハーバードの原作をということですが、エロスとタナトスとか、暴力と愛情みたいなものとか。愛情に満たされているからこそホドロフスキーの作品は変わっているんじゃないかという気はしました。冷淡な作家ではないですよね。ただ蹴り落として人の首を切る訳ではない。




『ホドロフスキーのDUNE』メイン

映画『ホドロフスキーのDUNE』より



原:実際その通りで、BDにおいても映画においてもホドロフスキー作品には暴力的なシーンが非常によく出てきますが、その事の意味について改めて考えさせられますよね。



西島:そうですね。あとはメイキングとしての面白さもあります。映画を作るためにスタッフが集められたわけですが、どうしてうまくいかなかったかが語られる。そもそもどうして僕がこのイベントに来たかというと、それこそ『ホドロフスキーのDUNE』を観たからなんです。僕は今広島に暮らしているんですが、新幹線で来るのが大変なんですね。それで最初にオファーがあった時にスケジュールも合わないし、難しいから応援したいんだけどごめんね、と断ったんですよ。でも『ホドロフスキーのDUNE』のことを思い出したんです。『ホドロフスキーのDUNE』によれば、ホドロフスキーが『DUNE』という作品に出会い、それを映画化するために、ダン・オバノンとかクリス・フォスとかメビウスとか、いろんな人が集められる。彼らは『魂の戦士』と呼ばれます。でも、ハリウッドからは企画の実現が難しいと判断されてしまう。いや、待って。僕いまB&Bのイベントに行けないと言ったけど、出張費がないから行けないっておかしいだろう。ホドロフスキーの映画を観て本当に心の底から感動してるんだから、それを断ったらまさにホドロフスキーの映画をつぶしたハリウッドと同じことをすることになる。だから、一回断ったんですけど、「そんなことは関係ない。ホドロフスキーの映画がいいとみんなに伝えたいんだから行きますよ」とメールし直してこのイベントに来たんです。この一連の頭の中で働いた行動がまさにホドロフスキーから得た何かなのでしょう。






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映画『ホドロフスキーのDUNE』より、メビウスによる『DUNE』絵コンテ



原:『魂の戦士』という言葉がありましたが、この映画の制作初期に作られたビジュアルが面白いんです(下の画像参照)。1975年にアレハンドロ・ホドロフスキーが新作映画を撮るよと書いてあるんですが、ここにはSFXは『2001年宇宙の旅』のダグラス・トランブルがやると書かれているんですね。『ホドロフスキーのDUNE』の中でも語られますが、実際にはトランブルは会った時の印象が悪くて、こんなヤツと一緒にやれるかとなって、その後に見つけたダン・オバノンを採用している(笑)。なのにこんなものをちゃっかり作っちゃってたりする。こういうところもある意味ホドロフスキーらしいのかなと。




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製作当初に準備された『DUNE』企画書表紙



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『DUNE』企画書より<ホドロフスキー監督のプロフィール


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『DUNE』企画書より、ダグラス・トランブルのプロフィール



西島:手塚治虫が『2001年宇宙の旅』の時に声をかけられたのにも似てますね。そういう感じで国境を飛び越えて、なんかこの人いいと一人一人捕まえていく過程がすごくわくわくするんですよね。敵対するハルコネン家とアトレイデ家があって、邪悪なハルコネン家と主人公側のアトレイデ家それぞれのデザイナーや音楽家の人選が露骨で楽しいです。アーティストの才能を見抜いて、邪悪な世界を作るために邪悪な作品を作れるやつを誘い、主人公側の世界を作るためにまたそちらを誘う。



原:一方で、この映画に関わったダン・オバノンは映画がとん挫して一時期精神病院に入院します。そして、『エイリアン』のシナリオを持って退院する。『エイリアン』には、『DUNE』に関わっていたH.R.ギーガーもメビウスも関わっています。さらに、直接的な影響は分かりませんが『ブレード・ランナー』も『DUNE』の影響下に生まれたと言えるかもしれない。『ブレード・ランナー』は霊感源になったバンド・デシネがあると言われていまして、それはメビウスが描いた『ザ・ロング・トゥモロー』という作品なんです。この作品は1975年、まさに『DUNE』のためにパリにやってきたオバノンが、待ってる間、やることがないので描いたストーリーボードのようなものが原作になっている。それを見たメビウスが「これいいじゃん」と言って、バンド・デシネにした。それがさらに時を超えて『ブレード・ランナー』に結実する。ほんとに『DUNE』というのは肥沃な大地ですよね。





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映画『ホドロフスキーのDUNE』より、ギーガーによるハルコネン男爵の城デザイン画




西島:そういえば、日本のガイナックスにも『蒼きウル』という、『DUNE』を彷彿とさせる作品がありますよね。いまだに映画化を目指しているとか。『蒼きウル』が完成しなかったことで、スタジオカラーが誕生したのかもしれないですね。庵野秀明さんには表現することについて「オウム真理教とやっていることが同じではないか」という反省があって、好きなのですが、ホドロフスキーの洗脳的なスタッフ集めもカルト宗教のようで面白いです。特にクリス・フォスの洗脳され具合。



『DUNE』の作法が分散して様々なところで種を蒔いている




西島:ホドロフスキー版『DUNE』は完成しなかったわけですけど、それが別にデヴィッド・リンチ版の『DUNE』にスライドしたわけじゃなくて、いくつもの名作映画に拡散していった。教義というか作法が分散してそれが違うところで種を蒔いている。まるで関わった人々や後に続く人々の洗脳ですよね(笑)。『DUNE』は実現しなかったけど、究極的には『DUNE』のやろうとした目的は果たせている。禅問答のようなというか、成果物はないんですけど、理念みたいなものは作品をも突き抜けていろんなところに届いている。ああいう風に絵コンテを描いて映画を作るのは、別に新しいことじゃないと思われる方も多分いるかもしれないですけれども、『DUNE』が作られたのってそういう製作システムが確立する以前のはずなんです。分厚い設定資料集があって、それが各映画会社へ送られて、何とか映画を撮りたいです、と伝える。インタビューを見ると、ホドロフスキーは「『スパイダーマン』みたいな映画は作りたくない」と言っていたりする。でも『スパイダーマン』のような大規模な映画の作り方を教えてしまったのはホドロフスキーかも知れないな、と『ホドロフスキーのDUNE』を観て思うんです。ホドロフスキー自身は『リアリティのダンス』のような制作方法に戻っていきますが、あなたが蒔いた種じゃないか、とすごく感じました。『スター・ウォーズ』以降の大作がそうじゃないですか。日本のアニメーションの世界でもいろんなイラストレーターを呼んで作ったりしてますよ。だからホドロフスキーは『DUNE』においてOSを発明したというか、システムを組んだというか、環境を設定したというか、そういうようなことをしたのではないでしょうか。




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映画『ホドロフスキーのDUNE』より、クリス・フォスによる宇宙船デザイン




原:『DUNE』の影響下でいろいろな映画ができていく一方で、『アンカル』、『メタ・バロンの一族』といったBDも生まれていきます。この2つの作品については『ホドロフスキーのDUNE』の中でも触れられています。フランスでは『アンカルの秘密』という『アンカル』の解説本が出ていまして、その中でも説明されていることなんですが、メビウスは『DUNE』のストーリーボードをそっくりそのまま『アンカル』に転用したりもしている。西島さん、メビウスについてはいかがでしょう?



西島:大友克洋さんや谷口ジローさんはメビウスの絵に憧れてメビウスのように描こうと努力されていますが、僕は早々と諦めて小さいキャラクターでいいやと、こんなふうな絵を描く漫画家になってしまいました。小さいキャラクターなんですけど、メビウスのように鳥が出てきてふわっと地面に着地する瞬間というものは表現したいと思います。等身的にはぎゅっと縮めて、同じレイアウトで描くようにしているんです。メビウスに憧れて、ちゃんと努力されている先輩方は偉いなと思いますね。




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映画『ホドロフスキーのDUNE』より、メビウスによるキャラクター・デザイン




『アンカル』にみるメビウスとホドロフスキーの

才能のパワーバランス



原:『アンカル』はニューエイジ的な世界観が非常に色濃い作品ですね。



西島:『アンカル』はBDが好きな方からも、ホドロフスキーファンからも名作だと言われていますが、なぜか僕はぴんと来なかったんです。その理由を僕なりに考えて、ホドロフスキーとメビウスのパワーバランスに問題があるのかなと。2人は対等に作品を作っているんだろうなと思います。ホドロフスキーの発言からすると、時にメビウスは好きに描くことがあったんじゃないかと。要するにメビウスのパワーが強すぎる。メビウスの絵はすごく上手い。特に浮遊感、立体感を描くのが上手いんですね。それによって結果的にはホドロフスキーの思想が柔らかく着地している。それはメビウスの天才がなせる技なわけです。かたや『メタ・バロンの一族』を見ると明らかにヒメネスがホドロフスキーを恐れているんですよね。恐怖を持って原作者に立ち向かって、恐れおののきながら濃密な絵を描いているというのがわかるんです。『天使の爪』でもそうじゃないですか。メビウスがポルノグラフィックな絵を描いてホドロフスキーが話を付けていく、先に絵ありきの方法。そういうやり取りをされているのがメビウスとホドロフスキーの関係です。逆に、『メタ・バロンの一族』は、そこに恐怖心がある。それが僕からするとたまらなく痺れるところ。これほどまでに相手の才能に屈服した状態でも描くという恐ろしい隷属性というか、服従性、マゾヒズムがある。ヒメネスは変態的ですよ。




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当日は西島さんによるライヴペイントも行われた





B級志向とそこにかぶさる哲学性



原:西島さんは原作者と仕事をすることはあるんですか。



西島:ごくまれに原作ものを描くことはあります。ホドロフスキー原作で仕事ができるなら、やっぱり怖いですが、いつかはやってみたいですね。ホドロフスキーのような才能、スケール感であれば、僕も全てを捧げてもいいかなと思います。国内で好きな原作者がいるかといえばいないですからね。僕、ホドロフスキーは富野由悠季さんに似てると思うんですよね。モビルスーツを操縦する人がいて、その親が開発者で、革命を起こしたい側は負けて、でも人類の進化はあるかもしれない、という物語をひたすら繰り返すのが『ガンダム』ですよね。これはホドロフスキーが繰り返し自分のモチーフを語るのとどこか似ている。『アンカル』と『メタ・バロンの一族』と『DUNE』もそうですよね。そして、ホドロフスキー作品には愛がある。ミノフスキー粒子(『機動戦士ガンダム』に出てくる架空の物質)は、ホドロフスキーの愛情に近いような気がします。富野由悠季さんが原作を担当しない『ガンダム』シリーズが精彩を欠くのは、激烈な愛情がないからです。その激烈な愛情はホドロフスキーにもあるし富野さんにもある。下手すればスピリチュアルへ飛び越えそうになる。この世界をどういう風にしたら良くなるだろうかみたいな。でもある種の制約もある。『ガンダム』ではオモチャであったり、ホドロフスキーにはB級志向があったり。『エル・トポ』も西部劇ですし、『DUNE』も普通の人から見たら変なSFなわけで。子供じみたB級志向とそこにかぶさる哲学性というのが割と富野由悠季さんと相似形を描いているなと。そして最終的には愛情が極めて強い。女性に対する尊敬とか。『メタ・バロンの一族』には空中出産するシーンや女性の指をすべて切り落としちゃうシーンなど、えぐいシーンが沢山あるんですけれども、最終的には私は女性を愛しているんだというのがある。そういう姿勢が好きで、僕もかくありたいと思います。






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西島大介さん描き下ろしによる『DUNE』イラストレーション



原:それこそがある意味ホドロフスキーの本質なのでしょうか。それはまたホドロフスキーとは何者かという問いへの一つの答えかもしれませんね。



西島:愛を証明するために面倒くさい手続きを取るんですよ。去勢とか。別に「勝たずんば死あるのみ」とか言わないで、素直に『I Love You』でいいんじゃないかと思うんですけど、そうならない。いじめているのか、自虐的なのかわかんないんですけど。「原作の『DUNE』をレイプしたんだ、愛情を持ってね」という言葉にホドロフスキーが集約されているなと思うんです。そのアンビバレントな感じが僕にとってはたまらなく魅力ですね。信じるに足りそうだし。信じるに足る素晴らしい作品だと強く思いますね。




会場からの質問:ホドロフスキー初心者が理解するために知っておくべきことはありますか?



原:ホドロフスキーの初期の映画を観ていると、シュールレアリスムの影響が大きかったんだろうなとすごく感じるんですね。ルイス・ブニュエルがやっていたことを継承している印象がありますし。現実に異化効果を与えてやる、現実を変えてやりたい、そのために演劇活動や映画活動をするんだみたいな。なので、シュールレアリスムの周辺を知ることはホドロフスキーの理解につながるのかなとは思いますが、あまり考えずに楽しめればそれでいいと思います。




西島:ホドロフスキーは映画監督となっていますが、コミック原作もやれば詩も読むし、タロット研究者であったりもする。それにあやかろうと最近僕もタロット占いを勉強してるんです。入口はいくらでもありますよね。今ほどホドロフスキーを勉強してくれというタイミングはかつてなかったですよ。これまでになく間口が広がっているのでどこから入ってもいいと思います。何も知らないほうが、ホドロフスキーは喜ぶと思いますよ。自由にホドロフスキーの海を泳いで頂ければと思います。



(2014年6月10日、下北沢B&B「漫画原作者としてのホドロフスキー メビウスの描いた『DUNE』をめぐって~ 勝たずんば死あるのみ、我らメタ・バロンの一族」にて 構成:鈴木正志、駒井憲嗣)











西島大介(漫画家・DJまほつうかい) プロフィール



1974年東京生まれ、広島在住。2004年に描き下ろしSF長編コミック『凹村戦争』でデビューし、星雲賞アート部門を受賞。代表作に『世界の終わりの魔法使い』『ディエンビエンフー』など。最新作『すべてがちょっとずつ優しい世界』が第三回広島本大賞を受賞、第17回文化庁メディア芸術祭入選作選出。実験的マンガ家養成機関「ひらめき☆マンガ学校」を主宰し多彩な才能を輩出。DJまほうつかいとして音楽活動も行う。映画『世界の終わりのいずこねこ』脚本&出演などその活動は多岐に渡る。8月上旬に初めての画集『くらやみ村のこどもたち』を宝島社より、2nd EP『Ghosts in the Forest EP』をHEADZより刊行予定。

HP: http://simasima.jp/

Twitter: http://www.simasima.jp/






原正人(はら・まさと) プロフィール



1974年生まれ。学習院大学人文科学研究科フランス文学専攻博士前期課程修了。フランスのマンガ“バンド・デシネ”の翻訳家。翻訳にホドロフスキー&メビウス著『アンカル』、『猫の目』、『天使の爪』、ホドロフスキー&ヒメネス『メタ・バロンの一族』、バスティアン・ヴィヴェス『塩素の味』、『ポリーナ』、フィリップ・ドリュイエ『ローン・スローン』など。ファビアン・ヴェルマン&ケラスコエット『かわいい闇』が河出書房新社から近刊。監修に『はじめての人のためのバンド・デシネ徹底ガイド』がある。












『メタ・バロンの一族 上』

著:アレハンドロ・ホドロフスキー

イラスト:フアン・ヒメネス

翻訳:原正人


小学館集英社プロダクション

3,240円(税込)













『メタ・バロンの一族 下』

著:アレハンドロ・ホドロフスキー

イラスト:フアン・ヒメネス

翻訳:原正人


小学館集英社プロダクション

3,240円(税込)




★作品の購入はジャケット写真をクリックしてください。Amazonにリンクされています。












『ホドロフスキーのDUNE』

2014年6月14日(土)新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町、渋谷アップリンクほか、全国順次公開



監督:フランク・パヴィッチ

出演:アレハンドロ・ホドロフスキー、ミシェル・セドゥー、H.R.ギーガー、クリス・フォス、ニコラス・ウィンディング・レフン

(2013年/アメリカ/90分/英語・フランス語・ドイツ語・スペイン語/カラー/16:9/DCP)

配給:アップリンク/パルコ

公式サイト:http://www.uplink.co.jp/dune/



原正人さん&柳下毅一郎さん登壇によるイベント6月14日(土)開催!!

公開記念イベント連続開催決定、詳細は下記より


http://www.uplink.co.jp/jodorowsky/news/




[youtube:r-cnFoqfJfI]










『リアリティのダンス』

2014年7月12日(土)新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町、渋谷アップリンクほか、全国順次公開



監督・脚本:アレハンドロ・ホドロフスキー

出演:ブロンティス・ホドロフスキー(『エル・トポ』)、パメラ・フローレス、クリストバル・ホドロフスキー、アダン・ホドロフスキー

音楽:アダン・ホドロフスキー

原作:アレハンドロ・ホドロフスキー『リアリティのダンス』(文遊社)

原題:La Danza de la Realidad(The Dance Of Reality)

(2013年/チリ・フランス/130分/スペイン語/カラー/1:1.85/DCP)

配給:アップリンク/パルコ

公式サイト:http://www.uplink.co.jp/dance/





[youtube:N4A73GpgPRs]
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『スター・ウォーズ』の元ネタ!?『ホドロフスキーのDUNE』 http://www.webdice.jp/dice/detail/4244/ Wed, 04 Jun 2014 20:14:52 +0100
写真:荒牧耕司


webDICEで大特集中のホドロフスキー監督関連作、『ホドロフスキーのDUNE』がいよいよ今月6月14日(土)に公開となる。公開まで毎月発行されている"ホドロフスキー新聞"の最終号vol.3も本日より配布開始、こちらは紙での配布と並行してPDFでもダウンロードできるので是非チェックしてほしい。



『スター・ウォーズ』『エイリアン』など後のSF映画に多大な影響を与えたとされるアレハンドロ・ホドロフスキー版『DUNE』。一部のファンに伝説として語りづがれていたこの作品に再びスポットをあて、一本のドキュメンタリーとして未完の映画をある意味で"完成"させたのはアメリカ人監督、フランク・パヴィッチ。2013年の東京国際映画祭で上映された際に来日した監督のインタビューを掲載する。



ホドロフスキー新聞PDF版のダウンロードはこちら

webDICEでのホドロフスキー監督特集はこちら












いろいろなバージョンの『DUNE』を無限に想像できるようにしたかった



── まずはこの映画を作るプロセスについて聞かせてください。



もともとホドロフスキーの映画のファンなんだけど、あるとき、彼が撮るはずだった『DUNE』のことを知って驚いた。ミック・ジャガー!?ダリ!?ピンク・フロイド!?これはドキュメンタリーを作らなきゃ!と思ったよ。それで、2010年の1月、ホドロフスキーのエージェントにメールをしたんだ。『DUNE』についてのドキュメンタリーを作りたい、ってね。しばらくしたら、なんと本人から返信が来たんだ!びっくりしたよ!でも、もし悪い返事だったら……と怖くて1週間くらいメールを開けなかった(笑)。やっと勇気を振り絞ってメッセージを開いたら、短いメッセージが書いてあった。「パリにおいで。話をしよう」と。それですぐにホドロフスキーの自宅に会いに行ったんだ。10分ほどの短いミーティングだったけど、ぼくの企画を話したんだ。彼はとてもオープンに話をしてくれたよ。「いいアイデアだ」と言ってくれて、この映画の制作についてOKをくれたんだ。



『ホドロフスキーのDUNE』

アレハンドロ・ホドロフスキー監督、映画『ホドロフスキーのDUNE』より

── ホドロフスキー作品との出会いは?



90年代前半だったと思うけど、当時アメリカでは、ホドロフスキーの作品は観られなかったんだ。彼がプロデューサーと喧嘩をしたからね。それでもどうしても観てみたくて、コピーのコピーのコピーの……6代目くらいのVHSを入手したんだけど、映像が汚すぎて観られなかった(笑)。その後、日本版のレーザーディスクを入手して、やっと『エル・トポ』を観たんだけど、今度は日本語字幕だしスペイン語もわからないから、何を言ってるかわからない……(笑)。とにかく、そんな風にして苦労してやっと彼の作品にたどり着いたんだ。




── 撮影はどんな感じで進んだのですか?ホドロフスキーは協力的でしたか?



初めて彼の家に行ったときは、オープンに話をしてくれたものの、とても物静かな感じだったよ。例の、『DUNE』のストーリーボード集が僕の前に置いてあって、すごく見たかったんだけど、「見ていいよ」とも言ってくれないし、どうしようかな…、と戸惑ったよ(笑)。しかし撮影を初めて、『DUNE』の話になると、それはそれはもう情熱的なんだ。彼はマイムをやっていたこともあって、やはり役者なんだよね。手の動きや表情を見てもらえばわかると思うけど。



『ホドロフスキーのDUNE』

自宅で『DUNE』についてインタビューに答えるアレハンドロ・ホドロフスキー



── ホドロフスキー的なキャラクターを演じていた部分もある?



そう思うよ。ただ、偽っているわけではなく、自然にパフォーマンスしているんだ。この映画の撮影中、ちょうどホドロフスキーは自身の新作『リアリティのダンス』の脚本を執筆中だったんだ。あるとき、ホドロフスキーの家に行くと、彼は机に向かって脚本を書いていた。それで、「撮影を始めます」と言ってインタビューを始めたら、とても情熱的に『DUNE』について話し始めた。パフォーマーとしてのホドロフスキーだね。そして、撮影が終わったらまた、机に向かって脚本を書く監督の顔に戻ったんだ。このように、切り替えがすぐできる人だったよ。




『ホドロフスキーのDUNE』

『DUNE』のストーリーボード表紙




メビウスの絵コンテはホドロフスキーのカメラなんだ



── 『DUNE』のストーリーボードを見て、どう思いましたか?



結局そのあと、ストーリーボードを全て見せてもらったんだけど(笑)、もう本当にすばらしい。感動したよ。シーン1から90まで、すべて詳細が書き込んであるんだ。カメラワークから人の動きまで、全て。ドキュメンタリーの中でホドロフスキーが言っていたけど、メビウスの絵コンテはホドロフスキーのカメラなんだ。




── この作品は、失敗の物語ではなく、勇気をもらえる映画になっていますね。



ホドロフスキーが大志についてハートとソウルに満ちた、力強い言葉で語っているのを聞くと、これを締めくくりにしなきゃという感じがしたんだ。このドキュメンタリーを失敗についての物語にしてしまったら、ホドロフスキーはとても怒ったと思う。『DUNE』は失敗ではない。ホドロフスキーがやったことは成功だし、大きな勝利だった。"映画として完成はしなかった"という部分には意味がない。すべての仕事は成され、クリエイティブな部分は全部でき、美しい本が作られた。すべての"ウォーリアーズ"たちはキャリアを伸ばし、成長し、転換点を迎えた。みんながホドロフスキーの刻印を受けたんだ。彼らが共有した、濃厚でクリエイティブな時間は糧になった。



その後、キューブリックや大勢のすごい人たちと、たくさん映画を作ってきたクリス・フォスですら、「映画人生における最高の経験は、今に至るまで『DUNE』だ」と言っている。「最初に組んだのがホドロフスキーだったのは不運だった」ともね。なぜなら、「監督ってみんなこうなんだ、好きなようにやらせてくれるし、すごいインスピレーションを与えてくれる、素晴らしい人なんだ」と思ってしまったから。でも、同じ経験は二度となかった。ホドロフスキーは特別なんだよ。監督としても、人間としてもね。



ホドロフスキーは、大志を持てと伝えた。うまくいかなくてもね。大切なのはやってみること、それが人生だ。つまり、映画作りは旅なんだ。旅をしながら人々に出会う。僕はまだその旅の途上にいるんだ。できてしまえば終わりではなく、まだ続きがあって、映画から与えられ続け、映画の影響で自分が変わり続ける。人間としてね。とても感謝しているよ。この圧倒的な物語、彼の人生における、最も大切な物語のうちの1つ、今まで語られなかった物語を、託してもらえたことにとても感謝している。永遠に感謝し続けると思う。




『ホドロフスキーのDUNE』

アレハンドロ・ホドロフスキーとメビウス




みんなの想像の中にそれぞれの『DUNE』があるというのがベストな形かもしれない



── このドキュメンタリーで、みんながそれぞれの『DUNE』を心の中に描くことができました。『DUNE』は完成されていないけれど、プロジェクトとして生き続けていく作品、完成されないことによって完成する作品なのかもしれないですね。



そう、それが僕が伝えたかったことの1つだ。物語としての『DUNE』は壮大な、とてつもなくスケールの大きい作品であり、映画として完成してしまうのはほとんど不可能な感じがする。みんなの想像の中にそれぞれの『DUNE』があるというのがベストな形かもしれない。それが、この映画の最後の部分でやろうとしたことだ。紙の上に描かれた画に少しだけ命を吹き込む。やりすぎずに、観客がそこから映画全体を想像できるような、かすかな命を吹き込んだ。観客はそこから、ホドロフスキーの『DUNE』や、ホドロフスキーと観客自身による『DUNE』など、いろいろなバージョンを無限に想像できる。アニメ版や、もう1つの実写版『DUNE』が完成されたら、限界が設けられてしまうかもしれない。『DUNE』は想像の中、空気の中に生きるべき物語かもしれないね。




── 完成した映画を観てホドロフスキー監督はどういう反応だったのでしょうか?



彼が初めてこの映画を観たのはカンヌ国際映画祭のプレミア上映だったんだ。僕の隣が奥様でその隣がホドロフスキー監督だった。緊張したよ。上映中も彼がどんなリアクションをするか、視界の端でずっと気にしていたんだ。そうしたら、映画の最後のほうで涙を拭いていたんだ!自分のイメージが映像化されていくことを見て感動したのかもしれないし、何十年と会っていないクリス・フォスやH.R.ギーガーが彼を讃えているのを聞いて感動したのかもしれない。とにかく、とても嬉しかった。そして上映が終わってから、彼に「どうでしたか?」と聞いたところ、一言こう言ってくれたんだ。「パーフェクト!」




── 東京国際映画祭での上映時には、泣いているお客さんもいましたね。



カンヌで初上映するまで、どう受け取られるか全く分からなかった。いい作品ができたという思いはあったよ。カンヌの審査も通ったし、自分でも気に入っていたからね。でもナーバスだった。実際の観客に観てもらうまでは何も分からない。でも上映が始まるとすぐ、観客がホドロフスキーにすっかり引き込まれてしまったのを感じたよ。みんな大笑いしたり、手をたたいたりしてた。初めて目にする光景だった。ダリのエピソードではわっと拍手が起こった。あんな光景は初めてだった。しかも、僕の映画でそういうことが起きて……。確か、全部で4回拍手が起きたと思う。最高だった。エンドロールが始まって拍手に包まれた時、我を忘れてしまった。魔法をかけられたような、本当に素晴らしい経験だった。でも最初の観客に観せるまで、ここまで特別なものになるということは分からなかった。




『ホドロフスキーのDUNE』

『DUNE』ストーリーボードを撮影するフランク・パヴィッチ監督




『リアリティのダンス』には、初めて明かされる彼のパーソナルな物語がある



── あなたの映画によってミシェル・セドゥーとホドロフスキーが再会し、『リアリティのダンス』ができました。生みの親として観た『リアリティのダンス』の感想を聞かせてください。



もう何というか……。ずば抜けた、驚くべき作品だと思う。今まで観た中で最高傑作の1つだった。ホドロフスキーがあんなにパーソナルな物語を撮ったのも驚きだった。僕の大好きな『ホーリー・マウンテン』も『エル・トポ』も人生を変えるような映画だ。彼の映画は人々を変える。そういう驚くべきパワーが今回の作品にもあったし、しかも、初めて明かされる彼のパーソナルな物語がそこにあるというところに引き込まれたよ。




── セドゥーとホドロフスキーが再会するシーンが印象的でした。



あの二人は、ずっとお互いがお互いのことを怒っている、と思っていたんだ。でもね、初めてセドゥーのオフィスを訪れて驚いた。だってセドゥーのオフィスの廊下には『DUNE』の制作時に描かれた絵がいくつも飾ってあって、さらに、ホドロフスキーのサイン入りの『ホーリー・マウンテン』のポスターまで飾ってあったんだ!セドゥーは毎日、『DUNE』やホドロフスキーと生活や仕事をともにしていたんだよ。それで、二人が再会するシーンの撮影前に、ホドロフスキーに「ミシェルはあなたを嫌っていない」と伝えていたんだけど、撮影当日、ホドロフスキーは約束の15分前にやってきて、そわそわ落ち着かない様子だった。何度も時計を見ては、「来ないからもう帰ろう」と言っていた。そうしたら、セドゥーが時間ぴったりに現れたんだ。二人は黙って抱き合い、そのあと、公園をずっと二人で話しながら歩いていたよ。35年間も会っていなかったなんて嘘みたいにね。




『ホドロフスキーのDUNE』

ミシェル・セドゥーとアレハンドロ・ホドロフスキー











フランク・パヴィッチ / Frank Pavich


1973年、ニューヨーク生まれ。現在はスイス・ジュネーブ在住。1995年、ニューヨーク・ハードコアシーンを追ったドキュメンタリー『N.Y.H.C.』を監督。その後、映画やテレビのプロジェクトに携わる。『ホドロフスキーのDUNE』は彼の初の劇場上映作品であり、2013年カンヌ国際映画祭の監督週間でワールド・プレミア上映され、その後も多くの映画賞を受賞している。











ホドロフスキー新聞

THIS IS ALEXANDRO JODOROWSKY



多くのクリエイターに衝撃と影響を与えた映画監督、アレハンドロ・ホドロフスキーの魅力に迫るフリーペーパー、通称"ホドロフスキー新聞"は、全国にて配布中。PDFでもダウンロードすることができます。

http://www.uplink.co.jp/jodorowsky/




ホドロフスキー新聞vol.3











『ホドロフスキーのDUNE』

2014年6月14日(土)新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町、渋谷アップリンクほか、全国順次公開



監督:フランク・パヴィッチ

出演:アレハンドロ・ホドロフスキー、ミシェル・セドゥー、H.R.ギーガー、クリス・フォス、ニコラス・ウィンディング・レフン

(2013年/アメリカ/90分/英語・フランス語・ドイツ語・スペイン語/カラー/16:9/DCP)

配給:アップリンク/パルコ

公式サイト:http://www.uplink.co.jp/dune/



[youtube:r-cnFoqfJfI]










『リアリティのダンス』

2014年7月12日(土)新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町、渋谷アップリンクほか、全国順次公開



監督・脚本:アレハンドロ・ホドロフスキー

出演:ブロンティス・ホドロフスキー(『エル・トポ』)、パメラ・フローレス、クリストバル・ホドロフスキー、アダン・ホドロフスキー

音楽:アダン・ホドロフスキー

原作:アレハンドロ・ホドロフスキー『リアリティのダンス』(文遊社)

原題:La Danza de la Realidad(The Dance Of Reality)

(2013年/チリ・フランス/130分/スペイン語/カラー/1:1.85/DCP)

配給:アップリンク/パルコ

公式サイト:http://www.uplink.co.jp/dance/



[youtube:N4A73GpgPRs]]]>
ホドロフスキー監督、アートとは「光るウンコ」だと語る http://www.webdice.jp/dice/detail/4216/ Thu, 22 May 2014 10:17:58 +0100
DOMMUNE収録後のスタジオにて、ホドロフスキー監督とザ・グレート・サスケ氏


「『ホドロフスキーのDOMMUNE』【前編】『ホーリー・マウンテン』で細胞が異形の分裂を遂げるような衝撃を受けた」からの続きですので、前半からお読み下さい。




チリの映画作家アレハンドロ・ホドロフスキー監督(85歳)が4月23日、ライヴ・ストリーミング番組DOMMUNEに出演。映画評論家の滝本誠氏、久保玲子氏、プロレスラーのザ・グレート・サスケ氏、そして美術家/ドラァククイーンのヴィヴィアン佐藤氏とともに登壇。DOMMUNE主宰の宇川直宏氏も加わり、配給のアップリンク代表・浅井隆を司会にトークが行われた。



番組中盤、ホドロフスキー監督が会場に登場すると、まずJON(犬)のオルガン演奏と、メガネ&アンダーウエアのポールダンスによるパフォーマンスが行われた。


【後編】ホドロフスキー監督、DOMMUNEに登場





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JON(犬)とメガネ&アンダーウエアによるパフォーマンス



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JON(犬)



今の人生を別の角度から見るようになった

(ホドロフスキー監督)



浅井:最初に監督への貢物として、JON(犬)によるオルガン演奏と、メガネ&アンダーウエアによるポールダンスのパフォーマンスを観てもらいました。いかがでしたか?



ホドロフスキー:とても魅力的でよかったと思います。



ヴィヴィアン:私がどうしてこういう生き方をしているのか、なぜこういう人生を歩んでしまっているのか、他の生き方があったんじゃないだろうか。それがいちばんの謎だし、いちばんの不思議なんです。監督のこれまでの作品をずっと観ていると、撮っていないときもずっと続いていると思うんです。大きな四次元とか五次元の作品があって、そういったものに触れると、自分の生き方が間違ってなかったと、すごく癒やされます。チリも行ったこともないし、監督とも世代が違うんだけれど、非常に感動して泣いてしまいました。自分の問題としてこの映画を観ました。



ホドロフスキー:ありがとうございます。



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DOMMUNEのスタジオにて 右より、ヴィヴィアン佐藤氏、久保玲子氏、滝本誠氏、通訳の比嘉世津子氏、アレハンドロ・ホドロフスキー監督、ザ・グレート・サスケ氏、浅井隆



久保:2003年にパリのお宅に取材でうかがったときに、お父様やお母様のことは映画のなかにたびたび登場していますが、「チリの時代のことと両親とはもう決別した」、とおっしゃっていたんですけれど、今回はお父様やお母様を映画のなかで生き返らせて再会する、という作品を撮られています。監督は「これまで何度も死んで、生まれ変わっている。新しい生が始まったことが何回かある」とおっしゃったんですけれど、今回の映画も作品を通してまた生まれ変わられたような感じがあるのでしょうか?



ホドロフスキー:もう一度生きる、というよりは、今の人生を別の角度から見るようになった、ということです。両親と絶縁すると、両親の精神からも切り離されます。でも、自分の一族が何を現しているかということはずっと変わっていくのです。そして、内なる人物、自分というものは変わっていきます。それは、タロットと同じです。例えば、始めはあまり好きでないカードとか恐怖を与えるカードでも、研究していくと、そのカード自体が寛容や優しさを示してくれることがあります。ですから、あなたの家族のイメージというのは鏡のようなものです。理解しながら、許しながら、そしてどんな人だったというのを発見していくのです。人間特有の痛みを持ちながらあなたが苦しんだのなら、彼らも苦しんでいる。あなたが価値を持っているのなら、あなたの両親も価値を持っている。なぜかというと、彼らはあなただからです。生き直すというよりは、もう一度作ったということです。




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映画『リアリティのダンス』より



滝本:昨日の取材の際に監督に占っていただいてから、あのカードを並べてみて、撮影したんです。それを壁に貼りました。おそらく僕の生きるのはあと4、5年かなという気がするんだけれど、その間それを支えにします。パワフルで、ありがとうございます。



ホドロフスキー:タロットはとても神秘的です。およそ1,000年くらい前に作られたものですけれど、あの絵の中に、まるでお守りのように隠された意味がすべてあります。一枚一枚のカードがヴァイブレーションを持っているわけです。それをあなたの家に貼ると、家が浄化されるということです。



ホドロフスキー:(ザ・グレート・サスケ氏に)先に質問してもいいですか?プロレスはあなたの個人的な職業ですか、それとも人生そのものが闘いだと思いますか?



サスケ:おっしゃる通り、人生自体が闘いだと思います。



ホドロフスキー:そうすると、いつ人生を愛するようになるのでしょうか。



サスケ:すごく難しいですね。それを今探しているのかもしれないです。


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ホドロフスキー監督とザ・グレート・サスケ氏



ホドロフスキー:でも可能です。私もいろいろな側面がありました。アートのおかげでとても困難な人生を送っています。メキシコでは刑務所に入れられましたし、ほんとうにうまくいかなかった。でも最終的に、良くなるためにそういうことが起こったと分かりました。ですから、あなたがもし闘いに負けても、それもいいことなのです。どう思いますか?



サスケ:どうして監督は、私が今まで生きてきた人生の中身を全部ご存知なのですか、全部お見通しにされています。



ホドロフスキー:メキシコにはブルー・デモンというとても有名なルチャドール(「プロレスラー」のスペイン語)がいました。でも本当の顔は誰も知りませんでした。いつもマスクをしていました。ほとんど政治的な存在にまでなっていました。でも私を感動させたのは、亡くなったときの写真です。そのときもマスクをしていました。息子が同じマスクで最期のお別れをしにきました。そして息子も父親と同じように闘っています。本当の姿は誰も知りません。あなたはどうですか、マスクを取ったときはどのように感じますか?



サスケ:自分自身じゃないような気がします。



ホドロフスキー:マスクはとても魔法的・魔術的ではありませんか?



サスケ:ですからメキシコ人の多くのルチャドールが被っているのだと思います。(監督とのトークを独占しているので)こんな贅沢な時間を過ごさせていただいてよろしいんでしょうか?!



ホドロフスキー:では、マスクの説明をしていただけますか。黒に赤が入っていて、シンボルがあります。



サスケ:これは日本の伝統の歌舞伎のメーキャップです。



ホドロフスキー:どんな人物ですか?



サスケ:これは歌舞伎のなかでも主人公がする化粧です。



ホドロフスキー:このような姿を見るのがとても嬉しいです。マスクをしたら神ですね。



サスケ:いえいえいえ!



ホドロフスキー:私はとても幸せです。彼女(ヴィヴィアン佐藤氏)も、エンジェルのような髪の毛で、神だと思います。それは別にごまかしているわけではないからです。あなたたちふたりは、それが魂のマニュフェストなのです。マスクというのは、洋服の理想型です。全ての人間性というのをマスクが全部食べてしまう。私はそういうことを人形劇で学びました。人形を動かすと、指だとこうなります(人形劇のように手を動かしながら)「元気ですか?」。私の魂は指に宿ります。この指が私以上に存在感のある人物となるのです。それは、魂の投影と言えます。そしてあなたが誰かを愛するときに、その愛するだれかは、あなたよりもあなたかもしれません。分かりますか?ですから私と私の妻は、彼女は私以上に私です。彼女なしでは生きられません。



パスカル・モンタンドン=ホドロフスキー:(客席から)私もそうです。



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パスカル・モンタンドン=ホドロフスキー




ホドロフスキー:だからマスクなしでは生きられないと思うし、カツラなしでは生きられないでしょう。



ヴィヴィアン:カツラは私以上に私です。化粧はすればするほど裸になって皮膚を裏返しにする。本来の自分に戻るんです。



ホドロフスキー:そうです。





サスケ:『サンタ・サングレ』でアレナ・コリセオというプロレスの会場が出てきますけれど、プロレスの映画を撮るつもりはないでしょうか?



ホドロフスキー:できればやりたいと思いますよ。



サスケ:ぜひ出させてください!『リアリティのダンス』についてですが、キリストの像がピストルで破壊されたり、南米はカトリックのはずなのに、あの教会はたぶんプロテスタント系だと思うんです。それから図書館でみんなで本を見ているときに、図書館の門にフリーメイソンのマークが大きく掲げてありましたね。監督の宗教的立ち位置というのは何でしょうか?宗教に対する考えを教えてください。



ホドロフスキー:私はどの宗教にも立っていません。どの宗教にも価値があると思いますし、それでもその強さや神秘を超えるのが宗教だと思います。でもその強さというのは、すべての人々のためで、ひとつの宗教のためではないと思います。そしてその力はあなたの中にあります。みなさんの自分の内にその強さがあるのです。(目の前のボトルを指して)このボトルのなかにもその力はあります。ですから、あなたの中にその力があるなら、誰かに癒してもらう必要はないのです。神父もいらないですし、教会もいらない。教会というのはあなたの体で、心臓は神として「ここに私がいる」と脈打っています。私は神を信じてはいません。知っているからです。



サスケ:『エル・トポ』の名ゼリフ、「ソイ・ディオス=私は神だ」、私は17歳の高校生のときに観て、これをずっと今まで唱え続けて生きてきました。これからもそのように生きていきます。ありがとうございます。



ホドロフスキー:私が考えるに、プロレスは誰かを殺すためのものではありません。「私は神だ」「あなたが神だ」ということを示そうと、もしあなたが神を見つけられたら、私はそれにかしづきます。もしあなたが見つけられなければ、私があなたに勝つ。そういう風に私はプロレスを見ます。どうですか?



サスケ:まったくその通りです。全てお見通しですね。



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映画『リアリティのダンス』より




ホドロフスキー:素晴らしいことだと思います。いつも革命的であったので、メキシコ中みんなエル・サント(国民的英雄のルチャドールで、「聖人」のスペイン語でもある)が好きで、『サンタ・サングレ』のなかにひとりデ・マス・サンタという登場人物がいます。彼女は両性です。ですからメキシコに対してひとつの挑発をしたのです。サントという男性形はあってもサンタ(スペイン語では男性名詞と女性名詞を明確に分けている)という女性形はないからです。タロットは教皇がいて、女教皇もいます。ですから、サント=聖人もサンタ=女聖人がいていいはずです。ですから私はいつも頭のなかで、イエス・キリストと聖母マリアの喧嘩をイメージしています。あなたはもし聖母マリアと闘わなければいけなくなったとしたらどうしますか?



サスケ:逃げますね。



ホドロフスキー:それはお母さんが怖いということですね。



歳をとるのはとてもいいこと

(ホドロフスキー監督)




久保:2003年にお会いしたときとほとんどお変わりないですね。



ホドロフスキー:少し歯が減りました。ウエストも太りました。腰にインプラントを入れています。いくつかの部分は変わりました。でも内面は同じです。少し外に開けたかなと思います。人生は経験だからです。毎日新しい経験、ひとつの経験が増えていきます。歳をとるということは非常に素晴らしいことだと思っています。ミケランジェロに聞いた人がいました「いつになったらあなたの彫刻は最高だと完成形だと思えるようになるのか」。いちばん高い丘の上に置かれたときか、それを落として転がり落ちて下に落ちて、いくつか欠片が無くなっている。無くなっているものが悪くて、残っているものがいいんだ、という。それは年齢と同じです。



みなさん若さから転がり落ちていきますが、たぶん幻想や間違った考えもどんどん失っていくと思います。社会はこうだと思っていた概念も壊れて落ちていくかもしれません。あなたの中の私という部分も落ちていくかもしれません。最後に残るのが、あなたそのものです。人生というのはいつも何かを追っています。でもあなたが追っている何かは実はあなたは既に持っているのです。つまり犬が自分の尻尾を追いかけているようなものです。ですから、それを追うのを止めればいいのです。そこで前進できるのです。歳をとるのはとてもいいことだと思っています。この経験から何も問題はないということが分かります。困難はあります。それでも困難はあなたをもっと強くするためのものです。ですから、それもいいものなのです。それが私の答えです。



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映画『リアリティのダンス』より




久保:実はパリにうかがったときも、タロットの開発についてお話されていて、ご自分でお作りになったタロットを見せていただいて、早速ここのショップで売ってるよと教えてくださったところに行って買って帰ったんです。それを隣にいる滝本さんにプレゼントし、ヴィヴィアンさんに7、8年前に初めてゆっくりお会いしたときも、ゴールデン街でタロットを占ってあげると紹介していただいて、一緒に行ったのが初めてでした。それで今日演奏をしたJON(犬)さんに占ってもらったのです。



ホドロフスキー:タロットがどういうものかよく分かっていらっしゃらない方もいらっしゃると思います。タロットは将来を占うためのもではありません。現在は見えるかもしれません。少し過去も見えるかもしれません。しかしタロットはあなたの意識をもっと開発するためにあるのです。78枚のカードがありますが、一枚一枚何を意味しているのか、たぶんご存知ないと思います。テレビゲームみたいなもので、タロットもどこに押せばどうなるのか探さなければいけないのです。ひとつの部分ではなくて、全体として何なのかということを78枚ぜんぶで見ることができます。とても小さなひとつの印があなたを導いてくれるのです。それが何かということは、あなたが自分で発見しなければなりません。私はそのために20年間かかりました。



初めは部分的に見ていたタロットですが、そのうちにこのタロットを全体として見るようになりました。真ん中に世界のカードがあって、東西南北の方向の4方向に4つの要素がある。小アルカナ(タロットの1組78枚のうち56枚を構成する組)だけ並べたり、大アルカナ(タロットの1組78枚のうち、22枚を構成する、寓意画が描かれたカード)だけ並べたりしていきながら、ある日全体がまるで曼荼羅のように見えて分かったのです。




ですから、タロットというのはバラバラにではなく、楽器ひとつひとつが集まって全体で音楽を奏でるオーケストラのように見ていくと、もっと面白くなると思います。人はいろいろな部分を持っています。例えば考えて話す人、感じて愛する人、欲してそれを持とうとする人。そして闘う人。知性、心、セックス、肉体と4つの部分が全て魂というもので繋がっているのです。知性は考え、心は感じ、セックスは欲し、肉体は行動する。4つの言語が人間には備わっています。しかしその4つは互いには理解できません。ですから意識が知性と話し、感情に対して解釈し、感情が欲望を解釈し、そして欲望が肉体を解釈する。すると突然私の目の前にいる人を理解することができるのです。



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タロットは大アルカナが22枚あります。でもそのなかで数字を持たないFOOL=愚者というカード、それはトータルなエネルギーです。そのゼロから最後の世界にまでエネルギーが行くのです。その間の人は全てが世界なのです。エネルギーが世界に向かうのです。並べ方によって、あと20枚のカードが真っ直ぐに進むのか横道に逸れるのかを示してくれます。それは20枚づつ分かれて見ることができます。はじめの10枚はとても明らかです。ふたつめの10枚のセットはとても暗い感じです。初めの10枚というのはまるで手の10本の指のようです。そしてふたつめの10枚は足の指のようで、少し暗いです。このように、タロットは占いの道具ではないのです。




いろんなところに種を撒いていけばいいのです

(ホドロフスキー監督)



ヴィヴィアン:『DUNE』では、登場人物のポールが殺害されたあと、人類の精神となって他人と個人の境界がなくなってしまう、『リアリティのダンス』だとホセさんがそのような役割です。その人物の特殊性について教えてください。



ホドロフスキー:だから『DUNE』でポールが亡くなると、みんながポールになるのです。私の父が拷問されているときに誰がドン・ホセか、それは私の父だ。ではドン・ホセとは誰なんだ。君の父親でもあり、君の息子でもある、つまりドン・ホセは君だ。ドン・ホセは君であり私であり、みんなだ。私はドン・ホセを愛しています。それが全体性というところに辿り着いたときに、あなたがみんなを愛さなくても、愛さないということはただひとつの部分だけ愛すわけにはいかないのです。短いお話があります。ある人が自分の影に恋をしました。いつも自分の影がいちばん長いときに会いたいと、でも影を愛するということは、その人のひとつの部分を愛するということです。それは幻想です。それが全体性になって初めて客観的な愛になるのです。




(観客からの質問):日本では60年代後半から70年代前半にかけて学生運動に影響を受けた前衛映画が撮られましたが、監督は学生運動から影響を受けましたか?



ホドロフスキー:歴史のどのときでもあなたは歴史の影響を受けるのです。1968年のメキシコのトラテロルコの大虐殺のとき、私はメキシコで劇作をしました。1,000人も2,000人も亡くなったという三文化広場を少人数でバスで移動していたとき、道路には何も聞こえなくなっていました。沈黙のなかで私たちは何が起こったのか分かりませんでした。その後に軍のバスや警官たちが私たちを迂回させました。ようやく劇場に着いたときに、恐怖を覚えました。その時に分かったのは、人は動物みたいなものだということ、自分がどう説明していいか分からない感情があるということです。人は眼で見るよりももっと見ることができるし、耳で聞くよりももっと聞けるはずです。私たちの無意識的な認識にはまるで限界がないからです。それが分かるのが、大きな災害や大きな悲劇に出会ったときです。



浅井:最後にDOMMUNEの主宰者の宇川君から監督への質問をお願いします。



宇川:はじめまして、僕は14歳の頃から監督の作品に慣れ親しみ『エル・トポ』さらには『ホーリー・マウンテン』を観て衝撃を受けて、その作品に影響されて現在のようなエクストリームな人生を送っております。そして今までの人生において映像表現やインスタレーション、グラフィック作品をたくさん作ってきたのですが、それを突然すべて断って、ここ4年間まさに『エル・トポ』の穴蔵のような地下世界に篭って、日々ライヴ・ストリーミングを繰り返しております。そして更に様々なアート表現に触れ、たくさんの人やものや作品に影響を受けていま自分はここに立っています。このライヴ・ストリーミングを現在僕はライフワークにし、この行為自体を僕自身はアート表現だと捉え、提唱しています。そして撮影/配信した番組達を、僕は文化遺産だと考え、日々アーカイブとして蓄積しています。これはテクノロジーの発展にともなって、自分がメディアアーティストとして、いま現在、他の仕事を断ち切ってでもやるべき表現だと、使命感を持って取り組んでいますが、例えば映画表現においてもカメラやフィルムそして映写機というエジソン以降発明されたテクノロジーの上に成り立っていると考えられます。けれど、テクノロジーというのは常に消費を前提に存在しています。そんな葛藤を踏まえつつ、僕はテクノロジーをアート表現の味方につけているつもりでいるのです。本当に100年後にもアウラを放ち、普遍的な価値を持った作品を生み出せているのかどうか?たまに自問自答しています。



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宇川直宏氏





ホドロフスキー:それで質問はなんですか?




宇川:そこで監督、果たしてアートとは何でしょう?




ホドロフスキー:アートは、光る虫を飲み込んだカエルのようなものだ。



宇川:なんですか!どんな暗喩があるんですか。



ホドロフスキー:カエルは大きな口を持っています。そして暗いところに住んでいます。月が欲しいと月に憧れます。ですからそこにホタルみたいな光る虫がいますね。そうすると光っているがゆえに食べるわけです。そしてそれはまるで光を取りに行こうとするアーティストのように、それを消化します。それでウンコとして光る作品を出すのです。でもそれは月ではありませんが、月のような、謙虚な排出物がアートです。



宇川:ハードコア・ピュアネス・グロウ・シットがアートなんですか。



ホドロフスキー:今あなたがやっていることをもし理解できなくても、それは心配しなくていいと思います。豚がいます。でもその豚をバカにしないでしょう。ですから、消化できないような種をその豚にあげてください。何の役にも立ちません。でも長い時間をかけてウンコが出たら、それが豊かな土壌を作るかもしれない。ですからいろんなところに種を撒いていけばいいのです。分かろうが分かるまいが。



宇川:ありがとうございます!ホドロフスキー監督に拍手を!!



ホドロフスキー:アリガトウ!!



(構成:駒井憲嗣 写真:西岡浩記

2014年4月23日東京・DOMMUNEスタジオにて)












『ホドロフスキーのDUNE』メイン

『ホドロフスキーのDUNE』より

『ホドロフスキーのDUNE』

2014年6月14日(土)新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町、渋谷アップリンクほか、全国順次公開



1975年にホドロフスキーによって企画されるも、撮影を前に頓挫したSF大作、ホドロフスキーの『DUNE』。「映画化不可能」と言われた小説、フランク・ハーバートの「DUNE」を原作に、そうそうたる面子をキャスト・スタッフに配し、莫大な予算と、12時間にも及ぶ上映時間を予定していたというその企画は“映画史上最も有名な実現しなかった映画”と言われ、伝説となっている。本作は、ホドロフスキー版『DUNE』の顛末と、ホドロフスキー、プロデューサーのミシェル・セドゥー、ギーガー、『ドライヴ』のニコラス・ウィンディング・レフン監督等のインタビュー、膨大なデザイン画や絵コンテなどの資料で綴る、驚愕、爆笑、感涙のドキュメンタリーである。



監督:フランク・パヴィッチ

出演:アレハンドロ・ホドロフスキー、ミシェル・セドゥー、H.R.ギーガー、クリス・フォス、ニコラス・ウィンディング・レフン

(2013年/アメリカ/90分/英語・フランス語・ドイツ語・スペイン語/カラー/16:9/DCP)

配給:アップリンク/パルコ

公式サイト:http://www.uplink.co.jp/dune/






▼『ホドロフスキーのDUNE』予告編

[youtube:r-cnFoqfJfI]












『リアリティのダンス』メイン写真

『リアリティのダンス』より


『リアリティのダンス』

2014年7月12日(土)新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町、渋谷アップリンクほか、全国順次公開



1920年代、軍事政権下のチリ、トコピージャ。幼少のアレハンドロ・ホドロフスキーは、権威的な父と、そして息子を自身の父の生まれ変わりと信じるオペラ歌手の母と暮らしていた。ロシア系ユダヤ人であるアレハンドロは学校でも「みんなと違う」といじめられ、世界と自分のはざまで苦しんでいた……。青い空と黒い砂浜、サーカスに空から降ってくる魚の群れ、青い服に赤い靴。映画の中で家族を再生させ、自身の少年時代と家族への思いを、チリの鮮やかな景色の中で、現実と空想を瑞々しく交差させファンタスティックに描く。



監督・脚本:アレハンドロ・ホドロフスキー

出演:ブロンティス・ホドロフスキー、パメラ・フローレス、クリストバル・ホドロフスキー、アダン・ホドロフスキー

音楽:アダン・ホドロフスキー

原作:アレハンドロ・ホドロフスキー『リアリティのダンス』(文遊社)

原題:La Danza de la Realidad(The Dance Of Reality)

(2013年/チリ・フランス/130分/スペイン語/カラー/1:1.85/DCP)

配給:アップリンク/パルコ

公式サイト:http://www.uplink.co.jp/dance/

(c) "LE SOLEIL FILMS" CHILE・"CAMERA ONE" FRANCE 2013






▼『リアリティのダンス』予告編

[youtube:N4A73GpgPRs]


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『ホドロフスキーのDOMMUNE』【前編】『ホーリー・マウンテン』で細胞が異形の分裂を遂げるような衝撃を受けた http://www.webdice.jp/dice/detail/4200/ Mon, 12 May 2014 20:25:07 +0100
DOMMUNEに出演したアレハンドロ・ホドロフスキー監督



チリの映画作家アレハンドロ・ホドロフスキー監督(85歳)が、70年代に着手するも未完に終わったSF映画の顛末を追ったドキュメンタリー映画『ホドロフスキーのDUNE』の6月14日(土)からの公開、そして23年ぶりの新作『リアリティのダンス』の7月12日(土)からの公開にあわせて来日。4月23日、ライヴ・ストリーミング番組DOMMUNEに出演した。当日は映画評論家の滝本誠氏、同じく映画評論家の久保玲子氏、プロレスラーのザ・グレート・サスケ氏、そして美術家/ドラァククイーンのヴィヴィアン佐藤氏が登壇。DOMMUNE主宰の宇川直宏氏もビデオカメラ撮影をしながら加わり、配給のアップリンク代表・浅井隆を司会に、ホドロフスキー監督とのトークが繰り広げられた。また、オルガン演奏としてJON(犬)、ポールダンスのメガネ&アンダーウエアがパフォーマンスを披露した。

webDICEではこの番組の模様を2回にわたり掲載する。



【前編】ホドロフスキー監督作品の魅力を語る



『エル・トポ』そして最初のホドロフスキー体験



浅井隆(以下、浅井):ホドロフスキー監督がスタジオに来る前に、過去のホドロフスキー作品についてと、ゲストの皆さんのホドロフスキーとの関わりについてお聞きしたいと思います。



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右より、ヴィヴィアン佐藤氏、久保玲子氏、滝本誠氏、浅井隆、ザ・グレート・サスケ氏



ヴィヴィアン佐藤(以下、ヴィヴィアン):『リアリティのダンス』は試写を見て泣きました!映画観て泣くことはほとんどないのだけれど、それくらい感動しました。



久保玲子(以下、久保):2003年にDVDのBOXが出たときに、パリに取材に行って、ホドロフスキー監督のアパートに行ってお話をおうかがいしました。そのときに「いくつか新作の構想があるんだ、次は西部劇を撮りたい」ということはおっしゃっていましたが、自伝を撮りたい、ということはおっしゃっていませんでした。それが今回『リアリティのダンス』として作品になったことを感動しながら拝見いたしました。



滝本誠(以下、滝本):今日は17時半くらいに渋谷に着いたのですが、DOMMUNEまでの道のりはとてつもない迷宮ですね。昨日の『BRUTUS』の取材のときにホドロフスキーさんにタロットで占ってもらったんです。その衝撃が凄まじかったので、タロットの拘束力、あるいは呪縛力が怖くて、徘徊しながらも決して目線を誰にも合わせないでここまで来ました……意味が分からないでしょうけれど、それぐらい昨日のタロット占いの呪縛が衝撃で、これだけ道に迷ったのもそのせいじゃないかという感じがします。ホドロフスキーの『エル・トポ』で自分の趣味的な準備が60年代後半にできたという流れはありますよね。



ザ・グレート・サスケ(以下、サスケ):最初にホドロフスキーの映画を観たのは高校2年生の頃で、『エル・トポ』をビデオで観て衝撃を受けましたね。昔、「宝島」という雑誌があって、映画批評のコーナーで「ジョン・レノンが熱狂した『エル・トポ』というものすごいカルトな作品がある」という記事を見て、これはすげえ!と。でも岩手・盛岡在住で、これはどうやったら観られるんだろう、東京に観に行こうかなと思っていたら、ちょうど東京だけで限定リバイバル上映されていて。東京までにはさすがに行けなかったので、間もなくVHSビデオがレンタルされて、早速観ましたよ。



実は『サンタ・サングレ』のなかで、プロレスの会場がワンシーンだけ映るところがあるのです。しかも楽屋まで。私がメキシコでよく試合をしていたアレナ・コリセオという有名な会場とその楽屋が映るので、私は勝手に「ホドロフスキーとプロレス、なにか関係あるのかな」と思い込んでいます。




宇川直宏(以下、宇川):サスケさん、同世代ですね。僕もやはり「スターログ」と「イメージフォーラム」と「宝島」で、当時町山智浩さんが編集部にいらっしゃったこともあって、ジョン・レノンがこの映画に心酔し、配給権を買って、そして日本では寺山修司さんが買いたがっていた、というお話がきちんと紹介されていましたね。



サスケ:あの記事を観て、いてもたってもいられなかったです。



▼『エル・トポ』予告編

[youtube:6Uqb4Jy0GTg]



浅井:皆さんはホドロフスキー監督の作品をどういう順番でご覧になりましたか?



ヴィヴィアン:私は『エル・トポ』『ホーリー・マウンテン』『サンタ・サングレ』の順番で観ました。最初はビデオでしたけれどね。



久保:私は『サンタ・サングレ』を1989年にリアルタイムで観て、その後にたぶん文芸坐2で『エル・トポ』『ホーリー・マウンテン』の2本立てを観た気がします。



滝本:学生の頃に『季刊フィルム』で『エル・トポ』の台本再録が掲載されていて、この台本と写真で映画を想像する、という作業をしました。この頃タイトルは『もぐら』ではなく原題の『エル・トポ』に変わったんですけれど、これに掲載されている写真とセリフで想像して楽しむという、ホドロフスキーが『ホドロフスキーのDUNE』で自ら行ったことを僕らは『エル・トポ』でやらざるを得なかった。これはビデオになるのが遅くて、『エル・トポ』をスクリーンで観たのはファンタスティック映画祭で、渋谷パンテオンの大画面で観ました。これは強烈な印象で、やっぱりイッちゃうという感じ。でも個人的には『ホーリー・マウンテン』の方が好きです。根本的なラヴ・マシーン、セックス・マシーンというか、当時のポップ・セックス・アートがぜんぶぶちこまれているので、喜びはそちらのほうが高かったですね。




季刊フィルム

『季刊フィルム』第13号(1972年12月)


浅井:『エル・トポ』が1969年、フィルムアート社の『季刊フィルム』が1972年12月1日発行と書いてあるので、『ホーリー・マウンテン』の前に台本だけが日本では出ていたということですね。



滝本:これに加えて、イエナ書店で買ったホドロフスキーのインタビュー本があって、それでホドロフスキーのしゃべっている内容が、セックスを含めてすべて本物。グルジェフとか哲学者の名前が一気に出てきて、あぁという歓喜で精神世界へ。でもこれは相当危険なんだろうなと思いました。危ないセリフが山のように当時あったので。



サスケ:私も順番通りに『エル・トポ』『ホーリー・マウンテン』『サンタ・サングレ』と残念ながらビデオ・レンタルで観ました。『エル・トポ』は1987年くらいに既にレンタルされていましたね。『ホーリー・マウンテン』もその後も間もなくされました。『サンタ・サングレ』に関しては、レーザーディスクを購入しまして、それはもう90年代に入ってからですね。93、4年くらいだったでしょうか。







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ザ・グレート・サスケ氏


浅井:僕は当時天井桟敷にいて、1974年にアムステルダムで公演をやっているときにリアルタイムで『エル・トポ』と『ホーリー・マウンテン』を観ました。そこでこれは何だ!と仲間を発見した感じでした。変わっているとはぜんぜん思わなくて。その後『サンタ・サングレ』は日本で観た記憶があります。



宇川:サスケさんは、68年生まれですか?僕らの生業は全く違いますが、あまりにも体験談が重なりすぎで(笑)。



サスケ:1969年です。



宇川:一歳、年下なんですね。でも同世代ですよね。あの当時、84年頃ですかね、日本でカルト・フィルム・ブームというのがおこったのですよ。例えばジム・シャーマンの『ロッキーホラーショー』や、ジョン・ウォーターズの『ピンク・フラミンゴ』や、デパルマの『ファントム・オブ・パラダイス』や、ハーシェル・ゴードン・ルイスの『血の祝祭日』とか、トッド・ブラウニングの『フリークス』とか、つまり全くテイストの違う、しかし熱狂的なマニアを抱える映画を纏めて、その現象をメディアはカルトと煽っていました。NYで「ミッドナイトムービー」として、オールナイト上映で受け入れられたタイトルと全く同じ文脈なんですが、当時はレンタルビデオの黎明期でもあったので、かつて観られなかった、しかもマニアックなので版権が安価だったカルト・フィルムやエクスプロイテーションムービーが、二束三文で大量ライセンスされ、ビデオリリースされまくっていたのです。言ってみれば、NYのナイトライフと後に社会現象になるカウチポテトが接続されて、お家でVHS/ベータのビデオデッキがあればカルトを堪能できる奇跡のような時代が到来したのです。そのフィルモグラフィーに当時幻だった『エル・トポ』も存在したわけです。それ以前は、さっき滝本さんがおっしゃっていたように『もぐら』というタイトルで1972年にメキシコ映画祭で1回だけ上映されていますよね。松本俊夫先生はその映画祭で初めて日本で観て仰天したと仰っていました。僕らが鑑賞可能になったのは、その後、カルト・フィルムという謎のカテゴライズを施され、ハーシェル・ゴードン・ルイスやジョン・ウォーターズと一緒に、ホドロフスキーの名が流通されたという奇妙な時代でした。更には、町山さんが編集部にいた頃の「宝島」で、カルト・フィルムのリリース情報が細かくレポートされていた時期があったんです。それで87年ににっかつが配給して、VHSもリリースされ、僕らがようやく地方に住んでいてもこの伝説のカルト・フィルムを自宅で見られる時代が来たのです。



久保:『エル・トポ』を最初に観て、マカロニ・ウエスタン好きなので、最初の砂漠に黒ずくめの男が裸の少年を馬に乗せてくるシーンで「素敵!」と思ったら、どんどん違う方向にまた行ってしまって。先に『サンタ・サングレ』を観ていたので、それをイメージしていたらまったく違う映画でした。その後『ホーリー・マウンテン』と続けて観たので、暗闇のなかでびっくりぶっとんだという感じですね。



浅井:みなさんの経験・体験を聞いていると、VHSで観ている人と映画館のスクリーンで観ている人、そして世界ではレーザーディスクで観ている人がいる。この間インタビューしたニコラス・ウィンディング・レフンは、ずっと観ることができなくて、日本から発売されたレーザーディスクを買って、ようやく観ることができたそうですが、そのレーザーディスクの情報にたどり着くのにも時間がかかったと話していました。



宇川:日本でレーザーディスク化されていますよね。それで『ホーリー・マウンテン』はそのあと2年後くらいにリリースされたんですけれど、その時期に、AVが全盛期を迎え、にっかつもロマンポルノに見切りを付けて、ロッポニカに改名したのですが、何故かそのブランドから『ホーリー・マウンテン』がビデオ化されたのを覚えています。そしてその時期、リアルタイムでホドロフスキー監督が新作を撮っているという情報が、カルチャー雑誌に溢れていました。それが『サンタ・サングレ』でした。



『ホーリー・マウンテン』



浅井:この番組に登壇する予定だった柳下毅一郎さんが、世界2大楽屋落ち/撮影バラシ映画が『ホーリー・マウンテン』と寺山修司の『田園に死す』だと言っていました。『ホーリー・マウンテン』が公開されたのが1973年。僕は1974年に天井桟敷の『疫病流行記』という作品でアムステルダムに行ったときに観たので、寺山さんはぜったい『ホーリー・マウンテン』を観ているはずです。その後で『田園に死す』が作られているので、最後にセットをバラして現実世界に戻るという設定は、インスパイアされたかもしれない。


▼『ホーリー・マウンテン』予告編

[youtube:bdXGhsAynGI]



ヴィヴィアン:川島雄三さんの『幕末太陽傳』(1957年)がバラしの元ネタだということを聞いたことがあります。川島さんは結局それをできなかったんですけれどね。



滝本:私は『エル・トポ』よりも『ホーリー・マウンテン』のほうが非常に好きですね。すごく元気が出る。



浅井:あの時代そのものの映画ですよね。ビートルズのプロデューサーだったアラン・クラインが気に入って、『エル・トポ』と次回作の『ホーリー・マウンテン』に出資したものの、金儲けができるウエスタンが作られると思っていたので、後に権利問題が紛糾したということです。



久保:最初はとにかくぜんぶ衝撃でやられるという感じで観ました。歳をとってまた観てみると、意外に丁寧にホドロフスキーがメッセージを言っているというのが分かって、とても観客に向けて優しい監督なんだなと感じました。説明がきちんとされていて、メッセージも伝えたいことが明確で、そんなに難しいことを考えなくても、とにかく委ねて、あたたかいメッセージ受け取ればいいのかなと思いました。




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久保玲子氏

浅井:多くの人はホドロフスキーの映画を難解だと感想を言う人がいますが、分かりやすすぎるくらい、分かりやすいですよね。



ヴィヴィアン:去年新作の『リアリティのダンス』を撮りましたが、この歳で新作を撮るなんて世界中の人は誰も思わないですよ。それを撮ったところがすごい。作品が全て過去のものではなくて、しかも過去のものが生き返ってくるんです。作品がひとつひとつ断面図なんです。だから、映画を作ってないときも四次元の空間のように作品が続いている。たまたま映画ができるときに、それが私たちの眼に見えるのですが、それがずっと続いている。それが過去の作品だと浮きだってくるというか、ゾンビみたいにリバイバルしてくるのです。そこがすごい。



サスケ:ホドロフスキー監督が好きなことをやっちゃったという感じですよね。ほんとはこの『ホーリー・マウンテン』こそいちばん撮りたかった作品だったんでしょうね。『エル・トポ』じゃあまだ生易しかったんだと思うんです。『ホーリー・マウンテン』で好き放題やって、誰にも文句言わせないぞって。監督は「『サンタ・サングレ』ではじめて観客のために撮った」とおっしゃっていましたものね。じゃあ『エル・トポ』と『ホーリー・マウンテン』の2作は、自分の為に撮った、自己満足だったのかと。とはいえ、全世界中のいろんな人たちに影響を与えている、そこがすごいところですよね。



浅井:監督は来日中のインタビューで「『リアリティのダンス』まで23年間なぜ作らなかったんですか」と聞かれると、「言いたいことがなかったから。やっと言いたいことができてきたので作った。言いたいことがないのに毎年作るのは職業映画監督の仕事だろう。自分は芸術家なので、言いたいことがあったときに映画を作る」と答えていました。



滝本:ジョン・ゾーンが一昨年、『ホーリー・マウンテン』の原作であるルネ・ドーマルの『類推の山』(Le Mont Analogue)を音楽化してCDで出したんですが、それも素晴らしい奇妙な出来で、まさにダンス感覚が上手に出ていて。ホドロフスキーは『類推の山』をそのままタイトルにしようと思ったけれど、それはどこかがもう既に権利を持っていたらしくて、『ホーリー・マウンテン』にしたと、昨日言っていました。



あのバラしは、『類推の山』じゃないけれど、「映画作りそのものが、最高峰へ登っていくそのプロセスだよ」という非常にオプティミスティックな素晴らしいラストだと思うんです。彼にとって映画作りが一種の高い山に登る、そのスピリチュアルなプロセスにあるという、見事なネタばらしにならないネタばらし。これほど論理的あるいは倫理的に素晴らしくラストを決めた映画はあまりなかったような気がします。



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滝本誠氏


ヴィヴィアン:ヴェルナー・ヘルツォークの『フィツラカルド』みたいに、山に船が登るじゃないですか。その表現そのものが映画論になっていて、物語とも合致している映画ですよね。



浅井:『ホーリー・マウンテン』で9人の金持ちが、「永遠の命を得るためには修行しなければいけない」と持っている金を全て燃やし、最後にセットをバラすのは、「人生のゴールを決めるな」ということを伝えているように思えたんです。彼の言葉でいえば「人生そのものが人生の目的だ」ということ。



宇川:僕とサスケさんはビデオでホドロフスキー映画を追っていると思いますが、先程の文脈からいえば、その当時ってケネス・アンガーの『マジック・ランタン・サイクル』がVHS2本組で、武邑光裕先生がバンダイでプロデュースしていた『ミッドナイト』レーベルからリリースされていました。『ホーリー・マウンテン』がビデオ化されたのは確かその2年後なんですよ。そのレーベルからはルイスやウォーターズの初期作品は勿論、『バロウズ』や、ノイバウテンのメンバーF・M・アインハイトや、ジェネシスPオリッジが出演した『デコーダー』や、グルジェフの自伝を描いた『注目すべき人々との出会い』も同時期にリリースされていましたね。そういう現行のカルト・フィルムが毎月リリースされていたという、気が狂った時代だったわけですよ。そのようにかつてならば、滅多にお目にかかれなかった幻の映画が雪崩のように押し寄せて来たので、コンテクストを把握した上で、お家で鑑賞できるようになった時代の一本に『ホーリー・マウンテン』は存在しました。なので、僕はむしろ『ホーリー・マウンテン』のそのポップさに圧倒されました。僕自身19~20歳だったのでポップ・アートやシュルレアリズムも文脈として理解し、オカルティックで魔術的な世界観も把握した上でこの作品を観たので、本当に細胞が異形の分裂を遂げるような衝撃を受けてしまい、その後こんな大人に成長してしまいました(笑)。つまりこの映画を観たからこそ僕は現在のような活動をしているのかもしれない。サスケさんもそうですか。



サスケ:『エル・トポ』ってちょっと思い出で残しておきたい、という感じなんですけれど、『ホーリー・マウンテン』は何回も観て、深く深く学びたい作品ですよね。



宇川:また当時のリリース状況の話しになりますが、『田園に死す』のほうがVHSでは先に東宝からリリースされていました。そっちの方を先に観てしまっていたので「えっこれって……そういうことなのね」って影響関係を勘ぐってしまった(笑)。だから寺山さんは当時『エル・トポ』の権利を買いたがり、『ホーリー・マウンテン』の翌年にあの映画を制作したのかー、と納得しましたね。要はホドロフスキー・フォロワーなのだ、と。もちろんぜったい観てる。




浅井:天井桟敷の訓練では、スタッフもキャストも合宿で火吹きを訓練したり、生き埋めになって何時間耐えられるか試したり、それが自分の日常だった。『エル・トポ』や『ホーリー・マウンテン』を観て、世界には自分たちと同じような日常があるんだと思った。そういう意味では今の「有限会社アップリンク」というほうがよっぽど居心地が悪い。



ヴィヴィアン:じゃあ埋めておきましょうか(笑)。



浅井:ホドロフスキーも、異形のものやモンスターが好きなんだけれど、いちばん怖いものはなんだと思いますか?



宇川:嫉妬心?



浅井:今回インタビューの通訳をしている比嘉さんが教えてくれたんだけれど、普通なものがいちばん怖いんだそうです。DOMMUNEはラビリンスにあるから、ホドロフスキーにとってはまったく怖くない世界だと思います。



宇川:そうでしょうね。だってオウム真理教の青山道場がここから歩いて30メートルくらいのところにありますから。村井が刺された場所です。なのでDOMMUNEのスタジオは様々な意味でホーリー・スポットなんですよ(笑)。



『ホドロフスキーのDUNE』『サンタ・サングレ』



▼『ホドロフスキーのDUNE』予告編

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サスケ:『ホドロフスキーのDUNE』についてですが、こういったご本人ドキュメント&関係者インタビューという構成の作品はここ数年流行っていますよね。『アンヴィル!夢を諦めきれない男たち』とか『シュガーマン:奇跡に愛された男』の系統にも位置する作品だなと思います。だからここでホドロフスキー監督に興味のなかった方々も、ぜひホドロフスキー・ファンになってもらいたい、そういう間口を広げてくれた作品だと思います。



滝本:『DUNE』については、デヴィット・リンチの『デューン/砂の惑星』が1984年に発表されて、その紹介のなかで、今まで頓挫したいくつかの企画のひとつとして知りました。リンチが作るよりも前に、リドリー・スコットが近親相姦にテーマを作ろうとしたのを原作者のフランク・ハーバードが怒ったらしいんですけれど、その方が面白いな、とか。でもいちばん圧倒的にすごかったのがホドロフスキーの『DUNE』で、情報が錯綜して入ってきていて、この映画で語られていることに加えて、ピンク・フロイド、ヘンリー・カウ、それからもうひとりミュージシャン、タンジェリン・ドリームかな、惑星ごとにプログレッシヴ・ロックのバンドが音楽を担当するという、本当か分からないですけれど、当時の紙情報で持っているなかではそういう企画だったんですよね。



すごく感動したのは、最後に、惑星がいわゆるフィロソフィー・ストーン、哲学者の石に全体が変わるという、めちゃくちゃ壮大なのがあって。70年代のミュージシャンはキング・クリムゾンを含めてアルケミーに凝っていたので、いちばん最後のあのシーンでクリムゾンの「スターレス」でも演ってくれるといいかなとか。これは完全に、自分のネタを元に頭のなかで映画を作るということをしていて。こっちも観てない映画のほうが想像力が高まって面白いものになっていく。そういうネタ元としてはこのホドロフスキーの『DUNE』をどう自分だったら構成していくかという喜びはありました。



久保:予告にも出てくる豪華なストーリーボードをお宅で見せていただきながら、ドキュメンタリーのなかでも語っているように「これをぜんぶハリウッドに取られちゃったんだよ」というお話を伺ったんです。けれどそのときは、若い監督が現れて、この『ホドロフスキーのDUNE』を撮ったがうえに新作まで撮れることになった、そんな話はしていませんでした。いくつか脚本はある、と言っていたけれど、それはどれも実現しなかったようです。『リアリティのダンス』はフランスが製作国として作られていて、しかもホドロフスキーはフランスでコミック作家としてとても有名です。でも映画がなかなか作れないという状況は苦しいとその時も言っていたので、『ホドロフスキーのDUNE』ができたことで新作が撮れて、また次の作品の準備にも入っている、と聞いて、ほんとうに奇跡的に良かったと思いました。



ヴィヴィアン:ホドロフスキーが後半に語りだしたときにカメラのピントが一瞬ブレる、監督がその場でビビるその瞬間です。「ホドロフスキーの『DUNE』はこの世には存在しない、けれども、多大な影響を与えた」と言い放つすばらしいシーンなど、予告編ではすべて面白いところが全部使われておりますね。例えば、建築といっても非建築、建物を作らないでいかに建築を作るかみたいなことのように、作品というものはこの世には存在しないものを代弁するのですが、作品があると逆に作品そのものしか見なくなってしまう。その背後にあるものがこの映画によって炙りだされて、すごく良かったと思います。ダリのエピソードもほんとうに面白いじゃないですか。要するに『DUNE』が作られても作られなくても、私たちにとっては「夢」であることには変わりません。しかし映画に映っているホドロフスキーのストラグル、努力は現実ですから、そこに感動しますよね。この映画によってほんとうにいろいろなところを知ることができて良かったです。





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ヴィヴィアン佐藤氏

浅井:1975年はホドロフスキーが46歳、プロデューサーのミシェル・セドゥーがなんと28歳。28歳のセドゥーがあの大きな絵コンテを持ってハリウッドのスタジオにプレゼンしに行ったことを想像すると、ハリウッドのベテランのプロデューサーも簡単には話を信じないだろうと思います。



滝本:世界で9冊とか10冊と言われているあのストーリーボード、日本で誰かが買ったという噂があるのは、どこにあるか分かったんですか?



浅井:『ホドロフスキーのDUNE』のフランク・パヴィッチ監督が、eBayで落札された記録があって、そのハンドル名から日本じゃないかと推察していて、公式サイトでも告知して探しているんです。ホドロフスキーの家には1冊、それからミシェル・セドゥーがもう1冊持っているだろうと言っていました。




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映画『ホドロフスキーのDUNE』より、ストーリーボードを前に語るホドロフスキー監督



滝本:特装版で出せばけっこう売れると思うんですけどね。



浅井:ドイツの出版社タッシェンがトライしてサンプル版まで作ったけれど、メビウスが亡くなって彼の奥さんがいま版権を守っている理由で、企画は実現しなかったようです。



ヴィヴィアン:そういう作家のノートが印刷されている例でいえば、デュシャンの『エタン・ドネ』というほんとうの未完の遺作があって、それがドローイングや写真を貼付けてあるノートの革張りまで印刷して主パンしているのです。そういう風に発表されたら面白いでしょうね。



サスケ:権利をクリアして、復刻版を出てほしいですよね。



浅井:フランク・パヴィッチに「これがもし今、ハリウッドで作られていたらどう思う?と聞いたところ、「たぶん作られないだろう」という答えでした。この映画を観てもらえれば分かる通り、ストーリーボードのいいところをほとんどハリウッド映画や他の映画監督が取ってしまったので、いまホドロフスキーの『DUNE』ができたとしても、現実にはそれほど目新しいものにならない。でもホドロフスキーは「アニメーションでもいいから作ってくれればいい」と言っているので、チャレンジする人がいれば面白いと思います。



サスケ:上映時間20時間だ!って言っていましたものね。でも今考えると、これだけテレビ・ドラマが流行っているから、テレビ・シリーズでやればいいじゃないかと思うんですよね。



▼『サンタ・サングレ』予告編

[youtube:PQ3x6YgsacY]

滝本:『サンタ・サングレ』の1989年の日本公開時にお会いしたんです。記憶のなかではホドロフスキーは日本語しゃべっていた気がするんですよね。だからよく分からなくなっている。これ明らかに俺だと思うんだけれど、『キャッチアップ』(TBSの情報番組)で取材の前日に収録した映像だと思うんですよね。




▼ホドロフスキー監督1989年来日時の映像

[youtube:EHJ7Y_avkig]

『リアリティのダンス』



ヴィヴィアン:『リアリティのダンス』については、冒頭にも言ったのですが、監督の自伝的な映画になっていますよね。私はチリに行ったこともないですし、監督と歳もぜんぜん違いますが、久々に映画を観て泣きました。私は感情移入という見方をしないので、普段映画を観て泣いたりはしません。だけども号泣してしまったのです。なぜ号泣したかというと、自分の人生のなかで、自分自身がいちばんの「謎」なのです。なぜこういう人生を送っているのか、なぜこういう生き方をしてしまったのかということ。ずっとその「謎」が解けずに続いているのですが、『リアリティのダンス』を観たら、それで良かったんだ、と救済される感じがしたのです。すごく癒やされました。





▼『リアリティのダンス』予告編

[youtube:N4A73GpgPRs]

久保:2003年にパリに取材に行ったときに監督が「僕はチリのことはぜんぶ捨ててメキシコに行ってパリに行った。親も両親にも兄弟にもチリを出てから一切会っていない、決裂したまんまなんだ。今もコンタクトを取らない」とおっしゃっていたんです。息子さんはとても仲がいいんだけれど、自分の親、それから自分の昔の過去はぜんぶ捨ててきたから、今は生まれ変わっていると。そこから10年の間に、家族の話を撮るように監督も変わった。「60年代、70年代の映画の頃、俺はとても鬼畜だった。映画が全てだったから映画の為には動物も殺すし、『エル・トポ』のうさぎもみんな自分で殺しているんだよ」みたいなことをガンガンおっしゃっていたんです。でも今はとても優しくなって「そんなことは全然ないんだよ、丸くなったんだから」とにこやかに話していたんだけれど、自分の家族のことに戻って、家族が再会するところで終える映画を撮るように監督が変わったんだなということを、お会いしたら聞いてみたいなと思っています。



滝本:これは基本的に彼のセラピー、サイコマジックを自分に適用したという、そういう意味では非常に分かりやすい映画です。あと、4、5本と予定はあるにしても、もしかしたら映画作りが閉じるかもしれないという予感はあって、最後にきれいに終わるんです。物質的なものからスピリチュアルなものへの移行がきれいに円環を閉じる。しかもアヴァロンの伝説じゃないけれど、船で出ていくというのも含めて、とりあえずこれで彼はいったん自分の両親との関連性をきれいにしてセラピーを終えたという気がするんです。だから、この次が楽しみです。



浅井:監督はこの作品で終わるつもりはなくて、インタビューによって数は変わるのですが、「あと5本撮りたいものがある」と聞きました。




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映画『リアリティのダンス』より


サスケ:この『リアリティのダンス』は父の視点から、それから母の視点から、そして子どもの視点から、と3つの方向から観ることができると思うんです。だから、ほんとうにいろんな方々に観ていただきたいです。子どもには観せられないシーンがあるので、大人以上の方々、そこからさらに幅広い世代の方に観てもらいたいです。



浅井:子どもに見せられないシーンというのは?



サスケ:小便でラジオをショートさせたり、海岸で「シコろうぜ!」というシーンがあるじゃないですか。大人的には麻痺してるけれど、やっぱりちょっと小中学生には刺激が強いシーンが多いと思いますでもその一方で、ホドロフスキーイズムは死んでいなくて、ヴィヴィアンさんがおっしゃっていたように、23年間撮ってなかったんじゃなかったんだと。そのホドロフスキー精神は生きていたんだというのを証明するかごとく、キリストの像がピストルの流れ弾で破壊されるシーンや、戦争で手足を失った方々をあしげにするシーンなど〈らしさ〉全開ですので、往年のファンの方々も観てもらいたいです。



浅井:現在発売されているホドロフスキーのDVD BOXやブルーレイを観ていたら、ボカシが入っている。『リアリティのダンス』で映倫審査をしたのですが、映倫的には拷問や放尿の時に性器が見えるのは映倫の規定外で、審査をできないと言われました。R18+になっていいからと言っても審査してくれない。セックスシーンとかでなくわいせつ性を全然感じないのですが。結局それらのシーンにはぼかしを入れてR15になっています。むしろ、この映画は子どもの視点から世界を見ているので、僕が親だったら子どもと一緒に観にいきますね。






サスケ:だって家でお父さんがフルチンでぶらぶらするのと一緒な感じですよね。「私は自分の子どもにどうしてあげたんだろう?」とか、子どもの立場から観ると「お父さんのことを恨んでいたけれど、今思うとこうだよな」ということを感じながらぜひ観てもらいたいです。



ヴィヴィアン:今回直接的な映倫がひっかかるようなシーンはないですよね。



宇川:武智鉄二の『白日夢』みたいに島借りて上映会やるというのはいいじゃないですか。



浅井:昔『愛のコリーダ』は船を借りて、公海で上映をやったというのを覚えています。でもこの作品はみんな期待するようなものがぼかしの向こうに隠されているわけではないので、ボカシは悲しいですね。



宇川:海外にいけば観られるという話ですよね。



ヴィヴィアン:日常ですよ、特殊な殺人シーンなどではないですから



サスケ:いま性器描写もゆるくなりましたよね。だってちょっと前のマイケル・ファスベンダーの『SHAME -シェイム-』もおもいっきり出ていましたよね。



浅井:映倫の方と話していたら、安倍政権になったのと、東京オリンピックの影響で、ちょっと厳しくなるんじゃないかなと、あまり僕らにとっては嬉しくない、時代が逆行していくのではという話をしました。



ヴィヴィアン:浅井さんは映画の配給をされていますからそう感じてしまうのだと思いますが、私には逆に時代錯誤すぎて映倫の基準は面白く思えます。ある意味文化ですよ。ほほえましいというか。私たちは観客だから、そんなことを言っていられるのかもしれませんが。



浅井:ボカシの問題はなんとかしたいです。ホドロフスキー監督にはまだ映倫審査の結果ボカシをした事を言ってないんですよね。。





ホドロフスキー監督がDOMMUNEスタジオに登場、『ホドロフスキーのDOMMUNE』レポート【後編】に続く




(構成:駒井憲嗣 写真:西岡浩記

2014年4月23日東京・DOMMUNEスタジオにて)












『ホドロフスキーのDUNE』メイン

『ホドロフスキーのDUNE』より



『ホドロフスキーのDUNE』

2014年6月14日(土)新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町、渋谷アップリンクほか、全国順次公開



1975年にホドロフスキーによって企画されるも、撮影を前に頓挫したSF大作、ホドロフスキーの『DUNE』。「映画化不可能」と言われた小説、フランク・ハーバートの「DUNE」を原作に、そうそうたる面子をキャスト・スタッフに配し、莫大な予算と、12時間にも及ぶ上映時間を予定していたというその企画は“映画史上最も有名な実現しなかった映画”と言われ、伝説となっている。本作は、ホドロフスキー版『DUNE』の顛末と、ホドロフスキー、プロデューサーのミシェル・セドゥー、ギーガー、『ドライヴ』のニコラス・ウィンディング・レフン監督等のインタビュー、膨大なデザイン画や絵コンテなどの資料で綴る、驚愕、爆笑、感涙のドキュメンタリーである。



監督:フランク・パヴィッチ

出演:アレハンドロ・ホドロフスキー、ミシェル・セドゥー、H.R.ギーガー、クリス・フォス、ニコラス・ウィンディング・レフン

(2013年/アメリカ/90分/英語・フランス語・ドイツ語・スペイン語/カラー/16:9/DCP)

配給:アップリンク/パルコ

公式サイト:http://www.uplink.co.jp/dune/













『リアリティのダンス』メイン写真

『リアリティのダンス』より


『リアリティのダンス』

2014年7月12日(土)新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町、渋谷アップリンクほか、全国順次公開



1920年代、軍事政権下のチリ、トコピージャ。幼少のアレハンドロ・ホドロフスキーは、権威的な父と、そして息子を自身の父の生まれ変わりと信じるオペラ歌手の母と暮らしていた。ロシア系ユダヤ人であるアレハンドロは学校でも「みんなと違う」といじめられ、世界と自分のはざまで苦しんでいた……。青い空と黒い砂浜、サーカスに空から降ってくる魚の群れ、青い服に赤い靴。映画の中で家族を再生させ、自身の少年時代と家族への思いを、チリの鮮やかな景色の中で、現実と空想を瑞々しく交差させファンタスティックに描く。



監督・脚本:アレハンドロ・ホドロフスキー

出演:ブロンティス・ホドロフスキー、パメラ・フローレス、クリストバル・ホドロフスキー、アダン・ホドロフスキー

音楽:アダン・ホドロフスキー

原作:アレハンドロ・ホドロフスキー『リアリティのダンス』(文遊社)

原題:La Danza de la Realidad(The Dance Of Reality)

(2013年/チリ・フランス/130分/スペイン語/カラー/1:1.85/DCP)

配給:アップリンク/パルコ

公式サイト:http://www.uplink.co.jp/dance/

(c) "LE SOLEIL FILMS" CHILE・"CAMERA ONE" FRANCE 2013

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亡くなったH.R.ギーガーが語る未完のSF大作『DUNE』製作の顛末 http://www.webdice.jp/dice/detail/4209/ Sat, 17 May 2014 14:54:11 +0100
映画『ホドロフスキーのDUNE』より、H.R.ギーガー


5月12日、映画『エイリアン』のクリエイターとして知られるスイス人のデザイナー/イラストレーター、H.R.ギーガーが74歳で亡くなった。現地時間4月26日にスイスの自宅の階段から転落、病院に運ばれていた。



ギーガーは1940年生まれ。1973年にジャケットを手掛けたエマーソン・レイク&パーマーの『恐怖の頭脳改革』が世界的にヒット。続いて1975年、35歳のときに、アレハンドロ・ホドロフスキー監督(当時46歳)が着手したSF映画『DUNE』に参加するも製作が頓挫。その後、リドリー・スコット監督の『エイリアン』(1979年)でクリーチャーのデザインを手がけ、第52回アカデミー賞の視覚効果賞を受賞した。




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ギーガーによるエマーソン・レイク&パーマーの『恐怖の頭脳改革』ジャケット


6月14日(土)から日本で公開されるドキュメンタリー『ホドロフスキーのDUNE』では、ギーガー本人がインタビューに答え、サルバドール・ダリを介して彼のことを知ったホドロフスキー監督が『DUNE』参加を持ちかけた経緯や、ホドロフスキー監督とのコラボレーションの様子を語っている。




▼映画『ホドロフスキーのDUNE』H.R.ギーガー出演シーン


[youtube:Rl29ufPEq3Y]


「持っているすべてを注ぎ込んで、

ハルコンネン家の世界を夢中で創り上げた」

──ギーガー




「ホドロフスキーとダン・オバノンは、パリで私の作品が展示されているのを見た。そして『映画を一緒にやりたい』と連絡してきた。映画の仕事は全く初めてで、胸が躍る思いだった」

──ギーガー




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映画『ホドロフスキーのDUNE』より






「ホドロフスキーとは、パリで初めて会った。マグマのコンサートに彼が行った夜のことだった。この映画のために描かれた絵を受け取った。絵コンテを描いたメビウスから渡されたんだ。ハルコンネン城の絵だ。私はハルコンネン家の世界を夢中で創り上げた。エアブラシを使って、5枚のデザイン画を描いていった。自分が持っているすべてを注ぎ込んでね。ハルコンネンの要塞は、攻撃を受けると、槍が出てきて敵を刺し殺す。城に向かう歩道にいる者は皆殺しにされる。この要塞は原作には存在しない。これはホドロフスキ―が自分の解釈に基づいて創り出した。そこから新たな世界が生まれたんだ」

──ギーガー




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映画『ホドロフスキーのDUNE』より、ギーガーによるハルコネン男爵の城デザイン画


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映画『ホドロフスキーのDUNE』より、ギーガーによるハルコネン男爵の城デザイン画




「ギーガーに『君の作品は邪悪な芸術だ』と言った」

──ホドロフスキー



「ダリはギーガーの作品集を見せてくれた。そして言った『彼には才能がある』。それを見て驚いた。悪役のハルコンネンのイメージ通りだったからだ。ゴシック風の惑星と人物たち。そして私はギーガーを捜しに行った。彼は映画の経験はなかった。『やるべきだ』と私は言った。『そのままの君が必要だ。君は魂の奥底に潜む深い闇を探求している。それが君が創る芸術だ。君の作品は邪悪な芸術だ。ハルコンネン男爵に必要な病んだ芸術だ』。

城はハルコンネンの巨大な彫刻だった。そこに男爵は住んでいるんだ。自分の大きなエゴの中にね。城が口を開けて舌を出すと宇宙船が舌の奥に入り、飲み込まれる。城に行くには、歩道を通る必要があった。巨大な歩道で、槍が出てくる仕組みだ。ハルコンネン男爵の城に行くにはこの道を通るしかない。大きな槍が刺すのを避けながらね」

──ホドロフスキー



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映画『ホドロフスキーのDUNE』より、ギーガーによるハルコネン男爵の城デザイン画




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映画『ホドロフスキーのDUNE』より、ギーガーによるハルコネン男爵の城への道





「その後、ギーガーはエイリアンをデザインした。推薦したのはダン・オバノンだった。彼の原案と脚本だ。『エイリアン』にはメビウスやギーガー、クリス・フォスも携わった。ハリウッドは私の仲間を起用し始めた。本当に素晴らしいことだ」

──ホドロフスキー




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映画『ホドロフスキーのDUNE』より、特撮監督を担当する予定だったダン・オバノン(左)とギーガー(右)



(発言は映画『ホドロフスキーのDUNE』より)












『ホドロフスキーのDUNE』

2014年6月14日(土)新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町、渋谷アップリンクほか、全国順次公開



1975年にホドロフスキーによって企画されるも、撮影を前に頓挫したSF大作、ホドロフスキーの『DUNE』。「映画化不可能」と言われた小説、フランク・ハーバートの「DUNE」を原作に、そうそうたる面子をキャスト・スタッフに配し、莫大な予算と、12時間にも及ぶ上映時間を予定していたというその企画は“映画史上最も有名な実現しなかった映画”と言われ、伝説となっている。本作は、ホドロフスキー版『DUNE』の顛末と、ホドロフスキー、プロデューサーのミシェル・セドゥー、ギーガー、『ドライヴ』のニコラス・ウィンディング・レフン監督等のインタビュー、膨大なデザイン画や絵コンテなどの資料で綴る、驚愕、爆笑、感涙のドキュメンタリーである。



監督:フランク・パヴィッチ

出演:アレハンドロ・ホドロフスキー、ミシェル・セドゥー、H.R.ギーガー、クリス・フォス、ニコラス・ウィンディング・レフン

(2013年/アメリカ/90分/英語・フランス語・ドイツ語・スペイン語/カラー/16:9/DCP)

配給:アップリンク/パルコ

公式サイト:http://www.uplink.co.jp/dune/



『ホドロフスキーのDUNE』メイン

『ホドロフスキーのDUNE』より



▼『ホドロフスキーのDUNE』予告編

[youtube:r-cnFoqfJfI]









『リアリティのダンス』

2014年7月12日(土)新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町、渋谷アップリンクほか、全国順次公開



1920年代、軍事政権下のチリ、トコピージャ。幼少のアレハンドロ・ホドロフスキーは、権威的な父と、そして息子を自身の父の生まれ変わりと信じるオペラ歌手の母と暮らしていた。ロシア系ユダヤ人であるアレハンドロは学校でも「みんなと違う」といじめられ、世界と自分のはざまで苦しんでいた……。青い空と黒い砂浜、サーカスに空から降ってくる魚の群れ、青い服に赤い靴。映画の中で家族を再生させ、自身の少年時代と家族への思いを、チリの鮮やかな景色の中で、現実と空想を瑞々しく交差させファンタスティックに描く。



監督・脚本:アレハンドロ・ホドロフスキー

出演:ブロンティス・ホドロフスキー、パメラ・フローレス、クリストバル・ホドロフスキー、アダン・ホドロフスキー

音楽:アダン・ホドロフスキー

原作:アレハンドロ・ホドロフスキー『リアリティのダンス』(文遊社)

原題:La Danza de la Realidad(The Dance Of Reality)

(2013年/チリ・フランス/130分/スペイン語/カラー/1:1.85/DCP)

配給:アップリンク/パルコ

公式サイト:http://www.uplink.co.jp/dance/

(c) "LE SOLEIL FILMS" CHILE・"CAMERA ONE" FRANCE 2013



『リアリティのダンス』メイン写真

『リアリティのダンス』より


▼『リアリティのダンス』予告編

[youtube:N4A73GpgPRs]


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「100人坐禅」ホドロフスキー監督による説法、全文掲載 http://www.webdice.jp/dice/detail/4185/ Thu, 01 May 2014 14:31:27 +0100

2014年7月12日(土)より公開される、『リアリティのダンス』のプロモーションの為、来日したアレハンドロ・ホドロフスキー監督が4月26日(土)、東京・世田谷区の龍雲寺で、1,000人近い応募の中からで選ばれた100人と坐禅会を行った。



はじめに龍雲寺の住職、細川晋輔氏によって「坐禅とは、何かを得る為のものではなく、何かを捨てる為のもの。人生を文章に例えたならば句読点のようなもの」という坐禅の説明があり、その後ホドロフスキー監督による説法に続き、15分間の坐禅が行われた。



webDICEでは、メキシコで高田慧穣という日本人禅僧に5年間師事したホドロフスキー監督による説法の全文を掲載する。



ホドロフスキー監督と100人坐禅大会

東京・世田谷区、龍雲寺












 皆さんこんにちは。



 今、私はこの本堂で皆さんにこれからするお話が、どのようなものになるのかわかりません。なぜなら私は師ではないからです。唯一、私を師だと言えるのは、私自身だけであるということです。ですから実は今私は、とても恐怖を感じています。



ホドロフスキー監督と100人坐禅大会





 私はメキシコで、高田慧穣という禅の師に5年間師事しました。彼は私の人生の中で出会った最も誠実な5人のうちの1人でした。彼は日本から1ドル札だけを持って2,000万人の人口を持つメキシコシティにやって来たのです。当時、彼はなにも持っていませんでしたが、確信を持っていました。



 メキシコで、精神分析医のエーリヒ・フロムが、偶然道で高田先生をみつけました。高田先生はひとつの小さな箱をもっていました。そこには服が入っていました。一着は夏服、一着は冬服です。彼は二着しか洋服を持っていなかったのです。そしてフロムの弟子の医者たちに迎えられて、メキシコで暮らし始めました。彼らはそこでいつも、坐禅を組んでいました。



 ある日、フロムの弟子たちの一人が瞑想するために、麻薬を使っていたことがわかりました。高田先生は、それを知ると怒ってみんなを追放しました。彼はそのことによって家を失くしましたが、私はメキシコに小さな家を持っていたので、瞑想ができるよう、その家を高田先生に貸しました。その後、高田先生にはたくさんの弟子ができ、弟子たちが彼に住む場所を提供し、彼はそこを転々としました。なにを食べていたかというと、市場でみんなが捨てるものを食べていました。彼は、一度もお金を持ったことがありませんでした。




ホドロフスキー監督と100人坐禅大会





 彼はメキシコの田舎で、メキシコ人たちに大豆の植え方を教えました。そして大豆から300もの製品を作れるよう指導しました。草で草履を作れるように教えました。そして、とても貧乏だったメキシコ人を豊かにした伝説の人になりました。



 彼が死ぬ前に唯一希望したことは、メキシコに仏教徒の地をつくることでした。でもその願いはかなえられませんでした。



 私は彼と会って人生が変わりました。『エル・トポ』には彼の影響が大きく表れています。ここにこうしていると、彼のことを思い出します。



 彼は一度私に、禅の師の話をしてくれました。禅の師というのは、説法をしなくてはなりません。ある日、説法の前に一羽の小鳥が鳴きました。そして彼は、そのまま黙って小鳥の歌声を聞いていました。そして小鳥が鳴くのをやめると「これが私の説法だ」と言って立ち去りました。





ホドロフスキー監督と100人坐禅大会




 今日ここに小鳥の歌声は聞こえてきません。もし歌ってくれれば私はここから立ち去れるのに、と思います。ですから私が歌わなければならないのだと思います。高田先生にこの話を聞いたとき、これはいったいどういう意味なのだろうと考えました。小鳥はなにも言いません。自然に歌っただけです。ですから私も歌います。今、私は歌っています。今、私が歌えるように歌っています。皆さんはどのように歌うのでしょうか。



 まず、言葉の黒い雲が風によって流れていって、その中の静寂の中で皆さんは歌うのです。言葉の中には知性があります。私の思考の中に言葉が浮かばない時は、私の精神は歌っているのだと言えます。私の心に否定的な感情がない時、私の心は歌っています。私に性的な欲望がない時、私の性は歌っています。私の肉体に不必要な動きがない時、私の肉体は歌っています。私は思考であり、心であり、性であり、肉体であり、カルマです。魂も歌います。自由な時に。名前がない時、年齢がない時、国籍がない時、定義がない時に。これが私の魂が語る小鳥の歌です。




ホドロフスキー監督と100人坐禅大会






 私の思考は、もっと知りたいと思っています。なぜなら全ては常に変化しているからです。私の心は、もっとなにかに属したいと思っています。現実と共につながりたいと心は思っています。そして私の性的活力は、もっと創造したいと思っています。創るということは与えるということです。私の肉体はもっと生きたいと思っています。



 小鳥が歌う歌の美しさや楽しさは、皆さんを良い気持ちにします。そしてその小鳥が木にいると、そこに木があるということがわかります。もしそこに木がなければどこにも木はありません。皆さんがここにいるとき、皆さんの完璧な全体はここに存在するのです。今、皆さんはどこでもない、ここにいます。ですからここにはむき出しの感性と思考があります。そしてなにも批判しない心があります。創造的な芽があります。そして、無駄なことをしない肉体があります。私たちの中で最も無駄なことは期待と恐怖です。今持っていないものを欲しいと思う時、今持っているものを失いたくないと恐怖します。ここに座って、希望も恐怖も持たなければ、皆さんは良い気持ちでいられるのです。




ホドロフスキー監督と100人坐禅大会




ホドロフスキー監督と100人坐禅大会




 今日、神とはなんでしょう。それはお金です。エホバやキリストやマホメットや、神というのはいろんな名前をもっています。お金もそうです。ドルや円やペソや、たくさんの名前をもっています。でも、みな同じです。それが私たちの社会で生き残るために必要なものなのです。今、お金は私たちの科学技術が支える社会の中で生き残るためのものです。でも幸せというものは、小鳥が歌う幸せは、お金でも科学技術でもありません。そして現在は、お金も科学技術もなければ幸せもないのです。



 人生は一本の川のようなものです。何の希望も、恐れも持たず、その川に飛び込むということです。お金を稼ぐために働くこと。でもお金を稼ぐのは物を持つためではありません。稼いだお金は、皆さんの魂をよりよくするためのものです。ですから、生きるのに必要なだけ稼げばいいのです。それで十分なのです。そうすれば皆さんの恐れはとても少なくなると思います。そして、必要なものだけを持っているということで、期待を抱かなくても済むようになります。



ホドロフスキー監督と100人坐禅大会





 そして、お金というものは分かち合うものだということがわかります。もし私がお金を持っていて、あなたが持っていないのなら私も持っていないということです。私が食べているものも、分かち合わなければ、それは食べていないのと等しいのです。私が自分の中に閉じこもっていると、それは私は生きているとは言えないのです。ですから、外に向かって開かなければなりません。そして、愛で結びつく人を探さねばなりません。私個人の人生の目標は、普遍的な人生そのものの目標と同じであるべきなのです。もし全ての人たちがみんな自分の殻の中に閉じこもってしまえば、それは、自分たちが住む地球を破壊していることと同じことです。ひとつの名前の中に閉じ込めたり、年齢の中に閉じ込めたり、国籍の中に閉じ込めたり、古くて間違っている偏見や考えの中に自分を閉じ込めてしまうこと。それは地球を破壊することです。




 今日、ここで私が話せる事はこれが全てです。私は師ではありません。もし師であれば、腕もなく、皆さんと今こうしてここにいないでしょう。なぜかというと、達磨大師の最初の弟子は、達磨大師の元に入門するために腕を落としました。彼は片腕だけで坐禅を組んで、悟りを開いたのです。私も常に両腕両脚を落としたらどうなるか考え続けています。もし頭を落としたら、私の顔は笑ったまま落ちるでしょう。私にとって禅とはそういうものです。



 どうもありがとうございました。





ホドロフスキー監督と100人坐禅大会

ホドロフスキー監督と妻のパスカル・モンタンドン=ホドロフスキー














写真:西岡浩記、菊池茂夫

2014年4月26日(土)東京・世田谷区、龍雲寺













『リアリティのダンス』

2014年7月12日(土)新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町、渋谷アップリンクほか、全国順次公開



監督・脚本:アレハンドロ・ホドロフスキー

出演:ブロンティス・ホドロフスキー、パメラ・フローレス、クリストバル・ホドロフスキー、アダン・ホドロフスキー

音楽:アダン・ホドロフスキー

原作:アレハンドロ・ホドロフスキー『リアリティのダンス』(文遊社)

原題:La Danza de la Realidad(The Dance Of Reality)

(2013年/チリ・フランス/130分/スペイン語/カラー/1:1.85/DCP)

配給:アップリンク/パルコ

公式サイト:http://www.uplink.co.jp/dance/

(c) "LE SOLEIL FILMS" CHILE・"CAMERA ONE" FRANCE 2013



『リアリティのダンス』メイン写真

『リアリティのダンス』より













『ホドロフスキーのDUNE』

2014年6月14日(土)新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町、渋谷アップリンクほか、全国順次公開



監督:フランク・パヴィッチ

出演:アレハンドロ・ホドロフスキー、ミシェル・セドゥー、H.R.ギーガー、クリス・フォス、ニコラス・ウィンディング・レフン

(2013年/アメリカ/90分/英語・フランス語・ドイツ語・スペイン語/カラー/16:9/DCP)

配給:アップリンク/パルコ

公式サイト:http://www.uplink.co.jp/dune/



『ホドロフスキーのDUNE』メイン

『ホドロフスキーのDUNE』より



▼『ホドロフスキーのDUNE』予告編


[youtube:r-cnFoqfJfI]

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ホドロフスキー監督25年ぶりの来日中!新作『リアリティのダンス』と「人間タロット」で観客を癒やした! http://www.webdice.jp/dice/detail/4178/ Wed, 23 Apr 2014 17:24:14 +0100
写真:西岡浩記


2014年7月12日(土)より、新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町、渋谷アップリンクほか、全国順次公開されるアレハンドロ・ホドロフスキー監督の新作『リアリティのダンス』のプレミア上映イベントが、東京・新橋のヤクルトホールにて行われた。1990年の『The Rainbow Thief』(日本未公開)以来23年ぶりとなるホドロフスキーの新作とあって、500席となる会場のチケットは販売開始後、すぐにソールドアウト。小雨降りしきる中、大勢の熱狂的なファンが会場を訪れた。



上映後、全身白でコーディネートしたホドロフスキーが颯爽と現れると、場内には割れんばかりの拍手と歓声が飛んだ。ホドロフスキー監督は「私は観客の感動を呼ぶためでなく、一人一人がそれぞれの方法で反応してくれればいいと思って映画を作ってきました。ですが、今日この『リアリティのダンス』にみなさんがとてもよろこんでくれたことはまるで奇跡のようなことです」と感謝の言葉を述べた。





息子の中の、父を憎むという得難い経験をした



『リアリティのダンス』は、「家族の再生」と「魂の癒し」をテーマに、ホドロフスキー監督の故郷チリを舞台に、少年アレハンドロと彼の家族をめぐる関係、そして彼がどのように世界と対峙していくかを現実と空想を交錯させ描いている。監督の息子であるブロンティス・ホドロフスキーが少年の父役を演じるほか、アダンやクリストバルといったホドロフスキーの息子たちが出演し、妻のパスカルも衣装デザインとして参加している。監督は自分の息子に父親役を演じさせたことを「不思議なことでした。わたしは自分の父親を思い、いたたまれない気持ちになりました。息子の中の、父を憎むという得難い経験をしたのです」と、この撮影自体がホドロフスキー一家の再生と癒しの物語であることを強調した。



『リアリティのダンス』プレミア上映イベント:4月22日(火)ヤクルトホール


来日中のアレハンドロ・ホドロフスキー監督



また、現代社会全体の問題である「人は家族にどう向きあっていけばいいか」という質問に対して監督は「その深い質問には、分厚い本でないと説明できない(笑)。わたしはサイコマジックという心理セラピーで家族を分析する『Metagenealogia』という本を書きました。それは、自分の祖父母の代まで研究することで自身を癒やすという内容です。ですが、この『リアリティのダンス』では、芸術的なかたちでそのメソッドを昇華させるように作りました」と語った。




『リアリティのダンス』ブロンティス・ホドロフスキー


アレハンドロの父、ハイメ役はブロンティス・ホドロフスキー(写真右)。ホドロフスキーの5人の息子の長男であり、『エル・トポ』の息子役を演じている。(『リアリティのダンス』より)





『リアリティのダンス』クリストバル・ホドロフスキー



アレハンドロ少年に瞑想を教える、行者役はホドロフスキーの息子、クリストバル・ホドロフスキー。『サンタ・サングレ/聖なる血』にアクセル・ホドロフスキーの名で、主人公フェニックス役で出演している。(『リアリティのダンス』より)





『リアリティのダンス』アダン・ホドロフスキー



アナキスト役は、ホドロフスキーの末の息子、アダン・ホドロフスキー。ミュージシャン「Adanowsky」として活動しており、本作の音楽も担当している。(『リアリティのダンス』より)





観客からの悩み相談コーナー「人間タロットカード」



続いて、タロットカードの研究者としても知られるホドロフスキー監督が会場の観客からの悩み相談に答えることに。仮面をかぶった22名が、ホドロフスキー自身が古いマルセイユ・タロットを復刻してデザインした特大タロットを抱え「人間タロットカード」として舞台に登場した。「幼稚園の先生になりたいのですが、レポートの締切が4日後なのにまだ書けていないんです。私は職業に就けるでしょうか?」という女性からの相談には「何を占ったらいいんだ?自分がなりたいと思っている職業なら、なぜ勉強しない?」とタロットを引く前に一喝。そして別の女性の「意中の男性がいて告白すべきか悩んでいる」という相談には「すればいいじゃないか!」と即答し「指輪を口移しで贈れ!」とアドバイスを送った。さらに「髪をのばすべきか、このままにするべきか」という悩みには、彼女が選んだタロットカードの意味から「髪を伸ばすとセクシャルなパワーが増して権力をつかむことができますから、ぜひ髪を伸ばしてください」と答えた。




『リアリティのダンス』プレミア上映イベント:4月22日(火)ヤクルトホール


仮面をかぶった22名が特大タロットを抱え「人間タロットカード」がスタート





『リアリティのダンス』プレミア上映イベント:4月22日(火)ヤクルトホール


タロットカードの図案はホドロフスキー監督が古いマルセイユ・タロットを復刻してデザインしたもの









最後に、首に痛みがあり、どんなセラピーを受けても治らないというペルー生まれの青年が登場。ホドロフスキー監督は、彼が選んだカードとともに生い立ちを質問していくなかで、お母さんの不在やわだかまりによる痛みではないかと分析し、客席にスペイン語の歌を歌える人はいないか呼びかけた。ひとりの女性が舞台に招かれると、監督は彼女に彼の首元でスペイン語の子守唄を歌わせる。笑いと緊張が交錯する不思議な空気に包まれ観客が固唾をのむなか、彼がひいた次のカードを見た監督は「賢くなって、ペルーに帰ってしまった母さんに会いにいってください。そうすれば首の痛みはなくなります」と励ました。



『リアリティのダンス』のテーマそのままに、タロットリーディングでもオーディエンスの魂を癒やそうとしたホドロフスキー監督。彼の妥協を許さない生き方とエネルギッシュな魅力が十二分に伝わるイベントとなった。



『リアリティのダンス』は2014年7月12日(土)より、新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町、 渋谷アップリンクほか、全国順次公開となる。





『リアリティのダンス』プレミア上映イベント:4月22日(火)ヤクルトホール


共に来日中のホドロフスキーの妻、パスカル・モンタンドン=ホドロフスキーは『リアリティのダンス』で衣装デザインを担当









2014年4月22日(火)ヤクルトホール

『リアリティのダンス』プレミア上映イベント

写真:西岡浩記












『リアリティのダンス』

2014年7月12日(土)新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町、渋谷アップリンクほか、全国順次公開



監督・脚本:アレハンドロ・ホドロフスキー

出演:ブロンティス・ホドロフスキー、パメラ・フローレス、クリストバル・ホドロフスキー、アダン・ホドロフスキー

音楽:アダン・ホドロフスキー

原作:アレハンドロ・ホドロフスキー『リアリティのダンス』(文遊社)

原題:La Danza de la Realidad(The Dance Of Reality)

(2013年/チリ・フランス/130分/スペイン語/カラー/1:1.85/DCP)

配給:アップリンク/パルコ

公式サイト:http://www.uplink.co.jp/dance/

(c) "LE SOLEIL FILMS" CHILE・"CAMERA ONE" FRANCE 2013



『リアリティのダンス』メイン写真

『リアリティのダンス』より













『ホドロフスキーのDUNE』

2014年6月14日(土)新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町、渋谷アップリンクほか、全国順次公開



監督:フランク・パヴィッチ

出演:アレハンドロ・ホドロフスキー、ミシェル・セドゥー、H.R.ギーガー、クリス・フォス、ニコラス・ウィンディング・レフン

(2013年/アメリカ/90分/英語・フランス語・ドイツ語・スペイン語/カラー/16:9/DCP)

配給:アップリンク/パルコ

公式サイト:http://www.uplink.co.jp/dune/



『ホドロフスキーのDUNE』メイン

『ホドロフスキーのDUNE』より



▼『ホドロフスキーのDUNE』予告編


[youtube:r-cnFoqfJfI]

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『ホドロフスキーのDUNE』が生んだもの http://www.webdice.jp/dice/detail/4163/ Mon, 07 Apr 2014 16:16:20 +0100
『エイリアン』(1979年) ILLUST:小池桂一


2014年6月14日(土)にドキュメンタリー『ホドロフスキーのDUNE』、2014年7月12日(土)に23年ぶりの新作『リアリティのダンス』が連続公開となる、アレハンドロ・ホドロフスキー監督。現在、配布中のフリーマガジンホドロフスキー新聞vol.2は『ホドロフスキーのDUNE』特集号。その中から、中子真治さんによる解説をお届けする。



そして、今月ついに来日するアレハンドロ・ホドロフスキー監督、ヤクルトホールで行われる講演&『リアリティのダンス』プレミア上映会、そして現在webDICEでも参加者募集中の「ホドロフスキーと100人坐禅大会」に続き、4月26日(土)に吉祥寺バウスシアター、新文芸坐で開催される過去作の上映会への登壇が決定!ヤクルトホールは既にチケット完売、100人坐禅も抽選…となれば、このチャンスを逃す手はない。



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ホドロフスキー監督来日情報まとめはこちら










きっと私はホドロフスキー版『DUNE』についてオバノンに話を聞いた最初で唯一の日本人だと思う



予言書となる映画を作るにふさわしい戦士としてホドロフスキーが語る最初のふたりの人物、メビウスとダン・オバノンが、ともにこのドキュメンタリー製作をまえに他界していることに無念を覚える。できることならクリス・フォスやH・R・ギーガーのように、彼らのいまの肉声を聞きたかった。



きっと私はホドロフスキー版『DUNE』についてオバノンに話を聞いた最初で唯一の日本人だと思う。



ダン・オバノン

ダン・オバノン(『ホドロフスキーのDUNE』本編より)


1979年5月、『エイリアン』の初日をハリウッドで迎え、件の映画の原案者であり脚本も書き、ヴィジュアル・コンセプト・コンサルタントとしてもクレジットされているオバノンにインタビューするため、私はロサンゼルを訪ねていた。オバノンにはそれよりも早く、共同脚本家兼美術監督兼SFXスーパーバイザーとして、さらに主演も張ったカルトSF映画『ダーク・スター』……そう、ホドロフスキーが『DUNE』のSFX監督にオバノンを抜擢することに決めた因縁の映画……にすっかり心酔していたから、初対面のような気がしなかった。



しかもインタビューのために招かれた先というのが、前日、神経性の急性胃炎で運び込まれた病院の個室という、とくにプライベートな場所だったから、オバノンとの会話は誰に気兼ねすることもなく弾んだ。話題は当然『エイリアン』から、そのヴィジュアルの起源ともなった『DUNE』に及ぶ。



おそらく私の英語力が脆弱過ぎたためだろう、オバノンの誇張もあったにちがいない、ホドロフスキーの証言とはいくぶん異なるが、こと『エイリアン』に関して、問題の多かったプロダクションが総じてスムーズに進んだのは『DUNE』の経験と、そこから得たネットワークのおかげだったという彼の話に疑う余地はない。



映画経験の乏しいメビウスやクリス・フォスが、コンセプト・デザインを残したままプロダクションを離れざるを得なかった話。1年遅れで参加したギーガーが短期間のうちに偉大な仕事を成し遂げたのも『DUNE』ありきだった。オバノンと彼の仲間が『DUNE』のために築き上げたイメージが、その後の『スター・ウォーズ』『マトリックス』『フラッシュ・ゴードン』といったSF映画に伝播していく様子もドキュメンタリーは紹介している。



ホドロフスキー版『DUNE』を観たいという欲求不満を無闇に募らせる罪な今作は、私にとって、いまは亡きオバノンへの憧憬をますます強めさせる個人的な映画なのだった。




『スター・ウォーズ』(1977年)

『スター・ウォーズ』(1977年)


『マトリックス』(1999年)

『マトリックス』(1999年)


『フラッシュ・ゴードン』(1980年)

『フラッシュ・ゴードン』(1980年)




TEXT:中子真治(元映画ジャーナリスト) ILLUST:小池桂一











ホドロフスキー新聞

THIS IS ALEXANDRO JODOROWSKY



多くのクリエイターに衝撃と影響を与えた映画監督、アレハンドロ・ホドロフスキーの魅力に迫るフリーペーパー、通称"ホドロフスキー新聞"は、全3号発行予定。PDFでもダウンロードすることができます。

http://www.uplink.co.jp/jodorowsky/




VOL.2 『ホドロフスキーのDUNE』の世界










ホドロフスキー監督が、

4/26(土)に開催される過去作の上映会に登場!!!




★吉祥寺バウスシアター

THE LAST BAUS/さよならバウスシアター、最後の宴





『エル・トポ』上映後、アレハンドロ・ホドロフスキー監督による舞台挨拶あり

■上映日:2014年4月26日(土) 15:30より1回のみ上映

■上映作品:『エル・トポ』

■会場:吉祥寺バウスシアター(東京都武蔵野市吉祥寺本町1-11-23/TEL:0422-22-3555)

■入場料:1,300円(前売当日共に)



前売券は4/12(土)よりイープラス、バウスシアター窓口ほかにて発売

その他詳細は、公式HPをご覧ください。

http://www.bakuon-bb.net/







★新文芸坐

アレハンドロ・ホドロフスキー監督作品オールナイト上映



上映前に、ホドロフスキー監督による舞台挨拶あり

■上映日:2014年4月26日(土) 22:00よりオールナイト上映(5:00頃終了予定)

■上映作品:『エル・トポ』『ホーリー・マウンテン』『サンタ・サングレ/聖なる血』

■会場:新文芸坐(東京都豊島区東池袋1-43-5 マルハン池袋ビル3F/TEL:03-3971-9422)

■入場料:当日2,600円、前売・友の会2,400円



前売券は新文芸坐窓口、チケットぴあにて販売中

その他詳細は、公式HPをご覧ください。

http://www.shin-bungeiza.com/












ホドロフスキー監督と一緒にお寺で坐禅を組もう!

"ホドロフスキーと100人坐禅大会"に抽選でご招待!!




かつてメキシコで日本の禅僧の弟子となり、本格的に禅の修行を積んだホドロフスキー監督とともに、100人のファンが坐禅を組む、"ホドロフスキーと100人坐禅大会"を開催!この坐禅会イベントに抽選で10名様をご招待します。参加ご希望の方は応 募要領をご確認のうえ、ご応募ください。




アレハンドロ・ホドロフスキー監督


アレハンドロ・ホドロフスキー監督


<ホドロフスキーと100人坐禅大会 概要>


■日時:2014年4月26日(土)

13:30開場/14:00スタート/15:00終了予定

■会場:世田谷区のお寺

■内容:坐禅、ホドロフスキーによる説法(テーマは「金と欲望」を予定)



☆当選者数:10名様




【応募方法】


下記の必要事項を明記のうえ、Eメールにてご応募ください。



■応募宛先


film(a)uplink.co.jp

(a)を@に変えてご使用ください

■件名を「ホドロフスキー坐禅会/webDICE」としてください



■下記の項目を明記してください



(1)お名前 (2)お電話番号 (3)ご職業 (4)性別 (5)希望理由



■応募締め切り



2014年4月16日(水)10:00

※当選の発表は、厳選なる抽選のうえ、当選者のみメールにて4/18(金)18:00までに通知させていただきます。



■注意事項


※本イベントでは、マスコミ各社の取材による撮影や、スタッフによる記録撮影が行われ、各メディアにて放映・掲載される場合がございます。あらかじめご了承のうえ、ご応募ください。

※映画の上映はございません。















『ホドロフスキーのDUNE』

2014年6月14日(土)新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町、渋谷アップリンクほか、全国順次公開



監督:フランク・パヴィッチ

出演:アレハンドロ・ホドロフスキー、ミシェル・セドゥー、H.R.ギーガー、クリス・フォス、ニコラス・ウィンディング・レフン

(2013年/アメリカ/90分/英語・フランス語・ドイツ語・スペイン語/カラー/16:9/DCP)

配給:アップリンク/パルコ

公式サイト:http://www.uplink.co.jp/dune/



『ホドロフスキーのDUNE』メイン

『ホドロフスキーのDUNE』より











『リアリティのダンス』

2014年7月12日(土)新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町、渋谷アップリンクほか、全国順次公開



監督・脚本:アレハンドロ・ホドロフスキー

出演:ブロンティス・ホドロフスキー(『エル・トポ』)、パメラ・フローレス、クリストバル・ホドロフスキー、アダン・ホドロフスキー

音楽:アダン・ホドロフスキー

原作:アレハンドロ・ホドロフスキー『リアリティのダンス』(文遊社)

原題:La Danza de la Realidad(The Dance Of Reality)

(2013年/チリ・フランス/130分/スペイン語/カラー/1:1.85/DCP)

配給:アップリンク/パルコ

公式サイト:http://www.uplink.co.jp/dance/



リアリティのダンス

『リアリティのダンス』より
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見るドラッグ、それは映画以上のものである http://www.webdice.jp/dice/detail/4160/ Tue, 01 Apr 2014 16:03:07 +0100

2014年6月14日(土)にドキュメンタリー『ホドロフスキーのDUNE』、2014年7月12日(土)に23年ぶりの新作『リアリティのダンス』が連続公開となる、アレハンドロ・ホドロフスキー監督。現在、配布中のフリーマガジンホドロフスキー新聞vol.2は『ホドロフスキーのDUNE』特集号。その中から、映画評論家・特殊翻訳家の柳下毅一郎さんによる解説をお届けします。更に、ホドロフスキー来日を記念し、webDICEをご覧のユーザー様を「ホドロフスキーと100人坐禅大会」に抽選にてご招待!ふるってご応募ください。



ホドロフスキー新聞PDF版のダウンロードはこちら












不可能への挑戦、この世に存在し得ないものを生み出そうとする試み



『ホドロフスキーのDUNE』は一本の映画をめぐる物語である。一人の映画監督が一本の映画を作ろうとして、それが失敗に終わる顛末記だ。だがもし本当にそれだけなら単なるDVDのおまけ程度のものにしかなるまい。もちろんそれは単なる一本の映画ではなく、もちろんホドロフスキーの挑戦は単なる映画作りではない。それは不可能への挑戦、この世に存在し得ないものを生み出そうとする試みなのだ。



DUNEストーリーボード

DUNEストーリーボード





ホドロフスキーは自分自身にどんどん高いハードルを課していった




もしもホドロフスキーが映画を作りたかっただけなら、別にダリを銀河皇帝にキャスティングする必要などなかった。オーソン・ウェルズにハルコンネン男爵を演じさせ、そのために専属シェフを雇う必要などなかったろう。別にウェルズでなくとも、ウェルズに匹敵するぐらいの演技をできて、その半分も手間がかからない俳優は何人もいたはずだ。だが、ホドロフスキーはあえてウェルズと共に苦労することを選んだ。なぜなら……。
なぜの理由はいくつもあるだろう。だが煎じ詰めれば、それは「どう考えてもあり得ない選択だから」である。ホドロフスキーは自分自身にどんどん高いハードルを課していった。もともと「映画化不可能」と言われた長大な原作を選び、よりによって一番扱いの面倒そうな役者をキャスティングし、映画未経験のスタッフを集め、未曾有の規模の予算を要求し……まるで最初から失敗を望んでいるかのように難しいほうへ難しいほうへと向かっていき、当然のように映画は空中分解を遂げてしまう。




H・R・ギーガーによる悪役・ハルコンネン男爵の城デザイン画

H・R・ギーガーによる悪役・ハルコンネン男爵の城デザイン画


『ホドロフスキーのDUNE』 オーソン・ウェルズ

悪役・ハルコンネン男爵の絵コンテとオーソン・ウェルズ




不可能を可能にする魔法こそがホドロフスキーの求めたもの



ホドロフスキーにとって『DUNE』は不可能への挑戦だった。不可能を可能にする魔法こそがホドロフスキーの求めたものであり、そのためには『DUNE』はただの映画であってはならない。ホドロフスキーが書いた『DUNE』のストーリーでは、レトは生まれないはずの子供を作り、ポールは奇跡によって宇宙に命を授ける。その映画によって、ホドロフスキーは人々の意識を変容させようとした。見るドラッグ、それは映画以上のものである。ただの映画では奇跡はおこせないのだ。だからホドロフスキーはあえて自分で映画の中の行為をなぞり(そのさまは『ホドロフスキーのDUNE』であますところなく語られている)、映画と現実を混同させて奇跡を起こそうとする。はるかな先に見える蜃気楼をつかもうと手を伸ばすのだ。ホドロフスキーの聖杯探求は結局失敗に終わる。だが、誰もが知っているように、アーサー王の騎士たちは永遠に歌いつがれる詩を残したのである。








柳下毅一郎(映画評論家・特殊翻訳家)












ホドロフスキー新聞

THIS IS ALEXANDRO JODOROWSKY



多くのクリエイターに衝撃と影響を与えた映画監督、アレハンドロ・ホドロフスキーの魅力に迫るフリーペーパー、通称"ホドロフスキー新聞"は、全3号発行予定。PDFでもダウンロードすることができます。

http://www.uplink.co.jp/jodorowsky/




VOL.2 『ホドロフスキーのDUNE』の世界












ホドロフスキー来日イベント決定!!!



ホドロフスキー監督と一緒にお寺で坐禅を組もう!

"ホドロフスキーと100人坐禅大会"に抽選でご招待!!




かつてメキシコで日本の禅僧の弟子となり、本格的に禅の修行を積んだホドロフスキー監督とともに、100人のファンが坐禅を組む、"ホドロフスキーと100人坐禅大会"を開催!この坐禅会イベントに抽選で10名様をご招待します。参加ご希望の方は応 募要領をご確認のうえ、ご応募ください。




アレハンドロ・ホドロフスキー監督


アレハンドロ・ホドロフスキー監督


<ホドロフスキーと100人坐禅大会 概要>


■日時:2014年4月26日(土)

13:30開場/14:00スタート/15:00終了予定

■会場:世田谷区のお寺

■内容:坐禅、ホドロフスキーによる説法(テーマは「金と欲望」を予定)



☆当選者数:10名様




【応募方法】


下記の必要事項を明記のうえ、Eメールにてご応募ください。



■応募宛先


film(a)uplink.co.jp

(a)を@に変えてご使用ください

■件名を「ホドロフスキー坐禅会/webDICE」としてください



■下記の項目を明記してください



(1)お名前 (2)お電話番号 (3)ご職業 (4)性別 (5)希望理由



■応募締め切り



2014年4月16日(水)10:00

※当選の発表は、厳選なる抽選のうえ、当選者のみメールにて4/18(金)18:00までに通知させていただきます。



■注意事項


※本イベントでは、マスコミ各社の取材による撮影や、スタッフによる記録撮影が行われ、各メディアにて放映・掲載される場合がございます。あらかじめご了承のうえ、ご応募ください。

※映画の上映はございません。












ホドロフスキー監督講演&『リアリティのダンス』プレミア上映会

チケット4/7(月)より第二次販売開始!!!



『リアリティのダンス』の上映後に、ホドロフスキー監督による講演と、会場のお客様を対象にしたタロット・リーディングを行うプレミア上映会を開催いたします。



※予約者多数のため第一次チケット販売を終了しておりましたが、4月7日(月)12:00より、若干数ではありますが第二次販売を開始いたします。



■日時:2014年4月22日(火)18:00開場/18:30開演

■会場:ヤクルトホール(港区東新橋1-1-19)

■上映作品:『リアリティのダンス』

■前売料金:2,500円/当日料金:2,800円



☆前売券はe+(イープラス)にてお買い求めください。4月7日(月)12:00より第二次販売を開始いたします。



※『リアリティのダンス』劇中に、一部、過激な表現が含まれます。劇場上映バージョンとは若干異なりますことをあらかじめご了承ください。

※公開タロット・リーディングは、当日、会場のお客様の中から希望者を募り、数名に行います。











『ホドロフスキーのDUNE』

2014年6月14日(土)新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町、渋谷アップリンクほか、全国順次公開



監督:フランク・パヴィッチ

出演:アレハンドロ・ホドロフスキー、ミシェル・セドゥー、H.R.ギーガー、クリス・フォス、ニコラス・ウィンディング・レフン

(2013年/アメリカ/90分/英語・フランス語・ドイツ語・スペイン語/カラー/16:9/DCP)

配給:アップリンク/パルコ

公式サイト:http://www.uplink.co.jp/dune/



『ホドロフスキーのDUNE』メイン

『ホドロフスキーのDUNE』より











『リアリティのダンス』

2014年7月12日(土)新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町、渋谷アップリンクほか、全国順次公開



監督・脚本:アレハンドロ・ホドロフスキー

出演:ブロンティス・ホドロフスキー(『エル・トポ』)、パメラ・フローレス、クリストバル・ホドロフスキー、アダン・ホドロフスキー

音楽:アダン・ホドロフスキー

原作:アレハンドロ・ホドロフスキー『リアリティのダンス』(文遊社)

原題:La Danza de la Realidad(The Dance Of Reality)

(2013年/チリ・フランス/130分/スペイン語/カラー/1:1.85/DCP)

配給:アップリンク/パルコ

公式サイト:http://www.uplink.co.jp/dance/



リアリティのダンス

『リアリティのダンス』より


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ホドロフスキーとは何者か?:哲学映画というには俗すぎる、娯楽映画と呼ぶには謎だらけ。 http://www.webdice.jp/dice/detail/4109/ Thu, 06 Feb 2014 16:57:00 +0100

2014年6月14日(土)にドキュメンタリー『ホドロフスキーのDUNE』、2014年7月12日(土)に23年ぶりの新作『リアリティのダンス』が連続公開となる、アレハンドロ・ホドロフスキー監督。多くのクリエイターに衝撃と影響を与えた伝説の映画監督を解剖。現在、配布中のホドロフスキー新聞の中から、映画評論家・特殊翻訳家の柳下毅一郎さんによる解説をお届けします。



ホドロフスキー新聞PDF版のダウンロードはこちら












なぜこんな不思議な映画を作ったのか



哲学映画というには俗すぎる、娯楽映画と呼ぶには謎だらけ。



 アレハンドロ・ホドロフスキーとは何者か?

『エル・トポ』がはじめて日本で紹介されたとき、それは「ジョン・レノンも認めたフリーク総出演のカルトムービー」だった。メキシコの無名監督が作った哲学的な内容の映画がニューヨークでカルト的なヒットを続けている。ジョン・レノンも惚れこんで、配給権を買ったという。中身は見られぬまま、"ホドロフスキー"というエキゾチックな名前だけが世に広まっていった。


 ついにその映画が日本で見られる日が来たとき、観客が目にしたのは形而上的西部劇とでも言うべき映画だった。黒づくめの殺し屋は名うてのガンマンを皆殺しにし、砂漠の最強者となるものの、すべてを失い聖者として再生する。哲学映画というには俗すぎるし、娯楽映画と呼ぶには謎だらけだ。一口では咀嚼できない謎に満ちた巨大作品。それが『エル・トポ』だった。だからこそ一部に熱狂的なファンを作りつつ、多くの困惑した反応を呼び起こしたのである。さらなる本格的魔術映画『ホーリー・マウンテン』が紹介されても、その評価は変わらなかった。ホドロフスキーとは何者であり、なぜこんな不思議な映画を作ったのか。
 映画だけを見ていたならば、その答えは永遠にわからないかもしれない。そもそもホドロフスキーは映画マニアが高じて映画を作りはじめるタイプの映画監督ではない。むしろそれは映画の作り方など何も知らなかった野蛮人がはじめて手にしたカメラで撮ってみたような映画だと言える。映画こそが至高のメディアである、と語るホドロフスキーだが、映画は広汎な活動の一部でしかない。ホドロフスキーにはいくつもの顔がある。



エル・トポ

『エル・トポ』より





演出家ホドロフスキー



シュルレアリストたるホドロフスキーはハプニングによって現実を攪乱する。



 そもそも映画を撮りはじめる前、ホドロフスキーは舞台演出家として知られた名前だった。1960年にメキシコに渡ってのち、ホドロフスキーはシュルレアリスムの影響を受けた「前衛演劇」なる劇団を主宰し、ほぼ十年にわたってメキシコ演劇の最前衛として活躍してきた。ベケットやイヨネスコ、ジャリなどの戯曲のほか、ウィルヘルム・ライヒを原作にした自作の芝居も演出したという。


 62年にはスペインの映画監督フェルナンド・アラバル、フランス人作家ローラン・トポールとともに、「パニック・ムーブメント」なるパフォーマンス・グループを結成する。ブルトンとの出会いから元祖シュルレアリストたちが老いて保守化していると考え、シュルレアリスム本来の攻撃性を取り戻そうとしたのだ。1965年のパリ自由表現祭では、ホドロフスキーは蛇を胸に貼りつけ、ガチョウの首を切って、裸になって鞭打たれるパフォーマンスを演じた。メキシコでテレビ出演したときには大ハンマーでグランドピアノをぶちこわすパフォーマンスによって抗議電話の嵐を巻き起こした。シュルレアリストたるホドロフスキーはハプニングによって現実を攪乱しようとする。
 ホドロフスキーにとって、演劇とは決して舞台の上にとどまるものではなかった。街頭パフォーマンスと演劇のあいだに違いはなかったのだ。ホドロフスキーの映画もまた現実を攪乱する。だが、そのことはどこまで理解されていただろうか。


 『エル・トポ』と『ホーリー・マウンテン』という二本の傑作により、カルト映画監督としての地位をゆるぎないものにしたホドロフスキーは、その次の作品としてフランク・ハーバートの『デューン/砂の惑星』の映画化にとりかかる。この奇跡の映画がいかなるものとなるはずだったか、そしてそれがいかに頓挫することになったかはフランク・パヴィッチ監督のドキュメンタリー『ホドロフスキーのDUNE』に詳しい。どう考えても無謀なオールスター超大作は誰もが予想したように空中分解することになった。それ見たことか、という人も多かったろう。だが、そうした反応は根本的に誤っていると言わねばならない。ホドロフスキーにとって、映画はただの映画ではない。それはつねに人生を変える経験でなければならないのだ(ちょうど『エル・トポ』がカルト映画として多くの人生の道筋を変えたように)。だから普通のSF映画、ホリデーシーズンの大作エンターテイメントなど、ホドロフスキーには最初から作るつもりはなかったし、実際作れはしなかったろう。『デューン』は「見た人の意識を変える映画にするつもりだった」とホドロフスキーは言う。それは決して比喩的な意味ではない。文字通りの見るドラッグをホドロフスキーは作るつもりだったのだ。それが可能だったかどうかは問題ではない。




ホーリーマウンテン

『ホーリー・マウンテン』より





漫画家ホドロフスキー



詩よりも鮮烈なイメージを。メビウスとの共作『アンカル』で本格的にコミック作家へ。



 畢生の大作『デューン』が頓挫したのち、ホドロフスキーは『デューン』製作時のパートナーだったフランスのBD作家メビウスとともにコミックを描きはじめる。実際には、ホドロフスキーはメキシコ時代からコミックを手がけていたはいたが、本格的なコミック作家となるのはメビウスとの共作『アンカル』からである。『アンカル』、そして同一宇宙を舞台にしたシリーズ『メタ・バロンの一族』は、未完成に終わった『デューン』の脚色からアイデアを借りて描かれている。『デューン』では実現できなかったことを、コミックのかたちで世に送り出したのが『アンカル』なのだと言える。


 コミックなら映画の莫大な予算がなくとも壮大な宇宙を描くことができる。とはいえ、それは単なる映画の代替物ではない。ホドロフスキーはもともと詩人として創作活動をスタートしたのだが、そのシュルレアリストとしての夢想がもっとも鮮烈に発揮されたのはコミックにおいてかもしれない。メビウスとの共作『天使の爪』はときに危険な領域にまで性的夢想をさまよわす。たぶん実写では決して実現できない(生々しすぎて、まったくの別物になってしまう)し、詩よりもはるかに鮮烈なイメージを伝えてくれる。メビウス以外の画家との共作でも、ホドロフスキーのイメージ喚起力はいささかも衰えない。ホドロフスキーのコミックは次々に現実を貫くイメージをくりだす。決して映画の代替物でもないし、読み捨ての娯楽にもなりえないのである。




『アンカル』表紙






魔術師ホドロフスキー



無から有を生みだし、見る者を眩惑し、奇跡を引き起こす。



 ホドロフスキーとは何者なのか?

 イメージによって現実に変化を引き起こす、それは魔術と呼ばれる行為である。ホドロフスキーは詩人、演出家、パフォーマー、映画監督、コミック作家として創作を発表するかたわら、タロットや禅、また瞑想などにとりくんできた。タロット・リーディングのかたわら、ホドロフスキーは心理療法を考案する。ホドロフスキーが呼ぶところのサイコマジックは、ロールプレイングと精神分析を合わせたような自己改革療法である。たとえば足の指のあいだにイボができた友人に対しては、母親をチリに残してきたことへの罪悪感が根底にあると考え、母親の写真を十枚コピーして、毎朝緑色の粘土で足の裏に写真を貼り付けるように命じる。あるいは、進路への迷いを感じている若者には、取れなかった学位証書の模造品を本物より大きなサイズで作り、額装した下にボクシングの優勝カップを置いてから仕事にとりかかれ、とアドバイスする。冗談のような儀式行為によって無意識を欺き、希望を実現するのがサイコマジックなのだ。ホドロフスキーの魔術はもちろん自分自身にも適用される。メキシコからパリへと旅立つにあたって、ホドロフスキーは「勝利」の名を持つ四頭立ての馬車を借りあげ、その後を走った。つまり「勝利」を追い求め、最後にはそれに追いついてつかみとった。ホドロフスキーは儀式によって現実を自分の願うようにねじ曲げてみせたのだ。ホドロフスキーは魔術師である。無から有を生みだし、見る者を眩惑し、奇跡を引き起こす。それがホドロフスキーの芸術なのだ。




リアリティのダンス

23年ぶりの新作『リアリティのダンス』より




柳下毅一郎(映画評論家・特殊翻訳家)












ホドロフスキー新聞

THIS IS ALEXANDRO JODOROWSKY



多くのクリエイターに衝撃と影響を与えた映画監督、アレハンドロ・ホドロフスキーの魅力に迫るフリーペーパー、通称"ホドロフスキー新聞"は、全3号発行予定。PDFでもダウンロードすることができます。

http://www.uplink.co.jp/jodorowsky/




VOL.1 ホドロフスキーとは何者か?











『ホドロフスキーのDUNE』

2014年6月14日(土)新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町、渋谷アップリンクほか、全国順次公開



監督:フランク・パヴィッチ

出演:アレハンドロ・ホドロフスキー、ミシェル・セイドゥ、H.R.ギーガー、クリス・フォス、ニコラス・ウィンディング・レフン

(2013年/アメリカ/90分/英語・フランス語・ドイツ語・スペイン語/カラー/16:9/DCP)

配給:アップリンク/パルコ

公式サイト:http://www.uplink.co.jp/dune/












『リアリティのダンス』

2014年7月12日(土)新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町、渋谷アップリンクほか、全国順次公開



監督・脚本:アレハンドロ・ホドロフスキー

出演:ブロンティス・ホドロフスキー(『エル・トポ』)、パメラ・フローレス、クリストバル・ホドロフスキー、アダン・ホドロフスキー

音楽:アダン・ホドロフスキー

原作:アレハンドロ・ホドロフスキー『リアリティのダンス』(文遊社)

原題:La Danza de la Realidad(The Dance Of Reality)

(2013年/チリ・フランス/130分/スペイン語/カラー/1:1.85/DCP)

配給:アップリンク/パルコ
公式サイト:http://www.uplink.co.jp/dance/



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