webDICE 連載『映画『ドストエフスキーと愛に生きる』連動企画』 webDICE さんの新着日記 http://www.webdice.jp/dice/series/47 Mon, 16 Dec 2024 20:36:01 +0100 FeedCreator 1.7.2-ppt (info@mypapit.net) 「ドストエフスキー翻訳者の役割は、目の粗い文章にアイロンをかけて整えること」主人公と同じくドストエフスキーの新訳で旋風を起こした亀山郁夫さんによる映画解説 http://www.webdice.jp/dice/detail/4236/ Mon, 02 Jun 2014 19:18:26 +0100
フォーラム山形で映画『ドストエフスキーと愛に生きる』の上映後、講演を行なった亀山郁夫さん。





ドストエフスキーの新訳でドイツ文学界に旋風を起こした女性翻訳家スヴェトラーナ・ガイヤーさんの数奇な半生を追った、全国順次公開中のドキュメンタリー映画『ドストエフスキーと愛に生きる』。山形市にある映画館フォーラム山形で去る5月10日(土)、本作の上映後に、ロシア文学者で翻訳家の亀山郁夫さんによる講演会が開催された。ガイヤーさんと同様に、ドストエフスキーの画期的な翻訳が反響を呼び、日本の海外文学界に新訳ブームをもたらした亀山さんならではの深い洞察に基づいた講演内容を採録する。







“5頭の象”というガイヤーさんの比喩が、同じドストエフスキー翻訳者の私にとっては、とても心強く思えます





私は昨年5月に産経新聞のコラムで、次のような文章を書きました。



「私には使命がある、と、いつからか思いこむようになった。70歳までにドストエフスキーの5大長編をすべて翻訳する。残された時間は、6年。残された作品は、『白痴』と『未成年』。400字詰め原稿用紙に換算して、約5千枚。単純計算で、1日3枚。体調さえ崩さなければ、けっして不可能な分量ではないと思う。

翻訳という作業は、九割九分が苦行で、歓びは、一分にも満たない。老い先長くもないのに、なぜ、こんな割にあわない苦行を引き受けるのか。そんな不条理感につきまとわれることもある。しかし一分にも満たない歓びが、どうやら何にも代えがたい意味を持っていたらしい。月並みな比喩だが、アルピニストが山頂を目指すように、マラソン選手がゴールを目指すように、私もまたひたすら達成感を求めて翻訳を続けてきた〔以下略。全文はこちら)〕




この文章を書いた時は、スヴェトラーナ・ガイヤーさんについてまったく知りませんでした。翻訳というのは、無限に人の話を聞き続ける非常にストレスフルな辛い作業です。私は2006年に『カラマーゾフの兄弟』、2008年に『罪と罰』を訳し、『悪霊』の翻訳が2010年に終わった段階で「もう、やめよう」と思ったほどです。しかし、ガイヤーさんの仕事に、とても刺激され、励まされました。今、『白痴』の翻訳がなかなか進まず苦しい思いをしていますが、この映画の原題(『5頭の象とともに生きる女[Die Frau mit den 5 Elefanten]』)の“5頭の象”という比喩がとても心強く思え、ガイヤーさんに感謝しています。彼女が5大長編に取り組み始めたのは60歳代の後半からですから、私の方が時間的にやや余裕があるわけです。



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映画『ドストエフスキーと愛に生きる』より。最後の翻訳書となったドストエフスキー『賭博者』に取り組むスヴェトラーナ・ガイヤーさん。




ドストエフスキーと改めて向き合おうと決心したのは、9.11がきっかけです





私がドストエフスキー文学に出会ったのは、中学校3年生のときです。中央公論社から出ていた「世界と文学」シリーズで池田健太郎訳の『罪と罰』を読み、自分にとって重要な体験をしました。主人公ラスコーリニコフがあたかも自分であるかのようなシンクロナイゼーションが起きたのです。小説を読んでそういう体験をしたのはこのときだけで、これ以後の50数年間は一度もありません。高校の頃はシェイクスピアにかぶれたりと、典型的な文学少年でした。大学時代はドストエフスキーに没頭し、東京外国語大学に入学すると同時にドストエフスキー研究会を開きましたが、集まったのはたった2人でした。




大学3年生のときに『罪と罰』を、4年生のときに『悪霊』を、原書で読み通す経験をしたことが、私の人生を変えました。『悪霊』という小説は、1869年にモスクワで起こったある秘密結社内の内ゲバによる殺人事件がモデルになっています。それから約100年後に日本で連合赤軍による事件が起こるわけですが、私はそういった革命のモティーフに関心を持たず、ひたすら主人公ニコライ・スタヴローギンの悪魔性に魅了されました。そして卒業論文で“使嗾(しそう)=人をそそのかす”というテーマを発見し、これが自分が50歳代以降ドストエフスキーを論じる際の基本となりました。50代の終わりに“黙過(もっか)=見捨てる”というキーワードに辿りつくのですが、出発点はその卒業論文にあったわけです。その卒論の講評で恩師である原卓也先生[※1930- 2004。ロシア文学者。東京外国語大学名誉教授。トルストイやドストエフスキーをはじめロシア文学の訳書多数]に、「文章が生硬で誤字脱字が多い」と書かれ、自分はドストエフスキーに向かないと思い、大学卒業と同時にドストエフスキーと縁を切り、“ロシア・アバンギャルド”と呼ばれる20世紀前半の前衛芸術の研究に向かいました。




ガイヤーさんも映画の中で「翻訳は全体を見ろ」と言っていましたが、原先生も原書の1ページをジッと見たあとは、ほとんど読まずに訳していく、天才肌の翻訳者でした。その方をずっと間近に見てきたので、記憶力に劣る自分に翻訳は絶対できないと思っていました。それでも、原先生の紹介で、『キリスト教文学の世界』というチェーホフ短編集の作品や、自分が研究テーマとしていた詩人フレーブニコフの最も難解とされている詩劇『ザンゲジ』などをほそぼそと訳していました。




ドストエフスキーと改めて向き合おうと決心したのは、とってつけた動機のように聞こえるかもしれませんが、2001年の9.11の事件でした。ニューヨークのツインタワーの崩落を、私はロンドンの小さなホテルの古ぼけたテレビで観ていたのですが、そのとき『悪霊』のある一節が思い出されました。悪魔的主人公スタヴローギンが、自分が凌辱した少女の遺体を覗きこむ場面です。人間の最も悲惨な状況を平静な気持で見てしまう現代人の宿命の一端を、ドストエフスキー文学が予言していたと感じたのです。このときから、精力的にドストエフスキーを読み直し、2004年に『ドストエフスキー 父殺しの文学』という書籍を出しました。そしていよいよ「君子豹変す」のごとく、『カラマーゾフの兄弟』の翻訳に取り組み始めたのです。ガイヤーさんも「なぜ翻訳するのか、究極への憧れかもしれない」と語っていましたが、私もそれに近い経験を『カラマーゾフの兄弟』を通して経験しました。



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映画『ドストエフスキーと愛に生きる』より。アイロンをかけながら、「文章(テキスト)と織物(テキスタイル)の語源は同じ」と話すガイヤーさん。




スヴェトラーナ・ガイヤーさんの足跡について






ガイヤーさんの足跡を反芻しておくと、「ガイヤー」はドイツ名で、本名はスヴェトラーナ・ミハイロヴナ・イワーノワ。つまりお父さんの名前がミハイロヴナ、姓がイワーノワです。3つとも平凡な名前で、ここからは彼女の出自がロシアなのかウクライナなのか分かりませんが、ユダヤ人ではないことは確かです。




彼女は1923年にキエフで生まれ、2010年に(ドイツの)フライブルクで没しました。早くからフランス語とドイツ語の勉強をし、1941年にキエフの大学で西欧語学部に入学。その傍ら、ウクライナ・アカデミー地質学研究所の通訳として働きます。ドイツ軍の侵攻後、ドイツの橋梁建設連合会社で通訳をし、それに対してドイツの大学への留学と奨学金を約束されました。1943年のスターリングラードの戦いでソ連軍が勝利しドイツ軍の敗色が濃くなると、彼女と母親はナチ協力者の追及を逃れるためにドイツ軍とともにドイツに行きます。




そしてドイツで一時、収容所に入れられますが、友人たちの助力があって解放され、1944年にフライブルク大学院に入学。文学と比較言語学を学び、結婚して二人のお子さんを授かりました。その後、1960年からカールスルーエ大学でロシア語を教え始め、1979年から83年にかけてヴィッテン大学でロシア語とロシア文学を教えます。トルストイ、ブルガーコフ、ソルジェニーツェンなどの翻訳で知られ、1990年代以降はドストエフスキーの5大長編の翻訳に携わります。この映画の中で彼女が取り組んでいたのはドストエフスキーの『賭博者』の翻訳で、それを終えてまもなく、彼女はこの世を去ります。





本作のパンフレットに寄稿したエッセイにも書きましたが、このドキュメンタリーの監督であるスイス人のヴァディム・イェンドレイコ氏は当初、目的は手段を正当化するか、という大テーマのもとに、16世紀スイスの宗教改革で起こったカルヴァン派による大虐殺を題材に映画を考えていたらしいんですね。ところが、あるとき彼はその構想とよく似たドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の「大審問官」の章〔15世紀の終わり、カトリックが支配するスペインのセヴィリヤで異端審問が行なわれ、多くの人たちが火あぶりの刑に処せられた翌日、突然イエス・キリストが降臨したという物語〕をガイヤーさんの新訳で読み、さらに彼女の数奇な生涯を知ることで、構想に劇的な変更が生じたということです。




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映画『ドストエフスキーと愛に生きる』より。原書をめくるガイヤーさんの手。





「翻訳とは、方向性を失った繊維を整える作業」というガイヤーさんの言葉を、ドストエフスキーの翻訳をしながらよく思い出します






ガイヤーさんの手とお孫さんの手が折り重なるシーンや、ガイヤーさんがページをめくる手などがとても印象的で、おそらくこういう映像がこの映画の主役ではないかと思います。それと、ガイヤーさんの語る美しい言葉がたくさん出てきますが、中でも「翻訳とは、洗濯をして方向性を失った繊維を、もう一度整える作業」という彼女の言葉を、私はドストエフスキーの翻訳をしながらよく思い出すのです。というのは、ドストエフスキーの翻訳には、原文を読んだ人にしかわからない苦しみがあるんですね。




正直言って、ドストエフスキーは必ずしも優れた文章家とはいえないところがあります。常に締め切りに追われていたせいもあって、口述を彼の奥さんが速記して清書するという進め方をしていました。50~59歳までのわずか9年間に『白痴』『悪霊』『未成年』『カラマーゾフの兄弟』が書けたのは、口述という手法を使ったからで、そのせいでテキストの荒さが否定できません。まさにこのねじれた繊維を、きちんとアイロンをかけて目の整った状態にするのが、ドストエフスキー文学の翻訳者なんです。したがって、このガイヤーさんの言葉は、ドストエフスキーのみにあてはまるものだと解釈した方がいいかもしれません。




たとえば、『カラマーゾフの兄弟』の日本語訳は、米川正夫さん以来7~8種類あります。それぞれ見事な織物でできた服をまとっています。逆に原文を読むロシア人は、ひどい悪文によって物語への没入が妨げられ、われわれ日本人ほど深い読書経験ができないのです。ドストエフスキー文学の全体を読み通すという意味では、訳文より原文で読む方が良いということはまったくなく、日本人の方がはるかに特権的な場所にいます。





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映画『ドストエフスキーと愛に生きる』より。故郷ウクライナの大学に講師として招かれ、「翻訳は常に全体から生まれるもの」と講義するガイヤーさん。




この映画の中で、語られたこと、語られなかったこと






また、ガイヤーさんは「翻訳は左から右へとはっていく芋虫ではなく、常に全体から現れるもの」と言っています。私は1ページをパッと視覚的に再現できる能力がないので、いつも芋虫スタイルで翻訳しています。そして、関係詞が出て来ても、絶対にひっくり返して訳すことはしないと決めています。そうすると意味があいまいになりますが、日本語の訳文として大変に読み易くなるんです。ガイヤーさんの考え方と反しているように思えるかもしれませんが、個々の一部がそれぞれ有機的につながって作品全体を形成するわけですから、実際は矛盾しません。




キエフのウラジーミル大聖堂を訪れる場面でも、ガイヤーさんは「全体(ソム)を見なければ、一つ一つの彫像は理解できない」と言っていましたね。千年の歴史の中で培われたロシア正教には、「全体」という観念が支配しています。全体の中に調和し溶け込むことによって、個は初めて本来の輝きを持つという理念です。ヨーロッパ的な考え方だと、教会を出た瞬間から“個”がはじまりますが、ロシア的精神は逆で、教会の中で司祭の話に耳を傾けたときに、人間は最も理想的な状態になるのです。そして全体や集合へのロシア人の傾斜が、20世紀における全体主義の誕生をロシアに促し、ラーゲリ〔強制収容〕と粛清という悲劇も生み出しました。ガイヤーさんは、翻訳と全体主義の間に横たわる微妙な親和性を発見しているのです。




そして、映画の中で語られなかったことが、この作品にドキュメンタリーとしての無類の価値とリアリティをもたらしているように思います。少しメロドラマティックな読みになりますが、それはガイヤーさんと、彼女の語学力に注目し彼女を庇護したナチス将校ケルシェンブロック伯爵との間に潜むひとかけらの神秘です。監督が彼のことを聞くと、彼女は目を何度もしばたたかせてほとんど言葉を語れない状態になる。親友を失ったバビ・ヤールの悲劇にケルシェンブロックが関与した事実も認めず、どこまでも彼を守ろうとします。「ゲーテやシラーは、ヒトラーとは違う」という彼女の発言からもそれはうかがえます。映画の冒頭でガイヤーさんは「私には負い目がある」と言います。彼女のお父さんがスターリンの粛清の犠牲者になっているので、ある種、ロシアへの憎悪もあるのかもしれない。にもかかわらず、彼女がドストエフスキーをもって恩返しをするという意味には、なにかステレオタイプな理解を拒む深いものがあるように思います。



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映画『ドストエフスキーと愛に生きる』より。若き日のガイヤーさんとゲシュタポの将校ケルシェンブロック伯爵。








亀山郁夫 プロフィール


昭和24年、栃木県生まれ。前東京外国語大学長。現名古屋外国語大学長。東京外国語大学名誉教授。2013年2月、著書『謎とき「悪霊」』(新潮選書)で読売文学賞受賞。主な訳書にドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』(毎日出版文化賞)のほか『罪と罰』『悪霊』など、近著に『新訳 地下室の記録』(集英社刊)。












映画『ドストエフスキーと愛に生きる』

渋谷アップリンク他にて、全国順次公開中



84歳の翻訳家スヴェトラーナ・ガイヤーの横には、華奢な姿に不似合いな重厚な装丁の本が積まれている。『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』『悪霊』『未成年』『白痴』──言わずと知れたロシア文学の巨匠・ドストエフスキーの長編作品。それらを"五頭の象"と呼び、生涯をかけてドイツ語に訳した。1923年ウクライナ・キエフで生まれ、スターリン政権下で少女時代を過ごし、ナチス占領下でドイツ軍の通訳として激動の時代を生き抜いた彼女の横顔には、戦争の記憶が深い皺となって刻まれている。一人の女性が歩んだ数奇な半生に寄りそう静謐な映像が、文学の力によって高められる人の営みを描き出す。



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■監督:ヴァディム・イェンドレイコ

■撮影:ニールス・ボルブリンカー、ステファン・クティー

■録音:パトリック・ベッカー

■編集:ギーゼラ・カストロナリ・イェンシュ

■出演: スヴェトラ-ナ・ガイヤー、アンナ・ゲッテ、ハンナ・ハーゲン、ユルゲン・クロット

■製作:ミラ・フィルム

■配給・宣伝:アップリンク

(2009年/スイス=ドイツ/93分/ドイツ語・ロシア語/カラー・モノクロ)




映画公式サイト:http://www.uplink.co.jp/dostoevskii/


映画公式ツイッター:https://twitter.com/DostoevskiiJP


映画公式facebook:https://www.facebook.com/DostoevskiiMovieJP











Official Guid Book


『ドストエフスキーと愛に生きる』

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◆名翻訳家スヴェトラーナさんにちなみ、柴田元幸さん、野崎歓さんなど、日本国内で活躍中の気鋭翻訳家9名の仕事風景をとらえた貴重な写真とインタビューを掲載



◆ドストエフスキーの新訳が大反響を呼んだ亀山郁夫さんによるエッセイ



◆平野啓一郎さん、太田直子さん、伊藤聡さんらによる、お薦めドストエフスキー作品の紹介



◆小林エリカさんによる描き下ろしイラスト



【図書コード】ISBN978-4-90072-859-2

【定価】800円(税抜)

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[愛知]ON READING

[京都]恵文社、モアレ

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▼『ドストエフスキーと愛に生きる』予告編


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池内紀さんと豊崎由美さんによる『ドストエフスキーと愛に生きる』アフタートーク http://www.webdice.jp/dice/detail/4183/ Wed, 30 Apr 2014 21:52:31 +0100
KBCシネマでの映画『ドストエフスキーと愛に生きる』アフタートークに登壇した池内紀さん(写真左)と豊崎由美さん(写真右)。






ドストエフスキーの新訳でドイツ文学界に旋風を起こした女性翻訳家スヴェトラーナ・ガイヤーさんの数奇な半生を追った、全国順次公開中のドキュメンタリー映画『ドストエフスキーと愛に生きる』。去る4月5日(土)、福岡市のKBCシネマで、ドイツ文学者の池内紀さんと書評家の豊崎由美さんをゲストに迎え、アフタートークが開催された。ガイヤーさんの出身国ウクライナの時代背景について、カフカ小説全集を訳した池内さんの考えるカフカ作品の“5頭の象”について、名訳といわれる翻訳についてなど、1時間以上にわたる充溢したトークとなった。



(主催:西南学院大学 学内GP「ことばの力養成講座」)






スターリニズムとナチズムという2つの全体主義に引き裂かれた女性






豊崎:私は“海外文学応援団長”を勝手に名乗っているくらいのガイブン好きで、ここ6年間ほど偶数月に、ゲストを招いて海外文学の楽しみをお伝えする“読んでいいとも!ガイブンの輪”というイベントも開催しています。自分は語学がまったくできないので、こうして海外文学を読めるのも、翻訳家の方がおられてこそで、私が世界で一番感謝している職業は翻訳家です。今日は、その翻訳家である池内紀先生に、翻訳家が主人公のドキュメンター映画についてのお話をお聞きします。池内先生は、以前からスヴェトラーナ・ガイヤーさんのことをご存知だったそうですね。




池内:私はドイツ文学をやっているものですから、洋書を取り扱っている書店でドイツの『シュピーゲル』という週刊誌をたまに買うことがあります。その『シュピーゲル』のある号で、白髪のきれいなおばあさんについて4ページほどの記事が載っていたことがありました。ドストエフスキーの翻訳者で、しかも5大長編[『罪と罰』『白痴』『悪霊』『未成年』『カラマーゾフの兄弟』=ガイヤーさんが呼ぶところの“5頭の象”]を訳し始めたのは65歳からと書いてあった。「すごい人がいるもんだ」と思いました。彼女が10代の頃のモノクロ写真と、現在の白髪の写真が並べて掲載されていたのですが、どちらの写真も本当にいい顔をしていました。この映画のドイツ語原題は『5頭の象を伴った女性[Die Frau mit den 5 Elefanten]』といいますが、不思議なタイトルだなというのもあって、たまたまその記事を切り抜きしていたんです。





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映画『ドストエフスキーと愛に生きる』より。ウクライナ出身のドイツ語翻訳家スヴェトラーナ・ガイヤーさん。






豊崎:この映画と池内先生はそういったご縁があるんですね。実際に映画をご覧になっていかがでしたか?




池内:僕にとって興味深かったのは、ガイヤーさんがドイツに来る前にウクライナで、1930~1940年代始めのスターリン体制の時代と、ナチス・ドイツ占領下の時代の両方を経験していることです。スターリン体制下においてもウクライナは実に厳しい現実を経ていて、2000万人ぐらいが逮捕されています。




豊崎:農場主だったガイヤーさんのお父さんも逮捕されて、1000人の釈放者のうちの1人ではあったけれども、結局、拷問の後遺症で1年半後に亡くなられてしまったんですよね。




池内:スターリンは、工業を発展させるために食糧輸出で外貨を得ようと、農民をコルホーズ=集団農場に組み入れる政策を取り、効果的に農作物を収奪しようとしました。しかし当然ながら農民たちは、先祖代々の土地を手放すことを承知しません。そこでスターリンは、ウクライナに収穫高の4割を供出することを定め、圧政による大飢饉が起こり、実に悲惨な状況が続いたわけです。そのためウクライナでは、ナチス・ドイツ軍がめずらしく歓迎されたんです。




豊崎:解放軍のごとく迎えられたんですね。




池内:ガイヤーさんがドイツへ来て、由緒あるフンボルト奨学金を手にするまでには、ウクライナでのそういったスターリニズムからナチズムに移行していく時代背景があったわけです。







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映画『ドストエフスキーと愛に生きる』より。少女時代のガイヤーさん。





豊崎:ガイヤーさんは、スターリン体制下で父を失い、さらに親友がナチスに殺されます。彼女の恩人であるナチの将校が親友を殺した人物ではないか?と監督が問いかけるシーンで、ガイヤーさんはすごく苦しそうな表情を見せます。この映画に出演することによって、彼女は辛い過去と向かい合わざるを得なかったのですね。




池内:そのシュピーゲルのインタビュー記事の冒頭で、「この映画の話がきたときに、どう思いましたか?」という質問を投げかけられて、ガイヤーさんは「私は見えない存在だから、映画出演などできるわけないと思った」と答えていました。これはもちろん、自分を消して小説を他言語に移し替える翻訳家という特殊な職業について語ってもいるわけです。87歳のおばあさんが実に正確に自己規定している、しかも大変に鮮やかな言葉で。なかなかの人だなと思いました。




豊崎:彼女の言葉の鮮やかさについては、ヴァディム・イェンドレイコ監督もインタビューで語っています。「彼女が話す言葉のひとつひとつが光っていて、的確に言葉を選ぶさまは、まるで芸術のようだった」と。それから、冒頭のシーンで橋が映りますね。彼女が65年ぶりに故郷キエフを訪れる場面でも出てきますが、おそらく橋は、監督が考える翻訳家の象徴であり、2つの全体主義に引き裂かれた彼女の象徴でもあるんだろうなと思いました。




池内:彼女は1923年生まれですが、この世代は物心ついて勉強を始めた頃にナチズムにぶつかって、やっと生きのびて戦後デビューしようとすると、歳を取りすぎていたという、非常に運の悪い世代です。その分、自分に対する見方、自らの仕事に対する見方が大変に厳しい。





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映画『ドストエフスキーと愛に生きる』より。孫娘とともに65年ぶりに故郷キエフへ向かうシーン。


従来のドストエフスキーの解釈にアンチテーゼを提出した翻訳家






豊崎:池内先生はカフカの全集訳を手がけられていますが、カフカの作品の中から“5頭の象”を選ぶとしたら、どれになりますか?




池内:まず3つの長編『失踪者』『審判』『城』は、どれも未完で終わりがない作品で、20世紀を代表する小説だと思います。“未完成”というと劣った作品のように捉えられますが、終わりがないことによって終わる、あとは読者が想像しながら創る小説こそ、僕は今この時代の小説ではないかと思います。




豊崎:“象”という意味は長さだけではなく、深さもあると思うのです。長編3作の他にあと2作、カフカの“5頭の象”はどれになりますか。




池内:『流刑地にて』という短編、それと『変身』ですね。『変身』は、ある朝、起きたら虫になっていたセールスマンが、虫になっていたことを不思議と思わず、むしろ目覚まし時計の音を聞き過ごしてしまったことに驚く。つまり仕事の虫だという点が非常におもしろい部分です。




豊崎:私は池内先生の訳を読むまで、『変身』が笑える小説であることに気づきませんでした。実際、カフカは妹たちに、自分の書いた小説を笑いながら読み聞かせていたそうですね。




池内:ドイツなどでは、本は目で読む以上に耳で読む、つまり誰かの朗読を聞いて意見を言う伝統があります。この映画の中でガイヤーさんも訳文を朗読してもらっていますが。カフカが虫になった男の物真似をしながら読み聞かせている途中、おかしくて吹き出してしまい後がなかなか続かなかったというエピソードを、カフカの友人たちも書き残しています。だから本人は相当おもしろく書いたつもりだったと思います。ただ、『変身』が日本に紹介されたのが戦後、実存主義が風靡していた時代で、「カミュやサルトルより30年も前に、実存主義が小説化されていた」というふれこみだったため、一度定まったその堅苦しいイメージがなかなか直せなかったんですね。




豊崎:それを池内先生の訳が覆したわけですね。




池内:ガイヤーさんによるドストエフスキーの訳がドイツで大きな反響を呼んだのは、それまでのドストエフスキーの解釈に対するアンチテーゼが提出されたからです。これまでの読み方を疑わせるほど、非常に新鮮な翻訳だったんですね。『罪と罰』という題は、ドイツ語でもそれまでずっと『罪と罰』だったんですが、彼女は『罪』を『犯罪』、罰を『罰則』と訳した。つまり宗教的な意味合いを断ち切り、純粋に「罪を犯したからには罰則を与えられる」という題にしたことで、この小説に新しい読み方を与えたんです。




豊崎:そういう事情があったんですか。






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池内紀さん(写真左)と豊崎由美さん(写真右)。




池内:僕は「翻訳はかくあるべし」とか、自分の翻訳理論とかがある人間ではないですが、オリジナルに動かされた体験がなければ、原作を読んで「これを日本語に移してみたい」という動機がなければ、いい翻訳は生まれないと思っています。それと、原作が持っている性格なり雰囲気なりを、自分の全人格で受け止めて解釈をするのが翻訳だと思っています。まわりくどい言い方になりますが、語学的には正確でも、とんでもなくひどい訳もありうるということです。




翻訳は、大雑把に3つに分かれる思います。1つめは、おとなしい翻訳。語学的に正確だけれど、いわば国語辞典がそのまま入り込んだような、訳書としては弱いもの。2つめは、おりこうな翻訳。これは言葉の裏の意味や、複雑な表現もきちっと捉えているけれど、どこか冷ややかで、2度3度と読みたいとは思わないもの。3つめは、わんぱくな翻訳。これが一番やっかいで、名訳と言われるものは大抵わんぱくです。とんでもないところをすっとばしていたりするような、訳者が前面に出た、個性の強い訳です。




豊崎:小林秀雄のランボオ訳みたいなものでしょうか。




池内:あれは原作に基づいた小林秀雄の創作になっていますよね。今日、会場にお越しの皆さんは若い方ばかりですが、僕らの世代は名訳を熟読していました。小林秀雄の(アンドレ・ジッド著)『パリュウド』とか、中原中也のランボオとか、堀口大學のアポリネールとか。「日も暮れよ、鐘も鳴れ/月日は流れ、わたしは残る」という(アポリネール『ミラボー橋』の)有名な一節がありますが、原文はかなり違います。




豊崎:(笑)意訳なんですね。




池内:「日も暮れよ、鐘も鳴れ」の「も」は、並列助詞なので普通は前に係りますが、あの訳詩では最初から「も」です。アポリネールが常に語っていたことは、時が過ぎて気がつけば自分がこの世から立ち去る状況にいる寂しさです。それが堀口大學の訳だけにあって他の訳にはない。つまり堀口大學が彼の個性と好みとを賭けて日本語にした2行であり、意訳だけれど原作の性格は非常に正確に捉えている。名訳としか言いようがありません。だから翻訳というのは場合によっては、自分の人格を賭けるような、危険な仕事でもあるんです。




豊崎:訳す対象になる作品にも、翻訳家の個性が出ますよね。




池内:そうですね。たとえば神西清のチェーホフや、呉茂一のギリシャ詩歌集などが思い浮かびますが、いずれも訳者の個性が強く出た名訳です。さきほども言いましたが、ガイヤーさんは『シュピーゲル』のインタビューで、翻訳者を「見えない人間」と規定していた。確かに自分を透明にすること、鴎外は“無私”と表現していましたが、それは翻訳者の取るべき姿勢です。でも同時に、この人でなければできない日本語にしなければならない。そんな、極めてやっかいな役割を引き受けるのが翻訳者です。経済的にも見合う仕事ではないですから、僕は若い人にそうそう薦めたりはしませんが、非常におもしろい作業ではあります。言語には、一方で自分を消しながら、一方で自分を出す二重性を許す力があります。映画も含め造形でそれを表すのは難しいでしょうが、言語はその点において、とても幅の広いメディアです。



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映画『ドストエフスキーと愛に生きる』より。グロートさんと読み合わせの作業をするガイヤーさん。





豊崎:ガイヤーさんの翻訳は、さきほどの池内さんのおっしゃった分類では、どれにあたりますか?




池内:僕は一部を読んだだけですが、彼女の翻訳はわんぱくで、かなり大胆ですよ。たとえば、これまでの翻訳者が1ページ使っていた訳文を、彼女は7割くらいにしていたりします。僕自身、カフカを翻訳したときがそうでした。担当編集者に出来上がった原稿を渡したら、予測していた枚数より少ないので、彼は訳の抜けがあるんじゃないかと思って、原文に克明にあたったくらいでした。




豊崎:彼女の翻訳の方法が変わっていますね。まず、ハーゲンさんというご近所に住んでいると思われる教養豊かなおばさんが、ガイヤーさんが口述した訳文をタイプライターで打ちます。次にグロートさんという音楽家のおじさんが声に出して読みます。このグロートさんが、「ここはコンマを入れた方がいいんじゃないか」とか、自分の意見をいろいろ言ってくるんですよね(笑)。




池内:音声で聞いて、ここは一息入れた方が良い、と指摘するグロートさんの意見は正しいと思います。彼女が訳しているのは詩ではなく散文ですから、散文というのは、リズムを持たなければ単なる死物です。英語で「translate」とは“移動させる”という意味で、つまり「translator」は“移す人”です。ドイツ語では「Übersetzer」と言いますが、2つの言語を仲介する文化的運送屋です。ただし、別の言語に移すときに、その新しいメロディの中でリズムを持たせて蘇らせなければなりません。言葉はリズムがあって、はじめて命を得るからです。スヴェトラーナさんはそのことをよく踏まえた上で、あのように2人のチェッカーと作業をしている。とても聡明なやり方だと思います。




豊崎:彼女にとってドイツ語が母語ではないことが、あのような翻訳の仕方をとっている理由の1つかもしれないと思うのですが。




池内:彼女は小さい頃からドイツ語もフランス語も学び始めていたそうなので、ネイティブに近いドイツ語だったのではないでしょうか。常に大国のエゴで振り回されてきたウクライナで生き延びるために、一番重要なのは言葉だと、彼女の母親が学ばせたそうですね。見事な知恵です。日本人がいかに能天気かわかるでしょう。日本は単一民族国家だというようなことを、政治家が発言したりする。世界の政治状況の中で、その鈍感さが、もしくは鈍感を装うことが許されないことであるのは、とっくの昔に判明していたのに。





豊崎:本当に。今の状況は関東大震災の前とすごく似ているらしいんですよ。怖いなと思います。最後に、ガイヤーさんは「翻訳は憧れ」と言っていますが、池内さんにとって翻訳とはどのようなものでしょうか。





池内:訳したいものには人生でそうそう出くわしません。自分の中に求めるものがない限り、たくさん読んだからといって出会いません。ガイヤーさんはその求めるものが65歳で見つかって、それから十数年かけて5作の長編を訳した。非常に強い精神力だと思います。僕は55歳で大学教師を辞めましたが、理由が3つあって、1つはカフカを個人で訳したい、もう1つが北から南へ主だった山に登りたい、3つめはなるたけ簡素に生きたかったからです。カフカは以前から訳していましたが、新しい版権がなかなか取れなくて、本になったのは5年後ぐらいでした。やっぱり一言では、“夢”か“憧れ”といったものがありました。だから毎日、手書きで原稿を書いていく作業を続けてきましたが、苦痛だとか労働だとか思ったことはありません。異国語としてじっと止まっている言葉を動かすわけですから、言葉を使う人間からすれば大変楽しい作業です。経済的な見返りはなくても、そんなにしんどいとは思わない。ただ、「売れる本だから2カ月でやって下さい」と依頼されるような仕事は、多分それほど楽しくないだろうなと思います。








池内 紀(いけうち・おさむ)プロフィール


1940年生まれ。ドイツ文学者、エッセイスト。東京外国語大学外国語学部卒業、1965年東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。1966年神戸大学助教授、東京都立大学教授を経て1985年東京大学文学部教授。定年前の1996年に退官。ドイツ、オーストリアの世紀末文化の研究や翻訳のほか、大衆芸能や温泉などにおよぶ幅広い文筆活動をおこなっている。主な著訳書に、『カフカ小説全集』(白水社)、パトリック・ジュースキント『香水──ある人殺しの物語』(文藝春秋)、ヨーゼフ・ロート『聖なる酔っぱらいの伝説』(白水社)、ゲーテ『ファウスト』(集英社)、『池内紀の仕事場・全8巻』(みすず書房)、『恩地孝四郎―― 一つの伝記』(幻戯書房)など。



豊﨑由美(とよざき・ゆみ)プロフィール


1961年生まれ。ライター、書評家。「Ginza」「TVBros.」などで書評を多数掲載。主な著書に『そんなに読んで、どうするの? 縦横無尽のブックガイド』(アスペクト)、『ガタスタ屋の矜持』(本の雑誌社)、『ニッポンの書評』(光文社)、『文学賞メッタ斬り!』シリーズ(PARCO出版、筑摩書房/大森望との共著)、『石原慎太郎を読んでみた』(原書房/栗原裕一郎氏との共著)など。最新刊は『まるでダメ男〔オ〕じゃん!「トホホ男子」で読む、百年ちょっとの名作23選』(筑摩書房)。








映画『ドストエフスキーと愛に生きる』

渋谷アップリンク他にて、全国順次公開中



84歳の翻訳家スヴェトラーナ・ガイヤーの横には、華奢な姿に不似合いな重厚な装丁の本が積まれている。『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』『悪霊』『未成年』『白痴』──言わずと知れたロシア文学の巨匠・ドストエフスキーの長編作品。それらを"五頭の象"と呼び、生涯をかけてドイツ語に訳した。1923年ウクライナ・キエフで生まれ、スターリン政権下で少女時代を過ごし、ナチス占領下でドイツ軍の通訳として激動の時代を生き抜いた彼女の横顔には、戦争の記憶が深い皺となって刻まれている。一人の女性が歩んだ数奇な半生に寄りそう静謐な映像が、文学の力によって高められる人の営みを描き出す。



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■監督:ヴァディム・イェンドレイコ

■撮影:ニールス・ボルブリンカー、ステファン・クティー

■録音:パトリック・ベッカー

■編集:ギーゼラ・カストロナリ・イェンシュ

■出演: スヴェトラ-ナ・ガイヤー、アンナ・ゲッテ、ハンナ・ハーゲン、ユルゲン・クロット

■製作:ミラ・フィルム

■配給・宣伝:アップリンク

(2009年/スイス=ドイツ/93分/ドイツ語・ロシア語/カラー・モノクロ)




映画公式サイト:http://www.uplink.co.jp/dostoevskii/


映画公式ツイッター:https://twitter.com/DostoevskiiJP


映画公式facebook:https://www.facebook.com/DostoevskiiMovieJP











Official Guid Book


『ドストエフスキーと愛に生きる』

オフィシャルガイドブック発売中




フルカラー50ページ、大充実のコンテンツ! アマゾンほか、以下の取扱い店舗で販売中です。



◆映画の中でスヴェトラーナさんが作る、ロシアとドイツそれぞれの伝統料理をベースにした彩りも美しいレシピをLIKE LIKE KITCHENの小林紀代美さんが再現



◆毎日の暮らしを丁寧に過ごすスヴェトラーナさんの家をイメージし、人気雑貨店Roundaboutのオーナー小林和人さんと、fog linen workの関根由美子さんが、いつまでも愛着を持って使い続けられる生活雑貨をセレクト



◆名翻訳家スヴェトラーナさんにちなみ、柴田元幸さん、野崎歓さんなど、日本国内で活躍中の気鋭翻訳家9名の仕事風景をとらえた貴重な写真とインタビューを掲載



◆ドストエフスキーの新訳が大反響を呼んだ亀山郁夫さんによるエッセイ



◆平野啓一郎さん、太田直子さん、伊藤聡さんらによる、お薦めドストエフスキー作品の紹介



◆小林エリカさんによる描き下ろしイラスト



【図書コード】ISBN978-4-90072-859-2

【定価】800円(税抜)

【取扱】アマゾンでのご注文はこちら

[東京]渋谷アップリンク、シネマート六本木、代官山蔦屋書店、青山ブックセンター六本木店、TSUTAYA TOKYO ROPPONGI、B&B、SHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERS

[愛知]ON READING

[京都]恵文社、モアレ

[愛媛]螺旋











▼『ドストエフスキーと愛に生きる』予告編


[youtube:zJQvtH8GfZM]
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「この映画は、翻訳者映画ではあるけれど、おばあさん映画でもあります」 http://www.webdice.jp/dice/detail/4148/ Mon, 17 Mar 2014 10:20:46 +0100
映画『ドストエフスキーと愛に生きる』アフタートークに登壇した岸本佐知子さん





ドストエフスキーの新訳でドイツ文学界に旋風を起こした女性翻訳家の数奇な半生を追った、現在公開中のドキュメンタリー映画『ドストエフスキーと愛に生きる』。渋谷アップリンクで去る3月2日(日)、翻訳家の岸本佐知子さんをゲストに迎え、アフタートークが開催された。翻訳家から観た本作の魅力や、ご自身の仕事観などについて語ってもらった。岸本さんならではのユニークな洞察に満ちたトークに、しばしば会場が笑いに包まれる楽しいひとときとなった。









「スヴェトラーナさんがチームを組んで翻訳している様子は

翻訳者として衝撃でした」




──まず、本作をご覧になった感想をお聞かせください。



いろいろなことを考えさせられましたが、まっさきに感じたのは“尊い”ということです。スヴェトラーナさんの言葉はもちろん、彼女の日常生活すべてが、たとえばアイロンをかけたり、買い物に行ったり、しわだらけの手でドストエフスキーの本を開いたりという、動作のひとつひとつが尊いと感じました。




私は“100歳まで現役”を目標にしているのですが、おばあさんになっても翻訳を続けている姿の具体的なイメージがなかったので、この映画を観て多少、可視化されました。だけど、「無理だ!」と思いました(笑)。現在進行形で混乱が続いているウクライナと比べ平和な日本で生まれ育ち、ぼんやり翻訳している私は、人生の重みがスヴェトラーナさんと違うし、とても彼女のようにはなれないと思いました。



スヴェトラーナさんはドストエフスキーのあの分厚い5大長編を、10年間に5冊、しかも70代で訳したわけです。それやこれやを考えると、彼女は普通のおばあさんに見えて、実は怪物だと思います(笑)。時々チラッと、なんともいえない眼つきをしますよね。『ムーミン』に出てくる、モランという孤独な魔物をほうふつさせるような。あの眼差しは、背負ってきたものがワッと出てくる瞬間ではないでしょうか。




もう一つ考えたのは、彼女が翻訳者ではなく普通のおばあさんだったら、はたしてこの映画はつまらなかっただろうか?ということです。私は、おもしろかったはずだと思うのです。この映画は、翻訳者映画でもあるけれど、おばあさん映画でもあります。彼女が買い物に行ったり、粉をこねたり、トマトを切ったりしている様子を観ているだけでおもしろい。私は、すべてのおばあさんはおもしろいと思っています。どのおばあさんの普段の暮らしを撮っても、価値ある映画になるんじゃないでしょうか。野菜の切り方や、アイロンのかけ方も、十人十色のはずで、その人の人生がすべて出る気がします。




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映画『ドストエフスキーと愛に生きる』より






──特に印象的だったシーンはありますか?



故郷のキエフを訪れる旅の最後に、彼女が幼い頃、夏を過ごしたダーチャ(山荘)のコウノトリが来た泉の水をもう一度飲みたいと訪ねて行くけれども、結局、果たせませんね。とても辛いシーンで「飲ませてあげたかった」と思いますが、同時に「やはり、この人は飲めない運命だったのだ」とも思います。祖国から裏切り者とされ、敵性語のドイツ語で身を立てていくけれども、ドイツでは強制収容所に入れられ、どちらの国にも属さない、いわば漂泊者なわけです。でも逆にどちらにも属さないからこそ、言葉を使ってその二つの架け橋になるという使命にたどり着いたのだと思いました。




それから、これは翻訳者として衝撃でもあったのですが、彼女はチームを組んで翻訳していますね。一緒に作業する相手が二人出てきますが、一人はマシンガンのようにタイプライターを打つおばあさんです。さっきまで洗濯物を畳んでいたスヴェトラーナさんが、その人と向かいあって翻訳を始めると、急に居合い抜きのような、「いくわよ」みたいな雰囲気になるのがおもしろかったです。もう一人のおじいさんも、「カンマを打つべきだ」とか自分の意見を相当、遠慮なく言いますよね。スヴェトラーナさんも「原文には書いてない」と言い返して。あの緊迫感たるや(笑)。



ああいったシステムで作業している翻訳者は少ないと思います。私も歳をとったら採用したいと思いますが。普通は第二外国語を母語に訳しますが、彼女の場合は逆なので、ネイティブの人にチェックしてもらうためのシステムとも言えます。スヴェトラナーナさんは、マシンガンおばあさんには言葉のニュアンスなどについて意見を聞いて、音楽家のおじいさんには訳文を読んでもらい、原文と呼吸が合っているかを確かめています。翻訳にはいろんなレベルがあるけれども、一番高度なのは原文と息の長さを合わせる、呼吸を合わせるということで、彼女はそれを自分ではできないとわかっていて、ケンカをしながらでも人にやってもらっている。そこがこの映画でとても感動したところです。「このおばあさんすげぇ」と。



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映画『ドストエフスキーと愛に生きる』より




──映画の中でスヴェトラーナさんは「人はなぜ翻訳するのか? きっと逃れ去っていくものへの憧れかもしれない。手の届かぬオリジナルを……究極の本質を求めて」と語っていましたが、岸本さんにとっての翻訳という営為の魅力はなんでしょうか。



重い歴史を背負っているスヴェトラーナさんと自分を同列に語るのはおこがましいですが、私がなぜ翻訳をするかというと、一つには、これしかできないからです。上手くできているかはわからないけれど、自分がやっても人に迷惑がかからないと思える唯一のことが翻訳なんです。そういう意味では社会との絆でもあって、自分が存在していてもいいのかな、と思えるのが翻訳という仕事です。




「翻訳が好き」というより、たとえば目の前においしい食べ物があったら食べますよね。それと同じで、すごく面白い小説があったら、訳さずにいられないんです。それは体質みたいなもので、「訳さないと苦しい」という極めて動物的で生理的な感覚です。正直なところ、「これを日本の皆さんに読んでほしい」といった使命感は二の次です。



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映画『ドストエフスキーと愛に生きる』より




「私にとって翻訳は、自分がただの道具になる気持ちよさがあります」




──岸本さんはインタビューなどで「翻訳の喜びは、空っぽであることの喜び」とおっしゃっていますが、これはどういう意味でしょうか。



自分の中に何も言いたいことはないし、メッセージもない。翻訳は、そんな空っぽな私の中に、何か言葉が入ってきて共鳴するような感じなんです。それが自分にとっては、とても気持ちのいいことで、道具になる喜びというか、そこに自分はなく、ただの道具であることの気持ちよさを感じるのです。よく柴田元幸さんも、「奴隷根性」とおっしゃっていますが、作家の奴隷であり、作品の奴隷であり、言葉の奴隷であることが、私にはとても気持ちいいんです。



──岸本さんはエッセイストとしても大変な人気ですが、エッセイのお仕事はお好きではないそうですね。



私は翻訳が好きで、エッセイの仕事は嫌々やっているのですが、止めない理由の一つは、翻訳の師匠(中田耕治先生)から「翻訳の仕事だけやっていると頭がおかしくなる。だから、もし書く仕事の依頼が来たら、絶対に引き受けて手放すな」と言われたからです。確かに、他人の言葉をずっといじっていると、砂漠でまっすぐ歩いているつもりが知らぬうちにだんだん曲がっていってしまうような、どこかアンバランスになってしまうところがあるかもしれません。




それから、私の書くエッセイはすごくバカバカしい内容なので、「この人が訳した本なら難しくないかも」と、翻訳小説に興味を持ってくださる方がいらっしゃるようなんですね。「なんとなく難しそう」とか「外国人の名前が覚えられない」といった理由で海外文学は敬遠されがちなので、その敷居が少しでも下がればいいかなと思っています。



──エッセイを書くことも、翻訳の仕事と似た側面があるのでしょうか。



これまでは、翻訳と違ってエッセイは自分の中から絞り出して書くものだと思っていました。でも、最近になって、絞り出しているのではなく、受信しているんだと感じるようになりました。締切が近づいてるのに書くことがなくてふて寝していると、言葉が聞こえてくることがあるんです、「コアラの鼻」とか(笑)。それで「コアラの鼻の材質って何だろう?」と考え始めて書けたことがあります。あと、「小さい小さい富士山」とか。「え、なにそれ?」って考え始めて「家に飾れる小さい富士山がほしい」という内容のエッセイを書いたこともあります。つまり自分で考えているわけではなくて、空気中に漂っている皆さんの無意識が私の中に入ってくる気がするんです。そうやって書いたエッセイは、「私も同じことを思っていた」という反響も多くて、それがとても嬉しいです。



──現在、岸本さんが翻訳中の作品についてお聞きかせください。



ショーン・タンという絵本作家の新作が、今年の夏に出る予定です。絵が素晴らしいので、ぜひ読んでみてほしいです。それと、これまでに私が2作(『ほとんど記憶のない女』『話の終わり』)を訳したことのあるリディア・デイヴィスという作家の短編集を今、進めているところです。あとは、私が以前『いちばんここに似合う人』という短篇集を訳した、ミランダ・ジュライの2冊目の本(『It Chooses You』)を訳しています。彼女が一般人にインタビューするドキュメンタリーなんですが、べらぼうにおもしろいです。


会場からの質問



翻訳の勉強をしているのですが、上達するためのアドバイスを伺えますか。



一番のアドバイスは“やめないこと”です。翻訳学校時代に、私など比べものにならないくらい翻訳が上手い方がクラスに何人もいました。もし彼らが今でも翻訳を続けていたら優れた翻訳家になっていたはずですが、残念ながらみなさん途中でやめてしまわれたようなんですね。私はただやめなかっただけで。



それから、上手い翻訳家の訳文を徹底的に研究するのも一つの手です。自分で原文を訳してみた上で比較すると勉強になります。あと、私がよくやっていたのは、英語に訳されている日本の作家、村上春樹さんや小川洋子さん、あるいは川端や三島といった古典でもいいですが、彼らの小説の英訳の一部を自分で日本語に訳して、原文と比べてみるというのも良いトレーニング法です。英語にとらわれて、いかに自分が不自然な日本語で訳しているかがよくわかります。



それと、これは突拍子もないアドバイスかもしれませんが、よくテレビ番組で人がしゃべっている下にテロップが出ますね。そのテロップを見てしまうと、てきめんに耳が悪くなるので、私は見ないようにしています。私は、翻訳の上手さは、半分は耳の良さだと思っています。英語を読んだときに、どういう日本語が聞こえてくるかというような、翻訳には聴覚を使う面もあると思うからです。














岸本佐知子 プロフィール


1960年生まれ。上智大学文学部英文科卒業。洋酒メーカー宣伝部勤務を経て翻訳者に。ショーン・タン、 リディア・デイヴィス、ミランダ・ジュライ、ジャネット・ウィンターソンなどの訳で知られる。編訳書に『変愛小説集』(講談社)、 『居心地の悪い部屋』(角川書店)ほか。著書に『気になる部分』(白水社)、『ねにもつタイプ』(筑摩書房/第23回講談社エッセイ 賞受賞)、『なんらかの事情』(筑摩書房)等がある。












映画『ドストエフスキーと愛に生きる』

渋谷アップリンク他にて、全国順次公開中



84歳の翻訳家スヴェトラーナ・ガイヤーの横には、華奢な姿に不似合いな重厚な装丁の本が積まれている。『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』『悪霊』『未成年』『白痴』──言わずと知れたロシア文学の巨匠・ドストエフスキーの長編作品。それらを"五頭の象"と呼び、生涯をかけてドイツ語に訳した。1923年ウクライナ・キエフで生まれ、スターリン政権下で少女時代を過ごし、ナチス占領下でドイツ軍の通訳として激動の時代を生き抜いた彼女の横顔には、戦争の記憶が深い皺となって刻まれている。一人の女性が歩んだ数奇な半生に寄りそう静謐な映像が、文学の力によって高められる人の営みを描き出す。



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■監督:ヴァディム・イェンドレイコ

■撮影:ニールス・ボルブリンカー、ステファン・クティー

■録音:パトリック・ベッカー

■編集:ギーゼラ・カストロナリ・イェンシュ

■出演: スヴェトラ-ナ・ガイヤー、アンナ・ゲッテ、ハンナ・ハーゲン、ユルゲン・クロット

■製作:ミラ・フィルム

■配給・宣伝:アップリンク

(2009年/スイス=ドイツ/93分/ドイツ語・ロシア語/カラー・モノクロ)




映画公式サイト:http://www.uplink.co.jp/dostoevskii/


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『ドストエフスキーと愛に生きる』

オフィシャルガイドブック発売中




フルカラー50ページ、大充実のコンテンツ! アマゾンほか、以下の取扱い店舗で販売中です。



◆映画の中でスヴェトラーナさんが作る、ロシアとドイツそれぞれの伝統料理をベースにした彩りも美しいレシピをLIKE LIKE KITCHENの小林紀代美さんが再現



◆毎日の暮らしを丁寧に過ごすスヴェトラーナさんの家をイメージし、人気雑貨店Roundaboutのオーナー小林和人さんと、fog linen workの関根由美子さんが、いつまでも愛着を持って使い続けられる生活雑貨をセレクト



◆名翻訳家スヴェトラーナさんにちなみ、柴田元幸さん、野崎歓さんなど、日本国内で活躍中の気鋭翻訳家9名の仕事風景をとらえた貴重な写真とインタビューを掲載



◆ドストエフスキーの新訳が大反響を呼んだ亀山郁夫さんによるエッセイ



◆平野啓一郎さん、太田直子さん、伊藤聡さんらによる、お薦めドストエフスキー作品の紹介



◆小林エリカさんによる描き下ろしイラスト



【図書コード】ISBN978-4-90072-859-2

【定価】800円(税抜)

【取扱】アマゾンでのご注文はこちら

[東京]渋谷アップリンク、シネマート六本木、代官山蔦屋書店、青山ブックセンター六本木店、TSUTAYA TOKYO ROPPONGI、B&B、SHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERS

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▼『ドストエフスキーと愛に生きる』予告編


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人は何のために翻訳者を目指すのか─亀山郁夫さんが映画『ドストエフスキーと愛に生きる』について綴る http://www.webdice.jp/dice/detail/4117/ Thu, 13 Feb 2014 13:40:50 +0100
映画『ドストエフスキーと愛に生きる』より


ナチス占領下のドイツを自らの語学の才能を発揮し生き延び、戦後、ロシア文学の翻訳に尽力した女性翻訳家の人生を、彼女の穏やかな日常生活と美しい言葉から探る映画『ドストエフスキーと愛に生きる』が、2月22日(土)からロードショー公開されている。

公開にあたり、翻訳家であり、名古屋外国語大学学長・ロシア文学者の亀山郁夫さんが本作に寄せたエッセイを掲載する。



現在webDICEでは、日本で活躍する文芸翻訳家9名に「翻訳」という営為の魅力について訊ね、仕事風景を捉えた連載を掲載中。柴田元幸さん(アメリカ文学研究者・翻訳者)、きむふなさん(日本・韓国文学翻訳家)、野崎歓さん(フランス文学者・翻訳家)、野谷文昭さん(東京大学名誉教授・ラテンアメリカ文学翻訳家)、松永美穂さん(早稲田大学教授・ドイツ文学翻訳家)、飯塚容さん(中央大学教授・中国文学翻訳家)、和田忠彦さん(東京外国語大学教授・イタリア文学翻訳家)、鴻巣友季子さん(翻訳家・エッセイスト)、沼野充義さん(東京大学教授・スラヴ文学者)の書斎を訪ねている。また、映画の公開に合わせて、渋谷UPLINK GALLERYでは写真展「言語をほどき紡ぎなおす者たち」も3月3日(月)まで開催されている。



亀山さんのエッセイが掲載された『ドストエフスキーと愛に生きる OFFICIAL GUIDE BOOK』は現在発売中。webDICEでの連載をまとめた特集ページのほか、平野啓一郎さん、太田直子さん、伊藤聡さんらによる、お薦めドストエフスキー作品紹介などを掲載している。








翻訳の営みそのものが、

日常生活のなかでの細やかな気配りと深くこだましあう。




翻訳者は、本来、脇役であり、黒子である。だが、翻訳者が向かいあうテクスト次第で、脇役や黒子の営みが、それこそ偉業、勲功とみなされることが、時として起こる。それだけ偉大なテクストが、この世には存在する。シェークスピア、ダンテ、ラブレー、ドストエフスキーなど、古今東西の作家たちの名を思い浮かべるだけでよい。では、翻訳者に与えられる偉業、勲功の理由は、たんにオリジナルを著した作家たちにのみ帰するのだろうか。翻訳に求められる最大の要件とは、いうまでもなく、客観的な正確さであり、翻訳に携わる人間の人となりや主体性は、ふつう、かぎりなくゼロに近い意味づけしか与えられない。にもかかわらず翻訳には、不条理ともいえるほど大きな自己犠牲が伴うため、時としてオリジナルの作家以上の存在感を与えてきた事実も見逃すことはできない。ロシア文学を例にとるなら、ドストエフスキー、トルストイの翻訳に手を染めた米川正夫、江川卓、原卓也らの名前が知られるが、そうした錚々たる名のほかにも、たとえば、北御門二郎のように、翻訳という営みにまつわる意味合いの深さゆえ、長くその偉業が語り継がれてきた翻訳者もいる。北御門は、徴兵を忌避し、戦後何十年にわたってトルストイの翻訳にいそしんできた熊本の一農民である。



2011年、山形国際ドキュメンタリー映画祭で話題となったヴァディム・イェンドレイコ監督『五頭の象と生きる女』(原題)は、ドイツを代表するロシア文学の翻訳者スヴェトラーナ・ガイヤーの数奇な半生を掘り起こした作品である。1923年に旧ソ連ウクライナ共和国に生まれ、2010年、ドイツ・フライブルグでこの世を去った。本名、スヴェトラーナ・ミハイロヴナ・イワーノワで、れっきとしたロシア人である。農業の専門家である父、白系ロシアの血をひく母との間に生まれた彼女は、スターリンが支配する1930年代に多感な少女時代を過ごした。1937年、父親は、いわゆる大静粛によって逮捕され、18カ月間におよぶ獄中生活を経て奇跡的に解放されるもつかのま、死去した。スターリン体制から「人民の敵」とされた家族に将来の望みはなく、母親は、15歳になる娘スヴェトラーナになしうる限りの教育を施すことになる。教育こそが、唯一のサバイバルの手段だったのだ。一方、スヴェトラーナが、最も得意としたのが、まさに敵性語であるドイツ語だった。



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映画『ドストエフスキーと愛に生きる』より




独ソ戦勃発からまもなくウクライナはドイツナチスの占領下に入り、ガイヤーの語学的才能は、たちまちゲシュタポの注目するところとなる。このとき、彼女の行く末に決定的ともいうべき役割を果たしたのが、ドイツ国内での失策を理由に東部戦線に送られてきたナチス将校ケルシェンブロック伯爵だった。謎に満ちた高雅な伯爵は、ドイツ軍に協力する彼女に、ドイツ国内の大学への留学と奨学金を約束する。だが、独ソ戦最大の激戦地スターリングラードでの戦いでドイツ軍が破れ、ソ連軍のウクライナ侵攻が予測されるなか、ガイヤーは、ドイツ軍への戦争協力の追及を恐れる母とともにウクライナを去ることを決意する。ドイツでは、いわゆるオスタルバイターとして労働に従事するが、友人たちの努力の甲斐あってまもなくそこから解放され、大学に入学する。戦後は、思いのほか幸運に恵まれた。1960年以降、カールスルーエとウィッテンブルグの大学で教壇に立ち、ロシア語を講じながら、ロシア文学の翻訳に従事しはじめた。彼女の翻訳した作品として知られるのが、トルストイ、ブルガーコフ、ソルジェニーツィンの作品だが、ガイヤーの名を一躍知らしめたのが、ソ連崩壊後まもなく始めたドストエフスキー五大長編(『罪と罰』『白痴』『悪霊』『未成年』『カラマーゾフの兄弟』)の翻訳だった。本映画の原タイトルにある「五頭の象」とは、ほかでもない、この五大長編を言う。





この映画では、ドイツの小都市の郊外にひっそりと暮らすガイヤーの日常生活を映しだしたあと、65年ぶりのキエフ帰還の様子が、暗鬱な色あいのなか、詩情豊かに描き上げられていく。一度は捨て去った故郷に戻ることに、どのような意味があるのか。彼女の願い、それはただ一つ、少女時代に飲んだ井戸の水を、死ぬまでにもう一度飲みたいという願いを成就することだった。しかしその夢は叶えられず、その足でスターリン時代に死んだ父の墓に向かう。故郷の人々も、この見知らぬ異邦人に温かく接することはなく、そのまなざしにはどことなく敵対的な雰囲気が感じられる。ガイヤーは、故郷ウクライナにあって否応なく、故郷喪失者としての自分を認識するが、彼女の話を聞きに教室に集まった子供たちの表情は、意外なほど明るい。そんなガイヤーに、悲報がもたらされる。息子の突然の死―。ソビエトという呪わしき故郷とウクライナという懐かしの故郷から二重に離反された人間に襲いかかる新たな孤独―。ガイヤーは、どのようにして生きるモチベーションをとり戻し、いかに自らのアイデンティティを保ち続けることができるのか。





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映画『ドストエフスキーと愛に生きる』より




印象的なのは、キエフ・ウラジーミル大聖堂を訪れる場面である。彼女はここでも気づく。「集団(ソム)」ないし「全体」というロシア的精神のコア、大いなる全体を構成するみごとな細部、それこそは、ロシア正教が千年の歴史のなかで培ってきた精神そのものであり、同時に、翻訳の精神そのものではないか。「集合」ないし「全体」へのロシア人の傾斜は、ロシアに全体主義の誕生をうながし、なおかつラーゲリと粛清という悲劇を生み出した負の力でもある。翻訳と全体主義との間に横たわる微妙な親和性の発見―。



映画では、全編をとおして、ガイヤーの、時として聖女のような、時として妖怪のような表情を陰影豊かに映し出していく。それにしても、世界と向かいあう彼女の手の、繊細で無骨な動きはどうだろうか。その手は、まるで彼女の人生そのもののシンボルのようにさえ感じられる。野菜をこまかくきざむ手、白のブラウスにアイロンをかける手さばき、それら一つ一つが世界とのふれあいであり、言葉との交感でもあるかのようだ。



翻訳の営みそのものが、日常生活のなかでの細やかな気配りと深くこだましあう。法悦にも似た喜びのなかで、半ば無意識の連想のなかから紡ぎだされる美しい箴言の数々―。



「洗濯をすると繊維は方向性を失う。その糸の方向をもう一度整えてやらねばならない。織りあわされた糸、文章も織物と同じこと」。



「翻訳は、左から右へとはっていく芋虫ではなく、翻訳はつねに全体から現れるものなのです」。



翻訳をめぐる、美しくユニークな洞察や箴言にもかかわらず、このドキュメンタリー映画が追究するテーマは、限りなく重い。監督のイェンドレイコは、当初、目的は手段を正当化するか、とのテーマ設定のもと、16世紀スイスの宗教改革の際に生じたカルヴァン派による大虐殺を題材とする映画を構想していたという。その構想中に、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』(とくに「大審問官」の章)を読み、さらにはその翻訳者であるガイヤーという知己を得たところから、構想に劇的な変更が生じた。イェンドレイコが構想したテーマは、スターリン主義の時代を潜り抜けた一人の女性翻訳者の生きざまにはるかにヴィヴィッドなかたちで刻み込まれていることを知るのだ。




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映画『ドストエフスキーと愛に生きる』より




ガイヤーの第一の悲劇は、ナチスドイツへの加担者、祖国への裏切者としてのそれである。その烙印が、記憶と心から消え去ることはない。しかし同時に、スターリン時代のロシアが彼女の人生に及ぼした傷も拭いがたい事実として残る。だからガイヤーは、みずからの裏切りを正当化できる。しかし正当化できるからといって罪の意識が消えることはない。ガイヤーには、選択肢がなかった。彼女は、二つの全体主義の力によって幾重にも切り裂かれた存在なのである。



第二の悲劇は、彼女が、ゲシュタポの将校ケルシェンブロック伯爵の手厚い庇護をうけた事実である。ガイヤーと伯爵との間には、何かしら語るに語りえない謎が潜んでいるような印象を与える。事実、現時点においても、この制服姿の下士官が、彼女の親友をも巻き込んだバビ・ヤールの悲劇(一万人のユダヤ人虐殺を生んだ)に手を貸した事実を認めることを彼女は拒否する。それは、ゲーテやシラーは、ナチスドイツと何の関係もないとする彼女の主張からもうかがわれる。その主張に、むろん、誤りはない。だが、敢えてそのように語る彼女の言葉のどこかにある微妙なこだわりと微妙な矛盾が感じられてならない。いや、その曖昧な二重性、語りえない何かが、ドキュメンタリー映画としての比類ない価値とリアリティをこの映画にもたらしている正体ではなかろうか。



では、彼女にとって翻訳とは、何であったのか。



思うに、それは、二つの言語間、文化間を無言のうちに通りぬける、一種の罪障消滅の行為である。映画の冒頭で、ガイヤーはいきなりこう告白する。



「私には負い目がある」。



まさにその「負い目」から彼女を救い上げた存在こそが、ドストエフスキーだった。彼女は、かつて殺し合った人々の間に生じた亀裂を、ロシア人作家ドストエフスキーのドイツ語訳という営みを通して修復しようとする・・・・・・。しかし、それにしても、日々の生活のなかにすっぽりと溶け込んだ翻訳という営みの美しさ。ことによると、空しい時の流れのなかで持続するこの無償の美しさへの憧れから、人は、翻訳者をめざすのかもしれない。



(文:亀山郁夫 『ドストエフスキーと愛に生きる OFFICIAL GUIDE BOOK』より)











亀山郁夫 かめやま・いくお



昭和24年、栃木県生まれ。日本のロシア文学者。前東京外国語大学学長。現在は、名古屋外国語大学学長、東京外国語大学名誉教授。2013年2月、著書『謎とき「悪霊」』(新潮選書)で読売文学賞受賞。主な訳書にドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』(毎日出版文化賞)のほか『罪と罰』『悪霊』など、近著に『新訳 地下室の記録』(集英社刊)。これらは、反響をよび新訳ブームとなった。












映画『ドストエフスキーと愛に生きる』

2014年2月22日(土)よりシネマート六本木、渋谷アップリンク他

全国順次公開



84歳の翻訳家スヴェトラーナ・ガイヤーの横には、華奢な姿に不似合いな重厚な装丁の本が積まれている。『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』『悪霊』『未成年』『白痴』──言わずと知れたロシア文学の巨匠・ドストエフスキーの長編作品。それらを"五頭の象"と呼び、生涯をかけてドイツ語に訳した。1923年ウクライナ・キエフで生まれ、スターリン政権下で少女時代を過ごし、ナチス占領下でドイツ軍の通訳として激動の時代を生き抜いた彼女の横顔には、戦争の記憶が深い皺となって刻まれている。一人の女性が歩んだ数奇な半生に寄りそう静謐な映像が、文学の力によって高められる人の営みを描き出す。







■監督:ヴァディム・イェンドレイコ

■撮影:ニールス・ボルブリンカー、ステファン・クティー

■録音:パトリック・ベッカー

■編集:ギーゼラ・カストロナリ・イェンシュ

■出演: スヴェトラーナ・ガイヤー、アンナ・ゲッテ、ハンナ・ハーゲン、ユルゲン・クロット

■製作:ミラ・フィルム

■配給・宣伝:アップリンク

(2009年/スイス=ドイツ/93分/ドイツ語・ロシア語/カラー・モノクロ)




映画公式サイト:http://www.uplink.co.jp/dostoevskii/


映画公式ツイッター:https://twitter.com/DostoevskiiJP


映画公式facebook:https://www.facebook.com/DostoevskiiMovieJP









Official Guid Book


『ドストエフスキーと愛に生きる』

オフィシャルガイドブック発売中




フルカラー50ページ、大充実のコンテンツ! アマゾンほか、以下の取扱い店舗で販売中です。



◆映画の中でスヴェトラーナさんが作る、ロシアとドイツそれぞれの伝統料理をベースにした彩りも美しいレシピをLIKE LIKE KITCHENの小林紀代美さんが再現



◆毎日の暮らしを丁寧に過ごすスヴェトラーナさんの家をイメージし、人気雑貨店Roundaboutのオーナー小林和人さんと、fog linen workの関根由美子さんが、いつまでも愛着を持って使い続けられる生活雑貨をセレクト



◆名翻訳家スヴェトラーナさんにちなみ、柴田元幸さん、野崎歓さんなど、日本国内で活躍中の気鋭翻訳家9名の仕事風景をとらえた貴重な写真とインタビューを掲載



◆ドストエフスキーの新訳が大反響を呼んだ亀山郁夫さんによるエッセイ



◆平野啓一郎さん、太田直子さん、伊藤聡さんらによる、お薦めドストエフスキー作品の紹介



◆小林エリカさんによる描き下ろしイラスト



【図書コード】ISBN978-4-90072-859-2

【定価】800円(税抜)

【取扱】アマゾンでのご注文はこちら

[東京]渋谷アップリンク、シネマート六本木、代官山蔦屋書店、青山ブックセンター六本木店、TSUTAYA TOKYO ROPPONGI、B&B、SHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERS

[愛知]ON READING

[京都]恵文社、モアレ

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▼2014年2月22日(土)公開『ドストエフスキーと愛に生きる』予告編


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言語をほどき紡ぎなおす者たち───海外文学界の第一線で活躍する翻訳家9名の仕事場を訪ねて vol.3 <和田忠彦/鴻巣友季子/沼野充義> http://www.webdice.jp/dice/detail/4113/ Fri, 07 Feb 2014 17:21:42 +0100
映画『ドストエフスキーと愛に生きる』より



ドストエフスキーの新訳でドイツ文学界に旋風を起こした女性翻訳家の数奇な半生を追ったドキュメンタリー映画『ドストエフスキーと愛に生きる』が、2月22日(土)から公開となる。翻訳家を題材とした本作の公開にちなみ、日本で活躍する文芸翻訳家9名に「翻訳」という営為の魅力について訊ね、仕事風景を捉えた連載の第三回。



第一回の柴田元幸さん(アメリカ文学研究者・翻訳者)、きむふなさん(日本・韓国文学翻訳家)、野崎歓さん(フランス文学者・翻訳家)、第二回の野谷文昭さん(東京大学名誉教授・ラテンアメリカ文学翻訳家)、松永美穂さん(早稲田大学教授・ドイツ文学翻訳家)、飯塚容さん(中央大学教授・中国文学翻訳家)に続き、今回は和田忠彦さん(東京外国語大学教授・イタリア文学翻訳家)、鴻巣友季子さん(翻訳家・エッセイスト)、沼野充義さん(東京大学教授・スラヴ文学者)が登場する。



なお、この連載に登場した翻訳家9名の写真展『言語をほどき紡ぎなおす者たち』が、2/19(水)~3/3(月)の期間、渋谷アップリンク・ギャラリーにて開催されている。また、現在発売中の『ドストエフスキーと愛に生きる OFFICIAL GUIDE BOOK』では、この連載をまとめた特集ページのほか、平野啓一郎さん、太田直子さん、伊藤聡さんらによる、お薦めドストエフスキー作品紹介などを掲載している。






[撮影/荒牧耕司 http://kojiaramaki.com

[取材・構成/隅井直子]












イタリア文学

和田忠彦




わだ・ただひこ 1952年生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程修了。1999年より東京外国語大学教授。カルヴィーノ、エーコ、タブッキをはじめとするイタリア近現代文学の優れた翻訳者として定評がある。イタリア文化普及に貢献したとして、2011年度イタリア国家翻訳大賞を受賞。著書に『ヴェネツィア 水の夢』(筑摩書房/2000年)、『声、意味ではなく──わたしの翻訳論』(平凡社/2004年)、『ファシズム、そして』(水声社/2008年)がある。




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東京外国語大学・研究室にて




Q.翻訳の仕事を始めたいきさつ



京大に入学した当初は、江戸時代の戯作研究を志していたのですが、三年生の学部進学に臨んでイタリア文学を専攻に選びました。ブッツァーティの『七人の使者』を訳す授業が、イタリア語翻訳の手ほどきという意味では最初でした。その時の恩師が、こちらのある程度の才能を認めて下さったことが大きいかもしれません。ただ、大学院の博士課程でイタリア現代詩とファシズムの研究のためにボローニャに留学していた頃も、まだ翻訳というものは、自分の選択肢として入り込んではいなかったように思います。翻訳の仕事を始めたのは、留学から戻ってきたあと、京都の松籟社という出版社に勤める知人から、イタリア叢書を出したいという話を受けて、ヴィットリーニの『人間と人間にあらざるものと』を翻訳刊行してからです。



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Q.「翻訳」という営為の魅力はなにか



ある人が自ら何かを書くとなったときに、気がついたら私が訳した小説や詩の影響をこうむっていた、ということを発見する、あるいはそれがテクストを通してこちらに伝わってくることが、翻訳をする際の、ある種の自分のやりがいです。



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Q.翻訳家を目指す人へのアドバイス



広い意味での翻訳についての議論と重なりますが、自分が持っている知識や言語的な運用能力が、母語である日本語でできること以上のことは、外国語では容易にはできない。となると、当然ながら日本語の世界を自分でどれだけ拡大し、なおかつその密度をどれだけ意識的に高めていけるか、それに尽きると思います。



Q.現在、進めている翻訳または著作



ウンベルト・エーコの『女王ロアーナ、神秘の炎』が岩波書店から近く刊行されるのと、準備を進めているものとしては、筑摩書房から刊行予定のカルヴィーノ論と、『國文学』の連載をまとめた『声、意味ではなく──わたしの翻訳論』の続編にあたるエッセイ集です。それから、今年イタリア文化会館で開催されるピノッキオについての連続的なイベントにあわせて、ピノッキオについての本を一冊出す予定です。



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和田忠彦さんから『ドストエフスキーと愛に生きる』に寄せられたコメント

スヴェトラーナの年老いた背は丸まっているけれど、まなざしと言葉は凛としてうつくしい。ドストエフスキーの産んだ5頭の巨象に対峙する、カルヴィーノと同い年の女性翻訳者の、静かなたたずまいに漲る自信に、こちらの背筋が伸びる。
さて、それにしてもスヴェトラーナの内で響くのは、果たしてドイツ語なのかロシア語なのか。

















英文学

鴻巣友希子




こうのす・ゆきこ 1963年生まれ。お茶の水女子大学大学院前期博士課程在学中の1987年から出版翻訳の世界に入る。J・M・クッツェー、マーガレット・アトウッドなどの翻訳を手がけるほか、文芸評論家、エッセイストとしても活躍。近著に『本の森 翻訳の泉』(作品社/2013年)、『翻訳教室──はじめの一歩』(筑摩書房/2012年)、『熟成する物語たち』(新潮社/同)、『孕むことば』(中央公論新社/同)、『本の寄り道』(河出書房新社/2011年)、『全身翻訳家』(筑摩書房/同)などがある。




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自宅の仕事部屋にて




Q.翻訳の仕事を始めたいきさつ



翻訳家になろうと思ったのは、大学1年生だった19歳の冬で、週刊誌に翻訳学校の広告が載っていたのを見て、「これだ!」とピンときたのです。それまで何をやってもしっくりこなかったのが、欠けていたピースがはまったような瞬間でした。でも、当時は翻訳というものが今ほどポピュラーではなかったせいでしょうが、プロを目指す若い人たちが集うというより中高年の人たちが文学修業をする場という感じだったので、結局、学校には行かず、独学で原書をたくさん読みました。大学4年生ぐらいから産業翻訳のバイトをはじめたのですが、それで長いものを翻訳する基礎体力がついたように思います。その後7~8年間、柳瀬尚紀先生に弟子入りして、ものを書いていく上での心構えや、人にものを伝えるとはどういうことかを徹底して教えてもらいました。



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Q.「翻訳」という営為の魅力はなにか



よく「役者と訳者」と言われるように、何通りもの他者の言葉を生きていけることです。原文という浮き輪が無ければ潜れない深海にまで行けるし、時には空を飛ぶこともできる、そんな心持ちを経験できるのが、翻訳者の醍醐味だと思います。



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Q.翻訳家を目指す人へのアドバイス



やっておいてよかったと思うのは、文学史を勉強することです。私の場合は大学院入試のために、20巻ほどもある英米文学史の本ををがむしゃらに読んだのですが、あれは若い時にしかできなかったと思います。翻訳家をやっていく上では、歴史的なパースペクティブがあったほうがいいし、共時的な解釈だけでなく、通時的な世界観もあったほうがいいと思います。



Q.現在、進めている翻訳または著作



翻訳は、数年がかりで訳出している『風と共に去りぬ』(新潮社)と、クッツェーの『ザ・チャイルドフッド・オブ・ジーザス[原題]』(早川書房)です。著書は、小説家の片岡義男さんとの翻訳のディスカッションをまとめた、『翻訳問答──日本語の謎は解けない』(左右社)と、雑誌『文藝』の市川真人さんとの対談連載『国境なき文学団』(河出書房新社)が刊行予定です。



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鴻巣友希子さんから『ドストエフスキーと愛に生きる』に寄せられたコメント

スヴェトラーナにとって翻訳とは命の息吹き。アイロンがけも、レース編みも、料理も、呼吸することすら翻訳なのだ。彼女の料理を見ればその哲学がわかる。色彩の深み、精密に決められた具材の大きさ、手ざわりテクスチュア、火の入れ加減、熟考の末の迷いのない手順……。こんな料理人が翻訳の達人でないわけがない。















ロシア・ポーランド文学

沼野充義




ぬまの・みつよし 1954年生まれ。ハーヴァード大学ティーチングアシスタント、ワルシャワ大学講師などを経て、現在、東京大学文学部教授。専門は19世紀~20世紀のロシアおよびポーランド文学。チェーホフ、ナボコフ、ブロツキー、シンボルスカ、レムなどの訳で知られる。著書の『〈徹夜の塊〉亡命文学論』で2002年サントリー学芸賞、『〈徹夜の塊〉ユートピア文学論』で2004年読売文学賞受賞。文芸評論および日本文学の海外への紹介にも積極的に取り組んでいる。




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仕事場にて




Q.翻訳の仕事を始めたいきさつ



外国語で読んで気に入った作品は訳したくなってしまうのです。それで学生の頃からSFや詩の同人誌に、好きな作品を勝手に訳して載せていました。ブローティガンの詩も訳しました。ドイツのSFや映画論の翻訳でお金を稼いだこともあります。小説を一冊初めて翻訳したのは、ロシアの幻想作家グリーンの長編『輝く世界』です。まだ大学院に入ったばかりの僕に、荒俣宏さんが声をかけてくれたのです。次に、山野浩一さんの依頼で、ポーランドのSF作家レムの『枯草熱』をやりました(吉上昭三先生と共訳)。そんな風に、幻想文学やSF関係のつながりで、20代の頃から次々に仕事が来ました。翻訳と恋愛がパラレルにどんどん進行する、楽しい青春時代でした。



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Q.「翻訳」という営為の魅力はなにか



最先端の科学のような難しい学問と比べて、小説を読むくらいどうってことない、と人は思いがちですが、文学の言葉の表現というのは、人間のつくり出した中で最高度に複雑なものです。その上、言語を越えて別の緻密な世界に入っていく翻訳という行為は、ワクワクするような冒険なのです。外国文学の秘宝を発掘するためには、やはり自分で翻訳をやらなければならない。自分が納得して理解できたと感じられるには、翻訳するしかないのです。つまり翻訳家は、自分が作品を一番楽しみたいと思っている、とてもわがままな人間なのです。



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Q.翻訳家を目指す人へのアドバイス



最初から「翻訳家になりたい」などと思わないほうがいいかもしれません。文学を読むのも、外国語の読解も、好きでたまらないという人が、夢中で読みまくっていたら、いつの間にか翻訳もしているはずです。人が翻訳を選ぶのではなく、翻訳のほうが人を呼び込むのです。



Q.現在、進行中の翻訳または著作



翻訳はブロツキー『レス・ザン・ワン』(加藤光也氏と共訳)、シンボルスカ詩集『瞬間』、チェーホフ『六号室』など、著書は『英語で読む村上春樹』、『徹夜の塊・完結編 世界文学論』、編著『世界は文学でできている その3』を進めています。



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沼野充義さんから『ドストエフスキーと愛に生きる』に寄せられたコメント

翻訳とは、コンマ一つの打ち方にこだわるような微細な仕事でありながら、同時に、癒やされない痛みと、断ち切ることのできない憧れを魂の内に抱え込んで生きることでもある。この映画が教えてくれるのは、言葉への愛だけではない。究極的には、私たちがよく生きるために、深く生きるためにどうしたらいいか、ということなのだ。
















映画『ドストエフスキーと愛に生きる』

2014年2月22日(土)よりシネマート六本木、渋谷アップリンク他

全国順次公開



84歳の翻訳家スヴェトラーナ・ガイヤーの横には、華奢な姿に不似合いな重厚な装丁の本が積まれている。『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』『悪霊』『未成年』『白痴』──言わずと知れたロシア文学の巨匠・ドストエフスキーの長編作品。それらを"五頭の象"と呼び、生涯をかけてドイツ語に訳した。1923年ウクライナ・キエフで生まれ、スターリン政権下で少女時代を過ごし、ナチス占領下でドイツ軍の通訳として激動の時代を生き抜いた彼女の横顔には、戦争の記憶が深い皺となって刻まれている。一人の女性が歩んだ数奇な半生に寄りそう静謐な映像が、文学の力によって高められる人の営みを描き出す。



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■監督:ヴァディム・イェンドレイコ

■撮影:ニールス・ボルブリンカー、ステファン・クティー

■録音:パトリック・ベッカー

■編集:ギーゼラ・カストロナリ・イェンシュ

■出演: スヴェトラ-ナ・ガイヤー、アンナ・ゲッテ、ハンナ・ハーゲン、ユルゲン・クロット

■製作:ミラ・フィルム

■配給・宣伝:アップリンク

(2009年/スイス=ドイツ/93分/ドイツ語・ロシア語/カラー・モノクロ)




映画公式サイト:http://www.uplink.co.jp/dostoevskii/


映画公式ツイッター:https://twitter.com/DostoevskiiJP


映画公式facebook:https://www.facebook.com/DostoevskiiMovieJP











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『ドストエフスキーと愛に生きる』

オフィシャルガイドブック発売中




フルカラー50ページ、大充実のコンテンツ! アマゾンほか、以下の取扱い店舗で販売中です。



◆映画の中でスヴェトラーナさんが作る、ロシアとドイツそれぞれの伝統料理をベースにした彩りも美しいレシピをLIKE LIKE KITCHENの小林紀代美さんが再現



◆毎日の暮らしを丁寧に過ごすスヴェトラーナさんの家をイメージし、人気雑貨店Roundaboutのオーナー小林和人さんと、fog linen workの関根由美子さんが、いつまでも愛着を持って使い続けられる生活雑貨をセレクト



◆名翻訳家スヴェトラーナさんにちなみ、柴田元幸さん、野崎歓さんなど、日本国内で活躍中の気鋭翻訳家9名の仕事風景をとらえた貴重な写真とインタビューを掲載



◆ドストエフスキーの新訳が大反響を呼んだ亀山郁夫さんによるエッセイ



◆平野啓一郎さん、太田直子さん、伊藤聡さんらによる、お薦めドストエフスキー作品の紹介



◆小林エリカさんによる描き下ろしイラスト



【図書コード】ISBN978-4-90072-859-2

【定価】800円(税抜)

【取扱】アマゾンでのご注文はこちら

[東京]渋谷アップリンク、シネマート六本木、代官山蔦屋書店、青山ブックセンター六本木店、TSUTAYA TOKYO ROPPONGI、B&B、SHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERS

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[京都]恵文社、モアレ

[愛媛]螺旋











▼2014年2月22日(土)公開『ドストエフスキーと愛に生きる』予告編


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言語をほどき紡ぎなおす者たち───海外文学界の第一線で活躍する翻訳家9名の仕事場を訪ねて vol.2 <野谷文昭/松永美穂/飯塚容> http://www.webdice.jp/dice/detail/4112/ Fri, 07 Feb 2014 16:11:08 +0100
映画『ドストエフスキーと愛に生きる』より




ドストエフスキーの新訳でドイツ文学界に旋風を起こした女性翻訳家の数奇な半生を追ったドキュメンタリー映画『ドストエフスキーと愛に生きる』が、2月22日(土)から公開となる。翻訳家を題材とした本作の公開にちなみ、日本で活躍する文芸翻訳家9名に「翻訳」という営為の魅力について訊ね、仕事風景を捉えた連載の第二回。




第一回の柴田元幸さん(アメリカ文学研究者・翻訳者)、きむふなさん(日本・韓国文学翻訳家)、野崎歓さん(フランス文学者・翻訳家)に続き、今回は、野谷文昭さん(東京大学名誉教授・ラテンアメリカ文学翻訳家)、松永美穂さん(早稲田大学教授・ドイツ文学翻訳家)、飯塚容さん(中央大学教授・中国文学翻訳家)が登場。




また、次回(第三回)は、和田忠彦さん(東京外国語大学教授・イタリア文学翻訳家)、鴻巣友季子さん(翻訳家・エッセイスト)、沼野充義さん(東京大学教授・スラヴ文学者)が登場する予定だ。







[撮影/荒牧耕司 http://kojiaramaki.com

[取材・構成/隅井直子]












ラテンアメリカ文学

野谷文昭




のや・ふみあき 1948年生まれ。東京外国語大学大学院修了。東京大学名誉教授。ガルシア=マルケス、バルガス=リョサ、プイグら、現代ラテンアメリカ文学を代表する作家の翻訳で知られる。また、『予告された殺人の記録』(F・ロージ監督)や、ブニュエル『昇天峠』『エル』等の映画字幕翻訳も手がける。著書に『越境するラテンアメリカ』(PARCO出版/1989年)、『ラテンにキスせよ』(自由国民社/1994年)、『マジカル・ラテン・ミステリー・ツアー』(五柳書院/2003年)がある。




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ブックカフェ「キャッツ・クレイドル」(新宿区早稲田)にて




Q.翻訳の仕事を始めたいきさつ



もともとラテン系の言語の響きが好きで、大学ではスペイン語学科に進みましたが、ちょうど大学紛争の時期で授業はほとんど受けられないような状況でした。卒論を書くのも手探りで、題材を探しに図書館へ行ったとき、たまたま見つけたのがラテンアメリカの小説でした。フランコ政権下で文化が停滞していたスペインよりも、六七年にゲバラが死に、社会が大きく動いていたラテンアメリカに興味を惹かれました。ただ、当時はまだラテンアメリカ文学専門の先生が一人もいなかったので、ラテンアメリカの歴史の先生に頼み込んで指導教官になってもらいました。大学院の頃に『百年の孤独』をはじめ、新しいラテンアメリカ文学が紹介されるようになり、それまでも一人でネルーダなどの詩を訳し出していたのですが、バルガス=リョサやシャルボニエの下訳が認められて、翻訳の仕事が来るようになりました。



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Q.「翻訳」という営為の魅力はなにか



一つは原文を深く読み込めること。もう一つは、文体を自分で決定しなければならないので、限りなく創作者に近くなれることです。自分でなにかを書く時とは違う情動を経験するので、未知の自分の発見にもなります。また、たとえばボルヘスのように博識な作家の場合、原書を通じて、さまざまな本と出会えるのも大きな魅力です。



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Q.翻訳家を目指す人へのアドバイス



まず、言葉に敏感になり、適切な言葉を選ぶことが大切です。使えそうな言葉は二つ三つと候補があったとしても、使える言葉は一つに絞られると思うのです。たった一言によって作品の雰囲気すら変わってしまうわけで、翻訳者は原文に対する責任があります。それと、翻訳で絶対に必要なのは文体のリズムです。リズムが悪いと読みづらいものになってしまう。どの作品にも必ず固有のリズムがあるので、それを感じ取って、原文と共振するようなリズムを作れれば、流れのいい訳文になると思います。



Q.現在、進めている翻訳または著作



グイラルデス『ドン・セグンド・ソンブラ』、ボラーニョ『アメリカ大陸のナチ文学』、バルガス=リョサ『ケルト人の夢』、セルバンテス『ドン・キホーテ』です。



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野谷文昭さんから『ドストエフスキーと愛に生きる』に寄せられたコメント

過去と現在の間を行きつ戻りつしながら、ひとりの翻訳家の波乱に満ちた人生が淡々と描かれる。スターリンとヒトラーに翻弄されながらもたくましく生き抜いてきた彼女にとり、言葉は究極の本質への憧れを形にしてくれるものだ。翻訳という作業を通して未知のものが見えるという寸言に共感を覚える。

















ドイツ文学
松永美穂




まつなが・みほ 1958年生まれ。東京大学独文科卒大学院修士課程修了。フェリス女学院大学国際交流学部助教授を経て、早稲田大学文学学術院教授。ベルンハルト・シュリンク『朗読者』(新潮社/2003年)で毎日出版文化賞特別賞受賞。文芸翻訳のほかに、ゼバスティア・メッシェンモーザー『リスと青い星からのおきゃくさん』(コンセル/2012年)など児童文学の翻訳も手がける。著書に『ドイツ北方紀行』(NTT出版/1997年)、『誤解でございます』(清流出版/2010年)がある。




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早稲田大学文学学術院・研究室にて




Q.翻訳の仕事を始めたいきさつ



昔から外国文学を読むのが好きで、ロシア文学とドイツ文学のどちらかで迷いましたが、大学ではドイツ語を選択しました。最初に翻訳したのは、ハンブルク大学留学中に大変お世話になった指導教授のインゲ・シュテファンさんによる『才女の運命──有名な男たちの陰で』(あむすく/1995年)という本です。女性の評伝なのですが、ぜひ日本で紹介したいと思い、自分で出版社に持ち込みました。その後、少しずつお話をいただくようになり、また自分で持ち込んだりして、翻訳の仕事が増えていきました。



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Q.「翻訳」という営為の魅力はなにか



新しい小説だと自分が第一読者になれるというのが楽しいですし、映画の中でスヴェトラーナさんも言っていますが、かつて訳されたことのある作品でも、何度も読むことによって新しい発見があります。また、著者と知り合いの場合には、翻訳作業中に対話しているような楽しさがあります。



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Q.翻訳家を目指す人へのアドバイス



良い本に出会うことだと思います。語学の勉強はもちろん大切ですが、ただ漠然と翻訳家になりたいと思っていても、たなぼた式に仕事がやってくることは、まずありません。まだ日本語に翻訳されていない原著をたくさん読んで、「この本をどうしても日本で紹介したい」という情熱を抱けるような作品を発掘する能力が大切ではないでしょうか。



Q.現在、進めている翻訳または著作



もうじき光文社から出る予定の本が、リルケの『マルテの手記』の新訳です。これがとても難しくて、今、三回目の校正が終わったところですが、四回目も行なうことになりそうです。ほかにスタンバイしているのは、シリア出身のドイツ語作家ラフィク・シャミの作品と、私が自分でやりたくて出版社に持ち込んだ、シェートリッヒという作家の小説です。それと、日本聖書協会の聖書の改訂を一部お手伝いしています。ドイツ語や英語と比較して、日本語の訳文がどうなっているかを見るのが私の担当です。



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松永美穂さんから『ドストエフスキーと愛に生きる』に寄せられたコメント

スターリンの粛清で父親を喪った主人公が、自分に奨学金を与え、生きる道を備えてくれたドイツに対して行った「恩返し」。それがドストエフスキーの長編小説の翻訳であった、ということに驚いた。
時間を惜しみ、一つ一つのものを慈しむ彼女の生活ぶりと、共同作業としての翻訳が実に興味深い。

















中国文学

飯塚 容




いいづか・ゆとり 1954年生まれ。東京都立大学大学院修了。現在、中央大学文学部教授。専門分野は中国近現代文学および演劇。中国で「先鋒派」と呼ばれ多くの読者を得てきた余華(ユイ・ホア)や蘇童(スー・トン)、代表的な女性作家の鉄凝(ティエ・ニン)、ノーベル賞作家の高行健(ガオ・シンジェン)などの翻訳を手がける。2011年、中国新聞出版総署より、中国語書籍の翻訳分野で功績のあった外国人に贈られる中華図書特殊貢献賞を日本人では初めて受賞した。




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中央大学文学部・研究室にて




Q.翻訳の仕事を始めたいきさつ



東京都立大学に入学した当初は、漠然と文学を学びたいというだけで、どこの国とも決めておらず、2年生で専攻を選ぶときに、あえてマイナーな分野を選択しました。都立大が伝統的に中国文学の研究が盛んなところだったことも影響しています。大学と大学院で中国現代文学の魅力ある作品に触れ、それらの多くがまだ日本で翻訳紹介されていないことを知って、その方面の仕事をやりたいと思うようになりました。



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Q.「翻訳」という営為の魅力はなにか



翻訳によって文学作品は国境と言葉の壁を越えます。その橋渡し役ができるのは大きな喜びです。また、自分が作家になって小説を書いているような気分を味わうこともできます。



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Q.翻訳家を目指す人へのアドバイス



翻訳者にとって、最終的に重要なのは母国語の表現力だと思います。たとえば、「~は」を使うか「~が」を使うか、人称代名詞を「俺」にするか「僕」にするかで、ニュアンスはまったく違ってしまいます。そうした言語感覚を鍛えるためには、日ごろからより多くの美しい文章に触れることが大切です。原作が第一の創作とすると、翻訳は第二の創作であり、文学として成り立つ言語にしなければなりません。さらに中国語翻訳固有の問題として、漢字に引きずられてしまう難しさがあります。元の漢字が日本語でも通じてしまうため、つい原語をそのまま使いがちになるのです。なるべく漢語表現を避け、和語にするよう心掛ける必要があります。この映画の中でロシア人のスヴェトラーナさんは、ドイツ人の知り合いにタイプで口述筆記してもらったり音読してもらったりしていました。おそらくあれは、彼女の母国語がドイツ語ではないからというより、第三者の意見を聞くためにやっていたのだと思います。他人に読んでもらって、訳文について客観的な感想を聞くことはとても重要です。



Q.現在、進めている翻訳または著作



中国で2013年に出版された余華の新作『第七天』を翻訳中です。



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飯塚 容さんから『ドストエフスキーと愛に生きる』に寄せられたコメント

彼女は、すべての権力と鋭く対立したドストエフスキーの精神を受け継ぎ、現代の政治家たちが「人道や安全のためだとして犯罪行為を正当化する」ことを強く批判する。一方、彼女は日常において、翻訳と直接関係のない豊かな時間を過ごしている。私たちは、この厳しさと余裕を見習いたい。













映画『ドストエフスキーと愛に生きる』

2014年2月22日(土)よりシネマート六本木、渋谷アップリンク他

全国順次公開



84歳の翻訳家スヴェトラーナ・ガイヤーの横には、華奢な姿に不似合いな重厚な装丁の本が積まれている。『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』『悪霊』『未成年』『白痴』──言わずと知れたロシア文学の巨匠・ドストエフスキーの長編作品。それらを"五頭の象"と呼び、生涯をかけてドイツ語に訳した。1923年ウクライナ・キエフで生まれ、スターリン政権下で少女時代を過ごし、ナチス占領下でドイツ軍の通訳として激動の時代を生き抜いた彼女の横顔には、戦争の記憶が深い皺となって刻まれている。一人の女性が歩んだ数奇な半生に寄りそう静謐な映像が、文学の力によって高められる人の営みを描き出す。



webDICE Dostevski




■監督:ヴァディム・イェンドレイコ

■撮影:ニールス・ボルブリンカー、ステファン・クティー

■録音:パトリック・ベッカー

■編集:ギーゼラ・カストロナリ・イェンシュ

■出演: スヴェトラーナ・ガイヤー、アンナ・ゲッテ、ハンナ・ハーゲン、ユルゲン・クロット

■製作:ミラ・フィルム

■配給・宣伝:アップリンク

(2009年/スイス=ドイツ/93分/ドイツ語・ロシア語/カラー・モノクロ)




映画公式サイト:http://www.uplink.co.jp/dostoevskii/


映画公式ツイッター:https://twitter.com/DostoevskiiJP


映画公式facebook:https://www.facebook.com/DostoevskiiMovieJP





▼2014年2月22日(土)公開『ドストエフスキーと愛に生きる』予告編


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連載:映画『ドストエフスキーと愛に生きる』連動企画


・ヴァディム・イェンドレイコ監督インタビューがお読みいただけます。

http://www.webdice.jp/dice/detail/4095/



・言語をほどき紡ぎなおす者たち───海外文学界の第一線で活躍する翻訳家9名の仕事場を訪ねて vol.1 <柴田元幸/きむふな/野崎歓>はこちら!

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言語をほどき紡ぎなおす者たち───海外文学界の第一線で活躍する翻訳家9名の仕事場を訪ねて vol.1 <柴田元幸/きむふな/野崎歓> http://www.webdice.jp/dice/detail/4096/ Sun, 26 Jan 2014 15:05:29 +0100
映画『ドストエフスキーと愛に生きる』より




ドストエフスキーの新訳でドイツ文学界に旋風を起こした女性翻訳家の数奇な半生を追ったドキュメンタリー映画『ドストエフスキーと愛に生きる』が、2月22日(土)から公開となる。



翻訳家を題材とした本作の公開にちなみ、日本で活躍する文芸翻訳家9名に「翻訳」という営為の魅力について訊ね、仕事風景を捉えた連載がスタート。第一回は、柴田元幸さん(アメリカ文学研究者・翻訳者)、きむふなさん(日本・韓国文学翻訳家)、野崎歓さん(フランス文学者・翻訳家)が登場。



続く第二回は、野谷文昭さん(東京大学名誉教授・ラテンアメリカ文学翻訳家)、松永美穂さん(早稲田大学教授・ドイツ文学翻訳家)、飯塚容さん(中央大学教授・中国文学翻訳家)、第三回は和田忠彦さん(東京外国語大学教授・イタリア文学翻訳家)、鴻巣友季子さん(翻訳家・エッセイスト)、沼野充義さん(東京大学教授・スラヴ文学者)が登場する予定だ。




[撮影/荒牧耕司 http://kojiaramaki.com

[取材・構成/隅井直子]











アメリカ文学

柴田元幸




しばた・もとゆき  1954年生まれ。ポール・オースター、スティーヴン・ミルハウザー、スチュアート・ダイベックなどアメリカ現代文学の訳で知られる。2010年、トマス・ピンチョン著『メイスン&ディクスン』で日本翻訳文化賞受賞。村上春樹、川上弘美、古川日出男らを執筆陣に迎えた文芸誌『モンキービジネス』を2008年から11年まで編集、2013年に『MONKEY』を創刊。また、英語版『MONKEY BUSINESS』を米国の出版社と共同で毎年発行し、日本文学の紹介に努めている。




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東京大学文学部・現代文芸論研究室にて




Q.翻訳の仕事を始めたいきさつ



中学・高校時代から英語を訳すのが好きで、教科書以外に副読本を買ってきて訳してみたり、大学入試の受験勉強でも、文法や作文より英文和訳が一番好きでした。ただ、その後、大学院に入って文学専門の研究者になりかけた時点では、翻訳の仕事ができるとは思っていませんでした。重要な作品はあらかた訳されてしまっていたし、その頃、1970~80年代は実験文学の時代で、翻訳不可能な小説ばかりだったからです。大学で英語の教師をやっていると、翻訳のアルバイトがいろいろなかたちで舞い込んでくるのですが、それらをこなしているうちに、だんだん編集者の知り合いもできて、自分の好きなものを訳せる環境になりました。いざそうなった時に見渡してみたら、アメリカのおもしろい現代小説がほとんど訳されていないという状況だったので、どんどん訳しはじめたのが1980年代末のことです。



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Q.「翻訳」という営為の魅力はなにか



この映画のテーマともつながると思いますが、凡人でも天才と関われる点です。自分がクリエイティブでなくても、クリエイティブなものと触れることができる。そして、その天才自身ができないこと、つまり日本語で書くことをお手伝いできるというのは、大きな喜びです。作家に対する圧倒的な敬意、あるいは崇拝のようなものが翻訳家には必要です。



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Q.翻訳家を目指す人へのアドバイス



日本語でも英語でも、好きなものをたくさん読むことに尽きるのではないでしょうか。好きでもないことを努力しても、言葉については身に付かないと思うので。面白い本を見つけるには、最近はインターネットでずいぶん情報が得られますが、結局もともと自分が興味を持っているものしか見つからない気がする。できれば現地の書店に行って、あまり知られていない良い本を、手に取りながら探すのが理想ですね。



Q.現在、進めている翻訳



以前、僕が『マジック・フォー・ビギナーズ』という小説を訳したケリー・リンクの、原題が『プリティ・モンスターズ』という小説で、まだ邦題は決まっていません。



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柴田元幸さんから『ドストエフスキーと愛に生きる』に寄せられたコメント

スヴェトラーナ・ガイヤーは、言葉や行為はむろん、その住まいや持ち物まで、静かな威厳と、優しさに満ちている。あたたかく毅然としたその姿を見ていると、彼女がすぐれた翻訳者かどうかすら、どちらでもいいことに思えた。












韓国文学・日本文学


きむ ふな




金 壎我  1963年生まれ。韓国出身。ソウルの誠信女子大学大学院で日本文学を専攻。専修大学大学院日本文学科で博士号取得。韓国語・日本語双方向の翻訳をこなす。2008年、津島佑子『笑いオオカミ』の韓国語訳で板雨翻訳賞受賞。他にこれまで韓国語に翻訳した作家は辻仁成、重松清、柳美里など。日本語訳出では、申京淑〔シン・ギョンスク〕、孔枝泳〔コン・ジヨン〕、韓江〔ハン・ガン〕、金愛爛〔キム・エラン〕ら、李箱文学賞受賞経験のある実力派女性作家たちの作品を数多く手がけている。




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自宅の仕事場にて




Q.翻訳の仕事を始めたいきさつ



韓国の大学で日本文学を専攻したのは、日本で勉強した父の影響で家に日本語の本がたくさんあり馴染みがあったことと、一番近い国なのに文化流入が制限されていたりしたので、自分で確かめたかったからです。九〇年代から日韓文学のシンポジウムで通訳をするようになり、日本の小説は韓国でたくさん紹介されているように見えて、実は作家や作品がすごく偏っていることを知りました。そこで、自分が好きな津島佑子さんをはじめ、まだ知られていない日本の純文学を韓国語に訳すようになりました。日韓文学の交流に携わっていると、いつも日本人作家の皆さんが「読んだことがなくて申し訳ありません」とおっしゃるのです。それほど韓国文学が日本で紹介されていない状況にショックを受け、母語ではない言葉に訳すのは無謀でもあるし怖いのですが、ある意味、自分が日本にいる理由の一つとして、韓国文学の日本語翻訳も手がけるようになりました。



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Q.「翻訳」という営為の魅力はなにか



もつれた糸が、ある瞬間にすっとほどける、その嬉しさでしょうか。それと、特に韓国文学を日本語に訳す場合は、その作家の初邦訳になることが多いので、読んでいただいた読者からの反応や共感してくださったりしたときの、架け橋になったという喜びが一番大きいです。



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Q.翻訳家を目指す人へのアドバイス



まずはたくさん読むことです。映画に寄せたコメントにも「言の葉」と書きましたが、自分の葉っぱがたくさんあれば、春夏秋冬で色彩も豊かになると思うのです。それから、まだ知られていない自分が好きな作家を見つけ、「この作家を紹介したい」という思い入れも大切です。



Q.現在、進めている翻訳



現代韓国文学を代表する作家の一人、 金衍洙〔キム・ヨンス〕の『ワンダーボーイ』という長編で、出版社は未定です。韓流ブームの頃は韓国文学に興味を示した大手出版社もあったのですが、社会もこういう雰囲気の今、版元探しは難しくなりそうです。ほかに、次号の『すばる』(2014年3月号)に掲載予定の、鄭梨賢〔チョン・イヒョン〕の短編『三豊百貨店』を進めています。



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きむふなさんから『ドストエフスキーと愛に生きる』に寄せられたコメント

数奇な人生を乗り越え、丁寧に静かな時を刻んでゆく彼女は、まるで大木のよう。その大木には言の葉が美しく茂り、かすかな風にも波打ち輝く。彼女のまっすぐな眼差しが導きだす言の葉は気品に溢れ、冬の時代でさえ芳醇な香りを放つ。













フランス文学

野崎 歓




のざき・かん  1959年生まれ。東京大学文学部教授。フランス文学者。トゥーサン、ウエルベックらの翻訳で知られるほか、映画、文芸批評も手がける。専門であるネルヴァルを論じた『異邦の香り──ネルヴァル「東方紀行」論』(講談社/2010年)で読売文学賞を受賞。近著に『文学と映画のあいだ』[編](東京大学出版会/2013年)、『フランス文学と愛』(講談社現代新書/同)、『翻訳教育』(河出書房新社/2014年)、『映画、希望のイマージュ──香港とフランスの挑戦』(弦書房/同)などがある。




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東京大学文学部・仏文研究室にて




Q.翻訳の仕事を始めたいきさつ



とにかく翻訳小説を読むのが大好きだった、ということが原点です。海外文学を読み始めたときに、日本文学とは異質なものと出会ったような、自分の中で、翻訳ものの方が読みごたえがある気がしたのです。次第に、自分も翻訳家になれたらと憧れるようになり、特に高校の頃はフランス文学に入れあげていたので、この道で行くしかないと思い定めて大学は仏文科に進みました。



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Q.「翻訳」という営為の魅力はなにか



研究と創造のあいだ、という境界に身を置く楽しさでしょうか。いや、それ以上に、ティーンエイジャーの頃に感じた翻訳小説のスリルを追い求め続けてやっているわけですから、言うなれば「子供の遊び」的側面も大きいと思います。つまり翻訳の本質には、真似する楽しさがある。何かおもしろいもの、好きなものができると、それを繰り返したくなる、コピーしたくなる衝動。だれでも子供のころは日々、そんな衝動に突き動かされていますよね。大人の言葉を繰り返して、言葉を学んでいくプロセスと共通するでしょう。真似すること自体が、ワクワクするものを含んでいて、きっちり真似たという手ごたえを得られると、無性に嬉しいものです。しかも真似ているはずが、いつの間にかあるオリジナルなものに到達しているのかも、という期待もひそかにあります。



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Q.翻訳家を目指す人へのアドバイス



存分に楽しむことだと思います。特に文学に限って言えば、心底魅力を覚えたたからこそ翻訳するのであって、苦しみながら辞書だけ引いて、とりつく島もないような訳文を作っても、読者を引きつけることはできません。そこに楽しみがなければ成り立たない仕事だと思います。表現自体を楽しむこともあれば、調べ物を楽しむこともあるし、ネイティブの人に質問する楽しみもある。人に読ませてみて反応を楽しむこともある。いろんな楽しみとともに進行させていくのがいいと思いますよ。



Q.現在、進めている翻訳



アンドレ・バザンの名著『映画とは何か』、そしてネルヴァルの絶品「シルヴィ」を含む魅惑の作品集『火の娘たち』の翻訳。いずれも翻訳家冥利に尽きる仕事です。



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野崎歓さんから『ドストエフスキーと愛に生きる』に寄せられたコメント

テクストとはことばの織物である。翻訳家はその事実をだれよりも直接的に体験する者だ。織糸をほどいては紡ぎなおす作業は、ときとして人生そのもののような貴さを帯びる。84歳の女性翻訳家の美しく澄んだ瞳に、異国の言葉と対話し続けた一生の豊饒を見た。













映画『ドストエフスキーと愛に生きる』

2014年2月22日(土)よりシネマート六本木、渋谷アップリンク他

全国順次公開



84歳の翻訳家スヴェトラーナ・ガイヤーの横には、華奢な姿に不似合いな重厚な装丁の本が積まれている。『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』『悪霊』『未成年』『白痴』──言わずと知れたロシア文学の巨匠・ドストエフスキーの長編作品。それらを"五頭の象"と呼び、生涯をかけてドイツ語に訳した。1923年ウクライナ・キエフで生まれ、スターリン政権下で少女時代を過ごし、ナチス占領下でドイツ軍の通訳として激動の時代を生き抜いた彼女の横顔には、戦争の記憶が深い皺となって刻まれている。一人の女性が歩んだ数奇な半生に寄りそう静謐な映像が、文学の力によって高められる人の営みを描き出す。



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■監督:ヴァディム・イェンドレイコ

■撮影:ニールス・ボルブリンカー、ステファン・クティー

■録音:パトリック・ベッカー

■編集:ギーゼラ・カストロナリ・イェンシュ

■出演: スヴェトラ-ナ・ガイヤー、アンナ・ゲッテ、ハンナ・ハーゲン、ユルゲン・クロット

■製作:ミラ・フィルム

■配給・宣伝:アップリンク

(2009年/スイス=ドイツ/93分/ドイツ語・ロシア語/カラー・モノクロ)




映画公式サイト:http://www.uplink.co.jp/dostoevskii/


映画公式ツイッター:https://twitter.com/DostoevskiiJP


映画公式facebook:https://www.facebook.com/DostoevskiiMovieJP





▼2014年2月22日(土)公開『ドストエフスキーと愛に生きる』予告編


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私は言葉によって救われた─映画『ドストエフスキーと愛に生きる』で84歳の翻訳家が伝える文学の可能性 http://www.webdice.jp/dice/detail/4095/ Sun, 26 Jan 2014 14:36:29 +0100
映画『ドストエフスキーと愛に生きる』より



ロシア文学の巨匠・ドストエフスキーの長編作品を手がける翻訳家スヴェトラーナ・ガイヤー(1923-2010)の数奇な半生を追ったドキュメンタリー『ドストエフスキーと愛に生きる』が2月22日(土)より公開される。スターリン政権下に少女時代を過ごし、ナチス占領下でドイツ軍の通訳として生き抜いた彼女は、なぜドストエフスキーを翻訳することになったのか。戦時下の過酷な状況のなか、翻訳という仕事に力を注いだスヴェトラーナの人生、そして撮影当時84歳の彼女の丁寧な手仕事が繰り返される静かな日常が描かれている。監督のヴァディム・イェンドレイコに話を聞いた。



彼女の半生には、ヨーロッパ激動の歴史が色濃く反映されている



──翻訳家スヴェトラーナ・ガイヤーとの出会いを教えてください。



当時、私はドストエフスキーについて調べていて、16世紀の哲学者カステリオンについて話をしてくれる専門家を探していました。その時紹介してもらったのが、ドイツのドストエフスキー文学の第一人者であるスヴェトラーナだったのです。最初は本当に偶然でした。




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映画『ドストエフスキーと愛に生きる』のヴァディム・イェンドレイコ監督


──最初に会った時、スヴェトラーナにどんな印象を受けましたか?



彼女と会った時、衝撃を受けました。ドストエフスキー文学に詳しいだけでなく、その他の文学、絵画、音楽、舞台、あらゆる芸術や歴史に造詣が深く、ウィットの利いたユーモアがあり、本質的で刺激的な話が尽きませんでした。



翻訳家だけあって、話す言葉のひとつひとつが光っているのです。とても的確に言葉を選ぶさまは、まるでひとつの芸術のようでした。そして、そのセンスと注意深さは、翻訳の仕事だけでなく、家庭の主婦としての才能としても開花していました。家のインテリアは、まるで古き良き時代のロシアの邸宅のようでしたし、日常生活のあちこちに彼女なりの様式美がありました。アイロンのかけ方、料理やお菓子作り、友人とお茶を飲む時間、そして孫やひ孫、隣人を集めて皆をもてなす様子、そのひとつひとつに心動かされてしまいました。仕事で成功している女性はたくさん知っていますが、仕事だけでなく、主婦の仕事も芸術的な作品として高めている女性を初めて見たと思いました。それまで、女性はキャリアウーマンか専業主婦タイプの二通りだと思っていましたが、彼女はどちらでもあることがパワフルだと思いました。



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映画『ドストエフスキーと愛に生きる』より



──―なぜ、彼女を撮ろうと思われたのですか?



スヴェトラーナの人柄に、とても魅かれたのです。「どうしても彼女と彼女の人生を映像で残しておきたい」という強い想いがありました。それがこの作品を撮ろうと思った、一番の理由です。彼女の半生には、ヨーロッパ激動の歴史が色濃く反映されています。彼女はウクライナで生まれて、ロシア文化の背景を持ち、彼女の父親はスターリン政権に殺され、親友はナチに殺された。彼女はそうした2つの独裁政権を生き抜いた。私自身、両親はドイツ人ですがロシアの名字を持ち、4歳のときスイスに移り住んだために、子どもの頃から疎外感を感じ「自分は何者なのか」と悩んでいたので、個人的に彼女の境遇に共感しました。



私は、なぜこんなにも自分が彼女に惹きつけられるのか、その理由を知りたいと思いました。でも「彼女のドキュメンタリーを撮ろう」と思った私の決意は、とても無謀なものでした。なぜなら、彼女の体験したこと、家族の痕跡や記録は、もうほとんど残っていませんでしたし、その時点では彼女が亡命以来初めてウクライナの故郷を訪れることは、まだ決まっていませんでしたから、どんな画が撮れるのかはわかりませんでした。



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映画『ドストエフスキーと愛に生きる』より


ドキュメンタリーを制作するプロセスは、翻訳と同じアプローチ




──「私は言葉によって、救われた」という言葉に、彼女の万感の想いが込められていると感じました。彼女は翻訳という仕事やご自身の役割に対して、どのくらい意識的だったのでしょうか。



かなりはっきり意識していたと思います。若い頃からフランス語、ドイツ語、ロシア語を話せたことで、彼女はスターリン政権を生き延びられました。彼女の家族も含む、何百万人もの人間が殺戮された中で。この映画の冒頭でも言っているように、彼女は、どこかで罪悪感を感じながらも「私は人生に大きな借りがある」と感じ、何か返したいと思っていたのだと思います。彼女はこうも言っています。「言葉なくして伝わるものがあるなら、すばらしいわ。翻訳する必要がないもの」。もちろん、そういうこともあります。けれど実際の歴史や社会は、そうはいかない部分も大きい。言葉は、人を分断することもできるが、つなげることもできる。ですから、彼女は、生きる架け橋のような重要な存在だと思いました。



──監督は、彼女が言葉によって救われた部分は、どこだと思われましたか。



言葉を通じて、さまざまな文化に触れ、それを文字通り自分の血肉にしたことじゃないでしょうか。映画にも出てきますが、彼女がキッチンに立ち、料理中に、ドストエフスキーの小説を玉ねぎに例えるシーンがあります 。これは、私も気に入ってるシーンです。小説を翻訳しながら、物語に登場する料理も実際によく作っていたようです。そんな風に、言葉から入って、文化や習慣や考えを自身の生活に取り込むことで、これまで生きてきたのだと思います。それを意識しすぎることなく。彼女は、過酷な運命に翻弄されましたが、人間性を失わず、その感性を手放すことはなく、それが彼女の生きる尊厳になった。そうしたことは、生活の中で、目に見える形で現れていたので、私はこの作品を撮ることができたのだと思います。



──翻訳家の彼女が食事を作るシーンが印象的でした。監督は、スヴェトラーナの食事を召し上がりましたか?



はい。彼女は料理の天才で、どれも本当に美味しかったですね。料理はロシアとドイツのそれぞれの伝統料理をベースにしたものが多かったと思います。また、彼女はお茶の時間を大切にする“ティー・ドリンカー”で、スイーツ作りも素晴らしい腕前でした。りんごとルバーブで作るケーキが絶品で、レシピをわけていただいたほどです。友人に出すと、その美味しさにびっくりされる自慢の一品です。レシピは秘密ですが……(笑)。




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映画『ドストエフスキーと愛に生きる』より




──言葉を扱う翻訳家と、映像を扱うドキュメンタリー映画監督。お互いの仕事について、どんな話をし、どのような相互理解があったのでしょうか。



彼女に会うまでは、翻訳という仕事について、ほとんど何も知りませんでした。むしろ「不思議な職業だな」くらいに思っていました。けれど、彼女を知るごとに、翻訳とドキュメンタリーの対象へのアプローチの仕方や試みている手法は、かなり類似性が高いことに気づきました。実際に、ドキュメンタリーを制作するプロセスは、翻訳と同じアプローチを取ります。まず、原語の意味を、自分の中に取り込み、その大意を咀嚼した後で、解釈をもとにまったく別の言語の新しい創造物として、再構築させるのです。実際のところ、事実をそのまま撮影しただけでは、「ドキュメンタリー映画」にはなりえません。可視化できる対象物の深層にあるものを掴み、再構築する作業が必ず必要なのです。そのプロセスは翻訳に近いものだと思います。そして、いずれも、主観なき客観性は存在しません。



対象物に何かを感じる一方で、「この分野については知らない部分がある」もしくは「まったくわからないけど気になる」と思う事柄にぶち当たると、モチベーションが沸いてくるのです。「よし、映画を撮ろう」と思わせるのです。しかしそれは同時に、リスクの高いことです。そうした領域は、底が深くて、果敢に分け入っても、道に迷う可能性もありますし、結局私は何も見つけることができなかったということだって起こりえます。観客の皆さんは、その私の旅の証人になのだと思います。生前、彼女はよくこう言っていました。「翻訳はどんどん古くなる。これは永遠に解決しない問題。翻訳はいつも新しい翻訳を必要としている」と。テクストの形式やプロセスは、時代や環境によって変わり続ける必要があるのだと思っています。



(オフィシャル・インタビューより インタビュー・文:鈴木沓子)










ヴァディム・イェンドレイコ プロフィール



1965年ドイツ生まれ。スイスで育ち、グラマー・スクールに入学後、バーゼル造形芸術大学 、デュッセルドルフ芸術大学で学ぶ。1986年、初めての映画を監督。2002年、スイスに暮らすアルバニア人のキックボクサーを追ったドキュメンタリー“Bashkim”でスイス映画賞最優秀ドキュメンタリー賞を受賞、その後ハークリ・ブンディとともにミラ・フィルムを設立する。現在プロデューサーや共同プロデューサーとして活躍している。プライベートでは2人の子供の父親で、バーゼルに在住。











映画『ドストエフスキーと愛に生きる』

2014年2月22日(土)より、渋谷アップリンク、六本木シネマート他全国順次公開



84歳の翻訳家スヴェトラーナ・ガイヤーの横には、華奢な姿に不似合いな重厚な装丁の本が積まれている。『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』『悪霊』『未成年』『白痴』──言わずと知れたロシア文学の巨匠・ドストエフスキーの長編作品。それらを“五頭の象”と呼び、生涯をかけてドイツ語に訳した。1923年ウクライナ・キエフで生まれ、スターリン政権下で少女時代を過ごし、ナチス占領下でドイツ軍の通訳として激動の時代を生き抜いた彼女の横顔には、戦争の記憶が深い皺となって刻まれている。一人の女性が歩んだ数奇な半生に寄りそう静謐な映像が、文学の力によって高められる人の営みを描き出す。




監督・脚本:ヴァディム・イェンドレイコ

出演: スヴェトラーナ・ガイヤー、アンナ・ゲッテ、ハンナ・ハーゲン、ユルゲン・クロット

撮影:ニールス・ボルブリンカー、ステファン・クティー

録音:パトリック・ベッカー

編集:ギーゼラ・カストロナリ・イェンシュ

製作:ミラ・フィルム

スイス=ドイツ/2009年/ドイツ語、ロシア語/カラー・モノクロ/デジタル/93分

配給・宣伝:アップリンク



公式サイト:http://www.uplink.co.jp/dostoevskii/

公式Facebook:https://www.facebook.com/DostoevskiiMovieJP

公式Twitter:https://twitter.com/DostoevskiiJP



▼映画『ドストエフスキーと愛に生きる』予告編


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