ロウ・イエ監督(48歳)の『パリ、ただよう花』の公開にともない、中国インディペンデント映画祭2013のために来日した『小荷(シャオホー)』のリウ・シュー監督(37歳)、『マダム』のチュウ・ジョンジョン監督(36歳)、『唐爺さん』のシュー・トン監督(48歳)と3人の監督に、中国インディペンデント映画の現状を聞いた。
ロウ・イエ監督の『スプリング・フィーバー』に出演したタン・ジュオが生徒から慕われる気骨ある教師を演じる『小荷(シャオホー)』、女装のクラブ歌手の赤裸々な独白を捉えたドキュメンタリー『マダム』、売春の元締めをして逮捕された女性と彼の父親の語りを黒竜江省の田舎で捉えた『唐爺さん』。それぞれ作品のタッチやスタイルは異なるものの、中国でインディペンデント映画=「独立電影」を撮り続けるうえでの強い意思を感じることにできる対談となった。
ロウ・イエ監督は『天安門 恋人たち』(2006年)で天安門事件という題材、性描写によって中国政府に検閲され修正を命じられる内容にもかかわらず、政府に無許可でカンヌ国際映画祭で上映したため5年間の国内での製作上映を禁じられた。その5年の間、中国で商業上映できないので国外に製作資金を求め作られたのが『スプリング・フィーバー』(2009年)と今回上映される『パリ、ただよう花』(2011年)である。今回話を聞いた3人は、商業映画館で上映を最初から目指している訳でなく、脚本の時点で電影局の審査を受けるわけでもなく、インディペンデントで映画を作っている監督たちである。
『小荷(シャオホー)』
田舎の高校で国語教師をしている小荷(シャオホー)は、型破りな授業をすることから生徒たちには人気があるが、保護者や同僚からは疎ましがられていた。職場の空気に耐えられなくなった彼女は北京に出て行くことにするが、北京での暮らしは理想とは程遠く…。
理想を持つほど生きづらい中国社会の現実を、女性監督らしい目線で描いた作品。主演は『スプリング・フィーバー』『ミスター・ツリー』でヒロインを演じたタン・ジュオ(譚卓)。2012年ヴェネツィア国際映画祭国際批評家週間で上映された。
小荷/Lotus/2012年/90分
監督:リウ・シュー(劉姝)
『マダム』
服飾デザイナーをする傍ら、派手な女装をし、マダム・ビランダと名乗ってステージに立つクラブ歌手。同性愛者がまだまだ生きづらい中国にあって、ゲイである彼がここに至るまでには様々な苦労があった。赤裸々に語られるインタビュー映像と、クロスして流れる彼のステージシーンが、ときに笑わせ、ときに涙を誘う。
画家としても活躍するチュウ・ジョンジョン(邱炯炯)監督によるドキュメンタリー。撮影後、この歌手は亡くなってしまったため、彼のステージが見られる貴重な映画となってしまった。
姑奶奶/Madame/2010年/120分
監督:チュウ・ジョンジョン(邱炯炯)
『唐爺さん』
前作『占い師』で、売春の元締めをしていて逮捕された唐小雁は、その後釈放され、故郷で新年を迎えるため黒竜江省に帰省する。そこには80歳を超える彼女の父親が住んでいた。娘に劣らず元気で濃いキャラクターの唐爺さん。彼は、訪ねてきた監督のカメラに向かい、自分の半生を饒舌に語りだす。
たくましく生きる市井の人々を撮り続けるシュー・トン(徐童)監督の3本目の作品。監督はこの作品を『収穫』『占い師』と合わせて「游民三部作」と名づけている。
老唐頭/Shattered/2011年/89分
監督:シュー・トン(徐童)
シンプルで生理的な欲求をもとに
リウ・シュー(『小荷(シャオホー)』監督):今回上映されている作品は、どれもインディペンデントで作られた映画で、決して中国の状況を代表できるものではありませんし、観客も少ない。「中国インディペンデント映画祭」は主宰の中山さんが中国にいて、中国のことを理解しているので、こういった作品を集めることができるのです。
チュウ・ジョンジョン(『マダム』監督):中国の監督は貧困の状況に置かれています。中国のなかでは辺縁にいて、制作は非常に難しく、どれくらい撮り続けていけるのか、まったく分からない。ただ、共通しているのは、こういう時代にあって、制限のある国に住んでいて、それでも自分たちの表現をしたいという意思を持っていること。とてもシンプルで生理的な欲求をもとに、みんな努力をし続けています。
多くの監督たちは、別の手段でお金を作っています。映画と関係のない仕事をしている人も多いです。さらに、政治的な圧力があります。上映についても、こうした映画は地下上映のようなかたちをとらざるをえない。そういうなかにあっても作品の量は増えていっていますので、状況は複雑と言えるでしょう。
シュー・トン(『唐爺さん』監督):私はキヤノンと長期間の契約を結んでいて、彼らの企画する講座で講演するという条件で、カメラを2台提供してもらっています。制作に関しては、ドキュメンタリーは制作期間が長いので、基本的には撮影から編集までひとりで全てやっています。マッキントッシュのファイナルカットを使って自分で編集をして、人に頼むのは字幕の制作ぐらいです。そのようにしてコストを節約しています。
チュウ・ジョンジョン:私も、撮影から編集、字幕に至るまですべてひとりで行っています。編集ソフトはプレミアを、カメラは『マダム』についてはSONYのHVR-A1C(日本ではA1J)を使っていましたが、新しい作品ではキヤノンの5D MARK IIIを使っています。今後はキヤノンのC300で撮りたいと思っています。A1Cは自分のカメラですが、それ以外の全ての機材は友達から借りています。
リウ・シュー:『小荷(シャオホー)』は5Dで撮り、60万元(約1,000万円)の制作費でした。半分は外資系の企業でマネージャーをやっている私の夫がお金を出しました。それ以外に主演女優のタン・ジュオが友達から出資元を探してきて、半分を出してくれました。彼女も個人的な関係から出資してもらっていると思います。(編集部注:『小荷(シャオホー)』はヴェネツィア映画祭に出品されたので、その結果タン・ジュオのテレビドラマの出演料は跳ね上がったので出資の元はとれたのでは、と映画祭主催者の中山さんは話していた)
シュー・トン:中国のインディペンデント映画のお金の集め方には、主に2種類あります。ひとつは自分でお金を集める、あるいは周りの誰から探してくる。もうひとつは、ドキュメンタリーに多いのですが、釜山やアムステルダムなど海外の映画祭の基金に申請をすることで、多いときには2万ユーロくらいもらえます。
『唐爺さん』は釜山国際映画祭からのお金もありましたし、中国国内では上海のテレビ局が行っているドキュメンタリーの企画コンペで得たお金もありましたので、合わせて16万元(約274万円)くらい集めることができました。
チュウ・ジョンジョン:助成金の申請には時間がかかります。『マダム』はすぐに撮りたかったこともあり、申請せず撮ることにしました。周りの人の協力で撮ることができたので、5,000元(約8万5千円)くらいしかかけていないです。新しい映画では助成金を申請してみたのですが、結果的にはうまくいかず、自分で出すことになりました。新作はフィクションの部分が多いので、お金も余計にかかるのですが、私は画家として収入があるので、そうしたところから捻出しています。
今の中国はみんな金のために動いている
シュー・トン:私は他の仕事はしていません。生活を維持できて制作を続けていけるくらいにはなんとかやっています。
リウ・シュー:私はもともとはテレビ局で仕事をしていたことがあるのですが、そこを辞めて、現在は貧しい子供やAIDSの患者を助けるNGOで働いています。
リウ・シュー:作る時点では、自分の撮りたいものを撮って、人々に伝えたいという思いだけだったので、回収については一切考えませんでした。自分たちにどれくらいの能力があるか、なにが出来るかということを証明したかったのです。彼女もこの物語を気に入って、乗り気でやってくれましたし、結果的には、私たちは撮り続けていくことができるだけのお金を集めることができました。自分たちの青春の頃の思い出をかたちにして残すことができるという意味では60万元は決して高くはありません。60万元は今の北京でしたら、トイレを買うことができるかどうか、ぐらいの金額ですから。
リウ・シュー:たぶん考え方の違いで、日本の人たちはまず自分の生活を守ってから映画を撮ろうということを考えると思います。中国の監督の場合は、自分のマンションを売ってでも映画を撮ろうとするし、それで離婚してしまった人もいる。
シュー・トン:北京に住んでもう20年になるけれど、未だに自分の家を買えない状況ですから、それが普通になっているし、離婚率も高いです。
リウ・シュー:一方で、今の中国はみんな金のために動いています。すべては金を稼ぐことだけが目的になっていて、それ以外の、自分の自由を求めたり、社会的な責任のために使命感に駆られて行動する人はほとんどいません。そうしたほんとうに価値のあることをすることがいま必要だと思います。私たちがやっていたNGOでは、フォード基金に申請をして人を助けるためにお金を出してもらったりしますが、中国国内ではこうしたことをやる人はほとんどいません。ですからこういうことが必要だと思います。
政府や企業に妥協して一緒に作品を作ろうとはまったく考えない
シュー・トン:だいたいは海外の映画祭で上映されるところから始まります。中国国内では、民間の上映グループがいくつかあって、街のカフェやバー、あるいは大学内や各地のアートスペースで自主上映を行っています。それから、この東京の中国インディペンデント映画祭のように、海外にも中国のインディペンデント映画に特化した上映があります。
リウ・シュー:そうです。ロケをしているときも、周りの人に許可を得ています。使っているカメラが小さいということもあって撮っていることに気づかないからかもしれないですが、警察が来たこともないです。
シュー・トン:シンガポールに比べて中国のほうが自由であるということはまったくありません。映画の検閲についても、非常に厳しいです。同時に、中国では政府による検閲以外に、商業的な制約も大きい。中国では企業がお金を出すのであれば、いろいろと要求をつけてくることも珍しくありません。そうした政府や企業に妥協して一緒に作品を作ろうとはまったく考えません。
シュー・トン:外部の検閲も拒否しているわけですから、自己検閲はありえません。唯一あるとすれば、自分たちの言いたいことがきちんと自由に言えているかということに対しての自分の判断です。
シュー・トン:私たちが撮っているものは、特に政治的に問題になるような内容ではないので影響はないのですが、一部の政治的に非常に難しい内容を撮っている監督のなかでは、警察からマークされて、事情聴取を受けたりする人はいます。
ロウ・イエ監督は常に意見を求める良き先輩
シュー・トン:ロウ・イエは私たちの友達で、非常に尊敬している監督です。毎回新作を撮ると、彼に見せてアドバイスをもらっています。年齢的には私と同じですが、私より制作を始めたのは早いですし、尊敬できる先輩です。
リウ・シュー:私も脚本を書いたり、映画が撮り終わったりするごとにロウ・イエに意見を求めます。タン・ジュオはロウ・イエ監督の『スプリング・フィーバー』に出演していますが、もともと彼女を紹介してくれたのがロウ・イエでした。後で彼女が参加するにあたって報酬を求めなかったのも、ロウ・イエの紹介があったからだと思います。
チュウ・ジョンジョン:私は直接は知りませんが、ロウ・イエの映画は昔から観ていました。
チュウ・ジョンジョン:私たちの作品は、正規のルートでは観ることができません。映画館ではかからないですし、正規のDVDが売られることもありません。自分たちの作品がそういうかたちで流通するとしても、厳密に言えば著作権を犯していることになりますが、私たちにとっては、より多くの人に観てもらえるのですから、必ずしも悪いことではないと思います。
シュー・トン:『収穫』のDVDをネットで売っている人がいて、「出演している人のプライバシーの問題があるので、やめてほしい」と言ったところ、素直に応じてくれました。ただ、その他の作品については動画サイトにたくさんアップされていて、しかも誰かが丁寧に本編の前に字幕で解説もつけてくれたりしている。そんなこともあって、自分たちにとっては、どうせ利益にならない映画ですから、こうしたかたちで観てもらうのもひとつの方法なのかもしれません。私たちからはなんとも言いにくいところではありますが。
リウ・シュー:私はもっぱら映画はネットで観ていますので、『小荷(シャオホー)』の海賊版DVDが売られているかどうかは分からないです。ネットでも観たことないですね。中国国内でこの映画を観ているのはまだ100人もいないので、もちろんたくさんの人に観てもらいたい、と思っていますけれどね。
【関連記事】
独立映画が現代中国を内側からあぶり出す、中国インディペンデント映画祭2013開催(2013-11-26)
http://www.webdice.jp/dice/detail/4045/
山東省済寧市出身、北京在住。十年ほど前からインディペンデント映画に触れ、制作活動を始める。またその一方で、中国各地の大学でインディペンデント映画の上映を行う活動をしたり、北京で定期的なドキュメンタリー映画の上映イベントを開催してきた。『小荷(シャオホー)』は2作目の長編作品。現在は3作目を準備中。
1977年四川省楽山生まれ。川劇(四川地方の伝統演劇)役者の家系に生まれ、2歳から絵画を、3歳から川劇を学ぶ。美大などへは行かず、18歳からプロのアーティストとして活動を始める。2007年初のドキュメンタリー映画『大酒楼』を制作、以降、『彩排記』(2009年)『マダム』『萱堂閑話録』(2011年)など、映画をコンスタントに発表している。映画は自分の家族に関するドキュメンタリーが多いが、現在はフィクションにも挑戦中とのこと。また、画家としても国内外で個展を開くなど、幅広く活動している。
1965年北京生まれ。87年に中国伝媒大学新聞撮影専攻を卒業。その後写真家などを経て、2008年に初のドキュメンタリー作品『収穫』を発表。これは、続く2010年『占い師』と『唐爺さん』を合わせて、「游民三部作」と名づけている。13年には、『収穫』を撮る前に書いていた小説「珍宝島」を出版。また、唐爺さんの甥にあたる人物を主人公にしたドキュメンタリー『四哥』を発表した。現在は5本目となる映画を製作中。
中国インディペンデント映画祭2013公式HP:http://cifft.net/
中国インディペンデント映画祭2013公式Facebook:https://www.facebook.com/pages/中国インディペンデント映画祭2013/689093134451477
中国インディペンデント映画祭2013公式Twitter:https://twitter.com/cifftnet
▼中国インディペンデント映画祭2013予告編
ロウ・イエ監督(48歳)の『パリ、ただよう花』の公開のタイミングで、中国の監督作品が東京で上映される機会が第14回東京フィルメックス第14回東京フィルメックスと中国インディペンデント映画祭2013とあったので中国の映画製作の現状を監督たちに聞いてみた。
1989年に起きた天安門事件から来年で25年。社会を映す映画はそのテーマを経済的に豊かになったことを受けて「自由」の希求から「幸福」の追求へとシフトしている。ロウ・イエ監督の作品は、そのシフトの「自由」から「幸福」の追求の過程を忠実にトレースしている。
『天安門、恋人たち』(2006)では、北京からベルリンへと留学する女性を通して自由を描き、「スプリング・フィーバー』(2009)では、経済発展を遂げる南京を舞台に自由と幸福を描き、『パリ、ただよう花』では、パリと北京を舞台に自由の中の幸福とはなんなのかを描いてきた。
そして、天安門事件などリアルタイムで経験していない世代のチュエン・リン監督(38歳)は、『見知らぬあなた』で、大都市重慶を舞台に中流階級の夫婦が抱える問題を通して経済的に豊かになった末の「幸福」とはなにかを描く。
男と女では焦りのタイプが違う
私はこれまで小説家として活動してきましたが、もともと映画を観るのは好きだったんです。
[※編集部注:中国で現在活躍する作家の作品を翻訳し紹介する雑誌『火鍋子』80号で短編『ハーディーの詩における神秘の結末』が掲載されている]
もちろん、ふたりのサポートなくしてはできませんでした。ジャ・ジャンクー監督とは文芸界で共通の友人がいたものですから、最初に作った物語の骨子をもって「こういう作品を作りたい」と話をしたんです。そうしたら、「脚本にしてみたら。プロットを書いて、見せてみてください」と薦めがありました。それを上海国際映画祭の企画に出し、その後に脚本を書くことになりました。
上海国際映画祭でアン・リーの『恋人たちの食卓』プロデューサーである台湾のシュー・リーコンに会い、東京フィルメックスの市山さんにもお話して、この脚本をこのプロットで書くことになりました。そのときは、タイトルも『陌生』(原題:見知らぬ人)ではありませんでした。
そうですね、この映画のキャラクターは、私の周りの人たちや友人たち、中国人の様子や状態を全体的に見て、ひとつひとつ組み立てていきました。ですから、彼女たちには、中国に漂っているある種の情緒が反映されているのです。特にこの夫婦は、焦りをずっと抱えている。夫が発展した社会で、ビジネスやそのなかでの付き合いに注力し、次第に家庭を顧みなくなっていくことで、夫婦間の気持ちが冷めていく。その焦燥感は、社会の状況から生まれてくるものです。そのような「社会」から「個人」が変わっていく状況を描きたかったのです。
男と女では焦りのタイプが違うと思います。男は社会のなかで成功を目指しているので、いろんなことが成功に向かって動いています。遊び場に行くにしてもお金がいる、家を買いたいと思うけれど資金がない、と常にお金がその焦りの裏にあります。けれど、妻の立場というのは、夫がそうした社会的な名誉欲や遊びに捕らわれて、自分と家を顧みてくれない。週末は夫と一緒に過ごしたいと思っても、夫はお付き合いや仕事に忙しくて、一緒にいてくれない。そうすると子供の面倒はすべて自分で見なければならないという負担を抱えていく。そうしたことに妻は焦りを感じるのです。
子供がいて、親たちがいて、仲良くしていて、そしてゆったりとした生活ができるというのが理想的な家庭でしょう。お金だけを目指すのではなくて、ほどほどに困らない程度あればいいと考えるわけです。
大都市では難しいと思います。この映画のヒントになっているのですが、私の友人で、6回離婚して、6回復縁した夫婦がいます。途中で夫に愛人がいたといったことが発覚して離婚に至ったのですが、結局はよりを戻しているのです。
女性はいちど自我を求めようと飛び出したら、徹底的に走っていくものです。どうしても夫がいなくてはいけない、というのは経済的な理由も大いにあります。しかし、そうした理由がないならば、女性は、他の人を愛するためではないかもしれないけれど、独立して、自我を貫き、自分の人生を決めると思います。
ある程度の豊かさや富を得た後に途方にくれることを描く
検閲を通っていますが、まだ公開はされていません。2014年の3月くらいに公開されます。
脚本の修正はほとんど出ませんでした。作家としては社会の暗部を描くのは好きではありません。そこは今作でも意識して、あえて政治的な内容は書かないようにして、ストーリー展開に全ての力を注ぐことにしました。
ジャ・ジャンクー監督も出資してくれていますし、私の友人のいくつかの会社が出資してくれています。
理屈としてはそういう流れなんですが、こうしたアートフィルムが全て回収できるかどうかは分からないです。
それは、私が作家としてある程度の知名度があるので、「この人なら大丈夫だろう」ということで出資してくれたのだと思います。ジャ・ジャンクー監督も小説を読んで、力量を信じてくれたのだと思います。いま第2作の脚本を書いているところなのですが、第1作を観たうえで出資してくれる人がいます。中国では現在、脚本は売り手市場になっていて、映画会社から「商業映画の脚本を書かないか」と言われています。
やはり自己表現としての自分の作品をまずしっかり撮っていきたいです。そして余力があれば、他の作品を撮ってもいいと思っています。ただ商業映画には、何人かのチームで脚本を書くという習慣があります。それは、自分の創作の態度に適さないのです。
まず、私はまだお金の稼げる作家ではありませんし、最近の中国の傾向として、作家や画家が映画を撮る、という傾向がありますので、私が最初でもないですし、最後でもありません。
そうです。もともと北京にいて、香港に移り、仕事の関係で北京と香港の間を行き来しています。私のような生活をしている人はすごく多くなりました。例えば上海と北京や広州との間を行き来したり、深センに住んで北京で仕事をしたり、と居住範囲が広くなっているのです。
そうした人たちのことを「飛行生活」というのですが、けっこういて、私も含め必ずしもセレブというわけではありませんし、普通の状況だと言えると思います。なぜ私がこの映画で、四川省の夫婦を撮ったかについてですが、重慶は自分の郷里で、毎年夏休みに帰省し、いろんな人間を観察して見ていたことが、映画に繋がっています。小説でも人物は四川語をしゃべります。
ある程度の豊かさや富を得た後に途方にくれることを描く、ということです。最近ですと自分が買ったブランド品や高級車と一緒に撮った自分の写真をネットにアップしたりする人たちがいます。以前は特別な階級のお金持ちしかできなかったのですが、最近はそういう豊かさを得ることができる人が増えてきた。でも物質的な豊かさを得た後の喪失感が、現在の世の中に漂っているのではないでしょうか。
とはいえ、人間の求めるものは多元化しています。お金持ちになった後、ブランドを追いかけたりする他に、精神的な豊かさを求める人も多いのです。例えば、クラシックのコンサートに行ったり、舞台を観に行ったりといくことを大切にする人も社会の一部としています。
なぜ私がこの重慶の街を舞台にして撮ることを決めたかというと、こうしたちいさな街の場合、様々な欲望や刺激がすごく明らかに見えてくるからです。例えば、不動産業者が物件を売るために「ヨーロッパ風」「エーゲ海」という名前をつけるようなことが氾濫しています。そこに人々の純粋な欲望が見えてくるのです。大都会にいる人たちは自分の欲望をあからさまに人に見せません。しかし小さな街だと、「素敵な靴下を買ったよ」というような小さなことでさえ、明らかに見えてくるのが興味深い点なのです。今作でも、家具屋の社長の運転手の名前がソロモンだと名刺に書いてある。わざわざ外国語の名前を使ったりするのです。
今村昌平監督の作品は現代の中国社会に合う
すみません、わたしも海賊版を見ています(笑)。小津安二郎監督の作品はもちろん大好きですし、最近は今村昌平監督の作品がとてもいいなと思っています。今の日本から見れば古いと感じるかもしれないけれど、今村監督の作品はかえって現代の中国社会にぴったり合うのです。今村監督が描く人間は非常に野望を持っているし、人間の野蛮なところや社会の底辺の人たちをしっかりと描き出しているので、中国の現在の現実と照らし合わせるとリアルだと思います。
私の映画に対する知識は映画や映像でしかないので、現在の本当の日本の姿はよく分かりません。ただ、山田洋次監督の『東京家族』を観ると、日本人はとても穏やかな印象がありますが、家族間の関係はとても冷たいイメージがあります。『東京家族』で描かれるのは、典型的な日本の家族でしょうか?中国人として理解できないのは、わざわざ田舎から出てきた両親を、なぜ自分の家ではなくホテルに泊めることにしたのかです。
中国人であれば、喜んで自分の家に迎えるでしょう。あんなに親と子が疎遠なのは、とても嘘っぽく思えましたね。
1975年、重慶に生まれる。99年より多くの短編小説を執筆。2010年、上海映画祭のピッチング・セッションCFPCに『見知らぬあなた』の企画をもって参加し、最優秀企画賞を受賞。本作はジャ・ジャンクーが若手映画作家の製作をサポートする「添翼計画」の一環として製作され、13年ベルリン映画祭フォーラム部門でワールド・プレミア上映された。
映画『見知らぬあなた』
家具工場の労働者である夫と、娘を育てながら雑貨屋で働いている妻。妻がかつてボーイフレンドであった実業家といまだに会っていることを知った夫は、妻とその実業家との関係を疑い、更には娘が自分の子供なのかどうかまで疑い始める。
監督:チュエン・リン(QUAN Ling)
原題:Forgetting to Know You/陌生(Mo sheng)
中国/2013年/87分
第26回東京国際映画祭の「アジアの未来」部門でワールド・プレミア上映され作品賞を受賞した『今日から明日へ』は、北京郊外の唐家嶺(タンジャーリン)という集合住宅を舞台に、そこに住む若者たちの日常と青春模様を描いている。ヤン・フイロン監督は、現在32歳。「蟻族」と呼ばれる、大学卒の高学歴を持ちながら非正規雇用の生活を余儀なくされている主人公たちと同じ境遇を経験したことをベースに、現地でロケを敢行し、若者の希望や葛藤を瑞々しいタッチで捉えている。監督、そして出演者たちに中国インディペンデント映画制作の現状を聞いた。
初の長編映画は、自分の資金をつぎ込んだ
ヤン・フイロン:どの過程も大変でしたけれど、やはりいちばん大変だったのは資金繰りですね。自分のお金も入れましたし、友達から借金もしました。その借金はまだ返していません(笑)。今僕はほんとうに一文無しの状態です。
ヤン・フイロン:製作費は、2,800,000元(約4千700万円)です。
ヤン・フイロン:もちろんそうです。でも国内・国外に関わらず、資金があればと思うのですが、それさえ僕にはなかった。ですから、自分たちのお金をつぎ込むしかありませんでした。今後は、日本でも他の国でも、投資してくれる方がいたらいいなと思います。
ヤン・フイロン:ジャ・ジャンクー監督、それから王小帥(ワン・シャオシュアイ)監督、ロウ・イエ監督が好きです。第六世代の監督からは、やはり物語の形式や方式、カメラワークに多かれ少なかれ影響を受けています。
中国だけはなく、世界中の各地にある問題
ヤン・フイロン:これが僕にとって最も身近なテーマだったからです。僕はこの映画と同じような経験をしてきました。中国だけでなく世界中そうだと思うのですが、大学を卒業して仕事が見つからない、あるいは職を探しているという人はたくさんいます。正確な統計はないのですが、中国では報道によると毎年約600万人が大学を卒業しています。
この映画を撮るまでに10年かかりました。数年前にこの映画を撮りたいと準備をはじめましたがなかなか資金が集まらず、ずっと準備という状態が続きました。僕はこの映画を通して皆さんにこうした弱い一群の若者たちがいる、でもこうして頑張っているのだということを伝えたかったのです。
最初に考えた脚本の段階から、自分の経験を盛り込みました。実際にこの住居に住み込んでの撮影を行ったのですが、すごく大変でしたが、やってよかったです。役者もスタッフもみんなその過酷な条件のところで撮影に臨みました。絵コンテは準備していないですけれど、頭のなかにこういう感じという画があるので、それに合う画を探していきました。
ヤン・フイロン:数年前にこの「蟻族」を撮ったドキュメンタリーがありましたが、今もまだ彼らのような若者は存在していますし、北京に限らず中国の他の大都市にもいると思います。これは中国だけの問題ではなく、世界中の各地にある問題なのです。
ヤン・フイロン:そうですね、実は次の作品も、非常に現実的な家庭の倫理を問う作品になる予定です。小さな街のある家庭を描きたいと思っています。誰もが知っているけれど、あまりおおっぴらに言わないような家の恥とか、どの家庭にも悩みがあって人様には言わないような、子供や老人の問題などを描くつもりです。やはり自分の経験に根ざしたものに興味があるのです。
ヤン・フイロン:実際中国には、たくさんの若い才能のある人が、自分の撮りたい作品をもって海外に羽ばたきたいと思っています。しかし、なかなかそのチャンスにすら恵まれない。こうして東京国際映画祭に出品できることになった僕はまだラッキーなほうです。でもいつかきっと、何か小さなことでもきっかけを得ることができれば、世界に出ていくができると思います。
夢の為に残って頑張る人、北京を去っていく人
ヤン・フイロン:やはり現実でも、夢の為に残ってがんばり続ける人もいれば、残りたいけれど様々な理由から残れずに、結局北京を去っていく人もいます。ただ、彼ももしかしたら田舎に帰っても自分の夢を諦めずに持ち続けるかもしれないと思ったので、こうした設定にしました。
ヤン・フイロン:そうですね、彼ら「蟻族」にとって映画は贅沢なんです。そのお金があったらお腹を満たしたりするでしょう。このような生活をしている人は、収入がとても少ないので、娯楽に使えるお金はほとんどない。それが現実なんです。
シュー・ヤオ(女優・ランラン役):そうですね、お互いに助け合いました。実は私は、決まっていたヒロインが事情があって辞めることになり、出演することになりました。それで他の俳優よりも遅くクルーに入ったので、他の俳優はいろいろ進めているのに、私だけ追いつけない、そして何を撮るのか、ということに関しても私だけがはっきり分かっていないところがありました。でもカメラマンや監督の助けがあって、なんとか演じることができました。ドラマやCMや司会といったことはしてきましたが、映画は初めての出演だったので、とても緊張していました。それから、いちど監督と細かいシーンでやりあったことがあって、それはすごく寒い時期だったんですけれど、薄いパジャマで外に出るシーンがあって、私は辛いからやりたくない、と言ったのですが、監督がどうしてもこの画が欲しいと言われてやることにしました。後に完成した作品を観て、監督が主張した理由が分かりましたので、少し反省しました。
ワン・タオティエ(男優・シャオジエ役):この映画の撮影はロングカメラの長回しが多く、細かい動きを事前に決めますが、撮っている間は監督からなにも指示がもらえないので、それが大変でした。監督は、イン・シャンシャン演じるチャン・フイとワン・シュー役のタン・カイリンが一緒に歩くシーンを80テイク撮りました。ふたりはそのたびに違う演技をしていましたね。
イン・シャンシャン(女優・チャン・フイ役):私は演技を学んだことがなく、心理学を勉強していたんです。ですから人物の心理の分析は好きなので、今回、他の役者さんたちの演技も含めて、撮影の現場でも心理分析をしていましたね。
ヤン・フイロン:僕はそんなに演技について細かく指示できるほど分かっていないのですが、でも自分が「こういう画がほしい」というものと演技がしっくりきているかどうか、そこに強いイメージを持っていました。ですから細かい演技は役者さんにまかせて、自分とぴったりくるものを探します。
ヤン・フイロン:RED EPICを使いました。『ホビット』や『スパイダーマン』でも使われているデジタルカメラで、すごく軽いし小さくて、画の効果は素晴らしい。とても高いので、借りたのですが、それでも高かったですね。アリMPレンズも使ったので、仕上りには満足しています。僕が撮影科出身なので、カメラとレンズについてはこだわりがあります。
ヤン・フイロン:北京にある小さな会社、北京阿王電影有限公司から借りました。アリMPレンズは撮影監督の私物です。でも次の作品は35ミリのフィルムで撮ります。すごくお金がかかりますけれど、フィルムで一本撮りたくて、それをもって、また東京国際映画祭に来たいと思っています。
北京電影学院を卒業後、数多くのCM作品、ドキュメンタリー映画などを手掛ける。初の長編映画『今日から明日へ』が第26回東京国際映画祭の「アジアの未来」部門に出品され、作品賞を受賞した。
映画『今日から明日へ』
監督:ヤン・フイロン
脚本:リン・シーウェイ
撮影監督:スン・ティエン
プランニング・ディレクター:チョウ・イェンミン
プロデューサー:ワン・ヤーシー
録音:リウ・ヤン
出演:タン・カイリン(唐凯林)、シュー・ヤオ(舒遥)、ワン・タオティエ(王道铁)、イン・シャンシャン(尹姗姗)
88分/2013年/中国
▼映画『今日から明日へ』予告編
中国インディペンデント映画祭が11月30日(土)より渋谷オーディトリウムで開催される。2008年8月からスタートし、今年で4回目を迎えるこの映画祭は、中国や国内からゲストを招聘し、当局の管理下にあり検閲が行われている商業映画や映画産業のシステムから独立したインディペンデント映画=「独立電影」を日本に紹介し続けている。監督の登壇も多数予定されているので、ぜひ会場で映画を通して現代中国の現状を目撃し、制作者とディスカッションを交わしてみてほしい。webDICEでは今回、今年の上映作品14作を紹介。また今後、会期中に来日する監督による対談企画を掲載する。
『ホメられないかも』
小学校を卒業した夏休み、ヤンジンは長距離バスに乗って同級生のシャオポーの田舎に遊びに行く。優等生のヤンジンと、怒られてばかりのシャオポー。山西の農村でいろんな人と出会いながら、彼らは少しずつ成長していく。
監督は『牛乳先生』『冬に生まれて』に続き本映画祭3作目となる楊瑾。この作品はアニメーションを交えながら、ほのぼのとしたタッチで描いているが、独特の飄々とした作風は健在。今回はベルリン国際映画祭の児童映画部門で上映された100分バージョンで上映。
協力/東京国際映画祭
有人讚美聰慧,有人則不/Don't Expect Praises/2012年/100分/字幕 Jp
監督:楊瑾(ヤン・ジン)
『卵と石』
14歳の少女・紅貴は、都会で働く両親と離れて農村に留まり、もう7年ものあいだ叔父夫婦と生活している。幼なじみの男友達・阿九と会えるのを唯一の楽しみとしている普通の女の子だが、実は深刻な悩みを抱えていた。
84年生まれの黄驥監督は、パートナーの大塚竜治とほぼ二人だけでこの映画を作り上げたというが、そのクオリティの高さには驚かされる。ロッテルダム国際映画祭で大賞を受賞したのを始め、各国で高い評価を受けている注目作。
協力/大阪アジアン映画祭インディー・フォーラム部門
雞蛋和石頭/EGG AND STONE/2012年/101分/字幕 Jp+En+Ch
監督:黄驥(ホアン・ジー)
『小荷(シャオホー)』
田舎の高校で国語教師をしている小荷(シャオホー)は、型破りな授業をすることから生徒たちには人気があるが、保護者や同僚からは疎ましがられていた。職場の空気に耐えられなくなった彼女は北京に出て行くことにするが、北京での暮らしは理想とは程遠く…。
理想を持つほど生きづらい中国社会の現実を、女性監督らしい目線で描いた作品。主演は『スプリング・フィーバー』『ミスター・ツリー』でヒロインを演じた譚卓(タン・ジュオ)。2012年ヴェネツィア国際映画祭国際批評家週間で上映された。
小荷/Lotus/2012年/90分/字幕 Jp
監督:劉姝(リウ・シュー)
『白鶴に乗って』
中国西部の農村で暮らす大工の馬さんは、棺桶作りの名人でもある。政府が土葬を禁ずるようになった今では、棺桶を注文されることもめっきり減ったが、多くの老人たちは依然として土葬を望んでいる。彼の親友は死後密かに土葬されたが、役人にバレて掘り返されてしまう。それを目の当たりにした馬さんが下した決心とは…。
蘇童の小説を、若手監督として注目されている李睿珺が自分の故郷に舞台を移して映画化。甘粛の美しい風景も魅力的。ヴェネツィア国際映画祭オリゾンティ部門参加作品。
告訴他們我乘白鶴去了/FLY WITH THE CRANE/2012年/99分/字幕 Jp
監督:李睿珺(リー・ルイジン)
『嫁ぐ死体』
火葬場で働く曹には、人には言えない副業がある。それは女性の遺体を「鬼妻(独身で亡くなった男性の霊を慰めるため、女性の遺体を一緒に葬るという古い風習)」として売買するブローカーであった。重い病気を患った曹は、自分の死期が近づいていることを悟り、自分用に若い女性の死体をキープしておくことにする。そんな時、一人の女性が彼の働く火葬場を訪ねてくる。
『小蛾の行方』で人々に衝撃を与えた彭韜監督の新作。中国な奇妙な風習をモチーフに、市井の人々の姿をリアルに描いた興味深い一本。
告訴他們我乘白鶴去了/FLY WITH THE CRANE/2012年/99分/字幕 Jp
監督:李睿珺(リー・ルイジン)
『春夢』
妻として、また幼い娘の母として、そつなくこなしてきたファン・レイだったが、ある時から夢に出てくる男に惹かれ始め、すっかり心を奪われてしまう。夢の中での肉体関係に溺れてしまった彼女は、罪悪感を抱くようになるのだが…。
女性監督の目線で女性の性を露骨に描いているのみならず、スリリングでホラーチックな展開も見どころ。監督の楊荔鈉は、かつて女優やドキュメンタリー監督していたが、本作が初のフィクション作品。音楽は日本の半野喜弘が担当。
協力/SKIPシティ国際Dシネマ映画祭
春夢/Longing for the Rain/2012年/98分/字幕 Jp+En
監督:楊荔鈉(ヤン・リーナー)
<18歳未満の方の鑑賞には相応しくない描写あり>
『マダム』
服飾デザイナーをする傍ら、派手な女装をし、マダム・ビランダと名乗ってステージに立つクラブ歌手。同性愛者がまだまだ生きづらい中国にあって、ゲイである彼がここに至るまでには様々な苦労があった。赤裸々に語られるインタビュー映像と、クロスして流れる彼のステージシーンが、ときに笑わせ、ときに涙を誘う。
画家としても活躍する邱炯炯監督によるドキュメンタリー。撮影後、この歌手は亡くなってしまったため、彼のステージが見られる貴重な映画となってしまった。
姑奶奶/Madame/2010年/120分/字幕 Jp
監督:邱炯炯(チュウ・ジョンジョン)
『治療』
2007年に母親を亡くした監督が、母親についての映像作品を作ろうとこれまでに撮りためてきた映像を編集し始める。しかし、亡くなった母親の生き生きとした姿を改めて見返す作業は、監督にとって辛くもあり、自分自身を治療する過程でもあった。
中国でインディペンデントなドキュメンタリー映画づくりにいち早く取り組み、ドキュメンタリー映画の父とまで呼ばれる呉文光監督。この映画ではそれまでの手法とはまるで違い、セルフ・ドキュメンタリーとなっている。
治療/Treatment/2010年/80分/字幕 Jp
監督:呉文光(ウー・ウェングアン)
『唐爺さん』
前作『占い師』で、売春の元締めをしていて逮捕された唐小雁は、その後釈放され、故郷で新年を迎えるため黒竜江省に帰省する。そこには80歳を超える彼女の父親が住んでいた。娘に劣らず元気で濃いキャラクターの唐爺さん。彼は、訪ねてきた監督のカメラに向かい、自分の半生を饒舌に語りだす。
たくましく生きる市井の人々を撮り続ける徐童監督の3本目の作品。監督はこの作品を『収穫』『占い師』と合わせて「游民三部作」と名づけている。
老唐頭/Shattered/2011年/89分/字幕 Jp
監督:徐童(シュー・トン)
『キムチを売る女』の奇才・張律監督の魅力に迫る特集。中国と韓国で映画製作に取り組む朝鮮族の張律は、カンヌやベルリンでも賞を獲ってきた知る人ぞ知る存在。今回は彼が中国国内で撮影した3本を紹介する。
『豆満江』
中国と北朝鮮の国境を流れる豆満江(とまんこう)沿いの、中国側の村で暮らすチャンホは、北朝鮮からやってきた少年・ジョンジンと知り合う。ジョンジンは病気の妹のために食べ物を探そうと、危険を犯してやって来たのだった。チャンホは彼を助け、二人の間には友情が芽生える。だが、次第に増えてくる脱北者のせいで村の治安は悪化。二人の関係も険悪になってくる。
実際に豆満江沿いの村で育った朝鮮族の張律監督だからこそ作れた作品。ベルリン映画祭ジェネレーション部門受賞作。
協力/アジアフォーカス福岡国際映画祭
豆滿江/Dooman River/2010年/90分/字幕 Jp
監督:張律(チャン・リュル)
『重慶』
留学生たちに中国語を教えている蘇芸は、早くに母を亡くし、父親と二人暮しをしている。その父が、売春をした疑いで娼婦とともに検挙されてしまう。警官・王の計らいで釈放させてもらったことから、蘇芸と王は親しくなり、体を許すまでになるのだが…。独特な雰囲気を漂わせる都市・重慶を舞台に展開される人間模様。主演は『レッドチェリー』の郭柯宇と、『ホメられないかも』『白鶴に乗って』『スーツケース』などでは音楽も手がけている小河(何国鋒)。
重慶/Chongqing/2008年/93分/字幕 Jp+Kr
監督:張律(チャン・リュル)
<18歳未満の方の鑑賞には相応しくない描写あり>
『唐詩』
ある男がアパートでひとり静かに暮らしている。女がひとりやって来る以外、とくに人付き合いもなく、いつも無表情で黙々と植物に水をやり、アイロンをかけ、テレビで唐詩の番組を見ている。女は彼とのコミュニケーションを図るが、一向に掛けあってこない。女はナイトクラブで踊りの演出家として働くことになるが、その目的は職場の金を盗み出すことにあった。
張律監督の長編デビュー作。台詞は極端に少なく、場面もアパートの中だけというシンプルな作りながら、その後の作品につながる片鱗が随所に伺える。
唐詩/Tang Poetry/2004年/86分/字幕 Jp
監督:張律(チャン・リュル)
『ファック・シネマ』
田舎から脚本家を夢見て出てきた王は28歳。ホームレス同然の貧乏生活をおくりながら、毎日映画製作所の門の外に立ち、チャンスを待っている。ドキュメンタリー映画の被写体となることを、彼はチャンスを掴むきっかけと考えているが、実は監督に利用されているに過ぎないのかもしれない。監督は彼を撮りながら、そのことに困惑し始める。それまでのダイレクトシネマ風の作品と異なり、監督と被写体のやり取りが増えており、これが『治療』へとつながっていることが伺える。
協力/山形国際ドキュメンタリー映画祭
操他媽電影/Fuck Cinema/2005年/160分/字幕 Jp+En
監督:呉文光(ウー・ウェングアン)
『占い師』
身体に障害を持つ厲百程は、体と脳に障害を持つ妻とともに、路上で占い師をして生計を立てている。彼の客は主に場末の娼婦たち。厳しい現実の中でも、彼らは笑顔を絶やさず、そして常にしたたかだ。中国の底辺に生きる愛すべき人々を撮り続ける徐童監督が長期取材した、厚くて暖かいヒューマン・ドキュメンタリー。
『唐爺さん』に出てくる唐小雁は、この映画の中で主要な登場人物として出てきており、関連も深いので、未見の方は必見である。
算命/Fortune Telle/2010年/129分/字幕 Jp
監督:徐童(シュー・トン)
中国インディペンデント映画祭2013
2013年11月30日(土)~2013年12月13日(金)
渋谷オーディトリウム
料金:一般1,500円/シニア・学生1,200円/高校生以下800円
3回券3,600円(劇場窓口のみ取り扱い)
公式HP:http://cifft.net/
公式Facebook:https://www.facebook.com/pages/中国インディペンデント映画祭2013/689093134451477
公式Twitter:https://twitter.com/cifftnet
▼中国インディペンデント映画祭2013予告編
『天安門、恋人たち』『スプリング・フィーバー』のロウ・イエ監督の新作『パリ、ただよう花』が12月21日(土)より公開される。出演は、LOUISVUITTON、Diorなど、トップブランドの広告等で活躍するフランス生まれの中国人モデル兼女優コリーヌ・ヤンと、ジャック・オディアール監督『預言者』のタハール・ラヒム。撮影は、ジャ・ジャンク―作品には欠かせない撮影監督、ユー・リクァイが務める。原作は、リウ・ジエが自身の体験をもとに、インターネット上で発表した小説「裸」。監督にとって初の原作作品となる。本作についてロウ・イエ監督に聞いた。
活動禁止令の5年間に『スプリング・フィーバー』『パリ、ただよう花』の2本を作った
プリプロダクションとポストプロダクションを含めると、ちょうどその5年間に2本作ったことになります。禁令はあってはならないものだと思いますが、自分にとってはいい機会になりました。検閲を通す必要もなかったし、撮りたいと思う場所で自由に撮れた。自分の望みどおりに作れて、映画監督であることを心底、楽しみました。映画とは常にそうあるべきです。
露骨な性描写もたくさん出てくる原作小説と、どのように向き合い、脚本を書いたのか
まずリウ・ジエの小説と、彼女がそれを脚本化したものを読みました。それらを読んで、彼女自身についてと、なぜ彼女がそれを書いたのかを理解することができ、あとで僕が脚本を書き直す際にも役立ちました。作家の世界に入るには、本人を知ることが大切なのです。
原作には直感的でミステリアスな要素がたくさんあります。リウ・ジエは登場人物たちを丸裸で素のままに放置している。最初に感動したのはそこでした。僕にとっては不可解であることが、人間の最も興味深いところなのです。
2人は特別なキャラクターではなく、ありふれた人たちです。僕は"特別"より"普通"を描きたかった。彼らに特別なところは何もありません。一番重要なのは、ホアとマチューが未来がどうなるかを知らないことです。われわれとまったく同じようにね。
登場人物たちは、僕がくっつけたからカップルになったとは思わないし、僕が引き離したから別れたとも思いません。"希望"についても同じです。僕らはたいてい、相手が遠いのか近いのか、希望があるのかないのか分かりません。自分自身に「こういうふうに生きるべきだ」と言ったら、その人はすでに人生の真実を失っていることになる。なぜなら、そう発言する前の、すぐそこに、人生や人間性は横たわっているからです。たぶんね。
セックスは、自然で自由な人間にとって欠かせない要素です。人間を描きたいならセックスを避けることは困難ですし、時代を描くのに人間を避けることもできません。
カメラのフレーム内で起こっているリアリティを示すと共に、カメラの向こうのコントロールできないものも暗示したい
プランはありませんでした。登場人物を愛し、信じ、彼らについていくだけです。自分にはまったく分からない未来へと、登場人物たちに導いてもらうのです。彼らと一緒に冒険するわけです。
僕はカメラのフレーム内で起こっているリアリティを示すと共に、カメラの向こうのコントロールできないものも暗示したいと思っています。僕にとって、何かをシーンに含めない、あるいは最終的な編集に含めないことには、重要な意味があります。これは技術的なこととは無関係です。
理想は、登場人物たちの前にカメラが存在しないことです。僕にとって編集は脚本を書くことの続きです。僕のやり方は、撮影中は脚本のスピリットと要求を厳密にたどり、編集のことは忘れる。そして、その後の編集作業では、今度は脚本も含めすべてを忘れる。撮影した各シーンやフレームを注意深く見て必要なものをピックアップし、不必要なものは捨てる。そのためには撮影したすべての映像を見る必要があるし、全テイクにおける俳優の演技に精通する必要があります。細かい違いが、映画全体に影響するからです。僕の映画の編集はとても大変だと思いますし、編集者にとても感謝しています。
日々の生活です。
通常、撮影場所を選ぶときは登場人物たちに従います。ロケーションはキャラクターの一部だからです。顔や体だけでなく時に場所自体が、登場人物を表現するのです。
言葉を理解しないことで、監督の注意は、俳優がセリフを喋っているときの他の側面にシフトされる
彼は魅力のある素晴らしい俳優です。彼は演じる人物を表現するのではなく、その人物そのものになって生きるのです。優れた俳優にとって、それは非常に難しいことです。演技が巧いほど、演技中に無意識の"自意識"が出てしまうからです。自分が優れた俳優であることを知っていて、時にそのせいで演じているキャラクターから離れてしまいます。多くの俳優はそれを乗り越えられませんが、タハールにはそういう限界がありません。
ホアは社会学とフランス語の教師です。だから上海、北京、パリ、アメリカ、カナダで、フランス語に堪能な中国人女性を探しました。100人以上の女優と会いましたが見つからず、苦労しました。そして最後に、別の女優が主役のテレビシリーズでコリーヌを見つけました。数シーンにしか出ていませんでしたが、素晴らしいと思いました。彼女を見つけることができてラッキーでした。
撮影中はヘッドホンで俳優たちのフランス語のセリフを聞きながら、同時通訳も聞いていました。ドイツ語(『天安門、恋人たち』のベルリンのシーン)や日本語(『パープル・バタフライ』)でも同じような経験をしましたが、セリフがフランス語の映画を監督するのはこれが初めてでした。製作に関わったすべての人に心から感謝しているし、2人のフランス語通訳者にもお礼を言いたいです。
映画監督が母国語以外の映画を監督するのは、その監督の経験や感性への挑戦となります。具体的に言うと、言葉を理解しないことで、監督の注意は、俳優がセリフを喋っているときの他の側面にシフトされます。ムードやイントネーション、トーン、リズム、ジェスチャーなど、言葉を越えた表現です。それは監督の決定を、ある種、視覚的で身体的な表現の方向に傾けることになります。
「息づかい」という言葉は嬉しいですね。撮影のユー・リクウァイと僕が、いつも使っていた言葉です。彼とは映像についても、撮影中に自然の光が変わってしまっても、"画の息づかい"を記録するためにカメラを回し続けるということで合意していました。音楽についても同じです。ペイマン・ヤザニアンとの仕事は(『天安門、恋人たち』『スプリング・フィーバー』に続き)3作目になります。他の作品と同様、編集の時点で、編集者と僕で参考用の音楽を選んで乗せ、提案としてペイマンに送りました。そのあとペイマンと僕の2人で、それぞれの曲やほかの可能性について話し合いました。
1965 年劇団員の両親のもと、上海に生まれる。1985年北京電影学院映画学科監督科に入学。『ふたりの人魚』(00)は中国国内で上映を禁止されながらも、ロッテルダム映画祭、TOKYO FILMeX2000でグランプリを獲得。1989年の天安門事件にまつわる出来事を扱った『天安門 恋人たち』(06)は、2006年カンヌ国際映画祭で上映された結果、5年間の映画製作・上映禁止処分となる。禁止処分の最中に、中国では未だタブー視されている同性愛を描いた『スプリング・フィーバー』は、第62回カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞した。本作『パリ、ただよう花』は第68回ヴェツィア国際映画祭のヴェニス・デイズ、および第36回トロント国際映画祭ヴァンガード部門に正式出品された。2011年に電影局の禁令が解け、中国本土に戻って撮影された『Mystery/浮城謎事(原題)』は、第65回カンヌ国際映画祭ある視点部門に正式招待。中国本土での劇場公開にあたっては、電影局から暴力シーンの削除を求められ、最終的に「監督署名権」を放棄し自分の名前をクレジットから外した。現在、中国現代文学の代表的作家でありロウ・イエと親しい友人でもあるピー・フェイウー(畢飛宇)の『Massage/按摩(原題)』を原作にした新作を製作中。
映画『パリ、ただよう花』
2013年12月21日、渋谷アップリンク、新宿K'sシネマほか、全国順次公開
パリ、北京、二つの都市で居場所を求めてさまよう女の「愛の問題」を描く、ロウ・イエ版『ラスト・タンゴ・イン・パリ』
監督:ロウ・イエ(『スプリング・フィーバー』『天安門、恋人たち』)
出演:コリーヌ・ヤン、タハール・ラヒム(『預言者』ジャック・オディアール監督)
撮影:ユー・リクウァイ(『長江哀歌』ジャ・ジャンクー監督)
(仏・中国/2011年/105分) 配給・宣伝:アップリンク