曽我部恵一が主宰するROSE RECORDSより尾崎友直がアルバム『EAR』をリリース。自らミュージシャンであり、渋谷で知る人ぞ知るDJバーEARを運営し、そこから様々なアーティストとのコラボレーションを発信してきた鬼才だ。彼について曽我部氏に文章を寄せてもらった。
トモナオと出会ったのは10年くらい前。
深夜、渋谷道玄坂の小さなクラブ。
お互いにお互いのことは全然知らなかったけど、すぐその場で友だちになった。
ぼくはその夜、そのクラブで少し歌ったのだった。
トモナオはそのときぼくに「きみのことは知らないんだけど、みんなきみのことが好きみたいだね」とニコニコしながら話しかけてきた。
そうしてぼくたちは友だちになった。
その夜に、彼が運営しているというEARというさらに小さなバーに行った。
クラブのすぐそばにその店はあった。
閉店後のその店で、ギターを弾いたりして過ごした。
彼のギターはとっても簡潔で生命力があって、ぼくはすごいなあと思った。
同い年だと言うこともわかった。同じような音楽を聴いてきていたことも。
でもふたりは全然違う人で、それがなんかよかった。
彼がギターを弾き、声を出すのを、この十年くらいのあいだに何度か聴いた。
素晴らしかった。自分が待っていた音楽がいつもそこにあった。
ぼくはROSE RECORDSというレーベルを運営するようになって、いつか彼の音楽をリリースできたらなあという思いを持っていた。
でも彼は自分でもEARというレーベルをやっていたし、そんなことは実現しないだろうなと感じていた。
春頃に、トモナオがフルアルバムを作ったという話を聞いた。
ひさびさにEARを訪れたら、ちょうどそのアルバムのマスタリング後のCD-Rが届いた日だったようで、彼はとても喜んでぼくに一枚くれた。
「どうやってリリースするの?」ってぼくが訊ねると、CD-Rでコピーして店で100円で売る、と言う。
ぼくはつい「トモナオの音楽は、もっとひろげなきゃ」と言ってしまった。
すぐさま彼は「ひろげることになんか全然興味ない。店で知ってる人みんなに買ってもらうことが重要」と返した。
ぼくは失言してしまったと感じながら、そうだね、と言った。
翌日の昼、渋谷を歩きながらそのアルバムをヘッドフォンで聴いた。
下北沢に着いて、彼に電話して「すごく良かった」と伝えた。
彼はそのとき大工の仕事中だったみたいだが、電話口で「ああうれしい。じゃあROSEで出してくれない?」と言った。
そうしてこのCDがここにある。
トモナオの理想だった「100円で売る」はコストのことがあって500円になった。
でも立派なCDが出来たと思う。
レーベルをやっていて良かったと思う。
夢や現実や過去や未来、そんなものがぎゅっとつまった最高の音楽。
いつだって、ぼくらが待ってるのはこんな音楽だ。
1971年11月生まれ、東京都世田谷区桜丘出身。16歳の頃よりパンクロックに影響を受けバンド活動を開始。1989年より都内のライブハウスにてライブ活動を精力的に展開。1998年、渋谷円山町にてDJバー「EAR」を開店、同時期に自身のレーベル「EAR」を立ち上げる。1998年、EARからソロ第一作「TAKE ME HOME」をリリース。その音楽性は幅広く、エレクトリックギター演奏や声を使った変幻自在なライブパフォーマンスはジョン・ゾーンやルー・バーロウ、ジャド・フェアらからも高い評価を得ている。
EAR公式HP
尾崎友直『EAR』
発売中
ROSE 119
500円(税込)
ROSE RECORDS
★作品の購入はジャケット写真をクリックしてください。ROSE RECORDS SHOPページへリンクされています。
森達也監督がゴーストライター騒動で話題となった佐村河内守を追うドキュメンタリー映画『FAKE』が6月4日(土)より公開。webDICEでは、無音の"音楽"映画『LISTEN リッスン』の牧原依里・雫境(DAKEI)両監督による対談に続き、森達也監督と橋本佳子プロデューサーへのインタビューを掲載する。
webDICE編集部は、今回の両氏への取材の前に、配給会社の東風に佐村河内氏へのインタビュー取材を申し込んでいたが、「本作での佐村河内さんの稼働はございません」、そして佐村河内氏が完成したこの作品を観ているかどうかについても「佐村河内さんが本作をご覧になったかこちらで把握しておりません」という回答だった。
編集部はその後、佐村河内守氏と新垣隆氏それぞれに独自にインタビュー取材について問い合わせた。佐村河内氏の代理人である秋山亘弁護士は「メールは本人に転送しているが、基本的に取材は全て断っているので、難しいと思う」という回答、新垣氏のマネージャーは「まだ本人が作品を観ていないので、作品についてのインタビューに答えられない」という回答だった。
佐村河内さんにインタビューするメディアには協力できない(森)
森達也(以下、森):今回あまり取材は受けていないんです。なぜなら「この映画のテーマはなんですか」とか、「今、佐村河内さんに対してのほんとうの思いはなんですか」とか、「ラストのあのカットの後に、何を言ったんですか」とか、そういう質問には答えたくない。でもそういう質問をしてくるメディアに答えなかったら、ふてくされてるように見えて逆効果だから、受けないほうがと思っていたんだけれど、浅井さんがインタビューしたいと言ってると聞いて、古い付き合いでもあるし、浅井さんなら鋭い質問をしてくるだろうし、しかも橋本との合同インタビューだというから、それは面白いとふたりで話をして、お受けしたんです。
でも今、僕はあきれています。ついさっき、佐村河内さんの代理人の弁護士から連絡がきて、浅井さんが佐村河内本人に取材したいと打診していると聞きました。理由は、森監督と橋本プロデューサーだけでなく、多角的にこの作品を検証したいと。そんなもの映画にとって何の意味もないし、さらになぜ、その動きをこちらに隠していたのか。とにかく僕はあきれた。映画を壊したいの。いずれ公開すれば、例えば週刊新潮や週刊文春などのメディアが、そういう取材をやるかもしれない。その覚悟はしているけれど、なぜ公開前のこの時期に、よりによって浅井さんがそんなことをするのか、その説明をしてください。
森:例えば『ゆきゆきて、神軍』の公開前に奥崎謙三にインタビューしたら、原一男さんがそれを喜ぶかどうかを考えてください。とにかく不愉快です。
森:誤解してほしくないけれど、最終的には取材申請して、取材をするかどうかは、そちらの自由です。
橋本佳子(以下、橋本):浅井さんの取材を受けるかどうかは、佐村河内さんたちの判断なので、私たちがとやかく言うことではないと思っているんです。
森:でも、そういう取材をされるんであれば、今日のインタビューは受けません。
橋本:佐村河内さんとは、私たちが「映画の宣伝だから出てください」と、お願いをする関係ではありません。
森:浅井さんは分かるでしょ?ドキュメンタリーは作為なんだから、その作為の裏を検証や解明などしてほしくない。しかも公開前に。
森:途中までは分かるけれど、であれば、一線を越えて佐村河内さんにインタビューする浅井さんに対して、僕は不快です。やるのは自由です。勝手にどうぞ取材を申請して交渉を進めてください。ただし僕はあなたの取材を受けません。
森:できないです。
森:新垣さんはどうでもいいです。
橋本:多角的に、というのは、具体的にどういうことですか?佐村河内さんや新垣さんに取材をして、いろんな角度からこの作品を取り上げるということですよね。私と森さんは制作者、被写体になっている佐村河内さん、サブで被写体となっている他の出演者の方々という意味で多角的に、ということですか?
橋本:新垣さんは試写会には来ていません。映画を観てません。
橋本:新垣さんのお兄さまと、事務所の方は来ています。
森:だから、ワイドショーとか雑誌メディアなどがいずれやるだろうと僕は思ってるよ。なんで浅井さんがそれをやるの?メディアとしたら、と浅井さんは今言ったけれど、何十年も映画と共に生きてきたあなたなのに、なぜそんなことがわからないの? 充分に鋭い質問できるはずだよ。それをやらずして、佐村河内さんや新垣さんに裏を聞きにゆくと言うのであれば、なんでそんなに安易なんだとあきれます。
森:だったら受けないですよ。浅井さんは何をしたいの?少し極端に言えば、公開前の手品を取材して、「こんなトリックがありました」と裏を暴いてどうするの?念を押すけれど、映画は手品とはぜんぜん違うし、トリックの意味も違う。例えば僕は、編集で落とした映像を公開することは絶対にしない。ありえない。時おりそういう人がいるけれど信じられない。それは映画の作為、仕掛け、トリックを暴いてしまうから。極端な話だけれど、それに近いよ。
森:当たり前です。編集におけるモンタージュやインサートもトリックです。勘違いしないでほしいのだけど、そのレベルでトリックと言っているのだからね。それをこの場で丁々発止浅井さんが聞いてきて、こちらもときにはのらりくらりしたり考え込んだり、今日はそんな取材ができるのかなと思って、来たんです。
森:人の話を聞いてください。モンタージュやインサートや時系列の入れ替えなどは当たり前だと言っています。その集積が映画です。でも佐村河内さんに話を聞く、ということは、その裏事情を質問することでもある。ならば今の時点でその行為は作品を壊します。もう一度言うけれど、いずれメディアはそれをやりますよ。それを止める権限はこちらにないし、佐村河内さんが取材を受けるなら別にどうぞ、という話になるけれど、僕がいちばん腹が立つのは、なぜ浅井さんがそれを、しかも公開前のこの時点でやるのかです。まったく理解できない。映画に関わる人の行為とは思えない。
森:まったく同じです。一観客じゃない、と言ったけれど、一観客だったらこんな設定できないでしょう。だからこの段階で一観客ではない。
森:ありじゃない。それだったら僕は闘います。映画を壊す行為だもの。もちろん、どんな話を佐村河内さんとするかどうかはまだ分からないですよ。接触して、それがパブリックになる段階で、僕にとってネガティブになります。というか、浅井さん分からないかな。映画という作品があって、被写体がそこにいて、それを僕は出したんです。本音を言えば、被写体について作品以外の部分を一切出したくない。
森:もちろん、だからそれは彼の自由だし、浅井さんの自由です。であれば、僕はこれには協力しません、ということです。
森:配給・製作サイドからは、映画で全て語っているから。僕だってインタビューもあまり答えたくないんです。それは浅井さん、分かるよね。映画を撮って、映画がそこにあるなら、あとはそっちで勝手に解釈してくれればいい、と本当は言いたいけれど、そんなこと言ってたらパブリシティが出ないから、渋々やってるわけですよ。でも浅井さんだというから、ぜったい面白い取材になるね、ということで来たんです。でもそれが、来る直前に佐村河内にインタビューを依頼している、というのが分かって、なんだよそれはって。
橋本:このやりとりだけでも充分面白い記事になりますね(笑)。というのは置いておいて、事実だけ言います。佐村河内さんのメディアへの取材依頼は、担当の秋山弁護士さんを通じるんです。公開が決まってからは映画に関する取材もあるので、私たちにも「映画についてこういう取材依頼があります」と一報をくれるので、それで浅井さんの佐村河内さんへの依頼を知ったのです。同時に、佐村河内さんご自身からも「秋山さん経由でアップリンクの取材依頼が来たけれど」と連絡が来たので、森さんと共有しました。取材依頼書に「多角的」とあったので、多角的というのは佐村河内さんだけではないかも、という話をして、とにかく浅井さんに聞いてみようと。森さんの話に製作者の私が補足するインタビューで記事が出る場合と、そうではなくて、その記事全体が多角的に作られる場合とでは、取材を受ける側としての考え方が違うと思うんです。
橋本:この作品にトータルに関わってきた者としては、一概に反対ではないです。
橋本:ただ、佐村河内さんがどのようにメディアに登場されるかに関しては、インタビューに出ることが反対とかwebDICEに出ることがどうなのか、ということではなく、私はものすごく関心を持っています。なぜかというと、佐村河内さんはずっとメディアのインタビューを受けていないんです。インタビューを受けたのは、映画に出てくるフジテレビの報道番組の1年ちょっと前に出たインタビューと、デビッド・ディヒーリたちが取材をしていた海外の雑誌「NEW REPUBLIC」、そしてビッグコミックスペリオールで連載中の吉本浩二さんのルポマンガ「淋しいのはアンタだけじゃない」の3つだけです。
佐村河内さんと私たちは、利害関係が一致しているわけでもないです。ただ、佐村河内さんがどういうメディアに次に出て、どういう発言をするかは、映画で関わった者としてはたいへんな関心を持っています。
浅井さんが今インタビューをお申し込みになっているこのことに、佐村河内さんが出たほうがいいか、出ないほうがいいか、ということに関しては答えを留保します。
この映画をどう検証してもいい、
そのことで映画が壊れるとは思っていない(橋本)
木下繁貴(配給会社東風代表 以下、木下):スタッフの酒井からメールで回答させていただいているように、この映画に関しては佐村河内さんにパブリシティへの取材協力はお願いしていないし、協力していただく予定はございません。
橋本:ですから直接、取材依頼をしたんですよね。私は佐村河内さんがいろんなインタビューを受ける・受けないに対して製作サイド側が注文つけられる筋合いでもないし、佐村河内さんが出たいというものに対して出て欲しくないというのも、出たくないものに対して出てほしいという立場でもない。ただ、どういう風に出るかに関しては、とても関心を持っています。
先ほどまで、佐村河内さんがwebDICEに出るということを知らなかったので、それについては、どういう風にジャッジをしたらいいかは吟味する時間がないです。
橋本:私も昨日から、森さんと浅井さんの深い話をすごく楽しみしていました。
橋本:それなのに、つい1、2時間前に秋山弁護士から連絡があったので「なんなの、それ」という話になったという状況です。
森:だから、僕はそれを止める権限もないし、どうぞやってください、ですよ。ただならば、これは受けないです。浅井さんは「騙されっぱなしでいいのか」と言ったけれど、それはこっちはそうしたいよ。
森:騙すって言葉が適当かどうかは別にしても、実はそんなにこの映画は、そのレベルで嘘をついていないよ。どうも過剰に考えすぎている。けれど、悔しいという気持ちも分かるけれど、じゃあ悔しかったら、はい、これがトリックですよ、と出したくないというのは分かるでしょう。だったら「他の人に話を聞いてくるよ」と言われて、「ちょっと待ってくれよ」とこちらが言うのは当たり前じゃないですか。とてもシンプルですよ。だから、やりたいならどうぞ。たぶん浅井さんがやらなくても、きっとどこかがそのうちやるでしょう。特に公開が始まれば。
森:新垣さんのインタビューが出るかもしれないし、神山典士さんのインタビューが出るかもしれない、それはいいよ。ただ、もう一回言うけど、なんで浅井が?って僕はさっき思ったよ。なんで映画壊すの?って思った。
橋本:あの、ちょっと違うと思います。別にいろんなところが検証してもよくて、あまりそのことで映画が壊れるとは思っていないので、怖くないです。そんなことではこの映画は壊れないと思っています。でもだからといって、どうぞ取材にじゃんじゃん行ってください、というのではないですけど。
森:だから今言ったように、そのレベルの嘘などついてない。別に恐れていない。ただ一言にすれば、とても不愉快です。『A』のときも、荒木さんとふたりでインタビューを受けてほしいと言ってきたメディアが複数あって、あきれながら断ったけれど、浅井さんはその気持ちはわかるよね? 理屈じゃないです。気分の問題です。それはやっぱり、今日の取材を楽しみにしていただけに。
森:だったら受けます。
【森さんは一時退席】
橋本:そこは配給の木下さんにお願いしています。でも佐村河内さんは基本的に受けないので。あれから2年経って、先ほど言った3件しか受けていないです。自分がそんなにしゃしゃり出て、いろんなところで自分のことを主張する立場でもないと、言ってました。
ある人物ドキュメンタリーを撮ったとき、その被写体の人と監督とが一緒にキャンペーンしたりというのは『ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎』のときもそうだったし、よくあることなので、浅井さんが、今回、特殊なことをされているとは、私は思っていないです。
木下:どういう風に見えましたか?
橋本:この質問には、私ではなく監督が答えるほうがいいと思います。
【森さん戻ってくる】
森:ほんとうにしつこいやつだなぁ(笑)。
森:単に「不快だ、と森が言った」というのでとどめてくれるならOKです。
橋本:さっきのことがもう一回聞きたかったら、今から仕切り直して、もう一度聞いたらどうですか。その方が後でもめないと思います。
森:騙す・騙されるという言葉が一人歩きしてしまうのが怖いから、そのへんはなしにして、「被写体にインタビューされることを森は頑強に否定した」で、それは出してくれてもいいですよ。……出したいなら。あんまり出してほしくないけど。
オウム事件以降、日本は“集団化”への道を辿った(森)
多くの人にご無沙汰しております。森達也です。
肩書の一つは映画監督だけど、4人の監督の共作である『311』を別にすれば、本作『FAKE』は15年ぶりの新作ということになります。「下山事件」に「中森明菜」、「今上天皇」に「東京電力」など、撮りかけたことは何度かあったけれど、結局は持続できなかった。
でも今年、やっと形にすることができました。映画で大切なことは普遍性。入口はゴーストライター騒動だけど、出口はきっと違います。誰が佐村河内守を造形したのか。誰が嘘をついているのか。真実とは何か。虚偽とは何か。そもそも映画(森達也)は信じられるのか……。
視点や解釈は無数です。絶対に一つではない。僕の視点と解釈は存在するけれど、結局は観たあなたのものです。でもひとつだけ思ってほしい。様々な解釈と視点があるからこそ、この世界は自由で豊かで素晴らしいのだと。
僕がドキュメンタリーを撮る理由は何か。もちろん一つではないけれど、最終的には「見て見て!こんなのできたよ!」です。すべての人に「見て見て!」とお願いしたい作品になりました。
(以上、『FAKE』試写状より引用)
森:蛇足ですよね。僕もそう言ったんだけれど、配給からぜったい入れろと言われて。
森:イギリスではオックスフォードやマンチェスターにエジンバラなどいくつかの大学で、『A』の上映と、その後のシンポジウムに参加しました。そもそも、なぜオウム事件から20年のシンポジウムがイギリスで行われたのか、というと、やっぱりISの存在です。ISはアラブ圏以外の国からも多くの人が参加しているけれど、イギリスは最も多いんです。つまりテロの被害国であると同時に加害国でもある。でも被害意識ばかりが突出して、大きく国の形が変わろうとしている。この局面をどう考えるか、というときに、20年前の地下鉄サリン事件とその後の日本社会の変化は非常に大きなキーワードであると、そういう認識をイギリスの研究者は持っています。
言い換えれば、オウム以降、日本社会がどのように変質したかを検証しようということなんです。そこには、日本社会が悪くなってしまったという前提がある。日本からの留学生とも話したけれど、10人いれば9人が、「今の日本には帰りたくない」と口にします。
森:彼らはネットで日本の情報をチェックします。自己責任とか非国民とか、そんな記述を目にするたびに絶望的な気分になる。それはよくわかります。多くの日本人はもう馴れきってしまっているけれど、視点を変えればありえないほどに不寛容な社会になっている。
こうした現象がなぜなぜ始まったのか。その起因を言葉にすると、集団化です。地下鉄サリン事件によって不安と恐怖を刺激されて、人というのは怖くなると集団になりたがりますから。みんなで連帯したいといった気持ちが生まれてくる。911の後のアメリカが端的な例です。まずは愛国者法を制定して、集団内の異物を排除しようとする。次に集団は敵を探します。なぜなら共通の敵を発見すれば、さらに一丸となれるから。こうしてアメリカはアフガニスタンとイラクに侵攻して、イラクに至っては大量破壊兵器が自分たちを脅かそうとしているなどと大義まで捏造して、フセイン体制を崩壊させた。その帰結としてISが生まれている。全て連鎖しているわけですが、実はその6年前に日本でも、オウムによってその集団化が起きていた。サリン事件以降、例えば街には監視カメラがどんどん増えたり、街の自警団も急激に増殖した。要するにセキュリティ意識が肥大するわけです。集団は同じ行動を強制します。つまり同調圧力もどんどん強くなる。違う動きをする者は異物として、不謹慎などの理由をつけながら攻撃したくなる。
さらに集団は、同じ動きをするために、強い言葉を発する政治家、リーダーがほしくなる。それもアメリカを考えれば分かりますね。ブッシュ政権の支持率は、911後に急上昇した。サリン事件が起きた95年は自社さ政権でした。だから自民党への期待が高まった。東日本大震災のときは民主党政権です。社会全般が集団化するとき、リベラルな政権では生ぬるいわけです。もっとマッチョな政治家を求め始める。今のアメリカやヨーロッパだけではなく、歴史的にも頻繁に表れる現象です。
森:まさしくそうですね。
この20年でテレビは少しずつ衰退の時期にきている(橋本)
橋本:感じました。どのメディアにもピークがありますが、日本映画のピークは50年代で、テレビの出現で斜陽になったというのは、さておき、この20年はわりとテレビメディアの力そのものが下っていった時期だと思っています。影響力もそうだし、テレビから生まれるものも含めて、少しずつ衰退の時期にきているのかなと感じています。私たちは今、ピークを過ぎたそのなかにいるのだと。それは衰退していくこと自体をネガティブには捉えていないんですけれど。
橋本:そうした抽象的なことではなくて、完全にテレビを観る人口が少なくなっている。セット・イン・ユース(ある特定の日の特定の時刻にスイッチが入っている受信機の台数)も下がっているし、それから媒体価値も下がっている、そういう意味での影響力の低下です。それが人にどう影響を及ぼしているか、はもちろんあります。「良質」か「良質でない」かということはなかなか一概には言えないと思っていますから。
橋本:媒体の力ですね。テレビそのものを観る人口が減っているし、20年前まではテレビを観たことがないとか、観ない、という人が実はあまりいなかった。でも今は、家でもテレビを片付けている人とか、テレビではない情報をインターネットで取ろうとしている人が増えて、じゃあ今のテレビに何を求めているのかは、この20年でいろいろ変わってきていると思います。
でも、浅井さんがおっしゃるように、テレビそのものが同調圧力を強めているか、というと、もともとテレビって媒体としてそういう力は、内在的に持っているんです。
森:内在的に持っている、というのはまったくその通りです。要するに商売ですから。テレビや新聞、出版社、アップリンクにしたって、どうやったら観てもらえるか、どうやったら読んでもらえるかを第一義に考えるわけですよね。この20年、という言い方をすると、95年は阪神淡路大震災に、サリン事件だけじゃなくて、WINDOWS 95が誕生した年でもある。まさしくネット元年。ということは、ネットが勢力を拡大することで、既成のメディアが危機感を持った。それによって、市場原理がより強くなった。競争原理が激しくなって、結果として非常に刺激的で刹那的な情報に傾斜するようになった。さらに社会全体が不安と恐怖を持ってしまっている。こういうときに危機を煽れば、より多くの人がチャンネルを合わせてくれる。あるいは、キオスクで新聞を買ってくれる。その傾向は、例えばアジア太平洋戦争が起きる前の新聞などを例に挙げるまでもなく、以前から存在しています。内在的にメディアはそうした市場原理を持っているけれど、それがより一層に露骨になったのがこの20年だと思います。
森:僕はそう思っています。非常に激しくなったと。
森:圧力というと少しニュアンスが違う。このときの企画は、僕が天皇に会うまでの過程を、これに対しての周囲の反応を主軸にしながらドキュメントにすることでした。最後に会って「お辛いですか?」と聞く、という企画だったので、フジテレビの編成から、「天皇に会えるはずがないので、この企画は難しい」と言われた。これに対して、「会う、会わないは実のところどうでもよくて、会えなかったら会えないなりの結末をちゃんと考えてますよ」と言ったんだけれど、「会えないから駄目です」の一点張りだった。僕も馬鹿じゃないから分かるけど、それは彼らのエクスキューズなわけで、本音はとにかく何でもいから天皇はやめてくれ、ということですね。そのときの番組枠である「NONFIX」では、シリーズとして憲法がテーマでした。他に是枝裕和さんや長嶋甲兵(TV番組制作会社テレコムスタッフ所属のプロデューサー)さんなどがいて……。
橋本:是枝さんが9条をやって、ドキュメンタリージャパンの長谷川三郎(映画『ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎』監督)は24条の男女平等をやって。
森:長嶋甲兵さんは96条の改正かな。
橋本:そうした5、6本のシリーズを別々に制作やっていたので、森さんの1条がなぜ無くなったのかは詳しくは分かってなかった。
森:降りたというか、これ以上無理だなと。天皇に会うまでの過程がドキュメンタリーの主軸です。だからフジテレビとの話し合いの際にも、了解をもらってカメラを回しました。もしも奇跡的に継続できるなら、ここも重要な要素になると思って。でも何度か議論したけれど、最後にはあきらめた。放送権を持つのは彼らですから。その後に、映画でやればいいじゃないか、という話も来たけれど、映画じゃ意味がないんですよ。テレビというマスメディアのなかで、天皇を撮るということの摩擦をテーマにしたかった。でも、摩擦どころじゃなかったというのが僕の読みの甘さですね。
森:テレビは大事なメディアです。決してテレビを軽視していないし、軽蔑もしていないです。
橋本:私は、テレビで育って、番組制作を仕事にして、まさにテレビ人間だと思っています。今、テレビの力が落ちてきているというのは、中にいる自分が一番感じているのですけれど、それは自分たちに責任がある、ということも含めてです。
テレビと映画の壁を壊すことに、今後の日本のドキュメンタリーの可能性がある(橋本)
橋本:切り替えてないです。最近、映画を何本も作っているけれど、結局、すべて私のプロデュースです。会社の中で、ひとりでシコシコ映画してます。でも、私も、5月はテレビ・ドキュメンタリーの放送をし、6月に『FAKE』を公開して、7月に『いしぶみ』(是枝裕和監督)を公開して、8月はドキュメンタリー・ドラマを放送、と映画とテレビが半々くらいになっています。
橋本:摩擦は、起こそうと思わなくても起きることはあります。私はスタッフではないですが、ドキュメンタリージャパンでも私が代表の時、10年間裁判をやりました。NHK ETVの従軍慰安婦の番組です(「女性国際戦犯法廷」番組関連訴訟)。最高裁まで行きました(2008年6月、NHK・NHKエンタープライズ21・ドキュメンタリージャパンの三者を訴えていたVAWW-NETジャパン[「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク]側が敗訴した)。もちろん、私自身は摩擦を起こすためにテレビを作ってはいないです。森さんはそうじゃないと思うんだけど。
森:僕も別に摩擦が目的じゃないです。
橋本:あまりそうは考えていないですし、そもそも、テレビも映画も、映像コンテンツとしては、いずれ境がなくなると思っているので。
橋本:日本のテレビドラマと劇映画の関係は、昔からあり、テレビと映画の作り手同士も、行き来しているじゃないですか。でもテレビ・ドキュメンタリーというのは、なぜかテレビはテレビ屋さん、ドキュメンタリー作っているのは自主映画の人、と今までは間違いなく高い壁があったんです。この10年ほどで、東海テレビが映画の上映もしたり、作り手同士が交流したり、壁が崩れ始めた。そもそも、テレビと映画は明らかに違います。作り方も違うと思っています。でも、ドキュメンタリーは、両者とも閉塞状況にあり、ドキュメンタリー映画は儲からない、と浅井さんが、先ほどおっしゃっているように、自主映画は苦しいし、じゃ、テレビのドキュメンタリーに場があるか、といったら少ない。
橋本:ドキュメンタリーの放送枠が少ないですよね。ということは、作り手が自由になりづらい。不自由なところからは、面白いものは生まれてこない。それだったら、テレビと映画の垣根を越える試みが、そういう状況に風穴をあけられるのではと思ってます。例えば海外でドキュメンタリーを製作する場合は、劇場版のバージョンと50分のテレビ版と必ずセットの契約になっています。その分の収入も見込めるということ含め、日本のテレビ局でも考えるべきだと。
テレビってやっぱりある程度のお金があるので、そこは境目を越境していく。作り方もテレビ的な手法で作ったもの、映画的なものと、お互いに切磋琢磨でき、新たな方法論がうまれる可能性がある。NHKでも、最近の企画募集で、ノーナレーション、海外でも通用し、映画にもなるドキュメンタリーというものがあり、なるほどと思いました。
だから、テレビも変わろうとしている。それはひとつには、国内的な事情もあるけれど、グローバルなテレビ市場を見たときに、日本のテレビ・ドキュメンタリーは海外作品と戦えていない。テレビと映画の壁を壊すことに、今後の日本のドキュメンタリーの可能性があると思います。
橋本:私もいくつかのドキュメンタリーに関しては、ネットメディアと組んでということを考えてトライしましたし、これからもするだろうと思います。現在は、2017年の公開予定の作品で、それが成功しているので、進めています。
佐村河内さんに会って、これは画になるなと直感で感じた(森)
橋本:路上を歩いているときに、「撮りたい人ができたんだけど」と森さんから電話がかかってきたんです。
森:実はその前に、東電のドキュメンタリーを一緒にやろうと思っていたんだけれど、僕がやる気なくして途中で止めてしまって……。
森:僕です。他愛のない話だけれど、東電が何百時間も事故の渦中の映像を発表したじゃないですか。
橋本:あれで『アトミック・カフェ』みたいなのができないか、と話をしていたんです。
森:これをギャグにしてしまおう、と思いついて、ハードディスク買ってもらっていろいろ調べていたんだけれど……。
橋本:そのうち白石(草/OurPlanet-TV)さんが『東電TV会議 49時間の記録』としてちゃんとやりだしてしまったし。
森:自分から言い出しておきながら止めてしまって申し訳ないなと思っていたので、佐村河内さんに会ってその後に、橋本さんどうかな、と電話をかけたんです。
橋本:週刊文春の読者なので、どんな人かは知っていて、あとワイドショーやNHKスペシャルを観たくらいかな。あまり関心なかった。だけど、佐村河内さんに会いに行ったら、その瞬間に、森さんが撮りたいという気持ちがすぐ分かったんです。私も福島菊次郎さんに会ったときそうでしたが、「この人撮りたい!」って人がいるんですよ。理屈ではなく、長い間ドキュメンタリーをやっていると、意味もなく、その結果がどうなるか分からないけれど撮りたい、と思うことがあるんです。
森:僕も騒動になる前は知らなかったし、NHKスペシャルも観ていなかった。騒動が起きて初めて、「へぇ、こんな人がいたんだ」みたいな程度でした。
森:そもそもは編集者から、佐村河内守についての本を書かないかと依頼があったんです。その編集者は本人に何度も会っていて「相当今のメディアが伝えていることは違うことがたくさんあるんだ」と言うのだけど、ぜんぜん気乗りしなくて、一回断ったのかな。でも、何度も連絡してきてくれたので、じゃあ1回くらい話を聞いてみようかなというレベルで会って話をしたら、橋本さんと同じで「これは画になるな」と、別に理屈じゃなくて、直感で感じたんです。
森:もちろん持っていってないです。その場で2時間くらい話をして。隣に奥さんの香さんが座って手話で通訳をしてもらいながら、でした。話がほぼ終わって「あなたを映画に撮っていいですか?」と言ったとき、隣に座っていた編集者は、きっと茫然としていたと思う。申し訳ないことをしちゃった。
橋本:たぶんその後、すぐ私に電話をしたんだと思います。
森:その場では、彼はすぐに回答はしなかった。ありえないという雰囲気でした。
森:いみじくも浅井さんが言ったように、今回はダイレクトにしたくなかった。間接話法で行きたかったんです。そもそもこれまで15年撮らなかった理由は、ひとつは人をこれ以上傷つけたくなかったから。『A』『A2』でたっぷり傷つけたから、もうこれ以上人を傷つける仕事はしたくないと思った。けれど、結局は、その彼の魅力が勝ったということでもあるし、もうひとつは、その間ずっと本を書いていましたけれど、確かに本は文字ですからとても直接的な表現で伝えられるけれど、だから物足りないわけで。「世界を平和にしましょう」ってぜんぜん間違っていないけど、それを言葉で言ってしまったら単なるスローガンです。それを(目の前のカップを指して)このカップを撮りながら世界平和がいかに大事かを伝えられたら、これはものすごく届く。やっぱりそういう表現をしたいと思っている時期だったので、その場で、自分のなかで適合したという感じです。
被写体に寄り添ったら、ピントが合わなくなる(森)
森:いや、傷ついているでしょう。
森:うん。まぁ……映画の被写体で傷つかない人なんていないですからね。それはもちろん、テレビのドキュメンタリーでもそうだけど、1分間の村祭りの報道で20秒映ったとしても出た人は傷つくかもしれない。
橋本:それはドキュメンタリーの持つ宿命みたいなものかな。
森:出て良かったというところがあるかもしれないけれど、同時に傷つきもしてるでしょうし、それはそういうものだと思う。近頃は「被写体に寄り添う」というフレーズを使いたがる人がとても多いけれど、寄り添ったらピントが合わなくなります。僕の感覚では、とても不思議です。
森:僕の条件は毎月ギャラ500万だから(笑)。
橋本:あのですね、浅井さんもプロなので、この映画がどれくらいの予算かは分かると思うんです。
橋本:東風さんとDVD関連の2社に入っていただき、制作費は、最終的には何とかなりそうです。
木下:それから森さん自身も出資して、作品の権利を持っています。
橋本:森さんから最初にこの話を持ちかけられたときに私は「やりたいけれど、私お金ないからね」と言った覚えがあって。監督とふたりでいろんなところにお金を集めに行ったけど、うまくいかず……。
でも、ギアナ高地に行くわけではないし、近郊の撮影だし、制作会社として少しは基礎体力はあるので、それで始めたんです。ただ、先の見えない取材だったし、どこまで撮ればいいのか分からないし、途中で東風さんにお話したり、今組んでいる株式会社ディメンションと株式会社ピカンテサーカスという2社にお話したりしてなんとかなりました。
橋本: DVDを出している会社です。
木下:そうです。
橋本:原一男監督の作品をリリースしていて、今度小川プロの全作品をリリースするそうです。
森さんと一緒にお金集めにまわったところは、いろんな事情ですべてうまくいかず、断られてばかりで萎えました。それとテレビ局にはこの企画は無理だとわかっていたので、打診もしなかったし、ほそぼそと撮影していました。
橋本:私は、今は役員でもなんでもないので、リクープできなかったら、クビになるかもしれないです。
橋本:ドキュメンタリーって、劇場だけじゃなくて自主上映会の収入が馬鹿にできないですよね。でも、森さんに私は、「この作品は自主上映会は見込めないので、劇場で回収するしかないよね」ということを最初から言っていました。自主上映会向きではないと思ってました。
森:『A』や『A2』、『311』も自主上映会なんてしてもらえないし、はなから眼中になかったから。
橋本:私は、森さんと撮影を始めてちょっとしてから、『A』と『A2』の興行成績を知ったんです。それは結構ショックで。森達也さんだからきっと基礎票はいっぱい持ってるだろうと思ったら……うん、まあそうか、これだけなんだみたいな。
森:愕然としてたよね。「これしかいないのかよ」みたいな顔してた。でもその程度です。福田和也さんからは以前、「高名だけど誰も観ていない映画」と言われたけれど、実際にその通りだと思う。
橋本:まあ、映画は長い目でみるしかないので。
『FAKE』というタイトルには多義性がある(森)
橋本:山崎さんが撮影のときは、もうひとり録音担当がいます。でも山崎さんは京都のシーンとか、それほどの日数は回してないですね。森さんひとりじゃ無理だろうという場面で撮ってもらいました。
森:そもそも、ドキュメンタリージャパンにお願いした理由は、今回は山崎さんのカメラでやりたい、ということもあったんです。『A』や『A2』は一部に安岡卓治のカメラがあるけれど、テレビの『放送禁止歌』なども含めて、ずっと僕はひとりで撮影してきたから、自分のカメラワークの限界も知っているし、ちゃんとしたカメラで映像を作りたいというのがあって、すべてのロケは無理ですけれど、ポイントで山崎さんにお願いしたいというのがあったんです。
橋本:行ってます。
森:うーんどうだろう、ドキュメンタリー映画にそんなに一般の人は関心がないし。僕の名前だって知らなくてもおかしくないし。
森:それはあるかもね。酸欠になる。
橋本:制作の途中ですね。私がそろそろ考えないと辛いな、という時期にお願いしました。
橋本:最初は森さんですね。私はいつもテレビもそうなんですが、タイトルはプロが決めたほうがいいと思っています。宣伝配給の人の意見や、テレビだったらPRやっている方たちが字数まで考えているので、そうした人たちの意見をまず聞きます。そのときに横文字はよくないとか、そういう意見はいっぱいありました。
木下:配給会社としては最初反対しました。アルファベットの表記で分かりづらい、カタカタにしても間が抜けているし、違う映画を思い出してしまうし。
森:わりと最初から言っていたよね。
橋本:撮影をし始めて1ヵ月で仮タイトルとしてついていました。
森:このあいだ、誰かから「お前の映画のタイトルはアルファベットと数字しかない」と言われて、確かにそうだと気がついた。……たぶん、あまりタイトルに意味を込めたくないんです。でもタイトルなしというわけにはいかないし、本音はなんでもいい、なんですけれど。
森:多義性がある。この『FAKE』は何を指しているのか、とか。特に映画を観終えた、エンドロールが上がる前であれば、この文字が上がることで、もう一回あらためて、いったい何がFAKEで何がFAKEじゃないのか、そもそも森はFAKEなのか、この映画はFAKEじゃないのか、といろんなことをみんなが煩悶すると思うので、そういう意味ではうってつけかなと。
森:うん、真実は排他的でしょ、でもFAKEはすべてひっくるめちゃう。だから「真実」という言葉はぜったい使いたくない。
森:うーん、しいていえばそうなるけれど、それは『森達也の真実(FAKE)』としてもいいんじゃないですか。
森:(笑)。
森:「ドキュメンタリーは嘘をつく」という言葉が一人歩きしすぎちゃっているけれど、その嘘って、捏造したり、演技を指導したりということじゃないからね。表現というのはそもそもがすべからく嘘なんだよ、という意味での「嘘をつく」ですから。あの本はプロデューサーの土本典昭さんにも献呈したのですが、律儀な方なのですぐ御礼のはがきをいただいたんだけれど、「とてもいい本です、素晴らしいです、ただしタイトルがいけません。嘘ではないのです」と書いてあって、確かにそうだなと。だから正確には、「嘘」という言葉はたぶん不的確だと思います。「嘘」も「真実」も含めた曖昧な、そういった領域なので。ただあの本のタイトルは編集に押し切られて、まぁタイトルは扇情的でいいやと決まった。だから「嘘をつく」と僕はしょっちゅう言ってるように見られているけれど、それはみんなが言ってる「嘘」とはちょっと違うんだよ、ということは留保しておきたいです。
森:もちろん。つまんないもん、そんなことしても。「ここでこういうことを言って」とか「ここはこう動いて」と被写体に指示することは、それをやっちゃったら、何よりも撮ってる自分がつまらないから。
橋本:そういう意味で面白いなと思ったのは、試写会に来た人の誰かの評のなかに、「NEW REPUBLIC」の外人のインタビュアーがふたり取材に来ているじゃないですか。あれもやらせじゃないか、というのがあって。
編集しながら常に「観客に揺らいでほしい」と思っていた(森)
橋本:森さんは、あざ笑うとかそんな人じゃないよね、ずっと昔から知っているけど、こんなに優しい人なんだと一緒に仕事をして、初めてわかった。
森:編集しながら、「揺らいでほしい」というのは常に、編集担当の鈴尾啓太ともいつも話していました。右行くと思わせたら、今度は左に思わせる、ということはやっています。
森:マニピュレートじゃなくて、実際に人は右もあれば左もあるわけだから、映画でも右を見せたら左を見せるよ、ということです。
橋本:ドキュメンタリーって取材しているプロセスが大切なので、取材のときに、右だと思ったり左だと思ったり、揺れがあったはずなので、作為ではなく、その揺れの感覚は絶対に活かすべきです。
森:たっぷりありました。さっきも言ったように、僕はテレビは大事なメディアだと思っているけれど、今のテレビに文句があるとしたら、すべてを四捨五入して整理しすぎてつまらなくしてしまうところ。
橋本:揺らいでいる、というのは、別に観客に「揺らいでください」と作為的に作っているのではなくて、もっと素直に言うと、1年半にわたり取材しているなかで、撮っている方もずっと揺らいでいた。決して一直線で取材したのではないので。その揺らぎ通りに作っているわけではないけれど、それに近い感覚を109分に、その1年半の揺らぎを押し込めて作りたかった。
橋本:その編集方法は別にしてそうです。やっぱり揺らいだ感覚は、取材者は全員持ったので。
橋本:もしかしたら、まだ揺らいでいるのかもしれません。
森:まぁ、それもあるけれど、プレスにも書いたけれど、僕はそうした二極化が嫌いです。黒か白か、右か左か、その間が僕は大好きだし、そこにこそ本質があると思っているので。揺らぐことは、その間を出すことだから、間をどうやって見せるかで、確かに間だけ見せてしまうととても曖昧です。でも右と左のあいだの揺らぎを見せれば、その間が想像できるし……しいて理論づければそういうことになります。
橋本:そうです。そのことを公開バージョンでは、明示しています。そのほか足りないテロップがかなりあることに気がついたので、2、3ヵ所補足しています。
橋本:最初は、報道番組の交渉、取材、放送とすべて入れてました。でも、最終的にはずしたのは、段取りくさいからだと思うけれど、違う?
森:それもあるけれど、尺という理由もある。3時間だったら入れたと思う。実際に彼らが取材に来たときには、山崎さんに撮影に入ってもらって、オンエアまで全部撮ったんです。フジの報道はとても誠実に取材した。それはそれで残そうと思ったんだけれど、誠実に、というのは逆に言えば平坦になってしまうわけで。それもあって、最初は入っていましたけれど、最終的に切りました。編集は優先順位の決定です。べつにそこに他意はないです。
橋本:その番組は佐村河内さんが記者会見に出席して以来、始めて出演した番組なので。
橋本:これはテレビの本質を言い当てているんですけれど、「テレビは目の前にあるものがいちばんなんだよね」って。
森:彼は「自分が復讐されている」と、さかんに言うわけです。それは違う。悪意ではない。メディアはそれほど暇じゃない。だから「目の前にあるものをどうやって面白くするかしか考えていないから、あなたがもし出ていればそれなりのものを作ったかもしれないけれど、今回出なかったからこういうことになったんだよ」と、言いました。
橋本:全てのテレビがそうじゃないですけれど、私もテレビの人間なのでそうした思考回路はあります。
森:目の前の事態にだけ反応するから、それによって誰かが傷ついたり追いつめられたりすることに想像力が働かなくなる。でもこれって要するに、ホロコーストに加担したアイヒマンと同じです。アイヒマン自体に悪意はないけれど、結果として良かれと思って組織のなかで任務をこなしているうちに、多くのユダヤ人を殺戮する行為に加担してしまっているわけで。凡庸な悪ですね。彼らもそうした自覚はぜんぜんない。僕も、あそこでは彼らはそこで誠心誠意口説いていると思います。でも結果として、彼を傷つけていることをまったく意識に置かなくなってしまう。そしてこれは、出演する芸人や、さらにそのテレビ番組を見ながら大笑いしている人たちも同様です。
やっぱりドキュメンタリーは相互作用だと思っている(森)
橋本:どの取材も、佐村河内さんの弁護士さんが「密着して記録します、それでもいいですか」と聞いて、納得したうえで取材に来ています。マンガの「淋しいのはアンタだけじゃない」では、そのあたりの取材にいたるまでの経緯も、大変詳しく描かれています。
森:対比してしまったら、どうしようもないスタッフとの文脈が強調される。そうではなくて、彼らはメディアとしては普遍的な存在です。誰もがアイヒマンになりうる。僕自身の姿でもあるわけです。
森:今浅井さんはバラエティ的だと言ったけれど、ドキュメンタリー的だとあれはカットするの?
橋本:私はドキュメンタリーの人間だけれど、あのやりとりはたぶんまるごと入れることに意味があると思っています。
森:なぜ残したのかと聞かれても返答に困るけれど、しいていえば、僕はやっぱりドキュメンタリーは相互作用だと思っているから。こちらを切り離して被写体だけで成立するわけじゃないですか。常にこちらの意図もあるし、誘導もあるし、その誘導も裏目に出て誘導されることもある。全部ひっくるめて僕はドキュメンタリーを面白いと思っている。だから、バラエティかドキュメンタリーか、というよりも、面白いから入れたということに尽きてしまう。
森:もちろん意識するけれど、どっちかといえば、過剰に意識はしてないかな。
森:それはもちろん全カット考えています。
森:今の質問に答えるなら、あそこで僕の声を残したのは、最初から残すことが前提だったから。切るという発想はまったくなかったので、ここに森の声を残す残さないかなどの煩悶はまったくなかった。僕のなかではあって当たり前だった。
橋本:浅井さんが切る、といってなるほどと思いました。
森:テレビだったら切るかもね。
橋本:切らないよ。
森:人によって違うけれど、NHKだったら切るかな。
橋本:いやそうでもないよ。正解はないので。
森:そうですね。正解はない。映画にもいろんな人がいるけれど、でも作法として、テレビは主観を嫌うから。だからあまりディレクターの主観的なことをあまり出してほしくない、というのは映画に比べれば多いんじゃないかな。
森:僕は毎回そうですよ。だからさっき言ったように、作る側の意図や作為をないことにしたら、僕のドキュメンタリーは成立しないから。
森:実はけっこうバッサリ山崎さんのパートを落としているんです。
森:そんなに大きなことじゃないし、『A2』も僕が施設のなかで食べてるシーンとか、安岡卓治が撮ったりしているよ。だから、それは何らかの論があって使い分けているわけではないです。必要とあれば出るし、必要なかったら消すし。
結末を知っていたら面白くない、という単純な映画ではない(橋本)
森:東風がいろんなキャッチコピーのなかで選んだので、僕も、ミステリー映画みたいで、その手があるね、という感じでした。
橋本:私はそろそろ、知られてもいいと思っているんです。結末を知っていたら面白くない、という単純な映画ではないと思うので。
森:でも知らずに観たほうがぜったいにいいでしょう。「え、こうなっちゃうの」って観たほうがぜったいに面白い。
森:うーん、ノーコメント。
橋本:……。
森:「僕も橋本も沈黙していた」と書いてください。というか、これまでドキュメンタリーを撮りながら、被写体を騙さなかったことなんてないですよ。それこそ小さな嘘はいっぱいついているし、当たり前じゃないですか。
橋本:嘘つきなんだ……。
木下:嘘という表現は誤解を与えてしまうかもしれないですね。
森:嘘つきでいいよ。今も彼とは普通に会いますよ。
橋本:佐村河内さんは電話ができないのでメールの人なんですよ。電話だと奥さんに電話して、奥さんがしゃべって彼に伝えるから、2倍時間がかかるんです。
森:今日実は、佐村河内さんからwebDICEの取材依頼はお断りしたい、とメールが来ていたんです。だからほっといても浅井さんは取材できなかった。でも僕は、なぜよりによって浅井が、というのがあったので、最初にムカッときたけど。
橋本:佐村河内さんは映画のためにいろいろ協力したいけれど、できれば受けたくない、沈黙したい、という言い方でした。
森:でもパブリックに載せるなら、断ります。
森:僕は最初に彼に言ったんです、「あなたの名誉回復のための映画を作る気はさらさらない」と。「僕は映画のためにあなたを利用します」って。彼はしばらく考えていたけれど、でもそれでもいいと。最初は彼は嫌がったんです。何度も口説いているうちに、「分かった」と言ってくれたけれど、そのときに僕が言ったのは、この言葉です。
「やらせ」があるないという浅いレベルで議論するのは貧しい(森)
橋本:「やらせ」ってテレビではもう数十年にわたり、何度となく議論されてきました。「やらせ」の定義とか、ドキュメンタリーにおける「やらせ」ってなんなのとか。この話を始めたら、『朝まで生テレビ』ですまないですよ。「やらせ」かどうかという、きわめて雑な質問には答えづらいですね。
森:なにかに書いたけれど、ドキュメンタリーってただ漫然とカメラを回して撮れるわけないじゃないですか。
森:化学の実験だと思うんです。フラスコのなかに被写体を入れて、火で炙ったり、振ったり、冷却したり、時には触媒を入れたり、場合によっては撮影する側がカメラを持って一緒にフラスコのなかに入ったり。逆に刺激しているつもりが刺激されたり、それを撮るのがドキュメンタリーだと思っています。それが演出です。漫然と撮るだけで作品になるはずがない。こうした作為を広義でいったら「やらせ」と呼びたい人がいるかもしれないけれど、だったら「やらせ」でいいです。でも当然ながら挑発したり誘導したり、場合によってマウントをとったりとられたり、そうした過程があるから、作品になるわけで。だから、それを「やらせ」があるないというとても浅いレベルで議論するというのは非常に貧しいし、つまらない。
森:それは延々と戦場シーンだけの場合でしょう。例えば『アルマジロ』もそうだけど、戦闘後に基地に戻った兵士たちがトランプやったりネットのエロサイトを見て大騒ぎしたり、当然ながらいろんな要素が雑多にあるわけです。それを撮るのか、あるいは編集で残すのか残さないのか、それは撮る側の主観です。客観性など欠片もない。
森:僕を?断ります。そんな度胸ないです。
森:わかったよ、ホントしつこいよな。
浅井さん、ちょっと飲んでいこうか。本当はもっと聞きたいことあるんでしょ。
1956年、広島県呉市生まれ。立教大学在学中に映画サークルに所属し、自身の8ミリ映画を撮りながら、石井聰亙(現在は岳龍)や黒沢清などの監督作に出演したりもしていた。86年にテレビ番組制作会社に入社、その後にフリーとなるが、当時すでにタブー視されていた小人プロレスを追ったテレビ・ドキュメンタリー作品「ミゼットプロレス伝説 ~小さな巨人たち~」でデビュー。以降、報道系、ドキュメンタリー系の番組を中心に、数々の作品を手がける。95年の地下鉄サリン事件発生後、オウム真理教広報副部長であった荒木浩と他のオウム信者たちを被写体とするテレビ・ドキュメンタリーの撮影を始めるが、所属する制作会社から契約解除を通告される。最終的に作品は、『A』のタイトルで98年に劇場公開され、さらにベルリン国際映画祭など多数の海外映画祭でも上映され世界的に大きな話題となった。99年にはテレビ・ドキュメンタリー「放送禁止歌」を発表。2001年には映画『A2』を公開。06年に放送されたテレビ東京の番組「ドキュメンタリーは嘘をつく」では村上賢司、松江哲明らとともに関わり、メディアリテラシーの重要性を訴えた。11年には東日本大震災後の被災地で撮影された『311』を綿井健陽、松林要樹、安岡卓治と共同監督し、賛否両論を巻き起こした。「放送禁止歌」(光文社/智恵の森文庫)、初の長編小説作品「チャンキ」(新潮社)など著作も多数発表している。
1981年12月、フリーで活動していたディレクターの河村治彦、広瀬涼二、テレビカメラマンの山崎裕らと制作プロダクション、ドキュメンタリージャパンを設立。1985年より代表を20年間務める。ドキュメンタリー番組を中心に数多くの作品をプロデュース。放送文化基金個人賞、ATP個人特別賞、日本女性放送者懇談会賞受賞。座・高円寺ドキュメンタリー映画祭実行委員。近年は、『ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎 90歳』(12/長谷川三郎監督)、『フタバから遠く離れて第1部・第2部』(12・14/舩橋淳監督)、『ひろしま 石内都・遺された者たち』(12/リンダ・ホーグランド監督)、『祭の馬』(13/松林要樹監督)、『戦場ぬ止み』(15/三上智恵監督)、『広河隆一 人間の戦場』(15/長谷川三郎監督)などを手がける。戦後70周年の節目に制作され、監督に是枝裕和、朗読に綾瀬はるかを迎えた『いしぶみ』が2016年7月16日よりポレポレ東中野ほかにて劇場公開。
映画『FAKE』
6月4日(土)より、ユーロスペースにてロードショー
他全国順次公開
監督・撮影:森達也
プロデューサー:橋本佳子
撮影:山崎裕
編集:鈴尾啓太
制作:ドキュメンタリージャパン
製作:「Fake」製作委員会
配給:東風
2016年/HD/16:9/日本/109分
公式サイト:http://www.fakemovie.jp/
『A2 完全版』
ユーロスペースにて上映
6月18日(土)~24日(金)連日21:00~
7月19日(土)~15日(金)連日21:00~
劇中、黒木華演じる七海が家庭教師を行っている少女がパソコンの向こうから七海に話しかける「東京ってどんなところですか?」。
岩井俊二監督の『リップヴァンウィンクルの花嫁』はその少女の問いの答えとして描かれているようだ。「東京ってこの映画のようなところだよ」と。
そして、今回の映画の公開の仕方は、「これが今の映画の公開の仕方」とでも言うように、映画館、テレビ、ネット、小説とマルチ・プラットフォームで物語が展開されている。
岩井監督にこの映画が出来るまでのバックグラウンドを聞きたいと思い、インタビューをオファーし、公開からひと月経った頃実現した。
『リップヴァンウィンクルの花嫁』の作り方から、世界の中の日本映画、そしてその問題点と突破口の可能性までを一気に語ってもらった。
戦略としてこのバージョンのここが違うという
情報発信をしなかった
そんなに緻密な計画があったわけではなくて、途中からですね。
約1年を通して4、5回に分けて撮影しました。第1期を撮って、数ヵ月待ち時間があったので、その間に脚本をまた直して、次を撮る、という方法をとりました。
小説は最初に書いたバージョンはあったけれど、ロケハンしたり撮影が全部終わったあとに、全部書き直しました。ロケハンや撮影には、例えば結婚式場がこうなっているとか、小説にフィードバックするのにうってつけの情報がいっぱい入っているんです。そこで、撮影と並行して小説自体を肉付けして、進化していくような作り方でした。
そうです、でも小説のフルサイズを映画にすると、2時間や3時間では済まないので、全てのシーンを撮影するかしないか、という判断が必要でした。そこで、プロデューサーの宮川朋之さんに「テレビドラマなら、そちらで反映できるから」と言われて、ドラマ分も撮れそうだということで、現場で撮れるだけ全て撮って、その後でどのバージョンをどうするかを考えるようにしました。
3時間の劇場版と2時間の配信限定版、そして全6話のドラマ版は劇場版より長いですけれど、映画のクライマックスが入っていなかったりする。つまり、どれを観ても完結しないようになっています。さらに、海外版は2時間ですがまた違っていて、いろんなバージョンを観られない人のために、ひととおり全ての要素を盛り込みました。
既にそうした環境になっているので、ではどう楽しませるか、というときに、これだけプラットフォームが増えて、現場でも収集がつかなくなっているんです。ありがちなのは、制作者が「どれを観せたらいいのか」と考える。でも、全てのプラットフォームを観てもらわないと済まないような宣伝をこちらはしたかった。結果的にお客さんはひとつしか観ないかもしれないけれど、それをこちらが先読みして「どれかひとつを観てください」という言い方をしたら、必ず個別に観られてしまうし、いちばん観せたいものを観せられないという状況も生まれてしまう。
まず、「このバージョンはここが違う」といった詳しい情報発信をこちらからせずに、あるバージョンを観たけれど、他の情報をみるとあれ、こんなシーンなかったけど?と観た人が気づいて焦るような仕掛けを作りました。
ひとりで書くという胆力がないと
脚本は書けない
そうですね、普通にあるものでした。日本がいちばん遅れていますね。
海外にいると、本来こうあるべき、という自分のセンサーがあまり働かなくて、それが正しいか、正しくないかの判断がつけづらい。例えば「安保法案反対」と言われると、日本人だとすごく分かるけれど、アメリカでそういう問題になっていても、他人事というか、所詮関係ないから入り込めないし、入り込む気もないし、というのがあって。だから、向こうのインフラも「こういうものなんだ」と思うだけだし、ショップでのビデオの売られ方も「そういうものなんだ」と、わりと客観的に見ていました。そのうち、レコード店もなくなっていったし、書店にもお客さんがぜんぜんいなくて、スターバックスも店のなかに人がいないので、大丈夫なのかなとは感じていました。
そんなには観てなかったですけれど、当時は『ヒーローズ』くらいですかね。それから、ちょうど『ヴァンパイア』(2012年公開)のときに『トゥルーブラッド』をやっていて、観たらポルノみたいなベッドシーンがちゃんとあるような作りになっているんです。ペイTVだと、ケーブルによっては最初からそうした層狙いで、これが評判になってるのか、と驚きました。
いろいろです。プロットから始めてシナリオに移行する時もあれば、いきなりシナリオを書く場合もあるし。どうやれば映画として成立するのか、という試行錯誤は学生時代からあって、20代から40代の間ずっとそれに費やしてきました。取材したら良くなるわけでもないし、そこは自分のなかで解けていないパズルです。だからこそ、脚本を書くのは苦しくて大変な作業です。ただ、完成した作品の出来栄えは、お客さんが観て「これはつまらない」「これはおもしろい、すごいや」と分かるくらい、誰でも分かることです。だから僕もそこに照らしあわせて、実感しながら、仕上げていく。この企画も「ぜんぜんダメだな、何かが足りない、何が足りないのか」「このファクターを入れたらどうだろう」と何年かずっと苦しみ続けてきました。
仕事上見せるという段取りはありますが、基本的にはひとりです。脚本は共同制作は無理です。作家が書く物語というのは、全てが繋がった一本の糸だと思うんです。コラボする場合、その糸を維持しなければいけなくて、他の人の意見を入れてしまった時点で糸が切れてしまう。そうすると、あまりうまくいかない。一見うまくいっているように見えても、持続力がなくなってしまう。黒澤明監督も数々の名作を複数のライターとのコラボで作っていたけど、メンツが変わり、やがてひとりで書くことになると、その時点ではもう、ひとりで書く、という胆力がなかったような気がします。その理由は僕は痛いほどよく分かります。あれだけたいへんな作業を人の手を借りてやったら、二度とひとりで書けなくなってしまいます。我慢して、あまりはかばかしくなくても、自分が作れる話としてここが限度、というところで終わりにしないと、次に繋がらない。漫画家さんも小説家さんも、それでやっているわけだから。そこは映画は怠けてはダメだと思います。
「ここをよしとするか」という直感に近くて、100点満点の脚本はあまり作りたくないですね。むしろ60点、70点で終わりにしたいという感じはあります。そうしないと、現場がコンプリートするためだけの場所になってしまうし、誰が撮っても同じになってしまう。ただ、これでぜったい行ける!必ずこのポイントを通ると映画になる、というところは読んでいます。
そうでもないですね。結局、この作品が良くなるか、悪くなるか、というのを把握しているのは監督しかいないので。みんなの手も借りますけれど、誰もそこの責任は負ってくれないですから。誰も完成形が見えているわけではないし、そこをシェアしているわけでもない。依然監督としては孤独なんです。
カメラも照明も仕上げも自分でやってます
ほぼ全域に及ぶと思います。もちろん契約書の部分もやっています。プロデューサーとしてクレジットされている日本映画放送株式会社の宮川朋之さんは全体のディストリビューションが中心です。クリエイティブな部分は僕が全部コントロールしています。
今回はほとんどないですね、ほぼ2カメで、神戸くんがメインキャメラでした。
現場ではさんざん怒りました(笑)。カメラをひとに委ねた瞬間に、画は7割くらいでOKを出さないと、ほんとうに入りたい構図に入れない。それをやりたかったら、スケジュールに余裕があれば自分で撮ったほうがいい。『ヴァンパイア』は3カメのうち1カメを僕が撮りましたが、ほかのふたりもいいカメラマンだったので、納得できない画はほとんど発生しなかった。ただ、自分がカメラをやってしまうと、フォーカスとかも担当することになって、現場を見ていられなくなるというデメリットがあったので止めたんです。自分の思惑通りの画というのは、こういうアングルで、という話ではなくて、プロのレベルでしっかり撮ってくれれば、それ以上の要求はありません。でも、日本に戻ってくるとそのクオリティが出づらい。今回は、画になったところだけを使って、あとはほとんどゴミみたいな素材、そのぐらい使えなかったです。編集の妙みたいになっているけれど、裏の画をみたら使えないものだらけですよ。日本に帰ってきたらこういう目に遭うのかと思いました。
現場のなかにカメラがいる、ということ自体をまだ分かっていない。芝居中なのに自由に動きすぎてしまうし、助手は「ここにいていいんだろうか」と逆にビビっている。だから彼には「ドキュメンタリーをやれ」って教えてるんですけれどね。ドキュメンタリーであればぜったい中断できないですから。まだ若いですし、これからじゃないですかね。
2カメの撮影部だけで6、7人いて、照明部がうちはいなくて僕が自分でやっています。録音も基本2人くらいで正規の録音部ではなく、アフレコ前提で撮っています。全ての音を録って帰る、と決めてしまうと、撮影現場が止まってしまう。音はここで録らなくても後でどうにかなる。もちろん使える音もあるので、そんなにアフレコは多くなかったです。低予算の場合、そういうことまで考えないと撮れないです。撮影って1時間で安くても20万円ずつくらい消えていってしまいますから、超高いタクシーか銀座のクラブですよ。無駄なことで現場を止めることがどれだけリスキーか。そんな中でスタッフに委ねすぎると監督のための時間ってほとんどなくなってしまうんですよね。だから照明も自分でやるようになったし、録音も最少人数にした。そうすると、やっと役者と監督の時間が充分とれるようになって、撮りたいものが存分に撮りきれる。どの監督にも有効とは思いませんが、僕にとってはこれが一番スッキリしたやり方でした。
そこまでではないとは思いますが、現場に不満はいろいろありますよね。監督のために奉仕しない、というと意外かも知れませんが、いわゆる「おもてなし」という意味では欧米でもアジアでも海外の方が格段に監督を「おもてなし」してくれますね。日本の場合、あんまり口出しして欲しくないようなムードがある。まずは自分の仕事を全うしたい。そんな感じです。
カメラも照明もいじるし、仕上げも全て、ProTools(音響ソフト)まで自分でやっています。基本、ひとりでできることが前提です。そのうえでひとに任せれば、どこが必要でどこが無駄か分かる。
日本の映画の現場はもっとスリム化できる
モニターが完成品なので、モニターですね。フォーカスが合ってなかったらOKを出せない。これを他に見る人はいないので、役者の芝居を見ているだけじゃなくて、素材として成立しているかをチェックまでしなければいけない。それでも2カメになってくるとなかなか見きれないですけれどね。これが次の課題です。
日本の現場で意味不明な幻想論をさんざん耳にしてきたけど、何の根拠なの、それって、ということばかりでした。映画に必要なものが必要だったものであって、そこに使われないものはいらないもの。そうした取捨選択をしていくと、もっとスリム化できるんです。みんなから煙たがられながら、日本でもそうしたスタイルでやっていたけれど、ハリウッドは案外僕のやり方によく似ていたし、むしろさらに合理的ですよ。本番を「よーいスタート!」とはじめて、途中で切らずに一周ぜんぶ芝居をするんですよ。でも日本ではシーンの頭から撮って、5秒くらい経つと切ってカメラポジションを変えたり、カットごとに分けてしまう。僕はぜったいそんなことはしなかったです。だってその間、次の準備までに何分取られるのか。アングル変えて計4、5回、4、5分のシーンであればカバーショットという足りないところやキメを撮っても2、3時間で終わりなのに、日本では1日かかってしまう。『Love Letter』のときは2日とかかかっていましたから。こんなムダはないですよ。だから粛清がいるなと、自分のやり方を通していったんです。最初は役者から「ワンシーンのセリフを全部覚えてないから一言ずつ撮ってくれ」とか抵抗されましたが、「うちはこうやってるんで」と言うと、みんな渋々、ぜんぶやるようになりました。
アメリカでは途中で止めるなんて考えもないし、本番中に助監督がやってきて「もう1回やるか?」と聞くんです。「ではもう1回」と言うと、カットをかけずに、2周目が始まる。役者も元の位置に戻って、3回でも4回でもやるんです。なぜ途中で止めないかというと、メイクが入ってきたりするのがいやだから。消え物とかがあるときは止めますけれど、なければそのまま何度でも撮ります。
2カメもありますし、ステディカム1台のときもあります。本気で撮ろうと思ったら突っ込んでいかないといけないので、他のカメラが写ってしまい使えなかったりします。それでも1カメをメインにしておかないと。そのカメラがひとまず自分がほしい画をぜんぶ撮るので。Bカメはたまたま写っていないところに入って返しを撮るというかたちで使っているので、その面では役に立ちます。
日本人はよくも悪くも職人気質
やっぱり、サービスということにプロフェッショナリズムを持っているかどうかなんです。自分たちがなんのためにいて、誰にサービスするためにここにいて、なんでお金をもらっているのか。海外の人はプロだから、みんな分かっている。日本人はよくも悪くも職人気質。みんなてんでに自分の仕事をしたがるし、そこを邪魔されたくない。最近の若い人は少し違うかもしれないけど。上の世代なんかはみんなそうでしたね。
でも、そのコミュニケーションのやり方だと、思い通りには作れないです。勝手にやってもらってるだけで、こっちは何も楽しくないし、「これでいいですか」だけ言われるから。だんだん邪魔になってくるから、自分でやったほうが早いやと。そういう意味ではハリウッドシステムも僕には無用の長物かも知れません。実際『ヴァンパイア』の時は相当自分流にカスタマイズさせてもらいました。監督にたっぷり使える時間がある、というのとぜんぜん無い、というのでは、作れるものが違ってくる。その点ではハリウッドもユニオンとか制限がたくさんあって決して使いやすいシステムではないけど、監督のカスタマイズできる部分とできない部分がはっきりしているから分かりやすい。この分かりやすいというシステムが大事です。
あまり変わらないですね。男性は日本人でも外人でもコミュニケーションを取りたがります。「筋が通ってないと」みたいなことが、監督からすると、いろんな仕事をやっていてなかなか対応できないこともある。女性は、何も言わない人が多いですね。直感でやって、直せと言われれば直す。
そういう意識は今回あまりなかったです。『なぞの転校生』という、長澤雅彦くんとやった深夜ドラマは、2日で1本ずつ撮っていかなければならないスケジュールだったので、さすがに寄りはトリミングで切り取ろうと、引きだけ撮ることにしたんです。今回はそこまで厳しくなかったので、必要な素材は全部撮れと言いましたが、ただ手ブレがやたら多かったので、それを補正するためにトリミングしたというのはたくさんありました。スタビライザーをかけて止めるとか。普通こんなに揺れてたらダメだろって。
映画のスタッフの仕事は「全体」が分かったうえでの「部分」
取り込みはアシスタントがやりましたけれど、素材の編集はプレミアでぜんぶやりました。4K、6Kになると、ファイナル・カットだと10までバージョンアップしないと無理で、評判がよくないので、いまはプレミアに切り替えました。新しいソフトに切り替えるのは大変なんですけれど、すぐ慣れましたね。編集には3、4ヵ月くらいかかりました。
そうですね、自分で撮って帰ってきているので、その素材が何か知っているから、記録用紙がいらない。ナンバリングとか関係なく、撮ったときの日付だけあれば、繋いでいける。今まで困ったことはないです。
助監督がやりますね。日本の音響ともやったことはあるけどあまりうまくいった試しがない。結局映画って、全体が分かったうえでの部分なんです。部分だけ知ってる人に頼んでも、だいたいトチ狂っている、それがいちばんの問題。映画はなんのために撮影があって、音にはこういう必要がある、ってどんな年寄りが来ても最後はこれを説明しなくちゃいけない。オールラウンドで勉強していない。脚本を書いたことはあるのか?カメラで何か撮影したことはあるのか?ProToolsのマニュアルを最後までちゃんと読んだことがあるのか?僕は怒るとほんと怖いですよ、呼ばなきゃよかった、これでこんな金とるのかよ、お前、って怒りながら相手が可哀想になってくる。揉め事は避けたいですよ。だから助監督に効果音を録音させるんです。
そうとも言えないとは思いますが、プロにオーガナイズされた、プロの組織のなかにいないとなかなか体系的な教育は難しいでしょう。僕もプロじゃなかったけれど、庵野秀明さんたちと同じで、学生のときに全部自分たちで作ったことがあるというところからスタートしているので、全体が分かる。ところが、専門学校でひとつのパートだけ学んでそのまま現場に来てしまうと、それ以外のなんの知識もない。それでそのまま行ってしまっては危険ですよ。スタッフは業界によっていいとこ悪いところがあったりもします。自分に合ったスタッフを探すのも大切。制作はテレビドラマをやっている人に頼むし、カメラはできるだけドキュメンタリー系から頼んだり、照明がどうしても必要なときは、CMから呼んだり、と分けています。
今回ドルビーアトモスを使ったので、最終ミックスは東映のスタジオに入りました。その手前の仕上げまではハウススタジオで、僕と田辺さんという『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』の頃からやっている友達とProToolsでやります。東映のスタジオではセッティングだけしてもらって、オペレーターが触ることはなく、僕らが1日とか2日で終わりです。その段階で大きな問題があったら、自分のスタジオに引き上げてしまいます。そしてまた持ち込むという。予算があまりなかったので。ドルビーアトモスはすごいですよ、音像がステレオと5.1chくらい空間の感じが違います。
日本映画界はプロデューサーがクリエイションに幻想を持ちすぎる
プロデューサーの紀伊宗之さんが、当時はティ・ジョイで、途中から東映に変わりましたが、『花とアリス殺人事件』を一緒にやっていて、相性もよかったので、面白い人だし一緒にやることになりました。彼も革命児的で、日映の宮川さんもそうですけれど、既存を破壊できる者同士が集まれたので作れました。
そんなに大きな違いは感じないです。というのは、やっぱり見積もりあっての世界、数字の世界だから、幻想のたてようがない。そういうときほど人間ってクリアになることはなくて、そこはアメリカ人とやるときでも、中国人とやるときでもそう。中国はいま国が映画製作に入ってくるので、国の意向や供託とかややこしいことはいっぱいあるんだけれど、そのひとつひとつの項目を民間の人たちが分析しきっているので、課題は分かっていて、仕事は前に進む。でも今までの日本映画は、そこがグレーな感じが多すぎたんだろうと思うんです。例えば撮影中止が起こると、確実に1社、2社が倒産の危機になる。今までのケースを見ていて、たくさんいろんな名だたるインディペンデントのプロデューサーたちがお金問題で消えていったじゃないですか。映画界にとって重大な問題です。
ふたつあって、ひとつはプロデューサーに資金的な責任を負わせすぎている。そういうことをやっていると、クリエイティブな才能を持っていても、潰れていってしまう。もうひとつは、その人たちの中にはちゃんとお金の勉強をしていない人も多い。それはしくじるのは当たり前だよっていう。クリエイションに幻想を持ちすぎて、現場の人たちと一緒に映画を作ってる幻想に酔いすぎていて、現実的な問題を何も把握していないから、現場のウケはいいからその期待に答えようとして情に走ってやっちゃいけない一線を踏み越えたり、いろんなことをしてしまう。そこはあくまでドライに、お金の問題として、エクセルのセルをひとつずつ勘定するようにやっていけば、失敗するはずないのに、と僕なんか思います。
それは現場です。実際に次々目の前に現れるので。それをしっかりやった結果だと思います。それは何も不思議ではなくて、映画を作るって結局、映画のなかに出てくる事象に関しては徹底的に調べて現実化していかなければいけない。自分の持ってるものさしが正しいのかどうかを確かめるには、ビジネスの領域も触ったほうがいい。ビジネスの面で自分の技術が成立するとなれば、小説で書いても間違いないはずだし。経済的裏付けを知らないで小説を書いたら、だいたい嘘になります。この主人公相当自由人だけど、どうやって生きてるの?みたいになっても困るわけで。常にほんもののビジネスの場で、自分たちがやっているビジネスを学ぶ。お肉屋さんであればお肉屋さんのビジネスをしっかり全うできていれば、ちょっとした大きな企業の論理も分かってくる。お金のことがぜんぜん分からないまま、いろんな人を取材やリサーチしても、なにも分からないですよ。でも周りをみるとなかなかそこまで及んでいる人はいないです。
日本はそういうところがすごく子供っぽくなってしまうんですよね。それで書けるんだから、よっぽどみんな頭いいんだと思います。僕は実体験しないとぜんぜん分からないので、書けないですよ。常日頃、会社を運営したり、新しいアプローチとして海外でプロジェクトと組んだりすると、面倒くさい契約書がいっぱいくるし、見積もりも見なくてはならない。でも、それをやることでみんながどう仕事しているかというリアリティが分かって、大人社会を理解することができると思うんです。
プロで脚本をやっていたり、小説をやっていたり、助監督もそうですが、リサーチを怠るということはぜったいあってはならないことです。その技術で以って自分たちの業界をリサーチするのは当たり前だと思います。企業を舞台にした映画を作るとなったら企業を取材してできる限りつまびらかに解読するのに、自分たちの業界がどういう仕組みになっているか、案外そういう所にはなかなか踏み込まない人も多い気がします。この業界にいながら自分たちの居場所しか知らない人があまりにも多すぎる。それはまったくクリエイティブじゃないですよ。
顔に少しやわらかい光をあてるのに、今までだったらHMIライトの5キロを持ってきて、白い膜を貼って遠目から当てて、ということをわざわざやっていたけれど、至近距離からLEDをさっと当ててあげたら、片手でOK。それは、両方のやり方を知ってるからできるんですけれどね。ただそれは経験して、手品のアイディアを考えるように、なにかうまい手はないかな、と裏をかく手はないかなと常に考えていると、こうすればいいじゃない、というのが出てくるんです。
『Love Letter』では、光が変わっていくのを止めるために、デイシーンなのに、ある屋敷を全て黒で覆って、照明を当てて作っていた。そのシーンは2日かかったんです。でも、ドラマでは同じような撮影が1時間で撮りきれていた。だからそっちに戻したらいいだけの話だ、と思えたかどうかなんです。そうするとそこの装置は全ていらなくなる。それだけで2日、3日余裕が生まれて、5、600万の貯金が貯まるので、ときどき天候待ちしても大したことないんです。
『Love Letter』のときは、それを誰も与えてくれてなかったので、好きにやっていい、と言われて、最後のほうに予算がなくなったので、大事なシーンが撮れなくなりそうになったことがあったんです。お金の計算をちゃんとプロデューサーしてくれない悲惨さを痛感したので、それから、そういうシステムはやめて、ちゃんと自分でコスト管理もするようにしました。重要なシーンは最後に回さずに後半の前半くらいにして、最後はお金がなくなったときに友達と手弁当で撮れるシーンしか残さないようにしたりとか。
コストに関しては、監督は知る権利はないので、教えてもらえないことも多い。プロデュースにコミットすることで初めて予算が開示される。委員会にコミットすることでようやくすべての情報が手に入る。『スワロウテイル』の時、アメリカで上映が決まりそうになったときに日本サイドの委員会から待ったがかかって、で結局うやむやで終わってしまったんですよ。これはなんだろう?と思っていろいろ文句を言っていたりしたんだけれど、そこで、出資して委員会にコミットしないと、そこの情報は開示されないし、コントロール権もないんだということが分かったので、『四月物語』以降はセルフプロデュースに変えて、最低限そこに干渉できる位置をとりながらやってきました。本気で、急にギアチェンジやハンドルチェンジして右に曲がりたくなったときに、動かせるためのポジションとりはすごく大事で、それは監督じゃ無理なのが、やってみて分かりました。
YouTubeやiPhoneを使った新しい子たちが
日本の映画の突破口になる
2つの作品をこれまでプロデュースしてきて、今度3つめをプロデュースするんです。若手の育成が主な目的です。
関わってないです。僕個人が行っています。なかなか同じやり方では難しくて、むしろひとりで行って見聞を広める段階です。ほんとうに、システムがどんどん変わるので、頭がいいんです。ラッキーな状況になってくるととたんに国が介入してきて、レギュレーションを変えてくる。国益を守るという意味だとほんとうにすごい国だと思います。中国では、FacebookもTwitterも使えないので後進国だと思っている人が日本では多いんですけれど、とんでもない話で、外国産のSNSを輸入していないだけなんです。共産国でそこは自由にコントロールできてしまうので、新しいものがでるとそれを全部コピーして、自分たちのオリジナルにする。YouTubeであればYoukuを出す。日本は、自由貿易のなかの闘いで負けているわけですよ。
そういう依頼は多いですね。でもあんまり教えることがないんですけど。みんな既にいろいろ知ってます。ハリウッドで勉強して帰ってきたという人も多いし。でも意外と彼らはハリウッドかぶれしていなくて、監督が脚本書いて当たり前、何なら絵コンテも描いてしまう。ハリウッドにはない発想です。「なぜそんな考え方をしているの?」って聞いたら、「みんな岩井さんの真似しているんですよ」って(笑)。そこはしたたかで、いいとこ取りなんですよ。むやみに真似しているのではなくて、ハリウッドをみてきてもなお、岩井はこう撮ってるからいいんだ、というそのしたたかさだなと思いました。日本人だと、そこから習うとそれが正しいと洗脳されて帰ってきて、それ以外の発想にならない。日本人はどこかずっと受け身なんですよね。魂を何かに預けるのが好き。人に認めて貰うのが好き。そうやってアイデンティティを形成してきた歴史があるからなかなかそこから脱却するのは難しい。
とにかく国内需要を盛り上げることについては、中国政府は積極的だから、これからしばらくは繁栄するだろうという印象を持っています。そこで日本もそれを真似しようとなったときに悩ましいのは、シネフィル的に成熟している国で政府が資金的な助成すると、観客のニーズからは確実に逸脱する。ヨーロッパでもあった現象です。資金援助を興行の失敗の尻ぬぐいに回した。作家はより自分の好きなものを自由に作れる。聞こえはいいけど、それは成熟したクリエイターの本質を知らない。観客に迎合するものなんか本当は作りたくもないのが作家ですからね。韓国も中国も,観客とクリエイターが同時に成長するタイミングと政府の支援が合致した。これが重要なポイントです。英語ではよく喩えでダイナソー(恐竜)といいますが、恐竜化した状態からどう進化していけばいいのか、というのが今後の日本映画の課題かも知れません。
僕も『スワロウテイル』をやったときに思いましたけれど、自分のスタイルでお客をこれ以上広げるのであれば、ぜったいどこかを劣化させなきゃ無理だって、体感で感じていたので、アメリカやアジアに行ってみたんです。同じ趣味の人間は世界中にいるはず。ならば足りないぶんは海外で補おうと。そうすれば、より自分の好きなものを自由に作れる(笑)。悪い兆候です。
そのインディペンデントの枠では、です。映画市場がどんどんシュリンクしていくなかで、新しい映画を好きになってくれる人をどう生み出していくかは、ほんとうに課題です。僕らが若いころに大林宣彦さんが出てきたとき、カルチャーショックで、貪るように観たんです。でも、今観るとなぜっていうくらい、子供だましみたいな部分で喜んでいた。でも子供だから騙されたんですよね。面白かったんです。逆に、良くできた映画って、介入のしようがなくて、楽しめなかった。その楽しめない映画を、時間をかけて、ビスコンティとかシネフィルの人たちに教えてもらったという経験があって。でもそれって、教育の名の下には成立するけれど、いきなりは無理だし、YouTuberが作る馬鹿なんじゃない?というレベルから再スタートしないと、リセットできないのかもしれない。
稚拙なコマ撮りでも合成でもいいからどんどん遊んで、そのなかにちょっとしたこだわりや情緒や楽しさがあるような作品を、次の若い子たちがやればいい。だから僕らは悪い例で、悪い先輩だったんです。子供だましじゃないものを変に気取って、真面目なものをやったりしていたから。YouTubeやiPhoneを使った新しい子たちが新しい突破口になって、おりこうさんで世界の賞をもらうなんてことを目指さずに、広く大衆に受ける楽しいものをもっと作ってほしいなと思います。
1963年生まれ。1998年よりドラマやミュージックビデオ、CF等多方面の映像世界で活動を続け、その独特な映像は“岩井美学”と称され注目を浴びる。映画監督・小説家・作曲家など活動は多彩。監督作品は『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』(93)『Love Letter』(95)『スワロウテイル』(96)『四月物語』(98)『リリイ・シュシュのすべて』(01)『花とアリス殺人事件』(04)海外にも活動を広げ、『NewYork, I Love You(3rd episode)』(09)『ヴァンパイア』(12)を監督。2012年復興支援ソング『花は咲く』の作詞を手がける。2015年2月に初の長編アニメーション『花とアリス殺人事件』が公開し、国内外で高い評価を得る。
映画『リップヴァンウィンクルの花嫁』
全国順次ロードショー公開中
声の小さな皆川七海は、派遣教員の仕事を早々にクビになり、SNSで手に入れた結婚も、浮気の濡れ衣を着せられた。行き場をなくした七海は、月に100万円稼げるというメイドのバイト斡旋を引き受ける。あるじのいない大きな屋敷で待っていたのは、破天荒で自由なもうひとりのメイド、里中真白。ある日、真白はウェディングドレスを買いたいと言い出すが……。
監督・脚本:岩井俊二
出演:黒木華、綾野剛、Cocco、原日出子、地曵豪、和田聰宏、佐生有語、金田明夫、毬谷友子、夏目ナナ、りりィ
エグゼクティブプロデューサー:杉田成道
プロデューサー:宮川朋之、水野昌、紀伊宗之
撮影:神戸千木
美術:部谷京子
スタイリスト:申谷弘美
メイク:外丸愛
音楽監督:桑原まこ
製作:RVWフィルムパートナーズ(ロックウェルアイズ、日本映画専門チャンネル、東映、ポニーキャニオン、ひかりTV、木下グループ、BSフジ、パパドゥ音楽出版)
制作プロダクション:ロックウェルアイズ
配給:東映
公式サイト:http://rvw-bride.com/
■「リップヴァンウィンクルの花嫁 serial edition【全6話】」
BSスカパー!(BS241ch)、スカパー!4K総合(CS595ch)にて放送
※放送は終了しております
■「リップヴァンウィンクルの花嫁【配信限定版】」
各配信動画サイトより絶賛配信中
※4K版は「ひかりTV」にて独占配信中
詳細は公式サイト「on Air&Online」より各プラットフォームのサイトをご確認ください
http://rvw-bride.com/#section11
小説『リップヴァンウィンクルの花嫁』
著:岩井俊二
発売中
1,512円(税込)
文藝春秋
300ページ
Amazonでの購入は下記より
http://www.amazon.co.jp/dp/4163903771/webdice-22
昨年より渋谷UPLINK FACTORYにてスタートした、クリエイター・タナカカツキが若手アニメーション作家を紹介するイベント「アニメの時間」の第2回が6月12日(金)に開催される。
前回開催時にタナカさんは、アートアニメーションがもつ魅力を「気持ちいい動き」と評した。ストーリーを意識して見るアニメーションと異なり、アートアニメーションは動きに着目し、感覚に直接訴えかける。うねるような動きはどこか自然をイメージさせ、気持ちいいアニメーションを見ると大自然にいるかのように気持ちいい感覚になる……そうか!考えるのではなく感じるのか。と思わず膝を打ったお客さんも多かったのではないだろうか。
今回は約1年越しの開催に向けて、イベントホストのタナカさんに見どころを聞いたインタビューを掲載する。
衝動だけでやらせてください、このイベントは
たくさんの方に来ていただいて、びっくりでした。ゲスト陣も楽しんでくれてましたね。普段、部屋にこもってコツコツ作業している方々を、いきなり聴衆の面前に晒して、精神的にはかなりの負担だったと思うのですが、よく喋っていただきました。いやぁ、でも「アニメのイベントやります」って言って、よく1回目からお客さん来てくれたと思います。ありがたいです。
そうなってくると第2回はお客さんが減ってしまう可能性ありますよね。
white-screen.jp山本加奈(以下、山本):そんなことはないでしょう(笑)。来場者視点で言うと、テレビアニメじゃないアニメーションに興味はあるけど、どう楽しめばいいのか、見方が分からないってあると思うんですよね。美術に関しても、鑑賞するにあたってどこで知識を得たらいいのか分からないということはありますし。ですから、第1回は、「アートアニメーションをどう楽しめばいいか」を教えてくれる会ということで、来てくれた方が多かったんじゃないかと思っています。
それは少しありますね。せっかくおもしろい作品もストーリーがみえにくかったりすると、いきなりアートの領域とかに押しやられて高踏なものになってしまう。これはアニメの楽しみ方が偏ってる、見慣れていないってことだけだと思うので、そういった作品もみんなで楽しんでいきたいですよね。そういう環境ができあがれば、良い作品に触れる機会も得らますし。お客さんも来てくれて、出演者も楽しんで、第1回目がとりあえず「ハッピー」やったんで。でもなんでハッピーか分からないんですよね、それを第2回、第3回とやっていくうちに、「これやったんかー!」ってその理由分かってくると思うんですよね。
そうですね。ただ、衝動だけはあります。もういい歳やのにね。衝動だけでやらせてください、このイベントは。
時代とぜんぜん添い寝してなさすぎるふたり
水尻自子、ひらのりょう、最後の手段、平岡政展という第1回の面々は、動くイラスト調だったり、「動き」に焦点を当てた楽しみ方を提案しました。彼らの映像は、静止画を見るだけでも、今の時代を言い得ているようなタッチや線、キャラクターだったりして、「今」を感じさせるものだったと思います。
でも、今回のぬQさんと榊原くんは、何年のいつの作品か分からないんです。時代とぜんぜん添い寝してなさすぎるんですよ。自由すぎて、放って置くといなくなると思います。だから早く誰かがイジらんと。
榊原くんは北海道の浦幌っていう牛舎しかないような所で生まれ育ち、今制作している場所が長野の山奥って。基本、人里離れすぎてる人生なんですよね。人がたくさんいる集落が苦手なのか何なのか、距離を置きたがるんですよ。物理的にだけでなく、精神的にも。朝、森の中を散歩しながらアニメーションのアイディアがバーン!と閃いたり、日々、薪を割りながら暖炉にくべて、アニメーションを制作している。「それ、2015年ですか?」っていう(笑)。
山本:作品にも圧倒されると思います。彼が24歳の頃に作った『Flow』という作品があるんですが、完成度の高さに驚きました。あまり世に出てないので、貴重な上映の機会になると思います。
身体や頭がおかしくなるくらいに作業に没頭する
僕はメディア芸術クリエイター育成支援事業という助成金のアドバイザーもしているんですが、ぬQさんが助成金の申請をした際に行った面接審査がきっかけですね。それが2~3年前ですかね。その時にもう頭おかしい感じだったんですよ。
たぶんないと思います。まったくキャラ違うもん。榊原くんにはぬQが見えないかもしれないです。
身体や頭がおかしくなるくらいに作業に没頭することですかね(笑)。ステキですよね、そういうの。でも、僕もふたりのことまだよく知らないです。だから今回もどうなるかわからない。ただ、作品はおもしろい、ものすごく強度がありますから、楽しんでいただけることをお約束します。驚愕しますよ、きっと。見た人はなんらかの意欲を注ぎ込まれるでしょう。そして、このイベントを通して、新しいアニメーション作家の姿がお披露目されることになっていくので、彼らが今後どうなっていくのかも見届けていけたら嬉しいです。10年経ってみたら、すごいスターが出てるかもしれないしね。
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「目の快楽、感覚で受け取る」タナカカツキが語るアート・アニメーションを楽しむ方法(2014-07-18)
http://www.webdice.jp/dice/detail/4304/
マンガ家。1966年大阪生まれ。1985年マンガ家デビュー。著書に「オッス!トン子ちゃん」「サ道」、天久聖一との共著「バカドリル」など。近年では「コップのフチ子」の生みの親としても活躍する。
代表作:「オッス!トン子ちゃん」「サ道」
http://www.kaerucafe.com/
タナカカツキの「アニメの時間」第2回
2015年6月12日(金)渋谷UPLINK FACTORY
ホスト:タナカカツキ
出演アニメーション作家:榊原澄人、ぬQ
19:00開場/19:30開演
予約:http://www.uplink.co.jp/event/2015/37598
料金:入場料1,500円(1ドリンク付)
主催:white-screen.jp|UPLINK
協賛:EIZO株式会社
榊原澄人(さかきばらすみと)
北海道浦幌町出身。15歳で渡英後文化庁海外派遣生を経て、Royal College of Art(英国王立芸術大学院大学)/MA Animation科を卒業。日本に帰国後祖父の実家の牧場で肉体労働者になった後、現在は長野の山中で生活している。
http://sumitosakakibara.com/
ぬQ(ぬきゅう)
多摩美術大学大学院修士課程修了。アニメーション作品「ニュ~東京音頭」で、第18回学生CGコンテスト最優秀賞を受賞し、「第16回文化庁メディア芸術祭」審査委員会推薦作品に選出されるなど、国内外で多数上映され話題となる。アニメーションに留まらずアーティストとして幅広く活動する。
http://homepage3.nifty.com/nuQ/
1983年に公開され、ヒップホップ・カルチャーを全世界に広めた映画『ワイルド・スタイル』公開中の渋谷アップリンクにて、4月15日、映画上映&HIPHOP講座「Back to 1983 in TOKYO-あの年、東京で何が起きたのか‐」が開催された。
今作の1983年10月の日本公開時、総勢36名の出演者・スタッフが来日し東京・大阪・京都でパフォーマンスを披露、日本のヒップホップ・シーン形成に大きな影響を与えた。今回は『ワイルド・スタイル』の日本における最初の公開の宣伝をプロデュース(配給は大映インターナショナル)した葛井克亮さんと奥様のフラン・クズイさん、そして聞き手として荏開津広さん、ばるぼらさんを迎え、まだヒップホップという言葉すらなかった当時の熱気が語られた。
ニューヨークで体感した
強烈な熱気と見たことのないカルチャー
荏開津広(以下、荏開津):今日は、『ワイルド・スタイル』公開当時、東京で何が起こっていたのか、お話をうかがおうと思います。まずは公開までのいきさつをお願いします。
葛井:『ワイルド・スタイル』との出会いは、KUZUIエンタープライズという配給会社を設立する前、1982年でした。私とフランはニューヨークでアメリカのクルーが日本に来たときや、日本のクルーがニューヨークに来たときにコーディネートする仕事をしていました。そのときに、関係が深かった映画配給会社・大映の作品で、アメリカの配給先を決める手伝いをした『雪華葬刺し』(高林陽一監督)がニューヨークの「New Directors/New Films Festival」で上映されて、57丁目の劇場に観に行ったんです。
荏開津:葛井さんは1983年の前に、映画『人間の証明』(佐藤純彌監督)のロケでサウス・ブロンクスに行かれたそうですね。
葛井克亮(以下、葛井):助監督時代に『人間の証明』のロケのため毎日サウス・ブロンクスで、周りのアパートから朝から晩まで卵をぶっかけられながら撮影していて、非常に危険なイメージがあったので、二度と行きたくない、と思っていたんです(笑)。
その映画祭の会場で、普通の映画ファンでないお客さん、42丁目に来るブルース・リーの映画を観にくるような黒人がドッとやってきたので、何だろう?と思ったら、それが『ワイルド・スタイル』で、フランとこの作品を観ることにしました。
そうしたら、1982年当時珍しい、強烈な熱気と見たことのないカルチャーに驚きました。まだヒップホップという言葉もなかった時代ですが、その数年前にジャマイカに行ったときに、ジャマイカのレゲエのDJがスクラッチをするのを見たことがあって、ビーチに行くと私のことを「ブルース・リーだ!マーシャル・アーツを教えてくれ」と人々から言われて「カラテはそんなに簡単に教えられるものじゃない」とジョークで返したことがあったのを思い出しました。このカルチャーはジャマイカからやってきたものではないか、という印象を持っていたんです。
ところが、監督のチャーリー・エーハンと知り合って話していると、「今までサウス・ブロンクスのストリートのキッズには縄張りがあってケンカが絶えなかったのが、地下鉄にグラフィティを描いたり、ラップやブレイクダンスで競い合うようになることで、暴力沙汰がなくなった」ということを聞いて、素晴らしい!と思いました。その映画祭には大映の専務たちも来ていたので、「ぜひ買ったほうがいい」と伝えたところ「よく分からないけれど、葛井が言うなら買おうじゃないか」ということになり、私たちが日本での宣伝のプロデュース・コーディネーターを担当することになりました。
公開にあたって、まず私はこの映画に出ているキッズたちを日本に連れてきて実際に日本の人たちに見せるのがいちばんだろうと思っていたけれど、大映のほかにスポンサーをどう探そうかと思っていました。
そんなとき、チャーリーから、池袋と渋谷の西武百貨店で行われる「ニューヨーク展」プロデューサーである高田さんを紹介されました。高田さんは『ワイルド・スタイル』に出ているようなキッズをイベントに出演させたがっていたので、「ぜひ協力させてほしい、デパートでショーをしてもらえればお金を半分出しましょう」と言われました。ところが「ツバキハウス」「ピテカントロプス・エレクトス」といったクラブでイベントをやることは考えていたんですが、デパートでイベントを行うことを、出演者たちに納得させなくてはいけない。ビジー・ビーには「そんなのやれるわけないだろ、ふざけるな!(Kiss My Ass!)」と言われてしまいした。
しかし、彼らは条件として「会場でシャンパンのモエを飲ませてくれれば出てもいい」と言うので、西武にも交渉し、出演が実現しました。
みんなを連れてくることが決まって、日程も映画のプロモーションとして東京のほか京都・大阪のツアーと、池袋と渋谷の西武でのイベントと、ブレイクダンサーとラッパーを二手に分けました。西武はグラフィティ・アートの展覧会がメインで、他にもキース・ヘリングやフューチュラやバスキアを呼んでペインティングを行いました。
エロカセットのパッケージ・フォーマットを
流用したカセット・ブック
荏開津:さらに、公開にあたって、書籍とカセット・ブックをリリースしたそうですね。
葛井:配給が決まってから公開まで6ヵ月くらいあったので、公開前に全て間に合わせようと思っていました。このストリート・カルチャーをテーマにした映画をプロモーションするときに、どうしても「ブレイクダンス」「ラップ」「グラフィティ」「DJ」というヒップホップの4大要素を説明しなくてはいけない。そこで、JICC出版局(現在の宝島社)の金田トメ(金田善裕)さんから出版を依頼されて、チャーリーと素材を集めて、『ワイルド・スタイルで行こう』というタイトルで刊行しました。友人のアーティストにデザインを依頼し、ラップも当時は今のように洗練されておらず、「朝起きて、歯を磨く~」というようなリリックだったので、これは日本語で誰かがやればいい、ということも本文に書きました。
そして、グラフィティとブレイクダンスは写真である程度見せられますが、ラップは音楽を聴いてもらわないと分からない。映画のサウンドトラックをレコードで出したいとレコード会社に掛け合いましたが、東芝でもどこの会社でも乗ってくれなかった。そこで、KUKIというAVメーカーに友人がいたので、エロカセットのパッケージを流用することを思いつきました。喘ぎ声のカセットの代りにサウンドトラックのカセットを、ブックレット部分のヌードの代りに映画の画像をレイアウトすればコストが抑えられる。ということで、このカセット・ブックを出すためにビーセラーズという会社を立ち上げ、リリースしました。
このカセット・ブックはアメリカで大ヒットしたんです。大映が配給したときは、アメリカでもまだ配給会社が決まっていなくて、日本がワールド・プレミアだった。なので私たちが作ったポスターやカセット・ブックを資料として配布するために増産したんです。現在このカセット・ブックはMoMA(ニューヨーク近代美術館)のコレクションになっています。私のニューヨークのアパートにその在庫を置いていて、そこから配給会社に自転車で運んでいたのがスパイク・リーだったんです。そこから彼と知り合って、『シーズ・ガッタ・ハヴ・イット』をKUZUIエンタープライズで配給することになったり、ジム・ジャームッシュやコーエン兄弟、キース・ヘリングと知り合いになりました。
総勢36名の『ワイルド・スタイル』クルー
来日公演珍道中
フラン・クズイ(以下、フラン):では、どうやって彼らを日本に連れてきたかを話しましょう。
葛井:最初に、出演したブレイクダンサー、ラッパー、DJ、グラフィティ・アーティストのなかで、誰を連れていくかを、私のアパートでオーディションをしたんです。
荏開津:どのような基準だったのですか?
フラン:留置所に入ったことがないこと(笑)、それから、危険と思われる人物は落としました。
葛井:彼らは「俺を連れていけ」と脅すんですが、それにめげずに選ばなければいけなかった。
フラン:いつもオーディションの後に、クローゼットの中やドアの裏側とか、一見して分からない家のいろんなところにグラフィティが描かれているのを発見しました。
みんなパスポートを持っていなかったし、出生証明書も届けられていなかった子もいたので、まず病院に行って、この人は存在するのかという書類を集めてからパスポートの申請をしなければいけなかったんです。なので、サウス・ブロンクスのクラブに自由に出入りできたのはカズ(葛井さん)だけでしたでしょうね。
荏開津:どういったクラブに行っていたんですか?
葛井:「FEVER」とかですね。来日の準備は1ヵ月くらいかかりました。私とチャーリーは、先に日本に来てインタビューを受けたりしていたので、その他は、フランとチャーリーの奥さんのジェーンが一緒に飛行機に乗って連れてきました。
フラン:全員を連れてくるのには、様々な問題がありました。サウス・ブロンクスから出たことがなく、飛行機にも乗ったことがない。飛行機に時間通りに乗らなければいけないという考えもない。なので、飛行場に連れていくために3台のストレッチリムジンを用意して迎えに行きました。するとブロンクスではお葬式の時しかリムジンを見る機会はないので、一軒ごとにお母さんが心配して家から出てきて、「私の子供をどこに連れていくの!?」と泣き出しました。
JFK空港に着いて、30分後に搭乗口で待ち合わせ、と伝えると、36人のキッズ全員が免税店でモエのボトルを2本買っていました。私は「モエを持ち込むのはいいけれど、ドラッグを持っているなら、ニューヨークに置いていきなさい。もし東京で捕まっても知りません」と言うと、「みんな処分した」と答えました。
無事搭乗が完了し、離陸後、食事が終わるとひとりが「あと東京まで何時間?」と聞くので、私は「12時間くらいかしら」と伝えると「12時間なにをしたらいいんだっていうんだ!?」と、ポンッポンッと次々とモエを開ける音がして、JALのエコノミー・クラス中にシャンパンの匂いが充満しました。そしてひとしきりモエを飲んだ後、みんな寝てしまいました。しばらくして「あとどれくらい?」と誰かが質問するので「あと6時間くらい」と答えると、今度は「お腹がすいた」と言い始めます。スチュワーデスに食べものをお願いすると、機内からおせんべいや食べものをかき集めてくれました。
到着2時間前に再度「みんなクスリは持っていないわね?これはほんとうに重大な問題だから」と確認しました。すると、みんなごそごそとトイレに行き始めるのです。戻ってきてようやく「何も持ってないよ」と約束してくれました。その後、ラジカセを持ち出して、機内で踊りだしました。他のお客さんは不快そうで、機長が出てきて「みんなを落ち着かせてほしい」と頼まれました。さらに着陸前になると、彼らが「ヤバイ!衝突する」と叫びはじめたので、スチュワーデスだけでなく他の搭乗客も泣き出してしまいました。
大盛況のイベント、そして「文化の衝突」原宿でのロックンローラーとの邂逅
葛井:ようやく日本に到着し、一行の宿泊先は、青山のプレジデント・ホテルでした。1晩経ってからマネージャーが私のところに来て、「葛井さん、ちょっとご相談があります、浴衣がなくなってしまったんです」と言うので、「部屋の浴衣ぐらいお土産に持たせたらいいじゃない」と答えると、「そうじゃなくて、倉庫の浴衣が全てなくなったんです」と。驚いて彼らの部屋を探すと、浴衣の詰まったダンボールが見つかったので、みんなを集めて「どこの部屋にあるかは分かっているから、明日倉庫に戻っていなかったら、その人はすぐにブロンクスに帰ってもらう」と伝えました。すると、次の日にちゃんと倉庫に戻っていました。
荏開津:クラブでのイベントの反響はいかがでしたか?
葛井:「ツバキハウス」でのイベントは、ブレイクダンスとラップで1時間くらい。すごい拍手で、終わってもお客さんが帰らない。マネージャーから「もっとやってほしい」と言われて、「モエを出すならやる」ということで彼らはモエを飲みながらパフォーマンスをはじめて、今度はなかなか終わろうとしなかったこともありました。
お客さんの反応は、「見たこともないものを見た」という感じで乗りに乗っていて、泣き出す女性もいて、すごかったです。
それから大阪と京都に行きました。私とファブ・ファイブ・フレディは京都に行って、大阪にはチャーリーとフランが連れていきました。新幹線で京都に着くと、駅で女性ファンがたくさん待っていたんです。「なぜこんなにみんな来ているんだ、日本って女性ばかりだな」とファブ・ファイブ・フレディは驚いていました。
葛井:大阪で合流してから、泊まっていたホテルの部屋からファブ・ファイブ・フレディから電話がきました。「誰かがドアを叩いている」、ドアを少し開けてみると、ファブ・ファイブ・フレディがパンツ一丁で走り回り、その後に、バットを持った男がすごい剣幕で追いかけている。しばらくしてその男が帰ると、ファブ・ファイブ・フレディとロック・ステディ・クルーの部屋に日本人の女性がひとり隠れていたのがわかったんです。おそらく、クラブで彼女をお持ち帰りしたものの、それがヤクザグループの女だったということなんじゃないか、でも真意は現在も分かりません。とにかく、イベントは大盛況でした。
ばるぼら:テレビの取材も葛井さんが全て決めたんですか?
そうですね、私がすべてブッキングしました。「笑っていいとも!」に出たときに、タモリさんがラップのものまねを一緒にやったのですが、素晴らしかったです。
ばるぼら:日本では同じ年の7月に『フラッシュダンス』が公開されて、そこに出ている主演女優のジェニファー・ビールスも「笑っていいとも!」に出演したり、原宿でパフォーマンスをしたりしているのですが、それを参考にされたのでしょうか?
葛井:それは知らなかったですね。『フラッシュダンス』は『ワイルド・スタイル』とは全く違うものだと思っていたので、意識したことがなかった。たぶん宝島が私の本を売るときに『フラッシュダンス』とくっつけたのだと思います。
ばるぼら:ヒップホップの4大要素「ラップ」「DJ」「グラフィティ」「ブレイクダンス」が日本で唱えられたのは、『ワイルド・スタイル』の宣伝のときが初めてだと思うんです。それかどなたたが最初に、言い始めたのでしょうか?
葛井:それはたぶん、私がチャーリーや、彼やファブ・ファイブ・フレディから聞いて、『ワイルド・スタイル』について書いたところから始まったんだと思います。
ばるぼら:『ワイルド・スタイル』で初めてヒップホップという言葉が使われたんじゃないかというくらい、同時期なんですよね。
葛井:たぶんその時には使われていなかったと思います。
ばるぼら:葛井さん自身はこの4大要素のなかで個人的に惹かれたものはあったのですか?
葛井:ありましたよ、やっぱりブレイクダンスは踊りたいと思いました。教わったりもしたんです。でも、基本的には、ラップを歌いたいとか、グラフィティを描きたいというよりも、若者たちのエネルギー、生き様、こういうスタイルで自分たちを表現していくことに惹かれたんです。
ばるぼら:日本のブレイクダンスの歴史を調べていると、新宿・歌舞伎町のミラノ座で先行上映として行われた前夜祭で、日本側からは一世風靡が出演したほか、日本のブレイクダンサーや学生たちも手伝っていたということを読みました。その時は、ブレイクダンスに興味を持ちそうな若者たちをリサーチしていたのですか?
葛井:いえ、私たちがいちばん興味があったのは、原宿の竹の子族やロックンローラーに合わせたいということでした。それでメディアとともに彼らを代々木公園に連れていって、一緒に写真を撮りました。『ワイルド・スタイル』の連中もどこか共通するストリート・カルチャーであると思ったのか、非常に興味を持っていました。ただ、東京とサウス・ブロンクスの豊かさの違いは感じたかもしれないですね。
フラン:チャーリー・エーハン監督はこれを「文化の衝突」と呼んでいます。ロックンローラーたちのファッションがとても怖そうだったので、彼らが自分たちを脅かしている、ケンカが起こるのではとブロンクスのキッズは感じたようです。ビジー・ビーはTシャツをカットして、頭の上に載せて、ロックンローラーたちより自分が強く見せようと「ニューヨークのアーヤトッラー(イランの最高指導者)」だと言いました。そして、私たちが行った後、次の週から初めて原宿でブレイクダンスが始まったそうです。
ばるぼら:1983年に『ワイルド・スタイル』が公開されて、1984年から原宿の路上で踊り始めるチームが出始めました。この頃は竹の子族とローラーはいちどピークを過ぎていたのですが、次の年からブレイクダンス・ブームが来て、歩行者天国でのダンスが再び盛り上がったようです。
フラン:東京に到着した最初の夜、みんなは遊びに行ったのですが、翌朝「どこに行ったの?」と聞くと「地下鉄に乗りに行った」と言うんです。「どうやって地下鉄が走っていると分かったの?」と返すと彼らは「地下鉄は地下鉄でしょ」と。誰にも何も聞かずに迷わず東京の地下鉄に乗ることができたというのは、ニューヨークと東京のストリート・カルチャーに何か共通点があるからではないかと思います。
荏開津:今日のお話をうかがって、『ワイルド・スタイル』が日本でのヒップホップでの始まりということで、映画が公開されたということはもちろん、クラブで出演者たちがパフォーマンスしたということも大きいのですね。
葛井:実は当時、『ワイルド・スタイル』に興味のある人は、イベントのほうに集まってしまったために、クラブは行列ができるくらい満杯でしたが、映画館は、出演者が舞台挨拶に登壇する時以外はガラガラだったんです。来日から3ヵ月後、ロードショーが既に終わっていた頃にメディアにイベントの写真が載りはじめたので、もしその後に公開されていたら、「彼らのことを映画で観たい!」と、もっと映画館にお客さんが入ったんじゃないかと思います。
ですから、こうやって32年後の東京で盛り上がっているのを見て、うれしいし、びっくりしていますね。何十年周期のサイクルなのかな、と知りたいです。
ポーズではなく、自然な生き方から出てきた文化
葛井:チャーリーにも伝えておきます。それから、今の方のお話を聞いてぜひみなさんにお伝えしたいことがあるのですが、今日私たちがここに来ているのは、楽しいことに参加するというのが信条だから。楽しい映画、好きな映画を配給したり、好きなものに自分たちが関わっていく。ただ、好きなだけでは何もなくなってしまうので、それを同時にビジネスにできないか、という発想で我々は生きています。ぜひ、楽しむだけじゃなくて、それを糧にして自分で何かやっていくほうがいいと思います。
フラン:みんなほんとうに素敵な人たちです。当時はとてもナイーブな年頃で、ただ楽しみたかったんだと思います。
葛井:自然にワイルドにしなければいけなかった。ポーズではなく、自然な生き方から出てきた文化だった。それが『ワイルド・スタイル』の魅力だと思います。現在、同じような映画をラップ・ミュージシャンで作っても、こういう生き様が出てくることはないでしょう。
数年前、25周年で、エンディングに出てくる野外劇場でイベントが開催されたんです。ビジー・ビーをはじめ、当時ワイルドだったキッズがみんなお父さんになって、子供を連れて来ていました、彼らの子供がブレイクダンスをやっているんですよ。現在でもコミュニケーションが続いているビジー・ビーもファブ・ファイブ・フレディも、『ワイルド・スタイル』を通して、アーティストとして成長していった。それは、単なる不良ではなく、アーティストとしてきちんと生きているから。
フラン:会場の外のギャラリーに展示されていたラジカセを見ましたか?(「WILD “BOOMBOX” STYLE‐ラジカセで辿るHIPHOP30年の歴史‐」)当時のB-BOYは有名になると、自分でラジカセを担ぐのではなく、付き人にラジカセを担がせて街を歩いていました。私たちはまだこの文化のなかで新参者でしたが、そうした人たちを見ると「この人にステイタスがあるんだ」ということが一目で分かったのです。
当時はロック・ステディ・クルーもファブ・ファイブ・フレディも知られてはいましたが、そこまで有名ではありませんでした。現在のヒップホップは自分のステイタスを誇示するためにポーズをしますが、当時は自分を強く見せるしか生きる術がなかった。そこが違いです。ジャラジャラとアクセサリーを身につけるヒップホップのファッションも、自分がお金持ちなんだとアピールするためのものではなく、ただ楽しむためにやっていたのです。
Bボーイよ、楽しみ続けるんだ
(チャーリー・エーハン監督)
葛井:私たちが行ったのは1978年か79年くらいです。ジャマイカの青空クラブや、サンスプラッシュでも、キュッキュッとやっているのを見たので、そこから来ているのではないでしょうか。
フラン:DJがバトルをしていました。
荏開津:ヒップホップのルーツを作ったと言われるDJのクール・ハークもジャマイカ出身ですからね。
葛井:私は彼に会ったことがないのですが、きっと気難しい性格なんじゃないでしょうか。来日についても、もともと興味がなかったのか、オーディションにも来ていないですし。今度チャーリーに聞いてみます。
ばるぼら:リーはグラフィティを人前で描くというのがイヤで、今作に出てくる作品も実はリーが描いていないという話もありますよね。だから、自分がアンダーグラウンドという意識があったんじゃないかという気がします。それから、チャーリー・エーハン監督とはその後、新しい映画を作る予定だということが葛井さんの本に書いてあったのですが?
葛井:あの時はチャーリーと次の作品を作ろうかという話はしていましたが、なかなか難しかった。チャーリーは『ワイルド・スタイル』一筋ですから、今でもこれ一本で生きています。
フラン:チャーリーと彼の奥さんとは映画ができたときから現在までずっと友情を築いています。チャーリー・エーハンからメッセージを預かっているので、披露します。
「東京は1983年に行ってからずっと大好きな街です。サウス・ブロンクスから36名のヒップホップのパイオニアを日本に連れて行って、東京の魔法にかかりました。以前ツアー・ブックに書いたこの言葉をみなさんに送ります。“グラフィティはニューヨークで最も面白いことだ。Bボーイよ、楽しみ続けるんだ”」。
──チャーリー・エーハン
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K DUB SHINE「『ワイルド・スタイル』はヒップホップというアートの博物館」
ヒップホップを作っていた人たちが実際に登場、記念碑的映画を巡るトークショー・レポート(2015-03-28)
http://www.webdice.jp/dice/detail/4643/
80年代サウス・ブロンクスの熱気と美意識をそのまま封じ込めた『ワイルド・スタイル』論
ストリートの"現象"から生まれたヒップホップというカルチャー(Text:荏開津広)(2015.3.13)
http://www.webdice.jp/dice/detail/4624/
『チャーリー・エーハンのワイルドスタイル外伝』
著:チャーリー・エーハン
翻訳: 伯井真紀
発売中
2,808円(税込)
208ページ
PRESSPOP GALLERY
購入は書影をクリックしてください。amazonにリンクされています。
映画『ワイルド・スタイル』
渋谷アップリンクにて公開中、
他全国順次公開
1982年、ニューヨーク、サウス・ブロンクス。グラフィティライターのレイモンドは、深夜に地下鉄のガレージへ忍び込み、スプレーで地下鉄にグラフィティを描いていた。レイモンドのグラフィティはその奇抜なデザインで評判を呼んだが、違法行為のため正体を明かせずにいた。もちろん、恋人のローズにも秘密だ。ある日、彼は先輩のフェイドから新聞記者ヴァージニアを紹介される。これまでに何人ものアーティストを表舞台に送り出してきたバージニアから仕事の依頼が舞い込むが、仕事として描くことと自由に描くことの選択に思い悩む……。
監督・製作・脚本:チャーリー・エーハン
音楽:ファブ・ファイブ・フレディ(フレッド・ブラズウェイト)、クリス・スタイン
撮影:クライブ・デヴィッドソン キャスト:リー・ジョージ・キュノネス/ファブ・ファイブ・フレディ(フレッド・ブラズウェイト)/サンドラ・ピンク・ファーバラ/パティ・アスター/グランドマスター・フラッシュ/ビジー・ビー/コールド・クラッシュ・ブラザーズ/ラメルジー/ロック・ステディ・クルー、ほか
提供:パルコ
配給:アップリンク/パルコ
宣伝:ビーズインターナショナル
字幕:石田泰子
字幕監修:K DUB SHINE
1982年/アメリカ/82分/スタンダード/DCP
公式サイト:http://www.uplink.co.jp/wildstyle/
公式Facebook:https://www.facebook.com/1536356179967832
公式Twitter:https://twitter.com/WILDSTYLE_movie
書籍『URBAN PERMACULTURE GUIDE 都会からはじまる新しい生き方のデザイン』を監修したソーヤー海さんは、「共生革命家」という肩書で、森や伝統的な農業の方法から持続可能な生活・文化・社会のシステムをデザインする「パーマカルチャー」(パーマネント[permanent]とアグリカルチャー[agriculture]を組み合わせた「永続する農業・持続型農業」という意味の造語)という生き方を都会で広めようと、ワークショップや講演活動を続けている。今回は、4月25日(土)より公開となるドキュメンタリー映画『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』を観た海さんに、自身の活動を踏まえたこのドキュメンタリーの感想、そして提唱する都市でのパーマカルチャーの可能性について、逗子のご自宅でお話をうかがった。
『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』で浮き彫りになる
“大人の事情”と“子供の事情”のギャップ
家族で種を巡る冒険をしているようだった。それから、監督の息子のフィンの種が好きというのも、とてもステキ。僕も種好きだし(笑)。種って無限の可能性を持っているからね。
きっと、モンサントや他の種子企業も知っているんだ、種は命そのもので、すごくパワフルだということを。彼らは、それらを利益にしているんだ。今の社会は、種と人との間に距離が出来てしまって、そこに企業が入り込んできている。
それから、セイファート監督の家族たちがホールフーズで買い物するシーンでもあるように、多くの人たちは企業がつくったブランドやラベルを信頼して、食べるものを選んでいる。“自然食品”の定義なんてないようなものなのに、ボトムラインが利益である企業を信頼しているってことさ。それって、大丈夫なのかな?
食料と人が直接関われていない、ここにも企業が入り込んでいる。何が一番安くて安定して供給されるかが優先事項となってしまっている。ファストフードや肉食を支える工業的大量生産、近代的な暮らしを支えるための遺伝子組み換え食品がここまで広がっていることをもう一度考えなおさなければいけないと思う。身の丈以上になった食料と人との関係を正していかないと。
この映画は、家族でその食料と人との間の問題に取り組んでいる。途中、何食べていいいか分からなくなって家族が暗いムードになったりとか、監督が食産業の裏側について本気で怒ったり、深刻なシーンも登場するけど、子どもたちがユーモアを与えてくれる。子どもの素直さに救われるんだ。
僕がいつも理解に苦しむ言葉で“大人の事情”というのがある、それって大体お金のことなんだけど、モンサントや企業がしていることは、まさに“大人の事情”。お金や利益のことが一番さ。この映画は子どもたちの視点がはいることで、“大人の事情”が浮き彫りにされて“子どもの事情”(洗脳されていない心)とのギャップが面白いね。
関心を持たない人を、
楽しく「やってみよう!」という気持ちに
感じるのは、今の日本ではいっぱい生き方を変えたいと思っている人がいて、ただ、どうしたらいのか分からない。それは、魅力的なオプションがないんだなと思う。本当であれば、それを自分で見つけるのがいいと思うんだけれど、生き方を変えるのは難しい。お金がもっとも大切だっていう〈資本主義教〉で育っているから、「食べていけるか心配」、そのシステムから抜けようとすると「仕事は辞めないほうがいい」「将来のことを考えろ」と周りに止められる。〈資本主義教〉のなかにいると、その外が見えないし、恐れがある。
だから知らないだけで、世界中にはいろんな魅力的な事例が実はあふれていて、それらをこの一冊に詰め込んでみた。自分で食べものを育てはじめると、ちょっとずつ買う必要がなくなっていって“消費”から自立できて、自分の手で食べていけるようになる。だから、お金を作ってそれを交換するんじゃなくて、自然と直接触れ合って、土を感じて、育てていく力を身につけていってほしいんだよね。
おしゃれなパッケージの育てやすいエディブルな(食べられる)種と、使いやすい道具です。日本の農具ってすごく使いにくい。例えば鍬(くわ)とか短くて、体格の小さい人向けに対して、アメリカ製の鍬は長いので、背筋を伸ばしながら作業できる。日本人はもともと小さい体格で、時代を経て体格が大きくなっているけれど、農具がそれに合わせて進化していない気がする。それとパーマカルチャーをしっかり身につけるための「道場」を日本で作ろうとしている。命と文化を育てられる人、特に若者をどんどん増やして行きたい。
僕はもともと心理学を勉強していて、人の心に興味があるんです。この本で書かれていることは、昔から言われていることばかりで、パッケージが違うだけなんです。でもパッケージが変わらないと一般の人に受け入れ難い。そこが次の第一歩なんです。
まず興味を惹かれるかどうか。この本ではインパクトが強い写真をたくさん使っていたり、倫理的な事より楽しさ、豊かさを表現しています。そうやって、いかに一瞬でその人の意識を引き込むかが大事だと思っているんです。
本の構成としては、ガーデニングやDIYの他に、心やスピリチュアルなことや、反資本主義的なことも入っている。それらは昔からある考え方だし、ラディカルで、今の消費社会ではなかなか関心を持たれない。チェ・ゲバラのTシャツと同じ感覚で、ひとつの商品としては消費されるかもしれないけれど、実際にやるところまでいき難い。そこを変えるために、いかに楽しそうに、やってみよう!という気持ちにさせるか、を考えてこの本を書きました。
今の時代は、倫理的なことって伝わらないと思う。ネットやSNSで浅く繋がっているけれど、倫理やモラルが共有されないから、完全に消費とビジネスが最優先される。もちろん、人を大事にすることや環境に配慮することは大事だけれど、やっぱり「食っていかなければいけない」、というメンタリティ〈資本主義教〉が根深くみんなの頭の中に入ってしまっている。だから、環境問題に敏感な若いお母さんと昔からの活動家以外の、あまり関心を持っていない人たち(信者)にどうアプローチしていくかが最前線だと思うし、そこが変わっていくと、また面白くなっていくんじゃないかな。
声高に企業を批判する映画よりも、今、起きている出来事や新しい生き方についてを、アートな感覚で描いた作品のほうが、より広い人が共感できると思うんだ。問題を共有するって難しいことで、「悪者だ!」というメッセージだけでは、オーバーロードされている人や悪い情報の依存症になってしまっている人しか反応しなくなってしまうこともある。
この本で僕が唯一不満に思っていることは、事態の深刻さが伝わらないこと。「楽しく生きよう!」ということを書いているけれど、実はすごくヤバいと思っている。みんなここに書かれていることをしっかり実行すれば変わると思うけれど、事態の深刻さと一般社会の関心の低さに愕然とする事が度々ある。
GMOだけでなく、根源的なものは企業のあり方が問題だよね。企業が持っているパワーが半端ない。アメリカの政治を見ていても、企業のトップが政治家になっている。議員を辞めたらすぐ企業にロビイストとして雇われ、労働組合や市民団体を徹底的に潰してきた。バラバラの一般市民が対抗できる相手じゃないんだ。
共に手をとって団結するということが下手になっている時代。どちらかというと個人プレーが推進されて、自分の世界に閉じこもるためのテクノロジーが大普及している。それを見直すことは、とても大事だと思っているんです。安全な食というのは生きて行く中で最重要なはず。それを思い出すために、タネを植えて、生ゴミを土に変えて、仲間とともに「株式会社日本」を本質的な民主主義に変えて行こう!
1983年東京生まれ、日本とハワイ育ち。カリフォルニア州立大学サンタクルーズ校で心理学、有機農法を実践的に学ぶ。2004年よりサステナビリティーの研究と活動を始め、同大学で「持続可能な生活の教育プログラム(ESLP)」のコース運営に携わる。コスタリカで自給自足生活を学んだ後、日本へ帰国し、共生に関わる活動を中心に、東京大学大学院新領域創成科学研究科サステナビリティ学教育プログラムに参加(自主退学)。現在は「東京アーバンパーマカルチャー」を主宰し、持続可能な生活・文化・社会のシステムをデザインする「パーマカルチャー」の知恵と心を、東京をはじめ日本各地で、ワークショップなどを通じて精力的に拡げている。より愛と平和のある社会を自分の生活で実践しながら、社会に広めている。
ブログ:東京アーバンパーマカルチャー
http://tokyourbanpermaculture.blogspot.jp/
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『URBAN PERMACULTURE GUIDE 都会からはじまる新しい生き方のデザイン』
監修:ソーヤー海(共生革命家)
編:東京アーバンパーマカルチャー編集部
発売中
1,944円(税込)
184ページ
出版:株式会社エムエム・ブックス
購入は書影をクリックしてください。amazonにリンクされています。
映画『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』
4月25日(土)より渋谷アップリンク、名古屋名演小劇場、横浜シネマ・ジャック&ベティほか全国順次公開
監督:ジェレミー・セイファート
出演:セイファート監督のファミリー、ジル=エリック・セラリー二、ヴァンダナ・シヴァ
協力:大地を守る会、生活クラブ生協、パルシステム生活協同組合連合
字幕:藤本エリ
字幕協力:国際有機農業映画祭
配給:アップリンク
2013年/英語、スペイン語、ノルウェー語、フランス語/85分/カラー/アメリカ、ハイチ、ノルウェー
公式サイト:http://www.uplink.co.jp/gmo/
公式Facebook:https://www.facebook.com/gmo.movie
公式Twitter:https://twitter.com/uplink_els
食の安全を願う「家族」の視点により、遺伝子組み換え作物がいかに私たちの生活のなかに拡大しているかを取材し、遺伝子組み換え食品=GMOをめぐる問題点を描くドキュメンタリー映画『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』が4月25日(土)より公開。今回webDICEでは、日本公開にあたり来日したジェレミー・セイファート監督に、アメリカでの上映時のエピソードや、現在の全米各州の遺伝子組み換え食品の表示を巡る市民運動について聞いた。
企業により多くの生物多様性が失われている
ふだん家族で食べている食べものを調べてみると、農薬を作っている会社が私たちに食べものを売っている、その事に気づきました。その事態を深刻に感じ、この映画を作ることにしました。ですので、家族を巻き込んだというよりも、家族の映画を撮ることで、既に巻き込まれている私たちの問題を描けるのではないかと思ったのです。
デボラ・ガルシア監督の『The Future of Food』(2004年/邦題『食の未来―決めるのはあなた』)は観ましたが、あまり他の作品に影響されたくなかったので、それ以外は観ていないです。
いくつもありますが、Bt(微生物殺虫剤)や遺伝子組み換え作物が農薬として登録されていることです。そして、化学企業が私たちに彼らの作っている食品を買わせるようと、市場を統制していることです。私はてっきり自分たちの食べている食べものが農家から来ていると思っていましたから。確かに農家が作っていますが、企業がコントロールしている実態に大きな衝撃を受けました。
私は種について取材を続けていくなかで、限られた種類の作物を単一栽培する「産業化された農業」によりいかに多くの生物多様性が失われているかを知りました。
子どもたちとの制作は、様々なことに驚いたり不思議に思う気持ち、「センス・オブ・ワンダー」を私に取り戻させてくれました。世界の様々な問題は、この「センス・オブ・ワンダー」の欠如により生まれていると感じています。
子どもが一緒にいてくれたおかげで、常に「彼らにとって何が最も大切なのか?」を思い出させてくれました。私の想像力を解放させてくれたおかげで、このシリアスな問題を映画にするうえで遊び心を加えることができました。特に、遺伝子組み換え食物について説明するときにイラストレーションを多用したり、トウモロコシ畑をガスマスクをつけて走り回ってみたりすることで、農薬を作っている企業とオーガニックの対立構造を、ビジュアルで表現することができました。
これこそアメリカ人が見るべき現実だと思ったからです。ハイチの人の運動と比べると、私たちがいかにGMOの現実について知らないかが分かりますし、アメリカ人が失ってしまったものを彼らは奪われないように闘っている。そして、奴隷制度とGMOは繋がっていると思います。
アメリカ人の知る権利を否定する運動
直接的に私に対してというのはなかったし、訴訟を起こすということもなかったです。それは、映画で取り上げられている情報すべて事実に基づいていて正確だからです。ですので、やろうと思ってもできませんただ、いわゆる主流メディアが一切取り上げなかったということはひとつの現れだと思いますが、メディアはほとんどがGMO業界派です。その業界のメッセージに影響を受けていて、なおかつ、業界からお金をもらっているという状況があります。ですので、取り上げられなかったことは別に不思議なことではないんです。ひとつの例として、保守派の老舗雑誌・ニューヨーカーが私の作品を酷評したんです[『“OMG GMO” SMDH』(「GMO OMG」には呆れた[SMDH=shaking my damn head])]。それを鬼の首をとったかのように「この映画はこんなに酷評されているんだぞ」とモンサントがツイッターが流して、私の映画がいかにだめなのかを知らせようとしていました。
また、はっきりとした理由は分かりませんが、上映してくれると言っていた劇場が急遽キャンセルしてきたり、『DIVE!』という食料廃棄問題をテーマにした前の作品では、NPR(ナショナル・パブリック・ラジオ/日本のNHKにあたる放送局)から何度か取材を受けたのですが、『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』では一回もオファーされなかった。モンサント社はきっとそのNPRに賄賂を贈っているんじゃないかと思います。
それから、モンサント本社のあるミズーリ州セントルイスで今作を上映するために「AMCシアター」というシネコンを借りて、地元の新聞に「モンサント社の社員は無料でご招待します」とカラーの見開きの広告を打ったですが、誰も来ませんでした(笑)。
今回取材したなかで、土の問題は種の次に重要です。土壌そして水が良くなければ良い作物は育ちませんし、農薬会社が推進する農業は、土の健康や肥沃さをまったく考えていません。あたかも天然肥料のように製造された人口肥料によって、人体にも影響を与えているのです。
現在の農薬会社が進めているのは、未来を考えない、愚かなやり方だと思います。昔の人々たちから受け継いできた肥沃な土壌は私たちの財産です。それがどんどん失われていき、このようなやり方を続けていては、農業ができる土壌が失われてしまいかねません。
社会全体が、どうすればこの問題を解決できるか分かっているはずです。この豊かな土壌を保つために、以前よりよりよい状態にすること、そして多くの種類の作物が作れる土壌にすることです。草の根的に、そうした土を取り戻す活動が行われていることは希望だと思います。しかし、まだ小さすぎます。もっと大きい活動にしていくことが必要です。
アメリカ国内では小規模のオーガニック農家やファーマーズ・マーケットが急激に増えています。青空市場や地域が農家を応援するCSA(Community Supportive Agriculture、地域で支える農業)、森や伝統的な農業の知恵から学んで持続可能で高い生産性を持つ生態系を作るパーマカルチャー(パーマネント[permanent]とアグリカルチャー[agriculture]を組み合わせた「永続する農業・持続型農業」という意味の造語)、ニューヨークやシカゴなどの都市部で野菜を育てようとはじまっている垂直農法など、様々な動きが起こっています。しかし、それに対して遺伝子組み換えを推進する人たちは、TPPを利用して、私たちの動きを封じ込めようとしています。
映画を撮り始めたときは、まったく話題になっていませんでした。作り終える頃にカリフォルニアの「プロポジション37」という表示を義務付ける提案がなされて、それに続いて他の州でも同じような動きが起こりました。そうしたことで次第に認識が高まってきました。私の映画もわずかですが知ってもらうことに貢献したと思います。それでも、70パーセントくらいの人がGM食品を食べながらも、そのことを知らないのではないでしょうか。
その後、バーモント州が表示義務についての法案を通過させて、義務付ける方向に進みましたが、GMA(Grocery Manufacturing Association)という食料品店とメーカーの団体にアメリカの憲法の修正条項第1条の侵害ということで訴えられました。言論の自由、自分たちにとって悪いことは言わなくていい、つまり企業にとって不利になることは書かなくてもいい、という権利を持ちだしてきたのです。
通過はしましたが、訴えられてしまったためまだ実現していないです。訴訟はおそらく最高裁までいくと思いますので、3年はかかると思います。さらに、業界から各州へ、通称「DARK」(Deny Americans the Right to Know、アメリカ人の知る権利を否定する運動)と呼ばれる動きが生まれているのです。
それはコネチカットとメインですね。バーモントは違います。だから他の2つの州は訴えられていないのです。圧力なのかどうかは私にはわかりませんが、ただ、すごく馬鹿げたことですよね。現在、遺伝子組み換え表示の義務化に反対する「H.R.4432」という法案が提出されています。
現在20から22の州が表示法案成立へ向けて動いています。しかし、資金不足などで十分な活動ができない状況です。
バイオ企業のロビー団体から何千万ドルという単位の献金や広告が投入されている。全ては金です。ロビー活動をすることによって、法案が成立しないように動いている。知る権利を持っている州の人よりも、企業のほうが上に立っているという構造になってしまっているのです。
私たち一般市民は数では彼ら大企業に負けませんが、何もしないのでは意味がありません。私たちの持っている権利を放棄したら、彼らに力を与えてしまう。選択の余地がなくなり、彼らの商品を買わざるをえなくなるという事態になってしまいます。GMOゴジラが私たちを攻撃しつつあるのです。人民の、人民による、人民のための政治である民主主義があっても、参加しなければ意味がないのと同じで、食べものについても自分たちの権利を放棄してはいけません。諸悪の根源は、利益の追求、拝金主義なのです。
種子貯蔵庫も必要だが自分たちで種を守っていくことが大切
ビル・ゲイツのことについては、様々な陰謀論がささやかれているので、真実を知ることが必要です。あのスヴァールバル種子貯蔵庫はノルウェー政府が建設し運営していて、ビル・ゲイツは「グローバル作物多様性トラスト」に寄付をしており、この財団が種子の輸送に資金を出しているのです。
彼はGMO賛成派なので、この種子貯蔵庫の輸送に関わっていることについては反対ですが、貯蔵庫自体は、災害が起こったときのバックアップとして、あってもいいと思っています。イラク戦争の時にも、イラクにあった種子貯蔵庫が失われてしまいましたし、フィリピンの種子貯蔵庫も災害で失われてしまいました。
スヴァールバル種子貯蔵庫は、各国の種子会社は品種ごとの寿命によって新しい種を提供しなければいけません。今作にも出演しているインドのヴァンダナ・シヴァは、GMOの問題について常に取り組んでいますが、彼女もインタビューしたとき、次のように語っていました。「スヴァールバル世界種子貯蔵庫は、世界の種子の1パーセントにしか貯蔵庫が扱えません。残りの99パーセントは種子を交換したり保存したりする『Seed Saving Exchange』(種子保存交換協会)といった団体のような活動が大切になってきます。そして環境の変化に応じて作物も変わってくるので、最終的には、種の安全は自分たちで守っていかなければならないのです」。
1976年生まれ。2010年、初監督作品『DIVE!』は食料問題や飢餓を解決することが環境問題における抜本的な改革として紹介し、世界中の22の映画祭でさまざまな賞を受賞した。その後、制作会社コンペラー・ピクチャーズを創設。現在、映画監督として、また環境活動家として、アメリカ中を旅して、人道主義と環境問題について講演を行っている。本作『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』は2作品目にあたる。現在(2014年)、ジェレミーと妻のジェンは、ノースカロライナ州アシュヴィルにフィン(7歳)、スコット(4歳)、パール(2歳)の3人の子供と一緒に住んでいる。
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グローバリゼーションという暴力に我々はどう立ち向かうか『シティ・ファーマー:世界の都市で始まる食料自給革命』
(2015-03-09)
http://www.webdice.jp/dice/detail/4605/
巨大バイオ企業による食の支配を許すな!遺伝子組み換え食品を「家族」の視点で追求するドキュメンタリー
映画『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』セイファート監督語る(2015-3-4)
http://www.webdice.jp/dice/detail/4614/
映画『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』
4月25日(土)より渋谷アップリンク、名古屋名演小劇場、横浜シネマ・ジャック&ベティほか全国順次公開
監督:ジェレミー・セイファート
出演:セイファート監督のファミリー、ジル=エリック・セラリー二、ヴァンダナ・シヴァ
協力:大地を守る会、生活クラブ生協、パルシステム生活協同組合連合
字幕:藤本エリ
字幕協力:国際有機農業映画祭
配給:アップリンク
2013年/英語、スペイン語、ノルウェー語、フランス語/85分/カラー/アメリカ、ハイチ、ノルウェー
公式サイト:http://www.uplink.co.jp/gmo/
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第67回カンヌ国際映画祭で批評家週間グランプリを受賞したウクライナ映画『ザ・トライブ』が4月18日(土)から公開される。今作は、聾(ろう)学校を舞台に、ひとりの少年が寄宿学校内の不良グループに入り犯罪や売春に手を染めていくようになる過程を、すべての出演者に聾唖者を起用し、全編手話により表現している。
webDICEでは、今作を観た牧原依里さんと諸星春那さんの対談を掲載。アップリンクの「配給サポート・ワークショップ」に参加しているふたりに、聾者の視点から、この作品の映画的手法や描かれる聾学校の生活、そして日本の聾者をめぐる環境について語ってもらった。手話による対談は、ふたりの友人の城戸さんと安部さんに同時に文字入力をしてもらいながら行った。
■手話という視覚的言語と長回し
牧原依里(以下、牧原):正直言うと、この映画を観て、「やられた」と思いました。何故かというと、映像制作者として、また小さい時から映画を観ていてずっと感じていたこと、この映画の監督は見事にやってのけたからです。また、こういう映画は、聾者が監督でないと難しいのではと思っていた自分がいましたが、それを聴者が実現してしまいました。この監督は類まれなる観察眼の持ち主だと思います。
諸星春那(以下、諸星):私の場合、芸術視点的というか、好みもあるかもしれないのだけど、作品としての質も含め、映像作品として完成度が高いと、観ていてそう感じたし……“字幕なし・言語は手話のみ”という事に関しては台詞と音楽に頼ってない事の証明でもあるし、そういった意味ではごまかしがきかないのだから……あえて、そういう表現したことで、すごいなーと。
観終わった後に『岸辺のふたり』というイギリスとオランダで制作されたアニメーション映画を思い出したんですよね。台詞がない作品で、風景を観ている感覚にも似ていたからなのか、思い出したのかもしれない。
牧原:そうですね。この映画を語る上で、ポイントが二つあるように思います。一つ目は撮り方。二つ目は、聾者像の捉え方。話が長くなってしまいますが……この映画は長回しといった非常に大きな特徴がありますね。長回しというのは、観る人が集中力を強いられる。だから、逆に見えないところも見えるようになるといった効果が生まれると思います。この監督は、実にサイレント映画的な手法をとりますね。この映画では、起こっている出来事全てをそのままストレートに映し出している。この技法は、この監督に限らず、今まで様々な監督が行ってきていますよね。
『ザ・トライブ』がそれらと何かが違うのかというと──「聾者の生の手話」をモチーフとして使ったということ。前から常々感じていたことなのですが、手話という視覚的言語は、映像に残す時、固定と長回しの技法に適している。プレスシートに記載されていた言葉──「アクション言語」という言葉を拝借するならば、手話を話す時に、アクションのように常に身体を動かしている。顔の表情も文法の一つなので、全ての身体をフル稼働しているわけです。そんな手話を映像として撮る時、映像がぶれていると、映像と手話の動きが不和協音になって、鑑賞者──特に聾者にストレスを与えやすい。
例えば、声が伴う音声言語では、カットの切り替えの連続でも、音がひとつながりになっているので、その音を基にカットを一連として観やすいわけです。しかし、身体や顔の動きが伴う手話では、カットの切り替えの連続に非常に神経を使わなければならない。前後のカットで、その人が話す手話──表情、手の動き、身体の動き、間など。それらを巧く繋ぎ合わせる必要があるわけです。手話が言語であるが故に、ちょっとしたズレが、鑑賞者──特に聾者にストレスを与えやすい。なので、手話そのものを視覚的映像として伝えたい場合、一番効果的なのは長回しになる。
今回の場合、監督が、映画は映像的なものなのだ、ということを伝えるために使った長回しが、聾者の手話の特徴と、かっちりと嵌った。見事なまでに。監督はそういう特徴を分かっていて、計算してそういう手法をとったのかなぁ?と。
■聾学校の特徴的な閉塞感が身にしみる
諸星:そういえば、監督がキャスティングに1年かかったという事をプレスシートで読んで知ったのだけど、それに時間をかけていたことに対して、とても意味があることだなぁと。
牧原:どうしてそう思ったの?
諸星: やっぱり、聴者の役者が聾者の役をやるのはどうしても無理があると私はそう思う。演技の限度があると思うし、だから、そう言う意味では監督は自身の描く世界観に適している人、つまり、素人の聾者を探し求めていたんだなと読んで、そう思ったの。それから、『ザ・トライブ』の舞台となる聾学校の特徴というか、醸し出されているそのもの……閉塞的な雰囲気がまさにそれ。私にとってはそれがものすごーく身にしみてきたんだよね。
牧原:すごく分かりますね。聾学校を経験した人は皆共通したものを感じるのかもしれない。
諸星:聾学校の閉塞感というものは……おそらく聴者から見て、共感しにくい面もあるのかもしれないけれども、ああいう世界は未知の世界というふうに捉えているのかもしれない。
要するに、聾学校は聾者と先生だけの世界で、世間も含めて外部の世界とのつながりや関わりが薄いというものあって、ああいう特徴的な閉塞感がよく表れていると、とても実感したんだよね。
牧原:そうですね。そういう閉塞感を含めて、この映画自体が「聾者がいる!」って感じました。「聾者がいる……何が?どういうこと?」と聞かれると、上手く説明できないのだけれども……。聾学校という舞台、聾コミュニティに属している彼らが無意識に行っている行動様式、聾者の生存様式そのものをできるだけ忠実に表現しようとしている。当たり前のことなのだけれども、その当たり前のことが今までの商業映画では表現されてこなかった。だから、ウクライナ手話はわからないけど、人間としての感情を掴むことができる。何も分からないのに、手話の感情が伝わってくる。それは手話そのものを言語として、自分の血として、肉体として、骨として身に付いている聾者がありのままを演じているから。この映画は聾者なくしては成功できなかったと思う。
牧原:そうそう、私もそう思います。
諸星:同感です。特にヨーロッパでは移民問題が多く、それについて疲弊しているような印象があるのですが、社会問題を意識している方や現状について色々と知っている方なら、観ていてそういったものの何かを感じ取っているのではないかと思います。
牧原:知人から聞いた話なのですが、とあるウクライナ聾の家族は、仕事のためにアメリカに渡り、戸籍もアメリカに変えていたのだそうです。あくまでも推測でしかないのですが、物価は上がっているのに収入が下がっていくというウクライナの状態に対してそうせざるを得ないウクライナ人も大勢いるのではないかと思います。そういった意味も含めて、ウクライナという国というものがその作品にも反映されているように見えますね。今の日本では、自国に苦しんで他の国に行く、っていうのはまず一般的ではないですから。話が違ってしまいますが、「閉鎖観から逃れる」と言ったら、今思えば、私も聾学校の閉塞感が嫌で逃れたようなもの。
諸星:私も聾学校に通っていましたので、あの閉塞感が堪らなくて、将来的に先が見えない状態が嫌で、どうやっていけばよいのかわからなかったし、とにかくそこから出なきゃ!と本能的にというか危機感を持っていました。なので、あの頃はものすごく痛感していたので、観ていて、あの頃の記憶と気持ちが再び、よみがえてきて、身にしみきった感じだったな。
牧原:逆に、今まで普通学校で育ってきて、そこでリアリティを感じられなかった聾者は、聾学校に入る事で現実感を取り戻したという人も多くいると思うね。良くも悪くも、今回の作品は監督の考え方が反映されて、たまたまそういう設定のコミュニティだったということ。
諸星:映画の中に本当の聾コミュニティがそこに描かれているから、経験者の視点から観て、色々と感じる部分もあるだろうし、共感しやすいということなのかも。
牧原:うんうん。共感できる人物……私、ぶっちゃけ、小2まで聾学校にいたんだけど、自分がボス的な存在だったのではないかと思う(苦笑)。
諸星:牧原さんを見ていればわかることだわ?!今も?(爆笑)
牧原:(笑)。もしあのままだったら……って思う時もある。聾学校を否定するわけではないのですが、自分の親が聾者なので、そういう意味で視野が狭かったし、聾学校内で援助交際みたいなものも流行っていたし、暴走族っぽい所に入っている人もいた。あくまでも、私が通っている聾学校、私が育った時代がたまたまそうだっただけなので、聾学校全てがそうじゃないことを前もって説明しておきます(笑)。今の時代、聾学校はもっと変化していると思うので。で、あのまま育っていたら、と思うと身につまされる思いになるっていうのはありますね。あの頃の私は外の世界を知らなかった。そういう意味で、登場人物に共感できるというわけじゃないけど、もしかしたら自分の一部が映画の中、映画に出ている人たちに共通している部分もあるんじゃないかと思っている。微妙な共感というのもある。
■実は手話は世界共通ではない
諸星:手話は世界共通語ではないので、各国の言語があるのと同様に手話も各国の手話が実在しているけど、聴者は手話は世界共通しているという思い込みというか、勘違いがとても多いのだけど……。
私もウクライナ手話はわからないのだけど、観続けているうちによく出る手話があって、話の流れと行為の前後のあたりでその手話の意味が分かってくることもあったよね。
牧原:あったね。「美しい」とか「早く」とか。ウクライナ手話は日本手話と違って激しい!ウクライナの文化背景や生活環境から影響されているのではないかと思った。言語にも関わりがあるよね。
諸星:私が思うには聾者と聴者とも会話のスピードというか、その辺はそんなに変わらないというか、差はないのかもしれない。
牧原:そう?スピード的には、手話の方が早いと思うけども。
諸星:それは視覚的に見て、そう感じるからじゃない?
牧原:私、前に某大学に講演に行ったことがあるんだけど、その時に手話通訳者が、私の話すスピードについていくのに必死だった。それで、その講演を受講した人たちのアンケートの中に「手話って早いんですね」と書いてあった。手話通訳者の通訳が終わるのを待っていたぐらいだもん。
諸星:なるほど。講演での内容を音声日本語に置き換えると、やはり説明的な文章のように長くなりやすいのでは?
牧原:翻訳として、っていう意味?
諸星:そうそう。話す感覚としては聾者も聴者も関係なく同じという意味を言いたかったの。
牧原:言語として、って意味よね。
諸星:うん、それは母語だから。自然に話している感覚というか、聾者も聴者もそこまで意識しながら、常に話している訳ではないだろうし……なんだか話が壮大になってきたような?!(笑)。
牧原:そうだね(笑)。聾者像の捉え方について話を戻すと、この映画では、鑑賞者が透明人間になって、主人公や聾学校にいる聾者たちを追っていく、いわゆる聾の世界を「体験」する形になっている。手話を知らないまま大勢の聾者がいる所に行ったことがある人がこの映画を観たら、デジャヴな感覚が蘇るのではないでしょうか。それから、監督は聾者を撮る時に、聴者からの視点をできるだけ排除していることが分かります。できるだけ、聾学校という所にいる彼らの普段の姿を客観的な視点で撮ることを心がけていたことが映画から伺えます。そのために、役者に聾者を選んだのだろうし、聾者たちについていろいろリサーチしてきたのでしょう。だからこそ、聴者はこの映画を観ていて居心地が悪い感覚を覚えるかもしれないし、逆に聾者は共感を覚えやすいのではないかと私は思います。
諸星:日本の場合、やたら、お涙頂戴的な内容や美談が多いよね?!聴者から見た聾者像が偽りそのものみたいな感じがするから、どうもね……。先入観を持った聴者が観たら、衝撃が大きいのかもしれない。
牧原:そうだね。他の映画では、「聴者の視点」から見た聾者像がある。「聾者はこうだろう、こうであるべきだ」という先入観が埋め込まれている。聴者側にフィルターがかかっている。
諸星:そういうのは色眼鏡に近いってことなのかな?
牧原:うーん、そうだね。そういった映画を観た聾者の感想は大まかに二つにわかれると思う。一つは、「おいおい」ってその映画に突っ込む、聴者からみた聾者像はこんな感じなんだ?ふーんっていう感じ。もう一つは、「聾者って頑張っているんだ、すごいと思われる存在なんだ。だから私は特別なんだ」……?ってある意味洗脳される。この二つに分かれると私は勝手に思っています(笑)。
諸星:『ザ・トライブ』の場合はどう観ている?
牧原:監督が、できるだけそういうフィルターを排除しようとしているから、そのまんまだよね?だから聾者たちの意見はいろいろ出てくるのではないかと思う。
■本当の聾コミュニティが描かれている
諸星:それでは次に、《懐かしさ》についてのお話に入りましょうか?
牧原:そうですね。この映画観たとき、懐かしい感じがした。懐かしいというのは、自分が聾学校を経験したから。もし、聾学校を経験してない聾者が映画を観た場合、懐かしいというよりも、親近感……なんというか……親近感というよりも、なんだろう……うーん。
諸星:それは親密感なのかな?
牧原:まあ、聾学校を経験した側から言わせてもらえば聾者の行動そのものが懐かしいという意味ですね。聾学校の雰囲気も似ているし、なんというか……人間関係もああいう感じだし、スクールカーストが強い。というか、ボスが必ずいるよね。でもそれに関わりのない聾者が観た場合は……。
諸星:距離感を感じるかもしれないってこと?
牧原:距離感を感じるっていう意味ではない。今まで、中学や高校を舞台とした学園物語(聴者の映画)を観てきたが、私にとっては、別世界というか、夢物語って感じ。一応、私は普通学校に通った経験もあるけど、やっぱり情報が入らないし、周りが何を話しているのかも聞こえないから、友達の会話も分からない。だから、そういう学園物語を取り上げた映画は、自分がよく見る世界とは別の世界として楽しんでいた。逆に『ザ・トライブ』はいつも見ている風景そのままだから、今までにない感覚。リアリティというか。登場人物に感情移入という意味よりも、その場に対する共感。だから、聾学校の経験がない聾者でも『ザ・トライブ』を観ていると共感が生まれてくるんじゃないか?と感じた。
つまり、普通学校でリアリティを感じられなかった人でその学校を卒業した後に聾者コミュニティに加わっている人は、この作品を観たら、どこかで共感できる部分もあるんじゃないかと。もちろん、聾コミュニティに属していない聾者は、共感は持たないし、距離感を感じると思う。あと、日本手話を使っている聾者でも、ウクライナ手話が分かるか、分からないか、でもやはり見方が分かれると思います。ウクライナ手話が分かると、聾者の生存様式そのものよりも、物語の方に気がとられるから。ウクライナ手話が分からないと、聾者の存在そのものを改めて突きつけられるような感覚が生まれる。
諸星:そうだね。日本では聾者が受けた教育環境も様々とあるんだけど、聾学校育ち・聴者学校育ち・両方ともと、3つあるかなというふうに私はそう思っていて、それぞれ見方も変わってくると思う。
牧原:うんうん。
諸星:ウクライナの聾学校はあくまでも架空で、映画の中での話なんだけど、なんというか……リアリティがものすごくあって感じられた。
牧原:そうですね。まず、最初のバス降りた後の主人公が聴者と筆談する場面。観ていて、あぁ……という感じ。
諸星:それは「聾者のあるある!」という話ね。
牧原:そうそう。暴力も……聾者もまあまああるよね(苦笑)。暴力多いと思うよ。理由は聴者の場合は怒ると声大きくなったりするけど、聾者は手話が大きくなる。激しく早くなる。だからどうしても手が出てしまう。そうだね。うん。だから、聾者にとって、なんというか、聾者にとっては普通に怒っているだけなのに、聴者からみたら本格的にキレているという風に見られる。でも聾者同士は別に……って感じ。だから『ザ・トライブ』からもそういう似たような印象を受けるかも。
諸星:いくつかあるんですけれども……まず、最初に感じたのは給食のシーンというか食堂のシーンです。そこには重複障害者が出ていたと思うんですが、それを見て、ああ、懐かしいなと。何故かというと、聾学校には聾者だけではなく、他の障害を持った聾者も何人か居るんですね。昔、私が通った聾学校には居ましたので。あと、教室のシーンもそうでした。雰囲気もそうなんですが、机の並べ方が教壇を囲んでいるというのも、聾学校の特徴ともいえるし、それで懐かしいなと思いました。
諸星:うーん、彼の心理状態に関しては共感することは正直に言ってあんまりなかったですね。登場人物の中で共感する人物は特に居なかったけれども、長回しが特徴的なので、観ている間はずーっと俯瞰的に映像を見ている感覚で、観察に近い感じでしたので、そのせいか感情移入することが薄かったのかもしれないです。
牧原:私も彼に共感はできないですね。ただ……主人公が置かれた状況や環境は分からないのですが、アナに執着したセルゲイは、それしか生き甲斐がなかったのではないかと思う。つまり主人公は視野が狭い。色々なことを知らない。だからこういう状況になった時に色々な可能性を考えることができない。耳が聞こえないが故に情報も入らないから、女の子がここから居なくなったら、自分はこれからどうしていけば良いんだ?という。そういう短絡的な考え方をせざるをおえない状況下に置かれたのかなと私は解釈した。実際に日本もそういうケースが多々ある。そういう事例を聞くと、もう少し視野が広ければ、その人を理解してくれる人がいれば、そういうことは起こらなかったのではと感じることもある。もちろん、聾者に関わらず、聴者にも言えることですけど。そういった環境や実情を、作品を通して表現しているように思いました。
諸星:……とても良い質問なんですが、答えようがない。うーん、強いて言うとしたら監督が聾者で、なおかつ聾者のアイデンティーを持つ人だったら作れるのかもしれない……?と思っちゃうんだけど……。
牧原:いやーアイデンティティに関わらず、それだけではもちろん無理でしょう。表現方法に関しては、聞こえる・聞こえないに限らず、客観的な眼を持てる人がこのような映画を作れるのだと思う。ただ、「聴者のフィルターがかかっていない映画を観たい」と思う人たちがいても、まずは表現者がその映画を作れる環境下にあるのかどうか、ですよ。社会福祉の視点で障害者を見ている日本人たちもたくさんいますし。それから、そのような映画を作れる日本人は、あちこちにいると思いますが、それを作れたとしても、果たして国内で受け入れられるかどうか?です。今の日本はそのような可能性を潰している。
諸星:あー、それは牧原さんが大好きなキム・ギドク監督の作品みたいなものだよね。
牧原:そうそう。韓国はまだ受け入れられている方かも。北野武監督も大好きで、『あの夏、一番静かな海。』も聴者が聾者を演じているのですが、あれはこの『ザ・トライブ』と同じように、映画は映像的なものだということを示すために作られた。なので、私はものすごく好きなんですが、あの映画を受け入れられない聾者もたくさんいるんですよね。聾者のリアリティがそこにないから(笑)。ただ、聾者の深川勝三監督(故)の作品のように、聾者たちが聾者の人生を演じ、それを聾者たちが撮った、そんな作品が、聾者聴者関係なく受け入れられた例もある。最近ではNHKで岩井俊二監督司会の、映画制作のついての番組「岩井俊二のMOVIEラボ」がオンエアされたり、映画業界の中でインディペンデントな力を求める流れが出ているようなので、表現者が諦めない限り、表現を追求していく限り、日本にもそのような映画を支援していく流れがこれから盛り上がってくるんではないかと思います。それを期待するしかないです。
2014年ニューシネマワークショップにて映画クリエイターコースを受講、会社勤めをしながら映像制作に勤しむ。現在、聾者の音楽をテーマにした映像詩を制作中。
2015年 アート・アニメーションのちいさな学校 修了予定。コマ撮り制作を通して、アニメーションは命を与えて動かす事に魅力を感じて、今後も制作活動をコツコツと続ける。
映画『ザ・トライブ』
4月18日(土)よりユーロスペース、新宿シネマカリテほかにて公開 全国順次ロードショー
聾者の寄宿学校に入学したセルゲイ。そこでは犯罪や売春などを行う悪の組織=族(トライブ)によるヒエラルキーが形成されており、入学早々彼らの洗礼を受ける。何回かの犯罪に関わりながら、組織の中で徐々に頭角を現していったセルゲイは、リーダーの愛人で、イタリア行きのために売春でお金を貯めているアナを好きになってしまう。アナと関係を持つうちにアナを自分だけのものにしたくなったセルゲイは、組織のタブーを破り、押さえきれない激しい感情の波に流されていく……。
監督・脚本:ミロスラヴ・スラボシュビツキー
出演:グレゴリー・フェセンコ、ヤナ・ノヴィコヴァ
製作・撮影・編集:ヴァレンチヌ・ヴァシャノヴィチ
英語題:The Tribe
2014年/ウクライナ/132分/HD/カラー/1:2.39/字幕なし・手話のみ
配給:彩プロ、ミモザフィルムズ
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曽我部恵一主宰のROSE RECORDSより尾崎友直が通算3枚目となるアルバム『メネ, メネ, テケル, ウ パルシン』を3月25日(水)にリリース、その前日となる3月24日(火)渋谷アップリンク・ファクトリーにて発売記念イベントが開催される。
アナログとCDのセットで発表される『メネ, メネ, テケル, ウ パルシン』は、ソロ・アーティストとしてのみならず、曽我部恵一のバンドのギタリストとしても活躍する彼の1年ぶりとなるアルバム。東京に生きるひとりの40代の男としての喪失感や慈愛などを独自の視点で描写している。曽我部恵一をはじめ、掛川陽介、Organ、dobokuといったクリエイターが参加し、ヒップホップ、ギターロック、ノイズ、パンクなど多様な音のテクスチャーが、彼の心象風景を美しく、そして生々しく彩っている。
リリース記念となる24日のイベントは、曽我部恵一をはじめ、甲斐哲郎、doboku、Language、Organ、セノオGEE、植野隆司(テニスコーツ)、MOROHAといった彼と交流のあるアーティストがゲストとして参加。彼が運営する渋谷のDJバー「EAR」の雰囲気を再現するトークの後、新作の世界観を表現するライブという2部構成にて行われる。
今回は、新作リリースにあたり、レーベル主宰として、バンド・メンバーとして彼を知る曽我部氏に、文章を寄せてもらった。
「今を生きる自分を歌うこと」
──曽我部恵一
「メッセージ。昼12時9分、弁当を食べ、コンパネの上で書いている」
この言葉からアルバムは始まる。その曲には「メッセージ」という題がつけられている。
ぼくと尾崎友直とのなれそめのようなものは以前書いたこちらの記事を読んでいただくとして、さてここにあるのは彼の3枚目のアルバム。本来彼は12インチシングルを出すつもりで制作し始めたのだが、気づけば11曲のフルアルバムが完成していた。
最初にこんなアルバムになると渡された音源には、いくつかの曲がまだ登場していなかった。そんな頃にぼくのトラックで歌ってみたいという連絡を彼から受け、アコギ中心の曲を作り送った。彼は気に入ってくれたようで、言葉がするする出てくると言って、すぐにラップ入りのものを戻してくれた。アルバムに追加したいということでそのままミックスもやらせてもらった。それが「メッセージ」だ。
その後、彼からあの曲はいつもと違って一気呵成に書いたもので、やっぱりしっかり作り込みたいので今回はアルバムに入れない、という旨のことを言われた。その他にも音質やミックスなどいろいろと気になる部分はあったようだ。アーティストの意向が全てなので、ぼくはたいした意見はせず了解していたが、心のどこかでは少しばかり残念な気もしていたのも正直なところだ。なぜなら出来上がったその曲がとても好きだったから。
彼の低く囁くようなラップスタイル。それがどうして生まれたかを以前教えてくれたことがある。この曲はそのスタイルからも外れていた。不安定なほどに声高(彼にしてみれば、だが)に歌われる。韻も踏んでいない。韻を踏むどころではなかったのかもしれない。テーマはより深くなった彼自身の信仰と、それに依って生きるということ。歌に出てくる、ときどき寂しそうな「きみ」とは、恐らくぼくのことだ。そのきみに「聖書の話、諦めずに話すよ」と彼は続ける。別れて暮らす子供達、そしてドラッグに依存してしまう若者たち、彼の瞳に映るそんなみんなを彼は優しく強い言葉で気遣う。
さらけ出し過ぎたのかな、と思った。あまりにリアル過ぎたのか、と。でもこれほどまでに裸の彼は今までいなかったのじゃないか、とも思った。しかしまた数日後、この曲このまま入れますという連絡が。そして蓋を開けたらアルバムの一曲目を飾っていた。
剥き出しの自分を堂々しょっぱなに据えた彼の勇気に喝采を送りたかった。逃げも隠れもしない、本当の自分。あまりに手垢のついた「本当の自分」なるもの。しかしそれをそのまま音楽に張り付けられる人が、何人いようか。そしてその自分を最大の誇りを持ってレペゼンする。
彼が何度も言及する宗教と信仰に違和感を感じる人もいるかもしれない。しかし、他人に違和を感じ、次に理解しようと努力し歩み寄ることにしか平和はないだろう。葛藤逡巡なくすんなり受け入れられるのは他者の上澄みだけだ。ここにいる尾崎友直という他者と、じっくりと交わって欲しいと思う。それに、ぼくやあなたも、特定の宗教ではないにしろ、何らかの信仰にもとづいて生きているはず。例えそれがちっぽけなことだとしても、自分自身にとっては何にも代えがたい存在を信じながら。
アルバム全体を、彼の生きる情熱が貫いている。聴いたあとに残る感触は重々しいものじゃなく、夏の最初の一日のような、清々しさ。
最後に置かれたのは「目」という曲。もはやトラックはない。iPhone越しに彼が語りかけてくる。録音されたもので、こんなにリアルな手触りを持ったものを他にすぐに挙げることは、ちょっと難しい。
「おはよう。こっちはいま、夜です」
この声を聴くために、ぼくは何度でもこのレコードをターンテーブルに乗せるだろう。
【関連記事】
「春頃に、トモナオがフルアルバムを作ったという話を聞いた。夢や現実や過去や未来、そんなものがぎゅっとつまった最高の音楽」曽我部恵一が尾崎友直について綴る(2011-07-24)
http://www.webdice.jp/dice/detail/3153/
1971年11月2日生まれ。東京都世田谷区桜丘出身。16歳の頃よりパンクロックに影響を受けバンド活動を開始。1989年より都内のライブハウスにてライブ活動を精力的に展開する。1998年、渋谷円山町にてDJバー「EAR」を開店、同時期に自身のレーベル「EAR」を立ち上げる。バーのコンセプトは「音楽を核に、想像力を駆使し、何かをつくる力や人々の交差する場所」。EARのコンセプトに賛同し、ライブを行いながらメジャーシーンへとステップアップしたバンドはsnap、MOROHA、灰汁など多数存在する。1998年、自身のレーベルEARから第一作品であるソロアルバム『TAKE ME HOME』をリリース。その即興性に満ちた音楽性と、言葉を駆使した創造性あふれる表現力により、ハードコアシーンの受け手に熱く支持される。またジョン・ゾーンから大絶賛されるなど、即興アーティストしての評価を高めた。2014年4月、セカンド・アルバム『JEHOVAH GOD』をリリース。前作よりさらに表現の幅を拡げギタリスト、コンポーザー、プロデューサーとしての側面を強く打ち出した。そして2015年3月、サード・アルバム『メネ, メネ, テケル, ウ パルシン』をリリース。
BAR「EAR」公式サイト
http://www.ear-bar.com/
ROSE RECORDS 尾崎友直公式サイト
http://rose-records.jp/artists/tomonaoozaki/
尾崎友直/3rdアルバム『メネ, メネ, テケル, ウ パルシン』発売記念LIVE SHOW
2015年3月24日(火)
会場:渋谷アップリンク・ファクトリー
当日、ニュー・アルバム『メネ, メネ, テケル, ウ パルシン』の販売を行います。
18:30開場/19:00開演
料金:前売1,000円/UPLINK会員1,000円/当日1,300円
【一部】
トークショー「BAR EAR出張版」
【二部】
『メネ, メネ, テケル, ウ パルシン』発売記念ライブ
出演:尾崎友直、曽我部恵一、甲斐哲郎、doboku、Language、Organ、セノオGEE、植野隆司(テニスコーツ)、MOROHA
ご予約は下記より
http://www.uplink.co.jp/event/2015/36176
尾崎友直『メネ, メネ, テケル, ウ パルシン』
2015年3月25日(水)リリース
[アナログ+CD]
2,593円+税 ROSE187
ROSE RECORDS
SIDE-A
01.The Message
02.夏休み [Summer Holiday]
03.美術館の写真 [Photograph in Museum]
04.夕暮れ [Twilight]
05.終わり [The Last Days]
SIDE-B
06.約束 [The Promise]
07.ダニエル4章16節 [Daniel Chapter 4 Verse 16]
08.川に捨てたバス代 [The Bus Fare Thrown Into A River]
09.夏休みが終わっちゃう [Summer Holiday is Ending Soon]
10.波音 [Sound of Waves]
11.映画 [Film]
12.目 [The Eyes]
amazonでの購入は下記より
http://www.amazon.co.jp/dp/B00TJE68VI
食の安全を願う「家族」の視点から、GMO(Genetically Modified Organism 遺伝子組み換え食品)がいかに私たちの生活のなかに拡大しているかを取材し、遺伝子組み換え食品をめぐる問題点を描くドキュメンタリー映画『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』のジェレミー・セイファート監督が来日。25日、都内・日比谷文化図書館の大ホールで行われたティーチイン・イベントにジェン夫人を伴って出席した。
4月25日(土)より公開となる本作は、食料廃棄問題をテーマにした初監督作品『DIVE!』が世界22の映画祭で様々な賞を獲得した俊英セイファート監督の最新作。表示義務がなく、GM食品の存在自体がほぼ知られていないアメリカの現状に疑問を抱いたセイファート監督は、家族と共にGMOの謎を解く旅に出る。遺伝子組み換え市場シェア90%のモンサント本社や、ノルウェーにある種を保管する種子銀行の巨大冷凍貯蔵庫、GMOの長期給餌の実験を行ったフランスのセラリーニ教授など、世界各国への取材を重ねるうちに、徐々に明るみになっていく食産業の実態に彼は言葉を失う。この旅の最後に、セイファート監督の家族は、いったい何を思い、何を選択していくのだろうか?
観客は支持、メディアは酷評、そこに隠された真実とは?
日本で公開されることになって非常にうれしいです。会場は女性がほとんどですが、アメリカも同じような風景でした。こういう食の問題に対しては、女性の方が情熱的ですね。命の母と言いますか、種を育ててくださる方たちですから。妊娠されると、さらに食への意識が高まるようです。(会場を見渡しながら)男性や小さなお子さんも若干見えますが、本公開の時は、ぜひ家族で観に来ていただきたいですね。
ここから観客とセイファート監督との質疑応答へ。最初は挙手に躊躇していたが、彼の息子フィンの心温まる「種好き」エピソードで心がなごみ、会場は一気にリラックスムードに。
フィン(当時5歳)が種好きだったことは、この映画を撮る一つのきっかけにはなっていますが、前作『DIVE!』で家族を巻き込み迷惑をかけたという反省もありましたので、今回は絶対に出さないつもりでした。ところが、GMOを調べれば調べるほど、家族なしでは語れない問題だと気付いたんです。
フィンが2歳半の時、家に畑を作り、「種はこうして蒔くんだよ」と教えてあげたんです。しばらくすると、それが芽になり、トマトの実がなって、100個くらいの種ができた。彼は凄く感動して、命の不思議さ、大切さに目覚めたんですね。生物多様性を心から愛している。ただ、去年も25品種ほどのトマトを植えて、妻が手に負えないと困っていますが(笑)。
観客の反応はとても良くて、様々な映画祭(バークシャー国際映画祭最優秀ドキュメンタリー作品賞、イエール大学環境映画祭観客賞ほか)で賞をいただきましたが、一部メディアからはかなり厳しい批判もあり、物議を醸しています。そもそもGMO賛成派のライターが書いているのですが、彼らの道理としては、もっと化学的な証拠を取り上げて詳細なものを作るべきではなかったのかと。家族が登場するような、パーソナルな作品を彼らは望んでいなかった。
怖いのは、巨大バイオ企業に「食の支配」が一極集中していること
私は、取材の途中、あちこちの有機農家へ足を運びましたが、彼らは自分たちの作っているものをすべてオープンに見せてくれました。それに対して、モンサント社は完全にシャットアウト。作中、カメラマンを車に待たせて、マイクをシャツに隠して、一般人として「食の安全に関心があるから教えてくれ」と訴えるシーンがありますが、体格のいい人が次々に出て来て「そんな質問は困る」と追い出されてしまった。有機農家とまるで真逆の対応だったので驚きました。何か秘密を隠しているなと。また、本社にも行ったのですが、その時ちょうど、GMOを育てている農家の人たちが大勢やって来るというバスツアーがあったので、「よし、紛れ込んでやれ!」と思って、その中に入って農家の振りをしていたのですが、見事にガードマンに見破られてしまった。
わかっていることは、巨大バイオ企業は利益の追求だけを目指している、ということ。結局、そこでないがしろにされているのは「人間の健康」ですが、彼らはそんなこと知ったことではない。だから、お金を稼ぐためなら、どんな風にでも変化していくと思う。例えば、オーガニックの方が稼げるとわかれば、そちらに向いて行く可能性もある。ただ、ここで問題なのは、巨大バイオ企業に「食の支配権」が集中してしまっていること。一極集中は非常に怖いので、支配権を分散させなければならないと思う。
大きな社会問題に立ち向かうとき、これに比例して大きな解決策を考えがちですが、それは難しいし忍耐力がいる。もっと小さなことから、長い時間をかけてやっていくことが大切。映画の中で、フィンが言っていたけど、「買うのをやめれば、この会社は潰れちゃうんでしょ?そうすればいいじゃない?」。子供のシンプルな意見ですが、私はそこに深い智恵があると思いましたね。
この作品は、難しい化学でGMOを解明していくものではない、あくまでも家族の視点、子供の視点でGMOの謎を探るロードムービーである。本編を通して、彼らと一緒に旅をすれば、「遺伝子組み換えって何だろう?」という素朴で奥深い疑問が少しずつひも解かれていくことだろう。
映画『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』
4月25日(土)より渋谷アップリンク、名古屋名演小劇場、横浜シネマ・ジャック&ベティほか全国順次公開
監督:ジェレミー・セイファート
出演:セイファート監督のファミリー、ジル=エリック・セラリー二、ヴァンダナ・シヴァ
配給・宣伝:アップリンク
協力:大地を守る会、生活クラブ生協、パルシステム生活協同組合連合
字幕:藤本エリ
字幕協力:国際有機農業映画祭
配給:アップリンク
2013年/英語、スペイン語、ノルウェー語、フランス語/85分/カラー/アメリカ、ハイチ、ノルウェー
公式サイト:http://www.uplink.co.jp/gmo/
公式Facebook:https://www.facebook.com/gmo.movie
公式Twitter:https://twitter.com/uplink_els
ロウ・イエ監督作品の大ファンを公言するミュージシャンの曽我部恵一氏が、26日、渋谷アップリンクで行われた映画『二重生活』のトークイベントに出席。「何か近いものを感じる」というロウ監督と、時折ユーモアを交えながら、愛について、音楽について、映画について、さらには現代中国の実態について、熱く語り合った。
私の映画と音楽の共通点、
それはアンダーグラウンド(ロウ監督)
本作は、天安門事件を扱った『天安門、恋人たち』で映画製作・上映禁止処分を受けたロウ監督が、禁止令解除後、5年ぶりに中国で製作した衝撃のメロドラマ・ミステリー。経済発展が著しい武漢市を舞台に、事故死した女子大生、彼女と最後に接触した男、その妻と愛人が織り成す複雑な人間模様をスキャンダラスに描く。
曽我部恵一(以下、曽我部):ロウ監督の映画は、毎回音楽がいいんですが、今回もエンドロールに流れるあの曲、凄くよかったですね。「愛はすべての傷を癒すだろう、でも俺はあっさり捨て去るだけさ」っていう歌詞もいい。あれは何ていう曲なんですか?
ロウ・イエ監督(以下、ロウ):中国のインディーズバンド「沼泽乐队」(Zhaoze/The Swamp)の「惊惶」(fear)という曲です。私の映画と彼らの音楽は「アンダーグラウンド」の世界で共鳴し合っていますね。
曽我部氏といえば、自身のアルバム『PINK』に収録されている「春の嵐」が、ロウ監督の2010年の作品『スプリング・フィーバー』に感銘を受けて作ったというほど筋金入りのファン。「何か近いものを感じる」というように、同じクリエーターとして、ロウ監督がどんなスタイルで創作活動に着手しているのか、気がかりで仕方がない様子。
曽我部:ロウ監督は「これを映画にしたい!」と思う瞬間とか、急にひらめく瞬間ってあるんですか?
ロウ:インスピレーションが瞬間的に湧くことはあります。ただ、それが映画にする、というのは、また別の問題。映画というのは手のかかる仕事で、1本撮るためには大きな資金がかかるし、いろんな役者を探さなければならない。さらに完成までに非常に長い時間もかかりますので、思い付いたことをすぐに映画にするということは、なかなか容易ではありませんね。
曽我部:確かに映画は大変ですよね。1本撮り終えて、完成した時はどういう気持ちになるんでしょう。
ロウ:やはりホッとしますね。リラックスして気が休まります。そして、その時に自分の映画と「さよなら」をするわけですね。ただ、この『二重生活』の場合は、2年前に製作された映画なので、いま、当時の気持ちを一生懸命思い出しているところです(笑)。
曽我部:僕の場合は、映画と比べればとても規模が小さいものですが、作品を作り終えると、やっぱり少し寂しいというか、落ち込むというか、気力がなくなり、鬱のような状態になる。
ロウ:なるほど。この映画の主人公ヨンチャオは、一人の女性と付き合って、愛を語り合ったあともまだ足りなくて、ちょっとグッタリしているんですが、曽我部さんのその雰囲気、まるでヨンチャオのようですね(場内爆笑)。
ロウ監督の作品は、
社会問題とラブストーリーが一体化している(曽我部氏)
曽我部:毎回、ロウ監督の作品は、深いところをグッと握られる感じがするのですが、本作に関しては、恋愛や人生について、誰が幸せなのか、誰が良くて、誰が悪いのか、友人と議論になりました。ヨンチャオは重婚に近い感じですが、決してダメなこととして描かれていない。むしろしょうがないことのように描かれています。
ロウ:二重生活まで行かなくても、愛人や一夜だけの関係など、今の中国では普通に起きていること。ヨンチャオの遊び相手として登場する女子大生、彼女のような子たちを中国では「緑茶女」って言うんですよ。見た目は清楚で飾り気がないが、裏では複数の男たちを喜ばせているから。一方、ヨンチャオのように、妻や愛人の力を利用して、自分は悠々自適に暮らしている男は「フェニックス男」と呼ばれているんです(笑)。
曽我部:今おっしゃったように、ロウ監督作品の最も特徴的なところは、本作のような現代中国人の実像であったり、天安門事件であったり、セクシャル・マイノリティであったり、社会的問題と愛憎劇が一体となって描かれているところにあると思うんです。それは狙いでもあるんでしょうか?
ロウ:社会的問題とラブストーリーは一つのこと、相互に反映し合っています。時代が違えば、愛のカタチも違ってくる。本作で言えば、ヨンチャオが本妻に、「君を愛している」と言いますが、本心ではない。愛しているという言葉が変質してしまっているんですね、つまり、「愛」にも社会性があるということです。
曽我部:最近、中国の要人たちが若い女の子を囲っているとか、ニュースなどでよく見かけますが、政治家と愛人の話がロウ監督の手にかかると、どうなるんでしょうね。
ロウ:私は政治家の性生活なんて関心ないですね。第一、ぜんぜん面白くないでしょう?(場内、再び爆笑)
曽我部:もう一つ気になるのが、ロウ監督ご自身のこと。映画では、愛が成就することはあまりありませんが、私生活の中で「愛で満たされているなぁ」という瞬間はあるんでしょうか?もしかすると、それを探していることが愛なのかな、とも思うのですが。
ロウ:よく聞かれるのですが、それは答えにくいですね(笑)。愛にはいろんなものが含まれているので、はっきりと「こうだ!」とは言えない。不確定なものだと思います。この映画でいえば、ヨンチャオがどんな時に愛を感じるかというと、本妻と居る時でもない、愛人と居る時でもない。彼が一番、愛を感じるのは、本妻の家と愛人の家を結ぶ大橋を行き来する車の中なんですね。ヨンチャオを演じたチン・ハオと「彼は車の中で何を考えていたんだろう」とよく話し合いましたが、自分に引き寄せて考えてみると、この行ったり来たりの時間が最も孤独で、そして最も人間的な時間なんだと思います。
曽我部:僕も孤独な時が一番自分に近いと思います。そこで誰かを求めたり、自分に欠けたものを埋めようとしたりして、結局、それがうまくいかず時間が過ぎていく。ロウ監督のその部分の描き方が凄くきれいで好きなんです。
ロウ:人がそれぞれ違うように、愛のカタチもそれぞれ違うもの。愛というのは、人間が存在するために必要なものだと思うんですよね。
愛に一つの答えがないように、映画に明確な答えを求めるのは、どこか道理が間違っているように思える。ロウ監督は、映画製作についてのこだわりをこう語る。「現代中国の「闇」の部分だけを描きたいのなら、映画なんて作る必要はない。それなら言葉で伝えればいいだけのこと」。何かを直接的に伝えるのではなく、もっと曖昧で、感覚的な世界を表現するからこそ、映画の存在意義がそこに生まれる。余白の部分を埋めるのは、観客である我々の作業であり、そして、それがきっと映画の醍醐味なのだ。
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映画『二重生活』
新宿K's cinema、渋谷アップリンクほか
全国順次公開中
監督・脚本:ロウ・イエ
脚本:メイ・フォン、ユ・ファン
撮影:ツアン・チアン
編集:シモン・ジャケ
音楽:ペイマン・ヤズダニアン
出演:ハオ・レイ、チン・ハオ、チー・シー、ズー・フォン、ジョウ・イエワン、チャン・ファンユアン、チュー・イン
配給・宣伝:アップリンク
原題:Mystery(浮城謎事)
2012年/中国、フランス/98分/1:1.85/DCP
公式HP:http://www.uplink.co.jp/nijyuu/
■リリース情報
DVD『パリ、ただよう花』
2015年3月4日リリース
監督: ロウ・イエ
出演: コリーヌ・ヤン, タハール・ラヒム
発売元:アップリンク
販売元:TCエンタテインメント
4,104円(税込)
TCED-2517
★作品の購入はジャケット写真をクリックしてください。Amazonにリンクされています。
モデルの栗原類氏が、26日、渋谷アップリンクで行われた映画『二重生活』のトークイベントに登場。憧れのロウ・イエ監督に「俳優とのコミュニケーション方法」や「舞台俳優と映画俳優の違い」など積極的に質問を浴びせ、演技に対する意欲を垣間見せた。また、この日は司会進行役として、映画ライターのよしひろまさみち氏も出席した。
自分の理想のためなら犠牲者も厭わない、
人間らしい「闇」と「欲望」に驚嘆(栗原氏)
本作は、天安門事件を扱った『天安門、恋人たち』で映画製作・上映禁止処分を受けたロウ監督が、禁止令解除後、5年ぶりに中国で製作した衝撃のメロドラマ・ミステリー。経済発展が著しい武漢市を舞台に、事故死した女子大生、彼女と最後に接触した二つの家庭を持つ男、その妻と愛人が織り成す複雑な物語がスキャンダラスに展開する。
栗原類(以下、栗原):登場人物たちの行動が、自分の理想のために人を犠牲にするという人間らしい「闇」と「欲望」が凄く出ていて素晴らしかったですね。中国の今の日常が監督の表現したいヴィジョンであることがはっきりしている反面、この映画は、果たして現実なのか、フィクションなのか、観る側を構えさせるようなところも深いと思いました。
ロウ・イエ監督(以下、ロウ):この話は、ある女性が書いていたブログが基になっているのですが、劇中に登場するさまざま人物は、今の中国の日常の中で話題になっているタイプの人たちばかり。例えば、お金持ちのボンボンであったり、愛人であったり、遊びで誰とでも付き合うようなイマドキの女の子だったり。そういう人たちを映画の中に登場させることによって、現代中国を見渡せるような作品にしたいと思ったんです。
栗原:これは僕が感じたことですが、俳優のカメラ目線が気になって、観ている僕たちが映画の中にいるような、第三者として存在しているかのような臨場感を味わいました。また、『スプリング・フィーバー』もそうでしたが、音楽がほとんどなくて、周りの雑音や環境音だけで表現されている。これも映画をよりリアルに表現するために意図されたことなのですか?
ロウ:そうですね。ドキュメンタリー・タッチで人物を描くことによって、その人物が置かれているリアルな境遇を表現したかった。例えば、幼稚園のシーンでは、実際の幼稚園の生活の中に俳優を紛れ込ませましたが、幼稚園自体は演出ではなく、いつものスケジュールで自然に生活が営まれている。あるいは、夫と子供の帰りをキッチンで迎える本妻役のハオ・レイは、20分前から実際に食事を作っていて、すでに3品の料理が出来ていた。つまり、そこまで生活のリアリティを追求して作っているわけですが、私のこうしたやり方に俳優たちがよく対応してくれたと思います。
よしひろまさみち(以下、よしひろ):監督は結構ムチャブリするから(笑)、俳優の方から意見されたり、ディスカッションになったりしませんか?
ロウ:いつも必ず俳優たちと事前にミーティングをやるんですが、今回はクランクインの1週間前から集まって、台本の読み合わせをしながら理解を深めていきました。ミーティングには、俳優のほかにカメラマンや照明さんなどスタッフも参加するので、1度映像で撮ってみて、現場の雰囲気を少し出してみたりしますね。ダメな意見は採用しませんが、いい意見の時はどんどん脚本を書き直しますよ。
私が役者に求めるのは、演じるのではなく、
その役に成り切って生きること(ロウ監督)
瞬きもせずロウ監督の話に耳を傾ける栗原氏。近年、自身が舞台などにチャレンジしていることもあるせいか、俳優の話になると、さらに興味津々の様子を見せ、質問にも熱が入る。
栗原:舞台を得意とする俳優を映画で指導するのは、どんな感覚なのでしょう。やはり、難しいものですか?
ロウ:映画と舞台では、演技に求めているものが全く違うので、舞台の方法を映画に持ち込むとさまざまな問題が生じてくる。私が求めているのは、『役者は演じるのではなく、その役に成り切って生きる』ということ。今回は、しばらく中国を離れていたので、俳優探しから始めましたのですが、舞台で活躍していた愛人役のチー・シーも、最初は戸惑っていたものの、すぐに私のやり方を理解してくれました。
よしひろ:そういえば、ロウ監督は、5年間の禁止令を受け、海外での映画製作を余儀なくされた。一方、栗原さんは、日本を母国に持ちながらニューヨークで育った経験がある。いったん母国から離れて過ごすと、中国であったり、日本であったり、母国を客観的に観察することができるのでしょうか?
栗原:それは人によると思いますが、僕の場合は半年ニューヨーク、半年東京というサイクルの生活だったので、ギャップはまったくなかったですね。
ロウ:確かに一度離れて母国を見直すと、別の視点で見ることもできますが、忘れてしまうことも結構ありますね。
よしひろ:僕はこの映画を観て、現代中国の「闇」を浮き彫りにするのがうまい監督だなって思ったんですが……今、中国で一番大きな問題は何だと思いますか?
ロウ:中国には社会的問題がいっぱいありすぎて、一言では言えませんが、おそらく、今年大きな問題になっていることも、来年にはまた別の問題が発生している。そういうめまぐるしい社会の中で暮らしていると人間は疲れますよね。だからこそ、人と人との関係性が大切になってくるんだと思います。
本作は、武漢という地方都市が舞台となっている。本妻が住む富裕層のエリアと、愛人が住む貧困層のエリアが水路で区切られ、そこに架けられた大橋を主人公ヨンチャオがうつろな表情で車を走らせる。『二重生活』を最も象徴するシチュエーションだ。自分はいったい何を求めているのか、自分はいったい何をやりたいのか、目的も置かれている状況も、全てを見失ってしまったヨンチャオ。めまぐるしい時代の変化に疲弊しながら、いつしか大切な人との関係性が歪んでしまった男の象徴なのかもしれない。
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雨宮まみ氏、『二重生活』ロウ・イエ監督の「愛は説明できない、体が感じるもの」に納得?
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社会学者・宮台真司氏が『二重生活』を男目線で語る、「私も主人公と同じニンフォマニアック(淫蕩症)だった」
ロウ・イエ監督×宮台真司氏 映画『二重生活』公開記念トークイベント第2弾レポート
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曽我部恵一が『二重生活』ロウ・イエ監督に教わる「緑茶女とフェニックス男」
ロウ・イエ監督×曽我部恵一氏 映画『二重生活』公開記念トークイベント第5弾レポート
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映画『二重生活』
新宿K's cinema、渋谷アップリンクほか
全国順次公開中
監督・脚本:ロウ・イエ
脚本:メイ・フォン、ユ・ファン
撮影:ツアン・チアン
編集:シモン・ジャケ
音楽:ペイマン・ヤズダニアン
出演:ハオ・レイ、チン・ハオ、チー・シー、ズー・フォン、ジョウ・イエワン、チャン・ファンユアン、チュー・イン
配給・宣伝:アップリンク
原題:Mystery(浮城謎事)
2012年/中国、フランス/98分/1:1.85/DCP
公式HP:http://www.uplink.co.jp/nijyuu/
■リリース情報
DVD『パリ、ただよう花』
2015年3月4日リリース
監督: ロウ・イエ
出演: コリーヌ・ヤン, タハール・ラヒム
発売元:アップリンク
販売元:TCエンタテインメント
4,104円(税込)
TCED-2517
★作品の購入はジャケット写真をクリックしてください。Amazonにリンクされています。
社会学者の宮台真司氏(首都大学東京教授)が24日、東京・新宿K's cinemaで初日を迎えた映画『二重生活』のトークイベントに出席し、ロウ・イエ監督と作品における街の描き方や本妻、愛人、そして女子大生たちと交わりを持ちながらも満たされない主人公の心情について熱いトークを展開した。
人間とシンクロする武漢という街が、まるで生き物のように描かれている(宮台氏)
本作は、天安門事件を扱った『天安門、恋人たち』で映画製作・上映禁止処分を受けたロウ監督が、禁止令解除後、5年ぶりに中国で製作した衝撃のメロドラマ・ミステリー。経済発展が著しい武漢市を舞台に、交通事故で死亡した女子大生、彼女と最後に接触した二つの家庭を持つ男、その妻と愛人が織り成す複雑な物語がスキャンダラスに展開する。
宮台真司(以下、宮台):そもそも監督は、なぜ武漢という街をこの映画の舞台に選んだのですか?
ロウ・イエ(以下、ロウ):この街は、中国でも特殊な位置にあり、東部、西部、南部、北部、それぞれの地域の雰囲気を全て持ち合わせているようなところ。もともと好きな街で、『天安門、恋人たち』でも一部撮影に使ったこともあり、両作に主演した女優のハオ・レイも気に入っていたんです。
宮台:過去の作品もそうですが、監督は街を生き物のように描きます。単なる背景ではなく、人がそこに埋め込まれている大きな生き物。生き物としての街のダイナミズムと人がシンクロしているように感じられます。巨大ビルとホームレス。ディスコと屋台。高級車とトラック。眩暈をもよおすこうした街の落差が、そのまま人の落差になっています。
と、ここで突然、「実はですね……」と、含みのある笑顔を浮かべながら、宮台氏が自身のプロフィールをロウ監督に告白する。
宮台:1980~90年代の僕は、街の──とりわけ援助交際の──フィールドワーカーでした。本作でも女子大生たちの援交がほのめかされていますね。僕はこの新宿、そして渋谷の周辺を中心に調べていました。しかし同時に、当時の僕は、二重生活を送る主人公・ヨンチャオと同じように、常時5人以上の女がいるニンフォマニアック(淫蕩症)でした。
ロウ:そういえば、宮台さん、ヨンチャオと雰囲気が似ていますね!(場内大爆笑)
宮台:それから20年経ち、東京では、微熱に包まれていた街も冷え切り、街の微熱とシンクロしていたカオス的性愛もすっかり消えました。かつて熱に浮かされた都市のカオス的性愛を生きていた僕は、この映画を見て懐かしく感じます。監督は、時間の大きな流れの中で、やがて失われる都市と性愛のカオスを描いている、という意識がありましたか?
ロウ:確かにありましたね、中国は1980年代から経済の成長がどんどん進んでいますが、それに伴い不安定な状況が社会の中に現れはじめ、さまざまな階層の人々が都市にどんどん集まってきた。私は、カオスの中にいる人間にとても関心があるんです。
フェミニズムの部分も一部認めるが、この映画は男の映画でもある(ロウ監督)
そして、その象徴が主人公のヨンチャオ。どの登場人物も均等に描いてはいるものの、ロウ監督の心は、本妻や愛人ではなく、やはりこのカオスの塊のような男に思い入れがあるようだ。
ロウ:彼はこれまで一生懸命仕事をして、お金を儲けて、会社を作り、彼女も作って、家庭も営んで、ここまではとても成功した人生でした。そんな彼の半生を武漢で車を走らせる冒頭のシーンに込めたんです。過ぎてしまった記憶をそこに留める、そんなイメージですね。ところが本国では、この作品は「女性映画」という偏った見方をされており、中国のある有名な社会学者は「これはフェミニズムの映画だ」と語っている。ある部分では認めますが、この作品は男性の映画でもあると私は思っているんです。だから今日は、宮台さんがヨンチャオに着目してくださってとてもうれしい。
宮台:ヨンチャオと自分を重ね合わずにはいられませんでした。ヨンチャオが単なる性欲過剰な男ではないことが、とても重要です。思い描いた通りの仕事の成功や、豊かな中流生活を獲得したのに、彼はどこか満たされません。そんな心の空洞を埋め合わせるために、次々と違う女性とセックスを重ね、それでも満たされない。かつての自分そのものです。
ロウ:中国のメディアから、「彼は全て揃っているのにいったい何がしたいんだ?」とよく聞かれるんですが、彼はずっと何かを探し続けている男。生きる目的を探している男。ところがそれが何かわからない。わからないから、最後に危険な道に走ってしまうのです。
宮台:だから、成功者であるはずのヨンチャオが、常にうつろな表情を浮かべます。玩具のピアノと戯れる子供を眺める時も、お洒落な自宅で寛ぐ時も、幼稚園で歌う子供の晴れ舞台を見る時も、まさしく「心ここにあらず」。夢であるはずの中流生活が、不確かなで儚い「蜃気楼」のように描かれます。心に突き刺さる描写です。
ロウ:これまで多くの中国人が中流生活を体験していますが、物質的には恵まれているものの、何か物足りなさを感じているのは事実。先ほど、お客様から「中国人にとって『幸せ』の基準とは?」という質問がありましたが、それはずばり、クエスチョンマークです。幸せの概念は人によっても、国によっても異なるものですが、私は体が感じるものだと思っています。
これまで、女性側の視点から映画『二重生活』を語られることが多かったというロウ監督。一部トークの中で、本妻、愛人の駆け引きについても語られたが、首謀者であるヨンチャオに焦点を当てたトークセッションに新鮮さを感じているロウ監督の思いを汲んでこのレポートでは男性目線に終始したい。
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DVD『パリ、ただよう花』
2015年3月4日リリース
監督: ロウ・イエ
出演: コリーヌ・ヤン, タハール・ラヒム
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販売元:TCエンタテインメント
4,104円(税込)
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著書『女子をこじらせて』などで知られるライターの雨宮まみ氏が25日、東京・渋谷アップリンクで行われた映画『二重生活』のトークイベントに出席し、ロウ・イエ監督が描く「満たされない主人公たち」の姿を通して、恋愛、結婚、その先にある幸福について赤裸々に語った。
日本は正しい結婚・恋愛観を重視する国、
不倫や浮気は愚かな行為と言われる(雨宮氏)
本作は、天安門事件を扱った『天安門、恋人たち』で映画製作・上映禁止処分を受けたロウ監督が、禁止令解除後、5年ぶりに中国で製作した衝撃のメロドラマ・ミステリー。経済発展が著しい武漢市を舞台に、事故死した女子大生、彼女と最後に接触した二つの家庭を持つ男、彼の妻と愛人が織り成す複雑な物語がスキャンダラスに展開する。
雨宮まみ(以下、雨宮):この作品には、夫、妻、愛人という主に三人の登場人物がいますが、誰かの視点に偏るのではなく、均等かつ客観的に描かれていて、三者全員の気持ちが凄くわかる、という印象を持ちました。誰の選択が正しいとか、誰の生き方が正しいとかではなくて、それぞれの瞬間や状況を描く作品として意識して観たのですが、その辺りはどう思われますか?
ロウ・イエ監督(以下、ロウ):誰もがあのような行為、行動を起こす可能性があり、その結果、失敗に終わることがある。ですから、この映画を作るにあたっては、決して製作者の色眼鏡で見ない、余計な道徳、倫理観は持ち込まず、まずは、その人物を観察する、そういう気持ちで作品を作り始めていきました。
雨宮:そこが素晴らしかったですね。日本では、建前はクリーンだけれど、実際は不倫や浮気もあるし、二重生活まではいかなくても何人もの異性と関係を持っている人もいる。ただ日本では、正しい結婚観、正しい恋愛観が重要視されていて、浮気をされても「そんな男とつき合うのが馬鹿なんだ」と安易な自己責任論にされたり、「一人の男と落ち着いて幸せになるのがいい」と昔ながらの定番の幸せを推奨されていて、この作品で描かれているような男女関係を受け入れる女性は、とても愚かなものとして受け止められているんです。
ロウ:男女問わず、人は二面性を持っています。結婚はプロセスであって、結果ではない。映画では、満たされない結婚を二重生活で解決しようとしますが、うまくいくはずがない。現状から逃げる生き方は、愛も自由も守ってはいけないんですね。この映画で最も重要なのは、「虚構」と「真実」との落差。そしてもう一つ、彼らの犠牲となって事故死した女子大生の姿に「生」と「死」という意味も込められているんです。
愛は言葉で表現できない、
強いて言うなら、体が感じることだと思う(ロウ監督)
雨宮:愛に苦しみ、満たされない主人公は、ロウ監督の作品にとって欠かせない存在だと思うのですが、監督にとって、ずばり恋愛とは何ですか?
ロウ:うーん、それはすぐには答えられないですね。一言二言では表現できない(笑)。はっきりと言えないからこそリアルだし、説明できないからこそ恋愛映画が次々と作られるんだと思います。ただ、強いて言うなら「愛とは、体が感じること」。好きな人と一緒にいたいと思うことも、体が感じることではないでしょうか。それはちょうど観客と映画の関係と同じで、観客は視覚・聴覚を使い体験することで映画との交流が成立する。ですから僕は映画を作り続けているのです。
雨宮:苦しさを生々しく感じる一方で、そんなに苦しみ抜くほど夢中になれる恋愛をしていることがうらやましくもあるんですが、幸せを感じる状態、充実感のある状態って、どんな状態なのでしょうね。
ロウ:例えば、『天安門、恋人たち』の主人公ユー・ホンは、愛について悩み、苦しむわけですが、その反面、彼女はその状態を楽しんでいるかのようでもある。苦しみを楽しむ、これは往々にしてあると思いますね。逆に本作のヨンチャオのように女性と遊びまわっていても満足できない者もいる。人間には表面ではわからない、いろんな側面がある。私も5年間の中国での映画撮影禁止令は確かに苦しかったですが、その状況を利用して、アメリカのアイオワ大学で映画史を学んだり、新作の『ブラインド・マッサージ』の原作者と出会ったり、楽しいことや収穫もありました。何より、『スプリング・フィーバー』と『パリ、ただよう花』の2本を自由に撮れましたしね(笑)。
雨宮:まさに苦しい時間を楽しむ……ロウ監督ってタフですね!
映画製作・上映禁止令といえば、天安門事件に触れたこともそうだが、中国ではタブーとされていた過激な性描写も原因の一つ。雨宮氏も、そこがどうしても気になる様子で、とくに男性の肉体が美しすぎると感嘆する。
雨宮:ロウ監督の作品は、男性の裸の撮り方がとても魅力的なのですが、男女の別なく人の体の魅力をどう捉えているのでしょう。
ロウ:人の体を描くことは、映画にとってとても大切なこと。体というのは、その人物を描く上で非常に重要な情報になる。そして、その情報が詰め込まれた映画というものは、非常に力を持っている。ただし、そこには、国からのさまざまな制限が加わってくる。なぜ、政治家たちは映画を恐れるのか、それは力を持っているからなんですね。彼らにとって映画は、記録するものでもなく、芸術でもなく、社会を揺るがすニュース。私は電影局とよくぶつかり合いますが、「映画はそんなに重要なものではない、だから怖がらないでください」と、よく言うんです。そう言っておけば、映画がパスし易くなるかと思ってね(笑)。
対談終了後、観客との質疑応答の中で、いくら理屈を積まれてもヨンチャオの行動が腑に落ちないという女性から、「彼はいったい何を求めているのか?」という質問が投げ掛けられた。宮台真司氏との対談でも出ていた疑問だ。これに対してロウ監督は、「彼は求めているものにまだ出会っていない。そして、自分が欲しているものを探す中で、さまざまな女性を傷つけてしまう」と真摯に答えた。裕福な生活、本妻と愛人、それでも飽き足らず女子大生にまで手を出す心の渇き……人間の心に内在する捉えようのない「闇」は、今後も議論を呼びそうだ。
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映画『二重生活』
新宿K's cinema、渋谷アップリンクほか
全国順次公開中
監督・脚本:ロウ・イエ
脚本:メイ・フォン、ユ・ファン
撮影:ツアン・チアン
編集:シモン・ジャケ
音楽:ペイマン・ヤズダニアン
出演:ハオ・レイ、チン・ハオ、チー・シー、ズー・フォン、ジョウ・イエワン、チャン・ファンユアン、チュー・イン
配給・宣伝:アップリンク
原題:Mystery(浮城謎事)
2012年/中国、フランス/98分/1:1.85/DCP
公式HP:http://www.uplink.co.jp/nijyuu/
■リリース情報
DVD『パリ、ただよう花』
2015年3月4日リリース
監督: ロウ・イエ
出演: コリーヌ・ヤン, タハール・ラヒム
発売元:アップリンク
販売元:TCエンタテインメント
4,104円(税込)
TCED-2517
★作品の購入はジャケット写真をクリックしてください。Amazonにリンクされています。
映画製作・上映禁止処分を受けた中国の鬼才ロウ・イエ監督が、5年ぶりの新作『二重生活』を引っ提げ来日を果たし、日本公開記念イベントの第1弾として23日、東京大学・本郷キャンパス 石橋信夫記念ホールにて特別講義を行った。この日は、ロウ監督の大ファンであり、『タモリ論』『日本のセックス』などの著書でも知られる作家の樋口毅宏氏と、中国の現代文学を研究し、中国映画にも精通する同大学の刈間文俊教授が登壇。ロウ監督本人を交えながら、それぞれの視点から本作の魅力について熱く語った。
この映画の原題には、
水の上を漂う根無し草の意味が込められている(刈間氏)
本作は、天安門事件を扱った『天安門、恋人たち』で映画製作・上映禁止処分を受けたロウ監督が、禁止令解除後、5年ぶりに中国で製作した衝撃のメロドラマ・ミステリー。経済発展が著しい中国湖北省・武漢市を舞台に、交通事故で死亡した女子大生、彼女と最後に接触した二つの家庭を持つ男、その妻と愛人が織り成す複雑な物語がスキャンダラスに展開する。また本作は、カンヌ国際映画祭ある視点部門のオープニング作品として上映され、予測不能のジェットコースター的展開が観客を驚愕させた。
ロウ監督は、「5年間の禁止令が解かれたあとの最初の作品なので、劇場公開することができてとても感慨深い。資金面などさまざまな問題が山積していましたが、それらを全てクリアし、1本の作品として撮り上げたことで、これからも作品を撮り続けることが可能になった」とコメントし、再スタートへの意欲を見せた。
著書『日本のセックス』が『天安門、恋人たち』に影響を受けたという樋口氏は、本作を観終わったあとの余韻に浸りながら、「困ったことに、年が明けて間もないですが、もう今年のベストワンを観てしまった感じですね」と放心状態。さらに、「わりとありきたりなテーマではあるのですが、ロウ監督の手にかかると、新たな息吹が感じられ、『こんな映画、初めて観た!』という錯覚に陥ってしまう」と、すっかり本作の魔法にかかってしまったようだ。
一方の刈間教授も、「経済的に世界第2位となった今の中国をどう描くのか、予想がつく映画はたくさんありますが、この作品は『こんな撮り方をするのか!』という驚きがありました。現代中国の都市を生きる焦燥感が画面から伝わってきましたね。新しい感性というか、とても成熟している」と、手放しで絶賛。また、中国語の原題『浮城謎事』についても言及し、「城は街を表しますが、水の上を漂う根無し草の意味も込められていると思う」と、タイトルから映画の世界観を読み解いた。
『浮雲』から『砂の器』まで、
日本映画から大きな影響を受けた(ロウ監督)
これに対してロウ監督は、二人の称賛の言葉に感謝しながら、「この映画は、メイ・フォン(『スプリング・フィーバー』『天安門、恋人たち』などロウ監督と共に脚本を手掛けている盟友)と共に、主に日本の1970〜80年代辺りの作品を研究し尽くしました。例えば、『砂の器』(松本清張原作、野村芳太郎監督)や『Shall we ダンス?』(周防正行監督)などからは多くのことを学びましたね。若い頃から、日本映画をたくさん観てきましたが、アジアの中でも、日本映画と中国映画のテイストはとても似ている」と、自身の映画が日本映画から大きな影響を受けていることを明かした。
この言葉を聞いて、思わず顔をほころばせた刈間教授。それもそのはず、1985年、フィルムセンターと協力して日本映画の回顧展を中国で開催した立役者の一人でもあるのだ。これについてロウ監督は、「当時、北京電影学院の1年生でしたが、授業の一環として40本以上、貴重な日本映画を観ることができました。大島渚監督の『日本の夜と霧』もありましたね。これまで(あまり大きな声では言えませんが)海賊版のDVDでしか観られなかった作品も多かったので、とても感謝しています」と、刈間教授の尽力に敬意を表した。
また、樋口氏から、とくに気に入っている日本の映画監督や作品ついて聞かれたロウ監督は、神代辰巳監督と深作欣二監督の名を即座に挙げ、作品では『浮雲』(成瀬巳喜男監督)、『二十四の瞳』(木下惠介監督)、『魚影の群れ』(相米慎二監督)と回答。とくに『浮雲』については、「映画を勉強する人は何度も観る作品」と、中国でも監督を志す人たちのバイブル的作品であることを明言。すると、会場に駆け付けたファンから、「『天安門、恋人たち』は、村上春樹の『ノルウェイの森』に影響を受けているのか」との質問が飛び出し、ロウ監督は「確かに彼の本は読んでいるし、とても素晴らしかった。1968年の日本は、1989年の天安門事件後の中国と共通する雰囲気だったと思う」と述べ、それは影響を受けた一部の要素ではあるが、全てではないと語った。
主人公は絶倫クソ野郎、
ロウ監督はなぜ男を滑稽に描くのか(樋口氏)
本題の『二重生活』から、話が逸れつつある中、樋口氏から主人公ヨンチャオに対する過激な質問がロウ監督に放たれた。「本妻がいて、愛人がいて、女子大生にも手を出すあの“絶倫クソ野郎”ですが(笑)、彼にとって、愛の行為も、性の処理も、跡継ぎを作ることも、女性に対する制裁も、全てがセックス。なぜ、あそこまで男を滑稽に描くのか」と投げ掛けると、苦笑いしながらもロウ監督は、「ヨンチャオは、あちこちバランスを取って生きなければならないとても可哀相な男。彼の姿を通して、偽りの中では生きていけないことが学べるはず」と迷いなく回答。さらに、劇中、顔のアップが多いことについてロウ監督は、「言葉では表現できない微妙な心理の変化を、顔のクローズアップで表現したかった。『迷い』と『矛盾』が物事を決定していく、その思い惑う姿を描くことが、この映画には必要だった」と説明した。
第5世代と呼ばれるチェン・カイコーとチャン・イーモウの2大巨匠が1984年に発表した『黄色い大地』で、中国映画は変貌したと刈間教授はいう。映画を監督の個性で語る時代になり、もうあとには戻れない。彼らを乗り越え、新しい感性を生み出していくのは、紛れもなく第6世代と呼ばれるジャ・ジャンクー監督(『罪の手ざわり』『一瞬の夢』)であり、ロウ監督だ。
禁止令中、フランスで撮影した『パリ、ただよう花』や『スプリング・フィーバー』は、驚くほど自由に撮れたとロウ監督は振り返った。それでも、5年間の禁止令を耐え抜いて、再び中国での映画製作に挑んだのはなぜだろう。表現の自由が厳しく規制される母国・中国への思い…。抑圧への反発がロウ監督の映画魂に火を付けるエネルギーの源なのか。時に凶暴なほど研ぎすまされた感性が映像の中に宿るのは、怒りの向こうにある母国への愛なのかもしれない。「目の前にある出来事と緊密な関係を築きながら『現実』を切り取ることが重要なのだ」、その強い信念と共にロウ監督は『二重生活』を完成させ、現代中国が抱える心の闇を我々に突きつけた。
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映画『二重生活』
新宿K's cinema、渋谷アップリンクほか
全国順次公開中
監督・脚本:ロウ・イエ
脚本:メイ・フォン、ユ・ファン
撮影:ツアン・チアン
編集:シモン・ジャケ
音楽:ペイマン・ヤズダニアン
出演:ハオ・レイ、チン・ハオ、チー・シー、ズー・フォン、ジョウ・イエワン、チャン・ファンユアン、チュー・イン
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原題:Mystery(浮城謎事)
2012年/中国、フランス/98分/1:1.85/DCP
公式HP:http://www.uplink.co.jp/nijyuu/
■リリース情報
DVD『パリ、ただよう花』
2015年3月4日リリース
監督: ロウ・イエ
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実在の画家マーガレット・キーンとその夫ウォルター。60年代のアメリカ、ポップアート界に衝撃を与えた〈ビッグ・アイズ〉シリーズを巡る騒動をティム・バートン監督が描いた『ビッグ・アイズ』が1月23日(金)より公開となる。自らも〈ビッグ・アイズ〉シリーズを愛し、コレクターでもあるティム・バートン監督が、エイミー・アダムスとリストフ・ヴァルツを主演に迎え、60年代以降のモダン・アートに大きな影響を与えたその独特のタッチの画の秘密について迫っている。アンディ・ウォーホールからも賞賛され、セレブリティの仲間入りを果たしたふたりにふりかかったスキャンダルを、ティム・バートン監督はどのように描いたのか。
先日発表された第72回ゴールデン・グローブ賞で、エイミー・アダムスがコメディ/ミュージカル部門の主演女優賞を受賞した今作について、ティム・バートン監督が語ったインタビューを掲載する。
「ビッグ・アイズ」は日本のアニメのようだとずっと思ってた
幼い頃からずっと記憶に残ってるんだ。彼女の作品はいろんな場所に飾ってあったよ。家や病院、歯科医院、どこに行ってもね。子供ながらにすごい存在感を感じたんだ。
可愛いんだけど……なんだか恐ろしい。だから、みんながこの絵に何を感じ、興味を持つんだ。
大好きな人も、大嫌いな人もいる。そういった反応が私には興味深くてね。
いくつか持ってるよ。新しい作品が多く、古い作品は少ないね。
その中でも、古い作品は実に面白い。
最初は多くの人がウォルター・キーンの作品だと思ってて……後になって本当のことに気がつくんだ。
ああ、知ってるよ。これは日本のアニメのようだとずっと思ってた。
どっちが先だったかは忘れたけど、日本のアニメや、この絵のような雰囲気は……今でも大きな目のキャラクターは多いけど、多くの人に好き嫌いに関係なく、影響を与えてきたんだ。そんな中である程度日本のアニメを感じさせる要素があることには気づいていたよ。
これは奇妙な話で、実話だけど、信じられないというか……ウソみたいな話が事実だったりするけど、これもそうだ。
私は絵に興味があり、ウォルターとマーガレットのこじれた関係の話を聞いた。
マーガレットが描いたけど、名義はウォルターで……そんなところが面白かったんだ。
発想が気に入ったんだ。真実だけれども信じられない側面が多い。
これは『エド・ウッド』に少し似てるんだ。彼は最低の映画監督と言われても多くの人が彼の作品を覚えてる。そこが似てると思う。
この絵を嫌う人も多いが、それでも何か人の記憶に残るような強烈なものを持っている。
だからこの2つの映画には共通点がある。
どちらも実在の人物で、少し常識外れで……まるで作り話に聞こえる。
実際のマーガレット・キーンは内気で、とても内向的だった
クリストフは芸達者で、ウォルターにぴったりだ。
魅力的だが、いじめたり脅したり、そういう2つの面を同時に表現するのがとてもうまい。
エイミーは静かな力を表現した。ある意味、彼女の役の方が難しかったと思う。
内向的で内気な人物を演じつつ、見ている人に強烈な印象を抱かせた。
そんな2人が合わさってカップルとなるが、完全にゆがんだカップルだね。
実際のところ、制作費が少なかったから、ある分だけで頑張った。
色々と工夫を凝らして当時を再現した。でも制作費は大した問題じゃなかったんだ。
この作品は人間関係が中心の映画だ。だから少しは困ったけど、大方問題ない。
むしろ急いで撮影したり、あちこちへ飛び回ったりとすごく楽しかったし、前向きに仕事をこなせたよ。
内気で、とても内向的だった。なんで彼女が映画を気に入ったか不思議だったよ。
でも、自分についての映画を見ること自体が、異様な体験だと思ったね。
ましてや、その人が内気で内向的な場合は。
だから彼女にとっては、法廷に立って苦しい過去を告白することは大変なことだったと思う。
もちろん。多くのアーティストが今も昔も影響されてる。たとえば私の娘も、“ビッグ・アイ”な人形をコレクションしてる。20体ほど。
こういう人物描写はディズニー映画でも見られるし、現代の画家もこういう絵を描く。好きか嫌いかは別として、多くの人が影響を受けてるんだ。
1958年、アメリカ、カリフォルニア州生まれ。ディズニーの特別奨学金でカリフォルニア芸術大学に入学、1979年にアニメーターとしてディズニーに入社する。短編アニメ『ヴィンセント』(82)で監督デビューを果たした後に退社し、『ピーウィーの大冒険』(85)で初めて長編映画の監督を務める。1989年、『バットマン』が世界的大ヒットを記録。続く『シザーハンズ』(90)では、ダークファンタジーと切ないラブストーリーを一体化させ、広く女性ファンも獲得する。その後も『ビッグ・フィッシュ』(03)、『チャーリーとチョコレート工場』(05)、『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』(07)、『アリス・イン・ワンダーランド』(10)など、多彩なジャンルを“バートン・ワールド”に塗り替え、唯一無二の映像作家として広く愛されている。その他の主な作品は、『エド・ウッド』(94)、『スリーピー・ホロウ』(99)、『PLANET OF THE APES 猿の惑星』(01)、『ダーク・シャドウ』(12)、アニメ『フランケンウィニー』(12)など。映画以外にも様々な芸術活動で特異な才能を発揮、2009年にはニューヨーク近代美術館(MoMA)が、スケッチからデッサンや写真、映画製作用のキャラクター模型などを集めた「TimBurton展」を開催。MoMA歴代3位の入場者数を記録し、パリ、トロントなど世界5都市を巡る。その後、展示形態をテーマ毎に変えて新たに150点の作品を加えた「ティム・バートンの世界」が、2014年3月にチェコ、11月より東京で開催されて大成功を収め、2015年2月より大阪にも登場する。
映画『ビッグ・アイズ』
2015年1月23日(金)TOHOシネマズ 有楽座他 全国順次ロードショー
内気で口下手なマーガレット・キーン。彼女の描く悲しげな大きな瞳の子供たちの絵は、1960年代に世界中で大ブームを巻き起こした。──ただし、夫のウォルターの絵として。富と名声。両方を手にしたふたり。しかし、マーガレットは真実を公表し闘うと決心する。なぜ彼女は、夫の言いなりになったのか?なぜ彼女は、全てを捨てると決めたのか?アート界を揺るがす大スキャンダルの行方は?
監督:ティム・バートン
出演:エイミー・アダムス、クリフトフ・ヴァルツ
音楽:ダニー・エルフマン
美術:リック・ハインリクス
衣裳:コリーン・アトウッド
2014年/アメリカ/カラー/106分/ヴィスタ/5.1chデジタル
公式サイト:http://bigeyes.gaga.ne.jp/
公式Facebook:https://www.facebook.com/moviebigeyes
公式Twitter:https://twitter.com/bigeyesfilm
『オイスター・ボーイの憂鬱な死』
奇才ティム・バートン監督による大人の絵本
フリーキーな子供たちが次々と登場、
悲しく残酷なストーリーでありながら、
キュートさとユーモアを感じさせる
バートン独特の世界が結実。
ティム・バートン:著、イラスト
サイズ:B6変型
定価:2,855円(税別)
頁:127ページ
発行:アップリンク
発売:河出書房新社
公式サイト:http://www.uplink.co.jp/burton/
渋谷アップリンクで2014年12月より公開され、連日満席を記録したドキュメンタリー映画『イザイホウ -神の島・久高島の祭祀-』が1月24日(土)より再上映される。
『イザイホウ -神の島・久高島の祭祀-』は、沖縄島の南東5キロの海に浮かぶ久高島で12年に1度おこなわていた祭祀を記録したドキュメンタリー。久高島は、男が漁業、女が農業を営む半農半漁の離島で、今作は1966年に4日間の本祭を中心に1ヵ月余の時をかけて行われた祭祀をフィルムに収めている。
今回は野村岳也監督へのインタビュー、そして公式ホームページに掲載されている、撮影当時の模様をつぶさに捉えた野村監督による日誌を掲載する。
【野村岳也監督インタビュー
「人間のプリミティブな生活が残っている」】
『イザイホウ -神の島・久高島の祭祀-』は2008年に学術研究者に向けての上映が行われたが、一般の観客のための公開は今回のアップリンクが初となる。なお、今回インタビューと合わせて掲載する撮影日誌は、2008年の上映の際に書かれたものだという。
野村監督はアップリンクの最初の上映で連日満席を記録したことについて「イザイホウに興味を持ってい人がいたことは知っていたものの、ここまで観にくる人がいるとは想像していませんでした」と驚く。
野村監督は慶応大学で美学を学び、監督の道へ進んだ。東京でCMの制作など映像の仕事をしていた野村監督は、1965年に仲間たちと古くから神さまが天から降りてきて国をつくったという「建国神話」がある久高島を訪れた。久高の風景や島の様子に翌年に魅了され、翌年に久高島最大の神事イザイホウが行われるということを聞いて、撮影することを決めた。島に一軒家の住まいを借りた監督たちは、最初の1ヶ月はカメラをまわさず島の人たちとコミュニケーションをとることに努め、2月目くらいから風景や生活を撮りはじめた。
「僕たちも、初めから上映を目的にして作ったわけではないのです。非常に私的な気ままにやりたいように撮った。だからどんなふうに展開するか分からなかった」。
野村監督は撮影当時30代前半、「僕たちも〈貧〉を気にせず撮影、久高島の人も貧を気にしない。〈貧〉で結びついていた」と回想する。「昔話の〈おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川で洗濯に〉、というような、非常にシンプルな生活なんです。土地もみんなで共有して、資本主義社会ではない、人間のプリミティブな生活が残っている」。
現在、久高島の人数はどんどん減っており、撮影当時は600人くらいだったものの、今は3分の1の200人くらいになっているため、祭祀を行うとしてもできない状況だという。「ノロ(神女)になるのは久高で生まれて、久高に住んで、久高の男と結婚している人でないといけないんです。その決まりは年々ゆるくなっていますが、それでもだんだん減ってきています」。
このドキュメンタリーに記録されている1966年は戦後最大のイザイホウだった(その後、1978年にも行われ、岡田一男氏が代表の東京シネマ新社が『沖縄 久高島のイザイホー』として映画化している)。その後、2008年まで上映を封印してきたことについて野村監督は「久高島の人々の〈秘祭〉だから広めたくない、秘めたものにしておきたいという気持ちが伝わってきたから」と明かす。そして「それでも島の人々が撮影に協力してくれたのは、失われてきつつあるイザイホウにとって撮影することは保険であり、影のように残るものとして島の人たちは認識していたからではないか」と語る。
野村監督は久高の人たちの神に対する考え方を「人でも自然でもなく、どんなかたちというのはなく、ただ神なんです、非常に観念的なんです」と説明する。
「久高島以外でも似たようなことは行われていたんではないでしょうか。日本の祭祀の原点という感じがします」
今回の上映を経て、野村監督は最後にこんな構想も明かしてくれた。
「この祭祀は1ヵ月前から、だんだん島全体が祭祀一色になっていく。押さえに押さえていて、クライマックスになっていたところで始まって、4日間でだんだん日常に戻っていく。だから野外劇にしたら、非常にいい劇になると思います。やってみたいですね(笑)」。
【野村岳也監督によるコラム:『イザイホウ』撮影当時】
私たちが上映とDVD普及に取り組んでいるドキュメンタリー映画『イザイホウ』(49分)の製作にまつわる裏話を、思いつくままに話してみたいと思います。そうすることで、なぜ私たちが40年間埋もれていたこの作品を、敢えて掘り起こし、みなさんに見ていただこうとしているのかわかってもらえるような気がするからです。(野村岳也監督)
この映画は、1966年に撮影し、翌年に仕上げたモノクロ16ミリフィルム作品です。
普通映画製作は、上映することを目的にスタッフ編成とスケジュール、予算を組んで製作されます。私たちの映画「イザイホウ」は、そんな普通の作品ではありませんでした。
1965年、初めて沖縄へきた私は、沖縄島の東に神の島といわれる小島があることを聞き、フラッと渡ったのでした。久高島は私に並々ならぬ印象を与えました。その清冽な風景、そこで人間生活の原型のような暮しをするやさしく気品に満ちた島人 - ここでは、年間30にも及ぶ祭を通して島の暮しが営まれています。そして私は翌年に12年に一回の祭、島の女が神になる、久高島最大の神事イザイホウが行われることを聞いたのです。東京に帰って仲間に話すと、撮りたい、撮れないか、ぜひ撮ろうとたちまち決まってしまいました。
当時私たちは、みんな映画、テレビ、CFなどの仕事をしていました。翌年、仕事の整理をし、私たちはなけなしの金をかき集めて撮影に取り組むことになったのです。
いってみれば、ゲリラ的製作でした。
そんなわけで、私たちの撮影行には、通奏低音のようにビンボーがつきまとうことになります。しかし、必ずしもビンボーがマイナス要因ばかりではなかったことを、話が進むにつれて皆様にはわかっていただけると思います。
当時、ドキュメンタリー映画やテレビの撮影には、どこでも西ドイツ製の「アリフレックス」というキャメラを使っていました。しかし、私たちビンボースタッフには、このキャメラを用意することができません。10日や20日間ぐらいなら借りられないことはありませんが、そんな短期間で撮影するつもりはありませんでした。仕事でなく楽しみで撮るのですから、島への滞在は長ければ長いほどよかったのです。
そんなわけで、安く借用できるキャメラをさがしました。フィルモやボレックスという手巻き式のキャメラはありましたが、それらは1カットせいぜい20秒そこそこで、長まわしが出来ません。どこかにいい出物がないものかとさがしていたところに、耳寄りな話が聞こえてきました。
その頃の東京には、映画の機材屋がいくつかありました。その一つに、アリフレックスそっくりなキャメラを手造りしている機材屋があり、さっそく訪ねてゆきました。
それが「ドイフレックス」との出会いでした。
テストをすると、結構いいのです。機材屋のおやじは、気に入ったら使ってくれ、いくらでもいい、といってくれました。
私たちは、このキャメラに決めました。ズームレンズなんかはありません。広角、標準、望遠の3本の単レンズを交換しながら撮らなければなりませんでした。
ちなみに機材屋のおやじは名前を「土井」といいました。
こうして、私たち3人のスタッフは、「ドイフレックス」を1台もってイザイホウ本祭の2ヶ月前、待望の久高島へ上陸したのです。
1966年10月のあの日のことを忘れることができません。私たちは、神世の時代へタイムスリップしたような気持ちにとらわれたのでした。
久高上陸の翌日から、毎日憑かれたように島中を歩き回りました。美しい砂浜、せまる岸壁、そこに並んだ用途を異にするカー(井戸)、クバの林、幾つもの神の森(拝所)、箱庭のような村落の家や道、海辺にひっそりとたたずむティラバンタ、 - そんななかで島人は、男は海へ、女は原へと人間生活の原型のような暮しをしておりました。浜辺のサバニのかげで魚網をつくろう老人、畑で働く子連れの女、漁から帰ってくる男、遊びまわる子供たち。私たちは、出会う人みんなに話を聞きました。外で出会う人ばかりでなく、家々を訪ね歩いて話を聞きました。どこそこの家に祝い事があると聞けば、呼ばれもしないのに、50セントをつつんで押しかけてゆきました。島の祭(久高には年間30もの祭があった)には、すべて参加しました。島人と一緒にニガナあえのサシミを食べながら島人の話を聞きました。1ヶ月もするとほとんどの島人と顔なじみになっていました。親しく付き合う人も何人もできてきました。その間私たちは1カットも撮影してはおりません。そんななかで、だんだん島人の死生観がわかるような気がしてきたのです。
その頃から少しずつ、島の風景や島人の暮しの断片を撮影し始めました。
私たちに与えられた宿舎は、しっかりしたヒンプンと石垣に囲われた格調高い屋敷でした。それもそのはず、久高島で一番古い、ムトゥといわれる大里家だったのです。その頃、大里家は子孫が死に絶えて、無住の空家でした。しかも大里家は、第一尚氏最後の王、尚徳の恋人だった名高いノロ、美人の誉れ高いクニチャサの生家だったのです。
その悲恋を人々は次のように伝えています。
尚徳王がクニチャサと恋に落ち、政治を忘れて久高ですごすうちに、城内で反乱が起こり、急遽帰ろうとするが、絶望のあまりその船から身を投げて死んでしまう。悲しみに打ちひしがれたクニチャサは、家の前のガジュマルで首を吊って死んでしまった。
大里家に向かって右に小さな森がありました。そして、この木がクニチャサの首吊りの木だといわれるガジュマルもありました。私たちは毎日その木を眺めながらクニチャサを想い、王位を簒奪された尚徳王を想ったものでした。
15・6世紀の沖縄をイメージするには、久高島は絶好の島であったし、大里家の宿舎は、最高の宿舎だったのです。
私たちは毎晩のように、前の森を見ながら昔の沖縄を語り合ったのでした。
イザイホウを描くためには、命がけで、海へ出て行く男たちの姿をとらえる必要がありました。なぜなら、イザイホウは、島の女が神になるまつりですが、それは男たちを守るためなのですから。
遠洋漁業に出ない島の男たちは、サバニで一本釣りに出かけます。小さなサバニですから、私たちスタッフが同乗することができません。撮影のための船を得るには、チャーター料が必要でした。
そうこうしているうちに絶好の撮影日和(海の荒れた日)がやってきました。後でチャーター料を送るということでお願いするしかないと海辺でみんなで話していると、友人の漁夫が海仕度でやってきました。
「今日は久高漁夫のほんとうの姿が撮れる日だよ。俺は漁を休んで撮影に付き合うよ。チャーター料?いらない、いらない。油代もいらないよ。久高の海人のほんとうの姿を撮ってほしいんだ。」というじゃありませんか。私たちは嬉しくなって喜び勇んで海へと出たのです。
海は大波が荒れ狂っています。漁夫はそんななかでサバニに仁王立ちして釣り糸を操るのです。私たちは夢中で、勇壮なその姿を追いました。
ところが - アッという間もありません。キャメラに波がかぶってしまったのです。
浜に上がったときは、キャメラはもうまったく動きません。まだ祭祀も始まらないというのに一台しかないキャメラが故障してしまったのです。代替機を送ってもらうことは私たちにはできません。私たちは頭を抱えてしまいました。
その時、キャメラマンのSが「俺が直す、2・3日時間をくれ」と決然といったのです。Sもキャメラは廻せても、キャメラの構造などわかるはずがないのです。でも任せるしかありません。
図面を引きながら、1日かけて分解しました。そして、油で一つ一つ洗浄し、図面を見ながら2日かかって組み立ててゆきました。Sは、夜もほとんど寝なかったと思います。そして3日目に組み立て完了。テスト!快調なモーター音が聞こえました。
私たち3人は、飛び上がって喜びました。
今考えてもどうしてもわからないのは、ビスが3本あまったことです。書き出した図面の通り組み立てたはずなのに、どうして3本のビスが余ったのでしょうか。Sはいつまでも首をかしげていました。
島での私たちのくらしは、人間生活の原型に近いものでした。かまどで火をおこし、汲み置きの水で米を研ぎ、汁をつくります。暗くなれば、ランプに灯をともします。電気・ガス・水道などすべてがない、実にさわやかなくらしでした。
島では水汲みは子供たちの仕事でした。毎日何度も、西海岸のカー(井戸)から空缶やバケツに水を汲み、それぞれの家へ運ぶのです。私たちの宿舎へも運んでくれるのです。
宿舎には大きなかめに汲みおきの水がためられていました。雨がふれば、雨水もそこへたまるようになっていました。
水がめには、いつもボーフラが浮かんでいました。子供たちが、せっかく運んでくれた、あるいは、天から恵まれた貴重な水を、ボーフラがわいたぐらいで捨てることはできません。かめのふちをポンとたたくと、スッとボーフラが沈みます。その間に汲みあげるわけです。
ある日、久高島へ小さな発電機が上陸してきました。大人たちが小さな発電機を取り囲んで長い間、ああでもないこうでもないと嬉しそうに話し込んでいました。その夜から、一部のおもだったところで、一定時間電気がつくようになりました。静かな島に、発電機の音が響きました。そして、ある家でテレビが映ったのです。大人も子供もその家へ寄り集まって、大きな音の小さなテレビに釘づけになりました。窓の外にも、上気した大勢の子供たちが群がっていました。
私たちは、毎日相変わらず島の中を歩き回りました。学校が終わる頃になると、いつも10名以上の子供たちがついてきます。そして機材など荷物を持ってくれました。私たちはすぐ子供たちと仲良しになりました。
子供たちは、島のいろいろなことを教えてくれました。神の島であるこの島には、立ち入ってはいけないとされる神聖な場所があちこちにあります。子供たちは何でもどこでも知っており、いろいろ教えてくれるのです。立ち入ってはならないそんなところを撮った後など子供たちと私たちの間に共犯者同士のような連帯感が生まれて、私たちと子供たちはますます仲良しになったのです。
私たちは、毎日いつも十数名の大スタッフ(?)で島を歩き回っていました。真に楽しい撮影行でした。
年の瀬が迫るに従い、日一日と寒さが身にしみるようになってきました。
南国沖縄が、こんなに寒いとは思ってもみませんでした。私たちには、毛布が一枚ずつあるくらいで、まともな寝具など全く用意していなかったのです。宿舎は板の間で畳などはありません。私たちは毛布にくるまって寒さをこらえて寝るしかありませんでした。
そんなある日のこと、掟神のNさんたち3人の神人が、それぞれ頭に二枚の布団をのせてニコニコしながら私たちの宿舎へ入ってきたのです。私たちは福の神が迷い込んできたかのように驚きました。
当時、学校(久高小中学校)の先生方は、それぞれ宿舎に住み、週末に本島の自宅へ帰るという生活ぶりでした。そんな一人に、馬天に家のある若い女の先生がいらっしゃいました。その先生が週末に帰ったおり、わたしたちが寒かろうと3人分の布団を船で運んできて下さったのです。それは私たちの全く考えてもみなかったことで、大変恐縮したことでした。
あの頃、久高航路は馬天港とつながっていました。たまたま桟橋に荷揚げされる布団を見たNさんたちが、私たちの宿舎への運搬を引き受けて、あの日福の神の訪れとなったのでした。
翌日、子供たちの嬉しそうに笑っている、ワケありげな顔を見て、アッと気づいたのです。子供たちが先生に私たちの惨状(?)を話したに違いありません。恥ずかしさに身の縮む思いをしながらも、たいそう嬉しい気持ちになったことを覚えています。
その日から、私たちはみんな暖かい布団のなかで、ぐっすり眠ることができました。
本祭一ヶ月前の「御願立」の儀も終り、ナンチュたち(今度の神事で神女となる30歳から41歳までの女)が、定期的なウタキ参りをくり返し、島は日一日と緊張感が盛りあがってきました。
そんな一日、私たちはスタッフの命綱であるロケ費が底をついていることに気がつくのです。
「おい、金がないぞ。どうする?」
「いまさらどう出来る?米さえあれば、ひと月やふた月人間死ぬようなことはないよ。」
幸い米と塩だけは十分ありました。
「野菜は野にニガナがいっぱいあるじゃないか。芋のかずらをつんでも誰も文句はいわないよ。どうしてもタンパク質が不足するようなら、一日休んでみんなで魚釣りをやろうじゃないか。」
「あ、それはいい!」と、みんな金のないのも忘れて釣りの計画に夢中になったのでした。
私たちスタッフは、その出発点から、ビンボーにはあまり驚かない体質を持っていたのです。沖釣りは船がないからできません。磯釣りしかありません。ここでまた、子供たちの登場です。どこで何が釣れ、糸の長さは、釣り針の大きさは、と、小さい師匠について、現場実習を積み重ねたのです。
一方、島の人々の暮らしには、清貧と言っていいような清々しさがありました。
生産用具といえば、サバニと漁具、鍬、鎌とカゴぐらいで、いわゆる文化的な色合いの不純物は何一つありませんでした。この貧しさの爽やかなトーンが私たちのビンボーという通奏低音と共鳴したのかも知れません。
この後、私たちの暮らしに全く思ってもみなかった事態が展開することになるのです。
一日の撮影が終って、夕方宿舎へ帰ってくると、大盛りのサシミが置いてありました。そのおいしそうなサシミ皿をみんな、様々の思いで眺め入りました。
「幻覚じゃないんだろうね。」
するとそこへ数人の漁師たちが酒を持って入ってきたのです。疑問はたちまち氷解、楽しい酒盛りの開宴です。こんなことがたびたび行われるようになりました。そんな翌日には、前夜の漁師の奥さんたちが野菜や芋を持ってきてくれました。私たちはロケ費が底をついたというのに、前にも増して優雅な食生活をおくることになったのです。ニガナを採集したり、魚釣りをする必要もなくなり、イザイホウのことだけを考えておればいいのです。もうこうなると外来の撮影班ではありません。神事にかかわる島人のようなものでした。
本祭が近づくと沢山の報道関係者、観光客が入ってきます。無遠慮にあちこち歩き回られたのでは、たまったものではありません。その前に、島の若者たちで、報道管制をしくことになりました。縄張りをして、立入禁止の紙をぶら下げるのです。
私たちも、ごく自然に島の若者たちと一緒に、立入禁止の張り紙をはって回りました。
祭の二・三日前から大勢の人々が入ってくるようになりました。島の外に働きに出ている島の人たち、報道関係者、学者や文化人、一般の観光客などで島は膨れ上がりました。
私たちは、そんな外来者とほとんど接触することなく、神事の進行にとけこんで行ったのです。
島へ上陸した学者や文化人、そして報道関係者は目を光らせて歩き回っておりました。祭関連の場所を見、写真を撮り、島人に話を聞くのです。その真剣な姿は見ていて本当に怖いくらいでした。私たちにもひとりでに緊張感が忍び寄るような感じでした。
そんななかで、いつもたった一人、にこやかな表情で飄々と歩いている方がありました。T先生です。たしか当時琉球政府の文化財保護委員会のメンバーだったと思います。なぜかよく出会うものですから、いつしか私たちは先生と立話をするようになっていました。先生の話には、イザイホウのイの字も出てきません。久高島の植生について、実物の植物を指し示しながら、話をしてくださるのです。その話を興味深く聴いているうちに、私たちの心は自然と安らぎ、とても落ち着いた気持ちになるのでした。
先生には、道であったり、海辺であったり、井戸端であったり、不思議によくお目にかかりました。そんな先生のご様子は、本祭期間中も、まったく変わりませんでした。ほとんどの人が、目を血走らせて走り回っているのに、先生だけは飄々と祭事の周囲を歩いておられるだけでした。島の植物を通してイザイホウを見ておられるような感じでした。本祭期間中でもイザイホウのことは一言もおっしゃいませんでした。いつも島の植生について穏やかに話されるのです。
私たちは先生の話に接してどれだけ心休まる思いをしたかわかりません。
スタッフのA君は、主として進行と録音を担当しておりました。
彼とは松竹のシナリオ研究会で初めて会ったのですが、わたしより4・5才は若かったと思います。妙に積極的な、ずうずうしいと言ってもいいくらいな性格の持主でしたが、何故か憎めない男でした。
何かの時、「そんなこと言って君、恥ずかしくないのか」というと、「私のモットーとするところは、ハレンチになること、これです」といってにっこり笑うといったあんばいでした。私もキャメラマンのS君も、どちらかというと引っ込み思案の方でしたから、A君の積極性には、ずいぶん助けられたものでした。
本祭がせまる頃、メインの祭場ウドゥンミャーのキャメラ位置に悩んでおりました。
祭の全体像を捕えるには、どうしても高見の位置が必要だったのですが、それがないのです。本祭の前日、突然A君が、ちょっと本島まで行ってくると、出かけていったのですが、その夕方金もないのにどうして手に入れたのか、建設用の鉄骨足場を船に積んで、意気揚々と荒海を渡ってきたのです。さっそく組立て、現場にフカン台として据えつけました。
祭事の撮影にどれだけ威力を発揮したか分りません。他の撮影スタッフの中にもこのフカン台の恩恵を受けた人たちがあったはずです。
もう一つ、撮影用のフィルムが足りなくなってきたのを見て、どう交渉したのか、テレビ局のスタッフから2000フィート(約1時間分)のフィルムを借りてきたのもA君でした。これには後日談がありますが、今は触れません。
いずれにしても、A君は私たちスタッフにとってなくてはならない存在でした。
S君は、永い間一緒に仕事をしてきた盟友でした。海水につかって動かなくなったキャメラを三日がかりで直したあのS君です。彼は、対象にのめりこむようなキャメラマンでした。
本祭二日目、髪垂れ遊びが終った夕刻、暁神遊びが行われます。これは前日の夕神遊びに参加しなかった、午年生まれと乳飲み子をもった女で、夕神遊びと同じことを行うのです。この時はたしか8名だったと思います。私たちは、祭場で見ていたのですが、その時はライトがなく撮れないのです。
なぜかというと -
前夜の夕神遊びの時、全撮影班が話し合い、島人に頼んで発電機の電気を引き、ライティングして待っていたのです。
ナンチュが「エイファイ、エイファイ」と祭場へかけこんで来ます。このとき、突然ライトが消えてしまいました。島人の誰かが、電源を切ったに違いないのです。私たちは、そんなときに備えてフライヤー(照明用の松明)を用意しておりました。すぐフライヤーを点火して、なんとか撮影することが出来たのです。どの撮影班も、私たちの灯したフライヤーの灯で撮影したはずです。
さて、二日目はもうフライヤーはありません。ところがS君はどうしても撮るといってきかないのです。ライトがない以上、撮っても写るわけがありません。S君は、「オレはどうしても撮りたい。写らなくても撮りたい」といいはるのです。私たちは貴重な160フィートを無駄回しすることにしました。でないとSの心がおさまりません。
撮影が終って、Sはちょっと恥ずかしそうにいいました。
「いいカットだと思う。必ず使ってくれ。」
東京へ帰ってラッシュプリントをあげてみると、延々と真暗な画面が続きます。そして時々、パッとナンチュの洗い髪姿がひらめくのです。それは観光客のスチールキャメラのフラッシュのおかげなのです。
映画のフィルムは1秒間に24コマまわりますが、フラッシュが感応するのはわずか1コマです。真暗ななかで、パッパッとナンチュのひきつった顔が浮かびます。このカットに、ナンチュの「エイファイ、エイファイ」と島の男たちの怒鳴る「フラッシュたくな!」「やめろ!」をかぶせてみると、実に緊迫感のあるカットになりました。S君には申し訳ないが、やっぱり、このカットを作品に使うことは出来ませんでした。
実は、この三ヶ月間の撮影期間中にS君の長男が誕生しておりました。彼は一言も言わなかったから、東京へ帰ってから初めて、私たちはそのことを知ったのです。
12年に一回の神事・イザイホウは終りました。
潮が引くように、大勢の人々が島から出て行きます。久高島は元の静かなたたずまいを取り戻します。出会う島人は、みんな決まってホッとしたような笑顔をみせます。厳粛な神事から解きはなたれた安らぎを、覚えていたのでしょう。私たちも、歴史的な素晴らしい時間を共有できた喜びを感じておりました。
新しい年(1967年)を迎えました。
久高島では、すべての行事が陰暦で行われますから、新正月は何もしないのです。
「海へ行こう、泳ごう」
私たちは、心ときめかせて海へと歩き出しました。久高島へ来て、初めて海へ入るのです。しかし、南国沖縄でも正月は結構寒いのです。波も相当荒いのです。私たちは、岩にたたきつけられないよう気をつけながら、おそるおそる元旦の海へ入って行きました…
そんな海岸へ、ドラム缶を担いだ人が現れました。掟神のNさんです。Nさんは、私たちのために即席の風呂を沸かしてくれました。震えながら海から上がってきた私たちは、ドラム缶の風呂に入って温まりました。三ヶ月間、井戸水で体を洗ってきたのですから、久高へ来てはじめての入浴でした。
ドラム缶の風呂に身を沈めながら、私たちは三ヶ月余にわたる心あたたまる島人との交流を思い起こしておりました。
もう別れのときが迫っているのです。
これは話さないつもりでしたが、やっぱり聞いて頂くことにします。
「イザイホウ」が終った後のこと、私をたずねて中年女性が久高島へ渡ってきました。「イザイホウ」の新聞記事に撮影班の名前を見て、もしやと思い、尋ねてこられたのでした。沖縄戦の時、野戦病院壕で私の父と一緒に働いていた看護婦のTさんでした。
父は北陸の寒村で開業医をしておりましたが、1944年に召集され、軍医として沖縄へ派遣され、沖縄戦で戦死したのです。1965年に私が初めて沖縄へきたのも、父の終焉の地を一目見ておきたいと思ったからでした。
Tさんは私が一緒に働いていた軍医の息子であるとわかり、野戦病院の毎日の様子、そして父のことなどを熱っぽく語ってくれました。そして帰京前沖縄本島へ渡った時、そのガマ(壕)に案内して下さったのです。
彼女にとって、21年ぶりのガマでした。
…ここの両側にベッドが並んでおり、奥に処置室があり、いつも、うめき声や叫び声が響いておりました。麻酔薬などありませんでした。大勢で押さえつけ、切り裂き、切断したのです…
Tさんはガマへ入りながら当時の様子を憑かれたように語り出したのです。そして、走りこむように、ガマの中へ入ってゆきました。気がつくと、彼女は何も語ってはいませんでした。立ち止まって奥の方をじっと見つめているのです。そして声もなく涙を流していたのです。
Tさんたちがガマを出たのは6月23日だったといいます。 その時父は、まだガマに残っていたそうです。その後はまったく消息が知れません。
敗戦の翌年、公報が来て6月10日戦死となっておりました。しかし本当は6月10日にはまだ生きていたのです。その後、寺院で遺霊祭があり、遺骨を受け取りに行きました。
家に帰ってあけてみると、一片の紙切れに父の名が書いてあるばかりでした。
Tさんは後年、北陸の草深い我家の墓まで墓拝りにたずねて来て下さいました。
本当に有難いことでした。
あの港の別れは心に焼きついて忘れることが出来ません。
沖縄本島が遠望できる西側の桟橋(今はもうない)を、まさに出港しようとする連絡船に私たちが乗っています。桟橋には見送りに来た十数人の神女たちが立っています。
エンジン音が高まり、船が島を離れて行きます。
神女たちは涙を流しながら「行ってらっしゃい」「行ってらっしゃい」と口々に言い、手を振って別れを惜しんでくれました。
私たちも何か叫んでいたように思います。
永い映画人生で、ロケーションに来て餞別もらって (前日、神女たちから餞別をもらっていた) 涙で送られた経験は、後にも先にもこの時しかありません。
私たち3人のスタッフは、神女たちからもらった餞別をもとに、船で鹿児島までたどりつきます。
しかし、そこからの旅費がありません。
さいわいその時、私は結婚祝いにもらった、ちょっと高価な時計をもっておりました。
さっそく、質屋へ飛び込みました。行き当たりばったりです。ところが偶然質屋の息子が東京の某録音スタジオで働いていることがわかったのです。
そのスタジオは、私たちがいつも利用していた録音所です。名前を聞いても、その人はわかりませんでしたが、たちまち質屋のオヤジさんとうちとけて東京の話・録音所の仕事の話などで盛り上がりました。
オヤジさんは口調をあらためて
「わかりました。3人分の旅費と宿泊費ですね。用立てましょう」
と、途中の食費まで含めた十分な金額を貸してくれました。あの時計にそれだけの価値があったかどうかわかりません。
そうして東京駅にたどりつき、三ヶ月余にわたる私たちのヤジキタ珍道中は終りを告げたのです。
多くの人にお世話になった旅でした。そして、実に楽しい旅だったのです。
イザイホウ撮影当時のことを思い出すままに書き綴ってきました。
41年前、久高島で過ごした三ヶ月余の日々は、昨日のことのように心に焼きついています。その前後の時の流れの中で、あの三ヶ月だけはまさに別天地だったのです。
久高島の風土と島人の暮らしの中で、私たちは夢の中を生きているように流れておりました。そのせいでしょうか、私たちは普通では考えられないくらい妙なずうずうしさで島を楽しんでいたように思います。
呼ばれもしないのにお祝いの家へ押しかけたり、用もないのに一軒一軒訪ね歩いたり…
よくもまあ、と思わずに入られません。ところが、出向いたお祝いの家では「よく来てくれましたねえ」などと膳部まで用意して歓迎してくれましたし、訪ね歩いたどの家でも嫌な顔一つせず、いろいろ話を聞かせてくれました。
また、こんなこともありました。
クボウウタキに大勢の神女たちが集まった時(御願立の儀)のこと。私たちは神女たちの行列の後をおい、一緒にウタキへ入ってゆきました。ここは本来男子禁制の場で、私たちなど入ってはならない神聖な場所だったのです。
私たちもそのことは聞いてわかっていたのですが、抑えることが出来なかったのです。
そうして私たちは「御願立」の儀を撮影しました。そんな私たちを誰もとがめだてをしませんでした。
その夜、ノロ家へみんなであやまりに行きました。何か大変な事をしでかしたと思ったのです。しかし、ノロさんは私たちが話し出す前に「あんたたち何も言わなくていいんだよ。神様には私があやまっておいたから」と言ってくれたのです。私たちはノロさんの温情に救われたのでした。
そのことがあって以来、私たちと神女たち、島人たちとの垣根がとり払われたように思います。
そして、久高の神様とも…
私たちは、許されたる者の思いでイザイホウの中へ溶け込んでいったのです。(終)
石川県七尾市出身、沖縄県豊見城市在住。映画監督としてドキュメンタリー映画制作に携わる。2010年12月株式会社 映像製作 海燕社を創立。
映画『イザイホウ -神の島・久高島の祭祀-』
1月24日(土)より渋谷アップリンクにて追加上映
監督:野村岳也(海燕社)
1966年製作/ドキュメンタリー/モノクロ/スタンダード/モノラル/デジタル上映/49分
http://www.uplink.co.jp/movie/2014/34130
公式サイト:http://www.kaiensha.jp/
公式Twitter:https://twitter.com/kaiensha
第27回東京国際映画祭でワールド・プレミア上映された浅野忠信主演作『壊れた心』。フィリピンのケヴィン監督が、スラム街を舞台に殺し屋と娼婦の逃避行をカオティックに描く今作のプロデュースを手がけたのが、ドイツのステファン・ホール(Stephan Holl)氏だ。ホール氏は1996年に配給会社で劇場上映のほかDVDリリースも行うラピッド・アイ・ムービーズを設立。日本やインドをはじめとするアジアの作品をドイツの映画ファンに届けることに尽力してきた。外国映画はアートハウス系の作品をのぞいては字幕ではなく吹き替えで上映されるというドイツにおいて、2000年代前半から起こったインド映画ブームは、ラピッド・アイ・ムービーズが立役者と言われている。また2011年に公開されたいまおかしんじ監督の『UNDERWATER LOVE-おんなの河童-』をきっかけにプロデューサーとしても活動している。
今回は、東京国際映画祭のために来日したホール氏に、彼がこよなく愛するアジア映画への情熱と、プロデュースを手がけた『壊れた心』について話を聞いた。
ただアジア映画への好奇心のままに
私と妻で1996年にスタートしたラピッド・アイ・ムービーズで初めて配給したのは『攻殻機動隊(GHOST IN THE SHELL)』(1995年)でした。しかしそのときは配給の仕事について何も知りませんでした。当時はどうやったら劇場上映できるか権利についてなにも知らなかったので、ドイツのソフト会社から上映権を買いました。私たちにはビジネス・プランがありませんでした。お金もなかったし、コンセプトもなかった。釜山や香港などの映画祭でたくさんの映画に接し、北野武やキム・ギドクといった監督たちの作品を紹介したくて、ただアジア映画への好奇心のままにやってきたことが、ビジネスになってきたのです。
私はアジア映画が大好きで、香港映画のファンでした。ドイツの映画は、アジア映画に比べてとても退屈に感じられたのです。ロッテルダムやベルリン映画祭で香港ニュー・ウェイヴに触れ、映画のプログラミングの仕事をしていました。「香港&アクション特集」として、10本ほどの香港映画を、ミュンヘン、ケルン、ハンブルグなどの小さい映画館まで自分で車を運転して35ミリフィルムを運んで上映しました。
休暇で滞在していたニューヨークのフィルム・フォーラムでジョン・ウーの『狼 男たちの挽歌・最終章(The Killer)』を午後2時のアフタヌーン・ショーで観たとき、私はものすごい衝撃を受けました。この体験を人々にシェアしたい、と思い、香港の映画会社に連絡し、ライセンスを買いました。ラピッド・アイ・ムービーズとして公開した最初の2作『攻殻機動隊』『狼 男たちの挽歌・最終章』は私の原点です。
インド映画の爆発的ヒットが転機
インド映画を手がけたことです。それまでキム・ギドクなどとても暴力が描かれた映画を扱っていたのですが、あるとき、とても紳士的なインド映画のプロデューサーからある映画を紹介してもらいました。それは『家族の四季 愛すれど遠く離れて』(『Sometimes Happy Sometimes Sad』/2003年)でした。シャー・ルク・カーンをはじめ多くのインド映画のスターが出演する3時間半の作品です。私たちはその作品に魅了され配給を決め、ものすごい成功を収めました。劇場公開だけでなく、DVDでの売上も含めて、現在まで最も売上を記録した作品で、信じられない体験でした。
新しいオーディエンスが観てくれたことでしょう。メインストリームのテレビ局が「3時間半の映画をテレビで放送するのは難しいが、放送したい」と金曜の夜に放送し、同じ日にDVDをリリースしたんです。テレビ放送の視聴率もとてもよかったので、視聴者のDVD購入に繋がり、セールスチャートの1位になりました。『トイ・ストーリー』よりもヒットした、まさに現象となりました。翌日、テレビ局の人が来て「インド映画をさらに20本買いたい」と言ってきたんですよ!生まれて初めての経験でした。
会社の運営にあたってはその後、たくさんの浮き沈みがありました。私たちは私たちの会社とマーケットを守らなければいけません。例えばインド映画では、同じ映画が別の会社に二重に売られていたりするんです。最初の成功があったから配給を続けようと思ったのではありません。新しい映画に好奇心を持ち、そして興奮を求めることで続けられたのです。
初めは5人くらいにいたスタッフですが、インド映画で成功した後は15人まで増やしました。月刊誌を発行したり、サウンドトラックやインド映画に関する書籍を発行したり、いろんな野望があったのです。たぶん150本のボリウッド映画をこの10年間にリリースしてきました。でもそれがピークで、いまは5、6人に戻りました。昨年は6、7作をDVDでリリースし、何作かは劇場でも上映しました。
そうです。素晴らしい映画業界の人たちとの出会いがありました。例えば東京国際映画祭で来日しているアーミル・カーンは『チェイス!』のようなアクション大作に出演するだけでなく、プロデューサーとしてインディペンデントの小さな映画を手がけています。いつも業界のしきたりを変えようとしている。彼からは、多くのことを学びました。
世界中で最もヒットした映画は彼の『チェイス!』ですが、ドイツでは私たちがリリースした『家族の四季 愛すれど遠く離れて』です。DVDセールスはハリウッド・スケールなんです。
幸運なことに、ドイツではまだDVDを買って自分の手元に置きたいと思っている人が多いので、DVDマーケットがある。音楽は違いますね、コレクターの為のアナログレコードか、ダウンロードかどちらかになって、CDは消えてしまいました。
ブルーレイとDVDが同じ価格だったら、ブルーレイを買うでしょう。でもインディペンデントのディストリビューターにとってブルーレイを制作するのにはお金がかかる。消費者もまだDVDのほうが多いです。
上向きですが、iTuensとはアグリゲーターを介してやりとりしていて、クオリティチェックが厳しく、ハードルが高いので、リクープできないのが難点です。60パーセントがDVDセールス、15から10パーセントがテレビ、残り20パーセントが劇場、10パーセントがVODという割合です。先日ジャ・ジャンクーの『罪の手ざわり』をリリースしたとき、劇場での動員は1万人、DVDは10ユーロの価格設定で1,000本売れました。
ニック・ケイヴの映画が初心に帰らせてくれた
私が最初に恋に落ちた日本映画は、北野武の『ソナチネ』そして石井聰互監督の『ELECTRIC DRAGON 80000V』でした。そしてもうひとつ転機となったのが三池崇史監督の『オーディション』でした。「あなたが配給した作品で最も誇れるのは?』と聞かれたら、『オーディション』と答えます。『ソナチネ』は直接松竹と交渉し、配給することができました。
そうです、劇場上映のためだけでなくDVDにも必要です。ユーザーが吹き替えか字幕か選べるのがDVDのいいところですが、吹き替えにはとてもコストがかかる。たくさん日本映画をセレクトしても会社のチームから「これはだめ」と言われてしまうのがフラストレーションです。でもリリースし続けています。
マーケットに行って映画を探して会社に行って、機械のように働く……仕事に対してプレッシャーがのしかかっていました。そんなとき、ベルリンで『ニック・ケイヴ/20,000デイズ・オン・アース』を観ました。もともとニック・ケイヴが好きだったのですが、それを観終わった瞬間、私は我に返りました。これが私の配給したい作品だ!!そのためにここまでやってきたんだ、と思いセールス・エージェントそして監督に交渉し、配給することを決めました。そして、ドイツでの公開初日まで、髭を剃らないことにしたんです。10月16日に無事プレミアは終わりましたので、帰国したら剃りたいと思っています(笑)。
期待より少し少なかったけれど、熱狂的な観客が観にきてくれました。UKより多い、52スクリーンで上映しました。ニック・ケイヴは現在はブライトンに住んでいますが、80年代はベルリンにいたので、ドイツの人々にはよく知られているんです。彼はジョニー・キャッシュのように、キャリアを重ねるごとにますますよくなっていく。クオリティ、そしてセールスもドイツではいいですね。
この映画はドイツ語字幕で公開しました。配給を始めたころに返って、情熱をまた感じることができたのがうれしかったです。
セリフではなく映画を観るという体験から、
ストーリーを味わってもらいたい
『花井さちこの華麗な生涯』など日本のピンク映画をドイツで紹介してきて、日本の制作スタッフとコラボレーションをしたいと、国映に提案したんです。ピンク映画のルーティーンでなく、クレイジーなミュージカルを作りたいというアイディアに、いまおかさんがOKしてくれました。クリストファー・ドイルにも撮影を依頼して、35ミリで5日間日本で撮影をしました。最初のプロデュース作品です。
お金は限られていましたが、クリスといまおか監督の共同作業でたくさんのことを学びました。リクープはできませんでしたが、テレビ局のアルテが買ってくれたのはよかったです。
次のプロデュース作品が、『Mondomanila』(2012年)で、この作品でケヴィン監督と出会いました。彼は40作もの作品を撮っていて、デジタル・アンダーグラウンド・フィルムメイキングを実践しています。ポストプロダクションの段階から私は関わりました。
最初この作品は、2012年のベルリン国際映画祭のコンペティションに短編として出品されました。タイトル(『Ruined Heart! Another Love Story Between a Criminal and a Whore』)とアイディアがいいと思い、長編にすることを決めました。
ポストプロダクションや最初のDCPを含め、15万ドルです。<ヨーロッパでファンドを探しましたがどこも断られたので、ラピッド・アイ・ムービーズとケヴィンの資金のみで、4、5日ALEXAを使いフィリピンで撮影をスタートしました。その後クリストファー・ドイルを招き撮影を続けました。
いわゆる台本はなく、ケヴィンは45口径の拳銃にちなんで、45のシーンで構成され、ランダムに入れ替えることのできるミニマルなストーリーのアイディアを持ってきました。実際の撮影では、タガログ語やフィリピン語や日本語、ヒンディー語などが入り混じっています。
いいえ(笑)。ケヴィンとふたりで決めました。北野武監督やジョニー・トー監督の映画は、例えばフランス映画と比べると全く違う映画的言語を用いている。そういう方が好きなんです。そして観客を驚かせたかった。ヴィジュアルで語ることで、映画を観るという体験からストーリーを味わってもらいたかったのです。
今作は音楽がとても重要な役割を果たしています。ケヴィンはエディターでもあるのでマニラで編集を行い、その後ドイツで融資を得ることができ、プリプロダクションを進めることができました。ベルリンでクリスも立ち会ってカラコレを行い、音楽を録音して、ケルンでミキシングを行いました。
ケヴィンはミュージシャンでもあるので、メインのシーンの音楽は作曲していましたが、私は別のミュージシャンを起用し再レコーディングすることにしました。私はその音楽録音のコーディネイトをしたのです。そのほか浅野さんが踊るシーンで使われる60年代風の曲などは既成楽曲については、クリアランスのためにとても時間がかかりました。
音楽を担当したステレオ・トータルはドイツでとても人気のあるバンドなので、彼らに協力してもらって、ベルリンのプレミアではバンドの演奏を含めた上映を2015年4月に考えています。
最期に、ひとつ面白いエピソードを教えましょう。オープニング・クレジットは、タトゥーで出演者の名前が表現されていますが、実はすべて、フィリピンの有名なタトゥー・アーティストを起用して、ある男の身体にぜんぶ本当に刺青を入れたんです。
私は入れませんでした。ケヴィンのアイディアでしたが、クレイジーでしょ(笑)。
映画『壊れた心』
監督/脚本/プロデューサー/作曲/音楽 : ケヴィン
撮影監督 : クリストファー・ドイル
プロデューサー/音楽スーパーバイザー : ステファン・ホール
プロデューサー : アチネット・ビラモアー
音楽 : ブレッツェル・ゴーリング
美術 : フランシス・ゼーダー
編集 : カルロス・フランシスコ・マナタド
音響デザイナー : ファビアン・シュミット
振付 : ミア・カバルフィン
キャスト:浅野忠信、ナタリア・アセベド、エレナ・カザン、アンドレ・プエルトラノ、ケヴィン、ヴィム・ナデラ
73分/フィリピン語/Color/2014年/フィリピン=ドイツ
公式サイト:http://ruined-heart.com/
現在ニューヨークに在住のアーティスト、恩田晃氏が荏開津広氏と六本木の「SHIMAUMA」にてトーク・イベントを行った。今回恩田氏は5年ぶりに東京を訪れ、六本木SuperDeluxeで行われた「Tokyo Experimental Performance Archive」でのソロ・パフォーマンスや、渋谷WWWで行われた「サウンド・ライブ・トーキョー 2014」でマイケル・スノウ、アラン・リクトとのパフォーマンスを行った。
今回のトーク・イベントのテーマは『カセットとレコード、ニューヨークと東京/文化の器』。10代の頃より海外と日本を行き来し、2000年からニューヨークでの活動を開始。音楽、映像、美術というフィールドを横断して活動する恩田氏の代表作と言える、カセット・テープレコーダーで日記のように録り溜めたフィールド・レコーディングを用いる「カセット・メモリーズ」誕生のきっかけ、そして恩田氏の表現の源泉について語ってくれた。
寺山修司の表現から学んだこと
荏開津広(以下、荏開津):「カセット・メモリーズ」をスタートさせるきっかけは何だったのですか?
恩田晃(以下、恩田):15歳くらいから写真をやっていたんですが、19歳ぐらいだったかな、ロンドンでカメラが壊れてしまったんです。お金がなかったので、道ばたで売られていたソニーのテープレコーダーを買って、カメラの代りに日常のありとあらゆる音を録りまくり始めました。
私は母親が画家で、小さいころから美術の展覧会を観に行っていたので、もともと音楽よりもアートや映像への興味が高かった。とりわけ寺山修司からの影響は大きくて、天井桟敷の最後の公演も観にいき、寺山をきっかけにジョナス・メカスやマヤ・デレンなどの前衛映画にはまりました。
荏開津:寺山修司のどういうところに影響を受けたのですか?
恩田:寺山は俳句や短歌のような日本の詩から自分の表現を始め、演劇、映画、小説、ラジオ、果ては競馬まで、何にでも手を出した。欧米の文化にも精通していたし、実際に海外でも受けた。グローバルな感覚と青森出身というローカルな感覚をうまく結びつけたところが面白いと思ったんです。
日常的なマテリアルから
オルターナティブな現実をクリエイトする
荏開津:どのように「カセット・メモリーズ」の作品は作られるのですか?
恩田:一度録ったら、たいていそのままレーベルに何も書かずに放っておくんです。日記みたいなものですが、記憶のためでなく、忘却のために録る。何年か経って忘れたころに取り出して聴いてみて、面白い音だと思えばそこから作曲やパフォーマンスの素材にしていく。それらをコラージュして作品にしていく。面白くなかったら消してしまってテープはリサイクルする。
恩田:「カセット・メモリーズ」は2000年にニューヨークに移ってから始めました。フランスのピエール・シェフェールやリュック・フェラーリといった電子音楽にも興味がありましたが、それ以上にハリー・スミス、ジョセフ・コーネル、ジャック・スミス、マイケル・スノウ、ケン・ジィコブスらのニューヨークの60、70年代の前衛アーティストからの影響が大きかったですね。
日常的なマテリアルを元に、オルターナティブな現実をクリエイトする。マジックリアリズムという言葉がありますが、私がやっていることはそれに近いところがあって、自分の経験を日記的としてそのまま伝えるのではなく、もっと大きな文化そのものに連なっていこうとしている。
(参加者からの質問):毎日録音していくなかで、どうしようもない日常もあると思うのですが、どうやって私小説的な部分を排除していくのですか?
恩田:最初はただのオブセッションで録音していました。でもそれを10年、20年やっていくと、アートのプラクティス(実践)になってくる。それを極端にやってみようと、この3年間は毎日テープを1本録り続けていました。まあ、毎日録るとどうしようもない音もたくさんありますよ(笑)。私小説的な部分を排除していくには、客体化することでしょうね。行為にも、考え方にも、クリティカルは視点を導入していく。
音楽より美術やダンスの世界のほうがはるかに面白い
荏開津:自分のやっていることが美術の領域に入り込むことは、気づいていたんですか?
恩田:以前はあまり自覚していませんでした。でも今やっている仕事は、音楽だけのコンテクストは少なくて、美術と音楽の中間、もしくは音楽と映像の中間が多い。今の音楽は保守的な傾向が強いと思うんです。以前は決してそうではなかった気がする。今は美術やダンスの世界のほうがはるかに面白いものがあるし、次々と新しいものが生まれてエキサイティングだと思う。
荏開津:でもそんななかで、恩田さんご自身で音楽をする必要はあったのでしょうか?
恩田:どうせやるなら面白いほうがいいじゃないですか(笑)。音楽の普通のプレゼンテーションは興味がなくなってきていて、通常のコンサートではないサイト・スペシフィックなパフォーマンスに移行しつつある。あとは、会場でもステージ、客席とわけるのをやめて空間全体を使ってしまうとか。ルールに縛られるのをやめて、発想を少し変えてみるといくらでも可能性は広がるんじゃないかな。
音楽家、美術作家、パフォーマー。日本に生まれ、現在はニューヨークに在住。カセット・ウォークマンで日記のように録り溜めたフィールド・レコーディングを用いた「カセット・メモリーズ」でよく知られている。音楽、映像、美術にまたがる幅広い分野で、メディアを縦断する活動を精力的に行っている。主なプロジェクトとして、前衛映画の巨匠ケン・ジェイコブスとの「ナーバス・マジック・ランタン」、マイケル・スノウ、アラン・リクトとの即興演奏トリオ、サウンドアートの鈴木昭男とのサイトスペシフィック・ハプニング、美術作家ラハ・レイシニャとのコラボレーションなど。ニューヨークのキッチン、MoMA PS1、パリのポンピドゥー・センター、カルティエ・ファンデーション、パレ・ド・トーキョー、ロンドンのICA、マドリッドのラ・カサ・エンセンディーダなど、世界各地のフェスティバル、芸術センターに頻繁に招待され、パフォーマンス、上映、展示をつづけている。
http://www.akionda.net
執筆/DJ/翻訳。音楽/映像/アートに関わる様々なプロジェクトを手がけている。東京藝術大学、京都精華大学などの非常勤講師。主な翻訳「サウンド・アート」(フィルム・アート社、2010年、木幡和枝、西原尚と共訳)、主なエッセイ “Attempt To Reconfigure ‘Post Graffiti’”、 “Art As Punk”など。
映画『二重生活』が2015年1月24日(土)より公開となる。監督は『天安門、恋人たち』『スプリング・フィーバー』のロウ・イエ。第65回カンヌ国際映画祭ある視点部門のオープニング作品として上映され、大きな反響をよんだ本作は、監督史上、最もスキャンダラスなエンタテインメント作となっている。
優しい夫と可愛い娘。夫婦で共同経営する会社も好調で、なにも不自由のない満ち足りた生活を送る女ルー・ジエ。愛人として息子と慎ましく生活しながらも、いつかは本妻に、と願う女サン・チー。流されるまま二人の女性とそれぞれの家庭を作り、二つの家庭で生活する男ヨンチャオ。「二重生活」が原因で巻き起こる事件、さらにそれが新たな事件を生み、事態は複雑になっていく。3人の男女、事件を追う刑事、そして死んだ女。それぞれの思わくと事情が何層にも重なりあい、物語はスリリングに進む。
現代中国社会のダブルスタンダードや、一人っ子政策の弊害という問題をも浮き彫りにしつつも、激しい感情のぶつかり合いをロウ・イエ作品独特の漂うような画で魅せている。webDICEでは、ロウ・イエ監督のインタビューを掲載する。
「中国という社会が昔からずっと二つの顔を持っているんだから、人々は"二重"であることに馴れているんだよ」
ロウ・イエ監督インタビュー
『天安門、恋人たち』以降、僕は5年間、映画製作を禁じられたので、中国を離れ、アメリカのアイオワ大学に行った。そこで教えていた中国人作家のニエ・フォアリンに招待されたんだ。それから脚本家のメイ・フォンと、後に『スプリング・フィーバー』(2009)となるプロジェクトを進めた。というのも僕は映画製作を禁じられていたので、海外で撮影できる脚本を探していた。かなりの数の脚本を読んだが、満足できるものはなかったね。
『スプリング・フィーバー』は南京で、ほぼゲリラ撮影に近い手法を使って、小さなDVカメラで撮影した。次にパリに行って、リウ・ジエの小説『裸』を脚色して作ったのが、『パリ、ただよう花』(2011)だ。あの映画が完成したころには、5年が過ぎていたので、中国に戻れるようになったんだ。
フィルムメーカーにとって、5年間、映画製作を禁じられるというのは、恐ろしいことだ。あの処罰を受けた時、公式に拒否の声明を出そうと考えた。多くのフィルムメーカーやアーティストから寄せられた抗議の署名が書かれた手紙を公表することでね。でも結局、何もしないことにした。映画を作り続けることが、一番の対応だと考えたからだ。この5年間は、そのことにエネルギーを注いできた。中国で『スプリング・フィーバー』を撮ったのは、処罰には屈しないことを見せたかったからだ。
『パリ、ただよう花』の後、共同で脚本を書いたメイ・フォンがインターネットで中国の日常が書かれた話を探していたんだ。脚本のヒントになりそうな素材がないかと思ってね。僕らは彼が見つけた3つの話を使って、階層によって異なるものの見方を描くことができた。二重生活や犯罪、新興富裕層の暮らしなんかを織り交ぜながらね。脚本を書く段階で、そういったものの見方をとりまとめた。僕は二重生活が原因で犯罪が起こるというのが面白いと思った。
二重生活というのは、中国で顕著に見られる現象だ。奥さんが二人いるという男はかなり多く、人間関係における象徴的なことなんだよ。自分の暮らしに不満な人間は、新たに別の環境を作り出すんだ。表面的に分からなくても、どこか隠れた場所で行われているんだよ。中国では、二面性を持ち、なんとか現実に対峙しながら暮らす人間がいるんだ。
ミステリーとはいろんな受け止め方ができるものだからね。作家が伝えたいことをしっかり描きながらも、検閲に対応しやすいんだ。もちろんそれが1番というわけではないけど。実は、初めからミステリーにしようと思ったわけではないんだ。2稿めか3稿めで、現代中国社会を描くにはミステリーがふさわしいんじゃないかと思って、すこしずつその方向になっていった。映画とはそもそも、検閲にとっては「やっかいなこと」を語るものだからね。人の想いや社会の「やっかいなこと」を反映してしまうのが映画なんだと理解してほしいよ。
もちろん二人以上の男と関係を持っている女性はいるだろけど、まれだよ。女性は自由度が低いからね。二人以上の女性を養っている男というのは、世間が受け入れているんだ。それが成功者の証というふうに思われているふしもあるが、男の愛人が複数いる女性というのは、敵意を持たれるだろうね。
この15年の中国の経済発展で、ミドルクラスという階層が生まれたわけだが、いろいろな点で道徳観念も似ているし、特に見た目は他の国と変わらない。しかし世界的な基準から見れば、いかにも中国人らしいところもあるね。
男が自分の人生において二重の生活を築こうとする、そのやり方だね。そこにある矛盾を解消しようとはしない、そのやり方が中国人らしい。もちろん、愛人を持っている人は世界中にたくさんいるし、中国に限った話ではないと思うけれど、中国には「政治も二重」という側面があるからね。中国という社会が昔からずっと二つの顔を持っているんだから、人々は「二重」であることに馴れているんだよ。
まさのその通りだね。同じことが中国人の精神性にも現れていると思う。金で解決ができると思っている、誰かが尻拭いをしてくれる裕福な子供たちと、真実を追求することなく捜査を中止する刑事は、精神構造が同じ生活様式の中で生きている。永遠に妥協し続ける世界に生きているんだ。
現代の中国では、法律そのものに威力がなく、すべてが交渉の世界だ。つまりモラルなんて存在しない。だから(この映画の)主人公は、自分の感情に折り合いを付けるために、ある決意をするんだ。捜査を中止する刑事のやり方と同じようにね。バランスを保つために、おかしな選択をする。それこそが、まさに中国人らしさだよ。でもそれは、中国という巨大な国規模で考えれば遙かに深刻な悲劇を生むことになる。誰も真実とは何かなんて気にしていない。その結果が、この映画の(英語の)タイトルである「ミステリー」なんだ。
冒頭で死んでしまう若い女の子は現代中国の犠牲者と言える。彼女は死ぬけれど、誰も彼女を「殺そう」とはしていない。そういった社会の犠牲者はけっこういて、その死はすぐに忘れられてしまう。その犠牲によって社会が発展していくかもしれないが、忘れて良い死などない。登場人物たちは、誰も悪いことをしようと思っていたわけじゃない。しかし、それぞれの行動すべてが悲劇的に作用してしまったんだ。
1965 年劇団員の両親のもと、上海に生まれる。1983年に上海華山美術学校アニメーション学科卒業後、上海アニメーションフィルムスタジオにてアニメーターとして働く。1985年北京電影学院映画学科監督科に入学。
『ふたりの人魚』(00)は中国国内で上映を禁止されながらも、ロッテルダム映画祭、TOKYO FILMeX2000でグランプリを獲得。1989年の天安門事件にまつわる出来事を扱った『天安門 恋人たち』(06)は、2006年カンヌ国際映画祭で上映された結果、5年間の映画製作・上映禁止処分となる。
禁止処分の最中に、中国では未だタブー視されている同性愛を描いた『スプリング・フィーバー』は、第62回カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞した。パリを舞台に、北京からやって教師と、タハール・ラヒム演じる建設工の恋愛を描いた『パリ、ただよう花』の撮影後、2011年に電影局の禁令が解け、中国本土に戻って撮影された本作『二重生活』は、第65回カンヌ国際映画祭ある視点部門に正式招待され、高い評価を受けた。
中国現代文学の代表的作家でありロウ・イエと親しい友人でもあるピー・フェイウー(畢飛宇)の小説を原作にした『ブラインド・マッサージ(原題:Blind Massage/推拿)』は第64回ベルリン国際映画祭銀熊賞(芸術貢献賞受賞)を受賞。日本では2014年9月にアジアフォーカス・福岡国際映画祭にて先行上映された。
映画『二重生活』
2015年1月24日(土)より、新宿K's cinema、渋谷アップリンクほか全国順次公開
監督、脚本:ロウ・イエ
脚本:メイ・フォン、ユ・ファン
撮影:ツアン・チアン
編集:シモン・ジャケ
音楽:ペイマン・ヤズダニアン
出演:ハオ・レイ、チン・ハオ、チー・シー、ズー・フォン、ジョウ・イエワン、チャン・ファンユアン、チュー・イン
配給・宣伝:アップリンク
(2012年/中国、フランス/98分/1:1.85/DCP)
公式サイト