webDICE 連載『映画『光のノスタルジア』『真珠のボタン』』 webDICE さんの新着日記 http://www.webdice.jp/dice/series/39 Mon, 16 Dec 2024 20:30:20 +0100 FeedCreator 1.7.2-ppt (info@mypapit.net) アメリカが仕組んだもうひとつの9.11―世界初の選挙による社会主義政権とクーデター http://www.webdice.jp/dice/detail/4908/ Tue, 10 Nov 2015 11:13:44 +0100
"映画『光のノスタルジア』より © Atacama Productions (Francia) Blinker Filmproducktion y WDR (Alemania), Cronomedia (Chile) 2010




チリのドキュメンタリー作家、パトリシオ・グスマンの2部作『光のノスタルジア』『真珠のボタン』を公開中の岩波ホールにて、トークイベントが3日間にわたり実施。11月10日は民族問題研究家の太田昌国さんが登壇した。




グスマン監督は、「世界で最も優れた10本の政治映画のうちの1本」と言われる『チリの戦い』をはじめ、キャリアを通じて自国チリの歴史の暗部を告発し続けており、1973年のピノチェト将軍によるクーデターの際に逮捕された経験を持つ。この『光のノスタルジア』『真珠のボタン』では、独裁政権下多くの命が奪われたチリの人々の姿を、宇宙の神秘と自然の美を交錯させて描いている。太田さんはこの日、チリの社会主義政権成立までの道のりと軍事クーデターが世界に及ぼした影響、そしてチリの現代史を主題とするチグスマン監督の功績について解説した。






【『真珠のボタン』について】



全長4300キロ以上に及ぶチリの長い海岸線。その海の起源はビッグバンのはるか昔まで遡る。そして海は人類の歴史をも記憶している。チリ、西パタゴニアの海底でボタンが発見された。―そのボタンは政治犯として殺された人々や、祖国と自由を奪われたパタゴニアの先住民の声を我々に伝える。火山や山脈、氷河など、チリの超自然的ともいえる絶景の中で流されてきた多くの血、その歴史を、海の底のボタンがつまびらかにしていく。




【『光のノスタルジア』について】



チリ・アタカマ砂漠。標高が高く空気も乾燥しているため天文観測拠点として世界中から天文学者たちが集まる一方、独裁政権下で政治犯として捕らわれた人々の遺体が埋まっている場所でもある。生命の起源を求めて天文学者たちが遠い銀河を探索するかたわらで、行方不明になった肉親の遺骨を捜して、砂漠を掘り返す女性たち……永遠とも思われる天文学の時間と、独裁政権下で愛する者を失った遺族たちの止まってしまった時間。天の時間と地の時間が交差する。









世界で初めて選挙によって成立した社会主義政権




近代チリのもっとも重要な産業基盤になったのが、アタカマ砂漠一帯に開発された銅山です。世界のどの国であっても炭鉱労働者や鉱山労働者は労働組合運動において大きなウェイトを占めるのですが、チリとて例外ではなく、鉱山労働組合はチリ全体の社会運動のなかで大きな比重を持つようになります。1920年から1930年代にかけて、社会党や共産党などの政党が形成され、保守派の政権に対して人民戦線的な連合政権をつくる動きの中で出てきたのが、1930年代後半の人民戦線のなかで一閣僚を占めるサルバドール・アジェンデという人物でした。





太田昌国さん

太田昌国さん



彼は1908年の生まれですから、閣僚になったときは30代そこそこで非常に若かったと思います。彼は一貫して社会党のなかの有力なメンバーの一人で、何度も大統領選挙にも出ており、四度目で当選したときの大統領選挙は1970年でした。得票数は50%に満たなかったと思いますが最高得票数ではあった。20世紀の現代史においては、世界で初めて選挙によって成立した社会主義政権であると言うことができます。それまでのロシア革命あるいは中国やキューバにおいても様々な運動がありましたけれども、最終的には武力によって前の政権を打倒するかたちでの社会主義政権を成立した。そういう意味において、1970年代のチリでは世界史的に見ても画期的な事態が起きていたわけですね。





映画『光のノスタルジア』より © Atacama Productions (Francia) Blinker Filmproducktion y WDR (Alemania), Cronomedia (Chile) 2010

映画『光のノスタルジア』より © Atacama Productions (Francia) Blinker Filmproducktion y WDR (Alemania), Cronomedia (Chile) 2010



福祉政策に力を入れたアジェンデ政権への富裕層の反発




1970年というのはキューバ革命から11年目です。1959年にキューバ革命で勝利して以降、キューバはアメリカ帝国によって経済的に全面的に封鎖されていた。とくに革命初期にはCIAが資金援助や武器援助を行ったうえで反革命軍がキューバに上陸するというような企てが何度もあったが、それでもキューバは持ち堪えていたわけです。そこへキューバのあり方に同調する、あるいはアメリカ帝国のやり方に反対する政権がチリにできた。チリの鉱山企業や電信電話公社(ITT)は全て多国籍企業が運営しており、アメリカ企業の利権も非常に大きなものがあったわけですが、アジェンデの国有化政策によって断ち切られて経済的なメリットを奪われていく。しかも政治的にはキューバに同調する動きを決して許すことができないというのがアメリカ政府およびCIAの考え方だったわけです。




ですから、大統領の決選投票の段階から「アジェンデ政権をどうやって潰すか」ということが彼らにとっての課題になり、具体的な策謀が試みられていきます。



映画『真珠のボタン』より © Atacama Productions, Valdivia Film, Mediapro, France 3 Cinema - 2015

映画『真珠のボタン』より © Atacama Productions, Valdivia Film, Mediapro, France 3 Cinema - 2015




アジェンデは、チリは経済的に貧富の差が激しい社会であることを自覚していましたから、当然のことながら福祉政策に力を入れる、つまり、より貧しい層に対して経済政策や福祉政策を手厚く実施し、社会的な公平さを保とうとするわけです。当然、チリには富裕層、中産階級もそれなりの厚みを持って存在していたわけですが、経済的な格差をなくすという政策が行われることによって、富裕層はいままで自分たちが享受していた独占的な豊かな生活を奪われていくことになる。そうするとCIAの工作に付和雷同するわけですね。「こんなアジェンデは潰さなければならない」と。



一番力を発揮したのはトラック業者に対するサボタージュ工作でしょう。規模の大きいトラック業者を買収して輸送業務をストップさせるわけです。輸送路を麻痺させれば、当然日用必需品や食料品の輸送ができなくなり、福祉政策の恩恵に浴している貧しい層も含めて人民の不満が高まる。そういった狙いで、CIAはトラック業者を買収し、サボタージュ工作を行うことで大きな力を発揮しました。このように内からは富裕層・中産階級などの策謀があり、外からはCIA側の策謀があった。





ディズニー映画、女性雑誌の価値観の押付けへの批判



三年間にわたるチリ的社会主義は非常に面白い方法を編み出したと思います。僕が一番注目しているのは、「大きな力や資本を持った国々の文化浸透がどのように行われているのか」の研究です。映画でいえばハリウッドであったり、テレビではアルゼンチンやメキシコなどの大国であったり、小さな国はどうしたって大きな金を動かして浸透させることのできるメディアに牛耳られている。そうすると、小さな国は自国の文化的な独立性や自立性を考えたときに、非常にまずい傾向あるということに気付くわけです。それを学生や大学教授たちが具体的に研究して批判していくわけですが、いちばん重要視されたのはディズニー文化の批判です。現在、ディズニーは世界を席巻していて、あのような娯楽の世界は子供だけでなく、大人にも夢をもたらすようなものであると一般的に信じられている。




映画『真珠のボタン』より © Atacama Productions, Valdivia Film, Mediapro, France 3 Cinema - 2015

映画『真珠のボタン』より © Atacama Productions, Valdivia Film, Mediapro, France 3 Cinema - 2015





しかし、ウォルト・ディズニーがつくってきた世界はどういう価値観を生み出しているのか。ディズニーランドはどういう価値観を押し付けようとしているのか。それを批判的に分析する非常にすぐれた研究が行われました。日本で紹介されたものとしては、アリエル・ドルフマンたちの『ドナルド・ダックを読む』(晶文社)があります。これはコミック批判ですが、どの表現ジャンルにも応用できるでしょう。




また、現代日本の問題でもありますが、チリでは女性雑誌も批判的な検証の対象となった。いわゆる女性雑誌が女性たちをどれだけ精神的に疎外していくか。「美しくなる」「痩せる」「おいしいものを食べる」「男にどうやって好かれるか」と、ある特定の価値観に人々を誘導していく。そういう文化的な浸透は何を意味するのか。そういったことに対する真剣かつ刺激的な研究がなされており、その試行錯誤には見るべきものがあったと今でも思っています。






革命は民主的な方法で行われなければならない



カストロや毛沢東とはちがい、アジェンデは民主的な方法で、段階を踏んで革命は行われなければならないと考えて、とうとう軍隊には手をつけませんでした。つまり、昔ながらの革命であれば、人民軍を名乗ったり革命軍を名乗ったりする、いわば人民の軍隊というものがあった。それは新しい体制のなかでは、抑圧軍になる場合もありますから、微妙な問題があるのですが、チリの軍隊というのは、社会主義政権が成立する過程では何も革命には何も貢献していないわけですね。グスマンの『チリの戦い』という映画に出てくる軍人を見ると、「本当に悪い奴が集まっているな」と思わざるを得ない顔つきの白人エリートがいるわけですが、最終的に彼らはCIAの側につき、とうとう1973年9月11日に大統領官邸を爆撃し始めるわけですね。



アジェンデは最後にラジオ放送で、民衆に訴える演説を行ないます。クーデターで殺される前に自分の頭に銃弾を撃ち込んで自ら死んでいった、という説が有力です。それが『光のノスタルジア』『真珠のボタン』で語られている軍事政権の出発点なんです。



そこでピノチェトという陸軍の最高司令官が軍事評議会の議長だったんですが、やがて大統領を名乗って1973年から1989年の19年間、軍事政権が続くわけです。そこで行われたほんの一部が、『真珠のボタン』で描かれた、レールをつけて太平洋に人を突き落して殺したというあり方なわけです。



映画『真珠のボタン』より © Atacama Productions, Valdivia Film, Mediapro, France 3 Cinema - 2015

映画『真珠のボタン』より © Atacama Productions, Valdivia Film, Mediapro, France 3 Cinema - 2015





もうひとつの9.11―

アメリカが黒幕となったチリの軍事クーデター




その前から軍事政権は近隣諸国にありましたが、チリはあまりにも軍事クーデターのやり方がショッキングだった。しかも打倒されたのは選挙を通じて成立した社会主義政権で、クーデターの背後にはCIAがいた。そういういろんな事情が重なっているので、世界の現代史のなかで見ても非常に大きな事件であると思います。これの起こった日付がなんと1973年9月11日なんですね。2001年の「9・11」については、アメリカは自分たちが世界で唯一こうむった悲劇的な大事件だというふうに振舞って一ヶ月後にはアフガニスタン攻撃を始めたわけです。しかし十数年前には自分たちが黒幕になった、もうひとつの9・11があった。ラテンアメリカの人々にとっては「もうひとつの9・11」というのは定着した言い方です。2001年の事件だけを言い募るアメリカ的な言論があるが、アメリカが起こした1973年の9・11があるではないか。すべての悲劇をなくす努力をしなければならないのに、なぜ自分たちの2001年の9・11だけをとりあげて、愚かな「反テロ戦争」なるものを始めるのか、という考え方があるのを知っておかなければならないと思います。




映画『光のノスタルジア』より © Atacama Productions (Francia) Blinker Filmproducktion y WDR (Alemania), Cronomedia (Chile) 2010

映画『光のノスタルジア』より © Atacama Productions (Francia) Blinker Filmproducktion y WDR (Alemania), Cronomedia (Chile) 2010




チリの歴史とグスマン監督について―

『チリの闘い』三部作の不思議な迫力



パトリシオ・グスマンというのは、私も30年前から名のみ知っている非常に有名なドキュメンタリー作家でした。ただ、日本ではなかなか見る機会がなく、『光のノスタルジア』が4年前の山形国際ドキュメンタリー映画祭のコンペティション部門で上映されました。今年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で『チリの闘い』という全三部作の5時間近い大作が上映されたんです。グスマンはアジェンデ政権が成立し、チリ的な社会主義が始まるということで記録映像を撮り始めたわけですね。




『チリの闘い 三部作』

『チリの闘い 三部作』より、サルバドール・アジェンデ



第一部「ブルジョワジーの暴動」では社会主義の道をつぶすために、有産階級がどのような動きをしたのかということをかなり克明に、日常的な記録としてカメラにおさめました。第二部「反乱」ではクーデター直前の不穏な軍の動きを伝え、第三部「民衆の力」では、業者がサボタージュするのであれば、小さい規模であるが自分たちで輸送車の手配をする。日用必需品、食料品を輸送して、平等にそれぞれ必要とするひとたちにどのように分けるかというような民衆の動きが映し出されています。



ですから、チリ革命の3年間、1000日間はまさに革命と反革命の攻防であったと、その事態がはっきりと記録されているわけですね。それでとうとう、1973年9月11日に大統領府が爆撃されるとこまですべて撮ってしまい、そのままグスマンは逮捕される。当時は16mmフィルムで、おそらく何百時間も撮っているでしょうから膨大な量になるわけですね。『チリの闘い』の制作を手伝った方に話を聞いたら、グスマンにはピアニストで政治とも社会ともまったく無関係に生きているおじさんがいて、彼にすべてのフィルムを託したと。軍事政権が利口であれば、親類縁者の家宅捜索をしたんじゃないかと思うんですが、幸い発見されずにフィルムはキューバに船便で運ばれたわけです。グスマンは逮捕されてから2ヶ月くらいで釈放され、すぐにキューバへ行って無事だったフィルムと再会すると、編集をして4時間半のものになんとかまとめた。これはじつに面白いというか、不思議な迫力に満ちた映画でした。



グスマンというひとは、もちろん厳しさもあるが、全体的にはものすごく静かな映画を撮るひとだと思うんです。しかし彼が若かった時代のチリ革命の日々のカメラの回し方はなかなかすごかったのだなあと感じます。ある意味で、チリ現代史と生きてきて、いろんなチリ現代史の顔をここまで刻み込むことのできた稀有な作家だと思います。





(2015年11月10日、岩波ホール内・岩波シネサロンにて)











太田昌国(おおた・まさくに) プロフィール



現代企画室編集長。民族問題・南北問題を軸に、世界、東アジア、日本の歴史過程と現状を分析・解釈することに関心を持つ。主な著書に『チェ・ゲバラ プレイバック』(現代企画室、2009年)、『「拉致」異論』(太田出版、2003年/河出文庫、2008年)、『テレビに映らない世界を知る方法』(現代書館、2013年)など、編訳書に『アンデスで先住民の映画を撮る―ウカマウの実践40年と日本からの協働20年』(現代企画室、2000年)などがある。












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映画『光のノスタルジア』

岩波ホールにて11月20日(金)まで上映中、他全国順次公開




映画『光のノスタルジア』より

映画『光のノスタルジア』より © Atacama Productions (Francia) Blinker Filmproduktion y WDR (Alemania), Cronomedia (Chile) 2010



監督・脚本:パトリシオ・グスマン

プロデューサー:レナート・サッチス

撮影:カテル・ジアン

天文写真:ステファン・カイザード

製作:アタカマ・プロダクションズ

配給:アップリンク

2010年/フランス、ドイツ、チリ/1:1.85/90分

© Atacama Productions (Francia) Blinker Filmproduktion y WDR (Alemania), Cronomedia (Chile) 2010



映画『真珠のボタン』

岩波ホールにて11月20日(金)まで上映中、他全国順次公開



映画『光のノスタルジア』より © Atacama Productions (Francia) Blinker Filmproducktion y WDR (Alemania), Cronomedia (Chile) 2010

映画『真珠のボタン』より © Atacama Productions, Valdivia Film, Mediapro, France 3 Cinema - 2015



監督・脚本:パトリシオ・グスマン

プロデューサー:レナート・サッチス

撮影:カテル・ジアン

編集:エマニエル・ジョリー

写真:パズ・エラスリス、マルティン・グシンデ

製作:アタカマ・プロダクションズ

配給:アップリンク

2014年/フランス、チリ、スペイン/1:1.85/82分

© Atacama Productions, Valdivia Film, Mediapro, France 3 Cinema - 2015




公式サイト:http://www.uplink.co.jp/nostalgiabutton/

公式Facebook:http://on.fb.me/1KNUYgS

公式Twitter:https://twitter.com/nostalgiabutton




▼映画『光のノスタルジア』『真珠のボタン』予告編

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「グレートジャーニー」の出発地は、パタゴニアの先住民のお墓の前だった http://www.webdice.jp/dice/detail/4906/ Tue, 10 Nov 2015 10:59:53 +0100
映画『真珠のボタン』より、セルクナム族 © Atacama Productions, Valdivia Film, Mediapro, France 3 Cinema - 2015




南米ドキュメンタリーの巨匠、パトリシオ・グスマンが自国チリの歴史を圧倒的な映像美で描く2部作『光のノスタルジア』『真珠のボタン』が岩波ホールにて公開中。両作を読み解くトークイベントが3日間にわたり実施され、11月8日は探検家・医師の関野吉晴さんが登壇した。




関野さんは人類のルーツを南アメリカからアフリカのタンザニアまで逆ルートから踏破するという旅「グレートジャーニー」を敢行。このトークイベントでは、『真珠のボタン』の舞台となるパタゴニア、『光のノスタルジア』で描かれるアタカマ砂漠といったチリの自然や現地の人々との交流、今作で明らかになったチリの歴史の暗部について、といったエピソードが披露された。





【『真珠のボタン』について】



全長4300キロ以上に及ぶチリの長い海岸線。その海の起源はビッグバンのはるか昔まで遡る。そして海は人類の歴史をも記憶している。チリ、西パタゴニアの海底でボタンが発見された。―そのボタンは政治犯として殺された人々や、祖国と自由を奪われたパタゴニアの先住民の声を我々に伝える。火山や山脈、氷河など、チリの超自然的ともいえる絶景の中で流されてきた多くの血、その歴史を、海の底のボタンがつまびらかにしていく。




【『光のノスタルジア』について】



チリ・アタカマ砂漠。標高が高く空気も乾燥しているため天文観測拠点として世界中から天文学者たちが集まる一方、独裁政権下で政治犯として捕らわれた人々の遺体が埋まっている場所でもある。生命の起源を求めて天文学者たちが遠い銀河を探索するかたわらで、行方不明になった肉親の遺骨を捜して、砂漠を掘り返す女性たち……永遠とも思われる天文学の時間と、独裁政権下で愛する者を失った遺族たちの止まってしまった時間。天の時間と地の時間が交差する。






グレートジャーニーのスタート地点、パタゴニア



1971年に初めて南米に行きました。約40年前ですが、最初の20年は南米と言ってもほとんどアマゾン、アンデス、パタゴニア、ギアナ高地などの先住民といることが多かったんです。彼らと過ごすうちに、先住民と日本人は非常に似ていると思って、ルーツが知りたくなりました。アフリカで人類が生まれて世界中に拡散していくのですが、その中で一番遠くまで行った人たち……シベリア、アラスカ経由で最南端まで行った人々の旅路をイギリスの考古学者はグレートジャーニーと名付けたわけですけども、私は逆ルートでそれを自分の腕力と脚力だけで10年かけて歩きました。人類が一番最後に到達した地点は、この映画にも出てくる先住民、ヤマナ族の住むナバリーノ島のプエルト・ウィリアムズです。すから敬意を表して、彼らの先祖の墓があるメヒジョンという場所を出発地点にしました。





関野吉晴さん

関野吉晴さん



▼チリ・パタゴニアのグーグルマップ





当時のチリの空気




アマゾンに1年ほどいて、72年にチリに行きました。アジェンデ政権の時ですね。世界で初めて民主的な手続きで社会主義政権ができたわけですから、世界中が注目していました。



アマゾン疲れしていたのでヒッチハイクでチリに向かいました。ペルーからアタカマに入って陸路でチリを縦断して、最後パタゴニアに行きます。




印象的だったのは、サンティアゴより南のほうで汽車に乗って旅をした時のことです。車内で歌を歌いだしたグループがいました。すると同じ車内の他のグループが別の歌を歌い始めました。それが終わると最初に歌ったグループがまた歌い始めました。交互に歌い始めたのですが、お互いに自分の土地の自慢話を即興で歌っているんです。曲は古いチリの曲だったようですが、詩は即興でした。それで、真ん中にいる私に声がかかったんです。「歌わなくてもいいから、こっちに来なよ」 と。やがて、1グループが列車から降りる時、私に「汽車を降りて私たちの町に来て、泊まっていきなさい。いいところだから」とお呼びがかかりました。一方、残ったグループからも、「泊まるならうちらの町においで、もっといい村だから」と誘われました。私は当てのない旅だったので、最初に声を掛けてくれた村に行くことにしました。そのグループは町に住む工場労働者、小売業者と学生たちが主体でしたが、1家族だけ郊外に住んで農業を営んでいました。チリでは夏休みを1か月くらいたっぷり取るんです。毎日がフィエスタのように音楽に合わせて踊り、土日は海や湖に行ってワインを飲み、フルーツを食べ遊び、休みます。メロンなんかをくりぬいて、そこにワインをどぼどぼと注いで、みんなで回し飲みします。ワインが水より安いんです。



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映画『真珠のボタン』より © Atacama Productions, Valdivia Film, Mediapro, France 3 Cinema - 2015


私の泊めてもらった家の主人は露店で雑貨を売っていました。狭い家に住んでいましたが、私の寝る空間を作ってくれ、常に私に気を使ってくれました。彼らはアジェンデ政権を熱烈に支持していました。1週間ほど彼らに世話になった後に、郊外に住む1家族を訪れました。ここでも大歓迎してくれました。彼らは広い土地を持つ地主で、農園を経営していました。アジェンデ政権の農地改革で土地を奪われていたので、アジェンデ政権を非常に憎んでいました。悪口ばかり言っていましたね。当時のチリは、アメリカのCIAが経営者や運輸業者にストをやらせたりして、非常に混乱していました。その後私はいったん日本に帰ったのですが、1973年4月ごろ、再びアマゾンに入って、9月12日に出てきました。ペルーで新聞を見たら、一面トップに「クーデター発生」と書いてあった。9.11に軍事クーデターが起こったんですね。たしかに物はないし、経済的にはボロボロだった。クーデターが起こるんじゃないという予感はありましたが、びっくりしました。




映画『真珠のボタン』より

映画『真珠のボタン』より © Atacama Productions, Valdivia Film, Mediapro, France 3 Cinema - 2015


パタゴニアの先住民―

カウェスカル族のマリア・ルイサと、

ヤマナ族のクリスティナ・カルデロン





その後、ゆっくりとパタゴニアに行きました。『真珠のボタン』の舞台ですね。映画にも出てくるカウェスカル族の家に何度か行って、しばらく居候していました。僕は旅をするときいつも「泊めてください。同じご飯を食べさせてください。なんでもしますから」どこかの家を訪ねます。ほとんど断られたことはありません。



カウェスカル族は25年前の当時で16人しかいませんでしたから、今はもっと減ってるかもしれませんね。滞在していた家はお父さんが結核でいなくて、お母さんと13歳の娘、マリア・ルイサがいました。私はいつも、旅先で子供がいたら「大きくなったら何になるの?」と聞くんですが、南米ではだいたいスチュワーデスや先生や看護師、という答えが多い。今回もそういう答えが返ってくるのかなと思っていたら、彼女は「考古学者になりたい」と。そんな答えは初めてでした。




映画『真珠のボタン』より © Atacama Productions, Valdivia Film, Mediapro, France 3 Cinema - 2015

映画『真珠のボタン』より、セルクナム族 © Atacama Productions, Valdivia Film, Mediapro, France 3 Cinema - 2015



彼女はある冊子を見せてくれました。それはチロエ島の先住民ウィジチェの歴史を描いた劇画でした。つまり彼女は、カウェスカルの歴史もこのように本にしたい、それが夢だと言ったんです。彼女は学校に通っていましたから「社会科の教科書みせて」と言って見たら、太古からコロンブスまでの歴史は1ページ。あとは全部スペイン人がやってきてからの歴史でした。案の定。そうじゃない歴史を彼女は作りたかったんですね。




映画『真珠のボタン』より © Atacama Productions, Valdivia Film, Mediapro, France 3 Cinema - 2015

映画『真珠のボタン』より、カウェスカル族 © Atacama Productions, Valdivia Film, Mediapro, France 3 Cinema - 2015



ちなみに、ウィジチェとカウェスカルは交流があって、ウィジチェは船を作る技術を持っているんですが、仕事がないので技術を活かせない。一方、カウェスカルは漁をしているけど漁船がないので、白人や白人の混血の人のもとで、本当に安い賃金で働かされています。それを助けようと、あるベルギーのNGOが支援をしたんです。ウィジチェに11メートルの漁船を作らせ、カウェスカルに船を操業させて自由に漁業ができる形にしました。まったく理想的な形ですよね。2つの民族が船を作る技術、魚をとる技術を活かせる。船の名前は、カウェスカルの少女マリア・ルイサからとってマリア・ルイサ号という名前がついています。




マリア・ルイサはその後、プンタアレナスで高校に通って大学受験の準備をしていました。先住民には枠があるので入学できるかもしれないと言っていたのですが、残念なことに大学を諦めていました。そして、混血の男性と結婚していました。彼女はカウェスカル族の中で最年少だったので、もう純血のカウェスカルが残る可能性はなくなって彼女がいなくなったら純粋なカウェスカルはいなくなります。



それから『真珠のボタン』に出てくる、クリスティナ・カルデロンさんというヤマナ族のおばあちゃんに何回か会ったことがあります。最後に会ったときはお姉さんがいたんですけど、亡くなってしまって今は一人になってしまったんですね。彼らは世界最南端のプエルト・ウィリアムズというチリ海軍基地の近くのウキケというムラにいて、かつては先祖の墓があるメヒジョンという、放牧にも農業にも適した集落に住んでいましたが、現在は海軍に占拠され、追い払われてしまったのです。もう90歳に近いのですが、カルデロンさんが最後です。ですから彼女が国宝となっていますが、彼女がなくなった後はみんなが混血なんです。ですからヤマナも滅びてしまう。



映画『真珠のボタン』より © Atacama Productions, Valdivia Film, Mediapro, France 3 Cinema - 2015

映画『真珠のボタン』より、クリスティナ・カルデロン © Atacama Productions, Valdivia Film, Mediapro, France 3 Cinema - 2015




アタカマ砂漠のミイラ



アタカマの話に移りますが、アタカマは本当に天気がいいんです。『光のノスタルジア』にカラマの女性たちが出てきますが、カラマでは観測史上、一回も雨が降ったことがない。それなのに人が住んでいるのはどうしてだと思いますか?それは人が住むのに雨は必要がないからです。アンデス山脈から川が西の方に伸びて流れていて、川があれば緑や畑が広がるので、実は砂漠の土地はとても肥沃なんです。アタカマには博物館があって、そこにはミス・アタカマというミイラがあります。アタカマはミイラ文化で有名なんです。実は一昨年前に科学博物館でわたしの「グレートジャーニー」という特別展をやったのですが、そのときにアタカマから持ってきた世界最古のミイラを飾りました。ようするにエジプトより古いミイラがあります。おもしろいのはミイラを飾っている家があることです。そしてまるで生きているように朝、食事をあげるという文化が根付いています。




映画『光のノスタルジア』より © Atacama Productions (Francia) Blinker Filmproducktion y WDR (Alemania), Cronomedia (Chile) 2010

"映画『光のノスタルジア』より © Atacama Productions (Francia) Blinker Filmproducktion y WDR (Alemania), Cronomedia (Chile) 2010


西パタゴニアとアタカマって本当に正反対です。パタゴニアの氷河を歩いたのですが、ずぶずぶで着生植物だらけのところを縫っていかなくてはならない。それでやっと岩や氷のところにたどり着けます。『光のノスタルジア』『真珠のボタン』、この2本の映画の舞台はまるで対照的な2つの地域なんです。政治的なことを扱ってはいますが、それをちょっと引いた目で、啓示的な視点で観てるから、ダイレクトじゃない。チリの歴史に興味がなくても、知らなくても見られる。そして素直に入っていける、とてもすばらしい映画ですね。




(2015年11月8日、岩波ホール内・岩波シネサロンにて)









関野吉晴(せきの・よしはる) プロフィール




一橋大学在学中に探検部を創設、アマゾン全踏査隊長としてアマゾン川全流を下る。その後医師となり、南米への旅を重ねる。1993年から2002年にかけて、アフリカで誕生した人類がユーラシア大陸を通ってアメリカ大陸に拡散した道を、南米最南端から逆ルートでたどる「グレートジャーニー」に挑んだ。2004年からは「新グレートジャーニー 日本列島にやってきた人々」をスタート。シベリアから稚内までの「北方ルート」、ヒマラヤからインドシナを経由して朝鮮半島から対馬までの「中央ルート」、インドネシア・スラウェシ島から石垣島までの「海上ルート」を踏破。1999年植村直己冒険賞受賞。現在武蔵野美術大学教授。












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(2015-11-12)

http://www.webdice.jp/dice/detail/4907/





平松正顕さんによる寄稿「アタカマ砂漠で見上げる空」第1回(2011-09-28)

http://www.webdice.jp/dice/detail/3233/



平松正顕さんによる寄稿「アタカマ砂漠で見上げる空」第2回(2012-01-01)

http://www.webdice.jp/dice/detail/3360/





映画を通して人間性の豊かさを―神保町の老舗ミニシアター、岩波ホールに行って見た!(2015-11-11)

http://www.webdice.jp/dice/detail/4905/




ドキュメンタリーの巨匠ワイズマン×グスマンが語るチリ独裁政権、そして民主主義のこと(2015-10-02)

http://www.webdice.jp/dice/detail/4864/




安保法制が超強行採決されたなか、チリの負の歴史描く『光のノスタルジア』『真珠のボタン』を観た(2015-09-25)

http://www.webdice.jp/dice/detail/4852/



真珠のボタン他ナオミ・クラインのドキュメンタリー9選(2015-11-03)

http://www.webdice.jp/topics/detail/4895/












映画『光のノスタルジア』

岩波ホールにて11月20日(金)まで上映中、他全国順次公開




映画『光のノスタルジア』より © Atacama Productions (Francia) Blinker Filmproducktion y WDR (Alemania), Cronomedia (Chile) 2010

映画『光のノスタルジア』より © Atacama Productions (Francia) Blinker Filmproduktion y WDR (Alemania), Cronomedia (Chile) 2010




監督・脚本:パトリシオ・グスマン

プロデューサー:レナート・サッチス

撮影:カテル・ジアン

天文写真:ステファン・カイザード

製作:アタカマ・プロダクションズ

配給:アップリンク

2010年/フランス、ドイツ、チリ/1:1.85/90分

© Atacama Productions (Francia) Blinker Filmproduktion y WDR (Alemania), Cronomedia (Chile) 2010



映画『真珠のボタン』

岩波ホールにて11月20日(金)まで上映中、他全国順次公開



映画『真珠のボタン』より © Atacama Productions, Valdivia Film, Mediapro, France 3 Cinema - 2015

映画『真珠のボタン』より © Atacama Productions, Valdivia Film, Mediapro, France 3 Cinema - 2015





監督・脚本:パトリシオ・グスマン

プロデューサー:レナート・サッチス

撮影:カテル・ジアン

編集:エマニエル・ジョリー

写真:パズ・エラスリス、マルティン・グシンデ

製作:アタカマ・プロダクションズ

配給:アップリンク

2014年/フランス、チリ、スペイン/1:1.85/82分

© Atacama Productions, Valdivia Film, Mediapro, France 3 Cinema - 2015




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▼映画『光のノスタルジア』『真珠のボタン』予告編

[youtube:yu1U3UbdQjI]]]>
天文学者はチリの砂漠の夢を見るか?宇宙や天文学と人の営み描く『光のノスタルジア』 http://www.webdice.jp/dice/detail/4907/ Tue, 10 Nov 2015 11:03:57 +0100
映画『光のノスタルジア』より © Atacama Productions (Francia) Blinker Filmproduktion y WDR (Alemania), Cronomedia (Chile) 2010




フレデリック・ワイズマンやクリス・マルケルなど、一筋縄ではいかない巨匠たちを魅了した南米ドキュメンタリーの巨匠、パトリシオ・グスマンの2部作『光のノスタルジア』『真珠のボタン』を上映中の岩波ホールで、両作を読み解くトークイベントが開催された。 岩波ホール内の岩波シネサロンを会場に3回にわたって行われたこのイベント、11月9日は「『光のノスタルジア』の宇宙」と題し、国立天文台チリ観測所の平松正顕さんが登壇した。




この日は、映画の舞台となるチリ・アタカマ砂漠になぜ世界有数の国立天文台が存在するのか、といった素朴な疑問にはじまり、アルマ望遠鏡がどのような宇宙の謎を解明しようと運用されているのか、そして天文学の役割に至るまでが、映画の内容とともに語られた。




【『光のノスタルジア』について】



チリ・アタカマ砂漠。標高が高く空気も乾燥しているため天文観測拠点として世界中から天文学者たちが集まる一方、独裁政権下で政治犯として捕らわれた人々の遺体が埋まっている場所でもある。生命の起源を求めて天文学者たちが遠い銀河を探索するかたわらで、行方不明になった肉親の遺骨を捜して、砂漠を掘り返す女性たち……永遠とも思われる天文学の時間と、独裁政権下で愛する者を失った遺族たちの止まってしまった時間。天の時間と地の時間が交差する。





チリ・アタカマ砂漠



日本を含めてアメリカやヨーロッパを合わせて約22の国と地域が一緒になって行っているのが、アルマ望遠鏡のプロジェクトです。わたしもこのプロジェクトの一員として、チリには十数回行っています。アタカマ砂漠にはアルマ望遠鏡をはじめ、その他のたくさんの望遠鏡があります。ここが天文学に適した土地だから、たくさんの望遠鏡があるのです。なぜ天文学に適しているかというと、映画のなかでも言われていたとおり、非常に乾燥していた砂漠が続いていますので、平たくいうと「天気がいい」わけですね。天気がいいと星を観測しやすいので、世界中の人たちがここに望遠鏡をつくるために集っている。そして、その望遠鏡を使い、いろんな宇宙の研究をしているのです。




平松正顕さん

平松正顕さん




わたしも年に1、2回ほどチリを訪れますが、日本から向かう場合は、飛行機と車で約1日半をかけて現地まで行きます。また、日本からみると、地球の反対側に位置しているので、時差が12時間。それから、チリは南半球の国なので季節も反対です。日本からはとても遠いですし、現地の気候も厳しいのですが、「天文学に向いた場所」ということで、日本も国際的なパートナーと力を合わせて望遠鏡をつくって、この望遠鏡を動かしているというわけです。




アルマ望遠鏡がある場所は標高5000mです。『光のノスタルジア』でご遺族が骨を探していたところは少し標高が低くて2000~2500m程度だと思います。映画を観ると、息を切らしながらお話をされている方もいらっしゃったと思うのですが、それはおそらく標高が高くて空気が薄いからなのですね。




▼アルマ望遠鏡 国立天文台のグーグルマップ






アルマ望遠鏡以外にも、チリにはたくさんの望遠鏡が置かれています。南北に細長い国で、真ん中あたりにあるのがサンティアゴですが、それ以北はほとんどがアタカマ砂漠と呼ばれる場所です。アタカマ砂漠は非常に広くて非常に乾燥しています。つい先日、アタカマ砂漠に花が咲いたことがニュースになっていましたが、それはこの広い砂漠のどこかにそういった花畑が突然出現したということですね。こういうことがときどきあります。




星の娘バレンティナと天文学




アルマ望遠鏡は、日本・台湾・韓国・北米・ヨーロッパの国際協力で運用しているものです。望遠鏡というと、細長い筒のようなものを思い描くかもしれませんが、写真に載っているたくさんのアンテナはすべて望遠鏡です。これら66台のパラボラアンテナを直径16.5kmの範囲に点々と並べ、それら全体をつないで一つの巨大な望遠鏡にしているというのがアルマ望遠鏡の特徴です。直径16.5kmというのは大体山手線くらいです。望遠鏡は大きくすればするほど、倍率が上がって細かいものが見える、つまり宇宙の詳しい様子を調べることができるようになります。




この望遠鏡は、アメリカやヨーロッパと一緒に運用していますが、ヨーロッパ側のパートナーは、映画にも出てきた欧州南天天文台です。『光のノスタルジア』の映画の最後、バレンティナ・ロドリゲスという赤ちゃんを抱いた女の人が出てきますが、彼女はそこの職員でサンティアゴで仕事をしています。わたしと同じく、彼女の仕事は広報活動なので、かつて一緒に仕事をしたこともあります。もちろん、映画のなかで紹介されていたようなバックグラウンドをお持ちの方だとは知らずにいたわけですが、この映画で彼女のご両親が行方不明という辛い環境にあったということを初めて知って、つよいインパクトを受けました。しかし、それでも彼女が天文学を支えにして現在も強く生きているということ、それからおじいさんに星を見ることを勧められたということは、わたし自身にとっても「一体何のための天文学なのか」ということを考えるうえで非常に印象深いエピソードになりました。






〈『光のノスタルジア』に登場する天文台〉



■アルマ望遠鏡



アルマ望遠鏡 Credit: ESO/C. Malin

(Credit: ESO/C. Malin)



■欧州南天天文台パラナル



(欧州南天天文台パラナル Credit: ESO)

(Credit: ESO)





天文学で自分のルーツがわかる?!



アルマ望遠鏡はどのような宇宙の謎に迫っているか。一つには「宇宙における物質進化」。わたしたちの身体はタンパク質でできていますが、タンパク質はアミノ酸からできています。じつは天文学者は「宇宙にはアミノ酸があるか」ということも調べています。アミノ酸も特定の波長の電波を出すので、電波望遠鏡であるアルマ望遠鏡で宇宙を観測すれば「宇宙にアミノ酸があるかどうか」ということも調べられるわけです。アミノ酸はまだ見つかっていないのですが、宇宙にはたくさんの有機分子が存在することはわかっているので、天文学者は「有機分子が化学反応を起こしていけば、生物の種ができるかもしれない」と思っています。



二つには、「惑星系の誕生」。「太陽系のような惑星系」あるいは「地球のような惑星」がどれくらい珍しいのか。あるいは、どのような条件であれば地球のような惑星ができるのか。このような問題を考えるためには「どのような場所で惑星ができるのか」ということを調べなければなりません。惑星の材料は「砂粒」です。砂粒は温度が低く、光を出さないので、電波で観測する必要があります。アルマ望遠鏡を使えば、いままさに夜空のなかで生まれつつある惑星の様子を詳しく調べることができます。たとえば、太陽系には8つの惑星があります。水、金、地、火、木、土、天、海ですね。そして、それと同じように夜空の星のまわりに2000個くらいの惑星が見つかっていて、それらの惑星がどのように生まれているのかを調べることもアルマ望遠鏡の役割です。



最後に「銀河の誕生と進化」。銀河は太陽のような星が一千億くらい集まっている、非常に巨大な集団です。宇宙のなかには、銀河は何千億個もあるのですが、さらに一つの銀河のなかには何千億個も星が入っている。そのような銀河が「いつ生まれ・どのように大きくなったのか」といこと、いわば「宇宙の歴史」を調べることもアルマ望遠鏡の役割です。



アルマ望遠鏡は電波で宇宙を観測していますが、そういった電波の強さを測ることによって写真を撮ることができます。この写真は「年老いた星 ちょうこくしつ座R星」をガスが取り巻いている様子です。この中心に一生を終えつつある星があります。太陽のような星、夜空に光っている星にも「一生」があって、生まれたり死んだりします。



太陽の寿命はおよそ100億年です。現在、生まれてから46億年ほど経過しているので、あと50億年が経てば太陽は死にます。宇宙のなかには、死につつある星もあれば、いままさに生まれ来る星もあります。アルマ望遠鏡では、星がどのように死んでいくのかということを、きちんと調べることできました。





Credit: ALMA (ESO/NAOJ/NRAO)

(ちょうこくしつ座R星 ※実は、色は天文学者が勝手につけているだけで、実際の画像はモノクロだそう。明暗は、電波の強さに応じていて、明るいところは電波が強いところ Credit: ALMA [ESO/NAOJ/NRAO])






宇宙に生命体は存在するか?




わたしたちの身体をつくっている「アミノ酸」はさまざまな元素からできていますが、宇宙にはじめから存在した元素は水素とヘリウムだけです。それ以外の、わたしたちの身体のもとになっているような、酸素や炭素や窒素などは、すべて星のなかからつくられました。映画のなかで、カルシウムが地球に来て、骨のもとになる、という話が出てきましたが、138億年前に宇宙がビッグバンから始まったときには、宇宙には水素とヘリウムしかありませんでした。その水素とヘリウムの雲から星ができます。星のなかで核融合反応が起きて、水素がヘリウムになり、ヘリウムが炭素になり、酸素になり、窒素になり、あるいは鉄になり、カルシウムになる、ということが起きます。そして、星が死ぬと、爆発したり、星からガスが吹き出したりして、星のなかでつくられた物質が宇宙空間にばらまかれます。ばらまかれて生まれた雲から、また新たな星が生まれます。そこで、またそうした重い元素が水素をもとにつくられて、星が死ぬと宇宙空間にばらまかれます。





そういうふうに、非常に長い時間をかけて、宇宙空間には炭素や酸素が溜まっていくんですね。いまから46億年くらい前までに、そのように溜まったものがぎゅっと集まって太陽ができて、太陽のまわりに同じ雲が集まってできた砂粒がぐるぐる回っているあいだに地球ができます。地球のなかには――われわれ人間も含めて地球と言っていますが――太陽が生まれる瞬間より前に死んだ星でつくられた物質が入っているわけですね。そして、その地球の上でさまざまなことが起こって人間が生まれるわけです。つまり、ここにある元素というのは、宇宙が始まってから90億年のあいだに星々のなかでつくられたものだということです。




地球上で生物がどのように生まれたかということはまだ解明されていないですが、有機分子(炭素が主要な構成要素)ができて、それが化学反応を起こして、原始的な生物ができて、何十億年かかかって人間に進化していきます。ですから、わたしたちの身体に含まれている炭素や鉄っていうのは、100%もれなく宇宙からきたものです。しかし、それは「いま」の宇宙ではなくて、地球ができた瞬間、太陽ができた46億年前よりももっと以前につくられたものが、われわれに取り込まれているということですね。だから、「星が死ぬところを観測する」ことは「どのように元素は宇宙空間に広まってきたのか」を調べることであり、いわばこれもある意味では「わたしたちのルーツ」「元素レベルのルーツ」を知る試みの一つになるわけですね。



映画『光のノスタルジア』より © Atacama Productions (Francia) Blinker Filmproducktion y WDR (Alemania), Cronomedia (Chile) 2010

映画『光のノスタルジア』より © Atacama Productions (Francia) Blinker Filmproduktion y WDR (Alemania), Cronomedia (Chile) 2010






科学は誰のものか?



こういった研究を行って「星がどのように生まれてどのように死ぬか」ということを理解したところで、明日のごはんが食べられるようにはならないわけです。このような学問では、税金を使って研究を行っているので、僕たち天文学者は「天文学はそれだけの価値がある」とみなさんに思っていただかなければならない立場です。



この映画は、宇宙や天文学とひとの営みをつなぐように描かれていたと思います。チリの軍事政権のひどい行いと天文学を対比させることによって、より天文学の姿を浮き彫りにする、同時に人間が行ったことを浮き彫りにするというようなことが、映画の大きなテーマだったと思います。そういう意味では、天文学が人間を見る鏡として働いたのではないかとも考えています。直接的な科学の成果ではないにしろ、科学の成果・営みをさまざまなひとがいろいろな見方で解釈し、その視点をもって社会を見ることによって新たな切り口、新たな見方が生まれるということがあるのではないかと思っています。そして、天文学やアルマ望遠鏡の成果が、そのようなことの一助になれたら非常にうれしいです。






科学の成果についてお話することはあっても、科学のさらに背後にある「科学という営みがどのような役割を果たしているか」ということや、それが「人類や社会にとってどのような役割を担っているのか」ということについては、ありきたりの言葉では語りにくい部分があるんですね。しかし、『光のノスタルジア』『真珠のボタン』という映画は、そういうことを語る、あるいは再認識するという手がかりをくれたという意味でも、天文学をやっている人間にとってとても興味深い題材だったと思っています。



映画『光のノスタルジア』より © Atacama Productions (Francia) Blinker Filmproducktion y WDR (Alemania), Cronomedia (Chile) 2010

映画『光のノスタルジア』より、バレンティナ・ロドリゲス © Atacama Productions (Francia) Blinker Filmproduktion y WDR (Alemania), Cronomedia (Chile) 2010




ですから、バレンティナ・ロドリゲスがああいうバックグラウンドを持って、それでも天文学をやっている。むしろ、天文学があったからこそ、彼女がああやって仕事ができている、というのは、天文学が人間の根源的なところを支えているということを感じることができたという点で、わたしにとっては嬉しくもあり、感動したエピソードでした。



また、自分は広報担当なので、世界中の研究者によるアルマ望遠鏡の研究成果をいろんなところでお話するのですが、「宇宙の謎に触れることができた」あるいは「宇宙の謎に挑もうとしているひとがいるということを知って世の中の見方が変わりました」と言ってくださる方もいらっしゃる。天文学はダイレクトに生活を豊かにすることには繋がらないですけれども、深い意味で「役に立つ」学問になっていければいいなと思いながら仕事をしています。




(2015年11月9日、岩波ホール内・岩波シネサロンにて)









平松正顕(ひらまつ・まさあき) プロフィール




天文学者。2008年、東京大学大学院理学系研究科天文学専攻博士課程修了。 中央研究院天文及天文物理研究所(台湾)研究員を経て、現在、国立天文台 チリ観測所 助教/教育広報主任、国立天文台 天文情報センター広報室長を務める。












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映画『光のノスタルジア』

岩波ホールにて11月20日(金)まで上映中、

他全国順次公開




映画『光のノスタルジア』より © Atacama Productions (Francia) Blinker Filmproducktion y WDR (Alemania), Cronomedia (Chile) 2010

映画『光のノスタルジア』より © Atacama Productions (Francia) Blinker Filmproduktion y WDR (Alemania), Cronomedia (Chile) 2010





監督・脚本:パトリシオ・グスマン

プロデューサー:レナート・サッチス

撮影:カテル・ジアン

天文写真:ステファン・カイザード

製作:アタカマ・プロダクションズ

配給:アップリンク

2010年/フランス、ドイツ、チリ/1:1.85/90分

© Atacama Productions (Francia) Blinker Filmproduktion y WDR (Alemania), Cronomedia (Chile) 2010



映画『真珠のボタン』

岩波ホールにて11月20日(金)まで上映中、

他全国順次公開



映画『真珠のボタン』より © Atacama Productions, Valdivia Film, Mediapro, France 3 Cinema - 2015

映画『真珠のボタン』より © Atacama Productions, Valdivia Film, Mediapro, France 3 Cinema - 2015



全長4300キロ以上に及ぶチリの長い海岸線。その海の起源はビッグバンのはるか昔まで遡る。そして海は人類の歴史をも記憶している。チリ、西パタゴニアの海底でボタンが発見された。―そのボタンは政治犯として殺された人々や、祖国と自由を奪われたパタゴニアの先住民の声を我々に伝える。火山や山脈、氷河など、チリの超自然的ともいえる絶景の中で流されてきた多くの血、その歴史を、海の底のボタンがつまびらかにしていく。




監督・脚本:パトリシオ・グスマン

プロデューサー:レナート・サッチス

撮影:カテル・ジアン

編集:エマニエル・ジョリー

写真:パズ・エラスリス、マルティン・グシンデ

製作:アタカマ・プロダクションズ

配給:アップリンク

2014年/フランス、チリ、スペイン/1:1.85/82分

© Atacama Productions, Valdivia Film, Mediapro, France 3 Cinema - 2015




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▼映画『光のノスタルジア』『真珠のボタン』予告編

[youtube:yu1U3UbdQjI]]]>
ノイズに満ちた世界から美しく人の心に伝わるメロディを紡ぐ、映画『光のノスタルジア』のロマン http://www.webdice.jp/dice/detail/4868/ Mon, 05 Oct 2015 13:12:18 +0100
映画『光のノスタルジア』より © Atacama Productions (Francia) Blinker Filmproducktion y WDR (Alemania), Cronomedia (Chile) 2010




南米チリを代表するドキュメンタリーの巨匠パトリシオ・グスマン監督が、壮大な宇宙とチリの歴史を圧倒的映像美で捉えた『光のノスタルジア』が、連作『真珠のボタン』とともに、10月10日(土)より岩波ホールにてロードショー。公開を記念したトークイベントが10月1日、渋谷アップリンクで行われ、音楽家の蓮沼執太氏と音楽・批評家の大谷能生氏が登壇した。この日は、本作に感銘を受けたという両氏が、グスマン監督が用いた映像のメタファーや、時間と歴史に対する視座について持論を展開した。webDICEでは、当日のトーク・レポートを掲載する。





もうこれしか考えられないぐらいのメタファーのあり方



大谷能生(以下、大谷):最近は、ドキュメンタリーですごくいい作品が多いですね。わたしはグスマン監督のことは存じ上げなかったんですが、チリの虐殺の話というと、音楽をやっている人間としては、ビクトル・ハラのことを想いました。ピノチェト独裁政権の前、アジェンデの社会主義政権のときに民衆から大きな支持を得て活躍したシンガー・ソングライターで、軍事政権が発足したときに拘束されて、ギターを弾けないように両手を打ち砕かれて殺された人です。『光のノスタルジア』では、そのときに行方不明になった方々のことがもう一つのテーマになっているんですよね。音楽を通して、そうした歴史を気にしてなかったわけじゃないけど……今回こういうかたちで映画で見せられて、「油断していたらいきなり違う角度から切り込んできたな」と。



蓮沼執太(以下、蓮沼):最初、ロマンティックな話なのかなと思って観たんです。ところが突然、チリの歴史のけっこう重い内容が連続して、たまにそれを救うように星の話が出てくる。




大谷能生さん(左)、蓮沼執太さん(右)

大谷能生さん(左)、蓮沼執太さん(右)




大谷:天文のロマンだけじゃなくて、ここで人が40年前に殺されている、という現実。



蓮沼:僕はべつに星の専門家でもないですし、社会体制に対する音楽をやっているわけでもないので、わりと客観的に見ていますが、それでもストレートに、この天文と政治の対比が入ってきた。



大谷:それは映画としてすごく優れているということだと思います。もうこれしか考えられないぐらいのメタファーのあり方というか。





星の光を見ることは、僕らの生きている時間軸では測れないようなものを見ること



大谷:『光のノスタルジア』は「天文台で星を見る=遠くのものを見る」ということと、「それには何の意味があるのか」という話を延々としている映画だと思うんです。星のアップを見たときには「近い」けれども、実際は「遠い」ということ。ロング・ショットなのかクローズ・ショットなのかわからない。そういうシーンがいっぱい出てくる。



蓮沼:かなり至近距離でビー玉を撮ってたでしょ?あれはメタファーだよね。



大谷:接写で撮ると、ビー玉も遠くの星も変わらないんだよね。カメラが引くと、他のものとの対比でビー玉ってわかる。クローズ・アップで見ているときは本質を見ているわけではない。引きの画で、つまり、他のものと比較して、他のものが同じフレームに入ってきて初めて、そのものの尺や質感がわかる。そのとき、物事は相対的なのだな。ということに気づかされてドキッとする。





映画『光のノスタルジア』より © Atacama Productions (Francia) Blinker Filmproducktion y WDR (Alemania), Cronomedia (Chile) 2010

映画『光のノスタルジア』より © Atacama Productions (Francia) Blinker Filmproducktion y WDR (Alemania), Cronomedia (Chile) 2010




蓮沼:光の届く時間という、僕らの生きている時間軸では測れないようなもの。星を見るというのは、星の「光」を見ているわけだから、そういうものを、やっと映像メディアに落とし込めて見ているというフレームのつくり方が面白い。



大谷:そういうやり方もあったか、と思う。映画でしかできない感じだよね。望遠鏡で見ているときは「生目」で見ていて「記録媒体」じゃないんだけど、そのあいだに時間が挟まる。「とっくの昔に終わっている時間を見ている」ということが、そのまま「映画を観る状態」になっていて、それを重ねて繋げていくのはとても面白い。良く考えて作られた映画ですね。





論理的な説明はできないけれど琴線に触れるもの、そのロマンティック



大谷:映画を観ながら、音楽でならこれをどう表現するかって考えたりすることはない?



蓮沼:あぁ……それは考えなかったなあ(笑)。



大谷:星とか砂漠とか土地の記憶とか、そういうものをこういうかたちでの視覚表現ではなくて、モンタージュを聴覚上でやれるのかしら?みたいな感じのことを思うんです。でも、難しいんですよね。音は距離がとれないから、モンタージュではなくミックスになっちゃう。重なり合っちゃうので。音だけで何かやるというのは、けっこう難しい。



蓮沼:この映画の舞台、チリのアタカマにあるアルマ望遠鏡という電波望遠鏡の観測データをオルゴール化して、その音色からインスピレーションを受けた音楽を作るプロジェクト『Music for a Dying Star』に参加させてもらったんです。このプロジェクトにはロマンティック感があるんですよね。まず、「わざわざデータを十二音階のメロディにするのはなぜだろう」って思ったんです。あまり合理的ではないですよね。ただ、メロディっていうのはなぜか知らないけれど琴線に触れるというか、電車の音とか信号機のノイズと比べると、メロディは勝手に入ってくるという感じがする。そこがロマンティックだなと解釈したんです。メロディって解読できないというか、論理的な説明が難しいですよね。





映画『光のノスタルジア』より © Atacama Productions (Francia) Blinker Filmproducktion y WDR (Alemania), Cronomedia (Chile) 2010

映画『光のノスタルジア』より © Atacama Productions (Francia) Blinker Filmproducktion y WDR (Alemania), Cronomedia (Chile) 2010




大谷:相手に与えるエモーションとか、こういう入力があるとこういう出力があるとか、計量的にとるのは難しいだろうね。メロディというのは、リズムとかサウンドとか、いろいろなものに輪郭線を与える作業なんですよ。さまざまな付帯情報があるんだけど、線の流れにしていく。一つのアウトプットしかできないところに強引に100個くらいの情報を捻じ込んで相手に何かを伝えようとするわけで……。



蓮沼:単純に見えるメロディの奥にはさまざまな情報が入っていて、それを圧縮してリリースしているっていうことだよね。



大谷:本当はうしろにたくさん聞こえてるものを単線的に記述してみる。そういうのが音楽の強さではある。それは映画のようなモンタージュではない。



蓮沼:アルマ望遠鏡のプロジェクトで生まれた70個のオルゴールはかなり限定的な音楽のメロディの作り方をしていたけれども、べつにオルゴールじゃなくても、サイン・ウェーブでも何でもいいんですよ。ただ、それをあえてオルゴールにしたいというところに情緒を感じました。



大谷:『光のノスタルジア』を観て『Music for a Dying Star』を聴く(笑)。そういうふうにロマンティックなものとハードなモンタージュを同化していくことは、ちょっとやりたいことではありますね。





映画『光のノスタルジア』より © Atacama Productions (Francia) Blinker Filmproducktion y WDR (Alemania), Cronomedia (Chile) 2010

映画『光のノスタルジア』より、バレンティナ・ロドリゲス © Atacama Productions (Francia) Blinker Filmproduktion y WDR (Alemania), Cronomedia (Chile) 2010



「意識のポジショニングでがらりと世界が変わる」という気づき



蓮沼:『光のノスタルジア』に、両親が捕まってしまって行方不明で、おじいちゃんとおばあちゃんに育てられたバレンティナ・ロドリゲスさんという女性が出てきます。歴史と天文学がクロスするところですね。その部分で彼女が「天文学は私を支えてくれた。両親がいなくなった大きな喪失感と別な角度から向き合えた。私たちは、永遠に続く生命のエネルギー、そのすべてに存在する。そう考えれば、両親の不在も別の意味を持つようになる」と、すごくいいことを言っていて。僕は「意識のポジショニングでがらりと世界が変わる」という意味に受け取ったんです。それって音楽の捉え方も似ているんじゃないかなって。サウンドも一つの波形なので、その波形をミクロに見るか、引いてみるか。現代になってものを見る尺度がどんどんと増えていくなかで、だからこそ、「人間の意識の問題で物事の捉え方を変えていくことができる」という気付きがあるだけで、とても素晴らしいことで。たとえば、人間がつくってきた過去の音楽をものさしで捉えてみるとか、「じゃあ未来の音楽はどんなふうになるんでしょう?」とか、考えてみる行為はとても意義があることだと思っていて。だから、ロドリゲスさんは涙がちょちょ切れるくらい良いことを言うなって。



大谷:そこからまた次の新しい世代、新しいサイクルや波が生まれてくるんですね。10年前くらいにアップリンクで「大谷能生のフランス革命」っていうイベントを定期的にやっていたんですけど、フランス革命は200年くらい前なんですが、200年前、2時間前、音楽でいうと2小節前、いろんな単位があって、どこを塊で捉えるか、ということ。時間の伸び縮みや繋がり方は、どんどん変わって認識を変えられるんですね。それは音楽の魅力だし、自分から程遠いもの、自分の基準から外れるものをどんどん取り入れられる。さっきの話と絡めれば、世界はノイズに満ちていて、『光のノスタルジア』はその世界から美しく人の心に伝わるメロディを紡いだ映画ですね。映画はそういう一つの装置だと思っています。




(2015年10月1日、渋谷アップリンク・ファクトリーにて)









蓮沼執太(はすぬま・しゅうた) プロフィール



1983年、東京都生まれ。音楽作品のリリース、蓮沼執太フィルを組織して国内外でのコンサート公演をはじめ、映画、演劇、ダンス、音楽プロデュースなどでの制作多数。近年では、作曲という手法を様々なメディアに応用し、映像、サウンド、立体、インスタレーションを発表し、個展形式での展覧会やプロジェクトを活発に行っている。自ら企画・構成をするコンサートシリーズ『ミュージック・トゥデイ』を主催。2014年はアジアン・カルチャル・カウンシル(ACC)の招聘によりニューヨークに滞在。最新アルバムに『蓮沼執太フィル:時が奏でる Time plays - and so do we.』(2014)。主な個展に『作曲的|compositions - space, time and architecture』(国際芸術センター青森2015)、『have a go at flying from music part3』(東京都現代美術館 ブルームバーグパヴィリオン 2012)など。「アルマ望遠鏡」という電波望遠鏡が捉えたデータを音と映像に置き換えたアート作品「ALMA MUSIC BOX」をもとにしたコンピレーションアルバム『ALMA MUSIC BOX:死にゆく星の旋律』を製作するプロジェクトに音楽家の一人として参加している。




大谷能生(おおたに・よしお) プロフィール



1972年生まれ。音楽(サックス・エレクトロニクス・作編曲・トラックメイキング)/批評(ジャズ史・20世紀音楽史・音楽理論)。96年~02年まで音楽批評誌「Espresso」を編集・執筆。菊地成孔との共著『憂鬱と官能を教えた学校』や、単著『貧しい音楽』『散文世界の散漫な散策 二〇世紀の批評を読む』『ジャズと自由は手をとって(地獄に)行く』など著作多数。音楽家としてはsim、mas、JazzDommunisters、呑むズ、蓮沼執太フィル、「吉田アミ、か、大谷能生」など多くのグループやセッションに参加。ソロ・アルバム『「河岸忘日抄」より』、『舞台のための音楽2』をHEADZから、『Jazz Abstractions』をBlackSmokerからリリース。映画『乱暴と待機』の音楽および「相対性理論と大谷能生」名義で主題歌を担当。東京デスロック、中野茂樹+フランケンズ、岩渕貞太、鈴木ユキオ、室伏鴻、大橋可也+ダンサーズほか、演劇やダンス作品への参加も多い。












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ドキュメンタリーの巨匠ワイズマン×グスマンが語るチリ独裁政権、そして民主主義のこと(2015-10-02)

http://www.webdice.jp/dice/detail/4864/











映画『光のノスタルジア』

10月10日(土)より、岩波ホール他全国順次公開




映画『光のノスタルジア』より © Atacama Productions (Francia) Blinker Filmproducktion y WDR (Alemania), Cronomedia (Chile) 2010

映画『光のノスタルジア』より © Atacama Productions (Francia) Blinker Filmproducktion y WDR (Alemania), Cronomedia (Chile) 2010




チリ・アタカマ砂漠。標高が高く空気も乾燥しているため天文観測拠点として世界中から天文学者たちが集まる一方、独裁政権下で政治犯として捕らわれた人々の遺体が埋まっている場所でもある。生命の起源を求めて天文学者たちが遠い銀河を探索するかたわらで、行方不明になった肉親の遺骨を捜して、砂漠を掘り返す女性たち……永遠とも思われる天文学の時間と、独裁政権下で愛する者を失った遺族たちの止まってしまった時間。天の時間と地の時間が交差する。



監督・脚本:パトリシオ・グスマン

プロデューサー:レナート・サッチス

撮影:カテル・ジアン

天文写真:ステファン・カイザード

製作:アタカマ・プロダクションズ

配給:アップリンク

2010年/フランス、ドイツ、チリ/1:1.85/90分

© Atacama Productions (Francia) Blinker Filmproduktion y WDR (Alemania), Cronomedia (Chile) 2010



映画『真珠のボタン』

10月10日(土)より、岩波ホール他全国順次公開



映画『真珠のボタン』より © Atacama Productions, Valdivia Film, Mediapro, France 3 Cinema - 2015

映画『真珠のボタン』より © Atacama Productions, Valdivia Film, Mediapro, France 3 Cinema - 2015



全長4300キロ以上に及ぶチリの長い海岸線。その海の起源はビッグバンのはるか昔まで遡る。そして海は人類の歴史をも記憶している。チリ、西パタゴニアの海底でボタンが発見された。―そのボタンは政治犯として殺された人々や、祖国と自由を奪われたパタゴニアの先住民の声を我々に伝える。火山や山脈、氷河など、チリの超自然的ともいえる絶景の中で流されてきた多くの血、その歴史を、海の底のボタンがつまびらかにしていく。




監督・脚本:パトリシオ・グスマン

プロデューサー:レナート・サッチス

撮影:カテル・ジアン

編集:エマニエル・ジョリー

写真:パズ・エラスリス、マルティン・グシンデ

製作:アタカマ・プロダクションズ

配給:アップリンク

2014年/フランス、チリ、スペイン/1:1.85/82分

© Atacama Productions, Valdivia Film, Mediapro, France 3 Cinema - 2015




公式サイト:http://www.uplink.co.jp/nostalgiabutton/

公式Facebook:http://on.fb.me/1KNUYgS

公式Twitter:https://twitter.com/nostalgiabutton











■リリース情報




Music for a Dying Star



CD『Music for a Dying Star - ALMA MUSIC BOX x 11 artists』

発売中



2014年、アルマ望遠鏡が捉えた電波データをもとに、クリエイターたちが観測データをオルゴール盤に置き換えたアート作品「ALMA MUSIC BOX」を制作。70枚のオルゴール盤を制作し、70種類の「死にゆく星のメロディ」が生まれた。そのメロディを元に、国内外で活躍するミュージシャンたちが制作した楽曲11曲を収めたコンピレーション・アルバム。




Epiphany Works

EPCT-2

3,000円(税込)




★作品の購入はジャケット写真をクリックしてください。Amazonにリンクされています。













▼映画『光のノスタルジア』『真珠のボタン』予告編

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ドキュメンタリーの巨匠ワイズマン×グスマンが語るチリ独裁政権、そして民主主義のこと http://www.webdice.jp/dice/detail/4864/ Wed, 30 Sep 2015 17:21:12 +0100
パリにて、フレデリック・ワイズマン監督(左)、パトリシオ・グスマン監督(右)


チリのドキュメンタリー作家として、自国の歴史を描きつづけてきたパトリシオ・グスマン(74歳)の新作で、2015年ベルリン国際映画祭で銀熊賞脚本賞を受賞した『真珠のボタン』。今作が、その連作となる前作『光のノスタルジア』とともに10月10日(土)より岩波ホールにてロードショー公開となる。公開にあたり、パトリシオ・グスマン監督とフレデリック・ワイズマン監督(85歳)というドキュメンタリーの2大巨匠の対談が実現した。




フレデリック・ワイズマンは、40年間にわたり30本にのぼる作品を撮り、米国社会の土台を批評しつづけてきた。今回の対談では、パトリシオ・グスマンとは近しい友人であり、グスマン作品を初期から追いかけてきたワイズマン監督が、『光のノスタルジア』『真珠のボタン』の2作で描かれている独裁政権のこと、現代チリのこと、そして民主主義のことについて質問を投げかけている。



“現代”のチリはパラドックスに陥っている

(パトリシオ・グスマン)




フレデリック・ワイズマン(以下、ワイズマン): 『真珠のボタン』と、前作の『光のノスタルジア』とはどんなつながりがあるのですか?



パトリシオ・グスマン(以下、グスマン):私は2部作だと考えているよ。最初の『光のノスタルジア』はチリの最北部で、2作目『真珠のボタン』は真反対(最南端)で撮影を行ったからね。他の極限の地での撮影も考えていたが、3作目はチリと南アメリカの背骨に当たるアンデス山脈になると思うよ。




映画『光のノスタルジア』より © Atacama Productions (Francia) Blinker Filmproducktion y WDR (Alemania), Cronomedia (Chile) 2010

映画『光のノスタルジア』より © Atacama Productions (Francia) Blinker Filmproducktion y WDR (Alemania), Cronomedia (Chile) 2010



ワイズマン:なぜあなたはピノチェトの軍事クーデターの話にこだわっているのですか?(1973年9月、ピノチェト将軍はクーデターによりアジェンデ大統領による人民連合政権を倒し、独裁的な軍政が1990年まで敷かれた)なぜこのテーマに常に戻ることが重要だと思うのでしょう?



グスマン:あの事件から逃れることはできないよ。まるで子供の頃、自分の家が燃え落ちるのを目撃したような衝撃だったからね。私のストーリーブック(絵コンテ)、ゲーム、収集品、コミックスなど全部が、目の前で焼けてしまったんだ。あの火事のことは子供時代の記憶のように忘れられないよ。あれは私にとっては、ごく最近の出来事なんだ。時間の感覚というのは、人によって違う。チリで軍事クーデターのことを覚えているかと友人に聞くと、彼らの多くが遠い昔のことだと言うよ。遙か前に起こったことだとね。でも私にとっては、時が止まったままで、まるで去年か、先月か、先週起きたことのようだ。カプセルに包まれた琥珀の中にいるようなものだ。動けない状態で飾り玉の中に永遠に閉じ込められた古代の昆虫のようにね。そんな私をチリ人の友人は「落とし穴に落ちたまま生きている。病気だ」と言うよ。だが私から見れば、彼らのほとんどが自分より年寄りに見え、太って見え、猫背に見えるね。だから私はカプセルの中でも、ちゃんと生きているんだと納得しているよ。




映画『光のノスタルジア』より © Atacama Productions (Francia) Blinker Filmproducktion y WDR (Alemania), Cronomedia (Chile) 2010

映画『光のノスタルジア』より © Atacama Productions (Francia) Blinker Filmproducktion y WDR (Alemania), Cronomedia (Chile) 2010





ワイズマン:チリの人たちは、こういった質問のことを忘れたいと思っていると感じますか?それがあなたの映画制作のモチベーションになっているのでしょうか?つまり人々に忘れさせないようにすることが……。



グスマン:若い人たちは、何が起きたのかをすべて知りたいと思っている。彼らの祖父母や両親、教師たちの多くが、詳しいことを話していないからね。だから彼らは自分たちの知らない過去の話に飢えているんだ。また彼らは恐れを知らない世代だから、何が起きたかを理解する心構えもできている。チリは学生運動が盛んで、そのリーダーたち(ガブリエル・ボリック、ジョルジオ・ジャクソン)にもインタビューをしたよ。彼らにとって、私の2004年のドキュメンタリー『サルバドール・アジェンデ』(アジェンデは1970年から1973年まで、世界初の自由選挙により合法的に選出された社会主義政権の大統領となった)はお手本なんだ。



その一方で、“現代”のチリはパラドックスに陥っている。“現代”のチリは、私が知っているチリよりも、遙かに古くさいものになっている。“現代”のチリは、ホモセクシャルの人間に権利はなく、中絶も違法とされている。ピノチェト時代の憲法のもとで暮らしているんだ。




映画『真珠のボタン』より © Atacama Productions, Valdivia Film, Mediapro, France 3 Cinema - 2015

映画『真珠のボタン』より © Atacama Productions, Valdivia Film, Mediapro, France 3 Cinema - 2015



ピノチェトは大衆運動のパワーに引きずり下ろされた

(パトリシオ・グスマン)



ワイズマン:そのことをもう少し説明していただけませんか?



グスマン:40年もの間、政権を担う右派が多くの問題を抱えた憲法を堅持してきた。民主主義を求める反対票が“内なる敵”という概念を標榜する右派に、数で勝てずにきた。だが、こういった状況も議会が多数二名制(2009年に大幅な選挙改革がおこなわれ、各小選挙区から必ず計2名が当選することになっており、与野党各陣営がそれぞれ2名ずつ計4名の候補者を擁立する制度)の改革を決定し、比例制になるため、変わる可能性もある(2015年1月20日現在)。少しずつではあるが、チリはピノチェトの独裁制の遺産から脱却しつつあるね。私としては、より面白みと多様性を持つ、民主的な国に戻ることを望んでいるんだ。サルバドール・アジェンデは、それを実行していた。彼は民主主義者で自由論者だったからね。これが、彼がチリに残した大いなる遺産だ。




映画『真珠のボタン』より © Atacama Productions, Valdivia Film, Mediapro, France 3 Cinema - 2015

映画『真珠のボタン』より © Atacama Productions, Valdivia Film, Mediapro, France 3 Cinema - 2015





ワイズマン:なぜピノチェト憲法は、それほど長く変わらなかったのですか?



グスマン:ピノチェトは大衆運動のパワーに引きずり下ろされたんだ。近隣の労働者階級、大学、高校、サンティアゴの中心部に起こった扇動運動があまりにも強かったため、CIAがピノチェトに国民投票をさせるようにし向け、反乱を沈静化させたんだ。ピノチェトは国民投票を仕切ったのだが、不信任となった。翌日にはプロの政治家たちが権力に就いて、軍部と“沈黙の協定”を結んだ。



ワイズマン:軍部が介入したために、起きたのですか?



グスマン:チリで起こる問題には、常に軍部がからんでいるよ、今でもね。なにせ政府の正規部隊だからね。あの“沈黙の協定”というアイデアは、政権移行期にスペインの元首相フェリペ・ゴンサレスの影響を受けたんだ。フランコ亡き後のスペインで用いられていた協定では、あらゆることが話し合いに含まれていた。歴史的な事象認識と共同墓地以外のこと以外はね。チリでは、独裁政権と戦った市民に人気のあったグループは、権力から遠ざけられた。権力を中道左派が取り戻したからね。だが、この“左派”はだんだんと力を失っていき、現在に至っている。




映画『真珠のボタン』より © Atacama Productions, Valdivia Film, Mediapro, France 3 Cinema - 2015

映画『真珠のボタン』より © Atacama Productions, Valdivia Film, Mediapro, France 3 Cinema - 2015


独裁政権時の4割ほどの犯罪が裁判に掛けられたが、それ以外の犯罪者は無罪放免状態だ。たとえば独裁政権に荷担した市民などは手つかずのままだ。基本的にチリは、巨大な孤島のようなもので、国民は働き者で、早起きだ。毎晩、奥さんがアイロンをかけるスーツを1着しか持たない労働者もいて、中流階級にしがみつこうと格闘しているが、そこには幸せなんてない。私が思うに、あのクーデターが1世紀の間、つきまとうだろう。スト権もなく、表現の自由もなく、教会が国政に干渉してくる島だ。私が若かった頃、チリの教会は大陸の中でも最も寛容なところだった。だから本当の共和主義的な現代性は隠れてしまって、表には出てこないんだ。



(2015年1月16日、パリにて。この対談の全文は『光のノスタルジア』『真珠のボタン』劇場パンフレットに掲載されていますので、ぜひ公開劇場でお求めください。)










フレデリック・ワイズマン(Frederick Wiseman) プロフィール



1930年生まれ。イェール大学大学院卒業後、弁護士として活動を始める。やがて軍隊に入り、除隊後、弁護士業の傍ら大学で教鞭をとるようになる。63年にシャーリー・クラーク監督作品『クールワールド』をプロデュースしたことから映画界と関係ができ、67年、初の監督作となるドキュメンタリー『チチカット・フォーリーズ』を発表。マサチューセッツ州で公開禁止処分となるが、その後も社会的な組織の構造を見つめるドキュメンタリーを次々に制作する。71年に現在も拠点とする自己のプロダクション、ジポラフィルムを設立。以後、劇映画『セラフィータの日記』(82)『最後の手紙』(02)をはさみ、精力的にドキュメンタリーを作り続けている。最新作『ジャクソン・ハイツ』(2015)は、10月22日より開催の第28回東京国際映画祭で上映される。「現存の最も偉大なドキュメンタリー作家」と称される。





パトリシオ・グスマン(Patricio Guzmán) プロフィール




ラテンアメリカを代表するドキュメンタリー映画監督。1941年チリ、サンティアゴ生まれ。アジェン政権時代の政府とその崩壊を描いた三部作、全5時間のドキュメンタリー『チリの戦い』は、アメリカの雑誌「シネアスト」で「世界で最も優れた10本の政治映画のうちの1本」と評された。 ピノチェトによるクーデター後、グスマンは逮捕され、2週間監禁された。1973年にチリを出国し、その後はキューバ、スペイン、フランスと移り住み、多くの作品を発表し続けている。1997年に始まったサンティアゴ国際ドキュメンタリー映画祭(FIDOCS)の創設者であり、同映画祭の代表を務めている。













映画『光のノスタルジア』

10月10日(土)より、岩波ホール他全国順次公開




映画『光のノスタルジア』より © Atacama Productions (Francia) Blinker Filmproducktion y WDR (Alemania), Cronomedia (Chile) 2010

映画『光のノスタルジア』より © Atacama Productions (Francia) Blinker Filmproduktion y WDR (Alemania), Cronomedia (Chile) 2010



チリ・アタカマ砂漠。標高が高く空気も乾燥しているため天文観測拠点として世界中から天文学者たちが集まる一方、独裁政権下で政治犯として捕らわれた人々の遺体が埋まっている場所でもある。生命の起源を求めて天文学者たちが遠い銀河を探索するかたわらで、行方不明になった肉親の遺骨を捜して、砂漠を掘り返す女性たち……永遠とも思われる天文学の時間と、独裁政権下で愛する者を失った遺族たちの止まってしまった時間。天の時間と地の時間が交差する。



監督・脚本:パトリシオ・グスマン

プロデューサー:レナート・サッチス

撮影:カテル・ジアン

天文写真:ステファン・カイザード

製作:アタカマ・プロダクションズ

配給:アップリンク

2010年/フランス、ドイツ、チリ/1:1.85/90分

© Atacama Productions (Francia) Blinker Filmproduktion y WDR (Alemania), Cronomedia (Chile) 2010



映画『真珠のボタン』

10月10日(土)より、岩波ホール他全国順次公開



映画『真珠のボタン』より © Atacama Productions, Valdivia Film, Mediapro, France 3 Cinema - 2015

映画『真珠のボタン』より © Atacama Productions, Valdivia Film, Mediapro, France 3 Cinema - 2015



全長4300キロ以上に及ぶチリの長い海岸線。その海の起源はビッグバンのはるか昔まで遡る。そして海は人類の歴史をも記憶している。チリ、西パタゴニアの海底でボタンが発見された。―そのボタンは政治犯として殺された人々や、祖国と自由を奪われたパタゴニアの先住民の声を我々に伝える。火山や山脈、氷河など、チリの超自然的ともいえる絶景の中で流されてきた多くの血、その歴史を、海の底のボタンがつまびらかにしていく。




監督・脚本:パトリシオ・グスマン

プロデューサー:レナート・サッチス

撮影:カテル・ジアン

編集:エマニエル・ジョリー

写真:パズ・エラスリス、マルティン・グシンデ

製作:アタカマ・プロダクションズ

配給:アップリンク

2014年/フランス、チリ、スペイン/1:1.85/82分

© Atacama Productions, Valdivia Film, Mediapro, France 3 Cinema - 2015




公式サイト:http://www.uplink.co.jp/nostalgiabutton/

公式Facebook:http://on.fb.me/1KNUYgS

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▼映画『光のノスタルジア』『真珠のボタン』予告編

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アタカマ砂漠で見上げる空 第2回 http://www.webdice.jp/dice/detail/3360/ Mon, 26 Dec 2011 11:02:51 +0100
アタカマ砂漠に建設中のアルマ望遠鏡アンテナ。(画像提供:国立天文台)


去る10月に開催された山形国際ドキュメンタリー映画祭2011で、見事、最優秀賞を受賞した『光、ノスタルジア』(パトリシオ・グスマン監督)。2012年に公開予定のこの映画は、南米チリ共和国にあるアタカマ砂漠を舞台に、生命の起源を求めて天文学者たちが遠い銀河を探索するかたわらで、行方不明になった肉親の遺骨を捜して砂漠を掘り返す女性たちを、壮大な宇宙の映像とともに描く。世界一乾燥した土地といわれるこの砂漠は、大気の揺らぎや湿気を嫌う天文観測に極めて適しているため、世界中から天文学者が集ってくる。遠い地球の裏側にあって、われわれにはなじみの薄いアタカマ砂漠で進められている天文プロジェクトについて、天文学者であり国立天文台アルマ推進室の平松正顕氏がレポートする連載の第二回。前回、パラボラアンテナが立ち並ぶマルマ望遠鏡の写真を見て、「なぜこれが望遠鏡なのだろう?」という疑問を持たれた方も多いのではないだろうか。今回は、アルマ望遠鏡が見る電波天文学の世界を紹介してくれる。

 




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アタカマ・標高5000mの地に並ぶアルマ望遠鏡のパラボラアンテナ



光と電波



古来、人は夜空の星々を眺めてきた。洋の東西を問わず、星の並びに神話のエピソードや動物の姿を投影し、明るい星々には神々の名をあてはめて親しんだ。また季節とともに巡る星々を使って暦を定め、農耕に役立てもした。もちろん眺めていたのは、目で見える光「可視光」である。17世紀初めに望遠鏡を用いた天体観測が始まってからも、観測天文学といえば可視光の観測と相場が決まっていた。



目に見えない電波が宇宙から届いていることが分かったのは、1931年のことだった。当時アメリカの電話会社AT&Tの研究部門であったベル研究所の無線技士カール・ジャンスキーは、無線通信に紛れ込む雑音電波を研究していた。長さ30m高さ4mのアンテナを使って様々な電波源を特定したのち、彼は出所不明の電波が存在することに気付いた。その電波がやって来る方向は時々刻々変わり、何日も観測していくと、真南からその電波が来る時刻が1日に約4分ずつ早まっていくことがわかった。これは、星の動きとまったく同じ特徴だった。さらにその電波源の方向を詳しく調べてみると、天の川の中心方向と一致した。ここに、宇宙へつながる「電波の窓」が開いたのである。この功績をたたえて、今でも電波天文学の分野では天体から来る電波の強さを “Jy”(ジャンスキー)という単位で測る。






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復元されたジャンスキーのアンテナ。「メリーゴーラウンド」というニックネームの通り、円形のレール上で回転させていろいろな方向から来る電波を観測できるようになっていた。



ジャンスキーのこの発見はしかし、すぐに天文学者に注目されたわけではなかった。一方でこの発見に熱狂した一人の若者がいた。グロート・リーバー、当時22歳。アマチュア無線を趣味にしていた彼は、なんと自宅の庭に口径9.5mのパラボラアンテナを自作し、日夜観測に励んだという。世界初の電波天文学者の誕生だ。彼は強い電波が天の川に沿って出ていることを発見し、「空の電波強度分布図」を作成した。電波天文学の隆盛は、ひとりのアマチュア無線家から始まったのである。



宇宙から電波が来ていることがなぜ重要かといえば、光を発している天体とは別の種類の天体を電波で観測することができるからだ。電波というと、携帯電話やテレビ・ラジオなどを想起する方も多いだろう。確かに人工電波は身の回りにあふれているが、実は自然にある現象やあらゆる物質からも電波は出ている。雷、木々や動物、そして地面(地球)からも。私たち人間の体も自ら光を出して輝いてはいないが、電波は出している。暗闇にいる人間を目で見つけることは難しいが、人間が出している電波をとらえることができればその存在がわかる。そう、電波を使えば暗闇の宇宙を探ることができるのだ。





電波で「見える」天体たち



宇宙にある天体のうち、何が光を出していて何が電波を出しているのだろう。電波が出てくるメカニズムにはいろいろあるのだが、最大の特徴は「光を出せない極低温の天体からも電波が出てくる」ということだ。例えばまぶしく光る太陽。太陽の表面は6000℃と非常に高温であるために、自ら光を出すことができる。一方人体はたかだか36℃。低温すぎて光は出せないが、それでも電波は出てくる。宇宙に浮かぶ星々の間には、さらに低温(-260℃前後)のガスや塵(大きさ数マイクロメートルの砂粒のようなもの)が漂っており、光を出すことはできないが電波なら出てくる。



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光(左)と電波(右)で撮影した馬頭星雲



上の写真は、光で撮影した馬頭星雲(左)と電波で撮影した馬頭星雲(右)の写真だ。光の画像では、その名の通り馬の頭の形の星雲が見えている。黒く見えるので暗黒星雲とも呼ばれるが、この闇は空虚な闇ではない。実際この暗黒星雲の中には、太陽10個分にも相当する大量のガスや塵が浮かんでいるのだ。このガスや塵が、背景でピンク色に輝く別の星雲の光を隠してしまうので、馬頭星雲がシルエットとして浮かび上がっている。一方、電波で撮影した馬頭星雲はどうだ。馬の頭の形がくっきりと光っている、つまり暗黒星雲自身が電波を出しているのだ。この電波をキャッチすれば、暗黒星雲のベールをはぎ取りその内部を調べることができる。これが電波観測の威力である。



では、そうやって暗黒星雲の中を調べると何がわかるのか。実はこのような暗黒星雲の中で、星が作られている。私たちの太陽も46億年前にはこのようなガスと塵の雲だったに違いない。宇宙にある様々な星、さらにはその星の周りを回る様々な惑星たちも、このような暗黒星雲で生まれてきた。電波天文観測によって太陽系の、あるいは夜空に見える星たちのルーツを探ることができるのだ。



電波を見る目



宇宙にある天体から来る電波は極めて微弱だ。たとえば、皆さんがお持ちの携帯電話を月面に置いて地球からその電波強度を測ると、太陽に次いで全天第2の強度を持つ電波源となる。時に何億光年も彼方の天体から届くかすかな電波をとらえるため、パラボラアンテナの形をした電波望遠鏡は大きくなる。大きければその分たくさんの電波を集めることができ、「目を凝らして」宇宙を観測することができるのだ。また望遠鏡を大きくすると、視力(分解能)が良くなるという効果もある。しかし、際限なく望遠鏡を大きくすることは、当然ながらできない。地上では常に重力がはたらいているから、巨大構造物を作るとパラボラが歪んでしまってうまく電波を集めることができない。また天体は時間とともに動いていくから、観測するためにはきちんとその動きを追尾する必要がある。望遠鏡を大きくすると、当然動かすのも大変だ。



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アメリカ国立電波天文台のグリーンバンク100m電波望遠鏡(左)と国立天文台野辺山宇宙電波観測所45m電波望遠鏡(右)


天文学者と技術者はそのような困難に打ち勝って、巨大な電波望遠鏡を作ってきた。長野県にある国立天文台野辺山宇宙電波観測所には、直径45mの電波望遠鏡がある。またアメリカでは、直径100mの電波望遠鏡が稼働中である。しかし、『よりよく宇宙を見たい』という天文学者のさらなる熱意は、巨大望遠鏡を作る困難との真っ向勝負に出るのではなく、それを回避するという発想の転換によって大発展をもたらした。それは、小さめのパラボラアンテナを何台も並べ、そこで得られた信号をコンピューターで合成することによって全体を一つの仮想的な巨大望遠鏡として使う、「干渉計」と呼ばれるシステムである。この発明によって考案者のマーティン・ライルは1974年にノーベル物理学賞を獲得し、彼以降の電波天文学者は圧倒的に高分解能の望遠鏡を手に入れた。全部で66台の高精度パラボラアンテナを最大18.5kmの範囲に展開するアルマ望遠鏡は、干渉計の一つの究極の形である。



では、このアルマ望遠鏡はどのようにして実現に至り、そこにどんなドラマがあったのか。それは、次回お伝えすることにしよう。




(文/平松正顕)





■平松正顕(ひらまつ・まさあき) プロフィール


天文学者。2008年、東京大学大学院理学系研究科天文学専攻博士課程修了。
中央研究院天文及天文物理研究所(台湾)研究員を経て、現在、国立天文台ALMA推進室助教。天文学普及プロジェクト「天プラ」管理人の一人。月刊『星ナビ』にコラム連載中。



Hiramatsu Masaaki webpage

アルマ望遠鏡ウェブサイト

アルマ望遠鏡 twitter






『光、ノスタルジア』 2012年公開予定




世界中の天文学者が集まる、標高3,000メートルの高地のチリ・アタカマ砂漠。監督パトリシオ・グスマンは幼い頃の天文学への憧れを語りながら天文学の聖地であるアタカマを紹介、さらにここがピノチェト軍事政権下の弾圧の地であることを明らかにする。永遠とも思われるような天文学上の時間と犠牲者の遺骨を捜し求める遺族たちの止まってしまった時間。チリの歴史を描き続けるグスマンの、諦観に満ちた語り口と圧倒的な映像が際立つ。



監督:パトリシオ・グスマン

(フランス、ドイツ、チリ/2010/スペイン語/カラー、モノクロ/35mm/90分)







▼『光、ノスタルジア』予告編


[youtube:0VEIeAa6DiM]





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アタカマ砂漠で見上げる空 第1回 http://www.webdice.jp/dice/detail/3233/ Mon, 26 Sep 2011 21:02:16 +0100
アタカマ砂漠に建設中のアルマ望遠鏡と天の川(日本アンテナ組立エリア)。(画像提供:国立天文台)


2011年10月6日~10月13日に開催される山形国際ドキュメンタリー映画祭のインターナショナル・コンペティション招待作品『光、ノスタルジア』(パトリシオ・グスマン監督)は、南米チリ共和国にあるアタカマ砂漠が舞台だ。世界一乾燥した土地といわれるこの砂漠は、大気の揺らぎや湿気を嫌う天文観測に極めて適しているため、世界中から天文学者が集ってくる。一方で、灼熱の太陽が照りつけるアタカマ砂漠は、古代人のミイラや、遭難した探検者、銅や硝石の採掘鉱夫たちの亡骸が、手つかずに残っている場所でもある。そしてまた、ピノチェト大統領(在任1974年~1990年)による独裁政権下で政治犯として捕らわれた人々の遺体もここに埋まっている。生命の起源を求めて、天文学者たちが遠い銀河を探索するかたわらで、行方不明になった肉親の遺骨を捜して砂漠を掘り返す女性たちを、壮大な宇宙の映像とともに描いたこの映画は、来春、アップリンク配給でロードショー公開の予定。そこで、遠い地球の裏側にあって、われわれにはなじみの薄いアタカマ砂漠で進められている天文プロジェクトについて、天文学者であり国立天文台ALMA推進室の平松正顕氏がレポートする新連載がスタート! 第一回は、現在ちょうどアタカマ砂漠に出張中の平松さんが、砂漠の過酷な環境での仕事の様子などついて伝えてくれる。

 




天文学者の夢の土地・アタカマ砂漠



チリ北部、アタカマ砂漠。この乾燥した大地にやってくるのももう8回目になる。いつ来てもほとんど変わらない、青い空と赤茶けた大地。NASAが火星探査車の試験地としてこの地を選んだというのもうなずける。



アタカマが世界有数の乾燥地になっているのは、その東西にそびえる海岸山脈とアンデス山脈が湿った空気の流入を阻んでいるからである。そんな安定した好天に恵まれるこの地を研究に活用しているのは、NASAだけではない。世界中の天文研究機関が1960年代あたりから続々と天文台を設置している。ヨーロッパから、アメリカから、そして日本から。私も、ここアタカマに作られた望遠鏡で空を観測する天文学者の一人である。




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スペースシャトルから見たチリ北部。画面中央のアタカマ地方には雲がかかっていない。(c)ESO – ESA – Claude Nicollier



私は、太陽のような星が生まれる過程を研究している。もちろんタイムマシンに乗って太陽が生まれた46億年前に戻ることはできないので、夜空に潜んでいる「今まさに生まれようとする星たち」を望遠鏡で観測し、その様子を紐解いていくことになる。太陽のような星は、宇宙にぼんやりと雲のように広がっているガスや塵粒が集まることで作られる。このような雲は、人間の目で見える光では観測することができないが、微弱な電波を出していることが知られている。この電波を巨大なパラボラアンテナ(電波望遠鏡)を使って集め、分析することによって星が形作られていく様子を調べるのだ。一般的な天体写真のようにきれいな画像が撮れるわけではないが、彼方で時にしずしずと、時に暴力的なまでに激しく動く雲の様子が手に取るようにわかるというのは、ワクワクするものである。



研究者とは別の顔として、私は現在アタカマに建設が進む望遠鏡の、日本における広報担当でもある。その望遠鏡の名前は『アルマ』。『アタカマ大型ミリ波サブミリ波干渉計(Atacama Large Millimeter/submillimeter Array)』という舌を噛みそうな正式名称の電波望遠鏡の略称だ。この望遠鏡は、日本だけではなく欧米も含めた20の国と地域が協力で建設と運用を行う国際天文台である。既存の望遠鏡に比べて桁違いの性能を持つアルマ望遠鏡により、宇宙の様々が謎を解明されることが期待されている。このアルマ望遠鏡についての詳しい話は次回以降に譲り、ここでは望遠鏡建設地であるアタカマの風景やアルマ望遠鏡に関わる人たちの仕事ぶりを紹介したい。



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アルマ望遠鏡完成予想図。一般的な望遠鏡と違って宇宙から届く微弱な電波を観測するため、巨大なパラボラアンテナを並べた形をしている。(c)ALMA(ESO/NAOJ/NRAO)


平地の半分しかない酸素、強い日差し、そして乾燥



アタカマは乾燥ゆえに天文台のメッカとなっているわけだが、標高が高いこともあって常時生活するには厳しい環境である。日本に住む私のように必要に応じてチリに出張する者もいるが、アルマ望遠鏡の現場で働くスタッフの多くはチリの首都・サンティアゴに居を構えている。彼らはシフトを組んで、交代でアタカマに通勤するのだ。通勤といっても、サンティアゴからアルマ望遠鏡最寄りの都市・カラマまでは飛行機で2時間。今回私が乗った便には、20人近いアルマ関係者がいただろうか。数百人が働く職場なので、知った顔も知らない顔もある。若い望遠鏡オペレータたちが搭乗ゲート前で談笑しているかと思えば、ベテラン技術者は一人静かにコーヒーを楽しんでいたりする。同じ飛行機にはヘルメットを手にした乗客も見受けられる。カラマは世界一の露天掘り銅鉱山・チュキカマタのおひざ元なので、彼らはきっと鉱山労働者なのだろう。カラマ空港に到着したら、アルマのスタッフはターミナルビルの前の専用バス停に横付けされた専用シャトルバスに乗り込み、今度は2時間ほど砂漠の中を走る。こうしてようやくたどり着くのが彼らの職場、アルマ望遠鏡山麓施設である。



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日本からチリへの直行便は無く、通常、北米を経由して首都サンティアゴまで約30時間。飛行機を乗り継ぎカラマまで約2時間。さらにカラマからサンペドロ・デ・アタカマ(約100km)までバスで約2時間。(画像提供:国立天文台)



アルマ望遠鏡自体はアンデス山中標高5000mの高地に建設されているが、酸素が平地の半分しかないこの地で仕事をするのは危険が伴う。そのため、標高2900m地点に望遠鏡の建設やメンテナンスをするエリア、望遠鏡のコントロールルーム、事務所や食堂、宿舎がそろった山麓施設が作られている。スタッフは、1週間程度のシフトの間ここで寝泊まりし、食事し、仕事をする。酸素は平地の7割程度、極度に乾燥したこの場所での仕事はかなり体力を消耗する。傾斜のある敷地に建てられた山麓施設の階段を上り下りするだけでも最初は息が上がるし、初めてこの山麓施設で寝泊まりしながら仕事をしたときには、最初の晩は酸素不足でよく寝られず、頭痛がつらかったことを覚えている。とはいえ人間の適応能力はすばらしく、その次の晩以降は徐々にしっかりと眠れるようになっていった。



この山麓施設のまわりには、日本では見られない風景が広がっている。山麓施設から西側見下ろすと、白っぽい大地が目に入る。世界第2の広さを持つ塩湖、アタカマ塩湖だ。「湖」と言っても水があるところはわずかで、ほとんどは結晶化した塩と砂が混じった塩原ともいうべき場所だ。アンデスの山々に降った雪が融けて地下水となり、ふもとに湧き出す。湧水は川となり湖にそそぐが、乾燥のために蒸発が激しく流れ出す川はない。こうしてミネラル分が凝集してできた塩湖には特有の生態系があり、特にこのあたりはフラミンゴの保護区となっている。




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アタカマ塩湖とフラミンゴ



また、西側が開けた山麓施設からの夕日の美しさは素晴らしい。40km彼方の山脈に日が沈むころには、塩湖の水をたたえた領域が太陽光を反射し赤く輝く。空を朱に染める太陽が沈んでしばらくすると、薄明の空に南十字星が輝き始める。この空のグラデーションが時々刻々と変化していく様子は、筆舌に尽くしがたい上に写真として記録するのも難しい。厳しい環境で働くアルマ望遠鏡スタッフだけに許された、ひと時の癒しの時間である。



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アタカマ塩湖から眺める夕景


山麓施設のまわりには、わずかな水の流れが長い時間をかけて作った小さな渓谷があちらこちらにある。その間を縫って作られた道路を登っていくと、やがてサボテンの群生地が目に入ってくる。人の背丈の何倍もあろうかという巨大なサボテンは、どれくらいの時間をかけてここまで生長したのだろう。そしてこのあたりには、ロバやビクーニャといった動物もたまに出没する。人類の技術の最先端をつぎ込んだ電波望遠鏡が、サボテンや動物たちに見守られながら標高5000mまでの道を運ばれていく姿は、ミスマッチのような、でも地球に生きる人類の営みを象徴しているような、不思議な光景だ。



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サボテン群生地を運ばれていく、アルマ望遠鏡のパラボラアンテナ




山麓施設から30kmほどの道のりを行くと、標高5000m地点にアルマ望遠鏡山頂施設がある。ここが、望遠鏡が実際に建設されている場所である。実際にここに立ってみるとその標高を感じさせないほど平坦な土地が広がっていて、大陸のスケールの大きさを実感する。まわりにある山々は標高5600mを超えるが、5000mの大地から見上げるとそれほどの高さは感じない。ただ、息苦しさだけが標高を教えてくれる。



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標高5000mの平原が広がるアルマ望遠鏡建設地


平地の半分しかない酸素、ときおり吹く秒速20mを超える風、強い日差し、そして乾燥。ここで働く人間にも、そしてここに建設されている巨大な精密機械である望遠鏡そのものにとっても厳しい環境である。なぜそこまでして望遠鏡を作りたいのか?という疑問を持つ方もいらっしゃるだろう。その答えは、「好奇心」の一言に尽きる。画家ポール・ゴーギャンが描いた『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』という絵画と同じ問いかけに、天文学者は極限環境に望遠鏡を建設することで挑もうとしているのだ。もちろん、好奇心は学者だけの専売特許ではない。古来、人は空を眺めて様々な思いを抱いてきた。アタカマの天文台群は、その自然な延長線上にあるのだ。次回以降、このアタカマの地から切り拓かれる新しい天文学の地平について紹介したい。



(文・写真/平松正顕)





■平松正顕(ひらまつ・まさあき) プロフィール


天文学者。2008年、東京大学大学院理学系研究科天文学専攻博士課程修了。
中央研究院天文及天文物理研究所(台湾)研究員を経て、現在、国立天文台ALMA推進室助教。天文学普及プロジェクト「天プラ」管理人の一人。月刊『星ナビ』にコラム連載中。



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アルマ望遠鏡ウェブサイト

アルマ望遠鏡 twitter






『光、ノスタルジア』 2012年春公開予定




世界中の天文学者が集まる、標高3,000メートルの高地のチリ・アタカマ砂漠。監督パトリシオ・グスマンは幼い頃の天文学への憧れを語りながら天文学の聖地であるアタカマを紹介、さらにここがピノチェト軍事政権下の弾圧の地であることを明らかにする。永遠とも思われるような天文学上の時間と犠牲者の遺骨を捜し求める遺族たちの止まってしまった時間。チリの歴史を描き続けるグスマンの、諦観に満ちた語り口と圧倒的な映像が際立つ。



監督:パトリシオ・グスマン

(フランス、ドイツ、チリ/2010/スペイン語/カラー、モノクロ/35mm/90分)





山形国際ドキュメンタリー映画祭2011にて、10/7(金)と10/10(月)の2日間、本作がインターナショナル・コンペティション部門で上映されます。詳しくは、山形国際ドキュメンタリー映画祭公式サイトをご覧下さい。







▼『光、ノスタルジア』予告編


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