webDICE 連載『オールモスト・フェイマス -未配給映画探訪』 webDICE さんの新着日記 http://www.webdice.jp/dice/series/38 Mon, 16 Dec 2024 20:28:06 +0100 FeedCreator 1.7.2-ppt (info@mypapit.net) 「故郷から出て来て東京で生きて行くことにみんな一生懸命もがいてた」 http://www.webdice.jp/dice/detail/3712/ Fri, 23 Nov 2012 17:08:50 +0100
『故郷の詩』より


大学の卒業制作として監督・脚本・主演と三役を務めた『故郷の詩』が、今年5月に開催された第24回東京学生映画祭でグランプリと観客賞の二冠に輝いた後、第34回ぴあフィルムフェスティバルで審査員特別賞を受賞、バンクーバー国際映画祭の招待作品部門に出品されるなど大きな話題を呼んだ、嶺豪一監督。劇場公開中の『ニュータウンの青春』(森岡龍監督)での出演も評価が高く、俳優として数多くのインディーズ映画への出演が続いている。俳優としても監督としても活躍が期待される嶺監督に、半自伝的作品とも言える『故郷の詩』について話を聞いた。







自分しか撮れない作品と

自分にしか演じられない役







──作品を撮ったきっかけを教えてください。




学校の卒業制作で撮りました。これだけたくさんの自主映画が作られている中で、その中で飛び抜けた作品、かつ、自分自身の力を最大限を出せる作品を作ろうと考えた時に、まず“体を張ること”だったんですね。それで、スタントマンを目指す主人公を設定しました。自分が主演することになったのは、危険なスタントが多くて、とても他の人に頼めるような役じゃなくて、自分で演じるしかなかったから。

もちろん、どこまでが本当かわからないくらいのリアルさを出す作品を作りたかったというのもあります。だから自分自身を題材にした話で、映像もなるべくCGを使わないで、リアルにこだわりました。





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『故郷の詩』の嶺豪一監督






──ディティールにこだわっていると思いました。




美術がとても気になるんです。細かい四隅や美術が気になっちゃって。実際、寮ってゴミばっかりあって汚いんですけど、細かいゴミも、映画だとスクリーンで大きく映るじゃないですか。そこに映るゴミは何であるべきなのか、そういうことを、すごく考えましたね。例えば、わかめラーメンは、一番安いカップラーメンで、寮生ならではの食べ物です。タバコは、一番安いものを選んだりとか。撮影をしているときは、「絶対に妥協しちゃいけない」っていう気持ちで、ワンカットワンカット撮りました。一発で終るシーンもありましたけど、ラストはどう終わるべきか、すごく悩んだし、撮り始めてからも相当撮りましたね。




──自伝的な物語、かつ、フェイクドキュメンタリーを匂わせる作品ですよね。




“事実は小説より奇なり”という言葉がありますが、現実に起こったことで、映画みたいなことってあるじゃないですか。どちらが本当なのかということじゃなくて、これはどこまでが本当なのかと思わせるようなところを狙いたかったというのがあります。最後のカットも、どこまでが映画で、どこまでがリアルかわからないようにしたかったんです。




──実際、どこまでが事実なんですか。




半分くらいですね。有斐学舍という寮が舞台なんですが、実際あんな風に4畳半の部屋がたくさんあって、キレイな部屋もあれば汚い部屋もあって、それぞれの部屋に、いろんなドラマがあったというか、それを全部ひっくるめて、『故郷の詩』という作品にしたかったんですよね。




──最初に寮の一部屋一部屋が映し出されるカメラワークがインパクトがありました。




ひとつひとつの部屋を撮ってつなげて編集していったんですけど、撮影中はスタッフは、「これをどうやって使うんだろう?」と思っていたと思います。でも、一部屋一部屋を映像に残しておきたかったんですよ。現役寮生の部屋を撮らせてもらいました。




──宴会シーンも、実際の宴会を撮影したのですか?




はい、毎年1回寮で祭があるんです。その祭を撮影させてもらってから、本編の撮影に入りました。その祭をモチーフにした映画も撮ってるんですよ、『おてもやん』っていう作品です。大学時代は、寮を舞台にした映画ばっかり撮っていましたね。





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『故郷の詩』より




記録として残したかった

寮生と寮生活




──寮の魅力って?




住んでみないとわからないところがあるのかもしれません。この作品(『故郷の詩』)を寮生に見てもらったとき、「これって他の人にわかると?わからんだろ?」って言われました。もちろん、多くの人に観て伝えたい思いはありますけれど、このシーンに限っては、仮に他の人に伝わらないとしてもそれでもいい、ここの寮生と寮生活のそのままを描きたいって強く思いました。

狭くてボロボロの寮の話なんですけど、ありのまま見せたかったんですよ。

記録として、残しておきたかったんだと思います。作品には、とにかく、寮生全員に映画に出てほしかったですし。




──それはどういう気持ちだったんですか。




あの時のメンバーは、あの時にしか集まらないし、あの時の時間は、あの時だけだと思ったから。この作品は卒業制作なんですけど、学校の卒業は、イコール、寮からの卒業でもあったんですよね。(※有斐学舍は、熊本出身の学生のみが入寮できる)だから、10年後に観た時に、自分的には『ニュー・シネマ パラダイス』みたいな作品になればいいなあと思っていました。




──最後にトトがフィルムを発見するところ?




はい、あんな感じになればなあって。

最後にトトが暗闇で、昔大切にしていたフィルムをみつけて、その頃の想いが蘇ってくるシーンみたいに。間違いなく泣く自信ありますね(笑)。




──前回の森岡監督との対談では、自らを“ノスタルジー男”と称していましたよね。




ありますねえ。最後、寮を卒業するときに、後輩のみんながバンザイ三唱して見送ってくれるんですけど、その後、電車に乗って、新しい家に向かうとき、泣いちゃったりして。泣きながら、みんなにメール送って。「いままでありがとうね」って。でも誰もメールの返信とかしてくれないんですよ!(笑)



確かに“ノスタルジー男”なんですけど、でも、それだけじゃだめだとも思っていて。映画を観て、頑張ろうって思える作品が作りたかったんです。訳もなく、力が沸いてきたり、気持ちが動く作品が作りたいです。

だから話もいきなり始まって、いきなり終るっていう、インパクト勝負みたいなところはありましたね。細かいつながりは考えずに、直球で勝負してやろうっていう。




『故郷』は誰にでもある、

“裏切れない何か”




──寮生からの感想は?




「だご(※熊本弁で“すごく”の意味)面白かった!」って言ってもらえました。実際の寮生のエピソードを使わせてもらった奴から言ってもらえたのは嬉しかったですね。




──さしつかえなければ、どのシーンか教えてください。




天志が、株のDVDを買ってしまうシーンです。このエピソードには、モデルになった寮生がいたんです。怪しげなセミナーにはまっちゃって、騙されて、50万円でDVDを買っちゃった奴が。そいつは、ほかの寮生からも「最近あいつおかしい」って言われてて。そいつが僕の部屋に忘れていった手帳を見たら、夢リストが書いてあったんです。

劇中で大吉が、寮の黒板に「寮で、セミナーの勧誘は禁止です」と書かれた文字を消しているシーンは、自分の実話です。あのシーンは、(前後の)流れとかを無視しても撮りたかった場面なんです。

そいつも映画を観に来てくれて、なんだか、すごく気まずかったんですけど、上映後に「なんやこれ、俺じゃねえや」って言われたんで(苦笑)、「もう(セミナーに)行くなよ」って言いました。そいつに観てほしかったので、嬉しかったですね。みんな、一生懸命もがいてたんですよ。熊本から東京に出て来て、ここで生きて行くっていうことに。




──その点では、主人公の大吉も他の学生もみんな一緒なんですね。




東京でひとりで生きて行かないといけないって、もがき始めると、逆に東京に染まらなきゃって思い始めて、へんに頑張ってしまうこともあるんです。でも僕は、全然そのままでいいんじゃないかと思う。けど、それを(友だちに)言葉で言っても、なかなか伝わらない。映画で観てもらって、少し伝わったかなって思えたのが嬉しかったです。




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『故郷の詩』より






──故郷から東京に出て来た若者の心もとなさがあるからこそ、寮生の結束感も生まれるんでしょうね。それから、音楽がとても印象的でした。




音楽は全曲、熊本の民謡や祭のリズムを生かして作ってもらいました。

『馬追い祭』という、馬を率いて街を練り歩く、地元の祭があるんですけど、その時の太鼓の音が、“デンデケデンデケ”っていうリズムなんです。(最初の曲は)そのリズムを使って作曲してくださいってお願いしました。

繁華街で大吉が殴られるシーンあるじゃないですか。あの男の人を演じてくれた人がバンドをやっていたので、エンディングの音楽を作ってくれないかと頼みました。

そうしたら「俺には故郷がないから、故郷の詩ってどんなのかわからないけど、横浜出身だから横浜ならではの曲を書く」と言ってくれて。

実際に脚本を書いている時は、真心ブラザーズの『明日はどっちだ』という曲を聴いていました。“俺はまだ死んでないぜ”という歌詞から始まるので、観ている人に、「どっちかな」って思わせたいなとか思いながら。








──嶺監督にとって故郷や地元愛って何ですか?




僕にとって根底にあるものは、熊本です。故郷と言うと、熊本のおばあちゃんだったり、叔父さんですね。『故郷の詩』でモチーフになっている”故郷”は、わかりやすく出身地の”熊本”となっていますけど、東京に来ると、東京生まれの人は「自分には故郷がない」って言う人もいますよね。でも東京出身の人にも、誰かに伝えたい気持ちや想いってあると思うんです。別に、生まれた出身地や田舎が、イコール故郷じゃないと思うんです。

僕の場合は、応援してくれている人が熊本に集ってる。寮生や後輩も。映画監督を目指そうと決めた高校生の時、叔父さんと約束したんです。「映画監督になる」って。だから(そういう人を)裏切れないなって思う。地元愛とか故郷って、“裏切れない何か”ですね。




──では今後、熊本に帰って映画を撮ることも考えていますか?




そうですね。でも、故郷って、いま僕が東京にいるから“故郷”だと思うんです。熊本にずっと居たら、それが日常になるわけで。だから、今の、そういう距離感が、逆に頑張れているのかなとは思いますけどね。




──室生犀星が言った「故郷は遠くにありて想うもの そして哀しく歌うもの」という感じですか。




そうですね。遠く離れていて普段会えないから、新聞とかで、何をやっているのか知らせれるようになりたい。だからもっと頑張らなきゃなって、すごく思っています。映画も撮り続けなければ、監督じゃなくなっちゃうんで、また次を撮らないと、と思っています。




──バンクーバー国際映画祭での反応は?




「あの主人公はすごく自虐的だし、バカなことばかりしているけど、君は実際にああいう人なの?」とか聞かれましたね(苦笑)。




──何て答えたんですか?




「また新しい大吉になります!」って答えました(笑)。




(文・写真:鈴木沓子)









嶺豪一 プロフィール


1989年、熊本出身。多摩美術大学造形表現学部映像演劇学科卒業。『故郷の詩』が第30回そつせい祭でグランプリを受賞、第24回東京学生映画祭でグランプリ、観客賞をダブル受賞、その後、第34回ぴあフィルムフェスティバル審査員特別賞を受賞、第31回バンクーバー国際映画祭招待作品部門に前作『よもすがら』と共に上映される。大学時代の先輩である森岡龍監督や奥田庸介監督作品を始め、現在は俳優としても幅広く活動している。














『故郷の詩』




映画のスタントマンを目指す大吉は、故郷の熊本に彼女を残して上京。熊本出身の学生のための寮『有斐学舎』で学生生活を送っている。映画監督志望の寮生の友だち天志とも知り合い、一緒に作品を撮ろうとするが、東京での学生生活のほとんどは、酒やナンパに明け暮れ、気づけば卒業目前。何ひとつ上手くいかない毎日から一歩踏み出すために、大吉は一世一代のスタントを計画する──。嶺監督自身が学生生活を送った有斐学舎を舞台に、自ら主演し、等身大の若者の葛藤を演じた体当たりな演技も、高く評価された。




監督・脚本:嶺豪一

出演:嶺豪一、飯田 芳、岡部桃佳、林 陽里、広木健太

撮影:楠雄貴

編集:小野寺拓也

音楽:今村左悶

楽曲提供:SPANGLE

2012年/カラー/71分





▼『故郷の詩』予告編

[youtube:5AmmMh7oDkE]


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“ジャージ映画”から卒業すべきか、否か。結構試練です。 http://www.webdice.jp/dice/detail/3695/ Tue, 06 Nov 2012 16:07:31 +0100
『ニュータウンの青春』より



大学時代は先輩と後輩という間柄で、一緒に映画を撮り続けてきた二人。互いの監督作品に出演するほか、俳優そして監督として活躍、共に制作に関わった作品は、『青春墓場~明日と一緒に歩くのだ~』(奥田庸介監督)や『ビューティフル』(市川祐太郎監督)など他多数。今年7月にオールモスト・フェイマス上映会 in 奥渋谷映画祭で、森岡龍監督の『ニュータウンの青春』を上映したが、先週より、渋谷ユーロスペースを封切りに、本作の全国順次公開が始まったばかり。今回のオールモスト・フェイマスでは、『ニュータウンの青春』の公開を記念して、森岡監督と準主役をつとめる嶺監督に、大学時代と映画づくりの現場について聞いた。まるで、“スリーサンダーズ”さながらのトークをお楽しみください。




ずっと一緒だったから

わかること




──二人の出会いは?






森岡龍(以下、森岡):最初は、学祭のときに、ひとり、おもろいやつがいるぞって言われて見に行ったんです。そしたら、当時一年生だった豪一が出店を出していて、高給な海の幸、しかも築地直送の魚介類を、結構いい値段で売ってたんですね。500~600円で。「生意気に金を稼いでる1年生がいるぞ」って話題になっていたんですけど、全然売れてなくて、最終日に行ったら、100円くらいで叩き売りしてて(笑)。それを食ったら、翌日腹が痛くなって(苦笑)。



嶺豪一(以下、嶺):牡蠣とか売ってたんで……(苦笑)。







森岡:それで知り合いになった後、たしか奥田庸介君の現場だよね、『青春墓場』で、豪一が撮影助手、僕がメイキングを作ったんです。撮影現場は、結構泊まり込みも多くて、合宿みたいなことをよくやってて、それで一気に仲良くなったよね。まあ、男臭い現場だったね。




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『ニュータウンの青春』森岡龍監督(右)、準主役の嶺豪一監督(左)


嶺:一緒に銭湯行ったりするうちに、仲良くなって。



森岡:それでよく家に遊びに来るようになったんだよね。僕は、当時友達と一緒に住んでた家があったんです。気づいたら、そこに豪一が勝手に入って、勝手に泊まってるっていう。本当に、俺より寝泊まりしてるんじゃないかっていう月もあった。







──その時、嶺監督は『故郷の詩』の舞台にもなった有斐学舍で寮生活を送っていたんですよね?






嶺:そうなんです、でも寮の場所が埼玉で(大学から)遠くて。それに風呂のお湯がでない時もあって……。



森岡:あの頃、本当にずっと一緒にいたよね。脚本書くのも一緒だったし。



嶺:龍君が『ニュータウンの青春』の脚本を書いている時に、僕は『よもすがら』の脚本を書いていました。いつも龍君の家だったり、一緒に、ファーストフード店で隣り合わせとかで。なんか泣きながら書いてたよね。



森岡:そう、「いいシーン書けたよ!」って(笑)。




──『ニュータウンの青春』も『故郷の詩』も、実際に登場人物が実存したとしか思えないくらい演技や空気感がリアルでした。ただ内輪ノリで撮っても、なかなかそのまま画に反映されないと思うのですが、演出や撮影現場について教えていただけますか。




森岡:どんな感じで撮ってたんだっけ? でももう、毎日一緒にいるから、豪一が何を撮りたいのかが、わかるっていうのが大きかったのかもしれませんね。「このシーンは、あの映画の、あのシーンの、これでしょ?」っていう感じで(笑)。それはシナリオを書いている段階からピンとくるんですよ。あの頃って、まず朝起きたら、飯食って、映画1、2本観て、シナリオ書いてっていう生活を、ずっと1年間続けていた訳ですから。




──では、演出も「あうん」の呼吸で?






森岡:『故郷の詩』で、俺が出たシーンは、『パンチドランク・ラブ』のフィリップ・シーモア・ホフマンが、電話越しにキレるシーンがあるんです。「あのホフマンをやって」って言われて。電話を耳にあてずに、手に持って、電話に向かって怒鳴るっていう。



嶺:「ファックファックファック!!」って叫んでるっていう(笑)。



森岡:「ああ、これがほしいんでしょ」って、すぐわかりました。だから、ほとんどモノ真似なのかもしれませんね、へたくそな。



嶺:あとは、共通の知り合いの名前を出して、「誰々みたいな感じで」とか、お願いしていましたね。




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『ニュータウンの青春』より


日常を遊びで

演出する



森岡:それから、けっこう普段から、仲間内で、おもしろくないとダメっていうのがあったんですよ。おもしろさにすごく貪欲っていうか。バツゲームをやらされても、おもしろくないリアクションをしたら、どんどん過激になっていくとか……。



嶺:そうそう、一発で決めないと、どんどんひどくなっていくから(苦笑)。だって、いつの間にか、ドッキリをしかけられていたりとかするんですよ。



森:リアクション鍛えられたよね。ある種、よしもとの養成所みたいな学校だったから。




──例えばどんなことを?







森岡:結構思い出深いんですけど、でもやっちゃいけないドッキリでは、ちょうど『ニュータウンの青春』を撮り終わった頃、みんな家で集まって、豪一を待っていたんですね、ビデオカメラをまわしながら。豪一が家に着いた時、須藤っていうメンバーが、撮影現場で照明が落ちてきて入院しているっていう嘘をついて。その話を豪一にした直後に、電話がかかってくる設定にしていたんです。それで別の友人から電話をかけてもらって、「須藤が死んだ」って連絡が入るっていう。僕たちは、豪一が「まじっすか?!」ていう反応をすると思っていたんだけど、その場で、豪一がわって泣き崩れて……。俺たちは、ドッキリのプラカードとか、ヒゲメガネとかを用意してたんだけど、それにも目に入らないくらい、豪一は頭が真っ白になっちゃっていて。一部始終をカメラで撮っていたんですが、その後撮ったものを観たら、今までエラーなんて出なかったカメラだったんですけど、その瞬間レンズが曇っちゃって……“なんかちょっと怖い”っていうオチまでついて。そういう過激な遊びをやっていました。それはさすがに、後から反省しましたけど。



嶺:あれは本当にキツかったっすね~。その時、録音部の根本飛鳥さんていう人がいたんですけど、演技がめちゃくちゃ上手くて!「須藤死んだって」って言って、ぽろって涙流したんですよ!それで、「マジなんだ」って思って……。



森岡:俺も後ろでやりとりを聞いてただけなのに、泣き始めちゃって。そういう、その場の空気を、がらっと変えなきゃいけない遊びが横行していたんです。



嶺:ドッキリを仕掛けるために、演技も上手くなっていきますしね。



森岡:そうそう。それから仕掛けられた側も、「俺ははめられたんだぜ」っていう芝居をしないと、場が盛り上がらないから、日々、試されるよね。でも、ほんっとリアクションが上手いよね、豪一は。



嶺:仕掛けられる側は、ある程度乗らなきゃいけないっていう。でも、そうすると、場が盛り上がるから、そのかけあいで、どんどんエスカレートしていって……。



森岡:そういう遊びをやっていると、こいつはこういう返しがおもしろいとか、こんなリアクションが上手いとかわかってくるから、脚本を書く時も、アテ書きをして書けるんです。私生活から、お互いに常に演出している感じたったのかもしれないね。『ニュータウンの青春』では、3人が同級生という設定だったけど、実際は豪一が年下だから、はじめの頃、カズカズと飯田先輩という二人との間に少し距離があったので、「まず呼び捨てにしなよ」とか、「ちょっと飲みに行ってきなよ」とか、関係を作ってもらうことから始めました。だから、へんに役名を作るんじゃなくて、役名も実名で出てもらった方がいいかと。



嶺:(劇中で)僕の妹役の名前も、自分の妹の実名を使われているんですよ(笑)。



森岡:それから当時の僕の同居人、市川祐太郎君が撮った『ビューティフル』という映画でも、豪一と飯田さんが主演で、45分ワンカットで撮りました。僕がカメラマンで。



嶺:あの時は、ノンストップで止まれないから、監督がカメラ横からカンペを出すんですよ。(役者は)それを受けて、どう面白くするかっていう、瞬発力が求められる。でもお笑いじゃなくて、映画だから……。しかも演じながらだから、ゆっくり考える時間もないんですけど、その場でもがいて、生まれたものもあったと思います。



森岡:そういう臨場感はスタッフ側にもありましたね。ちょうど、家の外に出ると陽が落ちて真っ暗になってしまっていて、まずいって焦ったり。なんとか光を探して逆行気味で撮ったなあ。最終的に全部で7テイクくらい撮って、最後まで撮影できたのは2テイクくらいだったよね。




──『ビューティフル』も『ニュータウンの青春』に出てくるスナックが舞台ですよね。出演者もロケ地も同じで監督だけが違う作品って、ありそうでないですよね。






森岡:あのスナックは、さかちゃんていう友人の実家なんです。彼は普段バンドマンで、俺の映画では制作をしてくれている人なんですけど。自主映画って、どうしてもロケ地が限られてきちゃう。それで、どこか絵的におもしろい場所はないかっていうと、さかちゃんのスナックなら大丈夫だろうっていう(笑)。



嶺:いいロケ地っすよね。



森岡:みんな(ロケ地に)使ってるから、そのスナックをどう面白くしようっていうのは、ありましたね。それも逆に鍛えられた(笑)。




基本“ジャージ”で

「ノスタルジーくそ野郎」です





──お互い青春映画を撮った理由は?






森岡:卒業制作で撮る映画なので、予算とかの関係から、結局身の回りで撮るしかないから、一番撮りやすい題材なんだと思います。サラリーマンやおじさん主演で撮ってみようと思っても、どうしても嘘っぽくなる。



嶺:まずおじさん役が見つからないから、どうやったら、周りの人間をできるだけ面白く撮るかっていう。



森岡:それは学校の先生にもよく言われたよね。「お前ら、本当に“ジャージ映画”しか撮れねえな」って。“ジャージ映画”って言うんですよ、同年代の青春映画のこと。でも、基本、ジャージ着てるもんね(笑)。年収1千万の奴の台詞って書けないよな。



嶺:今後の課題ですけどね。



森岡:課題だよね。ジャージを卒業して、一流弁護士の台詞とか書けなきゃいけないよな、これからは。




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『ニュータウンの青春』より




──森岡さんは『ニュータウンの青春』の後、「青春映画は撮りきった」と言われていましたよね。





森岡:そう思ったんですけどね……。今新作の脚本を書いているんですけど、どうしても途中でジャージ着せちゃうんですよ!何なんだろうなあ。結構試練です。無理してでも別の題材に行かなきゃいけない気もするし、でも、それしかできないなら、そこで留まり続けるのも自分の映画づくりっていう気もするし、考えてしまいますね。



嶺:わかるわ。なんか動いてってくれないんですよね、登場人物が。でも“半ジャージ”みたいなのは?じいさんがジャージ着てる、みたいな話。今、おじいさんと少年の話を考えているんです。



森岡:それ、ジャージだろ(笑)。




──お二人の作品って似た部分がありますよね。アプローチやタッチは全然違いますけど、故郷がテーマだったり、そこから巣立って行く話も、ラストに幻想的なカットが入るところや、構造的な作りも……。




森岡:自分たちはそんな意識全然ないんですけど、結構言われますねぇ。(嶺監督に向かって)お前、真似してんじゃないのか?(笑)。でも知らないうちに、お互い影響されちゃってるのかもしれない。好きな映画とか笑いのセンスとか。



嶺:なるべく違うようにしたいんですけどね。



森岡:豪一は基本的に作品も高温で、ノリが南米系。その点は違うけど。でもお互いに似ているのは、ノスタルジーなんですよね。なんか、すぐ感傷的になるんですよ。特に豪一。すぐに「ほんといい経験だったな」、「いい大学時代だったな」とかすぐ言うんです。一日に一回はしみじみするんですよ。今日もこの後しみじみしますよ、「いい対談だったな」って(笑)。



嶺:確かに、一日一回、染み入るかもしれません(笑)。



森岡:ね、焼酎みたいな感じになるでしょ、くいっと、染み入る感じ。俺もそういうところがあって、すぐ「俺ってほんとうにいいメンバーに恵まれたなあ」って(笑)。基本俺らはノスタルジー野郎なんだけど、同時にノスタルジーが全然つまらないことも知っていて。ノスタルジーは具象じゃないから映画にならない。それをいかに、具体で乗せて行くかっていう映画づくりは似ているかもしれない。



嶺:そうかも。あの時の寮を残しておきたくて『故郷の詩』を撮ったけど、寮だけ撮っても、そんなの他の人は全然興味ないだろうっていう意識はありましたね。そこで、感傷的になりすぎちゃだめだって。



森岡:ノスタルジーがどんどん先走って、「泣いてるの、お前だけだよ」ってことになりかねない。だから、映画づくりって難しいよね。すごく冷静に客観的にならなきゃいけない部分と、周りも見えなくなるくらい浸っちゃう瞬間が必要。すごく俯瞰したり、寄ったりするバランスが。でも俺たち基本“ノスタルジーくそ野郎”だから、友だちは全部出しちゃおうとか、みんなで成り上がろうっていう雰囲気はあるよね。







失恋した夜、

映画が動き出した




──『ニュータウンの青春』は、憧れの女性を巡る話かと思いきや、最終的に男三人の話になるのが、いい意味で裏切られました。





森岡:その頃、彼女に振られたこともあって、とにかく全員女に振り回される話にしようって決めていたんです。



嶺:僕もその(失恋の)現場にいて。龍君に「豪一、ここで待ってて」って言われて、家の下で待ってたら、帰って来た龍君が「終ったわ。でも大丈夫、ごめんな、豪一」って言ってくれたんだけど、その時、龍君の手が震えてたんです。哀しかったんですかね。それで『ニュータウンの青春』で僕が振られるシーンを撮る時に、龍君が「豪一、あの時の俺を思い出して!」って言ってくれたので、僕も手を震わせて演技しました。



森岡:振られた日の夜、豪一は、ずっと一緒に居てくれたんですよね。その瞬間に、映画が動き出した感じがしました。あの日の夜、腹をくくったんです。失恋して、わーってなって、隣に豪一がいてくれて、なんだか俺以上に怒ってくれていて。でもそれをそのまま映画にしても面白くないから、そのムードは残しつつ、あの時のあの感情、ひりひりするような痛みを表現するには、どういう物語やどう瞬間があればいいんだろうって、俯瞰して考えた。だから、まず感情ありきで、物語が先に思いつくことはまずないと思います。



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『ニュータウンの青春』より



──今後どんな映画を撮っていきたいですか






嶺:自主映画だと東京でしか上映されないから、熊本でも上映される商業映画をいつか撮りたいです。なんかこう、理屈じゃない部分で泣いたり笑ったりする映画が撮りたいです。



森岡:それ、俺が言ってた言葉じゃない?



嶺:そういうの、結構あります(笑)。



森岡:逆もあるよね(笑)。やっぱり一緒に居すぎなんでしょうね。一度離れないとダメだな。と言っても、豪一で一本映画撮りたいけど。俳優としても面白いけど、監督としても、すごく才能がある人だと思っています、よ(笑)。面と向かって言うと恥ずかしいけど。




──最後に今後の予定を教えてください。






嶺:ぴあフィルムフェスティバルの入賞作『故郷の詩』とともに全国を巡ります。そのほか、坂下雄一郎監督の新作に、主演の飯田さんと共演していて、いま撮影中です。



森岡:俺もその現場にいたかったなあ。豪一、もう飯田さんと“セット売り”にしたら?(笑)。『ニュータウンの青春』を観てくれたプロデューサーから、某アーティストのPVに、ニュータウンの3人組を使って撮るっていう話もいただいたしね。それは来月出来上がる予定だそうです。僕の方は、とりあえず是枝監督のドラマ『ゴーイングマイホーム』(フジテレビ)のレギュラー出演が続きます。それから『ニュータウンの青春』が全国順次公開なので、来年も劇場上映を手がけつつ、次回作のシナリオを書く予定です。



嶺:やっぱり龍君は先輩だから、常に先を行っていてほしいな。僕は、奥田君とか、龍君とか、先輩の背中を見ながら来たっていうのがあるから。特に奥田君とか、すごくあおってくるんですよね。



森岡:すごいよね、あおり半端ない(笑)。





嶺:卒業制作も(『故郷の詩』)、「お前、これで失敗したら、田舎に帰れよ!絶対だかんな」って。



森岡:まあ、鼓舞してくれてるんだよね。でも豪一は、最近なんか生意気なんですよね(笑)。「俺、もう先に行っちゃいますよ」なんて言うし、俺らの世代を完全に見下してる時もあるもんな。でもそれも含めて、茶目っ気というか、愛きょうがある人です。



※次回は嶺豪一監督『故郷の詩』凱旋インタビュ-を掲載します。




(文・写真:鈴木沓子)









嶺豪一 プロフィール


1989年、熊本出身。多摩美術大学造形表現学部映像演劇学科卒業。『故郷の詩』が第24回東京学生映画祭でグランプリ、観客賞をダブル受賞、その後、第34回ぴあフィルムフェスティバル審査員特別賞を受賞、第31回バンクーバー国際映画祭招待作品部門に招待される。大学時代の先輩である森岡龍監督や奥田庸介監督作品を始め、現在は俳優としても幅広く活動している。



森岡龍 プロフィール


1988年、東京都出身。千葉県浦安市で青春時代を過ごす。多摩美術大学造形表現学部映像演劇学科卒業。2011年の第33回PFFで『ニュータウンの青春』が審査員特別賞を受賞、国内外の映画祭で上映され、現在渋谷ユーロスペースで劇場公開中、全国順次公開する。俳優としては、2004年に石井克人監督作品『茶の味』でデビュー。以降、『色即ぜねれいしょん』(2009年/田口トモロヲ)、『あぜ道のダンディ』(2011年/石井裕也監督)や、ドラマ「深夜食堂・2」(TBS/山下敦弘監督)などに多数出演。主演作には『君と歩こう』(2005年/石井裕也監督)、『見えないほどの遠くの空に』(2011年/榎本憲男監督)がある。現在は、ドラマ『ゴーイングマイホーム』(KTV/是枝裕和監督)にレギュラー出演中で、来年公開される『舟を編む』(2013年/石井裕也監督)にも出演している。













映画『ニュータウンの青春』

渋谷ユーロスペースにてレイトショー公開中

他全国順次公開予定




監督・脚本・編集:森岡 龍

撮影:古屋幸一

照明:山口峰寛

録音・助監督:根本飛鳥
ラインプロデューサー:中村無何有

音楽:チエコスポーツ

出演:島村和秀、飯田 芳、嶺豪一、河井青葉ほか

(2011年/95分/カラー)



【上映後トークショー開催】

11月11日(日)瀬々敬久さん(映画監督)×嶺豪一×森岡龍

11月14日(水)榎本憲男さん(プロデューサー・映画監督)×森岡龍

11月15日(木)柳下毅一郎さん(映画評論家・特殊翻訳家)×森岡龍

11月17日(土)石井裕也さん(映画監督)×森岡龍



公式サイト:http://www.newtown-seishun.com

公式twitter:http://twitter.com/newtown_seishun




▼『ニュータウンの青春』予告編

[youtube:xjRANmjelIc]














『故郷の詩』



監督・脚本:嶺豪一

出演:嶺豪一、飯田 芳、岡部桃佳、林 陽里、広木健太

撮影:楠雄貴

編集:小野寺拓也

音楽:今村左悶

楽曲提供:SPANGLE

2012年/カラー/71分





▼『故郷の詩』予告編

[youtube:5AmmMh7oDkE]

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「異なる立場にいる両者が互いに手を差し伸べることを描いた希望の映画」 http://www.webdice.jp/dice/detail/3688/ Mon, 29 Oct 2012 20:38:24 +0100
第25回東京国際映画祭グランプリを受賞した『もうひとりの息子』 (c)Rapsodie Production - Cite Films



第25回東京国際映画祭で最高賞の東京サクラグランプリと最優秀監督賞の二冠に輝いたロレーヌ・レヴィ監督の『もうひとりの息子』。速報ニュースでは、“昨年のグランプリ受賞作に続くフランス映画”という報道もあったが、製作国を一国に言及することにためらいを感じさせる作品だった。監督が、ひとつの国籍や民族、宗教的立場にかたよらないドラマ作りを意識していて、あえて多国籍なスタッフ陣で製作されたからだ。



レヴィ監督自身はフランス系ユダヤ人で、スタジオ撮りは一切せず、撮影はすべてイスラエルとパレスチナで行われ、いずれの地域からもスタッフが集められた。偶然撮影現場に居合わせた住民も、エキストラ参加しており、映画の撮影、製作自体が、ひとつのプロジェクトとして意味を持った作品とも言える。



物語は、イスラエル軍の入隊準備として血液検査を受けたヨセフが、自分が両親の実の息子ではないと知ることから始まる。ヨセフの実の両親は、ヨルダン川西岸出身のパレスチナ人であり、病院の手違いから出生時に、彼らの息子ヤシンと入れ違ってしまったのだ。二人がこれまで信じていた祖国と家族は、歴史上、自分と敵対する相手だった。映画は、突然にして崩れたアイディンティティによって揺らぐ二人の青年と、その家族の心情を、彼らの目線で丁寧に綴っていく。



彼らは、戸惑いながらも、少しずつ状況や思いをわかちあう。“対立構造”にある両者が近づいていった時、その悲劇は次第に喜劇の要素を帯びていく。この作品は、その平和に向かう快楽や“他者”とわかちあう心地よさを観客に疑似体験させ、長く膠着状態にあるイスラエル・パレスチナ問題に、新しい可能性の手触りを想像させる。この連載では、配給が決まっていない作品を取り上げることが原則だが、受賞発表前に監督のインタビュー取材を行ったこともあり、掲載に至った。




当事者性を越えて




──なぜイスラエル・パレスチナ問題を背景にした作品を撮ろうと思ったのですか?



もともとは、ユダヤ系フランス人の男性が書いた、数ページのアイディアをプロデューサーが持ち込み、シナリオに落とし込みました。私は、フランスで生まれ育ってフランスに住んでいる、ユダヤ系のフランス人です。宗教上の洗礼は受けてはいませんが。しかし、両親も祖父母もユダヤ人で、家族の多くは、ナチスの強制収容所で虐殺されました。だからこそ私自身はイスラエルの問題に大きな関心を持つのだと思いますし、注視しています。この脚本に出会って、現状パレスチナとイスラエルで起こっている問題に何か近づくことができるような扉を開けることができればと感じて、映画にしたいと思いました。でも私は政治家ではありませんし、謙虚に考えなければいけないと思いました。その土地に住んでいる訳でもありませんから、自分の立場をわきまえないといけないと思いました。しかし世界人として、映画監督として、ユダヤ人として、ひとつの地政学的な物語をみなさんに紹介したかったのです。昔むかし、あるところに、平和が可能な世界がありました、というような。



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『もうひとりの息子』のロレーヌ・レヴィ監督


──たしかに、当事者性を超えて、現状の問題や事件をフィクションで描くということは、勇気と責任を伴うことだと思います。



私はユダヤ系フランス人ですが、イスラエルに住んでいる訳ではないので、「その私が、本当にこの問題を映画にしてもいいのか」という躊躇はありました。でも、自分自身が正直に語って、道徳的な面で、そして芸術的な面で、公平な目を持って撮ることができれば、問題はないと思いました。例えば、何かを密告したり、非難するといったような、政治的な映画にするつもりはまったくなかったので、両者が語っていることを映画に収める、そこから生じる可能性など、地政学的な物語を語りたいと考えたのです。この作品は、異なる立場にいる両者が、互いに手を差し伸べることを描いた、希望の映画です。



──この映画で印象的だったのは、音楽と笑いでした。歴史的、政治的に“対立構造”にある両者が、一緒に歌ったり、ユーモアを共有することで、次第に空気が緩み、近づいていくシーンでした。ヨセフが食卓で歌い出すシーンは感動的でしたが、あれは何という歌ですか?



あの歌は、パレスチナの古い民謡で、出来るだけシンプルなものを選びました。なぜなら、ヨセフが耳で憶えて、パレスチナの人たちと一緒に歌えるものでなければなかったからです。 そして、音楽は政治的な対立を超え、人を結びつける力を持つということを表現したかった。とても美しい歌詞の曲なのですが、ヨセフが知らない言語の曲を耳で覚えたという設定だったので、あえて翻訳の字幕を入れませんでした。



この映画において、音楽はとても重要な役割を担っています。アラブ人の偉大な音楽家で、ダファー・ヨ-ゼフという著名なジャズマンとコラボレーションをしています。彼の特徴は、ほとんど叫びのような歌い方をしています。彼は、若い頃にコーランの歌い手になるための学校に通っていたので、それが映画に効果的に反映されたと思います。



多民族スタッフとの

撮影現場



──日本人にとって、“ユダヤ人”の定義は、理解に難しい部分があります。映画の中で、ラビがジョセフに「ユダヤ人とは、信仰だけではない。それは“状態”でもあるのだ」という台詞がありますが、どういうことなのでしょうか。監督ご自身の見解を教えてください。



これまで受けた質問の中で、最も難しい質問ですね。ユダヤ人というのはとても古くからある部族で、キリスト教の歴史は今年で2013年ですが、ユダヤ教の歴史はアダムとイヴまでさかのぼります。しかし、その歴史は困難なもので、あちこちで土地を追われ、虐殺されてきました。そうしたユダヤ人というのは、信仰であり、ある状態でもある。その“状態である”という意味は、原則的に、母が伝承していくものということです。例えば、父親と母親がユダヤ人だと、子供はユダヤ人になります。父親が非ユダヤ人で母がユダヤ人なら子供はユダヤ人、父親がユダヤ人でも母親が非ユダヤ人なら子供は非ユダヤ人となります。



──それを聞くと、映画の中で、両家の親が、子供たちに自分の未来の選択をゆだねようとする行為が、また感慨深いです。ラストの台詞とパンが非常に印象的でした。どんな想いで演出されたのでしょうか。



最後のショットは、この話をどう終えたらいいのか、撮影中も、最後の最後までずっと考えていて、ようやく見つけたシーンです。谷の上にコンクリートの建物がある背景から、カメラがゆっくりとしたパンでまわしてきて180度に辿りついたときに、ヤシンが映る。その後はその逆で、オフでヨセフの声が入ってきて、カメラは背景を映し始めて、同じように180度までまわしたところで、本人が出てきます。両方を併せることで、360度になる。それは、まるで二人がひとつの円の半分ずつを占めているんだということをシンボリックに語っていて、ヤシンが自分の兄弟のようなヨセフに、自分を投影し自分の人生を任せるわけです。これは二人がアイディンティティを交換することにより、ひとつの平和を見つけるとともに、到達するということ。自分の人生や歴史も、相手に任せることによって責任も生まれるということを語っています。



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『もうひとりの息子』より (c)Rapsodie Production - Cite Films



──撮影スタッフは、パレスチナ人もイスラエル人もいる多民族の混合チームだったと聞きました。大変だったことや、思い出に残っていることはありますか。



撮影チームはフランス人、イスラエル系ユダヤ人、イスラエル系アラブ人、パレスチナ系アラブ人、キリスト教アラブ人など、さまざまな人種や宗教のスタッフがいました。撮影中、一番大変だったことは、パレスチナ人の家族を描くシーンのために、ラムラという村に行った時、村に住む住民が撮影を嫌がって、撮影を止めるよう、脅された時です。しかし、スタッフが話し合いに加わって、最終的に撮影することができました。




スタッフの間で印象深かったことは、それぞれイスラエルの人とパレスチナのスタッフが、撮影を重ねるごとに近づいていったことですね。はじめは、「おはよう」と挨拶は交わしているのですが、その後すぐにそれぞれの仲間へと分かれてしまっていました。けれど、撮影の最後になったら、一緒にこの映画制作という“冒険”をわかちあった仲間として、お互いを知り合って、似た者同士になったという印象を受けました。友人になったとまではいかないのですが、だいぶ近くなったのです。例えば、メイク担当のイスラエル女性は、2人子供がいるのですが、ガザという非常に危険な地域で兵役をしているんです。なので、子供たちの行方をいつも心配していました。そして、パレスチナ人の電気技師のスタッフには、同じようにガザで兵役をしている子供がいたんです。最初の頃は、二人の間には非常に距離感があったのですが、撮影の最後の方では、子供の写真を交換しあって、「やっぱり、こういう状態は終わりにしないといけないよね」と互いに話していて、それがとても印象的でした。



「民族間の争いを解決する唯一の方法は、自分のものだと考えているものの一部を、お互いに妥協することです」。

受賞後、そう語ったロレーヌ・レヴィ監督。日本での配給の話が進んでいるようだが、ぜひメイキングも一緒に公開されることを願うばかりだ。




(インタビュー、文、写真:鈴木沓子)













ロレーヌ・レヴィ プロフィール


芸術と法律を学ぶかたわら、1985年に劇団“La Compagnie de l'Entracte”を旗揚げし、7年に渡り、劇作家と舞台演出家として活躍。その後、映像作品の脚本を書きはじめ、30本ほどのテレビ、映画作品を手掛けてきた。2004年に自身の脚本による『The First Time I Turned Twenty』にて監督デビューを果たし、数々の映画賞を受賞した。07年には『London mon amour』を監督。『もうひとりの息子』は3作目にあたる。











『もうひとりの息子』





出演:エマニュエル・ドゥヴォス、パスカル・エルベ、ジュール・シトリュク、マハディ・ダハビ、アリン・オマリ、カリファ・ナトゥール

監督・脚本:ロレーヌ・レヴィ

原案:ノアム・フィトゥッシ

脚本:ノアム・フィトゥッシ、ナタリー・ サウジョン

プロデューサー:ヴィルジニー・ラコンブ、ラファエル・ベルドゥゴ

撮影監督:エマニュエル・ソワイエ

編集:シルヴィー・ガドメール

音響:ジャン=ポール・ベルナール

音楽:ダファー・ヨーゼフ

2012年/フランス/105分/フランス語、ヘブライ語、アラビア語、英語




▼『もうひとりの息子』海外版予告編


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大森一樹監督が「南河内のフェリーニじゃないか!」と絶賛したアベラヒデノブ監督ってどんな人? http://www.webdice.jp/dice/detail/3648/ Sun, 16 Sep 2012 05:16:46 +0100
映画『死にたすぎるハダカ』より


今年ファンタジア国際映画祭(カナダ・モントリオール)で、『へんげ』(大畑創監督)や『ハラがコレなんで』(石井裕也監督)とともに、大阪芸術大学生の卒業制作作品が上映された。

作品を観た大森一樹監督が、「『ダイゲー(大阪芸術大学)の園子温』 どころではない、『南河内のフェリーニ』ではないかとさえ思ってしまう」と大絶賛したアベラヒデノブ監督の『死にたすぎるハダカ』だ。

“映画『ハロルドとモード』と映画『名前のない女たち』が出会ったかのような青春映画”と紹介された本作は、高校時代にいじめにあったことをきかっけに“妄想狂”になった監督自身を投影した半自伝的作品で、コメディ・ホラーや恋愛ドラマの要素もある、異色の青春映画だ。監督、脚本、編集に加え、自ら主演もつとめて、初の劇場長編作品で海外映画祭の舞台に立ったアベラヒデノブ監督に、話を聞いた。



【ストーリー】

いじめられて行き場のない男子高校生の桜木ミチル。死にたくてたまらない毎日だが、死にきれない。その代わりに、段ボールで自作した“棺桶”で眠り、血糊まみれになったり、ひとり自殺ごっこを繰り返す日々。ある日、いじめグループに強いられて本屋で万引きをして捕まった時、見知らぬ女子高校生のさやかに助けられる。



いじめで引きこもった

高校時代



──ファンタジア国際映画祭では日本版『ハロルドとモード』と紹介されていましたね。影響を受けたり、オマージュ的な要素があったのでしょうか。



映画祭のプログラマーが、そういう紹介文を書いてくださいましたが、僕自身はその作品を観たことがないんですよ。この作品は大学の卒業制作で、自分自身のエピソードを盛り込んで作ろうと思いました。




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映画『死にたすぎるハダカ』のアベラヒデノブ監督



──どのあたりに投影されているのですか。



主人公のミチルが、段ボールで棺桶を作って、その中で過ごしているというのは、まさに高校時代の自分自身ですね。当時、自分の部屋の隅に、段ボールで細長い箱を作って、その中で毎晩寝ていたんです。部屋にはベッドもあったんですけど。段ボールハウスは、誰も入ってこない自分だけのスペースで、僕にとっては夢の空間でした。ちょうど棺桶みたいな形で、そこに入っている間は、自分はいま宇宙船や霊安室、お墓の中にいるんだと想像することができる。僕、妄想狂なんです。現実からかけ離れた想像すると、むっちゃ、気持ちがらくになるんです。高校1年の終わりから大学に入るまで、ずっとそこで寝てたせいで成長を妨げられたのか、背があまり伸びなかったのかもしれません(苦笑)。



──段ボールで過ごすようになったのは、ミチルのように、いじめがきっかけですか。



そうですね。でも、いじめられた理由は、今でもわからないんですよ。

よく、いじめが始まるのは、理由があるんでしょと言う人もいるけど、そんなもの、ないんですよ。本当にちょっとしたことがきっかけで、標的になる。いじめている側にいじめの自覚がないので、本当に単純に始まります。僕もある日標的になって、それに気づいた時には、いじめは手がつけられない状態になっていて、クラスの皆もさーっと僕を無視し始めたし、先生も無視でした。



いやがらせは、ずーっと続きました。しつこいっていうか、本当に病的。5分に1回鳴るタイマーみたいに授業中も休み時間もずっと続いて、人前に出るのが、めっちゃしんどくなって、電車に乗るのも辛くなって、被害妄想がひどくなりました。いじめられていることは、誰にも明かせなかったですね。それで高校を辞めたんです。親には、絵を習いたいと嘘をついて、2年生から、定時制の高校に転校しました。その頃は、ひとりでエレベーターにも乗れなかったし、電車に乗るのもしんどかった。脂汗が出て、過呼吸みたいになるんです。当時は死にたい、消えたいって、毎日、自殺願望がありました。「こんなに僕に微笑んでくれない世界なら、この先、何のために生きるんやろ?どうせいつか死ぬのに」って。でも死ぬことがすごく怖くて、死ねないんです。怖すぎて、逆にいますぐ死にたいと思うくらい。今では、「人は寿命という不治の病を抱えている」と思えるんですけど。

だから映画の中で、ミチルは自殺ごっこを繰り返します。自分が死んだと思い込むと、その瞬間は、「すべて終わった」と思って気持ちがらくになるから。



──映画では、大津のいじめの事件とかぶるシーンが出てきますね。



大津の事件、周りから聞いて、びっくりしました。(映画の中で)偶然にも、事件とかなり酷似するいじめのシーンがあるので……。僕もいじめられていたので、いじめてる側のすっごい軽い部分と、どす黒い心情がわかるんです。

いじめの怖ろしいところって、いじめてる側といじめられてる側の温度差だと思います。例えば、ガンであと一カ月の命と言われた人と、健康な人の毎日って時間の過ぎる感覚も違うし、見える世界まで変わってしまう。いじめられている側の日常は、それだけ変化してしまっています。同じ空間にいても、いじめている側は、のうのうと日常を生きている。だからいじめもエスカレートしてくる。お互いの日常のリアルが重なり合うことは、ほとんどありません。それが起こりうるのは、いじめられている側が相手に反応すること。例えば、急にいじめられてるやつが反撃に出たり、もしくは最悪の場合、自殺してしまうとか。それくらいのことが起きない限りは、重なることはありません。




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映画『死にたすぎるハダカ』より





──映画のラストで、ミチルとさやかは思わぬ反逆を起こします。



実際に、いじめの首謀者に向かって反発したことで何も変わらないと思うから、怖いし、なかなかできない。

あのシーンは、ミチルの持つ前後の損得勘定を抜きにした怒りや、今まで蓋をしていた感情が一気に解き放たれる様子を描きたかったんです、映画として。

でも、僕個人の気持ちを言うと、いじめられている人は、何か行動せんといけないって思う。いじめは、いじめられてる人が行動を起こして反応すれば、終わります。攻撃しても逃げてもいい。尻尾巻いて、逃げ出せばいいと思います。僕は、学校をやめて、逃げましたから。でも僕みたいに学校をやめると、悔しさはずっと残る。だからずっと、何かで仕返ししたい気持ちがあります。

ただね、よくテレビとかで言われていることですけど、「いじめは、いじめられている側にも原因がある」というのは、いじめられている人にハッパをかけて、奮い立たせる言葉として使われるならいいと思うんですけど、でもこれは、いじめてる人に対しての言葉では絶対にありません。何があっても、いじめは正当化できないと思う。僕が一貫して言ってるのは、いじめは、いじめている側が悪いってこと。いじめられてるやつが悪いとかいう反論は、僕は何があっても受けつけません。



エンタメを

撮り続けたい




──引きこもりから、映画を撮るまでを教えてください。



定時制の高校に転校しましたが、昼間は、ずっと家に引きこもって、アホみたいに映画を観ていたんです。現実逃避ですね。家に親が居る間は、部屋に作った段ボール箱の中で、ゲーム用の小さいスクリーンで『ロード・オブ・ザ・リング』とか、北野武さんの映画ばかり観ていたことがきっかけかもしれません。

いじめを受けたことで自己評価がすごく下がって、自分が嫌いになって、引きこもるようになったけど、僕には映画があったし、小説もあったし、自分を肯定してくれる音楽もあった。創作意欲もあったんで、いつでも、“そっちの世界”に現実逃避できたんです。

ある日、深夜テレビで映画『TSUGUMI』を見て、すごく感動して原作も読んで。そこから小説を書いたり、映画を撮りたいと思い始めました。それで、大阪芸術大学に入学しました。大阪に引っ越すときに、段ボールも捨てました。



引きこもっていた時も、「いつか有名人になりたい」って、ずっと思っていました。その理由は簡単で、みんなを見返してやりたいんですよ。だから、今でも、常に悔しさがあります。ファンタジア国際映画祭の会場でも、井口昇監督の『デッド寿司』が上映された時、お客さんの数も(自分の上映と比べて)ずっと数が多いし、観客席からすごい歓声が上がってわーって盛り上がって、すごかったんです。一方、僕なんて全然無名じゃないですか。「うぬぼれるなよ」、「お前なんかまだ誰も知らないし、何者でもないぞ」、「勘違いするな」ってすごく思いましたし、作品を招待されて喜んでた自分が、すごく恥ずかしくなりました。同時に海外にはこんなにいろんな人がいて、自分って、ものすごい小さいって。



──全編に渡って、その怒りや衝動を感じました。けれど、重いテーマを扱いつつも、ブラックユーモアが効いていたり、ポップな作品に仕上げていますね。



暗い話を暗いまま描く映画が、大嫌いなんですよ。そういう映画、観たくないんです。どんな話を扱うにしても、映画はエンターテインメントじゃないといけないと思っています。姿勢として、僕はエンタメを撮り続けたい。映画『ターミネーター』じゃないけど、緊迫した状態での笑いは“おいしい”と思うし。全体的にポップなのは、自分が映画を暗くできないんだと思う。明るい話を暗くすると笑いになるけど、暗い話を暗いまま描くと、しんどくなるんで。あとは人に伝わらないと意味がないと思っているので、コミック的になっていると思う。



──編集が印象的でした。テンポや切り返し、編集で生まれてくる笑いだとか。



作品を観てくれるお客さんを逃したくない、という気持ちがあるんです。映画を撮り始めた頃、自己満足的な作品を撮って、「編集が下手」、「映画撮るのをやめた方がいい」と言われ続けていたので、それ以来、編集にはこだわっています。



──すごく丁寧に描こうとされていますよね。キーワード的に出てくる小道具も多いですね。



小道具出しすぎだって、みんなから言われます。コーラとか、ひまわりとか、天使とか。主人公の内面を小道具で表わしたかったんです。さやかがウイスキーを飲むシーンがあるので、それに反して子供っぽい部分を出したかったので、コーラを使いました。ミチルがやたらとコーラを飲んでいるのは、コーラを好きなさやかのことが忘れられないから。




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映画『死にたすぎるハダカ』より






──ミチルを描くにあたって、さやかというキャラクターを作ったのは、なぜですか。




発端は、ミチルを救い上げるキャラクターが欲しかったんです。でも、映像として僕がほしかった画は、セーラー服を着て、タバコを吸ってウイスキー飲む女の子だったんで、そういう子がミチルを救うには、何か理由が必要だった。何の理由もなく、人は人を救わんと思うんですよ。誰にでも、優しさの裏には、無意識の見返りがあると思う。無償の愛って、僕は信じないです。じゃないと、すべての人を救わないといけなくなっちゃうじゃないですか。そうなると、もう、宗教だから。それに、別に、無償の愛が美しい訳じゃない。お互いに見返りを求めて、お互いに欠けたところを補ってひとつになることで満たされていくことが大事やと思うから。



──さやかは屈折したヒロインですが、どのようにキャラクターを作り上げたのですか。




女性の手記などの本を、何冊も読みましたね。実際に、近い境遇の方にお会いして、話を聞いたこともあります。あとは、周囲の女の子に脚本を読んでもらって、さやかの心情がわかるかどうか、わからないところを細かく聞いたりしました。映画って、結局、作りものじゃないですか。でもリアリティある作品って、感情移入ができる作品だと思うんです。だからキャラクターの微妙な心情を、本心からブレないように、わかりやすいように作るよう心がけました。それこそ、コミックに近いくらいに。僕自身は、映画には映画の世界観があって、映画の中でのリアリティがあればいいと思っているので、デフォルメするのはいいと思っています。でも、さやかの境遇の苦しみだけをピックアップして詰め込ませている部分は、あると思います。



自分一人で作り上げた

オアシスの脆さ





──さやかが、女としての自分を酷く蔑むシーンやモノローグも多く出てきますね。



作品を観てくれたある女性の方から、「女性蔑視的な台詞やシーンが耐えられなかった」と言われたこともあります。でも表現として必要だったんです。誰でも、自分が思う自分像と他人が描く自分像は違うと思うんです。他人が思う自分像の方がリアルだったりするし、そのギャップに苦しんだり、時には救われたりする。そういう部分を描きたかったというのがあります。

さやかは、自分の生い立ちやいじめられていた経験から、人と人とのつながりなんて、生まれた瞬間に自分が否定されるものだと思ってしまっている。そんな中でも、自分の孤独から解き放たれる何かを必要としていました。その後、世間を騙すような二重生活を送っているのですが、さやかにとっては、それは特に意味を持たないし、とても生きやすくなった。でも、ミチルに出会ったことで、ミチルから、他の人とは全く違う関わりあい方を求められる。それはさやかにとって、喜ばしい半面、初めて、自分が自分自身を否定することになってしまう。それって、すごくきついシチュエーションだと思うんです。そういう事情や心境は映像だけではわからない、伝わりきらないだろうと思っていました。だからこそ、さやかのモノローグが必要でした。



──さやかはミチルと出会ったことで、新しい欲望や希望を持つと同時に、それまでの自分を否定してしまうということですか。



そうですね。どんな状況でも、人ってひとりじゃ生きられないと思うんです。

どんなにひどい状況で、ひどいいじめにあっていても、そこに誰か一人でも、友だちでも恋人でもいい、自分が心を許せる人がいるだけで、世界の見え方さえ変わってしまう。たった一人でいいんです。それをずっと映画でやりたかった。僕、孤独は罪や、と思うんです。

ずっとミチルは孤独の中で、孤独なりに、生きてく方法を見出だそうとしている。自殺ごっこだったり、ビデオ撮りだったり。でも絶望のぎりぎりに追い詰められた時、自分一人だけで作り上げたオアシスはもろいもんで、そこにもう一人いるだけで、ものすごく強くなる。自分ひとりで作りだした世界も、一人だと一人だけの世界だけど、二人になることで、そこが例え、何もない、狭っ苦しい独房の中だろうが、そうなると、もう二人分以上に、世界は無限に広がって行く。そのあたりを描きたかったです。



──次回作は?



ちょっぴり泣けるかもしれない、コメディホラーで『欲求不満温泉』という中編です。いま編集していますが、同時に、その次の作品も準備中です。いまも大阪在住なんですけど、今月末から毎週末東京に通って、次回作を撮る準備を進める予定です。“東京”という荒波を全部飲み干す勢いで、頑張りたいです!



(インタビュー・写真・文:鈴木沓子)










アベラヒデノブ プロフィール



1989年、ニューヨーク生まれ。3歳の時に帰国して以来、関西で育つ。大阪芸術大学映像学科を2012年に卒業。卒業制作の映画『死にたすぎるハダカ』が、同大学の学科賞を受賞、2012年ファンタジア国際映画祭(カナダ・モントリオール)に入賞、第5回シューレ大学国際映画祭で上映された。現在はフリーランスで映像制作を続けるほか、監督、俳優、音楽活動など、精力的に活動を展開している。

http://www.youtube.com/user/eugenev07











映画『死にたすぎるハダカ』




監督・脚本・編集:アベラヒデノブ

出演:アベラヒデノブ、今中菜津美、井口由美子、アベジュンイチ 他

撮影:三木健太郎

照明:太田周平

録音・整音:黒田綾香

美術:中田敦樹

2012年/日本/70分/カラー



映画『死にたすぎるハダカ』は、年内アップリンクで上映予定!

詳細は決まり次第、アップします。



大阪の若手映画監督6人の作品を特集上映する『第1回ノンストップ映画祭』で上映予定

日時:2012年9月30日(日)開場12:00/上映開始13:00

会場:MONUMENT(大阪市阿倍野橋駅から徒歩3分)

料金:前売1,000円/当日1,200円

問い合わせ:waaaaairo+sub1@gmail.com



▼映画『死にたすぎるハダカ』予告編


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笑うことをやめた女の子が他人を笑わせて生きて行こうと決意する物語 http://www.webdice.jp/dice/detail/3640/ Tue, 11 Sep 2012 17:47:32 +0100
『リルウの冒険』より




海外国際映画祭に数多くの受賞・招待作品を輩出している日本の映画祭といえば、「ぴあフィルムフェスティバル(PFF)」。日本映画監督の登竜門として知られ、これまで、園子温、橋口亮輔、矢口史靖、熊切和嘉、李相日、荻上直子、内田けんじなど、数多くの監督を輩出している。

今年も多くの入選作品が上映されるが、招待作品部門では、先月韓国で開催された第6回シネマ・デジタル・ソウル・フィルムフェスティバル(CINDI)で、日本人監督としては初めて、グランプリにあたる「レッドカメレオン賞」と国際批評家賞の「ブルーカメレオン賞」をダブル受賞した熊坂出監督の『リルウの冒険』が上映される。

熊坂監督は、2005年に自主映画『珈琲とミルク』がPFFに入選して審査員特別賞を含む3賞を受賞、2008年にはPFFスカラシップ作品『パーク アンド ラブホテル』で日本人監督として初めてベルリン国際映画祭の最優秀新人作品賞を受賞。

『リルウの冒険』は、熊坂監督が、脚本、撮影、製作も行った自主映画で、現実と非現実が交錯するパラレルワールドを描いた長編作品だ。現在のところ配給予定は未定で、劇場で上映される機会は、PFFでのみ!約5年ぶりの新作『リルウの冒険』、そして熊坂監督の古巣とも言えるPFFに関して、話を聞いた。




素人の子役と

ドキュメンタリー畑のスタッフ



──前作の『パーク アンド ラブホテル』でも思いましたが、子役の演技が即興なのかと思うくらいの自然さがありました。今回は子役の役者との距離感が、さらに近いですよね。




基本的に、脚本通りです。ただ、たとえば、喧嘩のシーンでは、ここで立ち止まって、バケツを蹴っ飛ばして、とか大雑把な動きの指示はしましたが、細かい芝居はつけていません。でも、あのシーンは、18テイクも撮ってるんですよ(笑)。





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『リルウの冒険』の熊坂出監督





テイクがかさんでしまったシーンは他にもあります。後半で、リルウとこころが、銀行やお金、兌換紙幣(編集部注:金貨や銀貨に交換することが前提とされた紙幣)のことについて会話をするシーンがあって、こころが台詞を何度も間違えてしまったんです。そのシーンでは、りりィさんが抜けで映っているので、ずっと、りりぃさんを(撮り直しに)つきあわせてしまって(笑)、監督として許されない行為だよなあって。普通なら「カットを割ってください」って、助監督に怒られると思います。で、OKテイクを撮れたのですが、結局、半分以上編集で切ってしまいました(苦笑)。



──子役の皆さんは、演技経験がないというのは本当ですか?



そうですね。でも、演技経験がない方が演出する僕としては楽です。僕がどんなに下手な演出をしても、「この人は監督だ」って僕をリスペクトして接してくれるし(苦笑)、とにかく、お芝居を作るということを良い意味で知らないから、その子にとって自分の経験値をそのまま持って来て笑ったり歩いたりするしかなくて、実生活で経験していない事は表現できない。演技経験がない子の方が、台詞や表情、行動は、複雑で豊かなままに自然と出せてしまうように思います。



──とは言っても、それを引き出すまでは大変だと思いますが……。監督が撮影監督もされているのが大きいのでしょうか?



どうでしょうか。ただ、今回の映画は、よく一緒に仕事をしているドキュメンタリースタッフと作った事がよかったように思います。演技経験のない子供は、一事が万事というか、今しか撮れないとか、もうちょっと粘れば撮れるとか、こちらの嗅覚や勘を試される局面が多い。去年から今年にかけて、仕事で2、3歳児を撮影する機会が多いのですが、2、3歳児は、こっちが「こういうふうに撮りたい」と話したところで何の効果もない(笑)。その子のお母さんやスタッフ達とある種共犯関係になって先回りしつつも、その子がどんなボリュームでしゃべるかわからないし、顔をどっちに向けるかもわからない。子供はすぐに飽きてしまうから1、2テイクしか撮れない。それをふまえて、録音した音が割れないように、笑顔がしっかり写るように、そして編集の事も考えつつ、撮影しなければいけない。よく失敗しますが(笑)、子供相手だと、そういう勘や読みが必要になってきます。『リルウの冒険』は、プロのドキュメンタリーのスタッフが集まって、動物的・野性的な子供たちの瞬間瞬間を切り取っていったので、うまくいったんだと思います。




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『リルウの冒険』より





──この作品を撮ることになった経緯を教えてください。



『リルウの冒険』はもともと、NHKの連続ドラマ企画として考えたものでした。第一話で、「自分は笑えなくなった」と思い込んだ小学生女子が、あるきっかけがあって、笑うことを本当に封印してしまう。その代わりに、他人を笑わせて生きて行こうと決意する。第2話以降、リルウは、訳あって笑えなくなってしまった人を探してはなんとか笑わせようとする。そういう流れで10話分の脚本を書きました。




NHKのとあるプロデューサーが気にしてくださって、連続ものは無理だけど2時間ドラマにしてはどうかと提案してくださったのですが、僕は、連続ドラマにしたかったんです。サザエさんやドラえもんみたいに。



それで、懇意にして頂いている別のプロデューサーと僕とでお金を出し合って、スポンサーが見つかるまでは、パーソナルワークとして撮っちゃおうということになって。1話は、何故、リルウが笑うことをやめて人を笑わせるようになったのかその背景が分かるだけで、この連続ドラマがどう面白く続くのかの保証や担保が見えない。リルウがどうやって人を笑わせようとして、失敗して、ハッピーエンドになるのか、そのプロトタイプが提示できないと、この連続ドラマの面白さはスポンサーに分かりようがないということで、第2話まで撮ろうということになったのです。



第1話の撮影が終わって、第2話の撮影初日、準主役の男の子が、お昼頃様子がおかしくなって。盲腸なのに末期がんだと勘違いして笑えなくなっちゃった男の子の役なのですが、妙に体調が悪い芝居をするというか、ゴホゴホ咳き込んだりぼーっとしたり、あまりに様子がおかしいので診察してもらったら、「インフルエンザです」と。本物の病院で撮影していて良かった(笑)。結局、完治するのに2週間かかると言われ、第2話は諦めて東京に帰ってきました。現場費もほとんど使いきってしまったし、どうしようって。第1話をつなげてプレビューした時に、結局、2時間にしよう、と(苦笑)。



──第2話以降はお蔵入りですか?続編の予定は?



みんな大きくなっちゃったし、無理ですね。連続物だと、途中から、登場人物が勝手に動き出すので、脚本を書いていて面白かったです。第4話くらいで、リルウは本当に笑わない子になってしまうんですね。すると、リルウが笑わなくなったことにお母さんが心配しだす。人間は笑わないとどうなるのかを調べて、人間は笑わないと駄目になるということがわかって、放任主義だったのにリルウにコミットメントするようになったり。第6話で、リルウは、他人を笑わせるんじゃなくて、本当はこころを救わなければならなかったんだ、と気づいて行動し始める、という展開でした。



──シリーズで観られないのは残念です。ところで、リルウの存在感が圧倒的ですが、彼女ありきで生まれた作品なのでしょうか?



そうです。リルウのお父さん役のユールさんと仕事をした時に、リルウと出会いました。「この子で何かしら撮れる!」と思いました。



日常性の破壊、

新しい価値観の提示



──CINDIでは、どんな反響がありましたか



映画祭でアテンドしてくれた韓国の学生さん達がいて、あまりアートフィルムみたいなものを観ない友達を連れて観にきてくれて「面白かった!」という言葉を聞いた時は、本当に嬉しかったです。批評家の方は、ゲームとか夢とか現実とかお金とか、そうしたものの対立構造が面白いとおっしゃっていました。



──そのあたりは、意識されていたんですか?



そうですね。ちょっと前から、“お金”というものにとても興味を持っています。兌換紙幣を止めてしまった後のお金って、クレジットカードとか電子マネーとか、どんどんバーチャルになってきてる気がします。お金と同じく、世の中に実体を持たないものが多くなって来ている気がしていて、そうしたものをキーイメージとして描きたかった。



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『リルウの冒険』より




──なぜお金なんですか?



やっぱり、「お金なんて」と言ってみたところで、結局、相当な場面でお金が必要だし、意識せずとも、お金が関係してくる部分って生活や人生の中で相当に圧倒的だと思うのです。その割には、お金についての知識を自分は持ち合わせていないと思ったのです。リルウの冒険でもお金を扱っていますが、この映画は、ゲームやお金や夢がテーマの映画ではありません。「テーマはお金です」というようなテレビ番組をいつか作りたい。



──お金もそうですし、テレビやマスコミやゲームなどあらゆるメディアが同列に出てきて、その背後にある“物語”って何なんだろうと、考えさせられました。インディーズらしい作品と言っていいのかわかりませんが、なんて言うか、とても冒険されていると思いました。



ありがとうございます。先程お話したNHKのプロデューサーに、昔、とある脚本を読んでもらった時、「日常性の破壊が足りない」と言われたことがあって、その言葉が今も息づいています。それってとても大事だよなと思います。人は自分の日常を壊して欲しいとどこかで思っていて、映画を見たり漫画を読んだりすると思うから。



──日常性の破壊って、新しい価値観や物の見方の提示ということですか?



まさにそういうことだと思います。プロはみんな考えていることだと思います。



唯一の道しるべだった

PFF



──2005年に『珈琲とミルク』がPFF入賞されて、2008年にPFFスカラシップで『パーク アンド ラブホテル』を撮られていますが、今振り返ってみて、熊坂監督にとってのPFFとは、どんな場所ですか?



スカラシップでは、すごくいい経験をさせてもらいました。

初の劇場長編映画だったし、3週間という長期の撮影も監督としては初めての経験で、とにかく大変でした。自分独自の、自主映画でやってきた手法が通じないことが多々ありました。でも、何かプロフェッショナルの定型の流儀があって、それに合わせなければならないという事では決してなかったように思います。要は、監督は、スタッフやキャストを突き動かす何か、言葉でもジェスチャーでも、匂いでも世界観でもオーラでもなんでもいいけれど、圧倒的な何かを2つくらい持っていないといけないと思いました。スカラシップ作品を撮り終わった時、人を動かすということ、人に動いてもらうということ、人間関係とかコミュニケーションとか、様々なことを考えました。



僕にとっては、日本映画界ってどうやって入って行けばいいのかまるでわからなかったから、PFFは、唯一の入り口だったんです。スカラシップが獲れれば、配給がついて作品は全国を回るし、いい興行成績を残せれば、商業映画監督への道が開ける。すごくいいシステムだと思います。プロデューサーの天野(眞弓)さんは、監督の意向を尊重しつつも、うまくハンドリングしてくれる肝っ玉お母さんだし、海外映画祭をついて回ってくださるディレクターの荒木(啓子)さんもまた、母なる巨人です。



僕のスカラシップ作品は、商業映画になりそこねた。商業的な部分を、もっと考えて撮ればよかったと思います。一般的に、自主映画よりも商業映画の方が多くの人の目にさらされるから、結果的に、映画が強くなるように思います。



──商業的な方向に、ご自分を置かないようにされているのかと思っていました。



いやいや、そんなことないです、商業映画、撮れるようになりたいです!(笑)

僕の失敗は少なくとも2つあると思います。ひとつは、商業映画として成立させられなかったこと。そして『パーク アンド ラブホテル』以外のほかの企画を持っていなかったこと。ベルリン(国際映画祭)で新人賞をいただいた時、大きなチャンスに恵まれたんです。業界の一線のプロデューサーに囲まれて食事をして、何か企画ありませんか、と。でも、手持ちの企画が無かった。風が来たら凧を飛ばす準備をしていなかったんです。そういえば、今回も韓国で出会ったプロデューサーからお話をいただいたんですよ。プロットを送らないといけないのに、もう4日間も経っていて、全然成長していません(苦笑)。




(取材・写真・文:鈴木沓子)










熊坂出(くまさか いづる) プロフィール



さいたま市出身。1998年立教大学文学部英米文学科卒業後、グラフィックデザイナーを経て、映像ディレクターに。2004年に制作した自主映画『珈琲とミルク』がぴあフィルムフェスティバル/PFFアワード2005で審査員特別賞、企画賞、クリエイティブ賞を受賞。第17回PFFスカラシップ作品『パーク アンド ラブホテル』が2008年ベルリン国際映画祭で最優秀新人作品賞を受賞。2012年、第6回シネマ・デジタル・ソウル映画祭映画祭で、日本人監督として初めてグランプリにあたるレッドカメレオン賞と、国際批評家賞であるブルーカメラマン賞をダブル受賞した。










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村上 淳主演・異色の青春映画『Playback』ほか話題の作品集結

第34回PFFぴあフィルムフェスティバル開催(2012.9.6)

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『リルウの冒険』

第34回PFFぴあフィルムフェスティバル

9月21日(金)18:30 大ホールにて上映



たった一人の友達、こころが消えた。「リルウ、ゆめをわすれないで。」ゆめ? だれがみたゆめ?「ふたつそろわないとほんとうの意味がわからない物語がある」と、こころは言った。何者かによって異世界に招き入れられたリルウ。そして、リルウの冒険が、今、はじまる。『パーク アンド ラブホテル』の熊坂 出監督待望の新作。

※当日は、英語字幕での上映。熊坂監督の登壇を予定



監督・脚本・撮影:熊坂 出

出演:ジャバテ璃瑠、仲村渠さえら、ユール・ジャバテ、泉川珠羅、りりィ(特別出演)

2012年/117分/HD/カラー



第34回PFFぴあフィルムフェスティバル

会期:2012年9月18日(火)~28日(金)(月曜休館)

会場:東京国立近代美術館フィルムセンター

公式サイト:http://pff.jp/34th/













▼『リルウの冒険』予告編


[youtube:WKuEma5-3BE]


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「今の日本はもっと怒って、叫んでいいはずなんじゃないか」 http://www.webdice.jp/dice/detail/3544/ Fri, 15 Jun 2012 13:49:01 +0100
『くそガキの告白』より


今年のゆうばりファンタスティック映画祭で、審査員特別賞、シネガーアワード賞、ベストアクター賞(今野浩喜)、ゆうばりファンタランド大賞人物部門と、史上初の4冠に輝いた『くそガキの告白』。キングオブコメディの今野浩喜を主演に迎えた、鈴木太一監督の初の長編作品で、映画業界に入ったものの、なかなか自分の撮りたい作品を撮れずに葛藤していた時代の監督本人を描いた、半自伝とも言える。6月30日からテアトル新宿で始まるロードショーを控えた今、鈴木監督の素顔に迫るべく『くそガキの告白』を撮るまでの軌跡について聞いた。



篠原哲雄監督との出会い




──映画の道に入ったきっかけは?



もともと、特に、映画青年という訳ではなかったんです。昔から書くことは好きだったので、遊びで、詩や小説を書いたりしてましたけど、まず映画を撮ろうという発想すらなかったというか。ただ浪人中に、テオ・アンゲロプロスの映画を観て、“いかにも芸術系”な映画を観たのが初めてだったので、「映画には、自分の知らないジャンルや世界があるんだなぁ」と思いました。それが、きっかけと言えばきっかけでしょうね。



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鈴木太一監督


でも大学に入った時も、映画監督になりたい!とかもなく。大学には映画サークルもいっぱいあったけど、歴史サークルとプロレスサークルに入りました。すぐやめたんですけど。その頃は「自分が映画を撮れるわけがない」と思い込んでた。

大学は早稲田の第二文学部だったので、ドキュメンタリーの授業でインタビューを撮ったりして、「紛争地で取材するビデオジャーナリストの仕事はいいなぁ」と漠然と思い、就職活動では、テレビ局を受けたんですけど、受かるわけでもなく。



結局、卒業は9月でした。半年ダブっちゃった。そんな時に、映画館に行ったら、ENBUゼミナールという映画の専門学校のチラシを手にとっちゃったんです。「キミも1年後には映画監督としてデビューだ!」って書いてあって、なんだこりゃと思って。就職も決まってないし、大学卒業したら、今後どうしようって迷って切羽詰まっていた時だったんですけど、さすがに、これからまた学校に行こうという発想はなかった。でも、周りを見ると、専門学校に入り直すという人もいたし、当時は学費も安かったので、ワークショップに参加する感じで通うのもいいかなと思って、入学しました。



入ったのは映画監督コースで、講師は篠原哲雄監督。ENBUでは、とにかく技術的に何を教わったというよりも、篠原監督の存在感や、ある種のカリスマ性に触れたことが大きかった。面倒見がよくてオーラもあって、その喋りや発言にも魅了されました。サービス精神も旺盛な人なので、授業も終電ぎりぎりまでやってくれて、そこから「みんな飲みに行くぞ」って。その時期、篠原さんも現場に入っていなかったから時間的に余裕があったんでしょうね、普通授業ってコマ数決まっているんですけど、それを超えてまで生徒につきあってくれて、みんな篠原さんが大好きだった。そこで映画仲間に出会えたことも大きかったんですけど、それも今思うと、篠原哲雄という人の存在が大きかったと思う。



同期だったのは、『お姉ちゃん、弟といく』の吉田浩太や『君の好きなうた』の柴山健次、『ほんとにあった怖い話3D』の室井孝介。映画をやめた人も少なくないですけど、映画業界にいる人は多い。だから自分も(映画を撮り続けることを)辞められなかったんだと思いますね。お互いすごく仲がいいという訳ではないけど、常にみんなが頑張っている情報が耳に入ってきていましたから。そういう人たちに出会えたってことが、映画学校に入って一番よかったですね。




「社会派」への憧れ




──卒業制作はどんな作品でしたか。



ストーリーはあまりなくて、9・11から1年経っても、そのことで悩んでいる女が、繁華街を歩いているという作品。生徒が撮った作品を全部お披露目して、監督コース以外の生徒にも見せて、投票する学内コンペがあったんです。そこで、吉田とかは、結構票が入って5位くらいだった。あと、岩田ユキさんが人形劇のような、その頃から技術的に高い作品を撮っていて、そういう中で自分はというと、まったく票が入らなかった。結構、真面目に作ったんですけど。

卒業制作は、『犯行声明申し上げます』という作品で、戦場カメラマンの父を亡くした男が殺人を依頼されて、妙な女に出会って、最後は若者たち皆で国会議事堂に向かって、手榴弾を投げるんです。尺が35分くらいあるんですが、本当に何の笑いもないし、かと言ってシナリオが良く出来ている訳でもなく、ちょっと社会派ぶってるだけで、皆に「何の話だかよくわからない作品」って言われました。今(自分で)見てもそうだろうなって思います。しかも、国会議事堂でのゲリラ撮影も、始めは1カットしか撮らないつもりが最終的に何カットも撮っちゃって、チーフ助監督の吉田(浩太)なんて、最後、怒ってました。「やめてください、ほんと」って。

いまでこそ僕は、「映画で人を笑わせたい」っていう想いがあるんですけど、当時は、詩人っぽく格好つけていたというか、モノローグで語って、ちょっと社会のことを考えますって言う作品ばかり撮っていたんですよ。




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『信二』より




──社会問題に興味があったのですか。



というより、長谷川和彦監督の『太陽を盗んだ男』とか、若松孝二監督とか、その他わかりやすい反権力の人たちや、学生運動の人たちに興味があって、「社会派」に憧れてたんでしょうね。

けど、社会問題も、突き詰めて言うと、別にそれを映画でやらなくてもいいと思ったんですよ。それより何より、ほんと自分のそういうスタンスが嫌になっちゃって。ジャーナリストでもないし、エンターテイメントでもなく、かといって、芸術性があるわけでもなく、シナリオが優れているわけでもない。そんな作品しか撮れない。




ENBUを出た後は、自主映画や低予算の商業映画の助監督の仕事をちょこちょこやってたんですけど、現場に入っても、助監督の仕事もちゃんとできなかった。まず、基本手先が人の何倍も不器用でカチンコが打てないから、もうその瞬間から嫌になっちゃって。商業映画の大きい現場に入ることが出来ていたら別なんでしょうけど、小さな映画の現場では、誰もちゃんと教えてくれる人もいなかった。しかも、自分自身の将来が見えない時に、人の作品を手伝って、いったい何やってるんだろうって。




じゃあ脚本を書いてコンクールに応募しようと思っても、全然面白いものが書けなくて、どこにも引っかからない。はじめの頃に描いていた、妙に社会派ぶった作品は嫌になっていたから、少しずつコメディ要素もある明るい作品を書きはじめていたんですけど、そういうのを書いていると、「鈴木さんも、変わっちゃったね」、「昔は『犯行声明申し上げます』なんて、とんがった作品書いてたのに、丸くなっちゃって」なんて言われてた。





人を怖がらせるより笑わせたい



──エンターテイメントへと切り替わったきっかけは?



背伸びをやめたってことなんでしょうね。作品は評価されないし、映画祭に出しても何の反応もないし、脚本書いても賞は獲れねえし、かと言って助監督の仕事もちゃんと出来ねえし。どうして“映画をつくりたい”なんて思い始めちゃったんだろうって思いましたよ。道を踏み外したんじゃないか、とか。同期がどんどん活躍していく中、焦りもありました。

でも、なんで映画を撮るのかっていうと、やっぱり「映画で人を楽しませたい」っていうことなんだって、どこかで気づいて。そこで肩の力が抜けたんですかね。ENBUに居た頃は、自分の作品が劇場で上映されること自体を目標に作っていたのかもしれません。ある意味、自己満足。その後もずっと「何を撮ったらいいのか」迷っていたんですけど、ある時コメディ寄りのシナリオを書きはじめたら、すごく楽しくて。

そんな時に、パル企画という会社から、“今までの実績関係なく、『怪奇!アンビリーバブル』というシリーズで演出をやらせてもらえる”という話が舞い込んで。当時10年くらい前は、『ほんとにあった! 呪いのビデオ』がかなり流行ってた時期で、有名役者や有名監督じゃなくてもパッケージ感で作れていた頃なんですね。今もその風潮は残ってますが。



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『ベージュ』より



ENBUの同期の柴山と室井と僕とで一話ずつ、脚本から自分達で作りました。そこで何本か撮らせてもらいました。

でも、僕、もともと人を怖がらせることにあまり興味なかったんです。はじめは、仕事としてやらせてもらえるのが嬉しかったんですけど、怖いホラービデオが撮れなくて、どんどん笑わせる方向に行っちゃって、次第に悪ふざけが多くなってきちゃって。

でもやるからには面白い作品にしたいから、プロデューサーに怒られながらも、結構斬新なこともしてたんですけど、編集段階でダメ出しされて、どんどん切られて、最終的には中途半端な作品にしかならなかった。






その中でも、一番自分のやりたいことをやれた作品は、『怪奇!アンビリーバブル 闇の都市伝説』。「自分はこういうことやりたいんだ」っていうことを、初めて実感できた作品です。

ちょっと笑いが入っているフェイクドキュメンタリー。白石晃士監督はホラーを真面目に撮りながら、ちょっと笑いを入れているけど、僕の作品は、ホラーを完全に逸脱して、そこからラブストーリーになっていく。

視聴者からの反響もあったんですよ。アマゾンのレビューや2ちゃんねるでも感想が上がっていたり、『怪談サークル とうもろこしの会』っていう謎の2人組がいて、その人たちが作品を観て、僕の連絡先を探し出してくれて、わざわざ「おもしろかったです」と連絡をくれて。それまで、全然知らない人から作品の感想をいただいたことがなかったから、すごく嬉しかったですね。

しかも、その人たちが、ある製作会社を紹介してくれて、その会社の人が「鈴木さんらしい作品を思いっきり撮ってください」と言ってくれたんです。その頃、パル企画さんからは「鈴木君が撮ると、勝手にホラーじゃない作品にしちゃうから」と言われ始めて、まあ自業自得なのですが、作品が作りづらくなっていた時期だったので、嬉しくなって、プロットを書いて。



webdice_25大輔いざ桃子宅へ

『くそガキの告白』より


それで脚本を書きはじめた。そうしたら、わーっと自分のやりたいことが出てきて、止まらなくなって、全部ぶつけてしまって。

女性レポーターとディレクターの僕とのラブストーリーになっていくというストーリーなんですけど、「ホラー度が低い」と言われてしまった。でも、書いていて本当に楽しくなっちゃったんで、「いや、これをやりたいんです」って粘ったんですけど、プロデューサーは、「ちゃんとホラーをやりましょう」という方向に向かっていって……。

僕の色も出してくれるよう折衷案も出してくれたんですけど、結局それだと僕が撮る意味がなくなるから、「この作品は自分で自主でやりますから、今回はやめましょう」ということになった。これが後に『くそガキの告白』の原点となる脚本になりました。

その製作会社さんに対しては、ちゃんと企画にできなかったことを、すごく申し訳なく思いつつ、『くそガキの告白』を生んだきっかけにもなっているので、勝手に、とっても感謝もしてします。




「自分にしか撮れないものを撮る」という決意





──『くそガキの告白』は、自主制作ですか?



自分で制作費を捻出したという点では、そうですね。自分は借金をして、SUMIDA制作所の小林憲史さんとお金を出しあって撮りました。



──実際に撮ることになったきっかけは?




今、これだけ映画を撮る人がいて、何かの映画祭で、入賞したり、賞をもらったりする人っていっぱいいるんですよね。だから自分にしかできないこと、自分にしか撮れないことをしなくちゃ駄目だと思いました。それと、やっぱり映画で自分や社会や、何かを変えたかったんでしょうね。

ツイッターで、「映画が撮りたいけど金がねえ」とか愚痴っていたら、ある時、小林政広監督が僕に「そんなこと言ってちゃ駄目だ」、「金がないとか不満言ってないで、とにかく撮ってみろよ」って返信してくれたんです。特に僕は小林監督と面識なかったのに、すごくびっくりして。小林監督はとにかく自分の撮りたい映画を、自腹を裂いてでも撮り続けて、作品の内容はもちろん、海外でも高く評価されている監督じゃないですか。

その後も、小林監督はツイッター上で「金のことで悩んでるふりして言いたいことがない自分から逃げているんじゃないのか」、「言いたい事がなければ映画なんて作る必要なし、死ぬ思いだよ、映画作りは」と書かれていて、すごく動揺しました。そこで、初めて、“いま、自分にしか撮れないものを撮らなくちゃいけない”という決心がついた。そういう意味では、小林監督が背中を押してくれたというか、きっかけになったのだと思います。



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『くそガキの告白』より


──『信二』(2008年)『ベージュ』(2011年)など過去作品を観ると、鈴木監督の作品には共通して、“叫ぶ”登場人物が出てきますね。



叫んでいる人が好きなんですよ。多分、自分にそれができていないからなんだと思う。今の日本の社会を見ていると、もっと皆怒っていいはずなんじゃないかなって思うんです。だから次回作では、怒っている人を描きたい。それを、そのまま撮るというよりは、コメディの要素で描きたいですね。やっぱり、映画で人を笑わせたいんです。



そんな鈴木監督より、『くそガキの告白』の先行試写会にオールモストフェイマスの読者を先着10名にご招待!



また、次回オールモストフェイマス上映会では、『くそガキの告白』の原点である『怪奇!アンビリーバブル 闇の都市伝説』を含む3作品を、鈴木監督のセレクションで特集上映する『鈴木太一監督特集』を、6月27日(水)に、アップリンク・ファクトリーにて特別開催します。詳しくは告知ページまで。





(インタビュー・文・監督写真:鈴木沓子)









鈴木太一 プロフィール


1976年東京都生まれ。早稲田大学第二文学部卒業後、ENBUゼミナールに入学、篠原哲雄監督に師事。卒業後はフリーの助監督を経て、(株)エム・エーフィールドに脚本家として所属、劇場用映画やテレビドラマの企画に携わる。2008年やまなし映画祭特別招待作品『信二』が仙台短篇映画祭「新しい才能に出会う」部門に入選、東京ネットムービーフェスティバルで「田中麗奈賞」を受賞。2011年、311仙台短篇映画祭映画制作プロジェクト『明日』に参加、3分11秒の短編映画『ベージュ』(監督・脚本)を制作。同年、初の長編映画『くそガキの告白』(監督・脚本)を制作、2012年ゆうばり国際ファンタスティック映画祭で史上初の4冠を授賞。














『オールモスト・フェイマス-未配給映画探訪』連動企画・鈴木太一特集 開催決定!

2012年6月27日(水)渋谷アップリンク・ファクトリー




会場:渋谷アップリンク・ファクトリー

(東京都渋谷区宇田川町37-18 トツネビル1F tel.03-6825-5502)[googlemaps:東京都渋谷区宇田川町37-18]

イベントの詳細は後日アップリンクのHPにてお知らせいたします





『信二』



実の母にさえ、兄の信一と間違えられる冴えない男・信二。一刻も早く抜け出したいと考えていた実家の民宿に、突然ミステリアスな美女が泊まりにくる。たちまち浮き足立つ信二だったが、それは世にもくだらない騒動の幕開けだった。2008年、仙台短篇映画祭にて「新しい才能に出会う」部門に選出。東京ネットムービーフェスティバルにて「田中麗奈賞」受賞。



監督:鈴木太一

脚本:田中智子、鈴木太一

出演:奥山滋樹、小出ミカ

音楽:田中淳一

(2007年/日本/12分)



『ベージュ』



女と男とティッシュとベージュ。311仙台短篇映画祭映画制作プロジェクト『明日』オムニバス作品。



監督・脚本:鈴木太一

撮影・録音:古屋幸一

出演:小出ミカ、太田正一

(2011年/日本/3分)



『怪奇!アンビリーバブル 闇の都市伝説』 (episode2,3)



一般視聴者から寄せられた恐怖体験をまとめた心霊ドキュメンタリーシリーズ。呪われた投稿心霊写真の数々を紹介し、その裏に潜む驚愕の真実に迫る。首なしライダーの写真に写る被写体の男性を訪ねに行く「もう一人の首なしライダー」、居酒屋で撮られた女性の写真から始まる「トイレの××さん」。『くそガキの告白』の原点になったホラードキュメンタリー。



構成・演出:鈴木太一

出演:深澤しほ

撮影:大谷将史

演出助手:遠藤大介、舛谷滋成

(C)パル企画

DVD発売・販売元:ブロードウェイ

(2008年)














『くそガキの告白』

2012年6月30日(土)よりテアトル新宿にてロードショー



馬場大輔、32歳。人よりブサイクな自身の顔に勝手に強いコンプレックスを持ち、いい歳して自分の苛立ちを周りの物に当たり散らす、くそガキ野郎。映画監督を夢見ているが、「映画で言いたいことがないなら映画監督を目指すのなんてやめちまえ」と言われて何も言い返せない。木下桃子、25歳。占いやおまじないが好きな女の子。中学生のときに観た学生映画『LOVEZONE』に魅了され女優を目指す。それは彼女が生まれて初めて持てた夢だった。ある日、そんな二人が撮影現場で出会う。そこから奇想天外な物語の幕が開く。



監督:鈴木太一

出演:今野浩喜(キングオブコメディ)、田代さやか、辻岡正人、今井りか、仲川遥香(AKB48/渡り廊下走り隊)

プロデューサー:小林憲史

脚本:鈴木太一

撮影:福田陽平

照明:上村奈帆

(2011年/94分/カラー)

公式サイト:http://www.kuso-gaki.com/










『くそガキの告白』試写会に10名様をご招待




『くそガキの告白』10名様ご招待

日時:2012年6月18日(月)15:30開演


会場:渋谷アップリンク・ファクトリー(東京都渋谷区宇田川町37-18 トツネビル1F)[googlemaps:東京都渋谷区宇田川町37-18]

tel.03-6825-5502





【応募方法】


info@webdice.jpまでメールにてご応募ください



■件名を「6/18 くそガキの告白」としてください



■メッセージに下記の項目を明記してください


(1)お名前(フリガナ必須) (2)電話番号 (3)メールアドレス (4)ご職業 (5)性別 (6)ご住所 (7)応募の理由



■応募締切:2012年6月17日(日)21:00


※当選者の方のみ、6月17日(日)中にご返信差し上げます




▼『くそガキの告白』予告編


[youtube:vIHIJ42kgBs]


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ポン・ジュノが絶賛した青春映画 『世界グッドモーニング!!』 http://www.webdice.jp/dice/detail/3504/ Fri, 04 May 2012 01:37:31 +0100
『世界グッドモーニング!!』より


一昨年、世界の国際映画祭に次々と招致され、数多くの賞を授賞した日本インディーズ映画と言えば、廣原暁監督の『世界グッドモーニング!!』だ。

第29回バンクーバー国際映画祭では、新人賞グランプリにあたるドラゴン&タイガー・ヤングシネマ・アワードを授賞、審査員だったポン・ジュノ、そしてジャ・ジャンクー監督らが「日本の社会問題を、若者の目線を介して新鮮に描く、革命的でクリエイティヴな手法に溢れた作品」と絶賛、「まだ世界では知られていない若者だが、真に有望な映画監督である」と太鼓判を押した。

きっと多くの人がスクリーンの中に、かつての自分の姿を見つけたのだろう。そして、「10代だった当時、この作品と出会えていたら、どんなに救われただろう」、そう思わず振り返らせる、そんな作品なのかもしれない。大学の卒業制作として撮った本作が長編デビュー作となり、作品と一緒に、文字通り、自分自身も世界へと羽ばたいた25歳の廣原監督。今年PFFスカラシップ監督に選出され、初の商業映画公開を控えている廣原監督に、デビュー作品が生まれた背景と、当時の想いについてを聞いた。





“人間”という存在の

ロードムービーを撮る



──大学の卒業制作と聞いて、そのスケール感に驚きました。作品制作はどのように始まったのか教えてください。



この作品の前に、大学時代に気合いを入れて撮った映画があるんですけど、出来上がってみたら、全然面白くなかったんですよ(苦笑)。撮っている最中は自信があったんですけど…(笑)、案の定、学内での評価も良くなくて。それで卒業制作は、「人間という存在のロードムービーを撮るんだ!」と意気込みました。




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『世界グッドモーニング!!』の廣原暁監督




──壮大なテーマですが、着想は何だったのですか。



調べ物をしていた時、警視庁のホームページで、身元不明者で亡くなった方のリストを見つけたんです。それで、すごい衝撃を受けて。身元不明の遺体情報が番号分けされていて、身長や手術の痕だとかの遺体の特徴や、所持品が書いてある。それが何百件って掲載されているんですよ。死んだら数字になっちゃうんだ、“生きている”という確実な証はなにもないんだってショックでしたね。

例えば、生前偉業を成し遂げて自分の銅像が立ったり、映画祭で大きな賞を獲ったとしても、銅像が壊されたり、その歴史が書き直されてしまったら、その人が生前どう生きたのか、そのこと事体も残らない。でも、形として残せるものなんて何もないならば、今、この瞬間何ができるかということを考えるしかないんじゃないか、それは決して絶望的なことばかりじゃないだろうという思いが、少しずつ芽生えてきました。




──廣原監督の“生死観”について、もう少し教えてください。



僕は小さい頃から、“死ぬ”ということがすごく怖くて、今でもすごく怖いんです。死んだ後のことをリアルに想像して、夜眠れなくなることがよくあって。最近はあまり考えないようにしていますけど、“死ぬのが怖い”ということと、“でも人間は必ずいつか死ぬ”という事実。それをどう乗り越えるのかということが、自分の中にずっとあります。

生きていればなんとかなるってこと、あるじゃないですか。つらいことも、時間が経てば何とかなる。でも死んだら何も残らない。それを考えると、ぞっとするんです。今まで生きてきて、いろいろやってきたことはどうなるんだって。死んだら全部、下らなくなっちゃうじゃないですか。一生懸命お金を稼いだり、映画祭で賞を獲ったりするのも、意味がなくなってしまう。“生きている間に自分の好きなことすればいいじゃないか”っていう考え方もあるけど、それもなんだか虚しくなるんです。

それが、そもそもの、始まりなのかもしれません。死ぬのが怖いから、映画を撮っているのかな。それは、“生きている間に何かを残したい”ということなのか、それとも、ただ、じっとしていられないからなのかは、わからないんですけど。



──主人公のユウタが、見るものすべてに名前をつけたり、テープレコーダーに日記を吹き込んだりする行動に重なる気がしますが、ユウタは、ご自身が投影されたキャラクターだと思われますか?



自分自身とは違うキャラクターですが、ある部分はそうかもしれません。高校生くらいの時って、なんて世の中はつまらないんだろうと思いがち。でも、今思うと、とても小さな世界しか知らないのに、“人生ってこんなもんだ”と思ってしまう。

僕の実家は、父親が銀行員で堅い方なので、美大に行くと決めた時に反対されたんです。でも、兄弟は結構やんちゃで、8歳離れた兄はドラマーで、姉は靴のデザインをしていて。兄が高校を卒業してバンドを始めた時、父が大反対して兄が家出したり、いろいろあって。そうやって、兄が道を作ってくれたんですよね。それがなかったら、僕は“人間というものは、普通に四年制の大学に行って就職するもの”だと思い込んでいたと思うし、美大に進む時も、兄のおかげで、親の理解も得られやすかったと思います。兄弟の存在は大きくて、兄と姉が自分の道を歩む背中を見て、自分の背中も押されました。映画の中では、最後に出てくる粗大ゴミ収集のお兄ちゃんが、ユウタを導いてくれる存在として、重なっていると思います。

そう考えると、僕自身も、兄がいなかったら(映画を)やってないと思うし、バンクーバーで賞をもらって、ようやく父にも理解をしてもらえました。だから、自分一人の力で何か映画づくりをやっているというよりは、環境によって、やらせてもらっているんだ、という感じがすごく大きいですね。そう気づいたときに、らくな気持ちにもなれたんです。




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『世界グッドモーニング!!』より



世の中のことを

まだ何も知らない





──先ほどのお話に戻りますが、“人間という存在”を描くために、はじめからロードムービーを設定していた理由はなぜですか?



ロードムービー、好きなんですよ(笑)。「どこかに行きたい、どこかに向かいたい」っていう思いがあるんです。

高校生まで、本当に狭い世界で生きていたんですよ。学校も徒歩で行ける距離だったので、他の同級生みたいに、帰りに渋谷に寄ることもなく、学校に行って部活に行って家に帰るという毎日で。この半径1キロの世界から飛び出したい!って(笑)、そういう気持ちがすごく抑えきれなくなって。ある日、旅にでようと思って、富士山のふもとに行ったんです。みんなが受験勉強に一生懸命になっている時期に、突然一人で。でも、まあ、行ったところで、別に何もないんです(笑)。新しい何かとか、発見とかを求めて行ったんですけど、特に何もなく、夜はホテルでテレビとか見て、これじゃ日常生活と一緒だっていう。何かを求めてどこかに行くっていうのは嘘で、向かった先には結局何にもない。それでもやっぱり、どこかに行くっていうのは、そのこと自体が楽しいし、結局何にもなくていいんじゃないかって、その時に思えたんですよね。



──最後のシーンがこの作品の最もよく語られ、評価を受けている部分ですが、ネタバレになるので、“ここから先は、読みたい方だけ読んでいただく”という前提でお聞きします。最後にユウタが気球に対面するシーンの表情が、とても印象的でした。気球には、どんな思い入れがあったのですか。



それは多くの人に指摘された部分です。最後のシーンは、はじめは決めていなかったんですよ。どうやって終わらせるかを考えていた時に、ちょうどテレビで、映画が発明されて最初に撮影された映像を放映していて、それが気球が飛ぶ映像だったんです。それを偶然見ていて、その映像自体が、自分の作品のテーマに合っているのではないかと思いました。

少し見方を変えれば、世界は変わる。でも見方が変わるというのは、決して明るい話だけではなく、そこには寂しさも悲しさもあるのだと思う。だから、この映画を見る人の感想は、2つに分かれるのだと思います。明るい青春映画だねと言う人もいるし、救いがない、寂しい話だねと言う人もいました。どちらも、わかるような気がするんです。

気球のシーンでは、僕はカメラマンとして、インストラクターの方と一緒に乗りました。気球って、地上から見ているとすごい勢いで上がっていきますが、乗っていると、まったく風を感じないんです。風に乗って一体化するので、無風。どこにいくかもわからない感じでふわふわした不思議な感覚でした。着地した時の衝撃で、初めて、すごい速度で飛んでいたんだって気づくんです。撮影時は、真上に上がって行くのかと思っていたら、真横に流れたので、ユウタ役の小泉君に走ってもらって、途中カメラを落としそうになりながら、夢中で撮影しました。



──この作品を撮ったことで、“死”に対する感じ方は変わりましたか。



それはやっぱり変わりませんが、映画に出会えてよかったと思うのは、自分の抱えているものを、そのまま映画という作品に出来る、ということですね。普通に会社勤めをしていたら、その考えや見方とどう向き合ってたんだろうなと思います。昔、姉にその話をした時に、「そんなの、仕事し始めたらすごく忙しくなって、すぐ忘れちゃうよ」って言われたんですけど、一時的に(死に対する恐怖を)忘れられることができても、仕事を退職して、70、80歳になった時に、また向き合うことになったらと思うと…。



──それは恐怖ですね。



地獄ですよね。だから、今はまだ若いっていうところに、甘えているところは大きいと思うんです。



──この作品に関しては特に、自分自身の一番の課題だった“死”と向き合うこと自体が、作品づくりの根幹にあるんですね。



そういうことになるのかもしれません。映画を撮りながら、わかることも多いです。ああ、自分はこんな風に考えていたんだなって。それから、自分は世の中のことを、まだ何も知らないんだなと、毎回思います。例えば、『世界グッドモーニング!!』では、ホームレスの方の描き方がよくないと反省したり…。だから、映画を作ることで自分がどう変わるのか、何ができるかわからなくても、それでも作り続けて行くのだと思います。



(インタビュー・文・写真:鈴木沓子)











廣原暁 プロフィール


1986年東京生まれ。武蔵野美術大学卒業。東京藝術大学大学院 映像研究科修了。2009年に制作した『世界グッドモーニング!!』が2010年PFFアワードにて審査員特別賞を受賞。さらに同年、第29回バンクーバー国際映画祭ドラゴン&タイガー・ヤングシネマ・アワードグランプリ受賞を皮切りに、第61回ベルリン国際映画祭など世界各国の映画祭にて上映される。最新作『返事はいらない』は東京国際映画祭 ある視点部門に出品された。
他作品に、『紙風船(第一話「あの星はいつ現れるか」)』(2010)、『遠くはなれて』(11)など。PFFスカラシップを獲得し、現在は新作映画の準備に余念がない。

http://www.satoruhirohara.com/












『世界グッドモーニング!!』



主人公のユウタは高校一年生で、母親と二人暮らし。あだ名ジャミラ。クラスではさえない方だけど、音楽が好きな、平均的な男子高校生。家と学校の往復だけの日々。ある日、ユウタは、ホームレスの鞄を盗んでしまう。特に理由なんてなかった。次の朝、こっそり鞄を返しに行くと、ホームレスの男性は死んでいた──。




監督・脚本・編集:廣原暁

撮影:小荒井寛達、廣原暁

音楽:ARTLESS NOTE

照明:丹山浩克 録音:高橋 玄、藤川史人

製作・美術:篠原彩子

出演:小泉陽一朗、新井美穂、泉 光典、森本73子ほか

(2009年/81分/カラー)



【映画祭出品歴】

第12回京都国際学生映画祭 準グランプリ・観客賞/第32回ぴあフィルムフェスティバル 審査員特別賞 第29回バンクーバー国際映画祭 ドラゴン&タイガー・ヤングシネマ・アワード(グランプリ)受賞/第61回ベルリン国際映画祭 フォーラム部門出品/ポートランド国際映画祭(アメリカ)出品/ブレダ国際映画祭(オランダ)出品/香港国際映画祭 アジアデジタルコンペ部門 国際批評家連盟スペシャルメンション授与/ブエノスアイレスインデペンデント国際映画祭 メインコンペ部門出品/第25回 高崎映画祭出品/第5回シネマデジタルソウル映画祭出品/INDIE2011国際映画祭(ブラジル)/ウラジオストーク国際映画祭(ロシア)/カメラジャパン映画祭(オランダ)











『オールモスト・フェイマス-未配給映画探訪』連動企画

『世界グッドモーニング!!』な夜

(ライブ出演:ARTLESS NOTE、トーク出演:木下雄介×森岡龍×廣原暁)



『世界グッドモーニング!!』が一夜限りの上映決定!本作上映だけでなく、同作品で音楽を担当しているARTLESS NOTEが一夜限りの特別編成で、映画の世界観に沿ったライブ演奏を披露するほか、廣原暁監督そして同世代の新鋭監督によるトークイベントも行われる。



日時:2012年5月26日(土)

会場:渋谷アップリンク・ファクトリー


(東京都渋谷区宇田川町37-18 トツネビル1F tel.03-6825-5502)[googlemaps:東京都渋谷区宇田川町37-18]

料金:当日一般2,300円/予約2,000円/学生1,800円(ともに1ドリンク付)

上映作品:『世界グッドモーニング!!』(監督:廣原暁/81分)

ライブ出演:ARTLESS NOTE(『世界グッドモーニング!!』音楽担当)

トーク出演:木下雄介(映画監督)、森岡龍(俳優/映画監督)、廣原暁(映画監督)

イベントの詳細・ご予約は下記より

http://www.uplink.co.jp/factory/log/004437.php





▼『世界グッドモーニング!!』予告編


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“スカイツリーができるまで殆ど注目されなかった”地元下町で映画を撮り続けてきた http://www.webdice.jp/dice/detail/3483/ Thu, 12 Apr 2012 19:03:56 +0100
『墨田区京島3丁目』より


生まれも育ちも墨田区で、現在も墨田区を舞台に、多くの作品を生み出している吉田浩太監督。その異色とも言われる作品群は、海外の映画祭でも人気が高く、青春Hシリーズ『ソーローなんてくだらない』は、昨年レインダンス映画祭のインターナショナルコンペティション部門に入賞するという快挙を果たした。また、地元で撮影した短編『墨田区京島3丁目』は、今年のロッテルダム国際映画祭に招致されている。墨田区という町の魅力、そして「地元で映画を撮ること」について、吉田監督に話を聞いた。



自分自身がわからなかった

少年時代



──『墨田区京島3丁目』を撮ったきっかけを教えてください。



墨田区で映画の上映会をしている有志団体「橘館」から、「墨田区をテーマにした作品を作ってほしい」という話をいただいたんです。はじめは、男子高校生が鳩の街商店街に住む女子大生を相手に童貞を捨てるという話を考えていました。それは、僕の地元の近所にある東向島地区が赤線地帯だったという歴史も絡めて描くという企画で、僕は結構やりたかったんですけど、主催者側から、「性的な描写はちょっと難しい」と言われてしまいまして(苦笑)、墨田区を舞台に「地域で生きる」をテーマに考え直しました。




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吉田浩太監督(2010年シネマサーカスで)



──着想は?



テーマを聞いた時に、自分の経験談をもとに描こうと思ったんです。昔、自分が地元で何をしていたのかということを思い出した時、よく万引きしたんですよ(苦笑)。どうして万引きしてしまったんだろうということを突き詰めて考えて行くと、「地域で生きる」というテーマと、自然と結びついていった感じですね。



──どんなものを万引きしていたのですか?理由や動機は、何だったのでしょう。



もう一時期は、お菓子から玩具から、何でも万引きしていましたね。その頃、水鉄砲が流行っていて、5,000円くらいする大きな箱に入ったオート水鉄砲を万引きしたり。

商品を、そのまま箱ごと抱えて店を出るんです。あたかも自分が買ったものかのように万引きすると、全然気づかれない。ひどい時は、古本屋さんに行って、普通に万引きした古本を同じ店で売っちゃったり…。ダメですよね。

どうして万引きするんだろうと思った時に、今もはっきりとした理由はわからないんですけれど、何かあるんですよね。それはやっぱり、若いときって自分自身がわからなくて、自分という存在を見てほしいとか、そういうものが無意識のうちにあると思うんです。そこから自分という存在が社会に承認されることや、地域で生きることが関わってくると思うんです。



──そのあたりの繊細な感情の動きを、主演の池之上真菜さんが瑞々しく演じていて、その存在感に目が離せませんでした。どんな演出をされたのですか。



池之上さんは、墨田区の高校に通う女子高生だったんです。演技が未経験だったので、初めは心配もしていたのですが、リハーサルをしたら、この子はちょっとすごいんじゃないかと思うようになりました。僕だけじゃなくて、スタッフも。感覚が鋭くて、脚本に流れている“書かれていないテーマ”を簡単に読み取っちゃうんですね。考えて理解するというよりも、感覚的にわかってくれるので、やりやすかったですね。そして、どんどん変わっていくんです。こんなにひとつの作品で、女の子が変わっていくことってなかなかない。メイキングを撮っておけばよかったって思うくらいでした。



──実際に撮影はどのように行ったのですか。



撮影は4日間で撮りました。池之上さんが演技の経験がなかったので、ツメツメで撮るよりも、ゆったりと撮っていこうと。そして、どうお芝居をつけていくかというよりも、いかに彼女の素の魅力を出していくかというだけを考えましたね。“素の自分を出す”ということが、そのまま作品のテーマにもつながっています。撮影もカメラマンの関さんが、手持ちカメラで撮りたいと提案して、手持ちで撮ってるんです。それはリアルに見せたいというよりも、彼女の感じている世界というものをいかに撮っていくか、それが課題でした。例えば、彼女が道を歩いているとき、どのくらいの景色を感じているのか。その瞬間瞬間で、彼女が感じている世界を描こうと思いました。そういう世界を捉えるには、フィックスで捉えるよりも、より流動的な手持ちカメラの方が彼女の世界を映しやすいということで、手持ちカメラで撮りました。



──芹澤興人さんが演じている“怖いけど、いいおじさん”は、最近ではあまり見かけなくなりましたが、実際にモデルになったような人は、当時いたのでしょうか。



いましたね。よく怒られました。中学の頃、不良っぽい時期があって、木刀を持ってケンカしに行ったり、商店街をふらふらしてたら、「何やってんだ」って知らないおじさんに止められて怒られたりっていうのはしょっちゅうで。

万引きでは、水鉄砲の箱を抱えて歩く自分の姿を、近所のおばさんに見られていて、母親にばれて叱られて、後で店にお金を払いに行きました。親も厳しかったんですよ。万引きが見つかって、頭を坊主にさせられたりとか。そういうことばかりだったので、地元での上映会に来てくれた母親は、泣いちゃってましたね。



地元地域への

複雑な想い




──生まれてから、ずっと墨田区在住ですか?



20歳まではずっと墨田区です。その後、別のところに住んだこともありますが、戻ってきてしまいましたね。特に地元愛が強いとか、「地元に住むんだ」という意識はありませんが、最近は、地元がスカイツリーで一躍脚光を浴びて、初めて自分の住んでいる地域を客観的に考えるようになりましたね。

だって、墨田区京島なんて、これまでまったく見向きもされなかった場所なんですよ、本当に。何が有名かって、地震が来たら真っ先に潰れる町だとか、それくらいなんで(苦笑)。だから、これほどメディアで取り上げられるほど、たいした場所じゃないのに、という違和感はあります。これほど何もないところが注目されて、やれ、下町は素晴らしいだのっていうのも、どうなんだろうと思ったり。上手く言えないんですけど、複雑な感情もあります。けれど、ロケ地としては最高ですよ。古い建物が多いし、墨田区ならではの工場の音や雑多な雰囲気が残っている。人間関係を撮るにしても、雑多な雰囲気がある場所の方が映画には映えるし、描きやすい。東京で一番いいロケーションだと思います。



──新作の短編『きたなくて、めんどうくさい、あなたに』は墨田区のご実家で撮られたと聞きました。MOOSIC LAB 2012の企画として撮られたこの作品は技術賞と女優賞をW授賞されました。



大みそかに実家に帰ってきた女が、昔大恋愛して今は子持ちになった男と情事に至ってしまうという話を、16ミリでワンカットで撮りました。

僕にはフィルムに対する憧れや、“フィルム幻想論”みたいなものが、昔からあるんですね。でも今フィルムがなくなってしまう過渡期にいて、おそらく今後フィルムでは作品は作れない。無くなっていくフィルムへの想いを、昔の男に寄せる女の主人公の想いにかけて撮りました。11分という尺は、16ミリで撮影した時に、ワンロールで撮れる限界の尺です。11分のフィルムをワンカットで使いきることで、フィルムへのオマージュにしました。僕のフィルムへの鎮魂歌ですから、とても感傷的な作品になっていると思います。



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『きたなくて、めんどうくさい、あなたに』より


──そこには墨田区という地元への感傷も含まれているのでしょうか。



スカイツリーの景色も一緒に映しているのですが、スカイツリーと町の在り方も考えているんですよね。新しい建築が出来ると同時に、古い実景もある。古い街並みが失われている訳じゃないけれど、どういう風に新旧のものが、一緒に生きて行くのかということ。そこで、フィルムとデジタルがどう生き残っていくかということも読み取ってもらえると嬉しい、そういう想いも込めています。実際、そこまで読み取ってもらうのは難しいのですけど、それも絡めて表現できたらなと思って作りました。





自分がその場所に

根ざせているのか



──吉田監督にとって、「地元で映画を撮る」とはどういうことですか?



いわゆる「地元大好き!」みたいな地元愛は、少し気持ち悪いと思っていて。ただ、最近よく思うのですが、たとえば子供がいるとすると、子供は必然的に親が住んでいる場所で生きることになって、それが地元になる。言ってみれば、ただそれだけのことなんだと思うんです。ただそれだけのことなんだけど、それが全てだと思っていて。そこに意味はないと思うんですが、場所が作り出している自分というものが存在する。僕が地元で映画を撮りたいと思うのは、やはり自分の描こうとする世界が、自然と、自分が生きてきた場所というものと、一番フィットするからだと思うんですよね。それはもちろん自分自身が、地元という環境に、作り出されてきたからだと思うんです。

実は、昔から“地元に定住する”という考え方が、あまり好きではなかったのですが、最近は少し変わってきてるんです。これは子供がいることが影響としてかなり大きいと思うのですが、親である以上は、生きる場所として自分の根を張らねばならない。ただもちろん、自分はまだそんな大した根など、張れていません。僕が地元で映画を撮るときは、実際に自分がそこに根ざせているのかを、再確認しているのかもしれませんね。




(インタビュー・文・写真:鈴木沓子)









吉田浩太 プロフィール


1978年生まれ、東京都出身。早稲田大学在学中の2002年より、ENBUゼミナール映画監督コースで篠原哲雄監督、豊島圭介監督に師事。ENBUゼミ在籍中に、初監督した自主映画『落花生』が、早稲田映画祭準グランプリを受賞。2004年に映像制作会社シャイカーに入社、テレビドラマやDVDオリジナル作品の演出・脚本、メイキング映像演出などを手がける。2008年に若年性脳梗塞により入院。1年の療養生活とリハビリを経て復帰。代表作に、『お姉ちゃん、弟といく』(2006)、『ユリ子のアロマ』(2010)、『墨田区京島3丁目』(2011)、『ソーローなんてくだらない』(2011)、新作『きたなくて、めんどうくさい、あなたに』(2012)ほか。










『きたなくて、めんどうくさい、あなたに』


スカイツリーの見える墨田区の元日を、1人寂しく迎えるヒロインは、かつて激しい恋に落ちた家庭教師の男と偶然遭遇してしまう──。男女の性とそこに寄り添う音楽を16mmフィルムの限界である11分ワンカット撮影で綴る。


監督・脚本:吉田浩太

音楽・出演:松本章&小宮一葉

出演:広澤草、山中崇

撮影:関将史

録音:島津未来介

企画:MOOSIC LAB 2012

(2012年/カラー/16mm→HD/11分)



『墨田区京島3丁目』


人情ある下町で、万引きという事件を通じて、一人の女子高生が成長する軌跡を描いた青春映画。東京の下町・墨田区京島に住む、女子高生の生方さち。地元の商店街の雑貨店に立ち寄った際に、友人の間で噂になっている流行の化粧品を発見。入手困難である化粧品を手に取って眺めているうちに、衝動のまま、商品を万引きしてしまう。動揺を抑えながら、店を出ようとするさち。しかし、そこへ店主が現れてしまい──。


脚本・編集・監督:吉田浩太

出演:池之上真菜、芹澤興人、川田希、吉田優華

音楽:池永正二(あらかじめ決められた恋人たちへ)

撮影:関将史

録音:島津未来介

プロデュース:橘館実行委員会

(2011年/カラー/HD-CAM/30分)










『オールモスト・フェイマス-未配給映画探訪』連動企画

〈商店街とインディーズ映画の現在〉

新作『きたなくて、めんどうくさい、あなたに』、『墨田区京島3丁目』上映!



日時:2012年4月30日(祝・月)

会場:渋谷アップリンク・ファクトリー


(東京都渋谷区宇田川町37-18 トツネビル1F tel.03-6825-5502)[googlemaps:東京都渋谷区宇田川町37-18]

料金:各部1,500円(入れ替え制)/通し券(一部、二部)2,300円

【第一部】14:45開場/15:00開演

『墨田区京島3丁目』

監督:吉田浩太

(橘館実行委員会 2010)

『きたなくて、めんどうくさい、あなたに』

監督:吉田浩太

(MOOSIC LAB 2012)

『しゃったぁず・4』

監督:畑中大輔

(大地の芸術祭・越後妻有アートトリエンナーレ2009 正式出展作品)

★上映後、吉田浩太監督、畑中大輔監督によるトークあり

【第二部】18:15開場/18:30開演

『街のひかり 深谷シネマ物語』

監督:飯塚俊男

(映画美学校 ドキュメンタリー・コース高等科コラボレーション作品 2010)

『ネギマン』(第1話、第2話)

監督:赤井孝美

(米子映画事変実行委員会)

★上映後、飯塚俊男監督、赤井孝美監督によるトークあり

イベントの詳細・ご予約は下記より

http://www.uplink.co.jp/factory/log/004419.php












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クラウドファンドで自主配給を成功させるには http://www.webdice.jp/dice/detail/3459/ Thu, 22 Mar 2012 15:01:14 +0100
『シーソー seesaw』より


イランの巨匠アッバス・キアロスタミが、新作『THE END』を日本で撮影するため資金を募ったことで、一躍脚光を浴びたクラウドファンディング。インターネット上のサイトで広く一般から出資金を募るクラウドファンディングは、アメリカでは広く根づいているものの、日本の知名度はまだそれほど高くはなかったが、キアロスタミは既に日本のクラウドファンディング史上最高額とも言われる440万円を調達している。現在、同じサイト「モーション・ギャラリー」で、今年6月末からの劇場公開のための出資を呼びかけているのが、映画『シーソー seesaw』の完山京洪監督だ。

映画『シーソー seesaw』は、若い恋人の揺れ動く繊細な心象風景を、手持ちカメラでリアルに描いた恋愛映画。2010年SKIPシティ国際Dシネマ映画祭でSKIシティアワードを受賞、その後もハワイ国際映画祭の長編コンペティション部門にノミネートされるなど、国内外で高い評価を得たものの、日本国内の配給のハードルは高く、自ら立ち上げた制作会社ヴェスヴィアスで自主配給を決意した。その完山監督とヴェスヴィアス代表の山本兵衛さんに初めての自主配給と、資金調達法としてのクラウドファンディングについて、話を聞いた。



昔から劇場は文化のムーブメントが生まれる場所だった




──完全自主配給を目指して、今回初めてクラウドファンディングを使ったと聞きましたが、いかがでしたか?






完山:いやぁ、正直、難しかったですね。まず、寄付が出来る年配層の方ほど、インターネットの利用度が低いんです。このギャップが難しい。文化的なアンテナを張って、ソーシャルネットワークサービスに参加したいと思っている人ほど年齢層が若いですからね。まずモーションギャラリーでアカウントを登録します。クレジットカード決済でペイパルに登録する必要もあるので、そこで参加者がかなり限定されてしまいます。PCのメールアドレスで登録もできますが、日本では、まだまだ携帯メールが中心なんだなあと思いましたね。



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『シーソー seesaw』の完山監督





──とはいえ、スタートから3ヵ月たった3月10日時点で、当初の目標金額である50万円は達成されました。なかなか健闘されたと言えるのではないかと思いますが、アメリカに比べるとまだまだ、ということなのでしょうか。





山本:文化の違いが大きいと思います。1月にロッテルダム国際映画祭に行った時、アメリカでクラウドファンディングサイト〈キックスターター〉を立ち上げた人と会ったのですが、出資者が53万人、45億ドルが集まったようです。規模が違いますよね。でもヨーロッパや他の国の人に聞いたら、「それはアメリカでしか成立しないだろう」という声もありました。“面白そうだからお金出して参加しよう”という感覚が根付いているんでしょうね。




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ヴェスヴィアス代表の山本兵衛さん


完山:キックスターターでは企画を立ち上げた瞬間に、出資金が入ります。そして、自分のアカウントのプロフィールには、自分がどんなプロジェクトにいくら投資したのかがわかるようになっている。それが一種のステイタスだったり、その人のブランディングにつながる文化背景や基盤がちゃんとあるんですね。




──SNSで言うところの「コミュニティ」のようなものですか。



完山:そう、この人はどんな文化に興味を持っていて、どんなセンスがあって、どんな活動をしているというのが一目瞭然にわかる。それも全部実名で行うので、ネットで文化的コミュニケーションを作るベースがあるんですよ。日本では、キアロスアミのファンディングだって、出資金の目標額を達成した後になってから、かなりの金額が入ってきている。つまり、日本人は、多くの人が始めていないことには、リスクを感じるんでしょうね。
でも僕らも沢山の方々のおかげで達成することが出来た。「みんながやっているからやってみようか」という文化はあるということ。目標達成されているようだし、やってみようかという感じ。あとは税制優遇だとか海外のロケ地の優遇の面など、国の政策面も大きいのかもしれませんけどね。



──今年から日本も少しは状況が変わるようですね。



完山:震災の影響でだいぶ変わりましたよね。NPO法人に対する制度も変わって作りやすくなったし、寄付金に対する規制も緩やかになった。今回はじめて自主配給して、はじめてクラウドファンディングを使ってみましたが、最終的に製作から配給まで全部自分でやりたいわけじゃないんです。ただ、今は誰もやってくれる人がいないから、自分たちでやるしかない。そうやって新しい可能性を提示していく。それが僕らにとってみたら、すごく意味があることなんです。



──ファンドチケットの内容も斬新でしたよね。3万円チケットは劇場鑑賞券のほか、キャストが3時間悩み相談を聞いてくれるとか。これは映画のコンセプトにも絡んでいるのでしょうか。



完山:いえ、そこまでは考えていませんでした(笑)。ただ単純に作品のファンを作りたかった。実際に会えば、みんな絶対キャストらを好きになるはずなんです(笑)。それに、これってメジャーの映画じゃできない。インディーズだからこそのプレミア感ですね。それから、映画館がコミュニケーションする場になれればいいなと思っています。昔は、芸術家が集う場所あって、そこから文化のムーブメントが生まれた。ミニシアターって、もともとそんな場所だったんだと思うんです。そこに戻るのが、これからの映画館の在り方じゃないのかなと思います。今はもう、映画はオンディマンドで観れてしまう時代ですから。





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『シーソー seesaw』より



“出資金を募る側の責任”とは




──やはり劇場公開が最終目的ですか。



完山:それが最終目的ではないですね。そこは初期の段階で、スタッフとかなりもめたところです。はじめに僕が、「無料でいいから、作品を全部youtubeで完全公開しよう」なんて言って(苦笑)。



山本:という、監督の想いとは別に(笑)、作品を広めるためには、劇場公開は重要だと思っています。せっかく作品を作ったのだから、多くの人に観てほしいし、会社も立ち上げたので、観てもらってナンボというのがありますね。会社として実績を積むには、劇場公開は通らなければならない道です。だから、この作品で配給までやってみようというのは、とても意義があることだと思っています。今回アートディレクターの菱川勢一さんとコラボレーションしたり、アパレル会社とコラボレーションしたりということが出来たのも、やっぱり自主配給したからなんですよ。映画業界は色々な側面において基本的に保守的な業界だと感じます。



完山:映画を作り続けるためには、結局は製作費をどう集めるかがネック。でも、お金を集める方法って、実はもっともっとたくさんあると思っているんですよ、プロダクトプレースメントとか。現代アートはうまくやってるじゃないですか。映画にできないわけがない。劇場公開と同時に製作費をカバーできる方法もある。それは、前売り券をネット販売することだと思っています。



山本:3月10日に、当初の目標金額である50万円は達成したのですが、その後も期間延長させてもらって、サポートを呼びかけています。それと同時に、クラウドファンディングのページで前売り券を販売する形で、「モーション・ギャラリー」の運営側にも了承を得たところです。一般的に、劇場公開から宣伝まで含めると、最低限200万~250万円かかると言われていて、まだまだ資金が足りません。クラウドファンディングと並行して、個人スポンサーを集めたりしています。




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『シーソー seesaw』より




──ファンディングを始めた当初、必要資金額を下回る50万円という金額を設定したのはなぜですか?



山本:目標金額を集められなかったら、作品の価値を落としかねないことになるのを懸念したからです。初めての試みだったし、確実に自分達で収集できる金額でやってみようかという感じでした 。モーション・ギャラリーは違いますが、クラウドファンディングの中には、内容の審査があったり、目標金額を達成できなければ、出資金を得られないファンドもあると聞いています。でも、出資金を募る以上、募る側もそれくらい真剣に取り組まないといけないと思う。「クラウドファンディング」という制度の信頼性も落してしまうことにつながるからです。出資金を募ったものの、目標だったプロジェクト自体が立ち上がらなければ、参加者はいなくなってしまいます。ファンドを募るにしても責任を持たなくては。





日本が確実に負けているのは、外に出る意識が少なすぎること



──完山監督は、もともと俳優だったそうですが、本作を撮ったきっかけは?



完山:ずっと良い映画に関わりたくて、自主映画の俳優から始めましたが、俳優やっている時から、会社を作るとか、オリジナル作品を作れる環境や土壌を作りたいなと思ってて、脚本のワークショップを開催したりしながら、ずっと会社起こすメンバーを探してた。山本さんみたいに、グローバルに世界に通じるような仕事が出来る人と出会ったので、ようやく制作会社ヴェスヴィアスを設立して、スタートすることができました。僕も高校時代にブラジルに留学していて、映画を通じて、世界と繋がりたいと思っていましたから。



──では、今後、海外との合作も考えていますか?



山本:そこは探っていますね。海外の映画祭に行くと、日本はまだお金があるといい勘違いをしてくれている人が結構いるんです(笑)もちろん日本の文化そのものに興味を持ってくれている人も多い。でも、日本は合作協定を結んでいないというので、最終的には躊躇されるパターンが多いのが現状ですが、いつか実現できたらと思います。



完山:日本が韓国に確実に負けているのは、外に出るという意識が少なすぎること。でもこれからは、韓国みたいに外に出て、外からお金を取ってくるしかないと思っています。



──では、映画『シーソー seesaw』が海外の映画祭で評価されたのは、自信につながりましたか。



完山:そうですね。作品自体は、東京を舞台にした若者の気持ちの揺れや喪失感とか、すごく小さな物語ですが、外国の方にも通じるんだと思ったのが、嬉しかったですね。はじめは短編映画で、10ページくらいだった脚本を撮影の西田君が気に入ってくれて、そこから何度か書き直して長編になった。即興のリハーサルを繰り返して、それを脚本に取り入れてっていうことを繰り返して撮って完成しました。人の力が加わると作品として昇華されるということも嬉しかったです



──国内劇場公開に向けてのお気持ちは?


完山:『シーソー seesaw』が沢山の人を繋げてくれている。この輪を日本全国に拡げたい。


山本:幅広い観客の方に、ぜひ見ていただきたい作品です。よろしくお願い致します。




(インタビュー・文:鈴木沓子)









完山京洪 プロフィール


1978年生まれ。大阪府出身。主演作にトム・ピアソン監督作『Turkey boy』など。2006年からシナリオ勉強会<カンキャク会>を主宰。英語、ポルトガル語を話す。 製作と脚本を兼ねた初長編監督作品『seesaw』 (10)が、SKIPシティ国際Dシネマ映画祭にてSKIPシティアワードを受賞。ハワイ国際映画祭、ウィーン国際映画祭など、世界の10の国際映画祭に招待された。また2010年度の東京フィルメックス主催の人材育成プロジェクト<ネクストマスターズ>のアジアの若手監督20名に選出され、侯孝賢監督ら の指導を受け、長編企画『プリンをかき混ぜるように (仮)』がプレゼンテーションされた。2011年に制作会社ヴェスヴィアスを設立。第一作目として監督・脚本を担当した『救命士』が完成。




山本兵衛 プロフィール


米マサチューセッツ州の高校を卒業後、ニューヨーク大学Tisch School of the Artsにて映画製作を学ぶ。監督、脚本、プロデュースした卒業作品『A Glance Apart』がニューヨークエキスポ短編映画祭にて最優秀フィクション賞を受賞。アメリカの配給会社 Kino Internationalにて4年間マネージャーを務めた後、映画『シャンハイ (Shanghai)』などに現場通訳として参加しながら、監督/プロデューサー/脚本家として活動。短編4作目『わたしが沈黙するとき』は、パリシネマ、サンパウロ国際短編映画祭などはじめ、15以上の世界の映画祭で上映 されている。2011年に制作会社ヴェスヴィアスを設立、完山氏とともに会社の代表を務めている。












映画『シーソー seesaw』

6月30日(土)から渋谷ヒューマントラストシネマで、レイトショー上映予定



本作のクラウドファンディングは、モーション・ギャラリーのリンクを参照とのこと。

http://motion-gallery.net/projects/8




出演:村上真希、完山京洪、SoRA、岡慶悟
 
監督・脚本・製作:完山京洪

撮影・編集・製作:西田瑞樹

アシスタントプロデューサー:中村貴一朗

音楽:hidekatsu、TRACK MAGIC

配給・宣伝:ヴェスヴィアス
 
©Cinepazoo & Helpless Lunch

http://seesaw-movie.jp/




▼映画『seesaw』予告編



[youtube:gpVt8RBu9ms]

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男性監督には描けない“女の本音”が凝縮「桃まつり」 http://www.webdice.jp/dice/detail/3417/ Mon, 13 Feb 2012 17:44:51 +0100
星崎久美子『さめざめ』より



知っていましたか?女性監督による短編映画祭「桃まつり」は、毎年選ばれた監督が、それぞれテーマに沿った作品を自主制作する、撮りおろしだったことを。今回のテーマは“すき”で、選出された参加監督9名が、それぞれ約半年かけて30分ほどの作品を制作した。そのテーマの切り口や手法は多種多様で、新作撮りおろしとは思えない完成度の高さに驚く。作品を撮るにあたって、特に女性というアイディンティティを意識した監督は少ないようだが、今年の9作品からは、男性監督作品ではまず見られないストレートな“女性の本音”があり、その複雑で奥深い女性像が浮かび上がってくる作品ばかりだ。監督の年齢は20代から40代、映画業界者や会社員、学生、主婦とさまざまで、今年は初の外国人監督が参戦しているのも見どころ。公開まで1ヵ月を控えた2月上旬、上映会場であるユーロスペースにおじゃまして、座談会形式で話を聞いた。バレンタインの今日、新進女性監督のさまざまな“すき”を感じてください。




「震災後も故郷を離れられないという郷土愛がテーマ」(竹本)



──今年のテーマは“すき”ですが、恋愛からヤクザ映画までと、その多彩さに驚きました。皆さん、それぞれどういうアプローチを試みようと思ったのか教えてください。



小森はるか:昨年は震災があって、自分もその渦中に居る中で、映画や音楽とか、それまで好きだったことが、全部一回どうでもよくなってしまった。でも生活を立て直していく上で、自分の好きなものを再認識して取り戻ししていく作業が大切で、その過程の中で、何か大きなものを知るという経験をしました。それを描きたかったです。



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小森はるか『the place named』より



竹本直美:私は郷土愛。地域で生きるということですね。震災後、被災地の人から、帰りたいけど帰れないということをよく聞いたんですね。母親と祖母は東北出身で、東京で暮らさないかと言ったのですけど、「私たちはここで生まれて育ってきたから、ここを離れられない」と。それを郷土愛と呼ぶのかどうかわからないですけど、それをテーマに作品を描けないかなと思いました。




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竹本直美『帰り道』より


熊谷まどか:ステファニー監督の作品(『春まで十日間』)もそうですよね。そのあたりを、すごく誠実に切実に切り取って描いていると思う。外国人の人が見ると、こうなんだなって思った。

私ははじめに“すき”というお題を聞いた時、「“隙”とか“スキー”とかじゃだめですか?」と聞いたのですけど、主催者からダメだと言われたので(笑)まじめに“すき”という感情を描いてみようと思った。相手があって描くことは簡単だけど、あえて一人の胸の内の“すき”を描こうと。そこで思い出したのは、以前、飼っていた犬が死んでしまった後、ある日映画館に入ったら、その犬と同じ匂いが漂ってきて、すごく懐かしくて愛おしい気持ちや記憶がこみ上げてきたこと。隣の席でおじさんが靴を脱いでいたからだったのですけど。でも、それを映画でやってみたくて、そこからがっつりドラマを作ろうと思いました。



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熊谷まどか『最後のタンゴ』より



星崎久美子:私は言葉でコミュニケーションをとるのが下手だから、これまで、そういう主人公が出てくる作品ばかりで。一度ピンク映画の脚本を描いているときも、タイ語でわからないように言いたくても言えないエロい台詞を言うシーンを作ったくらい。今回は、素直な主人公を描きたかったんですけど。(一同笑)でも終わってしまう関係ではなく、続いていく関係を描きたいと思いました。




上原三由樹:私は、“すき”という気持ちは純粋でも、その人の年齢や立場と対象物によって、それが“気持ち悪いもの”になってしまうことがあることを撮ろうと思った。主人公の中では純粋な気持ちのまま成立していると思うのですけど、周りはそうは思わない、そういう複雑な状況を描けたらいいなと思いました。



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上原三由樹『口腔盗聴器』より


名倉愛:私も始めは恋愛モノを考えたのですけど、途中で違うと思ってやめて、自分自身は何が好きなのかを考え直しました。男同士の熱い友情が好きだから、それでいこうと。初監督作品でちょっと無謀かなぁと思いました。でも、血しぶきのカットも、『椿三十郎』では血しぶきを3メートル飛ばしたと聞いたので、1.5メートルはやろうと思って(笑)。



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名倉愛『SAI-KAI』より


「映画の存在意義は、現実を忘れさせる力」(熊谷)



竹本:みんな作品に自分が出ちゃってますよね。熊谷さんの『最後のタンゴ』は、主人公が熊谷さんにしか見えないし、名倉さんの『SAI-KAI』の主人公は男性だけど、名倉さんにしか見えない(笑)。



熊谷:星崎さんも『さめざめ』の主人公みたいな台詞、言ってるんだろうなって思った(笑)。



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天野千尋『フィガロの告白』より



上原:私は(自分が投影されているのは)お母さん役ですね(『口腔盗聴器』)。昔の姥捨て山じゃないけど、女性って子どもを産む役割が終わったら不要なものという部分があるじゃないですか。今の時代は、私も含めて30代で子どもを産んでいない女性は多くなったけれど、やっぱりどこかでそういうものを感じる。子どもがいても、自分の娘は若くてどんどんきれいになっていく。女としてのその後や、つらさとか孤独感みたいなものを描きたかったんです。



熊谷:そういう価値観って実は住み分けがあって、私の周りは“類が友を呼ぶ”で、同じような価値観の人ばかり集まっているから何の不安もなかった。でも、インターネット掲示板を見ていて驚いたのは、「35歳の女子なんて何の値打ちもない」と言う価値観や、若さや年齢が“スペック”と呼ばれていることにびっくりして。



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ステファニー・コルク『春まで十日間』より



名倉:私もまだ若いと思っているけど、世間的には全然若くないんだなって(笑)。女一人で男性スタッフの中にいると、「誰々が劣化した」なんて話をしていて、急に怖くなったり。でも、(歳をとることは)そんなの、仕方がないじゃないですか!



熊谷:(上原監督に)もう、そういう危機感を感じてるの?



上原:私もそうなっていくんだろうなって想像しますね。映画を撮るようになって変わったのが化粧品。忙しいから肌は荒れるし、でも稼いだお金は全部映画製作につぎ込んでるから、以前みたいにブランド化粧品は買えない。洋服も安物ばかり。平均的な同世代の女性がするおしゃれはできなくなりましたね。



竹本:わかる。どんどん化粧品のランクが落ちて行くよね(苦笑)。



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佐藤麻衣子『LATE SHOW』より


小森:やっぱり、(映画を)作り続けて行くのは大変ですか?



熊谷:作り続けて行く以上、お客さんに届けなければいけないから、ちゃんと経済活動に組み込める企画じゃないとだめだなあと思う。回収できない自主制作は続けていくのが難しいから。



──それでも映画という手法にこだわるのはなぜですか?



熊谷:それこそ震災の時、ミュージシャンの方が被災地に行ったじゃないですか。演奏が始まれば、観客もリズムを取ったりして熱くなれるし、音楽は表現として、すごくプリミティヴに伝わりますよね。それに比べて映画って、人もお金も時間もかかるし、まどろっこしい。映画ってなんだろうって、ずっと考えていますね。でも緻密に考えられた物語は、それだけで現実を忘れさせる力がある。だから、それに耐えうる作品を作らなければ映画の存在意義はないなと思っている。私自身、小さい頃読書をしている間は、確実に現実から逃れられた。だから、これまで生きのびられたところがあって、その間にいろいろやっているうちに、映画に辿りついたことが大きいですね。



小森:私は、ちゃんと映画というものを意識して作れているかわかりません。でも、あれだけ長い間、みんなで同じスクリーンに映るものを観ていることが、すごいことだなと思って。作り手が覚悟して作ったものを、みんなが覚悟して観る対等さや、そこで成立する関係が面白いと思っています。だから自分が作品を作ることで、そこに関わっていたい。



上原:私はもともとシナリオライターで、頭の中に描いている絵を目の前のシナリオに落としていくという作業が面白くて、これまで作品を書いてきました。そして、そのシナリオに落としたものを、さらに実際の絵で観てみたいっていう気持ちが大きい。(映画監督には)そういう気持ちは、誰にでもあるんじゃないのかな。もし、私のことを100%理解してくれる監督がいれば任せたい気持ちもあるけど、今は、自分が監督で作った方が早いと思って撮っていますね。



竹本:映画の魅力は、自分ひとりじゃ作れないところですね。私もコミュニケーションが下手で、自分の映画は、いつも台詞が極端に少ないんです。でも映画では、多くの人と関わって、ひとつの作品作るという制作自体が、何ものにも代えられないと思います。





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右から、小森はるか、上原三由樹、熊谷まどか、星崎久美子、名倉愛







座談会中、ところどころガールズトークが入りつつも、各監督から「映画を撮る」ことへのまっすぐな思いが伝わってきた今回の座談会。

最後に主催者の一人であるプロデューサーの大野敦子さんに話を聞くと、「桃まつりは、コンペではありませんが、監督の緊張感はそれ以上だと思いますよ。入賞しなければ上映されないコンペと違って、桃まつりは参加を決定したら、どんな作品が撮れるかわからなくても、上映自体がすでに決まっている訳ですから。そして同じテーマで作品を撮るということは観客に比較されるということが避けられない。参加監督はみんな仲が良いですが、同時によきライバルなんです」とのこと。

しかし“上映準備を始めた段階で、どんな作品が出来上がるのかわからない”というのは主催者側にとってもリスクが高いのではないだろうか。

「毎年主催者側で、今年はこの監督にぜひ頼みたいという人を選出して、その年のテーマに沿って作品を作ってもらいます。私は劇場で上映される以上、自主映画であってもお金をいただける作品にすべきという意識があるので、プロットの時点で、意見交換をしたり、仕上げ段階でやり直しをお願いすることもあります」と言う。2007年に始まった自主映画祭が静かに人気を博して続いてきたのも、こうした行程があるからだろう。

現在でも、制作から上映まで監督やスタッフの手弁当で行っている桃まつり。作り手の純度が高い“完全セルフプロデュース作品”ということで、毎年楽しみにしているファンも多い。「桃まつり」では現在スタッフや参加希望監督も広く受付けしている。興味のある方は、公式ホームページからメールを送付のこと。



(インタビュー・写真・文:鈴木沓子)










竹本直美


1970年生まれ。山形県出身。映画美学校第二期卒業。在学中『夜の足跡』(01/万田邦敏)に製作助手として参加。2006年、万田邦敏監督とともに映画上映会「十善戒」を主催。2007年「桃まつり」で『明日のかえり路』を初監督、08年『あしたのむこうがわ』、09年『地蔵ノ辻』、10年『迷い家(マヨイガ)』を「桃まつり」で続けて発表する。



天野千尋


1982年生まれ。約5年の会社勤務を経て、映画制作を開始。ENBUゼミナール卒業制作『さよならマフラー』(09)がCO2などの映画祭で上映され、『賽ヲナゲロ』(09)はPFF入選、『チョッキン堪忍袋』(11)はPFF、TAMA NEW WAVEなど複数の映画祭に入選した他、田辺・弁慶映画祭にて特別審査員賞。ハンブルグ日本映画祭にて上映される。



小森はるか


1989年、静岡県出身。映画美学校12期フィクション初等科修了。東京芸術大学美術学部先端芸術表現科卒業、同大学院在籍。映画、映像作品を制作。主な作品に、映画美学校修了制作『oldmaid』(09)。『彼女と彼女たちの部屋』(09)がイメージ・フォーラムフェスティバル2010にて上映。現在は東北で、震災の記録活動を行っている。



ステファニー・コルク


1986年、オランダ出身。高校二年生の時に日本にホームステイしてから日本に強い興味をもち、物理生物・天文学専攻で一年間京都大学に留学。オランダの大学院を卒業してから映画を撮り始める決意をして半年たった今。 初監督の短編映画『OUT』はオランダ映画祭にて上映。ロッテルダム映画祭やカメラジャパン映画祭などで通訳も行っている。



上原三由樹


静岡県伊東市出身。伊参スタジオ映画祭シナリオ大賞短編大賞受賞『ひょうたんから粉』(2008)。同作品にて、清水映画祭(2010)監督賞受賞。福井映画祭(2010)、中之島映画祭(2011)にて入賞。『企画オムニバス映画 ISM』参加『初キス』(2010)。同作品にて第1回映画太郎に参加。2012年は桃まつり参加に加え、脚本参加作品が4作公開予定となっている。



熊谷まどか


04年NCWにて自主制作映画を作り始める。おもな作品歴として05年『ロールキャベツの作り方』、06年『はっこう』(PFF2006グランプリ)、09年『嘘つき女の明けない夜明け』(文化庁委託事業ndjcにて制作)、10年『古都奇譚・秋』など。現在はPV・メイキング・TVなども手がける。



星崎久美子


1981年、神奈川県出身。 青山学院大学卒業後、TVCM制作会社へ勤務。 会社勤めのかたわら映像制作を開始。 『おぼろげに』(05)が東京ビデオフェスティバル2006にて優秀賞受賞。 『茜さす部屋』(08)が第9回TAMA NEW WAVEにてクリーク・アンド・リバー社賞を受賞し、その後、渋谷UPLINKにて劇場公開。その他の作品に、『踊りませんか次の駅まで』(05)、『うつせみ』(06)、『夜のタイ語教室 いくまで、我慢して』(09、脚本のみ)など。



佐藤麻衣子


1978年、大阪府出身。京都外国語大学外国語学部英米語学科卒業。在学中より映像制作を試みる。卒業後、映画史と映画制作を学ぶため、大阪の上映室にて映写・翻訳などの運営、短編制作を続け現在に至る。最近作『ポンの氾濫』 (09) が調布映画祭にて入選。『かぞくのひけつ』 (07/小林聖太郎)、『ペデストリアンデッキの対話(仮称)』 (公開待機中/唐津正樹) などにスタッフとして参加。



名倉 愛


1976年、静岡県出身。映画美学校フィクションコース9期修了。自主映画を中心に、制作部として活動。本作が初監督となる。参加作品:『こんなに暗い夜』(09/小出豊)、『失はれる物語』(09/金子雅和)、『海への扉』(10/大橋礼子)、『アナボウ』(10/常本琢招)、『絵のない夢』(11/長谷部大輔)、『へんげ』(11/大畑創)など。












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桃まつり presents すき

2012年3月17日(土)よりユーロスペースにてレイトショー




【壱のすき 2012年3月17日(土)~3月21日(水)】




『帰り道』

監督・脚本:竹本直美

15分/ 16:9/5.1ch/HDV



『フィガロの告白』

監督・脚本:天野千尋

22分/16:9/ステレオ/HDV



『the place named』

監督・脚本・撮影・編集:小森はるか

36分/16:9/ステレオ/BD




【弐のすき 2012年3月22日(木)~3月25日(日)】



『春まで十日間』

脚本・監督:ステファニー・コルク

13分/16:9/ステレオ/Full HD



『口腔盗聴器』

脚本・監督:上原三由樹

27分/16:9/5.1ch/HDV



『最後のタンゴ』

監督・脚本・編集:熊谷まどか

31分/ 16:9 /ステレオ/HDV




【参のすき 2012年3月26日(月)~3月30日(金)】



『さめざめ』 

監督・脚本・編集:星崎久美子

29分/ 16:9 /ステレオ/HD



『LATE SHOW』

監督・脚本・編集:佐藤麻衣子

26分/16:9/ステレオ/HD



『SAI-KAI』

脚本・監督:名倉 愛

27分/16:9/ステレオ/HDV


桃まつり公式HP http://www.momomatsuri.com/











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実際の不条理な事件を元にしたアニメが伝える中国の閉塞感 http://www.webdice.jp/dice/detail/3397/ Thu, 19 Jan 2012 09:33:22 +0100
『ピアシングI』より



先月ポレポレ東中野で開催された『中国インディペンデント映画祭』。映画事業が政府の管理下にある中国では、独立系映画をとりまく環境は依然として厳しい。特に、近年は政府が民間の映画祭を中止させるなど、圧力が高まっている。そんな中、独立系映画の最新作を集めた同映画祭では、商業映画からは知ることのできない、生々しい「現代中国の現状」が浮かび上がった。その中でも、中国インディペンデント映画初の長編アニメーションとして話題を呼んだ『ピアシングI』の劉健(リュウ・ジェン)監督にインタビューした。



社会保障と道徳観の崩壊が

複雑に絡み合った事件




──作品のモチーフになった「彭宇(ポン・ユー)事件」は、どんな事件だったのでしょうか。



ある青年が、道でケガをしたおばあさんを病院に連れて行き、自ら治療費も出して助けたのですが、逆にそのおばあさんに「この男に突き倒された」と犯罪者扱いされて、訴えられたのです。その後、裁判所が下した判決は、その若者に賠償金を支払わせることを命じるというもので、賛否両論の激論を呼び、インターネットでは今も議論が続いています。映画の中では、主人公は警察官に殴られるだけですが、実際には、この青年は裁判にも負けるわけですから、(映画よりも)もっとひどい目にあっている。結局その青年は南京にはいられなくなって、別の街に引っ越して行きました。




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『ピアシングI』の劉健(リュウ・ジェン)監督



──中国では同じような事件が続いているようですね。なぜこの事件をもとに、アニメーション作品を作ろうと思ったのですか?



私が映画を作る上で大事にしていることは、芸術性と同時に、面白いストーリーがあり、皆で議論できるテーマがあるということ。映画にとって大事なことは、上映して皆に観てもらうことです。上映せずに、テーマや作品性について論じたり考えたりしているだけでは意味がない訳ですから、その2点を大事にしています。

私はこの作品を芸術作品として考えていますが、同時に、今考えるべきテーマである判断材料を提供したいと思った。この事件は、中国の道徳観に大きな影響を与えるもので、社会的な問題も複雑に絡み合っています。

しかし、あくまで映画ですから、エンターテイメントとして、ひとつの面白い物語を提供するという意味で、後半部分を作りました。



──前半は閉塞感がある都市社会を切々と描いていますが、後半からはブラックユーモアを交えた、スピーディで先が読めない展開へと一転しましたね。



この作品の前半は、実際に起きた事件をもとにリアリティにこだわって描き、後半部分はブラックユーモアを交えて、サスペンス風に仕上げました。後半は自分でも気に入っています。全体的に色調が暗いのは、視覚的な効果を狙いました。それから、この事件は中国北部で冬に起こった出来事だったので、その雰囲気や背景を出したかった。

風景は、実際に事件が起きた中国北部に行って写真を撮り、それをもとに描きました。この作品で伝えたかったのは、「中国の現状」なので、空想で描いてはいけないと思ったのです。



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『ピアシングI』より




──「ピアシング」というタイトルは、ピアスのように、自分を傷つけるという意味ですか。



この作品名に関してはいろいろな説明ができますが、直接的に体をつけるのではなく、もっと心理的な意味を含ませたかった。「I」としているのはシリーズ化して制作する予定だからです。



社会が生む善悪とは相対的なもの



──この作品に出てくる登場人物は、立場は違えど、全員が犯罪者です。でも、主人公は友人や故郷の母親を思っていたり、悪役である警官や社長も家族を心配しているように、誰もが誰かのために、犯罪に手を染めています。



この作品では、絶対的な悪や善を描いているのではありません。善や悪というものは、相対的なものなのだと思います。こうした事件は、ただのひとつの例にすぎない。今後も起きる可能性はあるし、実際に今も起こっているのだと思う。中国の急速な経済成長も、もちろん原因のひとつでしょう。お金を稼ぐことが第一の目的になったことで、人と社会との関係性は変わってきている。

この事件が今でも議論になっている理由は、健全な社会というのは、人と人とがお金や利害で結びつくのではなく、互いに興味関心を持ったり、助け合うことで結びつくものだと、多くの人が思っているからではないでしょうか。



──アニメーションを撮るようになったきっかけは?



私はもともと絵描きでした。仕事は、子供向けテレビ番組のアニメーション制作やコマーシャル制作をしていたので、そこから自主制作を始めました。また、日本のアニメーション監督、故・今敏監督の大ファンで、『東京ゴッドファーザーズ』を観て、ショックを受けました。同時に、細かい表現描写で私と通じるものがあると思った。ですから、昨年10月に北京で開催された『第一回インディペンデントアニメーション映画祭』で今敏賞を戴いた時は、本当に嬉しかったです。その時の審査員の一人であるプロデューサーの丸山正雄さんが、「もし今さんが生きていたら、この作品を選んだだろうと言ってくれました。それが私にとっては、とても美しい思い出で、天からの恵みのように感じました。

しかし、『ピアシングI』は、完全に自主制作で作ったので、制作に約3年もかかってしまいました。



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『ピアシングI』より


──制作する上で、こだわった点はどこですか。



中国の現状をリアルに描くという点です。特に、「声」にはこだわりました。実は、この作品の前に、プロの声優に頼んで作った作品があります。出来上がった作品を観て、私が求めていたものとは違うと思いました。この作品の声は、実際の生活や現状を伝えるものでなければならなかった。しかし、プロの声優さんの声には、過剰な演技が含まれているように感じました。

そこで、私は登場人物のキャラクターに近い声を持つ知人や家族を探して頼み、吹き込んでもらいました。でも主人公と、後半に登場する女性役だけは見つからなかったので、主人公は自分が、そして女性役は、この作品のプロデューサーでもある私の妻に頼みました。

みなさんには「なるべく、普段生活の中で喋っている感じを大切にしてほしい」とお願いしましたね。



──中国のミュージシャン左小祖咒が、音楽を担当していることも話題になりましたね。



ある日友達の家に行った時、彼の曲を聴いて、作品に非常に近いと感じました。すぐに連絡を取り、北京で彼に会って許可をもらいました。

彼も私も現代アートの世界にいたので、お互いに名前を知っていたため、順調に話は進みました。中国の今の音楽界において、とても重要な人物だと思っています。次回作でも、彼に音楽をお願いするつもりです。



──次回作について教えてください。



計画では、『ピアシング』は3部作になる予定です。2本目は今現在製作中で、未来の話になる予定です。制作の手法は完全に同じという訳ではありません。アプローチの方法は作品のテーマによって異なってくると思います。



──シリーズを通じて描きたいものは何ですか。



人と人、人と社会とのつながりを描きたい。一人一人の個人は問題ではない。でも社会というシステムの中で、その中で人と人とのつながりにおいて、さまざまな問題が生まれるのだと思っているからです。


(インタビュー・文:鈴木沓子)









劉健(リュウ・ジェン)監督 プロフィール



1969年、中国・江蘇省生まれ。南京芸術学院時代に中国画を専攻。その後アニメ製作を始め、フォン・シャオガンの『ハッピー・ヒューネラル』のアニメパートなどに参加。2007年から自らのスタジオを立ち上げ、映画製作に取り組んでいる。本作が初の長編作品で、2010年北京で開催された『第1回インディペンデント・アニメ映画祭』で大賞と今敏賞をダブル受賞。現在、『ピアシングII』にあたる『大学城』を制作中。









映画『ピアシングI』




スーパーでは万引き犯と間違われて暴行を受け、勤めていた工場は倒産、失意のうちに田舎に帰ることにした青年チャン。駅に向かう途中で交通事故を目撃、意識不明になった老婆を助ける。チャンは老婆を病院へと運び治療費も支払ったが、彼自身が事故を起こした犯人ではないかと疑われ、警察に連行されてしまう──。2006年、南京で実際に起こった「彭宇(ポン・ユー)事件」をもとに、権力による暴力や格差社会の現状、そして閉塞感に満ちた都市社会の片隅で、したたかに生きる人々を描く。昨年北京で開催された『第1回インディペンデント・アニメ映画祭』で大賞と今敏賞に輝いた。


監督:リュウ・ジェン

2009年/74分




▼映画『ピアシングI』予告編


[youtube:cPuFYovBpSE]
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独立系映画はどう戦うべきか? http://www.webdice.jp/dice/detail/3373/ Tue, 03 Jan 2012 00:49:45 +0100
渋谷アップリンク・ファクトリー『オールモスト・フェイマス』イベントに登壇した今井彰氏(右)、山川公平監督(左)


12月19日、渋谷アップリンクで開催された『オールモスト・フェイマス上映会―山川公平監督特集―』にスペシャルゲストとして来てくれたのは、ドキュメンタリー作家で元NHK『プロジェクトX~挑戦者たち~』のプロデューサー、今井彰氏。

もともと今井作品のファンだった山川監督。その山川監督の初監督作品『あんたの家』を観た今井氏が作品を絶賛、「ぜひ山川監督と話したい」との一言で実現したトークイベント。世代を超えて共鳴する2人が、映像制作を通じて見ている世界とは──?選ぶべきテーマから独立系映画の戦い方まで、予想以上に濃い内容になった上、イベント終了時には今井氏から観客の皆さんに、サプライズプレゼントもあり、映画館とは思えない盛り上がりを見せた今回のイベント。その全容を完全収録する。



人が生きていく、ということ



今井彰(以下、今井):まず、私が今日ここにいることから、ご説明しなければなりません。この上映会の主催者である鈴木沓子さんから、トークイベントのお話をいただいたのですが、私は現在長編の小説を書いていて、とても時間がなく、一度はお断り申し上げました。しかし、鈴木さんは非常に強引な方で(笑)、今度は『あんたの家』のDVDを家に送りつけてきたんですね。でもその作品を観て、「これは出席しなければいけない」と思いました。



山川公平(以下、山川):自分としては、こんな機会でもないとお願いすることすらできないかもしれないと思い、無理を承知で、今井さんにお願いしたいと思いました。一視聴者として『プロジェクトX』のファンでしたが、製作者側のことはまったく知らなかった。でも昨年、今井さんの著書である『ガラスの巨塔』を読んで、いろいろな事情がある中、番組を作り続けてこられたこと、その作り手側の熱を感じましたし、非常に勉強になりました。今日は来ていただいて、とても嬉しく思っています。本当にありがとうございます。



今井:こちらこそ。まず、私が『あんたの家』を観て思ったことを、お話させてください。いろいろな思いがめぐりましたが、ラストシーンは胸に突き刺さる思いがいたしました。最後に、サラ金がやってきて、おばちゃんは玄関まで、おっちゃんを布団ごと引っ張って行き、彼らと向き合うシーンがあります。ドアは開かれますが、サラ金の姿は見えない。しかし彼女は、今までのおどおどした態度ではなく、堂々と宣言をする訳です。それは、おそらく、「もう逃げない」ということ。そして、生きるということは、戦うことなのだということ。そして人間というものは、戦うことなしに、生きてはいけないのだということ。そういうことを教えてもらった気がしました。そして、その後のシーンで、おばちゃんが言いましたね。「私は明日から働くんだ」と。これがすごいと思いました。こういうシーンでは普通、「頑張るんだ」、「生きるんだ」という台詞を言わせることが多い。しかし「働く」と言ったんですね。生活の糧を得るんだと。それはつまり、人としての再生であったり、人間としての暮らしを取り戻すんだという、おばちゃんの宣言だと思った。

そして見終わった後は、人について思いました。人は、惨めで哀れで弱い。でも同時に、可愛くて強くてたくましいんだ、そういうメッセージを、この映画からもらったように思います。そういうことを皆さんにお伝えしたくて、今日はこの場に来ました。しかし、山川さん、どうなんですか?山川さんとしては、どういう思いでこの映画を撮られたのですか。この映画を通じて、みなさんに伝えたかったことは何ですか。



山川:自分はまだ作品について言葉にできていなくて、今井さんに言われて「本当にそうだなぁ」と思っているところです。(会場笑い)この作品では、「人が生きていく」ということを、その自分なりの感覚を、映像で撮りたかったんです。人が生きて行く時に、物資などは必要ですし、助けにはなりますが、人が生きるために必要な活力や希望は、必ずしも物理的なものからは、生まれません。ぎりぎりの場所に追い込まれた状況下で、そうしたものが生まれるさまを描きたかった。



今井:確かに、(老々介護などの)テーマを扱っているにも関わらず、全体のトーンが暗くない。陰々滅々とした映画ではなく、すごく明るい。この表現がいいのかわかりませんが、解放された気分で観ることができた。その映画の濃淡については、意識はされましたか?



山川:そうですね、それを意識することで、よりメッセージが鮮明に描けるんじゃないかと思っていました。



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『あんたの家』より


“上映時間”という罪



今井:もうひとつ思ったのは、上映時間です。44分でした。非常に潔ぎよいなと思いました。通常このようなテーマを扱って陥りがちなことは、悲惨さを強調しようとして長回しが始まる可能性があります。定点的に延々と撮る、ということですね。カメラを固定的に使って観察するように撮る。その結果として、下手をすると1時間半、2時間という尺の映画になる可能性があった。それを44分でスパッと仕上げてみせた。それは意識してのことなのか、結果としてそうなったのか、お伺いたいですね。



山川:意識しました。出来るだけ短く仕上げたかった。このドラマには、登場人物が4人しかいません。そして4人それぞれに人生がありますが、そこはなるべく描かないように、シンプルにしたいと思いました。あの老夫婦の話にしたかったからです。



今井:「時間」ということについて、私は長い間、こだわってきました。やはり作る人は、どのくらいの時間であれば、お客さんが許してくれるのかということを考えて、(映像作品を)作らなければいけないと思うんですね。それは「20分や30分ならいい」という実際の時間の問題ではなく、人様の時間、お客様の時間をいただく訳ですから、いい加減ではいけない。ですから、3時間の尺の映画なら、作り手がどうしても必要だという意識があるなら別ですが、逆に作り手が自信もないのに、延々と(尺を)伸ばすということは、それは、ひとつの罪だと思っています。日本ではあまりありませんが、海外ではディレクターズカットというのがありますよね。映画監督がプロデューサーとの編集権に負けて、自分の不本意なものを上映されたという、その恨みといいましょうか、思いをはらすために、作品史上主義という名目で上映されるのだと、ものの本に書かれていますが、本当にそうなのか、すごく疑ってしまう瞬間がある。


個別の映画名を上げて大変恐縮ですが、先日『U・ボート』という映画を見ました。皆さんもご存知だと思いますが、ドイツの有名な作品ですね。最初劇場で見たとき、ものすごく面白かった。2時間10分ほどでした。それがディレクターズカットを観たら、3時間29分になっていたんですね。もう、だらだらになっていた。観るに耐えないものになっていたんですね。その時に思ったのですが、「伝える」ということ、「思い」というものの意味を、間違えているんじゃないかと思った。私もディレクターであり、プロデューサーであるからわかるのですが、基本的に長いのが好きなんです、我々は。(会場笑い)自分の撮ったものを切られるのが、ものすごく嫌なんです。だから、放っておくと、2時間も3時間にもなってしまう。監督って、そういう人種なんです。その自分の我欲を捨てて、(この作品に)お客さんが許してくれる時間というのは、どこまでだろうということを、自分の中で悩み、苦しみ、せめぎあって、最終的に自分自身が決めなければならない。そういう意味で「時間」という概念は、非常に重要です。

ただ、今の日本の映画館のシステムですと、1時間半くらいでないと、なかなか劇場では上映してもらえない。でも、『あんたの家』のように、内容が良ければ、劇場で上映するべきなんじゃないか、そう思います。山川さんは「時間」について、どうお考えですか。



山川:そうですね。“1時間半や2時間という規定の尺に合わせて撮る”ということは、この作品では出来ないと思いました。例えば、冒頭で、おっちゃんとおばちゃんが、老人ホームの前を歩いていくというシーンを、当初考えていました。それは、「この老夫婦は、老人ホームにも入れない可哀そうな人たちなんですよ」という状況説明のひとつとしてです。でも、それは単純に“くどい”と思ったし、そのシーンを入れることで、現実の世界で老人ホームにいる人を、ある種、紋切り型のイメージで描いてしまうことになる。それに対してすごく嫌悪感を感じたので、撮影に入る前に、結局そのシーンは消しました。そういう画を入れることで、自分の言いたいメッセージが観客に伝わったとしても、そこまでしていいのか、そこまで自分は責任を持てないと思ったんです。尺を伸ばそうとすると、どうしてもそういうことが起きます。脇役のエピソードや、周囲の状況説明を入れる時に、自分はそこまで責任持って描けるのか、自問しました。そういうことの積み重ねで、自分が一番言いたいことを凝縮した結果、最終的に、この44分という尺になりました。



手探りだった演出法



今井:それから、私がこの作品で一番驚いたことをお尋ねしたいと思います。主演の「おばちゃん」に、すっかり魅せられてしまったのですが、あまり演技経験がない方を起用されたというのは、本当ですか?



山川:はい、そうなんです。“セカンドライフから役者を始めよう”という、年配の方を対象にした俳優のスクールがあって、その学校を出たばかりの方でした。もう、顔で決めました。(会場笑い)



今井:皆さんも驚きませんでした?すごいですよね、存在感が。普通、素人に近い方を役者として使うとなると、演技は別として、台詞で3つの問題が起こりますね。1つ目は、抑揚がない。一本調子になる。普段と同じ喋り方になりますね。2つ目に発声練習をしていないので、声が届きません。前に声が伸びない。3つ目に、滑舌が悪い。特にサ行とかカ行などが聞こえにくくなる。ところが、あの大阪のおばちゃんの声はビンビン響きましたね。なぜこんなに彼女の声は聞こえるのか、そしてどういう風に演技指導やコントロールを行なったのか、ぜひお聞きしたかった。



山川:自分も初めて監督した作品だったので、僕も手探り、向こうも手探りだったことが、上手く噛み合ったということなのかもしれません。目線から、顎の角度から、言葉の息の抜き方、それからさっきおっしゃられた抑揚ですね、それをひとつひとつこうしてくださいってお願いしました。おばちゃん役の伊藤さんは、全部言った通り動いてくれて、それをワンカットワンカット撮って、つなげていったという感じです。



webdice_あんたの家2


『あんたの家』より



“映画が撮りやすい時代”なのか



山川:では僕から今井さんに質問させてもらいます。自分は大阪芸大時代、先生から、二言目には「今の時代は、すごく簡単に映画が撮れるようになって」と言われていたのですが、本当に映画って撮りやすくなったのかなって思うんです。撮りやすくなったというのは、どういうことなんだろう?いい映画ってどういうことなんだろう?ということを、ずっと考えていました。制作段階では、準備や取材はもちろん大事ですが、そうした行程を推し進めていく感性や熱意、制作に関わる多くの人たちとのコミュニケーションにかけるエネルギーが一番大事で、それが作品の出来具合にもすごく関わってくるんじゃないかと思ったんです。そう思っている時に、今井さんの『ガラスの巨塔』を読ませてもらって、プロデューサーとして、そしてディレクターとして、映像を作る上で、今まで大事にされてきたこととは何かを……あっ、すみません!打ち合わせと違いましたっけ?(苦笑)



今井:違いますね(笑)でもいいですよ(笑)。振り返ると、30年間で500本くらいドキュメンタリー番組を作ってるんですね。基本的なことを言いますと、取材というのがものすごく大事ですね。フィクションにしても、ドキュメンタリーにしても、小説にしても、資料を集めて取材したベースになるものがないと、制作はできないんですね。何も取材せずに、机の上で組み立てた話というのは、結局、空虚なものなんです。調べて調べて、調べ抜いた上で、それをどうやって消化して転化させていくかということだと思う。足を棒にして歩き回ったり、話を聞いたり、資料をたくさん読む時間が一番大事だなと今でも思っています。じゃあ、今の時代は、映画やテレビ番組が作りやすくなったのかと言うと、実は逆かもしれないと思うんです。確かに、フィルムからVTRになったとか、機材や技術的なところではそうかもしれませんね。でも、現代はひとつの事実が多層的になっていたり、何かあれば訴訟だって起きかねない。社会も複雑になっています。ですから、今の時代が作り手にとって、映画や番組が作りやすい環境になったかというと、あまり同意はできませんね。でも厳しい状況の社会だからこそ、創造物を作っていかないといけないんだと思っていますが。



自分のテーマを持つ



山川:イラク軍の捕虜になったアメリカ兵士にインタビューに行かれたり、エイズ患者の声を拾ったり、そういった今井さんの番組作りに感じ入るものがあります。企画を作る段階での、今井さんのテーマを見つける嗅覚や指針などについて教えてください。



今井:生意気なことを言いますと、ある時期から、自分は「国家と個人」をテーマにしようと思ってきました。国家という、時にとても非情で体制的なものの中で、個々人の人間はどうやって生きていくのだろうか。時に理不尽なことを要求されたり、つらい運命にあわされた時に、どうやって生きて戦えばいいのだろうか。30歳前半の時、そのことを考えながら、番組を作っていきたいと思いました。湾岸戦争でイラク捕虜になったパイロットの話も、アメリカの小さな町で生まれた青年が、戦争という大きな渦に巻き込まれて、拷問にかけられ、その顔を世界にさらされて、その姿を故郷にいる両親が目撃しなければならないという事態の中、個人は戦争とどうやって向き合えばいいのかを考えました。薬害エイズ問題では、なぜこの日本で、2,000人もの人たちがエイズに感染しなければならなかったのか、その多くが10代の少年たちでした。しかし誰もその理由を知らない、教えない。理由もわからないまま、10代の子どもたちがどんどん死んでいく。ところが、この国のメディアは、フィリピン女性がどこでセックスしてエイズをうつしたとか、性感染の話ばかり伝えていた。そうした中で、お亡くなりになった方、その遺族の無念、そういうものを背負わさせていただいてもいいのかもしれないと思って、撮りました。

『プロジェクトX』についても同様です。世紀末に、バブルがはじけて10年たって、この国がぼろぼろになって、サラリーマンの人は肩を落として唇を噛みしめ、閉塞感の中、苦しんでいた。その2000年初頭に、“成果主義”という言葉が流行ったんですね。経営者の人は皆言ってました、成果主義、成果主義って。言葉は綺麗ですが、リストラの道具ですよね。成果のない者は切っちゃうっていう。そうした中、この国を生きてきた技術者や営業マンたちは、どういう思いを胸に宿し、何と向き合って生きてきたのか、そうした人間の仕事や生きざま、そして成果を超えた夢、そうしたものを伝える番組を作ってみたいと思った。

 「国家と個人」、「全体と個人」というテーマは、自分の人生の中で大事にしながら、これからも生きていきたいと思っています。





質疑応答




──おっちゃん役はどうやって決めたんですか?



山川:顔です!(会場笑い)あれくらいの年齢になったら、生き方が顔に出ているだろうと思って、ヘンに構えたり考えたりせず、見た印象で決めようと思いました。



──一般の劇場で上映されている映画が素晴らしいとは思えないし、『あんたの家』のように、きっとまだ世に出ていない名作はいっぱいあるはず。そういう作品を世の中に出していくには、どういう方法があると思われますか?



山川:やっぱり、なるべく小さなコミュニティがこれから大事になってくると思う。映画だけじゃなく、世の中の流れはそうなっていくと思う。



今井:全国上映されている映画が必ずしもいい映画だとは、思いません。今の時代、製作委員会方式ですか、作る前からプロダクションやテレビ会社や出版社、特にテレビ局ですよね、連合軍を作り、資金を出し合って、最後に監督を呼ぶ。監督優先ではなく、システム優先になっているわけです。そういう中で、こうした独立系の映画がどう戦っていくのか、それを考えていかなければいけない。そこで、既存のシステムに乗っかっていくという方法もありますが、やっぱり新しいシステムを作っていかなければならないと思います。例えば、CSやBS放送の中で、独立系の作品を流してくれるところはないか。あともうひとつ、監督自身が世に名前が知られていくということが、大事なのではないでしょうか。私たちが映画を選ぶとき、かなり高い確率で、監督で選びますよね。先ほど、山川さんと楽屋で話していて盛り上がったのですが、二人とも『切腹』という映画が大好きなんです。小林正樹監督が撮った時代劇ですが、傑作だと思う。私はもう、小林監督が撮ったものなら、探してでも、全部観てみたいと思う訳です。ですから、山川さんの映画なら何でも観てみたいと思うファンを少しでも増やしていくのが、山川さんや独立系映画監督の戦いじゃないかと思っています。



(構成・文:鈴木沓子)



*渋谷アップリンク・ファクトリーで行われている『オールモスト・フェイマス-未配給映画探訪』は当連載と連動し、まだ劇場公開されていない期待の作品や映画作家を紹介。才能ある若手監督に作品発表の場を提供し、観客自身が新しい作り手を見出し交流できるコミュニティを目指し、今後も開催します。どうぞお楽しみに。










【関連記事】

PFF2010グランプリ『あんたの家』:老老介護とストーマーの問題を“大阪のおばちゃん”のエネルギーで描いた山川公平監督に聞く(2011-11-23)

http://www.webdice.jp/dice/detail/3319/












今井彰 プロフィール


作家・元NHKエグゼクティブ・プロデューサー。JFN(系列)FMラジオ ON THE WAYジャーナル『今井彰のヒューマンアイ』パーソナリティ。1956年大分県生まれ、1980年NHK入局、教養番組ディレクター、社会情報番組チーフ・プロデューサー、制作局エグゼグティブプロデューサーなどを歴任。社会派ディレクター、プロデューサーとして数々の受賞に輝き、ドキュメンタリーの旗手と呼ばれる。2000年に手がけた『プロジェクトX~挑戦者たち~』は大ブームを巻き起こし、国民的番組となる。2009年、作家業に専念するため退職。処女小説『ガラスの巨塔』(幻冬舎)は大きな話題を呼ぶ。2010年11月『ゆれるあなたに贈る言葉』(小学館)上梓。

公式ツイッター http://twitter.com/akiraimai

公式ブログ http://akiraimai.cocolog-nifty.com




山川公平 プロフィール


1982年、新潟県生まれ。高校卒業後、陸上自衛隊に入隊。その後、大阪芸術短期大学を経て、2007年、大阪芸術大学映像学科に編入。 2008年に初めて撮った処女作『あんたの家』が、ロッテルダム国際映画祭に正式招致。2009年水戸短編映像祭で準グランプリ、そして第32回ぴあフィルムフェスティバル(PFF)でグランプリを受賞。第23回東京国際映画祭「ある視点部門」に正式招致される。時代劇『田村どの、佐久間どの』(水戸短編映画祭セレクション企画)、現在「No Name Films」で上映中の短編『路上』など、多様なジャンルの作品を手がける。映画のほか、企業ビデオ、ミュージックビデオ、CMなどを製作。









『あんたの家』



監督、脚本、編集:山川公平

出演:伊藤壽子、親里嘉次ほか

2009年/日本/カラー/44分

大阪の下町に住む、身寄りのない老夫婦。寝たきりになった夫を一人きりで介護する妻キミコ。貧困と生活苦から次第に精神的に追い詰められていく──。切実な老老介護の現場を容赦なくえぐり取ると同時に、“大阪のおばちゃん”がぎりぎりの場所で見せる、生きるエネルギーと愛を描いた感動作。





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女性の更年期と生命力を描く井上都紀監督 http://www.webdice.jp/dice/detail/3328/ Wed, 30 Nov 2011 16:29:46 +0100
『大地を叩く女』より (C) 2008 The Woman who is beating the Earth Film Committee




主人公は、40歳になった修道女の真梨子。人より早く訪れた更年期障害に心が揺れ、『自分が選んだ生き方』を、もう一度、ゆっくりと見つめ直す。母親にはならず、家族すら持たない生き方を選んだことに、間違いはなかったのだろうか。“閉経”という、女性なら誰もが通過する人生のターニングポイントをテーマに、「身体」と「心」の声の不協和音を繊細な映像美と品あるユーモアで綴り、各国で話題を呼んだ『不惑のアダージョ』が、とうとう日本でも封切られた。



そして、井上監督の名前を知らしめた前作『大地を叩く女』も一般劇場では未公開の作品だったが、渋谷ユーロスペースで19時の回のみ、併映されている。女性ドラマーのGRACEを主演に迎え、肉屋のパートで働く主人公が精肉作業のリズムに乗って、心の奥底に眠る“怒り”の蓋を開き、その感情をひとつの音楽へと紡ぎだしていく。それぞれ異なる2作品から、井上都紀監督作品の魅力を探るべく、インタビューを行った。



一番難しい「許す」という感情



──『大地を叩く女』から『不惑のアダージョ』を撮るまでについて教えてください。



短編作品『大地を叩く女』が、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭でグランプリを頂き、その副賞の制作支援金で、次回作を撮る機会をいただきました。ですが、受賞し(映画監督としての)道が開けたのと同時に、34歳の女性としての不安というものも出てきたんですね。映画制作は時間がかかるもので、あっという間に1年が過ぎていくんですね。「このままこの生活をずっと続けていたら、この先どうなるんだろう?」と、そのうち歳をとり、ある日女性としての機能を失った時、ものすごくショックを受けるだろうと思ったんです。(自分が)自由に選んだ人生なのに、矛盾を感じてしまうのかと。もしかしたらこれは、誰しもが立ち止まり、振り返る時期なのかもしれない、なおかつ(結婚しなければ)そのターニングポイントを一人で迎えるのかと(苦笑)。

でも、家庭を持つ既婚者の方でも、多分更年期は周りからも理解されづらく、ほぼ一人で迎えるのに等しいのではないかしれないと気づいたのです。初潮を迎える時は、家族に囲まれお祝いされるのに、終わりを迎える時は一人なんだと。はじまりと同じように、終わりも大切にしたい、それがこの映画の始まりでした。このような題材を描いている作品は今までなかったので、どうしても描いておきたいと思いました。



井上監督4

『大地を叩く女』『不惑のアダージョ』の井上都紀監督



──いずれの作品も、主人公がはじめ受け入れ難かった問題やもう一人の自分と向き合って受け入れていく姿に共感しました。相容れないもう一人の自分や、周囲の人を許す、受容することで何か大きなものを乗り越えて行くという流れが丁寧に描かれていて。



そうですね。「許す」という行為で、人が変わっていくということはあると思います。



──井上監督にとって「許す」とは、どういう感情ですか?



「許す」という感情は、一番難しい感情ではないかと思うことはあります。自分の中でその出来事を循環し消化して、最終的にはポジティブに受け入れるという、時間のかかる作業ですよね。ただ、ときに「許す」ということをしていかないと日々の生活が進んでいかないということもありますよね。次に進みたいから、許す。私にとっても、なかなかそれは難しいと感じることは多いです、いかんせん記憶がよすぎるもので。



──それぞれ咀嚼の方法が違っても、次に進むための、大事な消化作業ということなのですね。いずれの作品も、その過程で主人公が音楽や舞踏で心を解き放つシーンが印象的です。井上監督にとって、音楽や舞踏とはどういうものなのでしょうか。



私にはかつてバレリーナを目指していた経緯があり、子どもの頃から踊っていると、日常のことが忘れられ、なんて自由なんだろうといつも感じていました。歌や踊りのような原始的なものは、本能的に人間を解放させる力はあるとは思います。




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──『大地を叩く女』主演のGRACEさん、そして『不惑のアダージョ』主演の柴草玲さんという2人のミュージシャンとの出会いについて教えてください。



GRACEさんは10年前、彼女のライブを拝見したのがきっかけです。女性でドラマーというのが、当時のわたしには衝撃的で、その迫力に圧倒されました。大地を叩くマザーみたいだなと、彼女を題材にパワフルなものを描いてみたいと、ずっと考えていました。柴草玲さんは、GRACEさんからご紹介を受けました。やはり彼女の佇まいに惹きつけられ、触発されるものがありました。



──『大地を叩く女』は、どこかノスタルジックな色調や、きらびやかなライブシーン、そして『不惑のアダージョ』では、日本の紅葉という色鮮やかなランドスケープが、主演2人の魅力と心情を際立たせていました。



「色」には、かなりこだわりを持っています。映画そのものの印象や、主人公の心情を表現するうえでも重要な要素ですし。ドラマの内容を見せると同時に、やはり色鮮やかに映像を楽しみたいですよね。映画をつくるうえで、一番楽しんでいるのは美術だったりもします。




すべてを受け入れて生きていくことは、

とても普遍的なもの



──女性が避けられない更年期障害という問題をリアルに描いた『不惑のアダージョ』ですが、撮影にあたって、同年代の女性に取材をされたのでしょうか?



私自身が日々感じていることですし、同年代の人ともよく話すことでもあるので、取材はしていません。特に、(同年代の)独身で働いている友人たちと話すと、自分含め、どこかしら実生活では不器用な印象を感じてしまいます。修道女じゃなくても、自らの規律をつくり、何かにがんじがらめになっている。ものすごく古風だったりとか、家庭と仕事を両立できないと思っていたり、単純に自信がないだとか、無意識に何かに縛られているんじゃないかなと思ったんです。



──わかる気がします。どこかで前の時代の価値観に縛られているところもあるのかもしれません。



皆、その現実を普段見ないように生きているじゃないですか。でも確実に(年齢の)リミットは来る訳で。それでも、何かを変える努力も、忙しさにかまけてできずにいる。でも、そういう自分を肯定できない。私自身も含め、その矛盾が、ある種、女性の甘さであったりもしますよね。

最終的には、受け止めて生きていかなければならないという、同じ女性であるうえでも、優しさと厳しさを持ってこの作品を描きました。



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『不惑のアダージョ』より (C) 2009 Autumn Adagio Film Committee





──『最終的に、すべてを受け止めて生きていく』という女性の覚悟やしなやかでポジティヴな強さを、いずれの作品からも感じました。今回同時上映されている2作品は、作品をつくる上で、共通のテーマなりインスピレーションはあったのでしょうか。





“静”と“動”と、異なるアプローチでふたりの女性を描きながらも、テーマが似ているように感じられるとしたら、それは偶然だと思います。テーマとか着想という当初の始まりや技術的な考え方や分析よりも、ご出演頂いている彼女たちを、どう映像で活かしていくか、それしか考えていなかったです。

まず人間が魅力的に描かれていないと、映画としては成立しないとさえ思うので、実在する人間在りきで映画がはじまっていることが、この2本の共通点です。すべてを受け入れて生きていくというのは、私たちが生きる日常でとても普遍的なものでもあるので、特別それをテーマとも思っていません。歳をとるということ、とも言えるのではないでしょうか。





── 一方、2本観た後に考えたことは、女性の本質的な悩みや寂しさは、男性とは、例えパートナーであったとしても、やはりそこは共有し難い別のものなのだろうかということです。



共有できる瞬間はありますよね。映画の中でもその瞬間を描きました。異なるから向き合っていくんだと思います。女性として感じるさみしさって、肉体的な苦悩を、どう伝えても伝わらないっていう孤独ですよね。例えば、(女性が)「結婚したい、子どもがほしい」と言うと、男性からしたら「子どもがほしいから結婚したいの?」と、ある種、打算的にも感じる訳じゃないですか。この(女性の)体の声を、どう説明しても、(男性には)やはり説明は、つかないですよね。男性側からしたらこれは厄介ですよ。ただ、男性には、脳だけで成長していかなければいけない大変さもありますからね。







──『不惑のアダージョ』は、更年期障害と女性の性というテーマですが、あまり生々しく描いていないというか、俯瞰した視線やユーモアがありますね。男性も観やすいのではないかと思います。



制作する時は、自分の性を忘れて、どこにも偏らず、平坦に俯瞰して描いているところはありますね。この映画の見せたいものは映像であって映像でないという、大事なのは更年期という大きなテーマなので、きっと映画の中盤から観客の皆さんは自分を投影して観ていくと思います。あと、ユーモアは大事ですよね。私の日常にはお笑いは必然です。切なくてユーモアのある表裏一体のものが好きです。



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『大地を叩く女』より (C) 2008 The Woman who is beating the Earth Film Committee

──ユーモアに加え、一枚一枚丁寧に描かれた絵画を観ているような映像美も効果的だったと思います。また言葉のない台詞の多い映画だと。体の声を雄弁に語っていたと思います。



単純に今回の作品に関しては、音楽やダンスが登場人物の声でもあるので、なるべく台詞劇ではなく、一枚の画で感じさせるようにということは、念頭に置きました。ただ、映画の質によって表現の手法は変わっていくので、今後会話劇を撮る場合は、(その手法は)また変わるでしょうね。毎回、違うことに挑戦したいですし。






──ところで井上監督ご自身は『不惑のアダージョ』を撮って、“不惑”の境地に達しましたか?



全然ですよ(苦笑)。きっと迷いが消えることはないですし、迷ってる自分というのも割と好きですよ。迷いを打破するために、さらに考えますし、可能性と闘っている時間でもあります。



──なんだか、それを聞いてほっとした自分がいます(笑)それにしても、海外に行くと「日本は女性監督が少ない」と言われますよね。



海外は女性監督が多いですよね。ロッテルダム映画祭でタイガーアワードに選ばれた半数は、女性監督の作品でした。それでもまだ女性の方が少ないですよね。その背景には、出産や子育てなど家庭に入るという流れがあるからではないでしょうか。それでも映画を撮っていくという選択は、よほど度量がある人じゃないとできないですよね。でも、家庭を持つと、視野が広がり、人間的に豊かになると思います。男性も変わりますよね。父性でも、映画って変わるんだなと最近気づきました。特に子どもを描く時は、画に出ますよ。



──井上監督ご自身は、結婚や家庭を持つことは考えていらっしゃいますか?



考えているからこそ、『不惑のアダージョ』という映画を作ったんですよ。自分へのリミットの戒めとして。結婚はしたいですよね、自分とずっと向き合っていくのは、しんどいですから。



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『不惑のアダージョ』より (C) 2009 Autumn Adagio Film Committee




──おっしゃっている意味、わかる気がします。最後にちょっとネタばれになってしまいますが、お赤飯の意味、海外の観客には伝わりましたか?海外の国際映画祭での反応はどんなものだったのでしょうか。



伝わっていましたね。わからないという人、一人もいなかったです。逆にこちらから説明したくらいで。どの国でも、たぶん言葉や文化が違うぶん、ものすごく想像力を働かせて観て頂いているというのは、ひしひしと感じました。

海外の映画祭に行くと、ティーチインでは作品より私自身のことをよく聞かれましたね。結婚しているのか、子どもはいるのかとか。「結婚したいけど、なかなか難しい」と言うと、どこの国でも、「監督がんばれ!」だとか「まだあきらめるなよ」と拍手をもらってしまうんですね。「うちに嫁に来ませんか」というオファーまで(笑)。

また、年配の方がしきりに、「ありがとう」と握手を求めにきてくださるんですね。これはどういう意味なんだろう、と。映画祭で海外をまわり、いろんな方の反応を目の当たりにする中で、「もしかしたら、作った本人ですら、年齢を重ねないと、わからないものが(この作品には)あるのかもしれない」と思うようになって。それが、一般公開しようと決意した大きなきっかけです。



──私も作品を観た人と語り合いたくて、そういう意味で一般公開が楽しみです。今日はありがとうございました。




最後は同世代の悩み相談のようになってしまった今回のインタビュー取材。井上監督のひとつひとつ丁寧に選んで発する言葉には、その作品と同じように、鋭さとユーモアが同居していた。次回作は、さらに高齢の女性を描いた作品になるという。「家庭を持つことで映画は変わる」と言っていた井上監督。10年後、20年後の作品がどう変化していくのか、興味がつきない。



(インタビュー・写真・文:鈴木沓子)











井上都紀 プロフィール


1974年、京都生まれ。武蔵野美術大学油絵科卒業。ニューシネマワークショップで映画制作を学ぶ。前作、短編『大地を叩く女』が、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2008オフシアター部門でグランプリ受賞。その後もドバイ国際映画祭、ロッテルダム国際映画祭ほか国内外多くの映画祭で上映、好評を博す。現在、派遣で仕事をしながら、映像制作を続け、次回作を準備中。










『不惑のアダージョ』


ユーロスペースにて公開中、ほか全国順次公開


監督・脚本・編集:井上都紀

撮影:大森洋介

出演:柴草玲、千葉ペイトン、渋谷拓生、橘るみ、西島千博

2009年/日本/カラー/70分

http://www.gocinema.jp/autumnadagio/




『大地を叩く女』


ユーロスペースにて『不惑のアダージョ』と併映(19:00の回)


監督・脚本・編集:井上都紀

出演:GRACE、和田聰宏、長見順、かわいしのぶ、柴草玲、平沢里菜子

配給:ゴー・シネマ

2007年/日本/カラー/21分

http://www.rainbowgrace.net/daichi/












イベント情報




『オールモスト・フェイマス-未配給映画探訪』連動企画

山川公平特集




ロッテルダム国際映画祭2010でプレミア上映された後、第32回ぴあフィルムフェスティバルでグランプリを受賞、国内外で話題を呼んだ代表作『あんたの家』から、時代劇『田村どの、佐久間どの』(水戸短編映画祭セレクション企画)最新作『路上』やCMまで、山川監督の過去作品を一挙上映。当日はスペシャルゲストを招いてのトークイベントも(ゲストは決定次第、お知らせします)。




日時:2011年12月19日(月)18:30開場/19:00開演

会場:渋谷アップリンク・ファクトリー


(〒150-0042 東京都渋谷区宇田川町37-18 トツネビル1F tel.03-6825-5502)[googlemaps:東京都渋谷区宇田川町37-18]

料金:予約/当日¥1,500

上映作品:『あんたの家』『路上』『田村どの佐久間どの』

ゲスト:山川公平監督

ご予約は下記より

http://www.uplink.co.jp/factory/log/004226.php



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PFF2010グランプリ『あんたの家』 http://www.webdice.jp/dice/detail/3319/ Mon, 21 Nov 2011 15:45:22 +0100

2010年、心を揺さぶられた映画はいくつかあったが、自分の中で圧倒的に心に残ったのは、当時まったくの無名だった山川公平監督の処女作『あんたの家』だった。第32回ぴあフィルムフェスティバル(PFF)の上映会で観た後、言葉を失くした。生きる痛みと喜びを、ここまで鮮明に描いた作品があっただろうか。質疑応答で登壇した山川監督を質問攻めにしてしまったが、その時に何を尋ねたのか記憶にない。ただ、東宝の川村元気プロデューサーの言葉を借りるなら、「いい企画とは、やられたと思う“たくらみ”があるもの」と言う通り、私は作り手側ではないが、はっきりそう思ったのだと思う。



そして、そう感じたのは、私だけではなかった。荒削りながらも一度観たら誰かに話したくなる魅力がある作品なのか、映画関係者に会うと「あの作品、観た?」と何かと話題に上った。PFFではグランプリを受賞、その時の最終審査員だった根岸吉太郎監督は授賞式で「審査会議後、DVDで再び作品を観ました。やはりいい作品を選んだと安心しました。この映画の良さを心に感じた」と絶賛。小説家の角田光代氏は、「ばっちいけれど、美しい作品」と作品の良さを的確に評してエールを送った。あれから一年、いまだに配給がつかない理由がまったくわからない。


一般公開される予定がないのが残念で仕方ないが、今月19日からスタートした若手映画監督の短編作品上映会「No Name Films」で、11月24日にユーロスペースで同時上映される予定だ。さらに、本連載「オールモストフェイマス―未公開映画探訪―連動企画第2回目」として、12月19日に「山川公平監督特集」を組み、アップリンクで上映することが決まった。たった2日間の貴重な限定上映の機会を、お見逃しなく。



誰かに知ってほしいけど

知られたくない問題




──実際に出会った老夫婦をモデルにしたと聞きましたが、なぜ映画にしようと思ったのですか?



自分が大阪に来て初めて住んだアパートの隣人夫婦をモデルにしました。夫であるおっちゃんがストーマー(人工肛門)をつけて寝たきりで、おばちゃんが一人で介護をしていました。二人には身寄りがなかったので、自分も病院につきそって人工肛門の付け方を習ったり、短い間でしたが、家族のような付き合いをしました。

高校時代から映像の仕事を志してきましたが、“自分は何のために映像を撮るのか”ということを、ずっと考えて続けてきました。その後、おっちゃんが亡くなって、おばちゃんは職を求めて引っ越しし、自分は映像学科に編入して、いざ映画を撮るために脚本を書き始めた時、またその問題に向き合いました。

その時、人に見せたいけど、見せたくないものを撮るべきだと思った。きっと誰もがそういう問題を抱えていると思ったから。そして、知ってほしいけど、知ってほしくない、それが人工肛門という障害が内在している問題だと思った。

脚本は、実体験を元にしたドキュメンタリーの部分と、「もしも、こうだったら、おばちゃんとおっちゃんには違う未来があったかもしれない」と思った“夢の部分”を付け足して製作しました。




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『あんたの家』山川公平監督


──私はこの映画で初めてストーマーの存在を知りましたが、近年、日本では大腸癌が急増しているんですよね。一度、厚生労働省主催の大腸癌撲滅キャンペーンに行ったことがあるのですが、2015年には日本人の死亡原因第一位になると言われていました。(※)

大腸癌等の疾患から、ストーマーになる方が多いなら、『あんたの家』で描かれている問題は、多くの人にとって、他人事ではない問題だと思いました。



人工肛門の方は、年齢層が高い人が多いのだろうと勝手なイメージを持ってしまいがちですが、生まれながらに腸に問題がある子供さんや、10-20代の人も多いです。腸に問題が生じると、生殖機能も駄目になって、子作りができなくなる。結婚してすぐに旦那さんが人工肛門になって、子供ができなくなって別れてしまうケースもある。でも、エネルギッシュに人生を謳歌している患者さんも多く、刺激を受けました。




──取材はどうされたのですか?



隣人のおっちゃんと出会うまで、僕もほとんど(人工肛門に関して)知識がありませんでした。だからこそ、多くの方にこの問題を知ってほしいと思った。人工肛門は、自分のお腹に穴を開けて腸を外に出し、そこに既成の袋を装着します。でもサイズに合わないことも多く、使い始めは上手く装着させるのに、人知れない苦労が続く。人工肛門は外からは見えないし、トラブルがあっても他人には話にくい問題です。

日本オストミー協会という患者のコミュニティがあるので、その大阪支部で撮影に協力いただける方を紹介してもらい、患部の撮影をお願いしました。患部のカットは、絶対に実物を撮らなければ、この映画を作る意味がないと思ったからです。もしそれが偽物なら、美術や演出を含めた各部の技術が、モチーフから離れて、物語のための技術になってしまうと思いました。



──老夫婦が主人公ですが、ストーマーの問題や介護の問題を「誰かに知ってほしいけれど(簡単には)見せることができない」悩みとして普遍性を持って描かれていたので、世代を超えて共感できる作品になったのではないかと思います。



この作品を撮った時は26歳の時でしたが、同世代の若者にメッセージを送れる作品にしたかった。ただ同時に50代や60代の方が観ても納得して貰える作品にしなければいけない。監督が20代だからって、そこに甘えや油断があってはいけないと思いました。




──それから、画としての面白さやインパクトがありました。砂壁の木造アパートは、ありそうでなさそうな日本の庶民の家。そこに、ピンクのネグリジェでゲキを飛ばす大阪のおばちゃんがいて(笑)。



あの家自体が、日本の縮図のように見せたかった。純和風なのに西洋の文化が混在しているような家。美術にはこだわりました。おばちゃんが着ているピンクのネグリジェは、苦しい介護生活だからこそ、明るい色を着てほしかったからです。“大阪のおばちゃん”のエネルギーを伝える何かが映画に欲しかったというのもあります。でも主演の伊藤壽子さんは、上品で物静かな方だったので、はじめは「恥ずかしい」と言われてしまいましたけど。




──絵に描いたような“大阪のおばちゃん”は、あれは演技ではなく素のキャラクターじゃなかったんですか?普段からああいう元気な方だから、主演に選ばれたのかと思っていました。



いや、本当はとても上品なおばさまです。モデル事務所に所属されていて、セリフのある演技経験は無い方でした。僕はただ、事務所のホームページに掲載されていた顔写真だけ見て「あ、この人しかいない」と思って選んだのですが、お会いしたら、実際に介護経験がある方だと分かり、この方に是非お願いしたいと強く思い、ご出演頂きました。でも最初の台本読みの時に、あまりにもキャラクターが違うので、その品の良さに、思わず撮影スタッフも「このまま撮影に入って大丈夫?」と心配したくらい。ただ監督である僕自身も初めての演出だったので、現場でお互いに1カットずつ、リハーサルを重ねて、演技を作り込んでいきました。




同世代の若者にメッセージを送りたかった




──山場のシーンは迫真の演技でしたが、その時の演出について教えてください。



あのシーンの前には、伊藤さんに自分の思いの丈を全部話しました。本心からの台詞が欲しかったからです。一度目はNGにしたのですが、その後伊藤さんを呼んで、自分がなぜこの作品を撮りたいのかを話しました。すると、その後の撮影では、見違えるようなリアリティあるシーンが撮れました。伊藤さんは「本当に自分がおっちゃんを介護しているような気持ちになって、言 葉が自然に出て、何かが乗り移った気持ちになった」と話していました。涙ながらに語ってくれて、その時は改めてこの方にお願いしてよかったと思いながら、 人を演出する事の難しさと恐ろしさを肌で感じた思いでした。





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『あんたの家』より












──PFFでは、映画監督としては異例の経歴の持ち主と話題になりましたが、高校を出て自衛隊に入隊されたのはなぜですか?



中学時代から、将来は映像を作りたいと決めていました。そこで、高校時代はデザインを学びました。そのまま進学することも考えましたが、すぐに映像の世界に入るのが単純に怖かった。毎年何百人も、あらゆる芸術学校に映像を学びに来る学生が入学する。世の中で映画を撮ることを目指す人は一杯いる。その中で、自分の中で、何の為に映画を撮るのかを明確化しておかないと、きっと流されるか、潰れてしまうと思ったんです。その時に、自分は国防という存在をよく知らないと思った。でも、将来日本という国を考えて行くために、それがどういうことなのか知っておくことが必要だと思った。



自衛隊入隊後は、高射特科隊という部隊にいたのですが、自衛隊生活は本当にやりがいがあって、生活も安定している。ここで一生終えたいと思ったことは、何度もありました。でも、自衛隊の訓練を完璧にやればやるほど、実際にこの訓練が実践につながってはいけない、参加はしないほうがいいという気持ちが大きくなっていったのは事実です。自分はやはり映像を作りたいと決心したのは、中越地震で災害派遣に行ったことが大きなきっかけでした。




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『あんたの家』より


新潟で人の活力の生まれるさまを目撃した



──中越地震の災害派遣では、どんな任務をされたのですか?



新潟は自分の出身地でもあるので、早く駆けつけたくて、志願して行きました。当時23歳で、意気揚々に現場に付きました。でも、自分は糧食係で、ご飯を作る作業の中でも下っ端でした。何か力になりたくても出来ることは限られている。でもとにかく一生懸命やることが、被災者の為になると信じて粛々と任務に励んでいました。それはそれで、大切なライフラインの維持で重要な仕事のひとつだったのだろうと思います。




地震から約10日を過ぎて、初めてお風呂場を設営する部隊が来て、それから2日目の夜には、自分も入浴することができました。住民も自衛隊も一緒に裸になって、久しぶりにお風呂に入れた時には、すごくうれしかった。でも、浴場の雰囲気はとても暗かったんです。体の心地よさに反比例するように、誰もしゃべろうとしない雰囲気が、現実の厳しさを物語っているようで辛かった。そんな時に、ある一人の子供がじゃれました。確か、歌を歌い始めたのか、飛び跳ねたのか、とにかく久しぶりのお風呂に入れる嬉しさを、一緒にいたお父さんに伝えたかったのか、無邪気に声を上げ始めたのです。つられて、そのお父さんも小さく笑いながら注意し、更につられて、隣の人も笑いながら、その子供に注意して。そこから、徐々に他人同士がお互いの労をねぎらいはじめ、笑いを求めるように、冗談交えて言葉をかけ始め、さっきまで沈黙に包まれていた空間が、あっという間に和やかな談笑の場に変わっていきました。

僕が目撃したのは、人の活力の生まれるさまだったのだと思います。「明日へ生きてやろうか」というような、そんな覚悟をそれぞれが確認する瞬間を見た気がしました。子供の振る舞いはもちろん、無意識だったと思います。ただ、それは心という形の見えないものがいかに重要かということを感じさせてくれるもので、それがただただ、衝撃だった。僕はその瞬間に映像づくりの価値を発見したように思います。これが自分の原点になっていると思います。



──今後どんな映画を撮る予定ですか?



この国の経済がどれだけ弱くなっても、自分の国は、やっぱり自分の国だと思う。他の国と比較したら弱くなっているのかもしれないけど、自分の感覚としては、もともとの身の丈に合っていくというか、これから等身大の姿に戻っていくんじゃないかと思う。そういうことも表現したかったので、それを「家」に置き換えて撮りました。だから、「あんたの家」=“私たちの国”なんです。これだけしんどい社会だからこそ、家や帰る場所がなければだめ。そこだけは切っちゃいけないと思っています。モノも資源もない日本において、それでも希望を作り出せるモデルがあるとしたら何か。そういう事をデザインして、今後も元気がでる映画を作っていきたいと思っています。




この記事を書くために、一年ぶりに作品を観て、作品が古くなっていないことに驚いた。むしろ震災後の日本で今最もタイムリーな作品ではないかと。

取材後わかったことは、この映画の持つ説得力は、監督自身が、社会の在り方や将来を考え、試行錯誤した軌跡に支えられているということ。山川監督は、現在都内で介護の仕事に就きながら、映像製作を続けている。この監督は、量産こそしないが、今後もじっくりと地に足が付いた作品を見せてくれるはずだ。

『あんたの家』は、“映画で現実逃避をしたい”と思う観客の気分を受け止め、最後にちゃんとそれぞれの現実世界へと背中を押し返してくれる。映画の中盤までは、主人公の老夫婦と一緒に笑って泣いて悩み、共に何かを乗り越えたような気分になるが、最後の最後で、あの“大阪のおばちゃん”に、優しく突き放された気がして、はっとした。「これは映画の中のお話で、あなたにはあなたの人生があるのだから」と諭された気がした。そして、それは決して嫌な感じではなかった。「明日もまた、この社会で生きて行こう」と思える強さが、しっかりと心に残るからだ。




(※)厚生労働省の2010年度人口動態調査によると、日本人の死亡原因の第一位は癌。その中でも、大腸癌が急速に増加傾向にある。大腸癌は03年以降、すでに女性の死因の第一位であり、2015年には男女ともに1位になると予測されている。


(取材・写真・文:鈴木沓子)












山川公平 プロフィール


1982年、新潟県生まれ。高校卒業後、陸上自衛隊に入隊。その後、大阪芸術短期大学を経て、2007年、大阪芸術大学映像学科に編入。2008年に初めて撮った処女作「あんたの家」が、ロッテルダム国際映画祭に正式招致。2009年水戸短編映像祭で準グランプリ、そして第32回ぴあフィルムフェスティバル(PFF)でグランプリを受賞。第23回東京国際映画祭「ある視点部門」に正式招致される。時代劇『田村どの、佐久間どの』(水戸短編映画祭セレクション企画)、現在「No Name Films」で上映中の短編『路上』など、多様なジャンルの作品を手がける。映画のほか、企業ビデオ、ミュージックビデオ、CMなどを製作。










『あんたの家』



監督、脚本、編集:山川公平

出演:伊藤壽子、親里嘉次ほか

2009年/日本/カラー/44分

大阪の下町に住む、身寄りのない老夫婦。寝たきりになった夫を一人きりで介護する妻キミコ。貧困と生活苦から次第に精神的に追い詰められていく──。切実な老老介護の現場を容赦なくえぐり取ると同時に、“大阪のおばちゃん”がぎりぎりの場所で見せる、生きるエネルギーと愛を描いた感動作。












イベント情報





No Name Films(ノー・ネーム・フィルムズ)

渋谷ユーロスペースにて、12月2日(金)まで連日21:00よりレイトショー



11月24日(木)21:00からBプログラム上映の後、『あんたの家』を上映予定。




当日券1,500円、前売券1,200円のほか、No Name割(10名の参加監督と同じ名字の人)は、当日券でも前売りと同じ料金で鑑賞可能など、各種割引有

スケジュールなどの詳細は、公式サイトまで。http://www.nonamefilms2011.com









『オールモスト・フェイマス-未配給映画探訪』連動企画

『あんたの家』山川公平特集 トークゲスト:今井彰、山川公平監督




ロッテルダム国際映画祭2010でプレミア上映された後、第32回ぴあフィルムフェスティバルでグランプリを受賞、国内外で話題を呼んだ代表作『あんたの家』から、時代劇『田村どの、佐久間どの』(水戸短編映画祭セレクション企画)最新作『路上』やCMまで、山川監督の過去作品を一挙上映。当日はゲストとして作家でNHKエグゼクティブ・プロデューサー時代に「プロジェクトX」を手がけたことで知られる今井彰氏をお招きしてのトークも行われる。




日時:2011年12月19日(月)18:30開場/19:00開演

会場:渋谷アップリンク・ファクトリー


(〒150-0042 東京都渋谷区宇田川町37-18 トツネビル1F tel.03-6825-5502)[googlemaps:東京都渋谷区宇田川町37-18]

料金:予約/当日¥1,500

上映作品:『あんたの家』『路上』『田村どの、佐久間どの』

ゲスト:今井彰(作家)、山川公平監督

ご予約は下記より

http://www.uplink.co.jp/factory/log/004226.php






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「ここに来れば“今、日本映画に勢いがある”と言われる理由と、若い作り手が何を考えているかがわかる」No Name Films監督緊急座談会!! http://www.webdice.jp/dice/detail/3309/ Tue, 15 Nov 2011 14:37:42 +0100

「無名監督による、まだ無名の映画たち」だなんて、とんでもない。今月19日から、渋谷ユーロスペースで、若手映画監督10人による15分の短編を一挙公開する「No Name Films」(以下NNF)には、日本映画界の将来を担う若手映画監督の作品が一堂に会しているのだから。昨年『くらげくん』が国内外の映画祭で13冠を総なめし、今や短編映画を撮らせたらこの人と名高い片岡翔監督。現役大学生でありながら、『ふたりのウーテル』がカンヌ国際映画祭の短編部門に、日本人監督として46年ぶりの入賞という快挙を成し遂げた田崎恵美監督。そのほか、先月釜山国際映画祭でアジア短編映画賞Sonje賞を受賞した吉野耕平監督の『日曜大工のすすめ』や、昨年バンクーバー国際映画祭アジア新人監督賞受賞で脚光を浴びた廣原暁監督、そして日本映画監督の登竜門ぴあフィルムフェスティバルでグランプリを受賞した山川公平監督ら、昨年から今年にかけて、国内外で話題を呼んだ新進気鋭の若手映画監督による作品が出揃っている。このラインアップの豪華さは見逃せない。



“名作なのに、まだ一般劇場公開されていない映像作品”を紹介する本連載「オールモストフェイマス ―未公開映画探訪」としては総力を挙げて応援すべく、今回は『NNF特別篇』として、渋谷アップリンクの会議室にて、緊急座談会を行った。忙しいスケジュールの合間を縫って来てくれたのは、片岡翔監督、田崎恵美監督、そして木村有理子監督、吉野耕平監督の4名。国内外で高い評価を受けている彼らが、あえて“無名宣言”する現状とは一体何なのか?経産省によるコンテンツ産業の人材育成プロジェクトとは?参加した監督の生の声をお聞きください。





「無名」である理由



──まず「ノー・ネーム・フィルムズ」というタイトルですが、監督10名のラインアップを見ると、全然”無名”じゃないじゃないですか!田崎さんなんて、一躍時の人でしたし。



片岡翔&田崎恵美(以下、片岡、田崎):いやいやいやいやいや(苦笑)。



片岡:全然ノー・ネームですよ。もう、狭いところでしか知られていないので。



合体

上段左から右:吉野耕平、木村有理子、片岡翔、田崎恵美監督



──田崎さんの作品がカンヌで入賞したニュースは大きく報道されましたが、実際に私たちはその作品をどこで観られるの?と言うと、一般の観客には鑑賞のチャンスがほとんどありませんでした。



田崎:私の作品も国内の映画祭に招致されて、4回くらいは上映されていますが、一般公開はされていません。それに、自主映画の世界って狭いんです。映画祭とかこういう上映会とかに行っても、決まった人たちが来ていて、悪い意味でも良い意味でも、ある程度固まってしまう現状がある。



片岡:結局自主映画の人たちって、上映会とか開いても身内や関係者ばっかりになってしまう。そうじゃなくて、本当に普通の、一般の映画好きの人たちに観てほしいって、ずっと思っていて。それを目指すには、このユーロスペースという場所は、すごくいい場所だなと。映画通好みの作品を多く上映されていますし。一般のお客さんに観てほしいというのが、監督全員の願いだと思います。



──では、まだ自分たちが「無名」である場所にいる人たちを引き込みたいと言う願いを込めて、その新しい観客にとっての「ノー・ネーム・フィルムズ」という意味でしょうか。



田崎:そうですね。いままでとは違う層の人たちに届けば嬉しいです。



片岡:普通に映画通、映画好きの人でも、自主映画まではあまり観ないと思うんですよ。そういう人たちに届けばいいなと思いますね。



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田崎恵美監督作『ふたつのウーテル』より





「若手映像クリエーター育成プロジェクト」とは



──今回の企画の流れを教えてください。



片岡:昨年ユニジャパンという財団法人の「若手映像クリエーター育成プロジェクト」という企画で、10名の監督が選ばれました。そして国からお金が出て、それぞれ15分の短編を撮ることができた。出来上がった作品は、海外の映画祭に出品してもらったり、国内では内々の上映会もありました。僕はいつも1本の短編を10万円くらいで撮っているので、200万円も予算が出たのは嬉しかった。でも“撮っておしまい”になっていて、一般には公開されず、お蔵入りになっていた。でもやっぱり、映画は見せてナンボなんです。そこで伊月さん(NNFの主宰者で参加監督の一人である伊月肇監督)が率先して動いてくださって、ユーロスペースで上映できるかもしれないという流れを作ってくれたことがきっかけです。



ここで、木村監督が到着。



──では、監督である皆さん自身が動いたことで、実現した上映会だったのですね。今の時代、監督には創作能力以上に、自己プロデュース能力やマネージメント力が問われているのでしょうか。



片岡:そうだと思います。いや、でも本当は、自分ではしたくないですよ。だって、営業とかちゃんと出来るくらいなら、サラリーマンになっていたのに…。自分で自分の作品をアピールしたりするのが、すごく苦手で。



田崎:私も全然そういう能力がない……。



木村有理子(以下、木村):「自分の中に、一人営業マンを一人立てろ」って、人にお説教されたことがある。自分の中で、一度作り手の自分を捨てて、まったく別人格の営業マンを立てなさいって。でも、なかなかできないですよね。



──そういえば、某映画祭ディレクターが、「木村さんは、海外の映画祭もちゃんと来て、どんどん持ち込み営業してガッツがある」って誉めていました。



木村:でも海外の映画祭って、新人の映画監督の多くが、そういう活動をしてるんですよね。そうじゃなかった?



田崎:私もカンヌに行った時、他の映画監督はみんな、自分の作品のちらしなど持って来ていて、監督自ら壁に張るんですよね。壁が争奪戦になっていて、すごかった(笑)。



木村:どんなパーティにも顔を出して、どこに行ってもあいつがいるよって思われるくらいアピールするのがあたり前というか。



──ユニジャパンの「若手映像クリエーター育成プロジェクト」に参加して、いかがでしたか。



木村:お金をいただいて作っているのに、内容に関しては何も言われないというのは、初めてです。普通は、この役者さんでという企画が先にあったり、プロデューサーやクライアントの意見もあります。映画学校のお金で撮るときにも、先生からの意見はある。もちろん、それが当然だと思うんです。だから、何にも言われないってことが、すごいなあって。



田崎:私は逆で、今回の企画で、初めて制約がある映画を撮りました。ずっと完全に学生の自主映画のスタイルでやってきたので、基本的に撮りたい人が集まって、お金は撮りたい人が出す。撮った後も、カンパケもなく、何度でも直せる。悪く言えば終わりがない。だから、予算も、納期も、尺も、海外の映画祭に出品することもあらかじめ決まっている映画を撮るというのは、初めてだったので、すごく勉強になりました。



片岡:僕は内容的にも複雑で重いテーマを扱っているので、これを15分で撮るというのが、今回僕にとっての挑戦でしたね。自主映画だと、尺も自分の好きなように設定できるので、制約があって作るのはプロになる上で必要だと思うので。あとMAっていう音の編集をスタジオで一括してやってくれた。参加した監督全員、ほとんどそんな経験がなかったので、すごく勉強になりました。効果音作ってくれる方とか、しっかりプロの方がついてくれて。それから、プロデューサー育成という目的もあったようなので、管理やフォーマットの指導はあったようです。



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木村有理子監督作『わたしたちがうたうとき』より



──制作スタッフは?



片岡:僕はずっと同じスタッフで撮っています。



田崎:私も同じです。大学の映画研究会のスタッフなので、年齢は下が18歳のスタッフもいますね。でも今回録音だけ一人プロの方にお願いしました。スタッフもプロデューサーも監督が選んでよかったので、すごく自由度がありました。



木村:本当に“自主映画”にお金を出してくれているという感じ。監督とプロデューサーに予算を渡してくれている。



──素晴らしい企画だったようですが、あえて問題点を挙げるとすれば?



片岡:うーん、べつに問題点というものはないです。いい経験ばかりさせて頂きました。ただ欲を言えば、製作した作品を上映するまでプロデュースして頂けたら、作り手としては、より嬉しいですかね。(一同頷く)



木村:そこが一番難しい。



片岡:ショートフィルムだと、一般の劇場を借りるのも難しいです。



──『映画は観客に観てもらって、初めて完成する』ということですね。



田崎:(日本の映画配給会社も)ピクサーみたいに、長編映画の前に、必ず短編映画をつけて、新人育成と作品公開の場を作ってほしいです。普通に、いま一般の劇場で公開している商業映画の前に、前座で、新人監督の短編を流すとかしてほしいなあ。



木村:昔は映画って、2本立てが普通だったんだよね。だから、短編が1本付いていたっていいんじゃない?例えば、お笑いの前座みたいに(笑)新人の映画監督も、前座枠でどんどん名を上げて行けるシステムがあれば。




人と資金集めという課題、

一般公開へのハードル



ここで吉野監督が到着。



──釜山国際映画祭、おめでとうございます。受賞作『日曜大工のすすめ』が国内で上映されるのは、今回がプレミア上映と言っていいのでしょうか?



吉野耕平(以下、吉野):ありがとうございます。そうですね、今回で初めてになります。僕は大学時代から、CGのアニメーターとディレクターという両方をやっています。昨年まで広告代理店のサラリーマンで、ずっと映画を作りたいと思っていたけど、その機会もお金もなかった。『日曜大工のすすめ』は、会社員時代に、今回プロジェクトの募集を知って、これしかないと思って、2週間くらいで書きました。今回の企画は、海外の賞取り用と聞いたので、割と作りやすかったですね。



木村:ちょっとしたマーケティングを自分の中でされたんですね。海外の映画祭なら、これでしょうっていう(笑)。



吉野:そうですね、例えば、海外用ならモノローグでも下に字幕を入れるから、なんとか理解してもらえるだろうっていう計算が働いたり。



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吉野耕平監督作『日曜大工のすすめ』より




──「若手映像クリエーター育成プロジェクト」の前は、みなさんどうやって自主映画を上映されていたのでしょうか。



吉野:そこ、僕も聞きたいです。



田崎:私はずっと学生映画のスタイルでやってきたので、公募の映画祭に出すという手段しかなかった。



片岡:僕も映画祭ですかね。僕は自分で上映するのが嫌で(苦笑)何が嫌って、チケットを売らないといけないのが嫌なんですね。だから今回も実は嫌で嫌で仕方がないんです。(一同頷く)だからとりあえず、自分の作品を上映するには、映画祭を目指して作るしか手段がないかなと思って、作ってきた。映画祭も入賞できるかわからないし、そんなに数はないですけど、数打ちゃ当たる方式でやってきています。



木村:私は映画美学校時代に、学校内の企画に通ったので、予算をもらって、16ミリで作りました。それが『犬を撃つ』です。でも、それ以来、お金もないし、人を集めるのも苦手だから、作品作ったり上映したりすることが、すごく難しかった。人から、上映会をやろうよって言ってもらった時に、上映させてもらったりして、細々と続けてきたところがあります。だから量産できる人ってすごいと思う。



片岡:僕の場合、普通に友達を巻き込んでやってます。頼みやすい友達にしか頼まないですから。



田崎:“片岡ファミリー”みたいな感じですよね。



木村:まさに“監督力”ですね!



田崎:自主映画はロケ地の交渉から何から何まで、監督が一人何役もやらないといけないから大変ですよね。



吉野:僕は、大学時代から、実写とアニメーションをほぼ同時にやっていました。なぜかと言うと、映画作りで難しいのって、やっぱり人やお金を集めることじゃないですか。だから、CGなら、監督である自分とあと音楽の人がいれば、作れちゃいますから。だから、実写で、たくさん短編や長編を撮っている人はすごいなって思います。



──でも吉野監督は、PFFに何度も入賞されていますよね?



吉野:そのときは大阪の大学にいたから作れたんですよ。まわりに手伝ってくれる学生もたくさんいて何とかなりました。東京に出て会社に入ってからは、また自分1人に逆戻りで……結局CGばかり作ってました。東京に出て5年目でようやく作った実写映画は登場人物2人でそのうち1人は自分の奥さんで長さは3分で、という感じです。映画って、とにかく作るだけで精一杯で、これまでの上映もほとんどPFFや映像祭だけです。



今問われる“監督力”とは?



──片岡さんと田崎さんは、1gramixに所属されていますが、どんな集団なのでしょうか。



片岡:若手映画監督が、役者のオーディションワークショップを行い、それぞれ順番に1本ずつ短編映画を撮るというプロジェクトです。ワークショップ参加者からキャスティングをして、その参加費が(映画の)製作費となります。役者は、それぞれ自分が出演したいと思う監督のワークショップに参加すると、そこで演技指導を受けるだけでなく、所属監督ほか多くの監督が観に来るので、役をもらえるチャンスがある。僕も『party』という短編を撮らせていただきました。(NNFで30日に上映予定)



──監督と役者がいい補完関係にあるのですね。監督同士の関係は?



片岡:お互いの作品にスタッフ参加することもよくありますね。僕のカメラマンが、別の監督の作品を撮ったり。そういうスタッフ面でのメリットも大きい。たまにカメラの貸し借りなんかも。それ以前は、僕はずっとそういう横のつながりがなかったんですよ。映画の専門学校に行ったけど、友達もできなくて。1gramix所属の監督は、映画のライバルというより、確かにライバルなんだけど、ぎすぎすしていなくて、あけっぴろげ。映画祭で賞を獲っても、「獲ったんだ?いいな~」みたいな。いい環境です。



木村:いいなあ、入りたい(笑)。



田崎:でも木村さんは“桃まつり”(女性監督作品を上映する映画祭)とかあるじゃないですか。



木村:“桃まつり”は、これ(NNF)よりももっと、監督が宣伝にがっつり取り組まないといけないところがありましたね。最初の立ち上げのメンバーですが、今思えば、軌道に乗るまでは、ほんとうに大変だったと思います。



片岡:でも動員数的に成功していますよね。



木村:そのために、あらゆる手段を使ったと思います(笑)。「女性監督の集団」というもので、どう話題を作っていくかを、みんなですごく考えました。気づいたのは、ネガティブキャンペーンしてくれる人っていうのも、けっこう重要なんです。“桃まつり”ってちょっと馬鹿にしやすいネーミングだから、「いまどき女同士で集まって何なの?」とか話題に上りやすかったみたいで、それでまた口コミで広がって。そこに、自分たちも、上手く乗っかって行くというか。戦略的に、広告的なことを、自分たちで何かしら生み出さないと、劇場に人は入らないということは、そのときに痛感しましたね。



──戦略にもとづいた広告まで手がけて、初めて作品が観客に届くということですね。監督の負担も大きいようですが、ではここで、元広告代理店勤務の吉野監督から、今後のNNFの展開について教えてください。



吉野:今回伊月さんがハコ(ユーロスペース)を抑えてくれて、僕は途中から宣伝に加わりました。会社の元同僚に頼んで、デザインや、キャッチコピーとか考えてもらったり、webのアイデアをもらったりと、調整役というか…。もともと伊月さんのイメージでは、今回が成功したら、来年以降もユニジャパンから予算が出て、「若手映像クリエーター育成プロジェクト」は続くから、今後「NNF出身です」って言うと映画監督として箔が付くという、かなりはっきりした戦略があって、それを膨らませるのが僕の役目かなと。



木村:それくらいのブランド力を目指してるんだ!?知らなかった(笑)。ノーネームだけど無印良品、みたいな(笑)。



吉野:PFFとかCO2みたいに、それに匹敵するような、皆の土台になるようなものになればいいなあと、それにもとづいてネーミングも考えたんですよ。いい前例になれればいいなと思います。投資をする人が、若い人にお金を出したら、結構いいもの作るんだなあと思うきっかけになれれば。



木村:あとは、やっぱりユニジャパンという後ろ盾は大きい。



田崎:そうですよね。普通の自主映画だとロケ地の交渉もたいてい断られますし。いまフィルムコミッションも商業映画しか受けてくれないところも多いですよね。



片岡:「経済産業省の若手育成」って文言、大々的に使わせてもらいました(笑)。役者さんにも、正当なギャラは支払えていないのですけど、これは「経産省の若手育成プロジェクト」だからって。



田崎:機材とか借りたらあっという間に予算なくなりますもんね。



吉野:やっぱり一定収入がないと映画って作り続けていけない。






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片岡翔監督作『ぬくぬくの木』より



──最後にNNFの見どころを教えてください。



片岡:ショートフィルムの面白さって、長編とは違うものがある。でも一般のお客さんはまったくと言っていいほど知らないので、知っていただくきっかけになれればと思いますね。15分でも結構楽しめるんだなと。まったく作風も個性もばらばらな監督が集まっているので、1本の長編を観るのとは、まったく違う楽しみがあると思います。



木村:あとこれは伊月さんが言っていたことだけど、NNFに参加している10名の監督は、東京造形大、大阪芸大、武蔵野美術大学、日芸、NCW、映画美学校と、主要な映画学校の出身の監督が全部入っている。それに吉野さんみたいな広告畑から自主映画にきた方もいて。東京で自主映画作っている人達が誰なのか、どういう方法論でどういうテーマの作品を作っているかが、NNFに来れば、一発でわかると思う。そういうメンツが一律200万円という予算で自由に作品を作ったら、こうなるんだと。これから映画作りを始めるすごく若い人たちにも見てほしいし、商業映画の方たちにも、自分の想いを映像で形にするってどういうことだったのか、刺激を受けに来てほしい。あとは、デートとかで来て、カップルの相性チェックに使ったりとかね。



──いろいろなジャンルの作品があるから、センスのチェックができるということですか(笑)。



木村:そうそう、あの映画はつまらなかったよね、とか、あの映画がよかったよねとか、そこが一致するかしないか(笑)。あと、夜9時からのレイトショーだし、仕事をしている人も来やすいと思う。



吉野:知り合いのCMプロデューサーの方が、この「若手映像クリエーター育成プロジェクト」の企画を知って「こんな手があったのか」と悔しがっていましたね。広告の世界に入る人って、学生時代に映画を作ってきたけどあきらめた人も結構多いんですよ。だから、自分の知り合いのCM監督を使って、企画を応募して、映画を撮る方法もあったんだって言っていました。



木村:え~、一緒にやってほしい。広告の人と一緒に撮って、ノウハウを交換したい。こっちにはあまり(ノウハウは)ないけれど(笑)。



吉野:これまでの自主映画という枠から、少しずつ広がっていくといいですよね。CM畑の人もいつかは映画を、と思っている人も多いと思うので。



──最後に何か言い残したことはありますか?



木村:(業界の方たちには)パイロット版として観に来ていただきたいです。「わたしに、長編を撮らせてください」……っていうタイトルにすればよかったかな(笑)、「わたしたちがうたうとき」じゃなくて(笑)。



吉野:(作品の良さが)だいなしだ(笑)。



田崎:ぜひ観に来てください!



(取材・文:鈴木沓子)









◆UNIJAPAN 人材育成プロジェクトとは


若手映像クリエーターを対象とした映像制作プロジェクト。経済産業省より「平成22年度新進若手映像等人材発掘・国際ネットワーク構築事業」を受託した公益財団法人ユニジャパンが、コンテンツ産業の人材育成プロジェクトの一環として実施。優れた才能を秘めている若手クリエーターを発掘・育成し、発表の場を提供することで、我が国コンテンツ産業のすそ野の拡大を図ることを目的としている。












『日曜大工のすすめ』



監督・脚本・編集:吉野耕平

プロデューサー:安永豊

出演:池口十兵衛、小林麻子



吉野耕平


1979年、大阪生まれ。広告代理店を経てディレクターに転身、CG、アニメーション、VJ、実写映画などジャンルを問わず制作している。主な受賞歴、ぴあフィルムフェスティバル(00年、02年、04年)。文化庁メディア芸術祭(10年)審査員推薦作品ほか。『日曜大工のすすめ』が、本年度釜山国際映画祭でアジア短編映画賞Sonje賞を受賞。











『わたしたちがうたうとき』



監督・脚本:木村有理子

プロデューサー:田中深雪

出演:増田璃子、宇野愛海、利重剛、鈴木卓爾、川崎桜



木村有理子


1974年、群馬県出身。慶応義塾大学環境情報学部メディアアート専攻卒業。イメージフォーラム、映画美学校を経て、角川映画でDVDパッケージ制作を担当。主な作品に、『犬を撃つ』(2000年カンヌ国際映画祭シネフォンダシオン部門門正式出品)『daughters』(08)、オムニバス映画『Abed~二十歳の恋』より『なつめ』(2010年札幌国際短編映画祭招待作品)がある。少女たちを描いたドキュメンタリー作品がこの冬完成予定。












『ぬくぬくの木』




監督・脚本・編集・美術:片岡翔

プロデューサー:和田有啓

出演:小野ゆり子、麿 赤兒、草村礼子、南 まりか、鈴木卓爾



片岡翔


1982年、札幌市出身。ショートショートフィルムフェスティバルにて2009年から三年連続で観客賞を受賞し、本年はSTOP!温暖化部門で3冠を受賞。近作『くらげくん』は、PFFアワード2010で準グランプリを受賞したほか、7つの映画祭でのグランプリを含む13冠を達成。また、佐藤佐吉監督作品『Miss Boys!』(12月公開)の脚本を担当するなど、商業映画の脚本家としても活動している。












ふたつのウーテル



監督・脚本:田崎恵美

プロデューサー:西野智也

出演:水口早香、澤田栄一



田崎恵美


1987年、大阪生まれ。お茶の水女子大学の学生であるかたわら、2007年より早稲田大学映画研究会に所属し、自主映画の制作を始める。昨年『アンナと二階の部屋』で第3回TOHOシネマズ学生映画祭ショートフィルム部門グランプリ、第32回ぴあフィルムフェスティバルのエンタテインメント賞、同企画賞を受賞。『ふたつのウーテル』が昨年カンヌ国際映画祭短編部門に、日本人監督としては46年ぶりの入賞を果たした。











『遠くはなれて』


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監督・脚本:廣原暁

プロデューサー:根本佳美

出演:藤川史人、泉光典、真砂豪、池田将



廣原 暁


1986年、東京都出身。2009年、武蔵野美術大学映像学科卒業。同年、東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻監督領域入学。主な監督作品に『世界グッドモーニング!!』(09)(第12回京都国際学生映画祭、準グランプリ・観客賞、第32回PFF審査員特別賞、第29回バンクーバー国際映画祭Dragons & Tigers Award for Young Cinema受賞)










『路上』


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監督・脚本・編集:山川公平

プロデューサー:田口稔

出演:平岡秀幸、カイ、ハナ、ヴィクトリア・ゾーリー、岩佐好益、谷口高史



山川公平


1982新潟県生まれ。高校卒業後陸上自衛隊に入隊。その後、大阪芸術大学短期大学部経営デザイン学科修了後、映像学科へ編入する。2008年に初監督作品『あんたの家』を製作し、第32回ぴあフィルムフェスティバルにてグランプリを受賞。第23回東京国際映画祭・ある視点部門、ロッテルダム国際映画祭2010フォーラム部門へ正式出品。2010年『田村どの佐久間どの』(自主制作・水戸短編映像祭セレクション企画)を池袋シネマ・ロサにて上映。他、ミュージックビデオ、企業ビデオを制作。












『バーニングハーツ』


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監督:ジェームス・マクフェイ

プロデューサー:花岡敏夫

出演:市山英貴、アンナ・シュバック、ジェス・マッコール、ローリー・スチュアート




ジェームス・マクフェイ


オーストラリア出身。日本でモデル業をする傍らミュージックビデオ等の映像制作を精力的に手がける。自ら立ち上げたBeaufortの原動力であり、
Bag Raiders や Pomomofo 等のオーストラリア人アーティストのために草分け的予算ゼロのミュージックビデオを手がける。自身で脚本、監督、音楽制作、
俳優をこなし2009年には日本でモデルとして働く自らの経験を活かし、日本で働くモデルの孤独と葛藤を描いた Beaufort初の長編映画『Tiger』を発表した。







『ニューキッズオンザゲリラ』


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監督・脚本:阿部綾織

監督・撮影:高橋那月

プロデューサー:渡辺直樹

出演:柄本 佑、齋藤浩太、田村律子、持田加奈子




阿部綾織/高橋那月


共に東京造形大学造形学部美術学科に入学。油絵専攻であるが映画制作に興味を持ち意気投合。二人の処女長編作品『サンディの水槽』(08)を作っていく中で映画制作への意欲が高まり、
2007年には同居をしながら共同制作を本格化していく。10年には未発表作だった『白昼のイカロス』(09)が
第32回ぴあフィルムフェスティバルに入選し審査員特別賞を受賞、バンクーバー国際映画祭ドラゴン&タイガー賞にノミネートされる。











『トビラを開くのは誰?』


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監督・脚本・編集・伊月肇

プロデューサー:柴田啓佑

出演:鈴木知憲、優恵、玉置稔、杉本神伊、橋野純平




伊月肇


1980年生まれ。大阪芸術大学映像学科卒業。大学在学中に山下敦弘監督作品『ばかのハコ船』にスタッフとして参加。映像制作会社退社後、自主映画制作を行う。2010年、初長編作品『-×-』(マイナス・カケル・マイナス)がローマ国際映画祭に正式招待される。













『閑古鳥が泣いてたら』


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監督・脚本・編集:小林岳

プロデューサー:宮地慶

出演:栗橋勇、前田亜季、亀山スーザン久美子




小林岳


1986年生まれ、東京都出身。日本大学芸術学部放送学科に入学し、映画制作を始める。映像制作団体『三代川達』にてワタナベカズキ監督や、頃安祐良監督ら先輩たちのお世話になる。卒業後は奥田庸介監督率いる『映画蛮族』に参加し、『青春墓場~明日と一緒に歩くのだ~』などに撮影として携わる。卒業制作として自身で監督した『真っ赤な嘘』が第32回ぴあフィルムフェスティバルにて映画ファン賞を受賞。












No Name Films(ノー・ネーム・フィルムズ)

渋谷ユーロスペースにて、11月19日(土)~12月2日(金)連日21:00よりレイトショー



新進気鋭映画監督10名による、15分の短編を一挙公開。上映日は、Aプログラム、Bプログラムにわけて、連日5作品づつ上映される。上映後は、それぞれの監督によるトークイベントや、最新作の上映、漫才などイベントも多数予定されている。




当日券1,500円、前売券1,200円のほか、No Name割(10名の参加監督と同じ名字の人)は、当日券でも前売りと同じ料金で鑑賞可能など、各種割引有

スケジュールなどの詳細は、公式サイトまで。http://www.nonamefilms2011.com










イベント情報



『オールモスト・フェイマス-未配給映画探訪』連動企画

『僕らの未来』トーク付き上映

(ゲスト:飯塚花笑、針間克己)



『オールモスト・フェイマス-未配給映画探訪』連動企画がスタート!第一回は飯塚花笑監督が性同一性障害である監督自身の体験が反映させた『僕らの未来』。今年のPFFアワードに最年少で入選、審査員特別賞を受賞し、バンクーバー国際映画祭コンペティションにも出品された。今作の上映と併せて、脚本・撮影・編集も手がけた飯塚監督、そして精神科医の針間克己医師を迎えたトークを実施。


飯塚監督インタビュー:自分らしく生きるためには?性同一性障害に悩んできた飯塚花笑監督が自身の実体験をもとに制作した『僕らの未来』(2011.9.22)



日時:2011年11月21日(月) 18:30開場/19:00開演

会場:渋谷アップリンク・ファクトリー


(〒150-0042 東京都渋谷区宇田川町37-18 トツネビル1F tel.03-6825-5502)[googlemaps:東京都渋谷区宇田川町37-18]

料金:予約/当日¥1,300

上映作品:『僕らの未来』

ゲスト:飯塚花笑監督、針間克己医師(精神科医、はりまメンタルクリニック院長)

ご予約はこちら





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「本当のテーマは、移民や犯罪問題ではなく、祖国と家族にある」『J.A.C.E /ジェイス』カラマギョーリス監督インタビュー http://www.webdice.jp/dice/detail/3285/ Wed, 02 Nov 2011 13:52:59 +0100
『J.A.C.E /ジェイス』より (c)2011 Pausilypon Films - Ukbar Filmes - Geyzer Films - Pi Film - Kaliber Film - CL productions - Blonde S.A. - Graal S.A. - GFC - ERT S.A. - NOVA



今年の東京国際映画祭コンペティション部門は、新進気鋭から実力派と呼ばれる監督の力作が集まった。その中で、惜しくも賞は逃したものの、会期中多く話題に上った作品が『J.A.C.E /ジェイス』だ。ギリシャの深刻な社会問題である子ども移民や、マフィアによる人身、臓器、麻薬売買をテーマに、虚実ないまぜの緊張感溢れるストーリー展開で、悪質な裏社会をひも解く“衝撃的な暗黒エンターテイメント”と呼ばれた。




犯罪組織に家族を虐殺される現場を目の当たりにしたギリシャ系アルバニア人の子ども、ジェイス。マフィアによる人身売買を逃れ、サーカス団に辿りつき、やがてショービズの世界へと向かう中で、同じ境遇の子ども達や、警察、マフィア、男娼などさまざまな人物と出会う。カメラは、その裏社会の中で、必死に家族と自分の居場所を求めて彷徨うジェイスの半生を追う。



来日したメネラオス・カラマギョーリス監督は、98年にテッサロニキ国際映画祭で最優秀新人ギリシャ監督賞を受賞、本作は13年ぶりの長編2作目になる。ギリシャ財政危機の混乱の中、来日を果たしたカラマギョーリス監督に話を聞いた。




「家」を離れることで

居場所をみつける孤児の物語



──先の読めない展開と、見事な複線の張り方に最後まで目が離せませんでした。複雑に絡み合う物語は、どのように構成されたのですか。



そう言ってもらえてすごく嬉しいし、ほっとするよ(笑)。2時間半という尺は映画としては長すぎるから、日本の観客の皆さんが苦痛に感じないか、心配していました。3人の編集者を使ったため、そのバランスを取るのに苦労しましたね。映画祭に来る前日まで編集していたので、事務局の皆さんに迷惑をおかけしてしまったのですが、そのかいがありました(苦笑)。ギリシャでは古くから『オデュッセイア』のような複雑な物語があるので、特別なものだとは思っていません。オデュッセウスは家に帰るために旅を続けますが、この映画の主人公ジェイスは家から離れていくことで、自分の居場所を見つけるのです。




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『J.A.C.E /ジェイス』のメネラオス・カラマギョーリス監督



──なぜ子ども移民をテーマに作品を撮ったのですか?



ふたつ理由があります。この作品の中で取り上げている犯罪はギリシャでは日常的な身近な問題で、新聞やテレビで毎日報道されていることです。もうひとつは、バルカン半島の歴史と成り立ちについて触れなければいけません。バルカン半島の国境は何度も引き直され、第二次大戦後、ギリシャ人はギリシャとアルバニアとで離ればなれに暮らしていました。その結果、家族や親戚と50年以上も会えなくなった人がたくさんいた。


本作では、ジェイスはアルバニアからギリシャに戻りますが、祖国を失い、どこに行っても異邦人になってしまう。僕自身はギリシャ人なのですが、祖母がアルバニア人でアルバニアの言葉を話します。そして、近所にもアルバニア人が多く住んでいて、僕は彼らと一緒に育った。一方、アフリカ、中東、アジアからの移民も多い。そういうギリシャという国で生まれた僕にとっては、ギリシャという国の定義、国の意味が、ずっとわからなかったのです。私たちにとって、“国”や“国民”って一体なんの意味があるのでしょうか?政治事情によって何度も引き直される国境なんて意味がないし、私たち個人のアイディンティティには何の関係がない。


バルカン半島にとって、“ナショナリティ”とは常に紛争の火種でしかなかった。本来は一緒の家族なのに。彼らは“他人が作ったゲーム”の上で兄弟同士の殺し合いをしている。そんな情勢の中で、私自身にとって、自分の国、自分の家族、自分のアイディンティティというものを、自分自身がいる身近な環境や人間関係の中で見つけることが、私の人生において何より重要なことだったのです。そういう意味では、本作の本当のテーマは、移民問題でも犯罪組織でもなく、祖国や家族にあるのです。




家族をどう守るか、

それが一番重要な政治問題




──グローバル化が進む今、日本でも他人事ではない問題です。



世界各国で共通した問題ではないかと思います。私が映画監督を目指すきっかけになったのは、小津安二郎監督の『東京物語』なんですよ。小津監督も「家族」をテーマに映画を撮り続けた監督ではないでしょうか。


家族には、2つの家族があると思います。ひとつは、血縁関係のある家族。自分の生まれた家族ですね。でも、人生において、もっとも重要なことは、自分で選択して、血縁関係のない他人と、家族という人間関係を築き上げることなのだと思う。


私が『J.A.C.E /ジェイス』で撮りたかったものは、「母国」は自分では選べませんが、「国」の一番小さな単位である「家族」は自分で選んで築くことができる、ということです。
ジェイスも、生まれ育った家族と祖国を失いますが、それぞれの場所で、出会った人たちと家族のような関係を築きあげていく。それを描きたかった。今、ギリシャでは、経済危機、子どもの不法移民、人身売買、麻薬問題など社会問題がたくさんあります。でも本当に問題にしなければならないのは、ひとり一人の「家族」をどう守っていくのかだと思う。それが一番重要な“政治問題”ではないでしょうか。


私も自分の家族をすごく大事にしています。僕にとっての家族は、生まれながらの家族、そして一緒に映画を撮ってきたスタッフです。初めての監督作品からずっと同じメンバーで撮っていて、プロデューサーとは、もう15年間一緒に働いています。ギリシャでは、“映画業界”というものは存在しません。“産業”になっていないんですよ。ですから、映画制作を続けていくにあたって、家族のようなスタッフがいることが、とても重要で、そうしたスタッフを持てたことに感謝しています。


そうやって制作した作品を、今回日本で上映することが出来て、日本の観客の皆さんが理解してくれ、喜んでくれた。そういうつながりを持てたことが、本当にうれしく思います。




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『J.A.C.E /ジェイス』より (c)2011 Pausilypon Films - Ukbar Filmes - Geyzer Films - Pi Film - Kaliber Film - CL productions - Blonde S.A. - Graal S.A. - GFC - ERT S.A. - NOVA



──「象」のメタファーが効果的です。「親のいない子象は、凶暴になるから印をつけておく」という、サーカス団のエピソードは実話ですか?



本当です。偶然新聞記事で読んで知りました。象はとても人間に近い動物のようですね。親のいない子象と孤児の少年には、たくさんの共通点があると思いました。私たちの社会でも弱肉強食のジャングルと同じ掟があります。その中で不意に孤独や不安や恐怖を感じた孤児は、一瞬にして犯罪者や犠牲者になってしまう。タイトルの『J.A.C.E /ジェイス』は、Just Another Confused Elephant(群れから離れて困惑する象)の略で、主人公ジェイスは、特定の人物ではなく、無数にいる孤児の代名詞なのです。彼らは、自分自身の居場所とアイディンティティを見つけるまで、彼らを利用するサーカス団と、アテネという都市のジャングルをさまよわなければならない。



──映画制作はどのように学ばれたのですか?



学生時代から映画監督を目指していたのですが、家族に反対されたこともあり、大学ではギリシャ文学と考古学を学び、同時に助監督をしていました。その後、イタリアで3年間ドキュメンタリー映画制作について学びました。そしてイタリアのジプシーをテーマに『Gloria Olivae』という作品を撮りました。でもその作品はドキュメンタリー映画としては大失敗だと思った。私はドキュメンタリー映画でしてはいけないこと、つまり劇映画のようなストーリー仕立てにしてしまったんです。でもその作品は良い評価を得ましたし、今の私の作風にもつながっていると思います。今後も現実の問題を取り上げ、フィクション映画を撮る手法で映画を撮り続けると思います。



──現在のギリシャの財政問題や社会混乱において、移民問題はどのように関係しているのでしょうか。



経済危機と移民問題には、深い関係があると思います。かつてギリシャは、ヨーロッパの中で人種差別がない国と言われていました。もともと多民族が集まる地理的条件もあって、多くの移民やジプシーを受け入れてきた歴史があるからです。でも今ギリシャには30万以上の不法滞在者がいると言われていて、子ども移民の人身売買など、悪質な犯罪が横行して治安が悪化したことから、ここ20年の間、ギリシャ人は次第に移民を排除するようになりました。ギリシャ政府は現在、不法移民の阻止を目的に、トルコとの国境沿いに全長12キロにおよぶフェンスを設置する計画を進めています。でも、すでに移民達は、介護やサービス業の仕事、農業の仕事などにつき、ギリシャという国に根づいてしまっています。しかし、この経済危機で、仕事を失なったギリシャ人が「移民が私たちの仕事を奪っている」と考える人も少なくないので、今後も移民に対する軋轢が深まるのではないかと懸念しています。


本作で少年期のジェイスを演じてくれた俳優もギリシャ系アルバニア人です。この映画に出演してくれることが決まって、しばらくたってから、打ち明けられました。「僕の名前はギリシャ系だけど、本当はギリシャ系アルバニア人なんです。監督は気にしませんか?」と。君に問題がなければ、ぜひ出演してほしいとお願いしました。彼にとって、この映画は他人事ではない特別なものになったようです。


Greek(ギリシャの)という言葉には、いろいろなところに行って戻ってくるという意味があります。この映画の登場人物も私たちも、きっと自分が戻る場所を見つけられると思うのです。



(インタビュー・文:鈴木沓子)

▼『J.A.C.E /ジェイス』予告編
[youtube:xLibp0KiWH8]






■メネラオス・カラマギョーリス プロフィール



ギリシャに生まれ、アテネ大学で古典文学を学ぶ。映画、テレビの監督、脚本家でプロデューサー。製作会社Pausilypon Filmsの創設者。ドキュメンタリーとフィクションの両方を監督、ドキュメンタリーの代表作に『Gloria Olivae』、『Rom』、フィクションでは 『Black Out』がある。








『J.A.C.E /ジェイス』



監督・脚本:メネラオス・カラマギョーリス

出演:アルバン・ウカズほか

ギリシャ、ポルトガル、マケドニア、旧ユーゴスラビア、トルコ、オランダ/2011年/142分








イベント情報



『オールモスト・フェイマス-未配給映画探訪』連動企画

『僕らの未来』トーク付き上映

(ゲスト:飯塚花笑、針間克己)



『オールモスト・フェイマス-未配給映画探訪』連動企画がスタート!第一回は飯塚花笑監督が性同一性障害である監督自身の体験が反映させた『僕らの未来』。今年のPFFアワードに最年少で入選、バンクーバー国際映画祭コンペティションにも出品された。今作の上映と併せて、脚本・撮影・編集も手がけた飯塚監督、そして精神科医の針間克己医師を迎えたトークを実施。


飯塚監督インタビュー:自分らしく生きるためには?性同一性障害に悩んできた飯塚花笑監督が自身の実体験をもとに制作した『僕らの未来』(2011.9.22)



日時:2011年11月21日(月) 18:30開場/19:00開演

会場:渋谷アップリンク・ファクトリー


(〒150-0042 東京都渋谷区宇田川町37-18 トツネビル1F tel.03-6825-5502)[googlemaps:東京都渋谷区宇田川町37-18]

料金:予約/当日¥1,300

上映作品:『僕らの未来』

ゲスト:飯塚花笑監督、針間克己医師(精神科医、はりまメンタルクリニック院長)

ご予約はこちら







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「少数民族の文化は、見える形での変化はあっても、心の中は簡単にはなくならない」山形国際ドキュメンタリー映画祭コンペ出品作『雨果の休暇』 http://www.webdice.jp/dice/detail/3272/ Mon, 24 Oct 2011 14:26:02 +0100
『雨果の休暇』より

今年も世界各国からドキュメンタリー作品が集まった山形国際ドキュメンタリー映画祭。紛争や戦争、植民地問題、グローバル化、移民と民族問題など、作品のテーマはさまざまだ。言葉も文化も宗教も違う国々の人々が抱えている背景や問題は、それぞれ異なるが、それでも同じ「映画」という共通のツールを持つ。同時に、それぞれにとっての「映画」の意味や重みは、また異なるのだということを肌で感じた映画祭だった。特に、映画を自由に撮影したり上映することが禁じられている国で制作された作品では、困難な現状の中でも、生きる力や笑いを見せながら問題を浮き彫りにする作品が多く見られた。アジア部門の入選作品『雨果(ユィ・グォ)の休暇』もそのひとつ。今年の同映画祭で、観客席を、笑いと涙と驚きで、もっとも沸かせた作品だったのではないだろうか。本作で、アジア千波万波部門の大賞である小川紳介賞を受賞した顧桃(グー・タオ)監督に話を聞いた。



【あらすじ】

「最後の狩猟民族」と呼ばれる中国の少数民族エヴェンキ族。本作では、エヴェンキ族と森の生活を離れ、寄宿舎学校に通う少年雨果(ユィ・グォ)が3年ぶりに帰省した数日間を追っている。

ユィ・グォが寄宿舎学校に通うことになるきっかけは、母である柳霞(リュウ・シア)が夫を亡くした悲しみからアルコール中毒になり、親としての責任能力を問われたことが理由のひとつだった。新しい生活や文化に適応しながらも母を気遣うユィ・グォと、一人息子との再会を子どものように喜び、愛情を爆発させるリュウ・シア。

監督自身が、内モンゴル自治区の森オルグヤで彼らエヴェンキ族と生活を共にしながら、3年間に渡って撮影した長編『オルグヤ、オルグヤ…』の続編にあたるこの作品。その密着した記録映像は、まるでスクリーンが介在しないかのように、一族が生活する森の中へと、観る者をいざなう。



少数民族を理解しようと思っても、難しい現実がある



 

──なぜこのエヴェンキ族のドキュメンタリーを撮ろうと思ったのですか?



もともと私の父が、エヴェンキ族の文化や生活の調査をしていました。父は、映画に出てくる家族と寝食を共にし、森での仕事を手伝いながら調査を続け、写真を撮っていました。でも父が足を怪我したことで、代わりに私がカメラマンとして撮影に入ることになったんです。私自身、中国の少数民族である満州民族なので、彼らの文化や人柄に非常に興味を持ちました。そして、2005年から3年間、彼らと一緒に生活しました。放牧をしたり、木を切ったり、一緒に生活しながら撮影を行いました。

初めはカメラ撮影だけでしたが、彼らと時間を過ごすほどに「これは写真だけの記録に止まらせておくべきではない」と強く思ったのです。

しかし、中国でインディペンデント映画を作っている監督は皆同じですが、私も映画制作を学んだことはありませんでした。ましてやドキュメンタリー映画をどうやって撮るのかも、わかりませんでした。そんな手探りの状態で撮り始めましたが、彼らが私を家族として迎えてくれて、強い信頼関係が生まれたからこそ、撮れた作品だと思っています。



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『雨果の休暇』の顧桃(グー・タオ)監督


──なぜ“写真では足りない、映像で撮らなくてはならない”と思ったのでしょうか?



中国政府の移住計画により、エヴェンキ族の多くは狩猟を規制され、政府が用意した新居住区へと移り住まざるをえなくなりました。しかし、生活環境が大きく変わって、生きる目的を失い、絶望や不安を紛らわせるために、お酒で気持ちを紛らわせる人も少なくなった。

そんな時、彼らのもとにテレビの取材が来たのですが、テレビ局の人は、エヴェンキ族に、カメラの前で「新移住区に住むことができて嬉しい」と言わせていた。でもその後ろでエヴェンキ族の人たちは泣いていました。森から連れてきたトナカイは死んでしまって、新しい環境で、これから何をすればいいのか、どうやって生きていけばいいのかと。こうした現状を伝えるには、写真ではどうしても足りない、ドキュメンタリー映画を撮らなければならないと強く感じました。



──新しい環境になじめず、苦労しているエヴェンキ族は多いのでしょうか?



政府から家を与えられて、新移住区に移り住んでも、生きる目的や意味を見失ってしまう人が多い。狩猟は生きる糧であり、文化です。そして映画の中でも、リュウ・シアが「私の母は太陽、父は月、息子は星」と言う通り、先祖代々森の中で生活してきた彼らにとって、自然はまるで家族の一因のようなものです。

編集段階ではカットしてしまったのですが、酋長のマリアが、「日本人がやってきた。日本人は我々に銃を与えた。ソ連軍がやってきた。ソ連軍も銃を与えてくれた。でも中国政府は私たちから銃を取り上げた」と話すシーンがありました。実際に、政府はエヴェンキ族から銃を取り上げて、狩猟を規制しました。でも決められたルールで狩猟をすることは、彼らにとって意味がないのです。彼ら一族の狩猟には、彼らのルールとやり方がある。それを失った悲しみは図り知れません。森と共に生きていた彼らは、生きる居場所と人生の目的をいっぺんに失ったのです。

しかし、こうした現状は、中国ではあまり理解されていないと思います。映画の冒頭で、電車の中でエヴァンキ族と乗り合わせた漢民族の女性が、彼らを「うらやましい」と言うシーンがありますが、中国では一般的に“少数民族はとても恵まれている”と思っている人が多いようです。政府から家を与えてもらったり、一人っ子政策の対象からは除外されていたり、私たちと比べてはるかに優遇されているのではないかと。しかし、少数民族は全体の1%ほど。実際に、理解しようと思っても難しい現実があります。彼らの文化や彼らの事情を知らないし、知るきっかけも少ないですから。




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『雨果の休暇』より




──中国政府の“優遇措置”は、エヴェンキ族が本当に必要としている支援とは、かけ離れてしまっているのでしょうか。



簡単には答えられない難しい現状があります。しかし、エヴェンキ族の中にも、政府の政策を受け入れて新しい環境に慣れようと頑張っている人も多くいます。でも、それは想像以上に大変なことなのです。例えば、リュウ・シアは、ユィ・グォが寄宿舎学校に入れさせられた後、3年間息子に会っていません。本当は学校が休暇中なら、いつでも家族と会うことができるのです。でも、ずっと会いたいと願っていたのに、会えなかった。それは、森を下りて、どうやって学校に行き、どんな手続きをすれば息子に会えるのかすら、彼女にはわからなかったから。まず、一人で公共のハスや電車に乗り継いで、どこかへ行くということにも慣れていません。

また作品の中で、リュウ・シアが「オルグヤ学校ができました」という歌詞の歌を歌っていますが、実際は、その計画は途中でなくなりました。そこには私立校が建ったのですが、学費が高額なため、彼らには支払えるものではありませんでした。ユィ・グォは、彼の母がアルコール中毒と判断されたため、母親と森から引き離され、学校に通うことができた。それは悲しい出来事ではありますが、しかし学校に通うことができたことは、とても幸運なことでもあると言えます。しかし、学校の義務教育では、もちろんエヴァンキ族の言葉や文化は教えませんから、一概には論じられない、難しい問題や状況があります。




記録しなければ、歴史上いなかったことになってしまう




この映画は、もともと撮るつもりで撮影した訳ではありませんでした。リュウ・シアは夫を亡くした上、一人息子と切り離されて、寂しさと喪失感から酒におぼれ、暴れては人に殴られていたので、なんとか彼女を元気づけ、励ましたかった。そうした状況から希望を持つにはどうしたらよいのだろうと思った時に、一人息子と再会できたらどうだろうと思ったのです。私は、学校とかけ合って、彼の休暇中に帰省する手続きを取りました。その時は、これを映画にしようとは考えてもみなかったので、カメラを持たずに、ユィ・グォを迎えに行きました。車が森に近づくと、ユィ・グォは興奮して、様子が変わってきた。みるみる元気になって、床に寝そべったり、森の生活でよくしていた仕草を見せ始めました。その様子を見ながら、「これは撮影しなければならない」と思い、途中でカメラを借りに行ってから、森に連れて帰りました。




──老女マリアが曹長と呼ばれて、一族を統治していますが、どのように曹長になったのですか。



マリアは森に住んでいる時間が長いので、どういう場所に住み家を作るべきなのか、どこに水源があるのかという知恵が豊富で、一族にとっては、まさに生き字引なのです。また、亡くなった彼女の夫は、非常に優れた狩人でした。そして彼女自身、政府から新移住区に移るよう強制された時に、頑として承諾の署名をせず、森に住み続けた。そうしたこともあって、曹長としての尊敬と信頼を得たのだと思います。




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『雨果の休暇』より





──「最後の狩猟民族」と呼ばれることを、彼らはどう認識しているのでしょうか。



エヴェンキ族も、自分たちが最後の狩猟民族であるということを認識していますし、覚悟をしています。しかし、文化というのは長い時間をかけて作られたものです。生活様式など、見える形での変化は出てくるのでしょうが、心の中の文化までは、簡単にはなくならないと思います。ただし、木の皮を剥いで着るものを作ったりという彼ら独自の文化は、遅かれ早かれ、博物館でしか、見られないものになるでしょう。ですから、私の作品は、未来の子どもたちに向けて作ったのです。かつて、こういう文化、こういう人がいたということを次の世代に伝えるために。



──グー・タオ監督の今後の予定は?



今後は中国北東部の少数民族と一緒に生活しながら、彼らのドキュメンタリー作品を撮っていきたいと思っています。中国では、映画を制作したり、一般上映する際には、政府の承認が必要です。でも、それに従っていたら、自分の撮りたい作品は、何も作れないし上映できません。一般公開されることがなくても撮り続けなければならない。今、映像で記録しておかなければ、(少数民族がいなくなった時に)彼らは歴史上いなかったことになってしまう。そういう気持ちに突き動かされるのです。



(取材・文:鈴木沓子)








顧桃(グー・タオ) プロフィール


1970年、内モンゴル生まれ。内モンゴル芸術学院で油絵を、その後、北京美術学院で写真を学ぶ。2005年からドキュメンタリー映画の制作を始め、エヴェンキ族と暮らしながら3年かけて撮影した『オルグヤ、オルグヤ…』を2008年に完成。その後も、何本かのドキュメンタリー映画を制作している。









『雨果(ユィグォ)の休暇』



監督:顧桃(グー・タオ)

中国/2011/中国語/カラー/ビデオ/49分









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骰子の眼『ドストエフスキーを訳した老翻訳家の半生から、天文学の聖地チリの歴史まで、注目作揃う山形国際ドキュメンタリー映画祭開幕』(2011.10.5)

http://www.webdice.jp/dice/detail/3244/

TOPICS『山形ドキュメンタリー映画祭受賞作品発表』(2011.10.12)

http://www.webdice.jp/topics/detail/3252/





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今泉かおり監督『聴こえてる、ふりをしただけ』─観た大人を一度子供に戻し、その後大人にさせる映画 http://www.webdice.jp/dice/detail/3209/ Wed, 14 Sep 2011 12:02:50 +0100
今泉かおり監督『聴こえてる、ふりをしただけ』より

 

今年7月、東京でも上映された「CO2東京上映会2011」で、大きな話題をさらった、今泉かおり監督の『聴こえてる、ふりをしただけ』。前評判の大きさを聞いて駆けつけた上映会は連日満席で、最終回は立ち見も出たほど。私はというと、上映中、ポケットティッシュを使い果たしてもまだ足りないほど号泣させられ、鑑賞後しばらく、言葉を失くしました。それは悲しさからではなく、あたたかさから。



物語は、母を亡くした小学生のさっちゃんが、母親の死別を受け入れ、生と死を学び、友人関係を築きながら、再び新しい日常を生きていくまでの数ヶ月間を描いたもの。死別による絶対的な孤独感、気持ちの整理のつかなさ。映画は、気丈にふるまうさっちゃんの涙の表面張力を、巧みな心理描写で綴っていく。内面の気持ちを表現する術を持たない子供の感情を、映像ですくい取ることで、「作品を観た大人を一度子供に戻し、その後大人にさせる」映画なのです。



「今泉かおり監督って誰なんだろう?」と思ったら、今泉力哉監督の奥さまであることが判明。既にその但し書きは不要じゃないかと思うほどの監督としての力量に、どんな人なのだろうと思いましたが、ご本人はとても感じのいい、働くお母さんでした。






子供時代の記憶を再現



──子供同士の台詞がリアルで、子供の世界にぐっと引きこまれました。着想はどこから?



自分の子供時代の体験と記憶がもとになっています。子供って、大人に憧れることで大人になっていきますよね。でも、私は、子供時代が終わるのが嫌で嫌で仕方がなかった。

私が小学生の時に、家族が大病したことで、突然にして私の子供時代は終わってしまったんです。その時の経験がずっと心に残っていたので、自分の気持ちを再現するままに撮りました。当時一番つらかったのは、いろいろなことが起こった自分の気持ちとは裏腹に、学校では、これまでの日常生活を送らなければならないこと。そのあたりを撮りたかったので、映画を通じてみなさんに伝わったのなら、嬉しいです。子供の演出は、子役の子の勘が良くて助けられましたね。のんちゃん役の子は、自分でキャラクターを作ってきてくれたし、みんなで集まっているシーンでは、アドリブも多いんですよ。





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今泉かおり監督




女性監督ならではの、生活に根差した心象表現



──ほこりの積もり具合や、椅子に掛けられたエプロンなどから、母の不在の悲しみを伝えるカットが秀逸でした。匂い立つような生活感や日常生活の細やかな表現に、魅せられました。



ありがとうございます!ほこりは、そのまま撮っても、なかなか映らなくて苦労したカットです。ただ、こういうシーンは、男性には細かすぎて、伝わらなかったみたいです。女の人には共感してもらえることが多いのですけれど……。女同士の友情の形だとかも。CO2事務局の女性スタッフからも「これは男性にはわからないかもしれませんね」なんて言われたくらいで…。でも賭けだったんです。

私は、看護師として働いているし、ちょうど長女が生まれたので、助成金と有休を手に入れられなければ、映画を撮ることはできませんでした。まとまった有休が取れる可能性は、育児休暇のみ。でも、それも子供の生後1年までがリミットなんです。CO2からの発表連絡は、子供が生後1年に達するぎりぎりの時期にいただいたので、この作品を撮ることが叶いました。




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『聴こえてる、ふりをしただけ』より



なぜ作品を撮る必要があったのか



──そこまで映画を撮ろうと駆り立てられたものって、何だったのでしょう。仕事と家庭の両立だけでも大変ですよね。



ずっと映画を観ることが好きで、一度映画を撮ってみたかった。だから、26歳の時に、仕事を辞めて上京し、ENBUゼミナールに入学しました。2008年に撮った短編『この、世界』を下地に、長編を書き始めたことがきっかけですが、初校では、さっちゃんの長まわしのシーンで終わっていたんです。でも長女が生まれたことで、その後のシーンを付け足して、どうしても形にしたいと思いました。



──さっちゃんが、母親の死を乗り越えていく後半以降のシーンですね。



そうですね。子供の未来に、願いを込めたかったのかもしれません。さっちゃんの「その先」を希望を持って描いて終わりたかったんです。そういう意味では、一番こだわったのは脚本です。何度も書き直しました。



決して回り道じゃなかった、遅咲きの監督デビュー




──監督作品としては2作目。それも初めての長編です。撮影で苦労されたところは?



絵コンテを作らないで、撮影に挑んだので時間がかかってしまいました。でも撮りたい絵やイメージが自分の中で出来上がっていた分、かなり現場で粘ったし、スタッフとバトルもしました(笑)。最後の長まわしは、撮影初日でさっちゃんが泣けないまま日が暮れてしまった。横から撮ろうという案も出たけど、私は正面からのショットじゃないと意味がない、そこだけは譲れないって思って。結局、後日に持ち越して撮れたシーンです。



──岩永洋監督が撮影で参加していたり、今泉力哉監督の熟練スタッフが、脇を固めていますね。夫婦で映画を撮ることについて教えてください。



スタッフ面では、とても助かりました。夫も撮影を手伝ってくれましたし。でも夫とは、もちろん趣味も考え方が違う部分もあるので、参考になる意見が聞けるぶん、意見の相違から、夫婦げんかになってしまうこともありましたね。





──映画学校で学んでよかったことは?



映画を撮ることと、観ることは、違うということに気づいたことです。それは、自分が面白いと思ったシーンは、他人からみたらそれほどおもしろいものではないこと。それに気づいたことが、学校で学んでよかったことのひとつです。常に意識をしているのは、撮りたいシーンがあるから映画をつくるのではなく、描きたいテーマがあるから作らなければならないということです。そして撮る時に一番気をつけているのは、ひとりよがりにならないこと。出来上がった作品が、人に伝わらなくては意味がないじゃないですか。



──これから映画を撮りたいと思っている人たちに、一言アドバイスをお願いします。



私は26歳で会社を辞めて、映画学校の学生になった。遅すぎることはないと思うので、あきらめずに、まず1本撮ってみてほしい。『ゆめの楽園、嘘のくに』を、京都学生映画祭に出品した際、審査委員の方から、「監督の社会経験が、この作品に厚みを持たせている」と言ってくださって、社会経験を積んでおいてよかった、回り道じゃなかったんだと思いました。これからも子育てしながら、映画を撮っていきたいです。




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『聴こえてる、ふりをしただけ』より




8月末に東中野のドーナツ屋さんで取材。インタビュー中、今泉監督の横で座る1歳半の娘さんが、しきりにドーナツをちぎっては、何度も筆者に無言で差し出してくれた。「ありがとう」と受け取ると、満足そうに、自分で自分の頭を何度も撫でている姿に、思わず顔がほころんだ。きっと、日頃から、人に親切にしなさいと、ご両親から教えてもらっているのだろう。

親は子の成長を、そしてその人生を、最期まで見届けることはできない。“いつか子が親と別れた時、子供の支えになるものを”と、母親の祈りにも似た想いが、本作を作らせたのだろう。そのまなざしは、映画の中の子供たちだけでなく、観客である私たち大人の中に住む、子供の自分にも、あたたかく降り注ぐ。



(インタビュー・文・写真:鈴木沓子)











今泉かおり プロフィール


81年生まれ、大分県出身。現在、看護師として働きながら子育てをしつつ、映画の企画を考案中。大阪で看護師として働いていたが、監督を志し、2007年に上京、ENBUゼミナールで映画製作を学ぶ。卒業制作の短編「ゆめの楽園、嘘のくに』が2008年度の京都国際学生映画祭準グランプリとなる。2010年、『聴こえてる、ふりをしただけ』の企画が、シネアスト・オーガナイゼーション大阪(CO2)の助成対象作品に選ばれた。












『聴こえてる、ふりをしただけ』



監督・脚本・編集:今泉かおり

撮影:岩永洋 撮影助手:戸羽正憲・倉本光佑 助監督:平波亘、増田和由

録音:根本飛鳥・宋晋瑞

録音助手:坂井晶子

音楽:前村晴奈

出演:野中はな、郷田芽瑠、杉木隆幸、越中亜希、矢島康美、唐戸優香里、工藤睦、木村あづき、山口しおり、芳之内優花、橋野純平、松永明日香、諸田真実

2011年/日本/99分










鈴木沓子 プロフィール


新聞社、雑誌社を経て、現在フリーで執筆、編集、翻訳業を行う。雑誌「週刊金曜日」、「ユリイカ」、オンライン「webDICE」などに掲載中。今秋、『ホーム・スイート・ホーム―バンクシーのブリストル』(共訳)を作品社より出版予定。





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自分らしく生きるためには?性同一性障害に悩んできた飯塚花笑監督が自身の実体験をもとに制作した『僕らの未来』 http://www.webdice.jp/dice/detail/3230/ Thu, 22 Sep 2011 14:07:11 +0100
飯塚花笑監督『僕らの未来』より




《連載にむけて》

「世界を変えようとする気のないクリエイターは、辞めるべきだ」。アニメーション作家で映画監督ヤン・シュヴァンクマイエルの、挑戦的なこの一言。でも、ものを作ろうとする人は、誰しもそうした気概をどこかに持ち合わせていると思う。本来、オリジナルの作品を作る、生み出すという行為は、そういうことだ。ただ、その純度を保ったまま、ひとつの作品を世に出すことは、決してたやすいことではない。シュヴァンクマイエルの言葉は、そうした矛盾ある状況に、いらだちを隠さない。

しかし、“自主映画”または“インディーズ映画”と呼ばれる映画からは、時々、そうしたパラドックスを飛び越えた、ズレのないエネルギーをもらえる作品と出会える。考えてみれば、当然なのかもしれない。誰に言われたからでもなく、お金のためでもなく、ただ撮らなければならなかった、という思いに駆られて作られた作品なのだから。ただ良い作品でも、広く劇場公開される機会は、本当に限られている。それを日々の泡のように眺めているのは、本当にもったいない、という想いから、この連載がスタートします。



遅まきながら私が“インディーズ映画”がとんでもないことになっていると知ったきっかけは、日本映画監督の登竜門『ぴあフィルムフェスティバル(PFF)』だった。「まだ観たことのない、びっくりするような映画を観たい」と思っていた昨年、PFF一般審査員を務めさせていただき、文字通り、“これまで観たことのない作品”の数々に出会った。当時半蔵門にあったぴあ本社の映写室に2日間こもって、入賞作品を一気に鑑賞した時、ちっとも飽きなかった自分に驚いた。思った以上に、質が高い。そして作り手の気持ちの純度が高い作品は、こんなにも面白いのかと、はっとした。映画に製作費や技術の問題はつきものですが、結局は作り手の世界観とエネルギーを観るということ、つまり、人を動かすのは人なのだということに改めて気づいたのだと思う。

という訳で、連載第1回目は、今年も開催が始まった「第33回ぴあフィルムフェスティバル」の入賞作品の中から、今年の最年少監督である飯塚花笑監督の『僕らの未来』を紹介します。

性同一性障害に悩む10代の主人公の話ですが、セクシャルマイノリティの問題の根本は、決して、マイノリティに属さないことに気づかされる作品です。



【ストーリー】

性同一性障害に悩む高校生の優は、毎日着なくてはならない女子生徒の制服や周囲からの不理解に、人知れず苦しむ。唯一の心の支えは、優が想いを寄せる女子生徒の真澄。しかし、その関係を、意地悪な男子生徒に知られたことで、からかいや嫌がらせはエスカレートしていく。一方、自宅では、両親が離婚を決め、父が家を出て行くことになった。性別、人間関係、進路──。初めて人生の選択に直面し、揺れ動く10代の心情を鮮明に描く。本作は、青春映画であると同時に、監督自身の実体験をもとに描いた半ドキュメンタリー作品でもある。



特に思春期を迎えた中高生に観てほしい



──この作品は、飯塚さん自身の体験をもとにして描いた半自伝的な作品ですよね。なぜこの作品を撮ろうと思ったのですか?




私は小学生の頃に「もののけ姫」を観て以来、ずっと映画の持つ、言葉にならない力に魅力を感じて来ました。そして将来は映画監督になり、映画をつくりたいと思い続けていました。いざ10代最後の年に自主制作で映画を撮ると決めた時、テーマは、自分の中の異質性を認めること、そしてありのままの自分で生きることしか考えられなかった。私の中で一番大きな問題であり、15歳の時から悩んできた問題の軌跡を撮ること、です。八方ふさがりになっていた自分が自分自身を受け入れ一歩前に進めた瞬間のことを、映像で形にしようと思いました。



誰でも、受け入れられない現実、もしくは自分自身に直面し、絶望感を覚えることがあると思うんです。今現在の自分が、悩んでいた当時の自分に手を差し伸べることができたら、どれだけ救われるだろうと思いで作りました。今まさに同じように悩んでいる人、特に思春期を迎えた中高生に観てほしい作品です。



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飯塚花笑監督



──冒頭で主人公の優が、「今は自分が男だってこと、認めてもらいたくて、もうそれだけになっちまったんだ」と言う台詞が印象的でした。本来なら、好きな絵を描くことに没頭したり、友達との時間を大事にしたり、学校生活を満喫したいのに、性同一性障害であるために、それがままならない状態に怒りや焦燥感を感じている様子が描かれている。この映画はいわゆる「セクシャルマイノリティを描いた映画」ではなく、自分であることの難しさやその葛藤を描いた、正統派の青春映画なのだなと思いました。



そうですね。性同一性障害を取り上げたのは、やはり私自身の問題でありますし、表現しやすかったからです。でもやはりどうしても「性同一性障害」という言葉に、人はフォーカスしてしまいがちになると思います。でも私が描きたかったのはそこではない。自分が自分らしくありながら、この社会で生きるにはどうしたらいいのかということが、作品のテーマです。万人に訴える普遍的な作品を撮ろうと意識しました。








──飯塚さん自身は、どうやって乗り越えてきたのですか?



女である身体と、それを受け入れられない心との葛藤で、ずっと苦しかった。男っぽくふるまうことを周りにからかわれても、それに反抗することもできない。自分自身も“普通ではない自分”を受け入れることが出来ず、自身を肯定できないからです。これから一生こんな悩みと共に生きていかなければならないのかと暗い気持ちになった時期もありました。



映画では、主人公の優が実の父にカミングアウトをし、受け入れてもらうところで終わりますが、私自身は男性として生きると決めた後も辛いことは、たくさんありました。身体の治療は全くしていないので、常に人から女として見られるのではないかという不安が拭えません。一時は男性として認められるために、自分を偽って過剰に“男性”を演じていました。歩き方もなよなよしちゃだめだと思って研究したり、本当は裁縫が好きなんですが、それをひた隠しにして「裁縫?そんなのできねーよ」ってイメージ作りをしたり…。でも、だんだん、このままじゃ、男としても女としてもつぶれてしまうって、苦しくなってきて。やっぱり男でも女でもなく自分は自分らしく、ありのままで生きることを覚えなくてはいけないと思いました。



そんな悩みを抱えていた時に、私を救ってくれる出会いがありました。本当に素敵だなあと思える、ありのままの自分を生きる素敵な友達に出会えた。その友達には、うわっつらで喋ったことは、すぐ見透かされてしまうんです。でも、自分が本当に感じていること、きちんと考えたことには、ちゃんと応えてくれる。自分自身も、的確な言葉で本心を言えた時はすっきりするし、それに相手が返してくれると嬉しい。そこで初めて、伝わった、つながれたと思える。そんな感覚を覚えてからは、何でも簡単に口走らないようにして、自分が本当に思っていること、感じていることは何なのか、自分にゆっくり自分自身にも聞いてあげるように努めました。いままでは性別のことが邪魔をして、自分に対して、そういう作業を疎かにしていたことがあった。でも、自分が本当に思っていることを知るようになったら、自分の気持ちを押し隠すような癖もなくなった。少しずつ本当の自分でいられるようになった。



私自身もまだ決して問題を乗り越えたわけではありません。いくら周りの人に理解されても、自身の身体が受け入れられなかったり、これからの生活に不安は尽きません。誰でもそうだと思いますが、結局、悩みは尽きないものだと思います。ただ、悩んで一歩踏み出してみると成長した自分がいる。そういうところに喜びを感じていけたらいいですよね。



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『僕らの未来』より


他の人が与えられないような夢や幸せを与えたい



──映画の中でも、優の幼馴染でダンサーを目指す悠が、先生から「あなたは、形を表現したいの?心を表現したいの?」と諭されて、はっとするシーンがありますね。



そうですね。男らしさ、女らしさという言葉は好きじゃありません。こうやって話すことも、映画を撮るにしても、本当の声で喋ることにこだわっている。嘘をつきたくない。“肉声”のない映画はおもしろくないと思うから。



でも、性別はアイディンティティだと思うし、そこからくるストーリーに憧れたりする時もありますよ。普通に、「将来結婚して、子供がいて、家に帰ると奥さんがいて、一緒に夕飯を食べれたら幸せだなあ」と想像することもありますし、もちろん、そうならなくてもいいんじゃないかとも思える。でも、結婚という制度に憧れたりするのって、DNAの仕業じゃないかなぁ。



母親にカミングアウトした時には、「あんたは私の夢をぶち壊した」と言われて、その後2年間くらいお互い口もきけない状態になりましたが……。母には“娘が結婚して孫を産む”という親としての夢があったようです。自分としては、他の人が皆当たり前に親に与えられるものを、自分は与えることができないんだ、と思ったら辛かった。でもそういう生き方を自分は選んだ。だから、両親にそれ以上のことをしなきゃいけないと思った。“普通の幸せ”は与えられないけど、良い作品を撮って見せるとか、違う形の夢や幸せを与えられるようになりたい。将来のパートナーに対しても、同じです。いかに他の人にはあげられないものを与えられるか、そこでどう勝負できるかだと思っています。でもそれが嫌じゃない。へそまがりだし、もともとそういう風に生きたいと思っていたからかもしれません。



母には、高校時代の途中で、制服を男子制服に変えたいと相談した頃から、少しずつ話ができるようになりました。男子の制服を着たかったのは、学校で友達にカミングアウトしたら周囲が認めてくれたから、偽りの姿で通学したくないという思いが強かったからです。でもそれには、両親の承諾がいると思った。そこで、制服を変えることが、なぜ必要なことなのかを話し始めたら、次第にお互いが歩み寄って、話せるようになりました。そうしたら、「あなたの言っていることがようやくわかった気がする。男とか女とかではなく、私は自分の子どもが一人の人間として立派に育ってくれたらいいわ」と言ってくれた。そこから、ようやく自分の中の男性的な部分を解放していくことができたし、両親にも、“娘じゃなくて息子”という意識が芽生えてきたように思います。




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『僕らの未来』より




──長編を撮ったのは初めてですか?



自分もスタッフもキャストも含めて全員、映画制作は初めてでした。大学では、1、2年生は、基礎的な授業が中心なんです。早く実際に映画を撮りたくて仕方なくて撮った、初めての作品です。特にこのテーマは悩んでいた10代のうちに撮りたいと思ってました。案の定10代20代では時間が経つにつれ悩み方や感じ方が変わってしまった。



機材は学校から借りて、同級生や後輩に協力してもらいましたが、キャスティングには特に苦労しました。高校生役はまだ学校内で見つけられますが、お母さん役やお父さん役はどうしても学内じゃ無理。どうしようかと悩んでいた時、大学の講義に出たら、一般の聴講生の中で、優の母役と悠の母役にぴったりな人が二人セットで並んで座っていて(笑)その場でお願いしました。はじめは戸惑っていた様子でしたが、熱意に根負けしてくれました。



──少し気になった点は、性同一性障害の生きにくさの描写が、うっかりしていると見過ごしてしまうほど、さりげなかったことです。優が女子トイレに入ろうとしたら、中に女子生徒がいたため出てきてしまうシーンや、夏なのに身体の線を隠したくて厚着をしている様子など、当事者目線に止まった気がします。また、セクシャルマイノリティの登場人物が多い点です。



性同一性障害の生きにくさ、生活のしづらさを描かなくてはいけないと思ったのですが、そこを詳しく描きすぎて尺を使うのは、本来やりたいことから逸脱しかねないと思った。主人公の周りにセクシャルマイノリティの登場人物が多いのは事実としてはあり得ることではないと思う。でも性同一性障害と一口に言っても、さまざまな悩みを抱えている人がいるということ、そして、真実を描く上で必要であったと思っています。



──次回作について教えてください。



占い師に未来を予言されてしまった人の話です。これも実話がもとになっているのですが、知り合いで占いのできる方がいて、占ってもらったことがあるんです。そうしたら、「あなたは30歳を過ぎたらダメになる」と言われてしまったんですよ。それは、ある意味「30になったら人間としてダメになる」という呪いであると思うんです。こういうことは、占いに限らず、よくあることだと思います。“自分の未来はこんなもの”と限定したり、他人に決めつけられてしまうと、それが本当に現実になってしまうことがある。その先に進み続けるためには、やっぱり呪縛を解かなければいけないんです。私はそんな呪縛を解く、力強く生きようとする人の話を撮りたい。それは、私自身の「強く生きたい」「道を切り開きたい」という願望であるんです。結局私のつくる映画は、皆、私自身なのだと思います。



(インタビュー・文:鈴木沓子)


[youtube:nVLapKpJzmA]











飯塚花笑 プロフィール


群馬県前橋市生まれ、21歳。現在、東北芸術工科大学映像学科に通う大学3年生。初監督作品「僕らの未来」は、バンクーバー国際映画祭のドラゴン&タイガー部門(アジア部門)にノミネートされたほか、今年のぴあフィルムフェスティバルでは、9月23、29日、山形国際ドキュメンタリー映画祭でも10月10日に上映が予定、同時に次回作への制作に余念がない。












『僕らの未来』



監督・脚本・撮影・編集:飯塚花笑

助監督:根本 翼

録音:根本 翼、野口裕紀、村上祥子、中島 唯

スクリプター:本間愛実、柳谷朋里

衣装:高森萌未、広井砂希、田中加也子

小道具:鈴木真実子、金森祥子、推名夏未

タイトルデザイン:小川竜由 音楽:佐藤那美

出演:日向 陸、佐藤憲一、小森隆之、福永りょう、犬飼麻友、柴田琢磨、佐藤哲哉、奥山力、阿部将也、佐藤建人、吉田峻太郎

2011年/ビデオ/75分











『第33回ぴあフィルムフェスティバル』

2011年9月20日(火)~9月30日(金)



会場:東京国立近代美術館フィルムセンター 大ホール

公式HP

『僕らの未来』は2011年9月23日(金・祝) 11:00、

2011年9月29日(木) 14:30に上映。



※『僕らの未来』は2011年10月6日(木)から13日(木)まで開催される山形国際ドキュメンタリー映画祭でも上映があります。『僕らの未来』上映は10月10日(月・祝)10:00からです。










鈴木沓子 プロフィール


新聞社、雑誌社を経て、現在フリーで執筆、編集、翻訳業を行う。雑誌「週刊金曜日」、「ユリイカ」、オンライン「webDICE」などに掲載中。今秋、『ホーム・スイート・ホーム―バンクシーのブリストル』(共訳)を作品社より出版予定。










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