webDICE 連載『100,000年後の安全』 webDICE さんの新着日記 http://www.webdice.jp/dice/series/37 Mon, 16 Dec 2024 20:25:07 +0100 FeedCreator 1.7.2-ppt (info@mypapit.net) 小泉元首相を脱原発に導いた映画『100,000年後の安全』が都知事選挙期間中に無料配信 http://www.webdice.jp/dice/detail/4093/ Tue, 21 Jan 2014 18:29:30 +0100
『100,000年後の安全』より


2月9日に投票が行われる2014年東京都知事選挙を迎えるにあたり、映画配給会社アップリンクでは、2011年4月に公開し全国で大きな話題となったドキュメンタリー映画『100,000年後の安全』を、イデオロギーを超えて原子力発電所について考える映画として、本編吹き替え版全編をYouTubeにて無料配信する。




映画『100,000年後の安全』

監督:マイケル・マドセン

2009年/79分/デンマーク、フィンランド、スウェーデン、イタリア

日本語吹き替え版ナレーション:田口トモロヲ

【映画配信ページ】http://www.uplink.co.jp/100000/2014/

【配信期間】2014年1月22日(水)正午12時~2月10日(月)正午12時

【ハッシュタグ】#10万年後の安全_感想




原発から生まれる高レベル放射性廃棄物の処理をめぐり、未来の地球の安全を問いかける作品として、東日本大震災直後の2011年4月2日より日本で公開された。小泉元首相が本作を観て、映画の中で描かれたフィンランドの最終処理場「オンカロ」を視察で訪れ、自らの意見を"脱原発"に大きく転換するきっかけとなった。



フィンランドは脱原発国ではなく、現在4基の原子炉が操業中で今後2基を建設予定、総発電量のうち原発による電力は約30%となっている。そのうえで、高レベル放射性廃棄物いわゆる「核のゴミ」を出すならその処分まできちんとしよう、トイレのないマンションではなく、マンションにはトイレを作ろう、ということで、世界で初めて地下処分場選定が最終決定した国だ。



この処理場、通称「オンカロ(フィンランド語で"隠された場所"の意)」は、2020年に操業開始を予定しており、最大9000トンの核のゴミを収容できる。原子炉1基からは年間約20トンの核のゴミが排出されるため、合計6基の原子炉で50~60年間運転する場合に発生する量の受け入れに対応できる事になる。



ちなみに、核のゴミを直接処分するフィンランドと違い再処理する方針の日本には50基の原子炉があり(現在すべて運転停止中)、これまでの使用済核燃料は地上に保管されている。昨年3月末時点で国内の使用済核燃料は約1万7000トン(各原発内に約1万4000トン、六ヶ所村再処理工場に約2900トン)となっている。2007年操業予定だった六ヶ所村再処理工場は試運転の度に技術的トラブルが生じ、完成が20回延期されており、3.11以後は地震や津波対策の安全基準が見直されたこともあり、本格稼働の目途は立っていない。また、再処理でウランとプルトニウムを取り出した後の高レベル放射性廃液は、ガラス固化し最終処分されることになるが、2002年から処分地選定のための調査地区の公募が行われているものの、未だ候補地は決まっていない。





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『100,000年後の安全』より、オンカロの入り口



本作の映画監督マイケル・マドセンは、2011年12月のwebDICEでのインタビューにおいて、以下のように述べている。「オンカロの取材をしたとき、学者たちに『高レベル放射線廃棄物処理場が作れない国があるとしたらどこか』という質問をしました。その答えは日本でした。現在の科学では放射性廃棄物の処理は地層処理しかないと言われていますが、地層処理場ができないのに原子力を持っている国である日本は、火山があり地震があり、常に地層が安定していません」。







【関連記事】

[骰子の眼]「福島原発は地上のオンカロになるだろう」マイケル・マドセン監督インタビュー

(2011年12月24日掲載)



「世界中のどこでも、原子力エネルギーを使えばおのずと放射性廃棄物は出てきます。原子力エネルギーを使うことに賛成派であろうと反対派であろうと関係なく、いま私たちは既に核廃棄物を生み出せてしまっているという現実が厳然とあるのです。それに対する責任を、このように100,000年後の人に責任を押し付けるのではなく、いま私たちが責任を取らなければいけない事実がここにあります。

日本のみなさんは、今回の福島の地震と第一原発の事故を通して避難をしたり家を無くしたり、大きな被害を受けている方も数多くいらっしゃると思います。しかしその責任をどうしたらいいかということをさらに世界中が問われているのです。この映画を機会に、核廃棄物の問題について周りの多くの人と話し合う時間を作ってもらえたら嬉しいです」(マイケル・マドセン監督)



マドセン監督













DVD『100,000年後の安全』発売中



【DVD特典】

☆視覚障害者対応日本語音声ガイド付

☆DVD封入特典:劇場パンフレットダイジェスト版(24Pフルカラー)

イントロダクション―未来のみなさんへ―/プロダクション・ノート/監督インタビュー/オンカロとは─フィンランドにおける最終処分場のサイト選定経緯─/放射性廃棄物に関する基礎知識/あとがき(アップリンク社長・浅井隆)

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3,990円(税込)

アップリンク


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▼映画『100,000年後の安全』日本語吹き替え版

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「福島原発は地上のオンカロになるだろう」マドセン監督インタビュー http://www.webdice.jp/dice/detail/3357/ Thu, 22 Dec 2011 21:46:34 +0100
『100,000年後の安全』のマイケル・マドセン監督


小泉純一郎元首相が11月12日に開いた記者会見で、脱原発を訴え、8月にフィンランドを訪問し、高レベル放射性廃棄物の最終処分場「オンカロ」を視察したことを語りました。webDICEでは、この「オンカロ」を描いたドキュメンタリー『100,000年後の安全』のマイケル・マドセン監督へのインタビューを2011年12月24日に掲載しました。
(webDICE編集部 2013年11月18日)





2011年3月11日の東日本大震災と福島第一原発の事故の後の4月2日アップリンクで緊急公開されたドキュメンタリー『100,000年後の安全』。フィンランドの高レベル放射性廃棄物を100,000年の間保管する地層処分場「オンカロ」を描き、核のゴミの問題を問いかけた今作の12月23日のDVDリリースにあわせマイケル・マドセン監督が来日。4泊5日という滞在期間の間連日多くのメディアからの取材に応えた。また12月21日にはオーディトリウム渋谷の上映会に参加し、観客とのQ&Aに参加し、被災地における悲しみや現在の社会の空気に同調するのではなく、もっと根本を見つめなければいけない、と日本の人々に提言した。



事故直後、日本に行かないことがいかに危険な状況にあるかを示す手段なのではないかと思った




──オンカロという存在を知り、映画にしようと思ったのはどういうきっかけだったのですか。



ある日、自宅の台所で山のように積まれた汚れた皿を洗っているときに、退屈しのぎにラジオをつけたところ、聞こえてきたのが、フィンランドで「最終解決策」として核廃棄物を捨てるための方策ができたというニュースで、それが100,000年に及ぶ年月の間維持される建造物であることを知ったのです。そこで、人がずっと関わっていくはずのその恐ろしく長い時間に疑問を持ったのです。100,000年耐える建物を作るのに関わっているのはどんな人たちなのだろう。これはどんな施設なのだろう。そしてこうした施設を通して、いま私が生きている時間とはいったいなんなのか、つまり単なる核廃棄物だけでなく、その向こうに見える今という時代を見てみたいと思ったのです。



私がオンカロに撮影に行ったときは、まだ300メートルほどしか掘れていませんでした。そして2週間ほど前に500メートル、最後の地点まで掘り進んだというニュースを聞きました。300メートルのところに行くまでは約20分ほどかかります。そこに降りていくにつれて、気圧の違いを耳に感じます。降りていく途中には壁面に、岩盤の状態を記録するための様々な数字やアルファベットが書いてあるのです。



オンカロは積極的に廃棄されたものを何かするというものではなく、あくまで少しづつ放射性廃棄物の危険が弱くなっていくことを待っているだけ、そこに置いておくだけの場所なのです。ですから、そこにヒビが入って、貯蔵するための冷却水が漏れてしまうことが最も怖いこ。そうしたことを考えながら、未来の人がこのトンネルを再発見したら、この数字を見て一種の壁画みたいだなと思うのではないか。我々が古代人が残した壁画から古代の生活を想像するのとは全く違う壁画で、未来人がこれを見たときに、いかにも理性的なだけの民族がそこにいたと思わせるのではないか、と感じました。



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『100,000年後の安全』より、オンカロの外観


──4月2日に上映が始り、その後に知るメルトダウン、メルトスルーが起こっていた5月に監督は来日を要請されていたものの、行くことができないと回答したとのことですが、当時ヨーロッパではどのような報道がされて、どのような判断で来日を止めたのですか。



今回の福島の原発事故で最悪の点、そしていまだに続いている点は、この危機に対する評価や意見がヨーロッパの人たちの意見、日本の人たちの意見、さらに日本の中の意見であまりにも異なっているということです。私は日本に招待を受けたときに、お断りすることの決断は容易ではありませんでした。ぜひ日本のみなさんに会いたいという気持ちの一方で、あえて日本に来ないことで、いかに日本が危険な状況にあるか、ということをみなさんに示すというのもひとつの手段なのではないか。そう思い、来ることを断念しました。



当時いろんな国の報道を見ていると、日本では自主避難を指示するの範囲を半径20キロ地区から30キロ地区、ヨーロッパではそれでは足りず避難圏を70キロや100キロにすべき、とこれだけ違う数字が一斉に出たのです。これは核廃棄物が生物に無害になるまでの年数がフィンランドでは100,000年とされていますが、アメリカとフランスでは1,000,000年生物から隔離した場所に置かなければいけないとしている違いにもあるように、科学者はなかなか確かだと言いたがらず、実際明らかになっていないということなんです。ここに原子力エネルギーや核廃棄物の問題を見ていただくことができると思います。







──日本に行くべきかどうか、今作に出てくる専門家に相談されたそうですね。



私はこの東日本大震災が起きたとき、メキシコの映画祭に行っていました。そのときにデンマークのプロダクションからすぐに携帯に事故が起きたとメールが来ました。あわててテレビをつけると、ちょうど原発の最初の爆発の様子を目の当たりにしました。多くの人が気づいていないけれど、これは本当に大変な事態だととてもショックを受けました。この状況であれば炉の冷却システムは働いていないだろう、そうなると炉が溶けるだけでなく、原子力発電所には大量の廃棄物も収められているはずで、それにまで影響が及んだら、簡単な避難だけでは済まないことになる。そこでマイケル・イェンセン(放射能安全機関分析学者)に事態について意見を聞かせてくれとメールを打ちました。彼からの返事「いまは電話ができない」というものでした。政府から緊急招集がかかり、シェルターに専門家が集められ、スウェーデンでどれだけの影響があるのか会議を開いていたのです。日本とは地球の裏側の国でそんなことが起こっているということに私はさらに深刻さを感じたのです。




──撮影中、グリーンピースが約束を破ったために、制作を中止するように要請されたという話も聞きましたが。



原子力産業はグリーンピースのような団体にアレルギーを持っています。それは科学者もある種の原理主義的なところがありふたつの原理主義者が敵対する関係になってしまうところはあります。原子力産業は悪く報道されることには慣れていますが、私は彼らと接するときには最初から包み隠さず自分の意図を相手にはっきりと延べました。そして私自身、どんな政治的意図もなければ、取材をすることを通してなにかを暴露しようとか、告発しようという意図ではなく、現実をそのまま見つめることが目的であり、そして彼らの廃棄物処理の事業も意義のあることだと思っていると率直に伝えました。



私の主義は一貫していましたが、実際にこの映画の資金繰りが可能になった時点で、処分場を操業するポシヴァ社から契約書が送られてきたのです。そこには自分たちが作品を削除できる権利、編集できる権利などが盛り込まれ、自分たちの言うとおりにできる契約内容でした。「2年後の2011年まで公開してはならない」とまでありました。私たちはきちんと自分たちの姿勢を保ち続けていますが、あらゆる情報をオープンすることを打ち出してきたあなたががたがそういうことを言うということは、逆になにかを隠しているんじゃないかと思えてしまう、伝えました。最終的に制作を続けてもいいということになり、そして許された3ヵ月で私は最初に伝えた意図を貫き撮影を行いました。





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12月21日オーディトリウム渋谷で行われた上映会に登壇したマイケル・マドセン監督(左)、「はんげんぱつ新聞」編集長の西尾漠氏(右)










日本の姿勢と対処が、世界中に大きなインスピレーションを与える




──映画は福島原発の事故前に作られましたが、日本では原発事故後に公開したため日本の観客はこの映画全然別の視点で観る事になりました。



世界中のどこでも、原子力エネルギーを使えばおのずと放射性廃棄物は出てきます。原子力エネルギーを使うことに賛成派であろうと反対派であろうと関係なく、いま私たちは既に核廃棄物を生み出せてしまっているという現実が厳然とあるのです。それに対する責任を、このように100,000年後の人に責任を押し付けるのではなく、いま私たちが責任を取らなければいけない事実がここにあります。




日本のみなさんは、今回の福島の地震と第一原発の事故を通して避難をしたり家を無くしたり、大きな被害を受けている方も数多くいらっしゃると思います。しかしその責任をどうしたらいいかということをさらに世界中が問われているのです。この映画を機会に、核廃棄物の問題について周りの多くの人と話し合う時間を作ってもらえたら嬉しいです。




我々は完全に把握することのできない「新しい炎」に灯をつけてしまったのです。その「新しい炎」というのは原子力発電所のなかだけに存在するのではなく、事故の起こった福島の原発にもありますし、我々が使っている電気もその「新しい炎」から生まれているのです。それを消すためには、フィンランドでは100,000年かかるとされています。さらに怖いのは、オンカロに入っていく人間の存在なんです。どれだけ奥深く埋めても、未来の人がそこに侵入していくのをどうやって防いだらいいのか。それが非常に難しい問題であるということは、この映画を観ていただければ解ると思います。




また同時に、このオンカロは未来のためではなく、今のために作られた建物という言い方もできます。原子力発電のアキレス腱と言われた核廃棄物の問題は、これで解決したんだということのデモンストレーションのために作ったという見方もできるのです。映画の中でも関係者が「これは宝の山だ」と言っていますが、原子力産業に関わっている人は「放射性廃棄物」とは言いません。本編では触れていませんが、実はオンカロには裏口が作ってあって、何かのときに取り出したいと思ったら取り出せる構造になっているのですが、ここから核兵器を作ったりすることは可能なのです。さらに彼らはオンカロのすぐ横に新たな原子炉を建設していました。何度も失敗を繰り返していたのですが、それも当然のことで、チェルノブイリから25年経っているのに、新たな技術の革新はおきておらず、技術者もどんどん引退しています。そうした止まってしまった技術のうえで新たな原子炉を作るのであれば、問題が起こるのは当然のことです。



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『100,000年後の安全』より


──福島の事故の後の状況と日本政府の対応についてはどういったことを考えましたか。



ドイツは日本の今回の事故を受けて、原子エネルギーからの完全な撤退を表明しました。日本での惨状を見て、私たちの国では無理だと判断したのです。これから日本でこの現状とどのように対処していくのか、いま世界中が注視しています。声に出して話し合うこと、そして、日本のみなさんの姿勢と対処により、世界中に大きなインスピレーションを与えることができるのだと思います。




オンカロの取材をしたとき、学者たちに「最終廃棄物処理場が作れない国があるとしたらどこか」という質問をしました。その答えは日本でした。現在の科学では放射性廃棄物の処理は地層処理しかないと言われていますが、地層処理場ができないのに原子力を持っている国である日本は、火山があり地震があり、常に地層が安定していません。チェルノブイリは壊れた原子炉をコンクリートで覆いましたが、チェルノブイリは完全にカバーしてしまえばよくても、福島は次の地震が来ない保障がない。中華の回転テーブルの上に放射性廃棄物が入った容器を置いたようなもので、いつ動くか解らない。日本はそういう状況にあるのです。




そして、今回の福島の原発の事故を受けて日本政府は分解すると言っていますが、あの中を完全に分解することは不可能だと私は思っています。そうなると全部埋めるしかない。日本は福島に地下ではなく、地上のオンカロを既に持ってしまったと言えるかもしれません。




これまでの環境系のドキュメンタリーは、苦痛を受けてもがく人たち、悲しみにくれる人たちなど、悲観的なところだけを描く作品がとても多く、そうした映画は「古い時代のほうが良かった」という結論に陥りがちです。私はそのような作品や、知らない人に教えてあげる、こうあるべきだという語り方には、決して賛成できません。科学や技術の進歩を否定してしまったら、いまだに私たちは洞穴で焚き火していることになります。科学の発展を享受するなら、受動的に受けてしまうのではなく、やはり声に出し話合うことが必要なのです。日本人の人たちは、いまそれを行なっているでしょうか。





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『100,000年後の安全』より






意思決定機関にいる人たちにこそこの映画を観て知ってもらいたい



──今作はニューヨークの国連で上映され、監督はそこで政府高官にDVDを配ったそうですね。



私はこの映画を作った段階から、2つの場所で上映したいと思っていました。国連そしてヨーロッパ各所の議会で、小学校で演劇を観にいったりするような感覚で、議員の人たちや代表の人たち全員がそこに観に行くような場を必ず設けて欲しいと思っていたのです。この映画に限らず、私は常に、観る人が正しく理解し、好奇心を持ってもらっていると信じています。ですので私はそうした場で、「こうあるべきだ」と答えを提示するのではなく、そのままの情報を明らかにして、この作品を持って質の高い質問をしたかったのです。



国連では福島の事故を受けて急遽上映することができました。その後、ヨーロッパのブリュッセルでも観せたいということになりました。はじめ消息筋の話で、国連はどんな映画も上映することは慎重であると聞いていました。ある政治的立場を擁護するような作品を嫌がるからです。しかし、この『100,000年後の安全』にはまったく政治的は背景がありません。



──監督はこの映画は大きな質問を投げかけているといっています。監督として現実を変えるためメッセージはありますか。



福島みずほさんにお会いしましたが、それも福島さんがどう思うかという質問を投げかけたかったからです。フィンランドの議会でこの映画を上映したときに、各政党のリーダーが言ったのは「100,000年もの年月がかかるとは知らなかった」という意見がほとんどでした。しかし私はこのような意思決定機関にいる人たちにこそ、この映画を観て知ってもらいたいと思ったのです。ほんとうに成熟した社会では、あらゆる情報はきちんとオープンにされるべきだと思います。そうしてはじめて、みなさんが決断を下すことができるのです。



しかし、今回の原発の事故のことを考えますと、実は日本では何年も前から、メンタル・メルトダウンを起こしていたのだと言わずにはいられなせん。十分な情報を与えられないということに疑問も持たず、本当は何が起きているかも知らず、しょうがないと原発を受け入れてしまっていたのです。福島の原発の事故の際に西側は連日「なぜ日本政府は全てを明らかにしないのか、情報が開示されないのか」と報道しました。福島の原発事故は決して自然災害ではなく、人間の過ちが起こした人災です。リヒタースケールは最高値がわからないところまで地震は起こりうるということを表しますが、人も同じようにスケールで計り切れない、限りなく大きな間違いを冒すのです。




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『100,000年後の安全』より





──今作で選んだ映像スタイルについて教えてください。



オンカロの中心にある考え方は100,000年持つということ、それはある意味文明を超えて、いま私たちがある文明が存在しているかどうかさえも考え、それ自身で存在しうる、人類後(ポスト・ヒューマン)も残る施設なんです。これを表現しようとするとき、あたかもSF映画のような世界観を持ちたいと思いました。カメラマンには「自分が未来から今の時代に来たけれど、なにが重要だかわからない、という感覚で撮ってほしい」と頼みました。カメラは未来人の目なのです。



さらに、ルネッサンスの絵画で生まれた手法を映像で取り入れたかったので、遠近法を用いています。ルネッサンスはそれまですべて神の御手によるものであるという考え方から、科学が人間のあらゆるものを解明するものだという考え方に変わっていった時代です。たとえ今は解らなくても、ひとつひとつ研究して知識を増やしていけば人間はどんなことも理解できるという発想のはじまりです。科学者は、もっと学問を通じていけば、すべての問題を解明できるというスタンスで、その最たるものが原子力エネルギーなのです。しかし、原子力の世界は科学の粋の最高峰と捉えられていますが、私たちはそれをすべて理解したでしょうか。解らない部分、そこには大きな闇が広がっていて、その闇からなにかが生じたときの大きな責任が私たちにかかっている。そうしたものをこの映画で知ってもらいたかった。例えば未来の人が偶然この映画を観ることになったとき、昔こうだったのだと。いま私たちが生きている世界を未来の世界の人が理解できるような映像にしたいとも思いました。



放射線は目に見えませんし、触ることもできなければ、匂いも味もありません。しかし人間の感情も同様で、見ることも触ることもできません。映画のなかでトンネルを掘る作業員が水に濡れる姿を描いていますが、これは放射線と人の感情、そのふたつにこめたレクイエムであると思っています。



──この作品を100,000年後の人に観てもらうために、残すことはできないのでしょうか。



未来の人がソニー製のテレビやDVDプレーヤーを持っていることを願って、トンネルの途中にこのDVDを置くというアイディアもあったのです。もしくは、石にこの映画の一コマ一コマを写して、ドミノ倒しのようにして見ることができるように作れたらいいのかもしれないのですが、なにせ100,000年ですからね。



人間の好奇心のおかげで科学の発展は進んできましたが、原子力が、誰もが利用するレントゲンという命を助ける使い方もされているように、表裏一体なんです。そこで最終的に必要なのは、モラル、そして道徳心。そこが最後の分かれ目になるのではないかと思います。







(2011年12月24日掲載 インタビュー・文:駒井憲嗣 撮影:荒牧耕司)










マイケル・マドセン プロフィール


1971年生まれ。映画監督、コンセプチュアル・アーティスト。ストリンドベリの「ダマスカスへ」をベースに、都市と景観を上空から撮影した映像作品「To Damascus」(2005)のほか、何本かのドキュメンタリー作品を監督。また、コペンハーゲンのタウンホール広場の地下にある、面積900平方メートルのサウンド・ディフージョン・システムを備えたギャラリー「Sound/Gallery」の創始者及び、芸術監督を務める(1996-2001)。ニューミュージック&サウンドアート・フェスティバルSPOR 2007のデザインやデンマークのオーデンセの音楽図書館のコンセプトを考案。また、ゲストスピーカーとして、デンマーク王立芸術学校、デンマーク映画学校、デンマークデザイン学校で講演している。














リリース情報






DVD『100,000年後の安全』

発売中



監督・脚本:マイケル・マドセン

脚本:イェスパー・バーグマン

撮影:ヘイキ・ファーム

編集:ダニエル・デンシック

2009年/75分/デンマーク、フィンランド、スウェーデン、イタリア/英語/カラー/16:9/ビデオ





日本語吹替版ナレーションには田口トモロヲ氏を起用

視覚障害者対応日本語音声ガイド付


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3,990円(税込)

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▼『100,000年後の安全』予告編

[youtube:m7uCWtmd8O4]










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[TOPICS]『100,000年後の安全』国連へ行く(2011-09-20)

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『100,000年後の安全』監督ユーストで鎌仲氏らと対話(2011-12-20)

http://www.webdice.jp/dice/detail/3353/


]]> 『100,000年後の安全』監督ユーストで鎌仲氏らと対話 http://www.webdice.jp/dice/detail/3353/ Tue, 20 Dec 2011 11:04:18 +0100

渋谷アップリンクで開催されたUSREAMシンポジウム


映画『100,000年後の安全』のマイケル・マドセン監督が来日、昨日12月19日にUSTREAMでのシンポジウムに池田香代子、鎌仲ひとみ、高橋健太郎、佐藤潤一、小嶋裕一各氏とともに出演した。監督はこの後、12月21日(水)渋谷オーディトリウムでのトーク付上映会に登壇する。

今回行われたシンポジウムには、マドセン監督に加え、ドイツ文学翻訳家・口承文芸研究家の池田香代子氏、『六ヶ所村ラプソディー』『ミツバチの羽音と地球の回転』他の映画監督鎌仲ひとみ氏、文筆家・音楽評論家で市民側の科学技術情報の発信を検証する目的で設立されたNPO団体APAST理事の高橋健太郎氏、グリーンピースジャパン事務局長の佐藤潤一氏、ジャーナリスト津田大介氏のデータマンである小嶋裕一が参加。「十万年という想像出来ない未来を作り出した人間の十年後…」というテーマで議論が交わされた。当日の模様はアーカイブで視聴可能となっている。



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『100,000年後の安全』マイケル・マドセン監督



(「日本では政府や東電の発表に嘘がある事が分かっていても、それに抗議する人が非常に少ないです」という問いに)

「日本は民主国家ですよね。それはミステリーです!」 (マイケル・マドセン)


「現在、汚染された土の仮置き場すら決まってない。日本にオンカロのような所をどう作るのが問題だ」(小嶋裕一)


「日本人が一番力を出す所で一番権力が使っているのが、愛国心、愛郷心。献身的な気持ちは残っているが、諸刃の剣。良くなるために自分を捧げる行為の結果が戦争で、今回の事故でも利用されている」 (鎌仲ひとみ)


「科学的社会的合理性に基づく判断は日本ではものすごく教育されている、だからこそテクノロジーを発展させ利益を出せる社会を作るには洗練されていて、今の日本がある。ただ欧州では一方で個人の倫理観というもののバランスあるが、日本ではこちらが欠けているのではないか」(高橋健太郎)


「私は『100,000年後の安全』を見て、哲学倫理を感じた。でも出てくる科学者は科学。監督としての思考が伝わってくる、その齟齬が非常に面白い」(池田香代子)


「欧州のような民主主義への戦いという観点が根付いてないので、本当の民主主義や自分の意見の体現について学ばずに表面的にきたのが今まで。原発事故も観客席というのが当たり前になっている」 (佐藤潤一)




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(左より)鎌仲ひとみ氏、池田香代子氏、高橋健太郎氏


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(左より)佐藤潤一氏、小嶋裕一氏







12月21日渋谷オーディトリウムでのトークセッション付上映では「はんげんぱつ新聞」編集長の西尾漠氏を迎え、USTREAMシンポジウムとはまた異なる角度からの対談が期待される。イープラスでの前売発売は終了しているため、現在アップリンクでメールにて当日21日の昼12時まで予約を受付中、会場受付にて当日券も発売される。

当日はバリアフリー上映となっており、ご希望の方は副音声で映画を鑑賞することができる。

また会場では12月23日にリリースされるDVDも先行販売。今回の日本版では日本語吹替版に田口トモロヲ氏を起用、視覚障害者のための日本語音声ガイドも完備されている。



▼映画『100,000年後の安全』監督来日緊急シンポジウム・アーカイブ

http://www.ustream.tv/recorded/19251141














イベント情報




『100,000年後の安全』マドセン監督×西尾漠トーク付上映会



日時:2011年12月21日(水)

19:00開場/19:30上映開始 21:00トーク開始(~1h)

会場:オーディトリウム渋谷
(東京都渋谷区円山町1-5 KINOHAUS 2F)[googlemaps:東京都渋谷区円山町1-5]

ゲスト:マイケル・マドセン(本作監督)、西尾漠(「はんげんぱつ新聞」編集長)、他

料金:1,500円



★ご予約も承っております(当日会場にて料金をお支払い下さい)

※ご予約は21日12:00まで受付中

このイベントへの参加予約をご希望の方は、

(1)お名前

(2)人数 [一度のご予約で3名様まで]

(3)住所

(4)電話番号

以上の要項を明記の上、

件名を「予約/12月21日『100,000年後の安全』マドセン監督×西尾漠トーク付き上映会」として、factory@uplink.co.jpまでメールでお申し込み下さい。

<※携帯電話からのご予約は『@uplink.co.jp』からのメールが届くように設定の上、お申込み下さい。>









本上映会は副音声でもご視聴いただけます。

バリアフリー上映はクローズ方式です。一般の方は、副音声なしでおたのしみ頂けます。副音声でのご視聴希望はご予約を承っております。


バリアフリー上映ご予約方法:
参加予約をご希望の方は、 (1)お名前 (2)人数 [一度のご予約で3名様まで] (3)住所 (4)電話番号 以上の要項を明記の上、件名を「予約 12/21バリアフリー上映会」として、 film@uplink.co.jpまでメールでお申し込み下さい。ご不明な点はお電話にて、お気軽にお問い合わせください。(TEL:03-6821-6821 担当:松下)














マイケル・マドセン プロフィール


1971年生まれ。映画監督、コンセプチュアル・アーティスト。ストリンドベリの「ダマスカスへ」をベースに、都市と景観を上空から撮影した映像作品「To Damascus」(2005)のほか、何本かのドキュメンタリー作品を監督。また、コペンハーゲンのタウンホール広場の地下にある、面積900平方メートルのサウンド・ディフージョン・システムを備えたギャラリー「Sound/Gallery」の創始者及び、芸術監督を務める(1996-2001)。ニューミュージック&サウンドアート・フェスティバルSPOR 2007のデザインやデンマークのオーデンセの音楽図書館のコンセプトを考案。また、ゲストスピーカーとして、デンマーク王立芸術学校、デンマーク映画学校、デンマークデザイン学校で講演している。




西尾漠 プロフィール


NPO法人原子力資料情報室共同代表。「はんげんぱつ新聞」編集長。東京生まれ。東京外国語大学中退後、広告制作会社に勤務。1973年、電力危機を電力危機を訴える電気事業連合会の広告に疑問をもち、原発問題に携わるようになる。『原発を考える50話』(岩波ジュニア新書)、『原発は地球にやさしいか』(合同出版)ほか著書多数。













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『100,000年後の安全』より



リリース情報






DVD『100,000年後の安全』

2011年12月23日発売



監督・脚本:マイケル・マドセン

脚本:イェスパー・バーグマン

撮影:ヘイキ・ファーム

編集:ダニエル・デンシック

2009年/75分/デンマーク、フィンランド、スウェーデン、イタリア/英語/カラー/16:9/ビデオ




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3,990円(税込)

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▼『100,000年後の安全』予告編

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[TOPICS]『10万年後~』のフィンランド 新型原子炉公開(2011-11-09)

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被災地福島で初上映─原発事故から3ヶ月、放射性廃棄物の問題を描くドキュメンタリー『100,000年後の安全』 http://www.webdice.jp/dice/detail/3086/ Mon, 06 Jun 2011 14:17:06 +0100
映画『100,000年後の安全』より



フィンランドの放射性廃棄物の最終処分場の内部に初めて潜入したドキュメンタリー『100,000年の安全』が6月18日(土)より福島県福島市の映画館・フォーラム福島で上映されることになった。3月11日の東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故後、4月2日より渋谷アップリンクでの朝1回の上映から緊急公開を開始し、現在全国で60館を超える劇場で公開が決定。また今作品を観たいという各地からの声に応え、5月13日にはニコニコ生放送での有料生配信が行われたが、被災した福島県では初めての上映となる。

『100,000年後の安全』は、原発から生まれる放射性廃棄物は10万年管理しうるのか?をテーマにマイケル・マドセン監督が、フィンランドのオルキルオトに建設中の最終処分場“オンカロ(隠された場所)”と呼ばれる施設の撮影に成功。たとえ原発が止まったとしても残るゴミの処理をどのように考えなければいけないのか、原発の是非とは別の次元で放射性廃棄物を人類はどう処理するべきなのかを、この作品は問いかけている。

震災からまもなく3ヶ月が経とうとする今も、いまだに事故に関しての情報公開や被害対策の遅れが指摘されるなか、福島第一原発から半径60キロに位置する福島市での公開にあたり、フォーラム福島の阿部泰宏支配人に話を聞いた。



今、かつてないほど、原発や放射能について知りたい、情報が欲しいと、多くの県民が思っている



──フォーラム福島は3月11日の震災と原発事故から現在まで、どのような営業をされてきましたか。



映写機がずれた程度で、建物はほとんど実害もなく、無事でしたが、結果として、3月11日から4月1日まで休館を余儀なくされました。



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原因はさまざま。停電が二日間、断水が一週間で3月19日以後は、水も電気も復旧したものの、水道から放射性物質が出たという報道がでたこと、依然、ガソリン事情が好転せず、物流ラインも交通網も寸断されていた、物資もフィルムも届かなかった、社員が出社できなかった。等々。とても営業再開できる状況ではありませんでした。

3月下旬頃になってようやく、物流が動き始め、店々もじょじょに営業を再開しはじめてきたところで、弊館も再開の準備を始め、4月2日に再オープンできました。


フォーラム福島の阿部泰宏支配人


──4月2日の営業再開以降、お客様からどのような反響がありましたか。



「このような大変な時期に映画なんて、不謹慎ではないのか」という類のお叱りも覚悟していたのですが、まったくそういうことはありませんでした。むしろ、「待っていた」「こういう時期だからこそ、明るい話題が必要」といった肯定的な反応がほとんどでした。激励の声も多々いただき、とても励みになりました。



──今回『100,000年後の安全』が、6月18日から7月1日まで開催される『特集上映:映画から原発を考える』の第一弾として上映されます。この特集上映を企画されたきっかけを教えてください。



原発事故当初は、立地県の映画館だからこそ、原発、放射能に関連する作品の上映は慎重にかまえるべきと思っていました。でも考えが変わったのは一ヶ月も経ったころ。このころになると、県民レベルでもようやく「国も東電も(事態の収拾を)どうしたらいいのかわからないのだということが、はっきりとわかった」という意識が浸透し、自覚的な人は自ら積極的に関連の情報を集めはじめるようになってきたのです。

とくに、明らかに政治判断的な思惑で、大人も児童も年間20m/mシーベルトまで被曝線量基準を引き上げたことは子供を持つ親のみならず、一般的な良識からみても明らかにおかしいと誰もが感じています。今、かつてないほど、原発や放射能について知りたい、情報が欲しいと、多くの県民が思っております。原発問題を契機に、建設的な議論を喚起する映画を上映することはむしろ、福島県においてだからこそ必要だと思ってます。もちろん、いたずらに不安や恐怖を煽り立てる作品を無自覚に上映することのないよう、選定には配慮が必要だと思っています。




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福島県福島市の映画館・フォーラム福島



──『100,000年後の安全』の他にも『黒い雨』『ナージャの村』『アレクセイと泉』といった作品がラインナップされていますが、特集の作品選定のポイントについて教えてください。



第一弾の『100,000年後の安全』は、放射性廃棄物についての作品、第二弾『黒い雨』は、原爆がもたらしたもうひとつの「内部被曝」を題材にしています。第三弾となる『ナージャの村』『アレクセイと泉』は、避難区域に生きる人々を通じて価値的な生とは何かについて考えるというテーマです。第四弾として上映される『東京原発』は原発立地をめぐる考え方の欺瞞について描いています。そして第五弾『みえない雲』は、原発事故直後のパニックと情報操作、そして差別についての映画です。この後も、第六弾の鎌仲ひとみ作品の再上映はじめ種々、検討中です。



──福島の映画興行の方々や映画ファンの皆様のなかで、復興へ向けて、どのような運動や活動が起きていますか。



被災地で避難生活を送っている方々のビデオレターの仲立ちや無料巡回上映を行っています。また、復興映画祭で旧作を上映し売上の全額や、入場料おひとり10円を義援金として寄付させてもらってます。



──『100,000年後の安全』を福島の方々にどういう思いで観てもらいたいですか。



何万年もなくならない放射性廃棄物をほんとうに人類は管理できるのか。という基本的な問いかけに、じつは誰も本気で「できる」なんて思っていないことが少しずつ露呈していく映画です。

手に負えなくなるリスクが背後にあることは百も承知なのに、それでも「それ」に手を出さずにはいられない。捨てられない……。地球温暖化による環境問題もしかりですが、単視眼的にしか生きて来なかった人類がいまはじめて本質的に、百年、千年レベルで後発の世代に、どうしたらこの世界を手渡していけるのか、判断を迫られている時がきていることをフクシマを通じて、誰もが実感しています。

この映画に映し出されるフィンランドの巨大埋設施設オンカロは、暗くて冷たくて、静謐。まるで人類すべての心の闇をこの一箇所に集約したような、まさにパンドラの匣。それは、美すら湛えていて、どこまでも不気味。安心を得るためにこういう施設を建設せざるを得ないわたしたちの社会は何なんだろう、と根源的に問い直させるひとつのテクストにしていただきければ、嬉しいです。




(取材・文:駒井憲嗣)









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映画『100,000年後の安全』

フォーラム福島にて2011年6月18日(土)より公開

渋谷アップリンクほか全国公開中


〒960-8051 福島県福島市曽根田町6-4

TEL 024-533-1717

公式サイト


全国の公開情報はこちら



監督・脚本:マイケル・マドセン

脚本:イェスパー・バーグマン

撮影:ヘイキ・ファーム

編集:ダニエル・デンシック

出演:T・アイカス、C・R・ブロケンハイム、M・イェンセン、B・ルンドクヴィスト、W・パイレ、E・ロウコラ、S・サヴォリンネ、T・セッパラ、P・ヴィキベリ

配給・宣伝:アップリンク

(2009年/79分/デンマーク、フィンランド、スウェーデン、イタリア/英語/カラー)



公式サイト



公式twitter





▼『100,000年後の安全』予告編


[youtube:m7uCWtmd8O4]



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「どうしても放射性廃棄物を捨てるなら、東京に」原子力の識者がなぜ反原発を掲げるのか、京都大学原子炉実験所・小出裕章助教に聞く http://www.webdice.jp/dice/detail/3034/ Wed, 27 Apr 2011 13:26:06 +0100
京都大学原子炉実験所の小出裕章助教。取材は、照明や、夏でもエアコンをつけないという研究室にて。


人類史に刻まれた311、つまり東日本大震災と福島原発の事故により、原子力発電に依存した日本のエネルギー政策があらためて問題となっている。原子力政策に異を唱えて続けてきた「熊取6人衆」の一人、京都大学原子炉実験所の小出裕章助教は、今回の事故当初から東京電力や政府による発表に疑問を呈し、放射性物質の危険性を警告してきた。原子力の研究者がなぜ原発に反対するのか。小出助教の原子力に対しての姿勢に至る経緯、次世代のエネルギー、そして映画『100,000年後の安全』でフィンランドの実例が描かれた核廃棄物の処理について、有太マンが聞いた。





大学の原子核工学科で

「原子力はとんでもないものだ」ということに気付いた




──先日、ソフトバンクの孫正義さんがはっきりと反原発の姿勢を打ち出されたように、そういった、少なからず社会に影響力を持たれている方々からの“反原発”発言が続く現状を、どのように見ていますか?



ありがたく思います。どんどん言ってくださいと思います。



──これまでの長い先生の活動の中で、一番そういった声があがっているという実感はありますか?



この期に及んでそういう発言が出なければ、日本という国はよっぽど馬鹿だということです。



──とても基本的なことを聞かせてください。プルトニウムは人間がつくり出したものとして、その原料となっているウランは、自然の、元々地球上に存在していた鉱物です。そういった、一つ扱い方を間違えれば人間を滅ぼしてしまう力を出すものが現実に存在していて、それに実際人間が手を出してしまったということ。つまり、ウランは地球、人類にとって何なのかということを、先生はどう捉えられていますか?



ウランは地球にあったわけですね。私たち人間なんていうものは、地球という存在から見れば、まったくとるにたらないものだと私は思っています。地球には46億年の歴史があると言われていますが、それを「一年」という尺度に当てはめてみるとします。1月1日の0時0分に地球が生まれ、最初は火の玉だったのがだんだんクールダウンして、海ができて大気ができて、生命ができたわけです。一番はじめの生命はたぶんもの凄い原始的な生命だったのが、それが進化を繰り返しながら、色々な生命が生まれては絶滅してまた生まれては絶滅し、ある時に人間というものが生まれたわけです。それが400万年前ほど前だと言われています。まあ、原始人と言われている人は今の人類とはすいぶん違った姿かたちだったと思いますが、そこで地球を一年の尺度で考えた時、人類が生まれたのは何月何日ですか?



──それは、本当に短い、大晦日、、



そう、大晦日です。大晦日でもその朝、そして昼にも人類はいなくて、午後の4時頃になってようやく生まれるという、そういう歴史なんですね。ですから、この地球という星から見たら、人類なんていたっていなくたってとるに足らない、そういう歴史を刻んできているわけです。でも今、この人類がこの地球上に想像を絶するほど跋扈してしまって、「繁栄」という名前の下に、、



──寄生し、繁殖しているというような。



そう、異常増殖をしているわけです。その人類がこの地球上にあったウランというものを掘り出し、自らを破滅に導こうとしている。例えばアメリカ先住民の言葉を紐解いていけば、要するに「ウランを掘ってはいけない」と、「そういうものに手をつけてはいけない」というふうに書いてあるわけです。地球という星の上で自分たちは生かせてもらっているんだし、この自然の中で生きていく生き方を考えなければならないと言って、彼らはずっと警告を発してくれていた。でも、今日の文明が「とにかく豊かであればいい」と。「エネルギーがあればいい」ということに凝り固まってしまって、なんでもかんでもやるわけですよね。人間は自分のことを、生物を分類して「霊長類」という分類をつくり、「人間は万物の霊長」と自分で言っています。もう、愚かの極みだと、そう思います。



──先生は夏もクーラーをつけず、電力を極力使わない生活をされています。



はい、何も困りませんので。



──それは元々なのか、それとも、原子力というものを深く知るようになるにつれ、そういった姿勢に変わっていったのですか?



元々かもしれません。私は東京生まれの東京育ちで、地元は日本で初めて地下鉄が通った上野と浅草のちょうど真ん中あたりの、稲荷町という駅でした。私がその江戸の下町で生活していた頃は、いい町でした。自分の家から半径100m、200mの円を描くと、八百屋はあるよ、肉屋はあるよ、乾物屋はあるよ、豆腐は風呂桶みたいなところに豆腐が浮かべてあって、それを切って売っていたという、そんな時代でした。「住みやすい町だな」と思って育ちましたが、それが1964年に激変したんです。東京オリンピックの年ですよね。新幹線を通し、東京の街はコンクリート・ジャングルにして、高速道路をつくると。道路はそれまで子供の遊び場だったけれども車が溢れてきて、子供が道路から追いやられるということになり、実は私は「これはもうダメだ」とその時に思ったんです。こういうような社会、つまりエネルギーを膨大に使って、なんでもかんでもコンクリートで固め、自然を壊していく街づくりをしていく社会はダメだと思いまして、それでもう「東京は必ず出て行く」と決め、大学進学時に離れました。



──オリンピックの時でおいくつですか?



1949年生まれですから、15歳です。その頃にそんなふうに思っていたんですが、それでも私自身、人間が生きるためには「なにがしかエネルギーがいる」ということは信じていました。当時中学高校の頃、石油は30年でなくなっちゃうと言われて「これはやっぱりマズいな」と、一方では思っていました。もう一方では、原爆の悲惨さが散々染みとおり始めた頃で、東京でも「広島原爆展」、「長崎原爆展」というのが度々開催され、私もよく観に行きました。そこで「原子力」というもののエネルギーの巨大さを頭に刷り込んだわけですね。やはりなにがしかエネルギーが必要であり、「石油がなくなってしまうのであれば、次は原子力」と、私は信じていたわけです。



──原子力に未来を感じられていた。



東京を捨てて大学は東北大学に行ったんですが、工学部の「原子核工学科」というところを選んで、原子力に自分の未来をかけようとした。ですから、なにがしかエネルギーがいるということはもちろんそう思っていたわけだし、原子力に夢を持ってしまうほど、エネルギーが必要だと思っていたんです。でも、行ってみたら「原子力はとんでもないものだ」ということに気付き、「原子力をやめさせなければいけない」と思うようになりました。エネルギーの使い方も、東京の街をあんなふうにした使い方はやはり正しくない、と。ですから、「エネルギーをなるべく使わないで済む社会をつくらなければ」と、ますます思うようになって今がある、ということです。



──先生が「こうあるべき」と思われる人間生活のかたちは、世界のどこかで実現されていますか?



ありません。だって歴史は流れているわけで、どんな世界だってどんな時代であれ、いいこともあれば、悪いことだってあったわけです。どこかにモデルを求めてはいけないと思うんです。今あるのは、私たちのこの「日本」という現場があるわけで、それをどうやって変え、どういうところにもっていけるかという、たぶん、そういうことしか意味がないだろうと思います。でも、エネルギーは少なくとも使い過ぎなので、私は「日本のエネルギーを1/2か1/3にしろ」という主張をしています。どうすればそうなっていけるかということは知恵を出し合い、もっていくしかないと思います。



──難しいことに聞こえます。



とても難しいです。私は、聞いていただいたように「東京の街づくりが間違えている」と言ったわけで、いわゆる大都市のつくり方が間違えている。それは逆に言えば、過疎地のつくり方も間違えているということです。



──リスクが過疎地に押し付けられている、ということですね。



ですから、国土計画を変えなければいけないし、都市計画も変えなければいけないということになります。一朝一夕ではもちろんいかないし、私の頭の中でそんなことを全部解決できるわけもありません。



──その中で、それを少しでも実現できる可能性は、例えば政治家にあるのか、市民一人一人の意識の喚起が必要なのか。



政治家はもちろん重要な役割を果たしてくれなければいけませんが、私は申し訳ないけれども、現在の政治家に何の期待も持っていない。



──逆に、どういったところに可能性を見い出されていますか?



私は今現在は、とにかく、虐げられた人々の側に寄り添いたいと思っています。



──それは今で言うと、例えば福島原発付近の住民の方々?



福島の人もそうですし、原子力発電所を押し付けられてきたのは一言で言えば、過疎に追いやられ、生活がますます困難になり、補助金をもらうしか生きる道がない人々です。それで一度それに手をつけてしまうと、ますます補助金にすがるしかなくなる、追いつめられていった人々がそこら中にいます。抵抗しようとしてたくさんの人が立ち上がったけれども、でも国がすすめ、巨大産業としての電力会社がすすめる原子力政策にみんなが押しつぶされて、ここまできている。私はそういう人たちのところにいたいと思っているわけで、政治の方には「どうぞお好きなようにやってください」と思っています。




知識を伝えること、放射能汚染を調べて公表し、

判断の材料にしてもらうことが私の仕事





──原発を押しつけられた人々がいると同時に、同じ地域には率先して誘致した方々もいらっしゃるわけですが。



そうです。でもその「率先」というのは、要するに「貧しい」からなんです。別に喜んで危険を受け入れているのではありません。それを受け入れれば「金」がくる。誘致した人たち自身もそこまで追いつめられているからであって、そうしたのはむしろ政治の責任です。それを政治の人たちが変えてくれると言うなら「どうぞ、よろしくお願いします」と言いますが、私は、その地域の人たちと一緒にできることをやろうと思っているだけです。



──具体的にできることと言うのは?



色んなことがありますが、私の知識をそういう方々に伝える。喧嘩があるなら、喧嘩にでかける。あるいは、実際に放射能汚染があるならそれを調べて公表し、判断の材料にしてもらう。そんなことが私の仕事だと思っています。



──現状で放射能の汚染地域はすでに2~30キロの外に出てしまっていますし、たぶんこれからもっと増えるでしょう。そういった地域に実際住むことによって、白血病の発症、数年後に発癌する方々が増えるということはわかるのですが、日々の暮らしへの直接的な影響というと、どういった弊害が出るのでしょうか?



ありません。ただ、農業をやっている人は農作物が汚れます。それがいったいどうやって売れるかという問題はあると思いますが。



──そして汚れたものは、見た目もわからないわけですね。



わかりません。



──食べても、味も変わらない。



変わりません。変わるほど放射能があったら死んでしまいます。「放射能」と私たちが呼んでいるものは、「放射性物質」のことなんですね。それは、放射性「物質」ですから、「物」なんです。本当は色もあれば匂いもあって、目でも見えるんです。だから「放射能は五感に感じない」という言葉があるけれども、本当のことを言えば正しくないのです。ただ、感じるほどあったら、人間が死んでしまうということです。ですから実際には色も匂いも感じられないで、感じた時には死んでいるというのは、そういうことなんです。ですから、今の汚染地帯でも、放射能を日常的に感じるなんていうことはできません。何もなくて日常生活を続けることは可能です。



──何も日常と変わらないのに、ただ「そこに放射能があるらしい」ということが、余計に恐怖な気がします。



何も感じない。ただ「何年かすれば、癌や白血病になって死んでいくんだよ」という、そういうことです。



──チェルノブイリにあった症状の一つに、奇形児の出産の増加がありました。



あるだろうと思います。ただそれは、なかなか証明ができないだろうと思います。今でも、何もなくともいわゆる奇形、障害を背負って生まれてくる子供がいるわけだし、今後福島の汚染地帯でそういう子供はやはり出るだろうけれども、その子供が元々汚染がなくても奇形になったのか、あるいは福島の今の汚染のために奇形になったのかを区別することができません。だから結局はうやむやのまま、闇に葬られていくと思います。



──しかも、そういった症状が顕著に出るのは5年、10年後以降と。



それも疫学という分野の難しさです。例えば広島、長崎の原爆被爆者の人たちだって、10万人もの被爆者を集め、毎年毎年この人たちがどうやって死んでいくということを、米軍の力で調査を始めたわけです。そして、一方には被曝しなかった人たちを何万人も対照集団として囲って、こっちとこっちを比較するというような研究ができて、はじめて被爆者の中に癌や白血病が多いということがわかった。これから福島の人たちがどんな生活になるのか私には今は想像もできませんけれども、その人たちの健康状態を何十年も追跡していくという、まともな研究ができるのであれば、彼らの中に癌や白血病、あるいは奇形児が多いということが、いずれわかると思います。しかし、どこまで本当にそんなことができるのかな、というのも不安です。



──それこそ先生がされてきたように、誰かがライフワークとして調べ続ける必要性があるということですね。



調べた方がいいとは思いますが、日本政府がそれをやるかどうかは、私にはよくわかりません。



──国がやらない場合、個人の研究者が4、50年でもかけて調べ続けないと、結果がわからない?



わからない可能性はあると思います。



──現在、チェルノブイリの汚染地帯には多くの人が住んでいますね。



住んでいます。40万人の人はものすごい汚染地帯から強制避難させられましたが、日本の法律なら放射線の管理区域にしなければいけないという地域に565万人が今現在住んでいます。それはロシア、ベラルーシ、ウクライナを合わせてですけれども。



──そしてその方々の多くは、何らかの健康障害を発症している?



私は当然そうだと思います。でも、その調査がどこまできちっとなされているかは、未だにデータとして見たことがありません。



──放射能に関しては、厳密な調査がされていないケースが多い?



ものすごく難しいのです。放射能に関しては「非特異性」と言いますけれども、「他の原因ではこの病気は出ない」ということがわかるなら、その病気を見つければいいわけで簡単です。でも癌なんていうのは、それこそタバコを吸っていれば、または食べものが悪ければ、あるいは遺伝的な特質でもなるわけですから、癌になったからといって「被曝が原因だ」と言えません。ですから、突き止めるのがとっても大変だし、それまでに膨大な研究と長い時間がかかるという、そういう被害なので、なかなか明らかにならないと思います。





こんなことを目の当たりにしながら「電気が欲しい」とは、

今さら何を言っているか





──人間はそもそもウランに触るべきではなかったと思いますか?



そう思います。



──軽い言葉かもしれませんが、「パンドラの箱」や、「禁断の果実」といった表現があてはまるように思えます。



それで結構だと思います。



──そもそも原子力エネルギーは、正力松太郎氏が広島、長崎の傷も癒えぬうちに日本に持ち込み、それが私達の世代にまでゴジラ、ドラえもん、鉄腕アトム、ウランちゃん等々のキャラクターとともに、社会の中に広く浸透しています。それがそれほど「未来の素晴らしいエネルギー」とされていた現実を、どのように見てらっしゃいますか?



たぶん正力さんは大変に政治的な人だったと私は思うけれども、彼が一番初めに原子力に夢を持ったというのは、僕が夢を持ったのとあまり変わらないと思います。



──石炭、石油は未来永劫続かないわけで、当時は純粋に「未来はこれだ」と。



それは当り前の話なんですね。そして「原爆」というものの圧倒的な破壊力を見せつけられたわけですよね。僕はだから子どもながらに原爆の決定的な破壊力を刷り込まれたわけだし、正力さんはもっと政権というか、要するに経済界の中枢にいたわけで、そこで「これを何か別のかたちで使えないか」と発想するということは、当然だったと私は思います。「平和利用」と思ったかどうかはわからないけれども、「エネルギー源になる」とは思ったでしょうね。「これは新たな産業の原動力になる」と思ったということは、まったく不思議なことではありません。



──それにしても、これだけ地震の多い日本で大量の原発が建設され、過疎地が原発を誘致してしまう原因が、結局すべて「お金」に帰結してしまうという事実は、どうにも悲しい気持ちになります。



そうですが、今の社会がそういう社会だということは受け入れざるを得ないと思います。すべて「金」なんです。



──それが「豊かさ」とされてきた。



ですから、東京みたいなきらびやかな街をつくることが豊かだと思ってる、六本木のような街を豊かだと思う、それは私は全然違うと思っています。



──そういうことを考えていると、日本にここまで原発が増えたのは、アメリカやその他の世界が、これからのエネルギー産業を見定めるテストケースとしても、日本があったように感じます。誤解を恐れずに言えば、正力氏でさえ、ある意味彼らに「たぶらかれた」といいますか。



そうです。今、正力さんがもし生きているなら、彼が自分のやったことをどう思うかということを、僕は聞いてみたいです。



──穿った見方かもしれませんが、福島があり、これから先私たちがどの方向に進むべきかということは、そういう根本から考えないと、転換もできないのではと思います。



今だって、このことがありながらほとんどの日本人は、「停電が嫌だからやはり原発が必要だ」と言っているわけです。「たかが電気じゃないか」と私は思う。こんなことを目の当たりにしながら「電気が欲しい」とは、今さら何を言っているかと私は思いますが、でも多くの日本人は「今年の夏が停電だと嫌だから、原子力発電所はやはり必要だ」と言っているわけですよね。私は昨日静岡に行ってきて、浜岡の原子力発電所は4号機も5号機も未だに運転しています。半分冗談で、「私が静岡にいる間に東海地震がおきないでくれればいい」なんて思っていましたが、でも本当にいつおきてもおかしくないぐらい、東海地震は切迫しているはずだと思うんです。それなのに未だに原子力発電所を止める、止めないとやっている。いったいこの国は何なんだろうと思います。



──地震学の研究者の方々とは定期的に情報交換しあっているのですか?



例えば私たちは、ずっとこの研究所で「原子力安全ゼミ」というのをやってきて、ついこの間110回までやりました。その中で地震の問題でゼミをしたこともあります。そこで石橋克彦さんに来てもらって話を聞いたり、他の地震学者に話をしてもらったこともあるし、私自身はまったく地震の門外漢ですから、専門的にコメントを求められても私に答える資格はありません。でも、彼らの話を聞く限り、東海地震はおきると思わなければいけないと思っています。



──浜岡原発を、直下型地震が今、この瞬間にも襲う可能性があるということですね。



私が言っているのではなくて、世界中の地震学者がそう言っている。しかし民主党は温暖化防止のため、CO2の25%削減のためにその切り札は原子力だと言ってきたわけだし、そもそもその前の自民党が全部、今の原子力をつくってきたわけです。



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小出裕章助教




人類は原子力という現代の錬金術を手に入れた




──次世代のエネルギーとしては何が有効と考えていますか?



まず原子力はまったく意味がありません。資源がなさ過ぎる。地球上にあるウランは500万トンですから、どんなに頑張っても石油の数分の1のエネルギーしかありません。「石油がなくなる」と私は脅かされたわけですが、ウランなんてそれより前になくなってしまう。だからウランはもういいというか、どっちにしても力にならないし、消え去る運命なのです。それでその後はどうなるかと言うと、やはり化石燃料です。石炭で言えばウランの数十倍はあるということは歴然とわかっているわけで、中期的、つまり100年、200年という単位で言うなら化石燃料、特に石炭だと私は思います。これから天然ガスが増えてくるので、これは使いやすいし、使うことになると思いますが。



──今、メタンハイドレードに注目が集まっています。



いいと思いますが、ただそれは要するにメタンなんですね。それが深海にあるわけで、採掘する時にどうしても一部が漏れると思います。メタンは炭酸ガスに比べて圧倒的な温室効果ガスですので、メタンハイドレードに手をつけるようなことになると、今世界中が騒いでいる地球温暖化問題というのは、どうにも解決ができない事態に追いやられると思います。でも私は実は、二酸化炭素が地球温暖化の原因だなんて思ってないんですが。



──そこの信憑性はいかがなんでしょう?二酸化炭素と温暖化の関係性は結局は原発推進派がつくり出した理論であり、それを辿ればゴア元副大統領の映画『不都合な真実』でさえ、その一環だという話も聞きます。



私はそう思います。二酸化炭素が地球の大気中に増えてきたのは、1946年からです。それより前から増えてはいますが、激増したのはその頃で、産業革命以降に色々な化石燃料を使うようになって、大気中の二酸化炭素濃度は先の世界大戦が終わってから激増したわけです。では地球の温暖化という現象が始まったのはいつからかと言うと、1800年からです。ずっと、地球というこの惑星は人間がいようといまいと固有の性質で動いてきたわけじゃないですか。だから昔から寒い時期もあったし、暑い時期もあった。気候変動なんて山ほど繰り返しながら今日まできているわけで、この地球は過去1000年以上前から寒冷化の道を辿ってきた。ずっと寒冷化してきて、それが温暖化に転換したのは1800年代のはじめから。要するに、二酸化炭素放出と関係ないんです。つまり地球は固有の性質として、温暖化という波に入っていたんです。前は氷河期というのが4回繰り返されたわけで、今は温暖期にあるんですが、温暖期の中でも寒くなったり暖かくなったりするわけです。1800年のはじめから温暖期に入り、その途中で1946年から二酸化炭素を大気中に多く放出したということはあるし、それが何がしかの温暖化を加速していることはあるかもしれません。しかし、「二酸化炭素が温暖化の原因」なんていうことは、はじめから間違えている。



──では、温暖化に関する諸々は原発推進のためだったんでしょうか?



すべてではありませんが、「原子力を進める人たちが、温暖化キャンペーンを使った」ということは確実です。



──自分自身もそれにのって、「二酸化炭素を排出しないということは、原発にもいいところがあるな」と考えていました。



とんでもない話です。原子力に手を染めてしまったら、これからの放射性廃棄物の始末も含め、どれだけの二酸化炭素を出すかわからないほど膨大な二酸化炭素を出します。もし、二酸化炭素が地球温暖化の原因で、二酸化炭素を出さないといけないと本当に言うなら、私はそう思ってないけれども、本当にそう思うなら、原子力だけはやってはいけません。



──まだ石炭の方が、、



はるかにいいわけです。



──本末転倒なお話ですね。そしてその放射性廃棄物について、お聞きしたいと思います。現在すでに、国内だけで広島に落とされた原爆の120万発分の死の灰が溜まっていて、国外も合わせると膨大な量の死の灰が地球上にある、と。それは、人間の技術がこれだけ進歩し、最高峰の叡智をかき集めても、その処理方法は見つからないものなのでしょうか?



人類の歴史の中には「中世」という時代がありました。中世にものすごい発展を遂げた技術、学問に、錬金術があります。銅や亜鉛、錫が金にならないか、色んなことを調べたんですね。すごい技術です。酸を加えて溶かしてみたり、セラミックにしてみたり、酸化物、水酸化物をつくってみたり、色んなことをして物性の変化を調べていく。「よくあんな時代にこんなことを」というほど色んなことをやっているんですが、しかし結局錬金術は敗れるんです。銅は銅、金は金で、「お互いの元素の間の変換なんてできない」ということで敗退するわけですけれども、でも、錬金術は実際にできたんです。だってウランという元素があって、それを核分裂させたら他の元素が山ほどできるということを人類が見つけ出したわけです。まさに「現代の錬金術」を手に入れた。



ただ手に入れた途端に、作り出した物が放射性物質で、それが大変だということはすぐに気が付いた。人間が一番初めに原子炉を動かし始めたのは1942年です。それはマンハッタン計画の中で、米国がプルトニウムをつくって原爆をつくりたいと思った時、プルトニウムは自然界にはないので、人間が作るしかない元素です。要するに錬金術ですよね。ウランに中性子を吸わせたらプルトニウムという未知のものができると。そして「それが原爆の材料になるはずだ」ということで、原子炉を動かし始めた。でもその時には核分裂をさせる、この核分裂自身も錬金術ですけれども、プルトニウムをつくるということをやってしまうと、大変なことになるということは気が付いていた。「放射性物質を生み出すこと」は、できると。でも、「それを無毒化できなければこれから大変なことになる」ということで、その時から無毒化の研究が始まっています。だからすでに70年その無毒化の研究は続いていますが、原理的には可能です。ですから、錬金術はできるわけです。



──可能なんですか?



原理的には、です。筋道は70年前から見えてるわけですが、じゃあそれを実際に現実的に実行できるかというと、「できない」というのが、70年経っても解決できない、今の現状です。



──それは何が理由で?



いくつも理由がありますが、例えばセシウムという元素があります。今、福島でも問題になっている放射能があるわけですが、それはウランを核分裂させてしまうと、セシウムという核分裂生成物がたくさんできる。でも、じゃあ例えばセシウム137番を錬金術を使って無毒化したいと思うとします。するとまず核分裂生成物の中から分離をしていくわけですね。「セシウムはこっち来い、ヨウ素はあっちへ行け、バリウムはあっちだ、ランタンはあっちだ」と、色んなものをようやく分離できたとする。でもそこで、セシウムという元素の中には色んな質量数、つまり133番も134番も、136番も137番もある。元素として分離できるのは、質量数を問わないで、セシウムという元素をとってくるわけです。その中の「セシウム137をとにかく無毒化したい」と思って、それはできます。やり方はそこに中性子をぶつければいいんです。



──そこでも中性子なんですね。



また中性子をぶつけて、錬金術を使うと。それでセシウム137を消すことはできるけれども、でも集めてきたセシウムという元素の中には、セシウム137だけではなくて、134も133も132も、色んなものが入ってるわけです。137だけは中性子をぶつけて無毒化できるかもしれないけれども、他のセシウムはまた中性子を吸って、別の原子核に変わっていくわけです。その時に、また放射能を持った原子核に変わってしまう。137は無毒化できても、例えば134が135になって放射能になってしまう。だから、いくらやってもダメ、と。



──ずっと、いたちごっこなんですね。



次の解決策は、セシウムという元素として集めた物を、一つ一つ「137はあっち、134はこっち、133はそっち」というふうに分けることができればまたそこに可能性は見えるけれども、でもそれをやろうと思うと、ものすごいエネルギーがかかるんです。



──エネルギーですか?



要するに元素の中で、質量数の違う原子核ごとに分離をしようとすると、化学的な分離方法はもう通用しないんですね。同じ元素ですから、いわゆる同位体濃縮というものすごく大変な作業をしなければいけなくて、それをやろうと思うと、ウランを核分裂させて得たエネルギーを全部投入してもたぶんできない。だから結局無意味、ということになってしまいます。



──人類はすでに、延々と続くループの中に足を踏み入れてしまったわけでしょうか。



これから逃れるのは、「これ以上の核分裂生成物を生まない」ということしかありません。「原子力は使わない」という選択です。



──ただすでに、日本だけで広島の120万発分ということは、世界に現存する放射能廃物はどれだけの量になりますか?



日本に原発は54機。世界全体には430機ざっとありますから、約10倍あることになります。ですから、1000万発分のそういうものがすでに地球上にあるということです。



──それで現状における、考えたあげくの最善策としての処理法は、フィンランドの岩盤に穴を掘って埋める、ということ?



無毒化はできない。だとすれば、人間や生命体が住んでいるところから隔離するしかないということになったわけですね。じゃあ、どう隔離するかとなって、一番最初はロケットに積んで宇宙に捨てると言った。



──それは僕も最初考えました。



でも、ロケットは時々失敗して落ちてくる。そうなったらおしまいなわけです。次に考えたのは、海底に沈めてしまえという案があったけれども、沈めた後でもし漏れてきたらそれもおしまい。海はどこかの特定のものではありませんから、それもロンドン条約で禁止された。その次は南極に行って捨てる案が出た。南極は何千メートルの氷で覆われた大陸です。これはものすごい発熱体ですから、氷を溶かしてどんどん沈んでいって最後は南極の陸地の上に到着して、その頃には上の方はまた氷になって閉じ込めてくれるという、誠に手前勝手な論理を考えた人たち、あるいは国々がいた。でもそこでまた「待てよ」と。「南極はいったい誰のものだ?」と。いずれ南極に貴重な資源があった時、そこに放射能があれば何も使えなくなるから、それもダメと。「じゃあ、どうする?」というのが今ですよね。それで「地面の底にいれてしまえ」となって、フィンランドやスウェーデン等、古生代の地層がたくさん残っているところで、安定した地層だということで穴を掘って埋めてしまおうという計画はあるけれども、それでも「本当に埋めていいのか?」ということで、ずっと決まらないまま逡巡しています。



──未だに実際埋めてはいない?



どこも埋めていないです。



──現在公開されている映画『100,000年後の安全』は、埋めたことについての作品と思っていました。



「まだ埋めていないけれど、その実現に向かって歩み始めている」という映画です。それは米国も、ユッカマウンテンという西部の山の中に埋めようとしたけれども、1万年あるいは10万年、100万年という期間にわたって安全だと示すことがサイエンス上できないということで、オバマも撤回した。ですから、米国も行き詰まってる。でも日本は、やろうとしてますよね。どこかに処分場という土地をとって、、



──第2の六ヶ所村というような?



六ヶ所村は再処理工場ということで、使用済みの燃料の中からプルトニウムを取り出すための工場ですが、そこからできてくるはずの「ガラス固化体」が全然できなくて、今六ヶ所の再処理工場は止まってしまっています。原子力を推進している人たちの計画によれば、「ガラス固化体」というのをつくって、それをどこかにまた持って行って、埋め捨てにしたいと言っているわけです。「埋め捨てにしてもいいよ」という地域が手を挙げたら、それだけで20億円やると。「海外には出さない」という、一応は日本の方針になっているので、またそこで経済的に疲弊したところを狙って、それを押し付けようとしている。今まで10いくつの、本当に過疎で、経済的に成り立たないような地域が手を挙げかけるけれども、その度に住民がやはり「そんな不安は嫌だ」ということで反対して、すべて潰れてきています。でも国としてはそれ以外の方針がないということで、未だになんとかその埋め捨ての場所をつくるといって動いています。だから私は一つ一つ潰しに歩いていますけれども、「どうしても埋め捨てたいなら、東京に埋めてくれ」と、私は言っている。






高円寺のデモは確かに

「一歩近づいたんだな」と希望を託したい





──先生は、人類が無限のループに入ってしまった状況も熟知されていて、それで無力感に苛まれることは?



あります。



──他に抱える感情があるとして、それは憤りなのか、悲しみなのか、、



全部です。



──その上で今現在の心境としては、これは言葉が間違っているかもしれませんが、ある意味達観なさっている感覚もあるのか、、



私は、人間なんて、大したものだと思わないんです。集合体としての人間も、一人一人でも、私自身も含めてみんな、ある時に生まれでてきて、ある時にはどっちにしても死んでしまうわけじゃないですか。大きな地球の歴史の中から見れば、本当に瑣末なことと思うんですね。でも僕は僕で生きている。それは消すことのできない事実としてあるわけだから、僕はせめて消すことのできない事実があるなら、自分の好きなように生きたいと。それがどれだけ価値があるかどうかは何の関係もなくて、自分が思うように生きたいという、それだけです。



──例えば、これは現在でも過去でも、先生が勇気づけられるような存在はいらっしゃいますか?



田中正造さんですね。



──国や政府には基本的に期待なさらないということですが、逆に、今の世の中で希望を感じるような事例はありますか?



例えば、私はよく知らないけれど、この間高円寺で若者たちがデモをしたということで、ちょっとはインターネットでその映像が流れてきましたが、「ああ、歴史はやっぱり流れているな」と思いました。



私はチェルノブイリの事故があった86年の秋に、ウィーンに行ったんです。チェルノブイリの事故で、原子力に反対してきた学者たちや運動家が集まって「反原発」、「Anti Atom International」という会議がありました。その時に色んなイベントが同時並行で行われていて、ウィーン市内で原発反対のデモをするというので、北駅とか南駅とかあちこちから出発して、中心にあるホーフブルグ宮殿を目指したんですが、北駅に行くと、誰もいない。主催者みたいな人はいるんですが、周りを見ても誰もいなくて「今日これでいいのか?」と聞くと「いいんだ」と。でも、そうこうする間に、どこかから沸き上がってくるようにして、人々が集まってきた。それもみんなてんでんばらばらの格好をして、一つのプラカードを持っているわけでもないし、隊列を組んで腕を組んでやるというのでもないんですね。それぞれ自分のつくった看板を背負った人もいるし、乳母車を押している人もいる。それぞれが自分の主張を持って、沸き上がってくるんです。そういう人たちがデモをして、いつの間にか大群のデモになっている。当時の日本では到底考えられないかたちで、組織が動員もしないし、隊列を組んでシュプレヒコールというわけでもない。「ああ、こういうデモがあるんだな」と、ヨーロッパがいいというわけではないけれども、歴史の成熟を感じて、こういうふうに一人一人が自分の自発的な意志で立ち上がるような日が来れば、人の世も変わるなと思いました。



このあいだの高円寺のデモがどれほどのものか私は知らないけれども、でも確かに「一歩近づいたんだな」と思いました。私が希望を託すとすれば、そういうことです。政治家とかそんなことではなく、生きる人間の、一人一人です。そういうのを見ると、少し希望を感じます。まだまだ小さ過ぎて、ダメなのかもしれませんが。



──それがまたあまり報道されなかったということが、問題になっていました。



今の日本の社会ではしょうがないと思います。でも、日本国内ではほとんどみんな知らん顔していますが、福島の事故がおきたらドイツで20何万人規模のデモがおこるわけじゃないですか。



──先日の統一地方選では、結局原発推進派の知事の方々が当選されました。



そうです。



──そしてそれを見届けたようなタイミングで、政府が事故を「レベル7」と発表しました。



汚い政府です。コメントするのもアホらしくて、嫌になります。



──あのタイミングでは、嘘はついていないという既成事実のため、と思わざるを得ませんでした。



そうでしょうね。でも、政治に期待して動く方はどうぞ動いてくださればと思います。ただ、私自身はそこに自分の時間を使う気がないということです。



──東京に戻ることはありますか?



決して戻りません(笑)。あんな街はもう願い下げです。




(2011年4月17日14時、大阪府泉南郡・京都大学原子炉実験所にて。インタビュー・文:有太マン)









小出裕章 プロフィール


1949年生まれ。東北大学原子核工学科卒、同大学院修了。74年から京都大学原子炉実験所助教を務める。著書に『放射能汚染の現実を超えて』(1992年)『隠される原子力・核の真実 原子力の専門家が原発に反対するわけ』(2010年)、共著に『原子力と共存できるか』(1997年)ほか。



有太マン プロフィール


有るがままに太い男で有太マン。

思い返せば、2000年にNYの美大を卒業し、01年帰国直後におこった911に突き動かされ、
NY現地アーティストたちの作品を集めて紹介する活動で定着したライター業が、現在の本業。

この311は日本、世界をどこに導くか。僕らが、どこへ導けるか。












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映画『100,000年後の安全』

渋谷アップリンクほかにて上映中



監督・脚本:マイケル・マドセン

脚本:イェスパー・バーグマン

撮影:ヘイキ・ファーム

編集:ダニエル・デンシック

出演:T・アイカス、C・R・ブロケンハイム、M・イェンセン、B・ルンドクヴィスト、W・パイレ、E・ロウコラ、S・サヴォリンネ、T・セッパラ、P・ヴィキベリ

配給・宣伝:アップリンク

(2009年/79分/デンマーク、フィンランド、スウェーデン、イタリア/英語/カラー)



公式サイト



公式twitter





▼『100,000年後の安全』予告編


[youtube:m7uCWtmd8O4]








イベント情報




【4/28(木)】19:00開場/19:30上映

「チェルノブイリの今とフクシマ」

ゲスト:広河隆一(ジャーナリスト)

※4/28(木)はご予約が定員に達したため、受付を終了いたしました。



【4/29(金祝)】13:35開場/13:50上映

「世界の原発事情~フィンランド編」

ゲスト:須永昌博(スウェーデン社会研究所)



【4/30(土)】13:35開場/13:50上映

「廃炉という選択~日本の核廃棄物処理の現状」

ゲスト:舘野淳(元中央大学商学部教授)



【5/2(月)】19:00開場/19:30上映

「原発に変わるエネルギー」

ゲスト:飯田哲也(環境エネルギー政策研究所)





料金:

【一般・シニア・学生】当日:2,500円/予約:2,000円

【アップリンク会員】当日・予約:1,800円

(当日加入されてその日から適用されます。当日会員に加入される方でイベントに参加される方は事前に予約を入れてください。満席になり次第予約は終了します)



※入場料のうち200円を東日本大震災の義援金として寄付致します。義援金は家屋が全半壊したり、東京電力福島第一原子力発電所の事故に関連して避難指示を受けたりした計約6万5000世帯に分配されます。(義援金振込先:ゆう貯銀行 福島県災害対策本部 00160-3-533)




予約方法:

このイベントへの参加予約をご希望の方は

(1)お名前、

(2)人数 、

(3)電話番号、

(4)日時を明記の上、件名を「○月○日/『100,000年後の安全』トーク付上映会」として、factory@uplink.co.jpまでメールでお申し込み下さい。





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映画『100,000年後の安全』 緊急レクチャー付き上映会開催!! http://www.webdice.jp/dice/detail/3033/ Tue, 26 Apr 2011 16:13:53 +0100
映画『100,000年後の安全』より


4月2日より緊急公開された『100,000年後の安全』。拡大公開後も連日満席札止めが続き、上映後にはほぼ毎日、映画を観た方との意見交換が行われ、原発推進、脱原発という意見に係わりなく、まず放射性廃棄物を人間が管理する事が可能なのかどうかということを考えさせられたという意見が多く寄せられています。



本作は、フィンランドのオルキルオトに建設中の、原発から出る高レベル放射性廃棄物の最終処分場“オンカロ(隠された場所)”と呼ばれる施設に、世界で初めてカメラが潜入したドキュメンタリー作品で、安全になるまで10万年を要するという高レベル放射性廃棄物を、果たして10万年間も安全に人類が管理できるのかという問題を、フィンランドの最終処分場の当事者たちに問うています。



現状日本では、原発から生まれる放射性廃棄物の処理をどうするか、未定のままです。
今、福島の状況はどうなっているのか?今後どうなっていくのか?諸外国ではどうなっているのか?ゲストの方のお話を伺いながら、 本作を通し、今の日本の原発の現状、既にある廃棄物の処理方法、原発に変わるエネルギーについて考え、話し合いたいと思います。








【4/28(木)】19:00開場/19:30上映

「チェルノブイリの今とフクシマ」

ゲスト:広河隆一(ジャーナリスト)

※4/28(木)はご予約が定員に達したため、受付を終了いたしました。



【4/29(金祝)】13:35開場/13:50上映

「世界の原発事情~フィンランド編」

ゲスト:須永昌博(スウェーデン社会研究所)



【4/30(土)】13:35開場/13:50上映

「廃炉という選択~日本の核廃棄物処理の現状」

ゲスト:舘野淳(元中央大学商学部教授)



【5/2(月)】19:00開場/19:30上映

「原発に変わるエネルギー」

ゲスト:飯田哲也(環境エネルギー政策研究所)




料金



【一般・シニア・学生】当日:2500円/予約:2000円

【アップリンク会員】当日・予約:1800円

(当日加入されてその日から適用されます。当日会員に加入される方でイベントに参加される方は事前に予約を入れてください。満席になり次第予約は終了します)



※入場料のうち200円を東日本大震災の義援金として寄付致します。義援金は家屋が全半壊したり、東京電力福島第一原子力発電所の事故に関連して避難指示を受けたりした計約6万5000世帯に分配されます。(義援金振込先:ゆう貯銀行 福島県災害対策本部 00160-3-533)



予約方法



このイベントへの参加予約をご希望の方は

(1)お名前、

(2)人数 、

(3)電話番号、

(4)日時を明記の上、件名を「○月○日/『100,000年後の安全』トーク付上映会」として、factory@uplink.co.jpまでメールでお申し込み下さい。







映画『100,000年後の安全』

渋谷アップリンクほかにて上映中



監督・脚本:マイケル・マドセン

脚本:イェスパー・バーグマン

撮影:ヘイキ・ファーム

編集:ダニエル・デンシック

出演:T・アイカス、C・R・ブロケンハイム、M・イェンセン、B・ルンドクヴィスト、W・パイレ、E・ロウコラ、S・サヴォリンネ、T・セッパラ、P・ヴィキベリ

配給・宣伝:アップリンク

(2009年/79分/デンマーク、フィンランド、スウェーデン、イタリア/英語/カラー)



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▼『100,000年後の安全』予告編

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4/2(土)緊急上映決定!『100,000年後の安全』 原発から生まれる放射性廃棄物の危険について──フィンランドの場合── http://www.webdice.jp/dice/detail/2985/ Wed, 30 Mar 2011 11:30:10 +0100
映画『100,000年後の安全』より



公開にあたって



本作品はフィンランドのオルキルオトに建設中の、原発から出る高レベル放射性廃棄物の最終処分場"オンカロ(隠された場所)"と呼ばれる施設に、世界で初めてカメラが潜入したドキュメンタリー作品です。



高レベル放射性廃棄物は安全な状態になるまで、10万年間かかると言われています。フィンランドでは、固い岩盤を掘削し地下500メートルにまるで地下都市のような巨大な施設を、自国の原発から出る放射性廃棄物の最終処分場として作る事を計画しています。現在の段階では正式に運用されるのは2020年を予定しています。



アップリンクでは、本来この作品を今秋に公開する予定でした。しかし、福島原発の放射能汚染の事故が起き、原発に関する知識を得る事を必要としている人が多いと思い、2011年4月2日から緊急公開する事にしました。



共同通信が震災後(26、27日)行った世論調査では、原発を「減らしていくべきだ」と「直ちに廃止」の合計が46・7%、「増設」と「現状維持」をの合計が46・5%とほぼ同数でした。この映画の配給会社の代表である僕の個人的意見としては、自分は科学を信じているので、原発を人間が完全にコントロールでき、放射性廃棄物を安全に処理する方法を確立しているならばという条件付きで原発はあってもいいと思います。ただし、それが不可能ならば、要するに現状ではそうですが、新たに原発は作るべきではないし、今ある原発は停止していき、節電と代替エネルギーの技術的方法を考えるべきだと思います。



本作では、安全になるまで10万年を要するという高レベル放射性廃棄物を、果たして10万年間も安全に人類が管理できるのかという問題を、フィンランドの最終処分場の当事者たちに問うています。



本来映画を公開する前にマスコミ向けの試写を行い、その際に配布する映画を解説したプレスシート、また観客に映画の理解を深めてもらうためのパンフレットなどを作りますが、それらはまだ準備できていません。今回は映画の上映を行いながら、メディア関係者や専門家に作品を観ていただき、作品解説の資料を作っていきたいと思っています。また、公開後になりますが、5月に監督の来日も企画しているところです。



なお、この映画の入場料の内、200円を東日本大震災の義援金として寄付致します。



アップリンクの上映は既に上映を決めていた作品などもあり、当初は1日朝1回の上映ですが、調整ができ次第回数を増やしていきます。従って、客席数40人の劇場で上映するので大変込み合う事が予想されます。整理券は上映開始の30分前(4月2日は9時45分から)配布します。当初は席に限りがあり観客の皆さんには不便をかけるかもしれませんが、ロングラン公開を予定していますのでご了承ください。


浅井隆(アップリンク社長)



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映画『100,000年後の安全』より


作品紹介



原発から生まれる放射性廃棄物の放射能レベルが生物に無害になるまでには、最低10万年を要すると考えられている。これは、放射性廃棄物の埋蔵をめぐって、未来の地球の安全を問いかけるドキュメンタリーである。

毎日、世界中のいたるところで原子力発電所から出される大量の高レベル放射性廃棄物が暫定的な集積所に蓄えられている。その集積所は自然災害、人災、および社会的変化の影響を受けやすいため、地層処分という方法が発案された。
フィンランドのオルキルオトでは世界初の高レベル放射性廃棄物の永久地層処分場の建設が決定し、固い岩を削って作られる地下都市のようなその巨大システムは、10万年間保持されるように設計されるという。

廃棄物が一定量に達すると施設は封鎖され、二度と開けられることはない。しかし、誰がそれを保証できるだろうか。10万年後、そこに暮らす人々に、危険性を確実に警告できる方法はあるだろうか。彼らはそれを私たちの時代の遺跡や墓、宝物が隠されている場所だと思うかもしれない。そもそも、未来の彼らは私たちの言語や記号を理解するのだろうか。



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映画『100,000年後の安全』より






映画『100,000年後の安全』

2011年4月2日(土)よりアップリンクにて公開



監督・脚本:マイケル・マドセン

脚本:イェスパー・バーグマン

撮影:ヘイキ・ファーム

編集:ダニエル・デンシック

出演:T・アイカス、C・R・ブロケンハイム、M・イェンセン、B・ルンドクヴィスト、W・パイレ、E・ロウコラ、S・サヴォリンネ、T・セッパラ、P・ヴィキベリ

配給・宣伝:アップリンク

2009年/79分/デンマーク、フィンランド、スウェーデン、イタリア/英語/カラー/16:9/ビデオ


公式サイト




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