webDICE 連載『スプリング・フィーバー』 webDICE さんの新着日記 http://www.webdice.jp/dice/series/31 Mon, 16 Dec 2024 20:20:04 +0100 FeedCreator 1.7.2-ppt (info@mypapit.net) 『スプリング・フィーバー』初日に行った中国旅行プレゼントに当選した古賀さんの北京最新レポート http://www.webdice.jp/dice/detail/2761/ Mon, 06 Dec 2010 20:39:18 +0100
北京美人とサンザシ。
北京の銀座、王府井。糖葫芦(タンフールー)はサンザシを飴で固めた物で、北京の冬の風物詩だそう。街のいたるところで売られていました。ケンタッキーと吉野屋は北京の街にいっぱいあります。





2010年、北京



『スプリング・フィーバー』の初日プレゼントで北京旅行が当たった。まさか!と思ったが、どうやら本当らしい。映画を見て、すぐ2週間後にその国に行けるなんてめったにない経験である。二つ返事で行くことを決める。



いったいどういう背景からこの映画が生まれたのか、急成長を続ける中国、2008年の北京オリンピックを境にがらりと変わったと言われる北京の街、4泊5日という短い滞在で見ることが出来るのはわずかでしかないが、中国の「今」を私はとても見てみたかった。



映画のものうい雰囲気に反して、街の雰囲気、人々の表情はびっくりするほど明るかった。映画の舞台であった南京ともまた違うのかもしれないし、旅行者の気楽さからそう見えたのかもしれない。北京は予想以上に近代的な都市であった。好景気にわく街を旅行するのは単純にとても楽しい。上向きの気分が街全体から感じられるようであった。



旅行者として外側から見た中国と、映画で知った内側からの視点。国と国との関係としては微妙な時期だからこそ、自分が見たものを信じたい。『スプリング・フィーバー』は、自分の中にあった古めかしい中国のイメージを払拭するパワーのある映画だった。私もなるべく色眼鏡なしで見たいという思いで北京の街を歩いた。








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朝から何をするでもなく、路地裏に集まる人々。

胡同(フートン)が残る下町には、まだそんな風景がある。

なぜかアーティステックな椅子に座るおじさん。

古い町並みの方が歩いていて面白い。



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北京といえば、「人民服と自転車」というイメージがどうしてもある。しかし洪水のような自転車の群れ、というのはもうないようだ。スプリング・フィーバーでもそういえば移動は車でした(自転車だったらまた違ったテイストになってしまう……)。

とはいえ中心街を外れた下町や住宅街では自転車をよく見かける。北京の街は広大でワンブロックが長い。道路には自転車専用レーンがあるし、修理屋も多い。自転車生活はきっと快適。電動アシスト付きも流行っているようでした。



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11月の北京は真冬であった。夜の気温は氷点下で池に氷が張るほど寒かった!スタイルは違えど、街の至る所に焼き芋屋さんが。北京の焼き芋屋さんは三輪自転車にドラム缶である。冬の街角で求める物は同じですね。





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ジャージの子供。赤いスカーフがかわいい。

デパートの客寄せの「歩く鉄仮面」にうおー!となっているところ。



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人民服の人はもうほとんどいないと聞いていたが、骨董市や郊外の方ではたまに見かける。寒いので人民コートのようなものを着ている人も。和気あいあいとしているおじさんたち、何を話しているんだろう?とちょっと気になる。




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印象としては話し好きで素朴な人たち、という感じ。よく中国語でなにやら話しかけてくるおじさんおばさんによく出会う。言葉がわかってなくてもなぜか会話が成立しているときもあって、旅って不思議。





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地下鉄で老人に席を譲る若者もいたし、切符の買い方がわからなくておろおろしていたら「ほら、ここ押すんだよ」などと助けてくれる人もあった。

イメージとして、中国人というのは日本人にとって、アメリカ人より謎多き民族なのかもしれないが、個人として接した時の人と人との関係なんてどの国でもそんなに変わらないんじゃないの?と思う。




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住宅地域を歩いていたら朝市に出くわす。

朝から異常なる活気である。

どんなに体制が変わっても、彼らの庶民生活というのは中国4000年あまり変わっていないんじゃないか、と思わせる。でもカルフールなども進出しているし、一般的には超市(スーパー)に行くのかもしれませんね。




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同じく市場の肉屋。日本には絶対ないワイルド肉屋。

お客が何グラムくれというと、巨大な包丁で骨ごとぶった切ってくれる。

驚くべきことにイトーヨーカドーの中の肉コーナーであってもほぼ同じスタイルであった。




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798芸術区という、国営の工場跡地がギャラリーになっている所。

文革時代に工場の壁に書かれていたスローガンもそのまま残されていて見ることが出来る(毛沢東万歳!みたいなやつです)。

とにかく敷地が広くて、アートのテーマパークのようになっている。

作品は有名無名、玉石混合ではあるが、政治的なものを感じさせる作品も多い。ロウ・イエ監督だけでなく、現代美術家のアイウェイウェイなど、中国の芸術家は本当に闘わざるを得ないのだ、という事実を知る。しかし彼らの活動は非常にラジカルでかっこいい。



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この時期に中国に行く、というと心配されることも多かったし、ちょっと不安ではあったのだが、あぶないことは特になかった。親切な人も多かったし、東京から来た、というと「そう!東京はとてもビューティフルなところね!」なんて言ってくれるホテルのお兄さんなどもいたりしてちょっとうれしい。




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北京と東京の違いは何だろう?

ストリートミュージシャンの意味は確実にちがう。

写真を撮らせてもらったので1元(ケチでごめん……)缶に入れた。自分の行為にとても戸惑う。



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携帯で話しながら歩いている人が本当に多かった。中国製のスマートフォンもあるみたいだし、なんと路上でも売っている。

電波状況は非常に良い。私のiPhoneもどこでもつながった。Googleマップがあれば初めての街でも迷うことなしです(嘘です。一度反対方向のバスに乗ってしまってめちゃくちゃ焦りました……)。



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少数民族なのだろうか、北京の街で見たジプシー風のおばさんたち。なぜかみな同じクマの毛布を羽織っていた。

おばさんの目線の先には、道端にあったシーソーで遊ぶカップル。

「あら楽しそうねー」みたいなことを(おそらく)話かけられました。



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オウムがいる雑貨屋。

「天安門、恋人たち」にも出てきた、池がある公園の近く。古い胡同を改築したレトロな店が並んでいる。大きなショッピングモールやファッションビルが街に増えて行く一方で、若者のレトロ趣味のようなものも存在しているよう。おしゃれなカフェもたくさんある。この辺りや南鑼鼓巷という下北沢みたいな感じのところは、本当に町並みのセンスが良かった。




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日本に入ってきてないような面白い映画はないかと思ってDVDショップをのぞいてみた。が、大きな書店に入っているような正規品が買えるお店では、面白いラインナップは特に見当たらない。ローカルなものはだいたい時代劇かメロドラマ、ラブコメ。検閲ってこういうことなのだろうか……。海賊版事情やネットの動画サイトはどうなっているのかも気になる所です。



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藩家園の骨董市。翡翠のアクセサリーが大量に売られていて、私も欲しかったのだけど、下は10元ぐらいから、上は3桁4桁まで、本物とニセモノを見分ける自信などまったくないのであきらめる。

しかし、人民服のおじさんや、少数民族らしき人々、ワシントン条約は無視かと思われるような毛皮売り。または突発的にはじまる派手な喧嘩(お、はじまったはじまった!!という感じで野次馬が大勢集まる)など、町中ではあまりお目にかかれない風景もここでは見られて面白い。




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昔の中国旅行記を読むと、店員にこれが欲しいと尋ねても「没有(ない)」と言われ、おつりは放り投げるように渡される、というような記述があるが、そんなことはまったくなかった。店員さんは笑顔で接客してくれるし、スターバックスもハーゲンダッツも無印良品もある。街の発展ぶりにすごいな!と思いつつ、しかし発展している所は東京と同じなのでちょっと残念な気持ちもする。外国に行くからには、自分の国と違う何かをどうしても期待してしまうのも事実なのだ。



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行きの飛行機で隣の席だったおじさんはウイグルの人だった。仕事で東京とウルムチを行き来しているという。「ウイグル人は少数民族です。言葉も文化も(中国とは)ぜんぜん違います」何より顔が違う。機内で入国カードを配られて、「ワタシは中国人だからいらないよ」と苦笑いしていた。

旅の始まりに、この巨大な国が抱える問題をかいま見る思いがしたのでした。



(文・写真:古賀加奈子)







★シネマライズにて『スプリング・フィーバー』トークイベント開催

2010年12月12日(日)最終回(19:00)上映前

登壇者:浅井隆(アップリンク社長)

*当日は浅井によるロウ・イエそして主演のチェン・スーチョンとチン・ハオへのインタビュー・ビデオも上映いたします。

*日曜日最終回のため、どなた様でも1,000円にてご覧いただけます。

2010年12月14日(火)最終回(19:00)上映後

登壇者:吉田アミ(前衛家)×浅井隆(アップリンク社長)

*火曜日のため、どなた様でも1,000円にてご覧いただけます。

2010年12月17日(金)最終回(19:00)上映後

登壇者:矢崎仁司(映画監督)×浅井隆(アップリンク社長)








【関連記事】

「シャワー室でのラブシーンではすごく大きな壁を越えなければならなかった」ふたりの主演男優が語る『スプリング・フィーバー』(2010.9.8)

「愛について描かざるを得なかった」 中国で映画製作を禁止されたロウ・イエ監督 舞台挨拶に登壇(2010.10.22)

【『スプリング・フィーバー』川口敦子】ロウ・イエ監督は親密な人の心の時空の苛酷な深奥を切り裂いていく(2010.10.27)

『スプリング・フィーバー』インタビュー:ロウ・イエ監督と脚本家メイ・フォンがえぐり出す〈愛の不自由と政治の不自由〉(2010.11.1)

「人間の本質である、社会の制度や仕組みには収まりきれない自由や業。そこに愛が生まれる」『スプリング・フィーバー』クロスレビュー(2010.11.4)

【『スプリング・フィーバー』福島香織】中国の同性愛者の市民権はいまだ一部にしか得られていない─中国における恋愛の社会的制約(2010.11.5)





[youtube:I5YJ-TQUagA]










映画『スプリング・フィーバー』

渋谷シネマライズほか、全国順次公開中



★twitter感想つぶやきキャンペーン

『スプリング・フィーバー』をご覧いただき、作品の感想をtweetしていただいた方の中から抽選で豪華賞品が当たる!

*ハッシュタグは #springfever

*何日の何時の回にご覧いただいたかをご明記ください

詳しくは公式サイトまで




第62回カンヌ国際映画祭脚本賞受賞

監督:ロウ・イエ

出演:チン・ハオ、チェン・スーチョン、タン・ジュオ、ウー・ウェイ、ジャン・ジャーチー、チャン・ソンウェン

脚本:メイ・フォン

プロデューサー:ナイ・アン、シルヴァン・ブリュシュテイン

撮影:ツアン・チアン

美術:ポン・シャオイン

編集:ロビン・ウェン、ツアン・チアン、フローレンス・ブレッソン

音楽:ペイマン・ヤズダニアン

製作:ドリーム・ファクトリー

ロゼム・フィルムズ

配給・宣伝:アップリンク

中=仏 / 115分 / 2009年 / カラー


公式サイト

公式twitter




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【『スプリング・フィーバー』福島香織】中国の同性愛者の市民権はいまだ一部にしか得られていない─中国における恋愛の社会的制約 http://www.webdice.jp/dice/detail/2702/ Thu, 04 Nov 2010 12:38:01 +0100
映画『スプリング・フィーバー』より、ゲイの青年ジャン・チョンに扮するチン・ハオ



中国の同性愛者の市民権はいまだ一部にしか得られていない

──中国における恋愛の社会的制約

福島香織(ジャーナリスト)




純愛に性差など関係ない。落ちるときは本能に従うだけだろう。けれど、恋愛は実際には社会的な制約、価値観に縛られているのは言うまでもない。

ロウ・イエ監督の『スプリング・フィーバー』の背景には、中国の同性愛に対する根強い差別観、そしてメンツ、結婚というものの重さがある。



中国では2001年に中国精神医学協会が「同性愛を精神疾患に分類することをやめる」と公式に発表するまで、同性愛は「病気」だった。あるいは西側の爛れた文化に汚染された「変態」であり、公序良俗に反するものとして時には警察に犬のように追われ、取り締まられる対象でもあった。そういう長い迫害時代を経て、01年以降、徐々に同性愛者の人権擁護問題が中国社会でも取り上げられるようになった。05年には上海復旦大学で中国初の同性愛者の人権研究のゼミが開かれ応募者が殺到したことがニュースとなった。06年には中山大学(広東省広州市)で本土初の同性愛者の結社が認められた。07年には同性愛問題を論じるネットテレビ番組が放送され、カミングアウトしたレズビアン歌手が司会を務めた。その頃、ようやく北京では、バーやディスコで、ファッショナブルなゲイカップルが仲良さげにしているのを見かけられるようになったし、ゲイ・ナイト、ゲイ・パーティと呼ばれるイベントも行われていた。インターネット上ではゲイコミュニティがいくつもあり、昔のように公園を徘徊しなくても相手を見つけるのに不自由しない。ゲイやレズビアンを最先端の文化のように憧れ、そのファッションをまねる若者すらいた。学者たちは中国人口の3%、4000万人のゲイがいると述べ、中国における同性愛者の市民権は得られたかのようにも見えた。

しかしそれはあくまでも北京や上海などの国際都市のほんの一部の世界で、一歩そこから外れると、彼らにとっては本当に息苦しい社会が残っている。私は北京で同性愛カップルを何組も知っているが、親や職場にカミングアウトしているケースは聞いたことがない。




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映画『スプリング・フィーバー』より、探偵ルオ役のチェン・スーチョン(右)とその恋人リー・ジンを演じたタン・ジュオ(左)



北京市内であるレズビアン・コミュニティのメンバーと意見を交わしたとき、こんな話を聞いた。「私の両親は共産党幹部。おそらく私が同性愛者と知れば、恥をかかされたといって激怒して家から一歩も出されない。そのくらいメンツを傷つける」「中国では結婚し後継ぎを生まなければならないというプレッシャーがすごく強い。特に私たちの世代は一人っ子政策のもと、兄弟姉妹がいないから、そのプレッシャーを一身に受ける」……。社会保障制度が十分に整っていない中国では、子供が築く家庭は自身の老後の頼みでもある。いつまでも結婚しない子供のために、親が勝手に結婚相手を探してきて、結婚させるという話は今なお、当たり前のようある。春節(旧正月)休みに帰郷するとき、結婚相手役として親に紹介されるアルバイトの募集がインターネット上で流れるのも、結婚のプレッシャーと関係がある。そのコミュニティには親を安心させるために結婚したこともある人も少なくなかった。



映画中、既婚者のワン・ピンは男の恋人ジャン・チョンとの関係を妻に口汚くののしられる。妻の言葉を聞けば、夫婦間に愛情が生まれた形跡がない。なのに、妻はなぜそこまで夫に執着するのか。そして、ジャン・チョンから別れを告げられたワン・ピンはなぜ自殺してしまうのか。あまりに極端なリアクションは、中国の同性愛迫害の歴史とメンツ意識、結婚し子供を持たねば一人前でないという社会通念の厳しさを知らなければ共感できないだろう。

この物語は中都市・南京が舞台だ。もし彼らの出会いが北京や上海であれば、もう少し幸せなドラマの結末があっただろう。






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【『スプリング・フィーバー』川口敦子】ロウ・イエ監督は親密な人の心の時空の苛酷な深奥を切り裂いていく(2010.10.27)

『スプリング・フィーバー』インタビュー:ロウ・イエ監督と脚本家メイ・フォンがえぐり出す〈愛の不自由と政治の不自由〉(2010.11.1)

「人間の本質である、社会の制度や仕組みには収まりきれない自由や業。そこに愛が生まれる」『スプリング・フィーバー』クロスレビュー(2010.11.4)





[youtube:I5YJ-TQUagA]





映画『スプリング・フィーバー』

2010年11月6日(土)より、渋谷シネマライズほか、全国順次公開




初日プレゼント

11月6日(土)初日ご来場のお客様に抽選で、中国への往復航空券やロウ・イエ監督の『ふたりの人魚』DVD、カフェ・レストラン「タベラ」の半額割引券が当たります。

プレゼント詳細


(1)その場で当たる!

カフェ・レストラン「タベラ」の半額割引券を各回50名様にプレゼント。

上映終了後に劇場前で当選発表します。

※引き替えには座席指定の鑑賞券が必要です。

(2)抽選で、中国への往復航空券、『ふたりの人魚』DVDが当たる!

初日にご覧になったお客様から抽選でプレゼントいたします。

●北京または上海への往復航空券を1名様

●ロウ・イエ監督作『ふたりの人魚』DVDを10名様

※応募方法:シネマライズに設置してある応募用紙に必要事項を記入の上、応募BOXに投函してください。

※尚、当選は発送をもってかえさせて頂きます。

※空港使用料、出入国税、燃油サーチャージの合計金額約1万円はご当選者様のご負担となりますことを予めご了承ください。

(協賛:IACETRAVEL)






【STORY】

現代の南京。女性教師リン・シュエは、夫ワン・ピンが浮気をしているのではないかと疑い、その調査を探偵ルオ・ハイタオに依頼する。尾行の結果、夫の浮気相手はジャン・チョンという“青年”であった。

尾行されていることに気づいていない夫ワンは、妻にジャンを"同級生"だと紹介する。妻に、ジャンを家族のように見てくれれば便利だと考えたからだ。しかし、ある出来事をきっかけに夫婦関係は破綻し、ジャンの心は、ワンから離れていってしまう。

一方、尾行するうちにジャンのことが気になり始めた探偵のルオは、ジャンに近づく。次第に惹かれあうふたり。しかし、ルオにはリー・ジンという恋人がいた。

ジャン、ルオ、リー・ジン。それぞれの想いを胸に、奇妙な三人の旅が始まった……。



第62回カンヌ国際映画祭脚本賞受賞

監督:ロウ・イエ

出演:チン・ハオ、チェン・スーチョン、タン・ジュオ、ウー・ウェイ、ジャン・ジャーチー、チャン・ソンウェン

脚本:メイ・フォン

プロデューサー:ナイ・アン、シルヴァン・ブリュシュテイン

撮影:ツアン・チアン

美術:ポン・シャオイン

編集:ロビン・ウェン、ツアン・チアン、フローレンス・ブレッソン

音楽:ペイマン・ヤズダニアン

製作:ドリーム・ファクトリー

ロゼム・フィルムズ

配給・宣伝:アップリンク

中=仏 / 115分 / 2009年 / カラー


公式サイト

公式twitter




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『スプリング・フィーバー』インタビュー:ロウ・イエ監督と脚本家メイ・フォンがえぐり出す〈愛の不自由と政治の不自由〉 http://www.webdice.jp/dice/detail/2695/ Sat, 30 Oct 2010 17:05:50 +0100
『スプリング・フィーバー』より





この闘いの主戦場は“愛”である               ──浅井隆





今迄アップリンクで配給してきた作品でどの作品がベスト3だと思いますかと質問をされれば、デレク・ジャーマン作品と自分がプロデュースした作品を除けば、アパルトヘイトを描いたオリバー・シュミッツの『マパンツラ』、トルストイ原作でチェチェン紛争を描いたセルゲイ・ボドロフの『コーカサスの虜』、そしてパレスチナの自爆攻撃者を描いたハニ・アブ・アサドの『パラダイス・ナウ』を挙げるだろう(公開順)。そして、今度公開するロウ・イエの『スプリング・フィーバー』をそこに加えることになる。映画のテーマで言えば、他の3本は、政治問題を描いた作品だが、『スプリング・フィーバー』は、一見政治とは関係のない、“愛”をテーマにした映画だ。しかし、下記のインタビューでもロウ・イエが述べているように、「愛の自由とは、政治の自由の問題」であるのだ。



日本はというと中国とは違い、とりあえず一党独裁国家ではなく、民主主義国家という事になっている。ならば、“愛”の自由はあるのか、この日本で。中国と違い、政府と違う意見を言う自由、表現の自由は保障されているのだから、愛の自由は保証されているはずであるのだが、その権利を行使せずに、制度化された愛に甘んじている人が多いのではないのか。本来、個人が人を愛することとは国家が管理する事はできないことである。そこで、ロウ・イエも言っているように“愛”とは別ものの“結婚”という社会を安定する仕組みを国家は作り、人々の自由を管理しようとする。



唐突では有るが、今年に入って、僕は仮想の敵を「勝間和代的」なもの、「広瀬香美的」なもの、あるいは「J-POP的」なものに勝手にする事にした。本人に会った事はないので、本人を敵とするのではなく、あくまでメディアの露出によって知る「~的」なものを敵とすることは断っておく。

なぜ、それらを敵とするのか、それは、人の行為全てをお金に換算して、費用対効果で論じる「勝間和代的」なもの、婚活、モテる、ハッピーを全面肯定する「広瀬香美的」なもの、そして、逢いたい、癒し、人生の応援を唄う多くの「J-POP的」なるものだからである。簡単に反論しておくと、愛は金には換算できないし、婚活やモテの条件に愛は1番目に存在しないし、ただ逢いたいというのでは人を愛することに必要な孤独の耐性度が低すぎる。



賢明なwebDICE読者の方々はそんなことはとっくに承知で、「~的」なものを敵視するなんて、なんと大人げないことかと思われるかも知れないが、2010年、敵の勢力は衰えるどころかますます増してきているように思う今日この頃なのだ。ようするに「~的」なものの方が圧倒的に売れているのが今のこの日本なのだ。



今迄、アップリンクでは、先に挙げた映画のように、アパルトヘイト、チェチェン、パレスチナ、ビルマ、チベット、ユーゴスラビア、アフガニスタンなど世界の様々な政治的問題を作品とした映画を積極的に配給してきた。それらの問題はアパルトヘイト政策は撤廃されたが人種差別問題は無くなっていない事を含め、全ての問題は現在進行形の問題だ。しかし、この日本では、そんな問題は遠い国の問題で、なにが一番の問題かと真剣に考えた結果「~的」なものの価値観が主流になっていることが最大の日本の問題だと言うことに改めて気づき、それを敵としてアップリンクは映画配給をすべきだと決心したのだ。





この闘いの主戦場は“愛”である。このテーマなら日本においても遠い国の問題ではなく、少なくとも多くの観客の興味のある戦場である。そこでアップリンクが闘えば、敵の勢力を減衰する事ができるのではないかという壮大な目論見が『スプリング・フィーバー』の配給なのである。多分このことはまだ社員は知らない。



「愛の自由とは、政治の自由の問題」とは共産党一党独裁体制の中国では命題として成立するだろう。以下のインタビューで脚本家のメイ・フォンが述べているように中国では価値観の多様性がないので、愛の自由も認められないということになるのだが、価値観の多様性がとりあえず保証されている日本では、自由であるはずの個人が同じ価値観に囚われる事を拒否せず、むしろ同じ価値観になびこうとする傾向があるのは、どうしたことなのだろうか。

それは、言ってみれば愛の自由を自分で奪う事にならないのか。それを先導している、あるいは洗脳しているのが先にあげた「~的」なものではないのか。なにをオーバーなというかもしれないが、僕は、今この問題が日本の文化状況の一番の問題だと思っている。



断っておくが、僕は、個人個人の特定のあの人と一緒にいたい、結婚したい、自分がハッピーでいたい、寂しいから特定のあの人に逢いたいという個人それぞれが持つ感情を否定しているのではない。特定のパーソナルな「あの人」や「自分」が欠落し、結婚したい、逢いたい、ハッピーという、あくまで個人に属すべき感情や思考を、マスに対して一つの価値観で売りつけることを敵視しているのである。

その責任は一方的に価値観を与える側に有るのか、受け取る観客に有るのかと言えば、僕は与える側の責任は大きいと思っている。人々が、寂しい気持ちや逢いたい気持ちをツイッターでつぶやきブログで書くのはいいが、本当のクリエイター、アーティストならば、その個人の感情を突き詰め、本質を見つめ、他の価値観とは違うオリジナルの価値観を持った作品にしなくてはならないのを、あまりにも安易に大衆の感情に迎合した作品が多すぎると思う。そこには、価値観の多様性がなさ過ぎる。



まあ、価値観の多様性なんてはっきりいって商売の邪魔である。一部のブルジョア相手のオーダーメードのオートクチュールよりも、ラグジュアリーブランドは空港の免税店で大衆相手に同一の手に入りやすい価格帯の既製品で商売する方が儲かるように、マーケットが求めている一つの価値観を人々に与えて商売した方が儲かるのは当然である。

しかし、ここが有限会社アップリンクの社長としては難しいところである。映画館にはお客を集めなくてはならない。僕は、本音は、観客に「群れるな、個であれ」と言いたい。しかしそれでは、映画館に多くの観客はこなくなる理屈だ。ただ、映画というのは暗闇の中で見るものだ、そこは個になる場所で、決して群れる事が出来ない場所だ。暗闇を商売の場としているのは他にはプラネタリウムくらいしかないのではないか。お化け屋敷もそうか。暗闇が個になる場所であるのなら、それを商売の場としているのはまだなんとかなるのではないか。「群れるな、個を確認する場として、映画館にきてほしい」と言えば、アップリンクの商売も成立するのではないか。『スプリング・フィーバー』に限って言えば「制度化された愛を捨てよ、映画館に行こう」となるのかもしれない。まあ、言ってみれば儲けるシステムに批判的な僕がアップリンクの社長をやっていられるのも、群れる事を拒否し暗闇で見る映画を商品としているからとも言えるだろう。



というわけで、いろいろ理屈はこねたが、アップリンクの“愛”の戦略兵器である『スプリング・フィーバー』をぜひ観てほしい。最後に価値観が限られていわれる中国でもそれに抗う人はいる事をロウ・イエが話してくれたエピソードで紹介しておこう。



ロウ・イエが当局から中国国内での5年間映画製作と上映の禁止を命じられたのは、2006年にカンヌ国際映画祭で『天安門、恋人たち』上映されて数週間後ロウ・イエの事務所に電話が有り知らされた。電話から数日後、ロウ・イエの事務所に当局からの若い役人がやってきて、賞状のように紙を両手で掲げ、読み始めようとするのだが、その若い役人は「ロウ・イエ監督、僕はあなたの作品が好きです」といい、ロウ・イエは「わかってるよ、仕事なんだから早く読めばいい」と答え、その若い役人は当局が下した5年間の製作、上映禁止を告げたという。

また、『スプリング・フィーバー』はロウ・イエが審査員も務めたこともある「南京インディペンデント映画祭」にカンヌでの上映後出品されグランプリを取った。グランプリを与えた審査員も反骨精神があるが、そこで、受賞記念上映を南京郊外の映画館でする事になった。中国では、商業映画館は当局の管理下にある、本来なら製作禁止期間中にゲリラ的に撮影したロウ・イエの映画は上映が出来るはずもないのだが、その映画館主は「グランプリ作品を上映しなくてどうする、責任は自分が取る」といって上映したという。



プロモーションでの来日中、ロウ・イエはノーベル平和賞を受賞したリュウ・ギョウハについて何度もコメントを求められたが、それには「どんな人間にも言論の自由というものがあります。それを禁じることはあってはならないと思います。たとえ『08憲章』に問題があるにせよ、あるいはないにせよ、そのために刑務所に入れるということは個人の自由を侵害していると思います。このことは憲法に違反しています。そしてその自由には映画を撮るという権利も当然含まれます」と答えていたが、今言った事は記事として書いてもらっていいが、「ロウ・イエ、ノーベル平和賞受賞のリュウ・ギョウハ幽閉の中国政府を批判!」みたいな見出しにはしないでほしいと言ったのでインタビューしたメディアにはそこは注意してほしいと伝えた。でないと、また、中国での映画製作禁止が延長される可能性がないとも言えないのが今の中国なのだ。



さて、翻って日本に戻ると、政治的自由は保障されている、ならば“愛”にとって、なにが自由の障害なのか、「~的」なものなのか、他人と違う事、多数に属さない事を恐れる個人の心の問題なのか。「〜的」なものの受け手の問題として、根底にあるのは、人はすべからく“孤独”な存在であるということを見つめないことが 問題ではないかと思う。ようするに現在の都市に住む人々は、孤独に対する耐性度が著しく落ちているので、宗教にすがるように「〜的」なものにすがるのではないか、その結果が自由な愛が束縛されている原因だと思う。近年、とみにそう感じるのは、評論家的に言えばテクノロジーで安易に他人と繋がる事ができることができるようになった反動なのかも知れない。
そして、その弱さを突いてというか、はたまた表現する側も衰えているのかわからないが、映画や音楽の歌詞の表現の質が著しく衰えているのは、一言で言えば、観客をバカにしているのだと思う。そうでなければ、応援とか癒しなんて言葉は偉そうで、そういわれた時に拒否するはずだ。例えば大ホールで観客相手にユニゾンで合唱させるところには、価値観の多様性という美意識など皆無で、売れれば勝ちのシステムに囚われてしまっているのだろう。
僕は、この売れれば価値というシステムに対抗して違う価値観を提示するには、個人の極パーソナルな独自のオリジナルな言葉しかないと思っている。ただ、表現者たるもの、140文字で語る事の出来ないパーソナルな言葉を深く追求して作品へと昇華しなければならない。



『スプリング・フィーバー』でロウ・イエとメイ・フォンが描こうとしたものは、そういった日本の状況とはずっと遠いところにある「愛の自由」だ。その自由は手に入れた瞬間に不自由をも強いるというものである。その矛盾する「愛の困難」さを、自明の事としてわかったものだけが描けた映画である。ゆえにリアルな映画である。なぜリアルがいいのか、それはそこに“生命の力”があるからだ。




最後にもう一度宣伝です。「~的」なものの浸食を食い止めるためにも『スプリング・フィーバー』を観てください。よければ感想を「スプリング・フィーバー」という文字をいれてツイートしてください。皆さんの感想を読むのが楽しみです。

(浅井隆 アップリンク社長/webDICE編集長)



浅井隆の日記「愛と自由に関して」


愛する事と「結婚」

http://www.webdice.jp/diary/detail/4129/



「モテる」「モテたい」は英語にはない!?

http://www.webdice.jp/diary/detail/3943/




国家が嫉妬し禁止するような「ラブソング」を

http://www.webdice.jp/diary/detail/3467/




読まずに書評 勝間和代『結局、女はキレイが勝ち。』

http://www.webdice.jp/diary/detail/3514/





本物のラブストーリー『シャネル&ストラヴィンスキー』

http://www.webdice.jp/diary/detail/3618/












中国の映画製作はもっと自由化することが必要(メイ・フォン)



── 海外の映画祭に参加して外国から中国を見る事が出来るふたりは、中国での自由と不自由についてどのように考えているか聞きたいと思います。




ロウ・イエ:まず、『スプリング・フィーバー』に続く新作をパリで撮影できたのは、自由ということです。そして『スプリング・フィーバー』を撮った後、当局から何も言ってこなかったということ、これもまた自由と言えると思います。



── ロウ・イエ監督は以前「中国で生活するということは、常に政治的なことと向き合っていくことだ」と言ってていましたが、メイ・フォンさんはいかがですか?



メイ・フォン:私は映画を学ぶためにパリにいましたが、パリは映画を勉強する上では最もいい場所だと言われるのに比べて、中国で映画を学ぶことは難しい。それは、中国で映画を作るとなると、伝統的な文化を重視することと、現実の中国の状況の両方が大きく関わってくるからだと思います。私はパリにいる間は「自由とは何だろう」とかそうした抽象的なことは考える必要はありませんでしたから。フランス人はよく「ハリウッドの映画は観ない」と言いますがそこには価値観の多様性があります。ただ、動員のランキングが発表されると、実は上映3位を占めるのはアメリカ映画だったりもしますけど(笑)。中国で映画が現実の社会と係わっていくためには、フランスのように価値観の多様化すなわち自由化することが必要なのではないでしょうか。その多様化ということ以外は、パリで生活していても東京で生活していたとしても、どこの都市にいてもそんなに変わりはないと思います。



── 天安門事件のときにワン・タン(王丹)かウ・アル・カイシだった覚えていませんが、「自分たちはジーンズが履きたい」と言っていました。



ロウ・イエ:ワン・タンが言った自由は、当時の状態での言葉だから、納得できます。最近比較的自由化されているということは、天安門事件から20年来の大きな進歩だと思います。ワン・タンは、ニューヨークで私たちの『天安門、恋人たち』を観て、「天安門事件については、いろんな人のいろんな見方があっていいと思うが、映画監督がこういった見方をして作品を撮ることには、必ずしも映画の内容には完全に同意はしないけど、正しいことだと思う」と言いました。この『スプリング・フィーバー』は、今年の9月に台湾で審査の面で上映中止になるかもしれないという問題になりました。そのとき助けてくれたのが、ワン・タンだったんです。彼は、この映画を台湾で上映できるようにと台湾側に働きかけてくれました。そのことに関して、ワン・タンにとても感謝しています。いまは、自由というものはジーンズよりももっと複雑になっています。





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『スプリング・フィーバー』より




郁達夫の時代に個人的な生活を描くということ自体がすでに政治的な行為だった(ロウ・イエ)



── 中国ではない台湾がこの作品を見せたくないと考えるのは、この作品の抱えるテーマに体制側が見せたくないと思うものが含まれてるということなんでしょうか?



ロウ・イエ:それは内容がどうということではなく、僕自身が5年の映画製作禁止を受けている監督だからで、台湾政府の中国政府に対する配慮によるものです。結果的には、この『スプリング・フィーバー』は台湾で上映されることになりました。



── ところで、郁達夫(ユイ・ダーフ/イクタップ)の小説を原作にされていますが、彼はどのように中国で捉えられているのですか?



メイ・フォン:郁達夫の小説についてはいくつかの特徴が挙げられますが、文学史上の位置としては主流から少し外れたところにあると言われています。彼の非常に情感溢れる作品は、命を真摯に見つめて描くことから生まれています。純文学という位置づけになりますが、かつて20年代、30年代に台頭した左翼作家連盟の作風とは大きく異なるもので、決して革命的なものではありません。また非政治的な色彩があるというのが大きなポイントです。私はまずこの『スプリング・フィーバー』の台本を書く前に、ロウ・イエ監督とだいたいのコンセプトを固めておきました。

脚本の第一稿を書くにあたり、現代を背景にした普通の若者が直面している悩みや苦しみなどを描いていこうと決めて書き始めました。その第一稿には、まだ郁達夫という要素はありませんでした。それから私が台本を書き上げて、ロウ・イエ監督が修正していき、ふたりで話し合っていく中で、ロウ・イエ監督が郁達夫をここに入れようと提案しました。1920年代の中国の文学界にあっては、郁達夫は本当に異端者だったと思うんです。乱世の当時、社会を漂流するような雰囲気を持つ作家でした。また、郁達夫を加える前には、アイリーン・チャン(張愛玲、『ラスト・コーション』の原作者でもある女流作家)も候補に挙がっていました。



── 当時の中国がいまよりももっと政治的な国だとすれば、そういう中で人の命の本質を見つめる、漂うという不安定な生活の人を書くということは、体制側から見れば非常に反社会的な生き方ですよね。あるいは、体制が思うひとつの価値観ではなく、自由で多様な人の命を忠実に描くということは、体制側からすると反社会的にも思えるので、逆に言えば非常に政治的な作家という風にも見ていいのでしょうか?



ロウ・イエ:たしかにそう言えるかもしれない。非政治的であることが政治的で、政治を回避する態度こそ政治的な態度とも言えます。あの時代に個人的な生活を描くということ自体がすでに政治的な行為だったかもしれないです。





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『スプリング・フィーバー』のロウ・イエ監督




結婚という制度によって社会の秩序が保たれている(メイ・フォン)


── 映画の最後に旅する3人は、ひとりの人を愛するということに囚われず、愛については自由に見えます。一方、自殺するワン・ピンは、3人と比べて、ひとりの人しか愛さないということに囚われているのでしょうか?



ロウ・イエ:いえ、ワン・ピンは妻のことも大事にしておきたいと思ったんです。本当は彼は妻を悲しませたくないから、家庭もきちんと平和なまま続けていきたかった。それと同時にジャン・チョンとの関係も続けていきたいけれど、彼がやろうとしたことは、うまくいかなかった。ただそれだけで、決してひとりの人しか愛さないということではないんです。



メイ・フォン:先ほど「自由とは何なのか」という非常に抽象的な質問をいただきましたが、この『スプリング・フィーバー』の人物にかえって考えると、自由というのは、選択肢の多さを意味しているんだと思います。例えばふたりの間でお互いに選択しなければならないとき、そこでどのような自由度を持つかということが決まってくる。ワン・ピンもひとりの人を愛しながら、もうひとりの人もちゃんと残しておきたいと考えているんです。そこに彼の選択が働いたんだけれど、叶わなかった。うまくいかずに彼は自由を失ってしまって、自殺に追い込まれたということになります。



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『スプリング・フィーバー』の脚本を手がけたメイ・フォン



── ワン・ピンは、結婚という世間体を維持しておきたかった、というのは間違った見方ですか?



メイ・フォン:それは、観客のみなさんがいろいろ考えて観てくださるなかのひとつの見方だと思います。



── ではメイ・フォンさんは、脚本では彼がふたつの選択を同じような重さで持っているように描いたのですか?



メイ・フォン:ワン・ピンのふたりへの愛のどちらが重いかというと、当然ジャン・チョンのほうを愛していたと思います。ですから脚本もジャン・チョンとの愛を豊かにふくらませていきました。彼にとって結婚というのは日常のことなんです。あまりにもありふれた愛の状況というのが日常の結婚生活であって、その状態に飽きがきている。それを変えていったのが、ジャン・チョンとの愛なのです。でも彼はそこに失敗して、あのような結末になってしまったわけです。




── 先日のトークショーでロウ・イエ監督は「結婚は社会を安定させる装置だ」と言っていましたが。



ロウ・イエ:それはどこでも同じだと思います。やはり結婚という制度によって社会の秩序が保たれているということです。



メイ・フォン:私も彼の考え方に賛同します(笑)。アイリーン・チャンは「結婚は合法的な売春だ」とさえ言っています。



ロウ・イエ:彼女はすごいですね。




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『スプリング・フィーバー』より



同性愛を描くことでより思想的なものを映画で試したかった(メイ・フォン)



── ゲイ・カップルが出てきますが、愛を描いているけれど、いわゆる結婚制度から外れたカップルを描いているのは意識的にですか?



メイ・フォン:まず題材についてですが、これは映画製作の思考方法におおきく関わってきます。20世紀の映画製作において、フランスのヌーヴェルバーグとカウンター・カルチャーの思想は、1968年に起こった五月革命によって、さらに新しい文化の可能性を提示しました。その後、今度はアメリカがヌーヴェルバーグの思想に影響を受けることで、アメリカン・ニューシネマとしてヌーヴェルバーグの反逆の精神が導入されていくことになります。しかし80年代になると再び伝統的なものに回帰する現象が起こりました。保守的な政策が敷かれ、社会の安定が第一とされた状況が生まれることで、60年代のヒッピー文化はだんだんとなくなっていったのです。

そして90年代に入ると、ニュー・クイア・シネマが登場し、インディペンデント映画のムーブメントが起こってきます。90年代以降のニュー・クイア・シネマが生んだ衝撃によって、同性愛についての様々な運動が展開されるなかで、『ブロークバック・マウンテン』や『ブエノスアイレス』といった映画がその思想と結合するように出てきました。そうした状況から、中国でも同性愛を題材とすることで、思想的なものを映画により試すことはできないだろうかと考えられました。家庭や婚姻の制度は、私たちにとってある程度の縛りではあるけれど、それ以外にも愛による縛り、難しさというものが存在するのです。



ロウ・イエ:そして環境による圧力もあります。








自由になった後もそれぞれの人生の複雑な問題にお互いに直面していかなければならない(ロウ・イエ)



── ロウ・イエ監督は愛の困難さをどのように考えていますか?



ロウ・イエ:まず人間の生活には幸福な状態がたくさんありますが、そういう幸せな状態を映画に撮る必要はないというのが前提にあります。最終的に、人を愛する能力があるのかないのか、人を愛する資格があるのかどうかというところが問題になってきます。トリュフォー監督が『突然炎のごとく』で描いているのもひとつの愛の困難の現れですよね。私の考えでは、ハリウッド映画のなかではいつも安定した愛のかたちが提示されています。愛の幸せ、そして愛のロマン、いかに愛が簡単なものなのかがよく言われます。ですから結局はハッピーエンディングで締めるというのがハリウッド映画です。でも私たちが目指したのは、中国の現状に直面した映画です。カンヌ国際映画祭で上映された後に、インターネットである人がこういうことを言っていました。「愛の困難というのは、愛の不自由である。その不自由は、政治の不自由でもある」。この3つは強く結びついているんです。





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『スプリング・フィーバー』より


── 映画の最後で3人が水辺で戯れているところは、選択肢があって自由なんだけれど、なぜか寂しさを、そして孤独を感じます。



ロウ・イエ:その通りだと思います。実はあれに至るまでにはいくつかのバージョンがあるんです。あそこでの3人は既に自由になっているんです。湖で遊んでいる場面は、自由の後の孤独が感じられます。もしハリウッド映画であれば、あそこで終わらせると思う。でも問題はその後なんです。3人は自由を得たけれど、自由の後のそれぞれの面倒というもの、人生の複雑な問題にお互いに直面していかなければならない。その後半がまた重要なんです。ほんとうの自由を得られたとき、それは前の状況よりもっと厳しい問題が彼らの前に降りかかってくる。そのような意味をこめて撮っています。昨年のフィルメックスで上映後Q&Aのときに観客がこのような質問をしました。「最後にジャン・チョンはああいう結末を迎えて、幸せなんですか?」と。そのときに私は「ジャン・チョンはすごく幸せなんだ」と答えました。彼らは自由を得たんです。ただ、自由で幸福な状態にいるんだけれど、彼はまだワン・ピンを忘れられないでいる。そこにメイ・フォンが言った愛の問題、愛の難しさが現れてくる。




── 仮に社会的要因による束縛がまったくなくなったとしても、人は誰かを愛することで自由が束縛されるということがある。愛することは自由を束縛することでもあるし、最も自由なことは愛することでもあるという、常に両方のことを考えさせられる映画で、すごく普遍的なテーマだと思いました。



ロウ・イエ:確かにそうですね。どこまでいっても解決できない問題があります。



── 最終的にこの映画を観て孤独をすごく感じました。孤独は生きていくために必要な力である、それは愛するために必要な力でもあること。映画のなかに挿入される郁達夫の言葉は、そういう意味では非政治的であるがゆえに政治的だし、人として生きる力を書いた郁達夫の言葉を引用しつつ描かれた『スプリング・フィーバー』も、非政治的であるがゆえに政治的な映画であると思いました。



メイ・フォン:もし中国の審査制度がすべて撤廃されたとしても、もっと大きな不自由なところに入っていくかもしれないですね。



ロウ・イエ:いまフランスでフランス語で撮っている新作は、審査というものがなく自由に撮れました。この『スプリング・フィーバー』を撮影するときも、中国の審査制度を気にする必要がなかったので、完全に自由に撮れた。その代わり、私たちが直面したのはもっと別の、愛というものをどう解釈して撮るのかという大きな問題でした。自由がないときは、自由を最終の目標にしてしまいがちです。でも、自由を得てしまえば、それを失ってしまうことが問題になるのです。



── 一度手に入れた自由、一度手に入れた愛、人は今度はそれをいつ失うかという事に恐れ、不自由になる。本当に自由でいること、イコール本当に人を愛するという事はたやすくないことです。だからこそ、本当に人を愛するという事は美しい行為であり、同時に孤独でもあるのだと強く感じました。



ロウ・イエ:そうですね。




(インタビュー:浅井隆  通訳:樋口裕子)






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【『スプリング・フィーバー』川口敦子】ロウ・イエ監督は親密な人の心の時空の苛酷な深奥を切り裂いていく(2010.10.27)



[youtube:I5YJ-TQUagA]




映画『スプリング・フィーバー』

2010年11月6日(土)より、渋谷シネマライズほか、全国順次公開




【STORY】

現代の南京。女性教師リン・シュエは、夫ワン・ピンが浮気をしているのではないかと疑い、その調査を探偵ルオ・ハイタオに依頼する。尾行の結果、夫の浮気相手はジャン・チョンという“青年”であった。

尾行されていることに気づいていない夫ワンは、妻にジャンを"同級生"だと紹介する。妻に、ジャンを家族のように見てくれれば便利だと考えたからだ。しかし、ある出来事をきっかけに夫婦関係は破綻し、ジャンの心は、ワンから離れていってしまう。

一方、尾行するうちにジャンのことが気になり始めた探偵のルオは、ジャンに近づく。次第に惹かれあうふたり。しかし、ルオにはリー・ジンという恋人がいた。

ジャン、ルオ、リー・ジン。それぞれの想いを胸に、奇妙な三人の旅が始まった……。



第62回カンヌ国際映画祭脚本賞受賞

監督:ロウ・イエ

出演:チン・ハオ、チェン・スーチョン、タン・ジュオ、ウー・ウェイ、ジャン・ジャーチー、チャン・ソンウェン

脚本:メイ・フォン

プロデューサー:ナイ・アン、シルヴァン・ブリュシュテイン

撮影:ツアン・チアン

美術:ポン・シャオイン

編集:ロビン・ウェン、ツアン・チアン、フローレンス・ブレッソン

音楽:ペイマン・ヤズダニアン

製作:ドリーム・ファクトリー

ロゼム・フィルムズ

配給・宣伝:アップリンク

中=仏 / 115分 / 2009年 / カラー


公式サイト

公式twitter




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【『スプリング・フィーバー』川口敦子】ロウ・イエ監督は親密な人の心の時空の苛酷な深奥を切り裂いていく http://www.webdice.jp/dice/detail/2686/ Tue, 26 Oct 2010 17:52:11 +0100
映画『スプリング・フィーバー』より



ロウ・イエ監督は親密な人の心の時空の苛酷な深奥を切り裂いていく

川口敦子(映画評論家)





「この数日来、晩になると、大通りに人影がなくなってから散歩に出ることにした。ひとりで大通りを、深い藍色の空にかがやく星くずを仰ぎながらゆっくりと、とりとめもなくはてしもない空想にひたりながら歩く(中略)こうした春風の酔いよどんだ夜、いつも、私はあちらこちら盲めっぽうに歩きまわり、明けがたになって、やっと家に帰った」(「春風沈酔の夜」岡崎俊夫訳、平凡社)──1923年に書かれた郁達夫の掌編。そのタイトル、そして『スプリング・フィーバー』の原題にも掲げられた“春風沈酔的晩”を往く上海の文士の一景は、都市漫歩者の孤独、澄んだ寂しさの底にある陶然を活写して、モダニストの時代を甘やかに想起させる。同時にそれはそんな都市の時空への現在進行形の郷愁で結ばれたロウ・イエの映画、そこで孤高の魂を芯に毅然と在る人々のことをも思わせる。




実際、ロウの映画は幸せなカップルとなるよりは都市を、世界を、さすらい続けることを択る孤りを慈しんできた。『ふたりの人魚』で上海をさまよう一人称の眼差しと独白の主、彼がみつけた恋物語の主人公たち、はたまた彼らに影を投げ掛ける『めまい』でロマンスの亡霊に憑かれ“とりとめもなくはてしもない”思いを曳いてサンフランシスコの街を彷徨した男――いずれも群集の中の孤独を愉しむ心の持ち主だった。『天安門、恋人たち』のヒロインの場合には、北京を吹きぬけた束の間の自由の風の中で生涯の恋人と巡り会いながら、あえて孤りとなることでこそ官能の永遠を手にしようとする。肌を合わせ、肉を重ね、ひとつになる程、遠いふたりの寂しさに向けた眼差しは、男と女、男と男、人と人、性差を超えて存在そのものの孤独を敢然とみつめる『スプリング・フィーバー』でいっそう研ぎ澄まされている。






南京の街で交錯する男女5人、微妙に重なるふたつのラブ・トライアングル。そこから脱落する女教師と夫ワン・ピンは多分、孤りよりふたりであることをそれぞれに思う人だ。そうではない残りの3人のぎこちない旅へと映画は歩を進め、孤りと孤りの3人の時間がふと溶け合う瞬間をみつめていく。これまでも情動を手持ちキャメラの動きにスリリングに掬ってきたロウが今回、初めて採ったHDビデオ撮影、それが親密な人の心の時空の苛酷な深奥を切り裂いていく。



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映画『スプリング・フィーバー』より



3人はひとりで泣く人たちだ。恋人の自殺を知ってドラァグクイーンの扮装のまま通路の隅でひとりジャン・チョンは泣きじゃくる。その姿に彼の恋人の死を招くスパイ行為を請け負ったルオ・ハイタオが引き寄せられる。自身に覚えがなくはない孤高の魂、その寂しさをそこに見たからだろう。チャチャのリズムで陽気に明けた朝、踊る恋人ルオの携帯にある写真を目にして、けれども問い質すより美容室のシャンプー台で孤りの時を噛みしめることをとる娘リー・ジン。旅の一夜、うっすらと気づいていた男ふたりの関係を窓辺のキスで確信した時も彼女は、ひとりカラオケの部屋で歌い泣く。無言で加わり手を差し延べるジャン。歌うルオ。3人の時空に響くのは孤独の同志の心の共鳴だ。やがてそれぞれがまたひとりとなり、旅の終わりにそれぞれがひとり泣く。個々の漂泊を続けるしかないことを壮絶に心得た人の思いに共振してキャメラが揺れる。思えばそのキャメラは開巻、密会のワンとジャンの愛の行為を見届けて窓外に這い出し雨に打たれる水槽のひとつとひとつの睡蓮の花を掬いとったのだった。





その花の孤独を刻む傷痕を刺青で飾って孤りのジャンが街を行く。陶然とキャメラが追う。新たな恋人といるベッドから彼の記憶は死んだ恋人が繰り返し読みきかせた郁の一節へと帰り着く。「無限の哀愁を」含んだ空を切り取る映画は郁の時代の孤りを思い、3人の孤独な足取りの先をも思わせる。そうして無論、そんな孤りへの思いは銀幕のこちら側、2010年日本の私たちの毎日にもやさしく懐かしく降り注ぐのだ。



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「愛について描かざるを得なかった」 中国で映画製作を禁止されたロウ・イエ監督 舞台挨拶に登壇(2010.10.22)







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映画『スプリング・フィーバー』

2010年11月6日(土)より、渋谷シネマライズほか、全国順次公開




【STORY】

夫ワン・ピンの浮気を疑う女性教師リン・シュエは、その調査を探偵に依頼し、相手がジャン・チョンという“青年”であることを突き止める。夫婦関係は破綻し、男ふたりの関係も冷え込んでしまう。その一方、探偵とジャンは惹かれあっていく。ジャンと探偵とその恋人リー・ジン。奇妙な三人の旅が始まった……。



第62回カンヌ国際映画祭脚本賞受賞

監督:ロウ・イエ

出演:チン・ハオ、チェン・スーチョン、タン・ジュオ、ウー・ウェイ、ジャン・ジャーチー、チャン・ソンウェン

脚本:メイ・フォン

プロデューサー:ナイ・アン、シルヴァン・ブリュシュテイン

撮影:ツアン・チアン

美術:ポン・シャオイン

編集:ロビン・ウェン、ツアン・チアン、フローレンス・ブレッソン

音楽:ペイマン・ヤズダニアン

製作:ドリーム・ファクトリー

ロゼム・フィルムズ

配給・宣伝:アップリンク

中=仏 / 115分 / 2009年 / カラー


公式サイト

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「愛について描かざるを得なかった」 中国で映画製作を禁止されたロウ・イエ監督 舞台挨拶に登壇 http://www.webdice.jp/dice/detail/2680/ Fri, 22 Oct 2010 10:48:55 +0100
シネマート六本木での特別先行試写に登壇したロウ・イエ監督


夫の浮気相手の青年、浮気相手を調査する探偵、探偵の恋人、次第に惹かれあっていく探偵と青年。現代の南京を舞台に、儚く漂う人々を描いた本作は、人間の根底にある孤独感と幸せを希求する姿をありありと映し出した鬼才ロウ・イエ監督のカンヌ映画祭脚本賞受賞作品『『スプリング・フィーバー』
5年間の製作禁止令を受けながらもゲリラ的に撮影した本作は、孤独、哀しみ、欲望など複雑に絡み合う幾多の想いを映し出した愛の物語だ。


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映画『スプリング・フィーバー』より

今回来日をはたしたロウ・イエは、2006年に公開した前作『天安門、恋人たち』で中国当局より5年の映画製作禁止を命じられたことについて、「前作では、1989年の天安門事件を描いたことと、作中で性愛の描写が多かったことによって上映の許可が出なかった。しかし、愛は政治とは関係がなく、それを描かないわけにはいかなかった。国によって規制の対象は異なるし、例えばイランではイスラム圏独特の理由からある種の作品は禁止されることは理解できる。しかし、監督という職業を禁止されるということには、どうしても納得ができない」と自らが5年の禁止を待たずに本作の製作に踏み切った理由について言及した。


一時期、日本で流行した“婚活”について、「婚活という言葉とは別に、結婚をするというのは、社会が安定していくという枠組みを、結婚という制度によって作りたいというもの。それとは反対に、今回の作品に登場するそれぞれの人間関係は社会の安定からは程遠い、自由な愛を求めたものである」と語った。

最後に、今回の作品で描かれる人々の愛の形や生き方について、「登場人物たちは、自分の自由を求めて生きている。しかしその中で彼らの願いとはうらはらに、多くの試練にぶつかってしまう。自由を求め続けているが、自由というのは本当に探すのが難しい。なぜ難しいかというと、あるときは社会の縛りからくるものであり、あるときは自分自身から発生するものでもあるからだ。この映画を観てもらえれば、それが分かる」と締めくくった。



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『スプリング・フィーバー』

2010年11月6日(土)渋谷シネマライズほか全国順次公開



「この映画は純粋なラブストーリーです。日常に生活する人と人の間に起きる心の衝動を描きました」と語るロウ・イエ監督の渾身の新作。中国でタブーとされている天安門事件を描いた前作『天安門、恋人たち』(06)で中国当局より5 年間の映画製作禁止処分を受けるも、その処分を無視し中国国内でゲリラ的に撮影を敢行。本作は09年度カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞し、世界が賞賛した。 現代の南京を舞台に、“ 春の嵐スプリング・フィーバー”により掻き乱された一夜を彷徨うかのような、男女5 人。夫ワンの浮気を疑う女性教師リンは、その調査を探偵に依頼し、相手がジャンという"青年"であることを突き止める。夫婦関係は破綻し、男ふたりの関係も冷え込んでしまう。その一方、探偵とジャンは惹かれあっていく。ジャ
ンと探偵とその恋人ジン。奇妙な三人の旅が始まった…。
狂おしいほどの欲望と絶望。移ろい、漂う、心と身体。静謐な画面からは、複雑に絡み合う想いと衝動が溢れ出し、
普遍的な愛の物語が浮き上がる。




▼『スプリング・フィーバー』予告編 [youtube:I5YJ-TQUagA]

監督:ロウ・イエ
脚本:メイ・フォン
出演:チン・ハオ、チェン・スーチョン、タン・ジュオ、ウー・ウェイ、ジャン・ジャーチー
配給・宣伝:UPLINK

115 min /中=仏/ HD / 1:1.85 / Color / Dolby SRD

公式サイト

公式twitter


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「シャワー室でのラブシーンではすごく大きな壁を越えなければならなかった」ふたりの主演男優が語る『スプリング・フィーバー』 http://www.webdice.jp/dice/detail/2626/ Tue, 07 Sep 2010 15:11:10 +0100
『スプリング・フィーバー』の主演を務めたチン・ハオ(左)とチェン・スーチョン(右)


中国で公式の映画製作を禁じられたロウ・イエ監督渾身の新作『スプリング・フィーバー』が11月6日から公開となる。現代の南京を舞台に“春の嵐”(スプリング・フィーバー)により掻き乱された一夜を彷徨うかのような、男女5人を描いたこの作品で、チン・ハオとチェン・スーチョンは、夫の浮気を疑う女性教師から調査を依頼された探偵ルオ・ハイタオと、その相手である青年ジャン・チョンという、惹かれ合っていく男同士を演じた。webDICEでは、ロウ・イエ監督の独特の演出方法について、そして異性愛者であるふたりが同性愛者を演じることへの葛藤について聞いた。





「撮りたいのは人間の細やかな情感の変化なんだ」とロウ・イエ監督は強調した(チン・ハオ)




──『スプリング・フィーバー』出演にあたって、ロウ・イエ監督からどんなかたちでオファーを受けたのですか?





チン・ハオ:ロウ・イエ監督は『ふたりの人魚』(2000年)を観た時から大好きで、素晴らしい監督だと思ってました。監督は2年前に中国当局から撮影禁止の処分を受けるという辛い時期でした。その時に『スプリング・フィーバー』を撮る計画をしているということを知って、どれだけ禁じられて勇気を持って撮ろうとしている作品があるということに感銘を受けたんです。ただ監督からこの作品に出演しないかと言われた時に、「これに出て大丈夫だろうか」という危惧はありました。



チェン・スーチョン:僕の場合は、出演していたドラマをロウ・イエ監督が観ていてくれて、「この作品に出演しないか」というお話をいただきました。その話の後半年間くらいはなかなか動きがなかったんです。その間にテレビドラマの出演もとばしましたし、他の映画の出演も断り続けて、ひたすら撮影に入るのを待つことを強いられました。その時は、この作品がどういう風に仕上がるのか前途がまったくわかりませんでした。しかしチン・ハオと同じように、ロウ・イエ監督の才能を信じてずっと待ちました。ですからそれも含めて、撮影には9ヶ月あまりかかったんです。



──出演に対する危惧というのは?



チン・ハオ:脚本を読んだ時にまず同性愛が描かれているということ、私は異性愛者なので、心の底からその役になりきれないんじゃないか、自然と芝居に拒否反応が出てしまうのではないかという心配がありました。もうひとつは、日本も同じだと思うんですが、文化的な背景として東洋人の感覚からすると両親に対してどういう風に申し開きをしたらいいか、というところがありました。私の親は公務員であることもあり、両親はきっとそれに反対するだろうと思ったわけなんです。しかしロウ・イエ監督は私の心配に対して「『天安門、恋人たち』を観て欲しい。この作品を観たら自分が撮っているのがポルノなのか芸術作品なのか、きっと君にわかるはずだ」と言ったんです。私は『天安門、恋人たち』を観て、これはアートフィルムだと確信できたので、その信念を持って両親にも自分が出演するのはポルノ作品ではなくてアートなんだと説得することができました。

撮影に入ってからも、同性愛ということをどう捉えて演じていくかということについて、監督は資料や映像作品などを僕に提供してくれました。そうして勉強しても、実際の演技となると非常に難しかった。例えば監督はラブシーンでも「ベッドシーンを撮る時にキャメラがしっかりと人物に向き合わないで他の所を撮っていたりすると(角度が広いという意味)人間の情感をしっかりと表すことが出来ない。自分が撮りたいのは人間の細やかな情感の変化なんだ」と強調しておっしゃいました。そう言われて、僕はやっと監督が求めているものと、僕が演じなくてはならないこととがよくわかりました。



──チェン・スーチョンさんは今回の役柄についてどのように自身で受け止めて撮影に臨まれましたか?



チェン・スーチョン:僕も同性愛者ではないということではチン・ハオと同じです。同性愛は現在でも中国ではタブーの領域にあります。そしてこの題材を中国大陸で扱った作品は僕が知っているのはチャン・ユァン監督が撮った『インペリアル・パレス』(東宮西宮 1996年)くらいで、非常に少ない。しかもロウ・イエ監督は、撮影を禁じられた非常に立場の危うい状況にあった。ロウ・イエ監督は撮る前に「もしかしたらちゃんと撮りおえてもそのままお蔵入りになるかもしれないよ。これは大きな賭けだ」と僕に言いました。

それから心配だったのは、このルオ・ハイタオという人物を演じるにあたって、僕と全然違う思考の持ち主だから、精神的にも肉体的にもまったくゼロから作りあげていかなければならないということでした。僕は演技のために2ヶ月くらいの間に南京でたくさんの同性愛者に会いました。そうすることで、もっとこの世界というのは多様化するべきだし、実際世界はすでに多様化しているんだと思いました。それは新しい発見でしたし、そうした人たちに会うことで、世界が広がった気がしました。





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『スプリング・フィーバー』より



──『スプリング・フィーバー』は5人の男女による複雑な人間関係が描かれています。撮影の時点では、全体のストーリーはあらかじめ決まっていたのでしょうか、それとも現場で即興的に変わっていくものだったのでしょうか?



チン・ハオ:まず脚本があって完全にそれに沿って物語が進んで行く、という基本は変わりません。また5人の人物関係についても、最初の脚本通りで大きな変化はありませんでした。しかし個人的なディティールについてはたびたび変更がありました。例えば、ジャンの出演シーンを数日撮った後でロウ・イエ監督は「この人物の雰囲気は充分出し切れているから良いと思う。でももっと痛みが欲しい、ものすごく哀れな感じを出したい」と言うんです。そこで女装して歌う場面や、ワン・ピン(女性教師の夫)が死んだのを聞いてトイレで女装したままで泣くシーンを加えることで、ジャンの痛みを表現するようにしました。





──チェンさんは役柄に深みを与えるためにどのように演技に対して向かい合いましたか?



チェン・スーチョン:一番大きかったのは、演技をするというその本質に自分なりに変化をつけることができたということです。僕はドラマの出演が多いのですが、やはりドラマと映画の演技の仕方の違いが、この作品に出てよくわかりました。僕もチン・ハオも中央戯劇学院の出身ですが、演劇の演技を教える学校だけあり、非常に演劇的な演技を指導するわけです。映画と演劇の演技というのはかなり大きな違いがあります。この作品に出演することで、映画ではこうしなければいけないということがあらためてよくわかりました。




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マイケル・グライスナー監督の『回路』(2005年)など国内外の作品で進境著しいチン・ハオ


──街中でのシーンも多く、撮影の困難さが画面からも想像されます。



チン・ハオ:たしかにゲリラ的に撮っていくという場面は非常に多かったので、いろんな難しい場面が多かった。今でもロウ・イエ監督が僕に会う度に「ああいうのって良く撮れたよね。君たち凄いよ」と言うんです。まるで奇跡的な撮影だったと思います。



チェン・スーチョン:僕はロウ・イエの撮り方に本当に感動してました。彼は本当に独特の撮影方法をするんです。普通に撮るということと、表現していくことの違いがどれだけ大きいものかということを思い知りました。監督は、撮りながら絶えず探求・探索し、表現を見つけて進んで行く人で、そこがカンヌでもディレクターの方々が高く評価していた点です。例えば、ジャンとルオがダンスをする場面があります。あそこで社交ダンスをやってる人たちは、すべてエキストラなんですよ。まずダンスをさせておいて、そこに僕らが入っていくという、非常に自由な状態で撮影を行ったんです。編集でカットされていますけれ
ど、あの場面で僕とタン・ジェオが演じるリー・ジンが話をする場面がありました。彼女も一緒にダンスの輪の中に入っていきますが、周りの人たちは彼女が俳優であるということを知らされていないので、「あ、こんな綺麗な女の人と踊りたい」と彼女の手をとって「一緒に踊ろうよ」と誘いかけてきたんです(笑)。それくらい非常に自然な状態に現場をもっていって、僕ら俳優に演技をさせる。エキストラも僕ら俳優もカメラも一体化して、そこにはなんの違和感もない。いかにロウ・イエがただ普通に撮るということと、表現を模索していくということの違いを考えているかということを象徴するシーンでした。






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『スプリング・フィーバー』より



大好きな映画なんだけれど、初体験のときみたいに、大きなものを失ってしまったような歪んだ気持ちがある(チェン・スーチョン)






──監督との作業で開眼したところや、俳優としてのポリシーで気持ちを新たにした点はありますか?




チン・ハオ:ロウ・イエ監督は俳優に自由な演技を求めるタイプで、俳優を尊重して、僕たちが自分達でこうしたいということを受け入れてくれる監督だと思います。なので、監督の映画に出演すると幸福感を覚えるんです。これは役者として絶対的な感覚で、ロウ・イエ監督以外にはそういう感覚は得られないかもしれない。そして誰かが過ちを犯してもそれを責めない、いろんな人がいろんな考えを持っているんだということをロウ・イエ監督の現場の雰囲気と言葉から学びました。そうした寛容さがいかに重要かということを強く学びました。そして映画に対する純粋さについても自分で目指していきたいです。





チェン・スーチョン:映画というのは、つきつめていえば監督の芸術であり表現であるので、監督さえ満足すれば結末がどうであろうと監督のものなのでいいというのが僕の考えです。例えばもし自分が編集をしたら自分なりの映画が出来るはずですし。この作品を観て、僕が最初に思っていたものと違っていた場面も少なくありませんでした。例えば撮影の時には、僕と恋人のリー・ジンとのシーンのような異性愛の部分に比重が大きかったんです。でも出来上がった作品を観ると、同性愛の部分の方がかなり大きくなっている、そうした違いはありました。





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人気シリーズ『新一剪梅』などテレビドラマでも活躍するチェン・スーチョン



──今回はロウ・イエ監督の姿勢に共感されて出演を決めたとのことですが、普段ほかの作品ではどのように出演作を選んでいるのですか?



チン・ハオ:ロウ・イエ監督以外に第六世代の監督では、王小帥(ワン・シャオシュアイ)の作品に出演していますが、まず僕は監督が誰かということにポイントを置いて考えます。ある映画が良い作品なかったならばそれは監督の責任によるもので、決して俳優が悪いからではないので。そしてもうひとつは、オファーのあった人物像が、自分がほんとうにその人物になりきれるかどうかを考えて決めています。




チェン・スーチョン:僕の場合はまず脚本ですね。脚本を読んで、やったことがない役を演じたい。例えば今年はコメディとサスペンスという2本のまったく異なる雰囲気の作品に出ました。今中国の映画界では、どういう風に商業的な映画を撮るかということ、映画の産業化が非常に重要なところにさしかかっていると思います。その点において、日本の映画界にはすごく学ぶべき点が多い。岩井俊二監督や今村昌平監督、そして三池崇史監督が好きで、それぞれぜんぜん違うタイプですが、こうした監督たちと仕事をする機会があれば、何でもチャレンジしてみたいと思います。俳優というのは短いなかでいろんな人の人生を生きることができる、非常に特殊な職業。僕はチャレンジ精神が旺盛で冒険的なことが好きなので、今回『スプリング・フィーバー』で同性愛という世界を初めて知ることができたのも、すごくおもしろかった。



──チン・ハオさんは現場で演技にのめり込んでいたときと比べて、できあがった作品をご覧になって、客観的にどんな発見が?



チン・ハオ:僕は自分の演技をした作品というのは観たくないタイプなんです。他の作品もそうなんですが、俳優として、出来上がった作品を観るというのは「ここはなんでこういう風な演技をしてしまったんだろう」と、後悔ばかりがあって冷静には観られないところあります。この『スプリング・フィーバー』はカンヌにも出品されましたので、フランスでは観客と一緒に観ましたが、北京での上映では、観客の方々とこの映画の世界に入っていけるような雰囲気にはとてもとてもなれなくて、会場を出てきてしまいました。



──チェンさんはそういうことはないんですか?



チェン・スーチョン:いや、その点は僕もチン・ハオと同じです。毎回自分の演技を観たくないと思います。この作品も、特に同性愛のシーンは自分のナチュラルな部分と反する役を演じているので、観るのが辛かった。ふたりのシャワー室のシーンがありますよね、このシーンを撮る時にものすごく大きな壁を越えなければならなかった。キスシーンもあるあのシーンを撮り終えたあの日のことは忘れられません。ロケ地の南京は小雨が降っていて、ワイパーが左右に動いているのを観ながら、まるで初体験のときみたいに、すごく大きなものを失ってしまったという感覚が大きかったんです。もちろん大好きな映画なんだけれど、観たくないという、歪んだ気持ちがこの映画にはありますね。



(インタビュー・文:駒井憲嗣 撮影:Aramaki Koji)




[youtube:I5YJ-TQUagA]




映画『スプリング・フィーバー』

2010年11月6日(土)より、渋谷シネマライズほか、全国順次公開



第62回カンヌ国際映画祭脚本賞受賞

監督:ロウ・イエ

出演:チン・ハオ、チェン・スーチョン、タン・ジュオ、ウー・ウェイ、ジャン・ジャーチー、チャン・ソンウェン

脚本:メイ・フォン

プロデューサー:ナイ・アン、シルヴァン・ブリュシュテイン

撮影:ツアン・チアン

美術:ポン・シャオイン

編集:ロビン・ウェン、ツアン・チアン、フローレンス・ブレッソン

音楽:ペイマン・ヤズダニアン

製作:ドリーム・ファクトリー

ロゼム・フィルムズ

配給・宣伝:アップリンク

中=仏 / 115分 / 2009年 / カラー


公式サイト

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