キューバの大学とビザ一悶着
ハバナ大学はキューバの名門大学で、日本で言う東大、京大のような位置づけらしい。そのハバナ大学には、外国人向けのスペイン語コースがあり、誰でもお金を払えば受講することができる。そして短期履修でも長期履修でも学生ビザが発行されるのだけれど、私はビザ取得の手続きがうまくいかなかった。外国語コースを履修すれば、必ず学生ビザも発行してくれるのだが、事務所が数件あり、それぞれ違う仕事をしている。
大学内のオフィスでは入学手続き、大学横の外国人用オフィスではビザ関係の手続き、そして授業料を払うオフィスは大学から30分ほど歩かなければならない場所にある。スムーズに進んでもたらい回しに感じる、スタンプラリーのような手続き。授業料を払うように言われていた日時にオフィスへ行くと、今まで言われたこともなかった書類を提出しろと言われたり、ハバナ大学が正式に公開している外国語コース学生ビザ取得のための案内書通りに手続きを進めれば、結局フルの期間でビザがおりなかったり。
私のキューバ2ヶ月滞在のうちの約3週間は、本当にこのビザや手続きの問題であちこち動いていた。
当初は、ビザ関係のオフィスで働いている人が、私の帰国日6月16日までのビザを発行できると言っていたにもかかわらず、最終的には、私のビザは5月31日までいうことになった。正式な案内書通りにビザ2ヶ月分のための小切手を買って提出したにも関わらず、だ。
結局はメキシコへ出国してから、キューバへ再入国し、ビザを一旦クリアする形でなんとか2ヶ月滞在した。
そのとき、もうキューバの旅を終わらせて、帰国のチケットの日程変更をし経由のトロントで滞在することも考えた。けれども、当時の私は、考えに考え抜いた結果、キューバに再度入国することを決めていた。食事のまずさが辛く、いろいろ腹立つことも多かったキューバ、生活に不満がたまっていたはずだった。それでもキューバに戻ったのは、私が気づいていないキューバの魅力がそうさせたのかもしれない。
人によって言うことが違う。
そもそも、私のビザの手続きが複雑になってしまったのは、私が素直にそれぞれの担当者の言うことを鵜呑みにしていたからだ。
大学内のスペイン語コース事務の女性、大学の横の留学生ビザ手続き関係のオフィスの担当者、イミグレーションの職員、それぞれが言うことを信じて手続きを進めると、最終的には私の条件ではビザ延長ができなかった。
最後の最後に、ビザ手続き関係のオフィスにいる別の女性に、「いいえ、あなたは延長できないよ。航空券の日程変更しなきゃ」と一蹴されてしまった。
同じ事務所でも、担当者によって言うことが違う。予想はしていたが、いろいろな事務所に足を運んだ結果であったため、どっと疲れてしまった。
日本以外の国ではよくあることなので仕方ないが、面白いのは、例えばバスについてキューバ人に聞いても人によって答えが違ったりする。
「◯◯へ行くにはどこで降りればいい?」とバスの中で周りの人に聞いてみると、ある人は「次のバス停だ」と言うし、ある人は「次の次のバス停だ」と言う。キューバ人は、「わからない」と答えられない親切な人たちなのかもしれない。と、最終的には超ポジティブな思考でとらえることにしていた。
先生は絶対的存在。キューバに新しい風はいらない。
ところで、ハバナ大学の授業はというと、最初の1週間教えてもらった先生は、スパルタでハイスピードな授業だった。
その先生に対して「わかりません」と言うと、先生はイライラしてしまい、突き放されてしまう。
「なんでこれがわからないの?バカじゃないの!?」とでも言いたそうな顔をされる。
同じクラスのアンゴラ人の男の子は、たまに的を得ない回答をするので、先生は「あの子は問題のある学生ね」というような発言をした。
たかがキューバ旅行中の外国人がお金を払えば受けることができる授業だし、何もそこまでヒステリックにならなくても、と思っていた。
そしてこれが続くのなら精神的にもきついので、オフィスに交渉して先生を代えてもらえないだろうか、とも思っていた。
そんなところに、ハバナで音楽留学中のある日本人に聞いた驚いた話があった。その人はある音楽学校に通っていたのだが、担当の先生が授業時間中にどこかに行ってしまったりして真面目に教えてくれないという不満があり、学校の事務所にクレームを伝えたとのこと。そしてその音楽学校を辞めることにして、別の音楽学校へ入学手続きをすると、クレームをつける生徒だということがその学校に伝わっており、入学を拒否されたということだった。その話を聞いたとき、私は不真面目な先生に抗議した態度に感心し、勢いで「新しい風を吹かせたんですね!」と言って少しはしゃいだのだが、その人は「いや、キューバでは新しい風なんていらないんだよ」と冷静に答えた。
キューバでは、先生は絶対の存在。日本のように先生や学校に対してクレームをつけるということはあり得ない行為らしい。
そして狭いハバナ。学校同士が繋がっており、すぐに情報が交換されるようだ。
教わる側が教える側に改善要求を出すことは日本やアメリカでは当たり前のようになっているが、キューバではかなり勇気のいることだったりする。キューバ社会って難しい。
メキシコショック
ビザをクリアする為に、メキシコに2日間滞在してからキューバに戻ってくるという手段をとった。
キューバから外国に出国するには、現在ではメキシコのカンクンへ行くのが一番安い。
カンクンにはスーパーマーケットがあるし、ウォルマートもある。商店街も屋台もある。キューバに慣れていたときだけに、メキシコのモノの洪水にびっくりした。
まず、空港を降りてバスに乗ってからの車窓も、広告看板が立ち並ぶ。キューバのような政府プロパガンダ看板ではない。商品・企業広告の海。2010年のオスカー短編アニメ賞を受賞した『LOGORAMA』という作品を、ちょうど成田─トロントの機内で見ていた。登場人物がすべて企業キャラクター、画面に映るものすべてが企業ロゴというアニメ作品。まるで、自分がその『LOGORAMA』の世界に入ってしまったようだった。
キューバのハバナ空港から市街地までの車窓、メキシコのカンクンの空港から市街地までの車窓を動画に残していた。対比してみると面白いかもしれない。やはり日本人の私たちからすると、安心してしまうのは、カンクンの車窓だろうか。
5月末のメキシコカンクンは、かなり蒸し暑く汗だくだった。宿のWi-Fiを使って久々にインターネットで情報収集をし、残りのキューバ生活の準備に徹した2日間だった。また、キューバでは食べられないがメキシコでは食べられるものも多い。なんといっても、メキシコで一番うれしかったのが、辛い食べ物があること!キューバ人は辛い食べ物が苦手らしく、カレーなんてほとんど聞かなかったし、唐辛子を使った料理もほとんどない。
隣国のジャマイカではカレーもあるしスパイスにつけ込んだジャークチキンもあるが、キューバ料理はスパイスと縁遠い。
日本で足しげくインド・ネパール料理やアジア料理屋に通う私。生の青唐辛子もかじってしまうくらいの辛い物好きなので、キューバで辛い物がないのがとてもつらかった。
メキシコのタコスのソース、サンドイッチの横についた青唐辛子、久々に舌にピリッとくる感覚にリフレッシュされた。
カンクン中心街のチェドラウイというスーパーマーケットに行くと、中にパン屋があり、大量、多種のパンが並んでいる光景に圧倒された。フランスパン、総菜パン、菓子パン、さらにはドーナツ、ケーキ、プリンまで。日本でよく見る普通の光景だが、パンに種類があって多数の中から選ぶという状況が久々で、また、見るからに美味しそうなパンで、感無量とはこのことだと思った。並んだパンを見て思わず「うわー!すごい!」と感嘆した。本当に叫んだ。社会主義であれど、美味しい食べ物は欲しい!贅沢なのだろうか?
違法と合法
「これは違法だけどね。見つかれば逮捕されるんだ」「これがバレたら高いペナルティを払わないといけないんだ」というような話をよく聞いた。
例えば、カサ・パルティクラル。外国人に対する間貸し制度、いわば民宿だが、違法のカサは相当安い。外国人に貸す部屋は、ドミトリーのようにベッドが数個あってはいけないのだが、違法カサではドミトリーにしているところもある。短期の宿泊だと合法カサでは1泊20CUC(約2,000円)を下回らないことが多いが、違法カサは1泊10CUC(約1,000円)ぐらい。
政府にカサの申請はしているけれどもドミトリーになっている半違法カサもあるし、まったく政府に申請していない完全な違法カサもある。
合法のカサ・パルティクラルには政府の抜き打ちチェックがやってくる。
1週間に1回、予告なくやってくる。検査員は、カサにある宿帳を見て、記入漏れがないか、違法な間貸しをしていないかどうか、などをチェックする(地域によっては抜き打ちチェックではなく、宿泊客が来るたびにカサのオーナーがイミグレーションへ宿帳を提出しなければならない)。
私は、一度、いつも泊まっていたサラという女性のカサで、うっかり宿帳を書き忘れていたことがあった。運悪くその日に検査員が来てしまい、サラはかなり焦っていた。サラはなんとかうまく説明して最後に少しお金を握らせたりもしていた。
というのも、宿帳に書かれていない外国人を泊めていると150CUC(15,000円)のペナルティがあるからだ。
結局、24時間以内にイミグレーションへ行って宿帳を再提出するように言われ、サラは翌朝イミグレーションへ行き、ペナルティを払う必要はなかったようだ。
闇取引も盛んだ。カサのオーナー、サラと一緒に外を歩いていたら、サラは友人のおじさんと出会い、「あなたコーヒー持っていたよね?」と言ってコーヒーを3袋買った。店で見るコーヒーのパックは密封された立派なものだが、そのコーヒーは簡素な袋に密封されずに入っているものだった。そのおじさんは、売り子のような格好はしておらず、道端で立ち話をしていただけなのだが、腰に巻いたウエストポーチにコーヒーのパッケージがたくさん隠されていた。どうやら警察や役人にばれないように闇コーヒーを売っているらしい。確か100gぐらいのパックで1つにつき10MNP(約50円)ぐらいの値段だった。
店で公に販売しているキューバコーヒーはとても高くて、1袋600円ぐらい。キューバ人は、イタリア式のやかんで抽出するエスプレッソコーヒーが大好きなのに、店で見かけるコーヒーはすごく高いので、一体どうやってコーヒーを手に入れているのだろう、と思っていた。
なるほど、こういうことだったのか、と理解できた。闇取引は想像以上に盛んだ。
あと、売春婦も実は多く、失礼ながら見た目にわかってしまう。
白人男性と黒人女性が一緒に歩いていて、やたらと黒人女性が綺麗で服装が華やかだと、「Puta(プータ=売春婦)」とコソコソ言われている。
キューバでは売春は違法。警察に見つかれば必ず職質され、売春とバレれば逮捕されるらしいが、意外とよく見かけた。
「キューバの女性は安くて良い」という評判があるそうで、北米から買春目的で訪れる男性旅行者も多いらしい。
東南アジアにも同じ問題はある。北の男性が南の安い女性を買い求めて旅行にでかける。この南北関係は世界で共通しているようだ。
いったいこの国をどう説明すればいいのだろう。
さて、この連載も最終回。私は元々、キューバに何を求めていたのだろうか。
有機農業がすごいと言われ、モノがなくとも国民幸福度が高いと言われ、国の医療制度や学校制度が充実していると言われる。
私の期待は高かった。日本の江戸時代のように、モノがなくても工夫された生活があるような気がしていた。
だが、その期待ははずれた。
ここまで、キューバ人たちがお金にモノに必死になっているとは思っていなかった。
これほどまで、キューバ人が「お金がない」「モノがない」「資本主義がうらやましい」とぼやいているとは思っていなかった。
食生活も、有機農業が盛んであるだけにもっと野菜中心の健康的な食事をしていると思っていたのだが、キューバ人たちの食事はお世辞にもバランスが取れているとは言えない。
せめて、インフラは整っていると思っていた。けれども、停電も断水もよくあり、マレコン通りは少しスコールが降ると下水が道路に溢れかえった。
キューバ人はバランスの悪い食生活からか、太っている人が多く、おばちゃんたちの膝には毛細血管が痛々しく浮き上がり、膝の痛みを訴えて病院に通う人たちが多い。
医者にかかるのが無料でも、薬にはお金が必要なので、本当にお金のない人たちは充実した医療の恩恵を受けていないようだ。
言論・表現の自由が規制されており、政治活動をしたり政府を批判する発言をすれば、革命保守の町内会組織、CDR(Comite de Defensa de la Revolucion)の目が光っている。
私は、日本の資本主義、大量生産、人とモノと個性の平均化に反抗しているが、キューバにはその対極が存在するわけではなかった。
キューバの国策を賞賛する人もたくさんいる。しかし、私には賞賛ができない。
やはり対外政策に敏感なキューバ、正式に取材すると、キューバの良いところしか書けない、という事情もあるかもしれない。
私は、何にも束縛されない一人の旅行者であり、自分の思ったことを正直に自由に書ける身だ。
だから、日本に情報の入ってこないこの遠い国の現状を、一人の27歳の日本人の主観で率直に書いてきた。
もちろんキューバには良いところもある。人と人が助け合う。日本では田舎にしか残っていない「Solidaridad=協力」がある。
しかしキューバの一般国民の間に漂う悲壮感や辛さも伝えたかった。
キューバ政府が他国にアピールするキューバは、必ずしもキューバの実態ではない。
その表と裏を比べていく作業が、私にとってこの旅の最大の目的であったし、その積み重ねがどんどん私の気持ちのうえでの苦悩にもなった。
大量生産大量消費で個性を奪われる世界でないと、生活に余裕がでないのか。
社会主義で自由を求めることはできないのか。
キューバ政府は、大事なキューバの一般庶民のことを忘れてはいないだろうか。
一般庶民のために勝利を得た革命は、今は上層部だけのためのものとなってしまったのだろうか。
私たち自由の身の旅行者こそ、キューバの庶民と直接向き合わなければならないと思った。
現時点では、理想的な社会など存在していないかもしれない。
キューバの良い部分、アメリカの良い部分、日本の良い部分を「ええとこどり」したような世界は成立しないのだろうか。
仮に、何かを得るには何かを犠牲にしなければならないという絶対条件があるとする。その場合の私にとっての最優先事項は、「自由」と「違い」が認められることだと思った。
人の価値観による優先順位の違いであるだろう。
キューバに行く前には、ある程度自由がなくとも、社会主義にはとても魅力があるような気がしていた。
だが、ダマス・デ・ブランコの沈黙のデモを見て、メーデーの国家賞賛のマーチを見て、CDRの監視を感じて、私には自由が無い世界は耐えられないと思った。
日本から見る革命の国キューバは、美化されすぎてはいないだろうか?
確かに、日本と違い、ノーをはっきりつきつける国ではあるが、いつでも一番大切なのは、一般庶民の生活だ。
国のスローガンがどうこうよりも、国民の生活状況に目を向けるべきだと感じた。
とにかく、社会・経済システムの違うこの国で2ヶ月の生活を送ったことは、私にとって衝撃の連続だった。
バックパッカーの間では、「インドに行くとカルチャーショックを受ける」とかいう話をよくする。私に言わせれば、もっとどうしようもない怒りとショックが欲しければキューバも旅するべきだ。
長々と自分の考えをまとめてきたが、日本のほぼ裏側にある島国の様子が、少しでも伝わっただろうか。
この国の状態を私の主観で書いてきたが、音楽留学をした日本人の感じるキューバはまた違ったテイストだろう。世界一周旅行の途中で経験するキューバもまた違うだろう。
誰によっても感想が変わるほど、表面と内面が違い、複雑な国が、キューバだ。今思えば、とんでもなく不思議で、面白く、腹が立つ、素敵な国だった。
最後に、この連載を読んでくださった皆様、webDICE編集部の方々、本当にありがとうございました。
なんといっても、インターネットの不便なキューバ生活中に、webDICEに記事が載り、それを実際に日本で見ている人がいることがエキサイティングだった。
自由の少ない国で、自由に発信した。インターネットを通じてできる、最先端で近道のアクションだ。
私のリアルタイムで発信した記事が、読者の方々のネットワークを介して、今後、キューバで生活するキューバ人たちにとって少しでもプラスになればと思う。
2ヶ月間、たくさん怒って、たくさんがっかりしてしまったが、私にいろんなショックを与えてくれたキューバに感謝している。
日本にいては知ることができないキューバ。自分の知らなかった世界を知ることは、自分の価値観を多様化することだ。私は、まだまだ旅を続けたい。
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1983年兵庫生まれ、尼崎育ちの尼崎市在住。現在26歳。高校3年のときにひとりでジャマイカ・キングストンを訪れて以来、旅に魅力を感じるようになる。その後DJ活動、ライブハウス勤務などを経て、2010年、念願だったキューバ旅行を実現させる。
世界のすべての人々の最低水準の暮らしが保証されること、世界の富を独占する悪徳企業が民主の力によって潰されることを切に願っており、自ら一つのメディアとなって情報発信することにも挑戦している。
キューバのエンターテイメント・映画館
ハバナ市内には、VEDADO地区の23通り沿いに映画館が多い。平日は1日2回上映の映画館が多く、金土の夜には映画館を使ってコンサートをやっている映画館も。日本での“映画館”という感覚よりもまさに“テアトル”、多目的な大バコといった感じ。
ある時、映画館の入場料がたった2ペソ(約10円)と大変安いことに気づき、映画館にしょっちゅう行くようになった。キューバ映画と言えば、『苺とチョコレート』『永遠のハバナ』『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』『低開発の記憶-メモリアス-』など名作が思いつく。キューバの若手映像作家の素晴らしい映画を一足早く見ることができるのでは?と思ったのだが、残念ながら上映されているのはほとんどがヨーロッパ・アメリカ映画だった。昔の映画、最近の映画、いろんな映画をそれぞれの映画館で上映しているが、キューバ映画にはなかなか出会えなかった。
映画館の中の様子はというと、また予想通り設備が残念。音質も画質も悪い。一番有名な映画館cine YARA(シネ・ジャラ)には、あの「DOLBY」の立派な看板が掲げてあるのだけれど、実際に映画が始まると最低な音質。
ドルビーに「キューバの映画館が勝手にドルビーの看板つけてますよー!」と教えてあげたくなるほど。常にガリガリノイズが入っているし、片方のスピーカーが鳴ったり鳴らなかったりしている。
このcine YARAでは、レオナルド・ディカプリオ主演の『シャッター アイランド』を見た。最新のアメリカ映画をこんなに早く上映できるのか?むしろ、アメリカ映画を上映していいのか?上映する権利はちゃんと買ってるのか?などいろいろ気になる。『シャッター アイランド』の本編が始まる前、DVDプレイヤーを操作したときに出てくる表示がスクリーンに堂々と映し出されていた。最初に収録されている最新映画予告が早送り再生されて、その後、本編が始まった。スペイン語字幕版。このDVDはどこでどうやって手に入れられているのだろうか。私が払った2ペソは、一体どこへ行くのだろう……。
キューバで官能映画祭
5月、ハバナのVEDADO地区の23通りにある映画館La Rampaで「官能映画祭」なるものが行なわれていた。「La Imagen del Deseo, algo mas que cine erotico」というタイトルの映画祭。訳せば、「欲望のイメージ、官能映画をこえるもの」という感じ。私が泊まっていたカサから歩いて3分の映画館、La Rampaで約1ヵ月に渡って開催されていた。
さすがに異国の地ではあるし、映画館でのスリや痴漢は当たり前。一人で行くのはいかがかと思い、チケットを買って映画館に入場するキューバ人たちを観察してみると、女性の1人(年代は若い女性からおばちゃんまで様々)も結構いたので入ってみた。ICAICが世界各国から30本ほどセレクトしていて、私が実際に見たのは以下の5本。
『アイズ・ワイド・シャット』(アメリカ・イギリス)
『花様年華』(香港・フランス)
『欲望の法則』(スペイン)
『ラスト、コーション』(アメリカ・台湾)
『愛のコリーダ』(日本・フランス)
『愛のコリーダ』もどの作品も、基本的に無修正。日本ならR-18指定の映画もあるが、特に年齢制限はしていないようだ。誰でも2ペソで見られるので、日曜日なんかは約500人は入りそうな映画館が大盛況。老夫婦や若いカップル、おじさん1人、若い女性同士、若い男性同士、誰でも見に来ている。明らかに小さい子供はさすがに見かけなかったが、高校生たちは普通に制服で入場していた。
大胆なテーマで、上映作品の選出も素晴らしいし、型にはまらない前衛的な映画祭だとは思うけれども、正直つらかったのは、性的描写があるたびにヤジのような下品な発言をするおっちゃん達と一緒に見なければいけないことだった。中には真剣に映画として見ている人たちもいるのだけれど、おっさん達の発言はどうしても気になってしまった。
実際私の隣に座っていたキューバ人男性は、『愛のコリーダ』を見ながらオナニーを始める始末。キューバのICAICも、こんな芸術的なポスターを作っておきながら、映画館で自由にオナニーしてもらおうと思って企画したわけではないだろう。先進国の常識を当てはめてはいけないけれど、一部の観客が残念だった。でも、こんな挑戦的な映画祭が日本ではあり得ないことのほうがもっと残念だ。
また、いろんな国の映画をキューバで見て、キューバ人が本当に中国人を蔑視しているのもよくわかった。
アメリカ映画、ヨーロッパ映画はすごく真剣に見る。でも、中国映画では爆笑が起こる。本当に腹が立って、映画館を出てそのままキューバを出国したくなったのは、2007年ベネチア映画祭金獅子賞の『ラスト、コーション』を見たときだった。中国の弦楽器の演奏と中国人女性の歌を見せるシーンがほんの少しある。それらのシーンで、キューバ人たちは爆笑するのだ。いや、これは嘲笑だ。笑いの起こるようなシーンではなかった。私が中国ならびにアジアに対する蔑視に特に憤慨していた理由は、「キューバの教育水準は高い!」と聞いていたからだ。
教育と言えば、道徳的教育、国際教育も含むと思っていたけれども、キューバの場合は違う。キューバでは、医者やエンジニアになるための学問のみが教育なのだろう。ことに人種差別問題に関しては相当遅れている国だと感じた。
キューバのエンターテイメント・音楽
キューバの首都ハバナではストリートでキューバ人たちがコンガやギターを持ってきて歌って踊っている……というのはウソだ。キューバ人がいくらラテンだといっても、どこでも音楽が鳴っている、なんてことはない。
ハバナのVedado地区を歩いているとたまに室内から爆音でヒップホップやレゲトンが鳴っているのは聴くが、ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブのような渋くてかっこいいソンやサルサが流れている、なんてことはない。
それでもLa Habana Vieja(ハバナビエハ=旧市街)は、かなり旅行者の多い街なのでオープンカフェやホテルの前で生演奏をやっている。その生演奏がグッとくるものであれば良かったのだけれど、どうも“お金もらえるからやってます”感が見えてしまい、キューバの音楽なんて面白くない!と思ってしまっていた。観光客ウケを狙ったポピュラーで耳ざわりの良いサルサなんて興味がなかった。
ハバナに滞在して2週間ほどたった頃、ハバナ大学のスペイン語コースに通いだした。それまではキューバで日本人に会うことがなかったのだけれど、ハバナ大学に行き始めてからやっと、近くに住んでいる音楽留学している日本人や、ハバナ大学に通う人など、いろんな日本人に出会った。実はキューバに長期滞在している数少ない日本人の大半は音楽留学をしている人たちで、私のように「社会主義が見たかった」なんて言っている日本人はごく稀。滞在中は、私の他に一人しか出会わなかった。
ある日、せっかくキューバに来たのだから一度ぐらいは見ておこうと思い、音楽留学している日本人たちが見に行くライブについて行った。
ハバナに滞在していて、私は、なぜか人のパワーを感じることがなかった。やはり、人が自由に表現や発言をできない国だからなのか?それとも、競争がなく生きる為に必死にならなくても良い保障制度によって、人はパワーを失うのだろうか?どうしてもアジアの街並と比べてしまうのだが、ハバナの街では、活気よりも気だるさやあきらめのようなものを感じることが多かった。キューバのなんとなく重い雰囲気に少しがっかりしていたところで、初めて足を運んだライブは、“ルンバ”のライブだった。
日本で“ルンバ”といえば、どうも社交ダンスのそれを思い出してしまうが、キューバで言うルンバとは、黒人の土着音楽だ。キューバの音楽は、最高に面白い!キューバの黒人たちが、最高に生き生きとした表情をしているのを初めて見て、ゾクゾクした。キューバ人の笑顔、活力、生き甲斐、創造力、ここにあり!まさしく黒人たちのREBEL MUSICがそこにあった。
アフリカ音楽とブラジル音楽をほんの少しだけかじった私の印象では、ルンバとは、アフリカ音楽にもブラジル音楽にも似ていて、ほんの少しブラジル寄りの音楽、という感じだ。そして歌の旋律がジャマイカのナイヤビンギに少し似ている気もする。肩からかけるスネアドラムぐらいの大きさの、ブラジル音楽で出てきそうな太鼓も登場する。
ルーツがあり、南米大陸にもアフリカ大陸にも繋がっている音楽。そしてカリブ海の他の島々とも繋がっている音楽。この音楽の点を繋いでいくと、すぐに地球全部が繋がってしまうような気がして、人間の創り出したネットワークに、またゾクゾクした。そりゃキューバ音楽を勉強しはじめたら奥が深すぎて止まらないだろうなあ、と心底思った。
音楽留学している人たちは、正規の音楽学校に通っている人もいるが、実際にライブに足を運んで気に入ったアーティストに直接交渉してレッスンをお願いしていたりする。ただ実際は、アーティストによる外国人への個人レッスンは、副収入となり違法らしい。
私が一番よく見に行ったルンバのバンドは、RUMBEROS DE CUBA(ルンベロス・デ・クーバ)だ。このバンドがすごく面白いのは、ほとんどのメンバーが黒人だが、白人のメンバーも2人いる。ベテランのじいちゃんもいれば、一見ヒネテイロ風のチャラチャラした兄ちゃんもいる。
ライブの入場料は、平均して5CUC(約500円)ぐらい。Los Van Vanなどの一流バンドはもうすこし高いそうだ。だいたい5CUCで、それなりに有名なバンドも見られるので日本と比べれば安い。キューバ人はだいたい20ペソ(約80円)ぐらいだが、どうにか頑張ってお金を払わずに入場する方法もあるようだ。
また、外国人でも長期留学の学生証などを持っていれば、キューバ人料金が適用されることがある。
キューバと言えばサンテリアというアフリカ発のヨルバ族に伝わる宗教が有名で、サンテリアの踊りや音楽も見ることができる。ルンバはルーツを辿ればこのサンテリアに行き着くそうだ。キューバでサンテリアを信仰するのは多くが黒人で、Callejon de Hamel(カジェホン・デ・アメル)と呼ばれる通りがそっくりそのままサンテリア通りになっている。サンテリアの様々な意味合いのある色や絵で彩られたカラフルな通りで、その周りにはやはりサンテリアの人たちが多く住む。すなわち、黒人の比率が高い地域だ。
カサのオーナーに、「Callejon de Hamelに行ってくる」と言うと、「あの辺りは黒人が多いから気をつけなさいよ!」と言われたのがまたショックだった。Callejon de Hamelでは毎週日曜の昼12時頃からサンテリアの音楽・踊りをやっていて、サンテリアでなくとも誰でも無料で見られる。ここは観光客が多いので、観光客にたかりたいキューバ人もたくさん来ている。
とにかくキューバ音楽には多様なジャンルがあり、場所も大きいホールから屋外、こじんまりしたライブハウスまで様々だ。キューバ人の若者の間では圧倒的にレゲトンやヒップホップが人気だが、トラディショナルな音楽もまだ根強い。トラディショナルが衰退しないのは、商業音楽で商売ができない経済システムが原因かもしれない。
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1983年兵庫生まれ、尼崎育ちの尼崎市在住。現在26歳。高校3年のときにひとりでジャマイカ・キングストンを訪れて以来、旅に魅力を感じるようになる。その後DJ活動、ライブハウス勤務などを経て、2010年、念願だったキューバ旅行を実現させる。
世界のすべての人々の最低水準の暮らしが保証されること、世界の富を独占する悪徳企業が民主の力によって潰されることを切に願っており、自ら一つのメディアとなって情報発信することにも挑戦している。
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6月19日に日本に帰ってきた。モノがないキューバからモノがありすぎる日本に戻るからには、さぞかしショックを受けるだろうと思っていた。なのに、やっぱり26年も住んでいる国、頭のスイッチが切り替わってすんなりと馴染んでしまった。でも変な癖だけが残っている。キューバでは犬の糞が道路のそこらじゅうに落ちているので、足下を確認せずには道路を歩けない。日本に戻って10日経った今でも、地面をしっかり目視しながら歩いてしまう。人間って面白い。
これからは、日本にいるだけにネット環境も快適。動画も交えてキューバを紹介していきたい。
[youtube:LS7cpc7EEbY]
離婚・再婚はあたりまえ
私が滞在していたカサパルティクラルのおばちゃんと旦那さんは、再婚同士の夫婦だ。それぞれに前夫・前妻との子供がいる。ある日、旦那さんの前妻との息子と、おばちゃんの甥が、一緒に大工仕事をしていた。キューバでは離婚再婚はごく普通で、隣の家のおばあちゃんは、3回結婚したそうだ。そしてみんなそれを堂々と話す。
日本にはまだまだ離婚や再婚を恥じるような風潮があると思う。と言うより、離婚や再婚しないことが一般的であり理想である、というような雰囲気を感じる。キューバの離婚と再婚に対するこの自由な意識はとてもうらやましい。実際に私の両親は別れているので、日本ではたまにそれをコンプレックスに感じることがある。離婚も再婚も受け入れられるというのは、当人同士はもちろん、その子供たちも気負うことがないのだ。日本人も、じめじめ考えないで離婚したいなら離婚したほうがいい!
予想通り、おばちゃん達はパワフルだ。とにかく話すのが大好き。大阪のおばちゃんに似ていて、あれやこれやと話題が出てくるし、「帰ります」と言わなければ延々と続いていく。
また、カサのオーナーのサラは「ゴミを捨てに行ってくる」と言って、2時間ぐらい帰ってこない。さすがにゴミ捨てに行って2時間って、何かあったんかな?と思ってベランダからマレコン通りを覗くと、サラが通りで友達と立ち話しているのが見える。ゴミ捨てとおしゃべりは必ずセットだった。
前々回のメーデーのところでも少し触れたように、女性の地位向上が叫ばれているキューバ。ハバナでは女性が働くのはごく普通のことで、どこのオフィスに行っても女性と接する機会が多い。警察や軍にもかなり女性が多い印象がある(日本と比べれば、の話だが)。
また、いつもぎゅうぎゅう詰めの市内バスでは、女性であるというだけで席を譲ってもらえることがある。優先順位は、
1.小さい子供を連れたお母さん・妊婦
2.おばあちゃん
3.一般女性・小学校低学年ぐらいの子供(男女関わらず)
といった感じだ。
不思議なことにおじいちゃんは足腰が弱っていてもなかなか座れない。
キューバ政府に反抗する女性団体「Las Damas de Blanco」
実はハバナに、政府に反抗する女性団体がひとつ存在する。「Las Damas de Blanco」(ラス・ダマス・デ・ブランコ)と名乗る彼女たちは、投獄されている男性の妻、娘、母、姉妹などで結成されている。投獄されている男性たちは政治活動家やジャーナリストで、国家侮辱罪として逮捕された。
彼女たちは毎週日曜、ハバナ市のMiramarという地域にあるサンタ・リタ教会でミサに参加した後、教会の周辺をデモ行進する。(一部、ミサには参加せずデモ行進のみ参加しているメンバーもいるようだ)。
私たちが通常想像するデモとはかけ離れていて、沈黙で行なわれる静かなデモだ。キューバは現政権に対して意見を述べることができない国。沈黙で歩く姿は、最初は異様にも思えたが、キューバの言論の不自由を思い出し納得できた。
直接的に言葉を発して活動をすると、逮捕されてしまうのかもしれない。
キューバ滞在が長い日本人留学生に、外国人でさえもこういった運動に参加していると圧力がかかる、と聞いた。なので、あまり彼女たちと接触はせずに撮影程度に行動を控えておいた。(だが、私が行った数週間はすごく落ちついたデモで、警察は一切現れなかった。なのでもう少し接触しておいた方がよかったとも思った)。
10分ぐらい教会の周りを歩いた後は、教会の前に戻り、「Libertad」(リベルタ=自由を)と叫ぶ。考えてみれば、Libertadという言葉は、フィデル達が起こした革命=現キューバ政府により、「キューバはすでにLibertad(自由)だ」という意味でも使う。うまいなあ、と思った。
Las Damas de Blanco ウェブサイト(スペイン語のみ)
http://www.damasdeblanco.com/
2010年2月には、投獄されていた政治活動家、オルランド・サパタ・タマヨがハンガーストライキで死亡している。先日も、ファン・ファン・アルメイダという活動家の男性が、ハンガーストライキを開始していた。キューバ国内のテレビや新聞などでは報道されないが、実は政治活動家が存在し、キューバ政府に民主主義を求める動きがある。
ただ、私はハンガーストライキはこの時代の最善の方法だと思わないし、自由のために戦う人たちがいるならば、今一番有効なインターネットを利用してほしいしインターネットを使って支援したい。「キューバはインターネットさえも不自由なのでは?」と思うが、実はインターネットで発信し続ける活動家もいるのだ。先ほどの女性団体、ダマス・デ・ブランコのウェブサイトはスペインで作成・更新されている。ヨアニ・サンチェスという女性活動家は、twitterやブログでキューバの現状をリアルタイムで世界に発信している。
ヨアニ・サンチェス ブログ Generacion Y
http://www.desdecuba.com/generaciony/
それに、実はキューバの学生達の間でNARUTOやワンピースなどの日本アニメが人気で、インターネット経由で見ているらしい。私の知っているキューバ人は「医者や弁護士はインターネット接続できるけれどもメール通信とキューバのイントラネットしか閲覧できない」と言っていたが、自由にインターネット閲覧できる人もいるようなのだ(それが違法なのか合法なのか、情報が交錯していてわからなかった)。
キューバ国民にとって、情報統制、経済システムなど今後どうなっていくのが良いのか、私はわからない。たった2ヵ月間外国人として滞在しただけでえらそうなことは言えないが、私はいろんな視点からものごとを考えたいし、多くのものごとについて人と議論する権利は欲しい。
これらの活動を日本語で記しておいたことが、今後キューバ人の自由に少しでも影響すればと思う。
キューバのエンターテイメント・ピエロのショー
その国の特徴を表すことが多い娯楽。モノが少ないキューバにも、意外と娯楽がたくさんあった。映画館では映画だけでなくいろんなイベントが開催されるし、ライブハウスもたくさんある。ハバナには一応動物園や水族館があるし、博物館や美術館も非常に多い。遊園地もある。テレビ番組も意外とバラエティに富んでいて、ドラマはキューバ、ブラジル、アメリカ(現在は『FRIENDS』が放送されていた!)など、映画は日本映画も中国映画もアメリカ映画も放映する。音楽番組はもちろん、バラエティ番組もあるし、教育番組もあるし、ディズニーを含む幼児向けアニメーションから日本アニメまで、ありとあらゆる番組が放送されている。
キューバの娯楽、まずはその一部を紹介したい。
ある日、何が上映されるのかよくわからないまま映画館に入ってみたら、子供向けのショーが行なわれていた。
ピエロが出てきて、客はみんな家族連れ。日曜日のお昼、映画館で子供向けのピエロのショーをやっているのだ。一方的にショーをするのではなく、ピエロは「客いじり」をするし、実際に子供をステージに立たせたりする。双方向のエンターテイメントが繰り広げられていた。家族連ればかりのなか、大人ひとりでいるのがつらかったので早々に退場したが、本気で楽しそうな子供を見てほっこりした。子供は3ペソ(約12円)、大人は5ペソ(約20円)と、映画よりもはるかに高いので、生活に余裕のある家族しか楽しめないのかもしれないが……。
キューバのエンターテイメント・水族館
ハバナ市の都心部には、動物園も水族館もある。日本ではそのどちらも数年行っていないが、キューバの動物園?キューバの水族館?と想像するだけで、探偵ナイトスクープ的な面白さがあるような気がして妙に行きたくなってきた。
キューバ滞在が残り数日になったとき、『The Cove』が今日本で話題になっていることだし、イルカショーをやっている水族館へ行ってみた。日本の水族館のイルカショーと言えば、子供が大喜びして夢にあふれている……(ようなイメージがある)。でも、さすがキューバ。探偵ナイトスクープ的なツッコミどころはなかったのだけれど、期待を裏切らず質素だった。
まず水族館自体は、10分で廻ることができるぐらいの水槽の数と規模。ウミガメはたくさんいるが、魚は熱帯魚と小ぶりのエイ1匹、エビ少し、カニ少し、ぐらいで、閉鎖している水槽が多かった。
ならば、イルカショーに期待するしかない!と思ったのだが、それも、淡白なショーだった。イルカの生態について説明した後、イルカにダンスをさせたり(キューバらしい)、少しジャンプをさせて、終わりだった。これじゃ、イルカショーのお兄さん・お姉さんになりたい!と夢をもつ子供は少ないだろう。日本のイルカショーのように、インストラクターがイルカと泳いだりしない。ショー自体15分程度であっさりと終わってしまった。日本で育った私が小さい頃に見てきた水族館のイルカショーは、欧米に倣った資本主義のイルカショー。今までのイルカショーの概念が崩れた気もするし、今思えばなかなかよい経験だった。
キューバのイルカショーは、イルカに多くを求めない。
キューバの文化と言えば音楽と映画。次回は音楽と映画についてたっぷり紹介しようと思います。
【追記】
2010年7月7日、キューバ政府は政治犯52人の釈放を決めた。この52人とは、まさしくLas Damas de Blancoの女性たちの家族だ。
キューバ、反体制派52人釈放へ 欧州に融和姿勢(asahi.comより)
http://www.asahi.com/international/update/0708/TKY201007080277.html? ref=goo
カトリック教会が発表したようで、キューバ政府からの発表ではない模様。キューバ政府メディアによるニュース記事では、政治犯52人の釈放に関しては触れていない。
そしてその直後、いきなりフィデルの近況の写真が公開され、続いてTV番組に登場した。
カストロ前議長、11カ月ぶりにテレビ出演 キューバ(CNN.co.jpより)
http://www.cnn.co.jp/leader/AIC201007130005.html
実はキューバにいても、ニュースや新聞でフィデルの顔を見ることがないので、日本人同士で「もしかしたら、もう、すでに……」と、良からぬ予想をしていたりもした。だが、大変お元気そうで、相変わらずの痛烈アメリカ批判に少しほっとした。
政治犯釈放直後に、フィデルのメディア露出。来たる7月26日は革命記念日。多少の緩和をしつつも、まだまだ共産党政権と社会主義は続けるというアピールでもあっただろう。しかし、今回この52人の釈放で、キューバ政府は国民に少しだけ譲歩し少しだけ変化した。
1人の活動家が既にハンストで死亡しているのは誠に残念だが、それでも私は、キューバ政府の少しずつの変化に、拍手を送りたくなるのだ。今の中国が、北朝鮮が、ミャンマーが、このように変化することはあるだろうか。
【関連記事】
キューバ紀行 第1回:キューバへ行く決意、そして始まったハバナでの暮らし
キューバ紀行 第2回:キューバは本当に革命の国なのか、選挙と「労働者の日」大行進を目の当たりにして考える。
キューバ紀行 第3回:キューバ人は資本主義世界をとてもうらやましく思っているように見える
http://www.yamamotokanako.net/
webDICEユーザーページ
1983年兵庫生まれ、尼崎育ちの尼崎市在住。現在26歳。高校3年のときにひとりでジャマイカ・キングストンを訪れて以来、旅に魅力を感じるようになる。その後DJ活動、ライブハウス勤務などを経て、2010年、念願だったキューバ旅行を実現させる。
世界のすべての人々の最低水準の暮らしが保証されること、世界の富を独占する悪徳企業が民主の力によって潰されることを切に願っており、自ら一つのメディアとなって情報発信することにも挑戦している。
キューバの物価
ハバナに滞在して1ヵ月。モノの値段を、実体験を元に自分がわかる範囲で記しておこうと思う。
二重通貨制のキューバでは物価や相場の感覚をつかむのに結構時間がかかった。外貨扱いのCUC(セウセ)と国内通貨MNP(モネダナシオナルペソ)が存在し、常に財布に2種類のお金が入っている。
2010年5月現在、24MNPが1CUC。しばらくMNPばかり使っていると、ぜんぜんお金を使っていない気になってくる。
そして久々にCUCを使うと、一気にお金が減った気になってしまう。
食料品を中心に、ハバナでの物の値段を挙げてみる。高いものであれば日本以上に高い。
(わかりやすいように日本円で換算しておく。)
トマトや玉ねぎなどの野菜約500g | 約30円~50円 |
パパイヤ1個(中サイズ) | 約50円 |
水500mlペットボトル | 約50~60円 |
コーラなどの清涼飲料水1.5Lボトル | 約160円 |
植物油1.5Lボトル | 約200円 |
パスタ400g | 約80~90円 |
マヨネーズ500g瓶 | 約300円 |
冷凍骨付き鶏もも肉約300g | 約200円 |
オイルサーディン缶詰400g | 約180円 |
長さ40cmほどのコッペパン1つ | 約12円 |
通りで売っているハンバーガー1つ | 20円 |
家庭料理風のワンプレートランチ | 約100円 |
なくても生きていける食品はやっぱり高い。
マヨネーズがこれだけ高級品になるとは。自分の日本での生活がどれだけ既製品頼りで贅沢であるかを、思い知らされた。
レジ袋は貴重
八百屋やスーパーで物を買ったとき、タダでレジ袋がもらえるなんてことはない。レジ袋は1枚1ペソ(約4円)で買わなければならない。それにレジ袋を置いていない八百屋やスーパーも多い。パンを買っても袋がなければ手づかみで持って帰るしかない。これはとても先進的!しかし環境問題に対する意識が高いわけではないようで、缶、プラカップやセロハン包装などのゴミを道路に海に捨てているキューバ人をよく見る。
美味しい店がない
ハバナで私は、ライブを見に行くときを除いて、夜はほとんど出歩かない。この前、アジア旅行のときにはよく夜に外出していたことをふと思い出し、ハバナでなぜ私は夜に外出しないのかがわかった。ハバナには美味しい屋台街とか、美味しい庶民的な食堂が、ないのだ。
屋台というような店はあるけれども、売っているのはだいたいがピザかハンバーガーかサンドイッチ・ホットドッグ。それに、正直に言うと美味しくない。ここに来て、あらためてアジアの食文化のすごさを思い知らされた。
食以外での買い物事情
食料品以外でびっくりした物の値段をあげてみる。
映画館入場料 | 約10円 |
ハバナ市内バス運賃 | 1回の乗車 約2円 |
インターネット 1時間 | 約500~600円 |
二層式洗濯機 | 約20,000円 |
ラジカセ | 約12,000円 |
シャンプーやリンス1本(約300ml) | 約200円~300円 |
CONVERSEのスニーカー | 約9,000円 |
キューバ人の平均月給は約1,000円と言われている。安く見える映画館入場料やバス運賃の値段は、実は妥当な価格なのかもしれない。電化製品・衣類はとんでもなく高い。贅沢品だ。
※カサパルティクラルでの宿泊費に関しては、以前の記事で2,500円~3,500円ぐらいが相場、と書いたが、1ヵ月など長期滞在するのであれば1日1,500円~2,000円など、安くしてもらえることが多い。
買い物事情で一番大変なのが、同じ店で毎日同じ商品が必ずあるわけではないということだ。トイレットペーパーなんかは探しまわらないと買えないことが多い。消耗品は見つけたときに買っておくのが無難だ。しかも値段もよく変わる。ジュースでさえも種類によってはしばらく姿を消すことがある。ホテルで売っているインターネットのプリペイドカードも、よく売り切れて在庫を切らしている。歩き回って商品を探さないといけないのは不便なのだけれど、これぞ資本主義ではないことの醍醐味かもしれない。過剰生産しないので商品が堂々と姿を消してしまう。
一番旅行者にとって辛いのがインターネットカフェの高さで、アナログ回線並み、もしくはそれ以下の遅さ。
現在、個人宅でインターネット回線を引くことは自由ではないようで、
弁護士や医者など、職業柄、海外とのやり取りが必要な人だけにメールのみの使用が認められているらしい。
ラウルは、その規制を撤廃してインターネットを開放する、と言った、とのことだが。
毎日毎日お金の話
そして残念ながら、ハバナに滞在していると、お金の話にうんざりしてくる。すぐ人の持っている物の値段を聞くキューバ人は多い。特に日本人である私が持っている物の値段を聞いて「高い!」「安い!」と感想を言う。「キューバは物がない!」「キューバはお金がない!」と愚痴が始まり延々と続いていく。
──物がない、お金もない、どれだけ頑張って働いても給料が変わらない。
──でも日本は頑張ればお金がもらえる、日本はいっぱい物があってお金もある。
というようなことをよく言われる。あれ?これって立派な資本主義的考えだ。キューバ人は資本主義世界をとてもうらやましく思っているように見える。
延々と続く愚痴も、それ以上に発展することはないのがまた恐ろしい。socialismo(社会主義)は貧しいからダメだ、というようなことは言うが、キューバ政府は何をするべきなのか、キューバ政府に何を望むのか、そういったところまでは話が進まない。自分たちの状況を嘆いてはいるが、政府に対しての意見は決して言わない。
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キューバ紀行 第2回:キューバは本当に革命の国なのか、選挙と「労働者の日」大行進を目の当たりにして考える。
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1983年兵庫生まれ、尼崎育ちの尼崎市在住。現在26歳。高校3年のときにひとりでジャマイカ・キングストンを訪れて以来、旅に魅力を感じるようになる。その後DJ活動、ライブハウス勤務などを経て、2010年、念願だったキューバ旅行を実現させる。
世界のすべての人々の最低水準の暮らしが保証されること、世界の富を独占する悪徳企業が民主の力によって潰されることを切に願っており、自ら一つのメディアとなって情報発信することにも挑戦している。
4月からスタートしたwebDICEコントリビューター山本佳奈子さんのキューバからの連載、今回は先日行われた市議会議員選挙、そして5月1日の労働者の行進についてのルポルタージュだ。ハバナ市での暮らしの周りから、キューバの風土や国民性、そして社会を捉えていく内容となっている。現地に2ヵ月にわたり腰を据えることでなし得る庶民の視点をもとに、日本からはなかなか知り得ない現地の選挙のシステムや市民の姿から、キューバという国の素顔が明らかになる。
単一政党の国での選挙
4/25(日)、キューバでは選挙の投票日だった。この選挙は、各地域で、議会に出る代表を決めるもの。ここの地域では候補者が2人いて、そのどちらがいいかを投票する。投票会場は朝6時~18時まで開いている。日本と同じく、投票を呼びかけるTVCMやポスターをそこらじゅうで目にした。泊まっているカサパルティクラルの一番近くの投票所へ行ってきた。隣の建物の1F、普段は八百屋をやっているところが、投票所になっている。日本と同じように、有権者に事前に届く投票場所などを書いた紙を、投票所の係の人に渡す。投票用紙をもらい、有権者は票を入れたい候補者の名前を書き、投票箱に投票用紙を入れる。日本とまったく同じだ。
ただ日本と違うのは、投票箱の両脇に小学生や中学生が立っていて、投票用紙が投票箱に投函されると同時に、「!Voto!」(投票しました!)と言って敬礼する。
そこまでやらんでも……と思ったが、子供のうちから選挙に巻き込むことでコミュニストが育つのかもしれない。お母さんたちも前日から投票会場の準備にばたばたしたり、当日も投票会場の受付などをそれぞれ分担する。小学校低学年ぐらいの子供も敬礼役でローテーションを組むので、必然的にご近所同士が団結して子供の世話もする。
日本も子供の選挙当番とかがあれば、投票率があがるかも、とも思った。
お母さんたちは、「キューバ人はお金がないからSolidaridadしないと生きていけないんだよ」と言う。キューバ人はこのSolidaridad(ソリダリダ)という言葉をよく使う。団結、とかいう意味だが、「助け合い」「共有」というような意味でも使う。昔の日本で言う、しょうゆの貸し借りだろうか。実際に、私が住むカサパルティクラルには隣のおばあちゃんがサラダや食べ物をたまに持ってきてくれる。同じものばかり食べていて飽きた頃にちょうど持ってきてくれるのでかなりありがたい。日本のように同じ建物に誰が住んでいるか知らないことはないし、ご近所さんとは困ったことも美味しいものも共有する。
選挙の話に戻るが、誰に投票しようが政党が変わらないキューバの選挙を見て、日本の有権者には政治を変える権利があることをやっと実感できた。そしてそれは貴重で重要な権利だ。
人種差別は存在する。
9年前にジャマイカの首都キングストンへ行ったとき、道を歩くとすれ違うほとんどの男性に「ヘイ!ミスチン(陳)!」と言われた。(ジャマイカ人の間では、中国人で最も多い苗字は「陳さん」という認識らしい。)
キューバでもジャマイカほど多くはないが、「チーナ!(中国人!)」と言われることが多い。そのあと会話を続けてくるのでもなく、言い逃げだ。むしろ、面と向かって言ってくることはない。すれ違った直後に言ってくることが多い。
特に腹が立ってしまうのは、中学生ぐらいの男の子たちだ。グループで行動しているキューバ人の男の子たちの前を通り過ぎると、中国語の真似と思われる訳のわからない言葉を浴びせられることがある。どうやら、私が中国人だと思って、からかっているらしい。(しかしこの中国語の真似はものすごく下手くそで、スペイン語でも中国語でもない違う国の言葉でしゃべっているのかと思った。)
人種の違うキューバ人からすれば、中国人も日本人も韓国人もタイ人も見分けがつかないのだろうし中国人と言われることは仕方がない。
しかし私はこのキューバ人達(そしてミス陳!のジャマイカ人達)の言動は、立派な人種差別だと思うが、どうだろうか。私の器が小さいのか?ひねくれた言い方だが、彼らは、白人に「ヘイ、ヨーロピアン!」黒人に「ハイ、アフリカン!」などと声をかけることができるのだろうか。キューバは「人種差別の少ない国」とよく言われる。本当にそうなのか?一体それは誰が言い始めたことなのだろうか?
路上で警察官がキューバ人にIDを提示させて職務質問をしている風景をたまに見る。この職務質問も、ほとんどが黒人に対して行なわれるそうだ。キューバ人は、「黒人には泥棒が多い」と言う。
そして、隣の家のおばあちゃんは「私は黒人が嫌いだよ!」とはっきり言っていた。
5月1日のキューバ
だいたい世界各国で「メーデー」と言われるこの日は、キューバにとっても「El Dia de los Torabajadores」と言われて、直訳すれば「労働者の日」(テレビでは、やたら“torabajadores[=労働者の男性形] y[=and) torabajadoras[=労働者の女性形]”と叫ばれていた)。しかし、これは労働環境や労働条件を改善するために労働者が行動を起こす日=メーデーではない。キューバ人労働者には、メーデーだからと言って待遇改善を求める権利などないようだ。世界の労働者が会社や国家に権利を主張するその日、キューバの労働者たちはラウル・カストロにキューバ国旗を振る。
5月1日は、キューバにとっては「勤労を讃え、キューバ国家を讃える日」だ。労働者が何万人も広場に集まり、行進をする。祖国に、フィデルに、ラウルに、!VIVA!と言うために行進をする。参加している労働者たちは、自分たちが働いているということとキューバ国家があることに大きな誇りを持っている。会社や団体でそれぞれプラカードや旗を作り、まだ暗い6時頃から広場へ行き、行進をする。
私も広場へ行こうと思っていたのだが、寝過ごしてしまったのと、連日の猛暑で頭痛がしていたのもあり、静かで涼しい部屋で生中継しているテレビを見ていた。
私のいる場所から歩いて20分ほどの革命広場でそれは行なわれていた。ラウル・カストロや政府の要人が高台で見守る中、何万人もの人達が行進する。
TVを見ていると、
!Viva la Revolucion!(革命万歳!)※キューバでの「革命」とは、革命を起こした現政権を指し示すようなニュアンス。
!Viva Cuba Libre!(自由のキューバ、万歳!)
! Viva Fidel y Raul!(フィデル、ラウル、万歳!)
とか、!Viva なんとか!の連呼。
そして!Adelante!(進め!)の繰り返し。
これぞキューバのプロパガンダ!
「ほら、革命広場にこんなに人がいます。みんな同じ意思を持っています。みんながフィデルとラウル、そしてゲバラを尊敬しています。この輪の中に入ってこそキューバ国民です。これほど大勢の民衆が団結する国はキューバしかありません。さあキューバを讃えましょう!」
この洗脳プロパガンダを文字にするとこんな感じだろうか。ブラウン管をビデオカメラで撮影したので、ぜひともこの映像は配信したい。ここキューバは独裁政権であること、言論の自由が許されていないことを、実感した日だった。
ちなみに夜のTVニュースでも、ずっとこの話題だった。キューバの国家を讃える行進のあと、国際ニュースとしてアメリカや他国の労働者デモを映し出すのが対照的だった。それはもちろん、平和的デモよりも衝突の映像のほうが多く、よりキューバが団結した国に見える演出だった。
女性運動家やそのグループの人数はかなり多く、この行進でもかなり注目度が高かった。女性が女性の地位向上に対して声をあげることは、国をあげて歓迎されている。(mujer=女性)のちのニュースでは、同性愛者差別反対の活動家でラウルの娘:マリエラ・カストロが、この女性団体の中の主要人物としてインタビューを受けている映像が流れていた。
【関連記事】
キューバ紀行 第1回:キューバへ行く決意、そして始まったハバナでの暮らし
http://www.yamamotokanako.net/
webDICEユーザーページ
1983年兵庫生まれ、尼崎育ちの尼崎市在住。現在26歳。高校3年のときにひとりでジャマイカ・キングストンを訪れて以来、旅に魅力を感じるようになる。その後DJ活動、ライブハウス勤務などを経て、2010年、念願だったキューバ旅行を実現させる。
世界のすべての人々の最低水準の暮らしが保証されること、世界の富を独占する悪徳企業が民主の力によって潰されることを切に願っており、自ら一つのメディアとなって情報発信することにも挑戦している。
先日webDICE誌上で行ったコントリビューター募集企画から、第一期執筆者として選出された山本佳奈子さん。ジャマイカへの旅をきっかけに音楽にのめりこみ、他にもタイやインド、ラオス、カンボジアなどを巡ってきた彼女が、2010年4月より念願だったキューバ行きを敢行。2ヵ月の間居を構えることになるキューバからの、生活に根ざした現地のレポートを連載としてお届けする。第1回は「社会主義を肌で感じたかった」というキューバへの旅をスタートさせるにあたっての思いと、次第にハバナ市内での生活に慣れていくまでを綴ってもらった。
キューバへ行くきっかけ:私と資本主義
周りがボーナス自慢や忙しい自慢をしているなか、私は定職につかず不安定ながらもお金にとらわれず自分の意志に沿った生活をしているつもりだ。とにかく、“普通”と言われたくないし、“普通”を良しとするこの日本の風潮が間違っていると思う。平均的を狙った商品が大量に売れて、みんな平均的な商品を買って、自分が平均的な位置にいることに満足する。そんな“普通”“平均的”という大きな流れに反抗している中で、資本主義がどれほど恐ろしいシステムなのかを理解した。私は、資本主義が大嫌いになってしまった。
企業のプロパガンダは精巧で、本当に自分の周囲も、資本主義を「夢のある素敵なシステム」だと信じきっている。私達は、資本主義社会に生きているからこそ、企業から教育されているのである。「社会主義は悪のシンボルだ!ほら見てみろ、北朝鮮は社会主義だからあんなに恐ろしい国なんだ。」と。北朝鮮の暗いイメージをイコール社会主義、とすることで、日本人は皆疑問を持つ事もなく資本主義社会に生きる。もちろん、私もかつては疑いもなく資本主義が正しいと思っていた。資本主義にうんざりして、単純にこう思い込んだ。
「資本主義と相反している社会主義は、きっといいシステムなんだ。北朝鮮は失敗しているとしても、社会主義には未来があるのではないだろうか。」
ろくにマルクス論もしらないまま、そう思い込んだ。
キューバについてのリサーチ
そして社会主義の国を体験してみたくなった。社会主義国の中でも、キューバはラテンで、通りで音楽が流れ人々が踊りだすハッピーな雰囲気。キューバはもしかすると、資本主義嫌いの私にとってユートピアなのではないのか?キューバは理想的な社会主義に今現在で一番近い国ではないのか?
そう考えた私は、キューバへの旅行を計画した。いざ、キューバに行くとなれば、キューバについて知るべきである。twitterのハッシュタグ「#Cuba」や、キューバ関連のニュースをチェックし始めた。
キューバの今のニュースを見た私は混乱した。出るわ出るわ、「キューバに自由を!」の声。Time誌の「もっとも影響力のある100人」に選ばれたキューバ人ヨアニ・サンチェスは、キューバ在住の活動家でありブロガーで、キューバ政府が実際に行なっている検閲やキューバ人の運動をリポートしている。国家侮辱罪で投獄されていた活動家はハンストを行ない、今年の3月に餓死した。キューバの民主化運動は、今現在、勢いづいているようだ。やはり独裁国家をなめてはいけないということか……。うかつに調べもしないでキューバがユートピアだと思っていた自分が恥ずかしくなった。
でも、さらに調べると、ラウル政権になってから改正された法がいくつかある。例えば、同性愛者の権利が法律上認められたり、キューバ人の自由旅行、携帯電話を持つことが許されたことなど。<これは、単にキューバ政府の「アメとムチ」政策なのか、それとも、本当に今キューバは変わりつつあるのか。やはり実際に行って確かめなければ。
ゆっくり状況を観察するためにも、2ヶ月間滞在することにした。キューバ人とのコミュニケーションのために、スペイン語レッスンを受けた。短期アルバイトでそこそこお金は貯まった。2010年4月19日に日本を発つことにした。
キューバに行くと言った時のまわりの反応
キューバに旅行をする、と行ったときの周りの反応は面白かった。自分の親も含め、団塊の世代からは、
「そんな危ない国行って何するの?」
が圧倒的に多かった返答。独裁政権のイメージがまず一番に浮かぶようだ。
同世代の友人の反応は、だいたい、このような感じのやり取りで会話が終わる。
山本「キューバ行ってくるわ」
友人「へー。キューバかー。なんでキューバなん?」
山本「社会主義やから。」
友人「…………へー。」
-沈黙。-
私の姉の場合は、「社会主義」という言葉が出ただけで話題を変えた。同世代の多くは、資本主義社会を疑ってもいない。「働けば働くほどお金がもらえて夢があっていいシステムだ」と思う人は多い。キューバに行ってきます!と言うだけで、相手の社会に対する考えがうかがえる。これはとても興味深い!
航空券について
ゴールデンウィーク前の4月は航空券が比較的安い。今回はJTBの旅行券をたまたま持っていたので、JTBで格安航空券を購入することに。JTBで最も安くキューバに行く方法は、エアカナダで、トロントで1泊してからハバナへ行くチケットだった。成田ートロントーハバナの運賃が109,000円。燃油サーチャージが23,000円、キューバの空港税が1,520円、成田空港使用税が2,540円、そしてJTBの手数料が2,100円、トータルで138,160円となった。JTBよりも安い格安航空券があると思うが、参考までに。
私は兵庫県在住なので関西国際空港から海外線に乗ることが多いが、今回選んだエアカナダは関西国際空港から発着しなくなったらしい。(9年前にジャマイカに行ったときもエアカナダを利用したが、その時は関空からエアカナダが飛んでいた。)
他にもメキシコ経由で行く方法がある。ただ、やはりアメリカ-キューバ便は存在しない。
出発からハバナのホセ・マルティ空港到着まで
成田空港からトロントへの機内は満席。トロント国際空港に着いて、1泊滞在するためトランジットではなく入国審査。まず、「滞在日数はたった1日?」と突っ込まれる。乗り換えで1泊することを伝えると、どこに行くのか、キューバには何日滞在するのか、キューバに行く航空券を見せなさい、キューバでの宿は予約しているのか、キューバに行く目的は何なのか、などと質問攻め。いきなり疲れてしまった。が、よく考えてみれば私のパスポートには、タイ入国が4回ぐらい、インドのビザ、ラオス入国2回、カンボジアビザが2枚、と、怪しいと言えば怪しい。
それでも入国審査に要した時間は3分間ぐらいだっただろうか。世界の優等生日本人に生まれたことをうれしく思う。しかしこの分だと、帰りのカナダでの入国審査はもっと長くなるだろう……。
翌日のトロント-ハバナ便も、100人ほどの定員がほぼ満席。失礼だが、こんなにもキューバに行く人が多いことに驚いた。左隣はビジネスで訪れる様子のカナダ人。右隣は元ヒッピー風の白人で70代前後のおじいさん。前の席は南米出身と思われ、こちらもビジネス風。後ろの席もアルゼンチン人でビジネス目的の模様。
そうか。社会主義国と言え、鎖国している訳ではないので、ビジネスで訪れる人も多いのだ。他には、スポーツのインターン風のオーストラリア人の団体、バカンスか留学のカナダ人の女の子たちなど。約3時間でハバナのホセ・マルティ国際空港へ到着する。エコノミークラスはソフトドリンクのみ無料で提供される。機内で、キューバの入国カードと検疫カードが配られる。入国カードはしっかりしていたが、検疫のほうはA4普通紙にコピーされていてしかも歪んでいる。
追記:
※ちなみに2010年5月1日より、旅行保険に加入していないとキューバに入国できない。もし保険に加入していない場合は入国時にキューバの保険に加入させられるらしい。キューバ大使館のwebに掲載されているので、これからキューバに行く人は要注意。
着陸寸前、コバルトブルーの海が見える。広大な畑も見える。
空港は意外としっかりした造りで、以前訪れたジャマイカのキングストンの空港よりは断然大きかった。ただ、空港内のどこもかしこも暗い。
キューバの入国審査は簡単に終わり、荷物を待っていると、麻薬犬が通りかかる。ラブラドールと黒い雑種の2匹が、だらだらと首を掻いたりぐったり座ったりしている。犬の気持ちを理解できないので失礼にあたるかもしれないが、あの麻薬犬はたぶん役目を果たしていないと思う。
しかし、人間の従業員は多く、日本やカナダなどのサービス重視の国並みに、しっかりと仕事をしているように見えた。
最後に空港でCA$300分をCUC(外国人用のキューバペソ)に交換する。空港でのレートは、1CUC=約CA$1.14。街の銀行でのレートは、1CUC=約CA$1.12。ちょうど1CUC=約100円ほどとなる。
ホセ・マルティ国際空港からハバナ市内へ
私にとって、初めて行く国は、空港の外に出た瞬間が勝負だ。空港のドアを出た瞬間に待ち受けているタクシーの客引き、宿の客引き、そういった人々をどううまく切り抜けるか。あまりビビって萎縮してしまうとしばらく引きずってしまうことがある。
そこでの自分の精神状態が大事だ。チキンにならずに堂々と自己主張すること。根暗で小心者の私にとっての一番大事な瞬間だ(ジャマイカのキングストンを18歳のときに訪れたが、空港からビビりっぱなしで小さく生活していた。でもまあキングストンなんて銃社会で毎日どこかで撃ち合いやってるし、それぐらいで良かったとも思う)。
カサパルティクラル
運転手のおっちゃんは私が頼んだ住所をあまりわかっていなかったようで、道を歩く人に何度も聞いてやっとたどり着いた。ここは、カサパルティクラルと言うキューバで言う民宿のようなもの。casa particular 英語で直訳すれば private houseだ。日本で言うところの下宿もしくはホームステイで、空き部屋を間借りさせてもらう。相場は25CUC~35CUC(2,500円~3,500円)ほどだ。これからしばらくSaraという女性のカサにお世話になる。
ついにキューバでの生活が始まる。とにかく、時差ぼけと移動疲れがひどく、数日間は、1日1、2時間散歩しただけで、へとへとだった。
追記:
私の宿泊しているSaraのカサパルティクラルは、25CUC(約2,500円)/日で朝食付き。日本のユースホステルなどと同じぐらいだから、キューバに滞在する感覚からすると大きな出費だ。しかしホテルはもっと高いので、キューバに滞在する一番安い方法となる。
Saraは、「カサパルティクラルを経営している世帯は300CUC/月を納めないといけない。その月にお客さんが来ても来なくても同じ300CUCなんておかしい。高い!」と嘆いていた。Saraの場合は、空き部屋は1部屋しかないので、毎月最低12日は宿泊客がいないと、赤字になる。政府への納付額が変わらない限り、カサパルティクラルの相場は下がらないということだ。
マレコン通りを眺める
キューバ5日目の現在、ハバナ市内のVedado(ベダド)という地区にいる。一番観光客が多いらしいHavana Vieja(ハバナビエハ)の隣の地区だ。TVでよく見る、高波の海岸沿いの道、マレコン通りに面したカサパルティクラルに滞在している。しかし道に波がドバーッと押し寄せるあの光景はまだ目にできていない。マレコン通りを眺めるだけで、余裕で1時間ぐらいは過ぎてしまう。人と車とバイクと犬の往来を見ているだけで、飽きない。
意外と新しい車は多い。医者など海外で働いたことのある人はやはり金持ちで新しい車を持っているらしい。また、若者も、意外と派手な格好をしていて、携帯電話を手にする人もちらほら見かける。
天気のいい日は、シュノーケリングで漁をしているキューバ人もいる。でも、キューバには元々魚を食べる文化があまりない。キューバ人いわく、「ここは港だから船のオイルとかが魚に付いて汚い」とのこと。でも日本の海に比べればよっぽどまし。
ハバナを歩く
朝からVedadoの街並を歩くのが楽しい。4月現在の気温は、夜は半袖で涼しすぎるぐらいで、朝は多少歩いても汗が出ずちょうどいいぐらい。昼になるとやはり日光が強く疲れる。私が滞在するカサの持ち主Saraいわく、今の季節は一番良いらしい。7~9月はサイクロンの時期、かつ、30度を超え暑さも厳しいそうだ。また、今ハバナは水不足のようで、昼間の水圧が低い。これもカサのSaraいわく、雨が降らなかったから、とのことだ。
家の玄関口でぼーっと道を眺めているだけの人たち、ジュースやサンドイッチのスタンドで腹ごしらえする人たち、1杯飲んでいく人たち、ベランダで洗濯を干したりぼーっと道を眺める人たち、徘徊する犬、そして人や車の往来。ハバナの朝の風景だ。
キューバ人と言えど、朝はやはり仕事に行く人が多いので、みんな歩くスピードがそこそこ速い。
写真撮って!
散歩の途中に、「写真を撮って!」と言われることがある。インドや東南アジアでよくある、「写真撮らせてあげたからお金ちょうだい」かと思ったら、ただ写真を撮られたかっただけのようで、デジカメで撮った写真を見せたらすごくうれしがってそれで終わり。無駄に警戒していた自分がばからしくなった。
街にある監視の目
街を歩くと必ず目にするのが「CDR」というロゴだ。Comite de Defensa de la Revolucion の略で、訳せば「革命を守る委員会」。私はこのマークを見て、てっきり、国家に反する者を告発するところなのかと思った。
でも、カサのSaraにこれは何なのか、と聞いてみると、単にCDRとは町内会のことで、各ブロッグごとの町内会に代表がいて、その代表の家にこのロゴが掲げられるそうだ。でも、この目のようなモチーフのロゴが、どうも監視の目に見えてしまうのは私だけだろうか。
監視と言えばもう一つ驚いたことがある。ハバナ市内には路上に監視カメラが存在しているのだ。マレコン通りや街角の電柱のような柱にぶらさがっている。
カサのSaraいわく、「これがないと泥棒やスリが増えて大変でしょ。これがあるから旅行者も守られているのよ。」と。
驚愕!路上カメラの存在する国って、イギリスぐらいじゃなかったっけ?ただ、このカメラが実際に機能しているのかどうかは知らないが。
ホセ・マルティ記念館
今回の旅の第一目的は、社会主義を目で見て肌で感じること!なので、特に観光をたっぷしりようとは思っていない。でもさすがにキューバらしい場所に行かないのももったいないので、ホセ・マルティ記念館と革命広場には行ってきた。Vedadoからは2km弱で歩ける距離だ。
革命広場のあたりは、それぞれの道路の角に監視の警官がいるボックスがある。ラテンの国とはいえ、まじめに監視している。ホセ・マルティの像の後ろに高い記念塔がそびえ立つ。そして有名なゲバラとカミロ・シエンフェゴスの顔の描かれたビル。このホセ・マルティの像とゲバラ、カミロ・シエンフェゴスの顔のビルの間が大きな広場になっている。ここで、演説などが行なわれるようだ。(※編集部註:初出時よりカミロ・シエンフェゴスの部分を変更しております)
一応、来た記念に、ホセ・マルティ記念館に入っておく。敷地内に入るだけで1CUC(約100円)。記念館への入館はカメラ持ち込みで3CUC(約300円)。中は簡単なパネルと記念品の展示でとても小さい。進むに連れて、ホセ・マルティよりもフィデルやゲバラのパネル展示になっていく。
ビデオ放映している部屋があったので少し覗く。ディズニーやピクサーにありそうな、3Dのアニメ。これがキューバ映画ならすごいぞ!?と思って、係のスタッフに聞いてみるが、なんと言うアニメか知らない、とのこと。キューバのアニメか?と聞いたら、そうだ、とのこと。ほんまかいな!!!スペインのアニメじゃないのか?口の動きがスペイン語に合ってる感じだったので……スペイン語圏の国のアニメであることは確かだと思う。
こちらはネット環境が厳しいので、調べるのは帰国後になりそうだ。誰かご存知の方がいれば教えて下さい。
http://www.yamamotokanako.net/
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1983年兵庫生まれ、尼崎育ちの尼崎市在住。現在26歳。高校3年のときにひとりでジャマイカ・キングストンを訪れて以来、旅に魅力を感じるようになる。その後DJ活動、ライブハウス勤務などを経て、2010年、念願だったキューバ旅行を実現させる。
世界のすべての人々の最低水準の暮らしが保証されること、世界の富を独占する悪徳企業が民主の力によって潰されることを切に願っており、自ら一つのメディアとなって情報発信することにも挑戦している。