ビルマ(ミャンマー)の少数民族に対する弾圧の実態を、難民や反軍事政権勢力の兵士らへの現地取材をもとに構成したドキュメンタリー映画『ビルマ、パゴダの影で』
去る9月7日(土)、映画のDVD発売を記念しトークイベントを開催した。
トークゲストは、ビルマ難民出身でファッションデザイナーとして活躍中の渋谷ザニー氏。渋谷氏は1988年の弾圧を逃れ、8歳の時に来日した。小中高と日本の学校へ通ったが、難民として認められたのは高校2年生の時。大学を卒業し、現在ではフリーランサーのファッションデザイナーとして活躍している。
まず、この映画についての感想を伺った。
「このドキュメンタリー映画は現実を見せ付けられ、とても荷が重くなるような思いがしました。飛行機で5時間少し飛んだだけで、リアルな現実として存在する世界がこのアジアにある。それはアジアにとって、とても恐怖でもあるし、僕にしてみればそこが出生地であるわけですから、非常に重い内容でした」
また、映画の中で気になった点があったという。シャン民族の少年が「大人になったら兵隊になってビルマ人を殺すんだ」と語るシーンだ。
「市民層の中では少数民族とビルマ民族との間の民族間の隔たりですとか、各民族同士の生活格差というのは特別ありません。僕の祖父のまたその祖父はシャン民族で商人でした。少数民族だから貧困だということではなく、貧困を生み出しているサイクルはまた違うサイクルだと僕は考えます。事実ビルマ民族の貧困層も大変多く存在します。ビルマにおける少数民族の問題はあくまで軍事政権と少数民族間の問題であり、ルワンダでのツチ族、フツ族の民族紛争のような争いではありません。少数民族がそれぞれの州ごとに軍を持ち、それらを解除させる一貫として軍部は少数民族の農村を襲撃し、また略奪を繰り返すのです。子どもにしてみれば軍事などとは関係なく、“自分が大人になったら兵隊になって軍人を殺すんだ”ではなく、“ビルマ人を殺すんだ”という意識になってしまうのだと思います。ひとりの幼い子どもの、とても悲しい現実です」
民主化運動幹部だった渋谷氏の父親は、1988年の軍事クーデター後、弾圧を逃れ日本へ来た。その5年後に渋谷氏も母親と共に来日、彼が8歳の時だった。その後、難民として認められるまで6年かかったそうだが、難民であることに対しどう思っているのだろう。
「日本で1993年に家族三人で一緒に暮らせることになって、家族と安全な場所で暮らすということが僕たちにとっても最も重要なことでしたので、僕たちの望みは叶ったというような考えをしていました。しかし、そういうわけにも行かずその先に存在する様々な生活の困難を乗り越えてきました。1995年に父親が難民申請の手続きを始め、その後、2001年の僕が高校2年生の時に難民として認められたのです。在日インドシナ難民の子ども達と会ったことがありますが、彼らはみんな難民であることや、どこの出身だということで、恐らく日本社会に対しての劣等感を持っており、ネガティブな感情があるように感じられました。でも僕はそういうことをひとつも気にしたことがなくて、アルバイトで受け入れてもらえなかったという経験はありますが、ほかの日本人の友人だって苦労なしで今まで歩んできた方はいないですし、自分がどう差別されたとか、偏見をどうもたれたとかではなく、どうそれらを乗り越えるかが一番重要だと思っています」
昨年、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の小冊子に「ザニーさんの挑戦」というタイトルの記事が掲載された。渋谷氏はこの記事で初めて、自分が難民であるということを公表した。
「デザイナーとなった当初は、出身地がどこで難民であるかどうかが、僕の企画したものに関して、何かイメージが持つのではないかという不安がありました。これは僕の場合でなくても考えられることですが。そのため特別、自分が難民だとは言いませんでした。僕は自分の実力で、自分の個性で認めてもらいたいって気持ちが強かったので、特別には公表していなかったのです。ですが、1年前にミャンマー/ビルマで民主化デモがあって、僕と同世代の若い僧侶をみて、彼らは果たして宗教的な思想があって僧侶になっているのか。また、それらを弾圧している兵士も同様の同世代で、彼らも果たして政治的な思想を持って弾圧を行っているのかと疑問がありました。ひとつ考えられたのは、生活苦で僧侶になる選択をし、生活苦で軍隊に入り兵士になるという選択をしたのではないかということでした。とても寂しい思いを感じました。僕はまたそこで、自分に対し深い罪悪感を持ちました。自己満足だろうって言われるかもしれませんが、悲劇で孤独な国ミャンマー/ビルマというのが僕の出生地で、皆さんが着る服を作っているのは僕なんだ、というのを知ってもらいたかったのです。そのために公表を決意しました」
昨年のデモ弾圧の後、ビルマを襲ったサイクロンでもたくさんの悲劇があった。渋谷氏はひとりの力は微力だが、何かをしたいという思いから、仕事で交流のあるファッション業界の人々の協力を得てアパレルの店舗にUNHCRの募金箱を設置する活動を始めた。まずは、世界の現状や難民問題を多くの方に知ってもらうことが重要だ。
観光用PR番組の撮影と偽りビルマ(ミャンマー)に潜入した撮影クルーは国境地帯へ少数民族の証言を求めて旅をする。そこには軍事政権による強制移住や強制労働、拷問や殺害を含む様々な人権侵害から逃れるため、幾千、幾万もの人々が過酷な生活を強いられていた。当局から許可無く撮影された本作は、今なお迫害され続ける人々の叫びを伝える貴重なドキュメンタリーである。
監督:アイリーヌ・マーティ
ULD-408|2004年|本編74分|カラー|16:9ビスタ|スイス|
英語、ビルマ語、カレン語、シャン語|ステレオ|片面一層
★ご購入はこちらから
★公式HP http://www.uplink.co.jp/burma/
サイクロン被害に苦しむ国民をよそに、憲法草案の国民投票を決行したミャンマー(ビルマ)政府。「日本人ができることは? ODA(政府開発援助)は有効か?」という質問に対して、「全て軍政府にお金がいくだけ。私たちはODAをしないでくださいと訴えています」と答える、ビルマ人のティンアウンさんとテーテーイスェさんのトークショーが行われた。
5月3日に行われた映画『ビルマ、パゴダの影で』の上映後のトークイベントでは、私たちがビルマの為に具体的に何が出来るのかを訴えかけた。
「まずビルマの状況を知ることです。インターネットやイベントから情報を得たり会合に参加したりすること。その上で日本政府によるODAの見直しを要求する署名活動に参加し、現地への援助活動をおこなう個人や団体のための活動資金や物資の支援をしてください」
「国民は生きることに必死で、死の一歩手前の状態です。軍政が統治しているビルマで最もひどいことは人権がないということです」
5月11日にはティンアウンさんが上映後観客に語りかけた。
「死の一歩手前というのは言いすぎだと思われるかもしれませんが、今回のサイクロンのケースを例にとると決して言い過ぎではない事がおわかりでしょう。軍政は48時間前からサイクロンの動きを把握していたにもかかわらず新憲法草案の強行的な国民投票を優先させ国民を守ろうとしなかった。そして国際社会による支援表明に関しては物資および経済援助のみ受け入れ人的支援を拒絶した。その事によって支援は国民に全く届いていません」
トークイベント終了後、イベントに来場したお客様と共に渋谷の代々木公園で街頭募金を行うビルマ人達のもとを訪れた。いち早くこうした活動を行っていた国民民主連盟NLDのメンバーは本国より届いた被害者の写真を掲げ、市民レベル・草の根レベルで祖国への資金援助を人々に呼び掛けていた。
1979年ヤンゴン生まれ。幼少期をビルマで過ごした後、1991年に祖国を出国し、タイを経由して家族で日本へ移住。オーバーステイによる強制送還の危機を乗り越え、二十歳の時にようやく在留特別許可を受けた。現在は「ビルマに自由と融和と民主主義を」をモットーにウェブ上のコミュニティー”Change Burma Community”を運営している。
1960年ヤンゴン生まれ。ヤンゴン大学卒業後、外語大学在籍中に1988年のデモに学生として参加。翌年に出国を余儀なくされ、1991年に日本へと逃げてきた。現在、ヤンゴンでデモを取材中の長井健司さんが殺害された映像を世界へ配信した、亡命ビルマ人によって運営される<ビルマ民主の声 Democratic Voice of Burma(DVB)>の記者として活躍している。アウンサンスーチー率いる国民民主連盟NLD日本支部の情報局長を務めた後、2002年から現在まで日本国内で民主化運動の活動を取材し、国内外へ向けて情報発信を続ける一方、日本のに向けてビルマの惨状を強く訴えている。
<関連サイト>
サイクロン被害に関する情報(ビルマ情報ネットワーク)
ビルマに自由と融和と民主主義を-Change Burma Community
ビルマ民主の声 Democratic Voice of Burma
「フリー、ビルマ! フリー、アウンサンスーチー!」
午後2時、都内の野外イベントとして定着したアースデイの会場の空気はある一人の人物の登場によって高次元の緊張感と、怒りと希望に満ちた熱気に包まれた。野外ステージに集まった観衆の前に、自身のプロデュースした<FREE BURMA>Tシャツを着て姿を現したいとう氏はステージ上の椅子に腰掛け、ゆっくりと朗読を始めた。
「無抵抗の僧侶を威嚇してはならない、無抵抗の僧侶を殴打してはならない…」
ブログを介して抗議活動を呼びかけて来たいとうせいこう氏は、抗議Tシャツによる寄付活動に留まらず、ネット社会を超え、直接訴えかけてきた。それが今回のポエトリー・リーディングである。ダブルDJとして高木完とDJ BAKUが、ミックスとしてダブマスターXが参加したこの日のパフォーマンスは、日本でこれまで行われてきた軍事政権に対する抗議活動としては異例の内容であった。
圧倒的な暴力によって民衆を抑圧する軍事政権に対し、「対話」を通じて他者とつながる事を強く促すメッセージは、漠然とした抗議活動とは一線を画す明確なテーゼとして人々を強く刺激した。
「話し合いを拒んではならない、なぜなら、話し合うことが唯一、他者と他者をつなぐ道だからだ。他者と他者がつながれなければ、威嚇が始まり、殴打が始まり、投獄が始まり、殺害が始まる。だから対話せよ! 対話せよ!そして、対話のためにこそ伝え合え!言論の自由と、報道の自由はこうして、威嚇と殴打と投獄と殺害を防ぐためにある。対話せよと言い、伝え合えと訴えることは、威嚇と殴打と投獄と殺害の目の前に立ちふさがることだ」
当日は、チャリティーTシャツの売上の寄付先であるビルマの独立系放送局DVB(ビルマ民主の声)日本特派員のティンアウン氏もステージでマイクを握った。
「ビルマという国は外国人観光客からすれば文化遺産の多い魅力的な国です。しかし軍事政権が統治している母国において、政治、経済、教育、医療など様々なものが衰退し、国民は生きる事に必死で、死の一歩手前の状態です。中でも最もひどいことは、人権がないことです。人間の生活に必要とされる基本的なものが全くないということです。ビルマ国民は人権とは何であるのかがわからない状況にすらあります」
いとう氏の抗議の声はチベット問題に関し、中国政府にも及んだ。
当日のライブは12インチのレコードとして発売され、一枚購入ごとに売り上げの一部を「ビルマ民主の声」に寄付するという企画が検討されているそうである。
<関連リンク>
ドキュメンタリー映画『ビルマ、パゴダの影で』
いとうせいこう公式ブログ
アースデイ東京 Earth Day Tokyo 2008
ビルマ民主の声 Democratic Voice of Burma
カタログハウス Tシャツ通販
いとう氏はネットやブログで広まった自分の運動のきっかけを語る。
「2007年9月にビルマで起きた民衆デモへの武力鎮圧の映像を見て、軍事政権に対し、“世界があの様なことを許すと思うなよ”という強い怒りを覚えました。そして何ができるのかを問う前に、ブログを通じて自分が思ったことをまず発言しようと考えたんです。弾圧の後、軍政がネット環境を止めたという報道もあったけど、反政府活動をしている人達は必ず命がけで情報を得ようとするに違いないと信じ、呼びかけるという事がいくらでもあったほうが良いと思って英語で“FREE BURMA”と発信しました」
浅草に住んで10年ほど経ついとう氏。次の動きは、下町の人が集まる近所の飲み屋での会話がきっかけとなった。
「荒井修さんという、歌舞伎界では有名な扇子作りの職人さんと呑んでいたら、自分の抗議活動に賛同してくれたんです。僕もそうだけど、浅草の人は仏教を尊ぶ気持ちが生活の一部なので、同じ仏教徒がひどい目にあっている事が許せない!と。ではどうするのかという話しをしていたら、たまたま僕が着ていたTシャツに触発された修さんが“Tシャツじゃねーか!”という事に」
Tシャツ制作のノウハウも持たない自分にしかできないことが何かを考えた時、ブログで呼びかけるという発想にたどりついた。
「“みんなの力を貸してくれないか”と呼びかけたら、倉庫を貸せるという人が現れたりして、多くの人が協力の意思表示をしてくれました。デザイナーのジョニオ(UNDER COVERの高橋盾氏)がデザインを提供してくれると言ってくれ、カタログハウス編集者の釜池君が<通販生活>で扱える事を提案してくれた。この運動で何が嬉しいかと言うと、奥田民生氏をはじめとするアーティスト達がTシャツを着てライブに出て、ブログに書いてくれているということ。人と直接会えなくてもネットワークが出来上がってきている。皆さんもビルマで起きたことに対して少しでもひどいと感じたら是非このTシャツを買って寄付活動に参加し、着て意思表示し、街に出ることによって一人でもデモを起こしてください!」
Tシャツの売上は亡命ビルマ人によって運営される衛星放送局<ビルマ民主の声/Democratic Voice of Burma>に寄付される。会場にはその<ビルマ民主の声>の記者ティン氏も来場し、イベントの模様が取材された。
また、いとう氏は過去の運動の限界と、現在の自分の活動の可能性を分析する。
「社会運動の限界は60年代70年代の失敗に見られるように、会って話しているうちに<人間>対<人間>の付き合いになりすぎて分裂するケースが出てくること。だけど今回は人々が同意した事だけで繋がっているので分裂がありえない。<ビルマ民主の声>のティンさんとだって今日始めて会ったけど、“来たら居る!”みたいな感じで繋がれるのがいい。ブログとTシャツで何となくネットワーキングして運動する、というやり方がなぜ実は強いのかというと、どこかで電源が落ちても誰かが運動を続けられるから。終わりようがないし、叩きようがない」
今後、いとう氏は4月19日(土)~20日(日)に代々木公園で開催される『東京アースデイ2008』への出演が決定している。午後2時から30分、野外ステージにて開催される「ミャンマー軍事政権に抗議するポエトリーリーディング」と称したライブではダブルDJとして高木完とDJ BAKUが、ミックスとしてダブマスターXが参加する。
「当日はTシャツを着てライブを見た後、それぞれ浅草の浅草寺まで行ってお参りし、軍事政権が早く倒れますようにと祈願してください。そこまでが運動です。デモを呼びかけているわけではなく、これは<デモ・アット・ランダム>方式と呼びます!」
また、次の展開として今年7月に北海道で開催される洞爺湖サミットに向けた運動を考えているという。ブログを通じて今後も氏の活動をフォローしたい。
<関連リンク>
ドキュメンタリー映画『ビルマ、パゴダの影で』
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アースデイ東京 Earth Day Tokyo 2008
ビルマ民主の声 Democratic Voice of Burma
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ビルマ少数民族が弾圧の真実を語ったドキュメンタリー映画『ビルマ、パゴダの影で』の公開にあたり、「食」を通してビルマの文化を紹介します。また、映画を観るとお店によって特典がありますので、是非ご利用ください。
■ご紹介したビルマ料理の写真一覧はコチラ
ビルマ・シャン州出身の店長サイン・ニュン・マウンさんが経営するシャン料理専門店。オープンして一年目。シャン州では日本と同様にこんにゃく、豆腐、納豆なども食べるそうで、シャン料理はあまり脂っこくなく日本人の口によく合います。
シャン料理を代表する一品。平たい米麺の上にミートソース(豚か鶏を選択)がのっている。
トーフをカリッと揚げたもの。中は湯葉を重ねたようなとろりとした食感。好みでチリソースをつけてどうぞ。
豚肉をバナナの葉っぱで包んで発酵させたシャン風ソーセージ。肉のうまみと唐辛子のピリッとした辛さと、歯ごたえのいいカリカリのニンニクがお酒と合う。
◎『ビルマ、パゴダの影で』の上映館アップリンクXが発行しているスタンプカードの提示で、スペシャルサービスあり!
映画について一言:
「日本で公開されるのはとてもよいことだと思う。この映画を通してビルマの問題を世界中の人に知ってもらいたいですね」
東京都新宿区高田馬場3-12-1 タイリクビル2階 [googlemaps:東京都新宿区高田馬場3-12-1]
Tel: 03-3367-6535
営業時間: 11:00~23:30
ビルマ料理やビルマ近隣国のアジア料理が味わえるアジア料理専門店。店内にはカラオケが設置してあり、土・日は食事とカラオケが楽しめるアットホームな雰囲気のお店です。
雑誌、テレビ、各メディアにて頻繁に紹介される人気店です。
野菜をたっぷり入れたきし麺風のビーフン。日本人好みの味付け。
ナマズをフリットしたあとに辛く炒めたもの。クセがなく淡白な味で食べやすい。
マサラ味のグリルドチキン。皮がパリパリで中の鶏肉はとってもジューシィー。
◎『ビルマ、パゴダの影で』の上映館アップリンクXが発行しているスタンプカードの提示で、1ドリンクサービス!
東京都新宿区高田馬場1-25-29サンコールビル3F [googlemaps:東京都新宿区高田馬場1-25-29]
Tel: 03-3204-8838
営業時間: Lunch 11:00~15:00 / Dinner 17:00~23:00
早稲田口を出ですぐ、ラオス出身のシャン族の店長が経営する老舗のシャン料理店。
ランチメニューが800円というお手頃価格で、近所の大学生達がご用達の人気店です。
ミシェは麺の名前でうどんに似た食感。味はちょっと辛めで食欲をそそる。揚げ豆腐、ご飯、デザートが付いてこの値段はリーズナブル。
さくさくの衣が美味しく、コーヒーやミルクティーにつけて食べるのが一般的
映画について一言:
「撮影当時からこの映画のことは知っていました。映画を観るだけで終わらせないで、もっと問題意識を持って考えて欲しいと願っています」
東京都新宿区高田馬場2-19-7 TAKビル1F101 [googlemaps:東京都新宿区高田馬場2-19-7]
Tel:03-5273-5774
営業時間: Lunch 11:30~14:30 / Dinner 11:30~23:00
ランチバイキングが人気のビルマ料理専門店。ランチ時には900円で様々なビルマ料理が食べ放題になります。広い店内にはソファー席やカラオケが設置してあり、居心地は抜群。
そうめん&魚スープ
ビルマの代表的な麺料理。スープにはナマズのだしの他、レモングラス、しょうが、レッドペッパーなどがスパイスとして使われ、さっぱり食べられる。日本のみそ汁と似ている。
◎『ビルマ、パゴダの影で』の上映館アップリンクXが発行しているスタンプカードの提示で、ランチバイキング100円オフ!
映画について一言:
「この映画は少数民族の問題が描かれていて、私自身も初めて知りました。日本人にとっても、日本に住むビルマ人にとっても、観るべき映画だと思います」
東京都豊島区高田3-11-18 TTAビルB1F [googlemaps:東京都豊島区高田3-11-18]
Tel:03-3204-5121
営業時間:Lunch 11:30~14:30 / Dinner 17:00~24:00 / Weekend 17:00~5:00
フードとドリンクメニューが豊富なカラオケバー。ビルマ人の大学生や仕事帰りの人が気軽に立ち寄るそう。カラオケが設置してありビルマのエンターテイメント事情を知ることができます。
ライスの上にジューシィーな焼きたてチキンがのっており、カレー味が食欲をそそる。
あっさりして食べやすく、日本人好みの味つけ。
小エビ、ねぎ、唐辛子が一緒に揚げられたかきあげ風天ぷら。
素朴な塩味のグリーンピースご飯。上にのった目玉焼きの黄身をくずして食べる。
東京都豊島区高田3-29-7 第2きょうやビル3F [googlemaps:東京都豊島区高田3-29-7]
Tel:03-3980-9232
営業時間:14:00~5:00
アジアンミックス創作料理店。ビルマ料理に限らず様々なアジア料理やドリンクを提供。
黒を貴重とした店内はモダンな雰囲気で女性1人でも気軽に立ち寄れます。伝統の味を守りつつ、オリジナルな工夫を凝らした料理は「目」と「舌」で楽しむ、食べるアートと言っても過言ではありません。
ビルマの代表料理をオリジナルにアレンジ。ビルマでは家族や友人が集まった時にお茶と一緒に食べたり、月が綺麗な時に外に出てわいわい楽しみながら頂くそう。
ビルマでは朝によく食べられる代表的な麺料理。みんなが食べやすいようにとパクチーは上に添えるだけにしてあったり、好みでナンプラーや唐辛子を足せるようにしてある気遣いが嬉しい。
◎『ビルマ、パゴダの影で』の上映館アップリンクXが発行しているスタンプカードの提示で、スペシャルサービスあり!
映画について一言:
「地球上に住む同じ人間としてこのビルマの問題を見て見ぬふりはできません。一緒になって考えていって欲しいですね。」
東京都豊島区巣鴨1-11-6 シンセレティ東京巣鴨1階 [googlemaps:東京都豊島区巣鴨1-11-6]
Tel:03-3944-8508
営業時間:18:00~5:00(日曜は23:00迄 / 月曜 定休)
取材した多くのビルマ料理屋にカラオケが設置してあるのが興味深かったです。カラオケを楽しみながら食事をすることもよくあるそうです
ビルマ料理は日本と同じ食材を使ったものが多く、食べやすい上に値段もリーズナブル。
是非、ビルマの本場の味と雰囲気を味わいに足を運んでみて下さい。
会場:アップリンクX(東京都渋谷区宇田川町37-18 トツネビル2F [googlemaps:東京都渋谷区宇田川町37-18] )
当日料金:一般1,500円/学生1,300円/小・中・シニア1,000円
上映時間:10:30/12:30/14:30/16:30 各回定員入替制
今から20年前のこの日、ビルマ(ミャンマー)の首都ラングーンでは一人の大学生が治安警察に銃殺された。この事件をきっかけに軍政に対する民衆の怒りは88年8月の大規模なデモへと一気に加速する。以来、この日はビルマ民主化運動の象徴の一つとされてきた。
「独裁ミャンマー軍事政権は国民への人権侵害をやめろ!」「やめろ!」平日の午後2時、都内の路上に鳴り響くシュプレヒコール。
在日ビルマ人の民主化活動グループは、民主化運動の象徴的な日である「ビルマ人権の日」の3月13日、軍政に対する抗議アクションとしてデモ行進を行なった。
在日ビルマ人共同実行委員会(JAC)の呼びかけにより東京都品川区の公園に集合したのは300人以上の在日ビルマ人。反政府勢力組織や少数民族グループ、政治囚支援協会などのメンバーが中心となり、軍事政権による人権侵害批判やアウンサンスーチー氏および政治囚の即時解放を訴え続けながらミャンマー大使館前までデモ行進を展開した。
ビルマでは先週、潘基文(バンギムン)国連事務総長が軍政に宛てた民政移管に関する提案が否定された他、10日には同国を訪問したガンバリ国連特別顧問による軍政トップのタン・シュエ議長との会談が今回も拒否された。一方ではアウンサンスーチー氏と会談したガンバリ顧問だが、仲介者としての役割を果たせぬまま訪問を終えた。
昨年9月のデモ弾圧以来、出口の見えない情勢不安に国際社会が業を煮やすビルマ。母国を逃れ日本に暮らす在日ビルマ人の多くは、民主化の暁には帰郷することを夢見つつ、自分達にできる事を模索する。今回のアクションを主催したJACのメンバーに話を聞いた。
都内のレストラン従業員として生計を立てているミンスイ氏は、JACの中心人物の一人として積極的に活動を引率するヤンゴン生まれの47歳男性。在日ビルマ人市民労働組合の書記長として多くの仲間から信頼される重要な相談役でもある。デモ活動の意義について「具体的に大きな変革はもたらさなくとも、小さなアピールを重ねることによって世界中の仲間と連帯し、いずれは国内の人々のための力となることを信じている」と語る。
現在JACの議長を務めるタンスエ氏は1988年のデモに学生として参加。軍政によって武力鎮圧された運動はその後、タイ側に逃れた学生によって結成された全ビルマ学生民主戦線(ABSDF)に引き継がれる。氏はタイ側へ同士を手引きする調整役として運動を続けた。しかし仲間が軍によって拘束されてからは身の危険を感じ、89年の11月に日本へと逃れた。建築設備会社の職人として生計を立てる一方、民主化運動グループBurma Democratic Action Groupの代表を勤める。
さらに、昨年8月に設立されたJACの議長に任命され、首都圏で活動する31のビルマ人団体の調整を引き受ける。今年のデモに関しては「若い人が増えて嬉しい。88年の時も学生がまず立ち上がったのだから、体制を変えるにはいつでも若い世代が動かなくては」と語る。
公園を出発してから約1時間後、目的地のミャンマー大使館前に到着したデモ隊は、88年当時の犠牲者や政治囚と昨年9月のデモ弾圧によって繰り返された惨劇の様子をおさめた写真パネルを掲げて集会を行った。参加者に向けたスピーチの中で、タンスエ氏は声高に「国政転覆まで時間はかかるかもしれないが、民主化の日は必ずやってくる。何があってもその日を信じて我々は断固抗議を続ける」と訴えた。
また、取材に対して氏は「日本はODAの縮小にとどまらず、アジアの中で影響力を持つ国として軍政に対し、より一層のプレッシャーを与えるべきである」と述べた。日本人に対しては「多くの人はビルマが問題を抱えている事は知っていても、実際に何が起きているのかをあまり理解していない。人権が侵害されていることは中国もロシアも認めているが、事実を認めるだけでは意味がない。後を絶たない深刻な人権侵害について、より具体的に知って欲しい」と語った。
ビルマの政治囚や彼らの家族への支援を目的に設立された。政治囚へ食料や物品を届けるほか、国際社会と協力してビルマの政治囚の早期釈放を訴える活動を行っている。
ビルマ国内では1,864名以上の政治囚が刑務所での生活を強いられている。
軍事政権による少数民族への迫害を描いたドキュメンタリー作品。渋谷アップリンクXにて3月15日(土)より公開
★公開を記念し、3月20日(祝・木)にはゲストにいとうせいこう氏を招いてトークイベントを開催