webDICE 連載『チベットを知る』 webDICE さんの新着日記 http://www.webdice.jp/dice/series/11 Mon, 16 Dec 2024 20:48:24 +0100 FeedCreator 1.7.2-ppt (info@mypapit.net) 『風の馬』チベット連載第12回:モーリー・ロバートソンの『チベット・リアルタイム vol.7最終回』【動画付き】 http://www.webdice.jp/dice/detail/1629/ Wed, 03 Jun 2009 10:19:14 +0100

約2週間に渡る「チベトロニカ」チベット編の旅も終わりに近づき、ラサに戻った一行はここで旧暦の新年を迎えた。いつ捕まるかもわからない緊張感と、窓の外で間断なく打ち上げられる花火の破裂音で興奮の高まりを感じながら、チベットと世界とを繋ぎリスナー参加の「年越し生放送」を実現させた。リスナーから届いた当時のメッセージや「2ちゃんねる」の書き込みを交えた動画は必見だ。



<これまでの道のり>

成田から3度飛行機を乗り継いで青海省の西寧に到着した「チベトロニカ」チームの一行は、チベット文化圏「同仁」を訪問し、チベット人巡礼者が集まる寺院や庶民が集う露天市場で、その空気を吸収する(『チベット・リアルタイムvo.1』)。その後、漢族向けに運営される「チベット・レストラン」で異様な光景を目にし、翌日、山奥にあるダライ・ラマ14世の生家に足を踏み入れる(『チベット・リアルタイムvo.2』)。一行はラサを目指して青蔵鉄道に乗り込み、運行中の車内で携帯電話をマイクロフォンがわりにし、日本への生放送を試みる(『チベット・リアルタイムvo.3』)。そして、いよいよラサに到着。チベットの旧正月(ロサール)で賑わうバルコルや、かつてダライ・ラマ14世が住んでいたポタラ宮を訪れる(『チベット・リアルタイムvo.4』)。旅は後半に差し掛かり、作られた観光産業やプロパガンダの情報に惑わされることなく五感でチベットの現在を感じようと、ラサ郊外に足を向ける(『チベット・リアルタイムvo.5』』)。一行は舗装されていない悪路を抜けて、チベット第二の都市シガツェと、国境近くのギャンツェに向かう。この日はチベット歴の大晦日、シガツェの寺では仮面舞踊(チャム)の大がかりな儀式が執り行われていた(モーリー・ロバートソンの『チベット・リアルタイム vol.6』)。




大画面でご覧ください↓



[youtube:1P29mNr_au4]




まず今回の動画の冒頭に登場する少年について解説したい。ロサールの日、ジョカン寺を巡礼者や観光客が右回りにコルラする中、道ばたに座って親子3世代で物乞いをする家族がいた。そこにいた男の子は、お手製の弦楽器を巧みに弾きながら、チベット語や片言の中国語で歌ってくれた。



歌い終わる頃合いで、長い棒を持った漢族の警官がパトロールに回ってきた。母親からの怒鳴りつけるような指示で、少年は1元や1角の投げ銭が入った帽子を体で隠す。警察官ににらまれないよう、カメラの撮影もそこで終わっている。

ラサから新年の瞬間を実況



季節柄、閑散としたラサのホテルからロサールの前夜、つまり旧暦の大晦日に「年越し生放送」を行った。チベットから生放送を国外に向けて行うことには当然政治的なリスクが伴う。だがそれ以前に技術的な壁もたちはだかっている。中国の国内ではネット上にさまざまな検閲ソフトや検閲人員が常駐し、少しでも変わったそぶりを見せるユーザーを特定する巨大な網が張られているからだ。この網をくぐり抜けるために、東京・目黒のスタジオからエンジニアが「トンネリング」という技術を使った。



チベット02

上海のホテルからスカイプを使って放送するモーリー・ロバートソン氏。


「トンネリング」の詳細はWikipediaなどでも解説されているが、正直言って筆者も理解できない。おそらく2007年2月の時点で西蔵自治区のネット回線を監視していた人員も認識できなかったのだと思う。



・トンネリングを解説したWikipediaエントリー

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0




このハッキングのおかげで外に情報を送り出すことは実現したが、海外からの情報を中国側から見ることは困難だった。「Wikipedia」は制限され、BBCはそもそもロードせず、YouTubeはトップページにつなぐことはできてもものすごく遅くて使い物にならなかった。

参考までに、中国の中で行われている検閲を擬似的に体感できるツールがある。他愛のない情報であっても制限されることがある一方で、チベットに関する情報がざるのように見えてしまうこともある。



・ファイヤーフォックスのアドオンとして使える「CHINA CHANNEL」

http://www.chinachannel.hk/



こうして『金の盾』の内側で試行錯誤するうち、巨大掲示板「2ちゃんねる」が検閲対象から外れていることに気がつく。リスナーからの助言もあり、「2ちゃんねる」の 「i-morley」 関連スレッドは放送中のチャットの手段へと変身した。生放送中、「2ちゃんねる」につきものの悪意ある書き込みは見られなくなり、「つかまらずにがんばってくれ」「高山病が治りますように」といった思いやりと応援の言葉でこのスレッドは溢れかえってしまった。中国からは見られない情報を「Wikipedia」や海外のニュース記事からコピペしてもらい、それをラサで読み上げて議論するという「ループ」も形成された。サクラのように中国に関する好意的な文化紹介をはさむという演出を行い、天井や壁に仕込まれていたかもしれない盗聴マイクに対する「おとり情報」を泳がせた。そのへんは日本のマスコミが用いる常套手段が参考になった。



だがそれでも「公安に今この瞬間にも踏み込まれるかもしれない」という緊張感は残っており、「チベットからDJとして何を語るのか?」などといった美学上の課題は、意識から吹き飛んでいた。とにかくリアルタイム・現在進行形で、自分たちがいるチベットの状態を切り取って報告し続ける以外になかった。断片であっても現実のチベットを語る方が、行かずに研究するよりパンチが強い。



日本、アメリカ、フランスなどから時差を越えて参加したリスナーたちと会議コールでつながり、即興的に、ひたすら対話を続けた。放送中に急にこちらの音声がとぎれたら自分たちが捕まったことがわかる、ということもささやかな保険になっていた。



だがラサ側の緊張感をよそに、そもそもこの放送で何が行われているのかを把握できない初心者リスナーも紛れ込んでいて、理解度はまばらだった。まだ海外旅行をしたことがない高校生に、言葉を選んでチベット問題を解説してみたりもした。こちら側でなかなか発言できない内容はスレッドの中に有志が随時書き込んでくれた。世界中のあちこちにいる人同士が連携プレーでスムーズな対話を進めていく、このプロセスこそがチベットを密閉する包み紙に穴を空けていく行為だった。連日の生放送を共有したリスナーは延べ数百人。にわかに発生したこの匿名コミュニティーの中で急速に連帯感が深まっていった。



NHK「紅白歌合戦」の何倍も壮大なスケールの年越し番組が「CCTV=中国中央電視台」から流れる。窓の外で花火が間断なく打ち上げられ、破裂音と火薬の匂いに興奮が高まっていく。リスナーの誰かがCCTVの放送を日本でも視られる方法をスレッドに紹介する。スレッドへの書き込み、「チベトロニカ」サイトのフォームから送られてくるメッセージ、そしてスカイプの会議コールが時間の中で折り重なっていく。



スカイプの音声は不安定だ。つながった端末の状態や、その時の回線の相性で良くも悪くもなる。ときどき奇妙なエコーが起こり、声が東京とラサを往復してしまう。目黒の中継スタジオでは、これらの音量や音質のバランスをすべて手動で調整していた。



skype_to_radio

インターネットラジオを聴取・配信できる「ねとらじ」のネットサービスを利用し、生放送が実現。スカイプの会議コールを使ってリスナーが生出演もした。


テレビに映った時計の秒針はカウントダウンを進め、午前0時の位置にある「春」という漢字に達した。めでたく、陽気で「赤い」瞬間だった。中国大陸のおおらかさを感じた。廊下の向こうでは、ちょっとあやしげなマッサージ店がこの瞬間も来客を待っていた。



年が明けて翌日の昼間、ポタラ宮の斜め向かいに作られた商店街を歩き、マッサージ店に入った。ベッドのシーツは湿っていてあやしげだった。壁には「売春禁止」の張り紙があった。



チベット01

チベット歴の元旦、大人も子供もジョカン寺に向かって五体投地を行う。


1年後、ロサールに暴動が起こり、再びラサは厳戒態勢に戻った。そのラサ暴動からさらに1年、天安門事件の20周年が目前となった今、中国政府は検閲に余念がない。先々月モルドバで起こった学生達の抵抗運動からも学び、TwitterとFlickr、それにいくつかの大学生向け掲示板を遮断している。



・5月下旬から実施されている掲示板のアクセス制限を報告するGlobal Advocacyの記事

China: June 4th related system maintenance

http://advocacy.globalvoicesonline.org/2009/05/27/china-june-4th-related-system-maintenance/



・天安門の記念日を前に中国で行われている情報統制を報じるBBC記事

Chinese curbs before anniversary

http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/8078538.stm



さらに現在、ウイグル自治区でもやはり強引な同化政策が進められ、この文章を書く裏でカシュガル市の旧市街が取り壊されている。「地震が起きたときに危険だから」という希薄な根拠のもと、1000年続いた歴史遺産の破壊が始まった。

・中国政府、ウイグル旧市街地の撤去強行(朝鮮日報)

http://www.chosunonline.com/news/20090528000041



中国の共産党政権は革命当初から、ともするとパラノイアに陥り、絶えず内部に裏切り者の影を見いだしては残酷な粛正を続けてきた。資本主義を導入した今日の中国では、政治的な弾圧に便乗して再開発の利権をむさぼる役人たちもいる。その中国の抑圧的な体制から生み出される安価な労働力が先進国に住む私たちの暮らしを下から支えている。私たちも、中国の当事者なのだ。中国政府に「チベットやウイグルをはじめとする少数者とは共存が可能だ」と伝える役割は、言論の自由を手にした私たちこそが担うものではないだろうか?



中国内にいる人とのコミュニケーションを可能にするツールは日々、進化している。情報は外に漏れ、また外からの情報も中に入っていく。これは先のモルドバの一件が実証している通りだ。情報のチャンネルを開き続けることに、チベット・ウイグル文化が存続するための糸口がある。そして中国政府も、ものすごい勢いで学習を続けている。



最後に、謝辞を述べたい。この動画を制作するにあたって当時の「2ちゃんねる」のログ、そしてストリーミング放送をキャプチャーしてくださった有志に先週 「i-morley」 のサイト上で呼びかけてデータを募集したところ、複数の方からデータを提供していただいた。チベットの現場で撮影していたビデオカメラだけではとらえきれなかった、音声と文字情報を復元する上で貴重なご協力をいただき、感謝の言葉を尽くせない。さらにこの場を借りて「チベトロニカ」の生放送に参加してくださったみなさんに感謝を申し上げる。



備考として「チベトロニカ」サイトでは、チベット・ウイグルで収録した音声素材をCC(著作フリー)公開している。音声を使う仕事をされている皆さまに是非ご利用いただきたい所存である。




(写真・動画・文:モーリー・ロバートソン)



【関連リンク】

モーリー・ロバートソンの『チベット・リアルタイム vol.1』

モーリー・ロバートソンの『チベット・リアルタイム vol.2』

モーリー・ロバートソンの『チベット・リアルタイム vol.3』

モーリー・ロバートソンの『チベット・リアルタイム vol.4』

モーリー・ロバートソンの『チベット・リアルタイム vol.5』

モーリー・ロバートソンの『チベット・リアルタイム vol.6』


i-morley

チベトロニカ








『風の馬』

渋谷アップリンクにて公開中



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[youtube:Di1UaDD6IUA]




『雪の下の炎』

渋谷アップリンクにて公開中



公式サイト




[youtube:aCg133XpPp4]
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『風の馬』チベット連載第11回:モーリー・ロバートソンの『チベット・リアルタイム vol.6』【動画付き】 http://www.webdice.jp/dice/detail/1588/ Tue, 19 May 2009 12:21:34 +0100
チャム(仮面舞踊)儀式でラッパを吹く担当のチベット僧たち。


成田から3度飛行機を乗り継いで青海省の西寧に到着した「チベトロニカ」チームの一行は、チベット文化圏「同仁」を訪問し、チベット人巡礼者が集まる寺院や庶民が集う露天市場で、その空気を吸収する(『チベット・リアルタイムvo.1』)。その後、漢族向けに運営される「チベット・レストラン」で異様な光景を目にし、翌日、山奥にあるダライ・ラマ14世の生家に足を踏み入れる(『チベット・リアルタイムvo.2』)。一行はラサを目指して青蔵鉄道に乗り込み、運行中の車内で携帯電話をマイクロフォンがわりにし、日本への生放送を試みる(『チベット・リアルタイムvo.3』)。そして、いよいよラサに到着。チベットの旧正月(ロサール)で賑わうバルコルや、かつてダライ・ラマ14世が住んでいたポタラ宮を訪れる(『チベット・リアルタイムvo.4』)。旅は後半に差し掛かり、作られた観光産業やプロパガンダの情報に惑わされることなく五感でチベットの現在を感じようと、ラサ郊外に足を向ける(『チベット・リアルタイムvo.5』)。

一行は舗装されていない悪路を抜けて、チベット第二の都市シガツェと、国境近くのギャンツェに向かう。この日はチベット歴の大晦日、シガツェの寺では仮面舞踊(チャム)の大がかりな儀式が執り行われていた。







[youtube:oOXeRV3F9_E]

ラサ市の端で、牛が舗装道路の真ん中を歩いていた。 トラックからはぐれてしまったのか、あるいは人が目を離した隙に逃げたのか。いずれにしろ、持ち主はいなくなっている。ここではよくあることなのかもしれない。牛の後ろから来たトラックがクラクションを鳴らすので、牛は驚いて道路の反対車線へと逃げ、今度は対向車がクラクションを鳴らすという風に混乱は野放しに拡大していく。たまたま牛が歩道沿いに逃げ込んでまた歩き出したのを見届けたが、どうなったかはわからない。



そのまま数時間かけてチベットの奥にある街、シガツェとその向こうにある国境近くのギャンツェへと向かった。



一行は大型車に乗り込み、腕の確かな地元のドライバーに身を預けた。運転技術はいいが、それだけでは高山の厳しい環境を乗り切ることはできない。道路は舗装されているとは言え、絶えず蛇行するように右へ左へと地形をなぞり、標高が上がるとその分酸素が薄まるのが心なしか感じられる。頭痛が起こり、腹痛にも見舞われるメンバーが出た。会話を続けたり「i-morley」の収録を行ったりして痛みを忘れようとするが、いたたまれずに車をしばらく止めてもらうこともあった。



外の景色は両側とも切り立った山岳地帯で、きれいな川沿いに走ったりもする。彼方に空中で凍り付いたままになっている滝が見えた。しかしその荘厳な景色を堪能する余裕は与えられず、体の中から起こる痛みに耐えてじっとするか、寝るしかなくなっていく。高度計を見ると、10メートル刻みで痛みの度合いを測るような心理に陥るので、それも見ないようにした。



高山の頭痛はバッファリンなどの頭痛薬を飲み、水分を多めに取っていると、周期的に和らぐ傾向がある。その後、また不意打ちで痛くなることもある。この中には車酔いも含まれる。あるいは運がいいと、体が継続する痛みに飽和して、ぼんやりと鈍感になる時もある。つまり、痛みそのものがだんだんと、どうでもよくなっていく。そういう鈍麻が訪れた頃に、山の中腹にある料理店で小休止をした。



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山の中腹で立ち寄った淡水魚のレストラン。魚のしっぽが壁に飾ってあった。


とても、ではなくて、すごくまずい料理店だった。あの川魚のくさみとえぐみは、一生に何度も味わえるものではないだろう。蒸した淡水魚の中にたまっていた泥のような味を今でも思い出せるほどだ。確か漢族のチベット入植者が経営していたローカル・ビジネスだったが、料理長をも兼ねる店の主人が作る蒸し魚料理は、味付けも何もあったものではなかった。コーディネイターは辺境馴れをしているので、何よりも先にお湯を要求し、そこにあった箸をまとめてコップに突っ込んだ上でお湯に浸し、しゃかしゃかと洗い、そのお湯を床にばしゃっ、という音とともに捨てた。お湯はすぐに乾いた。



モーリー05



オーガニック燃料にするため、ヤクの糞は壁に貼られて日干しにされる。


物資の流通網から離れたエリアでは今日も乾燥させたヤクの糞が燃料として使われている。匂いはあまり強くないが黒い煙がストーブから大量に出る。山の中だと室内も寒いので、この有機的な燃料にありがたみを感じた。チベットの田舎に行くと、壁一面につぶした糞の固まりが押しつけられ、日干しになっている。戦時中に諜報員としてチベットに潜入した日本人・西川一三の手記によれば、ラサの町中で家畜が落としていく糞を子供達が追いかけて拾い、換金していたということだ。



西川一三に関する「Wikipedia」エントリー

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%B7%9D%E4%B8%80%E4%B8%89



モーリー03

レストランの室内は寒く、ストーブで暖を取る。燃料は乾いたヤクの糞を使い、火にくべると真っ黒な煤が出る。


時間軸は前後するがその後、アジア全域でこうした家畜の糞を燃やす火力が用いられているため、そこから大量に発生する煤が二酸化炭素と相乗作用を起こして温暖化を促進し、ヒマラヤの氷河を溶かしているという記事を眼にした。



家畜の糞を燃やすことも温暖化に貢献するという研究発表を報じる Voice of America の英文記事(2007年8月)

http://www.voanews.com/english/archive/2007-08/2007-08-05-voa15.cfm?CFID=202758512&CFTOKEN=63726013&jsessionid=883054e362c67b8f8ffa164621252f2d40f4



AFP BBの記事(2007年12月)

http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/environment/2321657/2430305



また、2008年3月付けでJAXA(宇宙航空開発研究機構)は2007年6月に地球観測衛星「だいち」が観測した標高データと、2007年12月に「だいち」が捉えた画像を、鳥瞰図に合成した結果、氷河湖が国境のブータン側で拡大し、将来は決壊のおそれがあると発表している。

http://www.eorc.jaxa.jp/imgdata/topics/2008/tp080312.html




2008年11月には中国情報サイトの「レコード・チャイナ」にも氷河の消失は引用記事として紹介されている。
<温暖化>ヒマラヤの氷河、2035年に完全消失か―英紙

http://www.recordchina.co.jp/group/g25909.html



しかしその直後に中国科学院の専門家が「ヒマラヤ氷河2035年消失説」に反論し、「逆に寒冷化が進む可能性だってある」と主張している。

http://japanese.cri.cn/151/2008/11/18/1s129687.htm




アジア全域の村人たちが牛糞やヤクの糞を燃やしたから煤やCO2が出てそれで温暖化、というのは短絡している。中国やインドなど新興国の工業排出が主要な原因である可能性が強く、そこに工業生産を発注しているのは日本を含めた先進国なのだ。だから責任はみんなで負うものとなる。ただヒマラヤの麓に住むチベット人も入植した中国人も、温暖化にまつわる注意喚起を事前に与えられている様子はない。無頓着な雰囲気が漂っている。



チベットは政治的に、そして地理的に外の世界から遠い。隔絶された世界で、何世紀にも渡って蓄積された伝統文化はなかなか腐食されず、頑固に守り通されている。着る物がチュパからダウンジャケットや合成繊維のジャージに変わってもチベット人たちの精神構造は非常に緩慢なペースでしか変わっていかないようだ。その純朴さと保守性がチベット人の心を守り、また同時に無防備にもしている気がする。ヒマラヤの氷河が凍り続けていることと、チベットの魂が燃え続けることが一心同体に思えた。



モーリー07

チベット歴の大晦日、寺院の境内には巡礼者がごった返していた。地面に円陣を組んで座る尼僧は、コミッション制で読経してくれる。


旧正月の前日、シガツェの大きな寺でチャムという仮面舞踊の大がかりな儀式がとり行われていた。山門に巡礼者たちが内と外の両方向から押し寄せ、いっせいに通ろうとする。この押しくらまんじゅうに突っ込むことでしか寺に入ることはできない。ハンディカムを持ったまま、身動きが取れない状態で四方から人に押され、瞬く間に肺に届くほどの圧力を感じた。



子供をおぶった母親がこのスクラムの中で悲鳴を上げるのが近くで聞こえ、それを別の巡礼者がおもしろがって笑う声、怒声、興奮したチベット語、混乱に便乗して数人で押しはじめるティーネージャーたちなどで、いっきに混乱と緊張が高まる。自分の力で一カ所に立つこともできず、川の流れのようになった群衆の力にさらわれて山門に吸い込まれ、中へとはき出された。ほんの数十秒だったが、危険をくぐり抜けたばかりの感触に呆然とした。



広い境内の至る所に巡礼者の家族連れがたむろしている。人だかりの中で歌う大道芸人、無造作に棄てられた鶏の死骸、デジカメで記念撮影をする親子、壁をトイレ替わりに使う男や女。人の流れはおおむね寺院の中央へと向かっている。粉塵が舞う中、女性の多くはマスクを身につけている。



円陣を囲んで尼僧達が地面に座っていた。一定の料金を支払うと、お経を一通り唱えてくれるので、その金額を拠出して声明を収録させてもらった。これを日本に送信すれば、いずれミュージシャン達がテクノなどの音楽素材として使ってくれるかもしれないと思いながら、寒さに耐えてマイクを動かさないように握りしめた。生きた標本を殺さずに持ち帰ることができる、きわめて人道的なサンプリングだ。

お経の途中からでんでん太鼓と金剛鈴がリズミカルに鳴らされる。尼僧達のリズム・キープはいわゆるプロのものではないが、いっせいに動く身振りの素朴さに存在感と気迫が感じられる。西洋の商業音楽からはすでに無くなってしまったリアリティーだ。キリスト教会の聖歌隊のようにハーモニカや音叉で絶対的にチューニングすることはなく、リーダーとなる尼僧が最初に歌ったピッチに他のみんなが合わせ、それも適当にゆらぐという歌唱法である。1/fのゆらぎが含まれた極めてアジア的、ブラフマン(梵天)的なサウンド。だが一方で、声明の音階は日本のメロディーにも通じるように聞こえ、等間隔のリズム体は曼荼羅や宗教画の幾何学を思わせる。混沌と幾何パターンが紡ぎ合わされ、三昧境(サマーディ)をもたらす仕掛けとして聴こえた。



モーリー09

チャムを踊るパフォーマーを手前で僧たちが見守る。最高位と思われる僧侶はステージの奥で机に座り、バター茶を飲んでいた。


境内の中央に位置する石畳の舞台でチャムが繰り広げられていた。巡礼者たちは舞台の前面へと押し寄せ、地元の警察官たちがなんとか交通整理をしようとする。警官は群衆の方向を向いて興奮が沸点に届かないようにしている。外国から来た我々は、警察側の親切心で人垣をくぐり抜けさせてもらい、舞台横に上げてもらった。女性の警官は流ちょうで上品な英語を話した。



チャムの音階、そしてリズムはまったくつかみどころがない。実演する僧侶達もミュージシャンらしい雰囲気ではなく、長さ2メートルに及ぶラッパ、シンバル、チャルメラ型のリード楽器を「当番制」で演奏しているかのように聞こえる。あくまで宗教にエンベッドされた形でのみ、つまりコンテクスト(文脈)の中でのみこの音楽は存在しているかのようだ。エコシステムと不可分に冬虫夏草が生息しているようなサウンドが、ただ延々と続く。なのにチベット人たちは退屈しない。舞台の前の方から群衆の視線とバイブレーションが壇上へと押し寄せてくる。



モーリー08




死者と生者を、たぶん、意味するかぶり物をボディースーツのようにまとったパフォーマーたちがのろのろと壇上を右往左往する。白い絹の布であるカタが本堂まで延長されると、やがて忿怒形吉祥天と思われるコスチュームの演者が登場、とにかくずっと同じ感じで舞い続ける。忿怒尊は第三の眼が開いており、その顔はインド式に高貴な青色となっている。おそらく舞うこと自体が目的であり、舞のストーリー性らしきものは暗号解読ができない。舞台後方の席で舞いを見守る高僧達は小僧に茶を注がれ、お互いに私語を交わしている。



写真:チャムの演者。装飾の一つ一つに宗教的な意味合いがある。


乗りがつかめないままチャムを撮影・収録し続けた。小一時間経った頃、体内から熱が逃げ始めて、もう帰ろうということになった。群衆は相変わらずの熱気でチャムを凝視している。地元警察官の誘導で人混みをかき分けて外に出た。






(写真・動画・文:モーリー・ロバートソン)



【関連リンク】

モーリー・ロバートソンの『チベット・リアルタイム vol.1』

モーリー・ロバートソンの『チベット・リアルタイム vol.2』

モーリー・ロバートソンの『チベット・リアルタイム vol.3』

モーリー・ロバートソンの『チベット・リアルタイム vol.4』

モーリー・ロバートソンの『チベット・リアルタイム vol.5』

i-morley

チベトロニカ







“生”i-morley「チベトロニカ」特別編

モーリー・ロバートソン×池田有希子トークイベント

2009年5月23日(土) 開場18:30/開演19:00



出演:モーリー・ロバートソン氏(ラジオDJ・ポッドキャスト「i-morley」主催者)、池田有希子氏(女優)

会場:アップリンク・ファクトリー

(東京都渋谷区宇多川町37-18トツネビル1F) [googlemaps:渋谷区宇多川町37-18トツネビル1F]

イベント料金:一律 1,800円(チベット風フィンガーフード、ドリンク付き)



“生” i-morley「チベトロニカ」特別編


webDICEで連載している『チベット・リアルタイム』の映像を上映しながら、モーリー・ロバートソン氏と、「チベトロニカ」に同行した池田有希子氏のトークショー開催。まさに二人がメインパーソナリティをつとめるポッドキャスト番組「i-morley」のライブ版!当日はチベット風味のフィンガースナックとドリンク(バター茶を予定)も振舞われる。

★詳細・予約方法はコチラから

(定員に達し次第、予約受付は終了いたします)











『風の馬』

渋谷アップリンクにて公開中



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[youtube:Di1UaDD6IUA]




『雪の下の炎』

渋谷アップリンクにて公開中



公式サイト




[youtube:aCg133XpPp4]
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『風の馬』チベット連載第10回:モーリー・ロバートソンの『チベット・リアルタイム vol.5』【動画付き】 http://www.webdice.jp/dice/detail/1564/ Thu, 14 May 2009 11:35:23 +0100
山の中腹の村に帰るところだった少年たち。すごくいい目をしている。遊び道具として木の枝を振り回していた。


成田から3度飛行機を乗り継いで青海省の西寧に到着した一行は、チベット文化圏「同仁」を訪問。チベット人巡礼者が集まる寺院や庶民が集う露天市場で、その空気を吸収する(『チベット・リアルタイムvo.1』)。その後、漢族向けに運営される「チベット・レストラン」で異様な光景を目にし、翌日、山奥にあるダライ・ラマ14世の生家に足を踏み入れる(『チベット・リアルタイムvo.2』)。一行はラサを目指して青蔵鉄道に乗り込み、運行中の車内で携帯電話をマイクロフォンがわりにし、日本への生放送を試みた(『チベット・リアルタイムvo.3』)。そして、いよいよラサに到着。チベットの旧正月(ロサール)で賑わうバルコルや、かつてダライ・ラマ14世が住んでいたポタラ宮を訪れる(『チベット・リアルタイムvo.4』)。

「チベトロニカ」の旅は後半に差し掛かり、作られた観光産業やプロパガンダの情報に惑わされることなく、5感でチベットの現在を感じようと、ラサ郊外に足を向けて見たもの感じたことを日本に実況する。







[youtube:8Zmp_jTK3os]

かつて1998年の5月に、ぼくはさいとう・たかを作の『ゴルゴ13』シリーズをいっきに読み切り、世界を旅することへの強い欲求をかき立てられた。その1ヶ月後、夢を叶えるべく中国を列車で初めて横断し、中央アジアのカザフスタンにまで行った。しかしその旅はNHK「シルクロード」を追体験するような枠組みからはみ出せなかった。日本の旅行会社を通して手配した現地の中国人ガイドたちがそれを許さなかったためだ。来る日も来る日もシルクロードゆかりの遺跡に案内され、中国人向けに作られた観光スポットでひたすら土産物屋や絨毯を売りつけられたことぐらいしか記憶に残らない旅だった。『ゴルゴ13』の世界はそこにはなく、日本人慣れしてしまった観光産業には歯が立たない。濃厚だが模造品のような世界をひたすらくぐり抜けた6週間だった。



それから9年間、最初の旅のフェイクさの裏に何があったのかをとにかく本や資料、インターネットで調べ続け、中国内陸の旅をなんとか一人でできる程度の土地勘をも徐々に養った。この拉薩(ラサ)入りはそうした堆積層の上に計画的に行われたものだった。初めて入境したチベットで、とにかく五感を通してプロパガンダの向こうに触れようという決意があった。したがって今回は「実感優先主義」とし、チベットについて知識や雑学のカタログを作り上げるようなプロセスはあえて通らないことを選んだ。



実体験が無いまま、日本の受験勉強で教わった中国史を起点に「悠久の中華民族」を図式のようにとらえたくなるという誘惑は強いものだ。すべてを漫画「三国志」と日本の戦国武将を掛け合わせたような抽象化の序列にはめこみ、「黄河文明」「殷墟」「万里の長城」「律令制度」「社会主義と資本主義」「毛沢東と文化大革命」「トウ小平と4つの近代化」といったような一種の塗り絵で、目の前にある世界を覆い隠すことができてしまう。その思考法をさらにチベットにまで拡張すると「顕教と密教」「チベット仏教4大学派」「死者の書」「日本の仏教との共通点」といった、小ぎれいな知識の断片をおはじきのように並べて楽しむ、という「箱庭思考」に陥りやすい。そんなおとぎ話で自分をあらかじめ洗脳してしまうと、現地のプロフェッショナルなガイドさんの餌食になる。それはガイドさんの言い値で散在するだけの観光者だ。悠久のロマンを求めて青蔵鉄道で上ってくる外国人ほどちょろい相手はいないだろう。また、「チベット問題を語る前に日本がやったことをきちんと謝らないといけない」といった妙な理論のループにもはまってしまう。思考プロセスの高山病かもしれない。



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写真:ロサールの直前になると、中国政府はきまってチベット人たちに向けて気前よくテレビを提供するそうだ。中国の正月特番は日本の特番を一桁上回る予算と人員で作られているので、中国の偉大さを宣伝するうってつけの手段となる。また、箱だけでも転売価値があるらしく、老婆達はテレビの空箱を担いで道路を歩いていた。


チベットに行って結局、「東洋思考と西洋思考が出会った場所におれは立った」といったような恥ずかしい発言だけは、けしてしたくないと思っていた。 観光産業も中国政府のプロパガンダも数々の旅行記も情報としてなるべく遮断し、現在を感じることが今回の目標だった。チベット人は何を感じているのか、過去とどう連結し、どう断ち切られてしまっているのか、これから存続することは可能なのか、共産主義から仮に何かの拍子に解放されたところで東ドイツのように経済が陥没した状態で無防備になってしまうのか、スターバックスはお湯の沸点が低いラサへと、圧力釜を使ってでも進出してくるのだろうか?





とにかく具体的な疑問を思いつくままにぶつけていった。また、現地のチベット人たちと会話することが危険な場合には直感を頼りに通じ合うことを心がけ、その日々の葛藤を実時間の中で、実はマイクロフォンとして作動している携帯電話から日本へと実況し続けた。チームワークを通して中国人側に察知されないように取材を進めるうち、『ゴルゴ13』よりもさらに味わい深い世界が五感の末端から体に流れ込んできた。




観光地にもなっている寺院や伝統建築に使われている原色は、絵はがき用に塗られたものではなく、伝統的に原色が使われている。日本風のわびやさび、といった陰影やシェーディングはまったく考慮された痕跡がない。もちろん内面世界では微細に密教が構築されているのだろうが、とにかく目に飛び込んでくる色やデザインは強烈の一言に尽きる。紫外線が強く、水分が少なく、細かい埃、つまり微塵が常時空中を舞っているこの土地だからこそ打ち出された色合いだろう。



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山寺から空を見上げたところ。日本のいささか抽象的な寺院建築とはほど遠く、具象された動物やオブジェが目の前で物語をつむいでいる。色彩感覚も原色でどぎついものが多い。


ラサの郊外を1時間ほど行ったところに、くねくねと蛇行する舗装道路と並行して川が流れている。あるポイントには素朴な造りの金属でできた橋が川に架けてある。中国政府に認められる業績を残したチベット人の女性歌手が架けた橋だと聞いた。その歌手はいったい何を思い、どんな歌を歌っていたのかをチームで話し合った。



次第に険しくなる坂道を運転する途中、山を駆け下りながら道路を横切っていく三人の男の子に出会った。外国人をほとんど見たことがないような素振りだった。拾った木の枝を遊び道具にしながら、鼻水を流して走り回る、昭和の後期に絶滅した日本の子供だった。本当の「B-Boy」という存在は、この子たちを言うのかもしれない。



あまりの強い紫外線に一眼レフの計器類も振れきってしまい、カメラマンは勘に頼るしかなくなった。川はある地点から凍って、汚れた氷柱(つらら)のようになっている。舗装道路が終わる地点に砂利を敷いた駐車場があり、どう猛な黒い大型犬、チベット・マスチフが鎖を引っ張ってこちらに吠え続ける。マスチフからゆっくりと遠ざかりながら、尼寺へと向かう山道を徒歩で上がりはじめた。鹿やウサギが糞を残し、人気があまりない、砂だらけの道を1時間上り詰めた。そこいら中に大小の石や岩が道から斜めに突き出ていて、印象に残る形をした岩にはチベット語で経文がペンキ塗りされている。



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尼寺は素朴な伝統建築となっているので、階段の傾斜は急だ。みんなバランス感覚が、とてもいい。



酸欠状態ではゆっくりとしか上れない。同行の池田有希子氏と二人だけ取り残されたので、ICレコーダーを取り出し、監視がいないことを確認した上で本音をぶちまけ合った。「なんでダライ・ラマの名前も言っちゃいけないんだ?」「チベットが独立したところで中国には何の損もないじゃないか?」「チベット人をすりつぶして中国人に吸収しても意味がない。もう中国人の人口も多すぎる!」「ネットがあるのはうれしいけど、中国のファミリーマートみたいなのは、ここにはいらない!」と空にこだまするような声で言い合った。しゃべっているとひんぱんに息がとぎれるので、立ちすくんで休憩を取ってはまた歩くという繰り返しだった。池田さんは寒い中でも持ちこたえるバッテリーを内蔵したデジタル一眼レフで撮影を続けた。



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山寺から空を見上げた光景。デジタル一眼レフで撮影した映像なので自動補正されているが、実際の空はもっときつめの青色だ。


山の中腹に尼寺があった。小型の羊の群れが丘をのろのろと上下する。尼寺には大型のストゥーパ(仏塔)がもうけられ、山の麓からかろうじて電線が一本引かれているようなインフラに支えられ、尼達は洗い物や寺の修復などの雑用に黙々とたずさわっていた。石畳の踊り場では、チベット犬の母親が子犬におっぱいをあげている。人間に慣れた山羊がのろのろと横を通っていく。寺から離れた山肌沿いに尼達の寄宿舎が見えた。空は群青を通り越して何とも形容しがたい青さで晴れている。つまり、雨雲がない青さだ。




この寺には活仏であるグル・リンポチェが住まわっており、高齢の男性である活仏以外は全員が尼僧だと聞いた。グル・リンポチェは日向ぼっこをしていたので、その場で謁見をいただいた。チベット式の礼をガイドに教わり、にわか仕込みのあいさつを行った。土埃に汚れたダウンジャケットをまとったグル・リンポチェは相当なお年であるため、はしご式の急な傾斜の階段を上るときには尼僧に脇を支えられる。活仏の隣には近くから来たおじさんがあぐら座に座り込み、ロサールで使う植物の茎を刃物で研いでいる。おじさんの帽子をよく見ると、ナイキのコピーだった。後にグル・リンポチェに招き入れられ、尼寺の台所でバター茶とツァンパの食事をふるまわれた。





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尼寺の壁面に描かれていた結合仏。釈尊の父母を描いたものらしい。周囲には他の神々や菩薩同士が結合した姿も描かれていた。


尼寺の屋内は素朴で荒削りな建築様式になっていた。木造の壁は暗い色に塗られ、光沢を放っている。清楚な気配が漂う。物音も、ほとんどない。だが礼拝所の壁面には最近描かれたと思われる種々の結合仏、つまり男女のまじわりが原色で大きく描かれていた。尼達の信仰の対象は釈迦を身ごもった瞬間やさまざまな神秘的な存在同士の性交へと向けられているようだ。仏像や宗教オブジェのおびただしさの中に何ら矛盾することなく、性の営みが連続しているという解釈の方が正しいかもしれない。キリスト教もイスラム教もけして受け付けることのできないタントリックな性がイメージへと凝縮され、そのパワーを尼達の禁欲修行がひたすら増幅させているのである。池田さんはこの場の力強さに感極まって涙を流し、「できることならここに住みたい」と漏らした。







台所でグル・リンポチェに見守られながら、一行はバター茶を飲んだ。尼達が大型の器で茶をかき回し、水蒸気が座っているところまで届くので、乾いた中ではありがたかった。グル・リンポチェは唸るようにしゃべり、独り言もかなり言う。尼達はその言葉を聞き取って、来客に復唱する。池田さんは高齢の尼さんが少女のように恋する表情でグル・リンポチェにお茶を差し出すのを見た、と言った。



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バター茶を作ってくれた山寺の尼僧。台所の壁にも宗教が描かれている。尼達の静かな生活は100パーセント密教にひたされたものだ。


下山する途中で、ものすごく頭が痛くなった。とうとう高山病のマイルド版に冒されたのだ。帰りの車の中、とにかく水を飲み、持ってきたお菓子をことごとく食べ続け、頭痛を忘れようとつとめた。そのままホテルの部屋で寝ついて、深夜まで動かないようにした。だが頭痛が少し引いたタイミングでホテルのマッサージを呼んで即席の足裏治療を行い、その後にLANから目黒のスカイプ中継基地に接続、ラジオ放送を再開した。





(写真・動画・文:モーリー・ロバートソン)



【関連リンク】

モーリー・ロバートソンの『チベット・リアルタイム vol.1』

モーリー・ロバートソンの『チベット・リアルタイム vol.2』

モーリー・ロバートソンの『チベット・リアルタイム vol.3』

モーリー・ロバートソンの『チベット・リアルタイム vol.4』

i-morley

チベトロニカ







“生”i-morley「チベトロニカ」特別編

モーリー・ロバートソン×池田有希子トークイベント

2009年5月23日(土) 開場18:30/開演19:00



出演:モーリー・ロバートソン氏(ラジオDJ・ポッドキャスト「i-morley」主催者)、池田有希子氏(女優)

会場:アップリンク・ファクトリー

(東京都渋谷区宇多川町37-18トツネビル1F) [googlemaps:渋谷区宇多川町37-18トツネビル1F]

イベント料金:一律 1,800円(チベット風フィンガーフード、ドリンク付き)



“生” i-morley「チベトロニカ」特別編


webDICEで連載している『チベット・リアルタイム』の映像を上映しながら、モーリー・ロバートソン氏と、「チベトロニカ」に同行した池田有希子氏のトークショー開催。まさに二人がメインパーソナリティをつとめるポッドキャスト番組「i-morley」のライブ版!当日はチベット風味のフィンガースナックとドリンク(バター茶を予定)も振舞われる。

※混雑が予想されますので必ずご予約ください。

★詳細・予約方法はコチラから











『風の馬』

渋谷アップリンクにて公開中



【5月16日(土)トークイベント開催】

ゲスト:岩佐寿弥(「モゥモ チェンガ」監督)

     望月沙織(アムネスティ・インターナショナル日本 チベットチーム コーディネーター)

★詳細・予約方法はコチラから



公式サイト



[youtube:Di1UaDD6IUA]




『雪の下の炎』

渋谷アップリンクにて公開中



公式サイト




[youtube:aCg133XpPp4]
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『風の馬』チベット連載第9回:モーリー・ロバートソンの『チベット・リアルタイム vol.4』【動画付き】 http://www.webdice.jp/dice/detail/1525/ Mon, 27 Apr 2009 18:24:42 +0100
拉薩(ラサ)で五体投地する子供たち


2007年2月、モーリー・ロバートソン氏らは、チベットのラサ等を訪れ直接触れて実感したことを映像・音声等でレポートする企画「チベトロニカ」に挑戦した。当時撮影した未発表の映像をwebDICE限定で配信する。

成田から3度飛行機を乗り継いで青海省の西寧に到着した一行は、チベット文化圏「同仁」を訪問。チベット人巡礼者が集まる寺院や庶民が集う露天市場で、その空気を吸収する(『チベット・リアルタイムvo.1』)。その後、漢族向けに運営される「チベット・レストラン」で異様な光景を目にし、翌日、山奥にあるダライ・ラマ14世の生家に足を踏み入れる(『チベット・リアルタイムvo.2』)。一行はラサを目指して青蔵鉄道に乗り込み、運行中の車内で携帯電話をマイクロフォンがわりにし、日本への生放送を試みた(『チベット・リアルタイムvo.3』)。

そして、いよいよラサに到着。チベットの旧正月(ロサール)で賑わうバルコルや、かつてダライ・ラマ14世も住んでいたポタラ宮を訪れる。






[youtube:broSGUP4Kew]

拉薩(ラサ)に着いてすぐの感動をネットで深夜まで生中継し、あまり睡眠も取らないまま早めに起床、朝食の後すぐに、旧市街の中心部にある大昭寺(ジョカン寺)へと向かった。旧正月(ロサール)前のこの日、紫外線の強い快晴の空の下、民族衣装からハードロック風のTシャツまで、色とりどりの服装をまとった巡礼者たちが集まり、一心に五体投地を行っていた。



水分が少ない空気中には埃や砂塵が絶えず待っている。きびしい環境をものともせず、巡礼者は全身を使ってくりかえし地面にひれ伏す。そのたびに、衣服がかすれる音が方々から聞こえる。衣服の汚れ方もまた、激しい。顔からダウンジャケットまで真っ黒になった巡礼者の一家もいた。水不足とは言え、とにかく洗った形跡がない。五体投地で地方から道路沿いに拉薩までやってくる者もいるという。一生に10万回単位でこの修行を行うという話だ。



幼い子供も親兄弟の見よう見まねで祈る。額を地面にこすり続けるうちに皮膚が堅い疣(いぼ)になって盛り上がった男もいた。この信仰に対する決意はもはや近代社会の意識で語れる領域にはない。迷信に縛られているのではなく、むしろ近代文明を超えた技能がそこにある。チベット密教を一人一人のチベット人が身をもって支え、存続させているのだ。この理不尽なまでのパワーを中国政府は恐れている。



ジョカン寺前のバルコルと呼ばれる広場には正月の爆竹の音が時々鳴り響き、観光客用の風船やマニ車の形をした携帯ストラップなどの土産物、それにナイキ(NIKE)のコピー商品であるネイク(NAKI)のスポーツバッグも売られていた。店の看板は中国語とチベット語の二重表記となっている。ただし、寺を離れて新市街を歩くと圧倒的に漢語表記が目立つ。チベット語の淘汰はまちがいなく進んでいる。



チベトロニカ01

ラサのバルコルを歩く巡礼者


チベトロニカ03


バルコルには訪問客を当てにしたストリート・チルドレンがたくさんいる。少女の二人組になつかれ、デジカメで写真を撮って見せてあげた。はしゃぎ、じゃれ合いながら、二人は寺の周りを一回り、ついて歩いてきた。この娘たちを学校に行かせたり、まっとうな育ての親に巡り会わせる方法はないものか?などと瞬時に考えようとする。が、喧噪と混乱、埃と紫外線、大人の物乞い、押し合いへし合い、そして酸欠の中ではその感受性も大波にさらわれてしまう。



写真:物乞いの親子


バルコルを一週した後、チベット人しか入らないという茶屋を訪れた。バター茶を飲む場所だ。見たところチベット人の客しかいない。店の外の路面で男達がせっせと白昼のサイコロ賭博にいそしんでいた。日本の闇市の時代にさかのぼったようなのどかさと自然さで、かけ声と共にサイコロが振られる。茶屋の中をストリート・ミュージシャンの少女や赤子を背負った男性の物乞いが徘徊し、外国人の我々の前に立っていろいろな芸を行う。お手製の弦楽器を抱えて歌う少女をとっさに撮影できたのはデジカメのみだった。しかし歌声はICレコーダーでキャプチャーに成功。この夜、すぐに少女の写真と歌声のmp3ファイルを日本に向けてネットに公開した。






英語が比較的流ちょうに話せるチベット人に声をかけられ、あくまで英語を通じてチベットの実情について言葉を交わした。深刻な内容へと徐々に話題を持って行くとき、インタビューの心得として怪訝な表情をなるべく作らないようにつとめ、相手が言いたい範囲でしか話を引き出さないようにする。こういった取材の方法だと、おそらく新聞・テレビの報道番組で扱ってもらえるような決定的な証言は得られない。しかし最終的には収録できる音や映像よりも、トータルに感じとることの方が大事だ。茶屋の席に座って味わった、ちょっとした緊張感とチベット社会ののどかさが同居した絶妙なバランスは、その後忘れられない。



チベトロニカ02

ロサールで賑わうジョカン寺前、右手にはポタラ宮が見える



観光名所として運営されているポタラ宮にも入った。酸欠状態できつい階段を登るが、最上階への距離は果てしない。白人女性の観光客が正門に至る前の階段ですでに座り込んでいた。こういう時に勢い勇むと、途端に高山病にかかってしまうので注意が必要だ。ポタラ宮の内部は地方官僚の事務所のようになっていて、どちらかというと仏教文化を紹介する博物館。生きたチベット密教の気配は、とくに感じない。観光収入を当て込んださまざまな仕掛け、随所の撮影禁止と天井の角に設置された監視カメラ。要するに普通の中国の観光地である。



そしてポタラから下を見下ろすと、拉薩の旧市街とはおよそかけ離れた近代的な広場があった。言わば天安門広場のミニチュアだ。1年後、ここに騒乱が発生することになる。だが、この日の群青の空はどこまでも広く、2月の寒空の下、退屈にも似た静けさばかりが拉薩を覆っていた。




(文:モーリー・ロバートソン)



【関連リンク】

モーリー・ロバートソンの『チベット・リアルタイム vol.1』

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チベトロニカ







“生”i-morley「チベトロニカ」特別編

モーリー・ロバートソン×池田有希子トークイベント

2009年5月23日(土) 開場18:30/開演19:00



出演:モーリー・ロバートソン氏(ラジオDJ・ポッドキャスト「i-morley」主催者)、池田有希子氏(女優)

会場:アップリンク・ファクトリー

(東京都渋谷区宇多川町37-18トツネビル1F) [googlemaps:渋谷区宇多川町37-18トツネビル1F]

イベント料金:一律 1,800円(チベット風フィンガーフード、ドリンク付き)



“生” i-morley「チベトロニカ」特別編


webDICEで連載している『チベット・リアルタイム』の映像を上映しながら、モーリー・ロバートソン氏と、「チベトロニカ」に同行した池田有希子氏のトークショー開催。まさに二人がメインパーソナリティをつとめるポッドキャスト番組「i-morley」のライブ版!当日はチベット風味のフィンガースナックとドリンク(バター茶を予定)も振舞われる。

※混雑が予想されますので必ずご予約ください。

★詳細・予約方法はコチラから











『風の馬』

渋谷アップリンクにて公開中



公開記念トークイベント開催


・5月2日(土) 石濱裕美子(早稲田大学 教育・総合科学学術院 教授)

・5月3日(日) 下田昌克(絵描き)×謝孝浩(作家)

・5月10日(日) 西蔵ツワン(武蔵台病院 院長)×有本香氏(作家・会社経営)

※イベント詳細・予約についてはコチラから

公式サイト



[youtube:Di1UaDD6IUA]




『雪の下の炎』

渋谷アップリンクにて公開中



公開記念トークイベント開催


・4/30(木)  川辺ゆか×Reelha(チベット音楽演奏会開催)

・5/1(金)  キム・スンヨン(「チベットチベット」監督×田崎國彦氏(東洋大学 客員研究員)

・5/10(日)  テンジン・ドルジェ(SFT本部事務次長)

※イベント詳細・予約についてはコチラから

公式サイト




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「チベットの人まで口をつぐんでしまったら外の人は何にも分からない」 モーリー・ロバートソン×福島香織『風の馬』公開記念トークイベント http://www.webdice.jp/dice/detail/1503/ Tue, 21 Apr 2009 16:21:59 +0100
モーリー・ロバートソン氏(左)、福島香織さん


自由を奪われたチベットが被る現実を1998年に撮影してから、各国の映画祭にて賞賛を受けてきた映画『風の馬』が現在アップリンクにて公開されている。4月12日(日)にはゲストにラジオDJのモーリー・ロバートソンさんと産経新聞記者の福島香織さんを迎え、公開記念トークショーが開催された。






盗聴している人に注意された!?



モーリー・ロバートソン(以下、ロバートソン):僕は2年前の旧正月ごろにチベットのラサに女優の池田有希子さんと数名のスタッフで訪れ、「チベトロニカ」という現地からインターネットを使って生放送を試みるというかなり無謀なプロジェクトをやりました。当初は駄目もとで、最初の3日間で何をやっているかが中国当局にばれて退去させられるであろうことを計算していたのですが、昨年のチベット騒乱という嵐の前の「凪」という状態なのか、検閲もまったく無くて拍子抜けしたということがありました。最後には「ダライ・ラマ」と言ってみるテストまで行ってみましたよ(笑)。それから、チベットに深く興味を持っています。



福島香織(以下、福島):去年の9月の半ばまで北京にある中国総局で特派員の記者をしていまして、2007年夏に外務省のプレスツアーで一度チベットを訪れて取材したことがあります。現地のチベット人が「ダライ・ラマに帰ってきて欲しい」と本当は思いながらも、言葉に出して言えないという状況を目の当たりにして、チベットに興味を持ち始めました。



モーリー・ロバートソン


ロバートソン:昨年のラサでの騒乱が報道された時期に、現地に残っていた日本人のある方にスカイプを使って携帯電話でのインタビューをし、中国軍の様子や報道の信憑性などについて話していたら、突然プツっと切れてしまったことがあったんですよ。その時は海外から入ってくるすべての携帯電話を誰かが盗聴していたんじゃないかって思ったのですが。



写真:チベットでスカイプを使うモーリー・ロバートソン氏


福島:電話の盗聴というのは、私達のような仕事に対しては基本的に24時間行われています。音声の響き具合からもそれって分かるのですが、「そんな下らないことを話すな!」と罵声を浴びせられてから切れることもありました。向こうにとっては心理的圧力をかけるために「盗聴しているぞ」と知らせる必要もあるみたいです。



ロバートソン:盗聴している人に注意されたの!?






福島:そうですよ。騒乱の時もラサは厳しく取り締まられていたので、その携帯を使ったインタビューが出来ただけでもすごいことだと思います。



ロバートソン:21世紀に入ってさまざまな非対称という言葉が出てきましたよね。取材対象としてチベットというのはその非対称だと思うんですよ。こちらからは取材できないのに、中国側は美辞麗句を流し放題。日本や欧米のジャーナリズムの基準を元に透明な取材を求めるといっても、内政干渉はさせないと撥ね退けられてしまう。記事にしたければ中国政府が発信するニュースを素材として取ってくるしかないという状況なのでしょうか?



福島:やはり新聞としては、当局が公式発表を出した情報を事実であると報道しますが、その内容がチベット人から聞いた話と食い違っている場合でも、どちらが本当であるかの判断まではなかなかつけられないですね。本当は私達を中に入れて監視をつけずに取材させてほしいと思うのですが、絶対にさせてくれないですから。その公式発表は疑わしいと、思わざるを得ない状況ではあります。



風の馬


ロバートソン:非常にプロフェッショナリズムを感じる情報誘導が中国の当局になされている中で、日本の新聞記者というのはアメリカやヨーロッパの記者に比べて心理戦にのりやすいと思われますか?



福島:恐らく、欧米の記者よりはのりやすいと思いますよ。というのは、やはり中国側の態度が明らかに違うんですよね。ロイターやCNNの記者に言わないような「あれを取材するな、これはおかしい」といった無体なことを日本の記者には言ってくる。



ロバートソン:日本人専用ルールがあるの?



福島:ありますね。パスポートの名前をチェックされたり警察に追いかえされたり、現場に行ったら飛行場まで連れて行かれてしまってさようならとか。



ロバートソン:チケット代はその記者持ち(笑)?



福島:話を聞くとそうみたいですよ。日本人も妨害があって当たり前だと思っているんです。ところが、欧米の記者たちはそんな事があった時にはものすごく怒ったり、時には突破しちゃうこともある。日本の記者もみんな真実を書きたいと思って取材しているのが当然だと思うのですが、「どういう圧力が掛かるか」などといったことを計算するんですよね。







事実の検証や吟味をするのは実際にものすごく難しい




福島:知り合いのフリーランスの方でカメラ片手に現地へ向かう人たちがいます。何か大きな事件が発生した時、日本やイギリスなどの外国メディアのカメラの台数が足りない時に彼らは助人をするわけですよ。その方たちから聞いた話ですが、例えばカメラを取り上げられて暴行を受けるとか銃を向けられるといった酷い事が現場であったのに、上層部にもみ消されたということがあるみたいです。



ロバートソン:でも実際はスクープとして撮るわけじゃない。その雇っている会社の上層部に潰されるの?



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福島:やはりテレビ局のトップの判断としては報道しないんですね。現場が危険な目にあって「これは問題です」と言っても、社員じゃないわけですからそこで切ってしまうんですよ。もし当局の横暴やトラブルを報道したら国際問題や外交問題になるかもしれないし、会社がそれを背負うことを嫌がる傾向があるのは確かです。私はそういった事の当事者になったことがないので、詳しくは話せませんが。



ロバートソン:でも、国際問題になってくれたほうがスクープにもなるし、押さえたぞって言う事は自分の所属している国と中国政府の関係なども飛び越える程に視聴者は見たいはず。そういった価値観があると少なくとも僕は幻想を持っているのですが。どうなんだろう?



福島:逆に言うと、アメリカの新聞やテレビ局の現地記者はそれで逮捕されるわけですよ。問題になった時には会社が全面的に出てきて、外国人ならすぐに釈放されたり、もし外交問題になってもお給料や条件がしっかりしていたりということがあると思うのですが。その会社の資金力にも関わるかなとは思います。






ロバートソン:それともう一つ、まさにお金に絡んでくるのですが、日中友好であればあるほどお互いにおいしい思いができると考える人もたくさんいるわけですよね。つまり日中の政府だけではなく、日本側でテレビ番組や新聞の紙面に出稿しているスポンサーです。政治家やスポンサーの都合もあらかじめ考えて、取材する側が自主規制をかけているということはありますか?



福島:私が分かるのは現地で記者が何を思いながら取材しているかという事です。でも何かあった時の責任の重さを引き受ける覚悟が、私はアメリカの新聞社と日本の新聞社ではちょっと違うのかもしれないなと思いますね。



ロバートソン:日本の大手マスコミの体質については、漠然としたお話の方が話しやすいんじゃないかとは思うのですが(笑)。



福島:あんまりいい加減なこと言えませんからね。



ロバートソン:ごめんなさい(笑)。報道の過熱な現場とは離れたところで我々はニュースを受け取る側にあるわけです。僕の主観的な印象も入っているのですが、昨年5月の胡錦濤主席が日本を訪問した前後や8月の北京五輪を迎えた際に、メディアが日中友好のお膳立てをしようと態度を変えていったような気がするんですね。「チベット問題はどうなっているんですか」とすぐに突っ込むようなメディアは見当たらず、どこか客観視して傍観している感じがしました。



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福島:出来るだけ本当のことを報じようとすれば取材にも限界があるので、権威があるところが発表した情報を取りますよね。そうすると責任の所在は出所にありますし。その手元にある素材で調理して報道したり記事を作ったりしているわけで、それを差し置いて情報封鎖されているチベットの状況などはなかなか報道できないんですよ。



ロバートソン:中国がその情報を発表したんだという事自体は間違いない、ということですよね。その内容の検証や吟味はせずに、そこで責任が終わってしまうんですか?



福島:事実の検証や吟味をするのは、実際にものすごく難しいことです。



ロバートソン:先ほどの話と繋がりますね。



福島:ええ。現地で「聞きました、話しました、見ました」というのは一つのフィルターがかかっていても事実として自信を持って報道できます。でも実際は「分からない、誰も入れない、取材させてくれた人も後になって恐怖から発表しないでくれと言う」といったことがある。チベットの方々まで口をつぐんでしまったら外の人は何にも分かりません。






ロバートソン:真実が届くためには、この記事はどうなのかと検証する人たちがもう一段階いてもいい気がするんですけどね。メディアを性悪説でとらえるなら、上手に責任逃れするために、記者は厳格なジャーナリズムの基本で間違いのない記事を要求し、報道する時は当たり障りのない内容をポロっと流していることが疑われます。検証をやったほうが本当は読者の利益になるってわかっているけれども、読者も気づいていないしそんな面倒くさいことをやっても中国政府から文句が来る。だから日本側でメディアはうまく使い分けて、ひたすら利権を増幅している、と。



福島:どうなんでしょうね。でもやはり現場にいる人も、何かが起こった時に強みである支局が欲しいとはみんな思うんですよね。本当の現実を報道すべき時に備えて、まずは相手の意に沿った報道をしても構わないかもしれないとも思う。



ロバートソン:政府が倒れた瞬間に、「今までの報道は嘘でしたって!言わされていただけなんです(笑)!」



福島:いやいや(笑)。「こういう新事実が分かりましたよ」という位に。私はあくまで一記者なので実際に会社がどこまで考えているかというのはなかなか分からないですけども、相手が強大な権力を持つ場合にはまず中に入れてもらえないと。そこから始めますね。



ロバートソン:大人のね。



福島:そう、大人の対応(笑)。





眺めている人が気づかない内に誘導をされていると感じる



ロバートソン:タレントがよくやる一日消防所長みたいな感じで、一日産経デスクとかやってみたいなって思うんです。記事に厳密な発表をたくさん並べる一方で、たとえばmixiユーザーのプリンちゃんにその記事について聞いたら「ものすごく怒って違うと言っていた」みたいな記事を出したい(笑)。



風の馬


福島:面白いと思う。ロイターや新華社の情報は平気で使うんですけど、ラジオ・フリー・アジアやボイス・オブ・アメリカのような独立系メディアの情報では書けないんですよ。出元や書いている人の身元の確証が取れないということもあるのですが、ところがどう考えたってそっちの情報の方が早い。電話で取材するだとか、私たちが出来ないことをやっていることが分かったとき、私はそれらの情報を使って記事を書いたんですけどね。また、アメリカのあるネットニュースが胡錦濤政権に変わる時の人事をすっぱ抜いたことがありました。どう考えたって内部の人が書いたとしか思えない記事がいくつかあって、聞いた話ですけど、中国で自由に報道できないことに不満を持つ内部の人が、鬱憤を晴らすかのように匿名で原稿を書いて流していたりするみたいですね。



ロバートソン:それでも結局操作されない情報というのはきわめて難しい状況にあるので、現実として身近に入ってくるニュースは「オリンピック万歳!」といったバラエティ的なもの。一人の芸能人が「チベットを忘れないで下さい…」とすら言えない。オリンピックが近づくにつれて日中友好万歳ムードや選手のプレーにフォーカスするほうにいってしまう。



福島:オリンピックを政治的な目的に使わないという建前もありますからね。






ロバートソン:中国はチベットに対して、聖火リレーの妨害などでオリンピックに政治を持ち込んできたと言いますね。この非常にしたたかとも思える上手な情報誘導というかチューニングがされている中で、去年の夏、新しい動きが起きたような気がするんです。多くの人たちが「テレビや新聞から出ている情報というのはどうも偏っているように思えて仕方が無い、本当はどうなっているんだろう、ここにこんなYouTubeの動画がありますよ」と、ものすごい速さで情報を共有するという動きがあったように思うんです。それは始まったばかりなので完璧ではなかったのですが、市民による大規模な抵抗というと仰々しいけれど、情報戦における市民の抵抗があったように感じました。



福島:私はアナログな人間ですが、インターネットというのは見る分には知識がなくても見られます。中国でも私がいた6年半で明らかにネットの中で言論の自由が広がってきました。しかし同時に、ネットに対する当局の統制のやり方も目に見えて洗練されてきており、眺めている人が気づかない内に誘導をされているなと感じることもありました。ですからネットの中で庶民の抵抗や戦いがあるんだとしたら、それは厳しい闘いではないでしょうか。



ロバートソン:情報工作をされているということですね。



福島:当局もネット戦略を情報工作として位置づけていますから、成功例というのがいくつかあるわけです。チベットの問題とかもうまい具合に中国人の愛国心へと切り替えてしまった。最初はちょっとした工作だったのかもしれませんが、なだれ的に広がっていったんですね。いつの間にか問題の本質というのは何なのか分からなくなってしまった。



ロバートソン:中国の一般の熱くなってしまう人々がのってしまったと。ではセカンドオピニオンが中国側の中にいないわけだから、そうするとセカンドオピニオンを持ちうる我々のほうに、情報に対するしっかりした解読力、つまりリテラシーを持つ責任みたいなものはあるのでしょうか?



福島:あるかもしれないですよね。でもこれも私たちが本当にセカンドオピニオンを持ちうるほどの情報を持っているかというと、向こうの地は遮断されているわけですから。ダライ・ラマがこう発表しましたというのは知ることができるかもしれませんが、情報量は圧倒的に北京発のほうが多いわけです。セカンドオピニオンを持てるだけの情報を揃えられるかが要となるのかもしれないですね。






“生”i-morley「チベトロニカ」特別編

2009年5月23日(土) 開場18:30/開演19:00



出演:モーリー・ロバートソン氏(ラジオDJ・ポッドキャスト「i-morley」主催者)、池田有希子氏(女優)

会場:アップリンク・ファクトリー

(東京都渋谷区宇多川町37-18トツネビル1F) [googlemaps:渋谷区宇多川町37-18トツネビル1F]

イベント料金:一律 1,800円(チベット風フィンガーフード、ドリンク付き)

★詳細・予約方法はコチラから






『風の馬』

渋谷アップリンクにて公開中



公開記念トークイベント開催


・5月2日(土) 石濱裕美子(早稲田大学 教育・総合科学学術院 教授)

・5月3日(日) 下田昌克(絵描き)×謝孝浩(作家)

・5月10日(日) 西蔵ツワン(武蔵台病院 院長)×有本香氏(作家・会社経営)

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『雪の下の炎』

渋谷アップリンクにて公開中



公開記念トークイベント開催


・4/30(木)  川辺ゆか×Reelha(チベット音楽演奏会開催)

・5/1(金)  キム・スンヨン(「チベットチベット」監督)

・5/10(日)  テンジン・ドルジェ(SFT本部事務次長)

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[youtube:aCg133XpPp4]
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モーリー・ロバートソンの『チベット・リアルタイム ~番外編~』:迷走する「Twitter革命」、モルドバ共和国と沿ドニエストルの現状 http://www.webdice.jp/dice/detail/1513/ Thu, 23 Apr 2009 17:08:14 +0100
「モルドバの民主化」と「逮捕されたデモ参加者の釈放」を求める人々 photo by katsniffen


旧ソ連モルドバの首都・キシニョフで今年4月7日、議会選の結果に抗議する若者ら野党支持者の暴動が発生。つぶやきを配信するソーシャルサービス「Twitter」で情報交換がなされ、1万人近くの抗議者が国会議事堂前に集結した。連載第1回目では、「Twitter革命」とも呼ばれるITによって拡大した抗議活動と、チベットにおける情報検閲システムを重ね合わせて考察した(『チベット・リアルタイムvol.1』)。

第2回目では、「捕まった抗議者が拷問されている、ロシアのFSBから派遣された工作員がデモに紛れ込んで暴動を誘発している」といった噂が流れ、情報の信憑性に確証がもてないモルドバの状況を追った(『チベット・リアルタイムvol.2』)。

今回は、モルドバで起きている騒動のアップデートと、モルドバの隣に分離独立した「沿ドニエストル共和国」について解説する。






チベット・リアルタイム ~番外編~

欧州のブラックホール~あるいは、ツンデレのミルフィーユ



みなさんは「ツンデレ」という言葉をご存じだろうか? 筆者もあまりよくわかっていないが、相手を邪険に扱う状態から恋愛感情の間を揺れ動く振る舞いを指す用語らしい。モルドバを取り巻く歴史的な経緯、地政学的な状況はまさに「ツンデレ」と呼ぶにふさわしい力のベクトルが幾重にも折り重なっている。今回の記事は少々、長くなる。



モルドバ


まずは先週(『チベット・リアルタイムvol.2』)に続いてモルドバ共和国で起きている騒動をアップデートしよう。

「Twitter革命」という呼び名が提案されてから3週間を経たモルドバの抗議活動は、徐々に先細っており、ソ連時代を彷彿とさせる手順で国家テロらしきものの影がのぞき始めている。警官や治安部隊による学生への暴力はデモの初期からネットでは報告されていたが、拷問の証拠写真をBBCなど欧米メディアがやっと報道するようになった。そもそも取材がしづらい東ヨーロッパの辺境で西洋人ジャーナリストが締め出されてしまうと、最終的には噂をたどって電話取材などで聞き取りを進めるしかないのだろう。



写真:モルドバ共和国の街並 (c)Il conte di Luna


海外から民主化を期待する声援が数十秒おきに「Twitter」に書き込まれていた熱気は、現在すっかり冷めてしまっている。同じユーザーがルーマニア語で何度も同じメッセージを書き込んだりと、スレッドで言えば死んだ状態だ。この素人の乱に対して「革命なんか最初から存在しなかった」と早々に引導を渡すワシントン・ポスト紙のオピニオン記事も登場した。「モルドバにITの力を借りた革命などは起きていない。暴動はすべて政府の自作自演だろう。こういう演出された政治騒動が今後、多数出現するだろう」と書かれてある。






The Twitter Revolution That Wasn't(ワシントン・ポスト記事)

http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/04/20/AR2009042002817.html



この記者の見解では、モルドバ政府は民主化を抑えこんで親ロシア路線を進むために、学生による暴動を自らの工作員によって演出し、ルーマニア政府の所業として非難した。そのタイミングでロシア政府はモルドバ政府の主張に同調する声明を出した。ソーシャル・メディアを使ってモルドバの民主化をもたらすことができると期待している現地の学生や海外にいるモルドバ人、その他のサポーターはみんな蚊帳の外で踊らされているか、もしくは巧妙な情報操作に乗っているだけ、ということになる。この記事を叩く書き込みも「Twitter」スレッドに登場しているから、異論のひとつととらえていい。興味深いのは、英文メディアのジャーナリスト達による記事がうっすらと陰謀論型の論理展開を含むようになっている点だ。



誰の陰謀なのか? KGBか? プーチンか? ルーマニアか? あるいは欧米か? まさか、また中国が…?とにかく、このモルドバを取り囲む複雑なパズルを解析するためには、90年代以降の周辺事態を調べる必要がある。



ざっと一筆書きで解説すると、80年代末・つまりソ連末期、モスクワでクーデター未遂が起こった。その騒ぎに便乗した形で、自治共和国だったモルドバは独立を宣言。このタイミングでモルドバの東の端にあるドニエストル川沿いに位置するエリア、つまり南北に200キロメートル、東西に「厚み」がわずか4から20キロメートルしかない地域のロシア系住民が「沿ドニエストル・ソビエト社会主義共和国」を宣言し、ロシアの後押しを受けてモルドバからの分離独立戦争が始まる。



戦闘は2年間続くが、「沿ドニエストル」側はことのほか強かった。ソ連最大の軍需工場と巨大な武器貯蔵庫を持っており、モスクワから派遣されたKGBの指揮下で徹底抗戦をした結果、休戦にこぎつけたまま分離状態を維持し、現在に至っている。「沿ドニエステル」は国家ではなく国家のフラグメントでしかないはずなのだが、モルドバのGDPの40%を占め、電力の90%を供給する重要地帯だったので、生命力は旺盛で今日に至っている。しかしロシア以外の国には承認されず、GoogleMapにも詳細は載っていない。



Google Map上の「沿ドニエストル」地域↓





参考資料:「幻のソ連」が生き続けている国 沿ドニエストル共和国

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/hikounin/transdniester.html



「沿ドニエストル」の混乱とほぼ同じ頃、モルドバの南部にあるガガウズという地域でも分離独立の声が上がった。今度はトルコ系でクリスチャンの住民だった。ロシア人が主流をなす「沿ドニエストル」と状況は似ていた。トルコ語系の言葉を使うガガウズでは独立したばかりのモルドバがルーマニア化政策を進めることを懸念し、ルーマニア語圏への同化を拒む形で分離運動を開始した。結局1995年に居住地域を「ガガウズ自治区」として大幅な自治権を与えられることで解決され、武力闘争には至っていない。



参考資料:ガガウスに関する「Wikipedia」エントリー

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%82%AC%E3%82%A6%E3%82%BA%E4%BA%BA



つまりモルドバ共和国がソ連解体のタイミングで産声を上げた瞬間から、何を国家アイデンティティーにするのかが葛藤の種として芽吹いたのだった。モルドバ国内だけでも旧ユーゴスラビアのように雑多な民族がパッチワークのように混在していたため、主流となったルーマニア系住民がヨーロッパ化を進めようとすると、危機感を覚えてソ連時代への回帰を願うマイノリティーがあちこちで抵抗を始めるという作用・反作用が繰り返されるようになる。



90年代のユーゴ内戦や虐殺でさえ、欧米諸国は遠巻きに見ていたから、同じ時期にモルドバ界隈で何が起ころうとも重要視する風潮は西洋社会に無かったと言っていい。ところが2001年9月11日以降、「沿ドニエストル」に対して急速に注目が集まるようになる。ソ連時代から貯蔵されていた武器が大量に外の世界に密輸されているという実態が明るみに出たからだ。売りに出された武器はソ連式のAK-47ライフルから地対空ミサイルの部品、はては核物質を散布する「ダーティー・ボム」まで。密売先は中央アフリカやコンゴ、中東諸国など。ロシアの宿敵であるはずのチェチェンにまで見境なく売られていた。そのため、「沿ドニエストル」は「ヨーロッパのブラック・ホール」と呼ばれるようになる。その小さな無法地帯を今日もロシアから派遣された「平和維持軍」がモルドバからの攻撃に備えてドニエストル川にかかる橋の上で防衛している。



9.11以降、武器の闇市場が問題となり、さまざまな欧米メディアが「沿ドニエストル」に潜入するドキュメンタリーを製作した。最近のモルドバ情勢を受けたようなタイミングでそれらのドキュメンタリーをキャプチャーした鮮度の高い動画ファイルがいくつもYouTubeに上がっている。英語のナレーションがある作品を探しただけでも4つあった:



★BBCのドキュメンタリー「存在しない場所=Places that don't exist」↓


[youtube:l5A8KtzzzVQ]

★フランス・キャナルTVのドキュメンタリー「存在しないはずの国」↓


[youtube:O6kub-Ehbd4]


★Journeyman Pictures製作「沿ドニエストル~ヨーロッパのブラック・ホール」↓


[youtube:QFJCeIWPic4]


★Journeyman Pictures製作「もうひとつのモルドバ」

http://www.youtube.com/watch?v=_KKtD4nmFac



このうちBBCのドキュメンタリーには、現在のモルドバで民主化要求を暴力的に制圧していると思われる共産党政権のウォロニン大統領が登場する。撮影クルーを別荘に招き入れ、ゴルバチョフそっくりの斑点を持つ飼い猫を自慢したり、釣りに招待したり、あげくにはモルドバ産のコニャックを一緒にボトル2本空けるまで飲ませ続けたりする。このドキュメンタリーでウォロニン大統領はロシアの傀儡国家である「沿ドニエストル」の無法状態を非難し、モルドバの民主化を語っている。しかし今日、ロシアの後ろ盾を得て、自作自演なのかどうかも判明しない形で学生達を拷問させているのも他ならぬウォロニンである。ウォロニン大統領はツンデレをやってのけていたのだ、とここで初めて自覚した。



モルドバから「国境」を超えて「沿ドニエストル」に入ると、そこにはソ連時代の状態で凍結された別世界がある。独自に発行されたパスポートの表紙にソ連時代と同様「CCCP」の文字が並び、独自のルーブル紙幣と切手を印刷、国営テレビ局を運営し、この地域最大のサッカー・スタジアムも持っている。そして首都ティラスポリの至る所にはソビエト式の標語やレーニン像が飾られ、独立記念日の式典には長大な軍事パレードが続き、重工業・電力・ガソリンの供給を含むすべてのインフラをイゴール・スミルノフ大統領とその息子が支配しているという。スミルノフ大統領はKGBが送り込んだエージェントであるとされ、同国の内務大臣もソ連時代の特殊部隊出身者として紹介されている。この「国家」の内部では、スターリンが今でも偉大な指導者として讃えられ、ロシアの議会選挙にロシア系住民は投票権を持つ。言論は著しく統制され、欧米メディアに向かって反対意見を唱えるモルドバ系の市民は当局による脅迫や殺害を覚悟しなくてはならない。



一見、チベットやウイグルの地で行われている圧政を思わせたり、北朝鮮の体制にも通じる片鱗がうかがわれるが、内実はいささか違う。それは「沿ドニエストル」がマフィアと一体化したKGBによって無法状態で運営されているからだ。



「沿ドニエストル」はウクライナとモルドバの間にはさまれている格好になるが、場所によっては数メートル草むらを歩いただけで国境を越えてしまう。公式な国境や税関は形の上でしか存在しない。「沿ドニエストル」領土内で生産された武器は運搬用の車両に乗せられ、国境が警備されていない地点でウクライナに入り、そのまま黒海の港まで運ばれた後で船へと積み上げられ、世界のあちこちに向けて船出する。あるいはソ連時代から残っているあやしげな滑走路を使い、発着する飛行機に積載された武器がアフリカなどへと大量に運ばれていくことが疑われている。



2006年のNYT記事によれば、ウクライナの港で積みおろされたフローズン・チキン、つまり冷凍鶏肉を沿ドニエストルにくぐらせることによって関税と衛生検査を迂回し、劣化した鶏肉を低価格でウクライナの市場に売りさばく「食肉偽装」のシステムもあるらしい。この商売の方が武器の密輸よりも利益率が高いとさえ言われている。麻薬も大量にさばかれ、ヨーロッパでもっとも過酷な人身売買も行われていると、脱出した女性達が証言している。ロシアをバックにつけた「沿ドニエストル共和国」は、かたやKGBとロシア軍、かたやロシアン・マフィアの顔を持つ断片国家なのだ。



Ukraine Battles Smugglers as Europe Keeps Close Eye

http://www.nytimes.com/2006/05/28/world/europe/28ukraine.html?_r=1&scp=1&sq=transnistria&st=cse



「沿ドニエストル」の中で絶対的な権力を持つスミルノフ大統領だが、彼の参謀には別のKGB工作員がいる。ドミートリー・ソインだ。複数の殺人容疑で国際警察機関「インターポール」から追われる身であるソインはロシアに対して熱狂的な忠誠を誓う青年団体を指揮している。しかしイギリスの日刊紙「ザ・サン=The Sun」が送り込んだ武器密売人になりすました記者に対して、約20万ドル(現在のレートで2千万円)でならダーティー・ボムを売れる、と交渉した張本人がソインであったこともすっぱ抜かれた。頻繁に欧米メディアに出演し、ロシア流の民主化活動家を自称するソインは言わばKGBから送られたスミルノフ大統領の監視役でもあり、大統領がモルドバに対して宥和政策へと転じた場合はクーデターを起こす役割を担わされている、とのニュアンスが読み取れる。



ソインが取材されている記事(Cleveland.com)

http://www.cleveland.com/world/index.ssf/2009/01/transdniester_a_breakaway_mold.html



とにかく誰が誰の金をもらい、誰から指令を受けて動いているのかが、ドキュメンタリーを見るにつけ、不透明になっていく。「沿ドニエストル」のスミルノフ大統領も、モルドバ側で敵対しているはずのウォロニン大統領も権力のゲームの中で何重にも工作をしているようだ。ロシアのKGB、マフィアと一心同体になって動く沿ドニエストルの秘密警察、モルドバの秘密警察、自作自演疑惑が持たれているキシニョフの広場で起こった学生の暴動。それぞれのプレイヤーたちは何がねらいなのか…ミルフィーユを思わせるレイヤーの多さで、情報戦は展開され、「Twitter革命」は日を追って迷走している。



2008年、チベット騒乱が起こる直前のことだった。ビョークは上海のコンサートで「チベット!チベット!旗を揚げて!」と叫んで中国当局の度肝を抜き、後にひんしゅくをかった。その歌は「Declare Independence=独立を宣言せよ」という歌で、デンマーク領にあるグリーンランド先住民の文化保存活動やコソボの独立闘争などをモチーフに書かれた歌詞だった。しかしビョークが「沿ドニエストル」の状況を知っていたなら、同じように強気で歌えたかどうかは疑問だ。



(文:モーリー・ロバートソン)



【関連リンク】

モーリー・ロバートソンの『チベット・リアルタイム vol.1』

モーリー・ロバートソンの『チベット・リアルタイム vol.2』

モーリー・ロバートソンの『チベット・リアルタイム vol.3』

i-morley

チベトロニカ






モーリー・ロバートソン×池田有希子トークイベント開催

2009年5月23日(土) 開場18:30/開演19:00



出演:モーリー・ロバートソン氏(ラジオDJ・ポッドキャスト「i-morley」主催者)、池田有希子氏(女優)

会場:アップリンク・ファクトリー

(東京都渋谷区宇多川町37-18トツネビル1F) [googlemaps:渋谷区宇多川町37-18トツネビル1F]

イベント料金:一律 1,800円(チベット風フィンガーフード、ドリンク付き)



“生” i-morley「チベトロニカ」特別編


webDICEで連載している『チベット・リアルタイム』の映像を上映しながら、モーリー・ロバートソン氏と、「チベトロニカ」に同行した池田有希子氏のトークショー開催。まさに二人がメインパーソナリティをつとめるポッドキャスト番組「i-morley」のライブ版!当日はチベット風味のフィンガースナックとドリンク(バター茶を予定)も振舞われる。

※混雑が予想されますので必ずご予約ください。

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『風の馬』

渋谷アップリンクにて公開中



監督・脚本・編集:ポール・ワーグナー

出演:ダドゥン、ジャンパ・ケルサン、他

1998年/アメリカ/97分

配給・宣伝:アップリンク

公式サイト

※公開記念トークイベント・詳細はコチラから



[youtube:Di1UaDD6IUA]




『雪の下の炎』

渋谷アップリンクにて公開中



監督:楽真琴

出演:パルデン・ギャツォ、ダライ・ラマ法王14世、他

2008年/アメリカ・日本/75分

配給・宣伝:アップリンク

公式サイト

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[youtube:aCg133XpPp4]
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『風の馬』チベット連載第8回:モーリー・ロバートソンの『チベット・リアルタイム vol.3』【動画付き】 http://www.webdice.jp/dice/detail/1501/ Tue, 21 Apr 2009 12:03:46 +0100
青蔵鉄道の食堂車から撮影するモーリー・ロバートソン氏



2007年2月、モーリー・ロバートソン氏ら「チベトロニカ」チームは、チベットのラサ等を訪れ直接触れて実感したことを映像・音声等でレポートする企画に挑戦した。当時撮影した未発表の映像をwebDICE限定で配信する。

成田から3度飛行機を乗り継いで青海省の西寧に到着した一行は、西寧から車で3時間ほどの場所にあるチベット文化圏「同仁」を訪問。チベット人巡礼者が集まる寺院や庶民が集う露天市場で、その空気を吸収する(『チベット・リアルタイムvo.1』)。
その後、漢族の顧客向けに運営される「チベット・レストラン」で異様な光景を目にし、翌日、山奥にあるダライ・ラマ14世の生家に足を踏み入れる。同じ夜、ラサを目指して開通したばかりの青蔵鉄道に乗り込んだ。(『チベット・リアルタイムvo.2』)。
そして今回は、運行中の青蔵鉄道車内で、携帯電話をマイクロフォンがわりにして日本への生放送を試みる!






[youtube:AwW69ngN0u8]



青蔵鉄道の寝台でうたた寝をすると、明け方になっていた。霊山の山並みから顔を出した控えめな日の出は、1時間ほどすると、ぎらつく高山の日差しに変わった。最新装備の車両内で退屈することはまずない。足下に電源もあり、デジカメやハンディカムなどの充電器をつないで、交代制で充電しながら撮影を続けた。2月なので車内はほどほどに寒い。しかし外はそんなものではない。極寒の永久凍土に雪が積もっている。食堂車に行くと列車の両側の光景をパノラマのように確認できた。食堂車のメニューも、中国の国内鉄道の水準から言うと最高級だ。日本人の味覚には油っこく、塩辛く感じる。無造作に出された中国茶がことさらにおいしく感じられた。



チベトロニカ03



4,500億円で建設された青蔵鉄道は気圧密閉が謳われているが、トイレの窓が半開きになっていたらしい。たくましい中国人の乗客達はびくともしない。さすがに世界最高の標高に位置する唐古拉(タングラ)駅を通過する前後ではチューブからの酸素吸入が必要となる。気圧低下に伴い頭痛も起こるので、日本の整体師からもらった唐辛子入りのテープを眉間や首筋に貼って、体内の気道を開ける努力も試みた。途中でいさぎよくバッファリンも飲んだ。



写真:酸素吸入チューブを付け、唐辛子入りのテープを貼り高山病対策





チベトロニカ02


唐古拉を通過したあたりで携帯電話をマイクロフォンがわりにして日本への生放送実験を開始。「Skype
Out」というサービスを使うと、東京・目黒にあるエンジニアのスタジオから車内の携帯電話に着信し、通話した音声を日本側で放送用のサーバーへと転送。その状態だと日本側で大人数が同時にラジオ式の放送を聴くことが可能になる。永久凍土の中に携帯電話の鉄塔はまばらにしか建っていない。そのため、電話の通話はひんぱんにとぎれる。しかし東京のエンジニアは執念に訴えて何度となくかけてきた。もしもここで中国当局が妨害をしようと思えば、プロジェクトはあっけなく終わってしまう可能性もあった。しかしこの日、当局は他の雑用で手がいっぱいだったのだろう。こともなく生放送が2時間ほど続き、実験は成功した。その場をデジカメ、ハンディカム、ICレコーダー、一眼レフなどで何重にも記録していった。



写真:那曲(ナチュ)駅で乗客に手を振るチベット族





現地時間で夜の10時過ぎ、とうとう拉薩(ラサ)駅に到着。あまりにあっけない旅だった。英語と中国語で空港ばりのアナウンスが駅構内に流れ、袈裟をまとったチベット僧や肥料の入った袋を運ぶ農民がホームへと降り立つ。「チベット問題」なるものに対して敏感になっていたチベトロニカ・チームは入境に際して「職質」つまり職務質問を受ける心の準備を整えていた。だが、それもなかった。歓迎一色だった。どうなっているんだ?



車で橋を渡って入る夜の拉薩市は、中国のどこにでもある中小都市に見えた。あちこちに点在するホテルのネオンサイン、蛍光灯で照らされた素朴な食堂。道が舗装されていることに驚くつもりで来たのだが、夜の拉薩で見たのは「便利店」との看板を掲げたコンビニだった。とは言え、やはり拉薩である。荷物を持って何歩か歩いただけで心臓が高鳴り、地上の3分の2という酸素の薄さを体で感じる。高山病を回避するために一泊目は飲酒はもちろん、入浴も避けた。そして東京で買ったコーヒーのパックを開け、ホテルの部屋でお湯を注いだ。コーヒーへのこだわりもあるが、五感のすべてが少しずつかき乱されているので、よく知っている味覚や食感を使って、自分の体内を落ち着かせる意味合いもある。




ホテルの部屋にはLANの接続口があった。LANがあっても西寧のホテルでは従業員がその意味を理解できていなかったので、インターネットに実際につながるかどうかを試すまでは油断できない。だが、あっけなくネットにもつながった。東京・目黒にいるエンジニアのタラキュウさんとスカイプを使ってビデオ通話が実現した。こちら側では驚くべきことだったが、目黒側のタラキュウさんにその緊張感は伝わっていないようだった。拉薩と東京を結ぶビデオ通話をするうちに、自分がいる中国辺境・拉薩のホテルの一室が、大阪か名古屋ぐらいの距離にあるかのような妙な気分におそわれた。



チベトロニカ01


UVカットガラスのため濃い緑色をしている青蔵鉄道






(文:モーリー・ロバートソン)



【関連リンク】

モーリー・ロバートソンの『チベット・リアルタイム vol.1』

モーリー・ロバートソンの『チベット・リアルタイム vol.2』

i-morley

チベトロニカ






モーリー・ロバートソン×池田有希子トークイベント開催

2009年5月23日(土) 開場18:30/開演19:00



出演:モーリー・ロバートソン氏(ラジオDJ・ポッドキャスト「i-morley」主催者)、池田有希子氏(女優)

会場:アップリンク・ファクトリー

(東京都渋谷区宇多川町37-18トツネビル1F) [googlemaps:渋谷区宇多川町37-18トツネビル1F]

イベント料金:一律 1,800円(チベット風フィンガーフード、ドリンク付き)



“生” i-morley「チベトロニカ」特別編


webDICEで連載している『チベット・リアルタイム』の映像を上映しながら、モーリー・ロバートソン氏と、「チベトロニカ」に同行した池田有希子氏のトークショー開催。まさに二人がメインパーソナリティをつとめるポッドキャスト番組「i-morley」のライブ版!当日はチベット風味のフィンガースナックとドリンク(バター茶を予定)も振舞われる。

※混雑が予想されますので必ずご予約ください。

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『風の馬』

渋谷アップリンクにて公開中



監督・脚本・編集:ポール・ワーグナー

出演:ダドゥン、ジャンパ・ケルサン、他

1998年/アメリカ/97分

配給・宣伝:アップリンク

公式サイト



公開記念トークイベント開催


・5月2日(土) 石濱裕美子(早稲田大学 教育・総合科学学術院 教授)

・5月3日(日) 下田昌克(絵描き)×謝孝浩(作家)

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[youtube:Di1UaDD6IUA]




『雪の下の炎』

渋谷アップリンクにて公開中



監督:楽真琴

出演:パルデン・ギャツォ、ダライ・ラマ法王14世、他

2008年/アメリカ・日本/75分

配給・宣伝:アップリンク

公式サイト

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『風の馬』チベット連載第7回:モーリー・ロバートソンの『チベット・リアルタイム vol.2』 【動画付き】 http://www.webdice.jp/dice/detail/1472/ Tue, 14 Apr 2009 12:21:46 +0100
写真:ダライ・ラマ生家のある村にいた子供


2007年、モーリー・ロバートソン氏はチベットのラサ等を訪れ、直接触れて実感したことを日記、写真、映像、音声等でレポートする企画「チベトロニカ」の総指揮を務めた。そこで撮った映像はYouTubeを使い、当時ほぼリアルタイムで配信され話題になった。しかし、まだ手元には未発表の30時間分のテープが残っている。今回、映画『風の馬』の連載企画として、その貴重な映像を順に紹介し、更にロバートソン氏の最新コラムをお届けする。






[youtube:HGN9aedmWNM]

モーリー・ロバートソンの『チベット・リアルタイム』


「チベトロニカ」チームは、 青海省・西寧に三日間滞在して高山順応を行った。青海省からの帰り道には小高い丘の上に寄付金で建てられたストゥーパや仏像がある。ちょっとした丘を登るのも高山だと大変だ。しかし地元の子供たちは平然と早歩きをしたり荷物を持って、村までの坂道を上り下りしている。放牧された小型の山羊が、風にはためくタルチョの間をくぐり抜けるようなのどかな風景があった。



写真:西寧郊外のストゥーパ





夜になって案内された「チベット・レストラン」は主に漢族の顧客に向けて運営されているものだった。中国のエンターテインメントは一般に大味なものが多い。しかしその基準から見てもちょっと大ざっぱ過ぎはしないかと疑われるような演出で「チベタン・ショー」が繰り広げられる。アルバイトのダンサーの動きはやっつけだし、なんとなく伝統を軽んじたような振り付けをしているという気がする。歌手にチップ代わりのカタをかける漢族の客がステージに上がって携帯電話で撮影する姿にも違和感を禁じ得ない。でも自分たちはあくまで部外者なのだから、価値判断をまじえずにその店の雰囲気をとにかく吸収してみることにした。



翌日、山奥にあるダライ・ラマ14世の生家を訪れた。非公開とされているが、ガイドの交渉と金次第で入れることもある。少なくとも2007年には、入れた。生家は一時取り壊されて小学校になった後、再度復元されたという。ダライ・ラマのご真影(写真)のみならず、亡命したお兄さんの写真も掲載されていた。中国内で合法的にこれらの写真が並んでいる場所を、ほかに知らない。



同じ夜、開通したばかりの青蔵鉄道に乗った。始発駅となる西寧駅は、真新しい。鉄道駅の横に、ラサまで走る二階建てのバスも停車していた。西寧の街自体が近年めざましい勢いで開発されている。駅付近にはムスリム化した漢族である回族も多い。低地では外国人に対してほとんど誰もがにこやかにオープンであり、中国政府の主張する「和諧社会」を体感できる。



モーリー・ロバートソンの『チベット・リアルタイム』

写真:青蔵鉄道の車窓から見る景色









チベット・リアルタイム vol.2

情報自己責任



最近「i-morley」の制作オフィスでは、スタッフがアメリカ版「iTunes」から購入したドラマ「24」の最新エピソードを毎週観ている。ブッシュ時代に始まった「テロとの戦争」をモチーフに展開するノンストップのアクション・ドラマだが、アフリカ系のアメリカ大統領が脚本に設定されるなど、斬新さに定評がある。アメリカに生活したことがあると、この番組は何倍にもおもしろい。国家や法律、そして報道というものがいかにあてにならないかが終始描かれ、アメリカ型民主主義の裏側が浮かび上がってくるからだ。最終的には市民の一人一人が単独で、あるいは信頼できる仲間と協力することでしか自分の身を守れないというメッセージを放ち続けている。



ドラマ「24」でも示唆されていることだが、「すべての既成事実や常識をまず疑ってかかる」というジャーナリズムの視点は、世界中から出てくるリアルタイムな情報を解読する上でとても大切になる。端末に向かうこととはすなわち、探偵ごっこを意味するのだ。



昨今、世界中の紛争地域や人権問題のある地域から、メディア大手に乗らない情報が発信されるようになっている。チベットも含め、これまでは情報が封鎖された地域から新しい形で市民が現状を告発することが期待される。ところがそれらの情報の信憑性は玉石混交であり、受け手にはこれまでにない能動的なフィルターが要求される。何も鵜呑みにせず、かつ大手メディアのスローな対応を待たないためには、情報に向き合う時の感覚を磨かなくてはならない。



事例として引き続きモルドバの状況を追いたい。あれから一週間の間に、主にルーマニア語圏のブログが情報を大量にリレーし、その一部が英語へと翻訳されている。

英語圏のブログで目立った動きをまとめているサイト「Global Voices.com」には、さまざまな情報が上がっている。



Moldova: Overview of Blog Coverage of the Protests

http://globalvoicesonline.org/2009/04/09/moldova-a-review-of-blog-coverage/



「国内のモルドバ人たちは首都で抗議行動が行われているということを知らない。国営テレビはこのことを報道せず、インターネットも遮断されている」

といった声などが紹介されており、現場で取られた写真が集められたサイトへのリンクもある。

また、つぶやきメディアである「Twitter」のモルドバに関するスレッドには、モルドバ内の新聞記事へのリンクも頻繁に提供されている。



参照記事へのリンク

http://search.twitter.com/search?q=%23pman



ここで見つけたモルドバ内のドメイン「garda.com.md」にあるルーマニア語の新聞社「Ziarul de Garda」と思われるサイトに飛んだ。その際にページのロードがとても遅いので回線が弱いモルドバの手応えが暗示される。



まず、本当にちゃんとした新聞かどうかを調べた。「Wikipedia」には貧弱な英文エントリーとして、モルドバの新聞リストが掲載されている。



参照記事へのリンク

http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_newspapers_in_Moldova



確かに「Ziarul de Garda」はルーマニア語新聞として、このリストに含まれている。しかもホームページにはロシア語で自動車のバナー広告が載っている。おそらくちゃんとした新聞ではないかという推理を進め、英文記事を読んだ。



「英文への翻訳は読者有志が行いました」という但し書きと共に、一部語法をまちがえた英語訳で以下の内容が掲載されている。



「デモに参加し逮捕された若者が収容されている施設を国連人権担当官が視察したところ、拷問された跡があり、食料も水もほとんど与えられず、満足な医療を受けられない環境で拘留されている」



≪I have seen doctors in the Penitentiary, but the prisoners say they do not receive all appropriate medical assistance≫

http://garda.com.md/stiri/%C2%ABi-have-seen-docto...



「拘留中のAnatol Mătăsaru氏が弁護士に話したところによると、拷問を受けて電子メールのパスワードを供述させられた。現在医療処置を施されずに放置されているエイズ患者と同じ房に入れられており、警察に協力しなければ凶悪犯と同じ房に移すと脅されている」



The police forced Mătăsaru to give his email accounts passwords by beating

http://garda.com.md/stiri/the-police-forced-matasaru-to-give-his-...



これが事実だとすると、もっと大きな扱いのニュースになってほしい。自分のサイトでも紹介したいという衝動に駆られるが、とにかく間接的にでも裏取りをしたいのでBBCとニューヨーク・タイムズのサイトで新聞の名前「Ziarul de Garda」を検索してみる。だが、手応えは得られない。モルドバという国自体がマイナーな扱いしか受けていないのだ。ところがこうやって右往左往している間に、NYTのトップページにモルドバの記事が新たに掲載されていた。



As East and West Pull on Moldova, Loyalties and Divisions Run Deep

http://www.nytimes.com/2009/04/15/world/europe/15moldova.html?hp



この記事によればモルドバは現在、欧州の最貧国であり、GDPの36.5パーセントは海外からの送金に依存している。モルドバ人は歴史的にロシアとヨーロッパの間で引き裂かれており、文化的な葛藤はずっと続いている。旧ソ連を懐かしんでルーマニアを罵倒する人、民主主義を求めてロシアから離れたいと主張するジャーナリスト。ロシア語を使うかルーマニア語を使うかでコミュニティーに亀裂が走っているらしい。モルドバがヨーロッパにとって「キューバ」のように最後の共産圏の砦となっているとする見方も紹介されている。



ニューヨークタイムズの記事は解説記事となっており、ジャーナリストが国外退去をさせられた結果、踏み込んだ取材ができなくなったことと裏腹ではないかと勘ぐっている。チベット騒乱の時と非常に似ている。



さらに「Twitter」からのルーマニア語リンクを「ダメ元」でたどっていくと、ロシアのFSBから派遣された工作員がデモに紛れ込んで暴動を誘発している、と指摘する映像も出てきた。工作員と思われる屈強な男たちがデモの中を歩き、携帯電話で連絡を取っている場面などがユーザーの描いた円(まる)でクローズアップされる映像だ。ロシアの陰謀が働いているという結論に飛びつきたい人には十分な証拠映像なのかもしれないが、新聞では扱えないだろう。



また同様に未確認だが「Twitter」の中でもFSBやモルドバの警察が作戦を展開しているという噂が流れている。「デモには身分証明書を持って行かない方がいい」とアドバイスしている書き込みがあったのだが、それは身分証明書を持たない人間を無条件に拘留できるというモルドバの国内法を逆手に取った罠だ、とする主張だ。いかにも共産圏で使われそうなテクニックではある。しかし信憑性は保証されていない。



こういった「はてな情報」がルーマニア語を中心におびただしく更新され続けている。

反対にモルドバ政府の発表は、ルーマニア政府の陰謀を主張している。



モルドバ:「暴動はルーマニアが関与」大統領が非難(毎日新聞 2009年4月9日)

http://mainichi.jp/select/world/news/20090409k0000e030041000c.html



ただし情報源は「インタファクスなど」だ。日本の新聞社は「インタファクスなど」ロシアの通信社に依存するか、欧米のメディアがより確かな情報源からニュースを配信するのを待つしかない。



今回モルドバで発生した抗議行動には組織的な団体の関与が見られない。ネットでの呼びかけに応じて若者がデモに飛び出し、その一部は警察に逮捕され、見えないところで拷問を受けているというお約束のパターンらしい。ただ、あまりにも多くの素人が情報を共有し、海外にいるモルドバ人を筆頭に有志が応援とアドバイスを現地に送っているというオープンな状況は新鮮だ。



近未来の中国がこうなるという保証はないが、素人っぽい情報収集が速度と露出量では新聞社に劣らない力を持つ、という奇妙なバランスが出現している。



それと…あ!そうだ。書くのを忘れそうになっていたが、モルドバの隣には分離独立した「沿ドニエストル共和国」という国家が出現している。さわりとして以下の産経新聞記事に「沿ドニエストル」が登場する。



矛盾抱える旧ソ連地域 欧米接近のうねりなお(産経新聞 2009.4.8)

http://sankei.jp.msn.com/world/europe/090408/erp0904082330015-n1.htm



ロシアの後ろ盾を受けているとされる国家のフラグメントだが、ここは「ヨーロッパのブラック・ホール」とも呼ばれている。ロシアの関与まで理解して初めてモルドバの複雑な事情がくっきりするので、次回は「沿ドニエストル」の解説を行いたい。



(文:モーリー・ロバートソン)



【関連リンク】

モーリー・ロバートソンの『チベット・リアルタイム vol.1』【動画付き】

i-morley

チベトロニカ








モーリー・ロバートソン氏出演

イベント情報



2009年5月23日(土)

開場18:30、開演19:00



出演:モーリー・ロバートソン氏(ラジオDJ・ポッドキャスト「i-morley」主催者)、池田有希子氏(女優)



会場:アップリンク・ファクトリー

渋谷区宇多川町37-18トツネビル1F [googlemaps:渋谷区宇多川町37-18トツネビル1F]

イベント料金:一律 1,800円(チベット風フィンガーフード、ドリンク付き)



“生” i-morley「チベトロニカ」特別編


webDICEの連載『チベットを知る』で貴重な映像アーカイブを配信中の『チベット・リアルタイム』。その映像を上映しながら、モーリー・ロバートソン氏と、「チベトロニカ」に同行した池田有希子氏のトークショーがアップリンク・ファクトリーで行われる。まさに二人がメインパーソナリティをつとめるポッドキャスト番組「i-morley」のライブ版!当日はチベット風味のフィンガースナックとドリンク(バター茶を予定)も振舞われる。トークを聞きながらチベットの「食」も体験しよう。

※混雑が予想されますので、下記方法にて必ずご予約ください。



【イベント予約方法】


当イベントへの参加をご希望の方は、お電話またはメールにてお申し込みください。メールの場合、下記の予約要項を明記の上、指定のアドレスまでお送りください。
予約者数が定員に達し次第、受付を締め切りますので予めご了承下さい。



予約要項


(1)お名前 (2)予約希望人数 (3)お電話番号



予約先


電話番号:03-6825-5502

メールアドレス:factory@uplink.co.jp

★件名を「5/23チベトロニカ イベント」としてお送り下さい。














『風の馬』

渋谷アップリンクにて公開中



監督・脚本・編集:ポール・ワーグナー

出演:ダドゥン、ジャンパ・ケルサン、他

1998年/アメリカ/97分

配給・宣伝:アップリンク

公式サイト



公開記念トークイベント開催!


・4月18日(土) ツェリン・ドルジェ(在日チベット人・SFT日本代表)×渡辺一枝(作家)

・4月19日(日) 野田雅也(フォトジャーナリスト)

・5月2日(土) 石濱裕美子(早稲田大学 教育・総合科学学術院 教授)

※イベント詳細・予約についてはコチラから



[youtube:Di1UaDD6IUA]




『雪の下の炎』

渋谷アップリンクにて公開中



監督:楽真琴

出演:パルデン・ギャツォ、ダラ・イラマ法王14世、他

2008年/アメリカ・日本/75分

配給・宣伝:アップリンク

公式サイト

★公開記念トークイベント開催!詳しくはコチラから



[youtube:aCg133XpPp4]
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『風の馬』チベット連載第6回:モーリー・ロバートソンの『チベット・リアルタイム』【動画付き】 http://www.webdice.jp/dice/detail/1450/ Wed, 08 Apr 2009 10:50:13 +0100
青海湖付近で出会ったギター弾きのチベット人


2007年、モーリー・ロバートソン氏はチベットのラサ等を訪れ、直接触れて実感したことを日記、写真、映像、音声等でレポートする企画『チベトロニカ』の総指揮を務めた。そこで撮った映像はYouTubeを使い、当時ほぼリアルタイムで配信され話題になった。しかし、まだ手元には未発表の30時間分のテープが残っている。今回、『風の馬』の連載企画として、その貴重な映像を順に紹介し、更にロバートソン氏の最新コラムをお届けする。



[youtube:hdkJ2UDCNqo]

モーリー03


2007年2月、モーリー・ロバートソン率いる「チベトロニカ」チームは、成田から3度飛行機を乗り継いで青海省の西寧に到着した。海抜3000メートル級の土地で3日間の高地順応を行い、そこから青蔵鉄道に乗ってチベットに向かうというタイムテーブルだった。



写真:同仁・隆務寺のマニ車


最初に訪問したチベット文化圏は西寧から車に乗って3時間ほどの場所にある「同仁」という町。中国内の観光客やチベット人巡礼者が集まる寺院には、僧侶たちが生活する宿舎が山沿いに延々と続いていた。






紫外線の強い太陽光を浴びて、乳児から大人までがタフな生命力を見せつけるマーケット。まだ欧米化や開発の波が押し寄せていない静かな町で、露天市場に入った。この市場も、あと数年すると、中国のどこにでもあるようなショッピングモールに取って代わられるのかもしれない。しかし、嵐の前の静けさを思わせるように、エコロジーすら意識しないままで、適度な雑菌にまみれた路上のスローライフが展開されていた。



02


写真:ゴールドに輝く千手観音





チベット・リアルタイム vol.1

チベットを考えるならモルドバを見よ



今お花見をすっ飛ばしてこの原稿を書いている。ウクライナに隣接する旧ソ連の国・モルドバがとにかく熱い。「次の波」が来ているともいえそうな気配だ。まさに「チベトロニカ」が予言したような事態が、画面とトウィッターの向こうで起きている。



まずはソースとしてこの「i-morley」のブログエントリーをご覧いただきたい。

http://i-morley.com/blog/2009/04/post_296.html



本日ただいま、2007年2月のチベット旅行を振り返る間もなく、先ほどからのブログの更新でHTMLをいじり過ぎて疲労困憊し始めている。英文の速報が西側のニュースに出ると、何時間か遅れて日本のニュースが掲載される。この繰り返しだが、日本語の記事はいずれも事の本質に立ち入らずに、いかにも国際社会を傍観するようなドライな論調で報道されている。現在進行形で流れているこの報道の質の落差を英語と日本語で見比べるだけで、今の日本のマスコミの姿が見えてしまうようだ。さらにあらためて、2年前にまだ静かだったチベット・ウイグル世界を徘徊した時に探索した情報の鉱脈が今さら「当たり」を出したかのような感がある。



英文記事を読むとニューヨーク・タイムズでもBBCでも「Twitter = トゥイッター」という情報サービスに言及がなされているが、4月8日の夜7時時点で、日本語の検索に引っかかるニュース記事は「親ロシア派の共産党が選挙に圧勝したため、抗議する学生らが暴徒化」といった紹介記事の範疇を出ていない。「Twitter」を使った結果、数百人規模を予定されていたデモが15000人級に膨れあがったことの意味合い、つまりニュアンスが日本語に翻訳される過程で脱落しているのだ。



つぶやきを配信する「Twitter」と友達作りを促進する「Facebook」は欧米でとても熱い個人メディアへと急成長している。日本では「mixi」がすでに定着している上、これらのSNSメディアはデザインがアメリカ式に大味なこともあってか、特に浸透していない。筆者も「雪の下の炎」監督の楽真琴さんから直接レコメンドされて先々週やっと(というか、いやいや)登録を済ませたばかりだった。そのタイミングでこの2つのツールが、隣国であるウクライナの「オレンジ革命」に次ぐ民衆蜂起の波を加速させているわけだ。



自分自身よくわからない「Twitter」の、モルドバ関連のフィードを見てみると、玉石混淆の情報がルーマニア語とモルドバ語と思われる言葉と英語で交互に流れている。今見たら、最新の書き込みは「今から20秒以内」が3つあり、なおも増え続けている。これは世界中からモルドバの事態に注目しているユーザーが「#pman」というタグを登録することでフィードを取得し、書き込んでいる。ということらしい。「2ちゃんねる」とどのように違うのかは、正直なところよくわからない。だが、「2ちゃんねる」のスレッドにネイティブな煽りや荒らしのパターンは特に見られず、世界中の人々がまじめに現場からの情報更新に反応し、民主化を応援しているようだ。「Atari Teenage Riot, Kids Are United! 」などというトーンの書き込みが飛び交っている。



「Twitter」のタグとなった文字列「#pman」はルーマニア語でモルドバの首都にある広場の名前「Piata Marii Adunari Nationale」から頭文字をとったアナグラムだが、この文字列は検索上位にするすると上っていき、4月7日時点では「アップルストア」や「エミネム」といったキーワードに並んでいるとのことだ。



参照記事へのリンク

http://neteffect.foreignpolicy.com/posts/2009/04/07/moldovas_twitter_revolution



モルドバの状況は刻一刻と市民による「Twitter」やSNSでのアップデート、そしてYouTubeへの画像投稿で報告されている。モルドバの国営テレビは、こういう時にありがちな例に漏れず、市民の主張と真っ向から食い違う編集内容の映像を流し、ロシア政府も「陰謀の可能性が強い」といち早く共産党政権を擁護する発言を繰り返している。モルドバ政府は首都の「Twitter」をシャットダウンし、政府見解と食い違うルーマニアからのテレビも受信を遮断したそうだ。先ほどYouTubeを検索していたところ、英語の字幕を載せる暇もなくルーマニアの放送局が撮影したフッテージなどが次々と投稿されている。 あまりに更新が早く、コメントがついていない映像ファイルが目につく。 また「Twitter」が遮断された後も携帯電話に切り替えて抗議活動の様子が報告されているらしい。この情報合戦は今、目の前で繰り広げられている。



モルドバの今と中国の近未来を、つい重ねて考えてしまう。中国の「金の盾」は、あちこちに虫食い状の穴が開いている。それはこの「中国の検閲を自宅で体験しよう」というFirefoxのアドオンで味わうことが可能だ。



China Channel Firefox Add-on

http://www.chinachannel.hk/



このアドオンを通してウェブを検索すると、Wikipediaのトップページは遮断されるが個別の記事への「直リンク」は生きている。また、BBCの英語版は見られるが中国語版は見られない。人海戦術と効率のいい心理戦で検閲をかけている中国のプログラムが徐々にほころんでいるのがわかる。



中国政府は青蔵鉄道を旗印に、チベットを中国に同化させるためのインフラを整備している。このインフラ整備と経済発展こそがチベット世界を吸収してしまう決定打になると言われてきた。政治的な弾圧だけではなく、中国の便利さと資本主義が最終的にチベット人とチベット文化を淘汰してしまうことが懸念される。しかし、通信インフラが充実し、ラサに光ファイバー網が広がると、政府がひとつひとつ監視・検閲できないようなスピードで情報が出入りするようにもなる。漢族にとっての豊かさや便利さが同時にコントロールし切れない領域をも生み出し、その領域は進化を続けている。この二面性はもはや、宿命と呼んでいいだろう。



中国政府の高官には、国際的な水準で評価してもピカ一の人材が多い。彼らはこの瞬間、ロシア語・ルーマニア語・英語のスペシャリストを動員してモルドバの行方を注視していることだろう。そして「Twitter」や「Facebook」を検閲・誘導するシステムの開発にも着手していると見ていい。ゲームの1ラウンド目が始まったばかりなのだ。



(文:モーリー・ロバートソン)



【関連リンク】

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チベトロニカ






『風の馬』

2009年4月11日(土)より渋谷アップリンク他、全国順次ロードショー



監督・脚本・編集:ポール・ワーグナー

出演:ダドゥン、ジャンパ・ケルサン、他

1998年/アメリカ/97分

配給・宣伝:アップリンク

公式サイト



公開記念トークイベント開催!


・4月12日(日) モーリー・ロバートソン(ラジオDL)×福島香織(産経新聞記者)

・4月18日(土) ツェリン・ドルジェ(在日チベット人・SFT日本代表)×渡辺一枝(作家)

・4月19日(日) 野田雅也(フォトジャーナリスト)

・5月2日(土) 石濱裕美子(早稲田大学 教育・総合科学学術院 教授)

※イベント詳細・予約についてはコチラから



[youtube:Di1UaDD6IUA]




『雪の下の炎』

2009年4月11日(土)より渋谷アップリンク他、全国順次ロードショー



監督:楽真琴

出演:パルデン・ギャツォ、ダラ・イラマ法王14世、他

2008年/アメリカ・日本/75分

配給・宣伝:アップリンク

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『風の馬』チベット連載第5回:“命賭けで、隠し撮りのように撮った”映画を半分ドキュメンタリーとして受けとめた(下田昌克) http://www.webdice.jp/dice/detail/1392/ Wed, 25 Mar 2009 15:25:23 +0100
下田昌克さん(左)と、『風の馬』に出演しているジャンパ・ケルサンさん


自身を「絵描き」と称する下田昌克氏は、言葉を補うかのように、旅先で絵を描く。そのほとんどが色鉛筆で描いた“人の顔”だ。笑顔を浮かべた人たちが、こちらをジッと見つめている絵。その中に、ネパールに暮らすチベット人の絵が多数ある。下田氏の「大好きな人たち」だ。



ネパールで暮らすチベットの子供たち(絵:下田昌克 2006.8)


ネパールで暮らすチベットの子供たち(絵:下田昌克 2006.8)


風の馬


下田氏は1994年、27歳の時に初めて海外旅行に出かけた。当初は、上海に行っておいしいものを食べてすぐ帰る予定だったのだが、その後、チベット、ネパール、インド、そしてヨーロッパを旅し、気付けば2年が過ぎていた。ネパールでの滞在でたくさんのチベット人の友人ができた。そのひとりが映画『風の馬』に兄ドルジェ役で出演しているジャンパ・ケルサンだった。



兄ドルジェ役のジャンパ・ケルサンさん(映画『風の馬』より)


「当時は普通にラサに行くことができました。まだ青蔵鉄道がなかった時期ですから、ボロボロのバスで30時間かかりましたね。ただそれも運が良い方で、吹雪に遭遇すると倍以上の時間がかかることもあるそうです。ちょうどその頃ラサで暴動が起きて長居ができず、結局1ヶ月余りでネパールに移動しました。ネパールでは、そこに暮らすチベット人と親しくなり、5ヶ月程カトマンズで過ごしました。その時に知り合い、今でも一番の友人が、ジャンパです」






1994年当時のチベットでは、街中でダライ・ラマ法王の写真を目にすることができたという。



「当時のラサは、チベットの民族衣装を着て、チベット語しか話せないコテコテのチベット人にたくさん会いました。監視の目もそれほど厳しくなく、今の近代化されたラサとは異なる雰囲気でしょう。一方、ネパールにいるジャンパや同年代の若者は、英語も上手で、僕らは同じような海外の映画や音楽を聴いて育っているので、ロックや映画の話で盛り上がりました(そのころだと映画『パルプフィクション』とか)。ごく普通の友人として付き合っており、彼らは日本人と感覚が近いように感じます。そして、礼儀正しくとても優しい」




ラサで出会ったチベット人(絵:下田昌克 1994.5)


ラサで出会ったチベット人(絵:下田昌克 1994.5)


ジャンパは98年製作の『風の馬』が映画初出演となる。下田氏が彼に出会った当時、ジャンパはミュージシャンをやっていた。



「ジャンパはバーなんかで演奏したり、僕は毎日ブラブラ絵を描きながら遊んでいて、ジャンパとたまたま将来の話をしていた時、僕がなんとなく、“絵描きになろーかな”と言ったら、ジャンパが“映画俳優になろーかな、でもネパールに映画ないしねー”と、冗談のように話したことを覚えています。その後、99年に再びネパールを訪れた時、ジャンパの家で『風の馬』をビデオで観せてもらいました。昔のことで、彼とどういった会話をしたのかあまり覚えていませんが、“命賭けで、隠し撮りのように撮った”と言っていたのは覚えています。僕は、友達が出演しているということもあり、チベットで起きていることも耳にしていたので、1本の映画というよりも、半分ドキュメンタリーのように受けとめました。映画の中のシーンと同じように、ラサで観光客のビデオが取り上げられたという話も聞きましたし、亡命者がチベットで経験した酷い話もたくさん聞きました。でも、家族がまだチベットにいる亡命者がほとんどで、雑誌などで紹介できなかった話もたくさんあります」



風の馬


昨年5月、インドのダラムサラで「チベタン・オリンピック」の取材をした(『coyote』2008年8月号で掲載)。チベット問題で世界中が騒いでいた北京オリンピック前のこの時期に、ひっそりと手作り感あふれるチベット人のための祭典が行われていたのだ。





「チベットで何が起きているのか知りたくて4月にカトマンズを訪れた際、チベタン・オリンピックのことを教えてもらいました。雑誌の取材として早速ダラムサラに向かったところ、欧米からは大勢の記者が取材に来ていたのですが、日本からの取材は僕ひとりでした。チベタン・オリンピックは2週間かけて行う運動会のような祭典でした。男女それぞれ12人くらいの選手が、射撃、アーチェリー、マラソン、100メートル走、100メートルハードル、水泳など十種類の全種目を競いあい、総合得点で金銀銅を決めます。主催者がいろんな学校に声をかけたり、webなどで募集して集めた選手たちなのですが、皆ほとんど初めて行う種目なので、最初の1週間は練習、本番は2週目からといったユニークなスケジュールでした。例えば水泳は、山育ちのチベット人は泳げない選手がほとんどだったのですが、プールには風船を繋げてレーンを作ります。水泳本番、みんなで買ってきたロープにふくらませた風船をくくり付けていって、レーンを作ったのですが、ふと気になり“このプールは何メートル?”と尋ねると、実は選手も実行委員も知らなかった。後から図ってみたら19メートルと中途半端でしたが、彼らの中ではそんなこと重要ではないのです。村中の人々が観客として集まり、大きな運動会みたいに楽しんでいました」








チベットは、人権問題といった暗い部分の情報ばかり入ってきているが、チベット人の魅力だとか、文化をもっと多くの人々に知ってほしい、と下田氏は語る。



「色々な国を旅行してきましたが、僕が知っている民族の中で、チベット人が一番チャーミングな人たちだと思います。政治的なことはよくわかりませんし、善と悪といった境界線が自分の中で割り切れない。中国人の知人もいるし、彼らもとても親切な人たちですから。でも、悲惨な現実があることは実際に話を聞いて知っているので、僕にできることをしようと思っています。絵や本などの仕事を通してチベット人の魅力を伝えたい。そういう一面があるから人間として愛着が持てるのだと思います」



(取材・文:神田光栄)





下田昌克氏プロフィール



1967年7月24日生まれ。1994年から2年間、中国、チベット、ネパール、インド、そしてヨーロッパを旅行。その2年間に 会った人々のポートレイトを描き続け、1997年、日本に持ち帰った絵で週刊誌での連載を開始し、 本格的に絵の仕事を始め、現在に至る。著書に、2年間の海外旅行での絵と日記をまとめた「PRIVATE WORLD」(山と渓谷社)。ネパールでのスケッチブックをまとめた「ヒマラヤの下インドの上」(河出書房新社)など。



http://www.701-creative.com/shimoda/






『風の馬』

2009年4月11日(土)より渋谷アップリンク他、全国順次ロードショー



監督・脚本・編集:ポール・ワーグナー

出演:ダドゥン、ジャンパ・ケルサン、他

1998年/アメリカ/97分

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『風の馬』チベット連載第4回:日本で暮らすチベット人「第3世代」が感じることとは(西蔵タシ) http://www.webdice.jp/dice/detail/1358/ Tue, 10 Mar 2009 12:13:40 +0100

1950年、突然の中国軍の侵入により主権を奪われた仏教国チベット。その9年後、ダライ・ラマ14世はインドへの亡命を余儀なくされた。中国共産党政府によって統治されたチベットでは、宗教弾圧、人権侵害などの圧政が続き、それを嫌って亡命するチベット人はあとを絶たない。チベット亡命政府のあるインドのダラムサラに暮らす難民もすでに3世代目となった。

現在、日本で生まれたチベット人の「第3世代」はほとんどチベット語を話せず、驚いたことにチベットに興味がない人もいるという。チベットコラム第1回で紹介した西蔵ツワン先生のご子息である西蔵タシさんに、彼ら第3世代がチベットについてどう感じているのか、話を聞いた。

タシさんは、チベット生まれの両親をもち、彼自身は日本で生まれ、大学で国際政治を学んだ。現在はオーストラリアの大学院に通っており、難民支援やチベット問題を学んでいる。






── まず、映画『風の馬』をご覧になられていかがでしたか?


チベットにおける人権侵害の話は、本やペマ・ギャルポさんのエッセイなどを読んで知っていましたが、映像で観たのはこれが初めてでした。映画の主人公であるドルカなど第3世代のチベット人と中国人との関係、それとドルカのお祖母さんたち第1世代と中国人との関係は違っていて、どんどん複雑化しています。ドルカは歌手で中国人の恋人がいますし、刑務所でペマを拷問する看守がチベット人だという設定からも、チベット人と中国人が関係を持たざるを得ない状況になっているのだと思います。一方お祖母さんの世代は完全に対立していたので、両者の関係は遠かったのでしょう。




── では、タシさんのように外国で暮らすチベット人にとって中国人はどのような存在なのでしょう?


チベットで生活するチベット人と、外国にいる僕たちの状況もまた違っていて、僕たちの場合は直接迫害を受けているわけではないので、嫌悪感情みたいなものはありません。しかし、また別の問題が出てきており、例えば、僕たちはチベットの文化を維持できていません。もしチベットが10年後に独立したとして、外国にいるチベット人が祖国に帰りたいかというと、多くの人が帰りたくないと言うでしょう。両親はよく、「独立したらチベットに行くぞ」と言っていますが、僕は日本で生まれ、日本で育ったので「チベットに帰るんだ」と素直に思えないのです。



チベット人は、日本に60人程度住んでいますが、両親がともにチベット人の子供というのは、うちを含めて2家族だけで、あとはチベット人と日本人の子供です。僕はチベットの言葉や文化を学びたいと思っていますが、なかなか学ぶ機会がありません。なぜ両親が僕にチベット語を教えてくれなかったのだろう、と不思議でしたが、両親が日本で働くことは容易なことではなく、父は医者になるのにとても苦労していますし、母も看護婦として働いており時間がなかったのだと思います。





風の馬01

映画『風の馬』より


── お父様のツワン先生から、チベットにいた幼少期に洗脳教育を受けて“ダライ・ラマは反逆者だ”と信じ込んでいたという話を聞いてとても驚きましたが、タシさんはどう思われますか?



簡単に洗脳されてしまうのだから、面白いと思いました。中国共産党は中国人に対してもそういった歴史教育を行っているわけだから、僕の父と同じように洗脳された考えを持った人が大多数でしょう。ただその中でも、都市部の若者は変わってきているのだと思います。現在、オーストラリアに留学して約8ヶ月が経ちましたが、僕には中国人の友達もいます。彼らは都市部の出身者が多く、お金持ちで共産党にいくらかお金を払って外国に来ています。彼らはインターネットを介して中国がチベットにやってきたことを知っていますが、彼らにとってチベットは遠い世界の話だと感じているようです。



僕の場合も、チベット問題はアフリカの貧困の問題と同じように、決して身近な問題ではありませんでした。血はチベット人ですがチベット語も話せないし、日本で生まれて育ったのでアイデンティティがあやふやだという理由もあります。ですが、自分の幸せは何だろうと考えたとき、最終的には親を幸せにすることだと思っているので、チベット問題を解決するという意識を持つようになったのだと思います。




── 昨年の北京五輪開幕時の騒動が起きたとき、何かアクションを起こしましたか?



長野の聖火リレーには行ってきました。ちょうど卒論を書いていた時期でチベット問題を調べており、その時は感情的にも中国人のことが嫌いでしたし、関心がピークにありました。それと、自分の目で現場を見て、実際に中国人と対話できるのか試したいと思ったのです。そこで受けた印象は嫌なことばかりでした。対話は全くできないし、対話しようとすると、「君は中国の歴史を知っているのか」と言われてしまう。「チベットはずっと中国の一部だったんだ」と言われ、最終的には「ダライ・ラマはクソだ」と。だんだん小競り合いみたいになるので、警察がすぐに止めてしまう。すごく気分が悪くなって帰りました。



風の馬

映画『風の馬』より


── まわりの方からチベットの問題を聞くことがあると思いますが、タシさんはこのチベット問題をどのようにお考えですか?



僕は自分なりにチベット問題を客観的に見ようと思って努力しています。色々なチベットの悲しい話を耳にするのですが、僕自身はそういった感情的な部分だけでいつも「チベットはかわいそうだ」という結論に達することに、実はうんざりしています。そういったことばかりを情報として流して、国際的な支持を得ようという戦略もあるのでしょう。政治や国際社会の中で、中国とチベットの関係はどうだったのかと考えた時、例えば、地理的な問題や仏教の国だから軍隊を持ちたくないという理由で、チベットは外交をせず国として成立していなかった。だから、簡単にどこの国でも侵略できたのだし、外交も積極的にしていなかったから、結局中国とイギリスの間で話がまとまって、チベットは疎外されてしまっていた。そういう問題も、冷静に客観的に見ないといけないと思います。




── 今、チベット問題を解決する方法はあると思いますか?


一番有効だと思うのは、中国人に直接働きかけることだと思います。『風の馬』のようにチベットの映画を上映することも一つの方法でしょう。この映画をもしかすると中国人が観るかもしれない。逆にこの映画を観た日本人が中国人に働きかけることもできる。そういった小さな積み重ねで、中国の民主化が促進されれば良いと思います。




将来は国連職員になり、難民支援に従事したいという。国連は中国が常任理事国であり、またチベット人を難民だと認めていないため、チベット問題に関わるのは難しいそうだが、「僕の父が医者という仕事を持ちながら、チベットの難民キャンプで働いていたように、僕はアフリカの難民支援をしながらチベットのことも支援していきたい」と夢を語った。



(取材・文:神田光栄)





『風の馬』

2009年4月11日(土)より渋谷アップリンク他、全国順次ロードショー



監督・脚本・編集:ポール・ワーグナー

出演:ダドゥン、ジャンパ・ケルサン、他

1998年/アメリカ/97分

配給・宣伝:アップリンク

公式サイト




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『風の馬』チベットコラム第3回:現地からリアルタイムでチベットの本音を伝えたかった(モーリー・ロバートソン) http://www.webdice.jp/dice/detail/1360/ Wed, 11 Mar 2009 12:54:02 +0100

チベットから生放送を実現するまで



文:モーリー・ロバートソン

(ラジオDJ・ポッドキャスト「i-morley」主催者)




『風の馬』を観て、チベットとは不思議な縁だったのだと改めて感じました。映画の中で、歌手のドルカと拷問された従姉妹のペマが幼い頃の思い出の歌を歌うシーンがあります。「牧場で靴をなくした兄弟 靴のことは心配しないで 明日の朝 市場へ出かけて 新しい靴を買いましょう」といったチベット語のフレーズで、ゆっくりなテンポの童謡なのですが、この歌が入ったVCDを2002年に中国青海省の西寧(せいねい)という街で手に入れました。当時はまだ西部大開発が進んでおらず、西寧は偏狭の地だったのですが、チベット人が集うレストランやバーで大ウケしている「唐古拉」(タングラ)というVCDがあり、若者が総立ちで踊るようなポップな曲の中の1曲目がこの歌だったのです。



今にして考えると、『風の馬』が最初に欧米で上映され、中国政府が不快感を示した時期に、「中国資本できちんと管理するから、自分たちの歌を歌って良いですよ」というガス抜き的な意味でチベットの歌やVCDの販売を許可しており、そういったせめぎ合いの真っ只中だったのでしょう。チベット人の若者があの歌で楽しそうに踊っているお店に入ったのですが、なぜか怪しい雰囲気があり、「外国人なのに来るな、なぜお前たちがここにいるんだ」というような目で見られました。それがずっと腑に落ちないまま、2007年に初めてチベットのラサを訪れたのです。



チベットへ行くきっかけは、青蔵鉄道が開通して恐ろしい速さでチベットに行けるようになったので、これはチャンスだと思ったのと、ハイビジョンのハンディーカムが売り出されたので、面白い映像が撮れるという期待がありました。そこで、チベットの知られざる風景と文化を写真にとらえ、現地から配信するという趣旨で日本ポラロイドに提案をしたところ、企画が通ったので、2007年に約2ヶ月間にわたりアート・プロジェクト『チベトロニカ』の総指揮を務めました。『チベトロニカ』とはチベットのラサ等で取材し、直接触れて実感したことを日記、写真、映像、音声等でレポートする企画です。映像配信には「iTunes」のポッドキャストや「YouTube」、「Skype」を使用し、更に現地からインターネットラジオでの生放送を行いました。



チベット03

撮影:モーリー・ロバートソン


チベットから外の世界に出てくる情報は、NGOや一部のジャーナリストが書く内容と中国政府の発表が真っ向からぶつかっています。あまりにも違うので、チベットに実際に行くまで、どちらの情報も信じ込まないようにしました。「人助け」を大義名分にする活動家にはむしろ不信感を持っていたほどです。また、そもそもチベットを取材する行為そのものにリスクがあるので、当初はプロジェクトが中断されないことだけを気にしていました。ですが、現地入りしてあちこち撮影する内に、だんだんと皮膚感覚で実情を捉えられるようになりました。このプロセスも未発表のドキュメンタリー素材になっています。何日かすると、NGOや活動家側の主張がおそらく100パーセント正しいな、という直感が働きました。そうなると、現地からリアルタイムでいったい何を伝えるのか、ということが次の大きな課題になりました。見たまま・感じたままを語ってリスクを冒すべきか、沈黙すべきか。チームのみんなで相談した上、イチかバチかで全部しゃべっちゃおう、という結論に至りました。



『チベトロニカ』の暗黙の了解として、政治的なタブー領域に触れないという条件が盛り込まれていました。本音と建前を使い分けたのですが、建前としては『チベトロニカ』でチベットの風光明媚を語るという内容で、放送は夜11時に終了し、その後ポッドキャストの『i-morley』に切り替わったことを生放送の中で宣言しました。そこから先はポラロイド社の協賛企画の管轄外である、という形式を取ったわけです。『i-morley』は本音の部分で、チベットでの最初の3日間は、中国がいかにチベットを良くしたかについてわざと話し、時おり「うっかり」危険な言葉を発したりしながら中国の反応を見ました。今の状況では、おそらく日本語版や英語版の「Skype」でも盗聴可能なのではないかと思いますが、当時の「Skype」では、日本語版や英語版には盗聴機能がついていなかった。だから結局私が何を発言しても、中国からは何も言ってこなかったのです。ですから、帰国間際には「ダライ・ラマ万歳」だとか 「チベット独立!」だとか、好き放題に言っていました。



モーリー・ロバートソン



インターネットは四つ星以上のホテルだと、中国政府が太い光ファイバーをひいているので中国国内では東京都内よりも速いスピードで繋がり、その日チベットで撮ったものを同じ日に日本でも見ることができます。政府が政策として4000m級の山に回線をひいたのですが、利用者が少ないので回線の繋がりが速いのでしょう。また、街のネットカフェだと監視が厳しいのですが、ホテルはチベット人が出入りできない場所ですから監視が甘かった。いろいろな実験をしましたが、運良く危険な目には一度も遭いませんでした。



チベットの印象ですが、イメージしていたものとは全然違いました。山に行くと写真で見たチベットと同じ風景でしたけれど、ラサは既に漢族化が進んでいましたので近代化していました。驚いたのは、中国で買ったNokiaの携帯で「Skype」を着信できることです。「Skype」から直接一般電話や携帯に電話をかけることを「SkypeOut」というのですが、東京に『チベトロニカ』の心臓部があり、そこから「Skype」で発信するとNokiaの携帯に繋がります。誰も考えたことがないと思いますが、携帯が中継車のマイクになるのです。実は行ってみて初めて現地の状況がわかったので、その新たなデータを基に、日本側にいたハッカー級の技能を持ったチームが次々と通信の裏技をリアルタイムで編み出していきました。その連携の上で生放送が成り立ったのです。



チベット02

撮影:モーリー・ロバートソン


ラサ市内を歩く際は、必ず日本語が話せる中国人ガイドがついてきました。ガイドは監視も兼ねていましたが、彼らが知っている日本語は限られていますし、英語はほとんどわからないようなので、仲間同士の「危険な」話は英語でしました。チベット人が集まる賭場に入り込んだ時には、中国人がいないのでチ ベット人が「ハロー」と陽気に声を掛けてきました。ICレコーダーをONにしたままで、いろいろな面白い話を聞きました。



例えば、「チベット人は自業自得 だ。自分たちの文化を大切にせず仏教ばかり信じて科学を否定した。だから近代化に遅れて今の状態になった」といった内容をチベット人が話してくる。でも実 は、彼が本当に言いたいことは「若者が漢化政策でチベット語を話せなくなり、文化消滅の危機にある」ということ。相手にもこちらの意図がわかるので、言っ てはいけないことをモザイクがかかったような遠い言い回しで話し、阿吽の呼吸で会話しました。もうひとつ気をつけたのは、中国政府は検閲でフィルムやカー ドを没収するので、ICレコーダーに録音したデータをその日のうちにサーバーにアップし、ICレコーダーからすぐに消すということです。



『風の馬』はデジタルカメラだったからラサで撮影できたわけで、アナログの時代だったら難しかったでしょう。『風の馬』の内容は、私がいろいろなところで 漏れ聞いた話とほとんど同じだと思います。この内容をチベットで劇映画として撮ったのはすごいと思う。今もどんどんデジタル化していますから、ITの技術 を駆使すれば中国の「金の盾」と言われる情報検閲システムが無力化し、真実がすべて明るみに出る日も遠くはないでしょう。



【関連リンク】

i-morley

チベトロニカ






『風の馬』

2009年4月11日(土)より渋谷アップリンク他、全国順次ロードショー



監督・脚本・編集:ポール・ワーグナー

出演:ダドゥン、ジャンパ・ケルサン、他

1998年/アメリカ/97分

配給・宣伝:アップリンク

公式サイト



『風の馬』公開記念イベント 4月12日(日)


日時:2009年4月12日(日) 上映12:30 / トーク14:10

ゲスト:モーリー・ロバートソン(ラジオDJ・ポッドキャスト「i-morley」主催者)

    福島香織(産経新聞記者)

会場:アップリンク・ファクトリー(東京都渋谷区宇多川町37-18トツネビル1F)[googlemaps:アップリンク・ファクトリー]

料金:当日一般1,500円/学生1,300円/シニア1,000円

※前売り券もご利用いただけます。

★ご予約はコチラから




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『風の馬』チベットコラム第2回:深い信仰を持つ人々は心を偽れない(福島香織) http://www.webdice.jp/dice/detail/1338/ Tue, 03 Mar 2009 15:40:47 +0100
勤行中のサキャ寺の若い僧たち(撮影:福島香織)


心偽れぬチベット



文:福島香織(産経新聞記者)



映画の中で、尼僧ツェリンがダライ・ラマの写真所持の罪で尋問を受けたとき、「写真が奪われても、(ダライ・ラマは)心からは消えません」と答えるシーンがある。このシーン、既視感がある。



2007年7月。外国メディアが自由に足を踏み入れる事の出来ないチベット自治区に、私は中国外交部(外務省)主催のプレスツアーに参加する形で記者として初めて訪れた。自治区第2の都市シガツェから150キロ南西のサキャ寺に行ったときのこと。住職が私たち外国人記者を前に会見を行った。チベット仏教4派のひとつサキャ派の総本山のこの寺は、文化大革命で建造物のほとんどが破壊されたが、ちょうど当局から莫大な金額の支援を受けて修復が進んでいた。記者会見は本来、共産党がいかに文化財修復に尽力しているかをチベット僧の口から宣伝させるためのものだった。



住職の会見風景


だが会見の後半、ドイツ人記者の質問で様相が変わった。「ダライ・ラマ14世に帰ってきて欲しいですか」。これは外国人記者がチベットで必ずする質問だが、普通は、ダライ・ラマ14世を否定する中国当局から教えられた模範解答を答える。「ダライ・ラマが政治活動と祖国分裂活動を完全に停止すれば、われわれは受け入れる用意がある」といったぐあいに。実際、ラサやシガツェの寺院関係者が行った記者会見での答えは全部そうだった。しかしサキャ寺住職は、素直に「はい」と答えた。記者の方が驚いて「もう一度聞かせてください」と問うと、住職は「ダライ・ラマ14世に出来るだけ早く帰ってきてほしいです」とはっきり答えた。さらに別の記者が聞く。「ダライ・ラマは宗教領袖だと思いますか」。「はい、その通りです」…。


写真:サキャ寺住職の会見風景(撮影:福島香織)






予想外の住職の返答に、顔色を変えたお目付役の外交部職員がマイクを奪い「ダライ・ラマ14世は宗教領袖であるまえに、政治屋であり祖国統一を阻む分裂主義者です。ダライ・ラマが政治活動を完全に停止し、分裂主義を放棄すれば、という前提ですよね」と牽制をかけた。住職も顔色を変えて頷いたが、続けて私が「あなたはダライ・ラマ14世を本当に分裂主義者だと信じているのですか」と質問すると、住職は何か言いたげに口をあけたものの、押し黙ってしまった。



住職


この会見後、住職のまわりに記者が集まり口々にたずねた。「あんな答え方をして大丈夫なのか」。すると住職は「たぶん、私と私の周囲の人に面倒がふりかかるでしょう。しかし、ウソはつけない」と語ったのだった。チベット仏教の五戒(不殺生・不偸盗・不妄語・不邪婬・不飲酒)の教えに従う僧侶はウソ(妄語)がつけない。公安警察の尋問に、正直にダライ・ラマへの信仰を語ってしまうツェリンのように。



写真:住職に修復現場を案内されながら質問を続ける記者ら(撮影:福島香織)


深い信仰を持つ人々は心を偽れない。ただそれだけなのだが、信仰を持たぬ中国共産党にとってはそれがふてぶてしく頑迷な抵抗と映る。それがすべてダライ・ラマ14世の存在のせいなのだとして、耳や目を覆いたくなるような苛烈な弾圧を加えて、彼らの心からダライ・ラマを追い出そうとしてきた。映画は 1979年に抗議ビラ一枚配っただけで処刑された祖父と97年、その孫にあたる尼僧ペマの拷問死に絡む物語が描かれているが、同じような物語が1959年のダライ・ラマ14世亡命以降、いったい何度繰り返されてきたのだろう。








昨年3月14日にラサで発生した騒乱は、そういった弾圧の果てにたまりにたまったチベット族の怒りも〝燃料〟となったことは間違いない。あの騒乱のさなか、普段は「私は漢族とともに生きる」と冷静だったラサ在住のチベット族の友人は「中国政府の言っていることはウソばかりだ!」と悲鳴のようなメールを送ってきた。中国中央テレビは、ダライ・ラマに扇動された凶暴なチベット族によって無辜の漢族市民が殺されたと報道していが、暴動とは無関係の多くのチベット族の青年や僧侶が発砲を受け犠牲となった、と訴えた。その遺体は家族のもとに返されることもなかったという。



風の馬02

映画『風の馬』より


事件は甘粛、青海、四川などのチベット族自治州にも広がり、その犠牲者の正確な数は把握されていない。事件後に言われなき罪で逮捕され拷問にあった人もいた。青海省の知人から聞いた話では、ある女性は、インドに亡命した家族に安否を確認する国際電話をしただけで、国家機密漏洩罪で逮捕され、映画の中でペマが受けたようなおぞましい拷問を受けたという。事件後に、全国の役所や大学や企業に勤務するチベット族は厳しい自己批判を迫られた。ウソのヘタな大勢のチベット族が仕事を解雇され、制裁を受けた。あるいは制裁の厳しさと経済的豊かさというアメの前に屈し、同じチベット族を密告するものも現れ始めた。「チベット族の最悪の敵はチベット族」「チベット族だけ文化大革命時代に取り残されている」。そんな声も聞く。状況は映画が作られた10年前から変わって いない、いやむしろもっとひどくなっている。


昨年、北京五輪聖火リレーのおかげもあって、日本を含む国際社会はチベット問題に注目した。北京五輪を成功裏に終えるため中国もダライ・ラマ14世 との対話を再開させるなど妥協姿勢も見せた。しかし、五輪が終わると、国際社会のチベット問題への関心も薄れつつある。しかも3月10日のチベット民族蜂 起(チベット動乱)50周年という敏感な季節を迎え、地域のチベット族への監視や締め付けぶりは「何がおきてもおかしくない」というほどの緊張感をはらんでいる。


映画の主人公の歌姫・ドルカとドアンピンのように、個人であれば漢族とチベット族は恋人にもなれる。チベット問題を生んでいるのは人ではなくて政治、体制だ。しかし政治や体制が生む悲劇を食い止めるのは人しかいない。この映画をみて、何がしか胸に迫るものを感じたら、どうかその心を偽らず視線をチベットに注いでほしい。今なお厳しいチベットの現実に歯止めをかけるのは、そういう一人ひとりの心だと思うから。





『風の馬』

2009年4月11日(土)より渋谷アップリンク他、全国順次ロードショー



監督・脚本・編集:ポール・ワーグナー

出演:ダドゥン、ジャンパ・ケルサン、他

1998年/アメリカ/97分

配給・宣伝:アップリンク

公式サイト



チベット民族蜂起50周年

3月10日(火)、13日(金)『風の馬』『雪の下の炎』プレミア上映会



チベット民族蜂起50周年を迎える今、チベットを知るための上映会を開催。『風の馬』と『雪の下の炎』の2本立てプレミア上映会となります。

日時:3月10日(火)、3月13日(金) 開場18:45 / 開映19:00 (22:00終了予定)

料金:一律2,400円

※両日17:45より受付にて整理券を配布します。

★ご約はコチラから



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『風の馬』チベット・コラム 第1回:チベット人の魂は抑圧できない(西蔵ツワン) http://www.webdice.jp/dice/detail/1305/ Tue, 24 Feb 2009 11:02:30 +0100
西蔵ツワン氏


チベットの魂



文:西蔵ツワン

(武蔵台病院 副院長、埼玉医科大学 消化器肝臓内科 非常勤講師)



私は1952年にチベット第二の都市シガツェで生まれました。父はチベットでとれる岩塩をインドやネパールへ運び米と交換する、いわゆる「塩の道」の交易を仕事としていました。ところが59年の動乱で、人民解放軍はチベットの指導者たちを次々と逮捕していき、私たちの平穏な生活はあっという間に崩れていきました。その頃、仕事でインドに滞在していた父は、危険を感じひとりインドに亡命しました。それから三年間、私は中国政府がつくった小学校に通いました。そこで学んだ中国共産党の教育は、“洗脳”ともいえるものでした。今では信じられませんが、幼かった当時の私はダライ・ラマ法王を“反逆者”、“国家分裂主義者”だと信じていたのです。



1962年、私は家族と共にチベットからインドへ亡命しました。10歳のときでした。すでにインドに亡命していた父が、近所の人に見つからぬようボロボロの服装で、家族を迎えに戻ってきたのです。但し、両親は私に「温泉に行くよ」とだけ告げました。洗脳教育に染まっていた実の子を、両親は騙さねばならなかったのです。

チベットの国境地帯に配置された中国政府の警備隊に見つからぬよう、月が出るのを待って夜間に歩き、眠るのはいつも山の中の洞窟です。もう春先でしたが、ヒマラヤ越えは寒い道行で、膝くらいまで残っていた雪でズボンがびしょぬれになり、凍傷にならなかったのが幸運なくらいでした。こうして、雪に覆われた3000メートル級のヒマラヤを、約一ヶ月かけて越えました。



風の馬場面01


インドのダージリンにあるチベット難民センターに収容された後、英国系の全寮制学校に入学し、私の生活は一変しました。そこでの授業はすべて英語でおこなわれ、近代的な教育を受けました。次に大きな転機が訪れたのは1965年、13歳の時でした。毛呂病院(現・埼玉医科大学)の前理事長・丸木清美先生の働きかけで、初めて日本の地を踏みました。そこでようやく中国とチベットの関係や、政治の事情がわかってきました。



ダライ・ラマ法王が初来日した67年に、初めて法王にお会いしました。その時法王が言われた「将来、チベット人のためになる専門分野を持ちなさい」という言葉を胸に、私は医学の道を選び、医者になりました。数年前、中国からきた若い研修生たちに指導をしたことがあります。「実は私はチベット人です」と告げると、彼らは一様に驚いていました。研修生たちはチベット人を無教養で野蛮人だと思っていたのです。“チベットを中国共産党が解放した”としか教わっていない。中国政府は中国国民に対しても、都合のいい様にしか教育していないのです。



私は日本の若い人たちに、チベットを様々な角度から知っていただきたいと思っています。一般的にチベットというと、政治的な問題や宗教的なイメージがありますが、それだけを強調されると私は悲しくなります。チベットには長い歴史と文化があり、伝統があるのです。例えば、チベットの民族衣装やアクセサリー、アートなどの側面からもチベットを知ってもらいたい。また、チベットにはダライ・ラマ法王という素晴らしい指導者がおりますし、私はチベット仏教を世界の財産だと思っています。殺伐とした日本の現代社会に於いて、精神的な面で貢献できるものの一つはチベット仏教だと思います。



ボタラ宮

紀元前7世紀頃、チベット自治区の区都ラサ市にある紅山の上に造営されたダライ・ラマの冬の宮殿ポタラ宮



法王は今、精神的な部分は科学的に証明する事ができるという、チベット仏教科学に力を注いでいます。幸せは祈りや瞑想だけではなく、人間の中の感情や本質 を見極め、それを明らかに認識すること、信心の心だけではなく科学的アプローチで訓練することによって生まれてくるものだと考えます。チベット仏教というのは、何かを崇めたりするのではなく、もっと哲学的な側面が強いのです。その中で精神的な瞑想も含めて、心の平安が如何に重要かを説いています。心が平安 だと免疫力が上がるというような理論です。



チベット仏教の伝道は2000年あるといわれています。信仰を土台とした魂はチベット人の生活の基盤になっています。2000年近くあるチベット人の魂を、たかだか50年、60年で表面的に抑圧しても、心の中までは抑圧できないと思います。この状況が長くなればなるほど、中国の罪は重くなる。歴史というのは変化しますからいつか歪みが生じます。その時、中国に様々な問題が出てくるでしょう。



『風の馬』を観て、50数年前からチベットの問題は全く変わっていないのだと、改めて実感しました。この映画こそ真実だと思います。映画に登場する3世代それぞれには心の中にある“チベットの魂”を感じました。お祖父さん、お祖母さんは中国に対する感情をストレートに表現し、お父さん、お母さんは抑圧された状況の中で生活をしている。一方子供たちはというと、妹のドルカは中国の文化を好み中国人の恋人がいますが、兄のドルジェはそんな妹を疎ましく思っています。それぞれの世代で感じ方が異なりますが、チベット人のもつ気質や魂は歴然として、彼ら心の中にあるのです。



風の馬場面02


もう一つ印象的だったのは、チベット人も中国人もみんな犠牲者だという事です。ドルカの恋人の中国共産党員の青年も犠牲者でしょう。ドルカのお祖父さんは、文化大革命の際に中国人によって射殺されましたが、恋人のお父さんもまた、文化大革命の際に四川省で殺されております。投獄された尼僧のペマはチベット人の看守によって拷問されますが、その看守も犠牲者です。彼らにも生活があり、やらなければ搾取されてしまいます。恐らく看守としての役割を終えて家に帰れば、仏壇やタルチョがあり、チベット式の住居で生活しているはずです。



映画の登場人物の中で、個人的には中国指導部に一番同情しました。彼らは今起きている事に気づいてない。いずれ全てを精算する時がやってきます。今の状況では、チベット人にとって失うものはもう何も無く、闘うしかありません。闘うという事は決して暴力ではなく、仏教の慈悲の心を持ちひたすら耐える事です。チベット仏教の哲学は耐える事、憐れむ事、それが根底です。時間はかかるかもしれませんが、いつか中国が民主化し、今まで行った事が全て浮き上がれば、今度は彼らが裁判にかけられます。その事実を今の中国指導部は知っておかなければいけません。






しかし、今後も抑圧政策は続くでしょう。それを変えるためには、もっと国外の人々が声を大にしなければいけません。そのためにはこのような映画を通してチベット問題を多くの人々に知ってもらうことがとても大切だと思います。






『風の馬』

2009年4月11日(土)より渋谷アップリンク他、全国順次ロードショー



監督・脚本・編集:ポール・ワーグナー

出演:ダドゥン、ジャンパ・ケルサン、他

1998年/アメリカ/97分

配給・宣伝:アップリンク

公式サイト



チベット民族蜂起50周年

3月10日(火)、13日(金)『風の馬』『雪の下の炎』プレミア上映会



チベット民族蜂起50周年を迎える今、チベットを知るための上映会を開催。『風の馬』と『雪の下の炎』の2本立てプレミア上映会となります。

日時:3月10日(火)、3月13日(金) 開場18:45 / 開映19:00 (22:00終了予定)

料金:一律2,400円

※両日17:45より受付にて整理券を配布します。

★ご約はコチラから



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