家族の赤裸々な日常生活を撮影し、一連の人間ドラマに仕立て上げてしまう若手写真家・殿村任香。全て計算されたような構成だが、一切の演出もなく彼女の表現に対する渇望と家族との絆が偶然を超えた物語に仕立てる。写真家・荒木経惟に「写真界に現れた黒女豹」と評された殿村任香が、今年10月初旬に初の写真集『母恋 ハハ・ラブ』(赤々舎)を出版した。彼女の写真に対する姿勢、家族について聞いてみた。
殿村 任香
写真集『母恋 ハハ・ラブ』より 全10点
祖父が戦時中に使ってたカメラが押入れからポーンと飛んできたんです。
── 写真家になろうと思ったきっかけを教えてください。
今でも写真家という意識は全くないんですけど(笑)。専門学校の放送映画学科にいた頃、8ミリカメラでずっと家族を撮ってました。ある日、パタッと何もできなくなって、しばらく毎日七転八倒、何をしていいかわからない状態が続いてたんです。卒業制作で撮ったものが、自分のなかで「ああもういい」みたいなところがあって。
── その映像自体に?
いえ、一段落ついた10代の特有な感覚、つまり憑き物が落ちた様な状態になった時に、何もできなくなってしまったんです。でも、ある日突然、何かしたいけど何も出来ない時に、祖父が戦時中に使ってたカメラが押入れからポーンと飛んできたんです。
── 信じられないような話ですね(笑)。
信じてもらえないと思うんですけど、本当にポーンと。で、「なんじゃこれ」と思って「そうか、カメラって手があるなー」と。その頃、母の体にあった傷跡が格好いいと思っていたので、それを撮ろうと思って。最初に撮るヌードは絶対に母がいいと思っていました。
── それはなぜですか?
漠然と女を撮りたいと思っていて。それは映像でもどちらでもよかったんですけど、写真は写真屋さんに出せばすぐ見れるじゃないですか。とにかく飢えてる状態だったから、早く自分の中のものを形で見たかったんです。それが、写真だったんです。で、台所の前で撮らしてもらったのが1番初めに撮ったものです。
写真にいつも教えられます。
── 『母恋 ハハ・ラブ』の中の写真で、キッチンの壁に「我が家の幸い家庭」という貼り紙があってインパクトありましたね。
これは母が知り合いの人から「こう書いてれば幸せになれる」って言われて貼ったんです。
── 演出ではないんですね。
ええ、もともと貼ってあったものです。そこから私が題名を頂いただけです。これを撮ったのが2002年ぐらいで、その後に「我が家の幸い家庭」(2004年個展)になるんですが、自分の中ではここがリンクしていています。「我が家の幸い家庭」を映像にたとえるなら、冒頭のシーンのようなものです。全てはここから始まったんです。
── 「我が家の幸い家庭」は、撮る前からずっと思い描いてたんですか?
いえ、全く思ってなかったです。たまたま事件が起こると、撮っていましたね。それで、撮った順番に並べていくんですが、写真が「こっちこっち」という感じで私を呼ぶんです。それで題名を考える時に、「これは外せないなぁ」と思って撮った写真を見たら、「我が家の幸い家庭」って書いてあることに気づいて「これだー!」と思って。
── 偶然がうまくタイトルに結びついたんですね。
でも、私が気づかなかっただけで決められていたことだろうと思います。写真にいつも教えられます。それから、タイトルの後に副題で母のなんちゃって俳句を付けたんです。「その時は、死んでもいいと思ったよ」ってつけたら、なんて素晴らしいんだって思いました。
── お話を聞いていると、写真と映像がつながっているような感じがします。もともと映画は好きなんですか?
はい。映画キチガイと言っていいくらいです。学生の頃は、実験映画や寺山修司、デレク・ジャーマンが大好きでした。やっぱり、映像は自分にとって大事なものですね。でも、写真が映像を超える瞬間を見てしまってからは、写真の凄さに気づいたんです。
── それは自分の作品で?
いえ、違います。私が本当にすごいと思う方の写真です。すごい瞬間を目撃したんです。それで、あたしは間違ってるけど、間違ってないっていうふうに思えたんです。
── 殿村さんの写真は真面目に撮られてる半面、いい意味で遊んでるような感じがしますね。
「我が家の幸い家庭」の時は、1枚1枚の重要性なんて全く関係ないし「とりあえず撮ろう」と思って撮ってました。今から考えると、写真で映画をしようとしていたんだろうと思います。やっぱり、生理的に気持ちいいんです。間合いとか、文章で言う行間みたいなところが、映像でも入れられるんです。聞こえる音ではなくて、映像が流れて「ウン、タタタタン」みたいな感じで流れる自分のリズムがあって、気持ちいい音のリズムなんです。それを写真でやろうとしてるんです。『母恋 ハハ・ラブ』に関しては少し違いますけど。
── 今回の『母恋 ハハ・ラブ』はスキャンダラスな内容がありますが、周りの反響はいかがですか?
とても冷ややかなものでしたけど、出来事が面白いという方向にとられるのでその辺は気にしてません。それは当たり前のことだと思うので。その点を通り越して見てくれる人がいると、本当に有難いと思います。
── とにかく面白い絵を撮ろうとしたのですか?
あまり考えてないですけど、後から見るとそうかもしれません。撮っている最中はこうやりたいとかは全く考えませんが、編集作業は常に頭でしながら撮影はしています。
── 技術的な意識はなくとも、次々にストーリーができてるということですか?
そうですね。自分の中で一連の私小説、物語はできていて。そこに、はめこんでいく作業ですかね。でも、それもあとから考えれば、です。
こうしたいんじゃなくて、撮らせていただくっていう側です。
── 写真集は、写真の色にもこだわってるようですが。
手焼きなんですけど、闇のようなぬめる黒にしたくて。黒光りするような黒さだけど光る、深紅の漆のような黒にしたかったんです。
── 撮影中、気をつけていることや被写体のこの部分を撮りたいっていう意識はありますか?
撮りたい部分というよりも、そこにいるものが返してくるものを私が受け入れて返すだけ、という作業です。こうしたいんじゃなくて、撮らせていただくっていう側です。向こうが表現していることを、私が代わりに媒体となって撮ると思っています。
── それは受動的なようで能動的な、その人が持っているものを見つけて自分なりに表現しているということでしょうか?
そこで受け取って返してという作業の中で、やっぱりぶつかる瞬間がないと全然よくない写真になってしまいます。ガチっとくる。私もその分、返すっていうことです。
── では、いい写真が撮れた時は、ぶつかってるっていうような感覚があるんでしょうか?
そうなんですかね。やっぱりその時間の生を、瞬時に受け取る側なので、そういうことかもしれません。
── 生活や人に密着した写真を撮られてますが、それはなぜですか?
それしかできないから(笑)。
── そこに心が動かされるからでしょうか。
やっぱり人、特に家族が一番血が濃いですから。一番興奮しますし、一番冷静な部分を通り越したものが存在すると思うんです。
── 写真を撮ることによって、殿村さんは何を求めてるんでしょうか?
それが分かったらもう辞めていると思います。こんなしんどいこと、もうやりたくないですし。
── 今も探し求めてるということでしょうか。
探し求めてるというよりは、欲しいもの、その場に欲しくてたまらないもの。自分のものにならないのなら、せめて写真の中で殺してしまいたいくらいの欲求でやっています。そして生き返らせて、仮死状態にしてという作業を繰り返して。探し求めるという感覚ではなく、確かめたいのかもしれません。
── それが「創作活動=写真」の原動力ですか?
わからないですけど、なにか分からないものが私をそうさせているってことかもしれません。
(取材:山口生人)
■殿村任香(とのむら・ひでか)プロフィール
1979年神戸生まれ。2000年ビジュアルアーツ専門学校 放送・映画学科卒業。2002年より写真を撮り始め、2003年初個展「渦」開催。以降、2004年個展「我家の辛い家庭-その時は、死んでもいいと思ったよ-」(新宿・大阪ニコンサロン)、「殿村任香写映劇」(アップリンク・ファクトリー)、2005年「殿村任香写映劇-〇三〇五-」(アップリンク・ギャラリー)、2007年「ビバ・ホステスライフ」(歌舞伎町クラブ銀子)。2008年9月中旬に初写真集『母恋 ハハ・ラブ』を赤々舎より発売。
画像 : 初写真集『母恋 ハハ・ラブ』
【関連リンク】
殿村任香 公式サイト
写真集『母恋 ハハ・ラブ』赤々舎ページ(先行購入可能)
イベント情報
殿村任香×コザック前田(ガガガSP) トークショー
日時 : 2008年11月6日(木)19:00~
場所 : タワーレコード新宿店10F [地図を表示]
殿村任香×ハービー・山口 スライドトークショー
日時 : 2008年11月8日(土)19:00~
場所 : 青山ブックセンター本店内・カルチャーサロン青山 [地図を表示]
http://www.aoyamabc.co.jp/45/45210/
殿村任香×櫻田宗久 スライドトークショー
日時 : 2008年11月11日(火)時間未定
場所 : 恵比寿 Bar エンククイ [地図を表示]
http://entkukui.jp