日本を代表する写真評論家として著名な飯沢耕太郎氏が、突如1年前に「世界のキノコ切手」(プチグラパブリッシング1,600円+税)という書籍を出版した。世界中のキノコ切手3000種類以上のコレクションから約800点を選び、ひとつ一つ紹介する形で、国の数や国の特徴を偲ばせる多種多様なキノコ切手集である。写真評論家として定期的に出版物を上梓している氏だが、現在でもキノコ切手から発展し、キノコを人文的アプローチで研究、9月25日にはアップリンク・ファクトリー(渋谷)で初のキノコのイベントを開催するまでに至った。キノコ文学、漫画、映画と様々なジャンルからキノコを基点に調査する飯沢耕太郎氏に、キノコについて聞いてみた。キノコを研究していると日本はもう少し柔らかで豊かな国になるのでは、という飯沢さんの思いが伝わってくるような話だ。
キノコ切手で世界旅行する
── 飯沢さんというと写真評論家として有名で、それこそ多くの書籍を出版されましたがどうしてキノコの本(「世界のキノコ切手」)を出されたのですか?
プチグラパブリッシングの伊藤さんとの出会いが大きいですね。別の本の打ち合わせの時にたまたまキノコの切手を集めている話になって、伊藤さんもキノコ切手はなぜか気になっていた事を知って驚きました。「何枚くらい持っているか」と聞かれたので、「キノコ切手だけで3千枚はある」と言うと、だったら本にするのも面白いのでは、という話になり編集にとりかかったんです。実際に出版されるまでは、1年半くらいかかりましたね。結果として“キノコ切手で世界旅行をする"という彼のアイディアが成功したと思いました。国ごとに切手の種類があり、アジア編とかヨーロッパ編とか見ていくと、その国も別の見え方がしてくる。例えば、フランスならお洒落なデザインで印刷も凹版印刷法という特別な版を使っています。北朝鮮の切手はというと、ある意味下品なんだけど、独特のエネルギーが感じられて、それぞれその国の特徴が見えてくるんです。
── この本の切手は、全部飯沢さんのコレクションですか?
コレクションとしては、全部僕のですが、内容や構成は伊藤さんと一緒に決めました。編集にあたっては、キノコ切手を全部集めている世界一のコレクターと言われる石川博巳さんにずいぶん助けられましたね。切手を集めても名前を調べるのが大変で。石川さんはキノコの和名と学名を全部調べているんです。
── キノコの種類は何種くらいあるんですか。
日本にある名前が付いているキノコだけで、2千~3千種で、名前がついていないのを含めたら5千~6千種はあると言われてます。世界的に見たら学名がついているのは2万~3万種、全部含めたら50万種くらいと言われて、巨大で不思議な広がりをもっているんです。そこがキノコの一番面白いところですね。
── そんなにあるんですか?未知の部分が深いですね。
キノコ学者っていわれている人達でも、大きな広がりをもつキノコの氷山の一角しかわからない点に面白みがあると思います。 名前がついてないキノコって沢山あるのですが、例えば"ジョン・ケージ"が「キノコというのは種という概念にあてはまらない」と言っているように、人間は人間と言う一つの概念にまとめる事は出来るが、キノコは他のキノコの種との境界線がはっきりしない。なにやら、物の考え方が壊れていく。そこに得体の知れない魅力を感じますね。
(写真)キノコ好きとしても知られる、現代音楽の偉人 『ジョン・ケージ』 アップリンクよりDVD発売中
キノコ切手を集め始めて、僕の頭から本当にキノコが生えちゃった
── ところで、キノコキャリアはいかほどですか?
昔からずっと気にはなっていたのですが、きちんと研究し始めたのはキノコ切手を集めてからなので、4年くらいですね。ヴェトナムに旅行した時にキノコ切手を始めて纏め買いして、それがきっかけになって文献なども集め始めました。
── 4年の研究ですが、昔からキノコの世界に触れてはいたのですか。
そうですね。潜在的にはキノコの世界に入っていたんだと思います。たぶん、どこかでキノコの胞子に取り憑かれたんだと思います(笑)。96年に自費出版で詩集を出した時、『茸日記』というタイトルをつけました。詩を書いたのは25~26年前です。どうもその頃から取り憑かれたようですね。
(写真)飯沢耕太郎による25年前のキノコについての詩集「茸日記」表紙
── まさしく、キノコ詩集ですね。
ページの中にキノコのドローイングとかも入ってます。改めて考えると、キノコが気になっていたんですね。それで、胞子が知らず知らずのうちに発芽して伸びてきて、キノコ切手を集め始めて"僕の頭から本当にキノコが生えてきちゃった"という表現が正しいかな(笑)。
── キノコ切手以外に、キノコ狩りとかフィギュアにご興味はありますか?それこそ、写真評論家としてキノコ写真とか?
興味がないわけではないけど、キノコの写真というカテゴリーではそれほど愛がないかな。イラストの方がやっぱり見映えがいい。それにキノコ写真を撮る事はとても難しいと思いますよ。小さいし、森の中で光の条件もよくないし、キノコを撮ろうとしても余計なものが写ってしまうんです。ただ、伊沢正名さんというキノコの写真を撮らせたら世界一と言えるくらいの方がいます。彼は本当にキノコが好きだというのが伝わってくるし、どういう風に見せていくのかをきちんと考えて撮影してますね。 でも、写真の仕事とキノコの仕事っていうのは直接的には繋がってはいないと思います。
(写真)「きのこブック」平凡社 表紙、写真=伊沢正名
── キノコは、写真よりもイラストで愉しむという事ですか。
ヴィジュアルイメージの方が色々な想像力が広がるということはあるかもしれません。もちろん時間があれば、本格的なキノコ狩りも行ってみたい。 ただ、ちょっといい訳みたいですが、植草甚一さんがエッセイを書き始めた頃はニューヨークに行ったことがないように、キノコ狩りに行ったことがないキノコ評論家もちょっとかっこいいかなと思って(笑)。でも、実はそれほどこだわってはいません。時間があれば、森へ行ってキノコを探したいですね。
キノコに対して不信感、嫌悪感を抱いていたり、遠ざけたりする人が増えてくる社会というのは、非常に危険になる
── 『隔月刊きのこ』は廃刊されてしまいましたね。やはり、キノコだけを扱う雑誌だと難しかったのでしょうか。また、雑誌がなくなってもそれに代わる情報源はあるのですか。
廃刊になったのはとても残念ですね。この雑誌もそうですが、キノコに反応する人とそうでない人ははっきりしますね。反応する人って言うのは、体の中に胞子が入っていると言うか、ちょっとつつくと面白い反応が出てきて、すごく面白がってくれるんですが、そういう人が多くなればキノコのネットワークももっと活性化すると思います。 だめな人は本当にだめなんですよね。性格的にキノコ的タイプの思考を持っている人と、そうでない人はいますね。割と真面目でカチッと分類する人は、キノコに対して興味がなかったり嫌悪感を持っている気がします。
── 実際に、嫌悪感を持っている人に会いましたか?
はっきりとした人にはまだ会ったことないけど、アングロ・サクソン系には多いと聞きますね。キノコを見ると踏み潰してしまうみたいな(笑)。 キノコのように曖昧な物であるとか、中間性、偶然性に対していかがわしさや果ては嫌悪感みたいなものを持っている人はダメでしょう。東ヨーロッパのスラヴ系の人は逆にキノコに対して不思議な愛をもっている人が多いようです。日本人ももっているけど、彼らは我々よりも熱狂的な愛があり、キノコを見ると目の色が変わると聞きます。僕に言わせると、キノコ好きの人が多い社会は居心地がいい。
── だから、日本ではキノコ雑誌もなくなってしまったんですかね。
そうかもしれません。色々経営的な問題もあったのかもしれませんが、 とにかくキノコを面白がる文化が残ってないと、社会がつまらなくなってしまいますよ。
── ゆとりとあいまいさと好む事は大事ですね。
そういう物を許容するあり方は、とても大事だと思います。官僚体制が強い社会の中では、キノコ狩りにはもっと特別な意味があったと思います。つまり、ソビエト時代のロシアで、キノコ狩りに行くことはある種の解放だったんではと思ったりもする。社会の中で、キノコというものが「自由」のシンボルのような特別な役割を果たしていたのではと思います。
── 『世界キノコ切手』を見ると、日本は圧倒的にキノコ切手が少ないですね。なぜでしょうか?
それに関しては、理由がよくわからないのと、なぜ出さないかとても不満があります。なんとかして欲しいです(ため息)。小林路子さんという方は世界を代表するキノコ画の名人ですが、彼女のよう素晴らしい絵を使ったキノコ切手を作りたいう悲願があります。
(写真)「きのこ」 小林路子著 山と渓谷社
── その事について、なにか一言あれば。
ぜひ、シリーズとしてキノコ切手を出して欲しいですね。椎茸とか松茸とかだけじゃなくて、見た目がきれいなもの。キヌガサタケという素晴らしく美しいキノコがあるので、ぜひそれは入れて欲しいですね。
(写真)キヌガサタケの絵 - 「日本菌類図説」川村清一著 大地書院発行(絶版)より
きのことエロティズムとは深い関係をもってますね
── 食べれるものと人間をも殺傷してしまうほどの毒キノコがありますね。その点も不思議ですね。
たしかに両極端ですが、毒があるっていうのが、キノコの魅力だと思います。なぜ、毒があるのかっていうのは、まだよくわかってないらしいですね。毒が何か役に立っているのか って言うと、人間が食べないくらいでしょ。大館一夫(『都会のキノコ』八坂書房の著者)先生は、「人間に対する悪意なんでは」とも言っていますね。 私自身は、まだはっきりとはわかりませんが、毒があるという事でキノコの魅力が増していることは確実ですね。毒と美しさというのは、相関関係にあるみたいですね。小林一茶が"ひとをとる茸はたしてうつくしき"と素晴らしい句を書いていますね。一茶は、毒キノコの句をよく書いてます。なんでもそうですが、ある種怖さがないと面白くないですし。
── 今年の10月から国立科学博物館でキノコも含めた菌類の大展覧会がありますね。飯沢さんのアプローチは、科学とはちょっと違った観点から見られているようですが、その点を詳しくお聞かせ下さい。
自然科学はちょっと弱いんで(笑)。生物学的な性とか繁殖の仕方とかは面白いんですが、数式とか出てきて難しい。自然科学系でも『ファーブル昆虫記』とかダーウィンの『ビーグル号航海記』は文学的にも素晴らしいですが、僕は人文系のアプローチをやっていきたいですね。さしあたりは、僕が今調べている「キノコ文学」についての本を出す予定です。古今東西の小説とかエッセイ、戯曲、詩などに登場するキノコを分類し、系統立てて紹介していくつもりです。キノコをイマジネーションの世界ではっきりと形にしている人達がたくさんいるので、その見取り図的なものを作ってみたいと思っています。
── 今までバラバラだった文学に出てくるキノコを飯沢さん的アプローチで、系統立ててヴィジュアルにしていこうと?
例えば、今回のイベントで紹介する『マタンゴ』という人間がキノコに変わってしまう怪奇映画がありますが、イギリスの小説家のW・H・ホジスンの『夜の声』という海洋怪奇小説が元になっています。霧深い海の中で船の乗組員が突然ボートに乗っている老人に出会う 。その老人は、島に漂着してキノコを食べてキノコ人間になりかけている。一緒にいた女の人と島に漂着しているんですが、その二人の為に食料をくれと言い、食料をもらって去っていくという、なかなか印象的な面白い話しです。SF作家の福島正実さんがそれを翻案して『マタンゴ』という小説にしたんです。それで、今度はその小説を基にして東宝が映画にすると、橋本治さんが「マタンゴ食ったか」というパロディ小説を出して、その後筋肉少女帯の大槻ケンジが「マタンゴ」という歌を作る。「マタンゴ」っていうイメージが膨らみながら広がり、変容していくその過程がすごく面白いんです。
(写真)『マタンゴ』DVD発売中 ¥5,040(税込) 発売・販売元:東宝
── あの映画で主人公の女性だけ、キノコを食べたら逆に美しくなってしまいますよね。
あれは、非常に面白い設定ですよね。でも、毒のある美しさですよね。 キノコのイメージはエロティズムの要素が確実にあって、キノコはどうしてもああいう形をしているので(笑)。もろ男性器の形もありますよね。イメージとしても一部そのように捉えられてますし。浮世絵や江戸文学の(※注)黄表紙というんですかね、その中ではよく松茸をエロテックなイメージとして使ってます。でも、僕に言わせるとキノコは両性具有的な存在だと思うんですね。形は男性器なんですが、裏をひっくり返せばひだがたくさんあって女性器的なところもある。男性と女性が合体している点があるので、そのあたりにも文学者は敏感に反応している。『マタンゴ』の中でキノコを食べる事によって色っぽく、エロティックになってしまうというのは、非常に興味深い。キノコというイメージが膨らんで、いろいろな形に変容して広がっていく中で両性具有的な役割を果たしていると思います。
きのこは違う時間で生きている。
── 幻想的という言葉が当てはまるんでしょうか。
キノコは存在自体が幻影的に思えます。木みたいにどっしりと存在しているわけではなく、知らない間に突然生えてきて、ふっと消えてしまったりなんだか我々とは違う時間の尺度でいきているみたいです。儚いイメージもあるかと思いきや、世界最大の生物でないかとも言われています。オレゴン州にある、オニナラタケの一種(※注)は、2200エーカーにわたって広がっていて、世界最大の生物と言われています。ひとつの菌糸からきのこがどんどん生えているわけですが、いつ頃から生え始めたかというと、2400年前から7200年前と言われているから、ギリシア時代より前ですよ。すごい生命力ですよね。キノコは、菌糸として生き延びることができるので、変化にとても強いんです。フレキシブルだけど、しぶといんです。そのあたりの両極端な存在のあり方が面白い。
── キノコ切手とは、別の角度からの探求、アプローチですね。
キノコ切手と言うのは入り口であって、その中にいろいろな部屋がある。そこから派生してきた要素をこれから、ひとつ一つ検証していきたいですね。まずは、文学について本を出すことが目標です。その次はキノコ漫画も調べると面白いので、その辺も視野にいれております。白土三平、萩尾望都、吾妻ひでお、花輪 和一や、この間、水木しげるさんもキノコ漫画を描いているを見つけました。名前を挙げると、キノコについて書きそうな人ってなんとなくわかるでしょう。(笑)
キノコ的な物の見方を皆が持てば、多様な空間の中で共存しあっていけるのにと感じます
── キノコというと、一般の人から見るとまず食べ物だったり、身近だけどその魅力は語り尽くされていない点がありますね。
そうですね。その点はなんとかしたいです。キノコは、単に食べ物だけではないと言う事を伝えたいです。食べるという行為は実用的なので、一番わかりやすいんでしょうが、もっと深い所を追求してなんとか形にしたいです。文化史的というか芸術的側面についてきちんと解説している文献はほとんどないですから、これから僕が表に出していきたいですね。
── 大舘一夫さんとの対談で「光のない自然に学べ」という事について語られていますね。
文学、写真についてもそうなんだけど、見える物と見えない物があって、キノコは見える物です。ところが、見えているのはごく一部で、本体の菌糸の大部分は地面の下に広がっている。そういうところに想像力をどう伸ばしていくかという作業は面白いメタファーになってくる。キノコを見る時に、キノコの生えている地面の下の世界を想像してみる。言い換えれば死の世界にどういうふうにイマジネーションを広げていくかというのは、とても重要な作業だと思います。 キノコを見続けていると、例えば人間でも目に見える容姿だけではなく、どのような人か見えない部分もわかってくる。ちょっとオカルト的な意味合いかもしれませんが(笑)。そういう作業のいい手がかりになるんではと思います。
── キノコを基点として、創造力を働かせ、見えない部分=死を考えるという意味ですか?
死の世界だけに限定するわけではないのですが、自分自身とは何かを考える面白い手がかりになるのではと思います。
── “キノコに学べ”という飯沢さんの教訓みたいなものですかね。
そうですね。まぁーそんなに難しく考えることではないですけど(笑)。キノコを気にし始めると、今まで気づかなかったことを気付かせてくれる事は確かです。
── 具体的に何か気づかせてくれることはありました。
道を歩いてるときは、目線が地面に行っているのでいろいろな生物、物がそこにあるのがわかってきます。都会の環境はあまりにも均質な世界で、それでいいのかなと感じます。管理されてる空間とかはあまり好きじゃないので、キノコ的な物の見方を皆が持てば多様な空間の中で共存しあっていけるのにと感じます。キノコは、他の生物と共存するという生き方をしているのでそういう生き方に学べと言いたいですね。
(取材・文:山口生人)
飯沢 耕太郎(いいざわ・こうたろう)
写真評論家。1954年、宮城県生まれ。1977年、日本大学芸術学部写真学科卒業。1984年、筑波大学大学院芸術学研究科博士課程修了。1990-94年、季刊写真誌『deja-vu』を編集長として発行。
主な著書に『日本写真史を歩く』(新潮社1992)、『荒木!』(白水社1994)、『写真美術館へようこそ』(講談社現代新書1996)、『私写真論』(筑摩書房2000)、『アフリカのおくりもの』(福音館書店 2001)、『歩くキノコ』(水声社 2001)、『写真とことば』(集英社新書 2003)『デジグラフィ』(中央公論新社 2004)、『ジャパニーズ・フォトグラファーズ』(白水社2005)、『荒木本!』(美術出版社、2006)、『写真を愉しむ』(岩波新書 2007)、『世界のキノコ切手』(プチグラパブリッシング 2007)など
(写真)「世界のキノコ切手」プチグラパブリッシング ¥1,600(税抜) 表紙
イベント情報
『キノコ狩ルチャー! Vol.1』
出演:飯沢耕太郎(写真評論家 / 『世界のキノコ切手』『歩くキノコ』著者)
日時:9月25日(木)19:00開場/19:30開演
料金:1,800円(1ドリンク付)
会場:アップリンク・ファクトリー[地図を表示]