映画『わたしはダフネ』© 2019, Vivo film tutti i diritti riservati
イタリア・トスカーナ地方を舞台に、母親を亡くしたダウン症の女性と父親の交流を描く映画『わたしはダフネ』が岩波ホールほかにて公開中、7月16日(金)からはアップリンク京都でも公開される。webDICEではフェデリコ・ボンディ監督のインタビューを掲載する。
スーパーで働きながら両親と暮らしていた女性ダフネは、母マリアが亡くなったことで生活が一変してしまう。最愛の妻の死にふさぎ込む父ルイジを励ますために、ダフネは母のふるさとの村を訪れることをルイジに提案する。ダフネを演じたカロリーナ・ラスパンティは自身もダウン症で、今回演技初挑戦にして、活発で社交的なダフネを見事に演じている。
「ダフネ役のカロリーナさんや彼女の両親が持ち合わせているユーモアとアイロニーは、非常に魅力的でした。その一方で、とても真面目な一面もカロリーナさんにはあったのです。それは時に極限に触れるくらいの真剣さです。彼女にとって人生とは“正面から向き合うべきもの”であり、“闘い”であり、そして“獲得すべきもの”なのです。」(フェデリコ・ボンディ監督)
“父と娘が握り合っている手と手”を映画に
──「ダウン症の娘と父の物語」を撮ろうと思ったきっかけは?
数年前、車を運転していた時にバスの停留所で立ちつくす父娘を見かけました。年配の父親は背が高く虚ろな目で戸惑いの表情を浮かべているように見え、その隣にいる娘のほうは背が低くダウン症であることが分かりました。車や人がせわしなく行き交う中で、二人はじっと動かずに、手を握りあって静かに立ちつくしていたのです。その光景を見たときに、この“二人が握り合っている手と手”を映画にできないだろうか、と思いました。そしてその晩、色々と自問自答をしていくなかで、「母親はどこにいるのか」「父と娘、どちらがどちらを支えていたのか」といった疑問が浮かんできて、正式に映画にしようと決めました。あの光景そのものと、そこから私が感じたイメージが、『わたしはダフネ』を作る原動力になったんです。
映画『わたしはダフネ』フェデリコ・ボンディ監督 Photo by Greta De Lazzaris ©Vivofilm
──ダフネを演じたカロリーナ・ラスパンティさんとの出会いについて教えてください。
脚本の原案のようなものは、何人かのダウン症の人たちや関係者に話しを聞くことで大まかに書いてはいました。しかし、とにかく“ダフネ”を探さなければとも思っていて。
そんな時に、カロリーナ・ラスパンティさんが、著作である自伝的エッセイについて話している動画をYouTubeで見つけたんです。彼女の毅然とした態度と語彙の豊かさが印象に残り、彼女こそダフネにピッタリだと思いました。さっそく本人にFacebookで連絡を取ろうとしましたが返事が来ず、彼女が私の住んでいるトスカーナ州の隣にあるエミリア・ロマーニャ州に住んでいたので家の門を叩きました。
映画『わたしはダフネ』© 2019, Vivo film tutti i diritti riservati
──そこから親交を深めていったのですね。
カロリーナさんの両親はとても寛容な人たちで、すぐに私を信頼し友人として受け入れてくれました。そして、彼女とも友情を育むことができたのです。
カロリーナさんや彼女の両親が持ち合わせているユーモアとアイロニーは、非常に魅力的でした。その一方で、とても真面目な一面もカロリーナさんにはあったのです。それは時に極限に触れるくらいの真剣さです。彼女にとって人生とは“正面から向き合うべきもの”であり、“闘い”であり、そして“獲得すべきもの”なのです。
劇中の「人生はしんどいものよ。つまり人間らしいってこと」という台詞は、まさにカロリーナさん自身の言葉です。カロリーナさんやご両親と過ごした日々の交流から脚本を組み立てていきました。
彼女自身の自然な発露を導きたかった
──カロリーナさんの演技がとても自然でした。撮影はどのように進めたんでしょうか。
撮影中、カロリーナさんにはあまり深く説明せず、シーンの最低限の意味合いや、ひとつひとつのシーンの核となる部分だけを説明しました。そうすることで、彼女の想像力を掻き立て、刺激を与え、即興的な演技につなげたかったのです。ただ時には「このセリフを言って」と事前に台詞を与えることもありました。父親役のピオヴァネッリさんをはじめとした、共演俳優との関係性もありましたから。
彼女の中に何かが起こるように刺激を与えていく、というのが一つの重要なポイントでした。そうでなければ、彼女は真面目なので、完璧に台詞を覚えてきて“演技をしています”という仰々しい振る舞いをしてしまう。そうじゃなくて彼女自身の自然な発露を導きたかったんです。
映画『わたしはダフネ』© 2019, Vivo film tutti i diritti riservati
──最後のシーンがとても印象的でした。
最後のシーンについては、私の個人的な実体験がもとになっています。大切な誰かを亡くした経験のある人なら共感いただけるのかなと。映画を観てくれたお客さんへのささやかなプレゼントのようなものなので、まだ観ていない人には内緒にしておいてもらえると嬉しいです。
──初長編劇映画「Mar nero」(08)から本作まで約10年あいています。その間は短編やドキュメンタリーを撮られていたようですが、ドキュメンタリーとドラマの違いをどのように考えていますか?
ドキュメンタリーは私にとって“学校”のようなものでした。何かに対して、表層だけではなく深く掘り下げていくという経験をさせてくれたのがドキュメンタリーです。
いま、社会がすごく表面的になっていると感じます。たとえば、新聞で得た情報は読んだ途端に古くなっていくし、そこをもっと知ろうとはしませんよね。ドキュメンタリーでは、人やテーマについて底が付くまで掘っていけます。ドキュメンタリーを撮ることが、フィクションの脚本を書くためのベースになっていて、映画の発想はだいたいドキュメンタリーから得ることが多いです。
最初の長編劇映画から10年間、ずっとドキュメンタリーを撮り続けてきて、その間にいろんなドキュメンタリー/物語を採取してきたから、それを今後映画にしていきたいと思っています。とはいえ、次は10年後にならないように(笑)。
(オフィシャル・インタビューより)
映画『わたしはダフネ』© 2019, Vivo film tutti i diritti riservati
フェデリコ・ボンディ(Federico Bondi)
1975年、イタリア・トスカーナ州フィレンツェ生まれ。フィレンツェ大学にて映画を専攻。卒業後、脚本と監督を務めた初長編作品「Mar Nero」(08)を発表。老夫人とその介護をする女性との関係を描いた同作が2008年ロカルノ国際映画祭のコンペティションにイタリア映画として唯一選出され、最優秀女優賞、エキュメニカル審査員賞、ヤング審査員賞を受賞する。さらに、イタリア・アカデミー賞ともいえるダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞では主演女優賞にノミネート、ナストロ・ダルジェント賞では新人監督賞にノミネートされるなど高評価を得た。以降は、広告やドキュメンタリー作品の監督を務め、『わたしはダフネ』は2作目の長編劇映画である。主な作品に、「Soste」(01)、「Soste Japan」(02)、「L’uomo planetario」「L’utopia di Ernesto Balducci」(05)、「Educazione affettiva」(14)などがある。(※『わたしはダフネ』以外は日本未公開)
映画『わたしはダフネ』
岩波ホールほか全国順次ロードショー公開中
監督・脚本:フェデリコ・ボンディ
原案:フェデリコ・ボンディ、シモーナ・バルダンジ エグゼクティブ・プロデューサー:アレッシオ・ラザレスキー
プロデューサー:マルタ・ドンゼリ、グレゴリオ・パオネッサ
撮影:ピエロ・バッソ
編集:ステファノ・クラヴェロ
音楽:サヴェリオ・ランツァ
衣装:マッシモ・カンティーニ・パリーニ
出演:カロリーナ・ラスパンティ、アントニオ・ピオヴァネッリ、ステファニア・カッシーニ、アンジェラ・マグニ、ガブリエレ・スピネッリ、フランチェスカ・ラビ
2019年/イタリア/イタリア語/94分/カラー/シネマスコープ
原題:DAFNE
字幕翻訳:関口英子
配給:ザジフィルムズ
後援:公益財団法人日本ダウン症協会