映画『ハウス・イン・ザ・フィールズ』
モロッコの山奥で暮らすアマズィーグ人の姉妹を主人公に、雄大なアトラス山脈の四季折々の自然の中、自身の夢と伝統や慣習のあいだで揺れ動く心のうちを親密な映像で紡いでいくドキュメンタリー映画『ハウス・イン・ザ・フィールズ』が4月9日(金)より公開。
男女同権や婚姻年齢の引き上げ、女性からの離婚請求が可能になるなど、法律が改正され、大きな変化のなかにあるモロッコ。
しかし、法律と実社会にはまだ乖離があり、特に都市部と地方の格差は激しい。
webDICEでは桜美林大学リベラルアーツ学群教授で文化人類学を専門とし、書籍『中東・北アフリカにおけるジェンダー』(ザヒア・スマール・サルヒー著/明石書店)の翻訳者の一人である鷹木恵子さんによる寄稿を掲載する。
モロッコ・アトラス山村の女性たちを描いた見事な民族誌的映像
鷹木恵子(桜美林大学)
モロッコ・アトラス山脈のアマズィーグの人々が暮らす山村を舞台に、ある家族の二人の姉妹に焦点をあてたドキュメンタリー映画。会ったことも話したこともない兄の知り合いというだけの隣村の男性と近く結婚して大都会のカサブランカへ行く姉ファーティマと、勉強好きで弁護士になることを夢見る妹のハディージャという、仲良し姉妹を中心とした記録映画である。
アトラスの美しい自然、山村に暮らす人々の日常生活、お茶のひととき、料理や家族のだんらん、機織り、水汲み、畑仕事や家畜の世話、市場での取引、子供の遊びや学び、イスラームの礼拝、民族楽器での演奏や歌、そしてクライマックスの老若男女の村人総出での婚礼の祝宴など、一つ一つの映像のカットが、そのまま良質で克明な民族誌的記録となっている。
映画『ハウス・イン・ザ・フィールズ』
<映画のなかの絶妙なコントラスト>
静かに時間がゆったりと流れる映画であるが、幾つかの明快なコントラストがこの記録をメリハリの効いた作品にしている。二人の姉妹の生き方の対照性、男女の分業、伝統と現代、田舎と都会、日常と非日常、静寂と熱狂のコントラストなど。
まず女性の役割。母は毎朝5時に起きて家事を始める。料理はもちろん、女性は若い頃から水汲みや機織りをし、家畜の飼料の草刈り、牛の乳しぼり、家禽への餌やり、祝宴での菓子も家で手作りする。女の子の一人がいう、「女が機織りをしているとき、男は遊んでいる」と。しかし、男性の生活も決して楽ではない。
家族の父親は1970年、出稼ぎのため、渡仏した。カサブランカからマルセイユまで、当時、船で三日三晩かかったという。そこから列車を乗り継ぎパリへ、さらに北部パ・ド・カレー県ランスへ向かい、1か月の訓練後、炭鉱の鉱夫として働き始めた。しかし待遇が悪く、工場などに転職し働いていたが、ある早朝、大火事でアルジェリア人の同僚2人が死亡、自らも旅券や保険証など全てを失う。15か月間の失業後、ドイツ国境付近の町フォルバックで働き始める。1980年、職場の待遇改善を求めて仲間とストライキを決行して勝利するが、1985年に僅か800ユーロの退職金を受取り、15年間の出稼ぎ生活に終止符を打ち、帰郷し現在に至る。その間、妻はひとりで子育てをし、家庭を守っていたのだ。妻は歌う。「あの人は(出稼ぎに)行ってしまった。私は村にひとり。・・・あなたはタクシー(乗合タクシーは山地の交通手段)にラジオを積んで、遠いところから戻ってきた」。これは、アトラス山村に限らず、アルジェリアやチュニジアなどの多くの低開発諸国の特に地方ではごく一般的にみられる国際的労働移動の縮図でもある。
映画『ハウス・イン・ザ・フィールズ』
二人の姉妹はまた、伝統と現代をも象徴している。姉のファーティマは結婚に不安を感じつつも、それを義務だと考えている。一方、妹ハディージャは国王が男女平等や男女同権の法律を制定したとし、自らも女性の権利を擁護する弁護士になりたいと夢見ている。アトラス山中にも今ではテレビや携帯電話が浸透し始め、ハディージャは携帯のSIMカードを取り換えたりもする。一方、姉のファーティマは婚礼後、車ではなく家畜のラバに乗って故郷の村を後にする。そして行き先は夫の故郷の隣村ではなく、大都会のカサブランカである。
モロッコでは都会と田舎とでは経済格差が著しい。姉妹の弟は、兄と同じく、都会で働きたいと考えている。都会の人は威張ったり、意地悪をしたりする。村には家族も友人もいて、美しい自然もあり、家畜もいて、いじめたり威張ったりする人はしない。ただし、自分の将来を考えれば、仕事が多くあり、稼ぎのよい都会に出るしかないのだと語る。
そして単調な日常生活と非日常的な村を挙げての婚礼の祝祭の熱気。古老が声を張り上げて歌う。「みな歌を歌いにきた、寝ている暇などない」と。静かな村でその夜だけは太鼓やベンディール(篩の形をした楽器)の大きな音が鳴り響き、男性の集団に続き、民族衣装で盛装をした女性の集団のアホワーシュ(隊列での歌と踊り)の歌声が満月の夜の帳を包み込んでいく。祝宴の盛り上がりと熱狂と、そして翌朝の白みかけた夜明けの静寂さとのコントラスト。それはまた、姉を送り出し、いま一人に残されたハディージャの心境とも重なり合っている。しかし、彼女は細く曲がりくねってはいるが、遠くへと続く一本の道を見つめ続けている。
映画『ハウス・イン・ザ・フィールズ』
<モロッコの変わりゆく女性たちとその法的地位>
モロッコの女性たちは、映画のなかでハディージャが語っていたように、国王ムハンマド6世により2004年に家族法が改正され、新法には男女同権の条項も盛り込まれ、今や、大きな変化のなかにいる。新法では、結婚可能な最低年齢が、従来の男子18歳/女子15歳から、男女共に18歳へと改正された。家族に対する責任も男女平等となり、また一夫多妻婚や夫側からの一方的離婚には裁判官による許可が必要となり、妻側からの離婚請求も可能となり、女性の権利拡大が図られた。教育面でも、識字率は若年層では現在では男女がほぼ同等になりつつある。実際に2018年の統計では、65歳以上の年齢層の識字率は男性51%/女性19%であるが、15~24歳では男子98%/女性97%とほぼ同等になっている。2020年度のユネスコの資料でも、初・中・高等教育の男女就学率は、現在では男女格差がほぼなくなりつつある。政治面でも、2020年の時点では、閣僚24名のうち4名が女性で、それ以前には6名の女性閣僚がいた時期もあった。宗教的にも、モロッコでは2006年から国策として女性も宗教指導者イマーム職に就任できるようになっている。
ただし、こうした政策や法改革と現実の生活とのあいだには大きな乖離もある。特に都市と村落部の経済的格差はグローバル化のなかで一層拡大してきている。世界銀行の調査では、村落部で自らを貧しいと認識している人々の割合は2007年の15%から、2014年には54%にまで増加したとされている。そうした変化のなかで、弁護士を目指すハディージャだけでなく、カサブランカで暮らすことになった姉のファーティマも、夫が許せば、都会で自分も働きたい、裁縫でも何でもやってみたいと語り、より自立した女性を目指している。モロッコの女性たちは、今、まさに主体的に変わりつつあるのである。
映画『ハウス・イン・ザ・フィールズ』
<ドキュメンタリー映画のもう一つのメッセージ>
この映画の冒頭と終わりに、アマズィーグ語の文字ティフナグでの表記がみられる。2019年、モロッコの下院はアマズィーグ語の公用語としての地位を確認する法案を可決した。しかし、実際には今なお、教育やメディアでの使用は十分ではないとされている。この映画でのアマズィーグ語の使用は、国民の約25%を占めるアマズィーグの人々の母語の公認を支援したいというメッセージが込められているのだろう。
この映画を見終わって、心地よい音楽を聴いたような印象をもった。ただ、この映画には音響効果のためのBGMはいっさい挿入されてはいない。全てが自然音と生活音だけなのである。風がそよぐ音、川のせせらぎ、小鳥のさえずり、雨音、ロバや牛や鶏の鳴き声、お茶をコップにそそぐ音、それをすする音、土を耕す音、草を刈る音、毛を透く音、子供の笑い声、生のアーモンドの実をほお張る音、礼拝呼びかけ(アザーン)、アマズィーグの伝統楽器ルタルが奏でる音、アホワーシュの隊列の歌声、太鼓やベンディールの打楽器のリズミカルな音。
アトラスの山村で経済的に慎ましくまた不安定な生活を送る人々と、日本で将来に不安を抱えつつ生きている私たちとのあいだには部分的には共通するものもあるだろう。ただ、アトラス山村の美しい自然のなかで家族や友人や家畜たちとともにゆっくりと時間が流れていく暮らしには、私たちが効率的で便利な生活と引き換えに失い忘れてしまったものの多くがあることにも気づかされる。いずれにしても味わい深い映画であるとともに、見事な民族誌的映像記録である。
映画『ハウス・イン・ザ・フィールズ』
映画『ハウス・イン・ザ・フィールズ』
2021年4月9日(金)アップリンク渋谷、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開
監督・撮影:タラ・ハディド
出演:ハディージャ・エルグナド、ファーティマ・エルグナドほか
モロッコ、カタール/2017年/86分/1:1.85/アマズィーグ語
原題:TIGMI N IGREN
字幕翻訳:松岡葉子
配給・宣伝:アップリンク