アップリンクのカフェレストラン『タベラ』では、ナマケモノ倶楽部から生まれた企業スローウォーターカフェのエクアドルのフェアトレード・コーヒーをお客さんに提供しています。そのナマケモノ倶楽部の世話人を務めている文化人類学者で環境運動家の辻信一さんが『幸せって、なんだっけ 「豊かさ」という幻想を超えて』(ソフトバンク新書)を出版されました。
先日発表された全米科学財団が調査した世界の幸福度調査では日本は97カ国中47位でトップはデンマークでした。アップリンクでDVDをリリースした『インサイド/アウトサイド』のプロモーションで来日していたアンドレアス・ジョンセン監督は。デンマークのコペンハーゲンに住んでいます。そこで、彼に本当にデンマーク人はみんな幸せだと思っているのかと聞いてみました。すると「そうだね、税金は収入の50%は取られるけど、きっと多くのデンマーク人は幸せだと思っているよ」とあっさり調査結果を肯定する答えでした。
日本人でそんなに簡単に自分の事を「幸せ」と言い切れる人は少ないはず。
でもその理由は辻さんの本を読めば、幸せの方程式が「幸せ=経済的豊かさ」だと思い込んでいたからだという事に気づかされます。
「幸せ=経済的豊かさ」でないとしたら、いったい幸せってなんなのだろうか。その答えはもちろん本に書いてあるのですが、読み終えるとそれは既に表紙に書いてありました。『「豊かさ」という幻想を超えて』と。
そこで、その豊かさの幻想を超える方法を教えてもらいに辻さんの事務所に話を聞きにいきました。(インタビュアー:浅井隆)
画像右:『幸せって、なんだっけ 「豊かさ」という幻想を超えて』(ソフトバンク新書)表紙
今までの社会は全て足し算、これからは引き算
そうすると、今までと全く逆方向に豊かさが生まれる
浅井 少し前にアメリカのドキュメンタリー映画で『エンド・オブ・サバービア(郊外の終焉)』という作品をみました。アメリカで労働者に対して、郊外に芝生のある家を買いましょう、そして通勤するために自動車を買いましょう、それがアメリカンライフスタイルの夢の象徴ですと宣伝していた時代があったというところから映画は始まります。その夢というのが、僕は今思うに現在世界中で問題になっているサブプライム・ローンの原点だと思いました。
ようするにサブプライム・ローンというのは、アメリカの低所得者にサバーブで住むという夢を与え、彼らが借金した高金利のローンを世界中の金融機関が食い物にした。でも、土地は右肩上がりに上がり続けるわけもなく、低所得の労働者は無理な高い利息を払い続ける事もできず、大元のところが破綻し、世界の不景気を招いている。
その映画を見た後に、辻さんの本を読んで、経済的豊かさと幸せという価値観が全く別ものだと最初に書いてあるので、全くそうなんだよねと思いました。
写真右:映画『エンド・オブ・サバービア』より
辻 『エンド・オブ・サバービア』は(石油の埋蔵量に限りがあり枯渇していくという)ピークオイルの話ですよね。
浅井 ええ、石油を使ってできる事が経済的豊かさだったので、それはもう終わりましたよということを映画では言っています。
辻 今、ピークオイルと地球温暖化がもっとも大きな脅威として、騒がれている訳ですけど、サバービアというのはすごく僕は興味があります。僕は高度経済成長時代の子供で、アメリカに憧れてもっともアメリカナイズされた世代だと思います。70年代の終わりにアメリカに行って、カナダも含めて10数年海外で暮らしました。最初にやった仕事は、引越し屋なんです。どこに仕事に行くかというとサバーブなんですよ。
浅井 お客さんは都心から引越して来る人ですか?
辻 どっかから来るんじゃなくて、大体はサバーブから出て行く人。でも、ぼくの務めていたのが日系の企業だったので、主な仕事はワシントンDCでの駐在から日本に帰る人たちです。日本の大企業の駐在員や外交官や新聞社の特派員とかという人たちは、白人の住む一番高級なサバービアに居を構えるんです。当時僕が住んでいたのは、ワシントンDCの黒人街。もう全然違う世界でした。引越し屋はすごく楽しい仕事でした。同じオフィスに通う必要もなく毎日毎日違うところにいける。しかも、アメリカのサバーブの中が見られる。それは外国にいくみたいな感じです。引越し間際のある程度歳を重ねた家、その中にある狂気を直に見る事ができた。日本人の場合は背伸びしてアメリカの金持ちの地域に住もうとする。でも奥さんは英語もできなきゃ、車の運転もできない人が多いし、大企業や外交官となると日本人の若い女中を雇えるんだけど、その子もまた英語が出来ない。だから女の人たちはそこに閉じ込められていて3年間くらい暮らしているとみんな頭がおかしくなっている。僕が行くと、女中さんが、「引越し屋さん、この家は化け物屋敷よ」などと告白してくる。 サバーブっていうのは、内側から崩壊しているんだ、と感じましたね。
浅井 サバーブの空間は物質的な夢の具現化で、庭付き一戸建で、車を持つ事というのが理想の家庭生活のゴールのようにアメリカでは洗脳されてきたのでしょうね。日本人の僕らも、かつては『パパは何でも知っている』や『奥様は魔女』といったアメリカのサバーブの家庭を舞台にしたテレビドラマを見てその真似をしようとしてきた。
辻 僕が最初に書いた人類学的なものが「芝生論」なんですよ。アメリカに行って、一番衝撃的な風景っていうのが芝生なんですね。僕が子供の頃、日本人はみんな芝生にあこがれ、芝生をつくろうと一所懸命だった。でもアメリカに行ってみていい芝生を作るのがいかに大変かがわかった。ぼくが子どもの頃は、はげチョロケの芝生の上で、おじさんたちがゴルフの練習なんかしている悲しい風景をずいぶん見た。その後の日本人のゴルフへの執着の根っこはこういうアメリカに対するコンプレックスがあると思う。アメリカの芝生は外から見たら圧倒的なんだけど、でもサバーブの中に入り込んで実際に中から見ると、芝生の風景を維持するというのが実は大変な事だって分かるんです。男たちは、自分の家の芝生をちゃんとするためにものすごいお金を使い、ものすごい労力を使う。もし、少しでも芝生に問題が出ると、まるでアメリカ人としての、男としての自分の価値が否定された様に感じて落ち込む。そういうすごいプレッシャーがサバーブにはある。だから、環境問題を考える時に、よく地球温暖化って大騒ぎするでしょ? 僕はアル・ゴアの『不都合な真実』は好きだけど、でも違和感も覚えるわけです。彼の話は基本的に、地球温暖化によって私たちの豊かさが失われていく、経済成長がもう出来ない、幸せが失われていく、大変だ!、というストーリーなんです。でもちょっと待ってくれよ、そもそもその豊かさが、地球温暖化を作っている。豊かさを追い求めてきたことが地球温暖化の原因なのに、このままいくとその豊さが失われていくぞという、恐怖を煽っているような気がする。僕はこの『幸せって、なんだっけ』という本で、ぼくたちがこれまで「豊かさ」と信じてきたものの中身を見てみようとしたわけです。
写真右:Photograph by Henrik Stidsen
浅井 もし英訳されてアメリカの低所得者がこれを読んでいれば、サブプライム・ローンによる世界的経済破綻は防げたかもしれないですね。NHKでアメリカのテレビドラマ『デスペラードの妻たち』というのが放映されていましたが、サバーブに住んでいる有閑マダム達の連続ドラマで、見栄と妬みに、浮気に不倫とアメリカ人で英語もしゃべれて、車も運転出来るんですけど、サバーブに閉じ込められて壊れた人ばかりの話です。同じサバーブでも『パパは何でも知っている』の時代は幸せそうだったのに。NHKはアメリカの夢は終わったというメッセージを日本国民に与えているのかと深読みしてしまいます。
辻 最近見たのが『いま ここにある風景』素晴らしい映画ですね。僕は『不都合な真実』より衝撃を受けました。つまり本当にあなたにとって、「不都合な真実」は何なんですか? それは、あなた自身が「豊かさ」という幻想によって完全に狂っているという事ではないのか、と。豊かさって苦しい。『いま ここにある風景』に出てくる風景は環境がむちゃくちゃに破壊されている風景なんですが、その行為の裏側には過剰に生産された物がある。物とはひとつひとつと付き合わなくてはならない、付き合うには時間がかかる。せっかく稼いで買った物なのでそれに付き合わなくてはならない。そうすると、だんだん時間が無くなって忙しくてしょうがなくなる。その後、物が増えれば増える程一つ一つのストレスがたまってくる。全くの悪循環。僕は仲間たちと、何々を使わないZoony運動というのを提唱しているんです。この運動は藤岡亜美さん(スローウォーターカフェ代表取締役)が先頭になってやっている。今までの社会は全て足し算でしたよね、そうすると金持ちも貧乏人もみんなすごく苦しくなっていく。だから、これからは引き算しよう。そうすると、今までと全く逆方向に、本当の豊かさが生まれる、と。
写真右:『いま ここにある風景』(C)Edward burtynsky
正しいか正しくないかだけでなく、
環境問題も美意識の問題で考える
浅井 『エンド・オブ・サバービア』の続編で『エスケープ・フロム・サバービア(郊外からの脱出)』という映画が最近できて、その映画には多少違和感を覚えたんです。そこに描かれていたのは、サバービアから脱出した人たちで、いわゆる絵に描いたようなエコロジーな生活、ローカルのコミュニティでの自活した生活をしている。そこに生活している人は皆なんかいい笑顔をしているんだけれども、その幸せそうな笑顔に僕は違和感を感じてしまう。僕が興味を持つ都市のノイズだとか猥雑なものというのがパッと消えている世界なんですね。辻さんの本に書かれていたカルチャー・クリエイティブな文化を創造し自己の快楽も追求する人々とは少し遠い人たちだなと思った訳です。
写真右:webDICE編集長 浅井
辻 例えば僕が引越し屋をやっていた時、たまにすごい恐怖を感じたんです、それはサバーブを運転していると、ふっと自分が何処にいるか分からなくなるんです。サバーブというのは、ものすごく均一な空間なんです。広い大陸のどこに行っても、同じような空間を作るということがアメリカの夢のひとつ。雨のふらない乾燥地帯で、芝生が育たないなら人工芝をはったり、小さな石を緑色に塗ってみたり。道の名前もエルム・ストリートとかパーク・ストリートとか同じ名前が多い。だからサバーブにいくと、迷路に閉じ込められたような気分になる。もしかしたらサバーブというのはひとつの巨大な迷路そのものなのかもしれない。
その意味で、サバーブはアメリカの物質的豊かさの象徴でありながら、文化的多様性に乏しい、文化的な貧困の地。サバーブは、「豊かさ」とされているものが実は、全然楽しくないし、全然わくわくしないし、美しくない、実は醜い、ということをぼくに教えてくれた。それに対して、カルチャー・クリエイティブというのは自分たちなりの美しさとか、自分たちなりのペースとか、自分たちなりの安らぎとかを考えていこうという動きです。僕も、もともと都会っ子ですし、ずっと黒人音楽が好きで都会の音楽が好きなんですよね。猥雑という言葉がいいのかどうか分からないですけど、都会の持っている多様性、それはすごい魅力ですよね。そういう意味でいっても、東京という都会はつまらない。同じ都会でも、ヨーロッパの街とかが持っている時間の多層性とか、積み重なりとかもない。東京の特徴はすごい均一性でしょ。アメリカのサバーブも同じです。サバーブの中に街が出来ているけど、その風景はアメリカ中同じです。それがグローバル化で世界中に広がってしまった。日本もそうなっているけどチェーン店とかショッピングモールとか。あと、ぼくにとってはテレビというのも均一で不毛な風景です。つまらないし、色なんかも汚い。僕の美意識には合わない。カルチャー・クリエイティブとは、新しい美意識の台頭と言っていいかもしれない。環境問題だって結局は美意識の問題なんじゃないかな。すぐに正しいかどうかという話になっちゃうけど。
浅井 そうなんです、だから『エスケープ・フロム・サバービア』に出てくる人たちは正しいんですよ。間違いなく。ただ、僕はそこに魅力は感じなかった。
辻 いいか悪いかを言っちゃえば、「いいです」とか「反対です」で話が終わってしまう。終わらせたいんじゃないかな、みんな。はっきりしたい。でも、実はみんなすっきりしないで、矛盾を抱えている。
この前も僕にとっては嫌なニュースがあったんですけど、柔道のキューバの女性チャンピオンが、アメリカの選手権で優勝して、アメリカに亡命した。ホテルから逃げちゃった訳ですよ。彼女に話を聞くと、キューバで柔道を続けているとあまりにも、実りが少なくやりがいがないと。私はこんなにすごいチャンピオンなのに、車もなければ家も持てない。でも、それはアメリカでは生活のボトムラインだ、と。もちろん、アメリカにおいでよ、車や家はすぐ持てるよ、というアメリカンドリームをアメリカは宣伝することで世界に君臨してきた。
一方で、キューバでは、今でもどこかから太鼓の音が聞こえてくると、みんな仕事をほったらかして踊りだしたりするそうです。僕が行ったときにも、黒人文化の豊かさにびっくりしました。キューバ革命はこういう正しい事をやったとかという評価はよく語られるけど、でも実は一番大きな成果というのは文化がいきいきしている事じゃないか。正しいかどうかより、楽しいかどうか。生き甲斐を感じているかどうか、ですよ。たしかに、キューバでは普通の人たちが、自分はいつまでたっても貧乏だしとかと、政権の批判をするんだけど、でもその同じ人たちが、世界中で俺たちほど愛したり、愛されたり、いいセックスをしたりする国はないんじゃないか、と言うんです。
キューバのゲバラの娘さんが先日来日され対談したのですが、確かに、キューバはカネやモノの量で測られる「豊かさ」という点ではアメリカに比べれば、ものすごく貧しい。でも、そのキューバではみんなが歌い、みんなが踊る。その意味では私たちの方が豊かですと言っていた。そしてそういう本人がいきなり歌いだしたんですよ。すばらしい歌唱力だった。
このぼくの本にも出てくる、サティシュ・クマールが言っていました。「皆さん、二つの社会を考えてみて下さい。一つはビジネスマンがいっぱいいて、ちょっとアーティスト。もう一つは、皆がなんらかのアーティストで、ちょこっとビジネスマンや法律家がいる。私たちが住みたいのはどっちの世界なんでしょう」と。
「幸せって、なんだっけ 「豊かさ」という幻想を超えて」
著者:辻信一
出版社:ソフトバンククリエイティブ
著者より:
本書は、「幸せとは何か」という本ではない。「幸せ」についてじっくり考えたり、ゆっくり話したりしづらいこの時代に、幸せの前に立ちはだかっている「豊かさ」という名のモンスターを退治して、しかるべきところへ引っ込んでもらおうという本だ。
そして、もう一度、「幸せって、なんだっけ」とみんなが考え直せるように、地ならしをするための本だ。
辻信一氏 プロフィール
文化人類学者、環境運動家。明治学院大学国際学部教授。 「100万人のキャンドルナイト」呼びかけ人代表。
NGOナマケモノ倶楽部の世話人を務める他、数々のNGOやNPOに参加しながら、「スロ-」や「GNH」というコンセプトを軸に環境文化運動を進める。環境文化NGO・ナマケモノ倶楽部を母体として生まれた(有)スロ-、(有)カフェスロ-、スロ-ウォーターカフェ(有)、(有)ゆっくり堂などのビジネスにも取り組む。
・辻信一氏オフィシャルサイト
http://www.sloth.gr.jp/tsuji/
・ナマケモノ倶楽部
http://www.sloth.gr.jp/
浅井隆 プロフィール
アップリンク取締役社長 / webDICE編集長
・浅井隆 webDICEユーザーページ
http://www.webdice.jp/user/10/
・アップリンク公式サイト
http://www.uplink.co.jp/