映画『ジャズ喫茶ベイシー Swiftyの譚詩(Ballad)』©「ジャズ喫茶ベイシー」フィルムパートナーズ
岩手県一関市、世界中からジャズファン・オーディオマニアが集うジャズ喫茶「ベイシー」のマスター・菅原正二を描くドキュメンタリー映画『ジャズ喫茶ベイシー Swiftyの譚詩(Ballad)』が9月18日(金)より公開。webDICEでは星野哲也監督のインタビューを掲載する。
「菅原さんの本にも引用されていますが、『すべての芸術は音楽の状態に憧れる』という(ビクトリア朝時代の文人ウォルター・ペイターの)名言があります。その状態とは、フラメンコで使われる"ドゥエンデ"という言葉が意味することと同じで、心をかき乱される言いがたい魅力のことだと僕は捉えています。言葉にはできないけれど、なぜか感動して涙が出てくる。『心で聞く』とはまさにそういうことで、そんな音の魔力を、この映画で掘り下げたつもりです」(星野哲也監督)
アナログはアナログで録音しなければ
──菅原さんとの出会いを教えて下さい。
僕は1986年に上京して、当時ウォーターフロントと呼ばれていた芝浦にあったスペインレストラン"タンゴ"に務めて以来、ずっと飲食業で生きてきましたが、たくさんのいい出会いに恵まれました。1990年代に渡辺貞夫さんがプロデュースしていた"キリン・ザ・クラブ"という食事つきのライブイベントで、その頃僕が働いていた広尾のイタリアンレストラン"ラ・ビスボッチャ"がケータリングをしていました。貞夫さんがお気に入りの店だったんです。そこで貞夫さんご本人と奥さんの貢子さんと、懇意にさせてもらうようになりました。10代の頃からオーディオファンだった僕は『ステレオサウンド』誌をいつも持ち歩いていて、ある時、それに載っていた菅原さんの原稿を貢子さんに見せ、「この人に憧れているんです」と話したら、「正ちゃんなら知ってるわよ」と。それからしばらくたったある日、"キリン・ザ・クラブ"に来た菅原さんを貢子さんが紹介してくれたんです。菅原さんにその時サインしてもらった『ステレオサウンド』は、今も持っています。
映画『ジャズ喫茶ベイシー Swiftyの譚詩(Ballad)』星野哲也監督
──なぜ本作を制作することになったのですか。
5年ほど前、菅原さんが友人と「俺たちも70の足音が聞こえてきて、こんな不健康な生活はそろそろやめないとな」と話しているのを聞いて動揺しました。ベイシーがなくなる日が来るなんて、それまで考えたことがなかった。これは今のうちに記録に残さなければと思いました。当初、自分で監督をする気はまったくありませんでしたが、他に撮ってくれる人がおらず、1か月後には撮影をスタートしました。菅原さんは「勝手にやれ」と。ただ、以前も時々、たとえば2011年の震災の時に見舞いがてらに行ってビデオ撮影をしていましたし、初めてベイシーに行った20数年前から、訪れるたびに写真を撮っていたので、素材はあったんです。
映画『ジャズ喫茶ベイシー Swiftyの譚詩(Ballad)』©「ジャズ喫茶ベイシー」フィルムパートナーズ
──映画に登場する方々は監督が出演をオファーしたのですか。
事前にオファーしたのは小澤(征爾)さんとDUGの中平(穂積)さんです。他の方たちについては、ライブやイベントの情報を菅原さんから電話で聞いて必ず行くようにしていたので、その場で了承を得て撮影させてもらいました。「いい音とは何ぞや」ということを考える時に、ジャズだけでは周りが見えなくなるので、必ずクラシックの曲を映画に入れようと決めていたんです。小澤さんは、これまで音楽の話はさんざんしてきたけれど、ジャズについて話すのは今回初めてとおっしゃっていたので、貴重なインタビュー映像だと思います。DUGの中平さんは、菅原さんとは同業者でも違う考えを持つ方だったので、その話を聞きたくて依頼しました。
──今作のサウンドトラックは、映画の撮影時に菅原さんが店内でかけたアナログLPレコードのプレイバックをアナログ録音の伝説的名器「ナグラ」のラインアンプを使用し収録していますね。
アナログはアナログで録音しなければと思ったからです。たとえば、キザな言い方をすれば、真空管だとレコードのパチパチいう音も潮騒のようにすら聞こえるのに、デジタルのアンプを使うとノイズになってしまう。それと、テープで残したかったことも理由の一つです。今回、ナグラで収録したテープ音源は使用していませんが、ナグラのラインアンプの音がびっくりするくらいよかったので、そのラインアンプ経由でコンピューターにつないでいます。
専門的な話で言えば、ナグラのマイクユニット技術は非常に優れているので、貞夫さんのライブ収録では、マイク入力のためだけに5台のナグラをタワーのように積んで使いました。いろんな人から映画にこだわる必要はないんじゃないかと言われましたが、僕は絶対に映画にすると決めていました。ベイシーの音を映画館の良い環境で聴かせたいので。
映画『ジャズ喫茶ベイシー Swiftyの譚詩(Ballad)』©「ジャズ喫茶ベイシー」フィルムパートナーズ
──この映画でもっとも伝えたかったことをあらためて教えて下さい。
マスターとしての菅原さんです。髪の毛を決めて、サングラスをかけて、"マスター・菅原正二"になる瞬間があるんです。僕は生い立ちや経歴には興味がなく、菅原さんのマスター業を掘り下げたかった。毎日同じことを繰り返している偉大なマンネリズムと言われればそれまでですが、喫茶店を50年続けることは奇跡で、ビジネスセンスがないとできません。東京のお客さんを岩手まで足を運ばせてしまう魔法使いのような人ですが、本人は話してくれないから、周りから炙り出すしかない。老舗のマスターなので近寄りがたいとか怖いとかよく言われますが、人を喜ばそうというサービス精神に満ちあふれた人です。訪れる人の魂を磨いてきた、飲食業の神様だと思います。
それから、菅原さんの本にも引用されていますが、「すべての芸術は音楽の状態に憧れる」という(ビクトリア朝時代の文人ウォルター・ペイターの)名言があります。その状態とは、フラメンコで使われる"ドゥエンデ"という言葉が意味することと同じで、心をかき乱される言いがたい魅力のことだと僕は捉えています。
言葉にはできないけれど、なぜか感動して涙が出てくる。「心で聞く」とはまさにそういうことで、そんな音の魔力を、この映画で掘り下げたつもりです。
(公式パンフレットより抜粋)
星野哲也(ほしのてつや)
1965年福岡県北九州市生まれ。長年、レストランやワインバーなど最先端の人が集まる場所を提供し“東京の夜”を俯瞰し続けてきた。現在は「ガランス」「焼肉ケニヤ」を経営。
映画『ジャズ喫茶ベイシー Swiftyの譚詩(Ballad)』
2020年9月18日(金)アップリンク渋谷、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開
監督:星野哲也
編集:田口拓也
出演:菅原正二、島地勝彦、厚木繁伸、村上“ポンタ”秀一、坂田明、ペーター・ブロッツマン、阿部薫、中平穂積、安藤吉英、磯貝建文、小澤征爾、豊嶋泰嗣、中村誠一、安藤忠雄、鈴木京香、エルヴィン・ジョーンズ、渡辺貞夫 (登場順) ほか ジャズな人々
エグゼクティブプロデューサー:亀山千広
プロデューサー:宮川朋之 古郡真也
配給・宣伝:アップリンク
2019/日本/104分/1.85:1/DCP