映画『ぼくが性別「ゼロ」に戻るとき 空と木の実の9年間』©2019 Miyuki Tokoi
13歳のときに心は男性/生物学的には女性である「性同一性障害」と診断され、20歳のときに国内最年少で性別適応手術を受け女性から男性になった小林空雅さんの9年間の生活を追うドキュメンタリー映画『ぼくが性別「ゼロ」に戻るとき 空と木の実の9年間』が7月24日(金)よりアップリンク渋谷にてロードショー。webDICEでは常井美幸監督と、小林空雅さんのインタビューを掲載する。今回のインタビューでは常井監督が小林さんを取材することになった経緯、撮影時のエピソードが語られている。常井監督が「この映画は性別をモチーフにしていますが、性別のことだけを描きたかったわけではない」と述べているように、小林さんの生き方は、心の拠り所や自由になるための方法は人それぞれでいい、ということを教えてくれる。
「もっと人というのはそれぞれに違うんだということを前提に、『自分らしさ』というものを表現できたら、もっと私たち全員が楽に生きられる社会が作れるんじゃないかなと思いますし、ひとりひとりが自分らしい生き方を問い直してみることで、それぞれの心の居場所を見つけられて、お互いにその違いを認め合える社会になればいいなと思ってこの映画を作りました」(常井美幸監督)
小林さんの生き方に共鳴して、いい意味での連鎖が起きた
──まずお二人の出会いから教えていただけますか?
常井美幸(本作監督 以下、常井):出会ったのは2010年ですから10年前のことです。以前から性同一性障害と言う言葉を知ってはいたのですが、性別が揺れている子供たちが、男子生徒と女子生徒で振り分けられることが多い学校生活で、とても辛い思いをしているという事実を知りました。当時私はテレビのニュース番組のディレクターをしていて、リポートとしてその現状を伝えたいと思いました。でもテレビですから顔も出して取材させてもらわなくてはならない。引き受けてくれる子どもがいるだろうか?と途方にくれていたのですが、次の日に、知り合いのつてで、ある子どもさんを紹介してもらいました。「ぜひ会いたい」とそのお子さんのお母様に連絡して、あっという間に出会ってしまったのが当時15歳の小林空雅さんだったのです。
会ってみたら、とても可愛い子で。「名前も出していい」「顔も出していい」と言ってくれた。「僕の事を皆に伝えたいです」という強い意志も持っている。そしてここが大事なんですが「なんでも訊いてください」「なんでも答えますよ」と。こういう分野はタブーと言われる話題も多いので、お話をきちんとしてくださる方でないと難しい。この子なら良い取材ができると思い、翌週には撮影を開始していました。いま考えると、あんなに簡単に出会えちゃったのは運命だったのかな、と。
映画『ぼくが性別「ゼロ」に戻るとき 空と木の実の9年間』常井美幸監督(左)、 主人公の小林空雅(右)©2019 Miyuki Tokoi
──17歳での弁論大会についても、ずっと追いかけていた取材の過程で撮られたんですか?
常井:そうではないんです。ニュース番組のディレクターは、たくさんの話題をカバーしなくてはならない。だから当初は、小林さんの継続取材は予定していなかったんです。でもそれから2年後、「全校生徒の前でカミングアウトします。ぜひ取材に来てください」というお声がけをお母様からいただいて。当時は、中学/高校のなかで、生まれたときの性別とは異なる性別で通学することを認められた生徒はほとんどいなかった頃。ですからそれは凄いことだなと思って、再度撮影に行きました。
初めて会ったときの15歳の小林さんは、まだ表情に迷いが見えて、うつむき加減に話す。自分の複雑な思いを伝えられるほどの語彙も持ち合わせていなかった。それが、2年の間に表情も明るくなり、しっかりと前を見据えながら自分の思いを言葉にして伝えている。この2年間でこれほどまでの成長を見せた小林さんは、今後どんな大人になっていくんだろう?その成長ぶりを描く事ができたら、何か私たちにとって大切なメッセージが見えてくるのではないかと思った。その瞬間でした。ずっと追っていきたいと思ったのは。
映画『ぼくが性別「ゼロ」に戻るとき 空と木の実の9年間』©2019 Miyuki Tokoi
──小林さんは、その2年間について変化を感じていましたか?
小林空雅(本作主人公 以下、小林):高校に入って友達が新しいたくさんできた。暗かった印象が明るくなったっていうのはやっぱり友達の影響があったと思う。友達が声をかけてくれて、もう性別に全く関係がなくなって、周りの環境で大きく変化したのかなと思っています。
常井:私の捉え方としては、良い環境に恵まれたというより、小林さんが自分らしい生き方を真正面から捉えて伝えていった事で、周りの人達をも変えていったのではないかと感じました。小林さんの生き方に共鳴して、いい意味での連鎖が起きた。だからこそ小林さんの存在を多くの人に伝えたいと感じました。
──お母さんがずっと応援してくれていました。それも、中途半端な想いであったら「どうなの?」という気持ちも出たかもしれないですね。でも小林さんの意志がはっきりしていたので、やはりそういう部分が周りを変えていく力になりますよね。
小林:とても傲慢な言い方をしてしまうかもしれないんですけど、よく「すごく理解のあるお母さんだね」と言われるんですけど、私がこうだから母も理解してくれたんじゃないか、と思っている。そこもわかってほしいな、ともこっそり思っています(笑)。
常井:それはそうだと思いますよ。小林さんが自分に嘘偽りなく「こう生きたい」と意思と行動を示すことで、お母さんも変わった部分もあると思います。
手術には「理不尽」を感じていた
──18歳になって、胸の切除の一連のシーンは観る人に色々な感情を起こさせるものだったと思います。そのあたりについての様子を教えてください。
常井:小林さんはいつも真っすぐで明るい方だったので、葛藤がなかなか撮れなくて悩んでいて(笑)。乳房切除手術の前日というのは、必ず撮らないといけない局面ですし、複雑な思いがあるに違いない。いままで遠慮していて聞けなかったことを思い切って聞いてみよう、と思いました。私には「性別の揺れ」という感覚が分かるようで分からなくて、でもどうしてもそこを知りたい、理解したい、という想いがあって様々な質問をしました。さすがの小林さんも、手術の前日ということもあり、多少不安な部分もあったのでしょう。あのとき本音を聞けた事で私はようやく「小林さんはこういう想いで生きていたんだ」と心の奥底から感じることができました。あのシーンは、私の質問が失礼だとご批判をいただいたりするんですが(笑)、小林さんの思いを描くには大切なシーンだと思っています。小林さんはどうでしたか?
小林:質問は、聞かれたことに答えただけなので、なんとも思わなかったです(笑)。手術については実は不安はなかった。ようやくできる、という解放感や嬉しさもあったんですが、いま考えると、それ以上に「理不尽」に感じていました。当時のゼロ地点に戻る、という一連の言葉は、どうして自分はこんなに時間とお金をかけてこんなことをしないといけないんだろう、という気持ちで発していました。結局、胸の切除をした後もしばらくは痛みがあるわけで、そこまで含めて理不尽を感じていました。
常井:なるほど。あの頃の苛立っているように見えた理由というのはそういう事だったんですね。私もその後も取材をしながら「葛藤がない」という事に対して「映画になるだろうか」と葛藤していたわけですが、編集の段階であのシーンを見返して、これはいい映画になるなと思えた瞬間でした。
映画『ぼくが性別「ゼロ」に戻るとき 空と木の実の9年間』©2019 Miyuki Tokoi
──性別ゼロというタイトルにもなった言葉なので、重要なシーンだったわけですね。そこから18歳~20歳の頃についてはどうでしたか?
小林:私の生活としては実家を出て、アルバイトしてっていう期間だったんですけど、20歳になったらすぐ手術をして。正直その2年間高校卒業の後は、割と何もなかったかな(笑)あ、免許をとったくらいかな。
──自分が自由になっていく、解放されていく、という感じではなかったんですかね?
小林:解放されるって思うけど、結局そういう過程を踏まないといけない理不尽さはずっと付きまとっていて。なんでこんなことをしないといけないんだろう。でも、なるべくその気持ちは思い出さないように、考えると不貞腐れちゃうから(笑)なるべく前向きになれるようにしていました。
常井:次に卵巣と子宮を取る「性別適合手術」の時は、同世代の若者と対比するように撮りたくて。その日はちょうど世間では成人式が行われていて、小林さんの言う、最初から「ゼロ」でいられる若者たちは着飾って楽しそうに成人式に参加している。それに対して病院で手術台に登らなくてはいけない小林さん。そんな中でも、いつでも前向きに自分の人生を生きようとしている小林さんの姿を見て、私はとても感動していました。
小林:たしかに成人式にはいかなかったですね。ただ、友達が成人式の後にご飯食べよう飲みに行こうみたいなのがあったので行きました。あとは、映画の中でも言っていたけど、この「手術も成人式みたいなもんだよねえ」ていうのが、面白かったです(笑)。
映画『ぼくが性別「ゼロ」に戻るとき 空と木の実の9年間』©2019 Miyuki Tokoi
──成人式というのはそれぞれその区切りでやればいいわけですからね。ところで、八代さんや中島潤さんをこの物語に入れようと思ったきかっけはなんですか?
常井:いくつか理由があります。取材を始めた当時、私は世の中には「男と女」しかいないと思っていました。女性として生まれて男性として生きたい小林さんと逆の方も取材したいと思いました。さらに性の問題は、世代によって課題も認識も異なるだろうと思い、もっと上の世代の方はどういう生き方をなさってきたのか取材するため、1年ほど探したのち巡り合ったのが八代みゆきさんでした。八代さんに出会って感じたのは「自分らしく生きたい」という思いに年齢は関係ない、ということでした。八代さんは男性として長年過ごし、社会的に成功して、人生が一区切りした後でも、やっぱり最後は自分の本来の性別である女性に戻りたいわけです。性別も含めて「自分らしく生きたい」という思いは誤魔化せるものではない、内側からくる想いなんだな、ということを感じました。
──八代さんに会われてどう感じましたか?
小林:穏やかな方だなと。年齢もだいぶ離れていますが、居心地が良くて。たまに行く親戚のおばあちゃんみたいな(笑)優しい方で。戦争のお話とかも聞かせてもらったり。小学校にデイサービスが併設していて、戦争のお話を聞いたりする機会があったり、そのころを思い出しました。
常井:想像以上の波乱万丈な人生を送っていらした方でした。戦前/戦時中など、性別に違和感をもつ人の存在さえもないとされていた時代に、いかに自分を偽りながら、自分が何者かもわからず生きていくというのは、とても大変なことだったんだろうなと思います。
──おそらく相当の葛藤を抱えてきたなかで今穏やかさを手に入れているというのは、自分に立ち返ったという感じなんでしょうね。
常井:沢山の葛藤を乗り越えた先に辿り着いた境地なのかなと思いますね。
──中島さんについてはいかがですか?
常井:長い間取材を続けていると、性別に関しての色々な変化も目撃していくことになりました。ちょうど取材を始めて5,6年したころ、「男でも女でもない」という方とお会いする機会がとても増えました。あれ、ひょっとしたらこの世は男と女だけではないのかな?と気づき、そういう自認をもった方を探して出会ったのが中島潤さんでした。中島さんは「Xジェンダー」を自認しながら、それを周りの方にも伝えて、社会的にも受け入れられているという方で、Xジェンダーとして生きていく上で社会の仕組みを考えられた方。中島さんとお話していると、いかに私の中にも多くの「枠」を作って生きているかということに気づかされました。だんだん私の心の中も軽くなっていったんです。中島さんのメッセージも社会に向けて発したいと思い、取材を申し込みました。
──ジェンダーブレッドというボードがとても面白いですね。男でも女でもない、ということもあると思うのですが、性別に関係なく、感覚というのはグラデーションだというのがよくわかりますね。
常井:そうですね。それも中島さんに教えていただいたんです。「ジェンダーブレッド」というチャートを使うと、いままで自分の性別について考えたことがない方も、改めて考えるきっかけになり、実は、ひとりひとりちょっとずつ違っていることに気づくと思います。みんな違うとしたら、性別というのは「LGBT」という枠ではなく、みんながそれぞれひとりひとり持っているもので、マジョリティもマイノリティもない、みんなひとりひとりがマイノリティなのではないか、と思うようになりました。そのことを社会の中で多くの人が共有できたら、社会も変わるのではないか?というほどのインパクトを受けました。
小林:ジェンダーブレッドが提案される前のものだと、表現のバリエーションが少なくて、例えば、両端が男女に分けられた一本の線があって、それで性自認がどっちよりか、というようなものでした。それがジェンダーブレッドでは二本の線、どういうことかというと、女という線と、男という線の二本でワンセットなんです。それで、女である自分が何割、男である自分が何割、というように表現する事ができる。表現のバリエーションが増えた事で視野・考え方が拡がったというのはありますね。
──やはり定義されてしまうとつらいけど、もう少しグラデーションがあると思うと、生きやすさというのが楽になるように思いますね。映画を観ていて、そう感じました。
常井:そうであってほしいですね。
映画『ぼくが性別「ゼロ」に戻るとき 空と木の実の9年間』©2019 Miyuki Tokoi
もっと自分事として考えて、自分らしさを問い直す事
──Xジェンダーなどが今の時代に出てきた中で、とても多様になっている事に対して、9年間取材を続けられてきて、社会の変化も見ながら、どう感じられますか?
常井:両側面あるなと思っていて、確かに多様性という言葉が言われるようになり、生き方のバリエーションも増えていると思う一方で、多様性・ダイバーシティがお題目で終わっていることもあったり、まだ自分事として考えられていないのではないかと感じる事があります。なにかこう、もっと窮屈に感じながら生きている人が実は増えているような気がしていて……。それはどうしてだろう?と考えた時に、それは、自分事として考える事と乖離しているところと関係があるのではないかなと思うんです。もっと、自分事として考えて、自分らしさを問い直す事で、本当に生きやすい社会ってなんだろう、ということが見えてくるんじゃないかなと思います。それは私の中の課題でもあります。小林さんの人生を通して、そういった事を感じ取ってほしいなと思います。
小林:人口的に増えたというより、言えるようになったのかなと感じます。メディア等で周知されたことで受け入れられる人が増えた、言える環境が増えた、ということなのかなと感じます。
──常井さんは「性だけを描きたかったわけではない」とおっしゃっています。心の居場所、という言葉もありますが、みんなそれぞれがどういう居場所で生きていくのか、というような、映画を観た方には伝わっているとは思いますけども、改めてメッセージをお願いできますか?
常井:繰り返しになってしまいますが、この映画は性別をモチーフにしていますが、性別のことだけを描きたかったわけではありません。私も今までの人生の中で、生きづらさであったり、周りとうまくいかなった体験を通して、自分らしさの意味を知ることで、少しずつ楽になってきました。もっと人というのはそれぞれに違うんだということを前提に、「自分らしさ」というものを表現できたら、もっと私たち全員が楽に生きられる社会が作れるんじゃないかなと思いますし、ひとりひとりが自分らしい生き方を問い直してみることで、それぞれの心の居場所を見つけられて、お互いにその違いを認め合える社会になればいいなと思ってこの映画を作りました。
小林:この映画を作った想いは監督なので私は言えることはないのですが、心の居場所という事では、私は、自分が居る場所が、自分が居場所を作っていくものだと思っているので、無理に周りに順応したり、理解を求めたりということはないと思います。
常井:それでいいと思います。でもなかなか、そこまで思える人も少ないかもしれないので、小林さんの生き方を通して、色々な方の枠を外すきっかけになったらいいなと願っています。
(聞き手:岩井秀世)
映画『ぼくが性別「ゼロ」に戻るとき 空と木の実の9年間』
7月24日(金)よりアップリンク渋谷にてロードショー 以降全国順次
監督:常井美幸
出演:小林空雅、八代みゆき、中島潤
プロデューサー:両角美由紀
音楽:上畑正和
編集:吉田浩一
アート:伊藤ともこ
製作・配給:MUSUBI Productions
2019年/日本/カラー/84分