映画『リトル・ジョー』© COOP99 FILMPRODUKTION GMBH / LITTLE JOE PRODUCTIONS LTD / ESSENTIAL FILMPRODUKTION GMBH / BRITISH BROADCASTING CORPORATION / THE BRITISH FILM INSTITUTE 2019
人工的に幸福感を生み出す花を開発した研究者をめぐるスリラー『リトル・ジョー』が7月17日(金)アップリンク渋谷、アップリンク吉祥寺他にて全国順次ロードショー。webDICEではジェシカ・ハウスナー監督のインタビューを掲載する。今作に主演するエミリー・ビーチャムは第72回カンヌ国際映画祭コンペティション部門で主演女優賞を受賞した。また主人公アリスの同僚役としてベン・ウィショーが出演している。
バイオ企業で新種の植物開発に取り組む研究者のアリスは、息子のジョーと暮らすシングルマザー。彼女は、見た目が美しいだけでなく、“人を幸せにする”という特殊な真紅の花の開発に成功した。“リトル・ジョー”と命名されたその花が成長するにつれ、息子が奇妙な行動をとり始める。インタビューでも監督が語っているように、子供の成長とともに子離れできない親としての不安と、遺伝子組み換えによってハッピーになれる花粉を放出する“怪物”を生み出してしまった科学者としての不安をパラレルに描くことで、観客を不穏なムードに巻き込んでいく。シングルマザーの主人公が住む家や、実験が行われる温室といった美術、そして日本の作曲家、伊藤貞司の音楽もSF的な設定ににリアリティと寓話的ムードの双方を与えている。
「働く女性は皆、多少なりとも非難のこもった口調で、『それで、誰が子供の面倒を見ているのですか?』と聞かれたことがあるでしょう。本作は、働くことで子供を“蔑ろ”にしてしまっているのではないかと罪悪感に苦しめられている母親の物語です」(ジェシカ・ハウスナー監督)
人の中に存在する奇妙なモノの比喩
──ストーリーの背景にあるアイディアについて教えてください。
どんな人でも、他者やその個人でさえ完全に理解しきれない秘密を隠し持っています。私たちの中に奇妙なものが思いがけず生まれ、親しんでいたはずのものが奇異に映る。知っているはずの人が突然別人に思える。身近だと感じていたものほど遠く離れてしまう。そして、お互いを理解したいという思い、共感、共生への欲求が満たされることはなくなってしまう。そういった意味で本作は人の中に存在する奇妙なモノの比喩と言えるでしょう。
映画『リトル・ジョー』ジェシカ・ハウスナー監督 © COOP99 FILMPRODUKTION GMBH / LITTLE JOE PRODUCTIONS LTD / ESSENTIAL FILMPRODUKTION GMBH / BRITISH BROADCASTING CORPORATION / THE BRITISH FILM INSTITUTE 2019
──脚本は過去作『ルルドの泉』と同じく脚本家ジェラルディン・バジャードとの共同執筆ですが、脚本を書くにあたり最も注意した点については?
観客がキャラクターの誠実さに疑問を抱くようなムードを作り出すことを心がけました。観客がストーリーを解釈する上でさまざまな可能性を提供したいと思いました。人々の変化は、精神的な心理状態、または吸入した花粉の影響によるものだと説明することができます。はたまた、それらの「変化」は実は存在せず、ベラやアリスの妄想とも考えることができるかもしれません。
そして、脚本を書くときの最大の課題として、シーンに曖昧さを残すことでその時々に観客が違った答えを見つけ出せるようにしました。ジェラルディンと私は、これまでにも似たようなドラマツルギーの課題に取り組んできました。『ルルドの泉で』では、奇跡の存在もしくはその不在に説得力を持たせる必要があり、その点に注力しました。結果としてヴェネチア国際映画祭で賞を受賞することができました。
映画『リトル・ジョー』© COOP99 FILMPRODUKTION GMBH / LITTLE JOE PRODUCTIONS LTD / ESSENTIAL FILMPRODUKTION GMBH / BRITISH BROADCASTING CORPORATION / THE BRITISH FILM INSTITUTE 2019
罪悪感に苦しめられている働く女性の物語
──母親と我が子と断ち切れない絆が物語の中心になっています。
一人の母親の物語でもあります。働く女性は皆、多少なりとも非難のこもった口調で、「それで、誰が子供の面倒を見ているのですか?」と聞かれたことがあるでしょう。本作は、働くことで子供を“蔑ろ”にしてしまっているのではないかと罪悪感に苦しめられている母親の物語です。主人公は仕事と育児の間で板挟みになっています。なぜならば、花は彼女の情熱であり、創造物、労働の産物であり、“リトル・ジョー”はアリスのもう一人の子供に他ならないからです。そのため二人の子供への感情が混ざり合い、子供(達)を蔑ろにしたり、失ったりしたくないと願いつつ、最後にアリスはどちらかの子供を選ぶことになります。
──タイトルとなっている『リトル・ジョー』にはふたつの意味が込められているということですね。
アリスは、息子ジョーと新種の花“リトル・ジョー”という2つの存在を生み出しました。まるで己の意思を持っているような“リトル・ジョー”。偶然にせよ意図的にせよ、己の意思で花粉を放出することができる“リトル・ジョー”は、アリスが遺伝子に組み込んだ繁殖不全を克服しようとしているのか?それとも人間に感染し、彼らの愛情(感情)を奪うことによって生存戦略を獲得しようとしているのか?感染した人たちは“リトル・ジョー”に仕える身となってしまうのか?この空想的な理論を最初歯牙にも掛けなかったアリスでしたが、それも長くは続きませんでした。
──植物の話を描くにあたり、遺伝子工学の面からも“リトル・ジョー”にリアリティを持たせようとしたそうですね。
安全性を確保するために、この不測の事態から身を守るべきだと主張する意見もあれば、すべてはコントロール下にあると主張する意見もあります。どちらかに与するつもりはありません。私は、一方では科学の発展によって、もう一方ではインターネット上で広まっている部分的な真実によって生み出されている、現代社会のこうした側面に強い興味を抱いています。そして、科学者でさえも確実に証明することはできず、推測することしかできないという不気味な理解へと至ると……あらゆる陰謀理論のよき温床となるのです。
映画『リトル・ジョー』© COOP99 FILMPRODUKTION GMBH / LITTLE JOE PRODUCTIONS LTD / ESSENTIAL FILMPRODUKTION GMBH / BRITISH BROADCASTING CORPORATION / THE BRITISH FILM INSTITUTE 2019
素晴らしい香りから生まれる邪悪な脅威が
──監督の過去作『ルルドの泉』よりもさらに抽象的、そして人工的と言える美術について教えてください。
お伽話的な性質がこの映画には必要でした。たとえば、色彩にはミントグリーンと白、そして花の赤、極端に言えば幼稚にも見えるこの配色で、映画におとぎ話や寓話的なムードを演出しています。ここでアリスの赤いマッシュルームヘアは非常に重要なポイントで、この演出を象徴しているとも言えるでしょう。
映画『リトル・ジョー』© COOP99 FILMPRODUKTION GMBH / LITTLE JOE PRODUCTIONS LTD / ESSENTIAL FILMPRODUKTION GMBH / BRITISH BROADCASTING CORPORATION / THE BRITISH FILM INSTITUTE 2019
──衣装は、以前よりコラボレーションを続けている姉のターニャ・ハウスナーが担当しています。彼女は監督のすべての作品に関わってきています。
ターニャの衣装からは、映画の時代背景を簡単に特定することさせないようにしました。そして、ばかげたドレスや大きすぎるスーツなど、ユーモアを含んでいることも重要です。
──撮影監督のマルティン・ゲシュラハトについては?
私たちのカメラワークは、様々な視点で遊ぶことで現実に疑問を投げかけます。観客は、断片的な要素しか見せられていないことに気付くでしょう。そして、その背後にあるもの、何がおかしいのか、見えないところで何が起こっているのか、自問を始める。私たちのカメラアングルとストーリーテリングはこの自問を強調しています。何が見えていないのか。画面外に隠されたものは何なのか。たとえば、ベラが「異変を引き起こしたのはリトル・ジョーの花粉だと思う」と言うシーンでは、カメラが彼女に近づき、そして通り過ぎる。ここで、ベラが私たちに答えを提供できる人物ではないというかのように、彼女の権威に対するわずかな失望や疑念を感じさせるのです。
映画『リトル・ジョー』© COOP99 FILMPRODUKTION GMBH / LITTLE JOE PRODUCTIONS LTD / ESSENTIAL FILMPRODUKTION GMBH / BRITISH BROADCASTING CORPORATION / THE BRITISH FILM INSTITUTE 2019
──音楽は、日本の作曲家、伊藤貞司によるものです。1940年代にマヤ・デレンの実験映画のために音楽を制作していた人物ですが、なぜ彼の音楽を使用しようと思ったのですか?
私が映画音楽らしい音楽を扱うのは本作が初めてです。マヤ・デレンは、映画史を通して私に最も影響を与えた監督と言えるでしょう。彼女の編集スタイル、ステージング、そして音楽に魅せられてきました。刺激的で、感情を生み出し、恐怖を感じることさえありますが、抽象的でもある。見る人を引き込み、同時に押し戻すのです。
伊藤貞司のアルバム『Watermill』でこの3曲を聴いたとき、すぐにそれが私たちの映画のために作曲されたものだと思いました。すでに絵コンテの時点で私の頭には彼の音楽があり、どのカメラの動きにどの音楽を合わせるかがわかっていました。それもあって、撮影中は、映画のリズムやストーリーにも彼の音楽が大いに影響したと思います。
──本作は初の英語による長編映画となります。母国語で無い言語での映画製作について、いかがでしたか?
英語で仕事をするのがこんなにも素晴らしいものかと驚かされました。ドイツ語では難解だったり、ふざけた感じだったりに聞こえてしまうことが、英語ではシンプルでドライな感じに表現できると感じています。私は母国語以外の言語で撮影すると本当によく集中できるので、非常に楽しいです。
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──本作の製作において最も興味深かった事は?
植物の栽培に関する研究です。人工的に品種改良されているのはどんな植物なのか、その理由、そしてこの科学の市場。人々が植物に何を求め、何が売れるのか。研究におけるトレンドや方向性。何が科学に利益をもたらし、何が経済に利益をもたらすのか。もちろん食用作物の最重要テーマは、植物の耐久性と回復力の開発です。しかし、観賞用の植物においては、「香り」のような主観的なものが多くの研究の焦点となっているが面白いです。実際、このユートピアは存在します。植物の香りは人を幸せにするのです。ほとんどの場合、花は美しいもので、その香りをかいだ先には笑顔があり、それは花というアイディアそのものでもあります。花は美しく、かぐわしい。ただし研究の過程で、本当の意味での「いい香り」とは何か、わからなくなるのです。なぜなら誰もが異なる香りの好みを持ち合わせているから。そこから誰もが幸せになる香りを放つ花というアイディアが生まれました。それは、まるで錬金術の如き、科学者の紡ぐ魔法なのです。
さらに、ストーリーに待ち受ける破滅を予感させるには、素晴らしい香りから生まれる邪悪な脅威が必要でした。私は植物遺伝学と人類遺伝学に精通した科学者数名と、脳の専門家にコンタクトを取り、植物が人間を感染させることが可能なのか、またその場合、どのようにして感染するのか仮説を立てることにしました。この繋がりを見出すのがもっとも困難でした。彼らは、ウイルスであれば可能だという仮説をくれました。ウイルスには十分な柔軟性があり、植物ウイルスからヒトウイルスに突然変異する可能性があるというのです。これが現実に起こる可能性は極めて低いものの、起こらないとは限らない。そして、この仮説がストーリーを組み立てる基礎となりました。また、脳の研究をしている神経科学者ジェームズ・ファロン氏が向精神薬を鼻から吸入できるという仮説を提唱してくれたため、これが私たちのアイディアを裏付けてくれました。
──温室のシーンはどこで撮影したのですか?
ほぼ全て草花栽培のマーケットリーダーであるオランダで撮影を行いました。オランダは草花栽培の分野で非常に専門的かつ最先端のテクノロジーを持ちあわせているのです。世界最大の花市場であるロイヤルフローラホランドは目を疑うほどの巨大な事業で、花を積んだ無数のコンピューター化された台車が走り回っている光景は、まるで「素晴らしい新世界」(1932年オルダス・ハクスリー著)のディストピアを彷彿とさせます。
映画『リトル・ジョー』© COOP99 FILMPRODUKTION GMBH / LITTLE JOE PRODUCTIONS LTD / ESSENTIAL FILMPRODUKTION GMBH / BRITISH BROADCASTING CORPORATION / THE BRITISH FILM INSTITUTE 2019
──新種の花“リトル・ジョー”の物語を通して、科学に対する意識に変化はありますか?
科学は常に新しい事を試みています。誰にもその結果を完璧に予測することはできませんが、それでも試みは成されるのです。本作では、花の香りを吸い込んだ当事者が幸せなのだから、発明としては成功と言えるでしょう。しかし、その代償は……これらの矛盾や相反する状況、永遠に元に戻すことができない「ゴルディアスの結び目」(注)が私の興味を最もかきたてるテーマなのです。
(注)…古代アナトリアにあったフリギアの都ゴルディオンの神話と、アレクサンドロス大王にまつわる伝説。この故事によって、手に負えないような難問を誰も思いつかなかった大胆な方法で解決してしまうことのメタファー「難題を一刀両断に解くが如く」(英: To Cut The Gordian Knot )として使われる。引用:wikipediaより
(オフィシャル・インタビューより)
ジェシカ・ハウスナー(Jessica Hausner)
1972年、オーストリアのウィーンで生まれた。The Film Academy of Viennaで監督業を学び、在学中に映画賞受賞作の短編『FLORA』(96)、『INTER-VIEW』(99)を制作した。2001年、長編初監督作『Lovely Rita ラブリー・リタ』(01)がカンヌ国際映画祭ある視点部門に出品され、二作目の『Hotel ホテル』(04)も再びカンヌ国際映画祭ある視点部門で上映された。2009年、『ルルドの泉』がヴェネツィア国際映画祭コンペティション部門に出品され、国際映画批評家連盟賞を受賞。2014年には『AMOUR FOU(原題)』が再びカンヌ国際映画祭ある視点部門でプレミア上映された。『リトル・ジョー』はジェシカ・ハウスナー監督の長編第5作目であり、初の英語作品である。
映画『リトル・ジョー』
7月17日(金)アップリンク渋谷、アップリンク吉祥寺他にて全国順次ロードショー
監督:ジェシカ・ハウスナー
出演:エミリー・ビーチャム、ベン・ウィショー、ケリー・フォックス、キット・コナー 他
配給:ツイン
2019年/オーストリア・イギリス・ドイツ/105分/カラー/ビスタ/英語
原題:Little Joe