映画『パラダイス・ロスト』福間健二監督と主演の和田光沙
詩と映画の二つの領域で活動を続ける福間健二の新作『パラダイス・ロスト』が3月20日(金)よりアップリンク吉祥寺にて上映。webDICEでは公開を記念して、福間健二監督と主演の和田光沙による対談を掲載する。
心臓発作で突然夫を失った妻・亜矢子を中心に、彼女を取り巻く人々との関係を通して、人はどのように喪失を乗り越え希望を取り戻していくのかが、福間監督らしい生々しいドラマと詩の持つ行間や余白を融合させたタッチで描かれる。『岬の兄妹』の迫真の演技が高い評価を得た和田光沙が、亜矢子を演じている。今回の対談では、キャスティングの経緯、撮影現場の様子をはじめ、完成した今作に対するそれぞれの視点が語られた。
ジャンヌ・モローをやった翌日に
八百屋で働いているような女優
福間:今回和田光沙さんでいく、というのは決めてたんです。『菊とギロチン』(18)や『岬の兄妹』(18)以前から、サトウトシキ監督の『花つみ』(11)などを見て気になっている女優さんでした。北海道で撮るはずだった企画がこの作品の前にあって、光沙ちゃんはじめ、スタッフもキャストもスケジュールを空けてもらってた。その企画が流れて東京で1本やれないかということになったんで、最初から和田光沙を考えて『パラダイス・ロスト』の亜矢子を書いたということです。
和田:7月の「SKIPシティ映画祭2018」で『岬の兄妹』が上映された時に、来て頂いてその話を伺い、シナリオも受け取りました。それでシナリオを読んだんですけど、なんというか初めて見る感じのホンだったんです。いい意味で型にはめられてないっていうか??。物語をぶち壊しているというか(笑)。自由な、という感じでしょうか。それで感想をお伝えする時に、「まるで楽譜のようなシナリオですね」と言った記憶があります。
福間:それは嬉しかったんだよね。シナリオって本当は楽譜なんだよね。それで、撮影が演奏だよね。俳優が、シナリオを楽譜のように受けとってくれたなら、それでいいなあって。思っていたのは、『菊とギロチン』であの女相撲がサマになってるのは光沙ちゃんの貢献が大きいと瀬々監督から聞いていたり、それで『岬の兄妹』見たら、あの役を体当たりで、しかも一年以上かかって撮ったものだったりしていて、本当にすごいな、と。そういう人だから、遠慮しないでやれるなと思った。逆に、このくらいのホンでは、光沙ちゃんのほんとうの体当たりが出てこないなと思って、何かないかな、何かないかなと思いながら撮ってたという感じです。光沙ちゃんも自分のしどころをどこでどう出せばいいかをちょっと迷ってるふうだったかもね。
映画『パラダイス・ロスト』
和田:そうですね、こういう役は今までになかったかもしれません。いわゆる普通の役というか。もう少し極端にワーって何かやるとか、賑やかす役の方が多かったかも。
福間:これは、光沙ちゃんだけじゃなくてみんなに言ってることだけど、役をそんなに作らなくていい、わからなくなったら「自分」でやってくださいっていうのが僕のやり方で、その自分っていうのはどういう自分かわからないけど、自分っていう人間が一番出るような感じ、それをやってください。つまり、迷ったら和田さんが出ていいですよ、ということなんだけど、この「和田さん」に困ったかもしれないよね、和田さんは。
和田:はい(笑)。それでもやっぱり、どうしてもこの物語の亜矢子という人物でなきゃいけないというのはあるし(笑)。ふだんの自分というよりかは、もっともっと、もっと本当の自分っていうのだったらいいんですけど、ふだん社会の中で生きてる自分が出ちゃうと、うーんっていう疑問もありつつ。でも、わりとみんなで作っていった感じも??。
福間:撮影の順序でいうと、夢の中で慎也と会って、二人で抱きあって、でも相手が死んでることに気づいて、そのラブシーンがストップするというのを早めに撮った。言ったかどうか忘れたけど、僕はあそこは、アントニオーニの『夜』(62)のジャンヌ・モローでやってもらって、そのあとに、八百屋さんで働いてるシーンを、次の日だったかもしれないけどやる。これができるのはやっぱり和田光沙だと思ったの。ジャンヌ・モローをやったあと、八百屋で働いている。普通にはなかなかやれないでしょう(笑)。
和田:そう、福間さんのホンって、そういうドラマチックになるところを全部はしょるというか、見てる人の感情を誘導しないというか、閉じ込めないというか。なんかそういう面白さがあるなあと思って。たしかに人間って、表に出しては生きないし、日々は続いていくし、日常ってのはどんどん迫ってくるわけだから。
福間:悲しいという以上に、起こっていることがどういうことなんだということ。急に夫がいなくなってしまうなんてことがこの世にあって、どうしたらいいか。でも一方では普通にご飯を食べたり、人間って生きてるからね。そこがやっぱりある種のドラマは抜かしちゃうというか、悲しみという感情の中に人間を閉じ込めちゃうんだけど。僕としては、人間はそういうふうに生きてないんじゃないかと。ほんとに辛いときって、誰かに何か言ってもらったりする時間よりも、一人でぼんやりしてる時間だよね。それを撮ったと思うんですけど。
映画『パラダイス・ロスト』
人が絵に出会う瞬間みたいなものを、
全部をやれるのが映画
福間:物語に関して言えば、光沙ちゃん演じる亜矢子と、その夫の弟である翔が結ばれるまでは、なんとしても持っていくぞ、と。とくに翔に対してはね。何しろ童貞が人生にとって一番大事なことだと思ってるような少年が、亡くなった兄の妻だった人を好きになってどうしたらいいのか。とにかくそこまでいくという。最初にハードルを高くしておいて、それをエイっとクリアしてそこまでいった後、どうなるのかっていうのは、そんなによく考えてなかったかな。それでまず亜矢子は絵を描くようになる。あの絵もよかったよね。
和田:あれは、最初の段階はわたしが描いていて、途中から吉祥寺美術学院の先生が描いて、最後の仕上げで急にあんなことになっちゃった(笑)。光の感じとかは急にプロみたいになっちゃって。
福間:とくに打ち合わせもしてなかったんだけど、『岬の兄妹』であの妹は子どものような絵を描いていて、あれは光沙ちゃんが描いたって聞いたから、あ、描けるんだって思ってね。今度は大人版の絵を描いてもらう。それは最初からどこかにあったかもしれません。それと、今回は吉祥寺美術学院の人たちと一緒に作っていたので、あそこに行くには絵へ持っていかなきゃいけないかもしれないと考えたのかも(笑)。
和田:でも亜矢子は絵を描くんだなっていうのは、演じていてとても自然に感じました。
福間:どこかで僕は、ふだん詩人だとかいっても、世の中の芸術愛好家的な感じの芸術はあまり好きではないんだけど、映画をやっていくなかで、詩とか絵がね、大事だなあと素朴に思う。人はただ生きている以上のことをする。ただ動物的に生きている以上のことをする、人間として生きているということで、やっぱり音楽や詩や絵画っていうのが大事になってくるんです。芸術家というのではなくて、普通の人にとってそれが大事だなあと思うんです。
映画『パラダイス・ロスト』
和田:福間さんのこれまでの映画見ると、美術館に行って絵を見たとか、ライブに行ったりとか、詩の朗読を聞きに行ったりとか、そういう体験がギュッと、1時間とか2時間の映画の中に詰まっている気がします。見おわったあと、そういう満足感がありますね。
福間:芸術そのものというより、人が絵に出会う瞬間みたいなものを、全部やれるのが映画だと思ってもいる気もします。美術の世界でいうと絵だし、音楽は音楽なんだけど、映画は何でも持ってこれるじゃない。これがおもしろいなあというか。
和田:福間さんの脚本って、全部が詩、って感じがして、それをどう演じるというか、どう表現するかっていうのが、芝居に頼るだけじゃダメだというのは最初からけっこう思って。そういう模索はすごくおもしろかった。たとえば普通のお芝居だったら突然言えない台詞が急にあったり(笑)。
福間:カメラに向かって人物たちがしゃべるというのは、僕の映画では多いんだけど、今回は、とくにそのカメラが死者の視線であるというのがあった。カメラの側に亡くなった夫がいるかもしれないと亜矢子には意識していてもらいたいというのがあったから、むずかしいともいえるし、逆にやりやすかったかもしれないとは思います。で、『わたしたちの夏』(11)、『あるいは佐々木ユキ』(13)から出演してもらっている小原早織さんはこんなふうなパターンをやってきてるからね。わりかし戸惑わずにやっていたかもしれない。
和田:さらっとやる、すごい! と思って。これだ!って(笑)。小原さんと一緒にやるの、すごく楽しみだったんです。一個、福間組っていう。小原さんと一緒にやれた日は、福間組になれた気がしました!
福間:主役であると同時に、ユキとも、翔とも、一緒に芝居する場面は夢の中ではあったけど亡くなった夫ともね、それぞれに心を通じ合わせるというのがある役。どうでしたかね?
和田:出来上がった作品見て思ったんですけど、亜矢子がいろんな人のやさしさを受け入れて、進み出す話かなと、簡単に言っちゃうと。でもそれって、普通に生きてると忘れがちだったりとか。たとえば若者たちの話を聞くだけでも、何も感じないのと、若者たちがそうやって将来のこと考えていろいろ討論してる姿を、一個心を開いて受け入れるということ。そうやっていろんな人のことを受け入れて、人って生きていける力になるよなあって思いました。
福間:そこは僕が他の監督たちより甘いところかもしれないけど、やっぱり人っていうのは、誰かに支えられて、誰かから何かを受けとって生きていくというところがある。夫を失ったことで、亜矢子はある意味で恵まれた存在になっていくんだけど、そうなったときに本人が甘いと、人に頼って生きてる人になってしまう。そこで自分の孤独とか自分の芯というのがないと困るけど、それをしっかり出してもらったなあと思う。
和田:そうですかねえ??。まあたしかに、そもそも人に甘えるのが苦手なタイプなんで、それは自然に出ちゃうかもしれないですけど。でも、出来上がった作品を見て、こんなに人ってやさしいんだとか、こうやって人って支えられて生きてるんだなと思えるってことは、ふだん自分があまり気づいていないってことに気づかされる映画でした。
映画『パラダイス・ロスト』
まだ世界はあきらめなくていいんだよ
和田:あらためて映画を見て、普段、相交わらない人たちが、普通に、自然に、違和感なく一緒にいる映画になっていて、しかも、それを軽々と越えていくというのがおもしろいなあと感じました。
福間:それで言うと今回だったら宇野祥平さんにやってもらった役は、実は僕が別な作品のために考えてる主人公だったんですよ。1週間に7人、曜日ごとにだれかにご馳走してもらって生きてる人間、そうすれば生きられるという。宇野さんが出てくれるとなったんだけど、ここでは他の人物とのかかわりもないし、彼のスケジュールもきついんで、2日くらいしか来てもらえない。だから、ちょっと思い切り遊んでもらいました(笑)。
和田:(笑)でもいいですよねー。ああいうちょっと社会からはずれちゃった存在っていうのも、亜矢子のまわりにはいて、ちゃんと関わっていて。
福間:慎也の友だちだったんだよね。
和田:しかもけっこういろんな人と関わってる、あの人が一番いろんな人と関わってるという。だから世の中って、いろんなことに寛大だよ、本当は、っていうか、それを勝手に人間がいろんなルール作っちゃってるだけで、本当はもっと受け入れられる存在なんだよなって。
福間:監督っていうのは、僕もときどき、なんなのかよくわからない。だって技術的なことはスタッフがやってくれるしね。役者さんも自分でちゃんとやってくれるとしたら、監督って結局、見ている存在なんだよね。だからモニターを見ている監督は信じられないんですけどね。本番でね、監督はモニターじゃなくて人を見るべきだ。そうしたとき、その人たちを自分が好きだと思う気持ちが僕の中にあれば大丈夫かなって。それを「愛によって映画を撮っている」とちょっと大げさに言ってますけど。その意味では、好きになれる人たちに出てもらってるというかね。だからというとおかしいけど、なかなか悪い人間を出せない。みんなに言われる。
和田:(笑いながら)悪い人出てこない。ほんとに、極悪人って出てこないですよね。だから、見たあとに幸福感に満たされるんでしょうね、福間さんの映画は。ただ単純な幸福感というよりも、悲しみとかそういうことも超えた幸福感みたいな。
映画『パラダイス・ロスト』
──今回一番大変だと思ったシーンは?
和田:やっぱり、あの、翔と亜矢子が結ばれるところですかね。あそこをどう超えていくかという、まあそれに至るまでの段階というのも含めてなんですけど。そうですね。どうしようかなって。
福間:芝居的にはほんとにむずかしいけど、その前に二人が見つめあった部分がある。僕の場合、滅多にないんだけど、二人をカットバックで切り返して三つずつ撮ったとき、いま使ってる音楽のドラムが頭の中に鳴ったんで、3×2の六つ目の最後、手を引くところ、あの手がもう大丈夫だと思ったよ。あの手で引っぱってくれたらって。で、実は、それは国立で撮り、西荻に行って手のつなぎの続きを撮ったんだよね。あそこから撮った。中でなにをするかというのは迷ったけど。
和田:それで、翔が愛について話すところ、あれは助けられましたね。
福間:あそこのセリフについていえば、僕だって、翔が何を言うかわからなかった。というか、ある程度こうなるかというのを二人で話したけど、決めきらないでやって、カット切らないわけだから、あそこで光沙ちゃんから微笑みが出て、あ、オーケーと思いましたね。
和田:失ったところから何かが始まる映画なので、いま幸せな人もさびしさを抱えている人も、この映画を見て、ちょっと簡単な言葉になっちゃいますけど、生きる歓びみたいなものを感じてもらえるんじゃないかなと、わたしは思います、すごく。
福間:生きているってどういうことなのかなと考えて、自分でも微笑みをもってくれるといい。
和田:まだ世界はあきらめなくていいんだよ、っていうような。
福間:そうそう、そんな感じだよね。微笑み、亜矢子が大事なところで微笑んでくれてると思うけど、あの微笑みに会って、この世界はまだなんとかなるんだなあと、そういうふうに思ってもらえたらうれしいですね。
和田:そう思ってもらえる作品だと、わたしは思いました。
(オフィシャル対談より)
福間健二(ふくま・けんじ)
1949年新潟県生まれ。詩人、映画監督。批評と翻訳もおこなってきた。高校時代から8ミリ作品を撮り、1969年、若松孝二監督『現代性犯罪暗黒篇 ある通り魔の告白』に脚本・主演、さらに16ミリ作品『青春伝説序論』を監督する。同時に詩を書きはじめ、現代イギリス詩の研究者としての道を歩みながら、詩と映画への情熱を燃やしつづける。95年、劇場映画第一作『急にたどりついてしまう』を発表。そのあと、映画制作からはしばらく遠ざかるが、2008年以降、『岡山の娘』(08)、『わたしたちの夏』(11)、『あるいは佐々木ユキ』(13)、『秋の理由』(16)を発表し、若い世代の映画作家・批評家・ファンから熱い支持を受ける。2011年、詩集『青い家』で萩原朔太郎賞と藤村記念歴程賞をW受賞。その他の詩集に現代詩文庫版『福間健二詩集』(99)、『侵入し、通過してゆく』(05)、『あと少しだけ』(15)、『会いたい人』(16)など。その他の著書・編著に『石井輝男映画魂』(92)、『ピンク・ヌーヴェルヴァーグ』(96)、『佐藤泰志 そこに彼はいた』(14)など。翻訳にマイケル・オンダーチェ『ライオンの皮をまとって』(05)など。
和田光沙(わだ・みさ)
1983年東京都生まれ。学生時代は農学部で亜熱帯果樹を専攻。運送業勤務を経て、俳優をめざす。『花つみ』(11/サトウトシキ)に主演したのち、『アイドル・イズ・デッド』(12/加藤行宏)、『あんこまん』(13/中村祐太郎)、『貌斬りKAOKIRI』(16/細野辰興)、『夏の娘たち~ひめごと』(17/堀禎一)、『菊とギロチン』(18/瀬々敬久)など。『岬の兄妹』(18/片山慎三)で話題を集め、『死にたくなるよと夜泣くタニシ』(19/後藤大輔)で主演。さらに『ひとよ』(19/白石和彌)、『やまぶき』(20/山崎樹一郎)が続く。舞台に『サイパンの約束』(18/坂手洋二)、音楽朗読劇『ヒロシマ』(19/嶋崎靖)など。
映画『パラダイス・ロスト』
2020年3月20日(金)よりアップリンク吉祥寺にてロードショー
脚本・監督:福間健二
キャスト:和田光沙、我妻天湖、江藤修平、小原早織、木村文洋、森羅万象、宇野祥平、佐々木ユメカ、スズキジュンゾ、松本桂、岡田潔、グラシアス小林、郷津晴彦、外山将平、吉野晶、室野井洋子(映像)
プロデューサー:福間恵子
製作・配給:tough mama
2019年/日本/カラー/ヴィスタ/DCP/5.1ch/106分