骰子の眼

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2019-10-18 17:15


“北欧の至宝”マッツ・ミケルセン主演、デンマーク発の不条理ドラマ『アダムズ・アップル』
映画『アダムズ・アップル』聖職者イヴァン役のマッツ・ミケルセン

“北欧の至宝”マッツ・ミケルセンを主演に、草原の教会の聖職者とそこに集まった仮釈放中の人々との奇妙な人間模様を描く映画『アダムズ・アップル』が10月19日より(土)新宿シネマカリテ、11月1日(金)よりアップリンク吉祥寺ほかにて公開。『真夜中のゆりかご』などの北欧サスペンスの脚本家アナス・トマス・イェンセンが監督を務めている。webDICEでは、10月で残念ながら閉店となった吉祥寺のフィンランドカフェ「moi」店主で、北欧文化に詳しい岩間洋介さんによる解説を掲載する。

北欧のリンゴは苦くて、甘くて、ちょっと毒がある。

不条理が渦巻き、ブラックユーモアが炸裂し、なぜか最後はアクロバティックな着地でほっこりさせる『アダムズ・アップル』は、『しあわせな孤独』『真夜中のゆりかご』などスザンネ・ビア監督作品のもとで脚本を手がけたアナス・トマス・イェンセン監督が、盟友マッツ・ミケルセンとともにタッグを組んで撮影した驚くべき一本です。北欧映画オタクとしては、このふたりの名前だけでも十分期待せずにはいられないのですが、ここではちょっと別の視点から、この作品のいかにも北欧らしい部分に注目してご紹介したいと思います。

映画『アダムズ・アップル』
映画『アダムズ・アップル』ネオナチの男アダムを演じるウルリッヒ・トムセンと聖職者イヴァンに扮するマッツ・ミケルセン

まず、この作品はデンマークの片田舎、麦畑の中にぽつんと佇む古めかしい教会が舞台です。が、実はこの教会がまさに現代の北欧社会のミニチュアのような場所なのです。
物語の設定では、この教会は犯罪者の社会復帰を目的とした更生施設を兼ねています。実際に北欧の教会にそのような役割があるのかは不勉強にしてよく知らないのですが、一見のどかに見えながらひどく辺鄙な場所にそれがある理由も頷けます。
当然、そこに暮らすのは、盗み癖のあるアルコール中毒患者やテロリスト志望のパキスタン人といった一癖も二癖もある連中ばかり。その上さらに、男に逃げられた妊娠中の女性までもが転がり込んできます。

そこにもうひとり、屈強な体格にスキンヘッズ、腕には鉤十字のタトゥーが入った札付きの「悪党」アダムが登場。
こうして、その教会はアル中患者や移民、シングルマザー、それにネオナチといった面々がいっしょくたに同居し、時には小競り合いが起きたりもするさながら北欧デンマークの、いや現代社会の縮図と化すのです。そして、この教会をディストピア的な極限状況の中に描くことで、イェンセン監督はダイバーシティの問題、つまり様々な人種、思想、宗教、性別をもった人間たちが共存することの困難さを僕らにつきつけます。

映画『アダムズ・アップル』
映画『アダムズ・アップル』

おそらく、本来であれば、そこに秩序をもたらすべきはマッツ・ミケルセン扮する聖職者イヴァンでなければなりません。ところが、どうしたものか、この秩序をもたらすべきイヴァンの様子がヘンなのです。一見、フランクで寛容に見えて、実は現実から目を背けてただ自分の世界に閉じこもって出てこようとしません。社会の多様化とともに、かつてのような心の拠り所としての求心力を失ってしまった宗教の姿が、見えているのか見えていないのかわからないイヴァンの虚ろな瞳にも重なります。
 結局、イヴァンをはじめこの教会に暮らす人びとが選んだのは、無関心そして無気力。そこでは、それぞれがけっして互いに視線を合わせないことによってかろうじて平和が保たれているのです。

しかし、寛容と無関心とは別物です。けっしてイヴァンとは「議論」しないことという忠告にもかかわらず、その不自然な均衡に我慢のならない新入りのアダムは、自分の得意なやり方、つまり暴力でこの世界に立ち向かい、その張りぼての平和を破壊することでイヴァンを含む全員を困惑と恐怖のカオス状態に陥れてしまいます。
ところが、あるとき落ちた聖書を床から拾い上げたアダムは、次から次へと見舞われる不条理な仕打ちに疲弊し苦悩するイヴァンの姿を「ヨブ記」の中に見出すのでした。そしてここからは、背中に炎を背負った「ヒーロー」アダムの独壇場。

映画『アダムズ・アップル』
映画『アダムズ・アップル』

教会にやってきた日、イヴァンに問われて超テキトーに決めた「デカいアップルパイを焼く」というお仕事が、アダムにとっての「ミッション」に変わります。屈強なネオナチの男とアップルパイという取り合わせ、もうそれだけで最高じゃないですか? しかも、悪魔の仕打ちか、神の試練か、まるでミッションの成功を阻むかのようにさまざまな災難がアダムの前に立ちはだかるのです。こういうアキ・カウリスマキにも通じるブラックユーモアは、おそらく北欧好きの方にはたまらないところでしょう。さあ、はたしてアダムは無事にアップルパイを焼き上げることができるのでしょうか。

この、相変わらず乱暴なやり方にはちがいないけれど、「アップルパイを焼く」というミッションをクリアするために立ち上がったアダムの一連の行動が、しかし一度はバラバラになったこの教会にうごめく人間たちの関係をふたたび結び合せ、ひとつのコミュニティーの下に再生してゆくことになるのは興味深いところです。現代において、ひとつの社会に多種多様な人間たちが共存するためには、まずもってなにかしらの共有しうるミッションが必要なのかもしれません。そして、このときアダムは破壊者であると同時に、また創造者でもあります。

映画『アダムズ・アップル』
映画『アダムズ・アップル』

ところで、破壊と創造、こうした事物がもつ両義的な意味を、イェンセン監督はこの作品の中にたくさん忍ばせています。
たとえば、ナイフがそうです。物語の冒頭、バスを降り立ったアダムはおもむろにポケットから小型ナイフを取り出して走り去るバスの車体に傷をつけます。アダムの暴力的な性質を観る者に印象づけるワンシーンですが、後半、その同じナイフが今度は愛を分かち合う道具としてふたたび使われるのは見逃せません。
また、言葉もそうです。アダムのミッションは「デカいアップルパイを焼く」ことですが、「デカい」という言葉には文字通り量的に大きい、多いという意味と同時に、たとえば神の愛を語るときの深淵や拡がりといった質的な意味合いもあります。アダムが公約通りの「デカい」アップルパイを焼くことができるのか、彼の奮闘ぶりとともに注目したいところです。

映画『アダムズ・アップル』
映画『アダムズ・アップル』

最後にもうひとつ、この映画の中でたびたび流れる「ハウ・ディープ・イズ・ユア・ラブ」という曲について。
この曲は「愛はきらめきの中に」という邦題で知られるビージーズのラブソングですが、ここではテイク・ザットによる1996年のカヴァーが使われています。この曲を、僕らはイヴァンとアダムが乗った自動車のカーステレオを通して何度も聴くことになるのですが、ふたりの感情の機微をあらわすかのようにその印象は変化し、「あなたの愛のその深さを」という歌詞も、ときに神をたたえる賛美歌のように聞こえるのが新鮮。
試写会の帰り道、ラストシーンを思い出しながら早速サブスクでこの曲を繰り返し再生したのは言うまでもありません。あとは、そう、誰かがアップルパイを焼いてくれさえすれば。




岩間洋介(いわま・ようすけ)

Moi代表。Bunkamuraを経て、2002年荻窪にフィンランドカフェ「moi」をOPEN。2007年吉祥寺に移転、2019年10月閉店。「Moi」設立。フィンランドと居場所づくりをキーワードに、イベント企画やケータリング等を通じて新たなコミュニュティの創出をめざす。来春にはフィンランド情報に特化したポータルサイトもOPEN予定。




映画『アダムズ・アップル』

映画『アダムズ・アップル』
10月19日(土)新宿シネマカリテ、11月1日(金)アップリンク吉祥寺ほかにて公開

監督・脚本:アナス・トマス・イェンセン
出演:マッツ・ミケルセン、ウルリッヒ・トムセン、パプリカ・スティーン、ニコラス・ブロ、アリ・カジム、オーレ・テストルプ、ニコライ・リー・コース
製作:ティヴィ・マウヌソン、ミーイ・アンドレーアセン
撮影:セバスチャン・ブレンコフ
美術:ミーア・ステンスゴー
2005年/デンマーク・ドイツ合作/94分/デンマーク語/5.1chサラウンド/カラー/デジタル上映/シネマスコープ/英題:Adam's Apples

公式サイト


▼映画『アダムズ・アップル』予告編

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マッツ・ミケルセン


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