骰子の眼

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東京都 渋谷区

2019-10-10 23:30


ジャンル映画を超える!衝撃の傑作北欧ミステリー『ボーダー 二つの世界』

『ぼくのエリ 200歳の少女』原作者×新鋭アリ・アッバシ監督作品
ジャンル映画を超える!衝撃の傑作北欧ミステリー『ボーダー 二つの世界』
映画『ボーダー 二つの世界』 ©Meta Spark&Kärnfilm AB 2018

「ぼくのエリ 200歳の少女」の原作者ヨン・アイビデ・リンドクビストが自身の原作をもとに共同脚本を担当し、第71回カンヌ国際映画祭ある視点部門でグランプリを受賞した映画『ボーダー 二つの世界』が10月11日(金)より公開。webDICEではイラン出身のアリ・アッバシ監督のインタビューを掲載する。

主人公のティーナは、違法な物を持ち込む人間を嗅ぎ分けるという特殊能力を使ってスウェーデンの税関職員をしている。生まれつきの醜い容姿にコンプレックスを感じ、孤独な人生を送っていた彼女の前に、旅行者ヴォーレが現れる。本能的に何かを感じたティーナは、後日、彼を自宅に招き、離れを宿泊先として提供する。ティーナとボーレが親密さを深めていくなかで、ティーナの出生にも関わる大きな秘密が次第に明らかになっていく。「映画は私たちが普段見えていないものを見せるための最良の方法」と語るアッバシ監督は、現代社会で動物的本能を研ぎ澄ませること、自分自身を発見することの大切さを、この北欧神話をベースにしたラブストーリーで伝える。


「映画は独特である、なぜなら人間の生活の見せかけを詐欺的に映すことのできる鏡だから。私は人間を、よく発達した動物であると思っている。そして私たちの動物的本能が社会の構造と衝突する状況に興味がある」(アリ・アッバシ監督)


パラレルワールドのレンズを通して社会を見ること

──この作品は、どんなインスピレーションから生まれたのですか?

ジャンル映画は複雑になりがちだ。それは創造的な枠組みでもありマーケティングツールでもある。私の仕事の大部分はミキサーとなり、異なる全ての要素を一つのまとまったものになるようにバランスを取ることだが、「ジャンルミックス」という観点から『ボーダー 二つの世界』について考えたことはない。ジャンル分けをするより、むしろもっとシンプルに、ヨーロッパの映画と言ったほうがいいかもしれない。日本版やアメリカ版なら、おそらく非常に異なって見えるだろう。

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映画『ボーダー 二つの世界』アリ・アッバシ監督(右) ©Meta Spark&Kärnfilm AB 2018

私は文学的背景を持っていて、私の頭脳はまだ作家のように働く。少なくとも、それが物語の伝え方を学んだ方法である。映画に興味を持つようになるのは、しばらくあとのことだった。なぜなら、若いとき私はもっと傲慢で、映画は単に「大衆」だけのものだと思っていたから。その当時、映画鑑賞とは本当になにもやることがない人たちのための暇潰しだと思っていた。

映画の中で表現される物語に興味を持ったことがなく、もっと対照的で、限界を押し広げられる手法に興味を持った。メインストリームの映画はもちろん、そうでない映画でさえも、文学と比べると多くの点で狭く制限されていると感じた。私が興味を持っているのはパラレルワールドのレンズを通して社会を見ることで、ジャンル映画製作はそのための完璧な手段である。そのことで、映画がより私を刺激するものとなった。自分の問題の個人的なドラマの中ではなく、自分以外の体、そして知らない世界から自分の考えや感情を体験することに私は魅力を感じる。芸術を完全に創造する上で、自己とのつながりを切ることで面白い発見があると思う。

ある意味サーカスのインストラクターのような映画制作が好きだ。パラレルワールドに興味がある場合、今日のジャンル映画は最も近い「マーケット」になるかもしれない。ウエスタン、SF、その他なんでも、たくさんの違う見え方があるだろう。観客は現実の役割や、通常の物語劇の規範から自分自身を取り除く。重要な社会問題について話すような勇敢な映画監督のようなことはしたくないが、同時に自分をホラー映画やジャンル映画の“ファン”と考えることはしない。私は自分が知ることができないような形で人々に影響を与えるものすべてに、表面下や背景で起こっていることすべてに興味を持っている。ジャンル映画は手軽な娯楽としても知られているので、人々の警戒をゆるめてリラックスさせるという考えも好きだ。そのときこそが、政治について話し合うのにもっとふさわしい場でもある。私はそれを『Shelly(原題)』(16)で、それからこの『ボーダー 二つの世界』でも試してみた。

映画『ボーダー 二つの世界』 ©Meta_Spark&Kärnfilm_AB_2018
映画『ボーダー 二つの世界』 ©Meta Spark&Kärnfilm AB 2018

──小説家ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィストの世界との出会いは?

最初にヨンの物語に触れたのは、『ぼくのエリ 200歳の少女』(08)という映画を見た時だった。その後、原作本を読んだ。『ぼくのエリ 200歳の少女』は映画が何か新しいものを発明したと言える作品だ。“北欧映画のジャンル・リアリズム”、それはスウェーデン映画界における新鮮な息吹だった。私自身、スウェーデンが革新的なジャンル映画が生み出す場所だとはまったく期待していなかったと認める。だからこそ、ヨンの世界を発見できたことは素晴らしいサプライズだった。

私がヨンの文章で好きなことの一つは、彼がオーディエンスと同じレベルにいるということ。だからそれは高度な芸術というわけでなく、良さを理解するために“文学的”である必要はない。同時にそれは単に人気のある小説ではなく、隠されたひねりがある。例えば、『ぼくのエリ 200歳の少女』は、ねじれたスウェーデン社会のストーリーと見るべきか、あるいは単に吸血鬼神話の革新的なストーリーと受け取るべきか。現実のストーリーに幻想というレイヤーを追加するのは簡単ではない。ヨンの特別な才能は、その、常に最も難しい部分である、現実と幻想の間の架け橋を構築することだ。ヨンの文章をもっと深く掘り下げた結果、『ボーダー 二つの世界』に辿り着いた。

映画『ボーダー 二つの世界』 ©Meta_Spark&Kärnfilm_AB_2018
映画『ボーダー 二つの世界』 ©Meta Spark&Kärnfilm AB 2018

『ボーダー 二つの世界』は『ぼくのエリ 200歳の少女』ほど、精巧ではなかったが登場人物には同様に魅力的で複雑で異世界的なものがあった。ヨンのほかのストーリーを提案され続けたものの、私はそれほどピンと来なかった。最初の監督・脚本長編『Shelley(原題)』のあと、人々はすでに私のことをホラー監督として位置付けていたが、私はそれが正確だとは思わない。『ボーダー 二つの世界』はジャンルの要素に加えて、ストーリーがさらに面白くなる追加材料を全て持っていた。そこでやっと私は、これこそがやるべきものだと確信したので、まだ『Shelley(原題)』に取り組んでいる間に、『ボーダー 二つの世界』を磨き始めた。

映画『ボーダー 二つの世界』 ©Meta_Spark&Kärnfilm_AB_2018
映画『ボーダー 二つの世界』 ©Meta Spark&Kärnfilm AB 2018

自分のアイデンティティを選ぶことができる人についての映画

──キャスティング、そしてティーナ&ヴォーレのキャラクター作りについては?

エヴァ(ティーナ役)とエーロ(ヴォーレ役)に出会ったときにはまったく疑いはなかった。その時点から、他の誰かが演じることは想像できなくなった。ヴォーレのキャラクターは、危険と、根底にある倒錯感を伝えるだけでなく、脆弱な面も必要だった。両方を持っている人物を見つけるのが本当に難しいということを知った。そして、エーロがその二つを兼ね備えた唯一の俳優であった。二面性こそが、このキャラクターが本当に機能する理由だ。そして、ある意味で、スウェーデン映画の中のフィンランド人俳優として、彼は「異質」であることも理にかなっていた。私はいつもヴォーレを文明の外から来る人と考えていた。また、スウェーデン人が、フィンランドの伝説や知識を多少持っていることも、ちょうど良かった。映画の中でヴォーレはスウェーデン語を発音どおりに話す。だから理論的には俳優がスペイン人である可能性もあっただろう。しかし、似たようで異なる歴史を持つフィンランドとスウェーデンの関係性を考えると、ヴォーレ役の俳優がフィンランド人であることが説得力がある。ヴォーレは慣れ親しんでいるように感じるが、同時にそうではない。彼は読み書きができないかのようにすら聞こえる。しかし、彼は明らかに読み書きができる、ただ人間ではないだけだ。

映画『ボーダー 二つの世界』 ©Meta_Spark&Kärnfilm_AB_2018
映画『ボーダー 二つの世界』ティーナ役のエヴァ・メランデル(右)とヴォーレ役のエーロ・ミロノフ(左) ©Meta Spark&Kärnfilm AB 2018

エヴァに関しては、私は本当にラッキーだった。はじめ、私はこのキャラクターがあまりにも受動的になるかもしれないと心配した。しかしエヴァはキャラクターの範囲を800%拡大した。当初私は、ティーナはまったく話すべきではないと考えたが、それではどうやって彼女を知ることができただろうか?幸いなことに、エヴァは厚いシリコンマスクを身に着けていない人たちよりもはるかに表現力豊かである。彼女は、例えば、たくさんの異なる嗅ぎ方など、大きな違いを生み出す小さなものを絞り出す。怒っている嗅ぎ方、悲しい嗅ぎ方……などがある。エヴァは非常に細心の注意を払って細部に重点を置く、真の完璧主義者である。彼女は自分の気持ちやパフォーマンスにアプローチするために科学者のような方法で、まさにエンジニアのように働く。

──カルチャー、鏡、そしてマジックリアリズム(魔術的現実主義)の関係について教えてください。

私にとってこの作品は、「私たち vs 彼ら」ではなく、自分自身のアイデンティティを選ぶことができる人についての映画である。アイデンティティの政治に入り込むつもりはないが、私たちはある程度、自分自身のアイデンティティを選ぶことができると信じたい。 誰もが他人について見たことを、自分自身が望むように解釈する。全ては文脈次第である。

私は人種問題に関する議論にあまり興味はないが、少数派であることがどのようなものかを幼年期の頃から知っている。私にとっての少数派とは、違う色を意味するわけではなく、異なるペルソナであることがより重要なのだ。私はイランでも、コペンハーゲンと同じくらい少数派だ。それでも、イランの文化を通じてもたらされるものがいくつかある。

私たちは見えないものに、より興味を持つ。死と死後の世界に夢中である。そして、見えない何かが常に働いていると思っている。時にそれは、少し妄想的かもしれないし、また詩的であるかもしれない。

私はこのように、“見えないものを見る”ようにして育った。そして逆説的だが、映画は私たちが普段見ないものにアプローチし、扱うために、そして見えていないものを見せるための最良の方法かもしれない。

映画『ボーダー 二つの世界』 ©Meta_Spark&Kärnfilm_AB_2018
映画『ボーダー 二つの世界』 ©Meta Spark&Kärnfilm AB 2018

イランには豊かな詩的伝統もあり、私もその文化の産物だ。アメリカ人の血にポップカルチャーが入っているとされるのと同じように、詩こそが私たちのポップカルチャーである。私は、イラン人映画監督の作品に、共通した筋が通っているのを見る。また、ロシアや他の東ヨーロッパの国々との文化的類似点さえも見うける。“最も明白なことを追いかけない”、“物事の背後にあるものを見る”。私は、ガブリエル・ガルシア=マルケス、カルロス・フエンテス、ロベルト・ボラーニョなど、ラテンアメリカのマジックリアリズム(魔術的現実主義)にも影響を受けている。

ラテンアメリカからイランまで様々な国で生活して、周りで多くの偽り、虚偽をみてくると、どういうわけか何が本当のことか理解できなくなってくる。

映画は独特である、なぜなら人間の生活の見せかけを詐欺的に映すことのできる鏡だから。私は人間を、よく発達した動物であると思っている。そして私たちの動物的本能が社会の構造と衝突する状況に興味がある。私たちが住んでいる文明の薄い層がひび割れ始め、主人公たちが究極の状況に追い込まれる。それが面白いだけでなく、彼らの答えも興味深い。この状況の複雑さは、美しく、それは悲しみではない。

(オフィシャル・インタビューより)



アリ・アッバシ(Ali Abbasi)

1981年、イラン生まれ。工科大学での研究をやめて、建築を研究するために最終的にスウェーデンのストックホルムに移り住んだ。2007年、建築学の学士号を取得。その後デンマーク国立映画学校に入学し、演出を学ぶ。最初の監督・脚本長編作品『Shelly(原題)』(16)は、2016年のベルリン国際映画祭のパノラマセクションでプレミア上映を果たした。




映画『ボーダー 二つの世界』
10月11日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町・ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国ロードショー

監督・脚本:アリ・アッバシ
原作・脚本:ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト『ぼくのエリ 200歳の少女』
出演:エヴァ・メランデル、エーロ・ミロノフ
原題:Grans
英題:Border
字幕翻訳:加藤リツ子
字幕監修:小林紗季
原作:「ボーダー 二つの世界」早川書房より発売中
配給:キノフィルムズ
2018年/スウェーデン・デンマーク/スウェーデン語/110分/シネスコ/DCP/カラー/5.1ch
R18+

公式サイト


▼映画『ボーダー 二つの世界』予告編

キーワード:

アリ・アッバシ


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