「あいちトリエンナーレ2019」の芸術監督、津田大介氏
「あいちトリエンナーレ2019」で「表現の不自由展・その後」が3日間だけ展示され撤去された問題を受けて、8月15日に津田さんは個人ブログでことの経緯とお詫びを発表した。それを読み同日、僕は以下のテキストをツイートした。
「アップリンクはあいちトリエンナーレに映像作品を出品している。アップリンクが日本での上映権を持つホドロフスキー監督のドキュメンタリー作品『ホドロフスキーのサイコマジック』だ。今日、9人のアーティストがトリエンナーレの出品を取り下げた。事務局の映像担当者から電話がかかってきた。次に何かしそうなのは浅井さんだからだという。取り下げるなんてことは考えもしていなかった。アップリンクは出品者なので、実は事件が起きてから8月7日に津田大介芸術監督から『「あいちトリエンナーレ2019」協賛企業・個人の皆様へ』という1万880字の長文の手紙をもらっている。(※この記事の一番最後に掲載)
この手紙には津田さん視点で事の次第が丁寧に綴られている。これを公開してもいいですかと問い合わせたら近日中に公式に別の形で発表するのでしないでほしいということを間接的に返事をもらったので公開はやめた。
今回の問題は「表現の自由」と「テロ予告」と二つに切り分けて考える必要がある。僕の立場は「表現の自由」には公開をすると決めた展示をそれに反対する意見があろうが中止にすることなく続行すべきという意見だ。 「テロ予告」、これに関しては観客、スタッフの安全を考慮すると簡単には展示を続行すべきか答えが出せないのが正直なところだ。犯罪予告をどこまでオープンにするかは捜査当局との打ち合わせが必要なことはわかる。しかし、事件が起きてから、協賛関係者には長文の説明を津田芸術監督は行なっているが社会に対して何も発信していないのは問題だと思う。今日、津田さんは東浩紀氏へのツイートの返信で「もちろん自分が一番説明したいに決まってるんですけど、様々な状況がそれを許さない」というが、記者会見を開くべきだと思う。協賛関係者には1万字の手紙を出しているのだから語る言葉はあるはずだ。
今回の「表現の不自由展・その後」に対する攻撃に対する唯一の手段は徹底的な言論によって対峙する以外ないと思う。まず記者会見を開き、そこで経緯を報告し、大変だが会期中は政府の官房長官が行う記者会見のように毎日定例の記者会見を行うのがいいと思う。
そこで、新たな犯罪予告や展示作家の動向など、捜査当局との協力のもと情報を一般に開示していき、社会でこの問題を共有し考えていくことが重要だと思う。津田さんは先のツイートで会見を開かない理由を、「現場対応に追われてる、捜査に関連する情報は書けない、不自由展実行委から法的措置も視野に入れられてるのでこれも書くのが難しい、何かステートメント書いても事務局確認が必要という事情は理解してください…。」と記するが、それこそ芸術監督の表現の自由はあるはずなので会見を開くことが重要だと思う。
先の手紙は協賛企業に対して協賛を降りないでほしいという説明だと思うが、このような事件が起きた場合は、情報の出し先を区別することなく、芸術監督のメッセージは参加アーティスト、観客、関係者、メディアに対して同じタイミングで出すことが危機管理上、重要だと思う。
また、議論が沸き起こることを想定して展示したのだから、討論会をイベントとして開催したらいいと思う。展示に反対の人も賛成の人もメディアも巻き込んで討論会を催せばいいと思う。そこには裁判に訴えるといっている「表現の不自由展・その後」の実行委員会も招けばいいと思う。
毎日の記者会見も討論会も、もし行うなら、そうとうの体力と気力がいることだと思うが、それは芸術監督というトップの責務だと思う。最後まで責任を持って問題に対処していくという姿勢を持ち、情報を開示してほしい。トップは逃げないでほしい。そうすれば自分を含め応援する人は多数いるはずだ」
すると翌16日ツイッターのDMで津田さんから長い文章が送られてきた。そこには、協賛関係者へ送った手紙から意図的に脅迫犯の捜査に関わる事に触れてないと書かれ、3000字に及ぶ捜査に関わることが記され、最後に「オフレコにできれば幸いです」と書かれていた。
いきなりそんな告白を受けて一体どうしろというのか。これは本人は、オフレコと頼んだというアリバイを作り、僕がその約束を破りリークしてほしいという裏メッセージがあるのか。と悩んだ。
その後、僕は8月18日にあいちトリエンナーレを見に行くことにした。理由は、20日から何人かのアーティストの展示が見られなくなるという情報を得たからだ。それで、17日に津田さんにDMを送った。webDICEでインタビューをしたいので3時間時間を取れませんかと。返事は、17日はイベントに出演、18日は高松でDOMMUNEに出演するので難しいと。僕は2時間でも無理ですかと再度DMをした。津田さんからの返事は、
「優先的に検証委員会のヒアリングにも答えなければならず……。自由に発信できないのは辛いですね……」と。
これは、どうしようもないなと思い、「了解しました」とだけ返事をした。
8月18日名古屋市のあいちトリエンナーレの展示を見にいった。
僕は、展示に関するツイートの最後に、以下をツイートした。
「中止された『表現の不自由展・その後』は津田芸術監督の会社で作ったこちらのサイト(https://censorship.social)で内容は見る事ができる。ドミューンで村山悟郎氏が津田芸術監督にキューレーションができていないと突っ込んでいたがその通りで、過去の展覧会を持ってくるはずが何故か作家に押し切られ新作は展示してるは、横尾忠則氏の作品は展示を見ていないが列車の写真を展示しただけではないのか。となるとアートの展示はなく検閲されたという文脈だけをパネル展示しているので検閲された作品展示がないとやりたかったのは政治的プロパガンダと言われてもしょうがないかなとも思う。芸術監督が展示の選択にメッセージを込めるのは当然だと思う、がそれは芸術展ならアート作品の展示の力で見せてほしかった。津田芸術監督自身ドミューンでジャーナリストと芸術監督の間での葛藤があったといっていたがあいちトリエンナーレでの肩書きは芸術監督なのでそこはアートで勝負して欲しかった。そういう意味では観客を感情とは別に化学物質で泣かすタニアの作品にはアートの力は感じた。その彼女が不自由展中止に一番反対していると聞くが、ドミューンでタニアと共闘して展示を復活するのかという東氏の質問には歯切れの悪い答えしかしなかった津田芸術監督だが、タニアの展示と人気のあるウーゴのピエロが無くなるとあいちトリエンナーレの展示の魅力は大きく損なわれると思うが。
津田芸術監督は、まだ一度も組織化されたテロリストに毅然としたメッセージを発信してないのではないか。 安全対策は大変だろうが、まず犯罪者たちに毅然としたメッセージを発する事が世界ではスタンダードではないのか。行政サイドは再開には超慎重なのはわかるがここで再開しないと電凸に屈するという最悪な前例を作ることになる。世界がテロと闘っている時代に電凸ごときでとは思わないが屈しないでほしい」
以上のツイートをした翌日、8月19日月曜日、津田さんからアップリンクの事務所に電話があり、21日に東京に行くのでwebDICEのインタビューを受けるということだった。
以下のインタビューまでの経緯を長くなったが記した。
インタビューは、結局、大幅な赤字校正が行われた。人には本音と建前は誰にもある。ただ、公人としての芸術監督と個人としての立場の違いがあったとしても、情の時代がテーマの「感情」には本音と建前があっても、事実としての「情報」は一つでしかないのではないだろうか。
以下のインタビューは、津田芸術監督の赤字は反映した。これは本人と約束したので守った。ただ、一部、僕の質問も削除されたので、通常それは著者校正のルール違反だと思うので、それは残し、その後の答えが削除された部分は、「校正により削除」と記した。また、津田芸術監督サイドの捜査に協力してくれたという宗教団体名は、質問ごと削除されたので、固有名詞は伏字とした。
また「ガソリン携行缶を持ってお邪魔する」と脅迫のファクスを送った堀田修司は僕の質問部分にも赤字校正で容疑者と直されたが、 既に堀田修司の名前が報道され、自分がやったと容疑を認めているので、実名表記した。このような脅迫をした場合、犯人は特定され、名前は報道されるということは再発の防止につながると考えるためだ。
「ネットの情報が力を持つことでファクトが軽視され、事実やロジックよりも感情が優越する時代になりつつある」とは津田さん本人の言葉。そして今回のあいちトリンナーレの津田芸術監督が立てたコンセプトにはこう書かれている。
『「事実(fact)」よりも対象を信じたい感情の方が優先されるのは、事実を積み重ねていっても決して「真実(truth)」にはならないからだ。それらは本来、切り分けて考えなければいけない。全ての問題を対立軸で捉えるのも誤りである。この世に存在するほとんどの事柄はグレーで、シロとクロにはっきり切り分けることができるのは全体から見てほんのわずかだ』
今回のトリエンナーレのコンセプトは、展示内容に対するコンセプトだが、いざ、脅迫事件が起き、展示が中止、改変された現時点では、脅迫やフェイクニュースに本気で立ち向かう姿勢を示す新たな声明が必要だろう。僕は、その状態に抗うには、それでも、圧倒的な言葉の量と熱量を持って「事実」を突きつけていく必要があると思う。そういう意味で、あいちトリエンナーレ自体の情報発信はお粗末だし、今からでも一本化してあらゆる情報を発信すべきだと思っている。また、出品者の立場からは要求したい。
(インタビュー・文:浅井隆)
キュレーター兼芸術監督をやっていたことによる、
ガバナンスの問題であるのかもしれない
──今回は、あいちトリエンナーレの映像部門に出品している『ホドロフスキーのサイコマジック』の日本の権利を管理する配給会社の代表と、webDICEの編集長の立場で話を聞かせてもらいます。津田さんが発表した【あいちトリエンナーレ2019『表現の不自由展・その後』に関するお詫びと報告】の前に、協賛関係者向けへの案内も受け取っていました。この内容も発表していいのではないかと思いました。
津田大介(以下、津田):そうですね、僕個人は発表していいと思っています。アップリンクは今回の件で説明を受ける立場ですし、そのような判断をされても僕からやめてくれ、とは言いづらいですね。
──それから津田さんから僕宛にもらったDMの内容は、僕しか知らないことですか?
津田:一部の人しか知らないことですね。とはいえ、今回webDICEのインタビュー受けることを決めたわけですから、そのことについて今日はある程度語ろうと思ってここにきています。なぜかといえば、浅井さんがツイッターで書かれていたコンクリート事件の映画を上映したときにきた抗議の話や、トリエンナーレと同じように文化施設を管理・運営する立場から僕から浅井さんに話を伺いたいところもあったからです。
──8月20日には朝日新聞にもインタビューが掲載されました。新聞は基本的に校正させないですよね。
津田:それは10年前くらいまでの話ですね。いまは「」内のコメント部は確認できるという新聞増えましたし、この記事は赤入れさせてもらいました。
──今回はどうしますか?
赤入れさせてください。赤入れなしでやることも可能ですが、赤入れなしはロングインタビューの形式には適してないし、必然的に話す内容も変わってきます。とはいえ、朝日のインタビューと同じことを語るのだったらこのインタビューを受けた意味がないので、初めてのことも話そうと思います。
──わかりました、事実関係は確認お願いします。これまでDOMMUNEや朝日、「組織化されたテロ行為」という発言もされた8月17日に登壇したイベント「ManiA ミーティング & ミートアップ @ 愛知:文化と政治をむすんでひらく」での質問と重複しない内容にします。まず、これまでの報道で間違っているかどうか、ということをお聞きます。これまでのインタビューで「キュレーターに任せっぱなしで上がってきた企画がだめだったので、芸術監督としていくつか展示作品を変えた」とお話されていましたよね。
津田:正確には「キュレーターに任せっぱなし」にしたことはありません。最初にキュレーター体制が固まったのが2017年末です。2018年の年明けから具体的にどういう作家を入れるかを決めるキュレーター会議がスタートしました。僕は2017年10月に「情の時代」というコンセプトを完成させて発表して、その時点でキュレーターの人たちに、このコンセプトを重視して、このコンセプトに合う多様な作品を選び、ドクメンタ型のテーマ性が強い国際芸術祭をやりたいと伝えたんです。当時の僕は、芸術監督は枠組みとコンセプトを作るのが仕事なので、個々のキュレーションに口を出すつもりはなかった。それは、企画アドバイザーの東浩紀も同じです。
──キュレーターを選ぶ権限はあったのですか?
津田:僕に人事権はなかったです。事務局から「この人でどうだろうか」という候補が来て、それを僕が承認した形ですね。僕の推薦がそのまま人事に反映されたのは、企画アドバイザーの東浩紀と公式デザイナーの前田豊さんだけです。
──事務局というのは実際には誰なのですか?
※氏名については津田氏の校正により削除
津田:最初に僕のところに芸術監督の依頼があった段階から、「キュレーターはこういう人にお願いしようと思っています」という話がありました。過去3回運営してきたスタッフのなかから、「こういったキュレーターを選ぶとスムーズに動くんじゃないか」という提案が内部であって進んだんじゃないかと思いますね。
──そのキュレーターからの企画が、つまらなかったのですか?
津田:つまらないというより、ピンとこなかったんです。ドクメンタほかたくさんの展覧会を見にいって、「このテーマならばアーティストはこういう応答をするのか、面白い」ということをずっと考えてきました。自分は美術のことはわからないけど、コンセプトを作った人間ではあるので、コンセプトについては誰よりも理解している。だから、「作品がテーマに合うか」という判断はできると思ったんですね。
──キュレーターもそのコンセプトに基づいてアーティストを提案してきたのでは?
津田:分野が違うこと、そして、芸術祭に求めるものの目的が違うという齟齬が当初は大きかったような気がします。僕はアートとジャーナリズムの中間的な要素を入れたいと思っていたけど、美術の人はまず美術ということにこだわる。その部分の齟齬は最初からあった。3ヵ月くらい会議をしたのですが、なかなか作家が決まらない状態が続いた。「情の時代」に沿った作品を僕自身が見たいし、このままだとそういう芸術祭にならないなと。だったら芸術監督を辞任するか、すべてにおいて最終決定権を持って、キュレーターの人にプレゼンをしてもらって、入れるか入れないかの判断は僕にさせてもらう形式にするか、と悩みました。自分でその判断をすることはすごく大変になるし、実際に仕事量が5倍くらい増えましたが、後者を選びました。それでキュレーターの人たちにも、そう伝えて、合意がとれました。その後は少しずつ齟齬も埋まっていき、最終的にはキュレーターの力もあってとても良い展覧会に仕上がったと思っています。
──ということは、津田さんから「こういうアーティストを入れたい」ということをキュレーターたちに言ったのですか?
津田:実際にキュレーター会議で推薦もしています。美術展の66作家いるなかで、3分の1弱は僕がキュレーター会議で推薦したアーティストですね。その後キュレーターに割り当てられたアーティストもいますし、僕が直轄でやっているアーティストもいます。
──具体的には、どのアーティストなのですか?
※津田氏の校正により19名の作家名を削除
──芸術監督兼キュレーターということですね。
津田:村山悟郎さんがツイッターやDOMMUNEで指摘していましたが、今回の問題は僕が「選手兼任監督」、キュレーター兼芸術監督をやっていたことによる、ガバナンスの問題であるのかもしれません。僕が上下左右、戦線を拡大しているのに、作家選定にも深く関わり、同時に全体の管理もやらなければいけなかったことは、背景にあると思います。
津田大介氏(右)と浅井隆(左)
「表現の不自由展・その後」をやることが、
一つ大きな問題提起になるのではないかと思った
──今回いちばん問題になった「表現の不自由展・その後」は、これまでの発言では、最初津田さんは少女像と大浦さんの映像は外したほうがいいと言ったということですが?
津田:初回の不自由実行展委員会の5人とのミーティングのときに、あの像がそこに置かれていると、そこに大きく引きずられすぎてしまって、冷静な議論ができない、という懸念を伝えました。だから、資料はちゃんと展示するし、議論の場も作るけれど、像そのものを置くのは止めませんか、と僕のほうから不自由実行展委員会の方に言いました。
ただ、今の僕は違った印象を持ってます。今回、平和の少女像を展示された空間で作品を見て、横に座ったりした体験から、あらためて力のある作品だと思ったからです。アートというのは芸術の造作だけではなくて、横に座って少女と同じ目線になるとか、横に座ると拳を握りしめていたり、足が浮いていて緊張していることがわかるとか、そういうディテールがよくできている。触って感じることもできますし、一緒に写真に収まることもできる。そこまで含めた作品なんですよねあれは。反日のプロパガンダだと思う人はいるかもしれないけれど、実際に見てそれだけではない、社会関与型のアートとして、よくできているし、世界中に広まっている背景にはそのような部分もあると思いました。
キム・ソギョン/キム・ウンソン「平和の少女像」
──ということは、津田さんは展示したかった?
津田:僕のなかでもふたつの立場があります。実際に展示しているのを見たことで僕も印象が変わった。ただ、少女像が日本では慰安婦像だと言われてしまって、その議論をするときに、ネットでの炎上を含めて、とてもじゃないけれど冷静な議論がされているとは思えない状況がありました。それを見ているので、自分のなかでこの作品を展示室で見たいという立場と、個人のジャーナリストとしてやりたいこと、そしてトリエンナーレを円滑に進めるための運営・管理に責任を持つことがせめぎ合っているんです。
──津田さんは【お詫びと報告】のなかで不自由実行展委員会の人から『「少女像を展示できないのならば、その状況こそが検閲であり、この企画はやる意味がない」と断固拒否されました』と書かれています。僕は展示作品を何にするか決めようとしている段階での打合せでの意見はまったく検閲ではないと思うし、芸術監督とキュレーターの立場として、何を展示するのかキュレーションしている、その権利を実行しているだけだし、単に好き嫌いだけかもしれないと思います。
津田:これは強調しておきたいですが、僕は2015年の不自由展を見て感動したんです。アートに興味を持っていたけれど、ジャーナリズムとアートの交差点がここにあると思った。芸術監督に就任して以来、ジャーナリストが芸術監督をすることの意味をずっと考えてきました。いろいろ考えたときにこの企画をやることが、一つ大きな問題提起になるのではないかと思ったんですね。ただ、それをやるには大きなハードルがあると感じていたのも事実で、まずは5人に話を聞いて進めたいなと思いました。実際に話してみて不自由展実行委の皆さんがこだわっていたのは、2015年の不自由展をやるときに、少女像のミニチュアが展示拒否されたことと、安世鴻さんのニコン写真展裁判がきっかけとなって企画が生まれたということだった。だから「慰安婦」問題は、この企画のコアをなす部分なんですよ。それを踏まえて「表現の不自由展・その後」という企画をどう捉えるか。「表現の自由」を訴えたかったのか、それともレイシズムと歴史修正主義に対する異議申し立てをしたかったのか。これは見る人によっても捉え方が異なると思います。
安世鴻「重重―中国に残された朝鮮人日本軍「慰安婦」の女性たち」より©AHN Sehong
──交渉のプロセスで、津田さんはそれを受け入れたということですね?
津田:少女像の展示はこの企画の根幹をなすものなのだから、展示しないことは、すなわちこの企画がなくなることを意味していたということです。そのときに、「わかりました」と引き下がっていれば、現状のような事態は起きてなかったということでしょうが、まずは5人の意思を尊重しながら、この企画をどこまで通すことができるのかトライしてみよう、と思いました。
──では、大浦信行さんの作品「遠近を抱えて」については、僕は映像作品「遠近を抱えてPartII」を見ていないですが、これだけ新作ということですよね。これも、キュレーションがブレているのではないかと感じました。
津田:キュレーションの問題として、その批判は受け止めざるを得ないですね。
──なぜ押し切られたのでしょうか?
津田:当初は1982年から83年に制作された「遠近を抱えて」を2枚ずつ会期を変えて展示しましょう、ということで話が落ち着いていたんですが、5月21日に大浦さんから実行委員会の小倉利丸さんに「検閲というコンセプトでの展示そのものに疑問がある」との理由で出展を辞退したいという連絡が来ました。検閲事件があってからも、作家としてはその作品とは向き合い続け、問い直し続けているわけで、それをいまの問題意識で表現するには「遠近を抱えて」と映像作品の「遠近を抱えてPart2」をセットで展示したいという強い思いがあったそうです。大浦さんの「遠近を抱えて」は良い作品だと思っていましたし、「表現の不自由展・その後」において中核をなす作家、作品であるとも思っていたので、その作品の図録が富山県美術館によって燃やされた事実を踏まえた作品であれば、完全な新作というわけでなく、作品に付随するレファレンス的に鑑賞できるのではないかと思いました。大浦さんは「ふたつで完結するものだ」と強く主張され、それを不自由展側が了解して、僕も了解したという流れです。この判断が正しかったのかどうかは、僕もわかりません。
大浦信行「遠近を抱えて」
──お聞きしても詭弁ですよね。新しい映像作品では天皇陛下の写真が焼かれているのですか?
津田:大浦さんが自作の版画を燃やして、灰になったのを踏みつけています。それだけではないのですが、文脈を踏まえて見る分には、「自分のアイデンティティが燃やされてしまった」という悲しみが表現されていて、確かに強烈ではあるけれど、意図を説明されて見れば、なるほどと思える作品です。
──それから疑問に思ったのが、「公立美術館などで展示不許可になった作品」というテーマなのに、安世鴻さんの作品が展示されたのが新宿ニコンサロンとか、横尾忠則さんの作品が発表されたJRとか、すべてがパブリック・セクターではないですよね。
津田:ニコン裁判は判決文で企業の社会的責任と中止を決めた場合の社会に対する影響を責められました。JRにしても単なる一民間企業ではない公共性を備えている。広い意味ではパブリック・セクターとは言えると思いますが、それをキュレーションの失敗と思う人もいるでしょう。
──失敗といいますが、もともと2015年の展示がそうだったわけですよね。
津田:そうです。そういう意味でいうと、「公立美術館で作品が撤去された」ではなく「公共性の高い場所で展示を撤去された」というのが正確な表現になるのでしょうね。
──津田さんがおっしゃった平和の少女像については彫刻としてアートの力だと思います。ただ、僕は実際に見られていないですが、そのほかのマネキンフラッシュモブなど、アートの展覧会のなかで、アートそのものではなく、その周りを取り囲む社会的状況とかメタの文脈を読み解くしかない展覧会ですよね。横尾さんの作品も、実際に走っている地域で見ないとこれがいいのか悪いのか判断できないのではないでしょうか。
津田:トリエンナーレの100近くある様々な企画のなかで、「表現の不自由展・その後」は、ある種博物館的な、ちょっと違った意図の企画として入ってるんですよね。博物館的なものにしたいため、年表の充実が大事だと思って、年表についてもいろいろ提案したのですが、何を入れて何を入れないかという年表の文責についても不自由展実行委が譲らなかったという事実はあります。
横尾忠則 ラッピング電車の第五号案「ターザン」
マネキンフラッシュモブ
これを実現させることで
行政の文化事業のあり方を変えたかった
──管理・運営をする芸術監督とプレイヤーに近いキュレーター、津田さんはどちら側に力を置いているのですか?
津田:実施の過程では、何を入れて何を入れないか。どのように進めていくかという部分で不自由展実行委と僕が意見を衝突させる場面もありました。が、最終的に僕はほぼすべて彼らの意向を汲んで進めました。企画実現と内容の充実、このせめぎ合いが最後まで続きました。それが芸術監督として正しい態度だったのか、という批判はあり得るでしょうが、僕自身は最終的にやはりこの企画がやりたいという気持ちが強かったんですね。
──DOMMUNEでも言っていたように、芸術監督とジャーナリストの両方がせめぎ合っていたということですね。
津田:企画の趣旨の問題だと思います。他の企画であれば、他のアーティストについてやったようにディレクターとして入れる/入れないの判断ができましたが、「表現の不自由展・その後」という、まさに検閲そのものをテーマにした展示でしたから悩みました。浅井さんは先ほど「キュレーションするのは検閲ではない」とおっしゃいましたが、“検閲性”を帯びた行為ではありますよね?
──確かに立場が芸術監督という公的な立場の人であればそうかもしれませんが、ではトリエンナーレに選ばれなかったアーティストが「なぜ自分を選ばないんだ」と言ったら、それは検閲なのかどうなのか。
津田:大村知事はトリエンナーレに関しては依頼があったときからずっと「金は出すけど口は出さない」と言い続けている。そして、いまだにそれを貫いてくれている。その立場があったから、僕はこの企画を上にあげていったわけです。大村知事がそこまで言ってくれているなら、本当にできるのかやってみようという気持ちがあった。でも、やってみたらできてしまった。他の自治体だったら、100パーセントできていなかったと思うんです。大村知事が僕に対してやってくれたことを、僕から不自由展実行委に対してやろうと思った部分はあります。
──大村知事が「少女像をパネルにして展示したら」と言ったというのは本当ですか?
津田:実物ではなく資料展示にできないか、という意向は伺いました。ただしこれは安全管理の点で懸念を示したということで「そうしろ」という指示ではなかったです。大村知事は、このような展示を続行したら電話抗議や街宣車などがくることは完全に予想していました。予想していたうえで、「金は出す、口は出さない」という立場だけれど、やっぱり円滑安全に運営しなくてはいけないので、これだったら相当な騒ぎになるだろうということで「少女像はぜったいなくてはいけないか?」「写真撮影禁止にできないか?」などの懸念を伝えてきました。それでも不自由展実行委はそのサジェスチョンも拒否し、最終的には撮影画像のSNS投稿禁止という部分だけは妥協してくれた、という感じです。
──僕はメイプルソープの裁判をやった経験で言うと、最高裁で勝ったといってもゾーニングは必要だと考えています。
津田:「表現の不自由展・その後」は、展示空間の導線から外した端に置いてあって、展示の入口にゾーニング用の警告表示もしていました。見たくない人が見ない自由は行使できるようにしていたんです。
──でもこの少女像自体にはメイプルソープの写真と違い違法性はない。文脈に問題を感じる人がいるということですね。
津田:そうでしょうね。そしていくら「平和の少女像です」と言っても、「慰安婦像だ」と言う人がいて、現にいろんなメディアが「慰安婦像」と報じていますから。
──これがもし愛知県県庁に向かって座っていたら、また別の文脈が生まれる。
津田:そのとおりです。この像の持つ社会的メッセージと、どこに置かれるか、ということでやっぱり変わってきますね。
──今回は公立の美術館に置かれたから、騒ぐ人がいた。
津田:僕は「この像にはこういう背景がある、それをまず知ることから。批判するにもまず、背景を知ったほうがいいんじゃないか」ということを多くの人に知ってもらいたかった。
──だいたいアート作品の本物の展示でないものもあるので、愛知芸術文化センターではなく、サブ企画として別の会場でやっても成立しませんか?
津田:それは根本的な問いですね。サブ企画として別の民間会場でやるならこの企画は今回よりかは大分容易に実現できたと思います。実際に2015年には民間の小さなギャラリーでやっているわけで。様々な緊張はあったとは聞きますが、今回のような大きなトラブルもなく終わっています。今回のこの企画も、まさにトリエンナーレの「関連企画」として民間のギャラリーでやるのならできたはず。でも、それをやってもあまり意味がないなと思ったんです。今回の企画は、民間であれば当たり前にできる企画を、パブリック・セクターのメイン会場でやり、それを75日間乗り切ることで、行政の文化事業や美術館が検閲に屈しないモデルケースを作りたかった、ということが動機です。元々不自由展実行委の方々は民間でやっていたわけですから、これは不自由展実行委でなく、僕個人の動機なんですよ。
津田:ここが東浩紀と意見が食い違っているところでもあります。僕はこれを実現させることで行政の文化事業のあり方を変えたかった、そのモデルケースを作りたかったということです。ただそれが、こういう形で多大な攻撃を受けることで中止せざるを得なくなった。このことに関しては、充分準備をしてきたつもりでしたけど、そうではなかった。その意味での結果責任を感じています。
──かなりの数の作品が現物のアートではなく、写真やパネルが展示されているなかで、少女像に関しては、公共の美術館に置かれたことに反応したことが多かったと。
津田:それは誤解です。展示した16作品中パフォーミングアーツのマネキンフラッシュモブ以外は「現物」のアートを展示しています。横尾忠則さんはJRのラッピング電車の写真と、2012-2013年のニューヨーク近代美術館での「TOKYO 1955-1970:新しい前衛」展で起こった騒動――彼の演劇や映画のポスターに用いられた「朝日」が、旧日本軍の旭日旗を思わせる軍国主義的なものと在米韓国系市民団体「日本戦犯旗退出市民の会」から抗議された件のポスターの実物も展示しています。いわゆる“左派”からのクレームによって展示が抑圧された事例もあるということです。僕に対しての攻撃的なバッシングやリプは1日数万のレベルで来ていましたけれど、それは僕が受けるべき責任ですから仕方ないと思います。民間で自由にやるということでなく、行政がやるということに対して、行政はどう考えているのか、このプロセスはどうなっているのか、という攻撃が途中から増えていきましたね。
──それは大村知事は「憲法違反だ」と河村市長の意見にはっきりステイトメントを出していました。僕もまったく同意します。大村知事は問題になることをわかっていたら、セキュリティの予算はきちんと組まれていたのですか?
津田:まず不自由展は全体の予算で1作家あたりの平均より多い420万円を割り当てたうえで、プラスして警備の予算も300万円くらいかけています。警備会社に依頼して常駐の警備員を75日間置くとそのくらいかかります。420万円は輸送費や保険に充てています。
──その420万は税金なのですか?寄付なのですか?
津田:今回僕が個人で周って協賛を集めていて、その協賛で集めているものからまだ割り当てられていない、入金が確定していないけれど約束している部分を、充てています。
──でもその協賛の人は「表現の不自由展・その後」ではなく、トリエンナーレ全体にお金を出しているのですよね?
津田:そういう方もいますが、「この企画に充てていいですよ」と言ってくださっている個人の方がいるので。
──この「表現の不自由展・その後」のホームページは、津田さんご自身の会社で作られているとのことですが、なぜ切り分けたのですか?
津田:不自由展の参加作家からの強い要望があったからですね。
──先ほどからパブリック・セクターでやることに意味があるとおっしゃっているのに、このドメインはネオローグの管理化にありますよね?
津田:これは全部僕が払ってやっているのですが、もともと、ステイトメントに出しているように、6月29日に記者発表を行う予定だったんです。その後にあいちトリエンナーレのホームページに「表現の不自由展・その後」をやりますという告知を出すことになっていたのですが、右翼をはじめとした抗議活動の激化を考えると、警備上、彼らに準備する時間を与えない方がいいと、警察からも、弁護士からも言われました。現場に右翼が組織的に来たり、街宣車が来たりするのは、最初の週末がポイントだと。最初の週末の4日間をどう乗り切るかがポイントだと、専門家からの意見があったわけです。ただ、その専門家が苛烈な電話攻撃を呼び込むネットのバッシングをどこまで考えていたかという問題はあります。
いずれにせよ専門家のヒアリングを経て、本来予定していた1ヵ月前でなく、ギリギリまで発表をしない方針になった。これは不自由展実行委とも合意して決めたことです。でもそうしたところ、「表現の不自由展・その後」参加の中垣克久さんが怒ってしまったんです。中垣さんと直接電話で話したら「自分は不自由展から呼ばれてあいちトリエンナーレに参加すると言っているのに、トリエンナーレのホームページに名前がない。自分が一作家としてまったく尊重されていない」、さらには「自分が作っているのはファインアートであるけれど、少女像はファインアートではない。それと並べられることに不満がある」とおっしゃっていました。このことは騒動後の様々なインタビューや集会で述べられていますね。僕個人の思いとしては、2015年では中垣さんは資料だけの展示だったので、「時代(とき)の肖像―絶滅危惧種 idiot JAPONICA 円墳―」の実物を見ることができて嬉しかった。中垣さんはベルリンにあった実物を日本に送る際、輸送費を半分負担してくださったので、思い入れも強いんです。僕は中垣さんとそこで直でやりとりをしていたのですが、中垣さんは不自由展の人たちに「彼らがやりたいのは政治活動で、アートを政治に利用するな」「作家に対するリスペクトが足りない」とずっと怒っていて、とにかく名前を出してほしい、チラシを作ってほしいという話があったので、ただ警備の都合があるのと、愛知県側も物議を醸すであろう企画をホームページに載せることに対して及び腰だったこともあり、多方面に配慮した結果、切り分けたホームページを作ることにしました。
中垣克久「時代(とき)の肖像―絶滅危惧種 idiot JAPONICA 円墳―」
──愛知県側もトリエンナーレの企画として認めたなら、ホームページに載せないという発想がわからない。
津田:そこが「展覧会内展覧会」の難しいところですね。特別な位置付けの企画の詳細をどこまで詳細に公式のウェブサイトに掲載するのか、という問題があります。ウェブページの設計がそもそも1作家を前提に作られていますし、そこに16作家載せるのはいかにも見栄えが悪くなる。そうした問題も1ヵ月前に内容を発表できていればその過程でいろいろケアできるはずだったのですが、それができなくなった。そうした事情も中垣さんに丁寧に説明できていればよかったのですが、不自由展のメンバーと中垣さんのコミュニケーションも不足していた印象があります。いずれにせよ、これは警備上の問題が作家とのコミュニケーション不足を招いたケースであるとご理解いただければ幸いです。
安全で円滑な管理運営をする現場監督として
自ら動かざるを得なかった
──「大至急撤去しろや、さもなくばガソリン携行缶を持って館にお邪魔するので」と書かれたファックスによる脅迫事件について教えてください。容疑者の堀田修司が逮捕されたのが8月7日ですが、被害が発表されてから被害届が受理されるまでタイムラグがあったそうですね。脅迫なのに、なぜ警察がすぐ受けつけなかったのでしょうか?
津田:これは全然報道されていないので最も誤解が大きいところですね。また、不自由展実行委とも大きく認識がずれているところです。8月22日に東京で開催された緊急シンポジウムで不自由展実行委の小倉利丸さんが「抗議電話は7月31日、8月1日からあった。我々は暴力の予告があれば警察に委ねるよう言っていた。ガソリンファックスは8月2日だが警察に届けたのは8月6日。メールについての被害届は8月14日。これはサボタージュだ」と発言され、会場からも大きなどよめきと疑問や運営側を責める声が上がったそうです。しかし、端的に言ってこれは事実誤認です。現場で何が起こっていたのかといえば、初日の8月1日から3日まで、落ち着いた展示空間とは異なり、事務局はずっとトラブル対応に追われていました。そんな中、あの脅迫ファックスが来たのが2日の早朝です。脅迫ファックスが届いたと現場が大騒ぎになり、すぐに事務局はすぐ警察を呼びました。通報を受けてやってきた所轄の警察署員がファックスを見て、ヘッダーのところにある番号が5ケタだったため、「これだと発信者はわからないね」と、そっけない対応をされたそうです。このことは後から聞いて判明したことなのですが、いずれにせよ現場に来た警察署員の対応で終わっていて、そもそも被害届を出すような状況ではなかったということです。2日夜に捜査の状況を知事とともに確認しているときに、知事から言われたのは「警察からはファックスが匿名化されていて送り先がわからないと聞いている」という旨の話を聞きました。自分の中では引っかかりがありましたが、そのときはまさに不自由展を中止するかどうかを判断する瀬戸際で現場も大混乱していたため、あとで自分で調べようと思いました。3日の17時に、大村知事が記者会見を行い、不自由展の中止を表明。その後僕が単独記者会見を行い、不自由展のメンバーが記者会見を行いました。後片付けなども含めてすべてが終わったのは深夜でした。
8月4日になり、まだ現場の混乱は続いていましたが、多少僕に余裕ができたので、今回の中止の背景にある脅迫事件を何とかしなければならないと思って、脅迫ファックスの原本を見せてもらいました。実際に見たら発信者番号のところに5ケタの番号が書いてあった。これを警察の捜査にも詳しい専門家に見せたところ、機種は恐らくゼロックスG4で、オフィスにある複合機から送っているのではないかという分析が返ってきました。
その情報をもとにうちの会社の社員が5ケタの番号を解析したところ、オフィスの複合機ではなく、コンビニの可能性があるということがわかりました。コンビニの複合機は主にゼロックスを導入しているセブンイレブンと、それ以外のコンビニで多く使われているシャープの2つがあり、さらに解析すると、ゼロックスではなくシャープのヘッダーで、5ケタの番号はコンビニの店番号じゃないかということまでわかった。つまり、犯人は匿名化を全然やっておらず、単にコンビニから送っただけで、その店番号をウェブサイトで検索してみると普通に店舗名が出てくるんです。そこで、愛知県内のコンビニの特定までできました。送信時間まではわかってますから、あとはコンビニの監視カメラをチェックすれば犯人がわかる。とにかく早く警察に動いてほしかったので、こちらで調べた状況をテキストにまとめて事務局経由で警察にあげてもらいました。そうしたらその翌日に警察から「被害届を出してくれ」という連絡がきて、ようやく出させてもらえて、その1日半後に容疑者が逮捕されたというのが経緯です。
──堀田修司は、別に本気でやるつもりはなかったと言っているそうですね。
津田:恐らく愉快犯でしょうね。しかし、だからといってトリエンナーレがさらされている脅威が除去されたという単純な話でもありません。これ以外にも多くの脅迫があるからです。一日中抗議電話や脅迫電話があるなかで、あのファックスが届いた。それは愉快犯であったとしても、職員の精神的な状況は察するにあまりある。
──そのほかメールでの脅迫も大量にきていると。
津田:大量の脅迫メールが届いたのは8月5日の朝からです。あいちトリエンナーレ事務局にも来ましたけれど、それだけではなく、教育委員会への小中学校の爆破予告や職員に対しての射殺予告など、愛知県の関連施設に大量に送られてきました。それが760通、何回かに分けて送られてきました。こちらも届いたその日に警察には相談していますが、被害届は出させてもらえませんでした。メールのヘッダーを見せてもらって分析したら、偽装された形跡はありませんでした。ある宗教団体のメールサーバーを使って送られてきていんたんです。一目で見ておかしいと思いました。
──僕へのDMでは、×××と言われていますよね。
津田:その宗教団体がまさかそんなことをするとは思えないし、文面を見てみると明らかにおかしい。いろいろ調べてカラクリがわかりました。この手法自体を話すと今後別の愉快犯に悪用されかねないので詳細は避けますが、一言でいってソーシャルハッキングみたいなものだと思いましたね。宗教団体のメールサーバーを使って脅迫メールを送ったらIP開示請求をその宗教団体にしなければならないわけで、警察も動きにくいでしょう。その宗教団体に依頼してIPアドレスを提出してもらうのも手間だし、そもそも適切にIPアドレスを管理しているかも、協力してくれるかどうかもわからない。そして、ここまで悪知恵が働いて身を隠そうとしているなら、IPアドレスがわかったとしても、その先も匿名化されているだろうなと思いました。いずれにせよ、この件もずっと警察には働きかけていたんですが、なかなか動いてくれなかったですね。
──大村知事からの働きかけはなかったのですか?
津田:もちろんお願いしました。大村知事からの働きかけもあって、少しずつ動き始めた感じです。同時に正攻法でいこうとも思って、僕らがその宗教団体に電話して、理由を説明してIPアドレスを出してもらえないかとお願いしました。非常にその宗教団体は協力的で、状況を理解して2日後にIPアドレスを出してくれました。事前に予想した通り、IPアドレスを調べてみるとTorという匿名通信の手法により匿名化されていました。セキュリティに詳しい専門家に見てもらいましたが、この出口ノードだけでは本人特定は難しいと言われました。8月14日にようやく被害届を受け取ってもらえて捜査に入ってくれたので提供されたIPアドレスを事務局経由で警察に送りました。それまでに9日間かかりました。不自由展実行委の言う、我々が警察に届けてなかった、サボタージュしていたというのは誤解ですし、間違っています。むしろ、この対応に全力を挙げていたことが不自由展やトリエンナーレに参加した作家とのコミュニケーション不足を招いて、いまのような事態に陥っているので、それを「サボタージュしていた」と言われるのは辛いですね……。そして、「警察に脅迫が届いたその日から何度も捜査してくれとお願いしている、このことをメディアも報じてほしい」と報道各社には何度も繰り返し囲み取材などで伝えているのですが、このことをまともに取材して報じてくれるメディアはありませんでした。だから今日僕はこのwebDICEのインタビューを受けているわけです。
特に最初の2週間は、トリエンナーレが崩壊しそうになっている中で、これらのことを同時に対応しなければいけなかった。東浩紀には「なんで脅迫犯の対応や分析を芸術監督自らやってるんだ。それは行政がやるべき仕事であって芸術監督の仕事じゃない」と批判されましたが、なかなか警察の捜査が進展しない状況で、まずこの対応をきちんとやらないとトリエンナーレが崩壊すると思いました。安全で円滑な管理運営をする現場監督は自分。だから動かざるを得なかったという認識です。
──協賛企業に来た資料では、職員が「自分たちは依頼に応じて会場を貸しているだけで、内容については関知していない」と答えたところ「わかった。それだったらここに組織的に抗議するのはやめてやるわ」と言われて、電話を切られた、と書かれていますね。そのように返事をすればいいのでは?
津田:会場を単に貸している人はその対応でいいでしょうが、事務局はそうできないですよね。電凸のマニュアルは広く共有されているようで、ツイッターをモニタリングしていると、このように抗議をしよう、電話をかけようという呼びかけが拡散していることを確認できました。行橋市の小坪慎也議員も、自分のブログで協賛企業などへの電凸を呼びかけるテンプレを公開しています。組織的にやっているところもあれば、報道を見て、展示の内容を知らないけれど憤って電話をかけてくる人もいるでしょうから、どこからどこまでが組織的な電凸でどこからどこまでが県民の怒りなのかは、グラデーションがある。ただ、結果的に起きているのは電話の攻撃で溢れてしまって協賛企業やすべての僕の関係しているところへの攻撃が破裂化していったという状況があるので、それをまず抑えないことには正常に運営できないと思いました。
先ほど、メディアが報じてくれないという話をしましたが、気にしてくれて動いてくれている記者もいます。彼らになぜこんなに警察の動きが遅いのか尋ねてみたら、ふたつの見方があると。ひとつは政治的な判断によってサボタージュされている可能性もあるけれどそれは薄いだろうと。地方の警察はそもそも動きが鈍いものだという意見。これが主流ですね。被害届を受け取らない理由は明快で、検挙率を下げたくないのだろうと。被害届を受け取って捜査をしたら検挙率の対象になるけれど、捜査しなければそもそも検挙率に影響しないので、犯人逮捕が難しそうなネット案件は避ける傾向にあると。ストーカー事件で被害届をなかなか受け取ってもらえないケースは山ほどありますが、そういう事情も一般の人はよく知らない。だから、警察が被害届を受け取ってくれないということがわからず、「捜査が進まないのは現場が警察に要請していない、サボタージュしているからだ」と思われてしまうわけですね。時間はかかりましたが、どちらの事件も被害届を受け取って捜査を始めてもらえた。ファックスの店舗特定から逮捕までは迅速でしたし、メールの捜査を始めてくれたことにも感謝しています。とにかくいまは、まだ逮捕されていない犯人が逮捕されることを期待するしかないという感じです。
──でもここまで世間の注目を集めている事件なのに受け付けないって、わからないです。
津田:うーん……。それは、ぼくも同じ気持ちですよ。ただ、愛知県警は会場警備という点では非常に協力的で、イベントなどでも私服警官を何人も出してくれていて、これはとても助かっています。警察内部にもいろいろ事情はあるでしょうし、今後はきちんと情報共有と連携を強めていきたいと思っています。
──「不本意ながら組織化したテロに屈した形だ」とおっしゃいましたね。
津田:だから逮捕されたから再開すればいい、という意見もありますが、それは匿名化されたメールについてご存知ないんですよね。脅迫は、まだ続いているんです。
──中止させたのだから、彼らからすれば成果を上げたかたちですよね。いまもメールは来ているのですか?
津田:断続的に来ています。
──メールの文面や、どこの学校に脅迫が来たかは発表できないのですか?
津田:発表はしています、でも報道のときは丸められてしまうんです。文面そのものを公表できないのは、そこに書かれている内容が人権侵害的だからです。メールを見て傷つく人もいるから、それは僕がやるべきではないと思います。警察や弁護士のアドバイスもあって、愉快犯にとっては発表されることで喜んでより過激化させてしまう危険もあるので、そのものを公開することはできない。
トリエンナーレ推進室であれば推進室の職員もいて、リアルで脅迫を受けているなかでそのメールのなかで殺害予告があって、それを公表したら、報道によってそれを知ってさらに心を病んでしまうという二次的な暴力の問題もある。浅井さんの公表したほうがいい、という意見もわかりますが、それはできないですね。とにかく警察に頑張ってもらいたいということを言うしかないです。
──webDICEでしゃべるより、公の場で記者会見をすれば赤を入れられないし、ニコ生やAbemaTVが入ってもいいし「こういう理由でメールを見せられない」というポリシーをきちんと伝えればいいと思う。津田さんが個々のメディアで発信するよりも、パブリック・セクターの芸術監督なんだから、津田芸術監督としてパブリック・セクター内で継続的に発信するのが必要だと思います。
パブリック・セクターの芸術監督としてしゃべるということは、言葉に制限がかかります。
──そんなことはないでしょう?
津田:個人としての立場で語ることはできないですよ。複数の検証過程が立ち上っていて、検証委員会が立ち上がっていて、ヒアリングも途中です。あとはアーティストとも非公式のクローズドな会話が続いています。
──アーティストについても考え方はバラバラなのは当たり前なので、もちろんヘイトの二次被害は考慮すべきだけれど、情報はオープンにしないと、フェイクニュースがどんどん広まってしまう。
津田:でも情報をオープンにして、状況が悪くなるならば、明らかにできないケースもあるのでは?
──「被害届を出しているけれど、受理してくれない」ということは事実だから、公の場で言えることでしょう。
津田:先ほども言いましたが。さまざまなメディアの取材に対して話しています。でも、記事には使われない。でも結局メディア的には耳目の集まる「表現の不自由展」の是非ばかり報じられてしまうんです。ただこれって、来年のオリンピックでも、会場を運営していくうえですごく大きな論点になる話ですよね。そこに光があたってほしい。
──本気で人身事故があったら大変なことだし、この電凸程度というと反発を買うかもしれないけれど、イベントを潰せるならば、オリンピックも潰すことはできるでしょう。だから愉快犯であろうと捕まえて、展示を再開すべきだと思います。
津田:だからこそ、とにかく逮捕してほしい。匿名化されていることで逮捕の難易度は上がりますが、不可能ではないはずです。実際に「漫画村」運営者も逮捕されているわけですから。それをやるためには警察庁がどれだけ本気出すかということでもあるでしょうね。一般論として、今回の件で、来年のオリンピックをどうするのか、という問題も提起されていますよね。電話やメールで公共イベントをいくらでも潰せてしまう脆弱性が明らかになっているわけですから。
──警察の捜査をどんなにやっても、会期中には捕まらないですか?
津田:捕まえてほしいですね。
毀損された表現の自由をリカバーするプロセスを観客にも見せる
──犯人に対して芸術監督、トリエンナーレ事務局サイドからきちんとメッセージを出してないように思います。
津田:それは愉快犯の思う壺では?
──トリエンナーレの公式ホームページのニュースのところにステイトメントを出してみては。
津田:それは、愉快犯のやったことでトリエンナーレがこれだけ混乱しているということを対外的に示すことになります。普通であれば「こんなイベントがあります」という情報が掲載されるはずが、破壊されていることが可視化されるわけで。
──ただ電凸だろうと津田さんのいう組織化されたテロとは徹底的に闘うというメッセージを発することが重要だと思います。
津田:警備の問題はきちんと準備すればある程度は対応できると思っています。コストをかけて警備を強化すればできると思うんですけれど、問題は電話やメールです。悪意がある関係各所への組織的な攻撃が歯止めがない状況で、重要なのは事務局の機能がすべて麻痺しまって本来の業務ができなくなってしまうことです。それだけでなく既にハラスメントで暴力にさらされているから身体もこわばってしまうし、そんなもの絶対無理、という状況に職員がなっています。それを全員入れ替えて新しい職員にすることもできないので、ギリギリのバランスのなかでやるしかない。
──では東京オリンピックだって同じことができますよ。
津田:もし同じことが起きたら国家の威信をかけて対応するでしょうし、その大義名分がありますよね。しかし、アップリンクのような民間の会社だったら、しょうがないよね、と表現の自由の問題になるかもしれない。でも悪意を持ってアップリンクを潰そうと思えばできる。そうした悪しき前例にしないために警察にはがんばってほしいんです。あと電話の抗議に対しての対策を考えなければいけない。
──難しいなと思う。「抗議は受けつけますが、折返し連絡します」という対応は?
津田:それも当然やりましたが、電話先の人が許してくれないですね。そこから3時間延々話し続けて切らせなかったり、ぜんぜん違う部署に更に怒って電話をかけてくる。そうすると、そこまでの運用はマニュアルがありますが、マニュアルがない部署は突然トラブルに巻き込まれて激昂するということになる。
──コンビニは監視カメラがあったから逮捕できたのだから、電話であれば電話番号を特定できるのでは?
津田:でもどこからどこまでが業務妨害でどこからどこまでが正当な抗議なのか、というラインはすごく難しい。外部からの「こういう運営にしたらいいんじゃないか」ということはすべて試しているし、ただ同時に難しいのは各種の公務員関連の法律です。職員がどの業務にあるのか名簿に照らし合わせて検証できなければいけないので「お前は何の業務なんだ、名を名乗れ」と言えてしまいやすい。そういうことも含めて、彼らのやり方はマニュアル化されている。名乗った結果、ネットにさらされて攻撃を受けたり、殺害予告を受けたり、ということがあるんです。
──世界的な問題になっているなか、1600円の入場料だとして、作家が1割いなくなって見られなくなったとしたら、値段を安くするとか払い戻しという話になりますが、入場料はどうするのですか?
津田:それは難しいです、弁護士と協力してやっていくしかないです。今はありがたいことにそういう声はないです。会場で来場者にアンケートを取っていますが、来場者の人には概ね好評です。
──前売券を買っている人には対処しなければだめだと思う。でもこれからチケットを買う人には、この展示がないことを了承してもらったうえで、その値段で買うか、買わないかなので。展示作家の中止・中断が発表されているので、トリエンナーレ自体が壊れていっていますよね。そのような展示がどう変わったかも美術手帖のサイトでしかわからない。公式のサイトでは触れていない。匿名化されていて捜査できない、難しいということがずっと続いていたら、最後まで津田さんが言うように、今後犯人逮捕は無理ですよね。
津田:そんななかで次のアクションをどうしたらいいか考えなければいけない状況です。
──とにかく、僕は情報公開をしたほうがいいと思う。
具体的にはどんな情報ですか?
──記者会見でおっしゃってるんだろうけれど、やっぱり、みんな記者会見の全貌は見ていないし、DOMMUNEの全文書き起こしも載ってない。
津田:でも愛知県の小中学校へ向けた脅迫が来ている、というのはあいちトリエンナーレのニュースではないですよね?ただファクトだけをこのトリエンナーレというお祭りのページに載せるのは、僕は適当だと思わないですね。「我々は脅迫にさらされています」ということをニュースで出す……?
──宮台真司さんが言っていたように「毅然とした態度を貫かないと脅かした者勝ちになる」に賛成です。「組織化されたテロに屈した」と報道されるよりも、「脅迫に負けません」というメッセージを出したほうがいいのでは。
津田:あの言葉もだいぶ歪められていると思いました。
──だから歪められないように、変えられないものをきちんと載せるべきだと思います。
津田:それでは僕個人が発信できる範囲でやるしかないです。僕個人は「屈したわけではない」と思っていても、事務局がそう思っていなかったら、どう調整します? 事務局は攻撃側を刺激したくないわけです。
──ではそれを説得すればいいじゃない。発言の自由はあるわけだから。
津田:アップリンクであれば、アップリンクという組織としての意思決定と、浅井さんの考えていることってかなり近いですよね。だったらそれはできるのでしょうが、僕個人の考えと事務局としての現実問題、さらには知事、検証委員会という複数ガバナンスがあるなかで、僕ができるのは、僕個人としてはこう思っているということまでです。芸術監督としての公式見解としてはなかなかできない。
──でも津田さんはパブリック・セクターの芸術監督なので、今しゃべっているのは個人としてではなくて、芸術監督として発言してほしいと思う。
津田:つまりはそこをぼかさないとできないということですよ。芸術監督でもあり個人でもある津田大介がどっちなんだろうというところで言えるところまでを言える立場なんです。さらに言えば、僕は公の場所に出てしゃべろうと思っています。けれど、ほとんどできません。なぜかというと、会場から拒否されるからです。もともと8月9日にイベントをやろうと思っていました。知事にも「出て日常化したほうがいい、悪いことをしているわけではないのだから」と言われました。でも、会場の側から警備が怖いし、抗議もたくさん来ているので豊田市側から拒否されました。神戸のイベントと同じ構図ですね。
そして12日に愛知芸術センターでアーティストとのトークをやるという話になったんですけれど、僕が出ることになったら、愛知芸術センターから拒否されました。
──そういうことを発信すればいいじゃない。そして拒否されるなら辞任すればいい。
津田:僕が辞任したらトリエンナーレは崩壊するし、それこそそんなことをアーティストたちが許さないと思います。僕個人の闘いは、会場側が貸してくれないならしょうがない。でも、DOMMUNEみたいにかなりの安全対策をして、呼んでくれて場所を作ってくれるところもあります。警備員もつけてくれましたし、警察も来ていました。そこまでして、津田の発言の機会を奪うべきではないと協力してくれる人もいるので、そういうところに出てしゃべるしかないと思っています。浅井さんの前でしゃべっているのもその一環です。
──じゃあ、赤入れないでほしい。それはダブルスタンダードでしょう。
津田:指摘はわかりますが、ダブルスタンダードではないと思います。それは発信される情報発信の質に責任を持つということです。webDICEは発信する情報に責任を持つ「メディア」ですよね? 赤入れなしならライターさんの構成力によって事実と違う、あるいは意図と違う表現で情報が流布される可能性がある。そもそも赤入れできないなら、僕はしゃべれなくなります。しゃべって状況が好転するならしゃべりますけれど、好転しない、悪くなる一方ですから、いま現時点ではどこまでの情報を発信するのか考えて発信しているわけです。もともとなぜwebDICEで警察の話をしようと思ったかというと、既に言っているし、メディアにも取材をお願いしているけれど、それをやってくれない状況があるので、運営という部分で浅井さんが興味と関心があると思ったから、お話したいと思って受けているわけです。
──この膠着状態を変えるために、どんなことを考えているのですか?
津田:警察は被害届を受け取ってくれたので捜査は始まっています。そこから先はわからないです。こちらはこちらで別の動きもします。だって最悪じゃないですか、テロに屈した状況で、現実問題として安全が人質に取られて、望まないかたちになっていて、アーティストもボイコットしている。このままでは、芸術に対して、イベントに対しての悪影響だけが残るだけ。これでは終われない。ではここに対して、具体的に、表現の自由が毀損されている状況に対してどうリカバーしていくのかを、トリエンナーレの残りの会期でしていかなければいけない。そのためには、オープンディスカッションもやりますし、アーティストとも協議を続けます。検証委員会の報告も待ちます。その上で、警備の法的なこと、具体的なテクノロジーを使った解決法を含めた再開への道も検討して、それらすべてが整ったときに、次の段階に進むということを考えています。
──「電話やメールで公共イベントをいくらでも潰せてしまう脆弱性が明らかになった」という津田さんのこのインタビュー、週刊誌なら【津田大介芸術監督「東京オリンピックはかんたんに潰せる」】という見出しにしてしまいますよね。
津田:いろんなことをやっていかなければいけないけれど、次に進もうともがいている感じです。同時に思うのは、トリエンナーレのゴタゴタを巡る議論のなかで抜けているのが、オーディエンスの見る権利がテロの攻撃によって侵害されている、ということだと思っていて。
──それは興行としてみれば、チケットを買ってる人の楽しみは奪われているよね。
津田:それを奪っているのが津田なのか大村なのか、抗議者なのか、それとも他のアーティストなのか、難しいですよね。
──大村さんがセキュリティの問題で中止と言うのはいいけれど、津田芸術監督は、アーティストサイドについて、それが呑めないなら辞任すると言ったほうがいいのではないですか。
津田:それは無責任なふるまいだと僕は思います。トリエンナーレを自分の手で壊したくない。自分が辞めることが責任の取り方だとは思わないです。検証委員会やアーティストの大半から津田辞めろと言われたら辞めます。しかし、最後までやることが責任の取り方だと思っています。それはもしかしたら理念とか生き方の問題かもしれないです。
──僕も壊すことがいいとはぜんぜんいいとは思わない。だったらぶちまけて好転するかということですよね。
津田:だから今、この状況下で語れることを語るしかないと思っているということです。朝日やwebDICEのインタビューも受けたのにはそのような意図があります。
──でも朝日は津田さん、朝日の論壇委員でマッチポンプ的ですよね。
津田:論壇時評を書いているので、そう見られても仕方がないですよね。それは理解してます。同時に浅井さんは世界初上映となる『ホドロフスキーのサイコマジック』を上映する参加作家の代理でもあるので、ぜひ普通に上映してもらいたいと思っています。ボイコットだけは絶対に避けたい。よろしくお願いします。
──全編モザイクかけようかな(笑)。
津田:ええっ!? それだけは止めてほしいです(笑)。
──タニア・ブルゲラと連帯してこの悲しいトリエンナーレに捧げる、というのはどう?上映会場にメンソールを充満させて、みんな強制的に泣くとか。
津田:そういうクリエイティブなアイディアは大歓迎です。だってそんな体験ないじゃないですか。
──ただ、どんどん「表現の不自由展」のコンセプトが拡大していっているから、いったいなんの展覧会なのか、というのがわからなくなってきている。
津田:もちろんそれが問題であると僕も思っています。トリエンナーレ本来の趣旨――個々の作家の「情の時代」に焦点を当てるように戻さなければいけない。しかし同時に、毀損された表現の自由をリカバーするプロセスを観客にも見せる。これらの難しい二つを同時並行でやらなければいけない。非常に難易度は高いですが最後までやりきりたいと思っています。
──最後に、僕からは、「情の時代」なら「情報」を開示してほしいです。
津田:わかりました。そのことは肝に銘じます。ぜひ浅井さんもトリエンナーレ参加作家スタッフの一員として一緒に戦ってほしいです。
津田大介(つだだいすけ)
1973年生まれ。東京都出身。早稲田大学文学学術院教授。メディアとジャーナリズム、著作権、コンテンツビジネス、表現の自由などを専門に執筆活動を行う。近年は地域課題の解決や社会起業、テクノロジーが社会をどのように変えるかをテーマに取材を続ける。主著に、『情報戦争を生き抜く』(朝日新聞)、『ウェブで政治を動かす!』(朝日新書)、『Twitter社会論』(洋泉社新書y)、『動員の革命』(中公新書ラクレ)、『情報の呼吸法』(朝日出版社)、『「ポスト真実」の時代』(日比嘉高氏との共著・祥伝社)など。世界経済フォーラム(ダボス会議)「ヤング・グローバル・リーダーズ2013」選出。第17回メディア芸術祭 エンターテイメント部門 新人賞受賞。
【「あいちトリエンナーレ2019」協賛企業・個人の皆様へ】
あいちトリエンナーレ2019芸術監督 津田大介
開始から3日目となる8月3日(土)をもって、あいちトリエンナーレ2019内の一企画「表現の不自由展・その後」の展示を断念いたしました。皆様方には事前に十分なご説明をすることなく、またいち早い状況のご報告もできず、大変申し訳ありません。
突然の措置にまつわるニュース、それに伴うクレームに、戸惑われる方、憤りを感じる方、現場を心配する方、身の危険を感じられる方など、様々であったと思います。まずはそのことをお詫び申し上げます。その上で、ジャーナリストとして、この一件の説明を、なるべく整理してお伝えします。しかし僕は当事者なので、あくまで一方からの見え方、それも、トップの人間からの証言だと思いながら、最後まで読んでいただけると幸いです。
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「あいちトリエンナーレ2019」の出品作である「表現の不自由展・その後」は、2015年の冬に行われた「表現の不自由展」を企画した表現の不自由展実行委員会の展示です。
日本の公立美術館で一度は展示されたものの、その後撤去された、あるいは展示を拒否された作品の現物を展示し、撤去・拒否された経緯とともに来場者が鑑賞する素晴らしい企画でした。僕は、2018年の5月10日(木)にキュレーター会議でこの展示を再び展示することを提案しました。そして1カ月後の6月10日(日)に、たまたま映画『共犯者たち』を東京で上映するイベントを主催していた「表現の不自由展」実行委員会の永田浩三さんに、映画を観た後にお声がけをしました。
その後、2018年12月6日(木)に、展覧会内展覧会として再び「表現の不自由展」をやっていただけないかと、正式に依頼しました。
公立の美術館で検閲を受けた作品を展示する「表現の不自由展」のコンセプトはそのままに、2015年以降の事例も加えて、それらを公立の美術館で再展示する。表現の自由を巡る状況に思いを馳せ、議論のきっかけにしたいという趣旨の企画です。
結果的に「あいちトリエンナーレ2019」では16作家による作品が出品されました。そのうち小泉明郎、白川昌生、Chim↑Pomの3作品が、僕が提案し出品が決まったものです。表現の自由が侵害された事例の記事や年表など、資料コーナーも用意しました。どの作品を入れ、どの作品を入れないかという最終決定権は僕にはなく、この展覧会内展示の主体である作家としての「表現の不自由展」実行委員会の意見を尊重しました。僕の方から作品の提案はしましたが、すべての出品作品は「表現の不自由展」実行委員会が最終的に決めたものです。
Chim↑Pom以外の個々の作品についてのテキストは「表現の不自由展」実行委員会が執筆し、文章の校閲、パネル化する際のデザイン・制作や出品作家との輸送等のやり取り、保険手続きはあいちトリエンナーレのスタッフが行いました。検閲の危機はそうした準備中にも度々ありました。画像・動画の撮影は許可するが、会期中のSNSへのそれらの投稿を禁じるパネルは、そうした際に、安全管理の観点から大村知事から要請され、条件闘争をした結果です。不自然さを感じた方も多くいましたが、掲出が展示実現の条件だったため、あいちトリエンナーレ実行委員会、僕、表現の不自由展実行委員会の三者で、トリエンナーレ開幕の数日前に合意ができ、貼り出しました。
日本の公立美術館で、一度は展示されたもののその後撤去された、あるいは展示を拒否されたものを集めて再展示するという企画の性質上、途中で中止される可能性も当然念頭におきつつ、それでも75日間完走することを目指していました。契約を結ぶにあたり、表現の不自由展実行委員のみなさんとそのあたりも詰めさせてもらいましたが、結果的にたった3日でその事態となってしまったことは、大変申し訳なく、記者会見でも謝罪させていただきました。
というのも、そもそもあいちトリエンナーレの「表現の不自由展・その後」では、展示を前提に湧き上がる賛同や反感を可視化することに意味を持たせた企画でもあったからです。実現には困難な確認・承認プロセスが必要だったため、事務局や県庁、知事、弁護士、警察などの各所と調整しながら進め、展示の運びとなりました。 展示作品には様々なものがありました。詳しくは僕の会社で作った「表現の不自由展・その後」の公式ウェブサイトをご覧ください→https://censorship.social/
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2019年7月31日(水)の展覧会企画発表後、とりわけ話題となったのは、在韓日本大使館前に設置されたキム・ソギョン/キム・ウンソン夫妻の《平和の少女像》、次いで大浦信行さんの《遠近を抱えて》の関連映像でした。
《平和の少女像》は悪化する日韓関係を背景に、《遠近を抱えて》は、昭和天皇をコラージュした自作を焼くという表現が昭和天皇への冒涜とされ、双国のヘイトの戦場になりました。連日事務局に大量の電話抗議が(展示中止以降も)寄せられております。 抗議内容については、作品の具体的内容や背景を考慮しないものが多いため、まず簡単に作品の背景についてご説明さしあげます。
《平和の少女像》の作者は、韓国の彫刻家キム・ソギョン/キム・ウンソン夫妻で、彼らは韓国の「民衆美術」の流れをくむ作家です。民衆美術とは、1980年代の独裁政権に抵抗し展開した韓国独自のもので、一言で言えば芸術を通じた社会運動です。《平和の少女像》は正式名称を「平和の碑」と言い、「慰安婦像」ではない、と作者が説明しています。最大の特徴は、観る人と意思疎通できるように椅子を設けたことで、椅子に座ると目の高さが少女と同じになります。《平和の少女像》には女性の人権の闘いを称え、継承するという意味もあり、作者は像を日本批判ではなく、戦争と性暴力をなくすための「記憶闘争」のシンボルと位置づけています。作者は、2016年にベトナム戦争当時の韓国軍による民間人虐殺を謝罪し、被害者を慰める目的でベトナム民間人虐殺地域と韓国国内に設置された「ベトナムピエタ」(母と無名の坊やの像)を作りました。実際の来場者からは、ウェブサイトには戦争と性暴力をなくすための「記憶闘争」のシンボルとあったが《平和の少女像》は素朴で可憐な印象を受ける。少女像からは老婆の影が伸びていて、メディアで見ていたレプリカや、切り取られていたイメージとは明らかに違うという意見もありました。
《遠近を抱えて》は、1982年から1983年にかけて作られた作品です。大浦さん本人はこの作品についてのインタビューで、昭和天皇の肖像を取り上げたことに対し「自分から外へ外へ拡散していく自分自身の肖像だろうと思うイマジネーションと、中へ中へと非常に収斂していく求心的な天皇の空洞の部分、そういう天皇と拡散していくイマジネーションとしての自分、求心的な収斂していく天皇のイマジネーション、つくり上げられたイマジネーションとしての天皇と拡散する自分との二つの攻めぎあいの葛藤の中に、一つの空間ができ上がるのではないかと思ったわけです。それをそのまま提出することで、画面の中に自分らしきものが表われるのではないかと思ったのです」と語っています。日本人を統合する象徴――アイデンティティとしての昭和天皇。日本人としてに収斂される自分と、そこから外に出たい自分の両方が葛藤している。その葛藤をコラージュという手法で表現した絵であると作者は述べています。大浦さんは昭和天皇の肖像は日本人としての自画像であり、天皇批判ではないとしています。
同作は展覧会終了後、県議会で「不快」などと批判され、地元新聞も「天皇ちゃかし、不快」などと報道、右翼団体の抗議もあったため、図録とともに非公開とされました。1993年に美術館は作品売却、図録470冊全て焼却しました。今回問題とされている映像作品《遠近を抱えてPartII》では、コラージュした自分の作品を燃やすシーンが戦争の記憶にまつわる物語の中に挿入され、観る者に「遠近を抱える」心の葛藤を、あらためて問うものになっているといいます。一部だけ切り取ってみると、昭和天皇の肖像が燃えているように見えますが、正確には、富山県美術館によって《遠近を抱えて》の図録が焼却された経験を元に、自分の作品、自分のアイデンティティの葛藤を燃やしている作品だということです。
30年近く前に日本人としての自画像を作る目的で昭和天皇の肖像を用いてコラージュした。昭和天皇は日本人を象徴する存在であり、作品ではまさに、自分のアイデンティティの揺らぎが表現されている。そのコラージュ作品が、一度は作品が購入された富山県美術館が、抗議されたことにより図録が燃やされる事態に発展した。その痛みの経験も込みで、自作を自分で燃やす映像作品を作った。
最後に踏みつけているシーンは、日本人としての作者のアイデンティティの揺らぎや、それを表現した作品が焼却されたこと。そしてその事実に傷つき悩み続けていたこと。また、そうした自分の過去と訣別し、新しい自分になることを表しています。実際の来場者からは、作者が長年抱えていた苦悩は、昭和天皇や平成天皇が抱えられていたかもしれない苦悩とも重なるのではないかと思えた。奇しくも退位され元号が変わったこのタイミングで、過去の日本人と今の日本人としての自分に共通する苦悩も察せられたという声もありました。
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もう一つお伝えしなければならないのは、このトリエンナーレの開幕が、現実の政治状況とリンクしてしまったことです。具体的には、8月2日(金)には、日本政府が「韓国をホワイトリスト(優遇対象国)から外す」と閣議決定し、官房長官が会見質問の回答として、これらの作品と文化庁の補助金について言及しました。さらには河村たかし名古屋市長が(実質的にはトリエンナーレの運営には携わっていないとはいえ)会長代行――大村秀章愛知県知事に何かあった時には代わりを務めるという立場でありながら、定例の記者発表の後にメディアの前で、「表現の不自由展・その後」の《平和の少女像》の展示中止を求める趣旨の発言をしました。これまでの期間中に受けた大量の電話抗議の中に、テロ予告や脅迫と取れるものや、また電話に応対しただけの職員を追い詰めるようなハラスメント、その職員の個人情報をSNS上でさらし、個人攻撃に繋げるものが多く含まれていました。事務局への電話は深夜3時過ぎまで続き、朝の始業前にはまた始まります。その数は減ることなく、またすべての電話を取り切ることができないために、事務局が入っている施設内の別の組織・部署、防災センター、協賛企業、協力企業、県内の他の美術館、県庁の他の部署、県内の他の自治体などにも苛烈な電話抗議の影響が続いています。会場を守る1200人のボランティアスタッフや、会場監視アルバイトも緊張感のある場所で長時間過ごす、シビアな環境にあります。
スタッフの一人を専任とし、現場の人間の心身に対するケアを任せるとともに、事態の改善に全力を尽くしてますが、その勢いはいまだ衰えません。
この状態が続き、来場者及び職員の安全が危ぶまれる状況が存在するということが今回の措置の背景にあります。こうして、日本が自国の現在あるいは過去の負の側面に言及する表現が安全に行えない社会となっていることを内外に示す実例となってしまいました。
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一部報道では、事前のリスク想定や対策が甘かったと言われていますが、それは正確ではありません。この企画が進行していたこの4カ月、「表現の不自由展」実行委員会と事務局、警察や弁護士と協議を重ね、かなりの事前リスク想定と対策を練って参りました。
①街宣車・テロ対策(警察との情報共有、事前のリスク共有、仮処分申請の準備)
②展示場で暴れる来場者対策(常駐警備員の契約、来場者が多い日の委員会メンバーや弁護士の常駐)
③抗議電話対策(録音機能付き自動音声案内の導入、クレーム対応に慣れた人員の配置、回線増強)概ね①と②はうまくいき、現場での大きなトラブルは発生しておりません。問題は③でした。大量の抗議電話が来ることは事前に予想できたため、当初より外部のコールセンターに対応業務をアウトソーシングするという手段は検討していました。しかし行政の文化事業の場合、説明責任も生じるため、安易なアウトソーシングもできないという問題もありました。また、コールセンターの場合、1件に付き100~150円といった従量制の料金が必要になるため、75日間運用した場合のコストが青天井になる恐れがあり、企画当たりの予算が限られている美術展では導入しづらいという事情がありました。また、抗議用の特設回線(コールセンター)をつくっても、大きな事業ですと抗議がまず本体に来ることも多く、そこから職員が特設回線を誘導する形だと事務局の電話が塞がり、朝から晩まで本来の業務ができない問題は解決しません。そのため会期前までに電話回線を8本増やし(2日午後には6本を追加)、また録音可能な電話機を2台追加。これについては、新国立競技場の建築コンペでザハ・ハディドを選出した建築家の事務所に、抗議電話が殺到した際の数字などを参考に、有識者と検討して決めていました。
しかし結果的に、鳴り止まない抗議電話がトリエンナーレを円滑に進めることを困難にする状況は急激に悪化していきました。まず、本来は要職にある年配の男性職員が対応する予定であったものが、対応する予定のなかった事務局の若い女性スタッフ職員まで総出でこの抗議電話に対応しなければならなくなりました。出勤している職員は、朝早く8時30分から夜遅くまで21時過ぎまでずっと激昂した相手の電話の対応をしなければならなくなりました。事態2日目となる、オープニングの8月1日(木)には、前述の専任スタッフに「これ以上この状況が続くようだと、仕事は続けられない」「聞こえない場所でも、電話の音が聞こえる気がする」といった話が、複数の職員から上がってきました。深刻な事態でした。また、騒ぎを聞きつけ、拡声器でパフォーマンスを行う人や、不審な動きをする人がやって来るたびに、職員が駆けつけ、話を聞いた上で他の観客の迷惑になる行動が見受けられた場合、外に出ていただくなどの、予測不能で混乱した事態が連鎖していきました。
初めての休日、多くの来場者が見込まれる4日目の8月3日(土)には、職員は現場対応をしなければならないため電話対応はさらに困難を極めることがわかっていました。トリエンナーレ推進室や愛知県美術館が入っている建物である愛知芸術文化センターの電話交換室の回線や県庁の回線がパンクするという事態も起きていました。本来はトリエンナーレと関係ない部署である電話交換室のオペレーター女性の多くは、ここにかけられても部署が違うため、対応できない旨を相手に告げても「とにかく誰か呼べ。呼ぶまでずっと待つ」と相手側から言われ、電話を切ることもできず、判断や対応するマニュアルなどもないため、激昂してトリエンナーレの事務局に抗議されていました。
「もう電話には出られない。こんな経験は人生で初めて」という悲鳴が上がりました。そのため、状況を改善するために、本来は越権行為になるのですが、トリエンナーレ推進室から芸文センターの電話交換室のオペレーターに「電話に取らないでくれ」という「お願い」をしました。以降、前述のトリエンナーレ側の専任スタッフが、トリエンナーレの他の組織の人々の心体のケアにも注力することになりました。
同じことが愛知芸術文化センターの防災センターでも起こったため、同様のお願いをしました。「表現の不自由展」実行委員会も会場警備にご協力をいただく約束をしていただき、出品作の作家も説明のために会にいましたが、このような行政が主体となったイベントは、「県全体」が攻撃対象となるため、無限に攻撃する対象が増えていきます。攻撃に耐えられなかった各所は、そもそも攻撃の想定が甘いとまず非難されます。そして、事態の収束が叶わず、今回のように断念する決断をすると、今度はなぜ頑張れないのだという抗議の声に変わります。激励の電話や普通の問い合わせは、初日から数えて数件程度です。そして外では、僕の名を名指しし、「出てこい、殺してやる」と叫ぶ街宣車が現れたという報告がありました。
何より、決断せざるを得ないと判断する根拠になったのが、ガソリンテロを予告するFAXが事務局に届いたことです。
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言うまでもなく、これは7月18日(木)に京都で起き、35人の死者を出した京都アニメーション放火殺人事件を言外に含んだ脅迫です。僕自身、この事件が起きたとき、芸術監督としてトリエンナーレでこのようなことが起きたらどうなるのか、ということを考え、真剣に悩み、各所に相談しました。
FAXが届いた際、即座に警察に連絡し、発信元の特定と逮捕をお願いしましたが、発信元が本来表示される部分には5桁の番号が表示され、警察からは「発信元の特定は困難」という連絡が来ました。こちらについては、警察がなかなか動いてくれないため、内部や専門家で解析を行い、ある程度発信元なども判明しつつあります。警察とも連携を強め、テロ行為に対しては最優先で対処を行っています。
そもそもが、公立美術館で「検閲」された作品を展示することで、議論を喚起し、公立美術館における過剰な「検閲」の問題を解消し、表現の自由を示すことを企図していた自分ですから、どんな妨害や自分に対する誹謗中傷があっても、最後まで展示を続けるつもりでしたし、作家の側に立って表現を守ろうと思っていました。
しかし、電話抗議が事務局を越えてこちらの制御できないところまで飛び火し、FAXや電話、メールによるテロ予告や脅迫が相次いでいます。先日5日の午前5時には、「愛知県内の小中学校などにガソリンを散布する」というメールが、愛知県の教育委員会に届きました。県内およそ20の自治体にも同じようなメールが届いていたということです。このメールの影響で一部の自治体では警備を強化したり、学校の部活動が休止になったということです。他方、河村たかし名古屋市長を始め、松井一郎大阪市長、保守派の国会議員らが「表現の不自由展・その後」の展示内容について、ここ数カ月の日韓関係悪化を背景に、職責を越えた作品批判を行ったことで、よりバッシングと電話抗議は増すこととなりました。むろん権力を持つ政治家たちが一行政の文化事業の内容を批判し、中止を求めるというのは「検閲」につながる行為であり、正常な事態ではありません。
この企画に対する政府や政治家からの有形無形の圧力は高まるばかりです。しかし、これは国家権力による圧力に屈し、知事と僕が検閲をしたという単純なストーリーではありません。
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僕はこの「表現の不自由展・その後」を自ら企画して、様々な困難を経て、それでも行政の芸術祭の企画として実施させた張本人です。政治家やバッシングの圧力には屈したくない。今回のトリエンナーレで誰よりもそう思っているという自負はあります。しかし、市職員やボランティアスタッフの方々など芸術祭という大きな組織の現場にいる人にも、自分と同じ「闘争の覚悟」を求めるわけにはいかない。ましてや、協賛企業やボランティア、トリエンナーレと無関係の人にまでそのバッシングが集中している。このことが自分を悩ませました。表現の自由を守りたいという気持ちと、目の前に迫った危機的状況。その中でのテロ予告――。
あとからわかったことですが、今回のトリエンナーレ会場の1つにかかってきた抗議電話に対し、職員が「自分たちは依頼に応じて会場を貸しているだけで、内容については関知していない」と答えたところ「わかった。それだったらここに組織的に抗議するのはやめてやるわ」と言われて、電話を切られたそうです。つまり、電話の抗議は誰かによる、何らかの指示の下、現在もある程度の部分が組織的に行われているのだと思います。これについては既に対応中で、進展を見守っている状況です。8月2日(金)夜、トリエンナーレの実行委員長である大村秀章愛知県知事と話した際、知事からは「我々には管理責任がある。このままではトリエンナーレを円滑に運営することができない。明日で終了がいいのではないか」と提案されました。その後23時30分以降に表現の不自由展実行委員会と会い、このことを伝えました。協議もせず、一方的な通告はおかしいとメンバーから言われ、「充分なリスクの検討がなされたとは思えない」と言われました。要望され、翌朝知事と再交渉し、翌日の現場の状況を見て、知事と僕で判断して再び表現の不自由展実行委員会に伝えようということになりました。
8月3日(土)、朝から何度も知事とやり取りし、表現の不自由展実行委員会側の要望や質問、その答えを伝えていました。しかし悲鳴があがった芸文センター電話交換室のオペレーター室に駆けつけた時、無関係の女性たちが、自らに降りかかった不条理な事態にも関わらず、不安な表情を押し殺して毅然と仕事をやり遂げようとする姿を見て、この日で「表現の不自由展・その後」を中止することを決めました。
政治家が公然と検閲を煽り、そのことに対する疑問や批判もろくに出ない日本社会でこのまま展示を続ければ、間違いなくテロが起きるか、あるいはバッシングの連続でメンタルにダメージを受けた職員から――これは誇張ではなく――死者が出ると思ったからです。
ジャーナリストにとって表現の自由は自分の命よりも大事なものだと僕は考えています。しかし、他人の命は違う。表現の自由の行使によって、無関係な他人の命が危険に晒されている。僕は他人の命を取りました。「テロに屈するのか」と批判される未来が目に浮かびました。そのことによって「ジャーナリスト」としての自分が死んでも仕方がないとも思いました。
表現の不自由展実行委員会の方々に、来場者や職員の心や命を守るため、中止の判断をするということはとうとうご理解いただけませんでした。続行以外の措置は納得できないため、決裂の兆しがありました。それを伝えると、現場の心のケアの対応をしていた専任スタッフが、深夜1時前に到着しました。専任スタッフが報告を始めてまもなく、表現の不自由展実行委員会側からの、それは本当にお気の毒なことだが、充分に準備しなかった組織が悪い、そこを県は増強し、専門のスタッフでクレーム対応し、続けるべきだという趣旨の言葉を受け、耐えきれずに泣いて怒りを表明しました。
それまで丸2日間寝ず食わずに、企画意図、作家の希望、現場の命を繋いだスタッフは、こう言っていました。「ヒステリーを起こした若い女性として呆れられ、笑われたと感じました」「労組に相談すべきと言われ、そのような救いがない世代に生まれたのだと伝えたが、言葉が通じないように感じた。法律用語がわからない私が使った言葉に対し、苛立って訂正されるのに、なぜ私が怒りを表明するのはダメだったのか、わからなかった」「弁護士が同席する場で冷静にいられなかった自分はよくなかったが、現場の声を現場の人間が訴えている時に、あの扱いはショックだった」と振り返りながら、「それでも私は企画意図に共感していて、作家の権利は重視したいし、本当にいけないのは誰なのか考え続けたい」と、また翌日から現場のケアに奔走しています。
こうした事情を踏まえれば、表現の不自由展実行委員会のみなさんの主張には、一部疑問があります。常に状況は報告し、協議もしていたと僕は認識しています。
長くなりましたが、今回の措置の背景にあることを簡単にまとめます。
表現の不自由展実行委員会は今回の中止措置を「戦後最大の検閲事例」と表現されています。しかし、僕の理解によれば、今回の中止措置は愛知県と芸術監督による「検閲」事例ではありません。
政治家まで巻き込んで大量に動員された人間たちによる「文化に対する暴力・テロ」であり、その状況下で職員や観客の生命が人質に取られ、緊急度からテロリストの要求に屈さざるを得なかったという事例です。
トリエンナーレの参加作家が今回の「表現の不自由展・その後」の中止に呼応して出展を取り下げる行為は、「検閲への反対」ではなく、「文化に対する暴力・テロ」を助長させる行為ではないかと思います。出展作家が歯抜けになり、トリエンナーレが崩壊することで喜ぶのは、テロ行為を行っている張本人たちだけだからです。
大過なく75日間終わらせることを望んでいたので、このような形で展示の中止に至ってしまったことは、断腸の思いです。
トリエンナーレにおいて何より尊重されるべきである作家の意思を無視して、知事と一緒に勝手に展示を中止を決定したことの責任は重く受け止めており、どんな批判であっても甘んじて受け入れようとも思っています。その結果として、今後本業のジャーナリスト活動が満足にできなくなっても構わないとすら思っています。
今回、リスクの想定を超える事態を引き起こしたこと、その上で円滑な運営の遂行を難しくしてしまったことの責任を重く受け止めています。同時に、今回のことで、日本が自国の現在または過去の負の側面に言及する表現が安全に行えない社会となっていることが内外に示されてしまったとも考えています。こんなときだからこそ、芸術の力で対抗していかなければならない。そうでなければ、日本で行われる文化事業は、権力により検閲され、その時の時代の雰囲気で良し悪しが判断されるようなものしか存続できないことになります。自分が認める表現でないと許さないと主張することは、いつか自分の認めた表現が認められなくなる危険性と合わせ鏡です。
このような複雑な事態が水面下で起きており、それが継続している状況を何卒ご理解いただき、皆様に最後までご協賛いただけませんでしょうか。どうか皆さんのお力を貸しいただけますと幸いです。
最後に、6日めの今日、連日の発表やメディアの報道、何より参加作家からの意見表明によって、確実に状況が改善していることを申し添えます。みなさまがたにご支援いただき、ご来場いただいた方からのトリエンナーレの評価は特段に良いです。安全確保を第一に方針を定めましたので、会場内は落ち着いて対応できるようになっています。どうか、一度その目でご覧になっていただけましたら幸いです。
まずは現在トリエンナーレで起きている状況をできるだけ詳細にご報告いたしました。事態が進展いたしましたら、定期的にご報告させていただきます。
今後とも何卒よろしくお願いいたします。
【知事から作家の皆様へ_0820_アップリンク御中】
2019年8月20日
有限会社アップリンク
浅井 隆 様あいちトリエンナーレ実行委員会会長として、今回の「表現の不自由展・その後」の中止について、ご心配をおかけし、また混乱を招いたことを、深くお詫び申し上げます。また、中止に対する抗議や意見を重く受け止め、「表現の不自由展・その後」以外の作品の展示中止にまで至ったことについても、大変残念に思っています。
展示は、安全上の理由でやむなく中止いたしましたが、国内では、理由によらず中止すべきだという意見と、再開すべきだという意見が対立しています。県民の意見も二分されており、実行委員会としましては、この問題に対峙するための新しいルールを模索すべきと考えています。とは言え、表現の自由は保障されなければなりません。
そこで、新しいルールを模索するため、9月に「表現の自由に関する公開フォーラム(仮称)」を開催いたします。そこでは、今回の「表現の不自由展・その後」でのような日本各地での展示中止事例やその背景を探ります。作家やキュレーターを招き、県民の皆様(鑑賞者)とともに自由に意見を語り合う場にしたいと考えております。
さらに10月には、あいちトリエンナーレで展示中止とした作家やこうした問題に精通する海外ジャーナリストを招いて、「表現の自由に関する国際フォーラム(仮称)」を開催いたします。このフォーラムでは、世界各地が直面する深刻な現状について議論し、そのうえで、表現の自由の実現に向けてアートに何ができるのかを確認したいと考えています。また、各国政府や世界の人々に対し表現の自由をアピールする「あいち宣言(あいちプロトコル)」を提案したいと思います。実は、本来、こうした作業は「表現の不自由・その後」の前に行うべきでした。そうすれば誤解や混乱は避けられたかもしれません。しかし、今からでも遅くないと思います。
私たちは、今回のあいちトリエンナーレでの出来事を、表現の自由に関するメッセージを世界に届ける機会にしたいと考えています。その作業に、是非作家の皆様、キュレーターの皆様にご協力いただきたいと思います。
愛知県知事
大村秀章
8月23日、津田氏はタニア・ブルゲラらが8月12日に署名・公表したオープンレター「表現の自由を守る」に対する回答を公開。津田氏が海外のアートニュースに送るというものが、ARTiTと美術手帖にも掲載された。
【8月12日付書簡「表現の自由を守る」に署名されたアーティストの皆様】
8月12日付で記された書簡「表現の自由を守る」を受け取りました。同じ展覧会に参加しているアーティストによる作品が展示されなくなったことに対し、皆様が強い憤りや落胆を感じられたことについて、あらためてお詫び申し上げます。そして、展示が叶わなくなった仲間の立場に立って連帯の意思を表明し、すべてのアーティストの活動の核にある「表現の自由」を擁護する皆様の考えに、深い共感を示します。そして皆様がわたしたちの動きを鈍いように感じ、不服に思っていることも理解しています。
「世界の文化芸術の発展への貢献」を目的の一つに掲げる国際芸術祭の主催者として、私たちもまた、その実現にあたって基盤となる「表現の自由」を最大限に尊重することをここに表明します。私たちの国際現代美術展の中の展覧会「表現の不自由展・その後」は、自分と異なる意見や他者の思想に対する不寛容さが広がり、自己規制が蔓延した現代の日本社会において、企画を発案して実現すること自体が非常に挑戦的な企画でした。この試みは、日本国内の公的な美術館や芸術祭でも類をみないものです。私たちはまさに「表現の自由」を尊重するからこそ、いくつもの大変な課題を乗り越えながらこの展覧会を実現し、8月1日の開幕を迎えたのでした。開幕当初から、私たちのもとには、想定を超える脅迫や、苛烈な電話攻撃、非人道的なテロの予告が続きました。今回の決定は、あくまでも、危険の差し迫っていた来場者や職員の人命を優先した判断であり、最大限に「表現の自由」を認める立場は一貫しているのです。
皆様の書簡に記されているように、表現の自由に対するいくつかの攻撃があったことについて、私たちも深く憂慮しており、それらに対して私たちは毅然と立ち向かいます。
(1)(2)河村名古屋市長の発言は、日本国憲法第21条に違反する疑いが極めて濃厚であり、アーティストの皆様と同じく、異を唱えます。また、複数の公人による発言は、表現の自由や知る権利を毀損し、文化芸術事業を国家レベルで委縮させる恐れがあり、看過し難いものです。表現の自由を尊重した私たちの取り組みは、公に向けて広く議論の場を提供するための試みとして、公益性の点から鑑みて適切な公金の使途であると考えています。もちろん、彼らの発言は今回の判断にまったく影響しておりません。
(3)他方、職員や他の組織への電話での攻撃については、未だ法的・刑事的な予防措置を見出せておらず、私たちが最も苦慮している課題です。このことが、アーティストの皆様に展示室の再開の如何について明快な回答を差し上げることができないでいる最大の理由です。攻撃の中には、電話対応をする者の家族を特定し、危害を加えるなどという卑劣かつ具体的な脅迫も含まれます。
(4)テロを予告するファックスに対しては、決して屈することはなく、警察の捜査に私たちも積極的に協力することで、すでに犯人が逮捕されました。他の脅迫者の特定と逮捕にも全力を挙げてもらうよう、警察の捜査に引き続き協力していきます。「表現の不自由展・その後」の再開については、8月16日に第三者による「あいちトリエンナーレのあり方検証委員会」が立ち上がり、準備と実施、中止にいたるまでのプロセスが検証されることになりました。その中間報告を待って、再開に向けた様々な可能性を検討していきたいと考えています。
そして、私たちはばらばらの存在としてステートメントでその立場を表明するだけでなく、部分的に連帯できる共同体としてプロトコルを表明できないかと模索を始めています。そのために私たちは、今後もアーティストの皆様や観客の声を聴き、国内外の美術専門家や関係機関との議論を重ねていく所存です。またヘイトや歴史修正主義の台頭に対しても、明白にそれを拒否する姿勢です。
表現の自由はアーティストの皆様と同じく、私たちにとっても重要です。
あいちトリエンナーレ 2019
芸術監督津田大介
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アレハンドロ・ホドロフスキー監督
『ホドロフスキーのサイコマジック』
2020年、アップリンク配給により公開