映画『氷上の王、ジョン・カリー』の公開記念イベントに登壇したジョニー・ウィアーさん。
アイススケートを芸術の領域にまで昇華させた伝説の英国人スケーター、ジョン・カリーの知られざる素顔に迫るドキュメンタリー映画『氷上の王、ジョン・カリー』の公開記念イベントが、2019年6月11日に新宿ピカデリーで開催された。上映後のトークゲストに、本作にも出演している元オリンピック選手で現在はプロとして活躍するアメリカ人フィギュアスケーターのジョニー・ウィアーさんが登壇した。
スケート靴の底をいつもクリスチャン・ルブタンで赤くペイントしてもらっているというほどファッションにこだわりがあり、この日も自ら選んだイッセイ・ミヤケの華やかなドレスと、ドリス・ヴァン・ノッテンのスタイリッシュなブーツで登場。ジョン・カリーから受けた影響や、自分らしく生きること、そして今後の活動についてウィアーさんが語ったトークの全文を以下に掲載する。
脈々と受け継がれるジョン・カリーの影響
(日本語で)皆さん、こんばんは。ジョニー・ウィアーです。ここに来ることができて最高です。
(以下、英語)この素晴らしい映画を観に来てくださった皆さんに感謝します。偏見だらけの世界で自分らしく生きるために闘うこと、夢を叶えるために懸命に努力すること、そして自分を信じることを描いたこの映画は、フィギュアスケーターにとってだけでなく、世界の人々にとって重要な映画です。
──素敵なファッションですね。
イッセイ・ミヤケです。
──ご自分で選んだんですか?
はい、自分で選びました。「ファンタジー・オン・アイス」のツアーで一昨日まで神戸にいまして、神戸で大好きな場所が大丸なんです(笑)。衣装はすべて自分でセレクトしています。今、テレビの仕事をしているので、アメリカでは手に入らない斬新で個性的な服を、日本でたくさん買っています。
映画『氷上の王、ジョン・カリー』公開記念イベントに登壇したジョニー・ウィアーさん。
──ウィアーさんはこの映画をご覧になりましたか?
もちろん観ました。映画は飛行機の中や、移動中の車の後部座席でiPadで観ることが多くて、この映画も劇場では観ていないのですが。大きなスクリーンで観るべき美しい映画なので、日本全国で劇場公開されてとても嬉しいです。
──ご覧になっていかがでしたか?
僕は1984年生まれなので、スケーターになるまでジョン・カリーのファンでもなかったし彼のことも知りませんでした。彼はいくつもの境界を取り払った人です。その分、内面の葛藤も大きかった。この映画にアスリートとしてインスパイアされました。なぜなら彼が、自分ならばできると信じて、自分がやらなければならないという信念を持って目標を達成したからです。けれども人間としては深く傷ついていました。だから観終わった時に、彼が短い人生で残した功績に対して、自分が泣きたいのか、拍手を送りたいのか、複雑な心境になりました。
──ウィアーさんご自身の活動についてお聞きします。「ファンタジー・オン・アイス」のツアーは、富山を残すのみとなりましたが、今のところいかがですか?
「ファンタジー・オン・アイス」は世界一のショーです。大勢の五輪チャンピオンと世界チャンピオンが参加しています。もちろん羽生結弦選手もいます。豪華な家族のようですね。僕は初回から参加させてもらっていますが、今年で10周年ということで、時が過ぎる早さを感じます。僕自身、毎年楽しみにしているショーです。
──アイスショー以外で、観客の前にこうして登場するのは久しぶりですか?
(今夜の観客は)とても素晴らしいお客さんですね! ファンの方たちと話をすることは稀です。リンクでも忙しいですし、移動ばかりの生活なので、皆さんと話す時間がなかなかありません。ですから、今夜このような機会をいただいて大変光栄です。
──本作への出演はどのように依頼されたのですか?
こういう仕事の時はいつもそうですが、まず僕のスタッフへ連絡が来ました。フィギュアスケートは僕の人生であり、自分の居場所を見出すために、必死で努力してきたスポーツです。だからフィギュアスケート界を支えたいという思いがありました。現役の間はオリンピックや世界選手権で勝つことに没頭してしまい、周りが見えなくなってしまいがちなんです。そろそろリンクを降りる時期に来ている僕は、自分を育ててくれたフィギュアスケート界を、これからは支えていきたいと思っています。一緒に演技をして競い合ってきた家族のような仲間たちは、高校時代も大学時代も友人だったし同僚でもあります。フィギュアスケート界を支えていくことと、とても豊かで大切なフィギュアスケートの歴史を覚えておくことは、自分にとって非常に意義深いので、すぐさま出演を了承しました。
映画『氷上の王、ジョン・カリー』の中で、“彼(カリー)が僕を創った。氷の上で自分自身でいられる僕を”と語る。 (c) New Black Films Skating Limited 2018 / (c) 2018 Dogwoof 2018
──ウィアーさんにとってジョン・カリーはどのようなスケーターですか?
フィギュアスケートに寄与したジョン・カリーの主たる資質は、細部へのこだわりだと思います。当時は女性スケーターでさえ、氷上でアーティスティックな側面にフォーカスして自分を表現することはめずらしかった。もちろん、カリーは卓越した技術も持ち合わせていて、ジャンプも当時としては秀でていましたが、彼の特徴は芸術面と完璧主義の面にあります。
──カリーは音楽や衣装や振付でも革新的でしたが、そのあたりはどう評価されますか?
僕自身にとってこの世で一番大切なのは、自分の足跡を残すことと、人に笑われても自分を信じることです。こうして火曜日の夜に、大勢の人たちの前でおかしな恰好をして笑われたとしても(笑)、自分が幸せに感じることをする。ジョン・カリーは深く傷ついていましたが、彼のクリエイティブな側面は消えませんでした。その創造性こそが、彼を輝かしいキャリアへと引っぱっていったんです。彼のように、自分の衣装を選んだリ、氷上のバレエを見せたいと強く望んだりするのは、当時は型破りでした。この世界で人と違っているためには、とても強くなければなりません。彼の強さを尊敬します。
──今おっしゃったことは、そのままウィアーさんにあてはまりますね。
お褒めの言葉をありがとうございます。自分の個性のままに生きることしか、僕はできないんです。年配の審判員たちに自分が理解されない時など、自信を失いそうになりますし、毎日練習する中で転倒したり、困難にぶつかるたびに、自分は何をやってるんだと思います。オリンピックでも世界選手権でもアイスショーでも、氷上に立つときは、自分にしかできないことをしたいのです。ジョン・カリーのような先人がいてくれたからこそ、僕も氷上で自由になれます。そのことにとても感謝しています。
──ご自身以外でジョン・カリーの遺伝子を受け継いでいると思うスケーターはいますか?
特にこの映画を観た後に、一番明白にジョン・カリーを彷彿させるスケーターだと僕が思うのは、ステファン・ランビエールです。細部へのこだわりや、氷上でバレエのように踊れる能力の点においてです。そして、彼は音楽のすべての拍に合わせて振り付けをしますが、これは非常に難しく、この技量があるからこそ彼は世界で知られているんです。ステファンは、共にツアーをしてきた長年の友人ですが、たとえジャンプでミスしたりスピンが粗くなったりしても、すべてのステップが完璧なタイミングなら構わない、という人なのです。ジョン・カリーのように完璧主義者ゆえの苦悩もありますが、すべての音符と合っていることが彼にとって最大の喜びなのです。それは彼独自の素晴らしさだと僕は思います。
──他にはいますか?
ある時代に人々に影響を与えた美しさは、その後も伝わっていくものですよね。ステファン・ランビエールは、ジョン・カリーなど自分より前のスケーターたちからインスパイアされた。だから、ステファン・ランビエールに影響を受けたということは、すなわちジョン・カリーから影響を受けたことにもなるわけです。町田樹さんや宮原知子さんの演技には、明らかにステファンの影響が見えますが、それはジョン・カリーが影響を与えたとも言えるわけです。カリーがフィギュアスケートに与えたインパクトは、脈々と存在しつづけるということです。
映画『氷上の王、ジョン・カリー』より、米国デラウェア州のスケートリンクで練習中のウィアー氏。 (c) New Black Films Skating Limited 2018 / (c) 2018 Dogwoof 2018
今もホモフォビアはこの世界に厳然と存在する
──この映画の中でウィアーさんは、“彼(カリー)が僕を創った。氷の上で自分自身でいられる僕を”と話していますが、ご自身の闘いについてお聞かせください。
世間は未だに、違いを受け入れることに苦労していますよね。スケーターとしてのキャリアの中で、セクシュアリティは僕自身よりも他の人たちにとって問題でした。僕自身は自分のセクシュアリティを、生まれついてのものだと思ってきたし、自分は“ゲイのスケーター”だけではないことを示そうと努力してきました。自分のセクシュアリティについては、公言してきませんでした。ただ、そうだった、というだけなので。
でも、僕がこういうふうに自由でオープンな生き方や考え方ができるのは、先人たちのおかげです。権利のために闘い、自らの権利を守るために生き、そして死んでいった彼らがいたからです。ジョン・カリーもその一人です。彼は自由に生きられませんでした。カリーから数年後の話になりますが、(1996年に)全米チャンピオンにもなったルディ・ガリンドのような選手も、セクシュアリティについて隠していたけれどレポーターにアウティングされました。(ガリンドは記者陣の前ではセクシュアリティについてノーコメントを通していたが、1996年に刊行されたスポーツライターのクリスティン・ブレナンによる書籍『Inside Edge』に収められたインタビューで自分がゲイであると語った。)
そして、ルディ・ガリンドの最盛期に、僕が出てきました。初めての五輪は2006年のトリノオリンピックで、スケートを始めてからまだ9年しか経っていませんでした。だから何もかもを急いで習得しなければならなかったですし、世界のメディアに向かって、国のためにメダルを獲ると言っておきながら、転倒して獲れなかった。リンクを降りた後…、自分史上、最悪の瞬間が終わった後、演技について聞かれるべきことは沢山あったはずなのに、取材陣からは演技のことは何も聞かれず、代わりに「ジョニーさん、あなたはゲイですよね?」という質問ばかりされたんです。そんなこと僕にとってぜんぜん重要じゃない、と思いました。ゲイになるために練習したんじゃない、オリンピックのために練習したんだと。
この質問はその後もずっと続きました。はぐらかしたことは一度もありませんが、僕が公言せずにいたのは、自分にとって重要ではないことだと思っていたからです。重要なのは、うまく滑って勝つことです。そのための努力をしてきたので。2度目のオリンピックになったバンクーバーでは、自分としては最高の演技ができましたが、メダルは獲れなかった。翌日、カナダのコメンテーターが僕の性別を調べたい、みたいなことを言って、マスコミの騒ぎになりました。今からほんの9年前のことです。トリノオリンピックから4年経っても、僕のような人間への対応を、誰も何も学んでいなかったのです。
つらい試練でしたが、僕はとても強い人間なんです。それで、僕より強くない人々を守るために、公けに発言すべきだと、その時に初めて思いました。普通と違って生まれたことよりも、はるかに重要なことが世界にはあるんだと、人々に言いたかったんです。そこで(2010年2月24日にバンクーバーの国際メディアセンターで)記者会見を開きましたが、自分のこういう立場から伝えることができて良かったと思っています。
8年後の平昌オリンピックに、別の偉大な全米チャンピオンのアダム・リッポンが出場しましたが、彼は冬季五輪の米国代表選手としては初めてゲイであることを表明した人物です。ツイッターで副大統領とケンカしたリッポンは(オリンピック米国代表団の団長になった副大統領マイク・ペンスが、過去に同性愛者の矯正治療の機関に出資したとして、リッポンは彼との面会を拒否した)大人気で大勢の人たちが彼を応援しました。つまり世の中の人のメンタリティは変化するけれども、ホモフォビアは今もスポーツ界とこの世界に厳然とあるのです。
──ウィアーさんは2022年にプロスケーターを引退することを表明されましたね。
はい。僕は長年にわたって、とても幸せなスケーター人生を送ってきました。そもそも小さな村の出身で、こんなキャリアをつかめるなんて想像していませんでした。本当に何もない田舎で、雪が降ったら2週間、家から出られないような場所です。普通、オリンピックに出場するスケーターに、そんな田舎出身者はいません。だから自分を誇りに思いますし、この道を信じて僕を応援してくれた家族のことも誇りに思っています。
一人の人間として、このフィギュアスケート界でいろんな経験をしてきました。どんなにお金を積まれたとしても、どの瞬間も大切で譲れません。でも大人になり歳を重ねてくると、氷の上で転ぶと痛くなるし、練習時間が取れなくなってきます。特に「ファンタジー・オン・アイス」に向けてはいつも猛練習しますが、他の仕事が忙しくて深夜1時にリンクで練習することもあります。
2022年に引退することを発表してから今回、日本に来て感動したのは、どれほど多くのファンが手紙を書いてくれて応援してくれているかでした。演技者そしてアスリートとしては、自分1人で歩いてきた道だとつい考えがちですが、実際には、ファンの方たちのそばで長年やってきたんです。こんなにも長い間、良い時も悪い時も、転んで氷の上をお尻で滑ってしまった時ですら、僕と一緒にこの道のりを歩んできてくれました。そんなファンの皆さんに向けては、うまく滑りたいのです。滑りの質が衰えたと自分が思う時まで、うまく滑りたいです。その意味で僕は、ジョン・カリーと同じ完璧主義者です。
もちろん氷上から去りたいとは思っていません。自分の人生の大きな部分ですから。リンクでは自分にとって本当に大切な経験をしてきたので、この話をするたびに泣けてしまいます。でも、誰にだって次に進まなければならない時が来るものです。才能ある若いスケーターが自分の跡を継いでくれることや、後輩たちの世話をすること、自分にしかできない何かをすることを、とても楽しみにしています。これまでの年月に感謝しています。
(司会:蒲田健/写真:坂田正樹)
ジョニー・ウィアー Johnny Weir
1984年、米国ペンシルバニア州出身。2004年から2006年、男子シングルで全米選手権三連覇を果たす。2006年トリノ五輪5位、2010年バンクーバー五輪6位。2008年世界選手権銅メダリスト。2013年に競技生活引退を発表。『チャンピオンズ・オン・アイス』ツアーをはじめとして、様々なアイスショーに参加。衣装への関心が強く、自らのコスチュームはもちろん、羽生結弦をはじめとしたフィギュア・スケーターの衣装デザインを手掛けることでも知られる。2011年に出版した自伝で同性愛者であることをカミングアウトし、同性との婚姻関係も経験。LGBTQ当事者としても積極的に発言・活動している。また、2019年配信予定のNetflix新ドラマ『栄光へのスピン(原題:Spinning Out)』に出演。
© New Black Films Skating Limited 2018 / © 2018 Dogwoof 2018
映画『氷上の王、ジョン・カリー』
5月31日(金)、新宿ピカデリー、東劇、アップリンク渋谷、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開
アイススケートを「スポーツ」から「芸術」へと昇華させた、
伝説の五輪フィギュアスケート金メダリスト、その知られざる光と影。
監督:ジェイムス・エルスキン(『パンターニ/海賊と呼ばれたサイクリスト』)
出演:ジョン・カリー、ディック・バトン、ロビン・カズンズ、ジョニー・ウィアー、イアン・ロレッロ
ナレーション:フレディ・フォックス(『パレードへようこそ』『キング・アーサー』)
2018年/イギリス/89分/英語/DCP/16:9
原題:The Ice King
字幕翻訳:牧野琴子
字幕監修・学術協力:町田樹
配給・宣伝:アップリンク