映画『幸福なラザロ』 ©2018 tempesta srl ・ Amka Films Productions・ Ad Vitam Production ・ KNM ・ Pola Pandora RSI ・ Radiotelevisione svizzera・ Arte France Cinema ・ ZDF/ARTE
『夏をゆく人々』でカンヌ国際映画祭グランプリを受賞したイタリアのアリーチェ・ロルヴァケル監督の新作『幸福なラザロ』が4月19日(金)より公開。webDICEではロルヴァケル監督監督のインタビューを掲載する。エグゼクティブ・プロデューサーとしてクレジットに名を連ねているマーティン・スコセッシは、今作を絶賛し映画完成後にプロデューサーとして名乗り出たという。
舞台となるのは、社会と隔絶し小作制度の廃止も知らさないまま生活を営み続けるイタリア中部の小さな村。どんな困難な仕事でも進んで引き受ける純朴な青年ラザロは領主の侯爵夫人の息子の誘拐騒動に巻き込まれる。スーパー16mmフィルムで撮影された美しい自然の風景と、現実と非現実の間を漂う物語、そこに村人たちの生々しい生活ぶり。その絶妙なバランスのなかでロルヴァケル監督は、1980年代初頭にイタリアで実際にあった詐欺事件をもとに、文明の進歩のなかで無垢な魂、聖人は存在可能か、というシンプルかつ根源的な命題を突きつける。
「私が考える聖人は、豪華な法衣を着た司祭が壇上に上がって朗読をするような、制度化された信仰では定義されません。私が今、作品を通して伝えたい聖なることとは、人間の尊さを信じるということです」(アリーチェ・ロルヴァケル監督)
尊さとカリスマ性は別物
──『幸福なラザロ』はどんな物語といえるでしょうか。
『幸福なラザロ』は小さな尊厳についての物語です。奇跡は起こらないし、巨大な権力も出てこないストーリーが、特殊効果を使わずに語られます。この映画が伝えるのは、この世で生きていく上で、誰のことも疎まず、人を信じ切ることの尊さ。生きていく方法は他にもあると思い込み、善なる生き方を拒み続けている私たちに、その事実を突きつけるのです。
映画『幸福なラザロ』アリーチェ・ロルヴァケル監督
しかし善くありたいという気持ちはどこかで頭をもたげ、私たちに自問を促します。それはまるで、手に入れたいと思ったことすらないものが、もしあったらどうだろうという可能性を見せつけられるかのように強烈なのです。
──どのようなきっかけでこの物語の構想が生まれたのですか?
故郷イタリアを旅していた時、よく「幸せなラザロのような人々」に出会いました。私が「ラザロのような人々」と呼ぶ人たちは、私の目から見たら善人だけれど、本人たちは自分のことを善人だと思っていない、善人になろうとすらしていない人、善が何かしらもわかっていない人のことを指します。彼らは常に他人に気を配り、機会があれば人に譲り、他人の邪魔にならないように生きているので、あまり目立たない人であることが多く、自分を主張することはない、というより、彼らは自分が主張することが可能だと気づいてもいないのです。他人が嫌がる苦痛を伴う大変な仕事を引き受け、周りが何も考えずに手荒く扱うものを大事にする人たちでしたが、そんな彼らの行動に気づく者は誰もいませんでした。
映画『幸福なラザロ』 ©2018 tempesta srl ・ Amka Films Productions・ Ad Vitam Production ・ KNM ・ Pola Pandora RSI ・ Radiotelevisione svizzera・ Arte France Cinema ・ ZDF/ARTE
本や映画には、不正に対して立ち上がり戦う英雄、変身し正義の主張をする英雄、世界を変えようとする英雄の運命について描かれた作品がたくさんあります。しかしラザロは世界を変えることなんてできないし、彼の尊さは周りに気づかれてすらいません。聖人をイメージする時、私たちは強さとカリスマ性を兼ね備え、強い主張を持った存在を思い描くでしょう。しかし、私は尊さとカリスマ性は別物だと感じています。もし聖人が今日、現代社会に現れたとしたら、その存在に気づかないかもしれない。もしかしたら、何のためらいもなく彼らのことを邪険に扱うかもしれません。私が考える聖人は、豪華な法衣を着た司祭が壇上に上がって朗読をするような、制度化された信仰では定義されません。私が今、作品を通して伝えたい聖なることとは、人間の尊さを信じるということです。
映画『幸福なラザロ』 ©2018 tempesta srl ・ Amka Films Productions・ Ad Vitam Production ・ KNM ・ Pola Pandora RSI ・ Radiotelevisione svizzera・ Arte France Cinema ・ ZDF/ARTE
──また、実際にイタリアで起こった事件も参考もされているそうですね。
この物語を書いている時、私はまず自分が衝撃を受けた出来事に思いを巡らせました。それはイタリア中部に住む侯爵夫人が、分益小作制度の終わりを農民たちから隠すために農民たちを隔離し不正を働いたというニュースです。
犯人の侯爵夫人は何も起こっていないふりをし、その後数年、自分のもとで働く農民たちに半奴隷状態の生活を続けさせていたのです。歴史的な転換期に乗り遅れてしまったこの農民たちの物語に、私はずっと心を動かされてきました。彼らは改革の知らせを知る術すら持たず、最終的には華々しい変化の残り香を拾い嗅ぐことしかできなかったのです。
この新聞記事は次の日には忘れられてしまうようなニュースです。しかし劇中の農民たちは悔しさのあまりこの出来事を語り続けました。壁に貼られた記事はすっかり日焼けし黄ばんでも、この記事だけが、世界が崩壊したこと、そして彼らが置き去りにされたことを示す記録だったのです。これほど大きな詐欺であったのにもかかわらず!
映画『幸福なラザロ』 ©2018 tempesta srl ・ Amka Films Productions・ Ad Vitam Production ・ KNM ・ Pola Pandora RSI ・ Radiotelevisione svizzera・ Arte France Cinema ・ ZDF/ARTE
より複雑な風景を作り出すために南北イタリアで撮影
──撮影は2017年の夏と冬、前半はイタリア北部のヴィテルボとその近郊のバニョレジョ、テルニ県にあるカステル・ジョルジョで、後半は南部のミラノ、トリノ、チヴィタヴェッキアで撮影したそうですね。なぜ広範囲に渡るエリアで撮影を行ったのでしょうか?
私たちはしばしばイタリアを北と南に分け、縦軸の対立について話してきました。しかし今となっては北と南はほとんど変わらないと感じています。ところが山あいにある内陸部の村と海岸部の街や都市を比べると、その違いは明らかです。歴史上でも、人類は隔離された場所から開けた場所へ移動してきました。その動きはもう縦軸では語り切れなくなり、斜め、ジグザグ、横方向など、あらゆる方向へ人は動くようになり、より複雑な風景を作り出すことになったのです。
映画『幸福なラザロ』 ©2018 tempesta srl ・ Amka Films Productions・ Ad Vitam Production ・ KNM ・ Pola Pandora RSI ・ Radiotelevisione svizzera・ Arte France Cinema ・ ZDF/ARTE
──前作『夏をゆく人々』同様、本作もデジタルではなくスーパー16mmフィルムで撮影されていますね。
複写可能な画像に溢れるこの時代で、映画とは目前にゆっくりと物語を繰り広げながら、癒やしを提供し、楽しませてくれるものであり、そして驚き、驚かせるものだと感じました。
映画『幸福なラザロ』 ©2018 tempesta srl ・ Amka Films Productions・ Ad Vitam Production ・ KNM ・ Pola Pandora RSI ・ Radiotelevisione svizzera・ Arte France Cinema ・ ZDF/ARTE
寓話は現実ともう一つの世界をつなぎとめるものとしての象徴
──中世の生活がそのままに残っている村が舞台ですが、これは現代の搾取を題材にした物語でもありますね。
私はこのラザロの冒険物語を通し、私の国イタリアを壊滅に追い込んだ悲劇を、愛とユーモアをもって、できる限り穏やかに伝えることを目指しました。それは物質的な中世から、人間性を持つ中世へと移った時期のことで、田舎における文明の終わりを意味します。近代というものが何なのかまったく知らない何千人もの人が都市部へ押し寄せた時代。そのとき、彼らは今まで持っていたものを捨てて都市に移り住んだわけですが、そこで手に入る。
ものは以前持っていたものよりお粗末なものばかりでした。誰から見ても明らかな薄汚い搾取がはびこる世界は終わりを迎えたのに、新たな世界に溢れていたのは、新鮮で高級感に溢れ、一見すると魅力的に見える違う種類の搾取だったのです。
映画『幸福なラザロ』 ©2018 tempesta srl ・ Amka Films Productions・ Ad Vitam Production ・ KNM ・ Pola Pandora RSI ・ Radiotelevisione svizzera・ Arte France Cinema ・ ZDF/ARTE
──そして、とても現実的な寓話と言えます。
私は前作以上に今回の作品を寓話的にするつもりでした。寓話の持つ一貫性のなさ、謎めいた話、繰り返し起こる状況、英雄と悪役などの要素を多く用いました。寓話は、芸術の抽象性や漠然とした超人間的な冒険を描いたものではなく、現実ともう一つの世界をつなぎとめるものとしての象徴です。生きることから象徴性が生まれ、それは深く細かいところで全てを包み込む生命となり、変化にさらされるイタリアという国の運命を描き出す。寓話の多くは同じ内容で、生まれ変わることについての話、優れたことについての話、純粋さについての話です。しかしどんな人やものをもってしても、私たちは寓話の呪いや苦しみから逃れることはできません。だからこそこの映画では、ロケーションにも役柄にも、現実的な優美さを見出そうとしました。それが粗悪な美しさであったとしても。
(オフィシャル・インタビューより)
アリーチェ・ロルヴァケル(Alice Rohrwacher)
1981年、イタリア・トスカーナ州フィエーゾレ生まれ。ドイツ人の父とイタリア人の母を持つ。トリノとポルトガル・リスボンで学んだ。音楽、ドキュメンタリー制作のほか、劇場での編集者や作曲家としての仕事を経て、初長編劇映画『天空のからだ』(F/11)を発表。レッジョ・カラブリアを舞台に思春期の少女の歩みを瑞々しく描いたこの作品は、第64回カンヌ国際映画祭監督週間に選出され、各地の映画祭で上映された。続いて、自身の体験をもとに養蜂家の家族を描いた『夏をゆく人々』(14)は、長編二作目して、第67回カンヌ国際映画祭グランプリを受賞した。2015年、ファッションブランド ミュウミュウの企画、女性監督が21世紀の女性らしさを称えるショートフィルムシリーズ「女性たちの物語」の第9弾として「De Djess」を発表。この企画には他に河瀬直美、アニエス・ヴァルダ、ミランダ・ジュライ、ダコタ・ファニング等が参加している。そして本作『幸福なラザロ』は、2018年第71回カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞するなど、いまやパオロ・ソレンティーノと並び、イタリア映画界を代表する監督の一人である。
映画『幸福なラザロ』 ©2018 tempesta srl ・ Amka Films Productions・ Ad Vitam Production ・ KNM ・ Pola Pandora RSI ・ Radiotelevisione svizzera・ Arte France Cinema ・ ZDF/ARTE
映画『幸福なラザロ』
4月19日(金)よりBunkamuraル・シネマ他全国順次ロードショー
監督・脚本:アリーチェ・ロルヴァケル
出演:アドリアーノ・タルディオーロ、アニェーゼ・グラツィアーニ、アルバ・ロルヴァケル、ルカ・チコヴァーニ、トンマーゾ・ラーニョ、セルジ・ロペス、ニコレッタ・ブラスキ
2018年/イタリア/イタリア語/127分/1.66:1
原題:Lazzaro Felice/英題:Happy As Lazzaro/日本語字幕:神田直美
配給:キノフィルムズ/木下グループ