骰子の眼

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2019-02-08 20:40


「この映画を作らないと死んでしまう」黒澤明の精神を継承する『山〈モンテ〉』

巨匠アミール・ナデリが描く“絶対に崩れない山に挑んでいる男”の物語
「この映画を作らないと死んでしまう」黒澤明の精神を継承する『山〈モンテ〉』

イランの映画監督アミール・ナデリが中世を舞台にある男の孤独な闘いを描く『山〈モンテ〉』が2月9日(土)よりアップリンク吉祥寺にて公開。webDICEではナデリ監督へのインタビューを掲載する。

そびえ立つ山のために陽の光を遮られ作物を育てるのもままならない村に暮らす男アゴスティーノ。次々と村人は去っていくが、祖先の墓や亡き娘の墓を残してここを離れられないアゴスティーノ。妻ニーナ、息子ジョバンニとも離れ離れになり、彼は忌まわしい山を切り崩そうと決意する。物語はダークなトーンの自然の風景のなか家族が件名に生きる姿、そしてひたすらアゴスティーノが斜面につるはしを打ち付けるシーンが続く。「一念岩をも通す」という言葉を思い出さずにはいられない“あるひとつの思いを成就するために必死に生きる男”という主人公は監督の前作『CUT』にも通じる。そして、インタビューでも語られているように、常に全力で映画制作に打ち込む監督自身の姿でもある。色彩の振幅と監督自ら手がけた音響を駆使して描く、自然の脅威に立ち向かう男の絶望と希望をぜひ劇場で体験してほしい。


「何年も前から本作のような映画を作りたいと考えていました。黒澤監督の映画を観ているとこういう難しい映画を作る勇気が湧いてきました。長年自問自答してきましたが、ある時期に自分の姿を見て『本作の主人公が山を崩さないと死んでしまうと思ったように、この映画を作らないと死んでしまう』と感じた時、作る勇気が湧いてきました。この映画を完成させてないと、残りの人生は絶対無駄になると感じました」(アミール・ナデリ監督)


イタリアで黒澤明監督の映画の作り方を目指した

──企画の段階では、日本を舞台に企画されていたとのことですが、なぜイタリアが舞台になったのでしょうか?

まず黒澤明監督の映画が大好きで、いつか黒澤作品のような映画を日本で作りたいと思っていました。当初、松竹も企画に乗り気だったため、プロデューサーのエリック・ニアリ氏と日本でロケーションを探しましたが、日本の山は砂山が多く自分がイメージしている岩山が見つかりませんでした。そのためイタリアで撮影することになり、イタリアを舞台にしたシナリオに書き直し、イタリアで黒澤明監督の映画の作り方を目指しました。例えば、黒澤監督の様に3台のカメラを使ったり、カメラの動きやサウンドをイタリアに持っていき作ることにしました。

映画『山〈モンテ〉』 アミール・ナデリ監督
映画『山〈モンテ〉』 アミール・ナデリ監督

もちろん、イタリアにもパゾリーニやロッセリーニなどの映画監督もいますが、本作にはミケランジェロやダ・ヴィンチの様な芸術家のアイデアも足さなければいけないと考えていました。最終的には人間対自然という大きなテーマをイタリアでも表現することができました。また結果として、ヴェネチア映画祭で“監督・ばんざい賞!”を受賞できて満足しています。映画という言語はグローバルであり、文化が違う国でも伝えることができると思います。

──イタリアのロケーションの山を探すのは大変だったと思いますが、いかがでしたか?

イタリアで山のロケーションを探していましたが、イタリアの山は国の所有ではなく個人の所有になり、北イタリアの山が見つかりましたが、一番の問題は山を爆発させなくてはいけないことでした。この映画を作る上で、山を崩すことを承諾してくれた家族がいたのは、とても幸運なことでした。

映画『山〈モンテ〉』 © 2016 Citrullo International, Zivago Media, Cineric, Ciné-sud Promotion. Licensed by TVCO. All rights reserved.
映画『山〈モンテ〉』 © 2016 Citrullo International, Zivago Media, Cineric, Ciné-sud Promotion. Licensed by TVCO. All rights reserved.

監督の魂が入っている映画作り

──キャスティング、スタッフィングも総てイタリアで行ったのでしょうか?

スタッフの殆どはイタリア人でした、イタリアでは幸い自分のことを知ってくれている方が日本のように多いため、スタッフはすぐに集まってくれました。キャストもイタリアで探さなくてはいけませんでしたが、本物の役者は「今までと違うものをやりたい!」「チャレンジしたい!」という気持ちを持っているものです。もちろん皆お金のためではありません、「今までと違う事を経験したい!」という熱意のあるキャストが集まってくれました。

撮影初日にキャスト・スタッフに「これから私たちは映画を作るのではなく、山という偉大な大自然と戦うんだ!負けるかもしれないので、戦いに参加できない者はすぐ帰ってくれ!」と説明しました。残った人達には、“幾ら過酷でも途中で止めたら一生後悔する”という気持ちが生まれてきたのです。皆の気持ちが変わってきて最後まで戦ってくれました。これが私の言う“狂気”なのです。

──撮影も相当過酷だったのではないでしょうか?

日本で監督した映画『CUT』(11)もそうですが、私の撮影現場は普通じゃないです。登場人物に対して、実際の自分たちの生活感を消さなくてはいけません。出演者は、携帯電話禁止、家族との話しも禁止、遊びに行くのも禁止です。西島さんもそうでしたが少しずつ“この仕事だけをする人”になっていきます、この仕事とは“監督の魂が入っている映画作り”です。一緒に仕事をしていて初日の西島さんの顔と、撮影後半の顔は全然違います。大変過酷な撮影現場ですが、「ここでやめたらこの映画が出来上がらない、この映画が完成しないとこの監督は生きていけない!」という気持ちが皆に芽生えていき、皆の気持ちが繋がってくるのです。そういう気持ちが生まれてくるので、難しい仕事も最後までやり遂げることができるのです。一人ひとりが「新しい事を経験している!」という気持ちになるのです。

要するに、私達は映画というパラダイスに向かって一緒に旅をしているので、旅の途中大変な事があっても楽しめる、そういう気持ちになってきます。この映画作りのマスターは黒澤明監督だと考えています。

映画『山〈モンテ〉』 © 2016 Citrullo International, Zivago Media, Cineric, Ciné-sud Promotion. Licensed by TVCO. All rights reserved.
映画『山〈モンテ〉』 © 2016 Citrullo International, Zivago Media, Cineric, Ciné-sud Promotion. Licensed by TVCO. All rights reserved.

セリフを使わず映像で語り、またロケーションの雰囲気や音で物語を語る

──具体的な画作りに関してお伺いしますが、撮影や色彩の感覚や中世の美術が素晴らしいですが、特にこだわった事はありますか?

舞台となった山には主人公の住む村は元々なく、美術担当と6ヶ月間かけて村を作りあげました。険しい山の為に木材が運べず、ヘリコプターで運び、木材を落としてもらい、雨や雪の影響などで木材が傷んだりもしましたが、この村をゼロから作りました。最初からカメラの位置を考えて家を作ったので、山のどこに作るべきかは決まっていました。自分たちは最初テントで生活し、家ができあがってきたらそこで生活していました。セットはなくてロケセットでの撮影がほとんどです。映画の中のものは、すべてこの村の中で撮影しています。

『CUT』もそうですが、本作は特に別の場所のセットでの撮影やCGなどは全く使わず、皆で一緒にその土地に住んで服や建物もそこで作り、その土地の色になります、その新鮮さこそが大きな力になるのです。本作はセリフを使わず映像で語り、またロケーションの雰囲気や音で物語を語っています。

山を長年かけて削ったしまったということを言葉で言うのと、実際に山を削るのでは全然イメージは違いますよね?叩く音・叩く力ひとつずつを役者もスタッフも監督も感じ、そして観客も感じるような映像を作る必要があったのです。

映画『山〈モンテ〉』 © 2016 Citrullo International, Zivago Media, Cineric, Ciné-sud Promotion. Licensed by TVCO. All rights reserved.
映画『山〈モンテ〉』 © 2016 Citrullo International, Zivago Media, Cineric, Ciné-sud Promotion. Licensed by TVCO. All rights reserved.

──岩を砕く音や岩が転がる音、山自体の音も素晴らしいです。音響も担当されていますが、音響についてはいかがでしょうか?

私は、映画を撮影する時にロケーション、編集、サウンドデザインを“どうしたいのか”を決めていないと撮影を開始しません。本作の様な映画は、セリフではなくロケーションが言葉になります。まず同時に現場で音を録音し、最終的に音を足しサウンドデザインします。本作では山の所々10ヶ所以上にマイクを設置しました。現場での自然の音を録音するために音にも多くの予算を使います。音を自分でデザインするので、どこで自然の音を録音すればいいのかを把握しているため編集時には手間がかからないのです。

また私の撮影方法は黒澤監督と同じように、常に3台のカメラで撮影します。事前にカメラポジション決めるので、カメラの位置を考えながらセットを作ります。また絵コンテも描きます。なぜ3台のカメラを使用するかというと、例えば役者が山を登るカットだと、まずロングで撮影、ミディアム撮影、クローズ撮影と順番に撮影していくと、役者も疲れて新鮮な芝居ができない上に、ライティングのつながりもくずれていきます、3台のカメラで撮影することで、役者の演技の質も維持できるのです。

編集も自分でつなぐので、撮影中のすべての時に編集の事を考えています。少しのミスによって映画全体がくずれます。要するに私は、オーケストラの指揮者として、なにが完成形かを知っています。芝居の演出については、キャストと「なにを撮影したいのか」を長い時間を掛けて話し合います。最終的には役者たちに私の精神が乗り移り一心同体となります。それ故、物語の環境を用意するだけで映画が出来上がります。

私の映画は、皆さんにも伝わっていると思いますが、すべてオペラの様な作品です。映像や音響、編集も舞台の上のオペラを見ているかの様な映画を作っています。

映画『山〈モンテ〉』 © 2016 Citrullo International, Zivago Media, Cineric, Ciné-sud Promotion. Licensed by TVCO. All rights reserved.
映画『山〈モンテ〉』 © 2016 Citrullo International, Zivago Media, Cineric, Ciné-sud Promotion. Licensed by TVCO. All rights reserved.

絶対に無理だと思っても、それでもやってみる

──『CUT』も時もそうでしたが、普通なら諦めてしまう様な極限の状態の中でも諦めない主人公が登場しますが、監督のどういった部分から生まれたキャラクターなのでしょうか?

これは生まれながらの自分の性分だと思いますが、人生に対してや今の自分に対して常に問いを抱えてます。私は運がいいので自分一人で考えるのではなく、映画を通して自分の問いを皆で共有し、皆で考えることができます。主人公の諦めない性格は完全に自分の性格なのです。セリフがメインにある映画は、小説や舞台を基にしているのではないかと思います。自分は映画を作らなくてはいけないので、映画で大切なのはアクション、サウンド、ビジュアルの3つであり、この3つを使って物語を語ることができれば、本来の映画に近づくことができるのではないかと考えています。

何年も前から本作のような映画を作りたいと考えていました。黒澤監督の映画を観ているとこういう難しい映画を作る勇気が湧いてきました。長年、「できる」「できない」と自問自答してきましたが、ある時期に自分の姿を見て「本作の主人公が山を崩さないと死んでしまうと思ったように、この映画を作らないと死んでしまう」と感じた時、作る勇気が湧いてきました。この映画を完成させてないと、残りの人生は絶対無駄になると感じました。

自分が強く投影された映画が3つあります、『駆ける少年』(84)、『CUT』そして『山〈モンテ〉』です。違う時代に監督した作品ですが、その時の自分を表した作品です。『駆ける少年』では氷を炎の中に持っていくような少年でした。「CUT」ではもっと無謀な事に挑戦し、100回殴られてでも映画のために自分を犠牲にする青年になり、「山〈モンテ〉」ではもっともっと無謀な事に挑戦し、山を削って太陽の光を入れようとする男になりました。どんどん自分の首を締め、難しいことをしてきたと感じています。『CUT』が無ければ本作はなかったでしょう。

『CUT』と本作を作りあげることは容易ではなく、企画を考える技術が必要でした。例えば黒澤監督の「七人の侍」は最後の40分は、気持ちだけは出来ないのです。実際にひとつひとつのシーンを考えた上で成り立っています。当然6ヶ月間もかかっています。

『乱』では城が燃えてしまうシーンがありますが、ただ火をつけて燃やしている訳ではありません。最も難しい事ですが、実行した上で観客を魅了するシーンを作り上げなくてはいけません。自分が犠牲になってでも、自分が作っているものを必ず信じなくてはいけません。私はそういう人生をおくってきました。残念ながら今ではこの様な映画作りは少なくなってきましたが、一度この様な方法で作った作品は後世に残ります。

──観客も“絶対に崩れない山に挑んでいる男”をずっと見ていますが、最後に崩れた瞬間に“本当に崩れたんだ”と感じさせます、それがこの映画の説得力だと思います。

この映画は、山が崩れることを知っていても、山を崩すシーンを見ていると納得してくるのです。75人のキャスト・スタッフと仕事していましたが、過酷な状況の中で「本当に山が崩れるのか?」と疑問に思いながら仕事をしていたと思いますし、観客も同じだと思います。

私は最初からできると信じているとエネルギーが湧いてきませんが、絶対に無理だと思っても、それでもやってみるという事が人間には大切な事だと信じています。

(オフィシャル・インタビューより インタビュアー:岩井 秀世 通訳:ショーレ・ゴルパリアン)



アミール・ナデリ(Amir Naderi) プロフィール

1945年、イランのアバダンに生まれる。スチール・カメラマンとして活動した後、脱獄犯を主人公とする犯罪映画「さらば、友よ(Good By Friend)」(71)で映画監督デビュー。続いて殺人を犯して逃亡する男を街頭ロケを多用して描いた第2作「タンナ(Tangna)」(73)を監督。70年代イラン映画のスター、ヴェヘルーズ・ヴォスーギを主演に迎え、財産も名誉も奪われた男の壮絶な復讐を描いた「タングスィール(Tangsir)」(73)は批評家から高く評価されると同時に興行的にも成功をおさめた。その後、アッバス・キアロスタミらとともに児童の情操教育のために設立された児童青少年知育協会(カヌーン)をベースに活動。ハーモニカの所有をめぐる子供たちの争いを描いた『ハーモニカ』(74)、台詞を一切排した映像詩的な中編『期待』(74)など、独自のスタイルをもった児童映画を監督する。『駆ける少年』(84)、『水、風、砂』(89)は、2作連続でフランスのナント三大陸映画祭で最優秀作品賞を受賞。イラン映画が海外で評価されるきっかけを作った。その後、アメリカに移住し、ニューヨークをベースに活動。『マンハッタン・バイ・ナンバーズ』(89)はヴェネチア映画祭、「A,B,C, マンハッタン(A,B.C….Manhattan)」(97)はカンヌ映画祭「ある視点」部門で、『ベガス』(08)はヴェネチア映画祭コンペティションで上映された。2011年は、西島秀俊を主演に迎え、日本で撮影した『CUT』を監督。続く『山<モンテ>』(16)は全編をイタリアで撮影した。最新作はロサンゼルスで撮影され、ヴェネチア映画祭で上映された『マジック・ランタン』(18)。




映画『山〈モンテ〉』
2月9日(土)よりアップリンク吉祥寺にて公開、他全国順次公開

監督・脚本・編集・音響:アミール・ナデリ
製作:カルロ・ヒンターマン/ジェラルド・パニチ/リノ・シアレッタ/エリック・ニアリ
出演:アンドレア・サルトレッティ/クラウディア・ポテンツァ/ザッカーリア・ザンゲッリーニ/セバスティアン・エイサス/アンナ・ボナイウート
撮影:ロベルト・チマッティ
美術:ダニエレ・フラベッティ
衣装:モニカ・トラッポリーニ
装飾:ララ・シキック
録音:ジャンフランコ・トルトラ
VFX:佐藤文郎
英題:MOUNTAIN 原題:MONTE
2016/107分/伊・米・仏/イタリア語/シネマスコープ/5.1ch
配給:ニコニコフィルム

公式サイト


▼映画『山〈モンテ〉』予告編

キーワード:

アミール・ナデリ


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