映画『バーニング 劇場版』 ©2018 PinehouseFilm Co., Ltd. All Rights Reserve
『ペパーミント・キャンディー』『オアシス』『シークレット・サンシャイン』などの作品で知られるイ・チャンドン監督が村上春樹が1983年に発表した短編小説『納屋を焼く』を映画化した『バーニング 劇場版』が2月1日(金)より公開。webDICEではイ・チャンドン監督のインタビューを掲載する。
チャンドン監督はある男から「自分は時々納屋を燃やしている」と打ち明けられた主人公、という村上春樹の小説の設定を用い、舞台を現在の韓国に映し、格差社会で生きる若者の葛藤にフォーカスを当てている。ルバイトで生計を立てる小説家志望の青年ジョンスは、偶然再開した幼馴染みの女性ヘミに惹かれるようになる。ジョンスはヘミの紹介で知り合った謎めいた金持ちの男ベンからビニールハウスを燃やしているという秘密を告げられ、その後ヘミはこつ然と姿を消してしまう。インタビューでも言及されえいるが、茫漠たる不安に駆られながら暮らすジョンスの前に現れたヘミはあるとき、「ここにミカンが“ある”って思わないで、ミカンが“ない”ことを忘れたらいい」と、自分が学んでいるパントマイムのコツについて語るシーンに象徴されるように、チャンドン監督は存在の不確かさを描くことで、逆説的に「生きよ」というメッセージを投げかけている。
「村上春樹さんの作品は、非常に複雑で曖昧模糊とした世界に対応するために、必然的な文学だったのではないかと思います。それは様々な作品で様々な形で確認できます。私は村上春樹さんが描いている世界を、映画のなかに置き換えてみたかったのです」(イ・チャンドン監督)
世界のミステリーを感じてほしい
──『バーニング 劇場版』をひとことで説明するとしたら、どんな映画でしょうか。
『バーニング 劇場版』はとてもミステリアスな映画です。ミステリー、スリラーというふうに簡単にカテゴライズすることもできますが、この作品はそれに留まることなく私たちが生きるこの世の中の問題を抽出したミステリアスな話になっています。
映画『バーニング 劇場版』イ・チャンドン監督 ©2018 PinehouseFilm Co., Ltd. All Rights Reserve
──監督にとって前作『ポエトリー アグネスの詩』から8年ぶりの新作でしたが、現場はどうでしたか。
8年ぶりと言いますが、実感としてはなかったです。歳月が過ぎていくのがとても早いからでしょうか。今回は久々に若い人たちと一緒に若い人たちの物語をつくっていったので、自分の年齢を極力忘れようと努力しました(笑)。
──本年度のカンヌ国際映画祭では国際批評家連盟賞・バルカン賞を受賞、「スクリーンデイリー」で歴代最高評価を獲得しました。
最近の映画を観てみると、だんだんとシンプルになっているような感じがあり、とても観やすい映画が増えています。そして決まったストーリーを追うことに観客も慣れているような気がします。観客自身がそのような映画を望んでいるように思うのです。作り手も、そういう映画を作る傾向が強くなっているような気がします。そんな中、私はそういった流れに逆行したいという思いがありました。映画を通して、生きること、人生とは何か、世界とは何かということを問いかけて、そして自分なりに考えてほしいという思いから描きました。つまり映画を通して観客のみなさんに新しい経験をしてほしい、新しい問いかけを受け止めてほしい、そして世界のミステリーを感じてほしいという思いがありました。
ただしそれはとても難しい作業ですし、観客のみなさんにとっても慣れない経験ですので、どのように受け止めてくださるのか気になっていました。カンヌ国際映画祭は一般の観客のみなさんというよりも、専門家の方がたくさん来てくださっていますので、評価の点数を気にすることにあまり意味はないかもしれませんが、こういった良い評価をいただけて、反応が良かったのでとても安心しましたし、嬉しかったです。日本ではこれから公開を迎えるのですが、観客のみなさんがどのように受け止めてくださるのか、そしてこの新しい経験を楽しんでくださるのか。ぜひ楽しんでほしいと期待しています。
映画『バーニング 劇場版』小説家志望の主人公ジョンスを演じるユ・アイン ©2018 PinehouseFilm Co., Ltd. All Rights Reserve
──村上春樹の短編「納屋を焼く」が原作ですが、どのような流れで映画化するに至ったのでしょうか。
そもそもは日本のNHKから「村上春樹さんの短編のなかから一本選んで映画を撮ってみませんか」と声をかけてくださいました。ただ、私はそのとき別のプロジェクトも抱えていて、いろいろと悩んでいた時期でしたし、村上春樹さんの作品の世界観を私が映画化するのは難しいのではないかと思い、実は一度そのようにお伝えいたしました。すると「ではプロデューサーとして参加するのはどうですか」と言っていただきまして、それならば他の若い監督に映画を撮るチャンスを届けられると思って快諾しました。
ところが製作がなかなかうまく進まず、その矢先に私と今まで一緒に作品を作ってきた脚本家のオ・ジョンミから「納屋を焼く」を原作として映画を撮ってみたらどうか、という提案をもらいました。その時は実は意外な気がしました。でも、もう一度この作品を読み返したとき、これまで『ポエトリー アグネスの詩』以降に私が悩んでいた問題とリンクする部分があると感じました。
「納屋を焼く」はミステリアスな事件を追う短い物語で、結末は明かされておらず曖昧模糊とした感じなのですが、この小さなミステリーを拡大させることができるのではないかと考えました。これを拡大させてたくさんのミステリーを何層も重ねていって、世界のミステリー、人生のミステリーにまでつなげていけると思って映画にすることにしました。小説を私の映画にする場合は、どんな作家の小説であっても、一読者としての視点を捨てて、自分の作品として出発しなければなりません。そのため、いつもと変わらず、一本の映画を制作するために悩みながら作業しました。
映画『バーニング 劇場版』 ©2018 PinehouseFilm Co., Ltd. All Rights Reserve
見えるものと見えないものの境界にある秘密を描く
──チョン・ジョンソが演じるヘミが「ここにミカンが“ある”って思わないで、ミカンが“ない”ことを忘れたらいい」とパントマイムについて語るシーンは、原作の優れた解釈であり、映画でしかできないことをやりたいという意欲を感じました。このシーンに込めた想いをお聞かせください。
あのシーンは映画の序盤に出てきます。パントマイムをする人たちの話である一方で、それは私たちが生きていくうえで、人生の大切な問題を語っているのではないかと思いました。普段は目に見えるものだけを受け入れて生きているのですが、目に見えないものも受け入れて、“ない”ことをただ忘れるということよりも、“ない”ことを忘れるということがとても切実なことなんだと考えていけば、とても健全な人生になるのではないかと思いました。それが現実の領域であっても、信じることの領域であっても、愛や希望の領域であっても、そういうことはとても必要なことではないかと思いました。
この映画はミステリー、あるいはスリラーの枠を持っていますが、目に見えるものと目に見えないものの境界にある秘密やミステリーを描いている映画とも思ったので、映画の序盤からそんなシーンを入れることにしました。三人の主な登場人物の中で唯一女性であるヘミが、そういった気持ちを持って主体的に生きているというところを見せたいと思ったのです。ヘミはとても辛い人生を生きているのですが、彼女なりに主体的に人生を生きる意味を捜して、真の自由を得ようとする、そういう人物であるということを見せたいと思いました。
映画『バーニング 劇場版』主人公ジョンスの幼馴染みヘミを演じるチョン・ジョンソ ©2018 PinehouseFilm Co., Ltd. All Rights Reserve
──監督は作家として活動していた時期もありますが、村上春樹さんの文学としての特徴はどのようなものがあると感じていますか。物語で、フィッツジェラルドやフォークナーが触れられていますが、監督自身は文学全体をどのように捕らえていますか。
文学について語るのは私にとって難しいことではありますが、私自身、1980年代には作家として活動していました。もちろん村上春樹さんのように世界的に有名な作家でもなければ影響力のある作家でもなかったのですが、1980年代という時代は韓国の作家にとってはとても辛い時期にあたります。みんなが苦しんでいた時代でした。政治的に社会的に非常にたくさんの事情を抱えていて、社会全体が全力でその矛盾と戦っているような時代でした。だから文学も、現実を反映させたり、現実を変えるために何か小さな役割でもいいから果たしたいとみんなが思っていた時期でした。
ですので、作家としてはそのような作品を書くために努力をしたんですけれども、一方で、想像力を働かせるということにおいては自己検閲が必要になってきました。果たして自分は有効な文学を作れているか、自問自答するような時期でもありました。そう考えると、その時代は作家にとって有利な時代ではなかった気がします。そして1980年代を過ぎていき、1990年代になるとまた新しい風が吹いてきました。文学の世界においても自由な想像力をもって新しい文学をスタートすることができるような時期になったのです。そういうときにわたし個人的にもそうですし、大勢の人もそう思っていると思うんですが、とても影響力のある村上春樹さんという作家と出会うことになりました。
映画『バーニング 劇場版』謎めいた金持ちの男ベンを演じるスティーブン・ユァン ©2018 PinehouseFilm Co., Ltd. All Rights Reserve
韓国では村上春樹さんのことを“ハルキ”と名前で呼んでいます。これはひとつの愛称を超えて、ひとつの現象になっています。固有名詞というよりも、一般的なひとつの名詞のようにみんなに使われていて、そして洗練された人生、クールな人生を象徴してくれるような存在でした。わたしにとっても今までの文学と違う新しい文学だという印象を覚えました。村上春樹さんの文学というのは表向きにはとても洗練されていて、自由な世界を描いているように見えるのですが、ただ単にそれだけではなくて、非常に複雑で曖昧模糊とした世界に対応するために、必然的な文学だったのではないかと思います。それは様々な作品で様々な形で確認できます。私は村上春樹さんが描いている世界を、映画のなかに置き換えてみたかったのです。
映画『バーニング 劇場版』 ©2018 PinehouseFilm Co., Ltd. All Rights Reserve
主人公の男二人の共通点は「空虚感」
──女性の描き方については、どのようなことを意識されましたか。
原作でもそうだったのですが、女性が途中でいなくなります。そしてその女性を探す物語という構造があったのですが、そういうプロットは昔から繰り返し使われていました。でも私は、単にそのストーリーだけに囚われたくないと思いました。ヘミはいなくなりますが、必ずしも受け身の女性ではない、と位置付けたかった。ヘミは二人の男性の間にいるような立ち位置で、その二人の男性のうちの一人は、物質的な豊かさを享受していて、でもどこか満足できていないところがある男ベン。そしてもう一人の男、主人公のジョンスは不安な自分の未来を知っているからこそ、物質的な貧困のなかで無力感を感じている男性です。そんな二人の共通点に空虚感があります。
ベンとジョンスは、今の若い男性の両局面を表している気がします。そしてヘミ自信は生活が苦しくてカード破産をしているのですが、でも三人のなかで唯一彼女だけが人生の意味を探していて、人生の真の美しさを求めているのです。ヘミが姿を消す前に夕日を見ながら人生の意味を求めているという“グレートハンガー”のダンスを踊るシーンを入れたのは、映画的に非常に強いイメージが必要だったからです。ヘミの行方を二人は追うのですが、観客のみなさんには彼女は何を求めているのか、そしてヘミというのはどんな女性なのか、そういう問いかけをしてほしいと願っています。
映画『バーニング 劇場版』 ©2018 PinehouseFilm Co., Ltd. All Rights Reserve
──ユ・アイン、スティーブン・ユァン、チョン・ジョンソという三人の演技はいかがでしたか?
まず、ジョンスを演じたユ・アインの場合はとても難しい演技だったと思います。アインがこれまで強烈なキャラクターで強烈な感情や表情を出す役をやってきましたが、この作品ではそういった強烈さはほとんど見られません。ジョンスは内面に何かものすごいものを秘めていて、表から見ると無力に見え、感情を出さないで表現をしなければならない青年です。だから必要なのはとてもデリケートな感情表現なのです。感情を表に出さないで表現するというのはとても大変です。
ベンを演じたスティーブン・ユァンは完璧な韓国人です。そしてそれを知りえない韓国人です(笑)。ベンの完璧なニュアンスを見せてくれました。何を考えているか分からない人物と、状況によってユァンさん自身の姿をバランスよく交えて演じています。
そしてきっとどんな経験を積んだ女優さんでも、難しい役どころをチョン・ジョンソさんは見事に演じ切ってくれました。あの役は彼女以外にはできないでしょう。
(オフィシャル・インタビューより)
イ・チャンドン(Lee Chang-dong) プロフィール
1954年韓国大邱(テグ)生まれ。1997年に『グリーンフィッシュ』を製作、監督デビューを果たす。 監督・脚本を手掛けた2作目、『ペパーミント・キャンディー』(99)は、NHKとの共同製作作品で、98年秋に韓国において日本映画が部分解禁されて以降最初の日韓合作となった。『オアシス』(02)は、第59回ヴェネチア国際映画祭で監督賞に輝く。2007年、5年ぶりとなる新作『シークレット・サンシャイン』を発表。第60回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、チョン・ドヨンに主演女優賞をもたらした。『ポエトリー アグネスの詩』(10)は、第63回カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞。『バーニング 劇場版』は8年ぶりの作品となる。
映画『バーニング 劇場版』 ©2018 PinehouseFilm Co., Ltd. All Rights Reserve
映画『バーニング 劇場版』
2019年2月1日(金)TOHO シネマズ シャンテほか全国ロードショー
監督:イ・チャンドン
原作:村上春樹「蛍・納屋を焼く・その他の短編」(新潮文庫)
出演:ユ・アイン、スティーブン・ユァン、チョン・ジョンソ
2018年/韓国/カラー/148分
国際共同制作 NHK
配給:ツイン