骰子の眼

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東京都 渋谷区

2019-01-18 22:00


圧倒的な映像美で映画史を変えた女性の数奇な人生、ドキュメンタリー映画『レニ』

1/19(土)よりアップリンク渋谷にてリバイバル上映 渋谷哲也氏×佐藤寛朗氏対談
圧倒的な映像美で映画史を変えた女性の数奇な人生、ドキュメンタリー映画『レニ』
映画『レニ』©OMEGA FILM GmbH/NOMAD FILMS 1993

『オリンピア』『意志の勝利』などを手がけた監督で、女優、ダンサー、写真家などさまざまな分野で活動し「20世紀を4回生きた」と形容されるレニ・リーフェンシュタールの足跡をたどったドキュメンタリー『レニ』が1月19日(土)よりアップリンク渋谷にてリバイバル上映される。公開を記念して、webDICEではドイツ映画研究家の渋谷哲也氏とNEONEO編集室の佐藤寛朗氏がレニについて語る対談を掲載する。


「スポーツ撮影をいかに魅力的に見せるかという意味ではレニは画期的ですね。ただありのままを記録しただけではなく、カメラの前で被写体が演技をしているのもわかる。『意志の勝利』の演説シーンでも明らかに別撮りと分かるカットがあります」(渋谷哲也氏)

「映画『レニ』は戦後50年間、彼女が考えてきたことが、様々な批判に対する答えも含めて、よく出ている作品だと思う。その上でファシズムとも言い切れない、芸術とも言い切れないアウラのようなもの―彼女は“芸術だ”と言い切っていますが―、果たしてそうなのか? という疑問を常に差し挟めるのが、この映画の面白さであり、ひとつの楽しみ方であると思う」(佐藤寛朗氏)


レニ没後16周年

佐藤寛朗(以下、佐藤):この対談に備えて、ウィキペディアでレニ・リーフェンシュタールの情報をみたんですが、ほとんど映画『レニ』の内容をそのまま、載せている感じにみえました。改めて、この映画の情報の豊かさを感じました、僕がこの作品に最初に触れたのは2003年。遺作となった『ワンダー・アンダー・ウォーター 原色の海 』(※1)とレイ・ミューラー監督の『アフリカへの想い』』(※2)が上映されていて、その併映だったと思います。レニに対して「100歳で現役なんて、すごいおばさんだなあ!」と驚いた反面、映像世界に対しては、ある種の美学的な一貫性や怖さとか感じました。今、レニ・リーフェンシュタール監督没度16年というタイミングで改めて劇場公開されるわけですが、渋谷先生の『レニ』との出会いはいつ頃ですか?

渋谷哲也(以下、渋谷):自分が『レニ』をみたのは90年代半ば。ドイツに留学中、友人たちと見に行ったんだけど、一緒にいった友人たちは、彼女のことを全否定。「いかに自分が生きのびるために過ごしてきたか」と批判していた。自分は、彼女はドイツの映画を語るときに欠かせない監督だと思うけど、戦後ドイツではナチの遺産で商売してはいけないと法律でも決まっていて(※3)、レニの映画をみること自体も困難だし、ニュートラルにみるのは、今でも難しい状況。ただ、彼女を一人の映画監督としてみた時に、人を操作するたくましさ、したたかさ、ある種の野獣みたいなパワーをもった監督だと思います。

佐藤:言い逃れで生き抜いちゃった人というところで、同じく戦後を生きた人から批判されている部分もあるんでしょうね。この映画が日本で初公開されたのが、1995年、丁度戦後50周年のタイミングです。当時の資料をみると、ナチに加担した人という厳しい目線も強かったように思えます。

渋谷:レニが101歳で亡くなって、ふと気が付くと、彼女の話題をほとんど聞かなくなりました。彼女は生きている間、自分に関することには必ず首を突っ込んできた。例えば、ハリウッドで彼女の伝記映画が製作されようとした時も、ジョディ・フォスターがレニを演じる予定(※4)だったのですが、本人が関与して頓挫したと聞いています。彼女の死後、話題がなくなったのは、いかにレニが自分を売り出そうとしていたか、時代に自身のモニュメントを残したいと願っていた証ではないかと思います。

佐藤:彼女の残した映画技術は、ドキュメンタリー映画史の本に必ず登場していますね。『意思の勝利』(1935年)(※5)しかり、『オリンピア』(1938年)(※6)も、絶対にみるべき映画!という。

映画『レニ』
映画『レニ』©OMEGA FILM GmbH/NOMAD FILMS 1993

渋谷:そういえば「NUBA レニ・リーフェンシュタール写真展」(※7)が1980年に、渋谷の西武美術館で開催されていたけど、圧倒的に魅せる企画で印象深かった。

佐藤:「レニ・リーフェンシュタール写真集 ヌバ」(※38)も1980年に、当時イケイケだったパルコ出版から出ていた。そういうところ、時代とのリンクのうまさを感じますね。

渋谷:彼女はメディアで自分のイメージをつくるのが本当にうまい人だと思います。その点では生粋の演技者であり演出家ですね。

レニ監督を演出するミューラー監督

渋谷:この映画におけるレイ・ミューラー監督(※9)の彼女に対するアプローチは上手ですね。彼女に対する批判はこれまで延々と繰り返されてきたので、改めてあからさまな詰問はしない。

佐藤:そうですね。だけど、しれっと、核心をつくことをいってる。気が付いたらメイキング的な、一歩引いた目線にカメラアングルが変わっていたり、監督も画面に登場したりする。レニは核心をつかれると、カメラでいちいち怒り出しますよね。

渋谷:そういう舞台裏的なところを本編に入れるのを、よく彼女が許したなと思う。想定内だったのか、別に平気だったのか。

佐藤:ミューラー監督は、日本でいえば、全共闘時代(※10)ですよね。彼の時代の批評的な目線は、この映画を語るときに大事なことではないかと思うんですが。

渋谷:何年生まれでしたっけ?

佐藤:1948年生まれですね。

渋谷:ニュー・ジャーマン・シネマ(※11)の世代ですね。

佐藤:いろんな監督が、彼女の映画を撮りたくて企画を出したらしいですが、なぜ、ミューラー監督はOKが出たんでしょう。

渋谷:真実はどうだったのか、と彼女を糾弾するような企画には辟易していたんじゃないでしょうか。過去には彼女をひたすら肯定的に書く伝記作家もいて、肯定派と否定派の差は非常に極端です。利用しようとして近寄ってくる人も多かっただろうし、取材だけして去っていく人もいて、彼女も猜疑心が募っていたはずです。その点ミューラーなら信頼できると思ったんでしょう。いずれにしても彼女の映画を撮るとなると、単にナチスのプロパガンダ作家と見なすのは一面的すぎるし、逆に彼女の自己正当化の発言をそのまま流すわけにもいかない。そういえば、レニ自身が書いた自伝がありますよね。

佐藤:1985年刊の「回想―20世紀最大のメモワール」(※12)ですね。

渋谷:レニはこれを出版した後だったから、この映画に取り組むことができたのだと思う。戦後すぐに連合軍に捕えられ、非ナチ化の審理を受け、数多くの訴訟をこなし、その後もカムバックしようとする度に強烈にバッシングされました。その意味では、自伝を書いたことで自分の人生を整理して、表向きに公表できるような自分史を作り上げたのではないでしょうか。今まで受けた批判について、自分なりの反論も含めて、この質問にはこう答えようと、シナリオを書いてそれを演じるようなものです。

渋谷:レニがアフリカの海を撮った『ワンダー・アンダー・ウォーター/原色の海』の完成前の映像も引用されていますが、ミューラー監督はレニの本編にはないコメントを入れています。「海の環境破壊は進んでいる」とか、「エイの尻尾の棘には致死の猛毒がある」とか。

映画『ワンダー・アンダー・ウォーター 原色の海』
映画『ワンダー・アンダー・ウォーター 原色の海』

佐藤:迫力のあるショットを撮るために、レニ達がサメもわざとおびき寄せている、みたいな。演出の悪意みたいなものを感じます。

渋谷:ミューラー監督のコメントは、レニの映画が<リアル>ではないことを、さりげなく教えてくれている。

佐藤:この映画の面白さのひとつは、レニの言動に突っ込みどころ満載なんだけど、その突っ込みどころを隠さずに、ミューラー監督が実直に突っ込んでいるところ。レニ自身がつくった神話に対して、ミューラー監督が批評を加える、というのが、この映画の基本的なスタンスではないかと感じました。ミューラー監督のキャラクターがあってこその作品ですよね。彼女は、この映画をどうみていたんでしょう。

渋谷:やっぱり他人の監督作にはあまり興味がなかったのかも。

美の追求のためならば―

渋谷:この映画で、彼女の編集作業がみられたのは収穫でした。彼女が一貫して、自分にとっての美しいものを追求している姿、彼女の方針がわかる。明るくて、強いものへの偏愛。彼女はそれを基準として、映画を作り続けてきたわけです。彼女は「政治には興味がなかった」と生前言い続けてきましたが、彼女の没後刊行された評伝「レニ・リーフェンシュタールの嘘と真実」(※13)で彼女が生前口をつぐんでいたことについても多くの資料が紹介されている。ただし、一方的に<彼女は嘘つきだった>という誹謗中傷の本ではなく事実に即した客観的な記述で貫かれています。ナチに協力した人は当然数多くいました。戦後、返り咲いた人もいれば、悲惨な末路を送った人もいる。彼女はそんな数多くのドイツ人のひとりだと気づかせてくれる。そしてなぜ彼女ばかりが話題になり続けたのかということも分析されている。彼女が戦後半世紀に発表した作品は極めて少ないのに、アフリカを何度も訪れたり、水中撮影をしたり、好きなことができた。それは彼女の才能をサポートしてくれる人がいたからです。彼女は若い時から自己顕示欲が強かったので親しい友人はいなかったようですが、周囲にアピールする行動力には長けていました。しかも映像においては素晴らしい成果をもたらす人物だから、人間的には難があっても、認めざるをえない。

佐藤:そういえば、彼女は常に大きな資金を映画にかけています。彼女のプロダクション(※14)製作ということで。

渋谷:それはトリックですね。特にナチ体制下では、本当はナチ党が資金を出しているのに、彼女の会社で製作したことになっている。政府が映画に直接関与したのではないと装うための隠れ蓑ですね。彼女はそれを利用して、戦後になっても自分の会社でつくった映画だからその所有権を主張しています。『意志の勝利』等の映像が二次使用される場合についても、自分に使用料を支払うように主張している。

映画『意志の勝利』
映画『意志の勝利』

佐藤:戦後は、どうやってお金を工面していたんだろう。膨大なフィルムや、アフリカに何度も通うとか。

渋谷:彼女にいい作品を作らせたい人は世界中にいて、そうした援助を得るのがうまかったのでしょう。

佐藤:そして、ひっぱってきたのが、たまたまヒトラーだった、と。

渋谷:彼女の売込のエネルギーは凄かったらしい、独裁体制の中でも権力者相手に屈託なく交渉して、物怖じしない。本当にたくましい。

佐藤:彼女は資金だけではなく、編集にも時間をかけますよね。自分の納得する作品をつくる体制については、戦前戦後一貫して、担保できていた。

渋谷:ある意味では作家の鑑だと言えますね。納得するまで時間をかける。撮影に適した天気になるまで粘るから、撮影チームには嫌がられたり、出資者には迷惑がられていたらしい。でも戦後はドイツ以外のアメリカや欧州からの依頼はきていたらしい。第二次大戦中に撮影された『低地』(※15)という山岳映画を戦後完成させる際、イタリアからも資金が出ていたようです。

映画『レニ』©OMEGA FILM GmbH/NOMAD FILMS 1993
映画『レニ』©OMEGA FILM GmbH/NOMAD FILMS 1993

NHK「映像の世紀」

佐藤:レニが公開された1995年、NHKでも「映像の世紀」(※16)というドキュメンタリーシリーズを放映していて、彼女も取り上げられていました。レニのナチに対する所業は、そちらで触れた記憶の方が早いですが、人間はどうしようもなく時代に流されるのだと感じたのを覚えています。

渋谷:とはいえ時代に翻弄されたというなら、20世紀で目立った活躍をした人はみんなそうじゃないか。時代の中でレニはどんな立場にいて行動したのかと考えることが、21世紀になった今だからこそ大事なことだと思う。「映像の世紀」で紹介するときは、“ナチ党のプロパガンダ映画を撮った人”として紹介される。でも彼女の撮った映画を、映画史という大きなパレットで見た時、“ナチス・ドイツの政治宣伝を題材にして『意志の勝利』という時代のドキュメントを生み出した、という見方もあると思う。

佐藤:彼女自身の作家としてのプロパガンダに国家主義的なものが融合されてくる、というか。

渋谷:レニという人物の政治的スタンスは当時の一般人と大差ないことだと思えます。ヒトラー崇拝も含めて。おそらく彼女は、敗戦とナチ体制終焉によって、自分の立場がどうなるかなど考えてなかっただろうし、彼女の中ではナチ時代は自分史の一部であるわけです。そもそも彼女はナチ時代にキャリアを築いた典型的なドイツ人だったと思う。後になって都合の悪いことは覚えていないと主張する。そして戦争が終わったら自由に映画が作れると思っていたら、そうはいかなかったというわけです。

技術に対する情熱

佐藤:映画『レニ』では、映画技術に対して、本人が雄弁に語っていますよね。『オリンピア』の飛び込みの逆回転撮影とか。

映画『オリンピア』
映画『オリンピア』

渋谷:全てが彼女の発明ではないにせよ、スポーツ撮影をいかに魅力的に見せるかという意味では画期的ですね。ただありのままを記録しただけではなく、カメラの前で被写体が演技をしているのもわかる。現代は作為的なことに敏感な風潮があるように思いますが、1930年代、40年代のドキュメンタリー映画は、そこに意図的な演出が施されていても、あまり問題なく受け入れられたのかもしれません。『意志の勝利』の演説シーンでも明らかに別撮りと分かるカットがあります。

佐藤:初期のドキュメンタリー映画は、ロバート・フラハティ監督(※17)でも再現や別撮りといった表現方法が使われていますよね。レニはそこに、ある種の美的感覚を織り交ぜる。

渋谷:あくまでも映像作品としての完成度が第一ということですね。それにレニは自身がダンサーであり、スポーツ万能だったから、演じる側、その身体表現を理解しながら魅力を引き出すように撮っている。『意志の勝利』の党大会の様子でも、ただ大人数の整列という表層性では見ず、リズムと運動の美を見出そうとしていたのでしょう。『オリンピア』のマラソンで選手の走る足元を見下ろすカットがあり、スローモーションの映像は選手の疲労や焦りを表現しているように見えます。普通に考えたら、スポーツ大会の記録映像としてはあり得ないカメラポジションで、選手の身体だけでなく心理に肉迫しようとしている。

佐藤:しかも彼女は音楽も使って、盛り上げていますよね。

渋谷:マラソンのくだりで、走者の視界の光景が流れていくか如く、道端の雑草のカットを入れたりしている。まるでドラマのような表現です。それがオリンピックの記録映画として発表される。彼女の映像が捉える身体性は、ナチ党の政治宣伝の道具とは簡単には言い切れない。もっとプリミティヴに強いもの、勝利するものに対する偏愛が表われている。

佐藤:その偏愛は当時はファシズムと紐付けされて語られましたが、今でも彼女の映画についての前情報がなく見ると、ある種の様式美に対するヤバさというか、危険な匂いを感じてしまう。それは何故なんでしょう?

渋谷:それは20世紀初頭の前衛芸術の辿った道を考える必要があります。芸術の歴史の問題です。伝統や規則に縛られた古典芸術に対し、新しい時代の芸術には解放的な契機があり、そうした芸術の解放性に対するバックラッシュのように反動的なナチ時代が来ます。いったん伝統のくびきを外したところで自由を謳歌し。それが第一次大戦の敗戦と重なり、ワイマール期という混乱と流動性の時代(※18)となるわけです。その反動として規律と排外性の時代になり、当時の前衛芸術家もそうした時代の変遷の中で変容していきました。レニ本人もそもそも古典的な秩序からの解放を目指したモダンダンスの踊り手であり、男たちに交じって山岳に挑む唯一の女優でした。

映画『レニ』©OMEGA FILM GmbH/NOMAD FILMS 1993
映画『レニ』©OMEGA FILM GmbH/NOMAD FILMS 1993

作品に君臨する“指揮者”レニ

佐藤:ある種の集団への再統合も語られていませんか? 彼女が女優として世に出るきっかけとなった山岳映画(※19)というのは、ドイツ独特のジャンルだと思うんですが、どうしてこういうジャンルが出来たのでしょう?

渋谷:山岳映画はある意味でまさにドキュメンタリー的です。「ドイツ映画零年」(※20)でも触れましたが、山が好きな仲間たちで集まって作った自主映画として始まりました。ただ登山してスキーを楽しむという作品ではなく、第1次大戦敗戦のトラウマや都会の忌避と自然崇拝、新しい身体文化などの要因が重なり合って、山という壮大な対象に向かって自己鍛錬する男たちの姿を描いている。

佐藤:ドイツ的、ピューリタン的ですね。

渋谷:ある種の超人思想も感じさせるし、心身の鍛錬という軍国主義的な思想につながるところもあるかもしれない。ただし当初の山岳映画には濃厚だった厳しい鍛錬により高みを目指す精神性は、レニの監督作には引き継がれていません。彼女の初監督作品『青の光』(※21)を見ても、美しい自然と人間の交流がテーマであり、登山のリアリズムとは無縁なメルヘン的な美しさで観客を魅了する。どちらかといえば、ディズニーに近い感触がある。彼女の映画にある要素全てがナチのプロパガンダやいわゆるドイツ的な思想と結びついているわけではなく、むしろその本質はアメリカ映画のような娯楽性に親和性が高いと思う。

佐藤:そこが彼女の映画の魅力ですね。

渋谷:ナチ時代には、資金も機材も人材も湯水のように消費して、贅沢な作品をつくった。だけど、ナチ党に奉仕するために作品をつくってはいない。君臨しているのはレニ監督です。『意志の勝利』ではヒトラーと国民の関係を記録しているけど、あくまでもレニが演出の采配を振っている。彼女ではなく、例えばフリッツ・ラング(※22)のような男性監督が、『意志の勝利』や『オリンピア』を撮っていたら、あれほど素朴で陶酔的な映像になったかどうか疑わしいと思う。

佐藤:もっと政治色が顕著に出ていたでしょうね。彼女のもっている映画のアウラ、彼女がいうところの美の追求を、レニの映画には何より強く感じる。

渋谷:彼女の作品には強い男性身体への愛着が露骨に出ている。それをあれほどストレートに作品で表現できたのは、彼女が女性であり、異性愛的な欲望の発露であったからこそともいえる。その反面、彼女は自分以外の女性美は追わない。しかも『オリンピア』冒頭の女性の裸体はいわゆる健康な自然美を志向している。もちろん実際はポルノ的な鑑賞対象になったとしても、表向きはナチス・ドイツのジェンダー観にマッチしていた。

映画『レニ』©OMEGA FILM GmbH/NOMAD FILMS 1993
レニとヒトラー

映画『レニ』は語る

佐藤:映画『レニ』は戦後50年間、彼女が考えてきたことが、様々な批判に対する答えも含めて、よく出ている作品だと思う。その上でファシズムとも言い切れない、芸術とも言い切れないアウラのようなもの―彼女は“芸術だ”と言い切っていますが―、果たしてそうなのか? という疑問を常に差し挟めるのが、この映画の面白さであり、ひとつの楽しみ方であると思う。芸術かファシズムか、という両義性が切り離せないから、映画を真に受けられない。やばいものがいっぱい写っている映画とも言えると思います。その感覚的な部分は、どんなに彼女のことをウイキで調べても分からない。この映画をみなければわからないです。

渋谷:今の政治の舞台でも、平気で嘘をつく人が登場しますが、人は言葉になったものをつい信じてしまう。彼女については風評被害的に周囲から誹謗中傷を受けすぎているようなところがあって、そうした紋切り型の非難や擁護論を振り払って、改めて評価しなければならない時がきていると思う。単純に「映像に圧倒された」とか「かっこいい動きだ」という見方を否定することなく、大局的な評価も必要です。つまりその圧倒的な映像美がどんな働きをしたのか。大切なのは、徹底して批判的な視点をもって観ることです。とにかく、魅了されることを恐れず彼女の作品に触れることです。

佐藤:それって、悪魔のささやきですね。

※1『ワンダー・アンダー・ウォーター 原色の海 』2002年/ドイツ
製作・監督・撮影・編集:レニ・リーフェンシュタール/音楽:ジョルジオ・モロダー
71歳の時、ダイビングのライセンスを取得したレニが、膨大な映像を基に説明やナレーションを排し、美しい海の世界をありのままに映し出していく驚異と感動の海中映像詩。
※2『アフリカへの想い』
 2000年/ドイツ
監督:レイ・ミューラー/出演:レニ・リーフェンシュタール/ホルスト・ケットナー
 アフリカに心を奪われた了された彼女は、1962年、ヌバを訪れた。純粋な心で受け入れてくれたヌバを愛し、以来毎年訪ねるようになったがー。本作は、2000年、彼らとの再会を果たすため、98歳になるレニの旅を追ったドキュメンタリー。
※3 戦後ドイツではナチの遺産で商売してはいけないと法律でも決まっていて「ドイツ刑法典130条」の民衆扇動罪で禁止されている。ヒトラーやナチスドイツを礼賛したり讃美したりする言動が禁止されているのはもちろん、ナチス式の敬礼やナチスのシンボルを見せることも禁止。
※4 ハリウッドで映画化の話が出た時も、ジョディ・フォスターがレニを演じたいとスティーブン・バック『レニ・リーフェンシュタールの嘘と真実』より
※5『意思の勝利』1935年/ドイツ
 1934年にレニ・リーフェンシュタール監督によって製作された記録映画。同年に行われた国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP, ナチ党)の第6回全国党大会の記録。
※6『オリンピア』1938年/ドイツ
 二部作からなる、レニ監督によるベルリンオリンピックの記録映画。日本では『民族の祭典』および『美の祭典』として公開された。
※7「NUBA レニ・リーフェンシュタール写真展」
 1980年5月31日~6月24日、西武美術館にて開催。 ※8「レニ・リーフェンシュタール写真集 ヌバ」
 1986年/パルコ出版局発刊。 ピーター・ビアードや作家・虫明亜呂無が文章を寄稿し、構成はパルコ文化を代表するデザイナー・石岡瑛子(1938-2012)が担当。
※9 レイ・ミューラー監督
 1948年生まれ。映画監督、脚本家、映画プロデューサー、著作家。
※10 全共闘時代
 1965年~1972年、全共闘運動・安保闘争とベトナム戦争の時期に大学時代を送った世代。
※11 ニュー・ジャーマン・シネマ
 1960年代後半から始まって1980年代に入るまで続いたドイツにおける映画監督の新世代の出現の時代。ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー、ヴェルナー・ヘルツォーク、アレクサンダー・クルーゲ、フォルカー・シュレンドルフ、マルガレーテ・フォン・トロッタ、ハンス=ユルゲン・ジーバーベルク、そしてヴィム・ヴェンダースといった映画作家たちがその担い手であった。
※12「回想―20世紀最大のメモワール」
 レニの自伝。1995年07月文藝春秋社より発売。のち文春文庫にて発売。
※13 評伝「レニ・リーフェンシュタールの嘘と真実」
 スティーヴン・バック著/2009年7月、清流出版より発売
 徹底した取材と資料集めによって、ナチス信者の汚名と闘いつづけたその生涯を、80点の写真とともにたどる。
※14 彼女のプロダクション
 レニ・リーフェンシュタール・プロダクション
※15 映画『低地』
 戦前から準備を進めていた劇映画。1944年に完成。
※16 NHK「映像の世紀」
 第二次世界大戦の戦後50周年とNHKの放送開始70周年、そして映像発明100周年記念番組と銘打たれて制作・放送されたドキュメンタリー番組。
※17 ロバート・フラハティ監督
 1884年~1951年/アメリカ合衆国の記録映画作家、映画監督。ドキュメンタリー映画の父として知られる。
※18 ワイマール憲法の時代
 1919年に発足して1933年に事実上崩壊した戦間期のドイツ国の政体。政治体制は1919年8月に制定・公布されたワイマール憲法に基づいている。憲法の社会政策と第一次世界大戦の賠償両面で財源を確保すべく、独占による産業合理化を推進したが、失業者の数は1932年夏には600万となった。
※19 山岳映画  1920年代から1930年代の期間に、盛んに製作された。アーノルド・ファンク監督作品が有名。 彼の山岳映画第1作「運命の山」をモダンダンスのダンサーだったレニが見て感激し、ぜひ山岳映画に出演したいという切望し、彼女のために書き下ろしたのが映画『聖山』の脚本。
※20 「ドイツ映画零年」
 本対談のゲスト渋谷哲也さん著。共和国出版より発売中。
※21『青の光』1932年/ドイツ
脚本・監督:レニ・リーフェンシュタール/バラージュ・ベーラ
 レニの初監督作品。
※22 フリッツ・ラング 1890年~1976年/オーストリア
 大長編の犯罪映画『ドクトル・マブゼ』(1922年)、SF映画の古典的大作『メトロポリス』(1927年)、トーキー初期のサスペンス映画『M』(1931年)など、サイレントからトーキー初期のドイツ映画を代表する作品を手がけた。



渋谷哲也 プロフィール

東京国際大学国際関係学部教授。専門はドイツ映画研究。ドイツ映画の字幕翻訳多数。自らマイナーなドイツ映画上映を企画。 著書に、『ストローブ=ユイレ シネマの絶対に向けて』(編著、森話社、2018年)、『ドイツ映画零年』(共和国、2015年)、『ファスビンダー』(編著、現代思潮新社、2005年9月)などがある。

佐藤寛朗 プロフィール

大学在学中に原一男の「CINEMA塾」を受講したことからドキュメンタリーに目覚め、ドキュメンタリーの専門雑誌「neoneo」には、2012年の創刊時から編集に携わる。TV番組制作の仕事も手がけ、初演出作品『にっぽんリアル 38歳自立とは?』(NHK)は、シカゴ国際映画祭テレビ賞奨励賞を受賞した。




映画『レニ』©OMEGA FILM GmbH/NOMAD FILMS 1993

映画『レ二』
1月19日(土)よりアップリンク渋谷にて公開

脚本/監督:レイ・ミュラー
1993年/BD/カラー/188分/ヴィスタ・サイズ
提供:パンドラ+ワコー

公式サイト

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