映画『生きてるだけで、愛。』 ©2018『生きてるだけで、愛。』製作委員会
芥川賞作家・本谷有希子の同名小説を趣里と菅田将暉の主演で映画化した『生きてるだけで、愛。』が11月9日(金)より公開。webDICEでは先日公開されたドキュメンタリー映画『太陽の塔』に続き、初の長編劇映画として今作を手がけた関根光才監督のインタビューを掲載する。
躁鬱病を抱え過眠と闘う主人公の女性・寧子とその恋人・津奈木の物語について関根監督は今回のインタビューのなかで「映画におけるキャラクターを再発見して、セリフをその人たちが喋っている言葉にしなければならなかった」と語っている。その言葉の通り、寧子役の趣里は、画面からはみださんばかりの躍動でもって、自身の性癖と格闘しそして恋人や兄弟を含む他者へ容赦なく毒づく女性として「生きている」。どんな相手でも鋭利な言葉で手加減なくぶつかっていく寧子に対し、心に抱えた空虚を隠さず対応する津奈木。ストーカーまがいの行動で寧子と津奈木を別れさせようとする津奈木の元カノ・安堂をはじめ、ふたりを取り巻く人物の造形もエキセントリックさを強調していて「世の中におかしくない人間はいない」という裏テーマが浮き彫りとなる。ラブストーリーというスタイルは取りながらも、当たり障りのないつながりではない個と個の衝突こそが、真のつながりを生むのだということを関根監督は描こうとしている。
「この映画の裏テーマは、世の中におかしくない人間はいないということでした。寧子は飛び抜けてエキセントリックに見えるけれど、安堂だって相当おかしいし、マスターの村田や妻の真紀も一見社会的に正しそうなことを言っているようで、実は一番ひどい発言をしているんですよね(笑)。でも変な人が真面目に一生懸命に生きている姿にはある種のユーモアが生まれるので、そういう瞬間を随所に作るのが脚本上のねらいでもありました」(関根光才監督)
「人と人は深くつながることができるのか」がテーマ
──原作小説のどんなところに魅力を感じましたか?
根っこにあるのは「人と人は深くつながることができるのか」というテーマだと思いました。逆に言うと、深いところでつながれている実感を感じられないような社会があるということですよね。それは僕たちの世代をはじめ、今の時代に生きる多くの人たちが感じている寂寥感かもしれません。SNSがここまで爆発的に広まったのは、人とつながりたいという欲求が人間の根本にあるからだと思うんですけど、それだけでは本当の意味でつながれないことにみんなが気づき始めている。その意味ではとても普遍的なものを語れる可能性を感じたんです。
映画『生きてるだけで、愛。』関根光才監督
──脚本づくりで心がけていたことは何ですか?
難しかったのは、原作の文章がとてもユニークなので、それを脚本化したときに自分がキャラクターに寄り添いきれるかどうかというところでした。映画におけるキャラクターを再発見して、セリフをその人たちが喋っている言葉にしなければならなかったので、キャラクターを地に足の着いたものにしていくまでにかなり時間がかかったんです。その作業を通して、作品の本質に近づこうとしていく中から、原作にあるエピソードや要素を取捨選択していきました。
趣里さんもこの役を通して誰かを救いたいと思っているんじゃないか
──映画では寧子と津奈木をどのような人物として描きたいと思いましたか?
寧子はある程度まで嫌われてなんぼのところがあるんですけど、嫌われたままだと彼女に対する共感が持てないまま終わってしまうので、そこのさじ加減には気を遣いましたね。津奈木にいたっては、原作にほとんど具体的な描写がありませんが、それだと映画にする上であまりにも視点が一方的になりすぎてしまうという思いがあったんです。そこでまず、原作で寧子一人の視点から書かれていることを、もし二人の視点にしたら、そのとき津奈木は何をしていただろうかというところを膨らませていきました。津奈木にも誰かとつながりたいという思いや、今の自分に対する疑問があるけれど、それを隠すために自分の感覚をシャットアウトしているタイプの人間だという印象があったんです。僕が男性だからか、原作で女性の視点のみから書かれているところは読んでいてイラッとすることもあったんですよね(笑)。こっち側の気持ちはわかってもらえていないんだなと思ったけれど、女性側も同じ気持ちを男性に抱いているだろうし、そういう二人が本当は似たようなことを考えている関係性が面白いなと。寧子も津奈木も心の奥底に強い欲求を抱えているけれどそのアプローチは全然違う。そういう存在として描こうと思っていました。
映画『生きてるだけで、愛。』 ©2018『生きてるだけで、愛。』製作委員会
──趣里さん、菅田将暉さんのキャスティングはどのように決まったのでしょうか。
趣里さんに初めてお会いしたとき、彼女は実にいろんな表情を持っていて、それは生身の寧子としてとてもリアルだなという感覚があったんです。彼女自身も寧子に強く感情移入していて、絶対に自分が演じたいという熱意を持っていました。おそらく彼女の今までの人生経験の中から寧子にシンパシーを抱くところがあったんだと思いますが、それを120%キャラクターに乗せることができれば、この映画はいける! という確信がありました。寧子みたいな存在が趣里さんにとってもどこか救いになっていて、彼女もこの役を通して誰かを救いたいと思っているんじゃないかと。それを感じたからこそ彼女にお願いしたいと思いましたし、初監督の僕に全面的に身を預けてくれたことに感謝しています。
映画『生きてるだけで、愛。』津奈木役の菅田将暉 ©2018『生きてるだけで、愛。』製作委員会
菅田さんは脚本を読んで、これは自分たちの世代が「よくぞやってくれた!」と思えるような映画になると思う、と言ってくれたんです。その一言だけでもものすごい含みがありました。彼らの世代が感じているような社会や状況に対する納得のいかなさ、苛立ちや反抗心、鬱陶しさなど、ある種のネガティブな感情をちゃんと持っている人なんだなと。みんながそこから目を逸らそうとしているときに、本当のことを言おうとするのが映画だと思うんですけど、菅田さんもそれをこの企画に感じてくれたのではないかと思いましたし、その上でこの映画に向き合ってくれるんだったら間違いないと思いました。
映画『生きてるだけで、愛。』主人公の寧子を演じる趣里 ©2018『生きてるだけで、愛。』製作委員会
できるだけ柔らかい空気を作りたかった
──撮影には16mmフィルムが使われていますね。
人の心を映す物語だからこそ、フィルムで撮りたいと思いました。そもそも僕自身がフィルムの生々しさに魅了されてこの世界に入った人間で、フィルムで撮っているときに人の心の手触りや質感を一番感じるんです。綺麗なものを撮りたいという思いはもちろんありますが、淀んでいたり濁っていたり、刺々しいけれど美しいものもある。寧子自身がいろんな感情を綺麗に詰め込んで収めようというタイプではなくて、逆に生々しいものをどんどん取り出そうとする存在ですよね。世の中がデジタル化していく中で、この映画が伝えたいことはそれとは逆行するものなので、世間の流れとは違うメソッドを使うことによって、人間が本来感じていたものが見えてくることもあると思うんです。
映画『生きてるだけで、愛。』 ©2018『生きてるだけで、愛。』製作委員会
──演出ではどんなところにこだわっていましたか?
わりとぬるっとした、みんながあまり意気込みすぎないような雰囲気を意識していました。ネガティブな話でもあるし、ネガティブな感情も出てくるし、1月の撮影で外はものすごく寒かったので、そういう環境の中で役者の方にストレスを与えるよりは、少し雑にやってもらうぐらいのほうがいいんじゃないかと思ったんです。特に趣里さんは非常に真面目でストイックなタイプだったので、敢えて緩い、セリフがちょっと入っていないぐらいの状態で来てくださいと。寧子がそもそもちゃんとしていない人ですし、できるだけ柔らかい空気を作りたい気持ちがありました。アクセルを踏むシーンはいっぱいあるし、どうせそこで目一杯踏むのはわかっているんだから、そうじゃないときとのギャップ、筋肉の揺れみたいなものは作ったほうがいいのかなと思っていました。
映画『生きてるだけで、愛。』 ©2018『生きてるだけで、愛。』製作委員会
──仲里依紗さんの演じる津奈木の元カノ・安堂やカフェバーの従業員たちもかなりクセがあります。
この映画の裏テーマは、世の中におかしくない人間はいないということでした。寧子は飛び抜けてエキセントリックに見えるけれど、安堂だって相当おかしいし、マスターの村田や妻の真紀も一見社会的に正しそうなことを言っているようで、実は一番ひどい発言をしているんですよね(笑)。でも変な人が真面目に一生懸命に生きている姿にはある種のユーモアが生まれるので、そういう瞬間を随所に作るのが脚本上のねらいでもありました。その意味で最も気を遣ったのはカフェバー内の空気作りかもしれません。おかしなことがあたかも自然であるかのように行われている空気感をいかに作れるかが難点だったけれど、田中哲司さんと西田尚美さんという経験値の高いお二人が、ベースとなる夫婦のリズムを見事に作ってくれました。
映画『生きてるだけで、愛。』安堂を演じる仲里依紗(右) ©2018『生きてるだけで、愛。』製作委員会
いわゆる恋愛の話にしてはダメだと思った
──寧子と津奈木の関係が最終的にどうなるかについては何らかの結論があったのですか?
原作を読んだときは、プロデューサーの甲斐さんも僕も、二人はどこかでまたつながるかもしれないと感じていたんです。だからそのつもりで脚本を書いていたら、原作者である本谷有希子さんが、いやそれは違うと。これについてはスタッフにも意見を聞いてみたんですけど男女差が激しかったですね。男性が希望を感じようとするのに対して女性はもっとシビア。同じ小説を読んでいても受けとめ方がまったく違うというのはすごく面白かったです。ただ、二人は別れないとお互いに成長できないんじゃないかという思いが根底にあったので、とりあえず別れる前提で脚本を書いた上で、現場ではどうなるかを見てみようと思いました。それでも撮影の前日に段取りをやってみたときは、まだ僕の希望的な濃度が強かったのか、このままだと二人は自然とヨリを戻す方向になってしまうと思ったので、もうちょっと奥行きのある話にするためにそこからまた脚本を変えていきました。
映画『生きてるだけで、愛。』 ©2018『生きてるだけで、愛。』製作委員会
──趣里さんと菅田さんもそれぞれに自分なりの答えは持っていたのでしょうか。
あったとは思いますが、お互いに答え合わせをするという話の仕方はしたくなかったんです。自分たちの中で感じていて欲しかったですし、結末に関して話し合ったりはしても、その先のことは二人も観てくれる人に委ねる想いだったと思います。
映画『生きてるだけで、愛。』 ©2018『生きてるだけで、愛。』製作委員会
──初監督作を完成させてみて、当初目指した普遍的なラブストーリーになったと思いますか?
いわゆる恋愛の話にしてはダメだと思ったので、あくまでも人間ドラマとして撮るつもりでした。男女の愛情を軸にしてはいるけれど、二人の間に流れているものは性愛などとは別の次元にいっていますよね。だからこそ惚れた腫れたの話ではなく、人と人とのつながりという意味でのラブストーリーにしたいと思いましたし、素晴らしいキャストとスタッフの皆さんのおかげでそれは成功したのではないかなと思っています。
(オフィシャル・インタビューより)
関根光才(Kosai Sekine) プロフィール
1976年生まれ。東京都出身。2005年に短編映画『RIGHT PLACE』を初監督し、翌年カンヌ国際広告祭のヤング・ディレクターズ・アワードにてグランプリを受賞。以降、数多くのCM、ミュージックビデオ等を演出し、2012年短編オムニバス映画『BUNGO~ささやかな欲望~』では岡本かの子原作『鮨』を監督。2014年の広告作品SOUND OF HONDA『Ayrton Senna 1989』ではカンヌ国際広告祭で日本人初となるチタニウム部門グランプリ等、多数の賞を受賞。国際的にも認知される日本人監督となる。本作が初の長編劇場映画監督作品となり、2018年秋には長編ドキュメンタリー映画『太陽の塔』も公開となる。現在は国内外で活動する傍ら、社会的アート制作集団「NOddIN」でも創作を続けている。
映画『生きてるだけで、愛。』
11月9日(金)新宿ピカデリーほか全国ロードショー
出演:趣里 菅田将暉 田中哲司 西田尚美/松重豊/石橋静河 織田梨沙/仲 里依紗
原作:本谷有希子『生きてるだけで、愛。』(新潮文庫刊)
監督・脚本:関根光才
製作幹事 :ハピネット、スタイルジャム
企画・制作プロダクション:スタイルジャム
配給:クロックワークス
©2018『生きてるだけで、愛。』製作委員会