映画『まぼろしの市街戦』 © 1966 – Indivision Philippe de Broca
1966年に製作された伝説的カルト映画『まぼろしの市街戦』が4Kデジタル修復版で10月27日(土)より新宿K's cinemaにてリバイバル上映される。公開を記念して、webDICEではこの作品をこよなく愛する瀬々敬久監督と中原昌也さんの対談を掲載する。
第一次大戦末期、爆弾解除を命じられフランスの小さな街に潜入したイギリス軍通信兵と、街に取り残された精神科病院患者との交流をスラップスティック・タッチで描く怪作。今回の対談では、70年代にテレビ放映されたことで、一部の映画ファンからカルト的な人気を得たこの作品から想起される作品や映画作家、そしていまこの作品を観る意義についてまでが語られた。
ヌーヴェル・ヴァーグになれなかった男、ド・ブロカ監督
瀬々監督(以下、瀬々):この映画を初めてみたのは、日曜洋画劇場(※1)で1974年で当時14歳だった。
中原さん(以下、中原):自分はテレビ東京でみました(※2)。10歳になってなかった。テレビで放映してた映画は結構みてました。
瀬々敬久監督(左)、中原昌也さん(右)
瀬々:そういえば、この映画について、て、岩井俊二監督が自著で書いてるし、大森一樹監督は外国映画ベストテンに入れている。でも10歳以下だと、フィリップ・ド・ブロカなんて、知らないでしょう。
中原:子供の頃から、ちゃんと調べる方なんですよ。『リオの男』『カトマンズの男』とか。ジャン・ポール・ベルモンド(※3)、ジャクリーン・ビセット(※4)が出てた『おかしなおかしな大冒険』は大好きです。
瀬々:そうなんだ。
中原:ところで、ド・ブロカのことを、<ヌーヴェル・ヴァーグの~>なんていうけど、シャブロル(※5)やトリュフォー(※6)の助監督だったんですよね。
瀬々:ヌーヴェル・ヴァーグになれなかった男なんだ。
中原:なんとなく立ち位置がはっきりしない監督ですよね。でもこの映画って、クストリッツァ監督(※7)の作風に似てませんか。実はクストリツァの作品は嫌いかもしれないと思って、みてないんですけど、カーニバルっぽい感じがして。
瀬々:そうだね。 あと、ゲルマン監督(※7)の『神々のたそがれ』も似てる。
瀬々:ちなみに、今回の上映版はテレビで見たバージョンとラストシーンが違うんだよね。今回の上映はフランス公開版なんだよね。見直して、前よりシニカルに感じた。前のラストシーンの方が、抜けがいいと思ったんだけど、ラストシーンが変わって、どうだったんだろう。
中原:やさしくなったんじゃないでしょうか。一番好きなシーンで、精神科病院から抜け出した患者が、それぞれ自分が就きたかった職業になるシーン。目頭が熱くなりました。
瀬々:素晴らしいシーンだよね。でも不思議なのが、爆弾騒ぎが決着したら、患者たちは何事もなかったかのように病院に帰っていくし、町の城壁から外に出ない。解放軍が来るけど、決して解放はしてくれないのだ、と思っている。こういうことを、ここまで語ってる映画はない。日本でも、戦後にアメリカから民主主義が導入されて、大島渚は幼い頃、すべての価値観が変わったのに違和を感じたと書いてるのを読んだことあるけど、ド・ブロカは大島の一つ年下なんだよね。この世代特有の捉え方な気がした。
映画『まぼろしの市街戦』 © 1966 – Indivision Philippe de Broca
中原:シニカルというか、文明批評というか……。
瀬々:社会風刺的な?
中原:こういうなことを映画でいうことは、60年代70年代、普通でしたよね。こういう映画で育った人間としては、こういうメッセージをさらりと言う映画を見ると気持ちいいですね。町に精神病患者が多すぎるとか、いい役者がたくさん出てるとか、つっこみどころ満載なんだけど。
瀬々:死は絶対訪れる―。戦争を描いた映画だけど、死生観の映画だね。
中原:社会の成り立ちというものが妄想にすぎない、と認識させてくれる。そういうシニカルな見方をした時に、”「天才バカボン」の本官”を思い出してしまう。「本官」といってるけど、彼の<交番>はない。
瀬々:この映画にも「世界は劇場だ」という台詞があって、寺山修司の『書を捨てよ、町へ出よう』(※9)じゃないけど、前衛的なものも感じる。
中原:でもエンターテインメントですよね。
瀬々:だから、ヌーヴェル・ヴァーグになれなかった男。
映画『まぼろしの市街戦』 © 1966 – Indivision Philippe de Broca
「国なんか信じてない」というメッセージ
瀬々:ところで、中原くんの年代の周りの人って、ド・ブロカとか、みてるの?
中原:みてるかっていうより、知らないでしょう。ロベール・アンリコ(※10)とかも知らないだろうし…フランス映画で、カイエ・ドゥ・シネマ以外、狭間にあるものって忘れ去られていくんじゃないかと……。
瀬々:中学生で、超田舎でこの映画をみた時、「この映画、何なんだ」と思った。
中原:ド・ブロカのことを、『リオの男』とかルパン3世みたいに漫画的な映画の作家と思っていたけど、こんなシニカルな映画なんだと、改めて思った。エンターテインメントだけど、ちゃんとテーマをもっている映画で育ってきたから、やっぱり今の映画は物足りないって思う。この映画を見ると更に、そう思ってしまう。
瀬々:普通の映画だと、精神科病院から出られるっていうと自由の賛歌だと思うけど、また戻ってきてしまう。同じ精神科病院を舞台にしたアメリカ映画『カッコーの巣の上で』(※11)とは違う。自由を求めるって感じじゃない。NATIONがない感じね。「NATIONなんて嘘」「国なんか信じてない」というメッセージは、子供の時に見た時には気づけなかった。昨今の状況もあるのかもしれないけど。
長谷川和彦監督の『太陽を盗んだ男』を思い出した
瀬々:精神病患者が、病院に自ら戻っていく作品なんて、誰も撮らない。よくこんな企画が通ったと思うよ。作家性に陥らず、商業主義に陥らず、己の人格、個性にまっすぐにつくった映画、誰が見るんだろうと思って作っていない。
中原:この頃は、観客も作り手もリテラシーがあったんですよ。今は映画に対する忍耐力もない。メジャーでもマイナーでもない。ただ純粋に中間というか狭間の映画で、すがすがしさを感じる。
瀬々:そうだね。でもこのシニカルさはどこから来るんだろう。
中原:戦中の人がつくったっていうのが、大きいんじゃないですか?戦中の人しか、持ち合わせないシニカルさっていうか……。戦争で撃たれて、腹から内臓が出ているようなものを見てきた・・・。自分の父親もド・ブロカ監督と同世代だけど、そういう世代なんでしょうね。だからこの映画は画のつくり方は漫画的だけど、根底には、国を信じていないってメッセージが感じ取れる。
瀬々:そういえば、長谷川和彦監督の『太陽を盗んだ男』(※12)を思い出したんだ。
中原:爆弾つながりですか?!
瀬々:ジュリー演じる犯人が、目的を失っていく、シニカルさ、ヒロイズムに主人公のプランピックと被ってるような気がする。
中原:今、シニカルさってないですよね。
瀬々:今、シニカルって受けないんだよ。
中原:ネット上はシニカルな話題ばかりなのに。映画とは違うんですかね。この映画はシニカルだけど陽気でおおらかでリリカル。そこがいいんです。
映画『まぼろしの市街戦』 © 1966 – Indivision Philippe de Broca
瀬々:ところで、本当にどうでもいい話なんだけど。
中原:?
瀬々:最後の軍隊が全滅してるシーンで、ひとりだけ動いてる奴がいるんだよな。こいつ動いてるって!
中原:それ、あら探しじゃないですか!
瀬々:(笑)でもこのシーンの音楽っていいよね。両軍の国歌が流れるの。
中原:歌戦争ですね。大島渚監督の『日本春歌考』(※13)、思い出しますね。
映画『まぼろしの市街戦』 © 1966 – Indivision Philippe de Broca
瀬々:そういえば、この映画って世界の映画人に影響を与えたんだろうか。
中原:それはクストリッツァでしょう!そういえば、フランスよりアメリカの方がヒットしたんですよね。
瀬々:アメリカの監督で影響を受けた、って浮かばないね。
中原:そういえば、この間みた『エクソシスト』(※14)の原作者ウイリアム・ピーター・ブラッティが監督した『トゥインクル・トゥインクル・キラー・カーン』は退役軍人の精神病院が舞台で、ちょっと影響あるのかなと思った。
瀬々:『M★A★S★H マッシュ』は?
中原:密室ではないけど、ロバート・アルトマン(※15)はジャック・タチ(※16)とか、ヨーロッパ、入ってる感じありますよね。
中原:ちなみに、ジュヌヴィエーヴ・ビュジョルド、あんまり好きじゃないんです。
瀬々:俺、好きなんだよなあ。ファンなんだ。
映画『まぼろしの市街戦』ジュヌヴィエーヴ・ビュジョルド © 1966 – Indivision Philippe de Broca
中原:この作品ではかわいいけど、その後が……。『愛のメモリー』(※17)はいいですけど、『タイトロープ』(※18)『コーマ』(※19)『戦慄の絆』(※20)……。『コーマ』なんて脱ぎ過ぎですよ。
瀬々:えぇ。そうなの? 日曜洋画劇場で『1000日のアン』(※21)で初めてみて、かわいくてかわいくて!『まぼろしの市街戦』の中で、彼女が綱渡りするシーンがあるけど、印象的で……。
中原:だけど監督、あれ、本人がやってないでしょ!(笑)
瀬々:そうだろうけど、かわいいの!
※1 日曜洋画劇場
テレビ朝日系列で1966年10月1日に放送開始。2017年2月12日の番組終了したテレビ映画番組。当初は「土曜洋画劇場」として開始した。映画評論家、淀川長治が番組開始から急逝するまで解説を担当していた。
※2 テレビ東京映画番組
1969の「木曜洋画劇場」を皮切りに1「火曜洋画劇場」「2時のロードショー」と番組名、放映曜日や時間帯を変えて、映画番組を放映していた。
※3 ジャン・ポール・ベルモンド
フランス生まれ/1933年4月9日~
『勝手にしやがれ』(ジャン=リュック・ゴダール監督)、『ボルサリーノ』(アラン・ドロン共演)、『暗くなるまでこの恋を』(フランソワ・トリュフォー監督)、『パリ警視J』(ジャック・ドレー監督)他。
※4 ジャクリーン・ビセット
イギリス生まれ/1944年9月13日~
『映画に愛をこめて アメリカの夜』(フランソワ・トリュフォー監督)、『オリエント急行殺人事件(シドニー・ルメット監督/1974年)、『ザ・ディープ』(ピーター・イェーツ監督)他。
※5 シャブロル
クロード・シャブロル監督。フランス生まれ/1930年6月24日~2010年9月12日
初代編集長アンドレ・バザン時代の「カイエ・デュ・シネマ」誌で映画評を書き始め、のちのヌーヴェル・ヴァーグの旗手たち、ジャン=リュック・ゴダール、ジャック・リヴェット、フランソワ・トリュフォーらと出会う。1958年に『美しきセルジュ』で長編監督デビュー。肉屋』、『沈黙の女/ロウフィールド館の惨劇』他。
※6トリュフォー
1932年2月6日 - 1984年10月21日)は、フランスの映画監督。ヌーヴェルヴァーグを代表する監督の一人。『カイエ・デュ・シネマ』を中心に先鋭的で攻撃的な映画批評を多数執筆後、ロベルト・ロッセリーニ監督の助監督となり、初めての長編『大人は判ってくれない』が大ヒットする。『映画に愛をこめて アメリカの夜』『終電車』他。
※7 クストリッツァ監督
サラエヴォ出身/1954年11月24日 ~
カンヌ国際映画祭の最高賞パルム・ドールを2度受賞しているのをはじめ、世界三大映画祭すべてで受賞している。『ジプシーのとき』『アリゾナ・ドリーム』『アンダーグラウンド』他。音楽家としても活動している。
※8 ゲルマン監督
アレクセイ・ゲルマン監督。ロシア生まれ/1938年6月20日 - 2013年2月21日
1968年、映画監督としてデビュー。1971年には『道中の点検』を発表したが、、検閲により上映禁止処分を受ける。1980年代後半からのペレストロイカを受け、1987年にロッテルダム国際映画祭でそれまでの3作品に対してKNF賞が授与された。1998年の『フルスタリョフ、車を!』は第51回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に出品された。『神々のたそがれ』は2013年の作品。
※9 『書を捨てよ、町へ出よう』
1967年に寺山修司が著した同名の評論集を、1971年には寺山修司自身が監督・製作・脚本で映画化。青年の鬱屈した青春を過激なミュージカルと実験映像を交えて挑発的に描いた作品。寺山修司(1935年12月10日~1983年5月4日)は青森出身で歌人、劇作家。演劇実験室「天井桟敷」主宰するほか、マルチに活動し、多数の文芸作品を発表した。
※10 ロベール・アンリコ
フランス生まれ/1931年4月13日 ~2001年2月23日
1963年の『美しき人生』でジャン・ヴィゴ賞を、1975年の『追想』でセザール賞作品賞を受賞。
※11 『カッコーの巣の上で』
1975年製作のアメリカ映画。ミロス・フォアマン監督作品。精神異常を装い刑務所での強制労働を逃れた男(ジャック・ニコルソン)が、人間性までも奪おうとする病院から自由を勝ちとろうとする姿を描く。第48回アカデミー賞で作品賞、監督賞、主演男優賞(ニコルソン)他、主要5部門を受賞した。
※12 『太陽を盗んだ男』
1979年公開/長谷川和彦監督作品。国会議事堂や皇居前をはじめとしたゲリラ的な大ロケーション、「原爆をつくって政府を脅迫する」というシリアスで重い内容と、ポップでエネルギッシュな活劇要素が渾然となった作品で、長らくカルト映画として評価されている。
※13 『日本春歌考』
16967年/大島渚監督作品
※14 『エクソシスト』
ウィリアム・ピーター・ブラッティ著。ウイリアム・フリードキン監督のメガホンで1973年、同名映画化された。少女に憑依した悪魔と神父の戦いを描いたオカルト映画の代表作。
※15 ロバート・アルトマン
アメリカ生まれ/1925年2月20日~2006年11月20日。
演出をつとめたテレビシリーズ『コンバット!』が国内の愛国的雰囲気に支持されて、大ヒット。しかし同年代の後半にベトナム戦争の泥沼化とともに厭戦や反戦の気分が高まったことで製作が中止された。1970年に朝鮮戦争を扱ったブラック・コメディ『M★A★S★H マッシュ』が第23回カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞。
※16 ジャック・タチ
フランス生まれ/1907年10月9日~1982年11月4日。若い頃からパントマイムの道を志す。フランスの片田舎の郵便配達人が、アメリカ式合理主義に影響され、自転車で駆け回りながら騒動を巻き起こすコメディ映画『のんき大将脱線の巻』(1949年)では、脚本、主演も兼ねて、長編で監督デビューした。他監督作に、『ぼくの伯父さんの休暇』、『ぼくの伯父さん』、『プレイタイム』など。
※17 『愛のメモリー』
1976年製作/ブライアン・デ・パルマ監督。ビジョルドは誘拐される事業家の妻を演じている。
※18 『タイトロープ』
1984年製作/リチャード・タッグル監督。クリント・イーストウッドが製作・主演。ビジョルドは殺人事件に巻き込まれるヒロイン役。
※19 『コーマ』
1978年製作/マイケル・クライトン監督。ビジョルドは器移植、臓器売買など医療の闇に巻き込まれる女医を演じる。
※20 『戦慄の絆』
1988年製作/デヴィッド・クローネンバーグ監督。ビジョルドは、一卵性双生児の兄弟が出会う美人人女優を演じる。
※21 『1000日のアン』
1969年製作/チャールズ・ジャロット監督。16世紀のイングランド国王ヘンリー8世の妃アン・ブーリンの物語で、ビジョルドはアン王女役。
瀬々敬久(映画監督) プロフィール
1960年生まれ、大分県出身。京都大学在学中から自主映画を制作。助監督を経て『課外授業 暴行』(89)で長篇初監督。自主映画、ピンク映画、大作などさまざまな作品を発表。『ヘヴンズ ストーリー』(10)、『64-ロクヨン-前/後編』(16)、『菊とギロチン』(18)等。来年公開予定に『楽園』。
中原昌也(音楽家、映画評論家、小説家、随筆家、画家、イラストレーター)) プロフィール
1988年頃より音楽活動を始め、1990年にノイズユニット暴力温泉芸者を立ち上げ、海外公演などを通じて日本国外でも活動している。音楽活動と平行して映画評論も手がけ、1998年には小説家としてデビュー、2001年に『あらゆる場所に花束が…』で三島由紀夫賞、2006年に『名もなき孤児たちの墓』で野間文芸新人賞を受賞。2009年以降はHair Stylistics名義での音楽活動や、画家・イラストレーターとしての美術活動が中心になっている。
映画『まぼろしの市街戦<4Kデジタル修復版>』
10月27日(土)新宿K’s cinema他にて公開
監督:フィリップ・ド・ブロカ
製作:フィリップ・ド・ブロカ ミシェル・ド・ブロカ
脚本:ダニエル・ブーランジェ フィリップ・ド・ブロカ
原案:モーリス・ベッシー
撮影:ピエール・ロム
音楽:ジョルジュ・ドルリュー
出演:アラン・ベイツ ジュヌヴィエーヴ・ビジョルド エール・ブラッスール フランソワーズ・クリストフ ジャン=クロード・ブリアリ ジュリアン・ギオマール
ミシュリーヌ・プレール アドルフォ・チェリ
1966年/フランス映画/102分/カラー/シネマスコープ/DCP
原題:Le roi de coeur
英題:KING OF HEARTS
協力:柳川由加里/原田 徹
日本版字幕:額賀深雪
提供:パンドラ+キングレコード
配給:パンドラ