骰子の眼

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2018-09-27 18:00


マーシャル諸島に残る「日本」と「戦争」の記憶『タリナイ』監督インタビュー

「普段の生活している“世界”とは違う世界を感じてほしい」
マーシャル諸島に残る「日本」と「戦争」の記憶『タリナイ』監督インタビュー
映画『タリナイ』大川史織監督(2007年マーシャル諸島スタディーツアーの際の写真)

太平洋戦争時日本の委任統治下にあり2万人の日本兵が死亡したマーシャル諸島を舞台に、この地で命をおとした日本人兵士の息子が、父が最期を過ごした地を訪れる姿を記録したドキュメンタリー映画『タリナイ』が9月29日(土)より公開。webDICEでは大川史織監督のインタビューを掲載する

今回のインタビューでも語られているように、大川監督は戦争の記憶というテーマを描くにあたり、マーシャルの現地の人々の社会で歌い継がれてきた歌を全編にわたり用い使用。ウクレレののどかな音色とともに響く日本語とマーシャル語の歌からは、かつてこの地を統治した日本人とマーシャル人の親密な関係が記録されている。物語の語り部である佐藤勉さんの、父親が亡くなったマーシャル諸島を訪れ慰霊祭を執り行うという悲願の旅を記録すること、そして佐藤さんとマーシャルに住む人たちとの交流を通し、歴史を忘却しないこと、そして新しい世界へ目を向けることの大切さを伝えようとしている。

「私を含む多くの戦後生まれの日本人が、マーシャル諸島を含む南洋群島がかつて日本の委任統治下にあって、日本と深いつながりがあったことを、知らなかったり意識していなかったりすると思います。インターネットやSNSの発達で地球の裏側でも簡単に繋がれる時代になっていますが、『知る術』はあっても、きっとこれからも知られずに過ぎてしまう……。マーシャルの人たちはまさかそこまで私たちが関わりを『忘却』してしまったとは知らず、今日も明日もどこかでコイシイワの歌を歌っていると思います」(大川史織監督)

マーシャル人の歌う歌がきっかけ

──この作品を作るきっかけは何でしたか?

一番初めのきっかけは、高校生の時にマーシャル諸島共和国を訪れたことです。都立国際高校という、多様なバックグラウンドの学生が集まる高校に通っていて、それまで日本の外に出たことがなかった私は、どこか海外に行ってみたいと思ったんです。そのときに関心があった「核」「環境」「開発」と「ツアー」でGoogle検索したら、「マーシャル諸島スタディーツアー」の募集案内が出てきました。それで2007年春、高校3年生の時に初めてマーシャルを訪れました。

映画『タリナイ』
映画『タリナイ』© 春眠舎

正直、マーシャルが日本の委任統治下にあったという歴史もちゃんと知らずに行き、たくさんの戦跡が今も残っていたり、マーシャル語のなかに日本語由来の言葉も少なくなかったりして、とても驚きました。そして帰る間際に『コイシイワ アナタハ』とはじまる歌を耳にしました。これは、マーシャル人の女性が、遠い日本へ帰ってしまった恋人を想って作った歌だと言われています。それを今もマーシャルの人たちは、ウクレレの明るい音色とともに、日本語とマーシャル語で歌っているんです。逆の立場だったらできるだろうかと想像したら、とても難しいことなのではないかと思いました。

© Shiori Okawa
© Shiori Okawa

単純に、学びが多かったとツアーをたまに振り返るだけの「思い出」の出会いにしたくない。あの歌を今も歌う理由はなんだろう。どんな「アナタ」であり、「ワタシ」だったのだろう……。など、歌をめぐり浮かぶさまざまな感情が渦巻きました。うまく咀嚼しきれないモヤモヤを抱えながら帰国し、どうしたらもっと日本の人たちにマーシャルのことを知ってもらえるかと模索する日々が続きました。それで大学を卒業したあと、マーシャルの企業に就職し、現地で3年間働きました。

──卒業後すぐに行ってしまうとは、すごい覚悟ですね。マーシャルに暮らしている間も、取材や映画製作を行なっていたのですか?

私が住んでいた首都マジュロには戦跡や戦争体験を語れる人は少なかったのですが、勤務先のお店で接客中、ご高齢の方に商品説明をしていたら、いつしか戦時中の話になったり、「日本にいる家族探しを手伝って欲しい」という依頼が舞い込んでくることもありました。働きながら出会うお客さんや同僚との日常会話が、ある意味では日々取材でした。
また、長期休みのたびに離島を訪れて、カメラを回しながら話を聞かせてもらいました。島民学校で日本語を学んでいた方などは「もうずいぶんと日本語を話していないから忘れちゃったわ」と最初は照れながらも、話し始めるとみるみると鮮やかに記憶が蘇ってきて、日本語の先生が好きだった歌を歌ってくれたりもしました。でも、そうした体験や映像を一つの作品にまとめるための軸のようなものを見つけられないまま、月日が経ちました。

© Shiori Okawa
マーシャル諸島在住時。アミモノの素材作りで、ヤシの葉の新芽の葉を包丁で割いているところ © Shiori Okawa

そんななか、マーシャル諸島に強い思いを抱いている佐藤勉さんと出会い、勉さんがマーシャルへ行くという話を聞いて、直感的に「これは映画にできるのでは」と思いました。
とはいえ、ちゃんと飛行機が飛ぶかも、島を回る許可が下りるかも、当初はまったく予測できない状態だったので、とにかく些細なことでも撮りつづけました。期待しすぎては落胆も大きいため、飛行機が飛べばラッキー、目的地に行けたらラッキーと、ひとつずつのラッキーをみんなで喜んでいるうち、気づけば旅は予想を上回る幸運の連続になっていました。そして旅を終えた時には、必ずこの記録は作品にしなければ、といい意味でプレッシャーを感じながら帰国しました。そうしてようやく今回、日本に届けられる作品ができあがりました。最初にマーシャル諸島を訪れた時から、10年も経ってしまいましたね。

「戦争が日本人を変えた」

──出来上がった作品を観た勉さんの反応はいかがでしたか?

「こんなに撮っていたんだね」と言われました(笑)。ありがたかったのは、勉さんがどんな場面でも撮影を拒否することが一度もなかったことです。おそらく深層心理として、勉さんも撮ってほしい、お父さんを感じる旅を記録に残したい、という気持ちもあったのではないかと思います。
「もう一回行ったような気持ちになれた」と言ってもらえたことも、すごくうれしかったですね。勉さんご自身でも写真はたくさん撮っていらっしゃったのですが、映像はまた違う記憶の手がかりになったようです。ご遺族の方でご高齢のため体力的に自分で行くのは難しいという方にも、この作品で少しでもウォッチェを感じてもらえたらうれしいです。

映画『タリナイ』 © 春眠舎
映画『タリナイ』© 春眠舎

──在住中、もしくは撮影中に、マーシャル人からネガティブな反応を受けることはなかったのですか?

日本の委任統治や戦争の歴史に対して、という意味ではネガティブな感情を直接的に感じることはほとんどなかったです。
一度だけ、昼間から酔っ払っている男性にマーシャル語で「日本人が戦争中にマーシャル人をどれだけ理不尽な目にあわせたか」ということを言われたことはありました。でも、すぐに周りにいた他のマーシャル人たちが「酔っているだけだから気にするな」とフォローしました。
また、マーシャル人はよく「戦争が日本人を変えた」という言い方をします。戦争が始まる前までは、日本人はマーシャル人と仲良く暮らしていた、けれども戦争が始まると人が変わってしまった……と。それも日本人自体を直接的には責めない表現ですよね。
マーシャル人は「相手に恥をかかせない」文化があるとよく言われています。相手の立場を傷つけるようなことをしない。温かい対応をしてくれているからといって、歴史を踏まえずにマーシャル人が「親日」だと表現するのは身勝手な理解だと思います。ひとりひとりがどのような想いを抱いているのかは、簡単には測れないですからね。

映画『タリナイ』 © 春眠舎
© 春眠舎

閉塞感を感じていたり、ターニングポイントにいる人にも観てほしい

──私費で自主製作をされたそうですが、時間もお金もかかるのに、そこまでしてこの作品を作ろうと思ったのはなぜですか?

私を含む多くの戦後生まれの日本人が、マーシャル諸島を含む南洋群島がかつて日本の委任統治下にあって、日本と深いつながりがあったことを、知らなかったり意識していなかったりすると思います。
インターネットやSNSの発達で地球の裏側でも簡単に繋がれる時代になっていますが、「知る術」はあっても、きっとこれからも知られずに過ぎてしまう……。マーシャルの人たちはまさかそこまで私たちが関わりを「忘却」してしまったとは知らず、今日も明日もどこかでコイシイワの歌を歌っていると思います。
そんな両者の状況を見つめていると、マーシャルのことをもっと日本に伝えたいという思いが沸き起こって、時間もお金も投じることに抵抗はありませんでした。

──どういう人に特に作品を観てもらいたいですか?

まずはマーシャルのことを知らない人ですね。特に、私がマーシャルに出会った時と同じ10代の若い人に観てもらいたいです。
おそらく普段の生活している「世界」とは違う世界を感じてももらえると思うので、何か閉塞感を感じていたり、ターニングポイントにいる人にも観てもらえたらうれしいです。
あと、マーシャルに限らず、戦争でご家族を亡くしている人。そういうと誰もが当てはまるのかもしれません。自分につながる祖先のことをちょっとでも考える時間になるのではないかなと思います。
そして何よりマーシャル人ですね。編集する際にも、日本の人に観てもらうのはもちろんですが、マーシャルの人たちの眼差しもすごく意識していました。「私たちはこういう風にあの旅を感じたよ」ということを作品で伝えたうえで、マーシャル人からの率直な意見が聞きたいです。もしかしたら一番それが私に必要なものかもしれません。必ず現地で上映会をしたいと思っています。
先日勉さんから、来年2019年4月に、甥っ子の姪御さんとともにウォッチェに行くから同行をよろしく、とご連絡をいただきました。あと半年後。国内での上映を広げながら、マーシャル上映会に向けても早速準備をはじめたいと思います。

(オフィシャル・インタビューより)



大川史織 プロフィール

1988年神奈川県生まれ。2006年第9回高校生平和大使の旅で、アウシュヴィッツ博物館公式ガイド中谷剛さんのツアーに感銘を受ける。2007年日本統治や被ばくの歴史のあるマーシャル諸島で聞いた日本語の歌に心奪われ、2011年慶応期塾大学法学部政治学科卒業後マーシャル諸島に移住。日系企業で働きながら、マーシャルで暮らす人びとのオーラル・ヒストリーを映像で記録。マーシャル諸島で戦死(餓死)した父を持つ息子の慰霊の旅に同行したドキュメンタリー映画『タリナイ』(2018)で初監督。現在は国立公文書館アジア歴史資料センター調査員(非常勤職員)。『マーシャル、父の戦場―ある日本兵の日記をめぐる歴史実践』(みずき書林)編者。




映画『タリナイ』
© 春眠舎

映画『タリナイ』
9月29日(土)よりアップリンク渋谷にてロードショー

監督・プロデューサー:大川史織
プロデューサー:藤岡みなみ
配給:春眠舎
宣伝:アーヤ藍
2018年/日本/93分/日本語・英語・マーシャル語/カラー

公式サイト


▼映画『タリナイ』予告編

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