骰子の眼

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2018-08-09 16:38


ふたりの"初夜"になにが起きた?『追想』不自由な時代を生きる格差カップルの運命

シアーシャ・ローナン(『レディ・バード』)主演×イアン・マキューアン原作
ふたりの"初夜"になにが起きた?『追想』不自由な時代を生きる格差カップルの運命
映画『追想』 © British Broadcasting Corporation/ Number 9 Films (Chesil) Limited 2017

映画化された『つぐない』などで知られる人気作家イアン・マキューアンが60年代イギリスを舞台に新婚初夜を迎えた若い夫婦の葛藤を描いた小説『初夜』を映画化した『追想』が8月10日(金)より公開。webDICEでは監督を務めたドミニク・クックのインタビューを掲載する。

小学校の教師である父ともに、脳に損傷を負った母親を介護しながら歴史学者を夢見るエドワードと、裕福な家庭で育ちバイオリストを目指すフローレンス。ふたりは結婚式を終えドーセット州のチェジル・ビーチのホテルを訪れるが、初夜を迎える直前でフローレンスが反射的にエドワードを拒絶してしまったことから、険悪なムードに陥ってしまう……。『つぐない』でアカデミー賞助演女優賞にノミネートされたシアーシャ・ローナンが恋人とのボタンの掛け違えに戸惑うフローレンスを演じている。映画は、まだ保守的なムードが色濃い1962年のイギリスにおける格差カップルの心の機微を捉え、別々の人生を歩んでいくこととなるふたりの決断を描いていく。「誰もが自分らしく暮らせる社会を目指して前進すべきだ」とクック監督は述べているが、フローレンスが演奏するクラシック楽曲のみならず、チャック・ベリー、T・レックス、エイミー・ワインハウスなど、時間の経過をヒット曲で表現する演出は、古典的ではあるけれど感情を揺さぶる。


「本作の政治観は革新的だと思う。原作者のイアン・マキューアンも常に自由を支持している。“自由”は曖昧な言葉だ。言いかえると“前進したい気持ち”だと思うよ。誰もが自分らしく暮らせる社会を目指して前進すべきだよ。本作の撮影準備期間に、欧州連合離脱是非を問う国民投票が行われた。その年の11月には米国大統領選もあった。僕が思うに、懐古趣味が災いして、両者で悪い結果が出てしまった。多くの人々が過去を黄金時代と捉えてしまったんだ。本作はその思い込みを打ち壊す作品だよ。つまり過去を魅力的には描いていないんだ」(ドミニク・クック監督)


テーマは“ある瞬間の決断”

──最初に、この作品のテーマはなんだと思いますか?

本作は結婚したばかりの夫婦が主人公の初夜をテーマにした物語だ。舞台となる時代では結婚前にセックスをすることは珍しかった。経験のないふたりが出会い、結婚して初めての夜を迎えることになるんだ。

映画『追想』ドミニク・クック監督 © British Broadcasting Corporation/ Number 9 Films (Chesil) Limited 2017
映画『追想』ドミニク・クック監督 © British Broadcasting Corporation/ Number 9 Films (Chesil) Limited 2017

僕が思うに本作のテーマは“ある瞬間の決断”だろう。ひとつの決断が人の人生を左右し最悪な結果をもたらすこともある。イアン・マキューアンの小説でよく描かれるテーマだよ。人生に影響を与える決定的な瞬間の存在を映画も小説も説いているんだ。もうひとつのテーマはセックスだ。多くの人が初めての経験の時に“一線を越えるべきか?”と自問自答し思い悩む。そして“時代による影響”というのもテーマのひとつになっていると思う。主人公たちは1940年代に生まれ、物語の舞台は1960年代前半だ。性革命が起こる前で時代に開放感がなく、1900年代のイギリスとさほど変わらなかった。そういう時代にふたりの男女が出会う。脚本と原作を手掛けたイアンはふたりの関係をとても美しく描いているんだ。

──原作がある物語を映画化するにあたり気を付けた点は?

原作は何度も読んだが、撮影中は原作のことを考えないようにしたよ。イアンが最初に書いた脚本の重要な部分を、僕と彼で手直ししたんだ。そのあとは脚本が完璧だと確信していたから、撮影の段階では原作は参考にしなかった。映画には原作と違う、映画だけの物語がある。だから脚本だけに集中すべきだと考えたんだ。実話に基づく物語を撮る場合でも同じだよ。脚本が完成したら、実話や原作を参考にしすぎてはいけないと思う。映画化における最大の課題は、主人公たちの気持ちを上手に描くことだった。ふたりが一緒にいたいと願う気持ちをね。その描写を失敗してしまうと、ふたりの関係が壊れた時に観客から感動を引き出すことができないから。

セックスに抵抗し、全エネルギーを音楽に注ごうとする主人公

──なぜシアーシャ・ローナンをキャスティングしようと思ったのですか?

『つぐない』でのシアーシャの演技をイアンが絶賛していたんだよ。僕も彼女をいい役者だと思ってはいたが、実は彼女が子供の頃の作品しか見たことがなくてね。それで『ブルックリン』を見に行ったんだ。すぐに役にピッタリな女優だと確信した。そのあと本人に会ったらとても気が合って、彼女しかいないと感じたよ。

映画『追想』 © British Broadcasting Corporation/ Number 9 Films (Chesil) Limited 2017
映画『追想』フローレンス役のシアーシャ・ローナン © British Broadcasting Corporation/ Number 9 Films (Chesil) Limited 2017

──シアーシャが演じたフローレンスはどのようなキャラクターですか?

フローレンスは内面の強い女性だ。彼女は自らの音楽の才能に強い自信を持っている。優れた芸術家のひとりとして、大きな野望も抱いているんだ。彼女はセックスに抵抗し、自身の全エネルギーを音楽に注ごうとする。

──では、エドワード役のビリー・ハウルはいかがですか?

エドワード役を決めるのには苦労したんだ。多くの優れた役者がオーディションに来てくれたけれど、エドワードのような男は最近あまりいないんだ。現代の若者は表情が豊かで、彼のような堅苦しさがない。当時は他人行儀な話し方が当たり前だったんだ。僕たちはオーディションに来たビリーを気に入り、シアーシャと会わせた。そして脚本を読んでもらうと、彼の繊細さと男らしさが伝わってきたよ。適役と思った。

映画『追想』 © British Broadcasting Corporation/ Number 9 Films (Chesil) Limited 2017
映画『追想』エドワード役のビリー・ハウル © British Broadcasting Corporation/ Number 9 Films (Chesil) Limited 2017

──ビリーが演じたエドワードはどのようなキャラクターですか?

エドワードはフローレンスと違い、田舎育ちで花や木や鳥に詳しい。自然界に強いつながりを持っているんだ。それと同時に、流行の文化にも興味がある。彼のほうが大衆的だよ。だからこそ彼はロックを聴くし、アメリカの音楽にも関心があるんだ。社会に反抗的で慣例に従おうとせず、いろいろな思想に興味を持っている。そういう意味で彼には反体制的な面もある。

音楽はふたりの魂を表現する

──実業家として成功した厳格な父親と過保護な母親を持つ裕福な家庭で育ったフローレンス。そして、学校の教師を務める父親と脳に損傷を負った母親を抱えるエドワード。ふたりには社会階級の違いがあります。

そのとおり、フローレンスとエドワードには階級的格差がある。ちょうど映画の舞台でもある1962年頃にその格差が大きく広まった。当時のイギリスは社会階級に縛られていたんだ。だからエドワードの父親が小学校の教師だと知り、フローレンスの両親は愕然としてしまう。彼らはそのような人たちを見下していたから。

映画『追想』 © British Broadcasting Corporation/ Number 9 Films (Chesil) Limited 2017
映画『追想』 © British Broadcasting Corporation/ Number 9 Films (Chesil) Limited 2017

──主人公のふたりは音楽の趣味にも大きな差があります。

主人公のふたりは音楽の趣味が異なっていて、その趣味がそれぞれの人物像を表しているんだ。フローレンスはロックに詳しくないが、クラシック音楽には造詣が深い。音楽の技術的な面も理解している。でもエドワードが愛するロックは、彼女にとって不可解な存在なんだ。エドワードは大衆文化に大きな影響を受ける。アフリカ系アメリカ人の音楽にも夢中になり、それによって彼の思想は変わるんだ。制圧された人々を守るべきだとね。彼はそんな音楽がもたらす開放感を愛した。本作ではふたつの異なるジャンルの音楽が流れ、両者の間にはある種の緊張感が存在する。音楽はふたりの魂を表現しているんだよ。

──音楽を手掛けたダン・ジョーンズとの仕事はいかがでしたか?

ダンは物語の感情的な瞬間を音楽で強調してくれた。とても巧みなやり方でね。彼が書いたエンディングの曲も最高だよ。観客の気持ちを深い場所へと導くような、すばらしい音楽を作ってくれたと思う。

──本作の音楽はあのアビーロードスタジオで録音したと聞きました。

そう、映画の舞台となる時代と一致するようにアビーロードスタジオで音楽を録音したんだ。とても素晴らしい経験だったよ。僕はビートルズの音楽を聴いて育ったし、彼らの曲の歌詞はすべて覚えてる。普段は場所を訪れることで感動したりしないが、あのスタジオは違った。ビートルズ以外にも多くのアーティストが録音した場所だからすごくうれしかったよ。錚々たるミュージシャンが仕事をしたスタジオで、自分も仕事をしていると思うとすごく興奮したよ。

映画『追想』 © British Broadcasting Corporation/ Number 9 Films (Chesil) Limited 2017
映画『追想』 © British Broadcasting Corporation/ Number 9 Films (Chesil) Limited 2017

人間の感情を抑圧する時代だった

──フローレンスの演奏シーンなどで使われているバイオリンは、世界的バイオリニスト、エスター・ユーが担当しています。彼女と仕事をした感想はいかがですか?

エスター・ユーは驚くべき才能の持ち主だ。彼女の演奏する姿を間近で見て、技術と本能の組み合わせに圧倒されたよ。優れたアーティストであることの証しだと感じた。僕たちの要求に対し、見事な反応を示してくれたよ。物語の雰囲気を完全に理解し、僕たちが求めた感情のグラデーションをバイオリンの音で表現した。演奏を見るのが楽しかったよ。そして楽器もすごかった。1704年製のストラディバリウスだ。有名なバイオリンとは知っていたが、実際に音を耳にしてそのすばらしさを実感した。主人公の魂であるバイオリンをエスターが弾いてくれて光栄だ。

映画『追想』 © British Broadcasting Corporation/ Number 9 Films (Chesil) Limited 2017
映画『追想』 © British Broadcasting Corporation/ Number 9 Films (Chesil) Limited 2017

──本作の美術について教えてください。

映画の雰囲気について美術のスージー・デイヴィーズと話し合い、ひとつの結論にたどり着いた。主人公たちにとって“場違いな雰囲気”を生み出したいとね。ホテルのような人工的な場所は、彼らの親の世代の場所だよ。若いふたりが自分たちの場所を探してるという感じを映像に表したいと考えた。1960年代初期はまだ若者の時代ではなかった。ホテルの雰囲気を1900年代っぽくして、セットとふたりの衣装にギャップを持たせた。“ふたりが生き生きして見えるのは自然の中にいる時だけ”。そう意図しながら次の3つの空間を生み出した。ひとつはさっき話したホテルだ。そして冷たい雰囲気のポンティング家。家の中のものがすべて整然としている。3つ目は混沌とした雰囲気のメイヒュー家。扉と窓が常に開いていて、すべての色彩や模様が不調和な感じだ。うまくできたと思うよ。

──これまで舞台を多く演出されてきましたが、長編映画の監督はいかがでしたか?

映画のほうが演劇よりも人の感情を表現しやすい。カメラだとアップで役者の表情を撮れるしね。シアーシャの役者としてすばらしいところは、すべての感情を観客に伝えられる点だ。映画向きだと思うよ。ビリーも似たタイプの役者だ。彼は本作で感情的な人間を演じたが、感情を抑え込むこともすごく上手なんだ。

映画『追想』 © British Broadcasting Corporation/ Number 9 Films (Chesil) Limited 2017
映画『追想』 © British Broadcasting Corporation/ Number 9 Films (Chesil) Limited 2017

──映画の中での政治観についてはどうでしょうか?

本作の政治観は革新的だと思う。イアンも常に自由を支持している。“自由”は曖昧な言葉だ。言いかえると“前進したい気持ち”だと思うよ。誰もが自分らしく暮らせる社会を目指して前進すべきだよ。本作の撮影準備期間に、欧州連合離脱是非を問う国民投票が行われた。その年の11月には米国大統領選もあった。僕が思うに、懐古趣味が災いして、両者で悪い結果が出てしまった。多くの人々が過去を黄金時代と捉えてしまったんだ。本作はその思い込みを打ち壊す作品だよ。つまり過去を魅力的には描いていないんだ。当時をつらい時代として描いている。主人公のフローレンスの家は金持ちで、エドワードの家もフローレンスの家とは格差があるが、決して貧しい家の出身ではない。でも当時は人間の感情を抑圧する時代で、ふたつの世界大戦の結果もあり多くの人が感情を押し殺して生きていた。

──チェジルビーチでの撮影はいかがでしたか?

チェジルビーチではすばらしい場所だね!すごく独特な景観で、細い浜が果てしなく伸びている。撮影前に行った時、最高のロケ地になると思ったよ。すばらしい作品が生まれると感じた。カメラをどこに向けても絶景だった。主人公たちが人生で遭遇する“行き詰まり”のメタファーとしても使えると思ったよ。細長い浜だから先へ進むのが難しいんだ。僕らは幸運にも真ん中辺りまでたどり着けたよ。

(オフィシャル・インタビューより)



ドミニク・クック(Dominic Cooke) プロフィール

1966年、イギリス、ウィンブルドン生まれ。ウォーリック大学を卒業後、1995年からロイヤル・コート劇場で活動を始め、ヴァシリー・シガレヴ作の「Plasticine」(02)とマイケル・ウィン作の「The People Are Friendly」(02)などを演出。その後、2006~2013年の間、ロイヤル・コート劇場芸術監督と最高責任者を務めた。ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーでは、彼が演出した「シンベリン」(03)、「マクベス」(04)、「お気に召すまま」(05)、「冬物語」(06)が高い評価を受けた。2007年には「るつぼ」を演出し、ローレンス・オリヴィエ賞の演出家賞とリバイバル作品賞を受賞。また、ロリー・ブラックマン作、主演:リチャード・マッデンの「コーラムとセフィーの物語 引き裂かれた絆」(07)を脚色・演出した。テレビ番組監督デビューは2016年。トム・ヒドルストン、ベネディクト・カンバーバッチ、ヒュー・ボネヴィル、ソフィー・オコネドー、マイケル・ガンボンが出演したBBC の人気番組「嘆きの王冠~ホロウ・クラウン~」のシーズン2は、2017年の英国アカデミー賞テレビ部門でミニシリーズ賞にノミネートされた。2014年には英国女王の新年叙勲者リストに記載され、演技の世界への大きな貢献が認められて、大英帝国勲章(OBE)を授与された。




映画『追想』
8月10日(金)よりTOHOシネマズ シャンテ他全国ロードショー

監督:ドミニク・クック(BBC「嘆きの王冠~ホロウ・クラウン~」)
原作・脚本:イアン・マキューアン【「初夜」新潮クレスト・ブックス刊、村松 潔(訳)】
キャスト:シアーシャ・ローナン、ビリー・ハウル、エミリー・ワトソン、アンヌ=マリー・ダフ、サミュエル・ウェスト他
美術:スージー・デイヴィーズ
音楽:ダン・ジョーンズ
2018年/イギリス/英語/110分/カラー
配給:東北新社 STAR CHANNEL MOVIES
©British Broadcasting Corporation/ Number 9 Films (Chesil) Limited 2017

公式サイト

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