映画『万引き家族』是枝裕和監督 ©2018フジテレビジョン ギャガ AOI Pro.
是枝裕和監督が、犯罪を通してつながる疑似家族を通して、人と人との絆について問う映画『万引き家族』が6月8日(金)より公開。webDICEでは、是枝裕和監督がなぜ『万引き家族』を作ったのか、オフィシャル・インタビューと監督のこれまでの発言をまとめて紹介する。
是枝監督が自身のブログで綴っているように、2018年・第71回カンヌ国際映画祭の審査員長ケイト・ブランシェットは、「インビジブル ピープル(見えない人々)」に光を当てることが今年の映画祭のテーマとし、『万引き家族』に最高賞パルムドールを授与した。是枝監督の2004年の作品で、主演の柳楽優弥が主演男優賞を受賞した『誰も知らない』や、ダルデンヌ兄弟『サンドラの週末』、そして昨年のカンヌのパルムドール受賞作であるケン・ローチ監督『わたしは、ダニエル・ブレイク』 にも通底する、社会からはじきだされた人たちの姿を通して、それを生む社会の歪みを捉える。安藤サクラ演じる、一家の母親的存在である信代が「捨てたのではなく、拾った。捨てた人はほかにいるんじゃないですか」と一緒に暮らしたおばあさんについて説明する言葉に象徴されるように、是枝監督はこれまでになく日本の政治と社会への危機感をあらわにしている。
犯罪でつながった家族から絆について考える
映画『万引き家族』 ©2018フジテレビジョン ギャガ AOI Pro.
最初に思い付いたのは、「犯罪でしかつながれなかった」というキャッチコピーです。年金詐欺を働いていたり、親が子どもに万引きを働かせていたり、そういった事件が報道されるとものすごいバッシングが起きますよね。当たり前ですけど、悪いことをしていたんだから。でももっと悪いことをしている人が山ほどいるのに、それをスルーしておいて、なぜ小さなことばかりに目くじらを立てるんだろうって。一方で僕がへそ曲がりだからかもしれませんが、特に震災以降、世間で家族の絆が連呼されることに居心地の悪さを感じていました。絆って何だろうなと。だから犯罪でつながった家族の姿を描くことによって、あらためて絆について考えてみたいと思いました。
結果として、この10年くらい自分なりに考えてきたさまざまなことが、今回の作品の中に詰まっているんじゃないでしょうか。家族とは何かと考える話でもあり、父親になろうとする男の話でもあり、少年の成長物語でもあります。
今、世の中の前提となっている「家族像」が、すごく古い観念になっているじゃないですか。そしてそこに向かおうとしている。「道徳教育」もそうだし、「夫婦別姓」もそうだし。
「女性活躍社会」と言っておきながら、その男性の多くが女性は家で子供を育てろと言っているわけで。それに対して家族の映画を作っているわけではないけども、“危機感”ということであれば、あまりにも多様性がなさ過ぎだ、と思うのです。
余計な御世話だよね、これが理想の家族のカタチだって言われても。
(ciatr[【カンヌ受賞!是枝裕和監督インタビュー】血か絆か?映画『万引き家族』で問われる「家族のカタチ」とは]より)
日本映画には社会と政治がない
映画『万引き家族』 ©2018フジテレビジョン ギャガ AOI Pro.
2000年代に入って、頻繁に海外の映画祭に参加するようになりましたが、そこで一番言われたのが、「日本映画には社会と政治がない、なぜだ」ということです。ある種、批判的に言われました。実際、特に国際映画祭に参加するような日本映画に、きちんと社会や政治状況を取り込んだ、それらを題材にしたものがそれほど多くなかったというのが現実だと思います。そういう作品が興行として成立しにくく、あえて言いますが、大きな配給会社がやってこなかったからだと思います。それは本当です。企画を提出しても、「ちょっと重たいんだよな」とか、まずそういうジャッジをされて進まなくなるという状況が頻繁にありましたから。それが欠点だとは言いませんけれども、海外の映画祭で日本映画の幅を狭くしているというのは自覚していました。
僕自身は2000年代後半からファミリードラマにこだわってきて、むしろ政治的・社会的状況は後ろの方に下げて、家の中の問題、自分が父親になって切実になった問題を、狭く深く掘ってみようと意識的に続けてきました。ただ、ここ2作は自分の中で少しファミリードラマにピリオドを打って、社会性とか、現在の日本が抱えている問題の上に家族を置いてみて、そことの接点をどういう風に描くか、そこで起きる摩擦をどう見るのか、ということをやってみたいと作りました。それが今回の作品と今までの作品が違う一番大きなところだと思います。
(ハフィントンポスト[是枝裕和監督、『万引き家族』は「スイミーを読んでくれた女の子に向けて作っていると今わかった」]より)
社会への憤りのようなものを、ここまで明確に表したのは『誰も知らない』以来のことかもしれませんね。作っている感情の核にあるものが喜怒哀楽の何かと言われると、今回は“怒”だったんだと思います。『歩いても 歩いても』で自分の身の回りのモチーフを切実に、狭く深く掘るという作業を行ってから、『海よりもまだ深く』までそれを続けてきて、なるべくミニマムに、社会へ視野を広げずに撮ってみるという考え方をいったん一区切りさせたんです。だからもう一度立ち返ったということじゃないでしょうか、原点に。
今回の『万引き家族』は喜怒哀楽の中でいうと〈怒〉の感情が中心にあったとプレスやパンフレットには書いている。だから余計に何かを告発した映画だと受け取られたのかもしれない。ただこの怒りというのは、例えばマイケル・ムーアが『華氏911』でブッシュを、スパイク・リーが今回の新作の中で展開している(らしい。未見)トランプを批判しているようなわかりやすいものではない。作品内にわかりやすく可視化されている監督のメッセージなど正直大したものではないと僕は考えている。映像は監督の意図を超えて気付かない形で「映ってしまっている」ものの方がメッセージよりも遥かに豊かで本質的だということは実感として持っている。
“息子”のポジションから“父親”という存在に
映画『万引き家族』 ©2018フジテレビジョン ギャガ AOI Pro.
本当は先に撮ろうと思っていた作品がひとつあったんですけど、先にこちらを撮ることになり、でもやってみたら、このタイミングで安藤サクラと出会えた。これは稀有な出会いだったなと思います。もともと会おうと思っていたわけではなくて、街でたまたま出会ったんです。
そういう積み重ねでモノってできてくるから、自分で本当に全部決めているのかな? って。それに、全部自分で決めたことが必ずしも上手くいくとは限らないですよね。
僕がずっとお世話になっていたプロデューサーの安田匡裕さんが2009年に亡くなったんです。僕にとって父親みたいな存在で、精神的にも、金銭的にも、ずーっとスネかじりでモノを作ってきたんですけど、自分でなんとかしなければいけなくなった。
長くいた(テレビ番組制作会社の)テレビマンユニオンを辞めて、自分で自分が作りたいものを作る集団を立ち上げたのですが、もし安田さんが健在だったら作ってないですね。
そこで、自分が“息子”のポジションから、今度はまわりの若い子たちに対して、“父親”とは言えないまでも、そういう存在にならざるを得なくなった。
それは望んだことではないけども、引き受けるしかないものだったから。でも、そうやって循環していくものなんじゃないかな。
現場で汗を流した人達が潤わないと
業界全体が発展していかない
映画『万引き家族』 ©2018フジテレビジョン ギャガ AOI Pro.
今、放送の現場は劣化してると言われているけど、それはやっぱり番組の権利を持たずに安く使われて、自分の番組だと思えなくなっているんだよね。どうしてもお金を出した人が偉いっていう発想が、日本の映画業界、テレビ業界には当然のようにあるからね。だけど、韓国の作り手とかと話していると、企画を考えて現場で汗を流した人間が一番偉いと言うね。その人達が潤わないと業界全体が発展していかないから。もちろん、韓国の方が日本よりもよっぽどビジネス最優先だから、当たるか当たらないかっていうところで作品の評価を分けてしまう。それでも当たった時に、お金を出していない制作者にもきちんと配分が行く契約になってるらしい。
作り手として感じるのは、ここ20年はずっと、監督発のオリジナル企画が映画になりにくい状況が続いていますね。ただ、そうすると間違いなく映画作品の多様性は失われていきます。
オリジナルでやろうと思ったら貧しさに堪えないといけない現実があって、その状況はなんとか変えていかないといけないですよね。
40~50代の僕の同世代、例えば僕の高校の同級生は、僕の映画は公開初日に見に来てくれるけど1年間で見た映画はその僕の映画だけという人が多い。それは、僕らの同世代が生きていく上で映画を必要としていない側面と、その世代が見たいと思う映画が無くなってきている側面の両方に起因するとは思います。でもそうなってくると、作る側としては、ドラマの視聴率と一緒で見てくれる層に向けて作るようになりますよね。
(FASHION PRESS[是枝裕和監督にインタビュー - 『万引き家族』でカンヌ映画祭最高賞パルムドール受賞]より)
(映画監督になるには)自分の身の回りにある、自分にとって切実な出来事にカメラを向むけてみては。意識的にカメラで撮ると、見えていると思っていたことが、実じは何も見えていなかったということに気づけます。そのためにも、頭は柔らかくしておくことが大切です」
映画は何かを告発するとか、
メッセージを伝えるための乗り物ではない
映画『万引き家族』 ©2018フジテレビジョン ギャガ AOI Pro.
受賞後の興奮と喧騒の中でパルムドールのトロフィーを持ったまま数えきれない取材を受けた。その中で1人、フランス人の女性インタビュアーのラジオ番組の取材を受けたのだが、彼女は執拗にこの映画が何を告発しようとしているのか?と質問の形を変えながら食い下がった。その目的が分かるといつも「映画は何かを告発するとか、メッセージを伝えるための乗り物ではない」という話をして終わりにするのだが、今回の記者はそれでも引き下がらない。こういう時はむしろ〈リベラル〉と日頃呼ばれている新聞、雑誌の方が頑なである。作品から作者の何らかのメッセージを受けとり、それを拡散することが私たちの使命だと考えている人が多い。本当に厄介である。本人たちはいたって真剣だし、傾向としてはもしかしたら近い思想信条に立っているのかも知れないが、作品をメッセージを運ぶ器だとしか考えない態度からは、恐らく作品を介して豊かなコミュニケーションの広がりは望めない。こうなったら意地でも告発とかメッセージについては言及を回避する。今回もそうした。結局不満そうに彼女は帰っていったけれど。
是枝裕和 プロフィール
1962年6月6日生まれ。東京都出身。早稲田大学卒業後、テレビマンユニオンに参加。14年に独立し制作者集団「分福」を立ち上げる。主なTV作品に、「しかし・・・」(91/CX/ギャラクシー賞優秀作品賞)、「もう一つの教育~伊那小学校春組の記録~」(91/CX/ATP賞優秀賞)などがある。95年、『幻の光』で監督デビューし、ヴェネツィア国際映画祭で金のオゼッラ賞を受賞。04年の『誰も知らない』では、主演を務めた柳楽優弥がカンヌ国際映画祭で最優秀男優賞を受賞。その他、『ワンダフルライフ』(98)、『花よりもなほ』(06)、『歩いても 歩いても』(08)、『空気人形』(09)、『奇跡』(11)等を手掛ける。13年、『そして父になる』で第66回カンヌ国際映画祭審査員賞受賞ほか、国内外で多数受賞。『海街diary』(15)でカンヌ国際映画祭コンペティション部門に正式出品され、日本アカデミー賞最優秀作品賞ほか4冠に輝く。『海よりもまだ深く』(16)が映画祭「ある視点」部門正式出品。前作、『三度目の殺人』(17)は第74回ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門正式出品、日本アカデミー賞最優秀作品賞ほか6冠に輝いた。
映画『万引き家族』是枝裕和監督 ©2018フジテレビジョン ギャガ AOI Pro.
映画『万引き家族』
6月8日(金)TOHOシネマズ日比谷ほか全国公開
高層マンションの谷間にポツンと取り残された今にも壊れそうな平屋に、治と信代の夫婦、息子の祥太、信代の妹の亜紀の4人が転がり込んで暮らしている。彼らの目当ては、この家の持ち主である初枝の年金だ。足りない生活費は、万引きで稼いでいた。社会という海の底を這うような家族だが、なぜかいつも笑いが絶えず、互いに口は悪いが仲よく暮らしていた。冬のある日、近隣の団地の廊下で震えていた幼い女の子を、見かねた治が家に連れ帰る。体中傷だらけの彼女の境遇を思いやり、信代は娘として育てることにする。だが、ある事件をきっかけに家族はバラバラに引き裂かれ、それぞれが抱える秘密と切なる願いが次々と明らかになっていく──。
監督・脚本・編集:是枝裕和
出演:リリー・フランキー 安藤サクラ / 松岡茉優 池松壮亮 城桧吏 佐々木みゆ
緒形直人 森口瑤子 山田裕貴 片山萌美 ・ 柄本明 / 高良健吾 池脇千鶴 ・ 樹木希林
撮影:近藤龍人
照明・藤井勇
音楽:細野晴臣(ビクターエンタテインメント)
配給:ギャガ
©2018フジテレビジョン ギャガ AOI Pro