骰子の眼

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2018-05-31 23:15


とても美しくておかしくて、とてつもなく複雑な母娘の愛の物語『レディ・バード』

グレタ・ガーウィグ(『フランシス・ハ』)初監督、シアーシャ・ローナン主演
とても美しくておかしくて、とてつもなく複雑な母娘の愛の物語『レディ・バード』
映画『レディ・バード』監督のグレタ・ガーウィグ(左)、撮影のサム・レヴィ(左) ©2017 InterActiveCorp Films, LLC./Merie Wallace, courtesy of A24

『フランシス・ハ』『20センチュリー・ウーマン』などに出演する女優のグレタ・ガーウィグが初監督を務めた映画『レディ・バード』が6月1日(金)より公開。911直後の2002年、自身の出身地であるアメリカのカリフォルニア州サクラメントを舞台に、ひとりの少女と家族の関係を描く自伝的な青春映画だ。webDICEではガーウィグ監督のインタビューを掲載する。

ニューヨークの大学進学を夢見る主人公“レディ・バード”ことクリスティーンと、「“気を配る”のと“愛する”のは一緒」と彼女を支える母の関係を、絶妙なコメディ・センスで名を知られるようになったグレタ・ガーウィグがユーモアを散りばめ丁寧に描写。シアーシャ・ローナンが、はすっぱなクリスティーンをいきいきと演じ、ガーウィグの生き写しと言える存在感を見せている。カミング・オブ・エイジ・ストーリーの定形をなぞりつつも、随所に差し込まれたガーウィグの人間関係へのあたたかなで真摯な眼差しが胸に迫る作品だ。


「私が知っている女性のほとんどがティーンエイジャーの頃、非常に美しく、とてつもなく複雑な関係性を母親との間に持っていました。これを中心とした映画を作り、全ての場面でどちらの立場にも感情移入できるようにしたかったんです。お互い苦しいほどに相手と理解し合えないながらも、最終的には究極の愛に報いたいと思いました。私にとって、これこそが最も感動するラブストーリーです。母と娘の間の愛こそが1番深いと思います」(グレタ・ガーウィグ監督)


自身の故郷サクラメントへのラブレター

──『レディ・バード』は、ご自身の人生から発想を得たものでしょうか?

私はカリフォルニア州サクラメント出身で、サクラメントが大好き。そんな街にラブレターを書きたいという思いが、この作品を作ろうと思った最初の動機でした。出身地に思いを馳せるようになったのは、離れてみてからのこと。作品内の出来事に実話は1つもないけれど、故郷、幼少期、自立に対する思いにつながる核心の部分は実話です。

映画『レディ・バード』 ©2017 InterActiveCorp Films, LLC./Merie Wallace, courtesy of A24
映画『レディ・バード』 ©2017 InterActiveCorp Films, LLC./Merie Wallace, courtesy of A24

──サクラメントにそこまで思い入れがある理由は?

作家のジョーン・ディディオンもサクラメント出身。ティーンエイジャーの頃、彼女の著書を初めて読んで衝撃を受けました。私自身、実際にダブリン(カリフォルニアの街)で生まれ育ったかのような感覚に襲われました。そしてすぐにジェイムズ・ジョイスも読みました。自分の故郷を芸術家の視点で見る経験は初めてでした。それまでは芸術や執筆というものが「重要」なものに対して行うべき行為だと思っていて、自分の人生は全く重要なものに思えていませんでした。でも彼女の美しく、明確で、具体性のある文章は私の住む世界について書かれていました。彼女の作品の中に出てくる女性をはっきりと思い描くことができたんです。クローゼットの整頓の仕方、大切にしている物事など、この地域特有の中流農家の世界観です。

カリフォルニアと聞いてサンフランシスコやロサンゼルスを思い浮かべる人が多いと思うけれど、カリフォルニア州の中央には農業が行われている壮大な渓谷が走っています。サクラメントはその北端に位置し、州都であるものの、農地が深く根ざしています。目立とうとしたり、ブランド化したり、売り込もうとしたりすることなく、慎み深くて、土地や人に対する誠実性がある地域なんです。

──あなたがサクラメントを去ったときのことを教えてください。どんな経験で、なぜそれを本作の重要な要素としたのですか?

この作品でまず初めに執筆したシーンの1つに、出身地を聞かれたレディ・バードが「サンフランシスコ」だと嘘をつくというシーンがあります。自分自身の存在を否定する際に起こる強い羞恥心こそが私の描きたいと思ったこと。これを核として映画を製作し、故郷を拒絶した彼女を見て観客に裏切られた感覚を味わわせたり、傷付いたりしてもらうことを狙いました。実際は異なったとしても、観客もサクラメント出身で、この地域や住む人々をよく知っているかのように。さらにレディ・バードは、初めて会った人に対して、故郷が10%でもかっこよく思われるように繕います。

──主人公のクリスティーンは自身の名前も拒絶し「レディ・バード」と名乗っています。そこにはどんな意味があるのですか?

名前を付け直すというのは、クリエイティブかつ神聖な行為。新しい名前を付けることを通して名づけ親となり、真のアイデンティティを見出します。真実を貫く上での嘘とも言えます。カトリックの伝統では信仰告白時に見習いたいと思う聖人の名前を付ける「コンファメーション・ネーム」というものがあります。脚本を書き始めた頃、どうしても打ち破ることのできない壁が次から次へと私の前に立ちはだかってきました。そんなとき、私は全てを放り出し、真っ白なページの上部に「何でレディ・バードと呼んでくれないの?約束したじゃない」と書きました。この変わった名前で呼ばせようとする女の子の素性を知りたかった。名前の由来については、不思議なことに書く前には思いついてもいなかったけど、響きが大好きでした。気取っていながらも古風で、脚本を書いていくにつれ、女の子の素性が明らかになってきました。

しばらくしてから、マザーグースに「レディ・バード、レディ・バード お家に飛んで帰りましょ」という歌があったのを思い出しました。子供たちが無事かどうか確かめるために母親が家に帰るという内容ですが、私が物事を創造的に生み出す際に必要不可欠な要素だったようです。無意識のうちに引き出してきたのでしょう。

──本作はレディ・バードが高校の最終学年にいる頃の話で展開されていきます。この時期の話を映画にしようとしたのは、なぜですか?

アメリカのティーンエイジャーは新入生、2年生、3年生、最終学年と、学年ごとに生活が変わります。だから、丸1年のストーリーを作るというのが私にとって理にかなったことでした。年間の儀式が循環し、始まりと同じ場所に戻って終わる。スパイラル状に上がっていく感じ。最終学年というのは鮮やかに燃え盛り、一瞬で消滅する。終わりが近づいている世界には特有の鮮やかさがあり、「終わり」直前の感情が存在する。これは親も子供も同じです。気づいたことのなかった美しさがあり、それに気づく頃には終わる。時間が押し寄せる様子も本作のテーマとしています。

監督をして学んだことは「自分より頭のいい人を雇え」

──監督をしてみて何か学んだことはありましたか?

監督についてはまだ学んでいる途中。80代になったとしても、学びを続けていきたいと思っています。でも確実に言えることは「自分より頭のいい人を雇え」ということ。撮影監督のサム・レヴィ経由で聞いた、偉大な撮影監督、故ハリス・サヴィデスの言葉です。これは出演者からセット美術のデザイナー、ポスターデザイナーにまで当てはまることだと思う。私は運よく自分よりも間違いなく頭のいい人に囲まれました。

もう1点、「監督」という肩書はあまりしっくりこないと思っています。「監督する」だけで、必要なものは全て揃っているというニュアンスがあるから。フランス語に「réalisateur(レアリザトゥール)」という呼び方があるように、監督というのは、映画を「実現」する人のこと。映画を現実に引き起こし、実際の形や存在を作り上げる。映画は作られなければ存在を誰にも知られることはなく、実現しなければ、存在する理由も全くないのです。

映画『レディ・バード』 ©2017 InterActiveCorp Films, LLC./Merie Wallace, courtesy of A24
映画『レディ・バード』 ©2017 InterActiveCorp Films, LLC./Merie Wallace, courtesy of A24

──最もやりがいを感じたことは何でしたか?

出演者の演技を見られたこと。私は1人で台詞を書いてきて、頭の中で台詞を聞いてきたけれど、突然命を吹き込まれ、私の想像を遥かに超える状態で具現化された。関わる人が自身のクローンで、全て自分の思い通りにできたらいいのにと望む監督もいると思うけれど、私はそういうタイプの監督じゃない。他者に魂と独創性の全てを注ぎ込んでもらうプロセスこそが、大きな喜びの1つでした。

──女優としての活動が、監督業にどのように影響していると思いますか?

女優として働いた経験から、オーディションのプロセスをとても慎重に扱っています。オーディションでは何度も屈辱感を味わわされたから。自分が全身全霊を注ぎ込んできたものに対し、顔を上げて見てももらえないとどんな気持ちになるか、分かっているつもりです。演技がすばらしくても、全員をキャスティングすることはできない。でも演技を見せてもらっている間、彼らを尊重し、配慮することはできます。

また、出演者が監督抜きの世界を持つ必要があるという点も強く感じています。出演者同士のつながりが必要で、それに監督が参加する必要はない。私は出演者が楽しむ場を与えたかった。だから、ある出演者と衣装デザイナーのミーティングを設定したとしても、私は参加しませんでした。2人だけで会話をし、一緒に役を作り上げている感覚を味わってほしいからです。

もちろん、いいと思うか思わないかを言って意見することはあるけれど、あまり入り込み過ぎないようにしたかった。俳優や女優であるということは、その役柄を所有するようなもの。にもかかわらず、他の人に「それは違う。こうして」と言われ続けたら、自分の役だという実感は決して生まれないと思います。はっきりと線引きをして、役を私から引き継げるようにするのが私の仕事。もはやそれぞれの役は私のものではないのだから。

映画『レディ・バード』 ©2017 InterActiveCorp Films, LLC./Merie Wallace, courtesy of A24
映画『レディ・バード』 ©2017 InterActiveCorp Films, LLC./Merie Wallace, courtesy of A24

──シアーシャ・ローナンをキャスティングした理由を教えてください。レディ・バードの役に適していると思われたのは、なぜなのでしょうか?

2015年のトロント国際映画祭の際、私は『ブルックリン』(15)のために来ていたシアーシャ・ローナンと会いました。彼女のホテルの部屋に座って、彼女と一緒に脚本を読み上げました。彼女が台詞を読み上げた瞬間から彼女がレディ・バードだと疑う余地もなかった。私の想像とは全く異なり、想像を遥かに超えていた。強情でひょうきんで、わくわくさせられました。また、普遍性も独自性も持ち合わせていたわ。彼女はブロードウェイで上演される「るつぼ」(16) のリハーサルに向かうところだったから、彼女を採用するなら製作を6ヵ月後ろ倒しにすることになったけれど、彼女以外に演じられる人はいなかった。2分読み合わせただけで彼女に決まりでした。

──シアーシャ・ローナンと一緒に役柄を作り上げていくプロセスはどんな感じでしたか?また、撮影していくにつれて、役はどのように進化していきましたか?

私が書く脚本が撮影中に変更となることはほとんどありませんでした。全ての台詞が書かれた通りに読まれました。映画は言葉を伝えることがメインではないけれど、元々私は演劇が好きだから、私にとって台詞は最重要なのです。

役柄を作り上げるプロセスというのはコラージュのようなもの。シアーシャ・ローナンはブロードウェイで演じていたので、演技の参考になる小説、詩、歌、写真などを少しずつ提供していきました。

撮影前、リハーサルを重ねるにつれ、私はシアーシャ・ローナンと何時間も話し合ったり、一緒に時間を過ごしたりするようになりました。このシーンでレディ・バードは何を着るだろうかということや、レディ・バードの歩き方や座り方について話しました。彼女は撮影の流れに合わせエモーショナルに、私の理想通りに役柄を作り上げてくれました。

映画『レディ・バード』 ©2017 InterActiveCorp Films, LLC./Merie Wallace, courtesy of A24
映画『レディ・バード』 ©2017 InterActiveCorp Films, LLC./Merie Wallace, courtesy of A24

仮タイトルは「母と娘」

──なぜ母と娘の関係性を本作のストーリーの中心にしたのでしょうか?

本作の中では、母と娘の関係性を愛の物語として描いています。長い間、本作の仮タイトルが「母と娘」だったほどです。

ティーンエイジャーの女の子を取り上げた映画というのは、ある男の子を中心にストーリーが展開されていく場合がほとんど。白馬の王子のような存在で、人生の悩み全てが解決してしまう。でも実際はそんなに簡単じゃない。

私が知っている女性のほとんどが、ティーンエイジャーの頃、とても美しく、とてつもなく複雑な関係性を母親との間に持っていました。これを中心とした映画を作り、全ての場面でどちらの立場にも感情移入できるようにしたかったのです。どちらかが「正しく」、どちらかが「間違っている」という構図は避けたかった。お互い苦しいほどに相手と理解し合えないながらも、最終的には究極の愛に報いたいと思いました。私にとって、これこそが最も感動するラブストーリーです。私の知る限りでは、母と娘の間の愛こそが1番深いと思う。

映画『レディ・バード』 ©2017 InterActiveCorp Films, LLC./Merie Wallace, courtesy of A24
映画『レディ・バード』 ©2017 InterActiveCorp Films, LLC./Merie Wallace, courtesy of A24

──レディ・バードと母親のマリオンは、どういう点で似ていると思いますか?

レディ・バードとマリオンは同じコインの両面のようだと思っています。似ている点があるからこそ親密でケンカが多い。シアーシャ・ローナンとローリー・メトカーフの背がほとんど同じだという点がすごく気に入っています。

世代の違いもあったと思います。同じアメリカで育つ女性と言っても、マリオンとレディ・バードでは全く異なります。レディ・バードは1980年代に生まれで、初めから大きく、野心的な夢を抱くことができた世代。マリオンは第二次世界大戦後の1950年代の文化で育っている。20代の頃に「ロー対ウェイド裁判」(1973年にアメリカ連邦最高裁が女性の人工妊娠中絶の権利に合法の判決を下した)があり、両親は世界大恐慌を生き抜いてきた世代。「物を大切にする」習慣も染みついている。私たちはこのような違いがいかに母と娘の関係性に影響しているかを軽視しすぎていると思います。

映画『レディ・バード』 ©2017 InterActiveCorp Films, LLC./Merie Wallace, courtesy of A24
映画『レディ・バード』 ©2017 InterActiveCorp Films, LLC./Merie Wallace, courtesy of A24

──2人の関係性は非常にリアルに感じます。出演者とどのようなプロセスで進めたのですか?

家族とケンカをしたことのある人なら誰でも知っている通り、新しいケンカというのは存在しない。何度も何度も同じケンカを繰り返している。何度も演奏しているせいで、他の人のパートも覚えてしまった音楽のような感じ。このような繰り返しを描きたかったんです。

セットではジョン・ヒューズの映画音楽を流した

映画『レディ・バード』 ©2017 InterActiveCorp Films, LLC./Merie Wallace, courtesy of A24
映画『レディ・バード』 ©2017 InterActiveCorp Films, LLC./Merie Wallace, courtesy of A24

──撮影現場の雰囲気はいかがでしたか?

セット内では『プリティ・イン・ピンク/恋人たちの街角』(86) や『すてきな片想い』(84) といったジョン・ヒューズの映画音楽を流しました。私の大好きな映画です。女性はこの映画のような恋愛を見て育ち、恋する相手が映画スターのような振る舞いをしていないと明らかであるにもかかわらず、それを単なる理想だと割り切ることはできません。本作は夢物語の中でもあり、外でもあるように作りたかった。感情の揺れ動きを感じながらも、不確かなものだという現実も認識している感じにね。

──本作は2002年という特定の年が設定とされていますが、そのことについてお話を伺いたいです。

スマートフォンを映すのに興味がなかったんです。現在、ティーンエイジャーを扱った映画を製作するとなると、オンラインで起こっていることが多すぎて、スマートフォンのスクリーンを映さずに映画を作るのは不可能だと思います。

より深い理由としては、9.11直後の映画を作りたかったからです。全く新しい時代に突入するきっかけとなった時期で、最近になりようやく私たちもそのことを理解し始めている。ただし、私の目的は世界の政治や国内の経済に関するコメントをすることではなく、それらを提示すること。中流階級の崩壊が起こり、今もなお新たな経済情勢の最中に生きています。作品の高校時代とは異なり、実際私は大学生だったけれど、イラク侵攻は私の記憶にも鮮明に残っています。そしてもちろん、今日もなお駐留しており、軍を全て引き上げてはいません。私が興味あったのは、現代のテレビで放送される戦争とそのプロパガンダや現場について。戦争の恐怖が自分に降りかかりつつも、全てが遠く離れた場所で管理されている。ということ。

戦争の恐怖に、就職市場の不安定さ、恋愛に友情。どのテーマも切り離すことができないのが人生で、歴史も個人の人生も同じ場所で同時に存在している、ということです。

「自分の人生の豊かさの認識」がテーマ

──宗教についてはレディ・バードの人生にはどのように関わっていると思いますか?

レディ・バードは特別信心深い人物ではなく、神秘的な体験をしたこともないけれど、彼女が変わるきっかけとなるのが宗教。彼女の人生が始まった場所でもあり、カトリックの伝統に基づいて育ったことで、彼女のルーツとなり、翼にもなった。本作の最後には教会に戻る。そこがホームだから。しかし、そこに居続けるわけにはいかない。前に進むためには与えられた恩寵を受け、感謝するしかないのです。

映画『レディ・バード』 ©2017 InterActiveCorp Films, LLC./Merie Wallace, courtesy of A24
映画『レディ・バード』 ©2017 InterActiveCorp Films, LLC./Merie Wallace, courtesy of A24

──本作の中で、階級はどのような役割を果たしていますか?レディ・バードは自身の階級について、明らかに恥ずかしさを感じています。

自身の家族が経済的に苦しいからです。しかし、「自分の人生の豊かさの認識」を本作のテーマの1つに設定していて、どれほど持っていないものが多いかではなく、どれほど持っているものがあるかを理解させようとしています。持つものと持たないものが明らかとなる超資本主義社会では「足る」という感情を実感させるのが難しいけれど、これはレディ・バードが変わるための旅の一部なのです。

また、家族の経済状況と自身の価値を関連させて考える点については、男子よりも女子の方が苦しむように思います。男子が同じ状況に陥っても、持つ物によって階級を比較する傾向が低く、スポーツに逃げるルートを常に持ち合わせています。なので、スポーツが得意だと安心ですが、女子の文化というのは靴の値段や車の高級さが中心になりがちなものですよね。

女子にとって、ティーンエイジャーであることというのは、服のブランドを通してお金を着ることでもあります。所持品にどれほどのお金をかけたかということを皆に知ってほしいのです。レディ・バードは、こういうところを不快に感じると同時に、うらやましくも思っているのです。

(オフィシャル・インタビューより)



グレタ・ガーウィグ(Greta Gerwig) プロフィール

1983年、カリフォルニア州サクラメント生まれ。『ベン・スティラー 人生は最悪だ!』(10・未)で注目され、インディペンデント映画シーンのミューズとして活躍。『フランシス・ハ』(12)でゴールデン・グローブ賞主演女優賞にノミネートされ、共同脚本も担当。また、『ミストレス・アメリカ』(15・未)などでも主演・共同脚本を務めた。主な映画出演作は、『抱きたいカンケイ』(11)、『ローマでアモーレ』(12)、『トッド・ソロンズの子犬物語』(15)、『マギーズ・プラン 幸せのあとしまつ』(15)、『ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命』(16)、『20センチュリー・ウーマン』(16)など。今後の映画出演作は、『犬ヶ島』(声の出演/18)などがある。




映画『レディ・バード』 ©2017 InterActiveCorp Films, LLC./Merie Wallace, courtesy of A24

映画『レディ・バード』
6月1日(金)より、全国ロードショー

2002年、カリフォルニア州サクラメント。閉塞感溢れる片田舎のカトリック系高校から、 大都会ニューヨークへの大学進学を夢見るクリスティン(自称“レディ・バード”)。高校生活最後の1年、友達や彼氏や家族について、そして自分の将来について、悩める17歳の少女の揺れ動く心情を瑞々しくユーモアたっぷりに描く。

監督・脚本:グレタ・ガーウィグ
出演:シアーシャ・ローナン、ローリー・メトカーフ、トレイシー・レッツ、ルーカス・ヘッジズ、ティモシー・シャラメ、ビーニー・フェルドスタイン、スティーヴン・マッキンリー・ヘンダーソン、ロイス・スミス

公式サイト


▼映画『レディ・バード』予告編

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