骰子の眼

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2018-01-27 18:55


飛ぶ力を持ったシリア難民の青年の運命―『ジュピターズ・ムーン』が映すヨーロッパの現実

ムンドルッツオ監督「未来として描こうとしていることがすべて現実になっていった」
飛ぶ力を持ったシリア難民の青年の運命―『ジュピターズ・ムーン』が映すヨーロッパの現実
映画『ジュピターズ・ムーン』 2017©PROTON CINEMA - MATCH FACTORY PRODUCTIONS – KNM

捨てられた犬と人間たちによる闘争と絆を描いた『ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲』のハンガリー出身のコーネル・ムンドルッツォ監督の最新作『ジュピターズ・ムーン』が1月27日(土)より公開。webDICEではムンドルッツォ監督のインタビューを掲載する。

人生に敗れた医師シュテルンが、不思議な力を持つ難民の少年アリアンと出会い、彼の逃亡を手助けすることになる。現在のヨーロッパの移民を巡る問題やテロリズムなどの問題をバックグラウンドとしながらも、スリリングなカーチェイスやアクションを盛り込み、エンターテインメントとしての高い完成度を誇る。誰もが小さい頃に覚える空を飛ぶ願望を視覚化したと言える、少年アリアンの浮遊シーンはとにかくファンタジックで、その奥にムンドルッツォ監督のヨーロッパの社会問題への真摯な問題意識を感じとることができる。


「空中を飛べる人間を中心に据えることは、観客の側にとっては自分が何を信じるか、空を飛ぶことに対してそれぞれ独自の関わり方をしている登場人物と自分をどういう点で対比するか、また、自分が観ていることを実際に信じるかなどの問題を提起することになる。奇跡を描くということは、観客の側がそういう世界にスムーズに入っていくことが求められる。観客がそうできるように、私は努力を重ねてきた。確かにこれは難民映画だが、絶対的な物事や不思議な物事に出くわす瞬間があると人は知る必要があることを描いており、その点では、神を探し求めている映画だと言える」(コーネル・ムンドルッツォ監督)


アリアンは難民の姿をしたキリスト教徒であり、天使だ

──『ジュピターズ・ムーン』というタイトルに込めた意味は?

エウロパは木星の惑星の1つで、ガリレオによって発見された。この映画をヨーロッパの物語として観てもらうことに意義がある。ハンガリーをはじめ、ヨーロッパで進行している危機を背景にした物語なんだ。加えて、この映画は現代のSFだということも伝えたかった。私は子供のころからSFが大好きで、それは『ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲』や『Tender Son: The Frankenstein Project』など初期の作品にも現れていると思う。また、この映画は〝alien〟(「宇宙人、外国人、よそ者」の意)であるというアイデアを描いている。「いったい誰がよそ者なのか」と常に問いかけているんだ。それは視点の問題に過ぎないんだけどね。信用や奇跡や、周りとは違うということに対して、新たな問題を提起するには、木星の遠く離れているイメージが適していると思った。

映画『ジュピターズ・ムーン』コーネル・ムンドルッツォ監督
映画『ジュピターズ・ムーン』コーネル・ムンドルッツォ監督

──この映画が描いているのは未来ですか?それとも現代ですか?

残念ながら、未来だとは答えられなくなったと言わなくてはならない。難民映画を作る上で、奇跡というものをあらためて考えるコンテクストとして、現在の危機的状況を使うのは当然だけど。もともと時代設定は未来だったんだが、映画の製作資金を集めているうちに、われわれが描こうとしていることがすべて現実になっていったんだ。われわれが描こうとしている難民情勢があまりにも現実と一致してしまったので、このまま進めるべきか、みんなで議論を重ねた。現在を描けばどうしても観念的な物語になってしまうので、私はできるだけ現在を描くことを避けてきた。現在より、古くからの芸術が持つアイデアを強く信じているんだ。それは、水がコンクリートの上を流れていくのに似ている。徐々に勢いがなくなっていき、消えていくんだ。事実に基づく政治的な芸術には、私はあまり興味を惹かれない。だから脚本を書き直すとき、言葉だけではなくストーリーという観点からも、距離を置いてもう一度みつめ直したんだ。

──飛ぶ力を持つというアイデアがきっかけでこのプロジェクトは始まったのですか?

子供のころ、アレクサンドル・ベリャーエフが書いた『Ariel』という本が大好きだった。空中を飛ぶことができる少年の話だ。超人的な力を持つ人間には、周囲との違いや緊張が生じるもので、それらを想像してみてほしい。大人になるにつれて、私は信頼という問題に直面するようになった。一定の文化と時代の中に存在する相対的な信頼より、もっと広く包括的で普遍的な信頼があるように思うんだ。すべての人間に影響を与え、特に、伝統的な宗教や神に対してわれわれが仕返しをしているような時や時代に、人間に影響を与えられるような信頼がね。ところが、われわれ個人の価値や特質は、お金や成功を基準にして決定され、大衆性という常に存在する概念やすぐに得られる喜びを基準にして決定されている。また当然、空中を飛べる人間を中心に据えることは、観客の側にとっては自分が何を信じるか、空を飛ぶことに対してそれぞれ独自の関わり方をしている登場人物と自分をどういう点で対比するか、また、自分が観ていることを実際に信じるかなどの問題を提起することになる。奇跡を描くということは、観客の側がそういう世界にスムーズに入っていくことが求められる。観客がそうできるように、私は努力を重ねてきた。確かにこれは難民映画だが、絶対的な物事や不思議な物事に出くわす瞬間があると人は知る必要があることを描いており、その点では、神を探し求めている映画だと言える。アリアンというキャラクターが、それを象徴している。アリアンは難民の姿をしたキリスト教徒であり、天使だと解釈することもできる。奇跡は、人間が期待したところには起こらず、また人間は奇跡が真に使われるべき方法で、奇跡を使ってはいない。

映画『ジュピターズ・ムーン』 2017©PROTON CINEMA - MATCH FACTORY PRODUCTIONS – KNM
映画『ジュピターズ・ムーン』アリアン役のゾンボル・ヤェーゲル 2017©PROTON CINEMA - MATCH FACTORY PRODUCTIONS – KNM

──難民情勢を映画にしたのはどんな思いからですか?

シューベルトの『冬の旅』がベースの演劇をやっていたとき、難民問題と関わりを持つようになった。当時のヨーロッパはまだ、難民危機が勃発したばかりだった。演劇の舞台が建設されている間、われわれはビチケの難民キャンプに移り、1,2週間過ごした。それ以来ずっと、あのキャンプでの経験を描こうとしてきた。私はあのキャンプで、自分はよそ者だ、周りとは違うんだという感覚を味わった。あのキャンプにいた人々には、ある種の不思議な神聖さがあった。彼らは時間も場所も超越したところに追いやられていたからだ。「喪失する」という心象や比喩は、キリスト教の礼拝や儀式における感覚にとても近いと思う。幼いころから私は礼拝や儀式に参加し、それらは私にとって身近なものだ。礼拝や儀式の場では、過去も未来もなく、現在しか存在しない。そしてそれさえも不確かだ。自分が自分でいるのかさえわからず、国を出たときと同じ人間なのかわからず、途中で別の人間になったのかもわからない。そんな状況にある人を、感情移入せずに見られる人はいないだろう。人間の心を持った人であれば。

映画『ジュピターズ・ムーン』 2017©PROTON CINEMA - MATCH FACTORY PRODUCTIONS – KNM
映画『ジュピターズ・ムーン』 2017©PROTON CINEMA - MATCH FACTORY PRODUCTIONS – KNM

人間の「堕落」を、私なりに表現する形を探していた

──シュテルン医師というキャラクターとその変貌について教えてください。

私は老人と若者の関係を描きたいとずっと思ってきた。このストーリーはカタ・ヴェーベルが書いたんだが、彼女は代々、医者の家系に生まれ、それがキーとなっている。われわれはシュテルン医師というキャラクターを得て興奮した。シュテルン医師は、現代において医療に携わる人間の典型だ。信念をなくし、人を癒すことへの情熱をなくし、夢や希望もなくして、ただ生活のために仕事を続けている。人生には、行き詰まってしまって出口もなく、何かをつかもうと必死でもがく時期が何度もある。私はずっと、アリアンというキャラクターを理解しようとしてきた。だが歳を重ねるとともに、シュテルン医師を理解したいと思うようになった。当然、アリアンにもシュテルン医師にも、自身を重ね合わせる要素がたくさんあるし、2人の友情を描いたストーリーラインも、私にとってとても重要だ。私がシュテルン医師を通して伝えたいのは、自分にとって大切なものができれば、人は変わることができる、明白な物事によって見えなくなってしまった目を、再び開くことができる、ということなんだ。われわれはシュテルン医師というキャラクターを、目が見えなくなっている人間に仕立てあげた。シュテルン医師は奇跡的な力を持つアリアンと出会ったときでさえ、自分の得になることしか考えない。自分を犠牲にすることができてはじめて、益を得られるということになかなか気づくことができないんだ。

映画『ジュピターズ・ムーン』 2017©PROTON CINEMA - MATCH FACTORY PRODUCTIONS – KNM
映画『ジュピターズ・ムーン』シュテルン医師を演じるメラーブ・ニニッゼ 2017©PROTON CINEMA - MATCH FACTORY PRODUCTIONS – KNM

──本作は『ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲(ラプソディ)』の姉妹編と言えると思いますか?

『ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲』はいくつもの層から構成されていたが、『ジュピターズ・ムーン』は、それがさらに強くなっている。私は人間の「堕落」を、私なりに表現する形を探していた。ジャンルを先に1つにしぼってしまっては、その形をみつけられないと思った。そして実際、1つのジャンルでは表現できなかったんだ。

『ジュピターズ・ムーン』も固定観念やジャンルという要素を利用しているが、それらを1つの層として扱っている。そこが『ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲』とは違う。私はいくつかのジャンルを組み入れた中で、真実が描き出せると思う。1つの大きなジャンルの中ではなく、現実が複雑に絡み合った中でね。この方法で描いていくのがとてもおもしろいんだ。失敗はしていないと思うよ。私がハンガリーで運営しているプロトン・シアターの演劇も同様の手法を用いているが、観客が増加している。作品で扱う問題を少なくしたからではなく、観客から活発な反応を得られているからだと感じている。それが私には大切なことなんだ。

──前作に比べてCGを多用しています。

『ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲(ラプソディ)』ではほんのいくつかのシーンでCGを使っただけで、実際にはほとんど使っていない。本作もそうするつもりだったし、基本的には使わずにできた。もちろん、空中浮遊のシーンはCGなしで描くのは無理だ、人間は飛べないからね。たとえ30か40メートルほど空中に浮き上がるにしてもね。CGは使い方次第で良くも悪くもなる。適切に使えば、途轍もないものが創造できる。だが使い方を間違えると、安っぽくて作りものめいた薄っぺらな映像になってしまう。この映画では古いものと新しいものが出会うので、35ミリのフィルムで撮った。必要なところだけ視覚効果を使い、どのシーンも現実と比較して製作した。

映画『ジュピターズ・ムーン』 2017©PROTON CINEMA - MATCH FACTORY PRODUCTIONS – KNM
映画『ジュピターズ・ムーン』 2017©PROTON CINEMA - MATCH FACTORY PRODUCTIONS – KNM

──本作はスリラーの側面もあり 走って追跡するシーンや カーチェイスなどスリリングな追跡シーンもある。これらをどうやってまとめあげたのでしょう?

この映画は、規模の面でも大きな挑戦だった。これほど大規模なシーンから成る映画を撮ったことがなかったんだ。また、丹念に広角的に考案された要素をあらためて考え直せることにも興奮した。カーチェイスのシーンは、実際にカーチェイスをしなければ作れない。見事に完成されたカーチェイスのシーンをまねても、何の意味もない。われわれには独自のやり方が必要だった。撮影も難しかった。この映画は本質的にはいくつもの層から構成されているので、どのシーンもきちんと調整することが必要だったんだ。背景は前景と同様に大切だ。どの角度から撮っても、どんなに小さなものを撮っても、すべてうまくかみ合い、スムーズに挿入する必要があった。セットの大道具を何度も何度も動かした。人がひしめき合い、息が詰まるような人口過密な町を再現したかった。そんな中で空中浮遊する瞬間は、心からの平穏を与えてくれる。われわれもまた、人であふれ返った町に住んでいたから、その感覚がわかるんだ。

映画『ジュピターズ・ムーン』 2017©PROTON CINEMA - MATCH FACTORY PRODUCTIONS – KNM
映画『ジュピターズ・ムーン』 2017©PROTON CINEMA - MATCH FACTORY PRODUCTIONS – KNM

──今後も演劇の演出を続けるつもりですか?

ああ、演劇とオペラの製作も続ける。映画と映画の間に、演劇かオペラを2、3作、作ってるんだ。オペラはとても多くのことを経験できる。オペラが大好きなんだ、実際の生活では出会えないようなことを経験できるジャンルだからね。私はプロトン・シアターという劇団を率いている。近年のプロジェクトのうち、2つは『冬の旅』で、シューベルト作の連作歌曲『冬の旅』をベースにした大規模な演劇だ。もう1つは『悲しみは空の彼方に』で、ダグラス・サーク監督の同名の恋愛映画をベースにしている。実際は、戯曲化するために新しく解釈したものだ。登場人物は4人、シーンは2つと、全体的に最小限にした。現時点では、演劇と映画の両方をいつまで続けていけるかわからない。だが、失敗や成功だけでなく、疑問や答えという点から見ると、両方続けていくほうが創作力がわき、インスピレーションを得られる。いまはハンブルクで、ハウプトマン作『The Weavers』の上演に向けて準備しているよ。

次作は「信頼」がテーマの3部作、最後の作品

──監督が今後扱ってみたいテーマは何ですか?

私はコンセプトから作業を発していくタイプではない。大切なのは自分の心に触れるかどうかで、それが無くして作品を作ることはできない。それが私のコンセプトだとも言える。つまり、物語が自分の心に響かなくてはいけない。もちろん、何らかのリスクを負っていたり、何か新しいものを映画の上で切り開いていくタイプのものであってほしいとは思う。観客としても同じことが言えますが、既にあるものと同じような作品は観たくないし作りたくないんだ。

──次の作品は?

ウラジーミル・ソローキンの小説『氷』をやりたい。そう思ってからもう10年も経つ。いまが映画化する時期だと思うんだ。『ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲』、『ジュピターズ・ムーン』に続き、信頼を描いた3部作の最後の作品になるだろう。さらに大きく前進する挑戦になると思うし、この道を追求したい。確かなことが1つある。私は新しいストーリーを早く語りたくて仕方ないんだ。

ハリウッドでの作品も決まっている。ブラッドリー・クーパーとガル・ガドット主演、マックス・ランディスの脚本による『Deeper』というタイトルの作品だ。マックスはジャンルをミックスさせていくようなタイプの脚本家で、今回もそういった作品になっていると思う。かつて宇宙飛行士だった男が主人公の物語だ。彼は事故で宇宙に行くことができなくなってしまうが、「地球の一番深いところに行く」と息子に約束をして、一人で潜水艇に乗り、海に潜っていく。そこである女性と出会うんだ。ずっとひとつの空間で撮影していることもあり、ラジカルで神秘的な作品になるのではないかと思う。

映画『ジュピターズ・ムーン』 2017©PROTON CINEMA - MATCH FACTORY PRODUCTIONS – KNM
映画『ジュピターズ・ムーン』 2017©PROTON CINEMA - MATCH FACTORY PRODUCTIONS – KNM

──カンヌのレッドカーペットで「これまでにない独特な作品を作ろうと思った」と答えていますが、これまで映画祭を含め、数多くの国で上映または公開された中で観客の反応はいかがでしたか?

一般の観客が、作品に対して良い反応を示してくれたことはとても嬉しい驚きだった。作品のジャンルがミックスしていき、作品のもつ意味がスイッチしていくのを楽しんで、自由に受け入れてくれたようだった。

今日においては人生、生きることというのは非常に複雑なものとなっているが、観客がその複雑さを受け止めて、「難しい」や「わからない」と言って拒むことがなかったことが非常に嬉しかった。カンヌ国際映画祭以外の映画祭でも同様の反応が得られたのではないかと感じている。

──オリジナル脚本にこだわる理由を教えてください。

映画作りにおいては、オリジナルの脚本が源泉であり、作品をユニークにしてくれるものだと感じている。演劇においては古典の再解釈といったことが頻繁に行われているが、映画には本来オリジナルの物語が多く、それらを語り続けることが重要だと思いう。それを忘れて、他のジャンルや作品を模倣するだけの映画を作り続けている国では、映画が衰退してしまうのではないだろうか。

(オフィシャル・インタビューより)



コーネル・ムンドルッツォ(Kornél Mundruczó) プロフィール

ハンガリー出身。脚本家、映画監督、舞台演出家、プロトン・シネマとプロトン・シアターの創設者。『Jupiter’s Moon』は映画監督として5作目の作品で、カンヌ国際映画祭でプレミア上映された。映画作品は他に『Johanna』、『Delta』、『Tender Son』、そして2014年度カンヌ国際映画祭「ある視点」部門グランプリ受賞の『ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲(ラプソディ)』。




映画『ジュピターズ・ムーン』
1月27日(土)新宿バルト 9ほか全国ロードショー

監督:コーネル・ムンドルッツォ
出演:メラーブ・ニニッゼ、ギェルギ・ツセルハルミ、ゾンボル・ヤェーゲル、モーニカ・バルシャイ
脚本:カタ・ヴェーベル
撮影:マルツェル・レーヴ
編集:ダーヴィド・ヤンチョ
音楽:ジェド・カーゼル
2017年/ハンガリー・ドイツ/DCP5.1ch/シネマスコープ/英語、ハンガリー語/128分
英題:Jupiter's Moon
字幕翻訳:横井和子
配給:クロックワークス

公式サイト


▼映画『ジュピターズ・ムーン』予告編

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