骰子の眼

cinema

東京都 渋谷区

2017-11-02 18:30


坂本龍一は震災以降どのように変化したのか 5年間密着した映画『Ryuichi Sakamoto: CODA』

「坂本さんがとにかく嫌うのは、説明的になることだった」監督が語るドキュメンタリーの裏側
坂本龍一は震災以降どのように変化したのか 5年間密着した映画『Ryuichi Sakamoto: CODA』
映画『Ryuichi Sakamoto: CODA』 ©2017 SKMTDOC, LLC

音楽家、坂本龍一の震災以降の活動を追ったドキュメンタリー『Ryuichi Sakamoto: CODA』が11月4日(土)より公開。webDICEではニューヨーク在住のスティーブン・ノムラ・シブル監督のインタビューを掲載する。


シブル監督は坂本龍一の2011年の東日本大震災以後の活動に5年間密着し、レコーディング風景はもちろん、東日本大震災の津波で被災した宮城農高のピアノを弾く姿や、原発再稼働反対の官邸前デモに参加する様子などを記録。2014年7月から1年間中咽頭ガンにより治療に専念せざるを得なかった時期の思いや、『戦場のメリークリスマス』『ラスト・エンペラー』『レヴェナント 蘇えりし者』などこれまで手がけてきた映画音楽制作の逸話、そして敬愛するアンドレイ・タルコフスキー監督への思いがインタビューにより明らかになっている。YMO活動時代など多彩な資料映像も交え、2017年に8年ぶりのニューアルバム『async』をリリースした坂本龍一の表現そして思考の変遷を辿ることができるドキュメンタリー作品となっている。


「坂本さんはやはり音楽家ですから、即興をとても大切にされるんですね。なので、こちらもあまり決め込むのではなく、即興的にカメラを回すと、それに応えてくれるということはよくありました。逆に、こういうことを言ってほしい、こういうふうに描きたい、というこちらの意図を見透かされると、絶対にこちらの思い通りのことはしてくれない(笑)。坂本さんがとにかく嫌うのは、説明的になること、説明的なものなんです」(スティーブン・ノムラ・シブル監督)


予定よりも長くなった撮影期間、しかしこの作品に込めようとしていた意志は変えようがなかった

──坂本さんに本作の制作のオファーをしたのは、どのようなきっかけだったんですか?

自分は東京で生まれ育ったんですが、ちょうど坂本さんがニューヨークに拠点を移した時期と同じ80年代後半に大学入学のためにニューヨークに引っ越したんですね。その後も、接点といえば、坂本さんのニューヨークでおこなったコンサートを見に行ったくらいだったんですけど、2012年にニューヨークの教会で開催された京都大学原子炉実験所助教(当時)の小出裕章さんの講演会に行った時、その客席に坂本さんの姿をお見かけしたんです。そこでの坂本さんの真剣なたたずまいに、自分はとても強い印象を受けたんですね。それで、坂本さんの活動全般を追った作品が作れないかと考えるようになって、共通の知人を通して、数日後にご本人にアプローチをしたんです。

映画『Ryuichi Sakamoto: CODA』スティーブン・ノムラ・シブル監督 © Kazuko Wakayama
映画『Ryuichi Sakamoto: CODA』スティーブン・ノムラ・シブル監督 © Kazuko Wakayama

──本編は2011年の東日本大震災で水没したピアノと坂本さんを収めた映像から始まりますが、その話を聞くと、どうしてあのシーンで始まったのかがわかりますね。

その後、坂本龍一さんの身にはご病気をはじめ様々なことが起こって、作品の撮影期間も当初の予定よりもかなり長いものになりました。その膨大な素材を前にして、作品の構成についていろいろと考えたんですが、最初のきっかけとなった、この作品に込めようとしていた意志のようなものは、変えようがなかったんですね。今でも、その判断は間違ってなかったと思ってます。

映画『Ryuichi Sakamoto: CODA』 ©2017 SKMTDOC, LLC
映画『Ryuichi Sakamoto: CODA』 ©2017 SKMTDOC, LLC

──当初はどのくらいの期間、坂本さんの活動を追う予定だったんですか?

きっかけは震災後の坂本さんの様々な活動だったのですが、坂本さんはやはり音楽家、それもパフォーマーである前に作曲家ですから。作品を撮り初めてすぐに、精力的に動いている坂本さんだけでなく、これは作曲をしているところも撮らせていただかなくてはと気づいたんです。撮影当初の坂本さんは大変お忙しくされていて、ようやくオリジナルの新しい作品の制作が本格的に始まったのが2014年の夏でした。そこで、作曲をしている姿を撮影し始めたわけですけど、始めてから3日後に「ちょっと喉の調子が悪い。少し休ませてください」と坂本さんがおっしゃって。そのまま、その時の作業が再開することはありませんでした。ご病気が発覚する前の段階では、この作品は2015年のうちに完成する予定だったんです。

映画『Ryuichi Sakamoto: CODA』 ©2017 SKMTDOC, LLC
映画『Ryuichi Sakamoto: CODA』 ©2017 SKMTDOC, LLC

──つまり、2年ほど制作期間が伸びたわけですね。一時は、作品自体の完成も危ぶまれたりしたのではないですか?

それ以前に、坂本さんがもう声を失うんじゃないという心配がありました。坂本さんへの長いインタビューは撮影の終盤にやる予定だったので、作品が成り立たなくなる可能性も考えました。だから、これはあくまでも結果的にですが、約5年間という長い期間にわたって坂本さんにとってとても重要な時期の映像を収めることになったと思っています。

映画『Ryuichi Sakamoto: CODA』 ©2017 SKMTDOC, LLC
映画『Ryuichi Sakamoto: CODA』 ©2017 SKMTDOC, LLC

20年後、30年後、自分の子供の世代が観てくれる作品を目指す

──本作は9月に行われたベネチア国際映画祭へ公式出品され、日本の観客だけでなく、海外の観客の目にも触れました。シブル監督の視点は、いわばその中間的な存在のようにも思えるのですが、具体的にはどのような観客を意識して作られた作品なのでしょうか?

自分が作品を作る時は、あまり観客の視点というのを考えることはないんです。考えるとしたら、同時代にどのような観客に観られるかということより、むしろ20年後、30年後、自分の子供の世代がその作品を観てくれるかどうかですね。こういう一人の人物を追ったドキュメンタリー作品って、いわばタイムカプセルのようなものだと思うんです。もちろん多くの方に楽しんでほしいという気持ちはありますけれど、それ以上に、普遍的な作品であることを目指して作りました。

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映画『Ryuichi Sakamoto: CODA』 ©2017 SKMTDOC, LLC

──被写体である坂本さん、そして作品を見る人。その間に立って作品を作っていく上で、どのようなことを心がけられたのでしょうか?

人物をテーマにしたドキュメンタリー作品というのは、現代における一つの肖像画のようなものだというのが自分の考えなんですね。以前に、エリック・クラプトンさんの作品も作らせていただきましたが、英語で言うとCelebrity Portraitureという言葉があって、ドキュメンタリーにもいろいろなやり方がある中で、自分がやっているのはそういうものだという自覚があるんです。19世紀以前でいうと、肖像画家のような仕事ですよね。ただ、そこに作者としての解釈がないかというと、そういうわけではまったくなくて。絵筆でも、カメラでも、誰かの肖像を描くというのは、解釈がとても重要な仕事なんですね。画の背景は何にするか、どういう角度から描くか、そして作品を残すというパブリックな役割。それは肖像画でもドキュメンタリー映画でも同じことだと思います。

映画『Ryuichi Sakamoto: CODA』 ©2017 SKMTDOC, LLC
映画『Ryuichi Sakamoto: CODA』 ©2017 SKMTDOC, LLC

自分にとって重要だったのは、坂本さんの人間の部分

──坂本さんとの撮影中のやりとりで、印象的だったことをいくつか教えてください。

坂本さんはやはり音楽家ですから、即興をとても大切にされるんですね。なので、こちらもあまり決め込むのではなく、即興的にカメラを回すと、それに応えてくれるということはよくありました。逆に、こういうことを言ってほしい、こういうふうに描きたい、というこちらの意図を見透かされると、絶対にこちらの思い通りのことはしてくれない(笑)。坂本さんがとにかく嫌うのは、説明的になること、説明的なものなんです。インタビューでも、ちょっとわかりづらいと思ったところで説明を求めるとお嫌そうでしたね(笑)。

──大変ですね(笑)。

いや、一番大変だったのは坂本さんだったと思います。ご病気のこともあったのに、最後まで付き合っていただいて。坂本さんは『映画は監督のものだから』ということを何度もおっしゃってくださって。逆にそう言われることでプレッシャーも感じたんですけど、最後までその姿勢を貫いてくださったことは本当に感謝してます。

映画『Ryuichi Sakamoto: CODA』 ©2017 SKMTDOC, LLC
映画『Ryuichi Sakamoto: CODA』 ©2017 SKMTDOC, LLC

──それは、あれだけの名だたる巨匠監督たちと濃密にお仕事をされてきた坂本さんならではの、知見のようなものなんでしょうね。

そうなのかもしれません。そういう意味でも、信頼関係が揺らいだことは一度もありませんでした。言うまでもなく、坂本さんは傑出した才能の持ち主なわけですけど、それでも自分と同じ人間なんですね。映画というのは、結局は人間と人間が作るものであるという、そういうことを本質的にわかっていらっしゃるんじゃないでしょうか。自分にとって重要だったのは、坂本さんの人間の部分だったんです。そこには必然として、古典的なストーリーの要素であったり、主人公が変化していく姿がある。映画では、あまり固有名詞について語ったり、坂本さんの現在のステイタスだったり、マニアックな情報を描いても仕方がないんです。テレビや雑誌の特集などではそういう部分もある程度必要になるのかもしれませんが、20年後、30年後も通用するような作品を作ろうとするのが、映画という表現だと思うんです。だから、この作品が通用するかどうかについては、時間が証明してくれるでしょう。自分としては、通用していることを願うことしかできません(笑)。

(オフィシャル・インタビューより 取材・文:宇野維正)



スティーブン・ノムラ・シブル(Stephen Nomura Schible) プロフィール

1970年、東京生まれ。日本人の母親とアメリカ人の父親の元で育つ。18歳でニューヨークに移住しニューヨーク大学で映画製作を学ぶ。在学中に、原一男監督のアシスタント・ディレクターを務める。90年代後半、プロデューサー代理として、青山真治監督『EUREKA ユリイカ』(00)、河瀬直美監督『火垂』(00)などの海外窓口・国際マーケティングを担当。マルグリット・デュラス原作『二十四時間の情事』(59)のリメイクで諏訪敦彦監督『H story』(01)にも参加。ソフィア・コッポラ監督『ロスト・イン・トランスレーション』(03)では、共同プロデューサーとして日本サイドの全製作業務を担当。2004年、エリック・クラプトンが敬愛するブルース界のレジェンド、ロバート・ジョンソンへのトリビュートとなった音楽ドキュメンタリー『セッションズ・フォー・ロバート・J』を監督・製作。以後、広告コンテンツの製作等や映画製作を続けている。ニューヨーク州在住。




映画『Ryuichi Sakamoto: CODA』
11月4日(土)より角川シネマ有楽町、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国公開

出演:坂本龍一
監督:スティーブン・ノムラ・シブル
プロデューサー:スティーブン・ノムラ・シブル、エリック・ニアリ
エグゼクティブプロデューサー:角川歴彦、若泉久央、町田修一、空 里香
プロデューサー:橋本佳子
共同制作:依田 一、小寺剛雄
撮影:空 音央、トム・リッチモンド, ASC
編集:櫛田尚代、大重裕二
音響効果:トム・ポール
製作/プロダクション:CINERIC、BORDERLAND MEDIA
製作:KADOKAWA、エイベックス・デジタル、電通ミュージック・アンド・エンタテインメント
制作協力:NHK
共同プロダクション:ドキュメンタリージャパン
配給:KADOKAWA
2017年/アメリカ・日本/カラー/DCP/American Vista/5.1ch/102分

公式サイト


▼映画『Ryuichi Sakamoto: CODA』予告編

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