ヴロツワフのアトリエで制作中の古賀陽子さん(2016年)
ゴッホの死の真相を全編動く油絵で構成した映画『ゴッホ~最期の手紙~』が11月3日より公開。webDICEでは、日本人で唯一このプロジェクトに画家として参加した古賀陽子さんのインタビューを掲載する。
『ゴッホ~最期の手紙~』は、ダグラス・ブース、ヘレン・マックロリー、シアーシャ・ローナン、エイダン・ターナーといった俳優が演じた実写映像をもとに、125名の画家による62,450枚の油絵で構成されている。今回のインタビューでは、5,000人以上の応募のなかから50倍の倍率を乗り越え採用された経緯やアトリエでのエピソードを聞いた。
「アトリエでは、制作側が考えているレベルに対する理想の速さを100%として、成績が壁に張り出されるんです。それによってお給料も変わってきます。私も始めは遅かったんですけれど、最後には100%以上になりました。私がいたスタジオ全体としても、他のスタジオに比べて成績が悪かったんですけれど、最終的に1位になって喜び合いました(笑)」(古賀陽子さん)
骨格や筋肉を把握した上で人体を描く
──最初に、どのような経緯でこの映画に参加することになったのでしょうか?
実は、もともと特別ゴッホに思い入れがあるわけではなかったんです。たまたま母が朝の情報番組『あさチャン!』の世界のニュースを紹介するコーナーで、全て手描きの油絵の映画が現在制作中で、画家を募集しているというのを知って「完成したら一緒に観にいこうね」と言われたんです。私はぜひ参加したい!とすぐネットで検索して、ワールドワイドで募集していることを知りました。
古賀陽子さん
今は、デジタルで絵を描く仕事はありますが、手描きの油絵の仕事ってほんとうにないので、なんとか自分の手描きの油絵で仕事がほしいと思っていたら、まさにそういう仕事でしたし、映画の制作に携われるってすごいなと思って、応募を決めました。
2016年の4月初旬に、応募フォームに入力していままで描いた油絵の作品の画像を添付して応募したら、ポーランドに採用試験を受けにくるようにと連絡があり、すぐポーランドに行って5月30日から採用試験を受けて、トレーニングという名の二次試験を受け、採用されたんです。そのままポーランドに残って絵を描くことになりました。
ポーランドに行ってみて、制作に参加して、ゴッホの絵を模写したり、彼の画風で描くことによって、やはりゴッホはすごい画家であることをあらためて思い知らされました。どんどん好きになっていきましたね。
▼ヴロツワフでの画家のトレーニングの様子
──いきなりの映画制作の現場で不安はありませんでしたか?
白黒のリアルなシーンなら自分に向いているかなと思って応募したんですけれど、人が足りているので、ゴッホのタッチのカラフルなシーンを任されて、ちょっと焦りました(笑)。
映画『ゴッホ~最期の手紙~』 ©Loving Vincent Sp. z o.o/ Loving Vincent ltd.
──振り返って、古賀さんが採用されたのはどこがポイントだったと思いますか?
採用試験では主人公の青年アルマン・ルーランのアップを描いて受かったので、イタリア留学中に勉強した解剖学が役に立ったのかなと思います。人物の表情の流れは筋肉や骨に添っているもので、人体を描くときに、骨格や筋肉を把握した上で描くという勉強が活きたのかなと思います。
普段から肖像画を描くことが多いので、人物のアップのシーンを描きたかったのですが、人物の引きの絵、カラスが飛んでいる絵や教会の絵が回ってきたのは想定外でした。
"映画『ゴッホ~最期の手紙~』 ©Loving Vincent Sp. z o.o/ Loving Vincent ltd.
3ヵ月で約580コマ描いても作品にしたら1分弱
──どのような場所で、どれくらい制作したのですか?
ヴロツワフという街にあるスタジオで個室のアトリエを与えられ、日によって違う光が入らないように、カーテンを閉めて作業していました。トレーニングと試験が1ヵ月くらいあって、その後週5~6日で3ヵ月作業していました。その間集中力を保つのがめちゃくちゃ大変でした。
カーテンがかかった個室のアトリエが並ぶヴロツワフの制作スタジオ。画家たちが描いた絵も貼られている。(写真提供:古賀陽子さん)
しんどいと思ってしまったら本当にしんどくなってしまうので、自分を奮い立たせました。シーンを通して見ると動いていますが、一コマやっと終わってもまた同じ絵の連続なので、技術的にはもちろん、精神的な大変さがありました。これが6ヵ月や1年だったら耐えられなかったかもしれませんが、私は3ヵ月と期間を決めていたのでがんばることができました。
シーンによって異なりますが、一日平均6コマ、トータルで約580コマを描きました。それだけがんばっても作品にしたら1分弱にしかなりません(笑)。
個室のアトリエの内部(写真提供:古賀陽子さん)
アトリエでは、制作側が考えているレベルに対する理想の速さを100%として、成績が壁に張り出されるんです。それによってお給料も変わってきます。私も始めは遅かったんですけれど、最後には100%以上になりました。私がいたスタジオ全体としても、他のスタジオに比べて成績が悪かったんですけれど、最終的に1位になって喜び合いました(笑)。
個室のアトリエの様子(写真提供:古賀陽子さん)
──制作体制については?
私のいたスタジオには、もともと画家だった人が上司として監修していました。毎日データをメインスタジオに送って監督がチェックして、何か指示があれば上司から聞いて絵に反映させていました。
▼作業風景タイムラプス
──一緒に作業したのは、どんな画家だったのですか?
私のいたスタジオには10人いたのですが、建物の修復をしている人や、英語の先生をしながら絵の活動をしている人、大学を休業してやっている18歳の子もいれば、4、50代の方、家族を置いて来ているスペイン人や、アメリカ人、マケドニア人など、国も境遇も本業も様々でした。
▼ギリシャ・アテネのスタジオの様子
「似ているだけじゃだめ、かすれ具合まで同じにして」
──制作中で大変だったことは?
監督からのOKがないと次に進めないのですが、例えばカラスを黒で描いていても、途中で「やっぱり青にして」と言われて、前のコマに戻って泣く泣く描きなおしたりしたのは精神的に疲れました。教会のシーンを任されたときは、ゴッホの「オーヴェルの教会」をとにかく模写をしていたんですが、「似ているだけじゃだめ、かすれ具合まで同じにして」と言われて苦労しました。
▼ゴッホの「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」を再現したシーンの制作過程
──そこには古賀さんというひとりの画家としての作家性は込められていると思いますか?
そのときは自分が何かを一から作り上げるという創造の楽しさというよりも、ただただ制作を、作業すること自体を楽しんでいました。そこにも自分なりのこだわりを加えたり。
映画『ゴッホ~最期の手紙~』 ©Loving Vincent Sp. z o.o/ Loving Vincent ltd.
──作品は、ゴッホの最期の日々を克明に描いていますが、古賀さんご自身もゴッホの気持ちを想像したり、ゴッホになりきるような意識もあったのでしょうか?
ゴッホについては、すごい意思を持っているのに、本人が知るなかでは絵が1枚しか売れてなかったり、というエピソードは泣けましたし、彼の生き様や悲劇的な人生に共感しました。
──完成した作品をご覧になったときは、どんな気持ちでしたか?
物語のなかに自分のシーンが入っているのを観て感慨深いものがありました、カットされてない!って(笑)。苦労してきたので、愛着が半端なかったです。
ゴッホの人生だけでなく、さらに死について深く迫っているというその着眼点と、ミステリータッチになっているところもすごく面白かったです。ゴッホの死生観も描かれていて、感動的でした。
映画『ゴッホ~最期の手紙~』 ©Loving Vincent Sp. z o.o/ Loving Vincent ltd.
文化の違いを越えて交流できることが芸術の力
──ゴッホの幻の作品の復元作業にも尽力されましたが、この作品への参加は古賀さんにとって大きかったですか?
そうですね、ゴッホのファンなら実際に美術館に行ったり画集を見て彼の作品をたくさん知っていると思いますが、この作品にはいろんなゴッホの作品が盛り込まれていて、視覚的に動く絵としてゴッホの作品を体験できるということはすごい意味のあることだと思います。
今回復元した「恋人たちのいるラングロワの橋」についても、明確な答えではないですが、実在しない作品に思いをはせるきっかけになる意義のあるプロジェクトで、参加できて光栄です。
──イギリスとポーランドの合作で世界各国の画家が参加しての制作ですが、日本でもこうした国際的なプロジェクトがたくさん生まれたらいいですね。
ぜひ実現させたいですね!芸術の力って文化の違いを越えて交流できること。政治的に冷え切っていたとしても、芸術でそれを乗り越えることができる。そういうものが日本から発信されれるって考えただけで素晴らしい大きな意義のあることですね。
映画『ゴッホ~最期の手紙~』 ©Loving Vincent Sp. z o.o/ Loving Vincent ltd.
──今作の原題は『Loving Vincent』ですが、古賀さんをはじめ、参加したクリエイターの「ゴッホ愛」が伝わる映画になっていると感じます。
もともとゴッホが好きで参加した方も、ただ絵を描きたくて参加した方もきっと最終的にみんなゴッホが大好きになっているんじゃないかと思います。ゴッホは、絵に対する情熱の強さが彼の表現に表れている。その思いの強さこそがゴッホかなと思います。それは見習ってできることではないですが、少しでも近づきたい。ゴッホ自身も浮世絵に影響をされて、それを自分のなかで昇華させて自分のスタイルを確立したので、この経験を私の作品にも活かしたいと思っていて、タッチひとつひとつに魂が込められた、そうした表現力を私も身につけたいなと思います。
(インタビュー・文:駒井憲嗣)
古賀陽子 プロフィール
1986年、兵庫県生まれ。2005-2006年 イギリスのThe University College for the Creative Artsのfoundation courseにてファインアート、デザイン、版画など美術全般の基礎を学ぶ。2008-2009年 イタリア フィレンツェ国立美術大学(Accademia di Belle Arti di Firenze)にてファインアート、解剖学を学ぶ。この間、並行してマドンナーラ(ストリートペインティング)活動を行う。2010年-2013年 イタリア the Russian Academy of Art in Florenceにて古典的なロシアの技術に基づく油絵、ドローイング、解剖学、構図を学ぶ。2015年、第62回 全日肖展 肖像画 小作品部 入選。2016年、映画『ゴッホ~最期の手紙~』に画家として参加(ポーランド)。第63回 全日肖展 肖像画 入選。日本リトアニア友好交流美術展 出展 (リトアニア)。国立チュルリョーニス美術館賞 受賞 (リトアニア)。2017年、第22回アートムーブ展 入選。
映画『ゴッホ~最期の手紙~』 ©Loving Vincent Sp. z o.o/ Loving Vincent ltd.
映画『ゴッホ~最期の手紙~』
11月3日(金)よりTOHOシネマズ六本木ヒルズほか全国順次ロードショー
郵便配達人ジョゼフ・ルーランの息子アルマンは、パリへ届ける一通の手紙を託される。それは父の友人で自殺した画家ゴッホが、彼の弟テオに宛てたものだった。テオの消息を追う内にその死を知るが、それと同時に募る疑問が一つ。ゴッホの死の本当の原因は何だったのか?そしてこの手紙を本当に受け取るべき人間はどこに?
監督・脚本:ドロタ・コビエラ、ヒュー・ウェルチマン
出演:ダグラス・ブース、ロベルト・グラチーク、エレノア・トムリンソン、ジェローム・フリン、シアーシャ・ローナン、クリス・オダウド、ジョン・セッションズ、エイダン・ターナー、ヘレン・マックロリー
製作:ヒュー・ウェルチマン、ショーン・ボビット、イヴァン・マクタガート
制作総指揮:デヴィッド・パーフィット、ローリー・アーベン、シャルロッテ・アーベン、エドワード・ノエルトナー
撮影監督:トリスタン・オリヴァー、ウカシュ・ジャル
衣装:ドロタ・ロクエプロ
編集:ユスチナ・ヴィアージンスカ、ドロタ・コビエラ 絵画責任者:ピョートル・ドミナク
視覚効果責任者:ウカシュ・マツキェヴィッチュ
制作責任者:トメク・ウォツニアク
音楽:クリント・マンセル
2017年/イギリス・ポーランド/96分/カラー
原題:LOVING VINCENT